熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

PS:アナ・パラシオ「BRICSは誰がために鳴るのか For Whom the BRICS Toll」

2023年08月31日 | 政治・経済・社会時事評論
   ヘミングウェイのFor Whom the Bell Tolls 『誰が為に鐘は鳴る』をもじった元スペイン外相アナ・パラシオの興味深い論文。

   閉幕したばかりのBRICS首脳会議は、国際関係の輪郭を変える可能性のある極めて重要な出来事として宣伝された。 これを非同盟運動の基礎を築いた1955年のバンドン会議と比較する人もいれば、多極化世界に適した代替グローバルガバナンスシステムへの動きを予想する人もいた。 しかし、 それは何の成果もあげられなかったが、現行制度に対する不満が広く共有されており、多くの国が現状打破に熱心であるという事実は、西側諸国への警告となるはずである。そして、サミットで明らかになったのは、不満の共有はビジョンの共有にはならないということだ。と言うのである。

   6カ国を新たに加盟させるというブロックの決定は、BRICSが世界秩序を作り変えるという予測を正しているように見えるかもしれないが、正式なリストは明らかにされていないものの、40カ国以上が加盟を争っていたとされている。
   しかし、事業拡大の決定は、脱ドル化の推進と同様、簡単に実現できる果実を摘むことに等しい。 緊急の対応が必要な数多くのやっかいな世界的課題に関して、サミットは解決策をほとんど提供しなかった。 そしてそれは今後も続くことが予想される。結局のところ、BRICS は常に本質よりも声明を重視しており、各加盟国はそれを自らの目的を推進するためのプラットフォームとして利用している。 メンバーの規模が大きくなり、さらに異質なメンバーが増えれば、あらゆる重要な問題についての合意が妨げられることになる。

   中国は常にBRICSに対して世界におけるリーダーシップを高めるための便利なプラットフォームとして、グローバル・ガバナンスの代替ビジョンを推進するなど、地政学的な影響力のツールとして利用している。 この目的のために、今回のサミットは特に重要であった。 安全保障と経済協力を拡大するという日本、韓国、米国の合意に続き、このサミットは中国にとって、G7に代わる本格的なBRICSというビジョンを推進する機会となった。 習近平はしっかりと運転席に座っている。BRICS加盟国は、貿易制裁などの「一方的かつ保護主義的措置」への対抗など、中国が抱えている問題の一部を受け入れる可能性が高い。 そして、たとえ両国の意見が異なる分野であっても、中国はその経済的重み(域内GDPの70%を占める国)を利用して、彼らを揺さぶることができる。

   クレムリン側は、BRICSをロシアの国際的孤立に対抗する重要な手段とみている。 国際刑事裁判所の令状による逮捕を避けるため、バーチャルで参加したロシアのウラジーミル・プーチン大統領は、スポットライトを浴びる時間を利用して、彼のウクライナ戦争論への支持を結集しようとした。 より広く言えば、ロシアは中国と同様、BRICSが西側主導の取り組みや同盟に代わるものを構築できることを望んでいる。

   すべての BRICS 加盟国がこのビジョンを共有しているわけではない。 中国との国境で長期にわたる対立に陥っているインドは、経済発展を促進することはもちろん、世界舞台でグローバル・サウスを代表したいと考えている。 しかし同時に、独立した外交政策を維持したいとも考えており、 これは、インドが、軍事同盟を模倣したオーストラリア、日本、米国による四か国安全保障対話(クアッド)の概念に激怒したのと同じ理由である。 インドと同じく欠陥のある民主主義国家であるブラジルも、真の非同盟を好むようで、外交的バランサーとしての役割を果たす野心を抱いている。

   ビジョンと利益の相違によって、BRICS は最初から損なわれてきていた。 2001年に(当時はBRICs)という用語を作ったジム・オニールが2021年に書いたように、「現在は新開発銀行として知られるBRICS銀行の設立」と毎年の会合以上に、「このグループが何を意味するのかを理解するのは難しい」。 それ以来 2 年間で大きな変化はなく、多数の新メンバーはグループの有効性はおろか、グループの一貫性にもほとんど貢献しない。

   最新のサミットでは、BRICS共通通貨の導入やロシアが最近破棄した黒海穀物協定などのテーマに関する重要な議論が取り上げられた可能性がある。 しかし、BRICS首脳会議の慣習であるように、最終コミュニケには「包括的な多国間主義」や「相互に加速する成長」への約束など、多くの野心的なレトリックが盛り込まれているが、それ以外はあまり多くはない。 世界秩序を批判することは、新しい秩序を構築するよりもはるかに簡単である。

   しかし、今回のBRICSサミットが現秩序の終焉を告げるものではないとしても、現秩序に対する不満がいかに広く共有されているか、そして多くの国が現状打破にどれほど熱心であるかを浮き彫りにする。 西側諸国は危険信号に注意を払わなければならない。

   この最後のコメントが、パラシオのBRICSに対する感想であろうか。
   世界秩序を築いてきたエスタブリッシュメント集団の西側への強力な反発抵抗という位置づけであろうが、纏まりも何の確たる哲学思想にも立脚しない集団だが、歴史上、混沌として国際秩序の安定を欠いたグローバル世界での今後の趨勢を決する重要なプレイヤーであることは確かである。BRICSの動向次第では、自由な資本主義も民主主義も脅威に晒されると言うことである。

   ところで、先のBRICS会議で、中印間で、国境地帯の緊張緩和で合意したばかりだったにも拘らず、その直後に、
   「中国が中印国境の紛争地帯を自国領土に入れた最新地図を発表、裏切られたモディ首相」<台湾、南シナ海だけでなく、インドと領有権を争っている中印国境の土地も自国領土とした中国の地図にインドの国会議員は激怒、中国への攻撃を要求した>と言う物騒なニュースが飛び込んできた。
   BRICSとは、そう言うものかも知れない。
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フィリップ・アギヨン他「創造的破壊の力」(工業化バイパスの経済成長)

2023年08月29日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   このテーマも、本筋とは直接関係はないが、私が持論としてこのブログでも書いてきた経済成長の諸段階の異変とも言うべき新説「工業化をスキップして先進国入りする経済成長」について、論じているので、取り上げてみたい。

   経済成長につては諸説あるのだが、農業、工業、サービス業への発展を経て先進国経済に到達するとするのが一般的である。ロストウの経済発展段階説が有名で、工業化の成功によって到達する「テイク・オフ(離陸)」がキー概念で、何よりも、高度な工業化への脱皮が必須要件で、発展途上国や新興国は、産業の工業化推進を図って経済成長を策してきた。

   さて、世界第一の人口大国に躍り出たインドだが、経済大国の中国には見劣りするものの、最近、高い経済成長力を誇って米中を追い上げてきている。
   しかし、急速な工業化を推進して経済大国に成長した中国とは違って、両国の産業構造には大きな違いがあって、中国のGDPに占める工業部門の比率は41%であるにも拘らず、インドのそれは27%である。工業化に遅れを取ったインドだが、しかし、インドの1人あたりのGDPが増え始めた時期は、雇用合計に占める工業の割合が伸び悩む一方でサービス産業の割合が大幅に増えた時期と一致する。このデータは、現在のインドの発展が工業よりもサービス産業に依存していると言う見方と一致するのである。

   これと同じようなケースはガーナでも実証されている。
   2010年以降、ガーナの1人あたりのGDPが、特に、サービス産業のの発展によって、11%と急上昇し、工業化を飛び越して経済が発展した新たな実例を現出している。今日では、グローバル化と製造プロセスの国際分業により、サービス生産国は、工業製品を輸入してサービス、またはサービスをバンドルした財を輸出することが可能となり、この流れが、サービス分野でのイノベーションを促す強力な誘引となっていて、更なるサービス産業のドライブ要因となる。

   経済成長に於ける工業化のメリットは絶大ではあるが、サービス産業の活力をもっと生かすのも経済成長への道であり、この理論が、実証分析でも裏付けられるなら、現時点で、農業依存度の高い多くの発展途上国、貧困国にとって大きな希望となる。とにかく、途上国が工業化に成功するのは至難の業で、この道への挫折によって、中所得国の罠に陥って苦しんできたので、集中的な工業化の段階を経ずに経済成長を実現できれば願ったり叶ったりである。
   また、工業化を経由せずに成長が可能だとすれば、工業化による地球温暖化の加速を回避出来ると言う点でも望ましい。輸送産業を除けば、サービス産業が排出するCO₂は工業の4分の1程度であり、工業化の段階をバイパスできるなら、成長と環境保護をグローバルなレベルで両立させる最善の形と言えよう。
   果たして、そんなに良いことずくめの経済発展論なのであろうか。

   ところで、インドの場合、ICT革命の恩恵を受けて、アウトソーシングなどICT関連のサービス業の驚異的な拡大によってサービス産業比率は上がっているが、多くは、内需のサービス比重の拡大のようである。農業や工業など、生産業の生産性の向上によって生産や雇用の比重が縮小して、また、価格が低落して、逆に、生産性の向上しにくいサービスの比重が高まったという要因もあり、産業構造など社会の向上に繋がったかどうかは疑問である。
   いずれにしろ、困難を克服して「テイクオフ」して、農業、工業、サービス業と段階を経て先進国に成長してきた国は、それなりに、成熟した民主主義なり資本主義なりの国家体制を築いてきている。果たして、工業化をバイパスして、今様にサービス業の拡大発展を策して、経済成長を図った発展途上国が、真っ当な先進国に脱皮できるかどうかは、大いに興味のあるところではある。
   AIなどICTテクノロジーの最先端の最新的なサービス産業の拡大なら、国家経済の構造的進歩なりイノベーションを誘発するなど相乗効果を期待出来るであろうが、単なるサービス経済の拡大なら、あまり経済促進効果はなさそうに思われるので、その質にもよるであろう。
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PS:ジム・オニール「BRICSの拡大には何か意味があるのか? Does an Expanded BRICS Mean Anything?」

