熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

静寂に映えるロダンの「地獄の門」の迫力

2009年10月31日 | 学問・文化・芸術
   昨夜、東京文化会館でのプラハ国立歌劇場の「アイーダ」の開演前に時間があったので、外に出ると、向かい側の国立西洋美術館の庭にあるロダンの「地獄の門」が電光に映えて美しく浮かび上がっているのに気づいた。
   丁度、美術館が、その日は夜間延長日で、夜の8時まで開門していたので、これ幸いと中庭に入って、あっちこっちにあるロダンの作品を鑑賞させて貰おうと思った。
   日頃は、日中の中庭のロダンしか見ていないのだが、夜の静寂にスポットライトに映える彫刻の美しさは格別で、それも、ロダン最後の未完の大作である「地獄の門」であるから、その素晴らしさは、正に、感動ものである。

   何十年も前に、このロダンの「地獄の門」は、世界に3つしかなく(実際には7つと言う話もある)、東京の上野とパリとフィラデルフィアにあるのだと知って、是非、見たいと思っていたので、まず、留学でフィラデルフィアに行き、フィラデルフィア美術館の手前にあるロダン美術館に、真っ先に出かけて見た思い出がある。
   その後、パリに行って、同じ地獄の門を見て感激したのは、勿論である。

   この「地獄の門」は、パリのく国立美術館のモニュメントとして製作を依頼された作品だが、ロダンは、ダンテの「神曲」地獄篇の「地獄の門」をテーマに選んだ。
   「この門をくぐる者は、一切の希望を捨てよ」の銘文のある、あの地獄門である。

   この「地獄の門」には、丁度、システィナ礼拝堂に描かれているミケランジェロの「最後の審判」のように、嘆き苦しむ多くの人間群像が、凄いエネルギーと迫力で描写・浮き彫りされていて、息を呑むような感動を呼ぶ。
   門扉の頂上に座って地獄門を見下ろしている「考える人」はあまりにも有名だが、この「考える人」もそうだが、群像の一つ一つの人物像が、単独のロダンの作品として残っており、ロダン作品の集大成と言った趣のある作品で、昔、世界の色々な美術館や博物館でロダンの作品を見ながら、この像は、門のあそこにある人物だと探すのが楽しみであった時期があった。

   とりわけ、「考える人」などは、大小取り混ぜてあっちこっちにあり、この上野の西洋美術館の庭の反対側に大きな像が鎮座ましましている。
   この「考える人」は、ダンテともロダン自身とも言われているが、私は、カミユ・クローデルとの恋に悩み続けていたロダンだろうと思っている。
   男にとっては、失った恋の苦しみほど深いものはないと言う。

   この口絵写真の左側手前のかすかに光っている像は、弟子のブールデルの「弓を引く人」だが、こちらの方は、もう少し荒削りではるかに迫力があるが、地獄の門の右側に立つ小さなロダンの「イブ」像の肉感的艶かしさとは対極にあって面白い。
   
   この庭には、入り口から入って反対側の手前に巨大な「カレーの市民」群像が立っている。
   首に縄を付けられて引き立てられてゆく市長以下数人のカレー市民の群像だが、毅然とした面構えの威厳に満ちた素晴らしい人間像である。
   白く光りすぎた石の台座と対照的に、鈍色に浮かび上がる黒っぽい彫像の姿が闇にフェーズアウトして行く。

   随分、あっちこっちでロダンの彫刻を見てきたが、やはり、私は、小さな作品だが、「接吻」を始め、若い男女の愛の営みを描写した作品が美しいと思っている。
   ミケランジェロを師と仰いで独学独習で偉大な彫刻家として名をなしたロダンだが、殆ど、人影のない美術館の庭で、微かな電光に映えた作品を眺めていると、一挙に、ミケランジェロを通り越して、ギリシャ・ローマの素晴らしい彫刻などが走馬灯のように頭を駆け巡って来るのが不思議である。
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本離れ、読書文化の衰退と言うけれど~私の本選び

2009年10月30日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   この口絵写真は、三省堂にオープンした古書館入り口のディスプレーの一つで、ガラスケースの中には、私が知らない戦前の単行本が陳列されていて、万円台の価格のついた本だが、何冊か売約済みで消えている。
   お宝ブームもあって、昔懐かしい希少本への人気は、依然衰えないのであろうが、団塊の世代が健在な間は、結構、コレクターが居て、価値のある古書の存在価値は続くのであろう。

   私自身、読書が趣味と言うよりも、生活の一部と言うか、生活そのもので、朝晩顔を洗って歯を磨くのと同じような感じなのだが、特に意識はしないけれど、珍しい本を探そうとかコレクションしようと言った気持ちは全くない。
   読みたいとか見たいと思った本を、買い込んでは読み飛ばし、捨てたり安易に処分したりしたくないので、どんどん溜まってしまって、足の踏み場もなくなると言うことである。

   本の取得は、書店だったりネットショップだったり色々だが、新聞雑誌などで新刊情報を得たり、書店で現物を見て触発されたりして、新しい本を買うことが大半で、古典や評価の定まった基本的な本を読むことは、昔と比べて随分少なくなった。
   書店へは、主に、東京の大型書店と神保町の古書店に行くのだが、衝動買いは、古書店での方が多い。
   これは、新古書が安いからと言う理由もあるけれど、その場で欲しいと思う本に遭遇する確率がはるかに高いからである。
   私の買うのは、あくまで新古書、すなわち、最新の新本であって、古本は絶対に買わないと言う古書店ファンであるので、不思議かも知れない。
   尤も、これも、東京へ帰ってきてからの話だから、この10年くらいの間の話で、それまでは大型書店に出かけていたし、海外に帰る時には、せっせと本を掻き集めて膨大な本を持ち帰っていた。

   大型書店では、本の品揃えは多くて、非常に充実しているように思えるが、話題性の高い新刊や売れ筋の本ばかりを前面に出してディスプレーしており、とにかく、玉石混交で、本の数が多いだけで、肝心の本に到達するまでには、相当根気を必要とするのである。
   古書店では、経済書や経営学書などを並べている店を何軒か決めているので、そこに定期的に行けば、僅か1~2間の書棚に、無造作に、新刊が並べられていて、即座に、興味を持った本を手に取ってチェックして買えるので、これほど重宝な手段はない。
   それに、古書店の場合には、内容や程度などには無頓着に本を調達しているので、比較的、一般的ではなく人気のないかなり程度の高い専門書が結構多くて、このあたりが、私の狙い目でもあり、間違いなく、多くの価値ある新刊書に遭遇出来ている。 

   新聞や雑誌から、新刊書の情報を得ることが多いのだが、直に読みたいとか必要になったとかと言った特定した本は、直接大型書店かネットショップで買うけれど、書店に直接出かけて、本と対話を交わしながら買うのは、前述したように、古書店の方が多くて、このブログで書いているブックレビューの7割くらいは、そんな本である。
   とにかく、一般書店の場合には、小さな店だと殆ど私が選ぶような本がなく、大型書店では、本の数が多くて探し辛いし、結局、古書店だと、店夫々に専門とする分野があって、その専門の古書店に行けば、小さな店でも高級な専門書は勿論のこと品揃えが充実していると言う利点があり、このあたりが重宝するのである。

   尤も、一冊しかないので、その本に出会えるかどうかは、縁次第と言うことになるが、とにかく、本離れ、読書文化の衰退と言うけれど、読んでも読んでも次から次へと新しい本が出てきて追い着かないのが実情である。
   私の場合には、本を読むことを楽しんでいるので、速読法などとは無縁で、何十年も続けている自分好みの速度で読むのが、丁度、思考と勉強にも適しているのだと思っているので、それ程、捗らないと言うこともある。
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ネット・ショッピング45対38~NTT COM和才博美社長

2009年10月29日 | 政治・経済・社会
   NTT Communicatins Forum 2009の基調講演「日本品質がビジネスをつなぎ続ける」の中で、消費者の商品情報の取得と購買について、ネット・ショッピングと実店舗との比較について語ったのが印象的だったので、コメントする。
   商品情報の取得(主に)では、インターネットが45%、実店舗が55%だが、実際の購入は、ネット・ショッピングが38%、実店舗が62%で、日本の消費者は、実店舗で実物を確認して購買する傾向があると言う指摘であった。

   どんな脈絡だったかは覚えていないが、ネット・ショッピングが盛んになったとは言え、まだまだ、日本人は、サイバー・ショッピングではなく、実際に店舗で、情報を得て購買するのだと言う表現だったと思うのだが、この考え方は、ICT企業のトップの発言としては、一寸異質な感じがした。
   コップの水が半分になった時に、水が半分しかないと言う感覚と、まだ半分も残っていると言う認識とでは、全く世界が違うと言うことであって、
   ICT革命によって、市場の38%が、ネット・ショッピングの台頭等で蚕食されてしまって、実店舗の売上が、それだけ大きくダウンしていると言う認識こそが重要なのである。

