熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

大詰めを迎えたアメリカ大統領選

2020年10月31日 | 政治・経済・社会
   毎朝、色々なメディアから、インターネットで情報が寄せられており、興味深く読んでいるのだが、私が注視しているのは、ロイターとニューズウィークの記事である。
   今日のロイターで寄せられたアメリカ大統領選挙に関する記事で、気になったのは、
   アングル:数百万の失業者をどう救う、次期米大統領を待つ難問、
   アングル:米下院選、陰謀論「Qアノン」信奉者が当選も

   「アングル:数百万の失業者をどう救う、次期米大統領を待つ難問」は、
   大統領選挙でどちらが勝つにせよ、勝者はコロナ禍で職を失ったままの中低所得者層への対応という、数十年かかるかもしれない長期的な課題に直面することになる。現実は厳しい。新型コロナウイルスのパンデミックの最中に失業した米国民2200万人のうち、約半分が未だに仕事に復帰できていない。新規採用の動きは鈍く、最も打撃の大きかった低賃金労働者の前途は暗い。・・・ホテル、運輸、食品供給などの企業は、従業員の解雇をさらに進める必要が生じると警告。多くの失業者が食いつなげるよう政府が差し伸べた支援制度はとっくに終了している。・・・7月末で給付拡充が失効すると、貧困率は再び上昇。コロンビア大調査では、2月には15%だったが、9月には再び上昇し16.7%になった。ここ10年減少していた飢餓に苦しむ人の数も全米規模で増えている。と報じている。

   この記事では論じていないが、今回の新型コロナウイルス騒ぎで、経済社会構造が根本的に変ってしまっており、デジタル革命によるAIやロボットの進化発展、人的労働からの代替進行によって、更に、労働者の職からの駆逐が進むことが懸念されている。
   新しいAIシステム社会に対応した職業しか生きていけない時代の到来で、高度な知的能力を備えた職業や、AIやロボット等では代替不可能な人的労働や、最低限の収入しか得られない仕事などしか残らず雇用機会が縮小してくると、益々、労働の回復は困難となり、まして、今日取り残されてしまった労働の回復など夢の夢となる公算が強くなる。
   まして、経済格差の異常な拡大は、資本主義を根本から鳴動させており、トランプのツィスト選挙行脚にうつつを抜かしている余裕など、アメリカにはないはずである。

   更に、ロイターは、
   議会民主党とトランプ政権は、コロナ禍に対応した2兆ドル規模の追加経済対策法案を巡り協議してきたが、共和党上院議員の多くが規模に異議を唱え、追加対策の必要性も疑問視している。このため成立は来年初めにずれ込む可能性もある。と報じている。
   厚生経済学の片鱗さえ持てない超保守主義の共和党議員が、潤沢な資金をバックにしたロビー活動に翻弄されて、弱者貧者を犠牲にしてでも、強者富者のために、弱肉強食の市場原理主義の経済政策を推し進めようと躍起になっているのであろうが、議会の極端な左右分裂状態が、アメリカの民主主義を危機に陥れていて、二進も三進も行かなくなっている。

   ところで、ロイターは、
   「アングル:米下院選、陰謀論「Qアノン」信奉者が当選も」で、更に恐ろしい議会の変貌を報じている。
   
   米下院はこのほど、トランプ大統領をあがめる陰謀論「Qアノン」の非難決議を採択し、連邦捜査局(FBI)はQアノンを国内テロの脅威と認識しているのだが、11月3日の下院選では、複数のQアノン信奉者が当選する可能性がある。と言うのである。
   Qアノンは「Q」と名乗る人物がネット上で流す根拠のない陰謀論で、2017年から始まった。民主党の有力政治家、ハリウッドのスター、「闇の国家」連合が児童売買春に関与しており、トランプ大統領が極秘でこうした勢力と戦っている、といった根拠のない情報を流している。Qアノンの信奉者は、敵対する政治勢力を中傷する目的で、こうした事実無根の情報をネット上で拡散させているとみられる。このうち少なくとも1人は下院選で当選するとみられている。もう1人の候補も当選の可能性が十分にある。
   トランプ大統領は、今年8月にホワイトハウスで行った共和党全国大会の演説に2人を招待したし、Qアノンを拒否しておらず、時には愛国的だと称賛し、Qアノン関連のコンテンツを頻繁にリツイートしている。と言うから、当選するためには、どんな恐ろしいオカルト集団でも選挙応援には駆り出すと言うことであろうか。
   ドイツのナチスの残党もそうだし、アメリカのKKKなど白人至上主義の右翼団体もそうだが、一向に終息の陰さえも見せず、言論思想の自由というか、民主主義が健全であること(?)の査証かも知れないが、恐ろしい限りである。

   さて、アメリカ大統領選挙でも、最大の争点になっているのは、コロナ終息か経済回復か、どちらが重要かと言う問題である。
   コロナ終息が先で、完全に目鼻がついてからの経済回復軌道への舵切り替えだと思うのだが、中途半端なコロナ対策で経済活動や移動の再開をしたがゆえに、欧米共に、第二波第三波の深刻な危機に直面している。
   トランプが、7~9月期の経済成長率33.1%が、平時の3倍で史上最高だと豪語しているが、前が悪ければリバウンドするのは当然である。この程度ではコロナ以前には戻っていないし、大統領選挙後の混乱を想定すれば、米国経済の回復について、来年は驚異的な経済成長だと言うトランプ節の実現など考えられない。
   次表を見れば分かるが、コロナ終息を強権手段行使で終息させた中国の経済的ダメッジが少なかったのを考えれば、経済構造を深部まで破壊して根元から再構築せざるを得なくなったアメリカが、如何に困難な経済政策を実行せざるを得ないかは一目瞭然であろう。
   嘘2万回と揶揄されている嘘と欺瞞まみれのトランプの成長論争を、コロナ対策ばかりを連呼しないで、トランプの欺瞞を正して、コロナを早急に終息させて、その暁に、果敢に強力な経済政策に打って出て、アメリカの政治経済社会を復興し成長発展させると、何故、バイデンが切り返さないのか、不思議に思っている。
   
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桂歌丸著「歌丸ばなし」

2020年10月30日 | 書評(ブックレビュー)・読書
    歌丸が、晩年に高座にかけた八つの噺のはなしが、収容されている。

    「井戸の茶碗」から始まって、「紺屋高尾」までで、私が、歌丸を聞いたのは、晩年の5年くらいで、噺を聞いたのは、この二つと、「竹の水仙」だけだが、圓朝ものなども結構聞いており、国立演芸場へは、歌丸が登場すると殆ど間違いなしに聴きに行った。
    まず、冒頭の「井戸の茶碗」は次のような噺、
    正直者のくず屋の清兵衛が、清正公脇の裏長屋で、身なりは粗末だが、品のある娘に呼び止められ、浪々の身で赤貧芋を洗うがごとしのその父千代田卜斎から、仏像を200文で買い受ける。仏像を荷の上に乗せ、細川邸の下を通りかかると、若い家来の高木佐久左衛門が仏像を見つけ300文で買いとる。
   高木が、あまりにもすすけて汚れているので、ぬるま湯で仏像を洗っていると、台座の紙が破れ中から50両が出てきた。高木は、清兵衛に、「仏像は買ったが50両は買った覚えはない」と、50両を卜斎に返せと言われて、清兵衛は、50両を卜斎の家に届けに行くが、「売った仏像から何が出ようとも自分の物ではない。その金は受け取れぬ」という。再び高木の所へ行くが高木も受け取らない。困った清兵衛は、卜斎の長屋の家主に相談し、その仲裁で、卜斎と高木に20両づつ、清兵衛に10両とし、卜斎は20両のカタに普段使っている汚い茶碗を高木に渡す。この話を聞いた細川の殿様に、高木が茶碗を見せると、丁度居合わせていた目利きが「井戸の茶碗」という世の名器だと言ったので、殿様は300両でこれを買い上げる。高木が、清兵衛に半分の150両を卜斎に届けさせるが、卜斎は「その金は受け取れぬ」。清兵衛が、「高木にまた何かを差し上げて150両もらえばよい」と言ったので、卜斎には、もう高木に渡す物がないので、150両を支度金として娘を高木氏に貰ってもらいたいと言う。喜んだ清兵衛が、早速この話を高木に伝えると、高木は、母から嫁を貰えとせっつかれており、卜斎の娘なら間違いないと承諾する。
清兵衛 「今は裏長屋に住んでますからくすぶってますけどね、こちらに連れてきて磨いてご覧なさい、いい女になりますよ」
高木 「いや、もう磨くのはよそう。また小判が出るといけない」
    このように書いてしまうと味も素っ気もなくなってしまうが、歌丸のしっとりとした滋味のある温かい語り口の人情噺は格別で、歌丸の声音と語りを反芻しながら、これらの噺を読んでみると、自然と、じわっと、笑いがこみ上げてきて、人情の温かさがじんわりと滲み出てきて、実に懐かしいのである。
   この噺のように、登場人物がすべて善人で、まっすぐな人たちばかりの何との言えない会話と交流に触れると、一層、落語の人情噺の良さが感じられて気持ちが良い。