2023年08月28日 | 政治・経済・社会時事評論
   BRIC’sの生みの親であるジム・オニールが、
   「BRICSの拡大には何か意味があるのか? Does an Expanded BRICS Mean Anything?」を書いた。
   BRICS がアルゼンチン、エジプト、エチオピア、イラン、サウジアラビア、アラブ首長国連邦の 6 か国をさらに追加すると発表したが、このグループ化が現在の世界統治機構に対して真の挑戦となるのではないかと疑問に思う人もいるであろうが、 これまでと同様、グループの影響力はその構成や規模ではなく、その有効性によって決まる。のだと言う。

   BRIC'sをコインしたとき、過去 20 年にわたり、一種の投資理論と誤解する人もいれば、政治グループとしての BRICS (2010 年に南アフリカが追加) を支持するものであると解釈する人もいるが、そのような意図はなく、それどころか、2009年にブラジルとロシアの外相がBRICsの正式な政治グループを創設するというアイデアを提案して以来、この組織の目的を、象徴的な意思表示としての役割を超えて疑問視してきた。今回も、結局のところ、この決定は明確な目的、ましてや経済的な基準に基づいて決定されたものではないようである。なぜインドネシアが含まれず、 なぜメキシコではなくアルゼンチン、あるいはナイジェリアではなくエチオピアなのか?

   しかし、BRICSの象徴的な力が増大するのは明らかである。 このグループは、第二次世界大戦後の世界統治組織があまりにも西側的であるという広範なグローバル・サウスの疑惑を利用することに成功した。 時折、新興国や発展途上国の代弁者としての役割を果たすこともできた。 国際機関の構造が過去 30 年間の世界経済の変化を反映していないことを全員に思い出させる限り、それは成功したと言える。GDPは、名目米ドルで測定すればずっと小さいが、購買力平価の観点から見ると、BRICS は G7 よりわずかに大きい。

   アメリカと中国は、過去以上にそれぞれのグループを支配しているが、 こうした力関係が示唆しているのは、G7 も BRICS (拡大かどうかにかかわらず) のどちらも、今日の世界的な課題に取り組むにはあまり意味をなさない。と言うことである。
   世界が本当に必要としているのは、すでに同じ主要国全員とその他の国々が含まれる復活した G20 である。 これは、経済成長、国際貿易、気候変動、パンデミック防止などの真に地球規模の問題に取り組むための最良のフォーラムであり続ける。 現在、重大な課題に直面しているが、世界金融危機への国際的な対応を調整した2008年から2010年の精神を取り戻すことはまだできるし、 ある時点で、米国と中国は互いの相違を克服し、G20が中心的な位置に戻ることを認めなければならないであろう。

   BRICSに関して言えば、主要メンバーが共通の目標の追求に真に真剣であれば、このグループは周縁部にいてもより効果的になる可能性がある。 しかし、中国とインドが何かで合意することはめったになく、現在の二国間関係を考えると、(両者が同等のバランスにある場合を除いては)主要な世界機関において相手方がより大きな影響力を獲得することにどちらも熱心ではないであろう。
   しかし、中国とインドが国境紛争を解決し、より緊密な建設的な関係を築くことができれば、世界貿易、世界経済成長、BRICSの有効性だけでなく、両国にとっても利益がもたらされるであろうし、 中国とインドは多くの分野で、そして他のBRICSやグローバル・サウス全域の他の多くの国々に影響を与えるような形で協力することができる。

   大きな問題の 1 つは米ドルの優位性である。 世界がドルに依存し、その結果としてFRBの金融政策に依存することは、特に健全とは言えない。 ユーロ圏加盟国が自国の金融商品が流動性が高く、世界にアピールするのに十分な大きさであることを認めることに同意していれば、ユーロの導入によってドルの優位性が弱まった可能性がある。 同様に、BRICSのいずれか、特に中国とインドがその目標を達成するために大幅な金融改革に着手した場合、ほぼ確実に自国の通貨はより広く使用されるようになるであろう。 しかし、もし彼らがドルについて不平を言い、BRICSの共通通貨について抽象的に思索することに限定され続けるなら、多くを達成する可能性は低いであろう。

   新BRICSに対する、以上がオニールの論考だが、明確な見解を示してはいない。
   たまたま、BRIC'sと言うキャッチフレーズに踊らされて、比較的反欧米で結束された人口大国の中進国・新興国をバインドした中ロを加えたグローバルサウスの国々の集まりと言うことで、首脳が集まるだけで実質は何もないので、オニールも評論しようがないのであろうか。
   このBRICSも、今後、確たる思想や基準などなしに、どんどん、新メンバーを糾合するのであろうが、そうなれば、求心力が希薄になって何の集団か分からなくなってしまう。
   ただ、世界情勢の趨勢として、文化文明の歴史と伝統で築き上げられてきた自由平等で人権重視の民主主義の高度な先進国の存在が、化石化して退行して行くであろうことは、残念ながら、否めないのが悲しい。
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フィリップ・アギヨン他「創造的破壊の力」(中所得国の罠)

2023年08月26日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   フィリップ・アギヨン他著「創造的破壊の力: 資本主義を改革する22世紀の国富論」
   徹頭徹尾、シュンペーターの「創造的破壊」の本であり、私自身が、学生の頃から、ほぼ、60年間勉強し続けてきたメインテーマを論じてくれている貴重な経済学書でもある。

   まず、本書の主要テーマではないが、「中所得国の罠」について、アルゼンチンと韓国について興味深い話題が取り上げられていて、ロシアが、正に、21世紀のアルゼンチンの後追いだと観じたので、取り上げてみたい。
   中所得国の罠(middle income trap)とは、新興国が低賃金の労働力や技術導入等を背景として飛躍的に経済成長を遂げて、中所得国(一人当たりGDPが3,000ドルから10,000ドル)に達しても、人件費上昇によって工業品の輸出競争力が失われたりキャッチアップに失敗して成長軌道に乗れずに頓挫する現象を言う。
   この概念は、2007年の世銀公表であり、現在では、2万ドルを超えられず成長が止まって先進国へ辿り着けない中進国が多いので、GDPの数字は修正すべきであろう。

   アルゼンチンの1890年代の一人あたりのGDPは、アメリカの40%に達していて、ブラジルやコロンビアの3倍、カナダに近づきフランスより高くて、この水準を1938年まで維持していたが、この年に、GDPの趨勢的変化は断絶した。アルゼンチン経済は、大規模農業に大きく依存する農産品の輸出依存型経済で、1929年の大恐慌とほぼ同じくして世界の需要激減に翻弄されて成長が下落基調に転じた。これを食い止めるためには生産の多様化を図り、工業化を推進し、イノベーションに投資すべきであったが、内向きになって輸出代替工業化政策をとり、輸出市場に打って出て国際競争に揉まれようとしなかった。アルゼンチンの制度構造は、経験や知識の蓄積に依存する工業経済への移行に適応できなかったのである。
   その後、鳴かず飛ばず、一人あたりGDPは、22年現在、13,655.20ドル、
   何度もハイパーインフレや国家破産に見舞われるなど、経済的には問題多き劣等国
   19世紀に南米のパリと称讃されたブエノスアイレスは、今でもその面影を残す風格のある美しい都
   テアトロコロンで、シュトラウスの「アラベラ」を鑑賞したが、ボカのタンゴと共に懐かしい思い出

   はじめは飛躍的な成長を遂げて富裕国への道を驀進しているように見えた国が、成長の途中で立ち往生して、先進国の仲間入りが出来ない国はいくらでもある。
   しかし、経済危機に陥り、アジア通貨危機を受けて、当初キャッチアップ戦略を取っていた韓国は、制度改革を余儀なくされて、その結果、成長モデルを転換して中所得国の罠を回避して先進国へと脱皮した。
   IMFの支援と引き換えに、ワシントンコンセンサス様の政策を要求されたのだが、韓国は、イノベーション、生産性、企業のダイナミズムの好循環を生み出してアジア通貨危機を乗り切った。
   特に顕著であったのは、それまでチェボル財閥の独占状態であった打撃が大きかった産業部門に、非財閥系企業の参入が大幅に活発化して、それまで政府と財閥の暗黙の取り決めで頭を抑えられていた非財閥系のイノベーション創出が盛んになり、生産性の伸びが加速した。韓国の生産性と成長率が押し上げられて、先進国経済へと躍進したのである。

   経済がテイクオフせずに、道半ばで失速し「中所得国の罠」に陥った国は、キャッチアップ型経済から、フロンティア・イノベーション型経済への移行が遅すぎたか、移行しなかった国である。原因は、既得権団体や既存企業が新規参入を阻み、競争志向の構造改革を阻止したことにある。競争は、イノベーション型成長の重要な原動力である。危機の襲来と国際競争は、その国の政府に必要な構造改革への取り組みを迫り、その結果として、中所得国の罠から脱出する契機となる。

