熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

AIづくり支える「文系」集団と言うのだが

2016年07月31日 | 経営・ビジネス
   朝日新聞のデジタル版で、”AIづくり支える「文系」集団 映画脚本家・詩人ら参入”と言う記事が掲載されていた。

   マイクロソフト本社のAIを使った音声認識ソフト「コルタナ」の開発チームで、「コルタナ」は、基本ソフト(OS)「ウィンドウズ10」を搭載したパソコンのほか、スマートフォン、タブレット端末で利用でき、話しかけるとAIがその意味を理解し、調べて答えを返してくれる。その「セリフ」をつくっているチームには、ハリウッド映画の脚本家や小説家、詩人、ジャーナリストたちが顔をそろえる。と言う。
    「AIが親しまれるようになるには、どんな言葉でどれだけ具体的な返事をするかがカギになる」ため、会話や架空の人物像を描き出す力が必要で、AIが発する「人間らしい会話をつくる能力がある脚本家や小説家、エッセイストなどにいきついた。と言うのである。

   また、AI開発に異業種の人が参入しているのは、マイクロソフトだけではなくて、ベンチャー企業ボタニックの「幹部のほとんどが文系」で、同社は音声認識に画像を組み合わせ、ネット上の人物と会話することで、子ども向けの冒険物語を展開するソフトなどを開発していて、社長ももともと画家で、幹部には修辞学の専門家や心理学者もいる。と言う。

   この記事に多少違和感を感じるのは、AI企業ないし事業の定義にもよるのだが、AIを、理系のテクニカルな分野のものだと規定してかかっていて、ふしぎにも、畑違いの文系が関わっていると言うニュアンスである。
   むしろ、この「コルタナ」の開発などは、AIを活用したビジネスモデルの構築であって、文系が関わらなければ、AIが発する生きた会話など実現不可能であり、成功など覚束ない。

   さて、AIとは、(社) 人工知能学会(社)のHPを見ると、
   人工知能の研究には二つの立場があります.一つは,人間の知能そのものをもつ機械を作ろうとする立場,もう一つは,人間が知能を使ってすることを機械にさせようとする立場です.そして,実際の研究のほとんどは後者の立場にたっています.ですので,人工知能の研究といっても,人間のような機械を作っているわけではありません.
   ウィキペディアによると、
   人工知能(英: artificial intelligence、AI)とは、人工的にコンピュータ上などで人間と同様の知能を実現させようという試み、或いはそのための一連の基礎技術を指す。
   コンピュータを使って、人間が知能を使ってやるのと同じようなことを、機械に、代わってやらせようとすることだと言うことであろうか。

   コンピュータ・チェスや将棋、東大入試をコンピュータに受けさせる、完全自動のミサイル防衛システムや無人戦闘機、ロボットカー等々、現在進められているAI事業にも沢山の分野があり、ゆくゆくは、人工知能が人間に対して反乱を起こす可能性など人工知能の危険性について警鐘まで鳴らされている。
   これまでの科学技術の進歩による事業なりビジネスの進展と大きく違うのは、人間の知能を装備したコンピュータ制御の機械が、人間の知能に、時には対抗したり凌駕する可能性があり、人間が制御できなくなる可能性さえ起こり得ると言うことであろうか。

   コンピュータの力を借りて、機械に人間の知能を吹き込んで仕事をさせると言うことだと考えれば、そのプログラミングや操作運用などは、テクニカルな理系の世界であろうとも、そのビジネスモデルの構築には、美意識や芸術性は勿論、モラル、社会的規範や公序良俗を十分に考慮加味しなければならないので、むしろ、文系がリードしなければならない世界である。

   多言は避けるが、むしろ、今後AIを進めて行く上に、考えなければならないことは、理系が突出してAIを進めて行くのは危険であり、理系文系両輪での開発推進が必須だと言うことである。
   このブログで、何度も書いて来たのだが、発明発見はともかく、イノベーションや新機軸など、新しいビジネス価値の創造には、多くの異文化異文明の遭遇、異分野の専門家たちの知識や経験のぶつかり合いや融合が、必須だと言うことであって、AIを、理系の分野だと思ってかかれば、手痛いしっぺ返しを受けるであろうことを肝に銘じるべきだと思っている。
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国立能楽堂・・・企画公演:能と筝曲 「竹生島」「源氏供養」

2016年07月30日 | 能・狂言
   七月の国立能楽堂の「能のふるさと・近江」の最後は、2日に亘って催された企画公演「能と筝曲」であった。
   常磐津など浄瑠璃系の音楽様式を積極的に導入して成立したと言う山田流筝曲の「竹生島」と「石山源氏 上下」が、能「竹生島」と能「源氏供養」の詞章をアレンジしたような感じで、夫々の能の舞台の前に、優雅かつ華麗に演奏された。
   すこし前に、日本の能と、それを脚色して創作された沖縄の組踊との競演を見て感激した、あの古典芸術の奥深さに感動を覚えた、同じ思いである。

   プログラムは、次の通り。
   能と箏曲1
箏曲  竹生島  山勢 松韻
能  竹生島 女体  種田 道一(金剛流)
 間狂言  道者   野村 萬斎(和泉流)
   能と箏曲2
箏曲  石山源氏 上・下  山勢 松韻
能  源氏供養 真之舞入   武田 孝史(宝生流)

   当日、会場に、長浜から、ゆるキャラの「三成くん」が来ていて、ロビーで客を喜ばせていた。
   
   

   滋賀と言えば、どうしても、琵琶湖である。
   殆ど京阪神を出たことがなかったので、何十年も前、大学入学直後のコンパで、洗礼を受けて即座に覚えた歌は、”紅萌ゆる丘の花・・”で始まる三高寮歌と、”われは湖(うみ)の子 さすらいの・・”で始まる琵琶湖周航の歌、そして、”向こう通るは女学生・・・ロンドンパリを股にかけ、フィラデルフィアの大学を・・・”の三つであったが、私に強烈な印象を与えたのは、中でも、琵琶湖周航の歌で、次々に展開されて行く滋賀の旅情を感じて強烈であった。

   ・・・行方定めぬ 波枕 今日は今津か 長浜か 
   瑠璃の花園 珊瑚の宮 古い伝えの 竹生島 仏の御手に 抱かれて 眠れ乙女子 やすらけく
   
   真っ先に出かけたのは、三井寺と石山寺であったが、その少し後、長浜から船で竹生島に渡って、都久夫須麻神社(竹生島神社)を訪れて、国宝の本殿を拝観した。
   主祭神は、市杵島比売命 (弁才天)であると言うことで、この竹生島弁才天は、江島神社と 厳島神社と並んで日本三大弁天のひとつで、今回の能「竹生島」のシテとなっている。
   今鎌倉に住んでいて、江の島にも直近であり、銭洗い弁財天にも近くて、何となく不思議な気持ちだが、弁財天と言えば、吉祥天女像などとともに、女神としての美しさをイメージしてしまう。

   この「竹生島」も「源氏供養」も、琵琶湖や滋賀の都、京都などの風景や風物を想像豊かに意識の中で描くことによって、鑑賞の楽しさが増幅されるのであろう。
   私のような初歩の鑑賞者にとっては、殆ど動きがなく、舞と謡と囃子で展開されて行く徹底的に切り詰められた能舞台のドラマを少しでも分かろうとすれば、もてる思い出回帰と想像や空想などを総動員することなのである。

   この能の素晴らしさは、前場の春の琵琶湖上からの風景描写とか,
   「月海上に浮かんでは兎も波を走るか」から、波に兎をあしらった図柄を「竹生島文様」と称するようだが、私も、学生時代に、比良の麓の湖畔で数日キャンプをしたことがあり、湖上からもそうだが、とにかく、時の移り変りとともに刻々と変化して行く絵になる風景が魅力的であった。
   金剛流の「女体」であるから、後場は、前場の女が作りものの社に入って、劇中劇風の面白い間狂言の間に、弁財天に華麗に変身して「盤渉楽」を優雅に舞い、早笛に、老人は、龍神になって颯爽と登場して、迫力満点の舞を披露し、魅せてくれる。

   ところで、興味深いのは、萬斎が能力で、石田幸雄たちの道者たちに、弁財天の頭上に翁面邪身の「宇賀神」を頂く竹生島本尊の話をするので、道者たちは、妻が夫を肩車にして揚幕に退場するのだが、シテ弁財天の天冠の頭には、白い蓮の花が乗っていたようであった。

   先の「竹生島」の筝曲も素晴らしかったが、筝曲「石山源氏」も、日本の古典音曲の極致と言うか実に美しい。
   上下続けて40分と言う山田流筝曲でも最長の部類の曲で、演奏される機会は少ないと言うことだが、上は、殆ど、能の詞章を踏襲した感じで、シテを人間国宝山勢松韻が、ワキを山登松和家元が唄う形で演奏されていた。
   琴・三弦・笛の音色の素晴らしさと歌唱の美しさは、他の古典芸能とは、桁外れに華麗で美しく感動的で、詞章の表現の差と同時に、バリエーションの奥深さを感じて、触発源としての能の世界の神秘さをあらためて感じて興味深かった。
   下の方は、今回の宝生流の能「源氏供養」では、小書「真之舞人」で源氏物語54帖すべての巻名が詞章に謡われているのだが、筝曲でも同じように唄われて、その美しさも格別であった。
   いろは歌と同じで、日本の詩歌、文章芸術の卓越した冴えであろうか。

