朝日新聞のデジタル版で、”AIづくり支える「文系」集団 映画脚本家・詩人ら参入”と言う記事が掲載されていた。
マイクロソフト本社のAIを使った音声認識ソフト「コルタナ」の開発チームで、「コルタナ」は、基本ソフト(OS)「ウィンドウズ10」を搭載したパソコンのほか、スマートフォン、タブレット端末で利用でき、話しかけるとAIがその意味を理解し、調べて答えを返してくれる。その「セリフ」をつくっているチームには、ハリウッド映画の脚本家や小説家、詩人、ジャーナリストたちが顔をそろえる。と言う。
「AIが親しまれるようになるには、どんな言葉でどれだけ具体的な返事をするかがカギになる」ため、会話や架空の人物像を描き出す力が必要で、AIが発する「人間らしい会話をつくる能力がある脚本家や小説家、エッセイストなどにいきついた。と言うのである。
また、AI開発に異業種の人が参入しているのは、マイクロソフトだけではなくて、ベンチャー企業ボタニックの「幹部のほとんどが文系」で、同社は音声認識に画像を組み合わせ、ネット上の人物と会話することで、子ども向けの冒険物語を展開するソフトなどを開発していて、社長ももともと画家で、幹部には修辞学の専門家や心理学者もいる。と言う。
この記事に多少違和感を感じるのは、AI企業ないし事業の定義にもよるのだが、AIを、理系のテクニカルな分野のものだと規定してかかっていて、ふしぎにも、畑違いの文系が関わっていると言うニュアンスである。
むしろ、この「コルタナ」の開発などは、AIを活用したビジネスモデルの構築であって、文系が関わらなければ、AIが発する生きた会話など実現不可能であり、成功など覚束ない。
さて、AIとは、(社) 人工知能学会(社)のHPを見ると、
人工知能の研究には二つの立場があります.一つは,人間の知能そのものをもつ機械を作ろうとする立場,もう一つは,人間が知能を使ってすることを機械にさせようとする立場です.そして,実際の研究のほとんどは後者の立場にたっています.ですので,人工知能の研究といっても,人間のような機械を作っているわけではありません.
ウィキペディアによると、
人工知能(英: artificial intelligence、AI)とは、人工的にコンピュータ上などで人間と同様の知能を実現させようという試み、或いはそのための一連の基礎技術を指す。
コンピュータを使って、人間が知能を使ってやるのと同じようなことを、機械に、代わってやらせようとすることだと言うことであろうか。
コンピュータ・チェスや将棋、東大入試をコンピュータに受けさせる、完全自動のミサイル防衛システムや無人戦闘機、ロボットカー等々、現在進められているAI事業にも沢山の分野があり、ゆくゆくは、人工知能が人間に対して反乱を起こす可能性など人工知能の危険性について警鐘まで鳴らされている。
これまでの科学技術の進歩による事業なりビジネスの進展と大きく違うのは、人間の知能を装備したコンピュータ制御の機械が、人間の知能に、時には対抗したり凌駕する可能性があり、人間が制御できなくなる可能性さえ起こり得ると言うことであろうか。
コンピュータの力を借りて、機械に人間の知能を吹き込んで仕事をさせると言うことだと考えれば、そのプログラミングや操作運用などは、テクニカルな理系の世界であろうとも、そのビジネスモデルの構築には、美意識や芸術性は勿論、モラル、社会的規範や公序良俗を十分に考慮加味しなければならないので、むしろ、文系がリードしなければならない世界である。
多言は避けるが、むしろ、今後AIを進めて行く上に、考えなければならないことは、理系が突出してAIを進めて行くのは危険であり、理系文系両輪での開発推進が必須だと言うことである。
このブログで、何度も書いて来たのだが、発明発見はともかく、イノベーションや新機軸など、新しいビジネス価値の創造には、多くの異文化異文明の遭遇、異分野の専門家たちの知識や経験のぶつかり合いや融合が、必須だと言うことであって、AIを、理系の分野だと思ってかかれば、手痛いしっぺ返しを受けるであろうことを肝に銘じるべきだと思っている。