   さて、何度も論じているので蛇足は避けるが、ロシアが、正に、今様「中所得国の罠」の渦中に陥っていると思っている。
   ソ連崩壊直後、ロシア経済が崩壊寸前に至り、政治経済社会が極端に悪化して国家体制の最大の危機に直面したが、雪崩を打って進出していた西側の経済支援や開発が少しずつ功を奏しはじめて、徐々に、経済情勢が好転していった。特に、世紀末から、準備段階を終えて産出体制に入った石油ガスの生産輸出が活況を呈し初めて、グローバリゼーションの大波に乗って、ロシアを、一気に、経済大国に押し上げ、ロシア国民を経済的苦境から救った。
   この回復次期とプーチンの政治的台頭が一致して、濡れ手に粟の石油利権を活用して、オリガルヒや取り巻き連中で固めた支配階級によって、揺るぎないプーチン政権を築き上げた。国民も苦境を脱して、生活環境が急速に向上したので、プーチンのお陰だと疑いもなく信じて支持した。
   しかし、ロシアの外貨収入の大半は、石油ガスなどの天然資源であって、このアブク銭の恩恵に酔いしれて、経済政策の根冠である製造業の近代化高度化には目を向けずに、一次産業中心のモノカルチュア経済に終始して、産業構造の合理化近代化を怠り、今日の弱体経済に至っている。
   外資に必要以上に依存していたので、ウクライナ戦争によって経済制裁を受けて、外資の製造企業などが撤退すると、ハイテク部品の欠如で殆ど高度な工業製品は自前で生産できないほど体たらくなのである。
   これが、ウクライナに負けそうな、弱すぎるロシアの一つの原因でもある。
   ロシアの一人あたりのGDPは、15,443.83ドル、
   63位のアルゼンチンとほぼ同等、世界61位で、ヨーロッパの最貧国の一つである。 
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ストラトフォードのシェイクスピア旅(3)レンタカーで聖地へ

2023年08月23日 | 30年前のシェイクスピア旅
   久しぶりにギルフォードのジムの家で泊まり、旧交を温めた。
   ジムは、ロンドンに本社がある英国きってのエンジニアリング会社の社長を長く務めていて、普通のイギリスの富裕層のように、本拠の住居をカントリーに持っていて、ロンドンに職住近接の家を持って活動すると言った二重生活ではなく、このギルフォードの広大な庭園を備えた邸宅でトカイナカの生活をしていて、列車通勤で通していた。
   彼は天文気象やメカに趣味のあるエンジニアで、私は典型的なジャパニーズ文系だったが、非常に気があって、日本からイギリスに行った時には、ロンドンのジェントルマンクラブのRACか、このジムの家を定宿としていた。

   さて、先回は、このギルフォードからブリティッシュ・レイルで列車を乗り継いで、ストラトフォード・アポン・エイボンに向かったが、今回は車で行くことにした。
   その日は休日で、街のレンターカーオフィスが休みなので、前日の夜、ヒースロー空港のレンターカーオフィスに出かけて借りておくことにした。英国では、何処でもカーリターンが出来るので、帰国時に返すことにして、ジムに頼んでヒースローまで連れて行ってもらった。
   JALカードでディスカウントが利くのは、ハーツとバジェットだが、バジェットを常用していたのでバジェットにした。普通には、ジャンルやクラス別に価格リストがある筈だが、そんなものはなく、ドンナ車が欲しいのか、予算はいくらだと聞くだけで、いい加減も良いところである。保健付きで70ポンド(1万円)と言うので、何時もベンツなのだが、フォードのモンデオ2000CCを借りた。ジムの後についてギルフォードに向かったが、案の定管理が悪くて、ガソリンが満タンに入っていなくて、途中でガソリンを入れなければならなかった。

   翌朝、アブラハム夫妻に感謝して、今秋の日本での再会を期して、9時過ぎにギルフォードを出発した。M25とM4を経由して、そのまま、ロンドンに入れば良かったのだが、今回は、センチメンタルジャーニーでもあったので、帰国前に住んでいたキュー・ガーデンを通ってゆくことにした。24 リッチフィールド、キューガーデン、丁度地下鉄の駅前で、正面大通り突き当たりに世界一の王立植物園キュ-ガーデンの正面入り口があり、毎日観光客で賑わう。

   その日、ロンドンで、もうひとつ、旧友の大手建設会社の社長であったマイク・アレンとホテル・リッツでランチを楽しむ約束をしていた。
   キューガーデンの家の前を通って、いつも通勤でベンツを走らせていた懐かしい道をロンドンに向かった。
   クロムウエル通りも、自然博物館やヴィクトリア・アルバート博物館の前あたりから急に車の流れが悪くなり始めた。ナイツブリッジに入ると、セールの張り紙をした店が多くなるが、恒例のハロッズのセールは終っていた。良く工事や事故で通行止めになるハイド・パーク・コーナーのバイパスが問題なかったので、スムーズにピカデリー大通りに入った。リッツの前を通り抜けて、フォートナム・メーソンの角を右折れして、リッツの裏にあるNCPの駐車場に入ろうとしたが満車だった。仕方がないので、大通りを越えて、前に事務所があったオールド・バーリントンの駐車場を目指したが、建物自体が工事中で閉鎖されていた。
   こうなれば、頭の中は真っ白。久しぶりのロンドンだし、ロンドンでは劇場街やシティの駐車場くらいしか知らなくて、繁華な中心街の適当な駐車場が頭に浮かばない。ロンドンの殆どの道は一方通行なので、前に走る以外に方法がない。リージェント通りのアクアスキュータムを横切りソーホーに入ると、うらぶれたレストランや店、いかがわしいピンクサロン風の佇まい、雑然とした露店、ただでさえ狭いとおりなのにごった返している。Pのマークを便りに車を走らせ、NCP空車の看板を見つけて、ホッとして車を入れた。入り口で、黒人の係員が、カードをくれて、車をそのままにしておけと言う。繁華なNCPは、能率を旨として、プロが車を裁くのが普通なので、一寸嫌な気がしたが、仕方なくキーを残して外に出た。リッツから随分離れてしまった。急に汗が噴き出してきた。
   
   約束の12時半まで、すこし時間があったので、途中、リージェント通りのモス・ブラザーズに立ち寄った。ピカデリー・サーカスにかけてのリージェント通りのカーブの美しさはリージェント・カットの語源どおり美しい。
   この店は、ロンドン屈指の礼服店で、あらゆる種類の礼服やドレス等のレンタルで有名で、随分お世話になった。まず、最初はタキシードだが、これは、パーティ、レセプション、オペラ等の観劇、正式な会食等、何かの時にはお世話になるので、すぐに購入した。しかし、年に1回くらいしかない、ホワイト・タイ、これは最高の正装で、シティのギルドホールで開催される英国建設業協会の年次総会でフィリップス殿下など王室が主賓のレセプション、そして、アスコットの競馬でのシルクハットとグレーのモーニング、などは、この店で借りた。いつ行っても、胴長短足の私に合う礼服を探し出してくれるのは感服している。
   さて、今回は、この秋に長女が結婚するので、モーニングを買おうかと思って店を訪れたのである。前回、アスコットで借りたモーニングがグレーではなく黒であったし、ぴったり合っていたので、さがせばあるだろうと思ったのである。
   地階の礼服部に下りて、値段など関係なく、モーニングが欲しいんだと伝えると、一応44かと聞いてくれたが、適当に探してくれと言うと、奥の方から一つのハンガーを持ってきた。
   余談ながら、日本では、誂えもそんなに珍しくなく、イージー・オーダーが普通のようだが、イギリスでは、首吊りが一般的で、場合によって多少手直しするのが普通だと聞く。背広(サビル・ロー)通り1番地の女王陛下の軍服誂えで有名なギーブス・アンド・フォークスでも、大概みんな首吊りを買っていて、セールの時には客が殺到するが、良いものは精々10%程度のディスカウントである。

   セール中ながら、1階の既製服売り場には人がいたが、礼服売り場の客は私一人で、礼服に関しては総べて私に任せてくださいと言った感じの紳士然とした店員が、まず、私に上着を着せてサイズを確認した。勿論、手の部分ははるかに長いが、肩から腹、胴回り関してはほぼ満足な様子であった。次に、試着室に入ってズボンを合わせろという。これも、恥ずかしながら、相当折り返さないと長すぎてダメである。
   今日、ロンドンを発つので、手直しをして日本に送ってくれるよう頼んだら、明日、テーラーが来るのですぐに直せるから明日来てくれと言う。と言われても、シェイクスピア観劇を諦めるわけにはいかない。
   結局、彼がピン留めしてくれた所をそのままにして日本に持ち帰り手直しすることにした。
   ミラノのカナリ製の立派なモーニングで、免税価格で約9万円、安いのか高いのか分からないが、次に、次女の結婚式もあるので、2回レンタルするつもりで買った。

   急いで、マイクに会うために、ホテル・リッツに向かった。
   映画「ノッチングヒルの恋人」の舞台である。
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アマルティア セン著「議論好きなインド人」(ガンディーとタゴール)

2023年08月20日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   先にタゴールのナショナリズムについて紹介したが、同時代にインドの独立運動で活躍した偉大な思想家二人の巨頭ガンディーとタゴールの論争が興味深い。

   タゴールにとって、人が自由の中で生き、かつ理性を行使できることは、最高に重要であった。政治と文化、ナショナリズムと国際主義、伝統と近代についてのかれの態度は、すべてこの信念に照らして理解される。ナショナリズム運動に対する条件付きの支持は、外国支配による自由の欠如への抵抗とともに、こうした心情から生まれた。人を過去の奴隷と化す、理性に基づかない伝統主義に対する強固な拒否の根底にも、自由への情熱があった。

   タゴールは、ガンディーに、個人としても、政治指導者としても、最大級の敬意を払っていたが、そのナショナリズムの形態や、インドの過去の伝統についてのかれの保守的な本能には、深く懐疑的であった。
   リーダーとして世俗的にならざるを得なかったガンディーに対して、
   理性を無視し、その位置に盲目の信仰を据え付け、それを精神的なものと持ち上げる傾向を賛美するとき、われわれは、自らの心と運命の蒙昧化という代価を払い続けるのである。民衆の内にある軽信という、この非合理の力を利用せんとする点で、わたしはガンディーを非難する。と言っている。