   能「源氏供養」は、
   紫式部が、石山寺に籠って、源氏物語を著したのだが、光源氏を十分に供養しなかったので、妄執の雲が晴れずに苦しんでいるところ、安居院法印が式部の頼みをかなえて供養し亡きあとを弔う。美麗な装束をまとった紫式部の霊が現れて、お布施に何を差し上げようと問うと、法印は代わりに舞を所望したので、式部の霊は、優美華麗な序の舞を舞う。
   源氏物語の巻巻の名を連ねて、美しい物語の世界から仏道に志す道筋を指示し、源氏物語は、人々が悟りに導く方便として書かれたもので、紫式部こそが、石山寺の本尊・観世音菩薩の化身だと言う。こんなストーリーである。

   節木増の面をかけて素晴らしく優美で美しいシテ武田孝史師の弁財天の霊の序ノ舞は、随分長い優雅な舞で、楽しませてもらった。
   紫式部が、才女であったことは確かだが、美女であったかどうか、興味のあるところである。
   もう一度、源氏物語を読み直そうと思っている。

   石山寺に行くと、紫式部が源氏物語を書いた部屋だと言うのがあって、式部の人形が置かれていて興味深い。
   確か、紫式部ゆかりの品々が、保存されている筈である。
   しかし、紫式部が、観世音菩薩の化身だと言う発想が面白い。
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アル・ゴア著「未来を語る」 (1)

2016年07月28日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   「不都合な真実」を著して、宇宙船地球号の危機を警告したアル・ゴアの更なる我々人類の「The Future]に対するレポートである。
   大統領選で、実質的にブッシュに勝利していたと言うTVドキュメンタリー放映もあったくらいだから、アメリカの民主主義も藪の中。
   ゴアが、大統領になっていたら、アメリカのみならず、世界の21世紀が、どのようなスタートを切っていたか、あまりにも、目まぐるしい激動の時代であったから、つくづく、考えざるを得ないと思っている。
   
   ゴアの博識と英知には、畏敬さえ感じているのだが、
   ゴアの重要だと指摘する世界を動かす6つの要因の最初の
   1、グローバル経済の台頭(アース・インク<EARTH Inc.>)で、ゴアは、
   アース・インク(株式会社 地球、と言う捉え方であろうか)は、グローバル経済の拡大によって、人類がこれまでに経験したことがないような速度と規模で変容しつつあり、「高度につながり合い、強固に統合され、大いに相互に作用し合い、技術的な大変革が進行中の新しい経済」という新たな現実に対して、国家政策や地域戦略、長い間受け入れられてきた経済理論は最早当てはまらない世界なのだと言っている。 

   ここで、冒頭、仕事のデジタル化と、劇的な変化として、
   1.先進国から新興国へのアウトソーシング、
   2.未成熟ながら日進月歩の人工頭脳への仕事のロボットソーシング
   を引き起こしたと指摘している。

   この1の現象によって、先進国の労働者の仕事を新興国の労働者が奪って格差拡大を引き起こしたが、2の現象によって、今後、逆に、先進国が新興国の労働を奪うと指摘したのは、イアン・ブレマーで、このことについては、先日、このブログで論じた。
   ゴアも、この点に触れて、ロボットソーシングの結果、アウトソーシングによる雇用の減少を打ち消し始めているとしている。

   ここで、ゴアが論じているのは、当然の帰結ではあるのだが、すこし違った視点からの指摘で、
   このロボットソーシングとITによるアウトソーシングへの構造的転換が起こると、労働投入量に対する資本投入量の比率が大幅に変わり、先進国の労働者の賃上げ要求の力が弱くなる。
   ロボットソーシングによって、ネットワーク化された知能機械が、かなりの割合の雇用に取って変る一方、残っている少数の従業員の生産性は大きく高まる。
   その結果、ロボットソーシングの影響を受けずに生き残った従業員の所得は増加するであろうから、経済格差は、益々、拡大することとなる。   
   この技術曲線の急勾配が上り始めて、多くの企業や産業で、このプロセスが、同時進行すれば、その齎す影響の総和は、雇用の大幅な減少を生み出すこととなり、多くの従業員には、新たな職に就くのに必要なスキルがないので、排除されてしまう。
   いずれにしろ、急速に進展するICT革命にキャッチアップできる知的能力やスキルを欠いた従業員は、益々、雇用の機会が奪われて行き、弱者としての運命を辿らざるを得ないと言うことになる。

   この、人工頭脳の加速と低所得国への雇用の移転の累積効果が、先進国のみならず新興国においても、所得と純資産の格差拡大を生み、職を失う人の所得は減る一方で、技術資本の相対的価値の増大から恩恵を受ける人々の所得は増える一方なので、グローバルベースで、経済格差の拡大がどんどん進行していると言うのである。

   また、製造業や農業だけではなく、サービス産業でも、根底にある技術革命の加速的な影響によってノベーション曲線や生産性曲線が上昇し、多くの雇用が次第に失われつつあると言うことであるから、近年の経済成長は、次第に雇用の増大を伴わなくなってきているのである。

   平たく言えば、チェスも碁も将棋さえも、コンピューターに勝てなくなってしまった、AI人工知能の時代であるから、仕事でも何でも、賢くない人間は、生きて行けない時代になりつつあると言うことなのである。

   産業革命の時に、機械化の普及で、失業のおそれを感じた手工業者・労働者が機械の破壊や工場建築物の破壊を行ったラッダイト(Luddite)運動が、起こった。
   その後の産業革命時においても、前述のように新技術が雇用に打撃を与えたのは、当然の傾向で、今回のICT革命によるアウトソーシングやロボットソーシングでは、影響は、もっとドラスティックなのだが、"We are the 99%" ”ウォールストリートを占領せよ”程度のデモが精々のところなのである。

   しかし、この怒り、特に、若年層で、大学を奨学金で出て、巨額の借金を抱えた米国民などの反発は強く、サンダース上院議員に対する熱烈な支持運動に明確に表れている。
   一方、同じく、職を追われて格差拡大に憤懣やるかたない白人の教育水準そこその庶民階級がトランプに傾倒するのも、この傾向の一端であって、両現象とも、ここまで、アメリカの資本主義を無茶苦茶にしたエスタブリッシュメントに対する拒否反応と拒絶感情の爆発であり、その凄さは、歴史をもひっくり返す勢いで、まさに、驚異であり脅威でもある。
   決して、あだ花でもなく一時的な現象でもなく、閉塞感漂うアメリカの現状の表出なのである。

   生産性を向上させ、人類の生活環境を良くし、経済成長を促進しようとする努力が、結果として、アウトソーシングとロボットソーシングを現出し、雇用環境を悪化させて格差拡大を助長し、更に、人工知能の発達によって、人間らしい生き方や人間性を破壊し、どんどん人類を窮地に追い詰めて行くと言うこの巨大なパラドックス。
   東京都知事選挙戦が、別世界のように思えるのが不思議である。
   
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坂村健著「IoTとは何か 技術革新から社会革新へ」

2016年07月27日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   IOT(Internet of Things)は、「モノのインターネット」
   「インターネットのように」会社や組織やビルや住宅や所有者の枠を超えてモノが繋がる、まさにオープンなインフラを目指す言葉と捉えるべきである。
   そして、今のインターネットが、主にウェブやメールなど人間のコミュニケーションを助けるものであるのに対して、その連携により、社会や生活を支援するーーそれが、IOTだと、坂村教授は言う。

   ドイツの「インダストリー4.0」やアメリカの「インダストリアル・インターネット・コンソーシャム」と言ったIOTの到来で、黒船来襲のように日本中が驚いているが、しかし、日本では既にTRONプロジェクトの成果によって早くから組み込み用OSの事実上の標準化が実現しており、それが、自動車や家電が「マイコン式」になる時期の大きなアドヴァンテージになっていて、IOTは日本の得意な組み込み機器のネットワーク化の流れの先にある未来であって、日本がこの分野で地道に研究開発と実用を続けてきた。
   しかし、トヨタのカンバン・システムもIOTだが、これは、系列に閉じたIOTであって、インダストリアル4.0が大きく違っているのは、ドイツ、更に世界中の製造業すべてが繋がる、系列に閉じないIOTだと言うことである。

   インダストリー4.0は、蒸気機関の第1次産業革命が1.0、モーター等の電気化を2.0、コンピューターによる電子化で3.0、正に、このIOT化は第4次産業革命の4.0だが、サービス4.0、IOG(Internet of Guest)を展開して、「おもてなし」の課題を解決して、2020オリンピック・パラリンピックを成功に導こうと、詳細に論じているのが面白い。

   いずれにしろ、IOT化は、一頃流行ったユビキタス。
   モノを全部インターネットに繋ぐのがIOTであるから、須らく、あらゆる機器のAPIが、オープンシステムでなければならない。
   現実世界をプログラム可能にすることであるから、プログラミングの力こそが、この環境を生かす鍵であり、国家レベルのプログラミング教育が必須で、「プログラミングできるその分野の専門家」を育成するために、初等中等からスタートすべきだと言う。
   スマホさえ使っていない私なので、技術的なことはともかく、坂村教授のTRONのセミナーを聴講したり著書を読んできているので、IOTなど、その応用だと思っていたし、IOTより、IOE(Internet of everything)だと言うことも、なるほどと思っている。
   坂村教授は、IOTへの展開について、技術的にも詳細に論じているのだが、私には、その方面に疎い所為もあるのだが、日本の閉鎖的な政治経済社会システムが、時代の潮流や新しい革新について行けないと言う方に興味があるので、最先端を行くIOTの実現とその未来に関心が向く。
   
