一橋講堂で、医療機関の3人のトップが一堂に会して、「あたたかい医療と言葉の力」と言うテーマで、医療の現場などにおける会話やコミュニケーションについて語るシンポジウムが開かれた。
文字・活字文化推進機構と朝日新聞の共催だが、パネリストたちが推薦本を紹介していたし、丁度、隣の神保町で、古本祭りを行っていたので、読書の秋としては格好の企画でもあった。
中京大学稲葉一人教授の司会で、日本医師会唐沢祥人会長、日本歯科医師会大久保満男会長、日本薬剤師会児玉孝会長に、エッセイストの岸洋子さんが加わって、医師や薬剤師の立場から、或いは、患者・一般人の立場から、夫々、医療の現場での言葉の交換やコミュニケーションにおける複雑な思いや人間関係などについて、非常に含蓄のある意見交換が行われた。
聴衆は、やはり、、医療関係の人たちや文学関係の人たちが多かったのであろうが、沢山の昔のお嬢さんたちや昔のお兄さんたちも参集して熱心にメモを執っていた。
冒頭、唐澤会長が、昔は、医者はぺらぺら喋っては駄目だと言われていたのだが、最近では、インフォームド・コンセントで、患者さんに納得して貰えるように説明しなければならないので、お互いに意思の疎通を図るために、良く話し合う機会を作り出すことが大切になったと語った。
大久保会長は、患者と医師との言葉のやり取りは、普通とは違った環境の中での会話であり、これを理解していないと、一番大切な信頼が築けなくなる。口を開けて治療中に、「痛かったら言って下さい」と言って喋れるわけがないのだから、口を開ける前の、体を通したコミュニケーションは、病気の情報以上に大切であり、それを分かる鋭敏さが必要だと言う。
児玉会長は、薬物療法が多くなってきた昨今の状況を踏まえて、薬は副作用との戦いであるから、如何に使い方を正しく伝えるか十分な会話・コミュニケーションが大切だと語った。薬店を訪れる人は、病気前の人、未病の人が多く、元気な中に適切なコミュニケーションを取れる立場にあるので、昔は、地域の一番の知恵者であり相談相手であったと、薬店の役割の大切さを語る。
そう言われれば、昔、サンパウロに住んでいた時、病院に行けば長く待たされていい加減な治療しか受けられない貧しい人たちは、殆ど薬店に行って注射を打って貰ったりして、病気を治していたのを思い出した。
岸本さんは、ご自身の癌との戦いを通じての体験から、医者や医療の場でのコミュニケーションの大切さを、実に、穏やかに誠実に語った。
検査中に打たれた注射の痛みに耐えかねて(痛いと言ったら悪いと思って)ヒーッと言って耐えたら、看護婦さんに、「痛ければ痛いと言った方が気が休まりますよ」と言われたこと。
手術を受けた夜、麻酔が効いているので大丈夫だと言われたが、痛みが酷くて、麻酔の入れ忘れかやり方が悪くてコントロールが利かないのか、雑菌が入って化膿したのかなど考えて不安になり、我慢していたがナースコールを押した。医師が飛んで来て丁寧に状況を説明し、医療ミスではなく想定内の痛みだと言われて、安心して気が休まり、痛みは同じだったが、眠りにつけたこと。
聞いて貰った、受け止めてもらった、伝わったとの思いの大切さ、言葉を発することの大切さを感じたと言う。
岸本さんが、医療の現場の人々は、非常に多忙なので、質問や疑問があれば、前もってメモに質問状を書いて渡しておくのだといったことについて、医療側も、図や絵を描いて説明したり、チャートを書いたりして、極力、患者に分かり易いように心がけているのだと語っていた。
岸本さんが、「××日に検査の結果が出るので、その結果によって一緒に治療方法を考えましょう」と医師に言われて、自分も頑張らなければと連帯意識を持てたことなど、医師と患者との対応の仕方などを語ると、
唐澤会長が、「対面スタイルが良くない、資料を前にして医師と患者が横並びでコミュニケーションを交わすスタイルが良い」とか、
大久保会長が、「治療する時などの患者との距離のとり方、その対応の上手下手が重要である」とか、
児玉会長が、「薬店のカウンターを低くして座って話せるようにしたり、仕切りを作って対話できるようにするなど心がけている」とかと、どんどん、医療関係者と一般の人々とのコミュニケーションのとり方への意欲的な試みに話が弾んで行った。
司会の稲葉教授が、このように3巨頭が一堂に会するなど殆どないのだと言っていたが、文字・活字文化推進機構も気の利いたイベントをするものである。
