昨日、国立能楽堂で、普及公演、狂言「鶏聟」と能「殺生石」が上演されたので出かけた。
この能楽堂では、主催公演として、毎月、普及公演、定例公演、特別公演と言うプログラムで、4~5回、能・狂言が上演されていて、この4年くらい、大体出かけて鑑賞しており、短期間ではあるが、かなりの鑑賞歴だが、残念ながら、いまだに、歌舞伎や文楽と比べると、よく分かっているとは思えない。
学生時代に、能や狂言のサークルに入っていたり、社会人になってから、この方面の教室に通って修練を積んだり学んだ友人知人たちは、それなりに、楽しんでいるようだが、殆ど、分かる筈がないと敬遠していたのだが、とにかく、鑑賞してみようと思って、能楽堂に飛び込んだ無趣味人には、やはり、ハードルが高いようである。
尤も、クラシック音楽に対しても、殆ど関心がなかったのだが、学生時代に、時空を超えて、簡単に言えば、時代や国に関係なく、世界中の人が、良いと言って楽しんでいるのに、ベートーヴェンやモーツアルトが分からないようでは話にならないと思って、ステレオ装置とクラシック名曲シリーズのレコードを買って、ベートーヴェンの「運命」や「田園」から聞き始めた。
次は、三大ヴァイオリン協奏曲、カラヤンやアンセルメ・スイスロマンドのバレエ音楽へ、と言った調子で広がっていって、コンサートにも出かけるようになり、ついには、来日したバイロイトの「トリスタンとイゾルデ」や万博で来日したカラヤン・ベルリンフィルやバーンスティン・ニューヨークフィル、ベルリン・ドイツ・オペラやボリショイ・オペラなどにも出かけて行き、ウィーン・フィル、シカゴ、ボストン、レニングラードなどと言えば、無理をしてでも出かけて行った。
その後、アメリカとヨーロッパで14年を過ごすことになったのであるから、オペラもシンフォニーもシーズンメンバー・チケットを取得するなど、暇に飽かせて通い詰めた。
しかし、結局は、分かったかと聞かれれば、何も分かっていないとしか答えようがないのだが、とにかく、音楽を聴く喜び楽しさを味わえるようになったと言う事実だけは残っており、それだけ、人生が豊かになったのかなあと思っている。
さて、能・狂言の方だが、これは、全く興味がなかったわけではなく、日本の古典芸術なので親しもうと思って、以前に、一度、宝生能楽堂に出かけたことがあるのだが、全く、何のことかは分からなく、囃子だけは派手ながら、殆ど動きがないので、それ以降は、能に食指が動かなくなって遠ざかっていた。
それでは、何故、能・狂言に行き始めたのか。
最初は、萬斎の狂言「釣針」を見て、これは、歌舞伎舞踊曲の「釣女」と同じで、非常に面白かったし、しかも、歌舞伎や文楽のオリジンだと言う事が分かって、歌舞伎の「勧進帳」が能の「安宅」から、歌舞伎の「身替座禅」が狂言の「花子」であることを、フッと思い出したのである。
それまでにも、同じストーリーでも、歌舞伎と文楽の違いの面白さを感じていたし、歌舞伎・文楽ともに、オリジナルの能・狂言から、松羽目物として多くが取り入れられているので、どのように取り入れられて、どのように変化して行ったのかを、勉強してみようと思った。
パソコンを叩いて、まず、狂言の舞台を探したら、国立能楽堂で「狂言の夕べ」をやっていて、電話を掛けたら、1枚だけ脇正面の最後部席が残っていた。
国立能楽堂に行ってみて、毎月定期的に、能・狂言の主催公演を行っていることを知って、とにかく、これに乗ろうと決めて、分かる分からない、楽しい楽しくないを度外視して、通い続けて、今に至っている。
止めようとは思わずに、毎月8日になると、いそいそと、パソコンを叩いて、チケットを取っているし、