   高木が、金を返すために清兵衛を探そうと、通るくず屋の首実検をするのに、あるくず屋に、「お前の先祖は小遊三か、その顔で表を歩くのか。度胸のあるやつだなあ。」と言うと、くず屋に、「あんな銀杏拾いみてえな顔じゃねえやなあ。」と言わせている。また、金の押し問答で窮地に立っているくず屋に、お金に執着のない二人にかこつけて、「そうかと思うと、金ばかり欲しがっている、大阪のほうのどっかの庭に赤い学校を建てたやつがいるけれども。ああいうやつに聞かせてみてえな。」とカレントトピックスを交え、最後に、高木の嫁取り話で、「男は身を固めてからこそ一人前だ。だから昇太は半人前だ。」と茶化している。

   「紺屋高尾」は、花魁道中の高尾を見て恋煩いに寝込んだ紺屋の職人九蔵が、3年間必死に働いて貯めた9両と親方に1両足して貰って10両を持って吉原に行くのだが、高尾に、「裏はいつでありんす?」と聞かれて、「三年経ったら必ず参りますんで」と答えると、「みとせ?気の長い話で」と問い返されたので、切羽詰まって、身分を白状して、しがない職人であり3年頑張らないと来られないんだと真情を吐露する。感極まった高尾は涙を流し、来年二月に年季が明けるので、おかみさんにしてくれと言う。九蔵に嫁いだ高尾は、80歳の天寿を全うしたという。傾城に真なしとは誰が言うた。
    実に、良い噺である。

   さて、その晩は、ご亭主以上の扱いを受けて、烏かあーで夜が明けます。・・・あの正直なことを言いますと、あたくしは今まで喋った時間よりも、夜が明けるまでをみっちりと喋りたいんですが、実は、この辺りは警察が大層喧しくて。・・・後は皆様方のご想像にお任せします。
   とにかく、人間国宝に推挙されずに逝った不世出の噺家歌丸の高座が、彷彿と蘇る面白い本である。
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コーヒーで味わう憩いのひととき

2020年10月28日 | 生活随想・趣味
   朝起きると、真っ先に、コーヒーを煎れる。
   朝食をスコーンとコーヒーにしているので、必要なのである。
   コーヒーは少し変っていて、大きなマグカップに、シロップ漬けのブルーベリーをたっぷりと入れて、牛乳を少し加えて、コーヒーを注ぐ。
   この朝のコーヒーは、時間をおくと酸化してダメだということのようだが、コーヒーメイカーで煎れているので、歳が行くと全く気にならず、午前中くらいは、そのまま、使っている。
   若かりし頃は、コーヒー豆は、必ずブルーマウンテンをミルで碾くなど拘っていたが、それが、ブルーマウンテンの粉になり、なければ、それなりに上等な粉になり、最近では、アマゾンでコーヒー店仕様の粉を定期便で買っており、ミルはたまにしか使わないし、コーヒー煎れにも、手を抜いてぞんざいになってしまっている。

   コロナで外出を控えているので、殆ど、喫茶店に行くこともなくなってしまったので、コーヒーを楽しむのは、自宅と言うことになる。
   私の場合は、書斎でパソコンに戯れたり、和室や庭に出て読書をしたりすることが多いので、必然的に、コーヒーカップを持ちこむ。
   マグカップでも良いのだが、その時の雰囲気で、お気に入りのコーヒーカップを適当に選んで、気分転換を図っている。
   コーヒーカップは、欧米では、セットで販売されている食器の一部である場合が多いので、コーヒーカップ単独として製作されている和食器の方が、遙かに趣味も良くて味があって良いと思って愛用している。口絵写真は、鹿児島の沈壽官窯の椿の絵付けのカップで、私の好きな作品である。

   庭は、自分好みの花木を植栽するなど気を使っているので、それなりの雰囲気があって、一寸した喫茶店よりムードがあるのではないかと自賛している。
   今は、非常に季候が良いので、天気の良い日には、庭での読書は楽しいし、シェイクスピアやジョン・ボルトンのトランプ暴露本などを紐解いていると、小鳥たちが囀り初める。
   和室からは、季節の花木が癒やしてくれ、こんな時に、本の手を止めて、コーヒーを喫する。
   また、楽しからずや、である。

   さて、余談だが、コーヒーについては、色々な思い出がある。
   最初にコーヒーを飲んだのは、恥ずかしい話、大学に入ってからである。
   東京の高校を出て京都に来た同級生が、お茶を飲みに行こうと言って連れられて行った喫茶店で、初めて、コーヒーたるものを飲んだのである。

   その後は、ブラジルのサンパウロで4年間もいて、コーヒー漬けの生活をしてきたし、海外生活足かけ14年、歩いた国は40カ国以上になるので、ところ変れば品変るで、色々な国のコーヒーを喫してきた。
   ブラジルのコーヒーなどは、エスプレッソも良いところで、デミタスカップに砂糖をたっぷりと入れて、その上に、濃いコーヒーを注いで、甘さが嫌ならスプーンを一かき、甘いのが好みならスプーンを掻き回す回数を調整して飲むと言う途轍もなく甘くて濃厚なコーヒーで、訪問先毎に出されるので、付き合っていると体を壊すのはテキメンである。
   トルコやアラビアのコーヒー、ウィーンのコーヒー、イタリアのエスプレッソやカフェオレ、・・・

   忘れられないのは、半世紀上も前にフィラデルフィアで飲んだ不味い白湯のようなアメリカンコーヒー、
   当時は、アメリカは何処へ行っても総てこのアメリカンコーヒーで、喫茶店などと言う粋な場所もなかったし、まともなコーヒーを楽しもうと思えば、高級なレストランへ行く以外にないという、アメリカは実に貧しくてお粗末なコーヒー文化であった。スターバックスコーヒーが誕生するのは必然であったのだが、あまりにも遅すぎたのである。
   ドラッカーが、スターバックスはイノベーションだと言うのだが、イタリアや日本のコーヒー文化を見れば、イノベーションでも何でもないマネである。

   「ドトール」も、創業者はブラジルで住んでいたようで、当初の店舗方式は、ブラジルの街角に必ずある止まり木スタイルのバールの喫茶方式の模倣で、100円だったからヒットした、
   あの1000円散髪のQBハウスも、アメリカなどの散髪屋の「カットオンリー」スタイルを日本流にアレンジしたもので、経営学者は、これもイノベーションだと説くが、どうであろうか。
   いずれにしても、発想は模倣であろうと何であろうと、「魔の川」「死の谷」「ダーウィンの海」を突破して、事業化に成功すると言うことは大変なことで、凄いことではある。

   話が横道に逸れてしまったが、コーヒーについては、クラシックに装飾された王朝風のウィーンのカフェで飲む「ウィンナ・コーヒー」、イタリアの高級レストランや洒落た街角のカフェで飲むエスプレッソ、水から煮立てて上澄みだけを飲むトルココーヒー、ポットを高く引き上げて手品師のようにカップに注ぐコーヒーの故郷アラビアコーヒー・・・
   色々な世界のコーヒーを味わってきたが、それぞれに、貴重な文化や伝統など歴史の凝縮したコーヒー文化があって面白いのだが、
   先年、中国に行ったときに、粋な川縁りの瀟洒なカフェで、スターバックスと日本風の喫茶店をミックスしたような感じの雰囲気で、国籍不明の美味しいコーヒーを飲んで、文化伝播の一端を垣間見た。
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ビジネスリーダーにITがマネジメントできるか ーあるITリーダーの冒険

2020年10月27日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   Robert D. Austin, Shannon O'Donnell, Richard L. Nolan 共著の「ビジネスリーダーにITがマネジメントできるか -あるITリーダーの冒険  The Adventures of an IT Leader」
    Harvard Business Schoolの出版であるから、当然、MBAコースのケース・スタディの小説形態の本である。
   2016/8/2にUpdated Edition が出ているので、日進月歩のITのテキストとしては、しきりにアップデイトしなければならないのであろう。

