最近、IT活用の所為で、デジタル化の進んだ電子機器と言うか、カメラやテレビなどの耐用年数が、非常に短くなって来たような気がする。
例えば、カメラだが、コンパクトでありながら、結構写りの良いニコンのcoolpix P5000が、電源が利かなくなったので、ニコンのカスタマーセンターに電話したら、もう部品もないし修理しても良くないであろうから買い替えろと言う。
知らない間に、8年も経った(?)と言うのだが、昔のニコンの一眼レフは、不注意で落としても、酷暑のアマゾンへ持って行っても壊れなかったし、踏んでも蹴ってもビクともしないカメラであった。
自動車でも、家電製品でも、カメラでも、メカニカルな単純な機械製品の時代には故障に強かったが、デジタル化してコンピューターが埋め込まれてくると、あっちこっちで故障が起こる。
私は、ロンドンにいた時には、ベンツを使っていたが、頻繁に電気系統の故障を起こして困ったことがある。
しかし、どうも、故障の多くは、デジタル、IT系統の所為だけではなく、部品の質の低下や作りの悪さなど、製造過程そのものの劣化があるような気がして仕方がない。
テレビだが、荒川静香が金メダルを取ったトリノ・オリンピックの少し前に買った松下のプラズマ・テレビが、最近、地デジのチャネル8、6、7、5と順繰りに映らなくなって、NHKだけになってしまったのだが、BSは、問題ないので、これも、カスタマーセンターに電話したら、修理代の方が、新品を買うより高くつくようなので、当分、プロジェクター代わりに使おうと思っている。
何故、修理などしないかと言えば、3年前に鳴り物入りで宣伝していた最新式のパナソニックの洗濯機を買ったのだが、何故か、当初から水漏れを起こしていて、自動で洗剤が出るシステムが壊れていたようなので、ヤマダ電機の5年保証で修理を依頼し、修理したものの、もう、五回以上も修理スタッフが来ているが、瞬時に壊れて元の黙阿弥となる。そんな状態だからである。
もう、諦めて、直接、洗剤を注いでいるのだが、修理できないようなものをパナソニックは売っており、修理マンの中には、IT化してきて、どこが悪いのか分からないと言って、プラスチックの容器だけを取り替えて行った人もいたのだが、要するに、家電製品やカメラなどIT化、デジタル化した製品は、壊れたら、買い替えろと言うことである。
昨年7月にこのブログに書いた「デジタルAVは使い捨てなのか・・・ブルーレイDIGAの場合」と言う記事が、結構、人気なのかヒット数が多くて、毎日のように参照されているのだが、今や、家電製品は、修理するより、同程度の品質の新製品を買う方がはるかに安いと言うことである。
昔は、経済成長が旺盛であったし、どんどん豊かになって行ったので、使い捨ての時代だと言われても違和感がなかったのだが、このデフレで不況が続く時代の使い捨ては、品質の劣化とアフターサービスの貧困のなせる業で、省資源、エコ社会からの逆行であり、日本の製造業の曲がり角のような気がし始めている。
そう考えれば、機械製品にも、良しあしがあって、私が20年間も乗っている骨董品とも言うべきトヨタのクレスタなど、まだ、9万キロ弱しか走っていないにしても、大きな故障をしたこともなければ、ビクともしていないし、
カシオのソーラー計算機は、もう、30年以上も使っているが、ブラジルでも、オランダやイギリスでも、机上で使い、あっちこっちの出張にも携行して歩き、今でも、私の机上にある唯一の現役の快調な計算機である。
それで思い出すのは、イギリスのモノづくりの精神である。
今でも、ジャーミン・ストリートには、紳士用品専門店が並んでいるが、一生一足の靴で通すような靴を作り続けている店もある。
あのバーバリーのコートも、袖先がほつれて来ると折り返して縫い付けて着続けるし、肘あてを縫い付けたジャケットをお洒落に来ている人もあれば、とにかく、時代の変遷や風雪に耐えて長く価値を保ち続けるものを作り続ける職人魂のようなものが流れていて、それを、イギリス人が大切に守り続けようとしている。
