前回の「須磨、明石と末摘花」に続いて、今回は、「藤壺、夕顔、六条御息所」の白石加代子の明治座の舞台である。
いつも、コンサートやオペラ、観劇で劇場に行くとお客さんが気になるのだが、今回は、圧倒的に40歳代以上の婦人方が大半で、先日の蜷川「タイタス・アンドロニカス」の様に若い男女が多数を占める舞台と雰囲気が大分違う。
何しろ、天下随一の粋人・色男の話であるから、白石加代子の名調子で語られる微妙な色恋の話にも、敏感に意味深な含み笑いで応える聴衆の反応も流石である。
瀬戸内寂聴の新約「源氏物語」を底本にしているが、これを上手く組み合わせ、時には、流麗な原文を取り入れて、そして、当時の風習や故事来歴を交えながら、
ある時には琵琶法師のように語り、ある時には吟遊詩人のように詠いながら、名優白石加代子が語るのであるから、楽しくない筈がない。
黒衣の後見・梶原美樹嬢が、花月風鳥、風俗・風景、文様等々を描いた30面以上の色取り取りの扇を立てたり並べたりして、舞台設定を行いながらさり気なく白石加代子を助け、バックには、琵琶や笛、琴の音が優雅に流れていて雰囲気を盛り上げる。
扇の色や形、色彩豊かな絵が象徴的に舞台道具になっていて、中々、優雅である。
白石加代子は、見台の上に置くこともあるが、楽譜を持つように台本を持ち舞台を縦横に歩みながら、ひとり芝居を演じている、夕顔の死の時には、舞台に倒れて一幕目の幕が下りる。
源氏物語に接したのは、高校の図書館で和綴じの何とも言えない優雅な本を見たのが最初で、古語なのでよく分からなかったのでそのまま忘れてしまった。
大学生の頃に、谷崎潤一郎の新書版と同じ様な大きさの赤紫の箱入りの綺麗な8巻本が出たので買って読み始めた。
全部は読めなくて、飛ばし読みをしたのだが、幸い京都での学生生活であったので、同時に、平家物語など古典を読みながら京や奈良など近郊の縁の故地を歩いた。
物語そのものが好きだと言うのではなくて、日本の歴史や芸術などに興味があり、その一環として源氏物語を受け止めていたと言うのが正直な所である。
今回の源氏物語の部分は、夕顔以外は何れも年上の女性との物語が主体で、光源氏の思いのままにならない若い頃の、謂わば、ティーンエイジャーの恋物語である。
正妻は葵の上だが、姉さん女房で気位が高いと言うよりはしっかりした理知的な女性なので、軟派の光源氏には敷居が高くて中々しっくり馴染めない。
しかし、10年生活を共にしたので長男夕霧をもうける。
光源氏は、亡き母に生き写しだと言う7歳年上の美貌の中宮藤壺に恋焦がれて、宿下がりの合間に思いを遂げて、後の天皇冷泉院を儲ける。父である桐壺院はそれを知らずに子供の行く末を光源氏に託して崩御する。
藤壺中宮は、光源氏との関係を嫌って出家するが、光源氏は諦めきれず、良く似た姪の紫の上を北山で見つけて理想の妻(正妻ではない)として慈しむ。
源氏物語で人気が高く特異な存在は夕顔である。
葵の上の兄であり友である頭の中将の通っていた女性だが、夕顔の宿で逢瀬を楽しんだあと更に水入らずの愛を確かめる為に某院に連れ出すが、そこで儚くなる。
光源氏にとっては、お互いに一切素性を表すことなく、心置きなく素直に逢瀬を楽しめたのは、この夕顔だけかも知れない。
六条の御息所は、亡くなった皇太子・前坊の未亡人で、教養豊かで品格があって素晴しい女性だが、情が深くて恋に溺れすぎるのが玉に瑕、少し光源氏には気が重くて遠ざかりがちになる。しかし、男女の愛の深さを教えてくれたのはこの御息所かも知れない。
ところが、光源氏の行列を見学しようと出かけた時に、場所取り争いで葵の上の牛車と揉み合い散々の屈辱を味わう。ただでさえ正妻の葵に嫉妬しているのだから、これが怨念になって、葵の上、そして、密会中の夕顔を、生霊として枕辺に表れて呪い殺す。
光源氏に、娘(斎宮・後に実子冷泉院の妃・秋好中宮)には手を付けるなと釘を刺して逝く。
いくら色好みの光源氏でも、出家した女性と二世とは関係を結ばなかったと瀬戸内寂聴さんは言っていた。
とにかく、この辺りの光源氏の色模様を華麗に煌びやかに、そして、何処か哀調を帯びてしみじみと語る名調子の白石加代子の語りは秀逸である。
しかし、これだけの話だけでも極めて内容豊かな物語であるのに、これは源氏物語の極一部である。1千年以上も前に創作した紫式部の文学の才とその力量には感嘆せざるを得ない。
この日の舞台は、御所を中心として五条や六条あたりと東山、それに、精々、北山どまりの洛中洛北だが、京都の中にも、源氏物語の頃の雰囲気を感じられる所は少なくなってしまった。