   興味深いのは、「チェルカー」、すなわち、原始的な糸挽車をもって家で糸をつぐむべしとする、ガンディーの熱烈な主張の利点にはタゴールは一貫して懐疑的であった。タゴールは、この構想の経済的根拠なるものを、ペイしないきわめて非現実的だとみていたのである。
   しかし、ガンディーにとっては、この行為はインドの自己実現の重要な一部であって、すべての人が、「毎日30分、犠牲として」、より恵まれた生活を送る人がより不幸な人々と、一体化するために、糸を紡ぐことを求めたのである。
   タゴールの考えたのは、チェルカーは、思考を要求せずただひたすら時代遅れの発明品を回すのみで、最小限の判断や忍耐力しか用いない。人々に何事かを思考させる方法ではない。独立運動のメインテーマなら、頭を使て、もう少しましなことを考えよと言うことかも知れないが、
   ガンディー像の象徴のような糸挽車について、両巨頭のツバゼリアイがあったとは面白い。

   科学に対する両極端の態度において、二人が激しく衝突したのは、1934年ビハール州で数千人の命を奪った破壊的な大地震。
   ガンディーが、この地震が、我々の罪、不可触民差別の罪に対して、「神がくだし賜うた神罰と信じざるを得ない」と一つの積極的な教訓を引き出したのに対して、
   タゴールは、地震の原因を、倫理上の過失に帰すことの中に含意される認識の在り方に反発して、「我が国の多くの民衆にとって、自然現象についてのこのような非科学的な見解が、いとも容易に受け入れられるがゆえに、何にもまして不幸である。」と一蹴した。 

   タゴールは、イスラム、キリスト教、あるいは、シーク教的な理解を軽視するヒンズー正統主義のような宗教的党派主義に反対した。ナショナリズムでさえ疑念の対象であった。自らの文化と遺産への興味と関心を維持しつつも、ほかの世界で何が起き、人々がいかに生き、何を価値あるものにしているか、学ぶべきであるというタゴールの両面性は、文化的多様性に対する態度にも表れている。        
   注目すべきは、タゴールは、イギリス支配に対して痛烈な抗議と告発を行い続けてきたが、欧米帝国主義への敵対と西欧文明の拒絶とはつとめて峻別しようと試みた。「シェイクスピアの戯曲やバイロンの詩、そして何にもまして・・・19世紀イギリス政治の寛容な自由主義をめぐる議論」から、インドが多くを得ていることに注意を喚起したのである。

   これらが、セン教授のガンディーとタゴール論のすべてではないが、
   タゴールの理知的合理精神と、ガンディーの何となく人間的な側面を垣間見た感じがして、興味深かった。
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アマルティア セン著「議論好きなインド人」(タゴール)

2023年08月18日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   ノーベル賞経済学者のアマルティア セン著「議論好きなインド人」The Argumentative Indian: Writings on Indian History, Culture and Identity、
   対話と異端の歴史が紡ぐ多文化世界、そのインド人の歴史、文化、アイデンティティを、セン教授が蘊蓄を傾けて語る。
   翻訳本の本文だけでも600ページを超す大著で、非常に興味深いのだが、まず、来日したインド最高の文人詩聖タゴールの日本観を記述したところがあるので、そこから、レビューを始めてみたい。第5篇 タゴールとかれのインド である。

  日本への賛美と批判 と言う項で、日本のナショナリズムについて、タゴールの確固たる信念が貫かれていて、非常に興味深い。
  タゴールは、19世紀における勃興期の日本のなかに、インドと同じく、打ち負かされ辱められ、他の世界から遅れを取った民族が、自己への確信を回復する必要を読み取っていた。アジアの一国家が、工業発展や経済進歩において、欧米と競合し得る能力を明示したことで、アジアに広まっていた日本への称讃を、タゴールも共有していた。日本が、「強大な歩みで数百年の過去の不活発さを捨て去り、その偉大な達成において、現在に追いつかんとしている」ことに満足感を表した。「長期にわたる惰眠の呪縛を解いた」というのである。

   ところが、日本における強烈なナショナリズムの勃興と、帝国主義国家としての登場を批判した。タゴールの遠慮ない批判は、日本の徴収の不興を買い、「最初の来日時にかれを迎えた歓迎は、直ちに冷却した。」
   あれほど、東方文化の華と賛美した日本が、憎むべき植民地主義の権化である欧米を後追いして、帝国主義国家に変貌して行き、アジアの同胞を苦しめ始めたのに耐えきれなくなったのであろう。

   1937年、中国への日本の侵略戦争に際して、日本在住の反英革命家のラース・ビハリー・ボースが、かれが、日本政府の支援を受けつつ進めていた日本におけるインド独立のための努力に、タゴールの支持を求める手紙を送ったら、タゴールの返答は、
    「私は、ほかのアジアと共に、かっては日本を称讃し、日本に期待し、そして、日本において、アジアは遂に欧米への挑戦を見だし、日本の新しい力が、外国支配から東方の文化を防御するために捧げると、浅はかなことに、かっては信じていた。しかし、日本は、この高まる希望を裏切り、その驚異的な、私たちにとっては、象徴でもある覚醒において有意義なあらゆるものから遠ざかるまで、さほど時間はかからなかった。そして、今や、日本自身が、東方の無防備な人々の、一層凶悪な脅威となってしまった。」
   タゴールは、輝かしい達成と未来を持つ国民すらをも、いかにナショナリズムが道を誤らせるかを示す実例として、日本の軍国主義を見ていた。と言うのである。

   平和国家としての戦後日本の誕生を見たなら、タゴールはこのうえなく満足したであろうとセン教授は追記しているのが面白い。
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スティーヴン ワインバーグ 著「科学の発見」

2023年08月17日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   「世界を説明する:モダン・サイエンスの発見」というタイトルのこの本、
   理系の知識が乏しく典型的な文系の私が、「科学や数学や歴史について特段の予備知識を持たない学部生」への講義ノートから生まれた、ノーベル賞量子物理学者の快刀乱麻の科学史だという能書きにつられて、読み通したのだが、やはり、関心のなかったトピックスの連続で、正直なところ良く分からないことが多くて、読書を楽しむという雰囲気ではなかった。

   当時私の受験した大学の受験科目は、英数3国理2社2合計9科目で、文理区別がなく、受験勉強し始めた時には、まだ、数学や理科も得意科目で、実際に、数1数2幾何、それに、科学と生物で受験して特に不都合はなかった。多少、経済学部で数学にはお世話になったものの、大学院まで、そして、仕事も文系で通して60年も経つと、恐ろしいほど理系の知識が欠落してしまっているのに気づいて唖然としている。
   尤も、元々天文学など勉強らしきものさえしていないので、アリストテレスやコペルニクスやケプラーの理論や法則、太陽系の解明など詳しく説明されても、上っ滑りの知識をフォローするのがやっとで、周到に準備されているテクニカルノートを精査する余裕さえなかったのが残念である。
   しかし、ガリレオやニュートンになると、やはり、多少知識が入っているのと一般的な歴史的叙述も多くなるので、親しみを感じてホッとする。
   いずれにしろ、良く分からないままにも、ターレスからニュートンまでの科学の歴史、そして、今日までの量子物理学への展開から近未来の科学の展望など、貴重な科学面からの世界の歴史の凄さを垣間見た思いで、今まで味わったことのないような新鮮で知的な感慨を覚えている。

   さて、この本での白眉は、ニュートンまでの、16~17世紀の科学革命の時代である。
   なぜ、その時代にその場所で起きたのか、世界史的にも西欧で最も華やかでエポックメイキングな時代であったで、考えられる理由は少なくない。
   15世紀のヨーロッパで多くの変化が起き、それが科学革命の素地を作ったのである。
   英仏で中央集権国家が確立され、1453年のコンスタンチノープル陥落でギリシャ人の科学者がイタリアなど西欧諸国へ逃れた。ルネサンスにより自然界への関心が高まり、古代の文献やその翻訳に対してより高い正確性が求められた。活版印刷の発明により、研究者間のコミュニケーションが遙かに迅速かつ安価に行われるようになった。米国大陸の発見と探検により、古代人が知らなかったことが沢山あるのだという意識が高まった。また、プロテスタント宗教改革が科学にとって好ましい社会環境を作り出し、合理主義と経験主義、さらに、自然には理解可能な秩序があるとの信念を促進し、特に、17世紀のイギリスの科学の発展の後押しをした。
   興味深いのは、著者が、次のように述べていることである。
   この様々な外的影響が、科学革命に対してどの程度重要な役割を果たしたのか判断は難しい。だが、運動と重力の古典的法則を発見したのがなぜ17世紀末のイギリスのアイザック・ニュートンだったのかは説明できないが、その法則がどのようにしてそのような形を取ったのかは分かる。それは、ただ単に、世界が実際にはほぼニュートンの法則に従って動いているからである。

   ところで、この科学史も、ギリシャから説き起こしているが、欧米の多くの歴史書がそうであるように、完全に、中国やインドは勿論、4大文明の発祥地などに一顧だにせず、西欧の科学史に限定して記述されている。
    古代中国の四大発明* 羅針盤 * 火薬 * 紙 * 印刷 などは勿論、ギリシャの文化文明をそっくり継承して近代ヨーロッパに移し替えたイスラムの文化や科学的貢献など、絶対に無視し得ない世界の科学史をないがしろにしている。
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映画:「戦争と平和(1956年版)」

2023年08月13日 | 映画
   ウクライナ戦争の最中、何となくロシアの戦争に関心を持って、トルストイの「戦争と平和」の映画1956年版を、NHKBSPで録画していたので見た。
   1967年の映画「戦争と平和 」もあるようだが、私が映画館やTVで観たのは、オードリー・ヘップバーンのナターシャやヘンリー・フォンダのピエールが登場する1956年版である。
   特に、壮大なロシアとナポレオンの戦争シーンは強烈な印象が残っていて、今日のウクライナ戦争という暴挙に、何故、プーチンがのめり込んでしまったのか、考えさせられるのである。

