熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

ロン・アドナー著「ワイドレンズ」

2013年05月31日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   この本は、イノベーション論としては、類書とは一味も二味も違った出色の出来である。
   素晴らしく革新的で、だれが考えても諸手を挙げて歓迎するような製品やサービスが、往々にして、頓挫して成功しないのは何故かを追求して、イノベーションを成功に導くエコシステムの確立が必須であると、スマートフォンや電子書籍、電気自動車、デジタル映画等々、豊富な事例を挙げて、たった一つのピースが埋まらなかったばかりに、長い年月足踏み状態であったことを説いていて、非常に面白い。
   革新的な発明や発見が、イノベーションとして実現するためには、深いダーウィンの海や死の谷を渡らなければならないと言うのが通説だが、その障害が何なのかを、明確に指摘して、イノベーションは、その克服如何にかかっていると言う。

   この本のタイトルである「THE WIDE LENS」だが、どのような状況であれ、イノベーションの成功には、自社の努力だけではなく、自社を周りを取り巻くイノベーション・エコシステムを形作るパートナたちの能力、やる気、可能性にも大きく関わっており、タイミング良く、適切なスペックで、競争相手に先行して優れたイノベーションを市場に出すにはどうしたら良いか、その自社の戦略を評価して実行する新しい視点WIDE RENSを示そうと言うのである。
   

   私は、この本を読み始めて、真っ先に、J.M.アッターバックが、著書「イノベーション・ダイナミックス」の中で、エジソンが電球と言う狭い概念ではなく、電球を作るだけではなく、効果的な発電、送電、分電、ソケット、ヒューズ、それらを固定する台など総てを創り出して、電灯と言うもっと幅広いシステムとしての開発を目指して、ガス灯を駆逐した例や、
   イーストマン・コダック社が、写真フィルムの開発だけではなく、カメラ、引き伸ばし機、印画紙、その他写真関連の色々な資機材などを同時に開発して、写真を安価に誰でも写せるようにシステムとして開発改良して、写真を大衆化した例を挙げて、
   如何に、システムとしての開発が、イノベーションの実現のためには大切かを、論じていたのを思い出した。
   その論理を、形を変えて、ICT革命下のグローバルベースでのオープン・ビジネスの今日において、如何に実現し、イノベーションを生み出すエコシステムを構築するか、アドナーは、事前に、イノベーション実現までの価値設計図作成して、価値の創造を阻む鍵となる制約を発見して、その制約を回避できる価値設計図を再構築するなどその手法とその戦略を説いているのである。

   ソニーのウォークマンは、単独のイノベーションであって、ソニー一社で開発できたが、今や単独のイノベーションなど存在せず、アップルのiPodなど一連のイノベーションは、エコシステムのイノベーションであり、イノベーションの手法が、エコシステムの構造を認識すべく完全に変わってしまっているにも拘わらず、ソニーは、戦略を誤って、電子書籍端末を開発しておきながら、電子書籍の販売と抱き合わせ戦略を取ってエコシステムを構築したアマゾンのキンドルに、完全に先を越されているのも、時代の流れであろうか。

  一つのピースが埋まらなかったばかりに、普及が遅れに遅れたデジタル映画について、アドナーは、アダプションチェーン・リスクとして取り上げている。
   デジタル映画の進歩のために必要なコイノベーションは、アナログとデジタル間のフィルム変換技術、データ転送、ストレージの機能だが、これが解決して、1999年2月に、ニューヨークとロサンゼルスで、「スターウォーズ・エピソード1・ファントム・メナス」が上映された。ところが、デジタルプロジェクターの普及率は、2006年には全米で5%未満。
   デジタル映画の普及によって、スタジオなど多くの利益を享受できる部門がある反面、利益よりもはるかに総費用が拡大するエコシステムのパートナー映画館が、猛烈に抵抗したので、アダプションチェーンの全員が賛同しない限り進まないイノベーションである以上、頓挫せざるを得なかったのである。
   結局、この解決は、資金の豊かな映画スタジオが、VOFプログラムを組んで資金を提供し、エコシステムにインテグレーターを介在させて、映画館のデジタル機器の初期費用や技術統合やメインテナンスを引き受けて、映画館から5~10年のリース料で回収すると言うことにして、映画館も、リース解除後は、デジタル映画が主流になると見込んで機器を保有することに同意して、今日に至っている。
   このケースは、一つのピースを埋めるために、金融イノベーションが活用されたケースである。

   アダプションチェーン・リスクは、イノベーションと現状の鬩ぎ合いで、課題は、そのエコシステムの重要なパートナーが、これまで通りで十分だと感じている時に、新たなイノベーションに参加することが、彼らにとってプラスの価値があることを納得させることである。
   たとえば、マイクロソフトが、旧バージョンのオフイス2003と同じ料金で、オフイス2007を提供したのだが、変換による総コストが便益よりはるかに高かったので、殆どの企業の意思決定者は、劣っている筈のオフイス2003を遣い続けたのである。

   このケースは、クリステンセンのイノベーターのジレンマを敷衍すれば、多少ニュアンスは違うが、日本の企業は、同じ製品の質の向上と言う技術深追いの持続的イノベーションばかりに傾注して、アップルのような今様の破壊的なイノベーションを追求できていないことの問題点を露出する。
   すなわち、いくら製品の質がどんどん向上しても、消費者の需要要件をはるかに越えているために、高い新製品が販売されても、プレミアム価格を払う意思がないので買わないし、今のままで十分だと言うことであろう。
   日本の家電メーカーのコモディティ商品の価格破壊と値崩れは当然の帰結であろう。

   
   ところで、アドナーのもうひとつ興味深い指摘は、複雑になったエコシステムのイノベーションでは、必ずしも、これまでのように先行者が勝つとは限らないと、如何に、適切なタイミングが必要かを、アップルのiPodの開発で説明している。
   iPodは、MP3より3年遅れたのだが、ジョブズは、すべての準備が整うまで待っていたのである。
   エコシステムが重要な世界では、素晴らしい製品を作るだけでは十分でなく、必要なすべての要素が適切な状態に整うことが必須要件であることを、ジョブズは、知り過ぎるほど知っていて、時来たりと判断すると、パートナーを糾合して、イノベーションのエコシステムを築き上げて来たのである。

   
   先行者は、新市場開発によって、後発よりも大きな不確実性リスクを負う。
   これを上手く活用したのが、松下幸之助のマネシタ電器戦略で、新製品が、市場で出回り始めて有望だと見ると、マネシタ製品を一挙に生産して市場を押さえて来たのである。
   「うちには、ソニーと言う研究所が東京にありましてなぁ。ソニーさんがね、何か新しいものをやってね、こらエエなぁとなったら、我々はそれからやりゃいい。」と言ったと言うあれである。
   技術・生産では、最高峰の松下であるから、真似しなくても同じものを作るのは、至って簡単なことだが、アナログ時代だから出来たことで、ICT革命とグローバリゼーションの時代には通用しない。
   私は、マネシタ電器哲学は、後発の松下が、先進技術を導入する為に、一方的な片務契約で膨大な金を払って結ばなければならなかったフィリップスとの提携契約での幸之助の苦衷での決断にあると思っている。
  「あのフィリップスの研究所をつくるのには何十億円もかかるやないか。2億円でフィリップスと言う大会社を「番頭」に雇ったと思ったらええんや。」と言う発想で、先行者リスクを回避して、出来るだけ安上がりに市場に参入して利益を追求すると言う戦略である。
   どんな技術でも製品でも、瞬時にキャッチアップ出来るだけの実力の備わったトップ企業であったからできた有効な経営戦略で、ICTデジタル革命後の激烈な国際競争時代にはそぐわないと、、中村改革で、大転換を図ったのだが、効果半ばであろうか。
   パナソニックに、破壊的イノベーションが生まれなかったと言うのも、このあたりに問題があり、クリエイティブ時代に伍して行けなくて呻吟し続けている松下の現状は、巨大企業の組織疲労だけでもなさそうである。


   少し脱線してしまったが、このアドナーの本は、久しぶりに納得した素晴らしいイノベーション論書である。
   
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国立劇場五月文楽・・・「一谷嫩軍記」「曽根崎心中」

2013年05月30日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   千穐楽の文楽、それも、第一部は、「一谷嫩軍記」と「曽根崎心中」と言う、非常に意欲的で素晴らしい舞台であったので、当然、「満員御礼」であり、大満足であった。
   「一谷嫩軍記」の方は、歌舞伎座の柿葺落四月公演で、吉右衛門や玉三郎が出演して素晴らしい舞台が展開されたが、文楽では、人形を、熊谷を玉女、妻相模を紋壽、藤の局を和生、義経を清十郎、弥陀六を玉也などが遣い、大夫と三味線が、夫々、三輪大夫・喜一朗、呂勢大夫・清治、英大夫・團七と言う凄い布陣であるから、正に、冒頭から熱が籠っていた。

   この文楽と歌舞伎との大きな違いは、歌舞伎では、幕が引かれた後、直実が、花道のスッポンに立って、「16年はひと昔。夢であったなあ。」と中空を仰いで慨嘆するのだが、文楽では、僧衣になった直実に吃驚した妻相模に、僧・連生となった謂れを語った最後の言葉であり、あれ程の、インパクトも感慨も感じさせないのが面白い。
   その後、文楽では、熊谷と相模は、黒谷の法然を頼って、弥陀六と藤の局も娘の待つ宿へ、さらば、さらば、と別れて行くのだが、歌舞伎も昔は、文楽のように、全員舞台に残って引張りの見得で幕だったようだが、七代目團十郎が、今の型を編み出して、踏襲されているのだと言う。
   勧進帳での弁慶の飛六方同様、中々、劇的なエンディングで、演出効果抜群である。

   歌舞伎の方は、どうだったのか、記憶が定かではないのだが、文楽で、義経が、弥陀六に、娘(清盛の娘)に土産に持って帰れと敦盛の入った鎧櫃を与えた後の直実と相模との対話が、人間味があって、実に、興味深いと思った。
   どうして敦盛と小次郎を取り替えたのかと聞かれて、直実が、「手負いと偽り、無理に小脇にひん挟み連れ帰ったのが敦盛様。また、平山を追っ駆け出でたを呼び返して、首討ったのが小次郎さ。知れたこと。」と答えて簡潔に種明かしをしたのに対して、相模が、「エ々、胴欲な熊谷殿。こなたひとりの子かいナウ。」と言って、百里二百里と会うのだけを楽しみにやって来たのに、訳も十分言わずに、勝手に愛息を殺しておいて、知れたことと叱るばかりが手柄でもござんすまいと、泣き口説く。
   尤も、直実も、理不尽な義経の「一枝を伐らば一子を切れ」と言う命令に従ったばかりに、最も大切なものを失ったが故に、断腸の思いで仏門に入ったのだが、相模の泣き崩れるキツイ糾弾に、玉女の直実も、じっと顔を伏せて号泣していたのである。

