佐原は、関西や西日本に散在する小京都に良く似た歴史的な雰囲気を漂わせる関東の、数少ない街だが、昨年の東日本大震災の被害を受けて、古くて重厚な日本建築の多くが被害を受けて、今でも、屋根にブルーのシートを被せた老舗の酒蔵や文化的な民家や商店の建物や倉庫が、沢山残っている。
伊能忠敬旧宅も復旧はまだだし、綺麗な街並みをつくっていた忠敬橋の近くの古い建物も殆ど被害を受けていて、旧関西人で蕎麦の苦手な私が良く訪れていた小堀屋本店も閉鎖されていて、数軒離れた昔銀行の建物だったと思しき建物で営業をやっていて、同じメニューでも雰囲気が違うと味まで違う様な気がしてきて不思議である。
古い蕎麦店は、二階建ての店舗で、明治25年に江戸期の様式を再現した建築で、昭和49年に千葉県有形文化財に指定されていて、座敷の手前には蔀戸があると言う非常にムードのある店であった。
間口3間くらいの玄関口には、ガラス障子戸に大きな暖簾がかかっていて、左手の蔀戸の前に置かれた床几の上には、盆栽や季節の花鉢などが置かれていて、何が書いてあったか忘れたが、1階の屋根と蔀上部に、大きな古木を荒削りした板の看板がかかっていて、古風な美しさがあって、バックにして写真を撮る人が多かった。
再建されるのかどうか、現在は、正面はシートを張ったままである。
ところで、今の店は、田舎の公衆浴場のように靴を脱いで上がり、一段高くなった畳部屋が奥にあるが、ガラーンとした広い部屋にテーブルが置かれているだけの田舎のレストランのようで、全く殺風景でムードも何もなく、折角の老舗の蕎麦屋が台無しである。
玄関を入った壁際に飾ってあるのが、この口絵写真のおよそ300年前の鹿革の半纏で、そばや創業よりさらに1世紀ほど前のもので、お祝いなどあらたまった席に着用したものと言い、小堀屋本店の宝物である。
下の藍色の布は、江戸時代の集金用巾着だと言うことで、面白い。
さて、私が、この蕎麦屋で頂くのは、松前の昆布を加工して黒い色を出した黒切蕎麦の天盛りと蕎麦がきと決めている。
イタリアのレストランに行っても、イカの黒墨スパゲッティを探すくらいだから、黒い食べ物が好きなのだが、ここの黒切蕎麦は、腰があって歯ごたえとのど越しが良く、それに、軟らかくて味のシンプルな蕎麦がきとマッチしていて、私は気に入っている。
伊能忠敬記念館の前に、国宝指定記念の立て看板がかかっている。
平成22年6月29日に、2345点の関係資料が国宝指定を受けたのだと言う。
4月26日から5月2日まで、香取市民体育館で「完全復元伊能大図展」が開かれるようだが、もう一つ、近くの駐車場にはためいているのは、「伊能忠敬を大河ドラマに」と大書したブルーの幟旗である。
国宝に指定された記念にと言うことで、推進協議会が結成されて運動をしていると言うことなので、私も賛成署名をして来た。
シーボルトが、この伊能忠敬の日本地図を持ち出そうとして捕縛され、日本から 追放されたのは、1828年のことだが、当時の日本としては、伊能忠敬の偉業は大変なものだったのである。
さて、どうでも良いことかも知れないが、この伊能忠敬記念館の裏に、立派な観光トイレ(厠)が出来ている。
記念館の貧弱なトイレでは、観光客が満足しなかったのであろうが、一寸、雛にも稀な日本建築風のトイレとは思えないような厠で、この日は、玄関口を入った待合用のいすに座って長い間旅のルートを打ち合わせていた女性グループが居たほどである。
ただ、この佐原だが、市町村合併で市名が香取に統一されて、由緒ありかつムードのある佐原が地図から消えてしまっている。
少し前に、この佐原の街中の古風な料亭で食事を頂いたのだが、中々、雰囲気も味も良くて、東京の街中の普通の店などよりは、はるかにエコノミーでコストパーフォーマンスの高い経験をしたのだが、酒や醸造関係の酒蔵や建物などの雰囲気や街並みと言いい、やはり、佐原には、相当良質な歴史と伝統が息づいていて、街角の一寸したところにも文化を感じさせる味わいがあって良い。
