JAL401便、久しぶりの海外旅行である。
この成田空港からは、20回や30回では聞かないほど海外へ出入りしてきたのだが、日本からのプライベート旅行は初めてなので、何となく飛行機の旅も新鮮である。
免税店で、ジムへの土産に日本酒を買って、早々にサクララウンジに入って、先ほど買った雑誌サライを読みながら、コーヒーで憩った。
飛行機は順調だったが、少し遅れてヒースローに着いた。最初の頃は、窓から下界を眺めるのが楽しみで、初めてサンパウロからロンドン入ったときには、ウィンザー城の優雅な姿やロンドン郊外の田舎風景の美しさに感激したのだが、今や、何度も通った空港なので何の感慨もなく、入管手続きの煩わしさの方が気になった。EUからの入管はフリーパスだが、それ以外の外国人の入管ラインは長蛇の列。
今回の私の入管は、一寸違って、永住ビザの更新延長である。
ヨーロッパに居た時には、居住者としてイギリス人並に始終出入りしていたので、イギリス人と同様の出入国のスタンプで済んだが、今回は、イギリス出国からの空白が長い。
係官は、パラパラパスポートを捲り、永住許可書を見て、「居住者ですね」と聞いた。運悪く、イギリス滞在中の住所を、ジムの住所が分からなかったので個人住所ではなく、ストラトフォードのアーデン・ホテルの住所を書いてしまっていた。仕方なく、現在仕事の関係で日本に住んでいるが、英国永住であることを伝えて、今回は、ビジネスと観光で来たのだと説明した。「前回いつ頃英国を離れたのだ」と聞いたので、「1年11ヶ月前です」と応えたら、係官は、私の顔をじっと眺めて、入管スタンプを押してくれた。
私の場合は、ロンドンのシティで歴史的な開発プロジェクトを行っていたので、間単に永住ビザを貰えたが、通常では、英国の永住ビザの取得は至難の業で、功成り名を遂げた日本人の音楽家や有名な人々さえ永住ビザが取得できなくて諦めたのを随分聞いていた。おいそれと簡単には永住ビザは下りないうえに、まして、出国すれば取り上げると言うのは当たり前なのであろう。
シェイクスピア戯曲やロイヤルオペラの鑑賞、大英博物館や歴史散策と言った目的もあって、こんなことを2年ごとに数回繰り返して、入管とスッタモンダをしてきたが、結局、間が開いて諦めたのだが、一時、本当に、イギリスで永住しようと思ったことがあった、
懐かしい思い出である。
以前に、同じように、ブラジルの永住権も持っていたが、あの時も、2年毎に入国する必要があり、仕事のこともあって2回ほど更新した。しかし、最後の年に、サンパウロで入管手続きをしようとしたら、入国管理制度が変ってしまっていて、永住許可のIDカードを没収されて、更新手続きを取れと言われた。朝令暮改のブラジルのことだから、規則など2年も持つはずがないのを4年間住んでいて、痛いほど知っているので、仕方がないが、摺った転んだと大変苦労をして入管を潜り抜けた。更新手続きをアミーゴに頼んでやって貰ったが、結局、ブラジルに行けなくなって、これも諦めた。
ところで、ヒースロー空港での余談だが、その少し前に、入管手続きを終えて行こうとしたときに、隣のカウンターで日本人女性がトラブって困っているのに気がついた。
女優の岩崎良美嬢である。
「仕事は何だ」「ホテルは何処だ」「所持金を見せろ」などと問い詰められている。別に異常ではなく、女性の一人旅に対するノーマル・チェックなのだが、程度問題である。
両方への手助けだと思って、係官に近づき、「この女性は、日本では、有名な女優兼歌手で、シェイクスピア役者として活躍している。今回は観光で来ており問題ないでしょう」と横から助け船を出したら、了解して通してくれた。シェイクスピアが利いたのかも知れない。はしたなくも出しゃばったのだが、こんな場合、イギリス人の係官はどう思ったのか、人のことほっとけと言わずに無表情でハンコを押してくれていた。
入管を通過したのは、100回は下らないと思うのだが、人違いで疑われて入管に長く留め置かれたこともあれば、色々なことがあったが、国境を越えると言うことは、いずれにしろ、大変なことなのである。
(追記)口絵写真はウィキペディアから借用。ヒースロー空港。