   さて、境界が明確なシステムは、特定のシステム管理主体が全体機能について保証(ギャランティー)するのだが、インターネットのようなオープンなシステムは、特定の管理主体がないので、その全体についての保証は不可能で、ベストエフォートによって成り立たざるを得ない。
   予測できない革新こそがイノベーションであることを考えれば、このベストエフォートで境界が不明確であるからこそ、オープンなシステムは社会のイノベーションに大きな力を発揮する。
   ところが、日本の組織や個人は、一般に責任感が強く失敗を恐れる保証志向なので、ベストエフォートによるオープン・システムに親和性が悪く、このことによって、インターネットをはじめとする現在主流のオープンな情報システムを構築する上で、日本が後手に回っている。
   IOTが研究段階が終わって社会への出口を見付ける段階になった今、日本のIOTは、技術以外の要素が問題となって、日本の政治経済社会が内包するオープンな情報システム構築に不向きなギャランティ志向が、大きな足かせとなっていると言うのである。
   i・modeで先行していた日本の「ケイタイ」が、キャリアがガバナンスを持つクローズドなシステムであったがゆえに、OSメーカーに主導権が移って一気にオープン化したスマートホンへの移行について行けなかった、正に、ガバナンスの欠陥の最たる例であると言う。

   自由な発想を育む英米法の社会と違って、イノベーションの芽を生み出すことに不向きな大陸法体系の日本社会が、スティーブ・ジョブズの誕生を阻むビジネスシステムを醸成しているとの持論も展開していて興味深い。
   江戸末期には、英米との接触によって、文明開化を目指し、明治維新では、英米より多くの学者や専門家を招聘して日本の近代化を目指した筈だったが、法体系では、ドイツなどから大陸法を導入して、政治経済社会システムを作り上げた。
   成文法を法体系の中心におく大陸法が、日本社会に馴染む法体系かどうかは、不勉強で分からないが、坂村教授のイノベーション論に関する限り、何でも成文法にしてしまう法体系は、時代の潮流に呼応できずに、制度疲労を起こして、革新を阻害する要因になると言うことであろうか。

   改憲論争もそうだが、益々、グローバル化して、科学技術の進歩発展によって、世界全体がオープン化して行く時代に、法体系がどうあるべきか、真剣に考えるべきかもしれない。

   
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国立演芸場・・・小三治「落語・ろくろ首」

2016年07月25日 | 落語・講談等演芸
   今日の国立演芸場の公演は、国立名人会
   プログラムは、次の通り。

   落語「粗忽の釘」 柳家 三三
   落語「たがや」  三遊亭 萬窓            
   落語「悋気の火の玉」  桂 文楽
   落語「ねずみ」    入船亭 扇遊
   紙切り    林家 正楽
   落語「ろくろ首」    柳家 小三治
   萬窓の入場が遅れたので、公演順序は、文楽と入れ替わった。

   トリの小三治は、最近逝去した永六輔との思い出話を中心に、時間がなくなると言いながら、まくらを30分近く語り、落語「ろくろ首」を語り始めたのは、終演予定時間の4時を回ってからで、30分以上オーバーの久々の熱演で、観客の熱い拍手と歓声を受けていた。

   永六輔との思い出話は、「東京やなぎ句会」の宗匠であった9代目入船亭扇橋と3人で、毎夏、岐阜から郡上八幡を経て日本海に抜けて能登へと、途中で落語会を開きながら旅をしていたことから話し始め
   永六輔は、落語はやらないのだが、その前に出てきて紹介したり、途中で登場して喋っていたと言う。
   永六輔は、面倒見が良くて、積極的で、やりたいことをやる男だったと言いながら、
   ”とっても恥ずかしいんですけど”と言いながら、いつも、一番前に出てくる目立ちたがり屋で、”この方が恥ずかしい。引っ込んでろ”と思ったと、永六輔の声音を真似て、客を喜ばせていた。
   小沢昭一の声音も喋っていたが、その上手さは特筆ものだが、よく考えてみれば、人間国宝の噺家であるから、ものまねが上手くて当然なのである。

   それに、興味深かったのは、エノケンの映画の駅前落語シリーズの劇中歌であろうか、早口なのでよく聞き取れなかったのだが、ひとくさりリズミカルに上手く歌って披露し、この歌を旅の途中で歌ったら無名時代に自分が作ったのだと永六輔が言ったと、その文才の凄さを語っていた。

   永六輔の俳句については、こんな素晴らしい文章を書く人だから、俳句も素晴らしいのであろうと思ったが、一回目の句会で、ほっとした。と言う。
   ”蓑虫よ お前自分で 揺らすのか” 一句を披露。
   人間生活にも、こんなことがあるであろう、アイデアが凄いと語っていた。

   旅を続けて5~6年経った頃、旅の途中で、永六輔がやってきて、”ボクのこと 嫌いでしょう”と言った。
   何とも言えなかったが、”それ程でもない”と答えた。
   お世辞も言わなければ黙ってもいるし、恥ずかしいと言いながら前に出てくる人は好きではない。
   自分のことが煙たかったのであろう、それから懐く様になって仲良くなったと言う。
   これとよく似た経験は、永の奥方の記念パーティか何かで来ていたピーコが、側にやってきて、”オカマ嫌いでしょ”と聞いたので、”今はそうではないですよ”と言ったら、肩を摺り寄せてきて親しくなったと言う。
   何故か、この時、「ろくろ首」のサブテーマでもあろう、「バカはモノに動じない」と言う言葉を語っていたが、意味が良く分からなかった。
   
   小沢昭一については、二つ目になって間もなく、TV朝日で、岐阜の御母衣ダムの工事現場の飯場で落語を語る小三治を追うドキュメント番組で、ナレーションを語ったのだが、それまで、ふざけた人だと思っていたのだが、その巧みさに驚いて、憧れてしまった。
   自分の人生は、憧れだけでやって来た。と語って笑わせていた。

   桂米朝は、小三治にとっても、先輩であって、偉い凄い存在であったようだが、上下なしの「東京やなぎ句会」の同人であったので、親しく付き合った、愉快な人だったと言う。
   この句会は、11人同人がいたが、現在、生存しているのは、小三治と矢野誠一だけで、今、これに2人女優が加わって、プロやゲストプラスで、句会を開いていて、コンテストのブービーとビリは、いつも、小三治と矢野だと言う。
   あの寅さんの渥美清も俳句が好きで、句会に、せっせと通っていたと言う。
 
   この落語は、25歳にもなって定職もなく遊び呆けている松公が、叔父さんの家に行って、嫁さんが欲しいと言い出したので、叔父さんは、出入りのお屋敷で、資産家で小町と言われている器量良しのお嬢さんのところへ婿養子に行かないかと誘う。
   ただ、問題があって、真夜中になると、その娘の首が伸びて、行燈の油を舐めるので、これまで、皆破談している。
   真夜中だけなら、熟睡して絶対に起きないので行くと承諾したので、叔父さんは、松公に挨拶言葉を一通り教えて、御屋敷に連れて行き、縁あって、お嬢さんとの婚礼が整う。
   初夜、ご馳走を食べ過ぎて気になった松公が、夜中に目を覚ましたら、嫁の首が、どんどん伸びて行くので、慄いて、叔父さんの家に駆け込む。
   契りを結んだんであろうから帰れと説得するが、家へ帰りたいと言うので、叔父さんは、「おまえの母親も喜んでおり、「孫の顔を早く見たいと、首を長くして待っている」と言うと、松公は「家へも帰れない」。

   このサゲは、師匠小さんを踏襲しているのだが、本来のサゲは、「蚊帳を吊る夏だけ、別居するというのはどうでしょうか」と言って、理由をたずねると、「首の出入りに、蚊が入って困る」と言うもののようだが、「お嬢さんがおまえの帰りを、今か今かと首を長くして待っている」と言うものなどバリエーションがあるらしい。

   インターネットを叩くと、YouTubeで、小三治の『ろくろ首』(1992年) が、見られる。
   20数年前の壮年期の素晴らしい高座を鑑賞出来てハッピーだが、今回の噺や語り口も、殆どこの時と同じで、老成したいぶし銀のような渋さとほのぼのとした人間味が滲み出ていて、感激しながら聴いていた。
   この国立演芸場に行って落語を聞き始めたのは最近で、小三治の高座は、人間国宝になってからの数回だけだが、今回は、円熟期の小三治の落語を聞いた思いで、貴重な経験をさせてもらった。
   
   
   
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国立能楽堂・・・能「自然居士」狂言「磁石」

2016年07月24日 | 能・狂言
   今回の「能のふるさと・近江」シリーズは、能・狂言とも、面白いことに、人商人、人さらいの話である。

   狂言の「磁石」は、ストーリーからは想像も出来ない様なタイトルで、奇想天外な発想も良いところで、これも、狂言の面白さであろうか。
   すっぱ(茂山七五三)が、見付の者(茂山千三郎・遠江からの旅人)を騙して坂本の宿に誘い入れ、宿の主人(松本薫)に売りつけるのだが、その話を聞いていた見付の者が、先をこして、すっぱを語って長目(穴の開いた銭)200疋をせしめて遁走し、騙されたと気付いたすっぱが後を追いかける。
   途中で寝込んでいる見付の者を見つけたすっぱが、刀で切りつけようとするのを、見付の者は、自分は「磁石の精」だと言って太刀を飲み込もうとし、すっぱが太刀を鞘に収めると気を失って倒れ伏す。
 死んだと勘違いして慌てたすっぱは、太刀を供え神妙に呪文を唱えて蘇生を祈っていると、見付の者は急に起き上がって奪った太刀を振り上げ、すっぱを脅しあげて逃げて行く。
   七五三も千三郎も、先代人間国宝の千作の次男三男で、京都お豆腐狂言 茂山千五郎家の重鎮、とにかく、流石に上手い。

   歌舞伎「毛抜」にも取り上げられているが、磁石は、余程不思議で面白かったのか、他愛もない話だが、それよりも、大の男がかどわかされて売り飛ばされると言う世相が面白い。
   本来、悪賢い筈のすっぱが、この狂言では、少し抜けていて、田舎者の方が、知恵があって賢しいところが、逆転の発想でよい。
   