   これこそ、正に、現在起こっているICT革命の根幹であり、このインターネットによる革命的なビジネスモデルの大転換によって、既存のビジネスが大きく転換を迫られていると言うことである。
   特に、小売業では、何十年も前からスーパーやコンビニ、カテゴリーキラーなどの台頭などで大きく産業構造が変わった上に、ネット・ショッピングの登場で、百貨店など、シャッター通りのように既に将来の帰趨が見えているにも拘わらず、相変わらず旧態依然とした経営を行っており、リストラを繰り返しても立ち直りの可能性は薄い。
   ブック・ショップも同じ運命で、本離れに加えて、ブック・オフの登場、アマゾン等のネット・ショッピング、e-bookの台頭などで、将来性は極めて暗い。
   グーグル的思考に立たなくても、広告代理店などの将来も、先が見えている。
   とにかく、ネット・ショッピングなどその一例だが、インターネットによって引き起こされたICT革命の波に逆らっては、如何なる産業や企業も生き残っては行けず、ICT技術を縦横無尽に駆使して、ICT革命の波に乗ることこそが、企業発展の最も重要な戦略であるはずなのである。

   ところで、余談だが、このフォーラムは、帝国ホテルで今日明日開かれている。
   問題は、入場受付のプロセスで、最近殆どのフォーラムやフェアでは、入場登録者には、事前に、ICチップ付きのパスを郵送しておき、入場は、このパスをかざすだけでスムーズに入場できるのだが、
   このICT産業の雄とも言うべきNTT COMは、入り口で牛馬の如く長い列を作らせて、プリントアウトしたバーコード入りの紙を、受付嬢に渡して、ホールダーに名刺を入れて貰わないと入場出来ないのである。
   既にセミナーが始まっているのもお構いなしに長い列を作らせて、ルーティン仕事を繰り返し、仰々しく手渡すのは、僅かな資料の入った紙バックだけだが、なぜ、顧客をこれ程までに困らせて、このIT時代に無意味なセレモニーを、毎年、性懲りもなく繰り返すのか。
   私の場合、10分前に会場に着いたのが、パスを貰ってセミナー会場に入ったのは、その20分後で、既に、話が始まっており、会場に入れず、外のビデオ席。

   ところで、講演を聞き終って会場を出たら、出口の大広間には、得意先客や特別クライアントへの挨拶であろうか、NTT社員が何十人も雲霞の如く並んで待っている。
   招待状のある特別な客には、別の受付口はあったが、殆どは、長い行列組で、もうこのチェックイン段階で、殆どの顧客は頭に来ていて、カスタマーサティスファクションなど吹っ飛んでしまっている筈で、何の顧客サービスであろうか。
   社長は、日本品質が世界を繋ぐと説いているが、これが、NTT COMの経営品質なら、何をか況やである。

   何十年も前に、まだ、中国が門戸を開いていない時だったが、香港から列車で国境を越えて共産中国に入った時、沢山の中国人が駅に集まっていたのを、何故か思い出してしまった。
   
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神田古本まつり始まる~神田神保町

2009年10月28日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   IT PRO EXPO 2009と、あおもり産業立地フェアの合間をぬって、神保町の神田古本祭りに出かけた。
   毎年、初日に出かけて本を探すのを楽しみにしていたのだが、まつり自体が少しずつ低調になるのと、私自身の気持ちがマンネリ化してしまって、今年は、ほんの1時間ほど一回りしただけで、喫茶店でバニララテを飲んで憩っていた。
   土日になると、すずらん通りでイベントがあったり、出版社や新聞社、各種団体などが、ワゴンを並べて賑わうのだが、行くかどうかは気分次第である。

   面白かったのは、三省堂が、別館4階に先日から「三省堂古書館」をオープンしたとかで、赤いハッピを着た店員がビラを配って呼び込みをしていたことであった。
   時代のながれですなあ、と言うことだが、果たして、天下の三省堂が、古本屋など開いても、食い合いになるだけで無益だと思うのだが、どんなものであろうか。
   呼び込みに釣られて入ってみたが、古い洋画やビートルズなどの昔懐かしい写真やポスター、或いは、戦前の日本の古書や雑誌などの骨董品的なものが一部にはあったが、後は、書棚一面に所狭しと、多方面の雑多な古書が並べられていて、他の神保町の古書店と変わりない、垢抜けしない仮説売り場と言った感じであった。沢山の古書店が寄り集まって品揃えして出店していると言う感じなので、古書館と言うネーミングなのであろうか。
   私が昔買ったような単行本でも定価より高い値付けがしてあるなど、一寸、解せなかったのだが、それ程、安い感じでもなく、どちらかと言うと、新古書ハンターの私には、興味がなかったので、直に店を出た。

   以前には、三省堂の一階フロントホールとすずらん通り側のオープンスペース・けやき広場に古書店が犇き合って店を出していたのだが、完全に消えてしまったので、古本まつりの出店も半減したと言った感じである。
   その分、神保町の古書店は、店の前の歩道にワゴン・ショップをオープンしているのだが、特に趣向を凝らしたのではなく、店の延長と言うことで、ひっきりなしに神保町に来ている私には面白くはない。

   結局、神保町の交差点のメイン会場と店の前のワゴン・ショップを一回りしただけだったが、興味を引いた本はなかったので、買ったのは、
   岡本和明著「志ん生、語る。」 CDつき      700円
   ヒラリー・ローゼンバーグ著「ハゲタカ投資家」   500円
   前者は衝動買い、後者は、読み損ねていたので買ったのだが、新本ながら新書より安い。
   全く関係のないようなところに、ポツリと私が大切にしているような専門書が無造作に並べられているのにびっくりすることがあるが、どんなルートでそうなるのか不思議である。
   とにかく、今までは、気づかなかったような本に遭遇する楽しみが、いくらかあったのだが、残念ながら、それも消えてきた感じになってしまった。
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資本主義の将来・・・東大岩井克人教授

2009年10月27日 | 政治・経済・社会
   恒例の東大・朝日シンポジウムが安田講堂で開催され、タイトルが時宜を得た「資本主義の将来」であった所為もあってか、多くの聴衆が詰め掛けていた。

   岩井教授は、基調講演で、法人制度は、ヒト・モノの二面性を持った二階建て組織であって、会社は株主だけのものではないとの持論を展開しながら、株主主権論の誤りから話を始めて、
   コーポレート・ガバナンスの欠如、倫理性を欠き会社との信任関係を無視して私利私欲に走った忠実義務違反の経営者、更に、危機の背景にある脱産業化社会における金融資本の凋落など、現在資本主義の陥った問題点を指摘しながら、資本主義の将来を語ろうと試みていた。

   岩井教授の考えの基礎には、人間が自由を求める限り、将来においても、資本主義しか選択肢はなく、その資本主義の持続可能性を維持するためには、自由放任から開放されなければならないと言う強い信念がある。
   資本主義の敵は、社会主義的なイデオロギーではなく、この自由放任主義によって資本主義を野放しにすることであり、これを、人間の英知によってコントロールしなければならないとする。

   しからば、どのようにして、この放任主義を制御抑制するのか、質問への回答などの断片的な発言での感触ではあるが、経営者の倫理性を高めることは必須だが、高邁な英知と理想を持って経済社会を導いて行く立派な資質と能力を備えたリーダーの必要性を強調する。
   その教育については、大学教育だと回答していたが、プラトンの哲人政治のような理想的なリーダーを意図しているのであろうが、果たして、今の大学で、そのような教育が可能なのであろうか。
   私自身、生まれ出るか出ないか分からないようなリーダーを待って、その手腕に期待するより、資本主義そのもの、経済社会そのものの根本的な変革を試みるべきだと思っている。

   岩井教授は、法人のヒトの側面を重視しており、今日の企業にとって最も大切なのは、革新的なアイデアや発明発見によって新しい価値を創造する知恵を持った人材であり、その差別化された新しい価値こそが、企業の成長発展の基礎となると考えている。
   金融革命によって流動性過剰に陥って、行き場のなくなった金融が、バブルに狂奔して金融危機を惹起したことが、今回の金融資本の凋落の原因だが、岩井教授は、この金融資本の復権を説く。
   知識情報化産業社会における金融の役割は、革新的なアイデアによって差異化を生み出し価値を創造する特別な能力を持った人々に、リスクを取って資金を融資することで、実体経済と金融経済との新しいバランスの構築が、国富論のキーだと言うのである。