   もう、半世紀位前になるが、MBAコースの選択で、ハーバードのようなケーススタディ主体のビジネス・スクールは、英語にハンディのある私には、討論の輪の中に入って議論をするなどは到底無理だと思って、幸い、講義主体のウォートン・スクールに入れたのだが、間接的には多少縁があったので、ハーバードのケース・スタディ教本には馴染みがあった。
   久しぶりに、MBAの学生に帰ったような気持ちで、この本を読んでみたが、面白かった。
   アメリカの場合には、トップ・ビジネス・スクールを出れば、すぐに、大企業の上級職に職を得られるのだが、例えば、人事部長であっても、人事や労務や労働争議など、多くのパーソナル・マネジメントのケース・スタディを学べば、実際のビジネス上の難問題や試練に、膨大な専門書や資料を駆使して挑むことになり、その方面の最新最高の理論と知識を取得し激烈な実務を経験したのと同じことなのであるから、当然、人事部長適格者と言うことであろう。
   尤も、システムが違うので、日本に帰れば、慣れと経験と勘と追従の経営であるから、飼い殺しか、スピンアウトし起業して上手く行けば成功するか、、、、。

   金融サービス会社IVKで、CEOが、前任を解雇したので、ローン・オペレーションのトップという中核事業を率いていた有能な役員ジム・バートンが、突然、全く畑違いの「CIO(チーフ・インフォメーション・オフィサー)」として、IT部門の責任者への異動を命じられる。
   ITや技術部門に全くの素人であるバートンが、不本意な異動を受け入れたものの、まず、ITを知らないバートンに困惑する部下と如何にコミュニケイトして管理するかから始まって、冒頭から、苦労の連続である。
   巨費を投じた大型プロジェクトの遅れとシステム開発会社との契約解除(プロジェクトマネジメント)、ハッカーとおぼしき外部からのシステム攻撃を受けてコンピューターがダウンして解雇の瀬戸際(リスクマネジメント)、掛け替えのない優秀な部下の副業にどう対処するか(人材マネジメント)、標準化とイノベ―ションを追求してITシステムをレベルアップ、成長戦略との整合性、IT部門のコスト・予算管理等々、次から次へと難問が襲いかかってくる。
   果たしてバートンは、CIOとして成功できるのか、バートンの立場に立って、様々な難局を乗り越えていきながら、ITマネジメントを学ぼうというわけである。
 
   登場人物は、CEO,前任のCIO,IVK社の役員、バートンの主要な部下たち、バートンのGFの経営コンサルタント、若い知識抜群のITオタク等々多岐にわたっていて、小説仕立てのストーリー展開なので興味深く読める。
   5部18章構成で、主な章の最後に、ケーススタディ形式で設問が設えてあって、数人で輪読して議論し合うとよい。
   IVK立て直しのために登用されたCEOなので、会社の業績向上、成長発展を指向するトップとのバートンの鬩ぎ合いが興味深い。

   このケースは、ITの知識のないズブの素人の「ビジネスリーダーにITがマネジメントできるか」という問題を提起しているのだが、ITマネージャーとして必要な技術の知識は明らかになっており、その気になれば学ぶことが出来るが、ビジネスマネージャーとしての高度なマネジメント知識は、暗黙知であって習得は容易ではないので、成功すれば、両刀遣いのバートンのケースの方が有能なCIOとしては、適切ではないか。
   今後、CIOが、経営者の最も重要な一角を占めるであろうことを考えれば、尚更、そのような気がする。
   実際に、このケースでは、バートンは、一年後に成功して、CEOから次のCEOだと示唆され、更に、もっと大きくて優秀な金融企業二社から、ヘッドハンティングのオファーが来たところで、終っている。
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ジャック・オー・ランタンを作る

2020年10月26日 | 生活随想・趣味
   子供や孫たちのために、その年齢になると、毎年、ハローウィンの季節に、カボチャを細工して、ジャック・オー・ランタンを作ることにしている。
   1973年に、フィラデルフィアに居た時に、長女のために作ったのが最初であるから、もう、半世紀近くも、断続的に続けていることになるのだが、今回は、4歳の孫娘のために作ってみた。

   まず、ジャック・オー・ランタン用のオレンジ色の適当な大きさのカボチャを取得することが大切で、ハローウィンの伝統のある欧米なら何でもないのだが、日本では、大きなホームセンターなどが近くにあると助かるが、まず、この取得が大変である。
   今年は、コロナの影響もあって生産が3割減と品薄で高騰しており取得が難しいとの事前情報であったが、幸い、1ヶ月前で早かったが、いつもの近所の花屋さんで見つけて買っておいた。

   用意するのは、カボチャをカットしたり目鼻や口を細工するための先のとがった細めの包丁と、中の種や贓物を綺麗に掻き出すための大きめの金属製のオタマジャクシ、
   ジャック・オー・ランタンの顔かたちは、自分の好みで、毎年、違うのだが、適当に決めて、カボチャの上に水性のマジックで、目鼻口を書き入れる。
   次に、カボチャの中身を取り出すための開閉口とローソク台にするために、カボチャのへたを中心にして、10センチ弱くらいの大きさを輪切りにして抜き取る。
   前には、開口部を上にして、帽子のような形に輪切りしたことがあるのだが、見栄えが良くないので、最近は、開口部は、下部にしている。
   カボチャの中身を取り出して、綺麗な壁面にするのが一番大変だが、これが終れば、目鼻口を細工するために包丁を入れてカービングする。
   カボチャにマジックで描いた線が残っておれば、水で拭き取れば綺麗になる。
   切り取ったヘタ部分のローソク台を、綺麗に水平に細工して、ローソクに灯を点す。真ん中において、ジャック・オー・ランタンの本体を被せればできあがりである。
   約30分弱の作業だが、カボチャの中身出しなどで、幼稚園児の孫娘に手伝わせたのだが、楽しんでいた。

   長女は、フィラデルフィアに居た時に、ハローウィンの日に、思い思いの魔女やお化けに仮装した子供たちと一緒になって、ドレスを着て仮面をつけて、近くの家を1軒ずつ訪ねて「トリック・オア・トリート(Trick or treat. )「お菓子をくれないと悪戯する」と唱えて廻って、お菓子を貰って帰ってきていた。

   ところで、ハローウィンは、元々、古代ケルトのドルイド教の、新年の始まりである11月1日のサウィン(Samhain)祭であったと言うことで、悪魔やサウィンなどを崇拝し、生贄を捧げる宗教的な行事であった筈が、アメリカに移ると、「ジャック・オー・ランタン」や子どもたちが魔女やお化けに仮装して家々を訪れてお菓子をもらうといった民間行事として定着してしまい、日本においては、宗教的な祝祭本来の意味合いは完全に消えてしまって、若者たちのどんちゃん騒ぎのお祭りになってしまっている。

   どうしても、お化けという印象が強くて、スコットランドのお化け屋敷エディンバラ・ダンジョン(Edinburgh Dungeon)のオドロオドロシイお化けを思い出してしまうのだが、これらが、ドルイド教の雰囲気を残しているのではないかと思っている。
   イギリス人は、お化け好きで、お化けが出ると言う噂さだけでもその住宅価格が一気に高騰する国なのだが、同じお化けでも、ハローウィンのお化けは、もっと北側のケルト系の住人の多い暗くて陰鬱な嵐模様の風土、まさに、リア王やマクベスの世界が生み出した文化のような気もしないわけではない。
   とにかく、ハローウィン、
   月末の10月31日である。
  
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晩秋の大和路を歩いてみたい

2020年10月25日 | 生活随想・趣味
   先日、百科事典を整理していて、書棚の陰に積ん読で埃を被っていた英書の中に、何故か、児島健次郎&入江泰吉の「飛鳥天平の華」という本が埋もれていた。
   この本は、1994年刊なので、25年も前の本なのだが、一度通読しただけで、時々、奈良散策の時に、引っ張り出していたのであろうが、久しぶりにページを繰って、若かりし頃の奈良を歩き回った思い出に浸っていた。

   入江泰吉が、亀井勝一郎の「大和古寺風物詩」に触発されて、故郷の古寺を訪ねてみようと思ったと言っているように、私も、この本と和辻哲郎の「古寺巡礼」が、奈良散策のバイブルであった。
   これらの本が引き金になったのは、受験勉強で、度々それらの文章が登場して、大和の古社寺に魅せられた筆者の情熱が強烈に印象に残っていて、憧れを感じたということもあったと思う。
   今では、おびただしい奈良関係本が出版されているが、当時は、観光ガイドブックくらいしか、参考になる本はなかったのである。

