熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

カメラやテレビの耐用年数

2013年11月30日 | 生活随想・趣味
   最近、IT活用の所為で、デジタル化の進んだ電子機器と言うか、カメラやテレビなどの耐用年数が、非常に短くなって来たような気がする。
   例えば、カメラだが、コンパクトでありながら、結構写りの良いニコンのcoolpix P5000が、電源が利かなくなったので、ニコンのカスタマーセンターに電話したら、もう部品もないし修理しても良くないであろうから買い替えろと言う。
   知らない間に、8年も経った(?)と言うのだが、昔のニコンの一眼レフは、不注意で落としても、酷暑のアマゾンへ持って行っても壊れなかったし、踏んでも蹴ってもビクともしないカメラであった。

   自動車でも、家電製品でも、カメラでも、メカニカルな単純な機械製品の時代には故障に強かったが、デジタル化してコンピューターが埋め込まれてくると、あっちこっちで故障が起こる。
   私は、ロンドンにいた時には、ベンツを使っていたが、頻繁に電気系統の故障を起こして困ったことがある。
   しかし、どうも、故障の多くは、デジタル、IT系統の所為だけではなく、部品の質の低下や作りの悪さなど、製造過程そのものの劣化があるような気がして仕方がない。

   テレビだが、荒川静香が金メダルを取ったトリノ・オリンピックの少し前に買った松下のプラズマ・テレビが、最近、地デジのチャネル8、6、7、5と順繰りに映らなくなって、NHKだけになってしまったのだが、BSは、問題ないので、これも、カスタマーセンターに電話したら、修理代の方が、新品を買うより高くつくようなので、当分、プロジェクター代わりに使おうと思っている。
   何故、修理などしないかと言えば、3年前に鳴り物入りで宣伝していた最新式のパナソニックの洗濯機を買ったのだが、何故か、当初から水漏れを起こしていて、自動で洗剤が出るシステムが壊れていたようなので、ヤマダ電機の5年保証で修理を依頼し、修理したものの、もう、五回以上も修理スタッフが来ているが、瞬時に壊れて元の黙阿弥となる。そんな状態だからである。
   もう、諦めて、直接、洗剤を注いでいるのだが、修理できないようなものをパナソニックは売っており、修理マンの中には、IT化してきて、どこが悪いのか分からないと言って、プラスチックの容器だけを取り替えて行った人もいたのだが、要するに、家電製品やカメラなどIT化、デジタル化した製品は、壊れたら、買い替えろと言うことである。

   昨年7月にこのブログに書いた「デジタルAVは使い捨てなのか・・・ブルーレイDIGAの場合」と言う記事が、結構、人気なのかヒット数が多くて、毎日のように参照されているのだが、今や、家電製品は、修理するより、同程度の品質の新製品を買う方がはるかに安いと言うことである。
   昔は、経済成長が旺盛であったし、どんどん豊かになって行ったので、使い捨ての時代だと言われても違和感がなかったのだが、このデフレで不況が続く時代の使い捨ては、品質の劣化とアフターサービスの貧困のなせる業で、省資源、エコ社会からの逆行であり、日本の製造業の曲がり角のような気がし始めている。

   そう考えれば、機械製品にも、良しあしがあって、私が20年間も乗っている骨董品とも言うべきトヨタのクレスタなど、まだ、9万キロ弱しか走っていないにしても、大きな故障をしたこともなければ、ビクともしていないし、
   カシオのソーラー計算機は、もう、30年以上も使っているが、ブラジルでも、オランダやイギリスでも、机上で使い、あっちこっちの出張にも携行して歩き、今でも、私の机上にある唯一の現役の快調な計算機である。

   それで思い出すのは、イギリスのモノづくりの精神である。
   今でも、ジャーミン・ストリートには、紳士用品専門店が並んでいるが、一生一足の靴で通すような靴を作り続けている店もある。
   あのバーバリーのコートも、袖先がほつれて来ると折り返して縫い付けて着続けるし、肘あてを縫い付けたジャケットをお洒落に来ている人もあれば、とにかく、時代の変遷や風雪に耐えて長く価値を保ち続けるものを作り続ける職人魂のようなものが流れていて、それを、イギリス人が大切に守り続けようとしている。
   
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録画したビデオとDVDの処理

2013年11月29日 | 生活随想・趣味
   私は、テレビを見るのは、ニュース以外は、殆どHNKのBS番組と映画ならWOWWOWくらいなのだが、結構、その番組を録画している。
   その種類は多岐に亘っているつもりだが、それでも、自分自身の趣味の域を出ていないような気もしない訳ではない。
   オペラやクラシック音楽、歌舞伎・文楽・能・狂言、芸術・美術や歴史や博物などの文化番組、政治経済社会と言った時事問題の特集、文化文明や歴史関連のドキュメント、それに、映画等々・・・。

   何故、今頃こんなことを、今更と言うことなのだが、これも、移転準備のために、倉庫を整理していて、膨大な量のビデオやDVDの山を見て、唖然としてしまったからである。
   録画だけではなく、市販のものを買ったりもしているのだが、とにかく、シンプルライフに切り替えようと決心したので、思い切って整理をしなければならないのである。

   手元にあるのは、ここ20年くらいのビデオやDVDなのだが、ビデオにしても、最初のソニーのベータ版は、ずっと以前に捨ててしまったものの、VHSにしても、後半にはS-VHSになるなど、どんどん質が良くなって来たし、テープも高度化してきた。
   ところが、DVDの登場で、一気に、VHSを止めて、もっとコンパクトで質の良いDVDに乗り換えたのだが、今や、ブルーレイのハイビジョン録画となり、初期のDVD録画も、画質音質等で魅力がなくなってしまった。

   結局、私の選択は、VHSのビデオは全部捨てて、DVDも、以前のものは選択して残し、ブルーレイのハイビジョン録画主体で行くことに決めた。
   ビデオは、一袋50本ほどのテープが入るごみ袋に入れて、12袋、ごみ収集に出したので、5~600本あったと言うことである。
   オペラだからと言うので、極力上等なテープを買って録画しており、懐かしい録画もあって惜しいと思ったのだが、残しておいても見ることはないであろうから、思い切って、ビデオデッキと一緒に、ごみ処理処分をしてしまった。

   ところで、DVDだが、ブルーレイのハイビジョン録画に切り替えてからでも、大分、経つので、かなりの量の録画したDVDがある。
   市販のDVDでハイビジョンのソフトは少ないのだが、BSやWOWWOWの録画は、総てハイビジョンで、ブルーレイ録画できるのであるから、はるかに、質が良い。
   WOWWOWでも、METのライブビューイングを放映しているし、それに、勘三郎や花形歌舞伎などの日本古典芸能にも力を入れているので、映画は勿論のこと、私にとっては、BSプレミアムとともに、文化番組の供給源である。

   結局、一枚一枚、チェックしている暇がないので、25GBのブルーレイディスクとおぼしきものを優先して残し、以前のディスクは、オペラや舞台芸術や歴史的ドキュメントなどで気の向いたものだけを残した。
   それでも、残したのは、市販ものは別にして、録画はすべて薄型で、30Lの箱3つになったのだから、かなりの量だが、結局、それと同じ量のDVDを、ごみ処理した。
   本来なら、あれ程、大切に番組を選んで録画して、大切に(?)秘蔵・保管していたビデオテープやDVDディスクを、惜しげもなく廃却するなどとは思いもしない筈なのだが、結局、良く考えてみれば、見れもしないビデオやDVDを、後生大事に持っていても仕方がないと悟ったのである。
   捨てたテープにしろDVDにしろ、最近は、NHKは、アーカイブ放送しているし、オンディマンドで見ることが出来るし、映画などは、何度もWOWWOWなどで繰り返しているので、実損は少ない筈なのである。

   娘たちに、いくら、私が、これは、必ず役に立つ大切なものだと言っても、夫々の趣味趣向、主義主張があるので、押し付けることは出来ないし、まして、他人様に、そんなものを貰ってくれなどとは、迷惑千万であろうから、言えた義理ではないので、焼却場行きであろうとも、自分で処理するのが一番良いのである。
   早い話が、私自身が、人様が、このビデオを見なさいとか、この本を読みなさいと推薦されても、あるいは、貸すから、あげるからと言われても、絶対に手にする気持ちなど更々ないからである。
   趣味のオペラやシェイクスピアなどについて、友と語り明かす楽しさは極上のPASTIMEだが、(尤も、こんな友は稀有だが、)個々の思いに拘る、この自己的な趣味志向は、また、趣味人としては、独特であるような気がしているのだが、どうであろうか。
   
