熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

EUを拠点に加えたバランス型グローバル戦略へ・・・一橋伊藤邦雄教授

2007年10月31日 | 政治・経済・社会
   伊藤邦雄教授が、日経主催のフォーラムで、本邦初公開と銘打って、次のような発表をした。
   東証1部上場企業かつ3月期決算を行っている1250社を対象に、2007年3月期の海外売上高比率を軸に、日本企業を5グループに分類し、その時価総額、売上高、総資産、営業利益、売上高営業利益率および総資産を、2001年を起点にして時系列でその推移を観察して得た結論としての「グローバル企業成長戦略」は、
   「EUを拠点に加えたバランス型グローバル戦略へ」である。

   企業の海外売上高比率で20%を基準にして、20%以下を日本重視型、20%オーバーで、その50%以上を占める市場によって、北米重視型、欧州重視型、アジア重視型と区分し、さらに海外市場がバランスしている企業をバランス型として比較した場合、日本重視型とアジア重視型の数字が振るわず、欧州重視型とバランス型(やや遅れて北米型)が良い結果を得たので、こう結論したと言う。

   まず、2001年はITバブルの年であり、世界の経済状況は地域によって大きく差があり、起点として適切かどうかが問題だが、それよりも、会場からも指摘があったが、為替の問題がどう作用しているのかによって大きく影響される筈で、ドル安で、更にユーロの価値が異常に上昇した時期でもあり、簡単には比較できない。
   それに、アジアと言っても、その間の中国、インド市場などの特殊要因や90年代後半のアジア危機の影響など濃厚に影を落としている時期でもあり、この6年間の時系列比較で結論付けるのは非常に危険だと言う気がしている。

   もっとも、どの資料からも、国内重視型の企業には明るい未来が感じられないと言う数字が出ている。さもありなんと思うが、業種にもよるのではなかろうか。
   一般的に内需産業は、国際競争に曝されずに、生産性向上など企業努力を怠っている日本のお荷物産業だと言うことになっているが、その辺りにも問題があるのであろう。

   伊藤教授の講演は、日経 BUSINESS INNOVATION FORUMの「拡大するEU圏にみるパラダイムシフト~グローバル競争の中で変化する企業戦略~」での、同タイトルの基調講演であったのだが、このフォーラムは、フランクフルトラインマイン国際投資促進公社の投資呼び込みセミナーでもあった。
   伊藤教授のセミナーとしては、非常に総花的な講演で、意図が良く分からなかったが、冒頭から企業価値の向上戦略の重要性を説き、話題を日本のみならず欧米のM&Aに集中していたので、日本企業の欧州進出のためには、欧州企業との提携/M&Aの活用が有効であると言うことのように感じた。
   進出に当たって、バリューチェーンをどのように構築するのかが問題だとして、
   総ての機能を自社で構築することも可能だが、スピードの面では後れをとってしまう可能性が高いので、「時間を買う」と言う点では、現地企業との提携、合弁、合併が重要な選択肢となると説いている。

   なお、この企業誘致フォーラムだが、少し以前にペンシルヴァニア州のフォーラムがあり聴講したが、非常に熱が入っていて、新しい先端技術に特化した工業団地の実情や産官学の調和の取れた地域連携など意欲的なキャンペーンであった。
   しかし、今回のフォーラムは、フランクフルトラインマインがEUの中でも最も魅力的で素晴らしい地域であることは衆知の事実であるにも拘らず、その肝心の投資環境情報が希薄で、交通が至便であるとか日系人の生活がどうだとか全く末梢的なパネルディスカッションになってしまったので中座してしまった。
   最近は、結構、世界中からの投資勧誘セミナーが開かれているが、余程、注意して準備しないと効果が全く違ってくることに留意すべきだと思っている。
   
   
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イラク戦争とイスラエル・ロビー

2007年10月30日 | 政治・経済・社会
   今となっては、アメリカの謀略によって引き起こされたイラク戦争で、収拾がつかずにアメリカ自身が窮地に陥っているのは自業自得だと言う観測が一般的だが、何故、ブッシュ政権がイラク戦争に突入せざるを得なかったのかと言うことについては、色々憶測されている。
   石油会社やハリバートンのような企業のための戦争だとか、戦時体制を確立して共和党によるコントロール体制を維持するためとか、中東に民主主義体制を確立するための第一歩だとか、色々言われているが、
   強力で優れた軍事技術に自信を持ち国家安全保障に大変な懸念を持っていた覇権超大国アメリカの背中を押したのは、イスラエル・ロビーとネオコン、そして、9.11である、と、
   J.J.ミアシャイマーとS.M.ウォルトが、「イスラエル・ロービーとアメリカの外交政策Ⅱ」で、イスラエル・ロビーとネオコンのイラク戦争との関わりについて詳述している。

   ネオコン派が、サダム・フセイン大統領を武力で追い落とそうとキャンペインを開始したのは、ブッシュ大統領が就任する以前からであり、イスラエルも、サダム・フセインを自分たちの脅威だと見なし、米国にフセインを権力の座から引き摺り下ろす為の戦争を始めるように働きかけていた。
   しかし、ネオコンやイスラエルが、いくら熱心に試みても、クリントン、ブッシュ大統領にイラク侵攻を説得出来なかった。
   ところが、9.11同時多発テロと言う悲劇的な出来事によって、ブッシュ大統領とチェイニー副大統領は考えを変え、サダム・フセインを追い落とす為の予防的な戦争の強力な支持者になったのである。
   両教授は、ブッシュ大統領が就任時点からイラク侵攻の決意をしていたと考えるのは間違いで、9.11が勃発しなければ、イラク侵攻は有り得なかったと言う。

   ブッシュ政権のホワイトハウスと国防省の文官の地位にあるタカ派の高官(ネオコン)が、イラク侵攻はテロとの戦争の勝利するために不可欠であると情報操作しながら圧力をかけ、アラファット、ビン・ラディン、サダム・フセインを米国とイスラエルに脅威を与える厄介者だとして、危険度が年々大きくなってきていると誇張し続けた。
   サダム・フセインをヒットラーと比較して、1938年のミュンヘン会議を引き合いに出して、反対派を宥和政策に敗北したチャンバレン英国首相になぞらえ糾弾した。

   元々、イラク戦争は、米国とイスラエルの長期利益に適うよう、中東地域を民主主義秩序に再編する為の第一歩で、イラクを占領して民主国家にすることが目的であった。
   この民主イラクが魅力的なモデルとなり、中東地域に民主化のドミノ現象が起こって、周囲の権威独裁主義アラブ諸国も民主化し、米国とイスラエルに友好的な政権が常態となると、イスラエルとパレスティナの紛争も無意味になると言う筋書きであった。
   これが、イスラエルの願いであり、簡単に片がつくと考えて突入したイラク侵攻が、今日のように犠牲の多い泥沼になるとは予想もしなかったのである。

   しかし、イラク戦争後の中東情勢は、果たして、イスラエルにとってはどうであろうか。
   戦争の結果、中東情勢が更に不安定になって、中東におけるイランの脅威が益々強くなって来ており、皮肉にも危険度が増幅したとしか言えなくなっている。
   万が一、圧力に屈して米軍がイラクから撤退するとなると、イスラエルの脅威は更に増す。
   自国を守るために、アメリカの戦力を利用した心算が、結果的には、更に状況を悪化させてしまったと言うことだろうが、イランを叩く為に援助して育てたサダム・フセインに泣き、ソ連追い落としの為に育てたつもりのビン・ラディンにてこずっているアメリカと良く似ているのが面白い。