   一方の能の「自然居士」は、子供を買う人商人の話で、身を売って得た小袖を供養して、亡き両親を追善する少女の話である。

   自然居士が、雲居寺再建の寄進のために説法をしていると、少女が高座に小袖を供え、両親の追善を願う。そこへ東国の人商人が現れ、少女を連れ去る。少女が供えた小袖が、自分の身を売って得たものだと事情を知った居士は、説法を打ち切り、救出すべく人商人を追う。琵琶湖畔から、船出しようとする人商人に追い付き、居士は、船を呼びとめて船に乗り込む。居士は、小袖を返して、船中で、双方少女を返す返さないで押し問答し、人商人は諦めて、少女を返すことにするが、、居士を散々甚振って返そうと、居士に様々な芸能をさせる。居士は、少女を助けたい一心で、曲舞や簓や鞨鼓などの芸能を演じて、少女とともに都へ帰る。

   観世流の舞台で、シテ/自然居士 武田宗和、子方/童女 武田章志、ワキ/人商人 森常好、アイ/門前の者 茂山逸平、
   御大の武田志房師と章志の父・友志師が、後見していたが、武田志房の「能楽師の素顔」を読んでいたので、三代の舞台を感じて興味深かった。
   章志も、これまで、かなりの子方の舞台を熟しており、非常にしっかりした舞台で、祖父の弟・シテの宗和師に華を添えていた。
   NHKドラマで軽妙な芸を見せていた逸平が、至極真面目な熱演を披露していた。

   この能は、観阿弥の劇能の最高傑作だと梅原先生は言っている。
   自然居士は、狂言綺語、すなわち、歌舞音曲をもって人を救う菩薩で、法華経で説かれる観世音菩薩の権化だと言うのである。
   そのために、一度は断りながら、居士は、舟の起源を語る曲舞などかなり長い芸事を舞う。
   人商人の自分たちの理屈「俗の法」と居士の「仏の法」の対決と、俗人が僧を甚振って舞わせると言う発想が、何となく浮世離れして面白いと思った。

   この能は、自ら身を売る少女の話だが、山椒大夫の安寿と厨子王の姉弟のように、さらわれて売り飛ばされるケースが多かったのであろう。
   私は、アメリカとブラジルで生活をしていたので、人身売買で、大規模な歴史を持つこれらの国と日本との差を感じざるを得ない。

   奴隷制度との関連もあるのだろうが、ローマ時代など古代においては、戦争捕虜や被征服民族などが該当するのであろう。
   近世のブラジルやアメリカなどへは、プランテーションや鉱山開発のために、多くのアフリカ人たちが、移送されたと言うが、戦争捕虜などだけではなく、現地のアフリカ人たち自身が、現地人を狩り出して、ヨーロッパやインド商人たちに売り渡していたと言うから、悲惨な話で、新大陸発見の大航海時代の幕開けは、恐ろしい時代の始まりでもあったと言うことであろう。

   いずれにしろ、「磁石」の方は、売られようとした人間が、売ろうとしたすっぱより、一枚上手であったと言うところが面白く、笑い飛ばそうと言うことであり、
   「自然居士」の方は、悪い人買いから、少女を救い出すのが、仏の道だと正義を立てる話であり、同じ、人身売買の話でも、人情噺程度で、収まっているところが、島国日本の良さかも知れない。

   さて、余談だが、この能楽堂のロビーに、滋賀県の地図が掲げてあって、今月の能・狂言の舞台が、その地図上にプロットされていて、興味深い。
   普通には、関が原を越えて米原から彦根に入って、琵琶湖に沿って大津に向かって、逢坂山を京都に抜けるコースを取るので、この印象で滋賀県のイメージを作り上げてしまうのだが、場所によっては、雰囲気が随分違う。
   一度、長浜あたりを散策して、渡岸寺などの湖北の十一面観音巡りをしたことがあり、このあたりは、日本のふるさとを想起させるし、別の機会に、琵琶湖一周ドライブした時には、湖北の琵琶湖畔は、かなり男性的で、湖岸に激しく波が打ち付けているのを見て、驚いたことがある。
   石山寺や三井寺へは、何回か訪れることがあったが、湖東三山や甲賀の里を歩いたこともあり、滋賀の都は、日本の歴史上も古くから開けていたところなので、歌枕や能狂言の舞台に沢山登場しても不思議はないのであろう。
  
  
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七月大歌舞伎・・・「柳影澤蛍火」

2016年07月22日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   昼の部は、やはり、通し狂言「柳影澤蛍火 柳澤騒動」。

   史実とは違う宇野信夫作の創作だが、真山青果などの新歌舞伎と同様で、古典歌舞伎のようにそれなりの知識と鑑賞歴がないと分かり辛いのではなく、新劇を楽しむような雰囲気で観られるので面白い。
   柳沢吉保が、出世出世と人生を突っ走りながら、頂点を極めて栄誉栄華を欲しいままにしながらも、結局得たのは、学問に勤しみ貧しいながらも平穏に暮らしていた浪人時代の平安と一途に愛てしくれていた許嫁のおさめの愛の大切さ。
   序幕の「本所菊川町浪宅」の吉保とおさめの貧しいながらも穏やかな生活シーンがまぶしい。

   五代将軍徳川綱吉の時代、将軍の生母である桂昌院の寵愛を得て、浪々の身から老中まで上り詰める主人公柳澤吉保を海老蔵が演じ、互いに出世を競い合う護持院隆光を猿之助演じると言う、丁々発止の野望と陰謀が渦巻くドラマチックな芝居で、宇野信夫作・演出で、昭和45年の初演以来、2年前に大阪松竹座で、橋之助主演で上演されたが、東京では実に46年ぶり、歌舞伎座では初の上演だと言う。
   

   この歌舞伎は、やはり、現代作者の作品であるから、結構、物語にどんでん返しや外連味があって面白いのだが、その意味では、作品としてのストレートな味がぼやけてしまう。
   吉保が、仕官適うのは、桂昌院(藤蔵)の町娘の頃の幼馴染の曾根権太夫(猿弥)のとりなしだが、綱吉に認められて加増されるのは、両雄仲たがいしているとする龍光の打った芝居のお陰なのだが、二人が結託して、犬猿の仲を装って、陰謀を企てた仲間であったことが、最後に明かされる。

   桂昌院は、イケメン好みの色好みで、老醜憚ることなく、吉保に迫って閨に引き込み、吉保もこれを利用して上り詰めて行くのだが、最後の死期迫る病床で、将軍の愛妾であるおさめの方(尾上右近・実は、吉保の元の許嫁)の前で、抱けと命じて帯を解かれると恍惚状態となり、堪られなくなって逃げ去るおさめの姿を見てほくそえむ桁外れの淫乱老嬢の凄さ痛ましさ。この鬼気迫る桂昌院を、かなりの品格と威厳を示しながら、ベテランの東蔵が、女の悲しいサガを実に上手く演じていて、流石に大役者の貫禄である。
   これを受けて立つ海老蔵は、宙を仰いで苦笑しながら、仕方なく桂昌院を慰めて行くのだが、流石に耐えられなくなって、解いた帯で絞め殺してしまう。
   吉保は、更に、最後には、この殺害現場を見られた權大夫を殺して井戸に沈め、怖気づいて仲間を抜けたいと言う龍光も殺してしまうのだが、もっと面白いのは、おさめからの愛と復讐劇。
   
   幼い頃に許嫁となった弥太郎(吉保の前名)とおさめは兄妹のように仲睦まじく暮らしているが、浪々の身では所帯を持てないのだが、おさめは一緒にいるだけで幸せ一杯。
   ところが、女に興味のない綱吉の跡継ぎを心配して、桂昌院に色仕掛けでその手立てを頼まれた吉保が、こともあろうに、おさめを小姓として綱吉に差し出す。
   綱吉の手がついて懐妊したおさめは、吉保の胤と知りながら、吉松を生み、後ろ盾として吉保が権勢を強めて行く。
   心の病に悩んだ吉保は、駒込の邸宅六義園に移って狂気交じりの生活を送っており、そこへ、おさめの方が忍んでやってきて、吉保を慰めようと茶を点てて供し、吉保が半分飲みかけたところ肩に手をかけたので、吉保が、優しく茶碗をおさめに渡し、おさめも喜んで残りを飲み干す。
   そこへ、龍光が現れて別れ話を告げたので、裏切りと怒って六義園内を追い回して殺害するのだが、吉保は、口から血を吐く。
   おさめが点てたお茶には毒が入っていて、おさめは「さめと一緒に死んで下さいませ」と言ってこと切れる。
   綱吉の逝去と甲府徳川の豊綱を時期将軍への画策が進んでいることを知って、毒のまわってきた吉保は、「真実得たのはただ一つ、女の心、女の情け」と言って、切腹して果てる。
   「出世」「出世」、ただ、この一事のために人生を突っ走ってきた吉保の悲しくも切ない末路である。

   海老蔵と猿之助が、素晴らしい舞台を演じたのは、当然として、尾上右近のおさめの素晴らしさ、その芸の進境著しいのには舌を巻く。
   初々しい痩せ浪人の許嫁から、小姓の凛々しさ、そして、将軍の奥方へと蝶のように脱皮して行く。
   右近を最初に注目したのは、8年前の玉三郎と海老蔵の「高野聖」の舞台で、
   右近が演じた次郎だが、木曽節は秀逸で、それに、動けない身体ながら、実は、女の夫であることを匂わせているあたりの上手さと言い、歌六の親仁の素晴らしさとともに、強烈な印象が残っている。
   その後は、綺麗な乙女や若い女として登場する女形の舞台に注目していたが、今回は、おさめの方として、押しも押されもしない将軍の奥方そして世継ぎの母として、貫禄と気品を備えたベテラン役者の風格十分で、やや、トーンを落として威厳と雅さえ感じさせる声音の豊かさなど、立ち居振る舞いの上手さに止まっていない。
   どんどん出世街道を上り詰めて行く海老蔵の吉保と互角に渡り合って遜色ない出来である。