   
   
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米軍爆撃機が防空識別圏を飛行

2013年11月27日 | 政治・経済・社会
   中国は週末に尖閣諸島上空周辺を含む東シナ海に防空識別圏を設定した。
   日米政府や欧米などのメディアの強力な批判的な論調にも拘らず、今のところ、中国は静観の構えである。
   しかし、米国防総省当局者は26日、米軍のB52戦略爆撃機2機が米東部時間25日夜、中国への事前通報なしに沖縄県・尖閣諸島上空を飛行したと明らかにした。

   ニューヨーク・タイムズは、
   Defense Secretary Chuck Hagel wasted no time in responding to the initial Chinese declaration, issuing a statement on Saturday reiterating that the United States was “steadfast in our commitments to our allies and partners.” He also repeated that the mutual defense treaty with Japan applies to the disputed islands.
   The islands, called the Senkaku in Japan and the Diaoyu in China, are currently administered by the Japanese, who consider the airspace above the islands to be theirs. American officials have been increasingly worried about the standoff, which they fear could lead to conflict. By treaty the United States is obligated to defend Japan if it is attacked.
   と報じていて、日米安保条約によって、日本が実効支配している尖閣諸島を、中国が攻撃すれば、アメリカは、同盟国日本を守る義務がある。と言っている。
   アメリカ空軍機が、防空識別圏を飛んでも、何も起こらなかったとしても、日本の自衛隊機が飛行すれば、中国空軍が、スクランブルをかけて、攻撃すると言うのなら、当然、日米との戦争状態に突入する可能性が出て来る。

   シリアの現状を見れば、何故、あんなにも非条理で無意味な悲しむべき戦闘が膠着状態になって収拾がつかないのか、グローバリゼーションで世界がフラットになったと浮れている人類の愚かさが垣間見えて悲しいが、民主主義でもなく、収奪的政治経済体制を取っている中国のことであるから、一部の軍部の暴発と言うことが起こり得ることも考えられる。
   あのフセインが、よもや反撃は有り得ないであろうと思って、クウェートに侵略し、同じく、よもや英軍が攻撃をかけてくる筈がないと信じて、アルゼンチン大統領が、フォークランド諸島を奪還しようと攻撃をかけたように、アラブやラテンのように、中国が、「反発がなければ、やり得」を仕掛ける民族なのかどうかは知らないが、とにかく、欧米先進国が必死になって市民社会の公序良俗を維持し育んできた民主主義自由主義の価値観が全く通用しない、少数民族を弾圧して選挙さえもない、収奪的国家であるから、何が起こるのか予想が出来ない怖さがある。

   スーザン・L・シャークが、「中国 危うい超大国」の中で、中国の一般大衆の関心を集めるような外交問題は、理念先行型の扱いを受ける。解決されるべき実際問題ではなく、譲ることの出来ない原則上の問題として扱われる。日本が犯した歴史的な罪の数々に対して償いをするべきだと言う原則、台湾が受け入れるべき「一つの中国」の原則、それに、アメリカの覇権主義に対抗すべきだと言う原則などが、それに当たる。と説いている。
   
   先ほどのウイグル族や格差社会に抗議した民衆のテロ事件や深刻な公害問題、経済成長の鈍化や共産党員や公務員などの腐敗堕落等々国内問題が非常に深刻化しているので、中国政府は、常套手段として、国民の目を海外の敵に向けて来たと言う。
   かじ取りを誤れば、中所得国の罠に陥って、成長が鈍化して、アメリカを凌駕しての覇権確立など夢と消えてしまう可能性もあるのだから、尚更である。
   そのためには、日本を叩き、アメリカに挑戦すべき瀬戸際政策を取るのが、最も手っ取り早い政策であろう。

   逆に言えば、それだけ、中国共産党が、危機に瀕していると言うことであろう。
   全国各地で、飲み水が汚染していてバタバタ国民が死んで行き、北京や上海ではマスクをかけなければ生活できない、それにも拘らず、経済格差・民族格差が拡大する一方、権力を握った人間の腐敗堕落・汚職は、目も当てられない程酷い末期的症状だと報じられているのだが、日欧米などでは、考えられないような世界ではなかろうか。

   長期的観点からは、中国とは友好的な外交国交関係を築くべきだと言う原則論は良く分かるが、今は、そんな悠長なことを言っておれない、非常事態だと言うことであろう。
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歌舞伎・文楽鑑賞はロンドンから

2013年11月26日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   移転準備で、倉庫を整理していたら、懐かしいヨーロッパでの観劇やオペラ鑑賞などのパンフレットやプログラムなど、沢山の資料が出て来た。
   かれこれ、20年ほど前の話であるから、懐かしいを通り越しているのだが、ベルリンの壁が崩壊して、ソ連が史上から消え去り、フランシス・フクヤマが「歴史の終わり」を著したころである。
   日本の経済がバブル崩壊して、長い長いデフレ不況に突入した頃でもあり、IT革命とグローバリゼーションの潮流に乗って中国やインドが台頭し始めて来た頃でもあった。

   ヨーロッパに居ながら、スポーツに興味のなかった私であるから、ロンドンに5年間も住んでおりながら、ゴルフのゴにも縁がなかったし、クリケットやアスコットくらいは見に行ったが、私の関心事は、もっぱら、オペラでありクラシック音楽であり、シェイクスピア戯曲でありミュージカル鑑賞であった。
   ロンドンは、その意味では、世界でも最大の芸術の都であるから、存分に楽しめた筈だったが、仕事第一、出張で留守をすることが多かった為に、殆ど、シーズンメンバーズ・チケットを持っていて、劇場に行ける時に、出かけることにしていた。
   ロイヤル・オペラや、ロンドン響には、何度も通っていたので、偶々、行けなくてもあきらめがついたが、ベルリンやウィーン、小澤やバーンスティンなどをミスると悲しかった。

   さて、見つけたプログラムは、1991年のJAPAN FESTIVAL 。
   日本でも、中々、一同には会せないほどの充実したプログラムで、能・狂言から始まって、歌舞伎・文楽、劇団四季、サイトウ・キネン・オーケストラ、地人会、そして、大相撲、勿論、日本美術や芸術の展示会など、非常に盛り沢山であった。
   私は、当時、まだ、能には関心がなかったので行かなかったのが残念だが、殆どの演目に、英国人の友人を誘ったり誘われたりして出かけて行った。

   歌舞伎だが、二つの舞台が公演された。
   一つは、この口絵写真にあるように、玉三郎と勘三郎(当時、勘九郎)の鳴神、鏡獅子、鷺娘、ロイヤル・ナショナル・シアターでの公演であった。
   もう一つは、染五郎と澤村田之助のハムレット(葉武列土倭錦絵)。
   若くて元気溌剌としていた玉三郎と勘九郎の素晴らしい舞台は、ロンドンっ子を熱狂させた。
   METでも大変な人気を博したと言う玉三郎の鷺娘の幻想的な美しさは、格別であった。

   20歳そこそこの染五郎のハムレットとオフェリアは、正に、水も滴ると言うのであろうか、とにかく、14世紀の山形に舞台を移したシェイクスピアのハムレットの別な魅力を垣間見た思いで感激であった。
   その少し前に、蜷川幸雄が、やはり、中世の日本を舞台にした仏壇マクベスを公演して、ロンドンのシェイクスピア・ファンをびっくりさせたのを見ていたので、私自身も、全く違和感を感じずに、むしろ、日本的な芝居にアレンジし直した芝居に、新しい魅力を感じていたのである。
   このハムレットの公演を一夜だけだったが、後援したので、我々がシティで開発工事中であった某銀行のヘッドクオーターにも程近いマーメイド劇場に、皆様を招待して、レセプションを開いて、素晴らしい一夜を過ごすことが出来た。

   文楽は、クィーン・エリザベス・ホールで上演された玉男の徳兵衛と文雀のお初の感動的な「The Love Suicides at Sonezaki 曽根崎心中」。
   私は、近松門左衛門を日本のシェイクスピアだと思っているので、この時、初めて人形浄瑠璃を聴き、文楽を見たのだが、日本へ帰ったら、オペラのように劇場へ通おうと決心した。
   一緒に行った英人夫妻は、感激して泣いていたのである。