   ところで、この本で、両教授は、在米ユダヤ人の相当数がイラク戦争に反対であったこと、石油会社が何年も政府にロビー活動をしていたのは戦争などではなくイラクへの経済制裁の解除であったことなど、興味深い解説をしていて面白い。
   それに、イラク戦争には、国務省、情報機関、制服組の軍人達が冷淡であったと言う事実も非常に重要な示唆を与えてくれている。
   今回、イラク戦争を推進したネオコンの大半が文官の政府高官や学者であったことは、シビリアンコントロールが正しいコンセプトなのかどうかを問いかけてもいるという気がするがどうであろうか。
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リズ・カーン著「アラビアのバフェット」

2007年10月29日 | 経営・ビジネス
   世界第5位の大富豪と言われても、ビル・ゲーツやウォーレン・バフェットのように知られてはいないが、サウディ・アラビアのアルワリード・ビン・タラール・ビン・アブドルアジーズ・アルサウード王子程時代の申し子のような実業家はいないであろう。
   王族であるからでも、石油利権によったのでもなく、裸一貫から自分の才覚で時代の潮流に乗って巨大な経済帝国キングダム・ホールディングを築き上げたからであり、風雲急を告げているアラブと西欧・東西の架け橋たらんと奔走しているからでもある。

   この本に添付されているドキュメントDVDでもそうだが、冒頭、アルワリードが、9.11グラウンド・ゼロのテロ事件直後に同地を訪れて、ジュリアーノ市長に1000万ドルの見舞金の小切手を渡す所から書き起こされている。
   結局、市長に当てたアルワリードのメッセージ”アメリカ合衆国政府はパレスティナの主張に対して、もっとバランスの取れたスタンスを取るべきである”と言う文言が物議を醸してつき返されてしまうのだが、イスラエル・ロビーの強力なニュー・ヨークでは当然のことで、マードックは「政治だ」と言下に言う。

   母の故国レバノンで育った所為もあって、パレスティナに対してはその苦境なども良く知っており強力に資金援助などのサポートをしているが、一方、アルワリード自身が厖大な投資をつぎ込んでいるアメリカの大企業のトップの多くがユダヤ人であることもあってこの関係も良好であり、本人は偏見がなくても、微妙な立場に立つ。

   アルワリードの当初の起業資金は、3万ドル。事務所は4部屋のプレハブ。
   韓国業者の受注した軍の将校クラブ建設プロジェクトで、通り相場のコミッション事業ではなく、プロジェクトに出資して契約上の雑事やコーディネート仕事一切を引き受けて利益を稼ぎ、再投資に回して資金を増やし、
   国中がオイルブームに沸くのに乗じて建設と不動産投資で稼ぎ、その資金で外国企業を誘致して事業を拡大していった。
   アメリカで経営学を学んだ成果である。
   1980年代の始めの頃で、私も何度かリアドへ出かけてつぶさに建設と不動産ブームに沸き返るアラビアの姿を見ているが、確かにヒュンダイなど韓国の建設会社が活躍していた。

   その後、アルワリードは、利益を出す最良の投資として銀行業に目をつけて、敵対的買収で倒産寸前のユナイテッド・サウジ・コマーシャル銀行を買い取って不良債権を全額処理して健全化し、次に、ユナイテッド・サウジ銀行と合併を画策し、さらに、シティバンクの合弁SAMBAを合併して中東一のサウジ・アメリカン銀行を作り上げてしまったのである。
   これと平行して、建設、不動産、小売り、観光、ホテル、メディア等々に投資し、キングダム・ホールディングの事業を拡大して行った。

   私が始めてアルワリードの活躍を知ったのは、1991年、倒産寸前であったシティバンクに、アラビアのプリンスが厖大な救済資金を投入したと言うニュースであった。
   既に、シティの株を相当数保有しており、アメリカの銀行をスタディしていたアルワリードにとっては、瀕死の名門バンクが超格安のバーゲン価格になったのであるから千載一遇のチャンスであったのであろうが、しかし、自分自身の資産の半分を投入してのリスクテイクの覚悟であるから大変な決断であった筈である。

   アルワリードの投資手法は、バフェットと同じで、「バイ・アンド・ホールド」。掘り出し物を見つける眼識と勝ち組銘柄を選別する能力を保有して、徹底した底値買いをして、ひたすら保有し続けることである。
   会社を買収する場合には、頭脳――経営、専門知識、ノウハウ、実績、経験、そしてネームバリュー――を買う。極上のビッグチャンスを見つけ、長期にわたって優良企業であり続け、最低でも7~10年のスパンで投資可能な企業を物色したい、と言う。
   業界全体を俯瞰して徹底的に特定企業を調査して、市場価格が、企業の本質的価値より異常に下がって、自分たちの設定した価格に達するまで辛抱強く待って、時期が到来すれば果敢に大量買いするのである。

   そのようにして取得した戦果が、シティバンク、アップル、ニューズ・コーポレーション、フォーシーズンズ・ホテルズ、フェアモント・ホテルズ、カナリーワーフetc.
   ユーロデーズニーやIT関連投資で失敗もしているが、アルワリードのキングダム王国は拡大の一途を辿っている。
   アルワリードが、ビル・ゲーツやバフェットと違うのは、実業と投資の両方で富の蓄積を図っていることであろうか。

   睡眠4時間、寸暇を惜しんで読書に励み、周りにはIT器機が取り巻きグローバル経済情報を集積し、24時間の臨戦態勢で回線を起動させて商談を続け、地中海でタイタニックの3分の1の自分の舟でビジネス会議を主催し、自社のボーイング767と747で世界を飛び回り、とにかく、アメリカの大統領にでも自由に会える途方もないアラビア人実業家の実像を、このリズ・カーンの本は、実にビビッドに描いていて面白い。
   世界に冠たるアラビア商人の末裔であるアルワリードが、スタッフの大半がこれも世界的に最もシビアだと言われる商人レバノン人だと言うから、これに、アメリカ手法のビジネス感覚と最新のIT技術を駆使した経営を行えば、向かうところ敵なしと言うのは当然かも知れない。

   現在検討している企業は、と言う日経の問に、「ひとつはソニーだ」と答えているので、日本上陸も近いかも知れない。
   

   
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日本いけばな芸術展・・・日本橋高島屋

2007年10月28日 | 展覧会・展示会
   日本橋高島屋で、華道の228流派1100人の作家達の華麗な「日本いけばな展」が開かれている。
   観客の大半は華道関係の人と思しき婦人達だが、その所為もあって中々熱心で個々の作品について詳しく批評しあっている人たちもいる。
   花が好きだけの素人の私には殆ど分からなかったが、とにかく、228流派と言うからこの数字だけでも驚きだが、同じ生け花でも、色々なアプローチの仕方があり、そのバリエーションの豊かさにはびっくりしてしまった。
   今回、こんなに多くの作品がありながら、花以外の鉄や木を使ったアブストラクトなものが殆どなく、オーソドックスな作品が多いような気がした。

   私には、芸術性や作品のモチーフなど一切分からないので、夫々の作品を見ながら、自分の感性だけで、それも、アッと感動するような、心を引いてくれる作品が何処にあるのかと言った気持ちで見せて貰っている。
   おそらく、個々の作品がしかるべき所に活けられてディスプレィされておれば、夫々の感激は一入なのであろうが、このように、これでもかこれでもかと、素晴らしい作品がふんだんに並べて展示されてしまうと、違いだけが目に付いて値打ちが半減してしまうのが残念である。

   私の独善と偏見だが、いけばなと言うのは、生け花とも書くようで、切ってしまえば死も同然であるから、その花を生きているように、或いは、より生きるように配置すると言うのが本来の趣旨であろうか。
   樹木希林のコマーシャルではないが、美しい花は、より美しく生きているようにアレンジすると言うことだろうから、正に、花にとっては白鳥の歌である。
   活けられた花が、人を感動させるような素晴らしい花となって造形されれば本懐であろう。日本のいけばなには、花の最も重要な属性・生きると言うことを旨としている所が、欧米のフラワーアレンジメントの世界と大きく違っている。
   欧米の花のデコレーションは、美しく、時には、豪華絢爛たる輝きを示すが、それは既に昇天した花の美しさで、別の世界に行ってしまった異次元の造形に過ぎないと言うことであろう。

