熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

六月大歌舞伎・・・「梶原平三誉石切」

2011年06月29日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今月の昼の部は、いずれの演目も素晴らしく、特に、最後の仁左衛門と孫の千之助の連獅子は、出色の出来で、千之助の芸の確かさと将来の大器振りを髣髴とされる舞台は、正に感動的であった。
   冒頭の「頼朝の死」で頼家を演じる染五郎の品格のある格調高い若殿ぶりも、流石に、水際立った演技で、風格と気品、それに、堂々とした押し出しの尼御台所政子の時蔵、恋しい思い一途に思い詰めた孝太郎の小周防と主殺しの苦痛に呻吟する愛之助の畠山重保、大江広元の歌昇等準主役陣の良きサポートを得て、素晴らしい舞台を展開していた。

   それでも、やはり、メインの芝居は、「梶原平三誉石切」で、益々、格調高い吉右衛門の梶原平三が、観客の感動を一番集めていた。
   この梶原平三だが、義経の監視役として、あることないことを、頼朝に讒言したとかで、兄弟仲たがいと義経都落ちの元凶として、すこぶる人気が悪いのだが、この舞台では、とびぬけて立派な素晴らしい武将として描かれていて、作者が違えば、これ程、主人公の扱いが違うのかと言う典型例である。
   それに、この梶原平三の祖父は、元々、源氏の家人であったのだが、、平治の乱で源義朝が敗死した後平家に従っており、平三は大庭景親(段四郎)とともに初めて挙兵した源頼朝景時頼朝討伐に向い、石橋山の戦いで寡兵の頼朝軍を打ち破った。敗走した頼朝は山中に逃れたのだが、平三は、頼朝の天下人としての風格に感動して命を助けて、将来、家来として仕えようと決心し、その後のシーンが、この歌舞伎の舞台である。
   したがって、平三は、大場兄弟・景親・猪俣景久(歌昇)とともに、平家の武将として登場するのだが、最後に、源氏の武将としての本地を現す。
   頼朝の忠実な重臣であったことは間違いなかったようだが、股座膏薬との誹りもあるとかで、非常に興味深いキャラクターながら、この芝居では、吉右衛門の演じる梶原平三が、如何に、素晴らしい武将であったかを、堪能すれば、それで良いと言うことであろう。

   この舞台冒頭は、石橋山で敗れた頼朝が再挙を図ろうとしていて、六郎太夫(歌六)が、娘梢(芝雀)の許婚が、源氏再興のために三百両を調達しようとして苦労しているのを知り伝家の宝刀を売ることを決意して、日頃から欲しがっていた大場景親に売り込もうとして登場し、そこに、居合わせた梶原に刀の目利きを頼んだところから、話が始まる。
   ところが、この刀が、「一点曇らぬ銘作」と一目見て源氏縁の名刀であることを知った梶原が、幸か不幸か、二つ胴の試し切りをしなければ、分からないと猪俣のいちゃもんで試し切りすることになるのだが、罪人が一人しかいなくて六郎太夫がもう一人となり、刀を振り下ろした梶原は、六郎太夫を残して罪人だけ胴を切る。
   なまくら刀だったと損をせずに済んだと喜んで退散する二人を尻目に、梶原は、傍にあった門前の手水鉢を真っ二つに切って、名刀であったことを示して、買い取ることを約束する。

   そんな話だが、話の中心はすべてこの稀に見る名刀で、刀の鑑定前に、梶原が手水を使って清めようとする仕種を六郎太夫が制止するところで二人の名刀に対する思いが表出し、二つ胴の試し切りで、六郎太夫の胴を外したところで、梶原が名刀取得の意思を示し、そして、手水鉢を真っ二つに切り落とすところで名刀であることを示す。
   このあたりは、梶原の並々ならぬ刀に対する目利きとしての知識教養が光るところで、大場の無知と、猪俣の意地の悪さを作者は笑い飛ばしながら、際立たせていて面白い。

   名刀に対する吉右衛門の思い入れと尊崇、家宝の名刀を売ろうとする六郎太夫の思いなどが、錯綜して火花を散らして、二人の間に源氏に対する思いが通い合ったところで、吉右衛門の梶原が、源氏方であることを、六郎太夫に吐露する。
   何故、梶原が、簡単に、平家方の武将でありながら、源氏への寝返りを明かすのか、一寸見だけでは分からないが、名刀を仲立ちとした阿吽の呼吸が働いていると言うことであろう。

   この石切梶原の舞台は、何度か見ているが、やはり、吉右衛門が決定版で、今回の歌六の六郎太夫と芝雀の梢のコンビも良く、それに、段四郎の大場景親と灰汁の強い歌昇の性格俳優ぶりも実に楽しませてくれて面白かった。
   因みに、この梶原平三は、頼朝の死後、追放され滅ぼされたと言う。
   冒頭の「頼朝の死」だが、死亡説は色々あれども、真山青果説のように、政子の侍女小周防に夜這いしようと忍び込んで、3度の誰何に応えなかったので、畠山重保に切り殺されたとするなら、やはり、武士の時代、諸行無常であった。



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ソニー株式会社定時株主総会

2011年06月28日 | 経営・ビジネス
   品川でソニーの株主総会が開催された。
   今回は、ゲーム機「プレイステーション」などのオンラインサービスで、システムへの不正侵入が相次ぎ、合わせて1億件を超える個人情報が流出した事件直後の総会であったために、多少の荒れ模様が予想されたのだが、総会ではハワード・ストリンガーCEO他が陳謝したが、他社のように冒頭ではなく、業績など企業説明の中で行っていたし、また、冒頭の株主質問で株価が400円も下がった責任を取ってCEOを止めろと言った2~3の質問程度で、至って低調で、何の波乱もなく終了した。

   ストリンガーCEOも、サイバーアタックは、FRBやCIAさえ被害を受けており、社外取締役の、ピーター・ボンフィールド氏はサイバーセキュリティーのスペシャリストで、今回のサイバーアタックの件はソニーだけの件じゃないと指摘があったと言った調子で、有名税だと言わんばかり。平井副社長は、PSビジネスはSONYが、ハードウエアを提供して、さまざまなサードパーティーがそのプラットホーム上でゲームを提供するというモデルであり、海賊版を放置するとシステムに齟齬を来すので、知的財産権を死守するのは、SONYの為だけではないと言う。

   ソニーにとってコア・コンピタンス(Core competency)であるコンス―マープロダクツの業績が非常に悪いと言うことが、今回の株主総会でも問題になったが、担当の平井副社長が、経営施策として、3点を重点目標とすると説明した。
   ① TV事業の収益性の改善
   ②不正アクセスに伴うネットワーク障害への対応
   ③新しいモバイル商品の導入
   その内、①については、部品調達などでのコスト削減やバリューチェンの見直しに加えて、地域戦略や商品戦略の明確化に言及し、マーケットシェア重視の戦略から脱却して、顧客のニーズにマッチしたキメ細かい施策を追及して行くと強調していた。
   ③の新しい製品については、PSポータブルの後継機とも言うべきPS VITAについて説明し、VITAとは、ラテン語で、生活と言うことで、携帯とも連携して生活を通じて遊び感覚で新しい体験を楽しめると言うことらしい。もう一つは、SONYタブレットS1とS2で、グーグルのアンドロイドを搭載して、秋に発売すると言う。

   しかし、私が、何度もソニーの経営戦略について問題視するのは、わくわくするような製品を開発して消費者を感動させるのがソニーの戦略だと言いながら、今のソニーは、昔のウォークマンのような破壊的イノベーションを生み出せない歌を忘れたカナリア状態になってしまって、競合他社が生産しているようなものばかり作っていて、ブルーオーシャン市場どころか差別化さえままならない状態で、どんどん、商品がコモディティ化して、コスト競争力にさえ遅れを取ると言う現実では、コンシューマープロダクツで利益など上げられる訳がない。
   この日、ソニー独自の差別化技術として説明されたのは、イメージセンサーだけだったような気がするが、これは素晴らしい製品だが、残念ながる、いわば、部品と言うか、映像機器のパーツであるので、消費者にアピールしないので、コンス―マープロダクツの破壊的イノベーションとはならないので影が薄い。
   平井副社長が、起死回生のための切り札として説明するPS VITAにしても、タブレットにしても、競合他社が先鞭をつけていて、多少、品質が良くて差別化していたとしても、殆ど、競争優位にはなれず、コモディティ化が加速して、利益基調になる前に、熾烈な価格ダウンに見舞われてしまう。
   大体、地域や製品戦略の明確化で、インド市場にマッチした製品を開発するなど今頃言うようでは、サムスンより10年遅れているし、ソニーの経営者は、プラハラードさえ読んでいないのであろうかと思うと、お粗末限りない。

   昔、御手洗会長が、アメリカ人に、キヤノンのアメリカでの事業で、仕事をするよりも、その金を銀行に預けておいた方がましだと言われて発憤したと言っていたが、今の状態では、ソニーのコンス―マープロダクツ部門の仕事、特に、TV部門は、引揚げて、その資金で資産運用した方が、利益が上がって株主のためには良いかも知れない。
   金融部門で利益の過半を叩き出していて、いつになったら、コアビジネスのエレクトロニクス関連で利益が上げられるのかと、株主が厳しく追及していたが、私自身は、今のソニーが、コアコンピタンスとして、コモディティ商品化へと益々進んで行くコンス―マープロダクツに固守し続けることが良いのかどうか、疑問だと思っており、ハード、コンテンツ、ネットワーク3部門の戦略的融合を言うのなら、かってIBMが経験したドラスティックな経営戦略の変革などのケースが、案外他山の石になるかも知れないと思ってさえいる。