マイクロソフト本社のAIを使った音声認識ソフト「コルタナ」の開発チームで、「コルタナ」は、基本ソフト(OS)「ウィンドウズ10」を搭載したパソコンのほか、スマートフォン、タブレット端末で利用でき、話しかけるとAIがその意味を理解し、調べて答えを返してくれる。その「セリフ」をつくっているチームには、ハリウッド映画の脚本家や小説家、詩人、ジャーナリストたちが顔をそろえる。と言う。
「AIが親しまれるようになるには、どんな言葉でどれだけ具体的な返事をするかがカギになる」ため、会話や架空の人物像を描き出す力が必要で、AIが発する「人間らしい会話をつくる能力がある脚本家や小説家、エッセイストなどにいきついた。と言うのである。
また、AI開発に異業種の人が参入しているのは、マイクロソフトだけではなくて、ベンチャー企業ボタニックの「幹部のほとんどが文系」で、同社は音声認識に画像を組み合わせ、ネット上の人物と会話することで、子ども向けの冒険物語を展開するソフトなどを開発していて、社長ももともと画家で、幹部には修辞学の専門家や心理学者もいる。と言う。
この記事に多少違和感を感じるのは、AI企業ないし事業の定義にもよるのだが、AIを、理系のテクニカルな分野のものだと規定してかかっていて、ふしぎにも、畑違いの文系が関わっていると言うニュアンスである。
むしろ、この「コルタナ」の開発などは、AIを活用したビジネスモデルの構築であって、文系が関わらなければ、AIが発する生きた会話など実現不可能であり、成功など覚束ない。
さて、AIとは、(社) 人工知能学会(社)のHPを見ると、
人工知能の研究には二つの立場があります.一つは,人間の知能そのものをもつ機械を作ろうとする立場,もう一つは,人間が知能を使ってすることを機械にさせようとする立場です.そして,実際の研究のほとんどは後者の立場にたっています.ですので,人工知能の研究といっても,人間のような機械を作っているわけではありません.
ウィキペディアによると、
人工知能(英: artificial intelligence、AI)とは、人工的にコンピュータ上などで人間と同様の知能を実現させようという試み、或いはそのための一連の基礎技術を指す。
コンピュータを使って、人間が知能を使ってやるのと同じようなことを、機械に、代わってやらせようとすることだと言うことであろうか。
コンピュータ・チェスや将棋、東大入試をコンピュータに受けさせる、完全自動のミサイル防衛システムや無人戦闘機、ロボットカー等々、現在進められているAI事業にも沢山の分野があり、ゆくゆくは、人工知能が人間に対して反乱を起こす可能性など人工知能の危険性について警鐘まで鳴らされている。
これまでの科学技術の進歩による事業なりビジネスの進展と大きく違うのは、人間の知能を装備したコンピュータ制御の機械が、人間の知能に、時には対抗したり凌駕する可能性があり、人間が制御できなくなる可能性さえ起こり得ると言うことであろうか。
コンピュータの力を借りて、機械に人間の知能を吹き込んで仕事をさせると言うことだと考えれば、そのプログラミングや操作運用などは、テクニカルな理系の世界であろうとも、そのビジネスモデルの構築には、美意識や芸術性は勿論、モラル、社会的規範や公序良俗を十分に考慮加味しなければならないので、むしろ、文系がリードしなければならない世界である。
多言は避けるが、むしろ、今後AIを進めて行く上に、考えなければならないことは、理系が突出してAIを進めて行くのは危険であり、理系文系両輪での開発推進が必須だと言うことである。
このブログで、何度も書いて来たのだが、発明発見はともかく、イノベーションや新機軸など、新しいビジネス価値の創造には、多くの異文化異文明の遭遇、異分野の専門家たちの知識や経験のぶつかり合いや融合が、必須だと言うことであって、AIを、理系の分野だと思ってかかれば、手痛いしっぺ返しを受けるであろうことを肝に銘じるべきだと思っている。