ヨーロッパへ赴任する前だったので、1980年代だったと思う。
一番残念であったののは、この時、ニューヨークへの出張で、偶然にも手に入れたMETでの「ばらの騎士」のチケットで、開演に遅れて劇場に行き、第1幕のパバロッティのイタリア人歌手を聞き損なったことである。
出張などでニューヨークに行くときには、勿論仕事優先だが、夜の会食などのスケジュールを避けるなど、出来れば、METやニューヨーク・フィルやカーネギー・ホールでのコンサートなどチケットを取得して行くことにしていた。
この時は、午後の仕事に空きが出たので、METのボックス・オフィスに行ったところ、幸いにも、夜の「ばらの騎士」のストール席がとれた。開演まで大分時間があったので、ホテルに帰って仕事をしたのが悪かった。早く余裕を持ってホテルを出たのだが、丁度、夕方のラッシュアワーだったので、タクシーが捕まらない。焦って場所を移動すればするほどダメで、メトロに切り替えようとしたのだが、東西の連絡が悪くて間に合いそうにない。
結局、METに着いたのは、開演時間少し後で、もう、広場には誰もおらず、正面のシャンデリアと大きな左右のシャガールの壁画が嫌に鮮やかに照明に映えていて空しい。静かになったホールに入ってロビーで足止めを食らうほど空しいものはない。
仕方なく、地下に下りて、ガランドウの部屋に、申し訳程度に置かれた小さなテレビのスクリーンの前のパイプ椅子に腰掛けて見た。あのころは、まだ、スクリーンは白黒で鮮明ではなく、それに、舞台全体を定点カメラで写しているので歌手の姿は豆粒のようで動きなどは良く分からない。それに、サウンドなどは推して知るべしで並のテレビを見ているのと同じである。
とにかく、ホールに入っておれば、全く、あのばらの騎士の第1幕の豪華な舞台を楽しめたのに、牢獄のような地下室で、こんな貧弱な映像で我慢しなければならないとは、残念であった。時計の針が少し戻ってくれないかと思った。
舞台にイタリア人歌手が登場して歌い始めた。ルチアーノ・パバロッティである。その前に、イタリアオペラで、「リゴレット」のマントバ公爵の舞台を観て感激して、パバロッティのレコードを嫌という程聴いているので、音が悪くても聞き違いはない。あの張りのある美しいテノールが響き渡る。画面に堪えられなくて目を瞑って、出来るだけ現実のパバロッティの舞台姿を想像しながら聴こうと試みた。
この、ほんの瞬間にも近い僅かなイタリア人歌手の登場だが、パバロッティのような天下の名テナーが登場するとなると、この公演自体が、一気にグレイドアップする。
この後、ロンドンのロイヤル・オペラで、「愛の妙薬」や「トスカ」などで、パバロッティを聴いている。
このばらの騎士のもう一つのお目当ては、キリ・テ・カナワの伯爵夫人ではあったが、最大の期待はやはりパバロッティであったので、残念であった分、次からの幕は、一生懸命観ようとする。最後の二重唱、オクタヴィアンのトロヤノスとゾフィーのブレゲンも上手かったが、キリ・テ・カナワの色濃く憂愁を帯びた陰影のある歌唱と魅力的な演技に感動した。
とにかく、この「ばらの騎士」は、全幕通して鑑賞してこそ素晴らしいのであって、その素晴らしさを味わうのは、ロンドンに移ってからであった。
もう一つ、遅刻して見そびれたのは、キリ・テ・カナワついでに、ロイヤル・オペラの「ドン・ジョバンニ」。
この時は、時計の電池が切れてしまっていて、時間に気づかず、開演時間に間に合わなかった。
ロンドンも交通事情が悪いので、遅れてくる客が結構居て、二階のテレビのある部屋は賑わっている。いつも混雑しているワインバーが広々としていて、ゆっくりと椅子に腰を掛けて、チビリチビリとやりながら、この第1幕もかなり長いので、全部待たされると大変だなあと思っていた。
ところが、ボーイが上がってきて、入場させるから下に下りてくれと誘う。嬉しくなって従う。オーケストラ・ストールの後方のロビーを回り込み、狭い急な階段を上がり、一つ上のストール・サークルの背後に回り込んだ。本来、ここは、最上階の天井桟敷と同じ立ち見席であるが、この時は、何故か殆ど客がおらず空いていたので、我々を誘導してくれたのである。
