今月の昼の部は、いずれの演目も素晴らしく、特に、最後の仁左衛門と孫の千之助の連獅子は、出色の出来で、千之助の芸の確かさと将来の大器振りを髣髴とされる舞台は、正に感動的であった。
冒頭の「頼朝の死」で頼家を演じる染五郎の品格のある格調高い若殿ぶりも、流石に、水際立った演技で、風格と気品、それに、堂々とした押し出しの尼御台所政子の時蔵、恋しい思い一途に思い詰めた孝太郎の小周防と主殺しの苦痛に呻吟する愛之助の畠山重保、大江広元の歌昇等準主役陣の良きサポートを得て、素晴らしい舞台を展開していた。
それでも、やはり、メインの芝居は、「梶原平三誉石切」で、益々、格調高い吉右衛門の梶原平三が、観客の感動を一番集めていた。
この梶原平三だが、義経の監視役として、あることないことを、頼朝に讒言したとかで、兄弟仲たがいと義経都落ちの元凶として、すこぶる人気が悪いのだが、この舞台では、とびぬけて立派な素晴らしい武将として描かれていて、作者が違えば、これ程、主人公の扱いが違うのかと言う典型例である。
それに、この梶原平三の祖父は、元々、源氏の家人であったのだが、、平治の乱で源義朝が敗死した後平家に従っており、平三は大庭景親(段四郎)とともに初めて挙兵した源頼朝景時頼朝討伐に向い、石橋山の戦いで寡兵の頼朝軍を打ち破った。敗走した頼朝は山中に逃れたのだが、平三は、頼朝の天下人としての風格に感動して命を助けて、将来、家来として仕えようと決心し、その後のシーンが、この歌舞伎の舞台である。
したがって、平三は、大場兄弟・景親・猪俣景久(歌昇)とともに、平家の武将として登場するのだが、最後に、源氏の武将としての本地を現す。
頼朝の忠実な重臣であったことは間違いなかったようだが、股座膏薬との誹りもあるとかで、非常に興味深いキャラクターながら、この芝居では、吉右衛門の演じる梶原平三が、如何に、素晴らしい武将であったかを、堪能すれば、それで良いと言うことであろう。
この舞台冒頭は、石橋山で敗れた頼朝が再挙を図ろうとしていて、六郎太夫(歌六)が、娘梢(芝雀)の許婚が、源氏再興のために三百両を調達しようとして苦労しているのを知り伝家の宝刀を売ることを決意して、日頃から欲しがっていた大場景親に売り込もうとして登場し、そこに、居合わせた梶原に刀の目利きを頼んだところから、話が始まる。
ところが、この刀が、「一点曇らぬ銘作」と一目見て源氏縁の名刀であることを知った梶原が、幸か不幸か、二つ胴の試し切りをしなければ、分からないと猪俣のいちゃもんで試し切りすることになるのだが、罪人が一人しかいなくて六郎太夫がもう一人となり、刀を振り下ろした梶原は、六郎太夫を残して罪人だけ胴を切る。
なまくら刀だったと損をせずに済んだと喜んで退散する二人を尻目に、梶原は、傍にあった門前の手水鉢を真っ二つに切って、名刀であったことを示して、買い取ることを約束する。
そんな話だが、話の中心はすべてこの稀に見る名刀で、刀の鑑定前に、梶原が手水を使って清めようとする仕種を六郎太夫が制止するところで二人の名刀に対する思いが表出し、二つ胴の試し切りで、六郎太夫の胴を外したところで、梶原が名刀取得の意思を示し、そして、手水鉢を真っ二つに切り落とすところで名刀であることを示す。
このあたりは、梶原の並々ならぬ刀に対する目利きとしての知識教養が光るところで、大場の無知と、猪俣の意地の悪さを作者は笑い飛ばしながら、際立たせていて面白い。
名刀に対する吉右衛門の思い入れと尊崇、家宝の名刀を売ろうとする六郎太夫の思いなどが、錯綜して火花を散らして、二人の間に源氏に対する思いが通い合ったところで、吉右衛門の梶原が、源氏方であることを、六郎太夫に吐露する。
何故、梶原が、簡単に、平家方の武将でありながら、源氏への寝返りを明かすのか、一寸見だけでは分からないが、名刀を仲立ちとした阿吽の呼吸が働いていると言うことであろう。
この石切梶原の舞台は、何度か見ているが、やはり、吉右衛門が決定版で、今回の歌六の六郎太夫と芝雀の梢のコンビも良く、それに、段四郎の大場景親と灰汁の強い歌昇の性格俳優ぶりも実に楽しませてくれて面白かった。
因みに、この梶原平三は、頼朝の死後、追放され滅ぼされたと言う。
冒頭の「頼朝の死」だが、死亡説は色々あれども、真山青果説のように、政子の侍女小周防に夜這いしようと忍び込んで、3度の誰何に応えなかったので、畠山重保に切り殺されたとするなら、やはり、武士の時代、諸行無常であった。