   この考え方は、イノベーション論の生みの親であるシュンペーターの考えと全く同じで、なぜ今更と言う感じである。
   新しいビジネスモデルに命運をかけて起業を試みるイノベーターたちに、リスクを取って資金を提供するベンチャー・キャピタルこそが、シュンペーターの意図していた金融機関の本来の姿であって、先の凋落論は、金融工学などICT技術を駆使して金融イノベーションを追及し過ぎて袋小路に入り込んだ今日の金融への鎮魂歌だと思えば良いのであろうか。

   この岩井教授の基調講演にコメントしたスタンフォード大ロバート・ジョス教授は、今回の金融危機で資本主義は窮地に陥ってしまったが、本来、その未来は、 BRIGHT AND GOODだとして、5つの提言を行った。
   金融は、規制されなければならない。マクロ経済政策には、金融を取り込まなければならない。民主主義政策によって、資本主義経済を調整しなければならない。マネジメントは、やるべきことをやらねばならない。
   特に、今回の経済危機によって暴露された最後の指摘の経営者のPERFORMだが、倫理性欠如によって、本来、経営者が担うべき正しい経営管理や説明責任を怠った失敗・裏切り等については、極めて厳しく糾弾し、悪者を列挙していた。

   コロンビア大サスキア・サッセン教授は、貧富の格差解消や先進国の発展途上国への貧困対策などの分野の大家と言うことで、富や権力の配分の不平等が、今日の経済社会問題の根底にあることを指摘しながら、資本主義の未来を語っていた。

   司会の朝日新聞船橋洋一主筆も含めて、三人の学者たちも、問題点は指摘しつつも、プロ・キャピタリストであることには間違いない。
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芸術祭十月大歌舞伎・・・藤十郎の「心中天網島~河庄」

2009年10月26日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   終わってしまったが、今月の歌舞伎座の昼の部は、面白くて豪華な演目もあったのだが、私の関心は、藤十郎と東京ベースの重鎮歌舞伎役者との混成舞台による近松門左衛門の「心中天網島」の「河庄」の舞台であった。
   芝居については、どちらかと言うと、シェイクスピア戯曲から入っているので、物語性のあるリアルな舞台に関心が行き、豪華さやスペクタクル要素の強い見せ場に特色のある江戸歌舞伎よりは、人間の義理人情や男女の愛情の機微、弱さ悲しさなどを克明に描いたような近松ものに、興味を持つのも仕方のない事かもしれない。
   尤も、近松には心中ものが有名だが、しかし、心中ものは、近松の作品中では、それ程、大きな比重を占めてはいない。

   ところで、この天網島は、1720年に、天満宮之前の紙屋の主人治兵衛と曽根崎新地の紀伊国屋の遊女小春が、網島の大長寺で心中したのを、すぐに事件記者よろしく近松が世話浄瑠璃に仕立て上げたのだが、その後の改作と「天網島時雨炬燵」と繋ぎ合わせた更なる改作版である。
   シェイクスピアの作品もそうだが、昔の戯曲は、上演途中で、どんどん、聴衆の反応に応じて、中身が変わっており、決定版などはなかった。
   シェイクスピア時代には、盗作コピーライターが居て、翌日には、良く似た芝居が、他の競争劇場で演じられてたと言った話がざらにあったらしい。

   この河庄の段は、冒頭、治兵衛の妻おさんが、丁稚に、心中しようとしている夫の命を助けるために分かれてくれと言う内容の手紙を持たせて小春に手渡すところから始まる。
   紀伊国屋を訪ねてくる一寸大きめの丁稚三五郎を演じるのが、小春の時蔵の次男の萬治郎で、東京人でありながら大阪弁の訛りも少なく、中々コミカルで癖のない良い味を出しており、大女優(?)である父親を「おばはん」呼ばわりしながら好演していて、その後の悲劇の前の束の間の清涼剤として面白い。

   そこへ、弟治兵衛の放蕩に悩んで小春の心底探索のために、侍姿に身を窶した兄の粉屋孫右衛門(段四郎)が、河庄を訪ねて来て小春の客となる。
   小春は、おさんの手紙で身を引く決心をしたのだが、母を残して死ぬのは嫌なので、治兵衛との中を裂いてくれと孫右衛門にかき口説く。
   小春に会いたい一心で訪ねて来た治兵衛が、これを戸口で聞きつけて、一緒に心中したくないと言う小春の心変わりに歯軋りして、腰の脇差を引き抜いて障子越しに突き刺すのだが、孫右衛門に刀を叩き落されて両手を格子に縛り付けられる。

   そこへ、身請け願望の恋敵の江戸屋太兵衛(亀鶴)と五貫屋善六(寿治郎)がやって来て、金返せと言って、縛り付けられている治兵衛をよってたかって苛めつける。
   結局、兄に借金を立て替えられて助けられた治兵衛は、河庄の中に引き込まれて、小春を前にして、兄に取っちめられる。
   この舞台で、藤十郎以外で、唯一関西ベースの芸を引く亀鶴と寿治郎の演技は流石で、大坂の庶民代表のような遊び人の雰囲気を良く出していて面白い。

   やっと、正気に戻った治兵衛は、兄に対しては平身低頭、これ弁解に努めるのだが、心変わりして裏切ったと思って頭にきている小春には、駆け寄ってくれば殴る蹴るの乱暴狼藉、悪口雑言の限りを尽くして苛め抜く。
   遊女が客を騙すのは世の常と兄に諭されるのだが、裏切られた悔しさに耐え切れずに、小春と取り交わした起請文を取り出して、小春にも返せと迫る。
   治兵衛に取り返せと急かされた孫右衛門は、嫌がる小春の胸元から起請文を取り出そうとすると、一緒におさんからの手紙も出てきて読むと、先程の愛想尽かしはおさんへの義理立てと分かって呆然とする。
    
   泣き伏す小春を置き去りにして、孫右衛門は、治兵衛を引き連れて門を出るのだが、まだ、手紙の主が太兵衛だと邪推している治兵衛は、誰からの手紙だと小春から聞き出したくて戻ってくる。
   また、殴りかかろうとするので、孫右衛門が中に割って入るのだが、影に隠れて小春の足を抓り上げる治兵衛の小心もののいじましさが哀れである。

   とにかく、この河庄の場は、小春は殆どうつむきっぱなしで忍び泣く、耐えに耐える薄倖の悲しい女を演じ続けるシーンが多いので、心の襞と葛藤を、僅かな身のこなしで表現しなければならない非常に難しい役であるのだが、以前に見た雀右衛門の小春の弱さ儚さとは一寸ニュアンスが違うが、時蔵の場合には、瑞々しさと華やかさがある分、その哀れさが余計に引き立つ。
   近松の女は、この治兵衛もそうだが、定番のがしんたれと言うか、頼りないつっころばし風の優男と違って、強引に男を引っ張って死に急ぐ健気で強い女が多いのだが、この舞台での小春は、非常にオーソドックスで男にそれなりに調子を合わせながらも、相手の女房を思い母を思う優しさを持った女として描かれている。

   この「河庄」の舞台だけ見ていると心中ものには思えないのだが、今回は端折られた次の「紙屋内」の段では、実に良く出来た女の鑑とも言うべき妻おさんが登場して涙を誘う。
   小春との別れの誓詞を書けと言われて涙ぐむ治兵衛に、夫婦としてのほんのささやかな語らいや憩いの場さえ持てればそれだけで幸せだと思っているおさんに、そんなに私が嫌いなのかとかき口説かせ、小春を死なせては女の義理が立たないと身請け資金まで用立てして祝言の用意までさせ、最後には、父親に引っ張られて連れ戻される。
   おさんは従兄妹。治兵衛夫妻には、幼い二人の子供も居て、本来なら分別盛りの幸せな家族の筈だが、道に迷って悪所狂いの身の果ては、地獄への一本道。
   善意の人々の優しさも温かさも振り切って心中への道を歩んで行った治兵衛の物語は、あまりも馬鹿馬鹿しくてアホらしい話だが、人間の性と言うべきか、人の心を振るわせ続けている。

   近松門左衛門に惚れ込んで心酔し切った藤十郎だが、まさに18番がこの「心中天網島」の治兵衛で、芸の深さを追及しながら、何時も、大阪のどこにでも居るようながしんたれ優男を地で行くような、等身大の生身の男として実に感動的に演じ続けていて爽快でさえある。
   曽根崎心中のお初もそうだが、余人を持って変えがたいということであろうか。
   それが藤十郎の藤十郎としての由縁かもしれない。

   ところで、孫右衛門を演じた段四郎の人情味豊かな大坂男を始めてみたのだが、藤十郎との相性も良く感動的な舞台であった。
   以前に見た関西歌舞伎の看板役者である我當の孫右衛門も素晴らしかったが、やはり芸の年輪と切磋琢磨の賜物であろうか、大坂人的なニュアンスも豊かに匂わせながら、オーソドックスで普遍的な孫右衛門像を作り出していて好演していた。
   