   トルストイの大作「戦争と平和」は、大学時代に人並みに読もうとしてチャレンジしたのだが、読み通せなかったという記憶がある。
   映画の概要を纏めるのも何なので、ウィキペデイアの説明をそのまま引用させて貰うと、
   19世紀前半のナポレオン戦争の時代を舞台に、アウステルリッツの戦いや、ボロディノの戦いを経てモスクワを制圧するもフランス軍が退却に追い込まれたロシア遠征[などの歴史的背景を精緻に描写しながら、1805年から1813年にかけてあるロシア貴族の3つの一族(ボルコンスキー公爵家、ベズーホフ伯爵家、ロストフ伯爵家)の興亡を中心に描き、ピエール・ベズーホフとナターシャの恋と新しい時代への目覚めを点描しながら綴った群像小説である。

   恋に目覚め始めたロストフ伯爵の令嬢ナターシャが、クトゥーゾフ将軍の副官であるアンドレイ・ボルコンスキーに初恋に落ち、従軍中に、ドンファンで節操のないナトリーと駆け落ち騒動を起すなど幼くて激しい恋を経て、ピエール・ベズーホフとのハッピーエンドの余韻を残して終るだが、オードリー・ヘップバーンのナターシャの初々しい恋の遍歴がサブメインテーマで、その妖精のように清楚な美しさが鮮烈なインパクトで魅了する。
   ピエールは、トルストイの分身と見られ、没落していくロシア貴族から、大地の上で強く生き続けるロシアの農民の生き様への傾倒へと続くピエールの魂の遍歴は、トルストイの心の動きの反映とも言われるのだが、この映画では、思想や世相などはフリーで、そこまで踏み込んではいない。、しかし、フォンダは、やはり希有な名優で、実に感動的にピエールを演じている。
   この映画で、興味深いのは、当時のロシア貴族の豪華絢爛たる豊かな生活を克明に描いていて、国民の殆どが極貧の農奴生活で呻吟していたことを思うと、ロシアの文化文明度の高さを認めて良いのかどうか、むしろ疑問に思っていて、ヨーロッパ文化の仮の単なる模倣移転であって、ロシアの歴史の闇を感じた。

   1812年、ナポレオンがロシアに侵攻し、フランス軍とクトゥーゾフ将軍率いるロシア軍とのボロジノの激しい戦争シーンは圧巻である。
   フランス軍がモスクワに迫り、クトゥーゾフは、モスクワを死守するか、退却するかの決断を迫られる。戦っても勝ち目がなく国土を疲弊させて征服されるだけなので、将軍たちの作戦会議での反対を押し切って、クトゥーゾフはモスクワを放棄することを決意する。モスクワの市民たちは先を争って避難を開始した。フランス軍がモスクワ入城後、市内は略奪の限りを尽くして暴徒の街と化す。クトゥーゾフはナポレオンの降伏勧告を無視し続けて、市街が放火から大火に見舞われて、フランス軍の士気が乱れ、ナポレオンの焦燥と危機感は増すばかりで、ついにナポレオンは何の成果を得ることなくモスクワからの退却を決断する。ナポレオン撤退の報せを受けたクトゥーゾフは、神にひれ伏して感謝。退却するナポレオン軍を追って、ロシア軍は反撃を開始する。
   ナポレオン軍は、冬将軍の訪れとともに寒さと飢えに耐えきれず、執拗なロシア軍の追撃に雪崩をうって敗走する。
   このスケールの大きな退却シーンの凄さは特筆もので、特に、ロシア軍の爆撃を受けて狭い橋を逃げ惑うフランス兵の惨劇の凄まじさは、息を飲む。

   冬将軍に窮地に追い詰められたフランス軍の阿鼻叫喚とも言うべき想像を絶する死の退却行軍の厳しさが、いかばかりであったか、
   常軌を逸したリーダーに導かれた国民の悲惨さを思えば胸が潰れるが、いまだに、性懲りもなく、ウクライナ戦争など、この文明世界で繰り返されているこの悲劇。
   冬将軍の助けにすべてを掛けたクトゥーゾフ将軍の叡智の片鱗でも、今のロシアのリーダーにあれば、
   と思っている。
   私がロシア語で、一番最初に覚えたのは、「ウミレニエ」、
   「自然は美しい、素晴しい」という感動や畏敬の念を表す言葉だと、うろ覚えだが記憶にあって、これがロシア人の国民性だと知って感動したのを覚えている。
   
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PS:ハロルド・ジェームス「最初のポリクライシス The First Polycrisis」

2023年08月12日 | 政治・経済・社会時事評論
   プリンストン大学の歴史と国際問題専門のハロルド・ジェームス教授のPSの論文、「最初のポリクライシス The First Polycrisis」
   今日、世界中に吹き荒れているポリクライシス、一見制御不能な環境危機、地政学的危機、経済危機の時代に、1848 年にヨーロッパを襲った革命の波が多くのことを教えてくれる。 それはまた、相互接続された世界の混沌とした可能性、統治の限界、そしてより管理しやすい未来への道を明らかにしている。と言うのである。

   まず、ポリクライシス(polycrisis)とは、複数の世界的な危機が絡み合い、個々の事象の単純な合算以上の大きな影響を及ぼす状況を指す。世界経済フォーラムが、毎年発行しているグローバルリスク報告書で警鐘を鳴らす「ポリクライシス」やイアン・ブレマーのユーラシアグループがレポートする10大リスクなどが、今日の「ポリクライシス」を示しているであろう。
   いずれにしろ、グローバリズムの進展とICT革命デジタル革命によって進化発展して、雁字搦めに結びついた人類社会のクライシスの複合錯綜、
   解消など至難の業である。と思うのだが。

   歴史家クリストファー・クラークの新著『革命の春: 新世界のための闘い、1848-1849』を引用して、1848年から1849年にかけてヨーロッパの大部分を席巻した革命に関するこの権威ある研究、そして、歴史上の遠い時代が切迫感を持って語りかけ、現在の出来事の最も情報に基づいた分析よりも優れたガイドとなる可能性があり、私たちの時代への共鳴に驚かされるという。
   クラークは、1848年の革命の年も、今日の危機も同じくらい多大な危機で、当時も今も複数の危機が同時に発生し、相互につながった世界の混沌とした可能性が露呈した。 そしてまた、この時代は「民主的条件下での結束の喪失、対話の失敗、議論を通さない正統性の硬化、重要な目標に優先順位を付け、それを追求する目的で団結することができない」という特徴を持っていた。人々は「方向性が定まらないままの混乱と変化」に引き裂かれていた。と指摘する。

   さて、1848年危機だが、旧秩序が脆弱だったのは、オーストリア首相メッテルニヒが非常に恐れていた陰謀家や革命家たちのネットワークのせいではなく、暴動が自発的に勃発したためで、 感情はジャーナリストによって煽られた。
   大陸規模の陰謀という考えは、革命的な想像力と旧秩序の悪夢の両方を引き起こした。 しかし、この物語は基本的に気を散らすだけで、 大陸を実際に結びつけていたのは、不作と作物の疫病、特に北ヨーロッパを壊滅させたジャガイモ菌類(アイルランドで最悪の影響を及ぼした)に続いて起こった不足によって煽られた、社会的不平等の共有であった。 反乱主義者の任務は、政府の期待に応え、誘導する方法で政府のプロセスを再調整するという目の前の本当の任務から当局の注意をそらすことであったので、 社会はますます政治化し、批判的になって行った。
   1848 年は、政府が何をし損ねたか、そして何をすべきかについてのヨーロッパの議論から生まれ、それが結果的にヨーロッパ全体の意識を生み出した。 その結果、すべての新しい政府は、国家の効率性の向上、経済発展の促進、貿易と通信の開放、銀行と金融機関の改革に重点を置く必要があった。 1848 年以降の体制は、ナポレオン戦争の終結を正式に承認するためにウィーン会議で外交官によって画策された 1815 年の和解を単に復元したものではなくて、 むしろ、彼らは、管理者や知識人が他所で行われていることを寛大に観察する新時代の幕開けとなった。 1848 年の効果は、議論を目的 (何をするか) の問題から手段 (どのように行うか) の問題に移すことであったのである

   それでは、今日のポリクライシスは改善できるのであろうか? これが今日の中心的な課題だが、クラークは、すべての政府は解決できない問題に直面しており、 政治問題は本質的に『解決』できないものであって、解決策を探すという事業全体が気晴らしに過ぎないことを意味している。 19 世紀半ばの偉大な成果は、明らかに解決不可能な過去のすべての問題を単に置き去りにすることができるように、新しい発展と機会をつかむことができる社会を創造したことであった。と言うのである。

   ジェームスは、1848年以降のヨーロッパの社会の展開につて、論述しており、
   ここには、EU離脱とドナルド・トランプの2016年以降の世界における我々への教訓が確かにある。 1848年と2016年にリベラル派の指導者たちは、苦しみと混乱を抱えたより広範な社会を理解できず、意思疎通もできなかったために敗北した。 政治的理解を深めていくには、ギャップを埋めることが必要がある。と言う。

   最終的に、クラークの言を引いて、リベラリズムに対する響きのある、そして、説得力のある擁護を行っている。 それは依然としてこれまでと同様に関連性を持っており、「左派では植民地暴力と市場主導の経済学、右派では左翼の流行と社会的ライセンスと同一視される」ため、現在脅威にさらされている。 リベラリズムの強みは、自己修正能力と、反対派の懸念や考えを受け入れる能力にある。 そういう意味では粘り強い。
   独裁国家については同じことは言えない。
   と結んでいる。