   狂言は、野村万作萬斎父子の「ファルスタッフ 法螺侍」である。
   殆ど忘れてしまったが、ウインザーの陽気な女房を口説くのに失敗して、洗濯籠に入れられて、川まで運ばれて行く道行だが、全く籠もなければ棒もないのに、萬斎たちが運ぶ籠の中で、転げ回って運ばれて行く万作ファルスタッフの芸とも思えないような素晴らしい至芸に、吃驚したのを覚えている。

   とにかく、異国に長い間いて、日本の素晴らしい芸術に触れた感動は、格別であり、意識の中で、日本回帰が始まったと言うことなのだが、それから、2年して日本に帰ったので、早速、歌舞伎座と国立劇場に、足を運び始めた。
  もう、あれから、20年、私のオペラやクラシック音楽鑑賞歴は、半世紀になるのだが、今や、やっと、能楽を楽しめるようになって来た。

   相撲は、若乃花が休場していたが、曙以下元気な舞台を見せてくれて、招待した日本ファンの英人夫妻が、大変、喜んでくれた。
   

   シティのギルド・ホールで開かれた祝賀晩餐会で、ケンブリッジ留学中の皇太子殿下が、素晴らしいスピーチを述べられたのを思い出す。
   また、丁度、ロンドン響のコンサートで、バーンスティンが、コンサート形式の自作「キャンディード」を振ったのだが、この時にも、皇太子殿下は、主賓として鑑賞されていた。
   私が見たバーンスティンの最後の指揮だったが、何度か、名演を聴いているので、感激であった。

   日本のスマート・パワーの凄さ素晴らしさを見せつけたジャパン・フェスティバルであった。
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国立劇場:歌舞伎・・・伊賀越道中双六

2013年11月24日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   国立劇場では、文楽の「伊賀越道中双六」に引き続いて、歌舞伎でも、上演されていて、非常に面白い舞台が展開されている。
   この歌舞伎は時代物なのだが、沼津は、唯一の世話物の舞台で、それだけに、関西歌舞伎の旗頭であり最高峰の藤十郎の率いる芝居は、流石である。
   「沼津」は坂田藤十郎の十兵衛に、翫雀の老父・平作、扇雀のお米と言う成駒屋兄弟との親子の舞台で、親子逆転で、父が息子に恋をすると言う考えられないような舞台ながら、それが、殆ど違和感なく見せるのだから凄い。
   元々、恰好良い侍だとか豪快な男と言うよりも、人情味のある人物像の表現や、コミカルタッチの利いた翫雀であるから、今回は、年齢不相応な老父だが、背伸びせずとも、藤十郎の指導よろしきを得て、しみじみとした哀歓を滲みださせ切ない心のたけをかき口説くなど、好演していた。
   特に、先を歩く十兵衛と、荷物を持ってとぼとぼよろよろ後を追う平作が舞台を降りて客席を歩く道中は、中々、二人の掛け合いも調子が合っていてテンポよく面白い。

   今度の舞台で興味深かったのは、藤十郎の十兵衛が、お米に初対面した冒頭から、一目ぼれして落ち着かない表情でそわそわし始めて、今まで、老人との浮世離れしたほんのりとした旅姿から、一気に若い男に変わってしまった。
   お米は、もとは吉原・松葉屋の傾城瀬川で、今でこそ極貧生活に喘いではいるが、全盛の花魁であったから、鄙には稀な極上の女ぶりであるから、十兵衛が、ゾッコン参っても不思議はない。
   70越えても京の舞妓との逢瀬をフォーカスされたガウン治郎であるから、81歳になっても、余裕綽々で、恋に目覚めた色男の細やかな心遣い表情などは、中々、堂に入って面白い。

   この十兵衛のお米に対する一目惚れが、荷持保兵衛を先に行かせて、蚤虱しか身に着かないと言う酷いあばら家に無理して泊まり、話が展開して面白くなるのだが、特に、歌舞伎の方が文楽よりも、この十兵衛のお米への思いが長続きして、物語のニュアンスを微妙に変えていることである。
   と言うのは、十兵衛が、この平作の二歳の時に養子に出した息子であり、お米が実の妹であることが分かる時点が、歌舞伎と文楽とでは違うことである。

   私は、大抵、文楽がスタートである舞台では、文楽の床本である浄瑠璃を読むことにしている。
   浄瑠璃の原本では、十兵衛が、保兵衛を送り出して、部屋に上がり込んだ直後に、この娘御以外に子供衆はないか問いだして、自分が平作の子供であり、お米が妹であることが分かり、文楽もこれを踏襲している。
   ところが、歌舞伎では、皆が夫々寝静まった時点で、お米が十兵衛の持つ妙薬の入った印籠を盗み取ろうとして見つかって、平作の口から養子に出した平三郎の話を聞いて、親子兄妹の間柄が分かることになっている。
   したがって、この時点まで、十兵衛は、お米が実妹であることを知らないから、お米を嫁に貰いたいと本心で、平作に懇願するのである。
   言葉の端々、態度の細かいところまで、お米に恋い焦がれていて、このあたりの微妙なニュアンスの表現は、藤十郎は実に上手い。

   ところで、文楽の方は、冒頭から、親子兄妹関係が分かってしまっている。
   十兵衛は、肉親であることは分かっていても、名のれない悲しさ、極貧生活の父妹を助けたいが、金を残すだけでは受け取りそうにないので、お米を嫁に欲しいと言って、嫁入の拵え料として渡そうとしたのである。
   したがって、文楽の方は、十兵衛のお米に対する思いは、歌舞伎よりははるかに軟白で、十兵衛の心には、妹としてのお米に対する愛情が湧き上がり、この方がはるかに強くなっていて、義理人情の世界が色濃く影を差していて、物語としては面白い。

   歌舞伎の方は、もう少し長く、十兵衛のお米への恋心が続き、お米が自分も知っている傾城の瀬川であったと知り、敵味方の関係であることが分かり、同じ、金を父妹に渡すにしても、仏塔をひとつ寄進したいと平作に頼んで残して行く。
   歌舞伎の方が、話としては分かり易いしストーリーとしても面白いのだが、
   前回の文楽のレビューで、十兵衛の人物像について、
   住大夫が、「文楽のこころを語る」のなかで、
   ”十兵衛は町人で男前の上に、腕が立つ。侍も及ばないほどの達人ですから、弱々しい男ではない。優男ですから、筋肉隆々の男でもない。”と言っているので、玉男や吉右衛門でなくても、簑助や和生のような女形が遣っても、キャラクターとしての表現には、奥行きなり人間性の幅が出て良いのではないかと思う。と書いた。

   この浄瑠璃は、大坂発であり、舞台を沼津や鎌倉に取っていても、発想は完全に、藤十郎のように、上方商人の雰囲気で、平作にしてもお米にしても、要するに、上方の人間が、舞台を関東に借りたと言うことであり、大坂発の世話物であると考えれば、別バージョンの松嶋屋三兄弟の沼津の舞台も良く分かるし、その微妙な変化にも気が付くと言う感じがする。

   面白いのは、志津馬を演じている扇雀の息子・虎之介が、この歌舞伎は、特に上方の匂いの濃い狂言で、イントネーションなど父に教わらなければならず、大阪に語学入学してみたいと言っていることである。
   この芝居が、上方狂言だと言うことは、ともかく、今や、上方歌舞伎の役者の殆どが東京に移ってしまって、凄い伝統と芸を誇っていた上方歌舞伎が、どんどん廃れて行くことの悲しさを感じて寂しい気がする。
   文楽だけは、まだ、孤高を保っているが、これも、補助金カット問題が起こるなど、サポーターがどんどん少なくなって行き、伝統芸術迄もが、東京一極集中に傾斜して行く多様性の斜陽傾向に、危機感を感じている。

   ところで、この歌舞伎は、短縮版の通し狂言だが、私は、前回の文楽を見ても、「岡崎」の段が、最も、素晴らしい充実した舞台であったので、今回、抜けていたのは残念だったし、むしろ、物語としては、この沼津を抜いて、岡崎と差し替えた方が、はるかに、分かり良かったし、感動を呼んだのではなかったかと思っている。