   この舞台では、猿之助は勿論のこと、猿翁が育てた澤瀉屋一家の役者たちの活躍が著しく、中車は、お犬様の殿ゆえに、縫い包みのチンを抱いて登場する将軍綱吉を、器用に演じていて面白かった。

   7年前に、この舞台の六義園を訪れて、桜を楽しんだのだが、粗削りながら、かなり、広大な素晴らしい回遊式築山泉水庭園の大名庭園であったのを覚えている。
   この歌舞伎の舞台では、タイトルの蛍火を暗示してであろう、舞台の草叢にグリーンの光が微かに点滅して、雰囲気を醸し出していて面白かった。
   
   
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わたしの憩いのひと時

2016年07月21日 | 生活随想・趣味
   仕事から離れて、我が家で過ごすことが多くなった。
   しかし、結構、何かと忙しいのが不思議である。
   庭仕事をしたり、書斎でパソコンを叩いたり、テレビでニュース番組を追っかけたりオペラや能狂言のDVDを鑑賞したり、暇に飽かせて、読書三昧。
   セミナー受講や観劇などで、東京に出かけることもあるが、天気が良いと、バスに乗って、鎌倉の古社寺などを散策する。

   ところで、ほっと、一息つきたい時には、離れの和室に入って、コーヒーや紅茶をすすりながら、新聞や本を手に取る。
   かなり、庭が広いお陰で、濡縁や窓越しからの風景は、日頃からのガーデニングで、四季の花々や自然の装いを楽しめるように植栽に心がけているので、普通のガーデン・レストランやコーヒーハウスくらいには、雰囲気があると思っている。
   今は、返り咲きのばらやカノコユリが咲いている程度だが、室内に、絶えず、何かの花を切って花瓶に生けて楽しめるように心がけているので、色彩が消えることはない。
   それに、まだ、鎌倉山から下りてきた鶯が、朝早くから、綺麗な鳴き声を楽しませてくれており、小鳥や蝶なども庭に華を添えてくれる。

   この口絵写真のマグカップは、千葉県の真朱焼だが、ヨーロッパ時代にあっちこっちで集めたティーカップやコーヒーカップなど食器類も結構あるので、気分次第で器を変えている。
   日本でも旅をすると、備前や萩、有田と言った調子で陶器を求めるのだが、陶磁器に特に興味があるわけでもないので、カップや花瓶などが殆どである。

   尤も、若い頃は、家族の好みもあって、イタリアやドイツやスペインなどで、人形や動物、建物などのフィギャーやオーナメントを結構集めたのだが、これらも勿論、イギリスやウィーンやハンガリー、ドイツなどで得た陶磁器やガラス器なども、その多くは、先の3.11の大地震で、震度6弱と5強が3度連続して、飾り棚や食器棚から飛び出し、粉々になってしまった。
   結局、形あるもは滅びるので、形のある間に、愛しみ楽しむと言うことが大切だと言うことである。
   そう思って、カップを選びながら、懐かしい思い出を反芻している。

   コーヒーは、UCCのブルーマウンテン・ブレンドを使っていたが、生産不良で販売中止となってからは、ハワイコナ・ブレンドを使っており、特に味に不満がないので、これを続けている。
   紅茶は、イギリスに居た手前、凝って煎れていたが、最近では、手を抜いて、ダージリンのティーバッグにしている。

   私にとっては、この小休止とも言うべき、憩いのひと時が大切であり、これにも飽きると、庭に出て木々や花々と会話を楽しむ。
   花の息吹に感じ入るようになったのは、東京から千葉に移って、かなり広い庭があった所為もあるが、花が好きだった友人の影響と、オランダやイギリスに住んでから花に囲まれた生活を始めたことのお陰だと思っている。
   日々、表情を変えて迎えてくれる花木や草花を眺めていると、新しい発見があったり、生きとし生けるものの愛おしさが胸に迫って、無性に懐かしさを感じる。
   そんな時に、シャッターを切るのだが、何故か分からないが、わたしの憩いの時間は、これまでの色々な人生が、ミックスして出来上がっているのであろうと思うことがある。

   憩いのひと時、ほっとして、何となく、平安の大切さを感じて、これを書いてみた。
   
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英エコノミスト編「通貨の未来 円・ドル・元」

2016年07月20日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   基軸通貨が、ポンドからドルに代わってから、まだ、100年も経たないのだが、軋み始めたドルに代わって、中国の元の台頭が話題になり始めている。
   この本は、エコノミストの論文を編集したものだが、「ドルの未来 責任を放棄した王者」で、ドルの現状と行く末を論じ、「元の未来 両刃の剣」で、中国の経済を俯瞰しつつ、元が基軸通貨になり得るのかを検討し、更に、「仮想通貨の未来 究極の基軸通貨か?」で、ビットコイン・ブロックチェーンを俎上に載せて通貨を語っていて、非常に興味深い。
   
   基本的には、基軸通貨としてのドルの地位は、まだ、安泰だが、米国が、世銀やIMFなどの国際機関に対する責任を放棄しており、その一方では、あまりにも膨らみ過ぎたオフショアドルの市場が巨大化しているにも拘わらず、危機に陥った時に、国家や金融機関を救済する「最後の貸し手」が不在なので、現在のグローバルな通貨システムは、安定性を欠いており、改革しなければ、いずれ崩壊する可能性がある。

   それでは、中国の人民元が、ドルに代わり得るのか。
   現実には、購買力平価を基準にしたGDPは、アメリカが16%、中国が17%と拮抗しているが、アメリカの経済は、ポンドがドルに移行した頃のイギリスよりははるかに強く、今の中国経済は、当時上昇気流に乗り始めたアメリカよりも、ずっと弱い。
   また、イギリスとアメリカと言う政治経済社会システムを共有する同盟国の間での平穏な交代であったが、アメリカと中国は同盟国ではない。
   更に、今日の世界の貿易・金融システムは、昔より、ずっと規模が拡大しており、継続性が強く求められており、当時は、ポンドもドルも一定のレートで金と交換可能であったのだが、今日はそうではなく、基軸通貨の交代が起きれば、需要と供給のバランスによっては、通貨が暴落する可能性がある。
   また、人民元を基軸通貨にするためには、市場を全面的に開放したり、法の支配を確立させるなど、中国自身の国家体制やその仕組みなどを根本的に改めなければならないなど、問題山積なので、基軸通貨の交代は、起き難い。
   そんなところが、エコノミストの見解である。

   市場を全面開放すれば、それは共産党にとって多くの権限を手放すと言うトレードオフとなり、
   高度成長を謳歌していた中国経済が、年初の元安と株価暴落によって、市場経済と国家統制経済の間の危険な中間領域に嵌まり込み、
   民主化を達成せずに高所得国へ移行した国はないと言うドグマに、公然と挑戦して、ナショナリズム一辺倒の経済改革を推し進める習近平のジレンマ、等々、
   結構、中国に対する辛口評論が展開されていて面白い。
   私自身は、何度も書いているが、中国が、中進国の罠をクリアできるかどうか疑問だと思っているし、どこかで暗礁に乗り上げると思っているので、それ程、中国の経済的覇権の確立の可能性は信じていない。

   ところで、興味深いのは、文春国際局が依頼した「2020年までの日本と円の未来」に対して、「円の未来 黄昏の安定通貨」と言う部分が追加されて、「マイナス金利と言う実験」「アベノミクスを採点する」で、アベノミクスを中心に、日本経済を分析していることである。

   アベノミクスの第1の矢:金融政策について、マイナス金利などいくらやっても効果は薄い。そもそも、日本で融資が増えていないのは、融資資金の供給不足ではなく、需要不足が問題だからだ。
   第2の矢の:財政政策も、景気刺激のための財政出動をしながら、同時に財政の再建もしなければならない。これ以上消費税増税に踏み切れなければ、日本の公的債務残高の対GDP比率は、先進国最悪の水準となり、2020年には、246.5%に達する。
   アベノミクスの成否は、第3の矢の成長戦略・構造改革にかかっているが、労働市場の規制緩和や農業の活性化、企業統治の改革など、利益団体や与党議員からの抵抗が強くて、日本経済に一大改革を齎すほどの効果は得られないであろう。
   自民党政権はしばらくは盤石ではあろうから、アベノミクスは、今後も日本政府の経済政策の大方針であり続けるであろうが、全面的な成功を収めることはないであろう。
   要するに、エコノミストのアベノミクスの評価は、総じて失敗。と言うことである。

   これまで、アベノミクスについても、私論を述べてきたのだが、
   成熟経済に達して、成長余力を殆ど失ってしまった(?)日本経済には、最早、金融政策も財政政策も、殆どストレートに働かなくなり機能しなくなっている。
   いくら努力しても経済成長が1%程度だと仮定すれば、益々、プライマリーバランスが悪化して、国家債務の増幅は必定で、財政再建などは夢の夢。
   日銀と政府が画策する日銀の国債の多量購入は、国債を返さなくても良い債務に化けさせる財政ファイナンスとなれば、行く行くは、貨幣化となるので、インフレへの道へ一直線。

   最後の望みは、第3の矢の成長戦略だが、エコノミストの指摘のように、既得利権者や圧力団体の抵抗を打ち破り、岩盤規制の撤廃など制度や法体系の不備を改正するなどは勿論のこと、学問芸術や科学技術の振興、起業やイノベーションへのインキュベーションやインセンティブの付与強化等々、日本産業が生き生きと活動できるように、日本の政治経済社会を根底から変革しなければ、日本経済の活性化など不可能だと思っている。
   益々、金太郎飴のようになって行く安倍内閣が、続けば続くほど、日本の再生は遠のくばかりだと言う気もし始めている。
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都響プロムナードコンサート(2016.7.18)