   この物語では、義経は、敦盛が後白河法皇の落胤であるから、自分の子供を身替りにしてでも殺すなと命じたこと、そして、弥陀六(実は、平家方の弥平兵衛宗清)が、清盛から、常盤と義経親子の命を助けたので、恩義に報いたと言うのが、この芝居の重要なテーマとなっていて、謂わば、義経を持ち上げて、判官贔屓の観客を喜ばせたのかも知れないのだが、私は、元々、壇ノ浦の合戦で、平家の漕ぎ手などを殺すと言う禁じ手などを多用して、平家を追い詰めた義経を、あまり、好きではないので、この筋書にも、無理を感じているので、むしろ、義経の横暴に泣く直実と相模の生きざまの方ばかりを見ながら、感動していた。
   歌舞伎と違って、人形であるから、玉女の直実は、相模を踏みつけて、右手に握った制札で、藤の局の顏を遮る豪快な見得を切る。
   それに、玉三郎も実に情感豊かで上手かったのだが、直実に、「敦盛の御首、ソレ藤の方へお目に掛けよ。」と言われて、わが子小次郎の生首を、愛おしそうに抱え込んで万感の思いを籠めて別れを告げている、その数分間の心の悲しみと葛藤を、紋壽は、人形に託して、切々と訴えて感動的であった。
   このあたりの義経や相模や藤の局の動きに対して、直実は、殆ど、微動だにせずに、じっと耐えているのだが、義経への手前、動揺を見せられないと言う以上に、玉女の人形は、不条理な人生と運命の悪夢を噛みしめいるようで、堂々たる存在感があって良い。

   和生の遣う藤の局は、やはり、文雀譲りの芸が冴えわたっていて、実に、優雅で品格があって感動的である。
   清十郎の立役は、久しぶりなのだが、これは、歌舞伎でも、女形が務めることもあるので、順当なところなのであろうが、今月の舞台では、清十郎の素晴らしい女性像が鑑賞できなかったのが、残念であったと思っている。


   さて、「曽根崎心中」だが、玉男が亡くなる少し前からは、簑助のお初と勘十郎の徳兵衛が定番となっていて、この国立劇場でも4回目くらいであろうか。
   師弟コンビの素晴らしい舞台で、何時も、感激して見ている。
   文楽のこの舞台や、歌舞伎の藤十郎の舞台など、曽根崎心中については、このブログでも、随分、書いて来た。

   何故、二人は心中したのかだが、近松の他の心中もの作品である「冥途の飛脚」では、身請けの金に困った忠兵衛が、公金の封を切ると言うことであり、「心中天網島」も、治兵衛が、身請けの金が工面できなかったと言うことで、他の男に身請けされるのなら死んだ方がましだと言うのがテーマになっているのだが、この「曽根崎心中」は、友人に金を貸したのだが、偽印を遣って証文をでっち上げたと犯人扱いにされて、申し開きが立たないので心中をすると言うケースで、話が、少し違っている。
   実際には、徳兵衛は、主人から妻の姪と結婚せよと強いられ、江戸の出店にやられることのなり、お初も身請け話が進んでいて、二進も三進も行かなくなって、二人が心中したと言うことのようだが、近松門左衛門は、油屋九平次(玉志)と言う友人で金持ちで恋敵を登場させて、義理と人情に泣く二人を心中に追い詰める話にして、観客を湧かせたのだと言う。

   近松門左衛門の浄瑠璃原作と非常に近いのだが、冒頭の長い西国三十三所巡礼の部分を省略して、その観音めぐりを終えたお初が、醤油屋の手代・徳兵衛と最後の観音巡礼の地「生玉の社」で偶然の再会をする。と言うところから始まっている。
   歌舞伎では、昭和28年(1953年)、東京の新橋演舞場で、中村鴈治郎 ・中村扇雀(坂田藤十郎)によって再開されて、その時は、宇野信夫が脚色したので原作にないのだが、偽判届がばれて九平次の悪が露見すると言う追加バージョンが上演されて現在に至っており、ここが文楽と大きく違うところである。

   したがって、文楽でも歌舞伎でも、近松門左衛門の原作には、さらりと書かれているだけの九平次のお初たちへの嫌がらせが強調されて舞台が展開されているのだが、これは、芝居上の工夫であろう。
   私には、最後の「天神森の段」の冒頭の、「この世の名残、夜も名残。死に往く身をたとふればあだしが原の道の露。一足づつに消えて往く、夢の夢こそ哀れなれ。」で始まる七五調の名調子が始まると、下手から、死に装束のお初と徳兵衛が登場する。このシーンが、何とも言えない程哀調を帯びて胸を締め付けて感動的なのである。
   「早う殺して・・・」と合掌して目を閉じた天使のように恍惚境のお初の美しさ。
   後振りで弓なりに仰け反るお初に、上から脇差を一気に胸を刺し自分の首を掻き切って死んで行く二人の最期。
   「長き夢路を曽根崎の、森の雫と散りにけり」

   この舞台でも、最も重要な「天満屋の段」で、縁の下に隠れている徳兵衛に、死の覚悟を足先で問うと、徳兵衛が、お初の足首を喉笛にあてがって応えると言う極め付きのシーンがあるのだが、
   この足のシーンだが、先代の鴈治郎の徳兵衛と藤十郎のお初での初演での舞台写真でも残っているのだが、文楽では、女方の人形に足は吊らないので、この足をどうするか問題となり、栄三は反対したが、玉男が白い足を見せたいとして、この演出が定着して、今日も続いているのである。
   この段は、九平次が、徳兵衛は死ぬ覚悟だとお初に言われて、死んだら俺がお初を可愛がってやると言うと、「私を可愛がらしやんすと、お前も殺すが合点か。」と凄むので、怖気づいた九平次が逃げ出すと言う凄さ。
   正に、お初の独壇場の舞台で、この浄瑠璃は、お初を主人公にした大坂女の物語なのである。
   この段は、久しぶりに、源大夫が、藤蔵の三味線で語ったが、声量に無理があり、やや、迫力に欠けてしまったのが、残念であった。

   簑助のお初の健気さ神々しさ、生身の女優が演じる以上に人間味豊かで温かいお初人形を見ていると、人間業とは思えないし、文楽の凄さを実感して感動しきりである。
   頼りないが精一杯に生きようとする大坂男の徳兵衛を実に愛情深く哀歓豊かに遣った勘十郎、心中天網島の小春も素晴らしかったが、今や、頂点の出来であろう。

   
   
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イタリアで財布を盗られたと友は言う

2013年05月29日 | 生活随想・趣味
   先日、米国の大学院の同窓会で、久しぶりに会った友人が、旅先で、財布を盗られて困ったと言う話を始めた。
   モービル他で米国の大企業を渡り歩いた名うての国際派のビジネスマンのDが、ローマで災難に合い、毎月のように海外に出ている新日鉄の元役員のIが、ザンクトペテルブルグで、大男に囲まれて、もう少しで襲われそうになったと言うのである。

   私も、ロンドンの事務所で、偶々、秘書など総てが部屋を空けていた時に、、空き巣が入って、背広の中から財布が盗まれたことがあるのだが、大概、予備の財布を持ったり、現金やカードを分散して持っていないので、財布が盗まれると、大変なことになる。
   幸いに、イギリスには、カードを届けて置けば、電話連絡で、盗難処理など一切を行ってくれる会社があったので、かなり、助かったのだが、異国で、旅行中に、財布やパスポートが盗られると、その事後処理が大変であるのだが、米国製MBAで、海外生活や海外ビジネスに走り回っていた男でも、こんな調子であるから、日本人の観光客で、被害にあっている人はかなり多い筈である。

   ローマで被害にあったDに聞くと、段ボールの板を腰あたりに平に持ってジプシーの子供が近づいて来て、その段ボールの下で女性観光客のバッグを奪って逃げたと言う話をしていたので、やられている手法は、何十年前と少しも変わらないのである。
   外人を装って、現地に疎い筈の日本人観光客に道を聞くべく話しかけて親しくなり、バーに誘っておごり、次のぼったくりバーで、金がないと言って法外な料金を払わせるなどと言うのもあった。
   ローマで、マドリッドから着いたところで、道が分からないと言って近づいて来た男が居たので、「ああ、このケースの奴だな」と思って、追い払ったことがあるのだが、これなども古典的な日本人観光客相手の詐欺である。

   フィレンツェの野外レストランで食事中に、嫌に後から押して出て行くので不思議だなあと思ったのは後の祭りで、家内のバッグを盗まれて、旅行用スーツケースや家の鍵などをなくして、旅の途中から帰宅まで、大変困ったことがあった。
   そこは、イタリアで、ホテルのボーイに頼んだら、(いつも、やっているわけではないんだ、今日だけだと言いながら)、スーツケースのカギを潰して開けてくれたのだが、それ以降、ホテル内や飛行機などの荷物預けでは、鍵なしなのでガムテープを貼ったけれど、役に立たず、大変であった。
   家の鍵は、同僚に電話して、業者に頼んで窓を壊して中に入って貰って、予備のカギを取り出したので助かったが、嫌な思い出である。
   前述のジプシーの段ボール事件は、知っていたので事前に撃退したが、マドリードなどでは、エスカレーターの後から娘のハンドバッグを強引に引っ張って盗ろうとする裸足のジプシー娘が居たのだが、用心しても、家族旅行は大変なのである。
   とにかく、聞いてみると、イタリアでの観光客被害など、筆舌に尽くせない程あるのだが、泥棒も、その腕は、レオナルド・ダ・ヴィンチ級なのである。

   もう一つ、私が経験したのは、ミラノのドウモ入り口で、後ろから押されて、背中に白いものがついていると若い男に注意されたのだが、この時は、スプレーかチューブで服を汚しておいて、親切気に服を脱がせて拭く途中に、財布を盗むと言う手合いだと分かっていたので、睨みつけたら、逃げて行った。
   パリの地下鉄で、日本女性が一人になると、大男が囲い込んで、ものを引っ手繰ると言った話も聞いたのだが、あまりにも、日本が平和大国で、治安も良くて安全なので、心の準備など出来ている筈もなく、ブッツケ本番では間に合わないのである。

   今日テレビで、どこかの国で、空港の荷物検査員が、グルになって盗難を働いていたのを隠しビデオで撮影して、一網打尽にしたと放映していたが、もう、何十年も前になるのだが、ロンドンのヒースロー空港では、必ず、間違いなしに、空港のベルトコンベヤー上に荷物が回るまでに、荷物が開けられて盗まれていたし、ホテルでは、スーツケースが、ずたずたに切り刻まれていたこともあったのだが、言うならば、海外旅行は命がけであった。

   もう一つ困った私の経験は、日本からニューヨークに出張し、仕事を終えて、サンパウロに飛んだのだが、スーツケースが盗難にあって、最後まで出て来なかったのだが、困ったのは、厳寒の日本を出て、真冬のニューヨークで一仕事して、真夏のサンパウロに降りた時には、着の身着のまま。
   下着はともかく、胴長短足の私に合う夏服など、サンパウロで、簡単に探せるわけはなく、とにかく、冬服で、暑いサンパウロとパラグアイのアスンションで、斬った張ったの仕事をしなければならなかったので、大変であった。