   株主に、アップルとの比較を質問されて、平井副社長は、ソニーにはアップルにはないさまざまな商品がある。テレビやブルーレイレコーダー、プレイステーション、デジタルカメラ、ビデオカメラなどで、商品群の広さというアップルにはないアセットがあり、このアセットをフル活用して、ハードウエア、コンテンツ、ネットワークサービスを戦略的に融合して、顧客に新しい喜びと感動を与えることが出来ると強調していた。
   テレビや携帯電話ビジネスと、他社にはないゲームやカメラなどの技術を加え融合することによって、完全に差別化できると言うことであろうが、何故、アップルがiPodを筆頭にソニーのウォークマンを出し抜き、任天堂が、Wii等で、ソニーのPSを凌駕したのかと言う意味、すなわち、虎の子の看板商品が何故易々と駆逐されたのかと言う意味とその敵方の経営戦略・ビジネス戦略の重要性が分かっていないとしか思えないところに問題がある。
   それに、あのアベグレンが、亡くなる直前に、日本の電器産業の総合産業化政策が、如何に企業を窮地に追い込んだかを説いていたが、ソニーの言う、幅広いアセットの融合統合による事業展開が、この総合化と同じで、吉と出るか凶と出るかは、また、次元の違った別問題だと考えるべきであろう。

   ところで、平井社長への株主の期待が高く、何故、執行役で取締役ではないのかと言う質問なり不満が2人の株主から提示されたが、これは、ソニーが、委員会設置会社であることが分かっていない株主からのもので、委員会設置会社は、取締役会の中に社外取締役が過半数を占める委員会を設置し、取締役会が経営を監督する一方、業務執行については執行役にゆだねて、経営の合理化と適正化を目指した制度であり、社内取締役が、ストリンガー氏と中鉢氏2人であることなど、小林指名委員会委員長やストリンガーCEOが丁寧に説明していた。
   このコーポレート・ガバナンスの形態が良いのか悪いのかは別にして、一般株主には誤解が多いようで、社外取締役への反発が結構多いのである。

   他にもコメントしたいことが、多いが、これで置く。株主には、根っからのソニーファンが多くて、役員の説明の後には、良くても悪くても、必ず株主の拍手が湧く。  
   それに、気付いたのだが、お土産だけ貰って会場に入らずに帰って行く株主の多いのにびっくりした。
   熱心な株主は、第1会場に早くから詰めかけていて、第2会場や第3会場は、総会後半には、ガラガラになる。
   商品サービスの展示会場は、3D関連とネットワーク関連に分かれていたが、3Dオンパレードと言う印象であった。
   あのメガネをかけてまで、3Dを見たいかと言うのが私の疑問である。



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トマト栽培日記2011~(11)桃太郎ゴールドが色づき始めた

2011年06月27日 | トマト・プランター栽培記録2011
   ミニトマトのアミティエやイエローアイコなどは、少しずつ収穫できるようなったが、中玉トマトの完熟むすめがほんのり赤く色づき始め、桃太郎ゴールドも、一番早く結実して大きくなった実が、黄色み初めて来た。
   7月初旬を過ぎた頃には、沢山、一斉に色づいて賑やかになるのあろうが、トマトを栽培していて、一番、楽しいのは、花が咲き始めた頃、結実した頃、色付き始めた頃など、変化を伴った成長の跡がはっきりと確認できる時である。

   先に書いたように、今年は、大玉トマトの出来が悪く、この桃太郎ゴールドも4本植えたが、一株に、12個くらい収穫できれば、今年は上出来だと思っている。
   去年、初めて収穫して、最初に完熟した大きな桃太郎ゴールドは、果物のように甘くて美味しかった。
   その後は、未熟なトマトを収穫した訳でもなかったのだが、何故か、普通のトマトの味になってしまった。
   バラの花でもそうだが、一番花が一番美しいように、果実も最初の実が一番上出来なのであろうと思う。

   ファンタスティックも、他の桃太郎と同じように実つきが悪いうえに、何故か、何個か結実した実の一部が黒ずんできたので、摘果した。
   初めてタキイのカタログに載ったトマトなので、興味を持ったのだが、新種と言うことであろう、接ぎ木苗でもなかったのに、一本単価が500円とかなり、トマト苗にしては、割高であった。
   色々な種類のトマトを植えて見て、色形、大きさなどが違うのが面白いし、味に、微妙な違いがあって、新しいトマトに出会うと楽しいものである。

   ところで、先日の強風に煽られたために、いくらか、トマトの支柱が傾いたり、枝が、トマトの重みでずり落ちたりしたので、支柱を補強するなど、トマトの木を整えた。
   固定紐を外した途端に、一気に枝がずり落ちて、太い幹が折れたのだが、半分は皮が繋がっていたので、引揚げて固定し直して、水遣りを続けていたら、枯れずに、そのままの状態で止まっている。
   水や栄養が、これまでのように完全な木のような状態で上部に行くとは思えないのだが、案外、強い生命力に驚いている。

   今年は、これまでのところ、特別な病虫害の被害などもなくて、比較的順調に育っていて、最初の収穫も始まっており、まずまずの滑り出しである。
   最初の苗の状態が貧弱だったクリームシュガーも、木が小さいながらにも順調に育っており、ただいくらかの実は、尻腐れ病のような状態になったのだが、全般的な病気でもなさそうなので、そのままにしておこうと思っている。
   やはり、じめじめした梅雨ではなく、比較的雨が少ない男性的な梅雨の所為であろうが、これから、台風のシーズンに入るので、それまでに、どうにか、皆一人前の木に育って、木の頂上の摘心まで行ければ良いのにと思っている。
   
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CNN:ギリシャ労組、48時間のゼネストを実施へ

2011年06月26日 | 政治・経済・社会
   CNNの電子版を見ていたら、ギリシャ労組の議会前でのゼネストの記事が出ていた。
   ギリシャ議会で新財政緊縮案の採決が予定されており、昨年、欧州諸国との間で合意した総額1560億ドルの第1次金融支援の第5弾である170億ドルの融資を確保し、さらなる大規模な追加融資への道筋をつけるために、何としてもこの新緊縮財政案を可決する必要がある。
   29日に同案が議会で可決されれば、7月3日に開催されるユーロ圏財務相会合で第1次金融支援の最終部分である170億ドルの融資について議論されるが、この融資が実施されなければ、ギリシャは早ければ7月半ばにもデフォルト(債務不履行)に陥る恐れがある。
   ギリシャのデフォルトの影響は欧州の銀行部門のみならず、世界経済全体に及ぶと見られ、(欧州圏の国におけるデフォルトは)世界の金融市場を混乱させることは間違いないバーナンキ議長も危機感を示している。

   日本では、それ程、報道されてはいないが、NHK BS1のワールドニュースのEUのTVでは、ギリシャの金融危機問題は、殆ど毎日のトップニュースで、ギリシャの命運が如何に危機的な状態にあるのかを示している。
   これまでもこの問題については、議論してきたので多言を避けるが、要するに、ギリシャ人が、自分たちの生活を切り詰めて、財政収支の辻褄を合わさない限り、生きる道はなくなったと言うことである。
   世界中が好景気に沸いていた時に、ギリシャ政府が、野放図な経済政策で、国家経済を水ぶくれ状態にしていたにも拘らず、国民がそれに便乗して浮かれて享受していた花見酒の経済が、世界的な経済危機に直面して、一気に暗礁に乗り上げた結果の破綻騒ぎである。

   国家の財政危機からの脱却方法は、無尽蔵に外国から資金を導入できない以上は、経済成長か、或いは、増税と支出削減によって財政収支を均衡させるか、いずれかの方法しかない。
   観光業など一部の産業を除けば、国際競争力のある目ぼしい産業は、ギリシャには殆どなく、ただでさえ弱小で脆弱な国家経済の現状では、経済成長によるギリシャ経済の立て直しは、殆ど、望み薄である。
   しからば、唯一の道は、増税と支出削減によって、生活水準をぎりぎりにまで切り詰めて、辻褄を合わせることなのだが、ギリシャ国民は、これに反発して、各地で暴動をお越し、ゼネストを打とうとしている。
   しかし、悪足掻きは、国家経済を益々窮地に追い込み、ギリシャ経済の破綻を速めるだけである。

   尤も、ここまで、経済状態が悪化してしまうと、前述の新緊縮財政案が議会で可決され、ドラスティックな緊縮財政を実施されたとしても、ギリシャ経済が再生されて健全化するかどうかは大いに疑問で、ギリシャ国家の将来は、極めて厳しいと考えざるを得ない。

   私は、日本の財政危機は、ギリシャとは全く違うのだと言われているが、多少違うとしても、財政危機は財政危機であり、これまでにこのブログで触れたジャック・アタリの予言通りに、早晩、日本経済が暗礁に乗り上げることは避けられないと思っている。
   たとえ、危機を避け得たとしても、経済成長が止まってしまった日本経済においては、要素価格平準化定理などグローバル経済によるマーケット・メカニズムに晒されている以上、日本国民も、益々、支出を切り詰めて生活水準を落として行かなければ、熾烈な国際競争に堪えて行けないと思っている。
   世界水準より、早く走れなければ、すなわち、経済成長を続けられなければ、益々、辻褄合わせの窮乏化が進まざるを得ないと言うのが、一体化してしまったグローバル経済とそのマーケット・メカニズムの威力であり恐ろしさなのである。