2016年07月19日 | クラシック音楽・オペラ
   今回のプロムナードコンサートは、指揮/ミゲル・ハース=ベドヤ 、サクソフォン/須川展也 で、次のプログラムであった。

   ヒナステラ:バレエ組曲《エスタンシア》 op.8a
   ファジル・サイ :アルトサクソフォンと管弦楽のための《バラード》op.67(2016)(世界初演)
   ピアソラ:タンガーゾ(ブエノスアイレス変奏曲)(1969)
   ラヴェル:ラ・ヴァルス

   最後のラ・ヴァルスは、コンサートで何度か聴く機会があったのだが、他は、初めてである。
   各々、15分弱の短い曲ばかりで、正味の演奏時間があわせても1時間弱で、極めてシンプルなコンサートながら、サントリーホールは、満席であった。

   指揮者が、ペルー生まれなので、ラテン色の強い曲目の選定なのか、私は、ピアソラのタンゴ色などエキゾチックな雰囲気を期待して出かけたのだが、それ程でもなかった。
   ヒスナテラもピアソラもアルゼンチンの作曲者なので、何となく広大なパンパの香りらしき雰囲気があるのだが、やはり、西洋音楽と言うかクラシック音楽である。

   私は、サンパウロに駐在していた時に、何度かアルゼンチンに行っており、もう、何十年も前になるが、真っ先に、タンゴの生まれ出たボカの港の近くのサンテルモ地区にあるタンゲリア(タンゴ生演奏の店)エル・ビエホ・アルマセン(El Viejo Almacén)に行って、タンゴを観て聴いた。
   船底の様な荒れた佇まいの薄暗い店の片隅で、バンドネオンの咽び泣くような哀調帯びたサウンドに乗って、男女のダンサーが、激しくステップを踏んで踊り続ける。
   この写真は、何故か、一枚だけ残っている当時のスナップで、ニコンF2にF1.4のレンズをつけて開放にしてシャッターを切って、2倍に増感現像したものである。
   

   これも、随分前のこと、ニューオルリンズを訪れた時に、古民家をそのまま使った小さなプリザベーション・ホールで、老嬢スイート・エンマ楽団のジャズ演奏を聴いた。
   貧しい小さな部屋で、客席は、ほんの数人座れるだけの床机があるだけで、土間に座ったり後ろに立ったり犇めき合っていて、
   小編成の楽師達は殆ど黒人の老人達で、エンマのピアノに合わせて懐かしいデキシーランド・ジャズを奏でていて、実に感動的な演奏で、こんな所でジャズが生まれて育っていったのかと、感に堪えなかった。 のを思い出す。

   フラメンコ、ファド、、サンバ・ボサノバ、マリアッチ等々、ヨーロッパで聴いた音楽やラパスのナイトクラブで聴いたエル・コンドル・パッサもそうだが、その地方の民族音楽などを、異国で聴くと、旅情も加わって、胸に染みて、感動が増幅されて、強烈に印象に残る。

   昔は、ウィーンだベルリンだと言って目の色を変えてコンサートに通っていたが、最近は、トップクラスのオペラ公演は行くけれど、オーケストラなどのクラシックは、この都響のプロムナードコンサートや興味を持った単発のコンサートくらいで殆ど縁遠くなったのだが、それだけに、昔の色々な思い出を、懐かしく反芻しながら楽しむことが多くなった。

   ファジル・サイ :アルトサクソフォンと管弦楽のための《バラード》は、サクソフォン奏者須川展也が、サイに委嘱した作品で世界初演。
   ジャズ演奏で聴くことがあるのだが、本格的にサクソフォンを聴くのは初めてで、多彩なサウンドを奏でる素晴らしい楽器であることが分かった。
   サイは、トルコのピアニストで、トルコの施法体系の音楽などからインスピレーションを得たと言うことだが、サキソフォンとドラムが奏でたリズミカルなサウンドなどは、イェニチェリの行進を思わせて面白かった。
   須川展也の演奏は感動的で、舞台に登場した作曲者のサイと喜びをともにしていた。
   須川展也は、アンコールで、サイ作曲の「組曲op.52 第1楽章」をソロ演奏した。

   ミゲル・ハース=ベドヤは、最後に、大分、時間が余ったので、定期公演としては珍しく、アンコールで、ジョン・ウィリアムズの「オリンピック ファンファーレとテーマ」を演奏した。
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宝生能楽堂・・・納涼能「羽衣」「小鍛冶」

2016年07月18日 | 能・狂言
   15日午後2時から、能楽協会東京支部主催の「納涼能」が催されたので出かけた。
   能楽五流の家元ないしトップ能楽師による能舞台と言うことで、いつも、素晴らしいプログラムが催される。

   今回のプログラムは、次の通り。

   能 観世流 「羽衣 和合之舞」 シテ 観世喜之 ワキ 宝生欣哉
狂言 大蔵流 「鬼瓦」 シテ 山本東次郎 アド 山本凜太郎
 仕舞 喜多流 「実盛 キリ」友枝昭世
  金春流 「蝉丸」 金春安明
  宝生流 「野守」 宝生和英
 能 金剛流 「小鍛冶 白頭」 シテ 金剛永謹 ワキ 福王和幸

   羽衣は、何度か、それも、各流派の舞台を観ている。
   それ程、記憶は定かではないが、一番覚えているのは、天女の羽衣・長絹が置かれる位置で、正先に置かれた松の立木に掛けられるのだが、今回は、一ノ松の勾欄に掛けられていた。
   この口絵写真の羽衣は、宝生能楽堂のロビーに掛かっていた額のコピーだが、松の立木が描かれているので、前者の演出であろう。
   私の天女のイメージは、どうしても、子供の頃の羽衣伝説からで、精々、法隆寺の壁画や宇治の平等院の飛天の舞姿なのだが、その意味からでは、能の華麗で豪華なシテ/天人の舞姿は、スピリチュアルで荘厳でさえある。
   今回の羽衣は、小書「和合之舞」なので、「序ノ舞」の終わりが「破ノ舞」の位になって、「序ノ舞」のあとの「ワカ」から「破ノ舞」までが省略されると言うのだが、そのあたりは、私には知識を越えていて分かり辛い。

   仕舞は、人間国宝の友枝昭和世、金春安明宗家、宝生和英宗家、
   仕舞は能の一部を、面・装束をつけず、紋服・袴のまま素で舞う演出なので、能楽師のあたかも面をつけたような無表情の、非常に精悍な素晴らしい舞姿を鑑賞でき、私は好きである。
   それに、地謡が4人と少なくて、謡が増幅して籠らずに聴こえるので、分かりよいのが良い。

   狂言の「鬼瓦」は、これまで、3回、万作の素晴らしい舞台を観ていて、その表情と声音が鮮烈に残っているので、一寸、印象が違った東次郎のシテ/大名も面白かった。
   この狂言は、地方の大名が、訴訟で勝訴して長らく滞在していた京都から故郷へ帰る前に、因幡堂へお礼参りに出かけて、その堂の屋根の鬼瓦が、妻の顔に似ているので、懐かしくなって、オイオイ泣くと言う、一寸、意表を突いたストーリーである。

   能「小鍛冶」は、小鍛冶宗近が、天皇の霊夢で、剣を打つことになるのだが、同等の技を持った相槌がいないと断るも、稲荷明神が、狐の姿となって現れて、相槌を勤めて剣を打ち上げると言う話。
   今回は、「白頭」と言う特殊演出で、シテ/稲荷明神の金剛永謹宗家が素晴らしく勇壮な姿で登場して、緩急自在の囃子に乗って華麗な舞を披露した。
   舞台正先に、壇の作りものが出されて、その台上に、鉄床、鉄槌、刀身、幣が置かれて、この上で、剣が打たれるのだが、この日は、脇正面前方中央の席であったので、斜め後方から見上げる感じであった。

   昨年11月に、国立能楽堂主催の観世流「小鍛冶」で、シテ/上田貴弘の同じく「白頭」の舞台を観たのだが、牙飛出の面の表情など凄い迫力であった。
   この能は、かなり、リアルや表現なので、分かり易い。
   
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国立劇場八月歌舞伎・・・卅三間堂棟由来

2016年07月17日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   国立劇場の8月の歌舞伎鑑賞教室は、『卅三間堂棟由来』。
   この演目は、2003年に、歌舞伎鑑賞教室で、同じく、魁春のお柳で上演されて好評を得たようだが、上演回数は、文楽の方が圧倒的に多くて、私など、簑助の素晴らしいお柳の姿が、脳裏に焼き付いている程である。
   蘆屋道満大内鑑の「葛の葉狐」などもそうだが、異類婚姻譚の物語の両生を生身の役者が、リアルと言うか、息を吹き込んだ芸を演じることの難しさであろうか。

   今回の魁春のお柳は、流石の熱演で、初々しさの残る嬉しそうな恋の時めきの表情を表現しながら、一転して、切り倒されて命がなくなり、愛する夫と愛しい緑丸との別れに胸を潰して慟哭の涙にくれるクドキ、そして、あの悲しくも切ない肺腑を抉るような表情は、どんな台詞よりも、断末魔の苦痛を訴えていて胸を打つ。
   黒御簾から響く槌の音に、全身を地面にぶっつけてのたうつ姿の激しさ優しさ、そして、義母や夫や緑丸の嘆き悲しみに応えて、亡霊のように現れて愛を確認して髑髏を置いて消えて行く絵の様なシーンも印象的である。
   ラストは、緑丸の引く柳の大木の後方に、お柳が宙吊りで浮かび上がる。
   