   コメントを端折ってしまったが、二幕目の「大和郡山唐木政右衛門屋敷の場」も非常に充実した舞台で、政右衛門の橋之助の、強弱メリハリのついた骨太の演技や、控え目ながら、微妙な心の綾を器用に演じていた女房お谷の孝太郎、実直で一本気の宇佐美五右衛門の彦三郎、それに、存在感十分の柴垣の萬次郎など、ベテランが好演して楽しませてくれた。
   ただ、残念だったのは、これだけ充実した芝居でも、空席が目立ったことで、花形役者の欠けた地味な舞台だと言うことであろうか。
   
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処分せずに最後に残した原書

2013年11月21日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   引っ越しのために、私の蔵書の8~9割は処分して行こうと思って整理を始めている。
   別に、移転先が狭くて本の収容場所がないと言うのではなく、とにかく、先の3・11の千葉でも震度6弱の地震の凄まじさに懲りて、家内や娘たちが、今のように足の踏み場もないくらい、2階の書斎や廊下や納戸などに置かれている本が、床も抜けんばかりに、無残に散乱する、その再現を許さないからである。
   私自身も、年齢的にも限界があり、そんな大部の書籍は必要ないし、読める筈もないので、その指示に従うことにしたのである。

   まず、原書に手を付けようとして、始めたのだが、経済学や経営学のみならず、辞典辞書、オペラや歴史、文化・芸術、シェイクスピア、旅行と言った雑多な本も含めると少なくとも300冊以上はある。
   ここ10年くらいに求めた原書は、まだ使うために殆ど残しておくつもりなので、もっと以前、特に、アメリカのビジネススクールで勉強していた頃やイギリスで仕事をしていた前後の大部の本を処理しなければならない。
   結局、テキスト関係は、前にも処分済みだし残ったものも処分は簡単なので、残そうと思うのは、やはり、私自身の読書遍歴で、ものの考え方や生き方などに影響を与えた私にとってのエポックメイキングな本である。

   口絵写真が、今のところ残そうと思っている経済・経営関係本の一部である。
   ドラッカーの「マネジメント」
   ガルブレイスの「豊かな社会」
   ダニエル・ベルの「脱工業化社会の到来」
   エズラ・ヴォーゲルの「ジャパン アズ No.1」
   シュマッハ―の「スモール イズ ビューティフル」
   アルビン・トフラーの「第三の波」
   それに、ハーマン・カーン、セルバン・シュレベール、キンドルバーガー、アンソニー・サンプソンなどは、どうしても、一冊は残しておきたい。
   これと並行して、日本語の本があるのだが、私にとっては、これらの原書は、大げさに言えば、私自身の心の遍歴、私の思想(?)のバックボーンの一部を形成してくれた貴重な本であることに間違いはない。
   大学も、大学院も、テキストに使用した本は、殆ど時代遅れとなって廃却処分だし、最近の、例えば、誰でも知っている著名な日本の経済学者や経営学者や評論家たちの本も、もう、2~3年も持たないほどすぐに陳腐化して役に立たなくなるのだが、不思議にも、私が残そうと思っている上記の原書は、今でも、それなりに存在感があって迫ってくる。

   ドラッカーやガルブレイスの本は、かなり、沢山あったのだが、諦めざるを得ず、何十冊も束にして、明朝収拾に来る、子供会の資金に成ると言う古紙回収に出す。
   書棚の上の奥深くに置いてあった本だし、結局、死ぬまでに殆ど触りさえしないであろうから、私にとっては、何のマイナスもないのだが、言わば、一種のノスタルジャーの問題ではある。
   こんなことを考えながら、後、何日かで処分しなければならない膨大な和書をどう仕分けするか考えると、頭が痛くなるのだが、もう一度、一冊ずつ確認しながら、自分自身の読書遍歴を反芻するのも悪くはない。
   この本は、フィラデルフィアのダウンタウンで見つけて、ペンシルベニア大のキャンパスの木陰で読んだ、このビバリー・シルスのサイン本は、METで買って、パリへの機内で読んだ、この本は、東南アジアへ出張に持って行った本だ、ect. 走馬灯のように思い出が蘇ってくると、涙がこぼれる程懐かしい。
   本とともに歩んできた自分を、つくづく、幸せだと思っている。

   自分で平生必要とする本だけを手元の書棚に整理して常備しておけば、何時ものように、久しぶりに参考文献としたり、あるいは、読んでみようと思った本を、あっちこっち、ひっくり返して家探ししなくても済むのにと、分かっているのだが、積んでしまえば万事休すで、これまでの悪い癖でもあり、性分でもあるので、恐らく、死ぬまで治らないであろう。
   尤も、最近は、能に感心を持って鑑賞しているので、買い集めた能楽関係の本は、手元に置いて四六時中参照しているので、移転してからは、出来るだけシンプルにして、この方式でやろうと思っている。
   
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東京都美術館・・・ターナー展

2013年11月20日 | 展覧会・展示会
   ロンドンのテート・ギャラリーから大部のターナーの作品が来日して、素晴らしいターナー展が、上野の東京都美術館で開かれていて、大変な人出である。
   ターナーと言えば、あの独特の茫洋とした墨絵を幻想的な色彩画にしたような絵を描いたイギリスの偉大な画家だと言うイメージが強い。
   しかし、初期の水彩画から、色々な変遷を経て描かれてきた色々な形態のターナーの作品を見ていると、もっともっと奥深いターナーの世界が見えてくる。

   私は、5年間もロンドンで生活していながら、一度も、テート・ギャラリーに行ったことがないので、今回の展示作品は、すべて始めての鑑賞で、私のターナー・イメージは、もっぱら、何度も通ったロンドンのナショナル・ギャラリーや、他の美術館で見た作品から得ている。
   何故、テートへ行かなかったのかだが、京都人が京都を知らないように、何時でも行けると言う思いと、あまり、新しい絵画作品には興味がなかったと言うような気がするのだが、同じように、ロンドンのコートルード美術館にも行っていないし、花好きながらも、チェルシーフラワーショー Chelsea Flower Show さえも行ったことがないし、漱石の旧居さえ知らない。
   したがって、私が最初に強烈な印象を受けたターナーの作品は、ナショナル・ギャラリーの「解体されるために最後の停泊地に曳かれてゆく戦艦テメレール号」や「雨、蒸気、スピード-グレート・ウェスタン鉄道」などの作品で、同じ巨大な画廊で、ターナー同様、偉大なイギリスの画家コンスタブルの風景画と覇を競っているような存在であった。
   
   

   さて、まず、今回のターナー展で興味を感じたのは、口絵写真の「イングランド:リッチモンド・ヒル、プリンス・リージェントの誕生日に」である。
   この絵の場所が、現在のリッチモンド・ヒルと同じ風景で残っているのも面白いが、私自身、この場所からそれ程遠くないリッチモンドのキュー・ガーデンに住んでいたので、何度かここに来ており、眼下にテムズの流れを遠望していたのである。
 
   大概の人は、タワーブリッジやウォータールー橋が架かって滔々と流れているロンドン市内のテムズ川の印象が強いと思うのだが、ロイヤル・ボタニック・ガーデンズ、キューの土手を流れるテムズは、何の変哲もない田舎の川だし、レガッタで有名なもう少し上流のヘンリー・オン・テムズのテムズ川は、古い街並みに鎔けて美しい。
   今回のターナー展にも絵が来ているが、テムズ川は、絵になるのである。

   この絵のプリンス・リージェントは後のジョージ4世だが、かなり素行が悪かったようで、特に王としても秀でた功績はなかったようだが、亡命中のルイ18世や亡命貴族を積極的にサポートしたと言うから面白い。
   ヒルで、貴族たちが遊んでいる様子は、ワトーの絵を思い出させるが、ターナーは風景画家であるから、人物の描き方が非常に雑で、どの絵も、雰囲気が分かる程度である。