いつも、コンサートやオペラ、観劇で劇場に行くとお客さんが気になるのだが、今回は、圧倒的に40歳代以上の婦人方が大半で、先日の蜷川「タイタス・アンドロニカス」の様に若い男女が多数を占める舞台と雰囲気が大分違う。
何しろ、天下随一の粋人・色男の話であるから、白石加代子の名調子で語られる微妙な色恋の話にも、敏感に意味深な含み笑いで応える聴衆の反応も流石である。
瀬戸内寂聴の新約「源氏物語」を底本にしているが、これを上手く組み合わせ、時には、流麗な原文を取り入れて、そして、当時の風習や故事来歴を交えながら、
ある時には琵琶法師のように語り、ある時には吟遊詩人のように詠いながら、名優白石加代子が語るのであるから、楽しくない筈がない。
黒衣の後見・梶原美樹嬢が、花月風鳥、風俗・風景、文様等々を描いた30面以上の色取り取りの扇を立てたり並べたりして、舞台設定を行いながらさり気なく白石加代子を助け、バックには、琵琶や笛、琴の音が優雅に流れていて雰囲気を盛り上げる。
扇の色や形、色彩豊かな絵が象徴的に舞台道具になっていて、中々、優雅である。
白石加代子は、見台の上に置くこともあるが、楽譜を持つように台本を持ち舞台を縦横に歩みながら、ひとり芝居を演じている、夕顔の死の時には、舞台に倒れて一幕目の幕が下りる。
源氏物語に接したのは、高校の図書館で和綴じの何とも言えない優雅な本を見たのが最初で、古語なのでよく分からなかったのでそのまま忘れてしまった。
大学生の頃に、谷崎潤一郎の新書版と同じ様な大きさの赤紫の箱入りの綺麗な8巻本が出たので買って読み始めた。
全部は読めなくて、飛ばし読みをしたのだが、幸い京都での学生生活であったので、同時に、平家物語など古典を読みながら京や奈良など近郊の縁の故地を歩いた。
物語そのものが好きだと言うのではなくて、日本の歴史や芸術などに興味があり、その一環として源氏物語を受け止めていたと言うのが正直な所である。
今回の源氏物語の部分は、夕顔以外は何れも年上の女性との物語が主体で、光源氏の思いのままにならない若い頃の、謂わば、ティーンエイジャーの恋物語である。
正妻は葵の上だが、姉さん女房で気位が高いと言うよりはしっかりした理知的な女性なので、軟派の光源氏には敷居が高くて中々しっくり馴染めない。
しかし、10年生活を共にしたので長男夕霧をもうける。
光源氏は、亡き母に生き写しだと言う7歳年上の美貌の中宮藤壺に恋焦がれて、宿下がりの合間に思いを遂げて、後の天皇冷泉院を儲ける。父である桐壺院はそれを知らずに子供の行く末を光源氏に託して崩御する。
藤壺中宮は、光源氏との関係を嫌って出家するが、光源氏は諦めきれず、良く似た姪の紫の上を北山で見つけて理想の妻(正妻ではない)として慈しむ。
源氏物語で人気が高く特異な存在は夕顔である。
葵の上の兄であり友である頭の中将の通っていた女性だが、夕顔の宿で逢瀬を楽しんだあと更に水入らずの愛を確かめる為に某院に連れ出すが、そこで儚くなる。
光源氏にとっては、お互いに一切素性を表すことなく、心置きなく素直に逢瀬を楽しめたのは、この夕顔だけかも知れない。
六条の御息所は、亡くなった皇太子・前坊の未亡人で、教養豊かで品格があって素晴しい女性だが、情が深くて恋に溺れすぎるのが玉に瑕、少し光源氏には気が重くて遠ざかりがちになる。しかし、男女の愛の深さを教えてくれたのはこの御息所かも知れない。
ところが、光源氏の行列を見学しようと出かけた時に、場所取り争いで葵の上の牛車と揉み合い散々の屈辱を味わう。ただでさえ正妻の葵に嫉妬しているのだから、これが怨念になって、葵の上、そして、密会中の夕顔を、生霊として枕辺に表れて呪い殺す。
光源氏に、娘(斎宮・後に実子冷泉院の妃・秋好中宮)には手を付けるなと釘を刺して逝く。
いくら色好みの光源氏でも、出家した女性と二世とは関係を結ばなかったと瀬戸内寂聴さんは言っていた。
とにかく、この辺りの光源氏の色模様を華麗に煌びやかに、そして、何処か哀調を帯びてしみじみと語る名調子の白石加代子の語りは秀逸である。
しかし、これだけの話だけでも極めて内容豊かな物語であるのに、これは源氏物語の極一部である。1千年以上も前に創作した紫式部の文学の才とその力量には感嘆せざるを得ない。
この日の舞台は、御所を中心として五条や六条あたりと東山、それに、精々、北山どまりの洛中洛北だが、京都の中にも、源氏物語の頃の雰囲気を感じられる所は少なくなってしまった。