   
   ひとしきり、友と、海外での嫌な思い出を懐かしく語りながら、旧交を温めていたのだが、こんなことは、あのウォートン・スクールでも教えて貰えなかったなあと、言って笑い飛ばしていたのだが、案外、この文化や価値観の違いが、今の国際問題を複雑にしているのかも知れないと思っている。

   
   
   
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京成バラ園:豪華絢爛バラの乱舞

2013年05月28日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   わが庭のばらも、そろそろ、終わりに近づいて来たので、バラ満開と言う京成バラ園のホームページを見て、午後遅くなって入園者が少なくなった頃を見計らって出かけた。
   陽が長くなったので、閉園間際の時間でも、バラの鑑賞には問題はないのだが、バラの写真を写そうと思えば、朝早い方が良いようで、このバラ園も、写真愛好家のために、早朝5時開園のプログラムを組んでいる。
   私は、傑作写真を撮ろうと言う考えなどは、さらさないので、何時でも、どんな天気でも気にしない方なので、ひとが少ない方が良い。

   今回は、一眼レフに望遠レンズをつければ重いし、簡易なデジカメでは、ボケ具合が写らないので、ミラーレスのEOS Mに、EFS55-250mmの望遠レンズをつけて、これ一つを持って出かけた。
   昔は、花の写真はマクロレンズを遣っていたのだが、この頃は、それ程細密な写真を撮るわけではないので、望遠レンズで代用している。
   それ程軽くもないが小型だし、写りは EOS KISSなみだと言うから悪くはない。
   ただ、私に不便なのは、このカメラには、ファインダーとフラッシュがないことで、特に、ファインダーに慣れた人間には非常に不便であり、私の場合、近視で遠近両用メガネを遣っていないので、ピントが合っているのかいないのかは、カメラの液晶モニター上の合焦表示のグリーンランプ任せだと言うことであるから覚束ない。

   私は、イギリスにいた時に、結構、バラの季節に、植物園や庭園を訪れたことがあるのだが、正直なところ、この京成バラ園ほど、素晴らしく綺麗にバラが咲いているところを見たことがない。
   それ程、京成バラ園は、春秋、特に、春のバラのシーズンには、極彩色のカーペットを敷き詰めたような、素晴らしい空間を展開して、多くの人々を魅了するのである。
   今日は、平日で、かつ、重く雲が垂れ下がった怪しい天候で、それに、閉園間際の時間と言うこともあって、見物客は少なかったが、天気の良い5月中旬から6月中旬くらいのハイシーズンの休日には、296号線の渋滞は極に達し、駐車場は満杯でごった返しているのだろうと思う。
   
   とにかく、今日撮ったバラ園の風景の一部を紹介して見たい。
   満開だと言うことだが、バラは咲き始めると寿命が短いので、私には、やや、一番美しい時期を少し過ぎたのではないかと思われたのだが、そんなことよりも、とにかく、綺麗である。
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   

   昨年春に、メイアン作出で、お披露目のあった池田理代子さんのベルサイユのばらのコーナーには、私にはよく分からないのだが、オスカルとマリー・アントワネットの立て看板が立っていて、そのまわりに、沢山のベルサイユのばらが植えられていて、深紅の大輪を開いていて、非常に華やかで美しい。
   私のベルサイユのばらは、昨秋植えた大苗を枯らせてしまい、春に、新苗を植えたのだが、一つついていた蕾を取り、その後、3本の枝が伸びて、夫々に蕾がついて、それも摘心して、株を育てているので、今秋の開花を楽しみにしている。
   
   


   ところで、私が、このバラ園を訪れて、何時も真っ先に行くのは、デヴィッド・オースチンのイングリッシュローズのコーナーである。
   やはり、私の庭でも咲き終わっていたLDブレスウェイトやウィリアム・モーリスなどは散ってしまっていたし、今年は、ガートルート・ジェキルも元気がなかった。
   レディー・オブ・シャーロットが咲いていて、心なしか、懐かしい感じがしたのが不思議である。
   深紅に拘って、ウィリアム・シェイクスピアやファルスタッフを探したが見当たらなかった。
   尤も、デヴィッド・オースチンの作出で市販されているイングリッシュローズだけでも、100何十種類もあるのだから、私の知らない品種ばかりなのだが、とにかく、色々な種類があって、咲き誇っていると見事である。
   一通り、駆け足で、園内を回った感じであったが、来月、もう一度、行きたいと思っている。
   
   
   
   
   
   
   
      
   
   
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トマト・プランター栽培記録2013(6)ミニトマトが5番花房まで

2013年05月27日 | トマト・プランター栽培記録2013
   口絵写真は、最初に植えたピンクのミニトマトの第一花房の状態で、第二花房でも結実が始まり、一番上は、第5花房まで現れて、背丈もはるかに1メートルを越えて、順調に育っている。
   ミニトマトにしては、花や実の数は、少し少ない感じだが、デーツーのオリジナルブランドとしては、まずまずのようである。

   ビギナーズトマトも、実が大分大きくなってきたし、
   タキイの虹色トマトの何種類かは、ブリュネルをはじめ、実が付き始めて来た。
   大風で枝が倒れた小桃も、立てて置いたら、そのまま順調に伸びていて、結実し始めたから、やはり、トマトの生命力は強いのである。
   どうしても、脇芽をかくのを忘れてしまって、少し大きく伸びた脇芽を株の根元に挿し木をしておくと、必ずと言いて良い程、苗木に育つのである。
   
   
   


   さて、大玉の桃太郎ゴールドだが、やっと、立派な花が咲き始めた。
   沢山咲いても、ひと房3~4個が限界であるから、花を落とすことになるのだが、もう少ししたら、受粉を助けるために、電気歯ブラシを当てようと思っている。
   筆で雄蕊の花粉をつけると言っても、結構、無理なので、バイブレーションの方が効果があると思っている。
   
   

   フルーツルビーEXやアイコは、私にとっては、慣れた種類のトマト苗なのだが、やっと、結実が始まったところである。
   もうすぐに、梅雨入りだと言うから、それまでに、出来るだけしっかりとした木に育てておきたいと思っている。
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わが庭:咲き続けるイングリッシュローズ

2013年05月26日 | わが庭の歳時記
   鉢植えのイングリッシュローズの内、ウイリアム・シェイクスピア2000とレィディ・オブ・シャーロットが咲きだした。
   シェイクスピアの方は、一輪目は早かったのだが、その後、固かった蕾が中々開かなかったし、シャーロットの方は、蕾がつくのも遅かったので、やっと、咲いたと言う思いである。
   シャーロットの方は、デビッド・オースチンでも、かなり、新しい花で、聖杯型のオレンジがかったサーモン・ピンク色の面白い花のようだったので、興味を持って買ったのだが、華奢な弓なりになった枝の先に、綺麗な花を咲かせた。
   
   
   シェイクスピアは、1987年に作出されていたのだが、不都合があったのか、この2000の方は、改良型のようで、しっかりとしたカップ咲きで、濃い赤い花弁が美しい。
   シェイクスピアで、最も人気の高いキャラクターの一人が、ウインザーの陽気な女房たちで活躍するファルスタッフで、その名前を冠したバラ・フォールスタッフ(何故か、バラではこう呼ぶ)が、同じく濃赤で、気に入っていたのだが、つる薔薇にして枯れてしまったので、その親玉の作者の名前の付いたバラを、是非、育てたいと思って、丁度、京成バラ園で見つけて、買って植えた。
   あのストラトフォード・アポン・エイヴォンのシェイクスピア生家に、デビッド・オースチンが植えたのだと言うから、行けば見られるのである。
   最近になって、椿もそうだが、濃赤の花に興味を持って、育て始めたのだが、丁度、ケーヨーディツーで、ファルスタッフを、見つけてしまい、どうしても、また欲しくなって、衝動買いした。
   今、その花も咲き始めている。
   同じ濃赤と思ったのだが、白日に晒してみると、かなり、雰囲気が違っている。
   
   

   フレンチローズで、新しく咲き始めたのは、白っぽい黄色の花弁のロソマーネ・ジャノンである。
   まだ、一輪しか咲いていないし、昨年の花姿を覚えていないので、どんな花が続いて咲くのか、楽しみにしている。
   

   もうひとつ、今春、京成バラ園で、かなり、人気品種であった杏奈とノヴァーリスを鉢植えしていたのも、咲きだした。
   杏奈は、綺麗な濃いオレンジ色の花で、外側に向かって、淡い色に変わって行くのだが、丁度、フロリバンダで花も中輪で背丈も低くて、鉢植えには恰好のバラである。
   ノヴァーリスは、カップ咲きの紫がかった青バラ種で、シャルル・ド・ゴールを枯れさせてしまったので、この色の系統のバラはなかったので、丁度良かった。
   
   

   ところで、一重で、かなり、花付きが良いと言うので、垣根に這わせていたアンジェラが咲き始めて、隣に植えた真赤なミニバラと対比して、賑やかになった。
   また、殆ど目立たないのだが、元気に咲き続けて、花持ちが良いのが、グリーンローズで、こんなバラがあるとは知らなかったので面白い。
   それに、プリンセス・ミチコが鮮やかに咲き続けるので、玄関先に出したのだが、中々、風情があって良い。
   まだ、蕾が固くて、咲かないフレンチローズなどが残っているのだが、今年は、心して育てたので、まずまずの咲き具合であった。
   イングリッシュローズやフレンチローズで、2年以上経った鉢植えのバラは、咲くにまかせているが、それ以外の新しいバラは、花が咲くと、すぐに切って、花瓶に活けているので、毎日、バラが室内にあって楽しめるのが良い。
   少し、黒星病とうどんこ病の兆候が出て来たので、今日、薬剤散布した。
   
   
   
   
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新宿御苑フランス庭園バラ満開

2013年05月25日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   新宿御苑は、今は、新緑が萌えて一番美しい季節。
   花らしい花は、サツキ一色だが、フランス庭園のバラ園だけは、色とりどりのバラが咲き乱れていて実に華やかである。
   やや、盛りを過ぎたかなあと思える感じなのだが、まだ、咲き始めたばかりの綺麗なバラもあって、見ごたえがある。
   尤も、バラの名前をチェックした訳ではないのだが、お馴染みの古いバラが多くて、最近のイングリッシュローズやフレントローズは、なさそうである。

   この口絵写真は、バラ園越しに新宿の高層ビル群を遠望したものだが、都会の真ん中に、このような広い緑地があることは、非常に、環境上良いことで、土曜日でもあったので、殆どは都内の人たちだと思うのだが、沢山の人々が、広大な芝生の上で、思い思いに場所を占めて、涼風に吹かれながら、穏やかな午後のひと時を憩っていた。
   外人客も結構覆いのだが、欧米なら、もう少し裸に近い軽装で憩っている筈なのだが、ここは、入場料を取っての公園であるし、日本なので勝手が違うのであろう。
   とにかく、イギリス庭園の広大な芝生の広場は、非常に綺麗に手入れされた上質な芝生で敷き詰められていて、直に寝そべっても非常に気持ちが良いのであろう。
   