   この1時間半ほどの舞台は、紀州熊野の鷹狩、横曽平太郎住家、木遣音頭の三段で構成されている次のようなストーリーである。
   鷹狩の鷹が柳の木に絡んだために、切り倒されようとしたが、横曽根平太郎(彌十郎)の弓に助けられたので、柳の精のお柳(魁春)が平太郎に恋をして契り、一子緑丸をもうけ幸せに暮らしす。ところが、白河法皇の頭痛の病気の原因が、前世の髑髏が、その柳の梢に残っているので、その柳を切って三十三間堂の棟木にすれば良いと言うお告げが出て、切り倒されることとなる。お柳は、柳を切る斧の音とともに苦しみだし、柳の精であったことを明かして夫と子に別れを告げて去る。切り倒された柳の大木は運ばれる途中、お柳の思いが残って動かなくなるが、平太郎の木遣音頭とともに、緑丸の引く綱に引かれてゆく。

   この話は、白河法王となっているが、清盛との関係で変えられたのであろうが、三十三間堂は、後白河法皇の御所に造営されたのが始まりだと言うから史実とは違う。
   柳は、雌雄異体なのだが、お柳が、夫平太郎を椥の木として、連理を語っているのが興味深いと思った。

   さて、今回、魁春のお柳の相手役平太郎を演じたのは、彌十郎。
   左團次のような重厚でどこか厳つい性格俳優とも言うべき重鎮が、どちらかと言うと若手の二枚目役者が演じそうな役を演じていて、一寸、驚いたのだが、それなりに面白いキャスティングで、楽しませてもらった。
   松江の一寸悪役面の太宰師季仲も、逆な面白さが出ていた。
   進ノ蔵人の颯爽とした侍姿の秀調、平太郎母滝乃の歌女之丞は、はまり役。
   伊佐坂運内の道化仕立ての橘太郎は、鳥つくしの面白いせりふ回しで観客を喜ばせていた。
   
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ロバート・D・カプラン著「地政学の逆襲」(4)「パックス・アメリカーナは中国に有利?」

2016年07月14日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   先のブレマーのブックレビューで触れたのだが、
   東アジアは別として、アメリカが従来通り軍事的優位を保ってくれて、中国の経済成長を阻む、発展の障害となる世界的な紛争と言うリスクが抑えて貰えれば、中国が、世界的なリーダーとして役割を果たすべきプレッシャーから解放されるので、中国にとっては、むしろ、好都合である。と述べている。
   すなわち、パックス・アメリカーナは、中国の国益にもかなっている。と、ブレマーは主張しているのである。
   中国が、何の不安もなく、マラッカ海峡を通過して、中東の石油にアクセスできるのも、アフリカから天然資源を自由に輸入できるのも、米軍の航行安全維持の世界戦略故であり、中国は何のコストも負担することなく、アメリカの構築した公共財を享受できているのである。

   同じような見解を、形は違っているが、カプランも本書で述べている。
   その部分を一部引用すると、
   ミアシャイマーなどは、・・・・アメリカが中東の無駄な戦争に多大な資源を費やしている間に、中国が最新の防衛技術を獲得したことに憤りを感じている。たとえアメリカがアフガニスタンとパキスタンを安定化させることが出来たとしても、その恩恵を主に受けるのは中国なのだ。中国は、エネルギーや戦略的鉱物資源を確保するために、この地域全体に道路やパイプラインを建設することが出来るからだ。

   先にルトワックの「中国4.0」で論じたように、このパックス・アメリカ―ナを上手く利用して、中国は、2000年頃までは、世界に対して「平和的台頭」を示して、、北京のリーダーたちは、合理的な費用対効果の推測を含んだ冷静な計算をして、弱者を装って、欧米や日本から支援や投資を受け続けて、大国への道を成功裏に歩んできた。
   ところが、この「平和的台頭」さえ維持しておれば、中国は反発を受けることなく外界の荒波にもまれることなく、穏やかな国際環境を泳いでいけた筈なのだが、リーマンショックで経済危機に直面した欧米日などを尻目に、中国は、経済的な成功に舞い上がって、「金は力なり」と、カネと権力の混同と言う錯誤を侵して、更に、経済力と国力の関係を見誤って、一気に馬脚を現して、世界覇権への道へ舵を切った。
   習近平自身が就任演説以降、「中華民族の偉大なる復興という中国の夢の実現」を標榜しているように、そして、先日、カプランの解説を記したように、中国は、「帝国」への道を突っ走り始めた。

   今回の南シナ海の領有権問題に対する仲裁裁判所の裁定を、「紙屑」だと、北京政府自らが、国際法規と国際秩序を否定して憚らない、この野蛮極まりない暴挙に対して、国際社会は、どう対処するのか。
   フィリピンのTVでは、仲裁裁判の裁定後、フィリピンの漁船が、スカボロー海域に入ろうとしたら、中国の船が侵入を妨害して入れなかったと詳細に実況で報じていた。
   日本人のように、「恥」を知る民族かどうかは知らないが、国際社会、すなわち、グローバル世間に対する顔向けが出来るのかどうか。

   さて、この本は、何も、中国だけを書いているのではなく、ヘロドトスから、ナチス、そして、冷戦、地域論においても、ヨーロッパ、ロシア、インド、イラン、トルコ、メキシコ等々、多岐に亘って、地理や地政学、外交や軍事、戦争と平和、民族の興亡など、微に入り細に入り論述していて、非常に興味深くて面白い。
   私は、NHKのBS1の7時からの「キャッチ!世界のトップニュース」と夜10時からの「国際報道2016」を見ることにしているのだが、この本のお陰で、益々、面白くなってきている。
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ロバート・D・カプラン著「地政学の逆襲」(3)「中国の大中華圏への道」

2016年07月12日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   日本人にとって、地政学上、中国がどのような位置にあるのか、非常に関心の高いトピックスである。
   中国の台頭は、今昔の感で、私自身、イギリスにいて、フィナンシャル・タイムスやタイムスなど主要メディのアジアのタイトルが、chinaとなって、japanが消えて行くのを見ながら、アジアの権力の移行なり、欧米メディアの関心が、一気に中国にシフトして行くのを知って、日本の凋落を感じたのだが、今や、経済力、国力の差は歴然としていて、尖閣諸島問題など、中国が脅威にさえなってしまった。

   東シナ海のみならず、もっとアグレッシブに領土拡大を試みている中国の南シナ海問題に対して、
   これは、毎日ニュースのタイトルだが、
   ”<南シナ海>中国の主張「九段線」認めず 仲裁裁判所判決”
   フィリピンが申し立てた仲裁手続きに対して、オランダ・ハーグの仲裁裁判所は、12日、南シナ海をめぐる中国の主張や行動は国連海洋法条約違反だとして、中国が「歴史的権利」として主張する「九段線」について国際法上の根拠は認められないとの裁定を下した、「人工島」の海洋権益についても否定した。南シナ海のほぼ全域の主権を主張して強引に進出する中国に対し、初めて国際法に基づく判断が下されたのである。

   裁定は、南シナ海で実効支配の拡大を続けている中国側の主張を退けたが、中国は、これまで通り一貫して裁定を無視する姿勢を続けるであろう。強制的に裁定に従わせる罰則などの手段はないのだが、国際法違反だと明確に裁定されたのであるから、国際社会が、中国に対して、司法判断の尊重を求める圧力を高めるのは必至となり、中国が窮地に追い込まれるのは必置で、南シナ海情勢は一段と緊迫度を増してくるであろう。

   この九段線については、「中国4.0」で、ルトワックが、
   九段線の元となった地図は、中国が実効支配的な支配力をほとんど持たなかった時期に国民党の軍の高官が酔っ払らいながら描いたもので、こんな馬鹿げたでっち上げの地図に拘るなど初めからない。と書いていることは、先に紹介済み。
   更に、正確を期するために、ウォールストリート・ジャーナルのAndrew Browneの記事と写真を引用しておくと、
   ”「九段線」はこれまで常に不可解なものだった。旧中国国民党政権が台湾に逃れる前の内戦終戦前の混沌とした時期である1946年に描かれたものだ。実際、当初は9本ではなく11本だった。勝利を収めた共産党員がこの線を採用した後、1953年にそのうち2本が削除された。地図作成者は規模と正確さを尊重するが、九段線は正確な位置を示していない。太くて黒いマジックペンで書き足されたように見える。
   さらに、中国政府がこの九段線の意味を適切に説明したことはない。(前述の根拠のない線引きなら、説明など出来る筈がない)。この線の内部に点在する領域の要所に対する「疑う余地のない主権」という中国の主張は、この線自体から発生しているのだろうか。あるいは、その逆で、この線は領域の要所と周辺の海域から発生しているのだろうか?”
   