   私は、学生時代に京都や奈良の古寺散策に明け暮れていたので、どうしても、思索を誘うような古寺の佇まいにフィットする茶花の雰囲気や日本庭園の清楚でひっそりとした季節の花のイメージに惹かれるのだが、逆に、欧米で見続けた豪華で極彩色のデコレーションの世界も捨てがたく、複雑な思いで見ている。
   デジカメを向ける所為か、いけばなの全体像より部分的な美しさにどうしても惹かれてしまうのだが、細部にも繊細な心遣いを感じさせる作品が多くて楽しませてくれる。

   秋と言う季節の為か、色々な木の実や石榴や柿などが彩を添えていて面白いが、何処から調達してくるのか、ビックリするような花材をあしらった作品も多く発想の豊かさを感じて興味が尽きない。
   作品については、別な場所で製作して会場に持ち込むということは考えられないので、開場前には、この狭い会場で、作者達は入り乱れて戦場のような中で作品を仕上げたのであろうと思うと、静かにひっそりとして客を迎えているくれている作品が、何となく愛しくなる。
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雨の神田古本まつり

2007年10月27日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   昨日、恒例の神田古本まつりのために神保町に出かけて行ったが、朝から雨のために、道路に設営されていたワゴンや書棚の露天商店はブルーのビニールシートを被せたままで中止になっていた。
   2年前までは、三省堂のロビーが会場になっていたので雨でもここだけは開いていたが、今回は全滅である。
   午後に雨が上がった後、本降りになるまでのしばらくの間は、個々の古書店の前のワゴン店は所々開いていたようだが、今日も朝から雨なので、二日間の古本まつりは散々であろう。

   私は、何時もの古書店に出かけて2冊新古書を買った。
   J.J.ミアシャイマー&S.M.ウォルト著「イスラエル・ロビー Ⅱ」
   リズ・カーン著「アラビアのバフェット」である。

   その後、三省堂の別館にある上島珈琲店に入って、しばらく、アラビアのバフェットを読んでいた。
   やはり、本の街だけあって神保町には沢山面白い喫茶店がある。古くて歴史のある喫茶店も多いのだが、何となく臭いがこもっていたり暗い雰囲気が好きになれないので、私自身はスターバックスやタリーズに入って学生達の中に混じって本を読むことが多い。
   最近では、何の変哲もない簡易喫茶店だが、この上島珈琲の神田神保町店で黒糖ミルク珈琲をすすりながら本をしばらく読むことにしている。

   今、書店の店頭で、小冊子「神保町が好きだ!」創刊号が置かれて配布されている。
   神保町アンケートと銘打って三つの質問を投げかけて色々な人の答えを特集している。
   Q1 神保町。お気に入りスポット
   Q2 神保町・ここが嫌い
   Q3 神保町に変わってほしいこと
   井上ひさしや常盤新平、安西邦夫や岡村正、北原照久などと言った人たちのコメントなども含めて色々な人たちの神保町への思いが綴られていて興味深い。
   平均的と言うか一般的な印象記は殆どなく、夫々個性的なコメントが多くて、夫々の人生の歴史を背負っているのが良く分かり、本との関わりがその人それぞれにもの凄く影響を与えているのが垣間見えて面白い。

   この神保町では、結構、映画やTVのロケに使われていることがあり、先日も、喫茶店さぼうるの前で映画撮影の一隊がロケをしており、覗くと薄暗い店内で若い男女の会話シーンであった。
   また、別の日には、靖国通りの店頭でNHKの英会話のロケをしていた。
   東京の街は、大型の再開発でどんどん変貌しているが、この古書店街の一帯だけは取り残されたように変わらないのが不思議である。

   私が神保町に通い始めたのは、まだ、10数年くらいだが、他の職種の小さな店の出入りはあるが、古書店の佇まいは殆ど変化せず、それに、殆ど客の出入りがあるようにも思えないような店でも営業を続けているのは何か秘密があるのだろうかと不思議に思いながら見ている。
   何故か時間があると、神保町に来てしまう。そんな魅力を持った不思議な街が神保町である。
   
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応用力不足の小中学生・・・全国学力テスト

2007年10月26日 | 政治・経済・社会
   全国学力テストの結果が発表されて話題を投げかけている。
   テストの性格が曖昧だと日経は報じているが、どんなテストでもテストであって、日本全国同じ問題を同じ条件でテストをすれば結果が出てきて、現在の小中学教育の現状が垣間見える。少なくとも重要な問題点が把握できるので、十分に値打ちがある。
   日本の教育については、これまでも警告が鳴らされて来ていたが、特に問題点は、基礎と応用との正答率が10ポイントも開いた点で、如何に、日本の教育が子供たちの思考能力と創造性の涵養に不向きであったかと言うことを物語っている。

   ゆとり教育の弱点が鮮明に出たと言われているが、ゆとり教育は、日本の教育の弱体化、すなわち、日本の小中学生の知的水準を下げただけであって、何のプラスにもなっていない。根本的に教育体制を変えずに、勉強時間だけを削減しただけでは、知力の低下を招くだけであった。

   人間の創造性は、無から生まれ出ることは絶対になく、色々な異質な知識がぶつかり合って、その総合と融合の中から生まれれ出るのだと言うことは常識となっており、まず、根本に、深くて幅の広い豊かな知識・教養がありきなのである。
   個人の豊かな知識や教養のみならず、異質な芸術や科学、学問、或いは、多岐多様な異文化の遭遇が、人類の創造性を爆発させ、素晴らしい文化・文明を築き上げてきたのことは、自明の理である。

   受験勉強が悪いと言って目の仇にされてきたが、私は、制度が悪いのであって、子供はもっともっと勉強すべきであると思っている。
   生活における格差や学業の結果によるよる差別は、あってはならないと思っているが、学問上の格差はどんどんつけるべきである。これまでの教育制度のように、エリート教育をないがしろにしたような教育はおかしいのであって、昔の日比谷高校の様な学校を潰してしまったことに問題がある。

   悪平等の1億総愚民化教育を進めて行く事にこそ問題がある。
   勉強したい子供はどんどん勉強させ、立派な芸術家になりたい子供は芸に励み、職人になりたい子供は一生懸命に技術と技の習得に励む、そんなことが嬉々として出来る自由で多様性のある学問環境が必要なのである。
   徹底的に知識と教養を叩き込んで、その後で、自由に自分の目指す道へ向かって学べる環境をつくる。
   日本の経営者には、リベラル・アーツが不足していると言われているが、試験に通る為の勉強をしているからで、まず、豊かな人間性と教養ありきであろう。
   
   敗戦の苦難から立ち上がった頃の日本人は一生懸命勉強に励み、子供たちの学力は世界有数であったし、アメリカやブラジルの日系移民の子供たちは抜群の成績であった。
   しかし、今は太平天国で、戦後のバカな教育制度のお陰で子供たちの学力はがた落ちちなり、想像力や応用力を削ぐ様なていたらくになってしまった。
   我々大人は、子供たちの未来をダメにしてきているのである。

   中国やインドの子供たちの目の輝きは尋常ではないし、欧米の子供たちは好きなことを自由に伸び伸びと勉強している。
   私自身も、子供たちも、日本と欧米の教育を両方受けてきたので、その良し悪しが少しは分かっているつもりだが、教育の方向さえ間違いさえしなければ、日本が一番良いと思っている。
   しかし、何故日本では、未来の日本を背負う子供たちに、新しいこと、美しいこと、素晴らしいことどもを知ることの喜びとその楽しさを、教えられるような夢のある教育の世界を創り出せないのであろうか。
   このブログで、日本の教育については随分書いてきたが、何時もそう思っている。
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森永卓郎のIPコミュニケーション談義

