このブログ「熟年の文化徒然雑記帳」を、書き始めたのは、2005年3月21日であるから、丁度、13年目に入っており、投稿したブログも、はるかに4000稿は越えている。
最初は、海外生活が結構長くて、出張や個人旅行なども含めれば、欧米を主にして40数か国を歩いてきたので、海外での思い出などを、少しずつ綴って、記録に残しておこうと思ったのであるが、結局、書いている間に、関心が広がって行き、雑多な文章を書くことになってしまった。
もう一つの切っ掛けは、現役当時に、年間、主に、経済や経営の専門書を200冊以上は読んでいて、時々、アマゾンのブックレビューに投稿していたのだが、書き換えられたり勝手に削除されたりしたのに嫌気をさして、それなら、自分のブログに書こうと思ったのである。
この関連記事は、このブログでは、ブックレビューになったり、「政治・経済・社会」になったり、「経営・ビジネス」に書いたりで、結構、入り組んでいるのだが、やはり、経済学と経営学は、私の大学及び大学院の専攻でもあり、老年の今でも読み続けているので、この方面の記事が、一番多いようである。
経営学関係については、かなり、はっきりと自分の考えを書いているのだが、政治・経済・社会に関する記事については、以前、かなり、チェックされていたような形跡を感じたので、最近では、意識して私見など書かないように注意している。
ところで、海外での思い出を書くことについてだが、結局、ブログを始めてからの目ぼしい海外旅行、イタリア・イギリス、ニューヨーク、ロシア、上海・江南の4シリーズの旅紀行と、時に及んでの「海外生活と旅」の記事くらいに終わってしまっている。
それでも、中国旅以外は、私のテーマでもあった文化・芸術鑑賞を主題にした旅行記であり、その意味では、知盛ではないが、「見るべきものは見つ」と言う思いを求め続けてきた。
私にとっては、ある意味では、20年程にも亘った壮年期の、激動の世界を歩いた波乱万丈(?)の海外生活関連の生き様とその思い出を描きたかったのだが、記録も乏しく、それに、思い出だけで綴るのも憚られるし、記憶も消えて行くので、残念ながら書けずに終わってしまった。
アフリカだけは行っていないので全く知らないのだが、異文化・異文明の遭遇に翻弄された熾烈なカルチャーショックの連続、ベルリンの壁崩壊前後の激動のヨーロッパ、オペラ劇場や世界遺産や博物館・美術館を巡った文化鑑賞旅、丁々発止の国際ビジネス、等々、いくらでもトピックスはあるのだが、語れば長い話である。
アンデスの山ふところ真っ赤な夕日を浴びて微かに波打つチチカカ湖の慕情、バンドネオンの咽び泣くようなサウンドに誘われて激しくステップを踏むタンゴ・ダンサーの息遣いが胸に染みるブエノスアイレス・ボカのビエホアルマセン、コヴェントガーデンのロイヤル・オペラ・ハウスでどっぷりと4時間も5時間も浸り続けたワーグナーの楽劇の数々、机を叩きながら口角泡を飛ばして激論したサウジアラビアでのタフ・ネゴーシエーション・・・目を瞑れば、走馬灯のように懐かしい思い出が、脳裏をかすめて行く。
最近では、本は読み続けてはいるが、現役を離れて大分経つので、セミナーやシンポジウムなどに行くことも少なくなって、経営や、政治・社会などへの関心も薄くなってきて、少しずつ、気にならなくなってきた。
歳の所為もあるのかも知れないのだが、その代わり、実際の生活に関連するトピックスよりも、人類や世界の歴史や文化文明論の方に関心が移りだしてきて、その方面の勉強を始めている。
それに、悠々自適と言うか、金はないけれども、時間が自由になってくると、晴耕雨読と言うことで、自分の趣味に走るようになる。
最近、このブログも、観劇やガーデニング、カメラを持って鎌倉歩きが多くなって来たのも、その所為である。