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「世界はカーブ化している」への追加雑感

2009年10月24日 | 政治・経済・社会
   白熱した起業家の実力主義社会こそが、アメリカ経済を一気に急成長させた原動力であり、アメリカ資本主義の真髄なのだと言う信念で貫かれているのが、デイビッド・スミックの「世界はカーブ化している」である。
   したがって、今回の金融危機に端を発した世界的恐慌状態に陥った段階でも、世界中で台頭しつつある規制強化への政治的な動きに対して徹底的に警戒し予防線を張っている。

   余談ながら、この起業家(本書)と言うのは、アンテルプルナーのことであろうが、本来はコトを企てると言う意味での企業家である筈だが、コトを起こす事業家が多いので起業家と訳されている。そのニュアンスが強いので、イノベーションが技術革新と訳されて非常に狭義に捉えられているのと同じように、大いに、誤解を招いている。シュンペーターの意味するイノベーションを企てるアンテルプルナーを意味するのなら、日本語(バックグラウンドなり概念が違うので翻訳困難)では、私は企業家の方がベターだと思っている。

   経済社会の成長は、シュンペーターの説く「創造的破壊」、すなわち、起業家によって齎された新しいアイデアが市場に参入したために、既存の資本が無価値となり駆逐されて行くプロセスだと言うのがスミックの考え方で、
   創造性を重視し、新しいアイデアを持った新しい会社を生まれさせる環境を整えることが必須であると同時に、既存の会社は、日々自己改革に勤しみ、グローバル競争力の涵養に邁進しなければならないと説く。

   このグローバル競争には、ICT革命の進行や中国やインドの台頭によるコスト競争力の無力化などによって、先進国の起業家の役割は大きく変わってしまったので、勝ち抜くためには、”たゆまぬイノベーション”、それも、画期的なイノベーションの追求以外に道はないと言う意識がある。
   しかし、この考え方は、シュンペーター理論の根幹であって変化した訳ではなく、経済社会の革命的な成長発展によって、その規模とスピードが格段に増したと言うだけで、益々、競争力の激化によって、企業は馬車馬のように疾駆しなければならなくなったと言うことである。
   ビル・ゲイツのように、自身の大胆なビジョンに駆られて前進するアンテルプルナーが一人でも多く、この世に排出することが、人間社会の最大幸福に繋がると言うスミックの強い信念だが、どうであろうか。

   ところで、グローバル金融市場に立ちふさがる深刻な不確実性の内で、最も予測し難いのは、政治的変化だと言う。
   グローバリゼーションと資本市場の自由化は、1970年代の景気的停滞への政治的対応策によって始まり、これが成功して世界的な経済成長路線を驀進することになったのだが、今回、大恐慌的経済不況に直面して大打撃を受けてしまったので、有権者が、途方もなき利益を齎す点に免じて、多少の欠点をそのまま許すかどうかに、すなわち、このグローバリゼーションの欠点を許容する寛容さを示せるかどうかに、その帰趨と将来が架かっている。
   ところが、現実には、政治的にも経済的にも、アメリカ国民は、レッセ・フェール的なグローバリゼーションに箍を嵌めようと、寛容さを著しく失ってしまっている。
   
   レーガン政権下で、グローバリゼーション、起業家資本主義、資本市場の自由化などを積極的に推進して、アメリカ経済システムの改革を推し進めて80年代に大きくパラダイムシフトしたアメリカ資本主義が、クリントン政権でも踏襲されて、アメリカ経済を未曾有の発展に導き高水準に引き上げたのだが、
   金融危機で壊滅的な不況を経験した今や、自由貿易・資本市場自由化路線抑制傾向や階級闘争を煽るような反自由主義、反市場主義的な風潮が一気に勢いを増して蔓延し、ターニングポイントに差し掛かってしまった。
   この想像もしなかったようなカーブした世界を、如何に乗り切るべきか、保護主義・階級闘争政策を弄び、自由貿易と金融市場自由化政策を放棄すれば、グローバル金融システムが崩壊し、アメリカ経済は地に落ちてしまう、と、規制強化・自由主義抑制への法制化に動こうとしている特に政治家たちに強烈な警告を発している。
   
   この本では、金融資本を主体に論じているのだが、根底にあるのは、自由な資本の活動を保証する自由市場主義経済こそ、経済成長と人間社会の発展を推進する最も主要なプレイヤーである起業家を育み、縦横無尽に活躍させ得る唯一の経済システムであり、これを制限したり圧殺するような経済社会への試みは厳に慎むべきであると主張している。
   
   金融市場から見ればこの世界経済はフラットどころか、カーブだらけで、変転極まりなく先が見えない。と言うのがスミックの問題意識だが、副題「グローバル経済に対する隠れた危険 HIDDEN DANGERS TO THE GLOBAL ECONOMIY」は、21世紀のパラダイムであるグローバル経済に対して自由化路線を制限抑制して圧殺しようとする世界的な風潮こそ、危険極まりないと言う指摘である。
   翻訳本のサブタイトルである「グローバル金融はなぜ破綻したのか」と言う意図で書かれたものでなく、これほどまでに毀損してしまった経済システムでもありながら、競争原理に徹した自由市場主義を標榜したニュー・クラシカル・エコノミックスに対する熱烈なオマージュであり、次代のアメリカ経済の行方を見据えた提言書でもある。

   この主張に組するかどうかは、議論の分かれるところだが、非常にパンチの効いた興味深いテキストである。
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民主党の選挙応援・・・鎌倉市長選の立会い演説

2009年10月23日 | 政治・経済・社会
   鎌倉駅から娘たちの家に行く途中、夕刻5時頃、KINOKUNIYAの前の御成交差点で、鎌倉市長候補の渡辺光子さんの団体が、マイクの音を最大のボリュームにして、選挙応援街頭演説会を展開していた。
   鎌倉の人は淡白と言うのか無関心と言うのか、あるいは、暇人がいないのか、殆ど立ち止まらずに、さっさと歩き去るので、応援者を含めて、ほんの2~30人の人だかりで、私など、野次馬根性丸出しで、丁度、カメラを持っていたので、撮ったスナップがこの口絵写真。

   声の大きいのは当然で、渡部恒三御大が、熱弁を振るっているのである。何を言っているのか、良く分からない老人の話が続くだけで、応援演説になっているのかどうか大いに疑問である。
   候補者渡辺さんが大変な知識人で才女であることを強調するための発言か、「私は議員で一番頭の悪い男で・・・」と言うくだりだけしか覚えていない。

   私が気になったのは、「本人」と麗々しく白地で染め抜いた幟旗で、他の選挙でも使うのかどうか知らないが、本人の立たない街頭演説などあるのであろうか。
   もう一つ解せないのは、渡辺御大の後に、衆議院議員、県会議長、県会議員・・・と、詰まらない外野の演説ばかりが長々と続いていて、肝心の候補者の話が聞けそうにないので、10分ほどして、そばを離れた。

   一度だけ、地元の衆議院選挙の時、自民党候補の応援のために、当時の安倍幹事長が応援演説に来たことがあり、あの時も、よく分からない色々な人が応援に来たと演説をぶっていた。と言うことは、これが、どこでもやっている選挙応援の定番なのかも知れないが、枯れ木も山の賑わいと言うべきか、私にはナンセンスであった。
   候補者自身が、自分の政策や主義心情、抱負や夢などを熱っぽく語ってこそ、立会演説会だと思うのだが、私だけがずれているのかも知れない。

   結局、TVに良く出てくるように、街頭演説に人が集まってくるのは、客寄せパンダと言うか、ニュースバリューのあるスター的なキャラクターが登場しない限り、あるいは、政治家でも人気絶頂の人が来ない限り、無理と言うもので、良い大人が、嬉しそうに立ち止まって、馬鹿な演説を聴いていると、アホとちゃうかと思われる。
   それに、多少、娘たちに話すので効果はあるとしても、大体、選挙権の全くない私が、嬉しそうに立ち止まって演説を聞いていること自体が滑稽だと言うべきであろうか。

   ところで、民営化した郵政の民間社長を下ろして、またまた、官僚出身、それも、官僚機構をトップまで上り詰めた元大物財務省次官経験者を、後任に据えたのが、脱官僚をスローガンとした民主党だから驚天動地。
   15年か何かは知らないが、財務省を離れた人だから官僚ではないと言う首相も首相だが、民主党の大臣や取り巻きも賛成賛成の大合唱。
   三つ子の魂百までと言うが、最も役人根性が残るのが高級官僚で、いくらでもそんな役人経験者を知っている。
   羊頭を掲げて狗肉を売ると言う言葉が中国にあるようだが、黒くても白くてもネズミを捕る猫は良い猫だと言う国に倣っての方針転換か。
   民間に適当な人がいなかったと言うのだが、1億もいる民間人から、一人も優秀な人を選べない民主党の無為無策、無能振りを暴露して馬脚を現したのだから、一挙に民主党への夢も希望を費えてしまったと、熱烈な支持者だった友が言う。
   さて、今後の一連の選挙の結果が興味津々である。
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リチャード・セイラー+キャス・サンスティーン著「実践行動経済学」~伝統は尊いのか?