   いずれにしても、入場者の大半は、芝生の上で憩っている人たちで、池の周りの新緑を愛でたり、苑内の散策を楽しむ人は少なく、人の群れているのは、バラ園の周りくらいである。
   私は、アメリカの大学院の同窓会を兼ねたグローバルフォーラムに参加していて、午前中のフォーラムの後、晩餐会まで時間が空いたので、久しぶりに、新宿を訪れたのである。
   時間が十分にあったので、緑陰の椅子に居を占めて、本を読むことにした。
   アメリカ国家情報会議のレポート「2030年世界はこう変わる GROBAL TRENDS 2030」で非常に簡潔で面白く、丁度、フォーラムのトピックスとも関係があり、世界各地から同窓生が集まって来ているので、意見を聞いてみようと思いながら読んでいた。

   私は、この新宿御苑と雰囲気が良く似たロンドン郊外のキューガーデンの傍に住んでいて、多忙な合間の休日などに時間が空くと、ここで、花の写真を撮ったり、本を持ち込んで読んでいたのだが、緑陰での徒然なるままの読書は、また、別な趣があって、中々、楽しい時間つぶしなのである。
   キューガーデンは、世界最高の学術的な目的を持った博物的植物園なので、新宿御苑ほど、整備されていないので美しくはないのだが、野性的な雰囲気があって、池畔などには、色々な種類の野鳥が沢山棲息していたり渡って来ており、また、土手道すれすれに滔々と流れていくテムズ川を見ていると、イギリスと日本の自然に対する違いを感じて、興味深かったのを覚えている。
   京都の古寺の庭園など、非常に美しく、この新宿御苑の日本庭園なども、その延長線上で良く手入れされていて非常に美しいのだが、イギリス時代に、あったこっちの公園を訪れたが、イギリスの公式な庭園は、規模が桁違いに大きくて、吃驚する。
   しかし、やはり、自然を愛してその自然をそのままの姿で最も美しく愛でようとする日本と、ギリシャローマ風のやや崩れた歴史的な自然風景を擬古的に作り出そうと、自然を力ずくで抑え込んで作り上げたイングリッシュ庭園とは、趣が違っていて、その国民性の差が面白い。
   
   

      
   さて、新宿御苑のバラ園だが、二つの並んだ方形の花壇に、びっしりと色とりどりのバラが植えられていて、周りを廻りながら、バラを鑑賞する。
   バラ花壇の両側に、プラタナス並木が続いていて、今、新緑に萌えて美しい。
   秋には黄色に色づいて落葉し、厳しい冬を迎えるのだが、その前に、また、バラ花壇は、秋バラが咲き乱れて極彩色の世界を展開する。
   今日のバラ花壇のスナップショットをいくらか紹介しておきたい。
   
   
   
   
   
   
      
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国立劇場五月文楽・・・「寿式三番叟」「心中天網島」

2013年05月23日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今月の国立劇場の文楽は、大変な人気で、チケットも取得困難で、連日「満員御礼」の立て看板が立つほど、盛況だと言う。
   第二部は、先月の大阪の国立文楽劇場の近松門左衛門の「心中天網島」に加えて、冒頭に、住大夫たちが語る「寿式三番叟」が演じられ、4時間半の長丁場の舞台を観客を釘付けにする意欲的な舞台であるから、当然の人気であろう。
   もう一方の第一部は、千穐楽の観劇になってしまったのだが、久しぶりの「曽根崎心中」を楽しみにしている。
   歌舞伎座の柿葺落公演を意識したのであろうが、あちらの方は空席があり、やはり、実質的に価値ある公演を打てば、観客が認めると言う査証であろう。

   「寿式三番叟」であるが、これは、五穀豊穣、天下泰平を祈念する能の「翁」を脚色し義太夫節に取り入れたご祝儀曲の舞台で、能は、主役が翁であるのだが、文楽では、三番叟の部分に力を入れて派手な見せて聞かせる舞台になっているのが面白い。
   歌舞伎でも、御祝い事の舞台で演じられていて、今回の新歌舞伎座の開場式で、幸四郎、菊五郎、梅玉が披露していた。

   さて、能に原型を取った舞台なのだが、前述したように、荘重かつ幽玄な能と比べて、文楽では、翁(住大夫、和生)は、同じく荘厳な舞を舞うのだが舞い終わるとすぐに退場するし、千載(文字久大夫、勘彌)も、鈴を三番叟(相子大夫、芳穂大夫、文昇、幸助)に渡せば退場して行き、最後は、2人の三番叟が鈴を振って、種を蒔く仕草をするなど、三味線の音に乗って非常にダイナミックな舞を披露し、舞い納めるのだが、途中で、疲れておたおたする三番叟を、一方の三番叟が叱咤激励するなどコミカルなシーンもあって、面白い。

   この三番叟だが、能では、狂言方が演じており、二人ではなく一人で、最初の「揉ノ段」では直面で舞って、鈴を受け取ってからの「鈴ノ段」では、翁の白式尉の面に対比して、黒式尉の面を掛けて舞うのだが、ダイナミックでも、文楽人形のような派手さはなく、セレモニァルである。
   文楽では、白塗りの又平と褐色の検非違使の頭を使いわけて、色の黒い尉を演じている。
   三番叟の舞は、青々とした稲の成長期、そして、黄金になった稲穂の成熟期を舞って寿ぐのであるから、正に、日本古来の天下泰平国家安穏の象徴とも言うべき稲穂の実りを体現した猿楽の伝統であろうか。
   「翁」は、能であって能ではないと言われている。世阿弥などの能楽とは随分趣を異にした曲なのであろうが、三番叟を主役とした文楽や歌舞伎の「寿式三番叟」に展開されて、より、先祖返りしたのではないかと思っている。
   
   これらの能面は、冒頭、千載が、恭しく捧げ持ちながら登場するのだが、能では、独立した面箱持ちが登場する流派もあるのだが、シテが、舞台で面を掛けて外すのは、この「翁」だけの特異な所作事だと言う。
   能では、実に荘重な儀式のように行われるのだが、文楽では、人形の頭や面が小さい所為もあって、いとも簡単なシーンで、あまり、印象に残らない。
   住大夫の元気な浄瑠璃を聞けたことは、非常に嬉しかった。
   また、前回、簑助が遣った翁の舞台を、遅刻して、舞い終わって退場するシーンしか見られなかったのだが、和生の翁も、実に優雅で荘重であり、勘彌の千載も、文昇と幸助の三番叟も良かったので、楽しませて貰った。

   
   「心中天網島」は、先月、大阪の文楽劇場で鑑賞して、その印象記を書いたので、蛇足は避けたいと思う。
   人形遣いが代わったのは、最も重要なキャラクターの一人である「おさん」で、今回は、清十郎に代わって人間国宝の文雀が遣い、もう一人、粉屋孫右衛門が、和生から文司に代わっていた。
   先月は、文雀は、「伽羅先代萩」の栄御前に登場して、政岡の和生をバックアップしていたのである。

   先月、第一部の休憩の昼食の後、劇場へ帰る途中に、日本橋駅へ歩いて帰って行く文雀師匠に出会ったのだが、足が悪いとTVで言っておられたので、ゆっくりゆっくりと歩いておられた。
   もう、85歳のご高齢で、随分小柄な好々爺の文雀師を眼前にして、このこじんまりした老人のどこから、あのような匂い立つような優雅で上品な、振るい付きたいような女を、命の無い木偶の人形に乗り移らせるのか、暫く、じっと立ちすくんで、文雀師の後姿を見送っていた。
   私は、文雀師の遣うやや年増と言うと色気がないのだが、人生、酸いも辛いも潜り抜けて、垢抜けした感じの成熟した上品な女性の人形が好きで、何時も、楽しみに見ていた。

   今回は、近松門左衛門の戯曲でも、最も人間味豊かで、血の通った見上げた女性である紙治の女房おさんを遣うのであるから、最初から最後まで、文雀の遣うおさんを追っかけていた。
   幸いと言うか、チケットが取れなくて、最前列の端近の席だったので、おさん人形と文雀の動きが良く見えた。
   腑抜けたように不貞寝して泣いている紙屋治兵衛(玉女)にすり寄って引き起こして、健気でしっかり者で決して乱れたことのなかったおさんが、それほどまでに女房を蛇のように嫌って、諦めきれずに愛人にうつつを抜かすのかと思うと、居た堪れなくなって、身も世もなく、夫と愛人の小春を嫉妬して、苦しくて切ない心情を吐露して泣き崩れる姿の、何と言う可愛さ美しさ。
   田辺聖子さんの言によると、近松はおさんに、型通りの貞女ではなくて、熱い血と心を与えたのだと言うことだが、文雀の遣うおさんは、正に、生身の体をぎりぎりまで苛め抜いて慟哭しながら、じっと耐えて、その息遣いの激しさが胸に響く。

   この舞台の最後の死の間際で、小春が、「誰に何と言われようと良いけれど、治兵衛を死なせないでと言われて縁を切ります分かれますと約束した以上、死顔並べて一緒に死んだら、おさんに軽蔑されるのが恥ずかしい」と、約束を反故にして大切な夫を死にやる小春の唯一の断腸の悲痛を聞き入れて、治兵衛は、小春の胸を脇差で刺して、自分は、鳥居に小春の帯を掛けて首を吊る。

   小春を遣う勘十郎が、実に上手い。
   一時、立役が続いて居た時、折角師匠簑助に学んだ女形を遣いたいと言っていたが、最近の著しい進境には、その思いが通じているようである。
   おさんから受け取った手紙故に、心無くも治兵衛に愛想づかしをして踏んだり蹴ったりされて、苦痛に這いずり回って弓なりになって号泣し、いっその事、打ち明けようかとしたら、孫右衛門に、黄門の印籠のようにおさんの手紙を突きつけられてウップして忍び泣く。動かない筈の人形の面が、激しく表情を変えているのである。
   踏んでも蹴られても、去り行く治兵衛を思っての別れの悲しさ。
   死を覚悟して大長寺に向かう冥途への道行の神々しさ、最後のあさんへの思いの吐露、脇差を胸に受けての断末魔の悶え、・・・上手く言えないが、とにかく、生身の女優では演じ切れないような辛さ悲しさ愛おしさ健気さを、木偶に託して、私には、勘十郎は、万感の思いを込めて、女性賛歌を謡い続けていたように思えて感動して見ていた。

   玉女は、どうしようもない馬鹿でがしんたれの大坂男を、淡々と遣っていた。
   枯れた演技が、師匠の玉男の姿を彷彿とさせるのだが、他の近松門左衛門の心中ものの舞台を観たいと思っている。