   しかし、この厳しい日本の現状に危機意識を持つ人は少なく、そんなことは起こる筈がない、今まで、可もなく不可もなく上手くやって来たのだから、と、太平天国に胡坐をかき続けて来た平和ボケの日本人は、一向に、気にする気配もない。
   あれだけの悲惨な大震災に遭遇しながらも、政治の混乱と迷走は目を覆うばかりであるのだが、大人しい(?)国民は、殆ど、怒りを爆発させる気力もなくなっている。
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京成バラ園のバラと感謝祭セール

2011年06月25日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   雨模様の天気予報が外れて、気持ちの良い曇り空だったので、2番花が咲いていると言うので、京成バラ園に出かけた。
   遠方から見ると、かなり、色彩豊かだが、殆ど咲き切った後の花がらで、綺麗に咲いているのは、超遅咲き品種くらいで、もう、殆ど鑑賞には耐えられなくなっている。
   二番花と言っても、我々個人のように、花がらを摘んで、五枚葉のあるところまで切り戻すと言ったたような手入れをせずに、咲いたバラをそのまま自然状態で放置してあるので、花がらの残滓の間に、遅れた蕾が開花していると言う状態である。

   イングリッシュ・ローズの植わっている庭園まで出かけたが、何輪か綺麗に咲いていたのは、この口絵写真のコーヴェディルくらいで、他の木には殆ど花が咲いていなかった。
   他のバラの花もカメラに収めたが、スポットを選んだつもりではあったが、どの写真にも、枯れた花がらなどが写り込んでいて、写真にならなかった。
   やはり、派手で豪華なバラは、完全無欠の姿でなければ、ダメなのであろう。
   庭園の方の客は、非常に少なくて、ちらほらで、秋のバラの季節を待つことにして、小一時間で、庭園を出た。

   ところが、この京成バラ園のガーデンセンターの方は、「バラ園感謝祭」のセールで、千客万来である。
   バラ新苗や鉢バラ、テラコッタ鉢、植木・盆栽などが、半額で、ガーデン雑貨や肥料・培養土などが3割引きと言うことなので、日頃から狙っていたバラ・ファンにとっては、恰好の買い物日であろう。
   
   バラ新苗の方は、銘柄順に展示されていたのだが、鉢バラ(6号鉢)の方は、アトランダムに並べられているので、銘柄を確認するのに、小さなタグを確認しなくてはならず面倒であった。
   勿論、殆どの鉢バラは、開花バラか蕾付きの鉢植えで、ある程度、品種の目ぼしはつくのだけれど、必ずしも、花の色が、写真やパンフレットどおりではないので、多少逡巡せざるを得ない。
   レオナルド・ダ・ヴィンチを探したのだがなかったので、バラ新苗を見たら、濃い赤の筈が普通のピンク色だったので諦めた。
   結局、私自身は、前回、ローズガーデンで印象に残っていたミミエデンと、ピンクのバラは多いのだが、派手なショッキング・ピンクの花がなかったので、うららを衝動買いした。
   それに、Keisei Roseのロゴ入りの10号プラ鉢3つと追肥用の天然活性肥料「セレクション薔薇」を買って、締めて9000円。

   イングリッシュ・ローズとフレンチ・ローズは、セール外だったが、花が付いていなかったので、秋のシーズンに、花を見てから買うことにしたいと思っている。
   何本か纏め買いをすると、デビッド・オースティンに直接注文する方が安いので、この方法もあるし、近くの大型園芸店の店頭で探しても良いと思っている。
   とにかく、今は、現有のバラを如何に上手く夏越えさせて、秋の開花を待つかである。
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エドワード・ルース著「インド厄介な経済大国」(2)下位カーストの台頭

2011年06月24日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   インドには、基本的な分類(ヴァルナ - varṇa)が4つのカースト制度があり、非常に、その階級差別が厳しいのだと言うことくらいしか知らないし、私自身、これまでに親しかったインド人が何人か居るのだが、彼らが、夫々、どのヴァルナに属しているのかなど関心を持ったことさえなかったし、全く知らない。
   しかし、いくら伝統に縛り付けられたインドでも、興味深いのは、IT関連の高度な知識や技能を持った技術者には、このような職業上などのタブーや制約がないので、全く、カーストの埒外になっていると言うのが面白い。

   それに、ルースの説明では、インドのイスラム教徒やキリスト教徒などは、カーストの制約から逃れたくて改宗した人々で、外国人はいないと言うことが非常に示唆的である。
   また、お釈迦さまの生誕地で仏教発祥の地でありながら、何故、仏教が実質的にインドから消えてしまったのかと言うことだが、仏陀の平等主義のメッセージが、自分たちの社会的支配を危うくすることを恐れたブラフミンが、インド仏教の中心地であるタキシーラやナーランダを略奪したので衰退したと言うことらしい。
   しかし、ヒンドゥー教には、教会の権威が存在せず、法王と呼べるような者が存在しないにも拘わらず、インドで長い間支配的な勢力を維持して来たのは、雁字搦めのカースト制度があったからなのであろうか。

   カースト制度が、一番、顕著な形で、インドを象徴しているのは、やはり、政治制度で、多くの小党乱立故に、連立政権でしか政権を担えないと言う現実で、独立以降支配的であった国民会議派も決定的な支配勢力にはなり得ないのである。
   下位カーストのリーダーが目覚めて、インドの民主主義を誰よりもうまく活用し始めて、自分の属する狭い範囲の特定の集団を結集して下位政党を立ち上げて政界に打って出ることによって、更に、小党乱立に拍車がかかってきた。
   人口の半数以上が、下位カーストに属するので、もし、すべての下位カーストが、共通の大義を掲げて、一つの下位カースト党の傘下に統合されれば、おそらく、永続的にインドの政治を支配できる筈なのだが、全国展開している下位カースト政党のリーダーたちは、特定の層の国民に狙いを定めるだけで、たとえ、同じ貧困状態にあっても、他党を完全に無視しているので、不可能だと言う。
   下位カーストの政治家たちは、互いに共通する部分を強調して結束することはせず、彼らを区別するものに焦点をあてて、バラバラな運動の状態を保とうとしており、階級政治と言うよりは、エスニック政治だと著者は言う。
   
   この2~30年の間に、下位カーストの生活様式は大きく変化し、下位カーストが、上位カーストの習慣や教義を取り入れることに熱心で、これを、「サンスクリット化」と呼ぶようで、同じ神を信奉し、同じ祭りを祝い、その文化を真似しており、普通の生活を見ているだけでは、どのカーストに属するのか分からなくなってきたと言う。
   ところが、政治の世界では、「サンスクリット化」とは逆に、彼らは、政治を、上位カーストへの復讐の手段として使い、低い社会的地位を与えられたことへの保障を引き出そうとしている。
   アメリカで一般化し、最近では、ブラジルでも導入されているアファーマティブ・アクション(積極的差別是正措置)は世界最大で、アメリカより大規模で広範囲だと言い、例えば、インドでは、政府関連の職の半分は、社会的地位の低い3つの層のために保留されている。
   ある州では、州政府の職の3分の2までが割当制になっていて、その職の多くがカーストの指導者とその取り巻きの権力グループによって配分され、入札で高い値を付けた者に売られるなど恩顧主義がまかり通っていて、このシステムを拡大することが、下位カースト政党の唯一の政策課題だと言う。

   したがって、下位カースト政党で、経済や外交や防衛などに関する政策を掲げたマニュフェストを発行する党など皆無で、支持者に提供するのは、多数の党からなる連立政権に参加することと引き換えに、大きな党から引き出す見返りだけだというのであるから、恐ろしい限りである。
   下位カースト政党のトップなどが、利権の多い鉄道大臣や国防相に任命されて、傘下の国営企業の経営や雇用テコ入れに邁進すると言う。
   これらの下位カースト政党の長たちは、公共の職の割り当て制を民間セクターにも広げることを支持しているとかで、能力ではなくてカーストで従業員を採用するなどとなれば、インド経済には大打撃となることは、必定で、これが、インドの民主主義の一面であることには疑いの余地はない。
   インド最大のダリット(不可触民)政党BSPのマヤワティ党首などは、上位カーストの公務員苛めに大いに喜びを見出し、演説の91%を社会的公正の実現と称して「ダリットに職を」と唱え続けたと言う。
   また、政治には、誘拐殺人などは日常茶飯事とかで、ニューデリーの545人の下院議員のうち100人近くは、一度か二度かは何らかの罪で起訴されたことがあると言う疑わしい背景を持っており、当選すると有罪にするのは実質的に不可能となるので、政治家になったと言うケースが多くて、富と権力を持ったマフィアの親分は、恰好の議員候補だと言うことらしい。

   著者は、ヒンドゥー至上主義など、もっと、根本的な政治的な動向について興味深い議論を展開しているのだが、いずれにしろ、中国とは違った民主主義インドが、現実に抱えている複雑なカースト問題が引き起こしている、民主化・社会的公正問題の帰趨が、今後、大いに注目を集めるであろう。
   ヨーロッパのように成熟した市民社会の実現が、如何に、難しいかと言うことでもある。