   ターナーは、44歳で憧れのイタリアへ行ったようである。
   青空に恵まれることが少ないイギリスから、陽光燦々のイタリアに入って、ブレンナー峠を越えて君知るや南の国に感激したゲーテと同様に、一気に絵心が感応したのか、空の色が明るくなり、絵もかなりディーテルがはっきりしてきたように思う。
   それに、集い遊ぶ群像のイメージも明るくなっている。
   「チャイルド・ハロルドの巡礼」などの雰囲気も、前のリッチモンドとは随分印象が変わっていて面白い。
   私が面白いと思ったのは、「ヴァティカンから望むローマ、ラ・フォルナリーナを伴って回廊装飾のための絵を準備するラファエロ」で、ヴァチカン左翼の上階のベランダに自作を並べてこちらを向いているラファエロの興味深い絵である。
   ヴァチカンには、4つの部屋のラファエロの間(伊:Stanze di Raffaello)があって、ラファエロと彼の弟子らの手による多くの著名なフレスコ画が展示されていて、「アテネの学堂」が圧巻だが、ミケランジェロによるシスティナ礼拝堂の天井画もあり、ダヴィンチも活躍中であったのだが、ターナーが、何故、ラファエロに興味を持ったのかが知りたいと思ったのである。
   この絵は、ローマの町並が広がっていて、トスカの舞台としても有名なサンタンジェロ城も見えている。
   もう一つ、イタリアでの作品で興味を持ったのは、「ヴェネツィア、嘆きの橋」で、ドカーレ宮殿とそれを繋ぐ嘆きの橋と牢獄を実に細密に描いていることである。
   
      

   今回、多数の水彩画や小品の油彩画などが来ていたが、鑑賞者が多かったし、それに、私は、列に並んで、最初から最後まで、じっくりとみると言う鑑賞の仕方でもないので、音声ガイドのある個所だけ注意して見て、後は、気の向くまま、特に、大型の油絵を主体に見て回り、もう一度、元に帰って、人が少なくなった会場を、絵を再確認しながら鑑賞した。
   
   
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歴博・・・「中世の古文書」展

2013年11月19日 | 展覧会・展示会
   久しぶりの歴博への入館である。
   この歴博の駐車場へ車を入れても、佐倉城址公園やくらしの植物苑へは行くが、何度も入っているので、歴博へは、特別な展示がないと中々入る気にはなれない。
   今回も、書に対する知識も趣味もないので、あまり触手が動かなかったのだが、義経、頼朝、後醍醐天皇、尊氏、信長、と言った歴史上の有名人物の自筆や関連古文書が展示されていると言うので、午後の閉館間際の時間を目指して出かけた。
   場所が、東京から離れた千葉の田舎の佐倉城址の中にあって、それに、JRや京成の佐倉駅からも距離があって不便だと言う所為もあってか、客もまばらで、非常に意欲的な素晴らしい展示を続けているのだが、惜しいと思っている。

   ところで、今回の企画展示は、「空前の総合的中世文書展」と言うふれ込みで、中世文書の全体像が分かり、中世の歴史が分かると同時に、企画展示の副題「-機能と形-」- 機能に応じて形がつくられていき、形を読み解くことでその背景を知るーことを企図しているのだと言う。
   展示も、文書の様式と背景から始まって、文書の作成・保存と伝達、素材と手段、と続いており、確かに、面白い企画ではあろうが、残念ながら、私のような比較的この方面に疎い人間にとっては、むしろ、何が書いてあるのか、あの歴史上の有名人物が書いたのか、と言ったところにしか関心が行かず、猫に小判と言ったところである。

   私が、まず、興味を感じたのは、「高山寺文書」の屏風で、世界に2つしかないと言われる源義経の自筆書状、すなわち、八条院(鳥羽上皇の娘)が伊予国の荘園に使者を送ろうとして義経に伺いをたてたことに対する義経からの返事である。
   集積された文書は一定期間保存された後、処分されたのだが、当時紙は非常に貴重であったために、簡単には捨てずに裏面を再利用していた。八条院の文書も京都の高山寺へ寄進され、仏典などを書き写す紙として再利用されたので、裏側の仏典が滲み出ている。
   歴博のHPより複写借用。
   

   次に、関心を持ったのは、やはり、自筆の文書で、後醍醐天皇と平宗盛の全文自筆文書である。
   足利尊氏自筆の法華経の奥書きが展示されていたが、頼朝にしろ、秀吉にしろ、自筆と言えば花押だけであり、やはり、自筆の書簡などを見ていると、その人物像さえも分かるような気がして、興味が湧くのである。

   署名に匹敵していた花押が、ハンコと言うか朱印に変わって行く推移も興味深いが、署名の裏に花押を書いた文書があるなど、自己の意思による文書であることを示す手法の変遷が面白い。
   欧米式の署名によるのか、日本や中国のように印章によるのかは、紙一重で、ローマでもメソポタミアでも印章であったし、東西の区別はないのであろう。

   丁度、これに似た文化の異相は、住所の表示で、欧米は、あくまで道路が基本になっていて、必ず道路名に、CITY HALLに近いところから打たれた番地がついているのだが、日本やアラビアなどは、面での住所表示で、道路には関係なく、面に町名や番地がついている。
   しかし、奈良や平安の時代には、中国表示の条里制が敷かれて、今でも、京都などは、四条烏丸上がると言った調子で、道路標示方式が残っているかと思うと、昔、なかった筈の道路や路地さえも名前が付けられるようになった。
   私など、欧米で生活をしていて、地図さえあれば、どこへでも行けたが、最近整備されたと言っても、1丁目の隣に13丁目があったりして、日本では、目的の家を探すのが大変である。

   話が飛んでしまったが、面白いと思ったのは、キリスト教大名の大友宗麟の朱印で、フランシスコであろうか、FRCOとローマ字が書かれていることである。
   それに、明阿弥陀仏(みょうあみだぶつ)屋地寄進状だが、女性であるから、花押の位置に拇印が押されていて、更に、爪の形も残されているなど、非常に興味深い。

   閉館ぎりぎりまで、色々考えながら、今回は、かなり丁寧に見ていたが、昔、大英博物館で、ベートーヴェンやショパンなどの自筆楽譜や、偉人たちの書簡や原稿、マグナ・カルタなどの歴史的な古文書などを、良く見に出かけて、歴史に思いを馳せていた頃を思い出していた。
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国立演芸場・・・桂吉弥の落語「はてなの茶碗」

2013年11月18日 | 落語・講談等演芸
   関西に行けば、結構、テレビで見る機会はあるのだが、東京では、NHKの番組、 笑福亭仁鶴の相談室長「バラエティー生活笑百科」に、レギュラー相談員として登場している「落語はしっかり、家ではうっかり」の桂吉弥が、高座に上がったので、出かけて行った。
   大阪の茨木出身で、神戸大を出て、今、尼崎に住んでいると言うから、完全に大阪弁の上方落語で、師匠の米朝の得意とする「はてなの茶碗」を語った。

   まくらの途中で、千葉で発生したかなり強い地震で、場内は大揺れ、阪神淡路大震災を経験した筈の吉弥が、久しぶりだと言うので、上手の舞台裏の演芸場のスタッフのOKの指示を真似して、気象庁の人でもないのにと、茶化しながら話を続けた。
   この地震のために、メトロや京成に乱れが出て、帰宅は、大分遅くなってしまった。

   さて、この話は、
   清水寺の音羽の滝の傍にある茶店で、京都一の茶道具屋の金兵衛(茶金)が、茶碗のひとつを上げたり下げたり裏がえしたりして「はてな?」と首をかしげた。
   茶金が、注目した茶碗だから値打ちものに違いないと思った側で見ていた大坂の油屋が、売らないと言う茶店の主人を脅し挙げて、なけなしの二両で買い取る。
   油屋は、立派に包装して茶金に買い取ってもらうべく持ち込み、番頭に体よくあしらわれるも、店頭での騒ぎを聞きつけた茶金が現れて、この茶碗は最低の清水焼の茶碗だが、ヒビも割れも穴もないのにお茶が漏るので「はてな」と見ていただけだと言う。
   通人の茶金、二両で自分の名前を買ってもらったのだからと、その茶碗を、落胆する油屋から、一両付けて三両で買い取り、勘当された親元に帰って孝行せよと返す。
   出入りの関白・鷹司公にこの話をすると、その茶碗を見たいと言って眺めて「清水の 音羽の滝の 音してや 茶碗もひびに もりの下露」という歌を詠む。
   これが評判となって、さらには時の帝の耳にも入って、万葉仮名で「はてな」の箱書きが加わった。
   立派な肩書きが付いたこの茶碗の噂が鴻池善右衛門の耳に入り、千両で売れたので、茶金は油屋を呼び出し、千両の半分の五百両を渡すと、油屋は大喜び。
   ところが、後日、油屋が、鳴り物入りで再び茶金を訪れ、「十万八千両の大儲け!」と叫ぶので、茶金が問い返すと、「今度は水瓶の漏るのを持って来た。」