   写真については、やはり、入江泰吉の写真に触発された。
   大学に入って、安いレンジカメラを買って、最初に写したのは、破れた土塀の合間から頭を覗かせる薬師寺の東塔、
   そして、まねをして、西塔の柱跡の水溜まりに映る東塔の姿、
   勿論、写真などは残っていないが、イメージだけは鮮明に覚えている。

   歴史散歩と銘打って古社寺散策を始めたのは、自由になった大学入学後のことであるが、大学が京都で、最初の一年間は宇治分校で、宇治に下宿をしていたので、散策場所は、宇治周辺と京都が主体であったので、奈良に頻繁に通うようになったのは、もう少し後になってからであった。
   残念ながら、高野山や熊野へは行けていないのだが、吉野から伊賀上野、湖東湖西、道成寺で囲まれる奈良及び周辺の古社寺は殆ど廻ったと思う。
   もう、何十年も前のことなので、電車とバスを乗り継いで、徒歩で古社寺を訪れるのが普通で、奈良の田舎道に迷い込むのなど、むしろ、楽しみであった。
   飛鳥に出れば、結構たんぼ道を歩くのも面白いし、甘樫丘から大和のまほろばを展望し、石舞台から山の中に入って談山神社に抜ける道も良い、
   若くて元気であったので、近鉄の室生大野口で下りて、弥勒磨崖仏(大野寺)を観て、室生寺へ歩くのも面白かったし、浄瑠璃寺や岩船寺、また、柳生の里など、奈良から離れると、ぐっと、懐かしい昔のふるさとの雰囲気が残っていて楽しかったのを思い出す。

   この本では、四半世紀の時が経っているので、入江泰吉も逝ってしまっているし、薬師寺の玄奘三蔵院の平山郁夫の壁画も完成していなかったし、最近の唐招提寺の金堂の平成の大修理などにも触れていないのだが、時代を超越した奈良文化の息吹を伝えていて、飛ばし読みも楽しい。
   
   この2月に西ノ京と奈良を訪れたが、最近は、ぐっと奈良行きの機会が減ってしまって寂しい限りだが、これから、気の遠くなるような秋色が深まると、澄み切った秋晴れに、極彩色に紅葉して野山を荘厳する素晴らしい季節が訪れる。
   綺麗に色づいた落ち葉をサクサク踏みしめながら、奈良の田舎を歴史散歩に明け暮れていた昔が、無性に懐かしい。
   鎌倉に住んでいて、何を贅沢を言うのか、と言われそうだが、鎌倉は鎌倉であって、全く、晴朗でオープンな奈良の秋の懐かしさ奥深さ、その何とも言えない人恋しい独特な雰囲気は、私にとっては、全く違った世界なのである。

   今日は、良い天気だし、近鉄に乗って、奈良へでも行こうかと、気楽に言えなくなった。
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アメリカ大統領選挙テレビ討論会

2020年10月23日 | 政治・経済・社会
   22日のアメリカ大統領選挙テレビ討論会について、日経は、
   ”米テレビ討論会、バイデン氏が勝者53% CNN調査”と報じた。
   米CNNテレビの世論調査によると、22日の大統領選のテレビ討論会について53%が民主党候補のバイデン前副大統領を勝者にあげた。共和党候補のトランプ大統領は39%にとどまったが、9月末の前回討論会に比べると11ポイント上がった。と言うのである。

   今夜10時のNHK BS1「国際報道2020」で、これまでの大統領選挙で当選者を的確に予測した米国学者二人の予測では、見解が分かれていた。
   バイデンを予測した学者は、重要項目12のうち、トランプは7項目×なのでダメだとし、もう一方の学者は、予備選挙で最初のニューハンプシャーで一位にならなければ大統領になれないというジンクスがあるのだが、バイデンの得票率が最低位であり、また、民主党の選挙結果趨勢が下降局面なので、トランプが勝利すると予測していた。
   いずれにしろ、世論調査の予測結果は、当てにならない、信用できないとの見解であった。
   しかし、今回の選挙は、選挙前投票が進んでおり、候補者を決めていない浮動票が非常に少ないと言うことであるから、殆ど、趨勢は決まっているという情報もあり、トランプの民主主義拒否の醜い政争が、どのような展開を見せるのか、アメリカの真価が問われるような気がしている。

   私は、元々、民主党支持であって、はるかに、リベラルな民主党の政治経済社会政策を推進して、アメリカ社会の成長発展を起動修正しない限り、アメリカの民主主義も健全な市場主義経済も守れないと思っているので、益々、右傾化して、アメリカ ファーストで、孤立化して行くトランプ政策にはついて行けない。これまでも、この考え方で、このブログを書き続けてきた。
   したがって、討論の内容については、新鮮味があれば別だが、殆ど既知であり、バイデンに失点がないことを意識して観ていた。

   私の最大の関心事は、温暖化・環境問題である。日経のその部分の記事を引用させて貰うと、
   気候変動】
トランプ氏 温暖化ガス排出量は直近35年で最も少ない。中国やロシア、インドを見てみろ。どれだけ汚染されているか。(地球温暖化対策の国際枠組み)パリ協定のために雇用や企業を犠牲にはしない。
バイデン氏 気候変動は人類への脅威だ。ハイウエーに電気自動車の充電所を設置し、多くの建物や住宅を省エネにする。私の気候変動対策は多くの雇用を創出する。パリ協定に復帰し、中国に合意を守らせる。
トランプ氏 バイデン氏らの政策は100兆ドルかかる。
バイデン氏 どこからその数字を思いついたのか。

   今回の討論会で、バイデンは、化石燃料削減のために、石油産業への補助金を削除すると「失言して」、トランプに、「石油業界を潰すと言った」と揚げ足をとられて、激戦州の有権者獲得にマイナスとなる失態を犯したのだが、トランプにしてみれば、石油産業の維持は業界と雇用を守る最前線であり、化石燃料の使用をストップして地球温暖化を阻止しなければ、宇宙船地球号を危機に追い込むという常識の片鱗さえ欠如しているのである。

   トランプについて、全く解せないのは、バイデンの政策を、ことごとく、社会主義だと批判しているのだが、これが社会主義なら、アメリカのリベラルな福利厚生重視の政治経済社会政策など、その最たるもので、ワシントン・ポストが報じる嘘2万回のトランプだから、知性教養を斟酌しても、暴言も甚だしいと思っている。
   パリ協定破棄、オバマゲア排除、自由貿易の否定、・・・挙げれば切りがないが、歴史の歯車を、強引に逆回ししており、地球温暖化政策一つをとっても、国際秩序や地球環境を無茶苦茶にしているように思えて仕方がない。four more years だと、危険極まりない。
   日本経済にとっては、トランプの方が良いと言う観測もあるが、そして、必ずしも、バイデン候補の政策に総て賛同するわけではないが、アメリカ政権の交代を期待したいと思っている。
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旅で買った人形たちの思い出

2020年10月22日 | 海外生活と旅
   リビングのフローリングの張り替えで、飾り棚を移動するために、中のものを全部出して、工事終了後に、入れ替えた。
   何も変った作業ではないのだが、この飾り棚の中には、雑多なものが入っていて、それも、何十年間もの我々の人生の残照というか蓄積というか、残されてきた思い出が充満したものなのである。
   勿論、作業は、殆ど家内がやったのだが、一つ一つに思い出が籠もっていて、棚に並べながら、懐かしさが込み上げてきて、中々はかどらない。
   食器類やガラス器などは、ダイニングルームの飾り棚に収納していて、このリビングルームの棚には、陶器や木製の人形というかフィギュアを雑多に並べてある。
   特に、取り立てて上等なものでも高級なものでもないのだが、海外旅行で、旅の徒然に買い求めたその土地の土産もの、殆どはヨーロッパが主体である。
   海外を含めても、何度も宿替えをしており、その度毎に壊れたり処分したり、また、先の3.11の大震災で多くをなくして、これらは思い出の品の一部分なのであるが、喜怒哀楽の海外生活を送ってきたので、それだけに、それぞれの人形そのものが、懐かしい思い出を反芻してくれるのである。

   もう、半世紀くらいも前になるが、米国留学中に、パリ在住の留学生がチャーターした格安の里帰りパンナム便に便乗して貧乏家族旅行で買ったイタリアの陶器人形が、これ、
   

   この時、ホテルの売店で売っていた二人の老人の人形が欲しかったのだが買えなくて、ずっと、後にフィレンツェで偶然見つけて買ったのが、次の人形、
   少しずつ増えていった。
     