帰途、提灯に照らされた神保町の古本祭りのワゴンで、文化勲章のドナルド・キーン先生の読みそびれていた「明治天皇」上下巻を見つけたので、買って帰った。
文字・活字文化推進機構と朝日新聞の共催だが、パネリストたちが推薦本を紹介していたし、丁度、隣の神保町で、古本祭りを行っていたので、読書の秋としては格好の企画でもあった。
中京大学稲葉一人教授の司会で、日本医師会唐沢祥人会長、日本歯科医師会大久保満男会長、日本薬剤師会児玉孝会長に、エッセイストの岸洋子さんが加わって、医師や薬剤師の立場から、或いは、患者・一般人の立場から、夫々、医療の現場での言葉の交換やコミュニケーションにおける複雑な思いや人間関係などについて、非常に含蓄のある意見交換が行われた。
聴衆は、やはり、、医療関係の人たちや文学関係の人たちが多かったのであろうが、沢山の昔のお嬢さんたちや昔のお兄さんたちも参集して熱心にメモを執っていた。
冒頭、唐澤会長が、昔は、医者はぺらぺら喋っては駄目だと言われていたのだが、最近では、インフォームド・コンセントで、患者さんに納得して貰えるように説明しなければならないので、お互いに意思の疎通を図るために、良く話し合う機会を作り出すことが大切になったと語った。
大久保会長は、患者と医師との言葉のやり取りは、普通とは違った環境の中での会話であり、これを理解していないと、一番大切な信頼が築けなくなる。口を開けて治療中に、「痛かったら言って下さい」と言って喋れるわけがないのだから、口を開ける前の、体を通したコミュニケーションは、病気の情報以上に大切であり、それを分かる鋭敏さが必要だと言う。
児玉会長は、薬物療法が多くなってきた昨今の状況を踏まえて、薬は副作用との戦いであるから、如何に使い方を正しく伝えるか十分な会話・コミュニケーションが大切だと語った。薬店を訪れる人は、病気前の人、未病の人が多く、元気な中に適切なコミュニケーションを取れる立場にあるので、昔は、地域の一番の知恵者であり相談相手であったと、薬店の役割の大切さを語る。
そう言われれば、昔、サンパウロに住んでいた時、病院に行けば長く待たされていい加減な治療しか受けられない貧しい人たちは、殆ど薬店に行って注射を打って貰ったりして、病気を治していたのを思い出した。
岸本さんは、ご自身の癌との戦いを通じての体験から、医者や医療の場でのコミュニケーションの大切さを、実に、穏やかに誠実に語った。
検査中に打たれた注射の痛みに耐えかねて(痛いと言ったら悪いと思って)ヒーッと言って耐えたら、看護婦さんに、「痛ければ痛いと言った方が気が休まりますよ」と言われたこと。
手術を受けた夜、麻酔が効いているので大丈夫だと言われたが、痛みが酷くて、麻酔の入れ忘れかやり方が悪くてコントロールが利かないのか、雑菌が入って化膿したのかなど考えて不安になり、我慢していたがナースコールを押した。医師が飛んで来て丁寧に状況を説明し、医療ミスではなく想定内の痛みだと言われて、安心して気が休まり、痛みは同じだったが、眠りにつけたこと。
聞いて貰った、受け止めてもらった、伝わったとの思いの大切さ、言葉を発することの大切さを感じたと言う。
岸本さんが、医療の現場の人々は、非常に多忙なので、質問や疑問があれば、前もってメモに質問状を書いて渡しておくのだといったことについて、医療側も、図や絵を描いて説明したり、チャートを書いたりして、極力、患者に分かり易いように心がけているのだと語っていた。
岸本さんが、「××日に検査の結果が出るので、その結果によって一緒に治療方法を考えましょう」と医師に言われて、自分も頑張らなければと連帯意識を持てたことなど、医師と患者との対応の仕方などを語ると、
唐澤会長が、「対面スタイルが良くない、資料を前にして医師と患者が横並びでコミュニケーションを交わすスタイルが良い」とか、
大久保会長が、「治療する時などの患者との距離のとり方、その対応の上手下手が重要である」とか、
児玉会長が、「薬店のカウンターを低くして座って話せるようにしたり、仕切りを作って対話できるようにするなど心がけている」とかと、どんどん、医療関係者と一般の人々とのコミュニケーションのとり方への意欲的な試みに話が弾んで行った。
司会の稲葉教授が、このように3巨頭が一堂に会するなど殆どないのだと言っていたが、文字・活字文化推進機構も気の利いたイベントをするものである。
帰途、提灯に照らされた神保町の古本祭りのワゴンで、文化勲章のドナルド・キーン先生の読みそびれていた「明治天皇」上下巻を見つけたので、買って帰った。