2009年10月21日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   数年前に、「日本の品格」と言う新書がベストセラーになったことがあるが、その著者藤原教授が、TVで、天皇制の問題についての議論だったような気がするが、伝統あるものについては、とにかく、伝統だから価値があり尊いのだと主張していた。
   理由如何に拘わらず、伝統だから価値があるのだと言う考え方で問答無用と言った議論を展開するのに違和感を感じたので、藤原教授の本は読まなかったのだが、今、リチャード・セイラー&キャス・サンスティーンの「行動経済学」を読んでいて、伝統や習慣などは、非常にひょんな偶然によって確立するのだと言う件に非常に興味を持った。

   著者は、ソロモン・アッシュの実験とその理論を引用して、
   簡単な質問を連続する実験で、被験者の他のメンバー総てが誤った回答をすると、その被験者は3回に1回の割合で自分の判断と違っていても誤った答えを出す。たとえ、見ず知らずの二度と会うことのない他人の判断に対する反応でもである。
   何故、自分の認識した事実を無視してまで誤った回答をするのか、それは、他人の答えから伝達される情報故であり、ピア・プレッシャーと集団から非難されたくないと言う欲求故なのだが、最近の脳画像研究でも、アッシュのような実験の状況下で同調するときには、実際に状況を他の総ての人と同じように判断していると思われることが明らかになったと言う。

   被験者を小さな集団に分けて実験すると、個人の判断は収斂して、推定距離のコンセンサスとなる集団規範が形成される。
   集団ごとに判断が著しく異なり、集団が夫々の判断に固守する状況が生まれた。 
   このことは、出発点が少しだけ、それも恣意的に違っていると言うだけで、同じように見える集団考える集団が生まれると言うことは、都市や地域や、更に国でさえ、全く異なった考えや行動に収斂すると言う理由を理解する重要な手がかりになると言うのである。

   興味深いのは、サクラを使って、自信満々に理論を滔々と打たせると、集団の結論に大きな影響を与えて集団の判断を収斂させる効果が抜群で、これが既定概念として定着すると、最初の集団の判断を誘導したサクラがいなくなっても、最初の集団の判断が何時までも残る傾向が認められる。
   民間部門、公的部門を問わず、首尾一貫してぶれない主張をする人は、はじめは恣意的なものであっても、大勢の人がそれに順応することとなり、集団や活動を自分の思い通りの方向にに動かせる、と言うのだが、ヒットラーやどこかの元首相の場合は、この例なのであろうか。

   状況が変わって新しい必要性が生じても、大勢の人がそれに順応すると言うこの「集団的保守主義」が、伝統や習慣を形成して社会に定着する。
   これに、集団の全員あるいは大部分が、他の人がどう考えているのか知らない状態である「集団的無知」が増幅させて、気に入っているからでもなく、擁護できると考えている訳でもない伝統や習慣が永続する。
   その最たるものは、旧ソ連の共産主義で、どれだけ多くの人がこの体制を嫌っていたか市民が気づかなかったからだと言う。

   社会の規範として君臨し続けている多くの伝統や習慣であろうとも、これらを拒否し、劇的ではあるが世界の歴史を変えるほどでもない変化は、一種のバンドワゴン効果(人々が有利だと思う方向に流れてゆく現象)生み出すナッジ(注意喚起、気づかせ、控えめな警告)を与えれば引き起こせるのだと言う。
   この現象は、今、チェンジを標榜して政権をとった民主党の活躍で、あっちこっちでタブーが破壊され、パラダイム・チャンジで、多くの慣例や習慣、伝統さえも、大きく変えられようとしている。
   例えば、誰が考えても、前原国交大臣の主張する羽田空港のハブ空港化と成田との一体的オペレーションは最も適切な政策であり戦略だが、自民党下の政官財のトライアングル主導の日本では議論さえタブー視(?)されていた。
   これは、憲法改正論議もそうで、かっては、国会議員が改憲論を語ることさえタブー視されていたことがあったが、こんな例は五万とある。

   伝統や習慣など、社会を統べる素晴らしい多くの文化が、日本の日本たる世界に誇るべき価値と尊厳の源を形成していることは間違いないが、伝統や習慣として永永と受け継がれてきていると言うだけで尊いわけではない。
   何が価値ある伝統であり習慣なのか、守り通すべきものと変わるべきものとを峻別して、世の中を良くし人々の幸せを目指す英知が求めれれている。

   さて、この「実践行動経済学」だが、この「言動は群れに従う」などと言う部分はこの本のごく一部で、世の中人のため、経済社会を良くするための「ナッジ」への知恵が充満している。
   民主党の皆さんや為政者の皆さんが読むと参考になるのではないかと思う素晴らしい本であることを付記しておきたい。
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記念切手:オーストリア&ハンガリー交流年

2009年10月19日 | 海外生活と旅
   近所の郵便局で、綺麗な記念切手を見つけた。
   オーストリアとハンガリーの日本交流年2009の切手で、オーストリアの方は、カイザリン・エリザベートとモーツアルトの肖像が描かれていて、ハンガリーの方は、国会議事堂の写真があるので、すぐに分かった。

   切手は、外国にも住んでいたし、長女が幼かった頃に集めていたので、旅に出る毎に、その国の珍しい切手を探すなどして結構小まめに収集したつもりだが、私自身の趣味でもなかったので、どこに行ってしまったのか、全く手元にはなくなっている。
   最近では、郵便局に出かけて気に入った記念切手があると買って来て、日頃の手紙などに使っていて、歌舞伎や日本画や日本的なモチーフの記念切手などは、海外の友への郵便物などに利用するなど、普通の切手や味気ない局のスタンプよりは喜ばれていて、結構重宝している。

   綺麗な切手のシートを眺めていると、随分前になるのだが、オーストリアとハンガリーの旅の思い出が、走馬灯のように蘇ってきた。
   最初に、オーストリアに出かけたのは、1973年、アメリカ留学中に、家族と一緒のヨーロッパ旅行の途路で、スイスから列車で、ザルツブルグからウィーンに入り、大晦日をそこで迎えて年を越した。
   娘が小さかったので、私だけだったが、ウィーン国立歌劇場で、シュトラウスの「こうもり」を鑑賞する機会を得て、豪華なウィーンの新春の片鱗に触れた。
   泊まったホテルが、ワーグナーも泊まったというカイザリン・エリザベート・ホテルで、ロビー奥正面に、目も覚めるような美しいエリザベートの巨大な肖像画が架かっているクラシックでこじんまりとしたシックなホテルであった。

   ビジネス旅行が主体だったが、やはり、ウィーンには、プライベートな旅も結構楽しんだので、飛行機だけではなく、車や列車で入ることもあって、その時々にオーストリアの印象が違って見えるのが面白かった。
   車では、スイスからザルツブルグ経由で入るのが普通だったが、一度は、家族と供に、アムステルダムから、ロマンチック街道を下り、ノイシュバンシュタイン城、インスブルック経由でウィーンに入り、再び、ドナウ川を下ってドイツに入ってメルヘン街道を旅して、ハーメルン経由でオランダに帰ると言う長旅をしたことがあった。
   ロマンチック街道のローテンブルグを朝に出立して、見学を楽しみながら街道を下って、ノイシュバンシュタイン城を観光して、インスブルックの宿に達すると言う馬鹿な強行軍を敢行した時など、深夜を過ぎて宿に着いたのだが、若かったから出来たのであろうか、勝手気ままなヨーロッパ旅を楽しんでいた。
   
   最初の旅は、TEE列車でスイスからオーストリアに入ったのだが、国境を越えた瞬間、田舎風景が急に貧しく素朴な感じになったのをよく覚えている。経済力の差が歴然としていたのだが、これほどの落差を感じたのは、崩壊前の西ベルリンから東ベルリンに入った時だけで、当時は、オーストリアは貧しいヨーロッパの後進地域であった。
   このことがあって以来、飛行機で大都市だけを渡り歩くピンポイント旅では、本当のヨーロッパの姿が見えないと思って、車は当然だが、結構、ヨーロッパでは、ビジネス旅行でも、鉄道を使って移動することを心がけた。
   余談だが、ルフトハンザなど、デュッセルドルフからフランクフルトまでのライン川畔経由の列車の定期便を運行していて、ライン観光を楽しめたのである。