2007年10月25日 | 政治・経済・社会
   森永卓郎は獨協大の教授になっていたのだ。何を思ったのか、冒頭に、ハマコーはヤクザのような政治家ではなく、ヤクザが政治家をしていた。同じ番組の出演料でも、ハマコーは160万円なのに、自分は8万円だと切り出した。
   何時もの調子で、所得300万円を境に生活の困窮度が違うと、格差拡大論をぶち上げた漫談調の講演を、ビッグサイトのIPコミュニケーション会場で行った。

   「IPによるコミュニケーション/ワークスタイルの革新と生産性の向上」と言うタイトルの演題だが、ネットによるコミュニケーションに至るまでの話題が、貧しかった頃の日本を皮切りに、隣がTVを買ったので負けじと買ったと言う総中流時代の横並び主義から説き起こすのだから、中身は散漫だが面白い。
   確かにあの頃は、核家族化と言われながらもチャンとした家族生活があったが、今では、30代前半の男性は半分以上が未婚だと言うから全く生活スタイルが変わって、世の中が全く多様化してしまった。
   家族からの開放、所得格差の拡大、IT革命の進行等色々な要因が一挙に押し寄せてきて、生活環境もワークスタイルも大きく変わってきたと言うことであろう。

   森永教授は、ネットによるコミュニケーションの進行によって大きくマーケットが変わった点は次の3点だと言う。
   ・小さなマーケットが無数に生まれた。
   ・製品寿命が異常に短くなった。
   ・新製品の成功率が下がって、次から次ぎに新製品を生み出さなければならなくなった。
   これらの指摘は、確かにIT,デジタル革命の進行によって促進された側面はあるが、知識情報化社会の特徴でもあり目新しいことでもない。

   面白かったのは、森永教授の趣味であるベンディングマシーンで買う日本茶の空き缶コレクションについてで、インターネットで検索したら、同好の人が全国に5人いることが分かって、一人に会ったら初対面なのに20年来の知己のように親しくなった、お互いに社会から阻害されているもの同士であったからだと言う話である。
   ペットボトルの蓋の趣味も11人いたとか、ミニカーのオークションで儲けたと言った人の話なども確かにインターネット時代のなせる技であるが、肝心の演題タイトルの生産性の向上と言う話には至らず脱線談義に終わってしまった。

   何れにしろ、森永教授の話は、正しいか正しくないかは別次元の話としても、非常にユニークで興味深いのは、コレクションの趣味、例えば、先ほどの茶缶の話だが、普通の飲料なら殆ど全国版だが、日本茶には地方によって違っているローカル性があってそこに着目すると言った、私には分からないような偏執狂に近いような集中力と好奇心の所為ではないかと思っている。
   空き缶が2000個以上もあると言うのだが、どのように保管しているのであろうか。他に、ペットボトルの蓋、ミニカー、etc. 
   私には、あまりコレクションの趣味はないので分からないが、やはり、それほど打ち込める熱心さには羨ましいと思っている。
   
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野中先生は「美徳の経営」と言うけれど

2007年10月24日 | 経営・ビジネス
   経営は「量の時代」のピークを過ぎ、「質の時代」に入った。
   超高齢化、高質な製品にこだわる多様な消費者の台頭、サービス産業化(経験価値の重視)、グローバルには市場の複雑・不確実な関係、貧困問題、社会的価値の重視、そして先進諸国の知識社会経済化と、企業が根本から変化せざるを得ない状況が立ち現われている。
   日本企業は、多くの社会的・個人的犠牲を払いながらも、かろうじてこれまでの成長をなし得たが、果たして、質の時代、経営の知の有様が変化した時代に如何に対処して行くのか。

   こんな問題意識を持って野中郁次郎教授は、紺野登氏との共著「美徳の経営」で、正にそのものずばりの今後あるべき美徳の経営のあり方について語っている。
   理論分析的な米国式経営や戦略に対する、人間的な知の復権や社会的価値の再発見、そして行為・実践の重視と言う、より深い批判的視点持ち、企業倫理やCSR(企業の社会的責任)、さらには、芸術家的なリーダーやデザインへの関心などが顕在化し、新しい時代に求められる最も重要な経営の資質が美徳となった。
   美徳の経営とは、本質的な価値を追求し、未来を創り、かつ実践する知的な力量を持った経営であると言うのである。

   先生は、この暴走する世界において、アリストテレスの「賢慮フロネシス」を持ち出して、最高の実践的智恵の追求を賢慮リーダーの資質としており、美徳の経営を目指して、市場や組織の背後にある、より深層の変化の要因を把握し、行為の目的を実践して行くための、判断力や実践力が迫られていると言うのである。
   しかし、赤福がおかしな経営をしていて毎日のように唾棄すべき真実が数限りなく暴露され続けている日本には縁遠い話であって、何処の国の経営の話をしているのか、ユートピアの話のように思えて仕方がない。国民が総内部告発者化すれば、無尽蔵に違法・不法行為が暴露されて、日本中が危機的状況に落ち込んでしまう筈である。
   中国製品の品質管理の杜撰さが問題になっているが、日本の経営も程度問題であって、社会保険庁や防衛省守屋次官問題など官僚の腐敗も程度の差だけであって、全く同じ次元の話に過ぎない。   

   もっとも、私自身は、野中先生の説に異論はないしそうあって欲しいと願っているが、現実はあまりにもお粗末であって、経営学の目指すべき程度をもう少し落とさざるを得ないのではないかと思っている。

   野中先生が持ち上げている松下幸之助翁だが、流石に見上げたもので、もう何十年も前の社員への講話で、
   「利益は無意味に使うわけではなく、より良き再生産のために資金を使い、従業員の生活の向上のため、設備の為、また、社会に還元して色々寄与する。社会生活が国民全体、社会全体として増進して行くために、会社は大きな役割を受け持っている。そういう尊い使命があるために利益を求めることが許されている。」と語っている。
   その幸之助翁が、うちにはソニーと言う研究所がおまんねん。と言ってマネシタ電器の元を開き、イノベーションの追求を削いでしまっていた。それはそれなりの戦略として機能したが、何が正しいか、何が美徳なのかは、時代の流れによって変わってくるということも事実であろう。

   何れにしろ、野中・紺野両氏は、リーダーを美徳の経営の実践者でなければならないと言った新しい視点から捉えた新リーダー像を提示したことには大きな意義がると思った。
   
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倉敷美観地区散策

2007年10月23日 | 生活随想・趣味
   久しぶりに、秋の倉敷の美観地区を散策した。
   車の流れのない、静かな良く晴れた秋晴れの古い町並みの佇まいはしっくりしていて良い。
   紅葉には、まだ1月ほど早いようだが、倉敷川畔には萩が咲き乱れていて水面に影を落としている。
   大原美術館には何度か入っているし、特に見たいものもないので、今回は、黄金屋根瓦の美しい有隣荘で芹沢介展を開いていたので中に入ったけれど、後は街の中を歩くだけでにした。

   日本の各地に小京都とか銘打った観光都市があっちこっちにあって、中々雰囲気の良い町並みを形作っていて楽しませてくれるが、江戸時代や明治時代、少し、下がっても戦争前の日本の住居や町並みが珍重されるのは、何故であろうか。
   逆に言えば、戦後から今日にかけては、美しい町並みを作ってこれなかったのは、何故かと言う問い掛けにもなる。
   

   これは、やはり、ヨーロッパの古都や古い歴史のある街にも言えて、オールドタウンとニュータウンの差は歴然としていて、やはり雰囲気があって観光客を集めているのは古い町並みである。
   懐古趣味と言うだけではなく、生活の場を大切にして生きていたと言うことの結果ではなかったかと思っている。 
   ヨーロッパにはギルドが力を持って職人文化を大切にし、マスターを尊重する風潮があったが、技術だけではなく創造性と美を競って新しい文化や文明をつくりだしていたが、街造りにおいても、近年のように商業ベースだけの世界ではなかったのではないかと思っている。