居を構えて舞台を観ると、丁度、ドンナ・エルヴィラのキリ・テ・カナワが登場したところであった。不実なドン・ファン:トーマス・アレンのドン・ジョバンニが、それとは知らずにドンナ・エルヴィラを口説こうとして、お互いに訳ありの相手同士と知ってビックリする場面である。
とにかく、コンサートとは違って、オペラは、序曲から楽しむべきで、遅れてくると、それだけで興を削がれる。
別の機会に、ワーグナーの「ジークフリート」の時も遅れたのだが、この時は、グランドティアのボックス席が空いていたので、ここへ誘導してくれた。ロイヤル・オペラは、結構気を使って融通を利かせて、遅れた客にサービスしてくれるのが有り難い。
最後にもう一つは、イタリアのベローナのローマ時代の野外劇場での壮大なスペクタクル野外・オペラ、
イタリア旅行の途中、ロメオとジュリエットで有名なベローナに二泊して、野外劇場の「アイーダ」と「トーランドット」を鑑賞した。
二日目の「トーランドット」の時で、ヒョンナことで、第二幕の幕間の休憩で、入場が遅れたのだが、平土間の上等な席であったので、まだ、始まってもいないのに、係員が、頑としてメインの入場口からの入場を許さない。コロッセオ以上に巨大な青天井のアリーナなので、いつでも入退場自由だと思ったのがアダで、このままでは、ホセ・クーラの『誰も寝てはならぬ』(Nessun dorma)」を聴けなくなる。
押し問答しても埓があかない。イタリアなまりの英語ででまくし立てるので良く分からないし、とにかく、入り口はここだけではないと思って、上階の横の手薄な出入り口で、今度は、ドイツ語やポルトガル語混じりのヨーロッパ語(?)を駆使して係員を説得して中に入った。大分、後方で距離があるが、平土間の自分の席までは、場内を相当歩かないと行けないので、階段状の通路には空間があったので、少し下に下りて適当な所に座って観た。
まだまだ、いくらでもあるが、思い出したくないので、これで止める。
一番残念であったののは、この時、ニューヨークへの出張で、偶然にも手に入れたMETでの「ばらの騎士」のチケットで、開演に遅れて劇場に行き、第1幕のパバロッティのイタリア人歌手を聞き損なったことである。
出張などでニューヨークに行くときには、勿論仕事優先だが、夜の会食などのスケジュールを避けるなど、出来れば、METやニューヨーク・フィルやカーネギー・ホールでのコンサートなどチケットを取得して行くことにしていた。
この時は、午後の仕事に空きが出たので、METのボックス・オフィスに行ったところ、幸いにも、夜の「ばらの騎士」のストール席がとれた。開演まで大分時間があったので、ホテルに帰って仕事をしたのが悪かった。早く余裕を持ってホテルを出たのだが、丁度、夕方のラッシュアワーだったので、タクシーが捕まらない。焦って場所を移動すればするほどダメで、メトロに切り替えようとしたのだが、東西の連絡が悪くて間に合いそうにない。
結局、METに着いたのは、開演時間少し後で、もう、広場には誰もおらず、正面のシャンデリアと大きな左右のシャガールの壁画が嫌に鮮やかに照明に映えていて空しい。静かになったホールに入ってロビーで足止めを食らうほど空しいものはない。
仕方なく、地下に下りて、ガランドウの部屋に、申し訳程度に置かれた小さなテレビのスクリーンの前のパイプ椅子に腰掛けて見た。あのころは、まだ、スクリーンは白黒で鮮明ではなく、それに、舞台全体を定点カメラで写しているので歌手の姿は豆粒のようで動きなどは良く分からない。それに、サウンドなどは推して知るべしで並のテレビを見ているのと同じである。
とにかく、ホールに入っておれば、全く、あのばらの騎士の第1幕の豪華な舞台を楽しめたのに、牢獄のような地下室で、こんな貧弱な映像で我慢しなければならないとは、残念であった。時計の針が少し戻ってくれないかと思った。