   二度目の旅は、列車でローマからアルプスを越えてウィーンに入った。
   迫り来るアルプスの風景には迫力があるが、イタリア経由だと、面白いもので、オーストリアの印象も大分違ったものになる。
   列車のビジネス旅は、やはり、ドイツが多かった。ドイツは、ポルシェやベンツ、BMVの国なので、都市間移動は、飛行機よりもアウトバーンを走って車で移動するのが普通だが、列車旅も悪くなかった。
   壁崩壊直後に、ベルリンから東ドイツのライプチッヒへ列車で移動したのも貴重な経験だが、飛行機旅では観察出来ないその国の姿が見えて興味深いのである。

   ハンガリーへは、それからずっと後になってからで、1980年代の後半から、ベルリンの壁の崩壊後の復興期にかけて、ビジネスで何度も訪れたが、殆ど飛行機で、一度だけ、ウィーンからブダペストまでドナウ川を水中翼船に乗って移動したことがある。
   展望所やデッキに立って風景を楽しむと言った感じではなく、船室の小さな窓から見える風景は極めて単調だったが、綺麗な古城などが見えると嬉しくなる。
   港などと言った大げさなものではなく、船着場から船着場へと言った感じだが、物々しい空港のハレの場所とは違った入国気分が味わえて面白かった。
   先のハプスブルグのオーストリア・ハンガリー帝国時代には、便利な交易路だったのである。
   車で国境を越えてみようと思ったのだが、当時は、検閲が厄介で、車がボーダーで数珠繋ぎだと言われて諦めた。

   さて、切手を見ての両国の印象記が、変な車と列車と船の旅になってしまったが、要するに、ヨーロッパは陸続きで一体なのである。  
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カート・キャンベル国務次官補:「壊れていなければ修繕するな」

2009年10月18日 | 政治・経済・社会
   今日の午後、7チャンネルの、日高義樹の「ワシントンリポート」で、日米関係に関する鳩山外交について、非常に面白い報告をしていた。
   日高氏が、番組最後で総括していたが、結論から云うと、鳩山首相が、ワシントンで、日米対等外交論を論じたところ、日米安保を堅持してこれまでどおりに従属外交を続けろと一蹴されたと言うことである。

   米国きっての知日派の一人で、現オバマ政権の国務次官補として対日外交に最も重要な働きをしているカート・キャンベル氏が、表現は非常に穏健ながら、アメリカには「壊れていなければ修繕するな」と言う諺があるのだと言いながら、日米安保の精神の継続の必要性を説いていた。
   また、キャンベル氏は、アメリカにとって最大の関心事である鳩山首相の提言する東アジア同盟構想に対して、経済、安全保障など重要な関心事であるので、必ず、アメリカを加えるようにして欲しいと、アメリカ抜きでの話し合いや同盟関係の構築など頭ごなしの対米外交に対しては、厳しく注文をつけていた。

   アメリカ政府がこのように考えるのは当然で、その考え方には、たとえ、民主党のオバマ政権でも、あるいは、共和党のタカ派政権でも、全く同じ筈で、アメリカ抜きの日中韓が中核となる同盟の存在は、覇権国アメリカに対する最大の脅威であり、
   それに、悲しいけれど、その根底には、日本の安全保障は須くアメリカが担っているのであって、日本は、決して独立国ではなく、アメリカの属国(?)に過ぎないと言う意識がある。(属国と言うニュアンスは強すぎるが、以前にブレジンスキーがこう言っていた。)
   日本の平和憲法がどうのこうのと言う前に、早い話が、日米安保の核の傘がなければ、無防備な日本政府の国防体制では、外国からの挑戦を受ければ、一たまりもなく駆逐されてしまうかもしれない。

   自分の国を、自分自身で守れないような国が、本来、この風雲急を告げ続けている地球上に存在すること自体が、世界の7不思議である。
   それもこれも、そして、日本人が、安全と水はタダだと豪語しながら能天気で太平天国を謳歌出来るのも、日米安保で、アメリカが、いざと言う時には、自分たちを守ってくれる筈だと言う確信があるからこそである。

   私も、アメリカで教育を受けたので、アメリカには、一宿一飯の恩義を感じているが、殆ど、タダ同然で、日本を守り続けるなど、実に、気前の良い大らかなボランティア精神に富んだ国ではないか。
   逆に、日本が、アメリカのように、他国の防衛を、このような条件で引き受けるかどうか考えれば良い。左翼政党が言うようなアメリカ帝国主義の世界支配と言った次元だけの話ではない。

   さて、民主党の日米対等、アジア傾斜への主体的な外交戦略だが、大いに結構で何の異存もない。日米安保や地位協定の見直し、普天間基地の県外移転等々、やれるのなら積極的に推進すれば良い。
   しかし、アメリカとの対等外交を推し進め、これまでの安保体制の維持に異を唱えるのなら、その前に、独立国としての根本的な資格要件である、国防・安全保障体制を自らの力で構築しなければならない。
   アメリカに、日米安保体制の維持は必須であり、アメリカ抜きの東アジア同盟など罷りならない、このまま従属関係を維持し続けろと言われて頭に来るのなら、国防タダ乗りの虫の良い話からオサラバして、完全なる独立国家の確立を目指す以外には選択肢はない筈で、一度、独立国としての気概と精神を持つべきである。

   私は、ヨーロッパに長く住んでいたので、どんなに小さな国でも、集団安全保障であろうと何であろうと自分自身で自国を防衛する体制を整備しているのを知っているし、もし、それが出来ないなら完全に隣の強国の属国に甘んじている。
   永久中立を標榜する平和国家スイスなどは、国民皆兵である。

   私自身、外国生活が長いし、世界中を駆け回って来たので、国境の厳しさ、独立を維持することが如何に難しいことか、国家の存在が国民の尊厳にとって如何に重要か、そして、国防・国の安全保障が国民にとって如何に死活問題かと言った問題意識を痛いほど叩き込まれて来ている。
   ところが、先進国の雄であり経済大国である日本だけは、極論すれば、安全保障・国防については、タダ乗り同然で、戦後復興を果たし、経済大国への道をひた走りに走って、今日の地位を築いて来たので、平和な生活は当然であって、戦争の惨禍や紛争地獄は、日本には有り得ないと、愚かににも信じ切っている。 
  それもこれも、アメリカさんのお陰!あの程度の思いやり予算で、体を張って無料奉仕してくれるアメリカさんがいればこその太平天国である。(これほど、自尊心と誇りを失った国民はいない、哀れな奴等だとアメリカさんは笑っているのかもしれない。)

   平和は、水や空気のように、タダではない。
   自由に主義主張を通して生きて行きたいのなら、まず、自分自身の足でしっかり大地を踏みしめて歩くことを考えろ。と言うことである。  
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書物を小脇に抱えて世界を歩く

2009年10月17日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   先日、日経ホールで、安藤忠雄氏の「魅力づくり――10年後のTOKYO」と言うタイトルの講演を聴いた。
   安藤さんの講演は、よく聴くので、その度毎に、直近の話題や新しい展開を期待しており、同じ話でも、そのバリエーションと思考の発展がユニークで教えられることが多い。

   元ボクサーと言う激しい世界から転進して、世界有数の建築家として名声を博すと言う常人では考えられないような経歴の持ち主だが、高卒後、必死になって東大と京大の建築学科のテキストを読んで独学し、その後、建築のみならず違った分野の本をも小脇に抱えて世界中を歩き回ったと言う話を聞いて、学ぶために師をどのように選ぶかの差であり、これこそ、本当の学問であって、決して、世に言われているように、「独学」ではないと思った。
   安藤さんの、日本人離れしたスケールの大きな、謂わば、地球そのもの、自然そのものと対話をし続けながら発想するような、限りなく豊かでシャープな感性や美意識などは、既製の教育では、逆立ちしても生まれ得ない筈である。

   宿や道中で本を読み耽っては、その歴史的な人類の文化遺産たる建築物を具に観察し、本物に真剣勝負で対峙しながら、更に新しい発見のために次へと旅を続ける・・・そんな修行の旅を何年も続けながら、必死になって建築学を勉強し続けたのだと言う。
   学んだものは、はるか異郷の地で、異文化と異文明の間で交錯する空気感も人情の機微も、五感から吸収するもの総てであって、豊かな感性と鋭敏な知性教養を育むためには、これ以上の学校は望むべくもない。

   私の場合には、幸いと言うか、国立大学で経済学を勉強し、アメリカでMBAを取得したのであるから、教育と言う点では恵まれていたのであろうが、しかし、そのような学問で得た知識や教養などは瞬く間に賞味期限が切れてしまって瞬時に無に帰してしまった感じである。
   実際、それよりも、はるかに役に立ったのは、悪戦苦闘しながら、あっちこっちで頭を打ち、世界中を走り回りながら苦労して蓄積した経験や知識であり、膨大な書物と対峙しながら海外生活で得た豊かな経験知とも言うべき精神的バックボーンであったと思っている。