何時まで、このブログを書き続けられるか、まだ元気であり、医師より、大丈夫だと言われているので、安心して、駄文を書き続けて行きたいと思っている。
最初は、海外生活が結構長くて、出張や個人旅行なども含めれば、欧米を主にして40数か国を歩いてきたので、海外での思い出などを、少しずつ綴って、記録に残しておこうと思ったのであるが、結局、書いている間に、関心が広がって行き、雑多な文章を書くことになってしまった。
もう一つの切っ掛けは、現役当時に、年間、主に、経済や経営の専門書を200冊以上は読んでいて、時々、アマゾンのブックレビューに投稿していたのだが、書き換えられたり勝手に削除されたりしたのに嫌気をさして、それなら、自分のブログに書こうと思ったのである。
この関連記事は、このブログでは、ブックレビューになったり、「政治・経済・社会」になったり、「経営・ビジネス」に書いたりで、結構、入り組んでいるのだが、やはり、経済学と経営学は、私の大学及び大学院の専攻でもあり、老年の今でも読み続けているので、この方面の記事が、一番多いようである。
経営学関係については、かなり、はっきりと自分の考えを書いているのだが、政治・経済・社会に関する記事については、以前、かなり、チェックされていたような形跡を感じたので、最近では、意識して私見など書かないように注意している。
ところで、海外での思い出を書くことについてだが、結局、ブログを始めてからの目ぼしい海外旅行、イタリア・イギリス、ニューヨーク、ロシア、上海・江南の4シリーズの旅紀行と、時に及んでの「海外生活と旅」の記事くらいに終わってしまっている。
それでも、中国旅以外は、私のテーマでもあった文化・芸術鑑賞を主題にした旅行記であり、その意味では、知盛ではないが、「見るべきものは見つ」と言う思いを求め続けてきた。
私にとっては、ある意味では、20年程にも亘った壮年期の、激動の世界を歩いた波乱万丈(?)の海外生活関連の生き様とその思い出を描きたかったのだが、記録も乏しく、それに、思い出だけで綴るのも憚られるし、記憶も消えて行くので、残念ながら書けずに終わってしまった。
アフリカだけは行っていないので全く知らないのだが、異文化・異文明の遭遇に翻弄された熾烈なカルチャーショックの連続、ベルリンの壁崩壊前後の激動のヨーロッパ、オペラ劇場や世界遺産や博物館・美術館を巡った文化鑑賞旅、丁々発止の国際ビジネス、等々、いくらでもトピックスはあるのだが、語れば長い話である。
アンデスの山ふところ真っ赤な夕日を浴びて微かに波打つチチカカ湖の慕情、バンドネオンの咽び泣くようなサウンドに誘われて激しくステップを踏むタンゴ・ダンサーの息遣いが胸に染みるブエノスアイレス・ボカのビエホアルマセン、コヴェントガーデンのロイヤル・オペラ・ハウスでどっぷりと4時間も5時間も浸り続けたワーグナーの楽劇の数々、机を叩きながら口角泡を飛ばして激論したサウジアラビアでのタフ・ネゴーシエーション・・・目を瞑れば、走馬灯のように懐かしい思い出が、脳裏をかすめて行く。
最近では、本は読み続けてはいるが、現役を離れて大分経つので、セミナーやシンポジウムなどに行くことも少なくなって、経営や、政治・社会などへの関心も薄くなってきて、少しずつ、気にならなくなってきた。
歳の所為もあるのかも知れないのだが、その代わり、実際の生活に関連するトピックスよりも、人類や世界の歴史や文化文明論の方に関心が移りだしてきて、その方面の勉強を始めている。
それに、悠々自適と言うか、金はないけれども、時間が自由になってくると、晴耕雨読と言うことで、自分の趣味に走るようになる。
最近、このブログも、観劇やガーデニング、カメラを持って鎌倉歩きが多くなって来たのも、その所為である。
何時まで、このブログを書き続けられるか、まだ元気であり、医師より、大丈夫だと言われているので、安心して、駄文を書き続けて行きたいと思っている。