   今日のポリクライシスは、リベラリズムが健全である限り、ほおっておいても、新時代の到来によって、自然に解決すると言うことであろうか。
   極右勢力の台頭やポピュリズム勢力の隆盛、独裁的な専制主義的な国家体制の伸張で、益々後退する民主義体制の退潮を考えれば、リベラリズムの世直し政策など信じられるであろうか。
   
   人類は、最初の「ポリクライシス」は、1848年に経験済みで、その解決に成功したと言うのだが、今日の深刻な「ポリクライシス」を、どのようにして解決するのか。
   地球温暖化で宇宙船地球号が危機に瀕し、ウクライナ戦争を筆頭にして核の危機が再燃するなど、人類の存続、その命運が問われており、牧歌的な19世紀の「ポリクライシス」とは雲泥の差、
   人類の思想や哲学は勿論、気性や気質などが、たとえ変っていなくても、地政学的物理学的科学的に大きく変質してしまったこの人類社会において、19世紀の「ポリクライシス」解消法が役に立つのかどうか。
   ジェームスは、何も処方箋を提示していない。
   
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PS:イアン・ブルマ「 For the Love of Trump  トランプの愛のために」

2023年08月10日 | 政治・経済・社会時事評論
   オランダのジャーナリスのとイアン・ブルマの「For the Love of Trump トランプの愛のために」
   どう考えても異常だとしか思えないトランプ支持者のトランプ愛について考えていて面白い。

   トランプは、米国に対する詐欺や米国人の投票権剥奪の共謀など4件の刑事罪で起訴されたばかりで、また、フロリダ州の連邦裁判所でスパイ法違反を含む40件の罪に問われ、ニューヨーク州ではセックススキャンダルのもみ消しに関連した34件の重罪に問われている。 こうした状況にもかかわらず、次期共和党大統領候補の最有力候補としてのトランプの立場は揺るぎないもののようであり、 最近のある世論調査によると、同氏は最も近いライバルであるフロリダ州知事のロン・デサンティスを37ポイントもリードしている。元大統領が刑務所に入るかもしれないということは、彼の支持者を全く気にしていない。 彼の熱心な支持者のうち、彼が何か悪いことをしたと思っている人はゼロパーセントだが、これは奇妙なことである。 さらに奇妙なのは、共和党員の43パーセントが明らかに彼を「非常に好意的に」考えていることである。

   トランプの支持の粘り強さの理由は何であろうか? 彼は一貫した議論をほとんど行っていないため、彼の議論の説得力が鍵となる可能性は低い。 彼が何を考えているのか、あるいは彼の考えが何か大した意味を持つのかどうかが明らかになることがほとんどなく、 彼は事実に無関心、あるいは事実を軽蔑さえしている。 しかし、彼が嘘をつけばつくほど、彼の支持者たちは彼をますます好きになっているようで、あたかも彼の嘘の雪崩が真実を認識する能力を麻痺させているかのようだ。人々の情報の受け取り方の根本的な変化がこれに関係していることは疑いなく、トランプ支持者だけでなく、多くの人々が、FOXニュースやその他のさらにおかしな報道機関でジャーナリストを装った詐欺師たちによって後押しされ、インターネット主導の誤った情報のバブルの中で、居心地の良い場所を見つけている。

   トランピストバブルは悲観論に深く陥っている。 バイデン大統領の下で経済は著しく回復しているにもかかわらず、共和党の約89パーセントが米国は急激に衰退していると考えている。 トランプ支持層のメンバーらは、邪悪なエリート、悪意のある移民、そして世界の糸を引いている邪悪な国際資本家集団によって引き起こされる差し迫った国家的大惨事についてさえ話している。 トランプは、自称救世主への恍惚とした賞賛と同じくらい簡単に復讐的な暴力を引き起こす可能性がある、こうした陰謀的な不安を操作する名人である。
   一般的な不安にはいくつかの理由がある。 米国の産業労働者の多くは、安価な労働力が海外に求められる世界経済の中で取り残されていると感じている。 そして、社会的および人口動態の一連の変化、非白人国民の増加、宗教的権威の低下、根深いジェンダー規範や性的および人種的階層構造への挑戦により、人々は当惑し、彼ら自身の目には権利を剥奪されたように映っている。 彼らは「自分たちの国を返す」と約束する指導者を崇拝している。
   トランプの扇動的な策略の中で最も成功しており、最も憂慮すべきことは、彼自身の法的問題を彼の支持者全員に対する攻撃として提示することである。 同氏の陣営は、最新の起訴をスターリンのソ連やナチスドイツでの迫害に例えた。 しかし、今日の米国は、ドイツを運命づけたワイマール共和国ではないし、イラクやアフガニスタンでは悲惨な戦争があったが、第一次世界大戦後にドイツ人を罰したベルサイユ条約に匹敵するものはないし、1930年に匹敵するほどの経済恐慌もない。

   おそらく最も重要なことは、トランプが最高裁判所を宗教急進派と固めることに成功したにもかかわらず、ヒトラーのようにエリート層のほとんどを捕らえていないことである。 今では若い白人男性の中には極右に惹かれていると感じている人もいるが、トランプにはナチス時代のような学生たちの支持は何もない。
   共和党がトランプを大統領候補に指名した場合、共和党のライバルを蹴散らすよりも、民主党候補となる可能性が高いバイデンに勝つ方が難しいと思われるだろう。 しかし、投獄を避けてホワイトハウスに復帰することを切望している候補者の災難を避けるために、十分な国民がよろめきがちな81歳の人物に投票するよう説得できるかどうかは、これから見ていくことになるだろう。

   さて、トランプは、「Make America great again. 」とは連呼し続けてはいるが、それも行き当たりばったりの自国主義かつ自己主義の発露であって、高邁な理想も哲学もなければ、勿論、アメリカの将来をどうしたいのか、政治的ビジョンも希薄のみならず、アメリカの魂とも言うべき民主主義など一顧だにせず、その屋台骨を根こそぎ崩壊させようとまでもしている。
   アメリカ政治の極端な二極分断化が進行し、民主主義社会の著しい不安定化の進展に、恐怖さえ感じていたのが、トランプ現象の出現によって、更に、危機意識が増幅したのだが、
   あれだけ、民主主義の根幹に触れる非合法の悪事を重ねて民主主義を踏みにじり続けてきたにも拘わらず、未だに衰えぬアメリカ人のトランプ愛が、蘇る徴候さえ感じて、恐ろしくなっている。
   「嘘をつけばつくほど、支持者たちはトランプをますます好きになっているようで、あたかも彼の嘘の雪崩が真実を認識する能力を麻痺させている」と言うアメリカ国民の愚かさ、民度の低さ、
   私も、アメリカの大学院の教育を受けたのでアメリカ人を信じたいが、雪崩を打ってトランプに傾斜するアメリカの民主主義の脆さ、アメリカ人の不甲斐なさを実感して怖くなっている。

   私事だが、トランプも建国の父ベンジャミン・フランクリンの創立したペンシルベニア大学ウォートン・スクールの同窓生であるので、私同様に、母校の中庭に立つフランクリン像を仰ぎ見ていたはず、
   フランクリンが高らかに唱い上げたアメリカの建国精神とこのフィラデルフィアで産声を上げた憲法の精神を思い出して欲しいと思っている。
   
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PS:アンタラ・ハルダー「 WHICH IS THE REAL EUROPE?  どっちが本当のヨーロッパか?」

2023年08月09日 | 政治・経済・社会時事評論
   「 WHICH IS THE REAL EUROPE?  どっちが本当のヨーロッパか?」
   ケンブリッジ大学のアンタラ・ハルダー准教授は、今年は欧州連合創設30周年にあたるのだが、このEU プロジェクトは、「ヨーロッパの理念」に基づいて、人と場所の間に新たな絆を生み出すという志を持ったユニークなプロジェクトであったが、成功したのかどうか、
   ギリシャ危機と英国のEU離脱に対するEUの対応を検討することで、この壮大な実験がどの程度順調に進んでいるのかが分かる、と書いている。

   1993年にマーストリヒト条約が発効すると、ヨーロッパ人は超国家的統治と主権の共有に関する歴史的にユニークな実験に乗り出した。 EU の単一市場では、27 の加盟国間での商品、サービス、資本の自由な移動が許可されている。 そして重要なことに、そのシェンゲン圏は加盟国間の国境が開かれ、4億人以上の人々に国境を越えた前例のない形の市民権を与えることを意味する。 自由貿易は古い考えだが、この規模での人々の自由な移動は全く新しいものであった。

   しかし、EU は単なる美化された貿易圏以上の存在なのであろうか? ヨーロッパ人が分離の危機に直面した最近の 2 つの出来事、ギリシャ債務危機と EU 離脱を考慮することは有益である。それぞれの出来事は、大陸の支配をめぐって争う対立する勢力を浮き彫りにした。 ギリシャの場合、EUは、加盟国から譲歩を引き出すために分裂の脅威を行使し、極悪非道な抑圧者の役割を果たした。 英国の場合、ブリュッセルは英雄であり、多国間主義と開放性の原則を守りながら、裏切り行為に冷静に耐えた。 これらのエピソードのうち、EU の中核的な性格をより正確に表現できるのはどれか?