   

   イタリアのフィギュアは、流石に芸術の国で、陶製も木製も、非常に精巧で美しい。
   先の陶製人形も、限定品で、確か作者のサインが刻印されてナンバーが打たれていて、もう、骨董でしか手に入らない。
   ここには、長女に託したのでイギリスのフィギュアはないのだが、イギリスは勿論、ドイツもオランダも、何処の国の民芸品的な作品も、作者が亡くなると同じものは製作し続けられないので、今では、探そうと思っても見つからないし、殆ど取得できない。
   バーバリーやアクアスキュータムなど、相も変わらず、何十年も同じ仕様で製作するなど、伝統を重んじて維持するイギリスでさえ、10年も経てば、かってあった精巧で美しい民芸品のフィギュアや人形を手に入れるのさえ至難の業となる。
    
   もう一つ、感激したのは、イタリアの小さな木製の人形(ANRI ナンバー刻印の限定版)で、最初に手にしたのは、アムステルダムのホテル・オークラの売店での次の人形、
   これも増えていった。
   
   
   

   イタリアついでに、何度か訪れているベネチアのガラス人形、
   3センチくらいのミニチュアのオーケストラ楽団の人形だが、すぐ壊れるので満身創痍で何度スコッチのお世話になったか、
   ベネチアで面白いと思ったのは、腰掛けスタイルのマスクをつけた人形、
   
   
   

   ドイツのゴーベル、
   スペインのリアドロや、デンマークのロイヤル・コペンハーゲン、
   それに、素朴なチェコのボヘミアのガラス人形、
   ブラジルやパラグアイ、アジアなどの人形は大ぶりで、一寸収容できないのだが、とにかく、半世紀以上、あっちこっち歩いてきたので、壁に掛かったり、部屋の片隅などに、思い出の品が結構並んでいる。
   
   
   
   
   
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一年ぶりに病院に行く

2020年10月20日 | 生活随想・趣味
   今日、一年ぶりに鎌倉の病院に行った。
   4ヶ月毎の検診で、2月の予定を、コロナ騒ぎで3回ほど伸ばし伸ばして今日になったのである。
   普通なら、気にせずに病院に行くのだが、小学生の孫息子と幼稚園の孫娘がいるので、感染を恐れて、家族から箝口令が敷かれているので、ずっと、交通機関を使っての外出を控えている。
   率先して運転免許証を返上し、電動自転車を買ってみたものの、遠出は一寸危うくて止めており、要するに、足がないので、思うように出歩けないのである。
   尤も、タクシーを使っても良いのだが、病院というと一寸逡巡してしまう。
   東京の病院の方は、薬を処方して貰って代理取得で手元に届くので、問題はないのだが、これも、検査があるので、年末には、一度、行こうと思っている。

   放射線治療を受けて、再発の有無の定期検診なので、今回は、エコーがあったが、いつもは血液検査だけで、別に、病気だというわけではないし、痛くも痒くもないので、伸ばし伸ばしにして通院をサボっていても気にはならないのだが、やはり、1年も経つと多少は緊張する。
   結果は異常がなく、ホッとしているのだが、大丈夫だと言われて、6年間異常がなくて再発したというケースもあるので、安心は出来ない。

   さて、同じ行くのなら、通常の手段、すなわち、大船までバスで出て、そこから、病院のシャトルバスに乗って病院に行くことにした。
   私より年上の、近所に住んでいる東大病院の大先生が、江ノ電バスに乗っているので、バスは心配ないと家族に言っている。

   まず、気になったのは、江ノ電バスは、空いていたのだが、ミニバスのシャトルバスは、補助席も使うという過密状態で、いわば、3密どころか、通勤バス状態の混みようである。
   特に換気に注意しているとも思えないし、運転席の周りにビニールシートが掛かっているだけで、以前と全く変らない。
   病院に入ると、玄関口には係員が立っていて、入場者を一列に並ばせて、手を消毒させて、検温して入れる。
   玄関口には、コロナ対策の心得などが掲示されているが、中に入ると、普段と殆ど変わりがない。
   変ったところと言えば、ロビーや待ち合わせ室の椅子席が、一席ずつ塞がれてブロックされているのと、受付カウンターにビニールシートが掛かっている程度であろうか。
   所々に、消毒スプレーが設置されては居るが、使う人は少ない。
   
   患者と思える人の大半は、我々老人グループで、少子高齢化の現実を嫌でも実感せざるを得ない。
   面白いのは、二人連れの老人が多くて、患者は夫の方で、妻は付き添い、
   婦人患者は、一人で来院しているケースが多いようで、何処の病院もそのようで、これも、世相の反映であろう。
   私など、余程の大手術や妻が着いていきたいと言ったときには別だが、付き添いなど嫌なのだが、近所の散歩を見ていても、最近は、老夫婦連れがめっきり多くなった。

   久しぶりに大船に出たので、書店や成城石井に立ち寄ったり、小時間過ごして帰ったのだが、出てみれば、街の雰囲気は全く普段と変っていない。
   皆がマスクをつけているだけである。
   私もそうかも知れないが、街に出れば、殆ど、皆コロナのことなど忘れて生活しているような感じである。
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わが庭・・・ホトトギス、秋の草木の実

2020年10月18日 | わが庭の歳時記
   晩秋の花だと言うホトトギスが、綺麗に咲き出し始めた。
   何となくムードのあるネイミングだが、6枚の渋いくすんだ淡い紫色の花弁に更に濃紫の斑点が乗る姿が、ホトトギスの胸元の模様に似ているので、この名前がついたのだという。
   ユリ科の花だと言うのだが、イメージが湧かず、私は、中央にすっくと伸びた蘂が、三つ叉に分かれて、その表面に毛が伸びてその先端に小さな微かに光るようなつぶつぶが並んでいる姿に興味を持っており、神の造形の巧みさに感じ入っている。
   手持ちで、マクロレンズで接写しているので、ピントが甘いために、写りが悪いが、雰囲気は感じられる。
   
   
   
   

   もう一つ興味深いのは、タンキリマメの実。
   庭木に絡みつく謂わば雑草なのだが、駆除するのを忘れていたのが、ふと観ると、黒い小さな豆粒のような実が、光っているので、残しておいたのである。
   インターネットを叩いても名前が分らなくて、たまたま見た湯浅浩史の「花おりおり」に出てきたのである。
   糸のように伸びた蔓に数センチ置きに、、赤いさやの塊が出来ていて、そのさやに黒い実が二つずつ着いていて、その実が黒光りしているのである。
   変った名前は、豆や葉を痰切りに使用という俗説から来たのだという。
   
   
   

   花木の実が色づいているのは、個体差はあるのだが、アメリカハナミズキ。
   もう、来年の蕾が着いている。
   
   
   
   

   元関西人の私には、春夏秋冬、南関東の方が住みやすい気候だと思うし、住環境として文句はないのだが、夏が一気に冬になるような感じで、10月は梅雨時より雨が多いと言うし、秋が殆どない。
   京都や奈良、大阪は、夏は暑く冬は寒くて生きた心地がしないくらい厳しい気候の時もあるが、春や秋の自然は限りなく美しい。
   関西では、気の遠くなるような懐かしい秋が続いて、人生を癒やしてくれる感じで、紅葉の美しい古社寺や野山を散策するのが楽しみであった。
   東京一極集中で、息の詰まるような環境が人間性をスポイルしていると思うのだが、
   二重行政は避けるべきかも知れないが、何故、大阪に都政を敷いてメトロポリスにしたいのか、
   むしろ、大都市化を叩き潰して、江戸時代のように大阪や京都や神戸や奈良など核都市に産業文化機能を分散して味のある文化都市を創って、拡散化を図るべきだと思っている。
   
   
   
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ブリタニカ百科事典をどうするか

2020年10月17日 | 生活随想・趣味
   書棚の片隅に、百科事典が3種類残っている。
   残っているというのは、頻繁な宿替え毎に、処分しようかどうしようか、迷ってきたからである。
   その事典とは、アメリカ大百科事典(英: Encyclopedia Americana)と、『ブリタニカ百科事典』( Encyclopædia Britannica)の英文版と日本語版である。
   それに、毎年出版される増補版とも言うべき國際年鑑で、今年は、令和天皇ご即位の「ブリタニカ国際年鑑2020年版」が出版されているようである。
   また、Oxford English DictionaryやWebster's Dictionaryなどの辞典、オックスフォードの芸術や歴史などの専門事典など、日本では手に入りにくい参考文献なども、ペンシルバニア大学図書館やロンドンのハッチャーズなどで買って持ち帰った。
   百科事典など、それぞれ、30巻ほどの大冊で、書棚に大変な負担がかかる。

