熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

スティーブン・ローチ著「アメリカと中国もたれ合う大国」

2015年05月30日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   アメリカと中国は、成長戦略を遂行するために、必要に迫られて、政略結婚をした。
   小平による改革開放は、中国経済の輸出主導型回復を目指し、そのはずみの後押しをしたのが、世界最大のアメリカの消費者であった。
   アメリカは、安価な財――所得制約のある中産階級にとっては力強い支援になる――を求めて中国を頼り、加えて、貯蓄不足のアメリカは、中国の潤沢な余剰貯蓄を勝手に当てにして、その余剰貯蓄の大部分がアメリカ国債に再投資されたお蔭で、中国の対ドル・リンクの通貨政策から大きな利益を上げて来た。
   この偽りの繁栄に導いた米中もたれ合いの経済構造が、今や重大な局面に陥っていると言うのである。

   アメリカでの持続不可能な国内消費のどんちゃん騒ぎ、中国では、アメリカの過剰消費に支えられた輸出主導型成長の大当たりによって拍車がかけられ、それによって得た膨大なドル資金が、アメリカ国債購入によって、貯蓄不足のアメリカ経済の成長を支えて来た。
   米欧の経済危機によって、中国の輸出主導型の成長モデルを下支えしていた外需が一気に減少すると、中国は、これまでの輸出と投資に主導された成長から、国内の民間消費からの支援を引き出す経済モデルへの変換など構造変化が急務となり、そうなると、これまでのような余剰資金の米国への還流がスムーズに行かなくなって、慢性的な貯蓄と資金不足に悩むアメリカ経済は、成長余力を喪失して、窮地に落ち込む。

   成長と繁栄を探求した結果の、生産者中国と消費者アメリカの油断のならないもたれ合いによって生まれた偽りの繁栄、米中ともの不均衡な成長モデルが、アメリカの貯蓄不足・貿易赤字・債務累積など、中国の資源の過剰需要・所得の不平等・環境の劣化・汚染などの問題を浮き彫りにして、更に、状態を深刻化して行く。

   さて、ローチの本論であるもたれ合いの悲劇も重要な問題だが、ローチが、アメリカの多角的貿易赤字は、中国製ではない、国産であると説いていている点が、非常にユニークで興味深い。
   米国の多角的貿易赤字は、アメリカが抱える深刻な問題、国民貯蓄のかってない不足の反映だと言うのである。
   貯蓄がないのに成長しようとすれば、米国は海外から余剰貯蓄を導入しなければならず、その外国資金を引き付けるためには、経常収支と多角的貿易収支において巨大な赤字を出さなければならず、ここで中国が関係する。
   貿易制裁なり為替レート是正によって、仮に米国の赤字の内中国分がなくなったとしても、多角的不均衡の基本的な原因に取り組まない限り、米国は、海外からの余剰資金を導入しつづけなければならない以上、中国分を他国にシフトするだけである。
   しかし、その中国の代わりの相手国が、中国よりコストが高い生産者であれば、その結果は、消費者に対する増税と同じで、政治家たちが求めている是正策にはなり得ない。
   目もくらむような連邦の特大の赤字など、アメリカが、貯蓄不足に取り組まずに、慢性的に多角的貿易赤字を垂れ流し続けるとすることが運命づけられているとするならば、米国の膨大な対中国分を他国に振り向けるよりは、コストが安くつく中国との赤字貿易を続けておく方が、消費者のためには得策だと言うのである。

   もう一つ、ローチが、政治家たちが中国貿易を目の仇にしているのに対して、国境を跨いだグローバルな供給チェーンの現状を捉えて、アメリカの貿易不均衡における中国の役割が過大評価されていると反論している。
   国際貿易統計における会計上では、中国から輸出される産物は総て中国の輸出となるが、組立・配送のハブとして機能している中国の場合には、実際の中国での付加価値は5~60%くらいしかなく、IT関連では、20%くらいだと言う。
   また、対米輸出のかなりの部分は、米国企業の子会社からのもので、その場合にも、米国は中国でよりも国内で付加価値を生み出している部分がずっと大きく、国内産業が付加価値の87.1%に寄与しており、これらの供給チェーンによる歪みを修正すると、米中間の公表貿易赤字は大幅に減少すると言うことである。