   ギリシャの債務問題が、急速に崩れる一連のドミノ倒しの一部であった。 2008年の世界金融危機後、ギリシャはもはや巨額の債務を帳消しにすることができなくなったため、EUと世界の最後の貸し手である国際通貨基金に支援を求めた。 ギリシャ財政が混乱していたことを否定する人はいないが、多くの人は、「トロイカ」(欧州委員会、欧州中央銀行、IMF)が、より良い経済の将来に向けた基礎を築くのではなく、過去の過ちの償いを要求したという間違いを犯したと信じている。 彼らは、ギリシャが予算削減、増税、強制民営化、企業寄りの改革を含む厳しい緊縮策を採用した場合にのみ救済すると主張した。 当時のギリシャ財務大臣ヤニス・バルファキスが指摘したように、トロイカは復興よりも償いに執着しており、ギリシャを「財政水責め」にさらすことになった。 EUは、不運な国民に不必要な痛みや苦しみを与えようとする執念深いいじめっ子として映った。 ギリシャは債務の一部を免除することを拒否することで、最も弱い経済的つながりが解消されればヨーロッパは強化されるというダーウィンの主張を受け入れたようだった(この結果はかろうじて回避された)。
   この厳しいアプローチを主に提唱したのはドイツであり、国が国家的屈辱にさらされた場合に何が起こり得るかを痛感していたはずだったが、 ドイツの主張に倣い、EUは、ギリシャ国民の予見可能な強制収容などの「ソフトな」考慮事項に関係なく、厳格な財政規律を維持する必要があると主張した。

   Brexitの場合、EU第2位の経済大国としての英国の地位が傲慢に屈した。 英国人の僅差の大多数はEU残留の経済論理を拒否し、その代わりに移民によって引き起こされたとされるあらゆる問題に焦点を当てた。 離脱支持者にとって、バリアフリー貿易の利点は、EU内でのバリアフリー移民のコストを正当化するものではなかった。英国が欧州連合条約第 50 条を発動し、離婚手続きを開始したとき、EU は共同体として団結した。
   しかし、欧州がギリシャに苦難を与え、国民の声を無視しようとする機敏さは、英国の日和見的な欧州懐疑派にとっては好意的なものだった。 なぜ英国は、強者が弱者をいじめることを可能にするプロジェクトを気にする必要があろうか? 2009年から2010年にかけて、ギリシャと他の南部加盟国は、最も薄っぺらな経済理論に基づいて、クルーグマンが「オーステリア」と呼んだものになった。 2010 年以降の緊縮財政に関する英国自身の悲惨な経験が、Brexit 国民投票の成功に大きな役割を果たしたことは間違いない。

   ヨーロッパプロジェクトのユニークな点は、「ヨーロッパの理念」に基づいて、人と場所の間に新しい形の絆を築こうという野心にある。 ギリシャとイギリスの経験は、それぞれ独自の方法で、このアイデアがトランザクション ロジックのみに基づくものではないことを示している。 1930年代に行われた緊縮財政に関するこれまでの実験は、最終的に大陸を引き裂くことになった。 EUがさらに30年間存続するつもりなら、緊縮財政を望むのか、それとも団結を望むのかをきっぱりと決断する必要がある。その選択は、欧州委員会による域内財政ルールの改革案をめぐる議論の激化に反映されている。 もし前者を選択すれば、ヨーロッパの計画は政略結婚でしかなかったと信じている人々の正当性が証明されることになる。

   以上が、ハルダー准教授の見解だが、
   EU創設当時の「ヨーロッパの理念」を守って団結するのか、それとも、緊縮財政を堅持して経済体制を維持するのか、EUが目指すべき本当の将来像を問うていて、
   もし、後者を選ぶのなら、政略結婚に過ぎなかったというのである。
   ギリシャの財政危機でもブレクジットの場合でも、緊縮財政を強いて、EUメンバーを窮地に追い込めば、分裂を招くだけで、何の益にもならない、と言うことであろう。

   私は、EECからEUに移行する頃に、ヨーロッパに居たので、網の目のように張られた国境線の煩わしさ、鉄道ユーロレイルであろうと車であろうと飛行機であろうと、国境を越える毎に、パスポートチェックを受け通貨を交換するなど煩わしさを感じていたのが、ある日突然、フリーパスになり共通通貨ユーロが使えるようになって、その後、チェコやハンガリーなどでも同様となって、ヨーロッパは一つだと実感した思い出がある。

   今、ウクライナ戦争で世界中が震撼している。
   ロンドンに住んでいたときに、ヨーロッパは一つかと聞いたら、
   高名な英国の某上院議員は、こんなに国情が異なり歴史や文化が違うヨーロッパが一つであるはずがない、と言い、
   親しかった建築家のサー・フィリップは、ダブリンからキエフ(キーウ)まで、ヨーロッパは一つだ、と言っていたのを覚えている。

   私は、ヨーロッパに居た頃、良く車で域内を走っていたが、イタリアのブレンナー峠からオーストリア、ドイツ、オランダへと、国境を意識せずにアウトバーンなどを走れるのは、快適であった。
   それは、ともかく、良くもEUが30年も持ったなあ、と言うのが偽らざる心境である。
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PS:アンドレス・ベラスコLula’s Dance with Dictators ルーラの独裁者とのダンス

2023年08月07日 | 政治・経済・社会時事評論
   PSのアンドレス・ベラスコの「Lula’s Dance with Dictators ルーラの独裁者とのダンス」が、非常に面白い。
   ルーラ・ブラジル大統領は大統領に復帰して以来、多くの国際親善を享受しているが、それは前任者のジャイール・ボルソナロが非常に暴漢で反民主的( so thuggish and anti-democratic)だったからにほかならないからである。    
   しかし、悲しいことに、現在ルーラは、ひどかったボルソナロさえも良く見せるような暴君たちと交わっている。として、プーチン大統領とベネズエラの暴君ニコラス・マドゥロを抱きしめるのを見ていると、 ルーラのこの事件は、驚くべき規模の道徳的失敗だと嫌悪感を感じる。と言うのである。

   アンドレス・ベラスコは、元大統領候補でチリ財務大臣でもあり、ロンドン経済政治大学院公共政策学部の学部長を務めている。 彼は国際経済と開発に関する数多くの書籍や論文の著者であり、ハーバード大学、コロンビア大学、ニューヨーク大学で教員を務めてきた。と言うから、傾聴に値する知識人の論文として読んで良いと思う。
   それに、私は、ガイゼル大統領時代にブラジルに4年間在住しており、その後、群馬県立女子大学で3回ほど、非常勤講師としてブラジル学の講座を持ったので、ルーラ政治は勿論ブラジルの政治経済社会や歴史などかなり詳細に勉強したので、興味を持って読んだのである。

   まず、マドゥロ大統領との熱愛から始めるが、 5月下旬の地域サミットで、ルーラがベネズエラにおける人権侵害と反民主的行為は単なる「物語の構築」に過ぎないと主張したとき、進歩的な活動家らは息を呑んだ。 ヒューマン・ライツ・ウォッチによると、この国では「警察や軍が低所得地域で処罰されずに殺害や拷問を行っており」、「当局がジャーナリスト、人権擁護活動家、市民社会団体に対して嫌がらせや迫害を行っている」という。
   他のラテンアメリカの指導者たちが抗議すると、ルーラは政治的な話から個人的な話に移った。 ルーラが汚職で裁判で有罪判決を受け、最高裁判所の判決で有罪判決が取り消されるまで12年の懲役刑で投獄されたが、フィナンシャル・タイムズ紙によると、この判決は「依然として物議を醸している」という。 マドゥロに対する告発は「私に対する嘘のようなもので、誰も証明できなかった」とルーラは口走った。

   一人の独裁者を甘やかすスキルを磨いたルーラは、次はプーチン大統領に移った。 ロシアによるウクライナへの全面侵攻直後、当時のルーラ候補はタイム誌に対し、プーチン大統領とウクライナのゼレンスキー大統領は戦争に対して同等の責任を負っていると語った。 1年経った今でも彼の考えは変わっていない。最近の欧州連合・ラテンアメリカ首脳会議の前に、ルーラはゼレンスキーへの招待にまず拒否権を発動し、コミュニケにはロシア侵略に対する非難は含まれていないと主張した国々のグループを率いていた。 ラテンアメリカでは、チリ、パラグアイ、ウルグアイなどが反対しているが、どの政府もルーラを軌道から外すほど大きな影響力を持っていない。 米国と欧州の主要国は同氏の立場を擁護できないと考えているが(「ブラジルは全く事実を見ずにロシアと中国のプロパガンダをオウム返しにしている」と米国家安全保障会議報道官は述べた)、しかし他国で起きていることが多すぎて喧嘩をする気にはなれない。
   ブラジルは「独立した」外交政策(つまり、ウクライナに対する冷淡さだけでなく、世界基軸通貨としてのドルの役割に対する度重なる批判からも明らかなように、ワシントンから独立する)の余地を残そうとしていると主張する人もいる。 独立した外交政策は良いように聞こえるが、なぜ残虐行為を見て見ぬふりをすることが含まれなければならないのか? フランスやスカンジナビア諸国など多くの国々は、外交問題を自主的に運営するよう主張するだろうが、ロシアが引き起こした大虐殺を非難することに関しては言葉を詰まらせることはない。また、ブラジルはどちらの側にもつくことを拒否し、紛争当事国間の協議の開催を主張することで、和平調整役を演じていると主張する者もいるが、ブラジルが地球の裏側の二国の間を仲介するという考えは明らかにばかげている。 さらに別の空想的な見解は、ブラジルが西側の植民地主義をもはや容認しないグローバル・サウスを主導しているというものである。 ここまでは順調だが、大国が小さな隣国を征服し、その領土を併合しようと躍起になっているプーチンの戦争が、植民地主義でなければ一体何なのか?
   ルーラの立場は虚栄心と国内政治に根ざしている。 その虚栄心は、BRICSの仲間たちとともに世界の舞台を闊歩する、グローバルプレーヤーとしてのブラジルのビジョンから生まれている。 しかし、あたかもブラジルが中国やインドに匹敵する世界的権力を行使できるかのように振る舞うのは、全くの愚かさである。 頂上の華やかな演出は楽しいが、内容は依然として乏しい。そして、BRICS の平和と不介入の擁護における実績は、必ずしも優れたものではない。政治はさらに世俗的なものである。 ブラジル経済は今年、専門家が予想していた以上に成長しているが、高金利と低成長という世界的なシナリオ(非常に高額な国内公的債務に加えて)は良い前兆ではない。 さらに、ルーラ党は議会の過半数を持たないため、野党と立法交渉をしなければならない。 国内の見通しが暗いことを考えると、ルーラには、海外で写真を撮る機会は特に魅力的に思える。