   ところで、今回、リビングのフローリングの張り替えをすることになって、食器棚や書棚、ソファーやテーブルを移動している最中に、この百科事典をどうするか、又迷い始めたのである。

   さて、最初に買った事典は、Encyclopedia Americana、もう、半世紀ほども前になるが、大学を出てサラリーマン生活が落ち着いたときである。
   次は、ブリタニカ百科事典で、アメリカの大学院を出て4年間のブラジル赴任を終えて、帰国してからで、 
   最後のEncyclopædia Britannicaは、ロンドンに駐在中だったと思う。
   それぞれ、勉強しようと思っていた時期である。
   良く分からないのだが、古い事典ながら、Encyclopædia Britannicaは、1974年の第15版が2010年まで継続出版されて、それ以降、発刊されていないようなので、最終版なのであろう。
   日本語のブリタニカ百科事典は、私の持っているのは1973年刊なので、前の第14版の翻訳版だと思うのだが、膨大な資財を投じて第15版を翻訳出版したとも思えないので、それぞれ、紙媒体の百科事典としては、最終版ではないかと思う。

   ところで、実際に活用したかどうかと言うことだが、Encyclopedia Americanaは、ヨーロッパへ持ち込んだので、資料に使ったり、長女のインターナショナルスクールように利用したりしたが、日本語のブリタニカ百科事典は、8年間、ヨーロッパに居たときには日本に置いたままだったし、いずれにしろ、仕事は多忙を極めていたし、新刊本ばかり追っかけて読書に励んでいたので、じっくりと、事典を繰っている暇などなかったので、それ程、お世話になることはなかった。
   現在は、ICT革命、デジタル時代で、インターネットを叩けば、ウィキペディアを筆頭にして、いくらでも情報は、簡単に手に入る。
   謂わば、百科事典など、無用の長物である。
   と言っても、アップツーデートでないところが玉に瑕だが、情報量と質においては、やはり、ウィキペディアよりは、紙媒体のブリタニカ(2003年に終了)の方が執筆者も安定しており、数段上のような気がしては居る。
   十分は知らないが、ブリタニカ・オンラインがあり、英語版ではBritannica Academic のサービスがあって、日本語のブリタニカ・オンライン・ジャパンでは年に4回、コンテンツの更新や拡充を行っていると言うから、「ブリタニカ百科事典」( Encyclopædia Britannica)は生きているのであろう。

   そう思いながら、久しぶりに、百科事典を開いてみた。
   例えば、シェイクスピアを検索すると、日本語のブリタニカ百科事典では、16ページの記述で、翻訳は、あの吉田総理の長男で高名な英文学者吉田健一訳であり、後版なので内容が異なっているのだが、Encyclopædia Britannicaは18ページの記述で、読み始めてみると結構面白いのである。

   それに、興味深かったのは、時代の潮流を反映していて、テーマによっては、記述が大いに変っていて、当時は、このように考えられていたのだとか、科学技術や学問の進歩などが見え隠れしていて、非常に興味深いことである。
   特に、各年度に、毎年刊行される年鑑で、Encyclopedia Americanaの年鑑や使いそうにない事典や辞典を、総て廃却したのだが、ブリタニカ百科事典の年鑑は、1980年代1992年までの、ベルリンの壁の崩壊や冷戦の終結などの、私がヨーロッパで見聞きした激動の時代を描いているので、思いで深いので残すことにした。
   結局、いつもと同じで、こんなに貴重な文化遺産たる百科事典を廃却など出来るか、と言うわけで、また、部屋の片隅に残すことになってしまった。

   尤も、この事典を大切だと思っているのは、私だけで、私が逝けば、即刻、廃却されてしまうのだが、ともかく、当分、置いておいて、時折、紐解こうと思っている。
   
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わが庭・・・酔芙蓉、椿荒獅子

2020年10月15日 | わが庭の歳時記
   冷たい雨に打たれると色変わりしなかった酔芙蓉が、雨がやんで、曇り空になったら、ピンクに色づき始めた。
   天気が良いと、朝には真っ白な花が咲き、少しずつ、ピンクに色づき初めて、夕刻には、ほろ酔い機嫌の美女のムードを漂わせるのだが、
   雨に打たれたり、曇り模様では、薄くて繊細な花弁は、薄化粧さえままならなくて可哀想である。
    
   
   
   
   椿の荒獅子が咲き始めた。
   典型的な獅子咲きの豪華な花で、結構花持ちが良い。

   成長した実生苗の椿が、赤い花を咲かせている。
   親木は何だったか記録を残していないので分らないのだが、名のある園芸種の種を蒔いているので、先祖返りの苗木になったのであろう。
   毎年、気が向いた時に、実を結ぶことが殆どない椿の種を蒔いて、実生苗を育てているのだが、雑種の面白さで、親木と違った花を咲かせるので、いつも、どんな花が咲くのか楽しみにしている。
   
   
   
   

   気づかなかったのだが、ホトトギスが、一輪、ひっそりと足下に咲いている。
   宿根草で、植えなくても毎年秋になると、びっしりと広がって、非常に特異な花を咲かせてくれるので、わが庭では貴重な秋の草花である。
   
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スティーブン・グリーンブラット著「暴君――シェイクスピアの政治学」マクベスetc.

2020年10月13日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   リチャード三世は、まさに、暴君ではあったが、その後のマクベス以降の見解が、興味深い。

   まず、マクベスだが、実際の舞台では、RSCで二回ほど、また、このブログに書いているのは、蜷川幸雄の「マクベス」、ロシアのユーゴザーパド劇場の「マクベス」、能楽堂のシェイクスピア:市川右近&笑也、藤間紫の「マクベス」の三回だが、他の舞台でも観ており、DVDや映画も観ているで、鑑賞する機会が多い。
   それに、オペラでは、ロンドンで、ロイヤル・オペラとイングリッシュ・ナショナル・オペラで一回ずつ、最も最近は、5年前のロイヤル・オペラの来日公演に出かけており、私にとっては、マムベスは、結構、お馴染みのシェイクスピア劇なのである。
   また、イングランドのニューキャッスルから、アザミの咲く荒野の国境を超えて、マクベスの舞台であるエジンバラなどスコットランドを一週間ほど車で走ったときには、映画のシーンを彷彿とさせる風景が随所に展開されていて、勝手に、シェイクスピア戯曲の舞台を反芻して悦に入っていた。

   ところで、マクベス将軍は、ダンカン王の治世を忠実に守ってきた、仲間意識の強く信頼の厚い軍の指導者であって、リチャード三世のように、あらゆる障害を乗り越えて絶対権力を手に入れようなどとは毫も思っていなかったし、王になるなどその片鱗さえ頭にはなかった。
   運命の歯車を狂わせたのは、三人の魔女たちの気味の悪い挨拶――「万歳、マクベス、やがて王となるお方!」――に驚き、恐怖に身を震わせた。その瞬間である。
   ダンカン王が、不運にも、マクベスの城を訪れた時に、マクベスは、自分の中に目覚めた謀反の幻想に心を動かされるものの、忠誠を誓った主君を襲うという考えに恐れを抱くのだが、それでも男かと脅迫まがいの妻の唆しに屈して、逡巡しながら、ダンカン王を殺害して、スコットランド王位を簒奪する。
   蜷川マクベスはロンドンで観たのだが、マクベス夫人を演じた栗原小巻の、強烈な偉丈夫ぶりや、発狂して夢遊病になって彷徨う狂乱の場の素晴らしい舞台が印象に残っている。

   マクベスの友人バンクォーは、魔女の予言も、マクベスが汚い手で王位を得たのも知っており、また、魔女の予言「王を生みはするが、ご自身は王にならぬお方」によって、バンクォーの息子に王位が移ることを案じたマクベスは、バンクォー父子の殺害を部下に命じるのだが、息子フリーアンスは取り逃がす。結局、マクベスは、追い詰めれれて戦うも、殺される。
   王位に就いたマクベスは、完璧さを求めて、しっかりした堅固さ、盤石の固さ、大気のように自由自在にどこにでも行ける浸透性、不可視性、人間的な制限から逃れることを夢見たのだが、それは、あさましくも、ありえない精神的次元の願いで、その「完璧」であろうと願うための手段は、バンクォー父子殺害だと判明したのだという。
   シェイクスピア作品でずっとそうだったのは、暴君の態度は病的なナルシシズムに傾き、ほかの連中の命などどうでもよく、重要なのは、自分が「完全」で「ゆるぎない」と感じられることで、宇宙など粉々になるがいい、天地がひっくり返ってもよい。とマクベスは豪語する。
   専制政治とは、今のみならず、これから生まれる世代をも永遠に潰さなければ続かない。マクベスが子供殺しとなるのは偶然ではない。暴君は、未来の敵なのだ。と言うのである。
   また、シェイクスピアは、四面楚歌の暴君が、自己愛と自己嫌悪に引き裂かれる状況を活写したが、このマクベスでは、さらに深い試みとして、裏切り、空虚な言葉、あまりにも多くの無実の人の流血は、いったい何のためだったのか?マクベスは、完全な無意味さを味わうというすさまじい経験をした。と言うのである。