   倉敷の場合は天領であり、城下町より恵まれていたと言うこともあろうが、やはり、殖産興業と言った政策によって栄えた古い町にも富の力による集積があって豊かで趣のある町並みを作り出してきているケースも多い。
   この倉敷は、比較的広い範囲においてみやげ物店や観光拠点が集中していて切れ目なく続いているのが良く、例えば、千葉の佐原のように古い建物が普通の住宅街に散在しているのとは違っている。

   ところで、観光地と言ってもやはり世相の流れには逆らえず新しい動きの波が押し寄せている。
   気付いたのは2点で、一つが1000円ショップの台頭と、隣地のシャッター通り化である。
   美観地区のみやげ物店に混じって2箇所1000円ショップがあったが、結構流行っている100円ショップの観光地版だが、中には入らなかったが可なり見栄えの良い商品が並んでいる。
   中国やベトナムなどで欧米の一寸したデザインを盗用して製造すれば、人件費などの製造コストの安さで、日本で製造するよりはるかに安い商品が出来る。
   恐らくコストパーフォーマンスを考えれば、少なくとも日本の5000円くらいの値打ちのある商品が並んでいるのであろうが、これもグローバリゼーションの流れで、結構客が入っているのが世相の反映であり面白い現象である。

   もう一つのシャッター通り化であるが、倉敷駅から一直線の大通りである倉敷中央通りの、美観地区入口の交差点のほんの100メートル程手前の「倉敷れんが通り 阿知町商店街」と銘打った商店街が入口からずっと殆どの店がシャッターを下ろしており、大通りに面した大きなみやげ物店など数十メートル美観地区にかけて閉店している。
   観光客の導線が一直線に美観地区に流れてしまって、ホンの僅かな距離でもルートから外れてしまうと観光客が寄り付かないと言う典型的なケースで、更に生活空間であった地方の商店街も地方の疲弊によって空洞化してしまうと言う極端な例であろうか。
   商店街入口の店舗を、斬新なアイディアで客を惹きつけるような魅力的な空間にすれば再生可能かも知れないが、アーケードのある古い商店街の佇まいでは全く倉敷美観地区のイメージとは相容れず、倉敷チボリ公園が苦戦を強いられているのを見ても、倉敷の観光行政や都市行政に問題があるような気がする。
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芸術祭大歌舞伎・・・藤十郎の「恋飛脚大和往来」

2007年10月20日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   槌屋の抱え女郎梅川(時蔵)に恋をした飛脚屋亀屋の養子忠兵衛(藤十郎)が恋敵の丹波屋八右衛門(三津五郎)に侮辱され煽られて、ご法度の公金の封印を切ってしまい、死罪で追われる身となり、梅川と、雪の激しく降り頻る故郷大和の新口村へ落ちて行く近松門左衛門の悲劇「冥土の飛脚」の歌舞伎版「恋飛脚大和往来」の切なくも悲しい舞台が、歌舞伎座の昼の舞台の目玉である。
   大金を扱うがその金は総て他人の金で運ぶだけ、財力も甲斐性もない忠兵衛が、梅川に恋をしたのが悲劇の始まりだが、身請けの金など準備できる訳がなく行く先・結末がが分かっていても、追い詰められて切羽詰るまで恋にうつつをぬかして奈落の底へ突き進んで行く。
   近松は、何故、こんなにがしんたれで後先を考えずに他人を不幸に巻き込んで死に急ぐ阿呆な大坂男を主人公にした心中ものばかり書いたのであろうか。

   しかし、今、世界中を経済危機の渦中に巻き込んでしまったサブプライム問題だが、先の奈落が分かっていながら突き進んでしまったと言うのは忠兵衛と全く同じで、社会性を伴っている分、ある意味では忠兵衛よりももっと悪質である。
   実際には家を買えるような能力のない人に、家の値上がりによる資産価値のアップのみを頼りに金を貸し込んで、銀行自身は証券化してリスクを他人に転化してしまい、さらにその証券を債務担保証券として投資家に販売して世界中に行き渡ってしまったが、損害がどうなっているのかさえ定かではない。
   何年も住宅ブームを謳歌し、アメリカ経済好況の支柱であった住宅価格の高騰が永遠に続く訳がなく、いつかは暴落して経済危機が起こるのが必定でありながら、皆で渡れば怖くない赤信号で、花見酒の経済に酔ってきたが、とうとう、つけを払わざるを得なくなった。
   住宅ローンを返せなくなって差し押さえられた住宅が激増して市場に氾濫すると目も当てられない状態になるが、どうするのか、世界最高水準だと言われたアメリカの金融システムも、とどのつまりは、誰でも先のパニックを予測できるような略奪的貸付を助長する、その程度のものだったのである。
   赤福のモラル欠如の経営など言語道断だが、忠兵衛の場合には、まだ、梅川と言う女人を心底愛したバカさゆえ救いがある。

   ところで、肝心の舞台の方だが、藤十郎は、父親の鴈治郎が舞台に立っていた頃は梅川を演じていたが、最近ではずっと忠兵衛を演じている。
   上方和事は、おかしみが身上だと言うが、身請けの金も用意できないのに、のこのこと大店気取りで梅川に会いに来る忠兵衛そのものからして能天気であり喜劇である。藤十郎が演じると、ことの深刻さより、茶室での梅川とのじゃらじゃらしたいちゃつきは勿論、八右衛門に挑発されながら少しづついらつきながらも、どこか惚けた受け答えをして、徐々に上り詰めて行く悲劇も非常に人間臭さを増してきて味が出ている。
   八右衛門の悪口雑言に、堪忍袋の尾が切れて二階から飛び出す仕草にしても、切羽詰って封印を切るまでの心の葛藤にしても、理詰めで展開されてゆく舞台ではなく、何処か、運命の糸に操られているような舞台展開、そんな気がして仕方がなかった。
   それだけに、封印を切ってしまった後の絶望感が途轍もなく大きくて深い。
   分かっているけれど、とうとうやってしまったと言う結末になってしまうのだが、抵抗しても逆らえずに身を持ち崩して奈落の底に落ちてしまう。藤十郎の芸を見ていて、関西人にはそんな人生への諦観があるような気がするのである。

   梅川の時蔵だが、控え目のしっとりとした雰囲気が実に良い。
   文楽の方の梅川は、簔助が遣う所為かも知れないが、見世女郎ながら健気でしっかりとした女の自負を強く感じさせるのだが、時蔵の場合は、その強さをやや抑え目にしながらバカな忠兵衛でも恋しさ一途で寄り添っていると言う感じが印象的で私には新鮮な驚きであった。
   大坂男のがしんたれさに比べて、しっかりして、勝気で、さっぱりして、逞しくて大胆奔放で、男を引っ張って死さえ恐れない、そんな大坂女を近松は描いたが、それだけではない大坂女がいた筈である。

   忠兵衛の父親孫右衛門の我當だが、恐らく父の仁左衛門の孫右衛門もあのような味のある何との言えない自愛に満ちた舞台を努めたのであろう、雪の新口村の風情と逃避行に旅立つ二人とのこの世の最後の名残を惜しむ姿がダブって叙情を誘って胸を打つ。

   忠兵衛ビイキで気風の良い情に厚い井筒屋おえんの秀太郎は正に打って付けの役柄で、八右衛門を徹底的に痛めつける心意気や忠兵衛と梅川を見つめる視線の優しさなど心の機微が垣間見えて実に上手い。
   親分肌の槌屋治右衛門の歌六も、正に適役で、一寸江戸風だがどすの利いた貫禄が舞台を引き締めている。

   今回、なんと言っても上出来は、三津五郎の八右衛門だが、殆ど訛りを感じさせない達者な大阪弁で、忠兵衛との丁々発止の漫談口調の会話をポンポンと実に器用に操りながら、憎々しげに忠兵衛を挑発して追い詰めて行く。