   こうした理由のため、国際法に従えば、九段線の正当性が認められる可能性はほとんどないだろうというのが、欧米の法学者たちの一般的な見解だ。と結んでいたが、その通りに裁定が下されたのである。

   前置きが長くなってしまったが、それでは、中国が、何故、海洋進出とその覇権確立に躍起となっているのか、「大中華圏」1章を割いて中国を語っているので、カプランの見解を考えてみたい。

   かっての中国は、古代から万里の長城を築いたり、ロシアなど隣接する強国などとの鬩ぎ合いで国境警備が大変であったが、現時点での中国の陸の国境は、危険よりも機会に恵まれており、インド亜大陸と朝鮮半島を除けば、競合諸国とぶつかり合うことなく、単に空間を埋めているだけであり、人民解放軍が中国国境を超えるのは、誤算が生じた時のみである。
冷戦当時、毛沢東の中国は、国防予算を陸軍に集中させる必要があったために、海上の防衛が手薄であった。
   ところが、現在は、陸の国境に敵なく、陸上において非常に有利な位置を占めているので、軍事予算を大きく海の国防のために回して、海軍力の増強に取り組み、太平洋とインド洋を、勢力圏として再び確立し始めることが出来るようになった。
   外洋に面した都市国家や島国がシーパワーを求めるのは当然だが、中国の様な閉鎖的な大陸国がシーパワーを追及するのはぜいたくであり、何らかの「帝国」が生まれつつあることの証左である。とカプランは言う。

   加えて、現実には、日本からオーストラリアまでびっしり張り巡らされた「逆・万里の長城」とも言うべきアメリカの同盟国による監視塔が存在して、中国は、この身動きが取れない状態にいらだっており、著しく攻撃的な方法で、この問題に対処してきた。
   したがって、21世紀の中国は、主に海軍を通じて勢力を投射することになるであろう。と言うのである。
   
   カプランは、第二次世界大戦中に、ニコラス・J・スパイクマンが、「アメリカの地中海(カリブ海)論」に倣って、中国が、近代化し、活性化し、軍事化すれば、「アジアの地中海(南シナ海)」の沿岸帯の大部分を支配し、日本のみならず、西洋列強の地位を脅かすと予言していたのを紹介して、この地域への中国の経済進出が政治的な含みを帯びることは間違いなく、この海域が、中国空軍によって支配される日が来ることは容易に想像されると述べている。

   また、中国は、制海権を握ることが如何に重要か、「制海権は共通海域から敵船の旗を一掃する圧倒的な力になる」と説くアルフレッド・セイヤー・マハンへの傾倒を益々強めており、中国海軍は、規模と範囲の拡大に傾注している。
   中国海軍は、西太平洋を越えて、インド洋への進出を目論んでおり、インドは脅威を感じ始めている。近隣諸国に、多額の軍事・経済援助を行い、政治的支援を提供しており、ミャンマーのチャウピュ、バングラデシュのチッタゴン、スリランカのハンパントタ、パキスタンのグワダルなどのインド周辺で、港湾の建設・改修を進めている。
   まずは、ヨーロッパへの経済的布石だとしても、あれ程、共産化を恐れて、EUとNATOにギリシャを引き入れたにも拘らず、何故、中国が、地中海への突破口・アテネの外港ピレウスを抑えたのを、米欧は阻止しなかったか不思議だが、とにかく、中国が、制海権を握ろうと必死に動き始めたことは事実であろう。

   南シナ海は、中国にしてみれば、マラッカ海峡を経て、インド洋と中近東、アフリカへ抜ける最も重要な生命線とも言うべき海域であるから、大唐帝国への回帰を国是とする中国にとっては、絶対落とせない布石なのである。
   今回の仲裁裁判所の裁定が、どのように推移して行くのか、問題山積みの東シナ海と南シナ海への中国のアグレッシブな外交・軍事戦略が、風雲急を告げている。
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ロバート・D・カプラン著「地政学の逆襲」(2)「スラム化した都市化」

2016年07月11日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   先に、ヒズボラなどの準国家の集団が、国家内部で紛争を起こして、國際危機の元凶となり、世界の治安維持に大変な問題を引き起こしていることについて考えてみた。

   何故、原理主義的なイスラムの過激集団など、中近東を起点にした準国家の集団が勢いを増し、テロリストたちを世界中に拡散し続けるのか。

   まず、アジアの現状認識が大切である。
   人口が増え、ミサイルの射程距離が伸びている所為で、アジアは益々「閉所恐怖症」が強くなっている。
   ICTや軍事技術など科学技術の発展によって、アジアがその工業力に見合った軍事力を身につけるにつれて、アジア大陸は、まさに、縮小するチェス盤になり、有事あれば一触即発、ミスや誤算の余地がなくなりつつある。
   加えて、コンピュータウイルスや核・細菌爆弾などの「破壊的技術」が、現状を混乱・一変させ、現在の優位を屈返し、新しいスキルを養い、新たな戦略を生み出し、不確実性が増すので、既存の秩序は揺らぎ、危機に陥る。
   ミサイルと大量破壊兵器がアジアに拡散し、「貧者の核兵器」やその他の破壊的技術が勢力を得て、核兵器保有国を含む貧困国が犇めく狭い空間は、正に、アメリカの西部開拓時代を彷彿とさせて、世界の勢力バランスを一変させようとしている。と言うのである。

   さて、もっと深刻な問題は、21世紀は、メガシティが地理の中心となると言う現実。
   各国政府は、ミサイルや近代的で外向き志向の軍隊によって力を高める一方、貧しい生活環境や物価の周期的な高騰、水不足、住民の声に応えられない公共サービスなどに悩まされる人口過密のメガシティは、民主主義と過激主義との温床になる。
   将来の都市部の人口増の大半は発展途上国、特にアジアとアフリカに集中し、現代は、世界人口の多くの割合がスラム環境で暮らす時代である。と言うのである。

   アラブ人の多くは、無秩序に広がった人口過密な荒廃した都市の人混みの中に暮らしていて、見知らぬ他者に揉まれて暮らす都市生活の人間味のなさから、激しい宗教的感情が生まれ出る。
   イスラム過激派は、過去半世紀にわたって北アフリカと中近東圏全体で進行中の都市化の物語の一部であり、2011年にアラブの諸政権を転覆させた急進的な民主化要求デモも、都市化に一因があった。と言う。

   過密都市が犇めき、各国のミサイルの射程距離が重なりあい、グローバルなメディアに煽られたこれらイスラム圏では、噂や半端な真実が衛星チャメルを介して高速で飛び交い、群衆を激高させ、その群衆が、
   ツイッターやフェイスブックなどのソーシャルメディアを通して力を手に入れ、権威に挑戦して破壊活動に突進する。
   カギを握るのは、群衆で、群衆、あるいは、暴徒の中にさえいれば、危険と孤独を免れる。民族主義、過激主義、民主主義への切望は、すべて、群衆が生まれる過程の副産物であり、孤独から逃れたいと言う気持ちの表れである。見知らぬ人々の寄り集まりで人間関係の希薄な新興都市、特に、そのスラムでは、貧苦に喘ぎながら夢も希望も失った個人の激しい渇望が吹き荒れる。

   広大で貧しい過密都市を統治する重圧で、国家運営がかってないほど厄介となり、硬直化した独裁政権が崩壊し、新しい民主主義が生まれても脆弱で定着しない、
   その隙をついて、前述した、「国家は重荷であるので、統治する責任を負わずに権力だけを求める無国籍の権力」「準国家の集団」が、暗躍して国家を操作し、更に、最先端のICT技術を駆使して洗脳したテロ要員を、世界中に派遣して騒乱を起こす。

   ここで、重要なのは、アラン・B・クルーガーの「テロの経済学」で、ブックレビューしたように、「テロリストは貧しく教育なしはウソ」で、
   ”政治的暴力やテロリズムに対する支持が、教育水準が高く世帯収入も高い人々の間で多くなっている。
   テロリストは、出身母体の人口全体に比べ、教育水準が高く富裕階層で、貧困家庭の出身である傾向はない。”と言う現実を忘れてはならない。

   先のバングラでのテロ事件で、犯人が高学歴の富裕層だったと言うのが話題になったが、革命分子を、ICT革命を駆使して、瞬時に地球を駆け巡るソーシャルネットワークや衛星通信ネットワークを通して洗脳して訓練育成するのであるから、当然なのであろう。
   これに加えて、エスタブリッシュメントの構築した政治経済社会システムが、格差の異常な拡大など民主主義を根底から崩し始めている現実に激高して、目覚めた(?)若者たちが、秩序を破壊してリセットしようとしているのだと言う。

   イスラム原理主義の脅威や サミュエル・P. ハンチントン「文明の衝突」など宗教や文化の対立が問題となることが多いのだが、私は、むしろ、欧米エスタブリッシュメントが構築した現状のグローバル秩序に対する反発であって、民主主義なり資本主義なり、或いは、自由主義なり、制度疲労して危機的な状態に陥った制度に対するアンチテーゼの胎動だと言う気がしている。
   ムーアの法則で、幾何級数的に進化発展するICT革命や科学技術の進歩が、止められない以上、メガシティへの都市化、マルサスの予言が頭を擡げ始めたスラム化の進行は、どうしようもないのかも知れないが、営々と築き上げてきた人類の英知が、文化文明を守ってくれることを祈るのみである。

   それでは、このような世界の潮流を如何に、制御して乗り切るのか。

   イスラム世界でも、昔の農村は、拡大家族のしきたりや習慣の自然な延長線上に、宗教があって、家族を繋ぎ留め、若者たちが犯罪に手を染めないようにするために、公序良俗を維持し続けていた。
   しかし、イスラム教徒たちは、都市に移住するうちに、スラムの匿名性の中に投げ込まれ、過激な民族主義と厳格でイデオロギー性の強い宗教の蔓延の中で、孤独と疎外感の中で生きなければならなくなった。と言うのである。

   話は、一気に飛ぶのだが、私は、大学に入った時に、丁度、日本経済が絶頂期にあり、経済学部で勉強するテーマを、経済成長と景気循環に決めて、ずっと、このテーマを追い続けて勉強してきた。
   しかし、今になって、果たして、人類、と言うよりも、我々庶民にとって、経済成長による文化文明の発展が、良いことなのかどうか、考え始めるようになっている。
   もっともっと、人間を大切にして、生きる喜びをかみしめながら日々を送る生活を求めて、政治経済社会を作り直す必要があるのではないかと思い始めたのである。
   昔はよかったと言う気持ちはないが、この五月に訪れて津和野への車窓から見た田園風景の美しさを思い出して、これこそが、本物ではないかと思っている。
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