   「リア王」では、シェイクスピアは、最初は正統な支配者であったのに、精神的不安定さのために暴君のようにふるまいだす人が引き起こす問題を語る。
   そうした連中が国民に与える恐怖、ひいては自らに与える恐怖は、疾患によるもので、周りに真面な取り巻きが存在していても、狂気ゆえの専制政治に対抗するのは極めて難しく、これまでの長きに亘る忠誠や信頼ゆえに、王に唯々諾々としたがう癖がついている。
   冒頭の国家分割の愛情合戦は、まさに、引退に当たっての独裁者の虚栄を満足させるに過ぎない常軌を逸した愚挙なのだが、これが、リア王悲劇の発端である。
   リアの暴君的な振る舞いに反対したコーディーリアとケント伯が追放され、リアは退位し、国は崩壊の一途をたどる。
   暴君となるのは、力を奪われ狂気となるリアではなくて、どのような法律にも束縛されまいとし、基本的な人間らしい振る舞いさえ無視しようとする邪悪な娘たち二人である。

   正当な支配者が発狂して暴君のようにふるまい始めるというモチーフを主題にしたのが、晩年の喜劇「冬物語」。
   15年前に、ロンドンのグローブ座で観て、このブログ ”文化三昧ミラノ・ロンドン旅・・・20 グローブ座のシェイクスピア、 本格的な「冬物語」”に書いているが、最も最近観たのは、2009年の彩の国さいたま芸術劇場での蜷川幸雄「冬物語」
   私が、最初に感動した舞台は、エイドリアン・ノーブル演出のRSCの「冬物語」で、ロンドンと東京で2回観たのだが、視覚的にも実に美しく楽しい舞台であった。
   シシリア王リオンティーズが、臨月の妻ハーマイオニが、浮気を働き、王のではない子を孕んだという確信の形をとった被害妄想に取りつかれて暴君に変身するという物語である。
   9か月シシリアに滞在した王の親友ボヘミア王ポリクシニーズに疑惑が掛けられる。忠臣や侍女たちが否定するのだが、暴君には、事実や証拠などどうでもよい。自分が非難しているだけで十分で、反対する者は、嘘つきか馬鹿者である。
   暴君が求める忠誠は、暴君の意見を臆面もなく直ちに承認し、暴君の命令を躊躇なく実行することである。ワンマンの被害妄想の自己愛的な支配者が、公務員と席を共にして忠誠を求めるとき、国家は危険なことになる。という。著者は、どこかの国のことを揶揄しているのであろうか。
   ところで、このリオンティーズは、アポロンの神殿の神託まで真実でないと蹴って、妃を裁判にかけるのであるから処置なしである。
   尤も、ハッピーエンドなので喜劇なのだが、王が被害妄想になって暴君となると如何に凄まじいかを語って面白い。
   

   さて、最後は、「コリオレイナス」だが、殆ど、シェイクスピアの舞台は観ているはずなのだが、この演目だけは、鑑賞する機会がなかったのか、全く記憶にはない。
   興味深いのだが、コメントを避けることとする。

   とにかく、シェイクスピアの政治学なので、戯曲に登場する暴君についての分析なのだが、これだけ、深く追求できるのかと示されてみると、シェイクスピアの偉大さというか、尋常ではない作家としての力量に脱帽せざるを得ない。
   イギリスでは、白水社の小田島雄志教授のシェイクスピア全集を一冊ずつ丹念に読んで劇場へ通った。
   また、日本の古典芸術である歌舞伎の十二夜や「葉武列土倭錦絵 ハムレット」、そして、文楽の「天変斯止嵐后晴 テンペスト」や「不破留寿之太夫 ファルスタッフ」も楽しかったし、黒澤明のシェイクスピア映画の素晴らしさは、また、格別であったし、蜷川のシェイクスピアの素晴らしさは、イギリスでも折り紙付きであった。
   随分、一喜一憂しながら、シェイクスピア戯曲に入れ込んできたのかと思うと感無量である。
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スティーブン・グリーンブラット著「暴君――シェイクスピアの政治学」リチャード三世   

2020年10月12日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   スティーブン・グリーンブラット教授の新著だが、東大の河合 祥一郎 教授の翻訳、
   カレント・トピックスとも言うべきタイトルであり、シェイクスピア・ファンであるから、広告を見てすぐに手に取った。

   尤も、シェイクスピア・ファンと言っても、最初は、戯曲なので、台詞の羅列に抵抗を感じて、観劇程度であったのだが、イギリスに赴任してから、RSCロイヤル・シェイクスピア・カンパニー (Royal Shakespeare Company)やロイヤル・ナショナル・シアターのシェイクスピアの舞台鑑賞にでかけて、5年間、通い詰めてからのことである。
   当時、ロンドンのバービカン劇場にRSCの常設の劇場があって、ストラトフォード・アポン・エイボンの本拠と並行して公演を行っており、ここに通ったのだが、やはり、雰囲気のある本拠地の劇場で鑑賞したくなると、ストラトフォードに出かけた。
   連続で鑑賞するときには、シェイクスピア・ホテルで宿泊し、仕事で多忙な時には、舞台がはねると、深夜に車を飛ばしてロンドンへ帰った。
   大劇場よりは、古色蒼然とした木製の小劇場スワン座で鑑賞するのが好きだったのだが、時間がある時には、シェイクスピアの故地を自由気ままに歩いて、思いを馳せていた。
   ケネス・ブラナーの「ハムレット」を鑑賞したのを覚えているのだが、5年間、劇場に何十回も通い続けていたのであるから、イギリスの多くの名優の舞台を楽しめたのだと思うが、殆ど記憶は残っていない。
   しかし、シェイクスピアは、戯曲を読むだけではなく、これだけは、劇場に通って舞台を鑑賞しない限り、楽しめないと思っている。

   シェイクスピア当時のグローブ座を現代に再現した劇場「シェイクスピアズ・グローブ」は、当時、建設中で、1997年完成したので、その後、何度か、ロンドンへの旅行途中に立ち寄って、シェイクスピア戯曲を観ており、その一部は、このブログのロンドン旅などに書いている。
   この頃は、バービカンの劇場があったのかなかったのか、ロンドンでのRSCの舞台は、オールド・ヴィック劇場で上演されていて、「ウインザーの陽気な女房たち」を鑑賞した。
   シェイクスピア戯曲は、観に行くと言うのではなく、聴きに行くと言うのだが、確かに、「恋に落ちたシェイクスピア」の舞台そっくりの青天井の「シェイクスピアズ・グローブ」で、ハムレットのような漆黒の闇の舞台を、太陽がカンカン照りつけたり、激しい雨に打たれて鑑賞するのであるから、まさに、観るのではなく聴きに行くべきなのである。
   
   「ペリクリーズ」のカーテンコール
   
   「冬物語」の舞台

   さて、この本で取り上げられているシェイクスピア作品は、冒頭、紙幅の相当分を費やして語られているリチャード三世の伏線として、「ヘンリー六世第1部、第2部、第3部」「リチャード三世」「リチャード二世」「ヘンリー五世」等の史劇、「マクベス」「リア王」「ジュリアス・シーザー」「コリオレイナス」等の悲劇、そして、喜劇の「冬物語」である。