この成田空港からは、20回や30回では聞かないほど海外へ出入りしてきたのだが、日本からのプライベート旅行は初めてなので、何となく飛行機の旅も新鮮である。
免税店で、ジムへの土産に日本酒を買って、早々にサクララウンジに入って、先ほど買った雑誌サライを読みながら、コーヒーで憩った。
飛行機は順調だったが、少し遅れてヒースローに着いた。最初の頃は、窓から下界を眺めるのが楽しみで、初めてサンパウロからロンドン入ったときには、ウィンザー城の優雅な姿やロンドン郊外の田舎風景の美しさに感激したのだが、今や、何度も通った空港なので何の感慨もなく、入管手続きの煩わしさの方が気になった。EUからの入管はフリーパスだが、それ以外の外国人の入管ラインは長蛇の列。
今回の私の入管は、一寸違って、永住ビザの更新延長である。
ヨーロッパに居た時には、居住者としてイギリス人並に始終出入りしていたので、イギリス人と同様の出入国のスタンプで済んだが、今回は、イギリス出国からの空白が長い。
係官は、パラパラパスポートを捲り、永住許可書を見て、「居住者ですね」と聞いた。運悪く、イギリス滞在中の住所を、ジムの住所が分からなかったので個人住所ではなく、ストラトフォードのアーデン・ホテルの住所を書いてしまっていた。仕方なく、現在仕事の関係で日本に住んでいるが、英国永住であることを伝えて、今回は、ビジネスと観光で来たのだと説明した。「前回いつ頃英国を離れたのだ」と聞いたので、「1年11ヶ月前です」と応えたら、係官は、私の顔をじっと眺めて、入管スタンプを押してくれた。
私の場合は、ロンドンのシティで歴史的な開発プロジェクトを行っていたので、間単に永住ビザを貰えたが、通常では、英国の永住ビザの取得は至難の業で、功成り名を遂げた日本人の音楽家や有名な人々さえ永住ビザが取得できなくて諦めたのを随分聞いていた。おいそれと簡単には永住ビザは下りないうえに、まして、出国すれば取り上げると言うのは当たり前なのであろう。
シェイクスピア戯曲やロイヤルオペラの鑑賞、大英博物館や歴史散策と言った目的もあって、こんなことを2年ごとに数回繰り返して、入管とスッタモンダをしてきたが、結局、間が開いて諦めたのだが、一時、本当に、イギリスで永住しようと思ったことがあった、
懐かしい思い出である。
以前に、同じように、ブラジルの永住権も持っていたが、あの時も、2年毎に入国する必要があり、仕事のこともあって2回ほど更新した。しかし、最後の年に、サンパウロで入管手続きをしようとしたら、入国管理制度が変ってしまっていて、永住許可のIDカードを没収されて、更新手続きを取れと言われた。朝令暮改のブラジルのことだから、規則など2年も持つはずがないのを4年間住んでいて、痛いほど知っているので、仕方がないが、摺った転んだと大変苦労をして入管を潜り抜けた。更新手続きをアミーゴに頼んでやって貰ったが、結局、ブラジルに行けなくなって、これも諦めた。
ところで、ヒースロー空港での余談だが、その少し前に、入管手続きを終えて行こうとしたときに、隣のカウンターで日本人女性がトラブって困っているのに気がついた。
女優の岩崎良美嬢である。
「仕事は何だ」「ホテルは何処だ」「所持金を見せろ」などと問い詰められている。別に異常ではなく、女性の一人旅に対するノーマル・チェックなのだが、程度問題である。
両方への手助けだと思って、係官に近づき、「この女性は、日本では、有名な女優兼歌手で、シェイクスピア役者として活躍している。今回は観光で来ており問題ないでしょう」と横から助け船を出したら、了解して通してくれた。シェイクスピアが利いたのかも知れない。はしたなくも出しゃばったのだが、こんな場合、イギリス人の係官はどう思ったのか、人のことほっとけと言わずに無表情でハンコを押してくれていた。
入管を通過したのは、100回は下らないと思うのだが、人違いで疑われて入管に長く留め置かれたこともあれば、色々なことがあったが、国境を越えると言うことは、いずれにしろ、大変なことなのである。
(追記)口絵写真はウィキペディアから借用。ヒースロー空港。