   
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わが庭の歳時記・・・ユリとフェイジョアが咲き乱れている

2011年06月23日 | わが庭の歳時記
   イングリッシュ・ローズやフレンチ・ローズの2番花が咲き始めているのだが、最盛期と違って、一気に咲くことはないので、少しさびしい。
   ミニバラの方が、萌芽力が強いのか、次から次へ咲き続ける感じで、色とりどりに摘み取って、コーヒー・カップに差して見たら、これが、中々趣があって、卓上を飾ってくれる。

   庭には、今、トマトの黄色い花を除けば、華やかに咲いているのは、ユリである。
   「立てば芍薬、坐れば牡丹、歩く姿は百合の花」と言われることからも、日本では、代表的な花なのだが、室内に生ける時には、雄蕊を切り落とさなければならないので、一寸、美的感覚が削がれるのが難と言えば難である。
   ユリは、西洋でも、かなり古い時代から栽培されていたようだが、幕末に、シーボルトが、日本のユリの球根を持ち帰り、それが、品種改良されて、カサブランカなどと言った豪華な花に進化して、里帰り種も加わって、今では、実に華やかなユリから、ひっそりと咲く清楚なユリまで、随分種類が増えて楽しませてくれている。
  
   私など、球根を買う時には、ユリの銘柄や名前などを注意して選んでいる心算だが、咲く頃になると、花のタグもどこかへ消えており、すっかり名前や能書きなど忘れてしまっているので、どんな花が咲いているのか、全く、無頓着で、美しければ良いのである。
   この口絵写真も、地植えと鉢植えのユリが重なって、地面を這うようにして咲いているところを写したものだが、最近では、昔やっていたように綺麗に咲いた鉢植えを玄関口に移動すると言ったことはせずに、最初の置き位置で、そのまま、楽しんでいる。

   フェイジョアの花も咲き出した。
   この春に、庭の剪定で、殆ど幹だけ残して切り詰めたのだが、萌芽力が強くて、細い枝が沢山出て、そこに花芽を付けたのである。
   しかし、やはり、枝が弱くて地力がないのか、花が少し小さくて貧弱な感じで、中々、写真に堪える花はない。
   昨年は、何故か、異常に実を付けたのだが、今年は望み薄である。

   柑橘類は、昨年不作だった柚子に、びっしりと小さな実がついていて、今年は、豊作である。
   一昨年は、取り切れずに、相当数枝に残したまま放置してしまったのだが、柚子ジャムを作るのが上手な知人に、今年は分けようと思っている。
   今年は、キンカンのプチマルも、オレンジレモンも、地植えにした所為か、花が咲かなかったので、当然、実は期待できない。

   人気上昇中とかに便乗して、今年は、ゴウヤのプランター植えで、緑のカーテンを作ろうと思って、二階のベランダまで、網を張った。
   上と下に、固定式のバーを設営して、その間は、碁盤目状に張ったビニール製の網を張るだけなのだが、問題は、庭に向かったオープンスペースなので、台風などの強風に煽られた場合に、耐えられるかどうかである。
   ゴウヤの苗は、娘婿が沖縄で買って来た種を蒔いたのだが、5本発芽したので、植え付けたら、網を這い上がり始めている。
   南南西に向いた西日の強い窓辺なので、うまく行けば、室温を下げるのに好都合かも知れないと思っている。
    

   
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みずほフィナンシャルグループ第9期定時株主総会

2011年06月21日 | 経営・ビジネス
   東京フォーラムで開かれたみずほフィナンシャルグループの株主総会に、久しぶりに出た。
   いつも、総会集中日に開かれていたので行けなかったのだが、今年は、他のメガバンクよりも1週間早い開催なので、あの広い会場も、2階後方まで株主が入っていて、盛況(?)であった。
   今年は、大震災時のシステム障害問題に加えて、みずほ証券が、カネボウの評価価格に異常な安値を付けたとかで、定款変更の株主提案が提示されていて、その説明などもあった所為で、3時間19分とかなり長い総会になった。
   私は、どうにか、株主の最後の質問内容を聞いた段階で、会場を出たのだが、会社提案は承認され、株主提案は否定されたようである。
   当日、夕刻、みずほのホームページを開いたが、株主総会について一切記事はなかった。
   みずほの広報政策の在り方を疑わざるを得ない。

   私の今総会の第一印象だが、塚本隆史社長が、みずほ銀行社長&みずほFG会長として、創業的出直しとして不退転の決意でやり抜きたいことが3つあるとして提示したのが、
   1.システム障害
   2.ONE BANK
   3.顧客および株主との信頼関係の回復 と言った事後処理、後ろ向きの業務目標ばかりであったのだが、これに象徴されているように、
   本来企業があるべき姿としての使命や目的と言った大袈裟なことを言わなくても、とにかく、どのような戦略で経営を行って利益を追求して行くのか、企業としての前向きの姿勢などについては、「みずほの変革プログラム」と言った抽象的で意味不明の能書きばかりで、一切語らなかったことへの失望である。
   ビジネス戦略には、グローバル、グローバルと、何でもかんでも枕詞としてグローバルと言う形容詞が連呼されているのだが、国内のビジネスさえまともに実施できずに信用を失墜していて、どうして、激烈な競争場裏の世界へ打って出れると思うのであろうか。

   株主から激しい怒号さえ飛び交っていたのだが、今回の2度目のシステム障害などは、言語道断であろう。
   本来、まともに機能していて当たり前の筈のシステムが、あれだけ世間を騒がせたにも拘らず、再び障害を起こすなどと行ったことは、誇り高きみずほにとっては、屈辱中の屈辱であろうが、余程、経営の質が悪いか、ガバナンスの欠如であるとしか思えない。
   昔は、ATMシステムにしても、すべて、銀行の窓口で銀行員が行って来ていたのだが、ACTデジタル革命によって、アルビン・トフラーの言う「生産消費者」よろしく、すべて、顧客に代行させておきながら、厚顔にも手数料さえ取ると言う精神が間違っているのだが、
   尤も、このシステムなどは、銀行のトップ経営者には、水や空気と同様で、手足のように機能しておれば良しと言うことで、経営の重要問題だと言う認識さえなかったのであろうが、健康と同じで、一たび失えば、そのダメッジは致命的となる。

   ONE BANKと言葉で意図する経営の一本化などは、合併当初からの最も基本的かつ最も重要な戦略戦術である筈で、恐らく、あまりも当然過ぎて、ビジネス・スクールの教材にさえもならない程だと思うのだが、2000年9月の創業だから、10年以上も経ってから、寄り合い所帯のオリジナル3行の人事面などの抜本的改革で統一しようと言うことであろうが、それも、臆面もなく、株主総会で、あたかも、大改革のように経営戦略の目玉として世界に向かって発表すると言うのだから、経営者の神経を疑わざるを得ない。
   これまで、みずほグループの業績が思わしくなかったのも、2度にわたるシステム障害を惹起した問題も含めて多くの問題の大半は、一本化されなかった3行並立の経営にあったことは、疑いもない事実であろう。
   三菱のように殆ど吸収合併に近い形の合併なら問題は少ないだろうが、合併会社の経営の一本化は、必須中の必須である筈だが、多くの金融機関が殆ど瀕死状態に陥った金融危機やリーマンショック以降の世界的金融危機などで死地を彷徨っていたにも拘わらず、懲りずに、役員を均等に割り振った3行並立混交経営(?)から、本来なら単純なルーティン・ワークにしか過ぎない筈のシステム障害に至って、やっと、目覚めたと言うのだとしたら、寂しい。

   ところで、ONE BANK構想の柱として、みずほ証券をみずほコーポレートに、みずほインベスターズ証券をみずほ銀行に、そして、みずほ信託を直接、株式交換で完全子会社として吸収して、将来3行の統合を図ることとしているようだが、この戦略の是非については、経営如何にもよるのだが、問題点の多い経営戦略であり、疑問なしとしない。
   私などは、今でさえ組織が巨大過ぎて、知恵が総身に回りかねて経営に齟齬を来しがちなのに、統合すればする程、益々、動脈硬化を起こすのではないかと思っている。
   どうも目的は、意思決定の迅速性や戦略の機動性を高め、環境変化に対応できるグループ経営体制の構築や、総合金融サービスのフルライン機能をシームレスに提供するグループ連携体制の強化や、業務の集約やコスト削減などによるグループ経営効率の向上などを企図しているようだが、そのグループ体制、グループ体質、グループ意識、そして、総合システムが、今日のグローバルビジネスにマッチしたものなのかどうか、大いに疑問だと思っているのだがどうであろうか。
   ONE BANK構想が、経営の一本化と、組織の統合とを同一視しているとは思わないが、もし、そうなら深刻である。
   

   お客様第一主義と言う言葉を、あたかも金科玉条のように塚本社長は連呼していたが、最も大切なことは、今回のような後ろ向きの経営ばかりに注力するのではなく、グローバル企業としてまともに通用する価値ある経営を追及して、経営の質の向上によって顧客に報いることであることを忘れてはならない。

   ひとつ、気になったのは、株主が、システム障害についての金融庁の評価と経営の判断などの違いなどについて、監査報告との関連で監査への質問を行った時に、回答を監査役に振らずに、副社長に答えさせていたいたのは、問題ではないかと思っている。
   また、役員の報酬開示について、社外取締役主体の報酬委員会が公正に対応しているので問題ないと回答していたが、委員会制度を導入していないし、株主からお飾りの社外取締役は無用だと言う発言があったように、このような面でも、コーポレート・ガバナンスには、多くの問題があるように感じた。
   