   さて、この心中天網島を、感動的な舞台に仕上げている最大の功労者は、大夫と三味線であろう。
   特に、切場語りの、嶋大夫と富助、そして、天満紙屋内より大和屋の段の長丁場を語りぬいた咲大夫と燕三の名調子は、感動的である。
   私は、まだ、河庄の場しか、歌舞伎の舞台を観ていないので、何とも言えないが、歌舞伎と言えども、この文楽の「心中天網島」の域には、中々、程遠いのではないかと思っている。
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わが庭:バラが咲き乱れている

2013年05月21日 | わが庭の歳時記
   今、私の庭には、バラと芍薬が一斉に咲きだして、非常に華やかである。
   芍薬は、控えめに、バラの陰で豪華な花を一輪ずつ咲かせているのだが、バラに紛れて目だたないので、すぐに切って、床の間の大きな花瓶に活けて楽しんでいる。
   イングリッシュローズで、その後咲きだしたのは、ウィリアム・モーリスで、今年植えたレディ・オブ・シャーロットなどの新しいバラは、まだ、蕾が固い。
   一輪咲けば切って、株を育てて、秋に咲かせたいと思っている。
   


   代わりに、フレンチローズが、咲き始めた。
   わが庭のフレンチローズは、全部、ギヨーの作出したバラで、私には、イングリッシュローズとの差が分からないのだが、すっくと枝が伸びて、たわわに咲く感じで、ハイブリット・ティーでもないので、蕾を摘まずに房咲きにしているのだが、雨の日には、たっぷりと水を吸って、枝が垂れ下がって折れそうになる。
   咲き終わった花がらを一輪ずつ切り取っているのだが、順繰りに開花するので、長く楽しめるのが良い。
   面白い花形の色をしているのが、ネルソン・モンフォートで、蕾の時には、黄色い地にピンクやオレンジなどの混じった微妙な色合いをしていて綺麗であり、その色合いがしばらく残るのだが、開き切ると黄色っぽくなって行く。
   
   


   ピンク系統のフレンチローズは、オラス・ベルネ、アマディーン・シャネル。
   非常にたっぷりとした花弁が密集していて、オールドローズの雰囲気を残しているのだが、ハイブリッド・ティーとは違った豪華さが良い。
 
   


   さて、新春に、大苗から鉢植えにしたドイツのコルデス作出の新バラが、綺麗な花を咲かせている。
   ピンクのロマンティック・アンティークと黄色のサニー・アンティークである。
   まだ、花を咲かせるべき大きさの苗木ではないので、大輪を3つずつ咲かせた後、すぐに、切って、背丈が短くて大輪なので、昔、台湾で買ったヒスイの花瓶に活けてみたのだが、やはり、ドイツ生まれのバラなのか、イングリッシュローズやフレンチローズのように、繊細で嫋やかな感じではないのが面白い。
   
   
   
   
      

   ところで、つる薔薇だが、ピンクの中輪イングリッシュローズのガートルート・ジェキルの横に長く伸びたポールズ・ヒマラヤン・ヌスクがびっしりと花をつけて咲き乱れている。
   オールド・ローズなので、残念ながら、一期咲きで、春にしか花が咲かないのだが、10メートルほど枝を伸ばして、咲き始めはピンクで、少しずつ白くなる小さな花を咲かせて、風に揺れている。
   花は、非常に儚く、咲き切ると、人の気配でもひらひらと散って行く。
   
   
   
   
   

   その他にも、バラが咲いていて、中輪のフロリバンダ風のやや紫がかったピンクの”あおい”。
   最近は、ぐっと赤色が強くなってきたプリンセス・ミチコ。
   花芯に行くほどピンク色になる房咲きのミミエデン。
   黒い大輪のブラック・ゴールド。
   このバラは、フランスのメイアン社のバラで、表は黒いビロード調で裏が黄色と言うので、私の好きなキャプリス・ド・メオイアンと同じようなバラだろうと思っていたのだが、一寸期待外れで、印象が違った。
   いずれにしろ、この宇宙船地球号で、こんなにも健気に美しく咲いて、喜びを与えてくれるバラたちに感謝しながら、シェイクスピア劇場で買ったマグカップのダージリンをゆっくりと味わいながら、能の本を読んでいる。
      
   
   
   
   
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企業セミナー受講の合間に観劇と言う趣味

2013年05月20日 | 生活随想・趣味
   日立やNEC,富士通などのハイテクICT関係の企業が、展示を兼ねて東京フォーラムなどで、非常に充実したセミナーや講演会を数日に亘って実施しているので、随分、以前から、勉強の機会を得るためにも、楽しみに展示場に出かけてセミナーなどを聴講している。
   先日も、東京フォーラムで、富士通フォーラムが開催されたので、出かけた。

   ところが、昔は、一日中、セミナーなどを連続して梯子して聞いていたのだが、最近では、興味あるトピックスや演題に絞って聴講して、他の余裕時間には、観劇に出かけたり、博物館美術館などへ行ったりして、趣味の楽しみを追うことにしている。
   現役を離れて、仕事そのものが、広い意味での勉強であるから、特に、テーマを絞って、がつがつ勉強する必要がなくなった所為でもある。

   ところで、今回は、二日富士通フォーラムに通ったのだが、その合間に、一日目は、国立演芸場に、落語の中席を、二日目は、国立能楽堂に、能・狂言の鑑賞に出かけた。
   特に、一日目は、午後一番に落語を聞いてから、東京フォーラムに出かけて、賢愚のリーダーシップ論を展開して世界的に有名な野中郁治郎先生のイノベーション戦略論を聴講するのであるから、その内容の落差が極めて激しい。
   頭の切り替えが出来るのかと友は笑うのだが、私には、不思議にも何の違和感もなく、両方、楽しみながら聞き聴講している。
   野中先生の専門書は、何冊も読んでいるので、十分フォローできており、どんな新しい知見が飛び出すのか、それを期待して行くのである。
   歳の所為か、人生枯れての余裕なのかは分からないが、夫々が、楽しいのである。
   落語は、娯楽の楽しみであり、野中先生の講義は、知への憧れに似た高揚感を求めての楽しみである。


   尤も、同じ、娯楽としての観劇と言っても、ジャンルによっては、全く、接し方、対応の仕方、楽しみ方も、違ってくる。
   漫才は少し違うが、落語の場合には、圓朝などのようなかなり奥の深い作品もあるが、特に精神性や思想性が高いと言った類の話ではなく、聞いておれば理解できて楽しめると言った分野の噺が多いので、かなり、気を許して楽しめる。
   しかし、能になると、作品そのものの奥深さと同時に、鑑賞経験不足で、私自身の理解力がついて行っていないので、事前に、専門書などを読んだり、かなり、準備して行かないと、中々楽しめない。
   昔は、オペラを観る前にビデオを見たり、シャイクスピア戯曲を観る前には、小田島雄志先生の翻訳本を読んだりして、準備して劇場に出かけていた。

   これが、苦痛で、ブッツケ本番で劇場に行くと言う人がいるが、昔から、海外での旅行は、出張でもプライベートでも、ミシュランのグリーン本やレッド本や地図などをチェックして事前にスタディして準備することにしていたので、別に、私にとっては苦痛なことではなく、事前に知らないことを学べるなど、実際の旅行を何倍にも楽しめると言う利点があった。
   私の学生時代の友人で、引退してから、毎年のように、あっちこっちへ海外旅行を楽しんでいる人がいるのだが、パリなら、事前に、地図を見て、どの通りにはどんな店があってどのような雰囲気かなどを徹底的に調べないとすまないと言う性分で、それが災いして目が悪くなって困っているのだと言っていたが、これは行き過ぎとしても、とにかく、パック旅行の海外旅行には積極的に参加するのだが、どこへ行って来たのか分からない人が結構多いのよりは、ましであろうと思っている。

   それに、私の場合には、読書が、趣味と言うよりも生活の一部であるから、例えば、能や狂言を鑑賞するために、それに関連する書物を読みながら、知見を深めて更にその奥深さを感じ、その故地を訪ねたり実際の舞台を観ることによって、何倍にも増幅して、能・狂言への楽しみが増して行くのである。
   先日も、角川学芸出版で、「能を読む」と銘打った一巻600ページもある「能を知る楽しみ」に徹した本格的な4巻本が出版されたので、早速読み始めているのだが、私の知らない知識が充満していて、更に、面白くなりそうで喜んでいる。

   さて、趣味の問題と同時に、年寄りにとって大切なことは、何でも良いから自分自身で楽しみを持って、積極的に人生を謳歌しながら生きて行くことだと、以前に、講演会で聞いたことがある。
   出不精になったり、人との付き合いや生活上の雑事が煩わしくなったりして、人生に消極的になると要注意だと言うことであろうが、老人になって真っ先に弱るのは、歯目足、あるいは、歯目○○だと言われているが、私の場合、歯目は、殆どダメッジはないのだが、○○は年相応として、やはり、足の衰えは感じており、メトロ駅の階段などで、上がっている筈の足がもつれてつんのめったりすることがあり、気をつけている。

   ところで、二日目の富士通フォーラムは、3Dプリンターなどものづくりの実際などの展示を見た後、講演会場Cホールに出かけて、須田美矢子さんの非常に格調の高い講演で、タイトルは「物価安定のもとでの持続成長実現のために」を聴講した。
   アベノミクスで活況を呈し始めている日本経済の実際の姿を、色々な側面から収集した緻密なデータを元に、詳細に論じて、非常に勉強になった。
   私にとっては、日頃聞いている経済学者の経済分析や論調よりも、はるかに、素晴らしいと思った。

   その後、何時もの通り、神保町に寄り道して、千駄ヶ谷にでて、国立能楽堂に向かった。
   狂言は、和泉流の「宗八、能は、宝生流の「杜若」で、在原業平の話であった。
   最近は、毎日は、東京まで出かけることはないのだが、出かける時には、何らかの「こと」や「もの」を楽しむようにしているので、結構、収穫がある。
   友の中には、故郷や京都に居を構えて移り住んだ人が結構いるのだが、私も、一時期は、京都に住もうと思ったことがあるのだが、やはり、何か勉強をしようとか、何かを楽しもうと思えば、その機会は、東京を離れたら殆ど無理で、結局は、東京のトカイナカに住むことが最良だと思っている。
   田舎の雰囲気の中で、晴耕雨読で暮らして、刺激が必要な時には、東京に出かけると言う生活である。
   昔のように、世界を飛び回っていた生活も懐かしいが、日頃は、トカイナカで、花鳥風月を愛でる生活も悪くはないと思っている。
   
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柿葺落五月大歌舞伎・・・「廓文章 吉田屋」

2013年05月19日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   柿葺落公演と銘打って、日本歌舞伎界トップ役者を総動員して6月まで、多くの名舞台が展開されているが、色々な意味で、私が是非観たいと思っていた演目は、仁左衛門と玉三郎の「廓文章 吉田屋」であった。
   他の名舞台では、今日、考え得る限りの名優たちが鎬を削っての競演ではあるのだが、これまでに、それ以上の舞台を観ているし、それに、何よりも何時もの定番の演目ばかりで新鮮味に欠けていて、そこは、奏者を変えながらも何度も聴きたいベートーベンやモーツアルトとは、違うのである。