   これまでは仁左衛門の忠兵衛の舞台が2回と染五郎が1回だが、藤十郎の芸はやはり決定版なのであろう、素晴らしい近松の舞台であった。
   梅川は、玉三郎が1回、孝太郎が2回。
   何故か、私にとっては、文楽の舞台の方が強烈な印象が残っているのが不思議である。
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METのプリマ・ドンナたち・・・J.ヴォルピー前総支配人

2007年10月19日 | クラシック音楽・オペラ
   見習い大工として入ってメトロポリタン歌劇場の総支配人に上り詰めたジョセフ・ヴォルピー(Joseph Volpe)の自叙伝と言うか回顧録と言うか「史上最強のオペラ The Toughest Show on Earth」を、読んでいると実に興味深いオペラ歌手やオペラに纏わる話が、次から次へと語られていて、非常に面白い。
   先ほど亡くなったパバロッティやドミンゴなどのスーパースターの話もふんだんに語られているが、面白かったのは、私の知らなかったディーヴァ、プリマ・ドンナたちの裏話であった。

   何かの拍子に新聞を見てビックリしたのは、キャサリン・バトルのメトロポリタン歌劇場からの放逐で、相当、高慢ちきで鼻つまみであった彼女の行状と解雇の決断などについて「バトル賛歌」なる一章を設けて克明に描いている。
   私などオペラやリサイタルの舞台などで、実際に彼女の生の姿に接したのは極限られたハレの舞台だけなので、あの実に美しい歌声と可愛い舞台姿に接しているとファンにならざるを得ないほど魅力的だった。
   彼女の舞台を観たのは、コベントガーデン・ロイヤル・オペラでのオペラとリサイタル、サウスバンクでのリサイタルくらいだが、一度、緊張したのか、伴奏のピアノに手を置いて牝豹のような精悍で極めて鋭い目つきをして歌い始めたのを見てビックリした記憶があるが、歌と行状とは別なので、今でも、彼女の懐かしいCDは時々聞いている。
   
   ルドルフ・ビングがマリア・カラスを降板させたのは有名な話で、ビングの二の舞だと言われたが、METの看板スターで超売れっ子だったが、バトルはカラスとは違うと言って突っぱねた。バトルが、44歳で声の衰えを感じて苦しんだ足掻きだったと同情を示しているが、レヴァインが解雇に最後まで反対していたのが興味深い。
   「愛の妙薬」のリハーサルの時であろう、バトルの態度が馬鹿馬鹿しくなって、パバロッティが、
   「・・・彼女には誰か良い男が必要なんじゃないかね・・・」と言うと、あからさまなイタリアのジェスチュアーをして「私が相手をしてやろうか!」と言ったと言うが、キャシーは皆の前で大物とやり合うほど馬鹿ではなかったらしい。

   ところで、ジェシー・ノーマンの女王然とした態度は分かるのだが、今、一番人気の高いソプラノの一人アンジェラ・ゲオルギューも酷いようで、独裁者チャウシェスクの国で育った所為かも知れないと言っている。
   パリ・オペラ座での「つばめ」の初日を事前連絡なしにキャンセルしたらしいが、本番に来るのかどうかさえ怪しいと言う。
   そう言えば、私が出かけたロイヤル・オペラでドミンゴのカニオとの「道化師」のネッダさえ棒に振り、私の観たのは切符が取れなくてドミンゴ指揮、デニス・オニールのカニオだったが、玉突きで代役の代役がネッダを歌って大変な混乱振りであった。
   実際の舞台では、それほど美人で素晴らしいとは思わなかったけれど、今でもMETは、ゲオルギューを目玉にしているが、また、第二のバトル戦争が起こるのであろうか。

   ヴォルピーは、好ましい魅惑的な舞台人間だったとして二人のソプラノ歌手を上げている。
   テレサ・ストラタスとカリタ・マッティラである。
   ストラタスは、ドミンゴとの素晴らしい映画「椿姫」の印象だけで、残念ながら一度も舞台を観る機会がなかったが、マッティラは、何度かコベントガーデンでオペラを観ている。
   モーツアルトの「魔笛」でのパミーナなどの印象が強かったが、後年、コベントガーデンを訪れた時には、ワーグナーの「ローエングリン」のエルザを歌っていてその素晴らしさに感激したことがある。
   ヴォルピーは、「サロメ」での全裸スタイルの一こまでのマッティラを語っている。リハーサル途中でのニューヨークタイムズ・カメラマンのワン・ショットに逆上したが、TVでは、かたいフィンランドの家族を押し切って、無修正で放映させたと言う。

   ついでながら、オペラでのヌードであるが、「ラ・ボェーム」の画家マルチェッロのモデル、モーツアルトの「ドン・ジョバンニ」でのジョバンニの食卓代わりにドンア・エルヴィラの侍女を全裸で寝かせたり、ヴェルディの「リゴレット」の冒頭のマントヴァ公爵邸での乱痴気騒ぎで男女が絡むシーンなどかなり頻繁に綺麗な舞台を見ることが出来る。
   しかし、実際のプリマ・ドンアが全裸シーンを演じる舞台は限られており、私自身はサロメしか経験がない。
   マッティラと同じ様に、ロイヤル・オペラで、マリヤ・ユーイングのサロメが、「七つのヴェールの踊り」で一枚づつ踊りながらヴェールを取って行くシーンで最後に全裸で舞台に倒れ伏した。知らなかったのでビックリしたが、この舞台は、そのままビデオになって残っている。
   私が最初にロイヤル・オペラで「サロメ」を観た時は、ギネス・ジョーンズが演じていて、この時は、肉襦袢を着て踊っていたが、マッティラが「理由もないのに脱いだ訳でもないのよ!」と言うように、この場合はリアルの方がしっくり行くような気がしている。
   
   手元に埃の被ったルドルフ・ビングの古い本「A Knight at The Opera」と「500 Nights at The Opera」があるので、読み返そうと思っている。
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低炭素化社会を目指すドイツのエコロジー近代化政策

2007年10月18日 | 地球温暖化・環境問題
   オホーツク海の紋別に、40キロのマグロが陸揚げされてセリにかけられた。
   暖海のプランクトンが増えて、マンボウやカツオや鯛など他の南の海の魚も陸揚げされており、冷たい海の魚が駆逐されそうだが、それもこれも、総て地球温暖化の所為だと言う。
   地球変動に対する政府間パネル(IPCC)とアル・ゴア元副大統領がノーベル平和賞を受けることになったが、正に、宇宙船地球号の危機がそこまで差し迫っていることを世界中に示した快挙である。

   日経ホールで、地球環境戦略研究機関などの主催で、「低炭素社会を目指した産業構造変革への挑戦」をテーマに国際シンポジウムが開かれた。
   低炭素化を目指した産業構造の変革に向けての試みについて、欧米日の関係機関が最近の動向と問題などについて報告し討論されたのであるが、やはり、国や地域に応じて同じ目標に向かっていても、温度差や哲学などに差があって興味深かった。

   先のハイリゲンダムG8サミットにおいて、日本主導で合意された「脱温暖化2050プロジェクト」では、2050年までに温暖化ガス排出量を1990年レベルを50%削減すると言う長期目標を掲げているのだが、私自身は、それまで、人類の歴史が持つのかどうか疑問に感じている。
   勿論人類が滅びると言う極端なことではなく、例えば、カタリーナ級の台風が、年に2~30襲ってきたり、海水面の上昇で多くの臨海大都市が水没し、逆に地球の半分が砂漠化するなど、天変地異が激しくて人類が正常な文明生活を継続出来なくなっているであろうと言う心配である。