   この落語の元は、古木優 高田裕史の「千字寄席」によると、
   原話は、「東海道中膝栗毛」で知られる十返舎一九が文化9年(1812)に刊行した滑稽本「世中貧福論」・中巻の「宿駕籠の寝耳に水の洩る茶碗の掘出し」で、落語としては古くから、上方で大ネタとして演じられ、現在は桂米朝の十八番で、そのはんなりとした味わいは、上品な京料理のように絶品である。
   インターネットで、「はてなの茶碗」で検索すると、随分、若くて元気な頃の米朝の落語が、YouTubeで見られて、その名調子を楽しめるのだが、弟子の吉弥は、実に忠実に米朝の芸を継承しながら、吉弥なりの新境地の「はてなの茶碗」バージョンを編み出して語っており、大変楽しませてくれた。

   油屋が、茶金に、三両を渡された時や、500両を渡された時に、受け取れない受け取ったら男が廃るなどと言って、いい恰好をして断り続け、「え!」「え!」、「さよかァ」と言いながら、少しずつ表情をゆるめながら、結局は有難く受け取るまでの仕草・話芸の冴えが、米朝も吉弥も、実に面白くて楽しませてくれる。
   油屋と茶店の主人、油屋と番頭や茶金、茶金と関白や善右衛門、夫々の人間性の吐露と会話の面白さ、それに、天皇が見たいと仰った時の言葉遣いへの逡巡、米朝から吉弥へ継承されて行く上方落語の奥深さが見え隠れしていて聞かせてくれる。

   ところで、京都三年坂の松韻堂で、落語好きの方なら知っているはてなの茶碗。 として、天皇バージョン他2800円で売っているから面白い。
   陶仙の抹茶茶わんは、5000円とか。
   誰が買うのであろうか。
   ちりとてちんにも、この茶碗が出て、吉弥も徒然亭草原として登場しており、結構、俳優としても活躍しているようだが、中々の好男子で、話芸も当然達者であるから、将来が楽しみである。
   

   この話は、京都を舞台にした主人公が大坂の油屋であるから、当然、べたべたの京言葉や大阪弁でないと、その微妙なニャンスなり話芸の面白さが出て来ないと思うのだが、先の「千字寄席」によると、
   戦後は、若き日に円喬にあこがれた五代目古今亭志ん生が、円喬の速記から熱心に覚え、「茶金」の演題で、東京では、志ん生以外に演じ手がないほどの独壇場にし、まがりなりにも、ブロークン関西弁でしゃべっていた茶金が、いつのまにかベランメエになっていたり、これといった抱腹絶倒のギャグはないのに、速記を読んでいるだけで、いたるところで思わず吹き出してしまう。と言うから、天性の噺家には、格好のネタなのであろう。

   この日は、花形演芸会で、三三・吉弥ふたり会で共演している柳家三三が、吉弥の前で、「粗忽の釘」を語った。
   何回か聞いている古典落語だが、流石に、小三治の弟子で、実に話術が冴えていて面白かった。 
   やはり、溌剌としてパンチの利いた落語を聞くのは、楽しい。
   
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新宿御苑・・・菊花壇展

2013年11月17日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   去年は早く来たので、まだ、肥後菊などは咲いていなかった。
   今年は、逆に展示期間後に来たのだが、その年の気象状況にもよるのではあろうが、どうも、今が最盛期のようで、菊花の輝きは素晴らしい。
   言ってみれば、毎年殆ど変らない同じ菊花展を見ることになるのだが、それでも、鑑賞の楽しみは格別で、これが、伝統と言うものであろうか。

   勝手知ったる新宿御苑なので、行き当たりばったりに菊を見て回っているのだが、今回は、案内書の通りに、中央入り口から入って、懸崖作り花壇から順に歩いた。
   菊は、謂わば、国花であるから、栽培には卓越した匠の技が発揮されているのだが、この懸崖作りから始めて、その大変な技術と知恵に、何時も感心している。
   
   

   次は、伊勢菊、丁子菊、嵯峨菊花壇である。
   伊勢菊は、縮れた花が垂れ下がり、丁子菊は、花の中心部が盛り上がったアネモネ咲き、嵯峨菊は、細長い花びらが箒のように直立咲き。
   
   
   
      

   大作り花壇は、一株から数百輪の花を半円形に整然と仕立てて、同時に花を咲かせると言うのだから、とにかくすごい。
   菊花に対する憧憬も凄いだろうと思うが、技術のみならず、大変な苦労と忍耐の賜物と言えようか。
   菊にしても、自然に逆らって成長しながら開花するのであろうから、幸せかどうか、変なことを考えながら、何時も、見とれている。
   
   

   次の江戸菊花壇は、菊が踊る花壇である。
   花が咲いてから、伸びた花弁が左巻きになったり右巻きになったり、花びらが様々に変化するのだから面白い。
   
   

   一文字菊、管物菊花壇も面白い花壇で、一文字菊は、大きな花びらが16枚前後の一重咲きの御紋章菊、管物菊は、糸菊と呼ばれ、筒状に伸びた細長い花びらが放射状に咲く大輪菊で、夫々、円盤状に切られた白紙の上に乗っている。
   
   

   今度は、綺麗に咲いていた肥後菊花壇。
   肥後菖蒲や蕊の大きな肥後椿でも有名だが、肥後のお殿様は、実に風雅な文化人であったのであろう。
   武士の精神修養として発達したとかで、栽培方法や飾り方は、秀島流の厳格な様式に基づいていると言うのであるから、肥後藩は、正に、文武両道に秀でた藩であったのであろう。
   
   
   

   最後は、一番ポピュラーな大菊花壇。
   しかし、神馬の手綱模様に見立てた「手綱植え」と言う新宿御苑独自の様式だと言うから、一寸、他とは違うのであろう。
   39品種311株の大菊を、黄・白・紅の順に植えつけ、全体の花が揃って咲く美しさを鑑賞する花壇だと言う。
   
   
   

   さて、御苑全体の雰囲気は、完全なる紅葉には、まだ、大分間があるのだが、正に、秋たけなわで、夕日に映えた御苑の風景は、春の華やかさとは違って、旅愁を誘う。
   池畔に揺れるススキの佇まいが、趣があって良い。
   
   
   
   
   
    

   シーズンでもあるので、足を伸ばして、バラ花壇とプラタナス並木のあるフランス式整形庭園に向かった。
   秋バラは、花数が少ない所為もあって、遠方からは華やかには見えないのだけれど、近づいて見ると、実に色彩が鮮やかで美しい。
   まだ、結構、美しい花が残っていて、鑑賞には十分である。
   プラタナスは、まだ、少しグリーン気味で、美しく黄金色に輝くのは、もう少しした、モミジの紅葉の頃であろう。
   赤いバラをバックに、台湾からの若い家族連れであろうか、ワイワイ言いながら、妻子の写真を、撮っていた。
   日本人観光客は、スマホかデジカメで写真を撮っているのだが、東アジアからの観光客の大半が、キヤノンやニコンの一眼レフカメラを使って撮っているのが面白い。
   
   
   
        
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先祖返りする私の読書の楽しみ

2013年11月15日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   私が、大学時代に興味を抱いた本の著者が、二人いる。
   一人は、私の専攻であった経済学のシュンペーター、もう一人は、歴史学者のアーノルド・トインビーである。

   経済学については、ケインズやミルトン・フリードマンなどが、一世を風靡していたので、この方面も一生懸命に勉強したつもりだが、私は、シュンペーター、それに、好きだったガルブレイスの本や関連書を読む方が多かったように思う。
   シュンペーターは景気循環論、資本主義・社会主義・民主主義、それに、経済分析の歴史と言ったところだが、殆ど、私が生まれた頃の著作で、経済発展の理論やイノベーション論に非常に興味を持った。
   大学では、マル経の授業が多かったし、近経では、ケインズ主体で、計量経済学などが華やかなりし頃で、卒論は、ハンセンにお世話になったが、私の関心事は、やはり、シュンペーターであった。
   それ以降、私の勉強テーマは、経済社会の発展とイノベーションで、この関連専門書を読み続けてきたのだが、今でこそ、シュンペーターが脚光を浴び始めているものの、殆ど、関心を払われたようなことはなかったと思う。