冒頭の「頼朝の死」で頼家を演じる染五郎の品格のある格調高い若殿ぶりも、流石に、水際立った演技で、風格と気品、それに、堂々とした押し出しの尼御台所政子の時蔵、恋しい思い一途に思い詰めた孝太郎の小周防と主殺しの苦痛に呻吟する愛之助の畠山重保、大江広元の歌昇等準主役陣の良きサポートを得て、素晴らしい舞台を展開していた。
それでも、やはり、メインの芝居は、「梶原平三誉石切」で、益々、格調高い吉右衛門の梶原平三が、観客の感動を一番集めていた。
この梶原平三だが、義経の監視役として、あることないことを、頼朝に讒言したとかで、兄弟仲たがいと義経都落ちの元凶として、すこぶる人気が悪いのだが、この舞台では、とびぬけて立派な素晴らしい武将として描かれていて、作者が違えば、これ程、主人公の扱いが違うのかと言う典型例である。
それに、この梶原平三の祖父は、元々、源氏の家人であったのだが、、平治の乱で源義朝が敗死した後平家に従っており、平三は大庭景親(段四郎)とともに初めて挙兵した源頼朝景時頼朝討伐に向い、石橋山の戦いで寡兵の頼朝軍を打ち破った。敗走した頼朝は山中に逃れたのだが、平三は、頼朝の天下人としての風格に感動して命を助けて、将来、家来として仕えようと決心し、その後のシーンが、この歌舞伎の舞台である。
したがって、平三は、大場兄弟・景親・猪俣景久(歌昇)とともに、平家の武将として登場するのだが、最後に、源氏の武将としての本地を現す。
頼朝の忠実な重臣であったことは間違いなかったようだが、股座膏薬との誹りもあるとかで、非常に興味深いキャラクターながら、この芝居では、吉右衛門の演じる梶原平三が、如何に、素晴らしい武将であったかを、堪能すれば、それで良いと言うことであろう。
この舞台冒頭は、石橋山で敗れた頼朝が再挙を図ろうとしていて、六郎太夫(歌六)が、娘梢(芝雀)の許婚が、源氏再興のために三百両を調達しようとして苦労しているのを知り伝家の宝刀を売ることを決意して、日頃から欲しがっていた大場景親に売り込もうとして登場し、そこに、居合わせた梶原に刀の目利きを頼んだところから、話が始まる。
ところが、この刀が、「一点曇らぬ銘作」と一目見て源氏縁の名刀であることを知った梶原が、幸か不幸か、二つ胴の試し切りをしなければ、分からないと猪俣のいちゃもんで試し切りすることになるのだが、罪人が一人しかいなくて六郎太夫がもう一人となり、刀を振り下ろした梶原は、六郎太夫を残して罪人だけ胴を切る。
なまくら刀だったと損をせずに済んだと喜んで退散する二人を尻目に、梶原は、傍にあった門前の手水鉢を真っ二つに切って、名刀であったことを示して、買い取ることを約束する。
そんな話だが、話の中心はすべてこの稀に見る名刀で、刀の鑑定前に、梶原が手水を使って清めようとする仕種を六郎太夫が制止するところで二人の名刀に対する思いが表出し、二つ胴の試し切りで、六郎太夫の胴を外したところで、梶原が名刀取得の意思を示し、そして、手水鉢を真っ二つに切り落とすところで名刀であることを示す。
このあたりは、梶原の並々ならぬ刀に対する目利きとしての知識教養が光るところで、大場の無知と、猪俣の意地の悪さを作者は笑い飛ばしながら、際立たせていて面白い。
名刀に対する吉右衛門の思い入れと尊崇、家宝の名刀を売ろうとする六郎太夫の思いなどが、錯綜して火花を散らして、二人の間に源氏に対する思いが通い合ったところで、吉右衛門の梶原が、源氏方であることを、六郎太夫に吐露する。
何故、梶原が、簡単に、平家方の武将でありながら、源氏への寝返りを明かすのか、一寸見だけでは分からないが、名刀を仲立ちとした阿吽の呼吸が働いていると言うことであろう。
この石切梶原の舞台は、何度か見ているが、やはり、吉右衛門が決定版で、今回の歌六の六郎太夫と芝雀の梢のコンビも良く、それに、段四郎の大場景親と灰汁の強い歌昇の性格俳優ぶりも実に楽しませてくれて面白かった。
因みに、この梶原平三は、頼朝の死後、追放され滅ぼされたと言う。
冒頭の「頼朝の死」だが、死亡説は色々あれども、真山青果説のように、政子の侍女小周防に夜這いしようと忍び込んで、3度の誰何に応えなかったので、畠山重保に切り殺されたとするなら、やはり、武士の時代、諸行無常であった。