   それに、人様に専攻したと申し上げている経済学と経営学については、毎日毎日、一冊一冊専門書を読み進めれば進むほど、新しい発見があって嬉しくてたまらない反面、何を勉強してきたのか、愕然とするすることの連続でもある。
   しかし、これなども、先の書物を抱えて世界中を歩くのと同じで、実際に実業の世界を経験し、世界中の経済の営みを具に見つつ経験したればこそ、見えないものが見え、分からなかったことが分かってきたのだと思っている。
   それに、経済学は、やはり、半世紀くらいの人生経験を経て修羅場を潜ってこないと分からないような学問だと言う気がし始めており、中々、奥深い学問だと、今更ながら思い知っている。

   さて、今や読書の秋、ぼつぼつ、読書週間が近づいてきたが、国民読書年推進会議座長である安藤忠雄氏は、「先人の知恵が詰まった本は、万人に開かれた心の財産」だとして、学生など若者は、血反吐を吐くくらい本を読んで読んで勉強しろと発破をかけている。
   私は、高校生の頃から、読書は、代理経験だと思っていたので、自分の経験と視野を広めるためには、人の経験と知識を、読書を通じて代理経験するのが、最も手っ取り早くて早道だと思っていたので、どんどん異分野の本を読んでいった。

   世界歴史や世界地理、世界芸術や世界美術と言った海外関係の本を読むことが多くて、異国への憧れが強かった所為もあって、私の、その後の海外生活は非常に実りの多いものであったと思っている。
   もう何十年も暖め続けて来ていた憧れの地での歴史的文化遺産との遭遇であり、実際の現地生活であるから、体全体から、その実感が怒涛の如く入り込んでくる。
   移動しながら本をひたすら読み続けて、日没になるまで必死になって憧れの建物を探し続けていた安藤青年の思いと同じ心境だったのではなかったかと思う。

   先週の日経ビジネスで、資生堂の福原義春名誉会長が、「空気を読むより本を読め」と言っている。
   ベストセラーは確かに今と云う時代の空気を読むうえでは役に立つでしょうが、本当にその人の血となり肉となるのは古典だと思いますと言って、本の中には普遍的な哲学が詰まっており、先輩達が到達した人生観や思想、世界観など古い時代から積み重ねられてきた知識が充満しているのであるから、読まずに済ますのは何ともったいないことかと述べているのである。
   日本屈指の文化人であり知識人である功なり名を遂げた経営者の言であるから、値千金であろう。
   
   ところで、私は、神保町の三省堂、東京駅近くの丸善や八重洲ブックセンターなどに良く行くのだが、経済学と経営学関連本のコーナーしか知らないが、立派な本(しかし、すぐに消える)もあるが、派手に並べられているのは、殆ど救いようもない程お粗末な本が多く、神田神保町の、それ専門の古書店の方がはるかに質が高い本が並べられていると思うことがある。
   今、エコノミストを格付けするとか何とかと言う新書が出ているが、早い話、ケインジアンの立場に立てばオバマ大統領は正しい政治家であり、マネタリストなりフリーマーケット信奉経済学者から見れば最悪の政治家となるのだが、経済学的には、どちらが正当かは絶対に云えない筈である。
   サブプライム以前は、市場原理主義経済学が主導権を握っていたが、今では、一挙に歯車が逆転して、俄ケインジアンで溢れ返っている。
   私の格付けと大分違うので中身は読んでいないが、どこの書店も大々的に平積みしているのだが、どんなものであろうか。
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芸術祭十月大歌舞伎・・・義経千本桜

2009年10月15日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   夜の部は、「義経千本桜」の、平知盛を主役にした「渡海屋」と「大物浦」、それに、狐忠信を主役にした「吉野山」と「川連法眼館」で、夫々、吉右衛門と菊五郎が得意中の得意の芸を披露する芸術祭に相応しい演目である。
   義経を狂言回しに使った歌舞伎であるので、義経一代記ではないのだが、頼朝に追われて、大物浦から西海に逃れようとしたことと、その後これが叶わず、奥州に逃れる途中に、吉野を経由したことは事実なので、これが、今回の芝居の舞台設定となっている。

   実際には、壇ノ浦で入水して崩御した安徳天皇と、同じく入水自殺した知盛が、生きていて登場して、仇である義経を討とうとする発想や、静御前の供をして、狐が静を、吉野に隠れている義経のところへ、送り届けようとするストーリー展開が、ユニークで面白い。
   特に、後者の狐が、静が義経より預かって持ち歩いている初音の鼓が1000年生きた狐の皮で出来ていて、その皮になった親狐恋しさに、義経の重臣佐藤忠信に化けて、付きつ離つ付いて行くと言う動物譚が、家族愛に恵まれなかった義経の人生とオーバーラップしてほろっとさせる。
   
   この子狐の実に切なく遣る瀬無い思いを、体全身で表現して観客の胸を打つ菊五郎の熱演は感動的である。
   特に、鼓を頬に近づけて嬉しそうに夢見るような表情は絶品で、勘三郎のように、天井の欄間から飛び降りるようなケレンミは、ないが、鼓を抱えて仰け反ったり、足が悪いにも拘わらず高い舞台から地面に一気に飛び降りる仕種など衰えておらず、観客に拍手を浴びていた。
   川連法眼館へ、本物の忠信として登場する威厳正した凛々しい、一寸の隙もない武将姿の立ち居振る舞いが素晴らしいので、狐忠信の健気さ遣る瀬無さが、余計に引き立って胸を打つ。
   狐だと告白した後、忠信に迷惑をかけたので、里に帰れと親狐に諭されたので帰るのだと静に別れを告げながら、その悲しさ断腸の悲痛に耐え切れず、手を激しく摺り合せながら地面をのたうって号泣する仕種など、人生の機微の奥深さを感じさせて切なく胸に迫る。

 その前の「吉野山」は、謂わば、静と狐忠信との吉野への道行きで、バックの絢爛豪華、全山桜の春爛漫の歌舞伎ならではの極彩色の舞台で、美しい菊之助の静と軽妙な出で立ちの菊五郎・忠信の華やかな舞台が展開される。
   夫婦でもない、恋人でもない、単なる主従の吉野への道行きなのだが、美しいカップルの如何様にも観客の思い次第で取れる綺麗なシーンで、そこは、義経千本桜であるから、忠信が屋島の合戦で兄継信の死を舞踊で演じるなどサービス精神もあって面白い。
   こんな美しいシーンに、何故と思わせるコミカルなシーンが、静に一物ある逸見藤太(松緑)の家来を引き連れての登場で、「待て、待て、待て」と花道を行きつ戻りつするシーンで、仁左衛門も良いが、いたずら小僧風で間の抜けた調子の松緑も良い味を出していて上手い。
   この非常にリズミカルで調子の良いコミカルなシーンは、川連法眼館の最後の場面でも登場し、狐忠信が、攻め来る横川覚範と衆徒を、狐の秘術で懲らしめる所など、ウキウキ気分で幕切れを迎えさせる粋な演出であり、非常にモダンであり面白い。

   さて、前半の吉右衛門の知盛の舞台だが、JRの信号事故で遅れて、「渡海屋」の前半を見過ごして、義経の退場場面からで、女房お柳の玉三郎の長台詞の妙を楽しませては貰ったが、やはり、吉右衛門の銀平をミスったので印象が少し変わってくる。
   この舞台設定では、死んだ筈の知盛が生きていて尼崎で船問屋を開業していて義経を討つと言う設定も奇抜すぎるのだが、平家きっての勇将知盛への亡霊伝説や庶民の希いが、安徳帝と知盛を蘇らせたのであろうか。

   次の「大物浦」の場で、義経を大嵐の日に船出させて討伐を試みるのだが、知盛は、失敗して、義経が安徳帝を守護すると言うのを確認して、碇を体に巻きつけて大物浦に入水する。
   しかし、前の「渡海屋」の場で、宿泊中の弁慶(段四郎)が、寝ている銀平の娘お安をまたいだら足がしびれたと言うシーンで、義経方には、お安が安徳帝であることが知れており、銀平の素性も割れてしまっているので、既に勝敗が着いている。
   このあたりを知らなくて、さらりと見てしまうと、用意周到で地の利を得ている知盛が、何故、簡単に負けてしまうのか不思議に思うこととなる。

   一般的な評論に、義経役者に品格が要求されるとしているが、私見ながら、これは判官びいきの見解で、私自身は、義経が、壇ノ浦の戦いで、絶対にやってはならない敵方の船の漕ぎ手や船頭、婦女子など射てはならない人々を、情け容赦なく射抜くなど禁じ手を、勝つ為には平気で使うなど、平家との戦いにおいて、あっちこっちで条規を逸した戦略戦術を使っているので、許せないと思っているし、舞台上はともかくも、品格など必要ないと思っている。
   従って、知盛が、清盛の悪行の因果が報いて今日があるのだと言った表現をしているが、平家びいきの元関西人の私には、何故、今際の際で吐露しなければならないのか解せない。

   いずれにしろ、これは私の戯言で、吉右衛門の勇壮かつ剛毅な知盛と風格と気品のある典侍の局の玉三郎、凛とした義経の富十郎などの名優の冴えた芸の感動は特筆すべきだと思っている。
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前原国交大臣:羽田空港をハブ空港に?