   もう一方のトインビーだが、「歴史の研究」を読んで、これも、歴史や文明の発展論に非常に触発されて、特に、「挑戦と応戦」と言う理論展開が気に入った。
   この考え方は、ダーウィンの適者生存の理論とも呼応していて、シュンペーターの経済発展論、そして、創造的破壊のイノベーション論とも非常に関係性があるなど、色々な考え方が出来るのだが、壮大な歴史絵巻を縦横無尽に展望できる面白さは格別である。
   何故か、最近、このような壮大な人類の歴史や文化文明の発展論に興味を持ち始めており、最近、移転を見越しての蔵書を整理していると、結構、世界史関連本が出て来る。

   今、レビューを続けているアセモグルとロビンソンの「国家はなぜ衰退するのか」は、経済学者と政治学者のスケールの大きな全世界史を包含した文化文明論であるから、経済を学んだ私にとっては、正に、興味の尽きないトピックスなのである。
   これまでにも、このような関連の本を結構読み続けてきたつもりなのであるが、どうしても、経済史的な側面から、世界の歴史を考えることが多いので、テーマが大きく広がると、益々、興味津々となる。

   アセモグルなどは、第二章の「役に立たない理論」で、エコロジストで進化生物学者のジャレド・ダイアモンドの「地理説」を否定しているが、ダイアモンド自身が、この本を推薦しており、積読でまだ読んでいないダイアモンドの「明日までの世界」「文明崩壊」「銃・病原菌・鉄」全6冊を、読み始めようと思っている。
   ダイアモンドの描いている世界を、私自身、それ程歩いたわけではないのだが、例えば、ラテン・アメリカでは、マヤやアズテック、インカなどの遺跡へは行って多少は見ているし、ヨーロッパやアジアなどの異文化にも結構触れる機会が多かったので、興味深く読めると思っている。

   まだ、ある。読みたくて読みかけの本が。
   マット・リドレーの「繁栄」、ニーアル・ファーガソンの「文明」。
   当然、昔、挑戦したトインビーの「歴史の研究」(勿論、6000ページを超える何十冊もある大作の原典ではなく、サマヴェル版3巻本だが)を、読み返そうと思っている。

   移転のために、過半の蔵書を処分しなければならないのだが、書店に行けば、これまでのように、あいも変わらず、また、新しい本に手が出る。
   一種の病気だと思うのだが、幸いにも、歳の割には、目が良いものだから、後どこまで読書を続けられるか分からないが、まだまだ、本を紐解く日々の楽しみは続けられそうである。
   
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京成バラ園・・・深まり行く秋バラの美しさ

2013年11月14日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   もう、秋バラのシーズンも終わりに近づき、綺麗な花弁を保っているバラの木も少なくなったが、寒さが増すにつれて、花の色彩が益々深く鮮やかになって行く感じで、遅咲きの完璧な花形を維持しているバラは、実に美しい。
   前回、レポートした深紅のジークフリートとベルサイユの薔薇は、もうお終いで、一輪二輪しか残っておらず、宴の後である。
   
   

   イングリッシュ・ローズは、四季咲き性が弱いのか、咲いている花は少ないのだが、私が、処分せずに、鎌倉へ持って行く予定にしている、ウィリアム・シェイクスピア2000とレディ・オブ・シャーロットは咲いていて、まだ、いくらか綺麗な花を付けていた。
   新しく開発されたアンティークタッチのフレンチ・ローズやドイツのバラも、やはり、秋バラの咲き具合が少ないようで、豪華絢爛と咲き誇っているバラは、古い系統のハイブリッド ティ ローズが多い感じである。
   何時も、私が真っ先に行くのが、このイングリッシュ・ローズを中心に、フレンチやドイチェなどが植わっている小高くなっているバラの丘だが、今は、中央のエデンの泉を中心に広がっている整形式庭園のバラの方が、美しく咲いている。
   
   
   
   

   今、綺麗に咲いていて、輝いているのは、小さな花を房状に沢山つけているバラや一重のバラのようで、私など、同じ植えるのなら、豪華で花弁の多いバラが良いと、何となく思って、バラを育てているのだが、どうも、偏見のようである。
   一鉢だけ、芯に行くほどピンクが鮮やかなミミエデンだけは育てて見たのだが、案外、育て易いのかも知れないと思っている。
   
   
   
   
   
   

   池の周りの自然風庭園の木々は、少し、落葉樹が色づき始めて晩秋の気配が漂い始めている。
   赤っぽく色づいているのは、アメリカハナミズキだけで、まだ、モミジは紅葉していないのだが、ススキが、風に揺れていて、日が陰り始めると、やはり、秋色濃厚である。
   丁度、サフランが、クロッカスそっくりに咲いている。
   今日も、殆ど、客は居なかったが、次の週末くらいで、バラ園の賑わいも終わるのであろう。
   私のように、綺麗な花だけを追っ駆けている人間なら良いが、もう、多くのバラは萎んだり枯れたりし始めており、バラ園の出口に、来年5月中旬ころからが見頃ですと書いた立て看板が立っているのだから、また来年と言うことであろう。
   
   
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わが庭の歳時記・・・紅妙蓮寺椿咲く

2013年11月13日 | わが庭の歳時記
   椿が咲き始める季節になり、寒椿などは咲いているが、わが庭では、やっと、紅妙蓮寺(口絵写真)が大きな花を開いた。
   喜んで飛んで来たヒヨドリに突つかれて、すぐに花弁が落ちて、庭の階段に、真赤なお椀を置いたように、朝日に輝いている。
   

   鉢植えの菊枝垂桜が、一房、寒風にも負けず、綺麗な花を咲かせて、木漏れ日を受けて、静かに能役者のように舞っていて、風情があって良い。
   鎌倉に持って行って、庭の副木として植えようと思っているので、一房だけでもこの艶やかさであるから、春には、木全体に花が咲いて、華やかになるであろう。
   昔、八重桜の普賢象を植えていて、随分、豪華に庭を荘厳してくれたのだが、虫にやられて枯れてしまったし、それに、大きく成るので、桜は、庭木としては難しい。
   
   

   虫に食われて、まともな葉が殆どなくなってしまったアメリカ椛が、紅葉していて、逆光で見ると、抽象画のようで、中々、絵になって面白い。
   庭のモミジは、まだ、紅葉には、大分、間があるのだが、やはり、秋は、紅葉に限る。
   
   

   柚子と万両の実が、大分、色づいて来た。
   柚子は、随分沢山実がついているが、今年は、主が居なくなってしまうので、名残惜しいが、仕方がない。
   
   

   庭のバラでは、垣根に這わせたイングリッシュ・ローズのガートルート・ジェキルが咲いている。
   鎌倉へ持って行く鉢花で咲いているのは、赤紫の「あおい」とイングリッシュ・ローズの「アブラハム・ダービー」。
   ファルスタッフが、蕾をつけている。
   秋バラは、色が深くて息が長いので、切り花にして卓上に飾っても、一週間以上も綺麗な花を保っている。
   花屋さんで売っている豪華な切り花と違って、一輪挿しや小さな花瓶に、そっと、差し込むような雰囲気だが、庭にあると、次から次に咲いてくるバラを、変化を楽しみながら愛でることが出来て面白い。
   
   
   
      
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国家はなぜ衰退するのか (4)イノベーションは創造的破壊か

2013年11月12日 | 政治・経済・社会
   最近では、企業経営においては、何事もイノベーションと言う言葉が添えられるほど、イノベーションが脚光を浴びており、アセモグルとロビンソンの「国家はなぜ衰退するのか」でも、キーワードとして、イノベーションによる創造的破壊が頻繁に登場してくる。
   しかし、この本では、イノベーションが創造的破壊であるが故に、従来の秩序を大きく破壊する作用があるために、強力な反対勢力による挑戦を受けたケースを語っていて、非常に面白い。