   株価についての質問もあったが、経営が一向に改善せず、業績もパッとしない状態で、自己資本比率アップのために増資に増資を重ねて、今回も、また、授権資本枠の拡大を目論んだ定款変更を行うのであるから、上がる筈もなく、今日の終値は121円、PERが6・06、PBRが0.70だから、何をか況やである。
   間違って株を買ったと発言した厳しい株主がいたのだが、私など、興銀が最盛期の頃に買った株を売りそびれて持っているので、損失も甚だしいのだが、これも資本主義だから仕方がないのであろう。
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トマト栽培日記2011~(10)トマトベリー、イエローアイコが色づき始めた

2011年06月20日 | トマト・プランター栽培記録2011
   ミニトマトが少し色づき始めた。
   この口絵写真は、トキタのトマトベリーだが、もう少しすれば完熟する。
   残念ながら、1番花房には2つしか結実しなかったが、2本仕立てながらも、2番花房以降は、びっしりとブドウ房状に実がついており順調に育っている。
   2本とも、5番花房上くらいで摘心しようと思っているのだが、熟成すれば真っ赤な実になるようだが、ミニとしては大きい方であろうか。

   サカタのイエローアイコも、実が白く変色して黄ばんできた。
   長円形の優雅な大型のミニトマトだが、実成りが良くて、毎年植えているのだが、木が華奢なのだけが気になる。
   赤いアイコは、まだ、緑の実が硬い。

   もう一つ、黄色いシュガーオレンジも色づき始めた。
   しかし、このトマトの説明タグには、生産者の社名など一切明記されていないので、どこのトマト苗か分からない。
   良ければ、どこのトマトでも良いわけだけれど、商業道徳に反しており、次からは絶対に買わない。
   園芸店には、地元の農家などで育成した安い生産者名不明のトマトなど野菜の苗が売っているのだが、たとえ、2~3百円の商品でも、品質管理は勿論、その後の照会やアフターサービスなどにも責任を持つべきで、農水省も考えるべきであろう。
   尤も、園芸店の他の苗などでも、生産者不明の商品が結構多いし、花木などに至っては、バラや牡丹、芍薬など特別なもの以外には、殆どタグや説明さえ付いていないのが普通だが、私など、多少生産者が誰かと気にしている方なので、苗や植木などにしても、ブランドと言った大袈裟なことは言わないにしても、生産者名や照会先くらいは明記すべきだと思う。
   植木や苗と言った園芸店で扱っている商品は、生き物であり、枯れたり萎れたり損傷が激しく、それが常態なので、品質保証や責任の取り方などは殆ど不可能だとは思うのだが、生産者の名前や所在が分かるだけでも、消費者には助けになる。

   他のミニトマトは、小桃もアミティエも、たわわに実を付けているが、まだ、緑色で実が硬い。
   中玉トマトの実もしっかり大きくなってきているが、まだ、色付きまでには間がありそうである。
   今回植えたトマト苗で、完熟むすめが、一番、まともに生育し実成りも良い。
   次に良いのは、タキイのティオ・クックとクック・ゴールドの料理用トマトである。

   残念ながら、タキイの大玉トマトは、桃太郎ファイトも桃太郎ゴールドもファンタスティックも、結実しても黄変して落果が激しく、それに、花自体が歪になって咲く所為か、結実しても形が歪で黒変したりするのがあって、教科書通りに、果房の実を3つ4つ残して摘果するなどと言った芸当は望み得ない状態である。
   他のトマトと殆ど同じ条件で、野菜培養土を使って植えて、薬剤散布や追肥も行っているので、何故なのかは分からないが、サカタやデルモンテに切り替えるにしても、もう遅いので、3番花房以降は、どうにか、花が付いているので、後は気を付けて育てようと思っている。
   勿論、上手く結実して成長している実は、数は少ないが、順調に大きくなっており、もう少し経てば色づくであろう。
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アカデミー賞映画「ブラック・スワン」

2011年06月17日 | 映画
   久しぶりに映画を見に出かけた。
   アカデミー賞の最優秀主演女優賞を取ったナタリー・ポートマンの魅力全開のバレー映画であるが、チャイコフスキーのバレー音楽「白鳥の湖」に着想を得た物語の意外な展開にも驚いたが、とにかく、凄い映画である。
   昔、娘たちが小さかった頃には、外国にいた所為もあって、ボリショイやロイヤル・バレーなどの「白鳥の湖」を見に良く出かけて行ったので、あの華麗な白鳥たちの舞の素晴らしさを良く覚えている。
   今回の映画では、白鳥の女王オデットが、呪いが解けないので絶望して湖に身を投げると言う原典どおりのエンドであるが、ハッピーエンドで終わる演出もあり、オデットを誘拐する悪魔ロットバルトや、悪魔の娘オディールが化けた黒鳥に誘惑される王子などの息詰まるシーンにわくわくして見ている娘たちと一緒に、32回連続のフェッテ(黒鳥のパ・ド・ドゥ)などのダンサーたちの超技巧を楽しんでいた。
   しかし、私がクラシック音楽に興味を持って聞き始めたレコードの一つが、カラヤンのフィルハーモニア菅やアンセルメのスイス・ロマンド管の「白鳥の湖」であったから、あの甘味でモノ悲しくて美しいメロディーが、何かの拍子に頭の中を過ぎることがあり、私にとっては、白鳥の湖などのチャイコフスキーの3大バレーは、懐かしい思い出と一体なのである。

   ところで、映画と言えば、主役を演じる映画俳優の素晴らしい演技に感嘆しきりだが、今回の「ブラック・スワン」のナタリー・ポートマンは、殆ど、スタントを使わずに、自分自身で、あの華麗なバレーを演じ続けたと言うのだから、驚異と言う外はない。
   ナタリー・ポートマンがこの二ナ役を演じるために、毎日5時間・10ヶ月をかけて、元ニューヨーク・シティ・バレエ団のメアリー・ヘレン・バウアーズが主催するBallet Beautifulというトレーニング法で、バレリーナとしてのしなやかな肉体を作り、バレーをプロ並みに習得したと言う。

   しかし、この映画のポイントは、一人のプリマバレリーナが、純真無垢で清楚な白鳥のオデットと、オデットを陥れるために王子を誘惑する官能的で邪悪な悪魔の娘の黒鳥のオディールを踊ることで、その両方を熟し切る新進気鋭のプリマを選ぶこととなり、ニナが挑戦するのだが、元々優等生で清楚な彼女が、一挙に、黒鳥を演じきれないところに葛藤と悲劇が巻き起こる。
   私の若い頃には、あの32回転連続のフェッテを完璧に踊れるプリマが少なくて、オデットとオディールを別なバレリーナが演じることがあり、これなら、この映画のストーリーが成り立たないのだが、今では、技術が向上しているので、このストーリーは当然として意味を持つ。
   ニナの挑戦は、官能的でセクシーな黒鳥になり切ることで、バレエ団のフランス人監督トマス(ヴァンサン・カッセル)から、ブラック・スワンを演じるために自分自身で性の喜びを追求せよと言われ、何度も練習の後に、相手の王子役に「彼女とやりたいか?」と聞くほどで、妄想シーンも含めて、ポートマンのR15+の濃厚なシーンが展開される。
   黒鳥を踊らせればぴか一の情熱的で自由奔放なメス豹のようなライバルのリリー(ミラ・キュニス)に先を越されはしないかと言う恐怖が付き纏い、ニナは、夜遅くまで練習を繰り返し、踊りに悩み悩んでいると、リリーと監督トマスが舞台裏で激しい濡れ場を演じている強烈な幻覚症状に襲われるなど、錯乱状態が頂点に達する。
   
   結末は、想像を越えた展開で印象的。
   初日の舞台に立ったが、また、幻覚が現れて、王子のサポートが悪くて落下して憔悴しきって楽屋に帰ると、そこにはブラック・スワンの化粧をしているリリーの姿があったので、踊るのは自分だと彼女と争い、割れた鏡のガラス片で刺殺して、その死体を隠し、第三幕を踊るため、ブラック・スワンとして舞台に登場し、圧倒的な超絶技巧で観客を魅了する。
   幕間に、入魂の演技に感激したリリーが、激励に現れたので、争ったことは幻覚で、鏡の破片で刺したのは自分自身だと知り、純白の衣装の腹部に血糊が。
   再び舞台に登場して完璧に踊り切り、最後の白鳥が崖から跳び下りて自らの命を絶つ壮絶なシーンに客席は総立ち。舞台裏のベッドに落ちたニナの脇腹は真っ赤、恍惚の内にニナの意識が消えて行く。

   夢と現実、妄想と葛藤の中でリリーを押しのけて主役を張り続けたニナの魂が、起死回生の黒鳥を開眼させたのであろうか。ハーバード大学で心理学を専攻した優秀なポートマンにとっては、本当は、白鳥と黒鳥のミックスも、或いは、妄想と現実を行き来する精神状態や心の軌跡の表現なども、心理分析はお手のもの、完璧な演技に加えて、それを超越した綿密な計算あっての舞台だったのであろうか。
   とにかく、バレーに全身全霊を打ち込んで頂点を目指した役者魂の鑑とも言うべきポートマンが、女優のみならず人間として限界に挑戦した作品であるから、その凄さに、正に、脱帽である。
   幼少の頃に、アメリカに渡ったと言うが、精神的にはユダヤ人を押し通しているようだが、やはり、と言う気がするのも不思議ではなかろう。