伊能忠敬旧宅も復旧はまだだし、綺麗な街並みをつくっていた忠敬橋の近くの古い建物も殆ど被害を受けていて、旧関西人で蕎麦の苦手な私が良く訪れていた小堀屋本店も閉鎖されていて、数軒離れた昔銀行の建物だったと思しき建物で営業をやっていて、同じメニューでも雰囲気が違うと味まで違う様な気がしてきて不思議である。
古い蕎麦店は、二階建ての店舗で、明治25年に江戸期の様式を再現した建築で、昭和49年に千葉県有形文化財に指定されていて、座敷の手前には蔀戸があると言う非常にムードのある店であった。
間口3間くらいの玄関口には、ガラス障子戸に大きな暖簾がかかっていて、左手の蔀戸の前に置かれた床几の上には、盆栽や季節の花鉢などが置かれていて、何が書いてあったか忘れたが、1階の屋根と蔀上部に、大きな古木を荒削りした板の看板がかかっていて、古風な美しさがあって、バックにして写真を撮る人が多かった。
再建されるのかどうか、現在は、正面はシートを張ったままである。
ところで、今の店は、田舎の公衆浴場のように靴を脱いで上がり、一段高くなった畳部屋が奥にあるが、ガラーンとした広い部屋にテーブルが置かれているだけの田舎のレストランのようで、全く殺風景でムードも何もなく、折角の老舗の蕎麦屋が台無しである。
玄関を入った壁際に飾ってあるのが、この口絵写真のおよそ300年前の鹿革の半纏で、そばや創業よりさらに1世紀ほど前のもので、お祝いなどあらたまった席に着用したものと言い、小堀屋本店の宝物である。
下の藍色の布は、江戸時代の集金用巾着だと言うことで、面白い。
さて、私が、この蕎麦屋で頂くのは、松前の昆布を加工して黒い色を出した黒切蕎麦の天盛りと蕎麦がきと決めている。
イタリアのレストランに行っても、イカの黒墨スパゲッティを探すくらいだから、黒い食べ物が好きなのだが、ここの黒切蕎麦は、腰があって歯ごたえとのど越しが良く、それに、軟らかくて味のシンプルな蕎麦がきとマッチしていて、私は気に入っている。
伊能忠敬記念館の前に、国宝指定記念の立て看板がかかっている。
平成22年6月29日に、2345点の関係資料が国宝指定を受けたのだと言う。
4月26日から5月2日まで、香取市民体育館で「完全復元伊能大図展」が開かれるようだが、もう一つ、近くの駐車場にはためいているのは、「伊能忠敬を大河ドラマに」と大書したブルーの幟旗である。
国宝に指定された記念にと言うことで、推進協議会が結成されて運動をしていると言うことなので、私も賛成署名をして来た。
シーボルトが、この伊能忠敬の日本地図を持ち出そうとして捕縛され、日本から 追放されたのは、1828年のことだが、当時の日本としては、伊能忠敬の偉業は大変なものだったのである。
さて、どうでも良いことかも知れないが、この伊能忠敬記念館の裏に、立派な観光トイレ(厠)が出来ている。
記念館の貧弱なトイレでは、観光客が満足しなかったのであろうが、一寸、雛にも稀な日本建築風のトイレとは思えないような厠で、この日は、玄関口を入った待合用のいすに座って長い間旅のルートを打ち合わせていた女性グループが居たほどである。
ただ、この佐原だが、市町村合併で市名が香取に統一されて、由緒ありかつムードのある佐原が地図から消えてしまっている。
少し前に、この佐原の街中の古風な料亭で食事を頂いたのだが、中々、雰囲気も味も良くて、東京の街中の普通の店などよりは、はるかにエコノミーでコストパーフォーマンスの高い経験をしたのだが、酒や醸造関係の酒蔵や建物などの雰囲気や街並みと言いい、やはり、佐原には、相当良質な歴史と伝統が息づいていて、街角の一寸したところにも文化を感じさせる味わいがあって良い。