舞台にイタリア人歌手が登場して歌い始めた。ルチアーノ・パバロッティである。その前に、イタリアオペラで、「リゴレット」のマントバ公爵の舞台を観て感激して、パバロッティのレコードを嫌という程聴いているので、音が悪くても聞き違いはない。あの張りのある美しいテノールが響き渡る。画面に堪えられなくて目を瞑って、出来るだけ現実のパバロッティの舞台姿を想像しながら聴こうと試みた。
この、ほんの瞬間にも近い僅かなイタリア人歌手の登場だが、パバロッティのような天下の名テナーが登場するとなると、この公演自体が、一気にグレイドアップする。
この後、ロンドンのロイヤル・オペラで、「愛の妙薬」や「トスカ」などで、パバロッティを聴いている。
このばらの騎士のもう一つのお目当ては、キリ・テ・カナワの伯爵夫人ではあったが、最大の期待はやはりパバロッティであったので、残念であった分、次からの幕は、一生懸命観ようとする。最後の二重唱、オクタヴィアンのトロヤノスとゾフィーのブレゲンも上手かったが、キリ・テ・カナワの色濃く憂愁を帯びた陰影のある歌唱と魅力的な演技に感動した。
とにかく、この「ばらの騎士」は、全幕通して鑑賞してこそ素晴らしいのであって、その素晴らしさを味わうのは、ロンドンに移ってからであった。
もう一つ、遅刻して見そびれたのは、キリ・テ・カナワついでに、ロイヤル・オペラの「ドン・ジョバンニ」。
この時は、時計の電池が切れてしまっていて、時間に気づかず、開演時間に間に合わなかった。
ロンドンも交通事情が悪いので、遅れてくる客が結構居て、二階のテレビのある部屋は賑わっている。いつも混雑しているワインバーが広々としていて、ゆっくりと椅子に腰を掛けて、チビリチビリとやりながら、この第1幕もかなり長いので、全部待たされると大変だなあと思っていた。
ところが、ボーイが上がってきて、入場させるから下に下りてくれと誘う。嬉しくなって従う。オーケストラ・ストールの後方のロビーを回り込み、狭い急な階段を上がり、一つ上のストール・サークルの背後に回り込んだ。本来、ここは、最上階の天井桟敷と同じ立ち見席であるが、この時は、何故か殆ど客がおらず空いていたので、我々を誘導してくれたのである。
居を構えて舞台を観ると、丁度、ドンナ・エルヴィラのキリ・テ・カナワが登場したところであった。不実なドン・ファン:トーマス・アレンのドン・ジョバンニが、それとは知らずにドンナ・エルヴィラを口説こうとして、お互いに訳ありの相手同士と知ってビックリする場面である。
とにかく、コンサートとは違って、オペラは、序曲から楽しむべきで、遅れてくると、それだけで興を削がれる。
別の機会に、ワーグナーの「ジークフリート」の時も遅れたのだが、この時は、グランドティアのボックス席が空いていたので、ここへ誘導してくれた。ロイヤル・オペラは、結構気を使って融通を利かせて、遅れた客にサービスしてくれるのが有り難い。
最後にもう一つは、イタリアのベローナのローマ時代の野外劇場での壮大なスペクタクル野外・オペラ、
イタリア旅行の途中、ロメオとジュリエットで有名なベローナに二泊して、野外劇場の「アイーダ」と「トーランドット」を鑑賞した。
二日目の「トーランドット」の時で、ヒョンナことで、第二幕の幕間の休憩で、入場が遅れたのだが、平土間の上等な席であったので、まだ、始まってもいないのに、係員が、頑としてメインの入場口からの入場を許さない。コロッセオ以上に巨大な青天井のアリーナなので、いつでも入退場自由だと思ったのがアダで、このままでは、ホセ・クーラの『誰も寝てはならぬ』(Nessun dorma)」を聴けなくなる。
押し問答しても埓があかない。イタリアなまりの英語ででまくし立てるので良く分からないし、とにかく、入り口はここだけではないと思って、上階の横の手薄な出入り口で、今度は、ドイツ語やポルトガル語混じりのヨーロッパ語(?)を駆使して係員を説得して中に入った。大分、後方で距離があるが、平土間の自分の席までは、場内を相当歩かないと行けないので、階段状の通路には空間があったので、少し下に下りて適当な所に座って観た。
まだまだ、いくらでもあるが、思い出したくないので、これで止める。