   先のシンポジウムでは、世界経済フォーラムやEUなどヨーロッパの取り組みが報告されたが、興味深かったのは、ヘルムート・ヴァイトナー氏の語ったドイツの「エコロジー近代化 Ecological Modernization」と言う概念とその取り組み方であった。
   経済的な利益や利便性、環境問題の解決、国民の福祉の向上などを目指して近代化を図ろうと言う政策だが、2020年目標では、温暖化効果ガスを30~40%削減、エネルギー効率3%/年アップ、20%の資源再利用、コ・ジェネ25%など高度なターゲットを設定している。
   欧米で一般的な、持続可能な社会(Sustainable Society)と言ったグローバルベースの視点での環境対応の政策ではなく、あくまで、環境改善など国内の近代化に的を絞ったプラグマチックな政策だと言う。
   アメリカやBRIC’sなど世界の経済大国が環境問題に熱心でなく、ドイツ国内の止むに止まれぬ危機意識の発露であって、エコロジカル イノベーションを追求するのだと言うのだが、公害で環境が破壊されていた東ドイツでの自然環境の回復やグリーン党の活躍、ドイツ人の現実指向などが影響しているのだろう。

   日経の清水正巳論説委員が、アダム・スミスの神の手の導きに任せた市場原理での環境問題の解決について提示したのに対して、ヨーロッパの論者達が、ヨーロッパは、参加型民主主義が基本であって、労働組合の積極的参加など様々な関係者・機関等への配慮が必要だとパブリックの介入による秩序維持を説いていたのが面白かった。
   低炭素化社会の実現の為には、ヨーロッパだけいくら頑張ってもダメで、世界中の国々がこぞってグローバルベースで、地球環境の保護に当たらなければダメだと何度も強調していたのも印象的であった。

   私は、ブッシュになって極端に幼稚化してしまったアメリカに対して、イラク戦争での初期の独仏の強烈なアメリカ非難など以降の行動も含めて、今度の環境問題対応にしても、ヨーロッパの方がやはり文化文明の守護者であって、はるかに大人の対応をしていると思っている。
   私自身、アメリカで大学院教育を受けたので一宿一飯の恩義も感じており、アメリカの良さも痛いほど分かっているつもりだが、何でもアメリカ志向と言う日本の風潮には疑問を感じており、日本の見習うべきは、むしろ、ヨーロッパではないかと常々思っている。
   
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ベルリン国立歌劇場・・・ワルトラウト・マイヤーのイゾルデ

2007年10月17日 | クラシック音楽・オペラ
   NHKホールに、ベルリン国立歌劇場のワーグナー「トリスタンとイゾルデ」(ダニエル・バレンボイム指揮)を観に出かけた。
   私の最大の関心事は、ワルトラウト・マイヤーのイゾルデを聴くことであった。
   終幕直前の「愛の死」は、正に圧巻で、双眼鏡を離さずにマイヤーの表情をずっとアップで鑑賞していた。
   最愛のトリスタンの死を看取って放心状態で歌いだすが、神々しいサウンドに溺れて行きながら法悦の喜びに浸る恍惚の表情の何と美しいこと、少しづつスポットライトがフェーズアウトして幕となると万雷の拍手であった。

   私が、一番最初に「トリスタンとイゾルデ」を観たのは、もう、40年以上も前になるが、バイロイト・オペラが大阪のフェスティバル・ホールで公演をした時で、全く、クラシック音楽鑑賞をゼロからスタートしたところだったが、給料の一か月分近い価格のチケットを買って出かけたのである。
   その前に、カール・ベーム指揮のバイロイト公演のレコードが出たので買って来て何度も聞き返して予習をしてから出かけた。
   主役は同じで、トリスタンがウォルフガンク・ウイントガッセン、イゾルデがビルギット・ニルソン、同じかどうか知らないが、大阪では、マルケ王は、ハンス・ホッターが歌い、指揮はピエール・ブレーズで、オーケストラはNHK交響楽団がピットに入った。
   演出は、ワーグナーの孫のウィーラント・ワーグナーで、非常にシンプルなモダンなセットで、三原色の微かな照明を使って殆ど何も見えないような暗い舞台から、全編最初から最後まであのこわく的なワーグナーサウンドの中から歌手の声が湧きだして来るような荘厳に近い凄い舞台であった。

   私は、ウィントガッセンとニルソンの第二幕の延々と続く螺旋階段を少しづつ上り詰めていくような限りなく美しい「愛の二重唱」に圧倒されてしまい、そして、最後のニルソンの「愛の死」に痛く感激し、何故こんなに魅惑的な音楽をあの革命家で身持ちの悪かったワーグナーが作曲出来たのか、不思議でたまらなかった。
   ニルソンのあのような凄いソプラノをその後殆ど聴いたことがないが、今回のマイヤーに、ニルソンの思い出をもう一度と思って出かけたのだが、ドラマチック・ソプラノと言っても本来メゾ・ソプラノなので、声の質なのか一寸印象は違ったが、素晴らしいイゾルデで満足して帰って来た。

   今回の舞台の演出は、明るくてマイヤーの演技や表情が良く見えて、それに、その心算で聴いていたので、流石に東西随一のワーグナー歌いの素晴らしさは格別で、実に繊細かつ性格描写と言うか表現力が豊かで改めてイゾルデを見直した感じであった。
   舞台では歌いながらの表情なのできつい感じがしたが、カーテンコールで現れると中々綺麗な歌手だと思って見ていた。
   レパートリーは、ワーグナーが多いようだが、カバレリア・ルスティカーナのサントッツアやフィデリオのレオノーレなども歌うようである。ジョセフ・ヴォルピーの『史上最強のオペラ』を読んでいると、メトロポリタンでは、カルメンがイメージに合わなくて、メイヤーに悪いことをしたとヴォルピーが反省しているところがあったが、今では、持ち役であるらしい。
   何れにしろ、ワーグナー歌いは強烈な声量をそれも長時間要し、それに、抜群のテクニックを要求されるので大変であろうが、先のMETでドミンゴと共演したボイトも凄いが、ギネス・ジョーンズやヒルデガルト・ベーレンスなども素晴らしかったと思っている。

   ところで、今回のベルリン国立歌劇場だが、ベルリンの壁崩壊の前に一度出かけて、ホフマン物語だったか、観た事がある。
   この劇場は、ブランデンブルグ門の向こう側の東ベルリンにあって、当時はヴィザがなければ、夜中までに西ベルリンに帰ってこなければならず、オペラが跳ねたら急いで電車に乗って国境を越えたのを覚えている。
   確か、西ドイツマルクで払ったと思うが可なり安かった。
   別な日に、やはり東ベルリンにあったコミッシェ・オペラで「魔弾の射手」を観たが、軍隊スタイルの演出でビックリした。
   こんなことを思い出しながら、渋谷のNHKホールをあとにした。

   
   
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中国の凄いピアニスト・ラン・ラン

2007年10月16日 | クラシック音楽・オペラ
   讀賣新聞の夕刊を見ていたら、中国生まれのピアニスト・郎郎(ラン・ラン)の記事が載っていた。
   私は、3年前にニューヨークのアベリーフィッシャー・ホールで、ロリン・マゼール指揮ニューヨーク・フィルとの共演で、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を聴いただけだが、凄いテクニックと華麗な演奏に驚嘆したので良く覚えている。
   来月、クリストフ・エッシェンバッハ指揮のパリ管弦楽団と来日してベートーヴェンのピアノ協奏曲を演奏するようだが、彼のオフィシャル・サイトを開くと、丁度、同じ組み合わせで録音した新発売のベートーヴェンの第1番と第4番のCDの華麗なサウンドが流れてくる。
   指揮者のエッシェンバッハ自身が、元々素晴らしいピアニストなので、パリ管の輝くようなサウンドに乗せた華麗な演奏が、実に素晴らしくて楽しませてくれる。