2009年10月13日 | 政治・経済・社会
   前原国土交通大臣が、橋下知事との会見後、関西空港の将来には触れずに、羽田をハブ空港化するとぶち上げて、各界に賛否両論、物議を醸している。
   八ッ橋ダムの問題もそうだが、半世紀以上も揉めに揉めて地域住民の運命を翻弄しつくしてきた公共工事を、マニフェストに書いたからといって、一大臣が、廃止だと、地元住民の意思も聞かずに問答無用と突き放しているのだが、
   これらの威勢の良い一連の民主党新政権の行政は、経済社会の秩序維持・公序良俗の為にも許されることなのかは勿論、合法的なのかどうか、私は、ガバナンス不在の由々しき問題だと思っている。

   また、政府の行政刷新会議が、各省庁から2009年度補正予算の執行停止額の上積みによって補正凍結が3兆円に近づいたと報告しているのだが、この作業について、前原大臣の記者会見では、官僚が一切関与せず、副大臣と大臣政務官とが政治主導で実施し、自分が承認したのだと言っていた。
   しかし、官僚がプライオリティをつけて資料を提出したにしろ、短期間に、殆どずぶの素人政治家が、果たして、切った張ったで、予算執行途中で、1兆円もの巨額な予算執行停止を一方的に決めるなどと言うことが許されて良いのであろうか。
   正式な法制と行政手続を踏んだ上で、地方公共団体などあらゆる関係者を巻き込んで実施されており、継続性と社会性の高いプロジェクトの執行停止にはマイナスの影響が大いに危惧されるなど、かなりの副作用があろう。
   補正予算の組み替えについては、何の異存もないのだが、民主党の言う政治主導と言う手段の危うさを感じざるを得ないのが問題なのである。

   ところで、羽田空港のハブ空港化だが、正しい選択だとしても、経済社会構造や日本の国土設計の将来に対する影響を考えれば、時間的な継続性や空間的な連携・関係性など経済社会秩序に与える影響が極めて大きく、何の前触れもコンセンサスもなく、日本の将来設計や経済社会発展のシナリオも示さずに、素人の一大臣が、個人的見解として、軽々に発表して良いものかどうか疑問に思っている。 
   日航の経営再建については、しかるべき有能なプロを指名して対応しているのは適切な措置であり、その提案を執るか執らないかは政治決断で良かろうが、要するに、出来るだけ、所謂、企業経営で言う「経営判断の原則」に従って、公論に決すべきは公論を活用するなど、ガバナンスをしっかり確立してフェアーであるべきだと言うことである。

   私は、日本の将来のために、明日を目指す民主党を信じて一票を投じたのだが、限りなき未来志向への熱意と、世直しへのドラスチックな意欲と行動力は認めるが、社会の良き公序良俗なり公正な秩序が立派に維持されてこその改革である筈であるので、独断専行せず則を越えずにやって欲しいと思う。
   来月のオバマ大統領の訪日で、日米外交も新しい時代を迎えることになるであろうが、もし、鳩山首相のチャイルディッシュな先の論文のままの対応であれば、中々、難しいのではなかろうかと思っている。
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秋深き庭仕事の楽しみ

2009年10月12日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   台風一過、綺麗な秋晴れのわが庭に、トンボが飛び交って乱舞し始めた。
   何故か、雨上がりには、他の昆虫が少なくなり、トンボだけが異常に沢山集まる。
   殆どのトンボは、尻尾部分だけが赤いのだが、まだ、体全体が真っ赤になった赤トンボではないが、夕日を浴びて翅を羽ばたかせると実に美しい。

   昨日、非常に気持ちの良い美しい秋晴れに恵まれたので、脚立を持ち出して、植木の剪定など庭仕事を始めた。
   門被りの槇の木と副木の大きなつげの木の剪定がおおごとだが、昨年実施したプロの仕事の雰囲気が残っているので、多少トリミングすれば良い程度なので、私自身で剪定することにした。
   黒松やもっこく、つげ、伽羅等々の剪定もあるが、これでも、若い頃には、通信講座でみっちり「花咲き実なる講座」等々を受けて勉強し多くの庭仕事本を読んでもおり、それに、毎年庭木の手入れを続けているので、セミセミプロ程度の庭仕事には自身がある。
   問題は、歳の所為もあるので、脚立から足を踏み外したり怪我をしないことである。

   今、つげには、ブドウの実を小さくしたような綺麗な黒い実がびっしりついており、紫式部の赤紫色の光り輝くような美しさは格別だと思うのだが、野山に食べ物が溢れているのか、小鳥たちは寄り付かない。
   実が枯れて真っ黒に萎びてからメジロたちが群れ来るのだが、プライオリティが低いのかも知れない。

   大分大きくなったイチジクの木だが、カミキリムシにやられて殆ど枯れかけているので、チェーンソーで切り倒した。
   この木は、非常に柔らかくてスカスカの木なので処理は簡単だが、カミキリムシが巣食うと手がつけられなくなる。
   どこから舞い戻ったのか、一匹の子供のカミキリムシが切った切り株を彷徨っていたが、新しい住処を探して貰う以外にない。

   虫と言えば、10センチ以上もある大きなカイコに似た幼虫が、放置しておいたトマトの木にしがみ付いて葉を食べている。
   トマトの枝先は茎だけ残っていて、これだけの体を支えるには、トマトの木など丸裸になるのは時間の問題で、果たして、羽化するまで食べ物があるかどうかであろう。
   5列の吸盤状の後ろ足をしっかり茎に貼り付けて体を固定して、鈎状の3対の前足で、茎を掴んで移動するのだが、食べるのも移動するのも実に悠長で遅い。
   これだけの大きさだから、どのようなアゲハチョウ(?)になるのか知りたいが、他のトマトの枝に居た幼虫は翌日居なくなっていたので、小鳥に食べられたのかも知れない。
   毎日朝から晩まで食べに食べて大きくなり、運が良ければ、蛹になって羽化して綺麗な蝶になり、素晴らしいパートナーと遭遇して恋をして子孫を残す、それだけの繰り返し人生を神は蝶に当え賜うた。
   突然、見慣れない素晴らしく美しい蝶を見てびっくりすることがあるが、注意していても、殆ど人間の目には触れることなく静かに消えて行く。

   ツワブキが、すっくと花茎を伸ばして、その先に黄色い菊のような鮮やかな花を咲かせ始めた。
   園芸店で買った時には、小さなプラスチック鉢に植わった小型の観賞用植物だったが、庭植えすると急に大きくなって、正に葉っぱも「艶蕗」そのもので、庭の片隅を占領し始めた。
   わがツワブキは、斑入りなので一寸雰囲気が違うが、秋の津和野のあっちこっちに咲き乱れていたツワブキを思い出す。

   牡丹と芍薬の葉が、黄変してきたので、牡丹は、葉を落として綺麗なしっかりした芽が出ている上で茎を切り落とし、芍薬は根元から茎を全部切り取った。
   牡丹の方は、一年に10センチ以上伸びて、今では大分背丈が高くなってきている。
   
   枇杷の木の花房がほころんで、白い小さな花を咲かせ始めた。
   寒い冬に向かって花を咲かせて春に実を結ぶ不思議な果物だが、今年は実つきが良くなかったので、来年は豊作かも知れない。尤も、袋かけなどしないので野鳥に全部食べられてしまうのだが。

   ところで、沢山の紫の可憐な花を咲かせていたオレンジレモンだが、やはり、花咲き期間が昆虫より少し早かったのか受粉が少なく、実は二つしか付かなかった。
   イチジクの木を切った後が寂しくなったので、鉢から出して植え付けた。

   さあ、後は雑草とりで、これが結構大変である。
   しかし、庭仕事を通して自然の花木や草花と会話しながら、色々な発見が出来て、結構教えられることが多い。

   庭の椿の木に、びっしりと花芽がついて、スタンドバイしている。
   咲き始めると気の遠くなるような冬が訪れてきて、この千葉の田舎にも寒風が吹き荒れる。
   電灯が恋しくなる季節だが、束の間の爽やかな秋の風を感じながら、イギリスを思い出し、ビスケットとダージリンの午後を過ごすのも悪くはない。
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