   ところで、リリーを演じているミラ・キュニスだが、美人ではないが、中々、コケティッシュで魅力的な女性で、ポートマンとの対照の妙と言うか、組み合わせが良くて、楽しませてくれた。

(追記)口絵写真は、公式ホームページより借用。



     


   
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台頭するブラジル(仮題 BRAZIL ON THE RISE)(10) トロピカル・ライフスタイル~その2 ビーチ

2011年06月16日 | BRIC’sの大国:ブラジル
   ブラジルでは、原住民トゥピ族が紀元前9500年頃から、内陸部のジャングルや山岳地域を避けて海岸線に住んでいて、その後も、ブラジル人は、海のないようなところであろうと何処に住んでいても、ビーチを作り、大きな川の岸辺にビーチ文化を作ると言う。
   ブラジル人にとってのビーチは、古代ギリシャのアゴラのようなもので、公共の場でも最もパブリックで、そのためにも、最もデモクラティックなところだとみなされているのだと言う。

   ビーチは、伝統的に、偉大な社会の平等の場だと考えられていて、人類学者のロベルト・ダマッタは、そこでは、老いも若きも、金持ちも貧乏人も、あらゆる職業や地位の人間が、全く同じように、裸同然の姿で肩を摺り寄せて、防御も偽装もすることなく、会い見えるところだと言っている。
   ブラジルのビーチは、米国や南アのように、人種によって正式に分離されていないし、貧乏人を排除することもなく、1988年憲法には、ビーチは、ブラジル人総意の委託によって国民に所有される公共の土地だと規定されていると言うのである。

   まず、ブラジルの原則的な建前を述べて、実はと言って、現実をどんでん返しで語るのが、著者ローターのやり方だが、これも、これまでの議論は、原則であって、実際は、かなり、複雑だと言うことである。
   すなわち、現実には、階級、人種、年齢、男女の違いや、或いは、偏見などによって、ビーチに対する対応に差があり、特に、リオでは、それが顕著である。
   リオでは、イパネマとコパカバーナのビーチが有名だが、ほぼ半マイル毎に地区が護衛ステーションで区切られ、12POSTOに分かれていて、夫々地区毎に、違った社会的経済的な種族がその文化をアピールしていて、毛色の変わった異種族の人間を寄せ付けないと言う。
   このPOSTOにも、格式表示がなされてプレスティージに差があり、9番ポストがトップで、格式の高い高級なビルにいるセレブや金持ちの子供たちが、大晦日のどんちゃん騒ぎで、海岸通りの歩道に向かって卵を投げつけている光景をYou Tubeで見られるようだが、決まって標的になるのは、貧しい身なりの人々だと言う。

   ところで、ブラジル人は、アメリカ人と違って、ビーチに来ても、いくら、良い天気で波が穏やかであっても、水の中に入らない。
   前述したように、ブラジル人にとってビーチは、リクリエーションの場ではなく、広場や街角のような公共の、社交の場なのである。
   結婚式が執り行われたり、政治家がキャンペーンを張ったり、ビジネスの宣伝広告の場であったり、空には、広告バーナーを棚引かせた飛行機が飛んでいたり、販促員が、街頭で日用雑貨などの試供品を配っていたり、それに、音楽家や街頭芸人たちが芸を披露するなど、正に、広場そのもので、ブラジル人たちは、あっちこっちに屯して、飲んだり食べたり喋ったりして、一日をビーチで過ごすと言うことである。

   ところで、興味深いのは、このような、ビーチ・コミュニティとも言うべきパブリックの場が、有効に機能するのも、サーバント・クラスの貧しいビーチ労働者があってこそなのである。
   人々がビーチに到着すると、キオスクの人たちが、椅子や日よけテントなどを貸出し、お馴染み客には、既に、場所を設定して準備しており、ビーチの砂上で屯する客には、売り声も派手に、飲み物やアイスクリームやサングラス、Tシャツ、ローション等々を行商露天商たちが売り歩く。
   しかし、これらの露店商人たちは、労働者階級が住む遠い郊外から来ており、妻や子供たち家族全員が、売るための飲み物やカバブなどの食べ物を家で総がかりで作り上げている。夏シーズンには、彼らは、ビーチで寝て料理をして、遅日の月曜日にだけ家に帰る。
   リオ、サルバドール、レシフェと言った長い海岸線を持つ沿岸の大都市の外れのビーチに、彼ら低級労働者であるサーバント階級の住居地帯があるが、大半は、製油所や化学工場がある工業地帯であったり、岩が飛び出ていたり、公害に汚染されたりした劣悪な状態であり、更に、リオのファベーラに住む最貧階層は、糞尿やバクテリア塗れのラモスのようなビーチに行くのだと言う。

   私がサンパウロに住んでいた時は、しばしばリオを訪れたが、治安も悪かったし他での用事もなかったので、殆ど、コパカバーナの高級ホテルに滞在して、高級ビジネス街で仕事をしていたので、リオの暗部は知り得なかった。
   しかし、リオの豪華な高層ビルが立ち並ぶ美しいコパカバーナやイパネマの街の背後には、びっしりと、貧民窟の密集するファベーラが並んでいて、その富と貧が併存する奇妙なブラジルの景観に、強烈なカルチュア・ショックを覚えた。
   あの黒いオルフェのサンバ・グループが、このファベーラから降りて来て、リオの繁華街で踊り明かすのだが、水と油の異様なミックス社会の現状は、今でも、殆ど変っていないと言うから驚きである。
   文明国では、山の手が高級街だが、未開国家や遅れた国では、インフラが伴わないので、海岸線にしか高級街や繁華街は作れないのである。

   むしろ、最近では、ファベーラの急速な拡大によって、増加の一途を辿る灰燼や廃棄物が、エリート階層が住むビーチや住環境を汚染し、時には、麻薬ギャングの抗争による犠牲者の肉片が、ビーチを洗うことがある。
   それに、悪質な盗難が横行し、ファベーラから降りて来た若者たちの集団強盗も頻発しており、抵抗すれば、手ひどい被害を受けるだけだと言う。
   リオは、世界に冠たる観光地であるから、政府や国民も名誉回復のために、あらゆる手を打っているようだが、あまりにも酷い社会的経済的格差が存在しており、それも、目の前で厳然とその格差と差別を見せつけられている以上、貧困層や劣悪な労働環境に置かれている底辺の人々の、生活水準や生活環境を、根本的に向上させない限り、問題の解決にはならないであろう。

   リオでのオリンピックでの治安が、問題視されている。
   今でも、サンパウロでは、治安が悪いと友人が言って来ているのだが、経済社会の底辺を底上げする以外に解決法はない筈。
   ブラジルでは、貧しい底辺から這い上がったルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァが大統領になって以降、現在のジルマ・ヴァナ・ルセフ大統領も、圧政に苦しんだ歴戦の闘志であり、弱い者たちの地位向上と生活水準のアップに必死に取り組んでおり、ブラジルの奇跡的な成長も、このあたりにあり、大いに、期待できると思っている。
   
   話が、また、横道にそれてしまったが、いずれにしろ、トロピカルの陽光燦々と輝く真っ青なビーチが、ブラジル人にとっては、最高の生活舞台であることには変わりはない。
   飛行機の窓から見たリオの光景は、本当に美しかったし、アマゾンの延々と続くジャングルとともに、私の強烈なブラジル・イメージの始まりであった。
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わが庭の歳時記・・・イングリッシュ・ローズからミニバラへ

2011年06月15日 | わが庭の歳時記
   咲き乱れていたイングリッシュ・ローズやフレンチ・ローズは、一番花が終わって、二番花の小さな蕾をつけ始めたが、急に、緑の葉っぱが豊かになった感じである。
   先月、買った新しいバラの株も、枝が伸びて、蕾を付けはじめていたが、秋までに、少し株を大きく育てるために、皆摘み取った。

   ところで、早く咲いて枝を切り戻していたミニバラの2番花が、一斉に咲き出して賑やかになった。
   チューリップではないが、赤白黄色と、色変わりのミニバラを育てているのだが、花の形は、小さいながらも、殆ど、ハイブリッド・ティーに似て、優雅である。
   多少、手入れに手を抜いてしまっていたので、黒星病を誘発して多くの葉っぱを落としてしまったので、本当は、花を咲かせずにおいた方が良かったのであろう。蕾の多くが、梅雨の雨にやられて、黒変したり傷んでしまった。
   アジサイなどは、雨が降ると活き活きするのだが、バラの花にとっては、多少なら水滴がついて美しいのだけれど、雨は、やはり大敵で、薄くて柔らかい花弁が変色したり傷んでしまって痛々しくなる。
   しかし、園芸店で売っている鑑賞用の小さなミニ鉢植えのミニバラも、鉢増しして、それなりに肥培すると、株がかなり大きくなって、花も大きくなり、見栄えがするようになって面白い。

   アジサイだが、柏葉アジサイは咲き乱れているのだが、今年は、何故か咲いておらず、多少小さな蕾を付けているものの時期遅れとなるので、あきらめた方が良さそうである。
   ユリの蕾が、急に色づいて、咲き始めた。
   どんなユリを植えたのか、全く意識していないのだが、ユリの花だけは、毎年、球根がそれなりに育って、律儀に花を咲かせてくれる。
   今年も、結構、鉢植えしている。咲き終わると、庭にそのまま移しているので、少しずつ、庭にユリの花が増えて来ているのだが、やはり、根付くのは、高級な花ではない場合が多い。