  讀賣の記事で、私が注目したのは、ラン・ランが中国を離れて10年だが、欧米で暮らしていて文化的なギャップはあまり感じないと語っていることである。
   上海で生まれて、既に5歳でコンクールで賞を取り公開演奏をし、9歳で北京中央音楽院に入学したと言うから途轍もない才能の持ち主である。カーチス音楽院でゲイリー・グラフマンに師事するためにフィラデルフィアへ15歳の時に移り住み、その後は欧米を行き来しているようである。
   私自身フィラデルフィアに2年間住んだことがあるのだが、彼の地は、独立宣言を行った自由の鐘のある古い都市だから、可なりアメリカでも古風な印象を受ける土地柄である。
   10年前と言えば、中国が経済成長をスタートさせ始めた頃で、アメリカとの関係もかなり進んでいたし、15歳の多感な少年時代に古い中国から新大陸に移ったので、すぐにアメリカ文化に溶け込んだのであろうか。
   日本やキリスト教国である韓国のように、比較的、西洋文化の影響を受けた国での音楽人生ならいざ知らず、共産中国からでは、キャッチアップは大変だっただろうと思うのだが、柔軟性があるのか、意思が強いのか、驚異的な順応力である。

   この記事で面白いコメントは、
   今はインターネットで世界中がつながっている時代。クラシック音楽の感じ方、考え方にグローバルなものが生まれても不思議ではない。と書いていることで、確かにデジタル革命でグローバリゼーションが進展して世界中がフラットになった文化上の変化は大きい。
   音楽は、文学と違って、多様性を持つ言葉ではなく、万国万人共通のシンボルで表現されるので、フラット化した世界においては、益々、グローバル化が進んで行き、民族や文化の壁は消えて行くのであろうか。

   ところが、一方でラン・ランは、
   「技術的なことはともかく、音楽を成熟させる為には、その背景にある歴史や文化を学ぶことが重要で、ヨーロッパではその勉強ができるのがうれしい。」と言っている。
   ラン・ランは、ホロビッツの弟子であったグラフマンから教えを受け、5年前からベルリンに移ってバレンボイムに師事しており、その師のルビンシュタインとアラウの芸を継承していると言われ、20世紀のピアノの巨匠からの太い線で結ばれる幸運を享受していると言えよう。
   カーネギーホールでの演奏後に、ホロビッツの再来と言われたようだが、むべなるかなである。

   しかし、更に凄いことは、
   「演奏に絶対の法則はない。伝統を尊重しつつ最後は自分で判断する。そういうふうにして、アジア人の自分がヨーロッパの音楽を広めることには意義があると思います。」と言ってのけるのである。

   何時もクラシックを聴きながら思うのだが、ラン・ランが言うように、やはり、音楽は、生まれ育った背景の歴史や文化の影響を色濃く背負っており、そのスピリットと伝統の継承と尊重は大切であるが、結局、最後は、演奏者が自分自身のフィルターを通して作曲家の意図した音楽を観客に伝えることになる。
   小澤征爾の音楽が凄くて偉大なのも、ラン・ランのピアノが欧米の観客を魅了してやまないのも、案外、アジア人の豊かなスピリットと感性に増幅されて西洋音楽の魅力が増すからではないかと思っている。
   

   
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SECのミッションとアメリカ社会・・・P.S.アトキンス委員

2007年10月15日 | 政治・経済・社会
   早稲田は、創立125周年記念行事で沸いている。
   その記念行事の一環の法学部記念講演「米国SECコミッショナーP.A.アトキンスに聞く SECのミッションとアメリカ社会」を聴講した。
   公開会社法構想を掲げて会社法の改正を提唱している上村達男教授の司会で、2時間ほどのスピーチと質疑応答だったが、サブプライム問題も含めて、専門家たちのかなり高度な議論が展開されていて興味深かった。

   SEC(米国証券取引委員会)は、1934年に設立され、投資家の保護、市場秩序、証券投資の公正性の確保など広範な監督を行う独立の連邦政府機関で、大統領に任命された5人のコミッショナー(委員)が率いており、インサイダー取引や相場操縦など不公正取引を監視摘発する権限を持っている。
   講師のアトキンス氏は、このSECの5人の委員の一人で、金融サービス業と証券規制を中心に22年のキャリアを持つ米国有数の専門家で、SECの役割や米国社会との関わり等について語った。

   冒頭に、ミルトン・フリードマンの「資本主義と自由」に言及し、自分自身の政府の役割に対する考え方を決めるのに役立ったと言って、次のように引用した。
   「自由主義企業経済における自由市場とは、人々が、その自由意志によって、開示された情報をベースに行われる取引によって、お互いに利益を得ると言う前提に成り立っている」
   「最大価値を生むためには、政府は、経済行動をコオーディネイトするために強制的なテクニックの行使を避けねばならない。
   自分自身の必要を感じた売り手と買い手よって形成される市場に委ねるべきであって、自由意志による個人の意思決定が、人々が望み必要とするものを最も正しく反映しているのである。・・・」
   
   古い本は殆ど処分したので、私の手元に残っているのは、フリードマンのその後に出た「選択の自由 Free to Choose 1980年版」だが、この本は前著を更に展開し、自由主義市場を確保する為の政府の役割について書かれていて、その後、レーガン大統領やサッチャー首相の経済政策に大きく影響を与えた。
   アトキンス氏自身共和党色の強い委員だが、改めて、アメリカでは、いまだに、フリードマンの精神が脈々と息づいているのを感じて、新鮮な驚きを感じた。

   アトキンス氏の話で、興味深かったのは、本筋ではないが、スタッフの官民融合の「Revolving Door 回転ドア」論と、規制が有効かどうかを決定する為の「Economic analysis」である。

   アメリカでは、政権やトップが代わるとその下のスタッフまで代わることが多いが、政府の役人を外部の民間から雇い入れることが頻繁に行われているが、これが「Revolving Door」である。
   この民間からの役人が、民間事業の実情を良く熟知しているので、政策作成や規制実務などに極めて役立っていると言うのである。
   一方、逆に政府機関から民間に移ったスタッフなどは、政府の方針や政策を上手く民間に伝えて導入をスムーズにしたり、厳しい政府の倫理基準を民間に反映する等役立っていると言うのである。
   先日、このブログで、役人の天下りの功罪の罪について書いたが、このアメリカ流の自由な移動システムを活用して、「官製高級官僚天下り専用ハローワーク」を止めればどうかと思う。

   規制のコストーベネフィット分析である「Economic Analysis 経済分析」だが、規制が、社会を利するよりも害する可能性が大きいかどうかを計量する事によって、限られた資源を有効に配分して、最大・最善の効果を上げるという方針に基づいている。
   この場合のコストは、直接コストだけではなく、間接コスト、例えば、競争を阻害するとか消費者の選択肢を狭めると言った副作用についても重視していると言う。
   SECの役割は、市場を効率的に機能させ、資本形成を促進することであり、間接コストは、これらの要素を阻害する危険があるからである。
   もっとも、このSECの経済分析にも問題があって、他機関から問題点を指摘されて改良に努めているのだと言う。

   このコストーベネフィット分析は、おとり・覆面捜査、盗聴、何でもありのアメリカでは、司法取引で不正を吐かせて刑を軽減させるなどは、正にこの精神の現われであろう。
   大きな悪を暴き処理する為には、小悪に目をつぶっても、トータルで社会にとってはプラスであれば良いと言うアメリカの合理精神でもある。
   ところが、日本では、名古屋地下鉄談合事件で、報告したハザマが課徴金免除されたのはけしからんと言う発想が残っていて、文化の違いが面白い。

   この後、小野記念講堂で開かれていた「自由概念の比較史と現代的位相」を聴講したが、笹倉秀夫教授、樋口陽一教授、石川健治教授の講演を別世界の別次元の話のような気がしながら聞いていた。
   私の専攻は、大学が経済で大学院が経営で、いわば文科系なのだが、同じ文科系と言っても、多少接点のある会社法あたりはまずまずとしても、法学となると別世界であることが、今ごろになって分かった気がした。 
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