   もう一つ、同じく、国立文楽劇場も、文楽協会創立50周年と竹本義太夫300回忌記念の公演を行っており、国立能楽堂も、開場30周年のプログラムを組んでいるのだが、歌舞伎座の商業ベースに乗り過ぎた柿葺落公演と較べれば、地味かは分からないが、非常に、実質的かつ意欲的で充実した対応をしていて好感が持てることである。

   
   さて、この「廓文章」の「吉田屋」の舞台だが、元々は、近松門左衛門の「夕霧阿波鳴門」の上の巻「吉田屋の段」を中心にして、最後のハッピーエンドを、下の巻「扇屋内の段」を借りて書き換えたもので、ニュアンスが、全く違ってしまっているのが面白い。
   実は、伊左衛門と夕霧の間には、子供がいて、夕霧は阿波の平岡左近という侍に、二人の子供だと嘘をついて渡していたのだが、この吉田屋の段の後半で、二人が語る子への思いを立ち聞きしていた左近の妻お雪が現われて、どうしても会いたい取り戻したいと言う二人の希いを聞き入れて、夕霧を乳母に迎え入れることにする。阿波に来た夕霧と、一目観たさに駕籠かきの一人にばけてやってきた伊左衛門も子供に会って、親子の名乗りをしてしまうので、裏切られた左近は怒って、妻に縋り付く子の源之介を引き離し戸を閉ざす。傾城の子ではないと泣き叫ぶ。扇屋に戻った夕霧の病状は重く、伊左衛門と源之介は物乞いとなって彷徨う。
   しかし、瀕死の状態の夕霧を前にして、伊左衛門も源之介も泣くばかり・・・そこへ、お雪から、身請けと養生用の800両が届き、伊左衛門の母「妙順」も金を調達し、伊左衛門は勘当を解かれて、花嫁、初孫も認められて、喜んだ夕霧は病気回復と言うハッピーエンドとなる。

   文楽でも、「夕霧伊左衛門 曲輪文章」は、ほぼ、歌舞伎の「廓文章」と同じようなもので、子供染みて締まらない大坂の豪商のバカボン伊左衛門が、思い焦がれて病気に泣く絶世の美女傾城夕霧を訪ねて行って痴話喧嘩をする実に他愛の無い一幕物の芝居になってしまったのだが、元は、いささかお涙頂戴の人情噺であったと言うのだから面白い。
   それに、元の「夕霧阿波鳴門」の伊左衛門であれば、もう少し現実的であって、この歌舞伎の舞台のような、徹頭徹尾、大阪で言うイチビリに徹し切った仁左衛門のようながしんたれのアホボン振りは演じられない筈で、その意味では、特異な伊左衛門像を創り上げた仁左衛門の役者魂に脱帽すべきであろう。
   奥の夕霧の座敷を覗き見たさに、関西人でも「アホとちゃうか」と言いたくなるほど、左右に体を揺すらせて、小刻みに歩を進めながら襖を開けながら近づいて行く仕草や、実に情けなくて大人げない拗ねようなどは、仁左衛門有っての舞台であろう。

   さて、この廓文章 吉田屋の舞台は、歌舞伎では、藤十郎と仁左衛門の伊左衛門の芝居を、夫々、何度か観ており、文楽でも、最近では、今年2月に観るなど、結構、多くてお馴染みなのだが、夫々の舞台に変化があって、楽しませてくれる。
   仁左衛門は、前述したように、どちらかと言えば、一寸知能的に弱いなよなよとした大店の無菌状態の馬鹿ぼんと言った感じだが、藤十郎の場合には、育ちの良い遊び人のどら息子と言う雰囲気で、夕霧が病気だと聞いて心配で心配で、京都から、カネもないのにノコノコと紙衣を着て歩いて来ると言う典型的な大阪の道楽・放蕩息子を演じていて、その違いが面白い。
   文楽の方は、主役は、伊左衛門ではなく、夕霧であって、座敷を抜け出して来たにも拘わらず、拗ねて逃げ回る恋しい恋しい伊左衛門に縋り付いて、恨み辛みの限りをかき口説くのだが、この大詰めの大夫が語る長丁場の語りが限りなく魅力的であって私は好きである。
   この中に、近松門左衛門の原作の名残が残っていて、夕霧が、7歳にもなる子をなした仲なのにと訴えるのだが、子を成した実質夫婦だと言う設定よりも、身請け寸前の旦那と傾城だと言った方が、実際の舞台には、ムードがあって良いのかも知れない。

   文楽も同じだが、道楽が過ぎて勘当されて廓通いが出来なくなったのを棚に上げて、客の相手をせざるを得ない花魁に、嫉妬の限りをぶちまけて拗ねた伊左衛門が、万歳傾城と罵って、その仕草を踊って見せるのも面白いが、とにかく、夕霧の登場までの長い間、最初は、吉田屋喜左衛門(彌十郎)と女房おさき(秀太郎)を相手に、そして、その後は一人で、夕霧に嫉妬し続けるバカボン振りの限りを、仁左衛門は、実に器用に演じていて、楽しませてくれる。
   尤も、いくら若づくりに徹していても、寄る年波には勝てず、どことなく、少しずつ瑞々しさが消えて来ているのは、仕方がないのであろうか。

   さて、夕霧の玉三郎は二度目だが、素晴らしい絵に描いたようなシーンの数々を観るだけでも、観劇の甲斐があると言うもので、優男のバカボン振りの伊左衛門と対照的に、病弱と憂いに沈んだ表情の静かな佇まいの雰囲気が実に優雅で美しくて良い。
   美人薄命と言うとかで、20歳代でこの世を去った絶世の美女で傾城の鑑であったようだが、実際には、活発な人であったと言う話も残っている。
   芝居としての、奥の深さのない平板な芝居なので、仁左衛門と玉三郎の素晴らしい男女の出会いの舞台でありながら、丁々発止の芸術的で格調の高いドラマを見られなかったのが、一寸、残念であったが、玉孝ブームで一時代を風靡しただけのことはあると思って楽しませて貰った。

   彌十郎の吉田屋喜左衛門も、流石に上手いのだが、やはり、前回に観た我當の喜左衛門と秀太郎のおさきと言う松嶋屋三兄弟競演の関西歌舞伎の雰囲気が最高であろうと思う。
   太鼓持豊作を演じて、祖父仁左衛門と渡り合っていた13才の片岡千之助は、栴檀は双葉より芳しで、フレッシュでエネルギッシュで素晴らしい芸を見せていて、将来が楽しみである。

   ところで、藤十郎も仁左衛門の廓文章も、当分は、楽しめそうだが、次の吉田屋の舞台を演じられるのは、誰であろうか。
   愛之助と菊之助、あるいは、翫雀が演じる舞台を観てみたいと思っているのだが、近松の舞台を器用に演じる染五郎の伊左衛門も面白いかも知れないと思っている。
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トマト・プランター栽培記録2013(5)ビギナーズトマトに実が付き始める

2013年05月18日 | トマト・プランター栽培記録2013
   先に受粉していたピンクのミニトマトの実が、大分大きくなってきて、一番大きいのは、大豆つぶくらいになった。
   ビギナーズトマトも、受粉して、実が見え始めた。
   二番花房には花が咲き、三番花房もはっきりと分かるようになってきたので、順調に生育しているようである。
   
   

   最初に植えたピンクのミニトマトとビギナーズトマトの木が、大きくなって来たので、先週終わりに、簡易の支柱に代わって2メートル以上の支柱を立てて、茎を固定した。
   そして、タキイのミニトマトを集めた虹色トマトの苗木も大きくなってきて、先日の強風で、仮止めの支柱への固定が不十分で、一本折れてしまったので、これら7本も、同じように長い支柱を立てて、固定し直した。
   折れた苗木を固定して立てておいたのだが、水揚げをしていて枯れそうになさそうなので、どうせ、ダメだとは思うが、昨年も生き返った苗があったので、このまま様子を見ようと思っている。
   私の支柱は、主に、天然の篠竹を使っていて、それ程丈夫とは思えないのだが、この二年間特に不都合がなかったので、三本を結わえて固定している。
   二本を、プランター周りの土中に差し込んで固定して、残りの一本を、プランターの中に立てて、苗木の主柱を固定するのである。
   

   桃太郎ゴールドとフルーツルビーEXにも、一番花房がはっきりとあらわれ、咲き始めて来た。
   前者は、大玉トマトなので、かなり、茎は太くてしっかりとしている。
   木も大きくなるので、多少、他の苗より大きなプランターには植えているのだが、実際には小さいのであろうから、出来るだけ早い段階で摘心して、少数の充実した実を作ろうと思っている。
   花でも何でもそうだが、大体において、最初に咲いたり実るものが、一番良いように思う。
   
   


   アイコは、レッドもイエローもしっかりと育っていて、一番花房に花をつけている。
   イエローアイコの苗は、脇芽が勢いよく伸びているので、二本仕立てにしようかと思っているのだが、もう少し苗の生育状態を見て考えることにする。
   今のところ、どの苗木も、病虫害など出ていないので、薬剤散布などは、控えることにしており、施肥も、もう少し待とうと思っている。
   いずれにしても、梅雨入りまでには、木を出来るだけしっかりと育てたいと思っている。
   

   
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ロシア:超現実的で矛盾に満ちた国・・・ルチル・シャルマ

2013年05月18日 | 政治・経済・社会
   コモディティ・バブルに胡坐をかいて、実の経済力だと過信して反省の色の無い筆頭が、ブラジルとロシアだと言うのがシャルマの見解で、ゴールドマン・ザックスグループのBRIC's礼賛論とは、かなりニュアンスが違っている。
   モルガン・スタンレーと言う違いよりも、インド出身で、新興国をくまなく歩いて得た知見でものを論じているので、バイアスが架かり難いと思える分、シャルマの新興国論の方に信憑性があるように感じられるのが面白い。

   冒頭、ロシア人の平均年収が1万3千ドルでかなり富裕だがタクシーがなく、頻繁に停電が起こる。モスクワとサンクトペテルブルグは、「富はバーの上でダンスする」と言わるほど並外れた成金たちが華々しくどんちゃん騒ぎに明け暮れているが、地方都市は、いずれも灰色で暗く、見栄えも倫理観もソ連時代そのままである。と、ロシアは、超現実的で、矛盾に満ち溢れた国であると言っている。
   モスクワとザンクトペテルブルグ間は、超モダンな高速鉄道で結ばれているが、他の列車の耐用年数は20年。自動車販売は二桁で伸びているが、公共投資は中国の半分なので、モスクワの道路は荒廃していて世界最悪の交通渋滞。ザンクトペテルブルグのブルコボ空港は、図体は大きいが老朽化したソ連時代の遺物だと言う。