それに、毎年2月の「式能」、納涼能、能楽祭、靖国神社の「夜桜能」、ユネスコ能、横浜能楽堂等々にも出かけているのだから、趣味として定着したのであろう。
ところで、この能楽堂での主催公演は、日本芸術文化振興会の国立能楽堂の専門スタッフが、研究と趣向を凝らして企画実行しているので、意欲的なテーマを選択してプログラムを組むのみならず、新旧問わず全流派の舞台は勿論のこと、能・狂言にとどまらず、講談・落語・声明等々関連芸能や文化演目などを取り入れるなど、バリエーションとその奥の深さは格別で、毎回、楽しみながら勉強させもらっている感じである。
先月、「平家と能」と言うテーマの企画公演が、2夜(2日目は昼)にわたって上演された。
第1夜は、狂言「柑子」、平家琵琶「卒塔婆流」、能「俊寛」
第2夜は、狂言「清水座頭」、平家琵琶「竹生島詣」、能「経正」
第1夜のテーマは、鹿ケ谷での平家追討の秘密の談合が発覚して、激怒した清盛に、喜界が島に島流しされた俊寛、康頼、成経の話で、能はそのものずばりの俊寛で、平家琵琶は、信仰厚い康頼が熊野権現に願掛けて流した千本の卒塔婆の1本が厳島神社に流れ着いて、赦免の切っ掛けとなったそのくだり。狂言は、主から預かった貰いものの柑子を太郎冠者が3つとも食べてしまって、その言い訳に、最後の一つを、俊寛にかまけて可哀そうになって、六波羅(自分の腹)に入れたと言う話であり、こじつけだが、面白い。
能は、シテ俊寛僧都は野村四郎、ワキ赦免使は宝生閑、アイ船頭は茂山七五三で、歌舞伎のように芝居性は希薄だが格調の高い舞台であった。
宝生閑の「幻視の座―能楽師・宝生閑聞き書き」を読み、今、野村四郎の「狂言の家に生まれた能役者」を読んでいるところなので、舞台に大いに興味があって、楽しませて貰った。
第2夜のテーマは、清経が琵琶の名手で、能では、その平家物語の「竹生島詣の事」が題材になって竹生島が舞台であり、平家琵琶でも、その「竹生島詣」である。ところが、狂言の方は、座頭と瞽女が、清水寺で連れ合いを見つけると言う話で、関係はないのだが、二人の出会いの余興で、座頭が、平家物語の一ノ谷の源平合戦の面白い話を語った平家節が、取り上げられたのであろう。
知らなかったのだが、斬られた顎と踵を取り違えてくっつけたと言う滑稽譚で、狂言の世界でも、相当、物語や歌など古典文学にも精通していないと楽しめないと言う事で、興味深い。
さて、2夜にわたって語られた平家琵琶は、◆平家琵琶検校◆生田流箏曲・三弦・胡弓教授◆財団法人国風音楽会会長等の肩書を持つ平家琵琶の名手である今井勉師によって、琵琶を爪弾きながらの感動的な弾き語りであった。
聞くところによると、今井勉師が、平家琵琶の唯一の奏者だと言う事であるから、非常に貴重な経験をさせてもらったことになる。
大分前に、筑前琵琶の上原まりの「平家物語」を聴いて感動したことがある。
上原まりは、宝塚で、「ベルサイユのばら」のマリー・アントワネットや「新源氏物語」の藤壺を演じたと言う美女であり才媛であるから、楽しくない筈がないのだが、このような形で、平家物語を鑑賞できると言う事は、非常に、素晴らしいことだと思っている。
幸いにも京都であったので、学生時代に、京都や奈良や兵庫を皮切りにして、岩波の日本古典文学大系の「平家物語」を読みながら、平家の故地を訪ね歩き、その後、壇ノ浦、厳島、平泉等々、平家物語散策を続けているので、私にとっては、平家物語は、青春の証でもある。
その平家を、今、能や狂言、平家琵琶など、あらためて、違った視点から反芻しており、幸せだと言うべきであろう。
さて、昨日、能の終演後、千駄ヶ谷駅への道中、並木のイチョウが、前日の防風雨にも負けずに、奇麗に色づいていたので、数ショット、シャッターを切ったので添付しておきたい。