   シェイクスピアが描いた暴君の筆頭は、役者にとってはハムレットと並んで最も憧れのキャラクターであるリチャード三世であろう。
   「寸足らずの歪んだ出来損ないのまま生まれて、月足らずの未熟児としてこの世に放り出され」、生みの母から、「汚らしい、醜い肉の塊だ、蟇蛙だ」と罵られたリチャードは、恋を諦め、何としてでも権力を手にしてやろうとする。
   際限のない自意識、法を破り、人に痛みを与えることに喜びを感じ、強烈な支配欲を持つ人物。病的にナルシストであり、この上なく傲慢だ。何だってやれると思い込み、自分には、資格があるとグロテスクに信じている。怒鳴って命令するのが好きで、命令を実行しようと手下どもが走り回るのを見るのに無上の喜びを感じる。絶対的忠誠を期待するが、自分が人に感謝することなど出来ない。他人の感情などどうでも良い。生まれついて品などないし、情もなければ礼儀も知らない。富の中に生まれ富に恵まれているので、何でも享受できるが、興奮するのは、支配の喜び、いわば、ガキ大将で、人が縮こまって震え痛みに顔をゆがめるのを観て喜ぶ。
   セックスでも政治でも、やりたくて仕方なかった支配が思い通りになると、皆から嫌われていると分ってくる。そう分ると発憤して、ライバルや共謀者たちに警戒しようと燃え上がるのだが、ジワジワと参ってきて疲弊してしまう。  
   遅かれ早かれ、倒れるのだ。誰に愛されることも嘆かれることもなく死ぬのだ。後に残るのはがれきの山だけだ。リチャード三世など生まれなければ良かったのだ。と言う。

   リチャードの悪事に気づかない人などまず居ない。その皮肉な態度や残酷さや裏切り体質は秘密でも何でもないし、人間として救われる要素など持ち合わせていないし、国を効果的に統治できると信じられる理由も一切ない。そんな人間が、そもそも、どうしてイングランドの王位に就けるのか。
   そんなことが出来るのは、周りに居る人間たちがそれぞれ同じように自滅的な反応をしてしまうが故だとシェイクスピアは示唆している。こうした反応が集まると、国全体が一挙に崩壊するのだ。

   著者は、リチャードの毒牙に罹って、徐々に絡み取られて、悪に加担して行く人々の心理や行動を詳細に分析して、最後に、殺害された兄のクラレンスの悪夢に託してリチャードの毒牙を語る。
   暴君は、人の体を刺し貫くように、眠っている人の心の中まで入ってくる恐ろしいものだと言うことである。「リチャード三世」において、夢は単なる装飾的描写でもなければ、人の心の中を垣間見せるものでもない。暴君の力が、皆の悪夢の中に存在することを理解することが必要なのだ。暴君自体が悪夢なのであり、暴君は、悪夢を現実のものとするのである。
   
   興味深いのは、この劇で、リチャードがのしあがれるのは、周りの連中とさまざまなレベルの共犯関係があるためだ。と言いながら、劇場では、不思議な共同作業に誘い込まれるのは、我々観客で、悪党のとんでもない行動に何度も魅了され、普通の人間としての態度などどうでもいいとする態度に魅せられて、誰も信じていないときでさえ、効果があるように思える嘘を楽しんでしまう。リチャードは、舞台上から、その嬉しそうな軽蔑を観客も一緒に味わい、おぞましいと分っている立場に立つことがどう言うことか、自分でも経験してみるように誘っている。その朗らかな邪悪さとひねくれたユーモアで、四世紀以上も観客を誘惑してきた。と言うことである。

   ところで、シェイクスピアは、この戯曲で、リチャード三世を、暴君、巨悪の権化のように描いているのだが、ウィキペディアによると、
  一方で、リチャード3世の悪名はテューダー朝によって着せられたものであるとして、汚名を雪ぎ「名誉回復」を図ろうとする「リカーディアン(Ricardian)」と呼ばれる歴史愛好家たちもおり、欧米には彼らの交流団体も存在する。リチャード3世を兄(エドワード4世)思いで甥殺しなどしない正義感の強い人物として描くベストセラー小説も、ジョセフィン・テイ『時の娘』(1951年)をはじめとして数多くある。と言うから、面白い。
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映画「道」

2020年10月10日 | 映画
   私が大学を出て、駆け出しのサラリーマンになったときに見て、一番印象に残っているのが、この映画「道」La Stradaである。
   珍しく、何回か映画館に通った。久しぶりに、NHK BSPで見て懐かしくなった。
   しがない旅芸人のザンバノに、買われてついて行く頭の少し弱い純粋無垢のジェルソミーナとの悲しくも切ない人間模様、
   人生のスタート台に立って意気に燃えていた筈の私を締め付けて離さなかった、生きると言うことの尊さを叩き込んでくれた貴重な映画であった。
   「鉄道員」「ニュー・シネマ・パラダイス」・・・イタリア映画が好きであった。

   監督:フェデリコ・フェリーニ
   キャスト: ザンパノ(アンソニー・クイン)、ジェルソミーナ(ジュリエッタ・マシーナ)、イル・マット(リチャード・ベイスハート)
   音楽:ニーノ・ロータ

   フェリーニの映画は、結構見ているし、ロータの音楽は、ゴッドファーザーなどでも感激しきりであったし、
   映画俳優では、アンソニー・クインを一番よく見ているが、この映画では、フェリーニの妻でもある子供のように目をぱっちり開けたあどけない表情のジェルソミーナのジュリエッタ・マシーナのイメージが脳裏から離れない。

   感動的な映画だが、後半部のストーリーは、
   ドサ回りの旅の途中、サーカス団に遭遇し、そこで、ジェルソミーナは、ピッコロ・ヴァイオリンを奏でるマットに出会って、意気投合して、この映画のテーマ音楽ジェルソミーナをトランペットで吹くことを教えて貰う。自分勝手でこき使われ、ジェルソミーナを夜中中戸外におっぽり出して、出会った女と遊びに行ってしまうザンバノにも嫌気がさして、何も出来ない自分が何のために生きているのか苦しみを吐露すると、マットが、「世の中のすべてのものは、何かの役に立っている、この石も」と、ジェルソミーナも役に立っていて、生きる価値があるのだと教える。
   ザンバノとマットは以前からの知り合いで、何かというとマットがザンバノをからかって笑いものにするので、頭にきたザンバノが大げんかを仕掛けて、ザンバノは警察に、マットはサーカスを追い出される。ところが、ある日、ザンパノが、自動車の車輪の不具合を直しているマットを見かけて、仕返しする機会だと殴り飛ばして撲殺してしまう。
   マットの死に、放心状態となったジェルソミーナは病気になって寝込んでしまう。ザンパノは、夜も拒絶されて興行の助手にも役に立たなくなったジェルソミーナを見捨てて、休憩後道ばたで居眠りし始めた彼女に毛布を掛けて少しの路銀とトランペットを残して去ってゆく。
   何年か経って、とある浜辺の街で、興行の後、ザンバノが、ジェラードを頬張りながら歩いていると、懐かしいジェルソミーナのメロディが聞こえてくる。近づいて歌っている若い女に聞いてみると、病気の哀れな女がトランペットを吹いていたので聞いて覚えたのだが、その女は、浜辺で倒れていて間もなく儚く死んでしまったと語る。
   ザンバノは、酒場で酔い潰れて大げんかをして、「一人で良いんだ」と喚きながら、浜辺に出て、波を踏む。波打ち際から引き返して、砂地に座り込んで、しばらく放心状態で中天を仰ぎ、浜辺に突っ伏して泣き崩れ嗚咽に噎び続ける。ザンバノの姿をフェーズアウトしながら、ジェルソミーナのメロディーが悲劇の終わりを奏で続ける  Fine。
   これに男のわがまま、女の忠実、そうして人間の本当の男と女のオリジナル。これが出てこの『道』は凄い映画でしたね。と、淀川長治は語る。

   ジェルソミーナは、一度、ザンバノの勝手放題に愛想を尽かして、出奔するが、その後、見つけられて旅をしながら、少しずつザンバノに感情を持ったのか、「結婚しても良い」、「少しでも大切だと思ったことがある?」と聞くなど愛を確かめようと真情を吐露するのだが、勿論、ザンバノはケンモホロロ、相手にしない。しかし、ザンバノは、ラストシーンでは、一人でなかったことに気づいて、ジェルソミーナを思って泣き崩れる。
   淀川長治は、「人間の本当の男と女のオリジナル」というのだが、悲しくも切ない、もう一つの「愛の詩」だと思う。

   哀調をおびた悲しいニーノ・ロータのジェルソミーナが、重要なシーンに主題メロディとして、実に美しく見え隠れして流れ続けて、感興を誘い余韻を奏でる。
   マットは、ピッコロ・ヴァイオリン、ジェルソミーナはトランペット、その何とも言えない絶妙なバランスが涙を誘う。
   何故か、私の脳裏には、「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの・・・」
   室生犀星の詩が、ジェルミーナのメロディに乗って歌い続けている。
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