   このような矛盾は、ロシア社会の仕組みにまで行きわたっていて、政府は、小売り、インターネット、メディアやその他の消費分野については起業家たちに自由にやらせる一方、原油・天然ガスなどの戦略的セクターでは、統制を続けている。
   経済は、ある程度自由な産業と、国の統制下に置かれた産業と言う二つのシステムの下に共存しているのだが、原油が、政府歳入の半分、輸出の3分の2を占めており、この国の経済変動の多くを左右しているので、ひとたび、原油価格が暴落でもすれば、経済成長は一気にダウンして経済を壊滅的な状態に追い込む危うさを持っている。

   さて、プーチンだが、エリツィンの時代に勃興し始めていた政治的な自由は大方消えてしまったが、純粋に経済的な側面から見ると、ロシアを10年間に繁栄に導くのに成功した。
   1998年のロシア財政危機のどん底状態から政権を引き継ぎ、原油価格の高騰による幸運にも恵まれたのだが、オルガルヒに対しては、政治から距離を置いている限りは会社経営を認め、表面的には外部からの投資を歓迎する姿勢を示し、短期間でロシアの債務を収拾し、銀行を統合し、官僚制度に風穴をあけて起業を後押しし、個人所得税を13%に下げて国内の消費ブームを刺激するなど、ロシア経済にとって当面必要な基礎を築いたのである。
   しかし、原油価格の異常な高騰で経済の活況を経験したロシア人の思い上がりが高まって、政府支出への慎重な姿勢が跡形もなくなり、年金支払額を実質賃金の40%へ引き上げて、今や、ロシア人の40%が社会保障を受け取り、役人が12%いるので、全ロシア人の半分以上が生活を国に負っている状態になったと言う。

   ロシアは、2008年の世界金融危機では、最も大きな打撃を受けた国で、経済規模の縮小と成長率の下落で、積み上げてきた石油安定化基金を流用するなど、原油価格が50ドルに下がると、クレムリンの財政は赤字に転じてしまった。
   ブラジル同様、コモディティ・バブルの恩恵を最大限受けながらも、新たな工場や道路、設備には殆ど金をつぎ込まなかったので、生産性が着実に低下しており、低成長と高物価と言う組み合わせは、潜在成長率の急速な落下を惹起して経済を蝕んでいる。
   2008年までは、ロシアは、見事な復活物語のモデルであったのだが、金融危機に直面して、石油以外の新たな収入源を必要とした時には、将来を見越した産業政策と経済強靭化政策の欠如故に、力強い成長を維持すべく改革を新権威実行いようとする組織も政治的意思も欠けていることが露呈してしまって、暗礁に乗り上げてしまった。
   結局、極言すれば、ロシアの産業構造は、総ては、石油と天然ガスで、いまだに、脆弱であり、国際競争力のある産業は何も育ってはいないと言うことであろうか。
   現に、ロシアには、見るべきMNCは皆無であり、国際舞台で競争できる企業さえ存在しないのである。

   さて、この困難なロシアの経済状況以上に、もっと深刻な問題は、プーチンの政権居座り体制で、2008年大統領二期目の終了時に止めておれば、偉大なロシアの指導者で終われたのに、今や、ロシアにとっては、深刻なリスクだとシャルマは言う。
   政府の仕組みがどんなものであれ、国の指導者が自らの政権を長引かせようとし始めることは、懸念すべき兆候だと言うのが、シャルマ理論の核の一つで、能力がないか、もしくは腐敗した指導者たちが、自らの権力保有期間の延長を勝ち取ったり、自分の配偶者を選んで退陣するケースなどは最悪だと言う。

   
   ロシアが、如何に時代離れした矛盾に満ちたいい加減な国であるか、シャルマは、列挙し続けている。
   ロシアには、中間層が存在しないし、中小企業の割合は、どの新興国よりも低く、躍動感のある起業家精神に満ちた企業は殆どない。
   ロシアは、世界でも最も人口密度の低い国で、世界的なブランドを引き付けるだけの十分な人口と所得を持った都市は5つだけで、ロシアの富と権力は、益々、モスクワに集中している。
   ロシアのトップ10に入る富豪は、エリツィンが、1990年代に行った格安セールによって主要企業を二束三文で取得した層と実質的に同じグループである。
   長者番付の移動は殆どなく、上位の80%は、政府と強力なコネのあるコモディティ、特に、石油と天然ガスに関与している人物たちである。
   金融システムは、唯一の銀行に支配されていて、ロシア人は国内に殆ど投資しないので、銀行ローンは至難の業であり、ロシア人は、外銀を頼らざるを得ず、極めて不安定であり、ロシア・ルーブルは、二度も通貨崩壊している。
   政治の犯罪化は日常茶飯事で、政治とビジネスの癒着は益々深まる一方であり、賄賂を求める役人への対応係を生業とするセクターの企業が存在する。
   したがって、多くのロシア人は、現状を諦めて出国してしまい、中小企業は育つはずもなく、民間資本が大挙して国外脱出を図る国はロシア以外にはない。
   ロシアのビジネス環境は、外国人にとっても頭痛の種で、世銀調査によると、ロシアは、ビジネスのし易さランキングで、183か国中120位。
   それに、人口の減少している国であり、労働人口も下落傾向だと言う。

   シャルマのロシアの章の締めくくりは、「ロシアで「いい話」を聞いたら行間を読むべし」
   BRIC's BRIC'sと言って、結構、日本企業もロシアを目指して進出しているのだが、違法行為であある筈の「賄賂を求める役人への対応係」と、どう付き合っているのであろうか、興味津々である。
   ハーバードのタルン・カナとクリシュナ・G・パレブ教授が、エマージング・マーケットとは、市場参加者が生産的な売買のために売り手と買い手を効率的に引き合わせる環境つくりを模索することによって、今まさに台頭しつつある市場 であると定義している。
   この新興国の市場と我々先進国市場との間に存在する「制度のすきま」を如何に埋めて事業を展開するのかと言うことなのだが、あまりにも、ロシアとの「制度のすきま」が大きすぎて、おいそれと、その隙間を埋められそうにない。

   これで、シャルマのBRIC's論は終わったのだが、海外経験が長くて多くの辛酸を舐めて国際ビジネスの難しさを嫌と言う程経験している筈の私でさえ、どうも、BRIC'sと言うその能書きだけに引っ張られて幻想を抱いていたような感じがしていたようで反省をしているのだが、聞くと見るのとは大きな違いがあると言うことである。
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ブラジル:煽られ過ぎた経済・・・ルチル・シャルマ

2013年05月16日 | 政治・経済・社会
   これまで、ルチル・シャルマの「ブレイクアウト・ネーションズ」で、中国とインドについて、非常に興味深い分析を展開していたので、感想をかいたのだが、ブックレビューを書くよりも、個々の国についての方が面白いので、BRIC's諸国について、更に続けてみたい。
   今回は、ブラジルだが、何故、注目の新興国と言えるのか、かなり、辛辣かつ歪な経済状況の分析が、参考になると同時に面白い。

   まず、ブラジルの通貨レアルが割高で、非常にブラジルの物価が高い。
   外国の資金が殺到してブラジルの資産を買い上げるために、レアルが世界でも最も強い通貨の一つとなり、ブラジルは、最もコストのかかる、煽られ過ぎた経済の一つとなっていると言う。
   ブラジルの通貨高のもう一つの要因は、かって経験したハイパーインフレに対する強度な恐怖感から、新興国でも最高水準の高金利政策を維持し続けており、この高金利に魅了されて、大量の外資が流入することにもよる。
   物価高の要因も、後述するが、ブラジル経済の後進性脆弱性にも原因がある。
   いずれにしろ、シャルマは、イパネマ海岸で、女の子におごった一杯のベリーニが、24ドルもすると、新興国の現地通貨が、豊かな国からの訪問者にとっても高いと感じられるなら、その国は既にブレイクアウト・ネーション、すなわち、ライバル国を出し抜いてゲームを勝ち取る成長国家ではなく、どこかおかしいと言うのである。

   まず問題は、他のBRIC's諸国と比べて経済成長率が低いことで、豊かな国ほど急成長が難しいと言っても、ブラジルの場合にはこれまで期待を裏切り続けている。
   1980年代以降、ブラジルの成長率は、2.5%を中心に大幅に揺れており、成長率の高いのは、ブラジルの主要コモディティ輸出品の価格が値上がりした時だけであり、これでは、この国を「台頭する経済国」とは言えないと言うのである。

   また、国際収支の極端な悪化がブラジル経済を圧迫し続けていた苦い経験があり、長い間、外資の導入を嫌って輸入代替工業化政策を続けてきた経緯もあって、現在でも、対外ショックを恐れるあまり、新興国の中でも、最も閉鎖的な経済を維持している。
   砂糖、珈琲、鶏肉、牛肉、あるいは、鉱産物資源など、世界でもトップクラスの輸出国でありながら、GDPに占める輸出入の割合は、僅か15%と非常に低い。
 
   シャルマのもう一つ興味深い指摘は、金もないのに、ブラジルは、既に自力では賄いきれない程の福祉国家を築き上げてしまって、その政府の多額の支払いのために、税金を引き上げたため、今や税負担はGDPの38%と新興国では最高となり、まだ、貧しいブラジルのような国で、企業や個人に増税すると、企業が新たな設備投資や技術や教育訓練に回す資金が足りなくなって、生産性を高められないと言うことで、実際にも、1980年代から2008年までの伸び率が毎年約0.2%で、中国の4%より、はるかに見劣りがしている。

   勿論、ブラジルは、資金不足のために、工場への投資のみならず道路や港湾・空港・鉄道と言った公共インフラへの十分な投資を行ってこなかったために、経済のみならず、国民生活のあらゆる分野に途轍もない非効率を生んでいる。
   このために、成長率がかなり低い時でも、経済が過熱すると、老朽化した工場と凸凹道の上にブラジルのサプライ・チェーンが出来上がっているので、供給が需要に追い付かず、商品価格が高騰して、容易に、インフレとなる。
   教育への投資が少ないと、熟練労働者が不足して賃金が上昇するなど、ブラジル経済は、あらゆる分野で、限界にぶつかっているのだと、シャルマは言う。
   ブラジルの人件費と輸送費の高騰は、過少投資の直接的な結果だと指摘しており、道路、」港湾、鉄道と言った新たなインフラに特化した投資総額は、ブラジルでは2%に過ぎず、新興国平均5%、中国10%に比べてはるかに低く、いまだに、原っぱのままのオリンピックのメイン・スタジアム予定地を見て、2016年のオリンピックが出来るのかと危ぶんでいるのが興味深い。
   私は、オリンピックの時の治安を心配しているのだが。