   玄関脇に、大分前に、金明竹を植えたのだが、地下茎を遮断する手段を講じなかったので、今年は、随分遠くまで地下茎を伸ばして、あっちこっちから、筍を伸ばし始めて、気付かない内に、大きくなってしまったものもある。
   以前は、意識して、筍の下を深く掘り起こして地下茎を取り除いていたのだが、上に伸びた筍や竹を地面から切り取れば、それ以上生えてこないと言うので、そうしており、今年も片っ端から、筍を潰しにかかった。
   この金明竹は、稈が黄色で芽溝部に緑色の縦縞があるすっきりとした上品なマダケなので、鉢植えにすると鑑賞用に良いのだろうが、ブッシュじょうたいになると、やはり、竹は竹である。

   枇杷の実は、今年は、かなりついたのだが、やや小ぶりだけれど、何故か、不思議にも小鳥がつつかなかったので、収穫することが出来た。
   ブルーベリーも、昨年、不作だったので、今年は、まだ青いが、びっしりと付いている。
   何度も、新たに、ブルーベリーの苗を植えたのだが、育たず、20年近く経つ1本だけが、大きな木になって、花が咲き実を付け続けている。

   ほんの先日、植木の手入れをして貰ったと思っていたのだが、春の新緑の成長は、予想外に早くて、庭が鬱蒼として来た。
   トマトのプランターを並べて、沢山の支柱を立てたので、正に、戦場である。
 椿は、枝透かしなど剪定を行ったのだが、少し、遅れてしまったが、梅雨の合間を縫って、新緑の芽吹きでうるさくなってきた庭木を、思い切って、ばさばさやろうと思っている。
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エドワード・ルース著「インド厄介な経済大国」(1)インドの現実に見るガンディーとネルーの功罪

2011年06月14日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   今や、日本人一般のインド像は、BRIC’sの一国として経済成長著しい新興国の雄として、中国と並ぶ大国としてのイメージが強烈だが、案外、深刻なインドの陰の部分に言及されることは少ない。
   エドワード・ルースの「インド 厄介な大国」を読んでみて、2年前にブックレビューで触れたダニエル・ラク著「インド特急便!」と同様に、敏腕ジャーナリストの目から活写したやや辛口のドキュメンタリー・タッチのインド・レポートの大著で、非常に面白い。
   ルースはFT、ラクはBBCであるから、両人とも元宗主国のイギリスからの視点からなので、フリードマンなどのアメリカ人ジャーナリストとは違った文化文明史的な観点からの分析が加わっていて、興味が倍加する。

   この本の原題が、「In Spite of Goods: The Strange Rise of Modern India」と言うのだが、副題の「現代インドの不思議な台頭」が示すように、成長著しいインドの性格は風変わりで、
   国際舞台でようやく経済的、政治的に重要な大国として台頭して来たが、極めて宗教的、精神的で、ある部分では迷信社会で、
   大国の中で唯一、一定規模の中産階級が育つ前に、かつ、識字率が十分に高まる前に、完全な民主主義を発展させ、
   広範な産業革命を経ずに、競争力のあるICT等の先進サービス産業を軸にした急速な経済成長で経済大国化、
   それに、政治に至っては、小さな政党の乱立で、統制のとれない24党連立政権で動く民主国家であり、政治的腐敗と行政不信が蔓延、
等々の、当時も今も、他の国には見られないような様相を呈していると言うのである。

   著者は、20世紀のインドの3人の重要人物、ガンディー、ネルー、ビームラーオ・アンベードカルが、現代のインドにどれだけ影響を与えているかを論じていて、現在のインドを考える上に、非常に興味深い示唆を与えているので、私なりに、ガンディーとネルーに対する説明を敷衍しながら考えてみたと思っている。
   
   まず、ガンディーだが、独立運動のへの求心力を高めるために宣言された、インド社会の将来を支えるのは地方の農村だと言うガンディーの信念を今でも支持しているエリート層が沢山いて、インドの国の中心の神聖な場所には村があるべきだと信じ続けて、その信念が、優れた都市計画を進めようとする試みの障害になっていると言うのである。
   インドの文化的誇りと欧米の物質主義への深い軽蔑に裏打ちされたガンディー主義は、単に自由への闘争を鼓舞すると言う戦術と言うだけではなく、社会は如何に組織されるべきか人はどのように生きるべきかと言った哲学でもあり、これが、現在のインド知識人階級の考え方に影響を与え続けている。
   実際にも、世界の趨勢とは逆行して、インドの都市化率は、経済成長にも拘わらず、減速している。

   これに真っ向から反発しているのが、マンモハン・シン首相で、中国も先進国総てもそうしてきたように、インドの将来は、より良い都市化の推進によって、大勢に職を提供して、経済成長を高めない限り、国民全体の安全が脅かされる。どれ程、むさくるしいスラムであっても、生き地獄のような考えられないような経済的、社会的環境に喘ぐ貧困層や下位カーストにとっては、村(シンは、村を一種の牢獄だと言う)よりはるかにましである。
   更に、村を賛美する都市のエリート層は、せっせと私腹を肥やして、自分の生活を可能な限り快適なものにし、その後、梯子を外して他の者が同じチャンスを手に入れようとすれば阻もうとする。都市行政の質を改善して、貧困層にも定職を提供しなければ、明日のインドはないと説くのである。
   (この問題は、かって、ラジヴ・ガンジー首相が、インドで支出される開発費の内85%は官僚の懐に納まっていると暴露した様に、極に達している政治的腐敗と行政不信、そして、その悪辣さを語らなければ、片手落ちだが、これは、次回以降に回す。)

   さて、次は、ネルーの影響である。
   インドがBRIC’sの大国として始動しはじめた1991年以降、ネルーは、40年間も社会主義的な官僚体制で国を縛り上げた救いようのない理想主義者だとして否定する向きがある。
   しかし、同じ社会主義体制と言っても、ソ連型ではなく、イギリス流のフェビアン協会系の社会主義を導入したので、比較的穏健であり、民主主義は温存できたのは幸いだと言うべきだが、今回問題とするのは、この点ではなく、ネルーの国家主導型社会への崇拝・近代化政策の方向性の問題である。
   ネルーの基本構想は、スワデシ(国産品愛用)を目指す経済で、この経済モデルを始動させるために、各分野の経済活動を刺激するような一連の大型プロジェクトを推進した。
   しかし、当時、インドが必要としていたのは、地方の土地改良を進め、国民を食べさせるための穀物生産を飛躍的に高めることで、将来の成長の足掛かりを築くことであった。農民が必要としていたのは、毎年やってくる予測不能なモンスーンに左右されないための地方の灌漑だったのである。
   政府が作った国営の製鉄工場やアルミ精錬所は殆どが赤字で虎の子の外貨を食い尽くしてインド経済を壊滅状態に追い込んでしまった。

   貧しい国民は、読み書きを学ぶ機会を奪われ、抗生物質や抗マラリア薬を与えられず、貧困から抜け出すチャンスから一切阻害されていたのに、ネルーは、都市の中流階級のための大学や新しい病院の建設に資金を注ぎ込んだと言う。
   ネルーの、一世代の間に国の工業化を達成しようと、インドのわずかな金融資本を大規模プロジェクトに振り向けると言う政策は、国民の大多数が貧困に喘ぎ、殆ど近代社会としてのインフラさえ皆無の最貧国には、最悪の事態を招く以外にはない暴挙であり、1991年までは、経済には見放された国であった。

   ところが、ネルーが、スワデシの目標に欠かせない国内の重工業を発展させるために創立したエリート工科大学IIT5校の卒業生が、シリコンバレーでリーダー的な役割を果たし、更に、インドのICT産業をはじめニューエコノミーを爆発させて、経済発展を遂げて、一躍、インドを新興国のトップに押し上げてしまった。
   また、ネルーの工業化政策は、資本集約的であって、雇用の創出ではなく、インドの技術能力の向上にあったので、現実には、民間部門の多くの工業の分野では、中国を圧倒していて技術優位を誇っている。
   この工業政策の差が、インドと中国の国民に対する雇用と生活に大きく明暗を分けたのである。
   低級な労働集約的な工業から輸出主導に走った中国は雇用の創出によって国民生活を一挙に引き上げたが、資本集約的で殆ど雇用増を見込めなかった技術優位のインド産業は、多くの貧しい国民をローカルの牢獄に閉じ込めたままで、今日を迎えたのである。
   先に、インドの都市化の減速に振れたが、いわば、ガンディーやネルーの国の経済政策の失敗によって、都市の、特に製造業での雇用の成長が減退したことが、厳しい規制が都市のインフラ投資を阻害してきたことに呼応して、インドの都市の近代化を阻害して国民生活を圧迫して来たと言うことであろうか。

   インドは、大きく動き出したが、まだまだ、前途を阻む問題は山積である。
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トマト栽培日記2011~(9)マイクロトマト色づき始める