例えば、カメラだが、コンパクトでありながら、結構写りの良いニコンのcoolpix P5000が、電源が利かなくなったので、ニコンのカスタマーセンターに電話したら、もう部品もないし修理しても良くないであろうから買い替えろと言う。
知らない間に、8年も経った(?)と言うのだが、昔のニコンの一眼レフは、不注意で落としても、酷暑のアマゾンへ持って行っても壊れなかったし、踏んでも蹴ってもビクともしないカメラであった。
自動車でも、家電製品でも、カメラでも、メカニカルな単純な機械製品の時代には故障に強かったが、デジタル化してコンピューターが埋め込まれてくると、あっちこっちで故障が起こる。
私は、ロンドンにいた時には、ベンツを使っていたが、頻繁に電気系統の故障を起こして困ったことがある。
しかし、どうも、故障の多くは、デジタル、IT系統の所為だけではなく、部品の質の低下や作りの悪さなど、製造過程そのものの劣化があるような気がして仕方がない。
テレビだが、荒川静香が金メダルを取ったトリノ・オリンピックの少し前に買った松下のプラズマ・テレビが、最近、地デジのチャネル8、6、7、5と順繰りに映らなくなって、NHKだけになってしまったのだが、BSは、問題ないので、これも、カスタマーセンターに電話したら、修理代の方が、新品を買うより高くつくようなので、当分、プロジェクター代わりに使おうと思っている。
何故、修理などしないかと言えば、3年前に鳴り物入りで宣伝していた最新式のパナソニックの洗濯機を買ったのだが、何故か、当初から水漏れを起こしていて、自動で洗剤が出るシステムが壊れていたようなので、ヤマダ電機の5年保証で修理を依頼し、修理したものの、もう、五回以上も修理スタッフが来ているが、瞬時に壊れて元の黙阿弥となる。そんな状態だからである。
もう、諦めて、直接、洗剤を注いでいるのだが、修理できないようなものをパナソニックは売っており、修理マンの中には、IT化してきて、どこが悪いのか分からないと言って、プラスチックの容器だけを取り替えて行った人もいたのだが、要するに、家電製品やカメラなどIT化、デジタル化した製品は、壊れたら、買い替えろと言うことである。
昨年7月にこのブログに書いた「デジタルAVは使い捨てなのか・・・ブルーレイDIGAの場合」と言う記事が、結構、人気なのかヒット数が多くて、毎日のように参照されているのだが、今や、家電製品は、修理するより、同程度の品質の新製品を買う方がはるかに安いと言うことである。
昔は、経済成長が旺盛であったし、どんどん豊かになって行ったので、使い捨ての時代だと言われても違和感がなかったのだが、このデフレで不況が続く時代の使い捨ては、品質の劣化とアフターサービスの貧困のなせる業で、省資源、エコ社会からの逆行であり、日本の製造業の曲がり角のような気がし始めている。
そう考えれば、機械製品にも、良しあしがあって、私が20年間も乗っている骨董品とも言うべきトヨタのクレスタなど、まだ、9万キロ弱しか走っていないにしても、大きな故障をしたこともなければ、ビクともしていないし、
カシオのソーラー計算機は、もう、30年以上も使っているが、ブラジルでも、オランダやイギリスでも、机上で使い、あっちこっちの出張にも携行して歩き、今でも、私の机上にある唯一の現役の快調な計算機である。
それで思い出すのは、イギリスのモノづくりの精神である。
今でも、ジャーミン・ストリートには、紳士用品専門店が並んでいるが、一生一足の靴で通すような靴を作り続けている店もある。
あのバーバリーのコートも、袖先がほつれて来ると折り返して縫い付けて着続けるし、肘あてを縫い付けたジャケットをお洒落に来ている人もあれば、とにかく、時代の変遷や風雪に耐えて長く価値を保ち続けるものを作り続ける職人魂のようなものが流れていて、それを、イギリス人が大切に守り続けようとしている。