   ここで、良く考えなくてはならないのが、シャルマが、この本で何度も強調しているのだが、ロシアと同様に、ブラジルのコモディティ輸出に依存しているブラジル・モデルの危うさである。
   政府や消費者がこれまでお金を使ってこられたのは、ひとえにコモディティ価格が値上がりしたからで、この棚ぼた利益が続く間は良いが、これがぽしゃるとと使える金が枯渇して、自らの崩壊を招く。
   同時に危惧されるのは、これによって憂慮すべきブラジルのオランダ病で、現実にも、ブラジルの製造業のGDP比率は、2004年には16.5%であったのが、2010年末には13.5%にまで低下しており、更に、ブラジルのコモディティ輸出への依存度が益々拡大を続けており、産業構造の高度化に逆行していると言う。

   もう一つは、対外収支の重圧に泣いたかってのトラウマから脱しきれずに、前述した世界で最も保護主義の国であり、旧態依然の貿易障壁をいくつも維持しており、貿易はGDPの20%以下と言う低水準なのだが、このグローバル経済環境に置いて、外国との競争圧力を避けて保護主義を維持し続けることは、ブラジルにとっても、産業構造の高度化と発展のために、ブラジルに欠けているイノベーションや実験の促進機会を自ら放棄することではないかと、シャルマは言う。
   しかし、ハイパーインフレを完全に収束させ、対外収支も最も健全化させた優等生のブラジルが、今日の地歩を築き上げた苦難の軌跡は大変なもので、ブラジルの国策としての経済開放には、時間がかかりそうである。
   そして、他のBRIC's等新興国と比べて、鉱産資源など豊かな天然資源に恵まれていると同時に、巨大な農業大国であり、かつまた、かなり先進的な工業国でもあると言う、言うならば、ブラジル人が、神様はブラジル人であるに違いないと言う程3拍子も4拍子も揃った恵まれた国であることも、厳然たる事実で、やはり、何時までも、未来の国と言うタイトルを保持し続けている大国であることには違いない。
   アメリカのように、目覚めて驀進するのか、このまま、ふらつき続けるのか、ブラジル人の知恵にかかっている。
   

   さて、いずれにしろ、ゴールドマン・ザックスのジム・オニールが、人口と国土の大きな国4つを選んで、BRIC'sと言う言葉をコインしたので、ブラジルは、脚光を浴び続けているのだが、シャルマが、ブラジルに対して、ブレイクアウト・ネーションと言う別な視点から辛口批評をしても当然かもしれないが、しかし、大国であることには間違いないので、色々な視点から、ブラジルを考えて見る必要があると思っている。
   
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NHK:メイド・イン・ジャパン 逆襲のシナリオⅡ 雑感(1)

2013年05月14日 | 経営・ビジネス
   第1回目は、「ニッポンの会社をこう変えろ」と言うタイトルで放映され、激動するグローバル経済環境に後れを取って呻吟している日本企業の、時流にキャッチアップして、如何に果敢に起死回生を図るかについて、NHKなりに一つのシナリオを展開していて興味深かった。

   しかし、番組後半の「京都試作ネット」などの大企業と中小ベンチャー企業との協働コラボレーションの新しい動きには、それ程、異論は感じないのだが、個別企業に対する冒頭の部分で、
   ビジョンと現場感を持ったリーダーがけん引したマツダの開発・生産・営業協働による一括企画による組織体制が、注目の新車を生み出したなどと言った、経営の極めて初歩の初歩とも言うべき当然あるべき開発戦術が持ち上げられたり、
   パナソニックが、社長期待のモデル事業だと言う「ITプロダクツ事業部」が、ノートパソコンの開発のために、顧客一社一社を開発・生産・販売の三位一体チームが訪問して、ニーズ・ウォンツをヒアリングしていたのなどを見て、当然であって然るべきこんなことさえ分かっていなかったのかと、暗澹としてしまった。
   悲しいかな、経営者が、クリステンセン教授のイノベーション戦略論なり、少なくとも、日本の誇る野中郁治郎先生の本などを、全く読んでいないか、あるいは、理解できないかのどちらかとしか思えない程、お粗末極まりないと思って見ていたのである。
   日本の企業が、20年のデフレ不況で呻吟しながらも、この程度なら、HNKの言う「逆襲のシナリオ」などナンセンスである。
   

   スティーブ・ジョブズは、人々は、形にして見せてもらうまでは、自分が何を欲しているか分からないものであるから、マーケットリサーチなどを信じないし、消費者の意見を聞くのではなく、自分でものを作り出して提案して需要を創造して行くのだと、言っていた。
   正に、スティーブ・ジョブズは、イノベーターの鑑であり、それ故に、アップルの快進撃が実現できたのである。
   コモデイティばかりを作っているような並の企業にとっては、いくばくかの差別化を図るためには、消費者や顧客のニーズなりウォンツを吸い上げて製品開発の実を上げることは大切かも知れないが、今や、クリエイティブ時代に突入したグローバリゼーションの世界経済環境においては、社員全体が、新しいものを生み出すべく総クリエイターでなければ生きていけない時代になったということであり、スティーブ・ジョブズは、いみじくも、このあるべきリーダー像を克明に残して逝ったのである。

   イノベーション、イノベーションと騒がれ続けており、国家にとっても、企業にとっても、あるいは、個々人にとっても、成長発展の唯一の手段である筈だが、殆ど理解されてはいないような気がする。
   日本企業が、かっての世界制覇を遂げた活力を取り戻すためには、勿論、日本の文化伝統、日本企業の経営力・技術力、現場力、匠の技等々を大切にして戦略を構築することは大切であろうが、なによりも、クリエイティブで他の追随を許さないようなもの・サービスを生み出すブルーオーシャン市場開発戦略を涵養し、最先端を走ることが必須で、それ以外に道はない。 
   そのためには、逆に、維持すべきものと破棄すべきものを厳正に選別して、過去の柵と残滓を果敢に捨て去り、経営哲学は勿論、組織も戦略も、総て、ゼロベースでリセットする必要があるのかも知れない。

   もう一つ、開発・生産・営業(販売)の三位一体の開発が、今頃になって、開発のブレイクスルー戦略だと言う寝ぼけたことを言うのなら、私がスティーブ・ジョブズのイノベーション論で論じたブログの一部を引用しておく。
   ” ジョブズのイノベーション創出工場の強みの一つに、ウィジェット全体の統合、すなわち、デザインから、ハードウエア、ソフトウエア、コンテンツまでが一体となっていたことで、社内の各部門が並行して走りながら協力すべきであると言うことと、統合された製品を開発するのであるから、デザイン、製造、マーケティング、物流とプロセス全体もコラボレーションで一体化する必要があると言う思想で経営されていたことである。
   もう一つ、ジョブズがたえず強調していたことは、文系と理系の交差点、人文科学と自然科学の交差点と言う視点で、アップルのイノベーションには、高度な科学的テクノロジーだけではなく、その底に人文科学が脈打っていたと言うことである。”
   経営者が、自分の会社に、メディチ・エフェクトを創造できる文化文明の十字路、言い換えれば、イノベーションを生み出すことのできる創発の十字路を構築できるかどうかに総てがかかっている。
   アメリカのビジネス・スクールのMBA教育をダメだと糾弾する日本の経営者が多いのだが、以上のような知識は、MBAコースの初歩の初歩だし、そのMBAコースの基礎知識さえ欠如しており、プロ経営者教育訓練の経験皆無で、いわば、運転免許なしライセンスなしで会社を経営している(?)日本の企業トップの質にこそ問題があるのであろう。

   さて、蛇足だが、またまた巨大な赤字を連発したパナソニックについて、一寸一言。
   このブログでも、マキナニー著「松下ウェイ」を論評して、中村社長がこのままでは松下が潰れてしまうと危機意識を持って実行した中村改革について書いたのだが、あの大々的(?)な経営改革は、一体何だったのか。
   松下幸之助が構築した事業部制が時代遅れだと言ってぶっ潰してしまった組織を、5年一寸で、再編成し直して、また、小さな組織で客に向き合える事業部制を復活するのだと言う。
   組織が大きくなって客の声に対応できなくなったので49の事業部制に戻ると言うことで、中小企業の連合体なのかと聞かれて、社長はそうだと答えていたが、事業部が開・製・販の責任を持ち、資金と利益を継続して増やして行く責任を持つと言う、所謂、プロフィットセンターとなって、その上に、4つのカンパニーを置いて、事業部単独ではできない事業展開や新規事業の創出、基幹デバイス強化などに取り組むのだと言う。

   NHKは、その後、京セラのアメーバ経営について論じていたので、その延長線上でのパナソニックの組織改革だと言う捉え方であろうが、ベンチャーから稲盛会長自ら築き上げた徹頭徹尾イノベーション志向の京セラの経営体質なりDNAは、幸之助経営哲学がはるか彼方に消え去り、マネシタ電器文化にどっぷりと浸かってイノベーションを生み出せなかった大企業病のパナソニックには、おいそれと、真似のできる選択肢ではない。

   社内ベンチャーを生み出す方法はいくらでもあると思うのだが、中村改革では、製品開発について、V製品戦略とユニーバーサルデザインの追及を打ち出したが、鳴かず飛ばずで、V製品だと言っていたプラズマTVで、屋台骨を危うくしてしまった。
   もう一つ、 フランシス・マキナニーが、『松下ウェイ』の中で、幸之助経営学の根幹にあるのは、競合他社より顧客との距離を最短に保つことだと何度も強調しており、インターネット等によって情報コストが限りなく低下した今日においては、組織のフラット化を推進して、社内及び社外のコミュニケーション経路を短縮する以外に勝ち続ける道はないと提言しており、中村改革でこれが導入されておれば、津賀社長の言うような顧客の声を聞けない組織なり体質ではなかった筈なのだが、結局、とどのつまりは、中村改革も松下ウェイも、何の役にも立たずに、益々、墓穴の穴を大きくし続けて来たと言うことなのであろうか。

   私は、以前からパナソニックは、プラズマTVから即刻撤退すべしと言っているのだが、都賀社長は、一刻も早く赤字を無くすと不退転の決意をしながら、いまだにお茶を濁している。
   VHSとベータ、ブルーレイとHD DVDとの攻防を考えれば、ディフェクト・スタンダードを失った製品の末路は判然としており、液晶のソニーでさえTV事業は採算に乗っておらず、パナソニックにプラズマでの勝算があるとは考えられない。

   クリエイティブ時代のグローバル戦争では、企業にとっては、あらゆる分野においてイノベーションを生み出せるかどうかが、最も重要だと思うのだが、パナソニックの事業部制の復活などについては、骨の髄までマネシタ電器体質がしみ込んでいるとしか思えないような革新性の無さや、大企業病に侵された制度疲労してしまった大組織に置いては、5年前の改革さえ不発に終わってしまっており、同じ頭でいくら組織を弄繰り回して再編を繰り返しても同じことで、これまでのように経営陣の無能ぶりが継続し続けて行く限り、パナソニックの運命の帰趨は、既に、決しているように思うのだが、外野の戯言であろうか。
   私のような元関西人にとっては、松下と言えば大変な存在であって、絶対に屋台骨がふらつく姿などあり得ないと思っているので、奮起を期待したい。
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