2011年06月13日 | トマト・プランター栽培記録2011
   今年のプランター植えトマトで、最初に色づき始めたのは、小さな直径1センチにも足りないマイクロトマトであった。
   タキイのメールで、通販を知って、3株買って植えたのだが、樹勢が強くて、どんどん脇芽が出て花をつける。
   インターネットを開くと、結構、記事や写真が出て来るので、案外、広く一般化しているのであろうが、食卓を飾る新しい食材としては、魅力的であろう。
   とにかく、脇芽が出るので、挿し木にしておけば、どんどん、苗木が増えて行くので、初心者にも面白いかも知れない。
   正に、ベランダのプランター植えには、最適のトマトである。
   愛知県の三河温室園芸組合が出荷しているとかと言うことで、特に、新種開発のための掛け合わせや遺伝子組み換えなどを試みたわけではなく、自然に、なっていたと言うから、自然の匠の力は面白い。

   ところで、他のプランター植えのトマトは、中休みの男性的な梅雨が続いているので、何の被害もなく順調に生育している。
   大玉トマトの実つきと言うか、受粉しても首根っこが黄変して落果するのが多くて、結実しても成長するのが少ない感じで、一寸気にはなるが、要するに、何らかの原因で、現在の木に、実を育てて維持する余力なり能力が不足しているからであろうから、残った実を大切に育てようと思っている。
   また、3番花房以上の花房には、沢山の花をつけているので、落ち着くのを待つのが良いのであろう。

   タキイのティオ・クックやクック・ゴールドの料理トマトが、案外、順調に成長している。
   それに、国華園の中玉完熟むすめも、問題なく、成長して沢山の綺麗な実をつけている。
   大玉ではなく、少し小型の中玉程度のトマトの栽培が、一番、苦労がなくて能率的かも知れない。

   ミニトマトについては、二本仕立てにしたのだが、アミティエも小桃も、しっかりした木に育って、順調に結実しており、多少、一本仕立てより、一つ一つの果房のトマトの数は少ない感じだが、遜色があるようには思えない。
   主枝が支柱近くまで伸びて来たので、第5か第6花房上あたりで摘心しようと思っている。
   副枝を、第4か第5花房程度で摘心すれば、都合、10花房を育てたことになる勘定である。
   サカタのイエローアイコなどのミニトマトも順調だが、何しろ、木の幹が細くて弱々しいので、無理がかからないように、花房の数には関係なく、支柱にとどいた段階で摘心しようと思っている。

   ところで、もやしのように生育が悪かった国華園のピュア・クリームと言う黄色いトマトだが、木は小ぶりで多少華奢だが、他のトマトと同じように成長して、しっかりと実をつけている。
   樹勢がそんなに強くなくて、こじんまりとした木なので、プランター植えには楽であり、どんな実が収穫できるのか面白くなってきた。

   今回は、トマト苗を通販で買った方が多いのだが、今現在の結果から見ると、通販苗の方が、園芸店で直接買った苗よりも、良さそうな感じである。
   園芸店では、花房の付いたしっかりした定石通りの、それも、接ぎ木苗を選んで買ってもそうなのである。
   やはり、顧客が特定する通販の方が、品質もそうだが、出荷時期なども含めて、種苗店としては、注意を払う所為かも知れない。
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ピーター・T・リーソン著「海賊の経済学」

2011年06月12日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   先日、増田教授の「海賊」についてコメントしたが、今回は、海賊に興味を持っていた経済学者が、海賊と経済学との関わりを分析して、アダム・スミスの「見えざる手」の海賊版とも言うべき「見えざるフック」の法則を発見して、海賊が如何に合理的な経済人であったか、そして、その飽くなき自己利益追求が、欧米の文明国よりもはるかに早く民主主義制度の導入を促し、時代に先駆けた経済活動を行っていたかと言った興味深い話を満載したのがこの本「海賊の経済学 THE INVISIBLE HOOK: The Hidden Economics of Pirates」。
   海賊の行動・行為を通じて、インセンティブ、プリンシパル・エージェント、ガバナンス、フリーライダー、シグナリング&ブランディング等々経済学の法則・概念を説明し説き起こす経済学タッチの叙述の面白さに加えて、経営学への応用など話題豊富で面白い。

   まず、粗野な犯罪者集団を導くためには、どの海賊船も指導者である船長が必要であった。
   どの組織でもそうだが、長を頂くと、権威の必要性と、そうした権威の導入が正に権力乱用の強いインセンティブを作ると言う相反する組み合わせ、すなわち、「権力のパラドックス」が生じる。
   権力のパラドックスに対する解決策がないと、海賊は協力しないし、そうなれば、犯罪組織を通じて利潤を得ることは出来ない。
   海賊は、この問題を避けるために、マディソンの提案よりも100年早く、民主主義を導入したと言うのである。

   民主主義では、市民が多数意見によって指導者を排除して、新しい指導者を導入することによって、指導者が権力を行使する際の根本的な「抑制と均衡」を維持する。
   驚くなかれ、海賊の場合も全く同じで、一人一票を元に船長は多数投票で決定され、その船長を民主的に制約するために、海賊たちは、どんな理由であろうと、どんな船長でもいつ如何なる場合でも更迭する無制限の権限を与えられていて、更に、皆の利益にかなうように権力を行使することを、船長選出後の儀式で、船長に念を押したと言う。正に、アメリカ大統領の宣誓とおなじである。
   船長が、自分たちの利益に反するような行動を取ったら、船長を肉体的に処罰したり、また、与えられた権限の範囲を逸脱すればすぐに解任されることとなり、実際にも、個々の海賊たちも、船長と、日常的な面では平等で、寝床や支給品なども似たり寄ったりで、船長が他人を犠牲にして特権を確保することなど不可能であった。(取り分としての報酬は、平海賊の2倍に限定されていた。)
   更に、この海賊民主主義も、分権性を導入していて、船長の権限を分割して、支給品の割り当てや掠奪品の選定と分配、船員たちの仲裁、懲罰の実施の権限を、クォーターマスターに譲渡していた。
   この分権性は、いわば、両雄の野心と野心を競争・対抗させて、監視状態において、秩序を維持する働きをさせたと言うから面白い。

   一方、商船の場合には、船主と言うプリンシパルと、船員と言うエージェントが居て、両者の利害が相反しているので、船主は利益確保のために、船長・船員に対する厳しい監視と規制が必要だが、海賊の場合には、盗んだ船なので、プリンシパルとエージェントは同一人・海賊であるために、船員を締めつけて働かせる強権を持った船長が必要ではなく、盗んだ船ゆえに、民主主義が導入できたと言うことである。
   海賊たちは、無法者であるから、合法社会のすべての便益を拒絶していたので、商船の船員のように船長の邪悪な専制と収奪を訴えて行くところがなく、海賊たちにとっては、更なる船長による収奪の脅威の克服は死活問題であり、海賊たちの利己的な利益追及と言う犯罪性こそが、見えざるフックの導きによって、民主的な分権性を生み出したと言うことである。

   次に、ガバナンスの問題だが、海賊たちは成文憲法とも言うべき「海賊の掟」を作り上げて、掟を破った時の罰を決めたり、秩序を乱すなどの「負の外部性」を抑え、怠け者のフリーライダー問題の克服などに至るまで、詳細に亘って海賊行為の掟を規定していた。また、憲法制定や改訂、合意規定は全員一致が必要であり、海賊一人一人が、海賊の仲間入りをする時に署名したと言う。
   獲物なければ支払なし、掠奪品の私物化厳禁等々は勿論だが、秩序維持のためには、窃盗と暴力に対しては、特に厳しかったと言うのだが、全員一致で決め、全員熟知の海賊条項なので、違反者に対しては、極めて有効な脅しとなり、法の順守には強いインセンティブが働いた。
   海賊と言う恐るべき無法集団を維持するためには、入念な私的統治システムが必須だったのである。

   さて、海賊のトレードマークである「髑髏と骨のぶっちがいの旗印」を海賊たちは、「陽気なロジャー」と呼んでいたが、これこそ、海賊が、利潤最大化を実現するために、非常に重要な役割を果たした。
   海賊映画では、派手な戦闘が展開されているが、海賊は、コストを最小限に抑えて利益を最大化することが目的であるから、戦闘コストを最小限にし、戦闘によって獲物や船の損傷などが起こらないようにするために、相手が簡単に制圧できる標的でも、交戦が大嫌いで、闘わずして獲物を仕留める手段を取ることに拘った。
   したがって、この「陽気なロジャー」は、抵抗すればぶち殺すぞ、平和裏に降伏すれば命だけは助けてやると言う海賊のシグナルで、いわば、荒っぽい血みどろの戦いではなく、「平和な窃盗」を保証すると言う海賊のコスト縮小化信号だったのである。
   尤も、海賊が以前に船員として苛め抜かれた船長に合えば、死の折檻を課し、財産の在処を白状しない船員達には、徹底的に殺戮紛いの脅迫をするなど、海賊の恐ろしさを吹き込み、一層恐ろしさを植え付けて、「陽気なロジャー」の恐怖ブランド力を強化したと言うから、いずれにしろ、海賊との遭遇は、恐怖だったのである。

   海賊の最盛期は、1719年施行のイギリスの「海賊抑制改善法」前後のほんの数十年だが、先の増田教授の「海賊」の私掠船がヨーロッパ列強の海での戦いの前哨戦であったと言うのも面白いが、あのどうしょうもないならず者で無法者が、最先端を行く統治制度や経営戦略を駆使して自己利益の追求とその極大化を図っていたと言う事実も非常に面白い。
   民主主義一つにしても、市民社会の成熟だけではなく、悪の社会においても、効率化を追及して行けば、必然的に実現できたと言う事実が何を語っているのか、文明とは何かを示唆してくれていて非常に興味深い。
   
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