   一つの例は、16世紀の後半のことで、ウィリアム・リー司祭が、「靴下編み機」を作成して、この機械の便利さを示し特許を申請するために、有力なツテを頼って、エリザベス女王に謁見して、機械を見せたケースである。
   成功間違いなしと信じていたリーに対する女王の反応はけんもほろろであった。
   「リー師よ、志は高く持たねばならない。この発明が哀れなわが民にいかなるものをもたらすか、考えても見よ。必ずや職を奪って破壊させ、物乞いに身を落とさせるであろう。」
   打ちひしがれたリーは、フランスへ渡って運を試したが夢破れ、イギリスで、再び、次のジェームス一世王にも特許を申請したが、エリザベス女王と同じ理由で却下されてしまった。
   
   二人とも、靴下製造の機械化が、政治的な安定を揺るがすことを恐れた。
   人々から仕事を奪い、失業と政治的不安定を生み、王の権力を脅かすと考えたのである。
   靴下編み機は、生産性の大幅な向上を約束する素晴らしいイノベーションだった筈だが、同時に創造的破壊であったが故に、安定した秩序を破壊する元凶として排除されようとしたのである。

   このようなケースは、至る所に起こっており、最も典型的なケースは、産業革命期のラッダイト運動(Luddite movement)であろう。
   1811年から1817年頃、イギリス中・北部の織物工業地帯において、産業革命の進行に伴って機械使用が普及するにつれて、失業の恐怖を感じた手工業者や労働者が起こした機械破壊運動である。

   エジソンが、電球を発明した時に、発電から送配電まで、一切のシステムを完備して普及に努めたので、ガス灯を駆逐できたのだが、この時でも、エジソンのデモンストレーションの現場にガス灯業者が紛れ込んで妨害をしたと言う例が報告されているのだが、既存の同種の業者にとっては、死活問題であったのであろう。
   しかし、極端な反対運動がない場合には、逆に、蒸気船の到来に対抗しようとして帆船の質が一気に向上したと言う、所謂、「帆船効果」が、電球とガス灯間でも起こり、ガス灯のシステムの質が随分向上したと言う。
   しかし、これは、クリステンセンの説く技術深掘りの持続的イノベーションであって、新しく生まれ出た破壊的イノベーションには太刀打ちできないと言うことの証明でもある。

   さて、この例を、ニュアンスは全く違うのだが、改革を、既得利権を持った抵抗勢力が強力に阻止すると言うケースを考えてみたい。
   竹中平蔵教授が、先日の講演で、アベノミクスの成長戦略として、国家戦略特区を「岩盤規制」を崩す起爆剤にしなければならないとして、農業と医療の岩盤規制をあげた。

   農業では、農地法によって、農民でないと農地を保有できないようだが、老齢化が極に達している農業改革のためにもこれを改正して、例えば、企業による農地保有の拡大によって企業化を促進すれば、農業問題の多くは、解決に向かおう。
   また、先進国でも、特に日本は、医師不足に困っているにも拘わらず、医者たちの利権を守るために、医師の数を制限しようとして、大学の医学部が、この20数年間、一つも増設されていないと言うことである。
   結局、これらの岩盤規制による利害関係者の利益・利権保護が、巨大な障壁となって、危機に瀕している日本経済の再活性化を妨げていると言うことだが、このように日本の政治経済社会の進化発展を阻害している要因が、他にも沢山あると言う。
   改革なくして、進歩なし。
   これなどは、先が見えずに、新技術や機械化に抵抗していたラッダイト運動の労働者たちとは違って、はっきりとした正論であり、日本の明日を築くためには必須の要件であることが分かっている規制改革であるのだから、はるかに、始末が悪いと言うことになろうか。  

   
   
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好調な米経済 生産の国内回帰

2013年11月11日 | 政治・経済・社会
   NHK BS1のワールドWaveニュースで、フランス2が、リストラと激しい抗議運動で深刻な雇用問題で悩んでいるフランスと違って、アメリカでは、毎月20万人の雇用が生み出されていると、好調なアメリカ経済について報じていた。
   その前に、環境税に反対する激しいデモを報じていたが、EUの経済不況の狭間で、フランス経済は、かなり、深刻な状態にあるようである。

   さて、このニュースで報じていたのは、キャタピラーの生産拠点のアメリカ国内回帰で、アーカンソー工場の状態を報じていたが、好調の要因は、この国内回帰だと言う。
   今や、海外での生産の利点はなくなってしまっていて、高度なロボット化による生産の自動化によって、十分に、現在の技術力でブラジルや中国の業者と競争できるようになった。と言うのである。

   もう一つ、Tシャツ製造会社で、グアテマラにあった生産拠点を国内に移して、中国などのように分業体制ではなく、生産工程をすべて一元化してコストを下げ、高品質の製品を生産して、地域経済の活性化に貢献していると言うケースを説明していた。
   自然素材を使っていると言う差別化が効を奏しているようだが、デイズニーやユニバーサル・スタジオなどに120万枚売り上げているのだと言う。
   少し前に、イギリスの食品工場でも、海外生産のメリットがなくなって、国内回帰して、顧客のMADE IN UK志向に乗って好調だと言うケースを紹介したのだが、カントリーリスクで中国から撤退しつつある日本企業とは、ニュアンスは違うが、やはり、生産コスト削減のみを目的として海外に出ていた先進国企業も、新興国での人件費アップや輸送費などでのデメリットが出て来ると、国内回帰は、当然のなり行きであろう。
   
   
   

   ほんの数週間前に、「政府閉鎖」と「デフォルト危機」で瀬戸際まで突入したアメリカ経済が好調になりつつあるのは、FRBの財政梃入れによると言う見解もあるが、やはり、以前から少しずつ進行していた製造業の国内回帰などによる民間セクターの再活性化が大きく貢献していると考えられる。
   キャタピラーなど巨大なMNCによる機械化IT化などによる生産拡大は、それ程雇用の拡大には効果的ではないかも知れないが、多くの在来型の企業や中小企業などの製造業の活況は、雇用増大に大きく貢献する。

   中国などの生産コスト増大によるアメリカ企業の国内回帰を見越して、オバマ大統領が、「最大の優先課題はアメリカに製造業の新たな礎を築くことだ。 次の製造業の革命を起こそう。」と檄を飛ばしたのも、このあたりの事情を勘案してであろう。

   中国での生産も、人件費の異常な高騰や納期の不安定、嵩む輸送コストのアップなどのネガティブ要因の拡大に加えて、
   このところのアメリカの景気回復によって 商品が売れるようになるにつれて、生産量の調整やデザインの変更など、消費者の要望により早く対応する必要に迫られ、国内で生産する方がメリットが大きくなったことなども、生産拠点を戻す追い風となっている。
   しかし、これに加えて、環境等社会のニーズに配慮した、あるいは、顧客嗜好に十分留意した差別化されたMADE IN USA志向を望む顧客の後押しも、アメリカ製造業活性化の大きな要因ではないかと考えられる。

   先日、口コミを読んでいたら、ニコンのデジカメが、MADE IN CHINAや、MADE IN THAILANDなので、痛烈な酷評記事が載っていたのだが、いくら、品質管理が徹底しているとしても、日本の高級ブランド品であれば、MADE IN JAPANでなければならないと言う強い顧客心理が働いていることは事実で、アメリカでもイギリスでも同じなのである。
   尤も、私が何十年も前に買ったライカR3サファリは、キヤノンやニコンの何倍もしていたが、ポルトガルで組み立てられていたので、MADE IN PORTUGALではあった。

   ICT革命とグローバリゼーションの進展によって、世界はフラット化したと言うことだが、実際には、バンカジ・ゲマワットが言うように、コークの味は国ごとに違うべきと言うセミ・グローバリゼーションの時代であるから、どこの国の消費者も、自国製品を志向し買い求めると言う真理は、変わらないように思われる。

   話は、少し脱線してしまったが、いずれにしろ、不況であろうと好況であろうと、世界のトップ製造業の大半は、その製造拠点や調達先は、プロダクション・シェアリングによってグローバルに分散していても、いまだにアメリカ国籍のMNCであることには、間違いがない。
   その一挙手一投足によって、その活動の比重がグローバルを駆け巡るのだが、そのいくらかが、アメリカ回帰に動き始めたと言うことは、アメリカ経済の再活性化であると同時に、先進国市場が、大きく転換しようとする前触れかも知れないと思っている。
   例えば、限界に達しつつある宇宙船地球号の将来を慮った、マイケル・ポーターの共通価値の創造を企図した企業への志向など高度な経営戦略の夜明けと言った予感である。
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