   汚職で12年罪人であった張り子の虎のルーラが、前任者があまりにも悪い人物だったので、幸い表舞台に躍り出たのだが、BRIC’sの威光を借りて去勢を張っているだけ、
   元々、高邁な哲学も思想もない俗人の悲しさで、振り子が振れた中ロに靡いて加担して、あろうことか、最大の悪の権化とも言うべきプーチンやマドゥロに入れ込む節操のなさ。
   ベラスコは、常軌を逸した「Lula’s Dance with Dictators ルーラの独裁者とのダンス」については論じたが、ブラジルの悲劇については触れていないが、
   明日の大国ブラジルは、夢の夢。

   私が、ブラジルブームで世界中から注目されて沸きに沸いたブラジルへ行って夢を見たのは、もう、60年前、
   未来の大国と言われて嘱望されていたブラジルが、未だに鳴かず飛ばずの新興国の端くれ、
   植民地時代に、ポルトガルが刷り込んだラテン文化が政治経済社会に残した封建的な遺産が、亡霊のように呪縛して近代化できないブラジルの性の悲しさ、
   ブラジルファンとして寂しい。

(追記)ブラジルをよく知るために、このブログの左欄カテゴリーから「BRIC’sの大国:ブラジル」をお読みください。
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夏草の雑草処理は、刈込鋏が便利

2023年08月04日 | ガーデニング
   先日来、繁茂して困っている夏の雑草処理について、草刈り機の不都合やその顛末について書いた。
   それに、草刈り機であらかた草が刈れても、最後のところは、草刈り機の処理だけでは満足いかない。
   本当は、草刈り鎌で、丁寧に刈り取るのが良いのであろうが、どうしても地面直近なので老人には仕事がしづらい。

   草刈り機でほぼ処理の終った庭に、残っている庭の縁や刈り残しの雑草を、いわば、トリミングする手法で、刈込み鋏を使ってみた。
   刃先が長くて、それに、ハンドルが長いので、非常に能率的である。
   しかし、今手元にある使い古した刈込み鋏は、老朽化していて切れ味が悪い。研ぎ屋が近くになくて、何時回ってくるかも分からなくて、長い間研ぎに出していないので、機能不全であっても仕方がない。

   重宝していたので、同じ岡恒の刈込鋏 60型を、新しく買うことにした。インターネットで、刈込鋏を検索すれば、結構色々な種類の商品が出てくるのだが、
   岡恒は、園芸機器のトップメーカーであり、他にも剪定鋏なども使っているので、迷うことはなかった。
   何時ものように、真っ先にインターネットを叩いたのは、Amazonである。税込み送料込みで、5770円。
   楽天やヤフーなど他を調べたら、大体1000円くらいまでの差でいずれも高い。
   何故、同じ商品で、価格がかくも異なるのか、不思議で仕方がない。

   Amazonの場合は、自社販売なら、送料は410円で、2000円以上なら送料無料であり、極めてシンプルである。
   注文時点で、2000円を越えれば良くて、タイミングなどの事情で、小分けに送られてきても送料の追加はない。最近は、ヤマトなどではなくて自社発送システムのようである。
   何故、Amazonの製品が他より安くて、送料などに問題なく使い安いのか、
   先日も、製品の欠陥で、アイリスオーヤマの草刈り機を返品したが、すぐに担当者に電話が掛かって、二つ返事で返品処理をして返金してくれた。
   膨大な品揃えのマルチ商品をマススケールの巨大な販売システムを構築して、最先端のAIを駆使してのロジスティック、
   他者が、いくら足掻いても勝てる訳がない。
   さて、これが自由競争だが、ネットショッピングへの商圏の移動に加えて、価格競争などで遙かに優位に立つAmazonへの傾斜はハッキリとしており、このままで良いのかどうか。AI広告の技の筈であろうが、このネット画面に、1000円も高い岡恒の刈込鋏 のモノタロウの広告や、遙かに高い返品したアイリスオーヤマの草刈機のアスクルの広告が、ひっきりなしにポンポン飛出すのだが、どうなっているのか。
   GAFAなど、巨大テック企業は、人類の未来にとっては危険な存在だとは思うが、細やかな庶民にとっては生活の助け、
   かたいことは、言わないようにしている。

   いずれにしろ、どうにか、夏草の処理は、ほぼ終ったのでホッとしている。
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ヤニス・バルファキス:金融資本主義という病理

2023年08月03日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   大野和基のインタビュー本のヤニス・バルファキスの「金融資本主義という病理」
   コロナ騒動やウクライナ戦争などによる今日の経済危機は、2008年の世界金融危機の頃から進行している事態の延長であると指摘する。

   2008年の金融崩壊を、FRBやG20の中央銀行は、一致団結して破綻した大手金融機関へ融資拡大を行い、金融市場を救済した。しかし、これと同時に、労働者や中産階級などの民衆に対しては、政府支出の削減や増税による緊縮財政策を実施した。その結果、金融市場は再生したが、結局それは世界の黒字を再循環する力を奪い、資本主義のダイナミズムを奪い、投資と購買力の縮小を促進して、総需要の下落を早めた。富は飛躍的に上昇して強者に集中して、生産的な投資は崩壊し、賃金は停滞し、金利は急落し、政府や企業はフリーマネーの中毒になる-----これが2008年の金融市場を延命させた経済政策の実態だと言う。
   この金融政策が、ゾンビ企業を増やし、企業債務バブルを膨れ上がらせた。世界の企業資本主義社会の隅々にまで浸透し、膨れ上がったこのバブルを弾く針のような役目を果たしたのが、今回のパンデミックだった。この意味で2020年の経済不況は、2008年の金融危機から準備されていたようなもので、この金融債務バブルの本格的な崩壊が起これば、これよりはるかに大規模な経済危機を迎えることになると言うのである。

   「小さな政府」をもとめた新自由主義者たちは、「大きな政府」に反対し、まず死因人々や困窮した労働者たちなど、生活難に喘いでる人々に資金を提供することことに反対してきたが、政府も、規制緩和や減税、経済の活性化を図り、大企業や新興財閥などに資金を供給などして、国家を成長させた。戦後の福祉国家体制を否定し、個人の自己責任を基調とした新自由主義への転換だが、
   この国家の介入に反対していた自由主義者たちが、金融市場や銀行が破綻した場合には、国家に莫大な紙幣を刷らせて、その国債を元手に銀行救済に働きかけるよう要請したのである。
   結局、新自由主義とは、ごく少数の強者のための社会主義であり、それ以外の人々にとっては厳格な緊縮財政をしくと言う体制に他ならないと断定する。

   さて、このような新自由主義体制は、大企業への優遇とテクノロジーの進化を伴って、今や、特定の巨大なプラットフォーム企業に富も情報も集中していくような状態を生み出し、資本主義はテクノ封建主義(techno feudalism)に変質していると言う。資本主義のエンジンは、利益性と市場性にあるのだが、その利益は、私的な利益ではなく中央銀行が発行する金そのものとなり、市場については、尤も経済的な活動が地上からGAFAの形成する封土(feudal estate)になったという。

   著者は、公平で正しい民主主義を実現するために、三つのラジカルな対策案を提示して、独自のポスト資本主義像を提案している。
   一寸飛躍した提案だが、転換期に直面した資本主義の改変案の一つと見るべきであろうか。

   1989年サッチャーが首相になった頃のイギリスの福祉国家体制の悲惨さを見て、暗澹としたことがある。
   世界の金融センターのシティは、清掃人のストでゴミが散乱して宙を舞っていて、家の修理を依頼したら、職人は、小一時間仕事をするがすぐに止めて帰り翌日に回して時間を稼いで、延々と仕事を伸ばし続けて何時終るか分からず埓が開かない・・・悪質な労働組合のサボタージュと労働党の政治不如意で、政治経済は全土に亘って麻痺状態、
   悪の元凶であった労働組合をぶっ潰しにかかったサッチャリズムが、レーガリズムと呼応した新自由主義のはしりであった、
   それ以降、著者が糾弾する新自由主義旋風が一世を風靡して、先進国を吹き荒れた。

   弱肉強食の新自由主義が、世紀末から21世紀の経済成長を牽引したのかどうかその効果は、ICTデジタル革命やグローバリゼーションの勃興台頭が起こっているので分からないが、これも、制度疲労を起して立ち行かなくなってきた。
   市場経済至上主義の政治経済体制が続いた後、英国での労働党の復権など、ヨーロッパで民主主義の中道政治が優勢となって、福利厚生を指向したリベラルな体制となったが、
   政治経済社会体制など国際情勢が、不穏になってくるにつれて、ポピュリストや極右政党の台頭が著しく、右傾化を辿っている。

   さて、国際情勢は、民主主義勢力の弱体化に呼応するように、中ロなど独裁体制の専制国家体制の台頭が著しく、グローバルサウスをも取り込もうとする勢いであり、世界の地政学的な勢力地図が変りつつある。
   弱肉強食の市場至上主義の新自由主義か、リベラルで社会的公正を指向した福祉国家体制かと言った一頃の選択では通用しなくなってしまった。

   
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