   したがって、米中二国間の為替相場についての論争は不毛であって、アメリカの消費者にとっては、安い商品が中国から入り続ける方が、遥かに好ましく、人民元の大幅切り上げは、アメリカが対中貿易で享受している利益を総てぶっ壊してしまって無益であると、米国議会の中国たたきや元切り上げ圧力とは違った議論を展開しているのが面白い。
   レッド・オーシャンの米企業の雇用が奪われ、専門職のホワイトカラーが脅威にさらされているのは、人民元安とは、何の関係もなく、アメリカのグローバル競争力の低下以外の何ものでもないと言うことであろうか。
   また、前述したように、米国の慢性的な貯蓄不足問題と言う多角的な不均衡の発生源に取り組むことなく、アメリカの貿易赤字の対中国部分だけを攻撃しても、単に問題をよそに押しやるだけだと言う見解も含めて、これが正論かも知れないと言う気がしている。

   さて、この花見酒の経済と言うか、偽りの繁栄と言うか、ある意味では、砂上の楼閣のような巨大なアメリカの経済は、偶々、国境を越えたグローバルの問題であるからこそ、恐ろしいのかも知れないのだが、日本の膨大な国家債務は、大半が日本国内での問題だと言うことで、安心しておれるのであろうか。
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国立能楽堂・・・「翁」「恋重荷」そして「隅田川」

2015年05月29日 | 能・狂言
   今月の国立能楽堂の主催する公演は、非常に、意欲的で、企画公演が、特別プログラムを組んでいて、多武峰式「翁」を、翁:観世清和宗家、千歳:観世喜正、「恋重荷」を、シテ/山科荘司:梅若玄祥、ツレ/女御:片山九郎右衛門、
   そして、明日は、高野山の声明・高野物狂で、真言聲明の会の「高野山の声明」と、能「高野物狂」を、シテ/高師四郎:金剛永謹宗家。

   それに、定例公演では、能「隅田川」を、シテ/梅若丸の母:友枝昭世、ワキ/渡守:宝生閑、笛:一噌仙幸、大鼓:亀井忠雄 と言う人間国宝が4人そろって登場すると言う非常に豪華なプログラムが組まれていて、非常に楽しませて貰った。
   他の能は、普及公演で、宝生流・能「千手」シテ/渡邊荀之助、
   定例公演で、観世流・能「杜若」 シテ/武田尚浩
   
   国立能楽堂に通い始めて3年半にしかならないのだが、毎月、真面目に通っているので、門前の小僧何とかで、同じ曲を何度か観ている内に、少しずつ、楽しめるようになってきた。

   今回は、多武峰式「翁」と言うことで、三番叟が登場しないシンプルな「翁」だったが、観世清和宗家の「翁」は、これまでに、複数回鑑賞させて頂いているので、今回も、更に荘厳で神性を帯びた荘重な舞に感動しながら、見せて貰った。
   能楽の原点とも言うべき多武峰の能については、松岡心平さんの詳しい解説があり、古い伝統を持つ能の故郷を感じて興味深かった。
   学生時代に、多武峰の談山神社には何度か訪れており、一度は、明日香での散策を楽しんだ後、親しかった友と二人で、石舞台から、山道を登って峠越えして、談山神社に行ったことがあるのだが、着いた時には、とっぷりと日が暮れていたけれど、懐かしい思い出である。

   この多武峰もそうだが、最近、能や狂言を鑑賞し始めるようになって、長い間の東京を経ての海外暮らしも加わって、勉強も仕事も生活も、欧米趣味に浸り切っていたのが、どんどん、先祖返りして、学生時代に寸暇を惜しんで、京都や奈良、上方のあっちこっちを歩いて、日本の文化や歴史を感じて感動していたあの頃の世界へ戻って行くような気になって、感慨深い思いである。
   源氏物語や平家物語はともかく、万葉集や、古今集や新古今集と言った和歌の世界や、もう少し、日本史を深く勉強すべきであったと、後悔している。

   「恋重荷」は、玄祥師の舞台は、今回で2度目であるが、何度見ても、そして、何度、熱心に、岩波講座や「能を読む」を読んで予習して行っても、良く覚えていないので、その都度その都度が、私には新しい舞台で、今回も、字幕ガイドの詞章を追いながら、玄祥師の謡と舞をじっくりと鑑賞させて貰い、時々、プログラムに、位置や舞姿、印象などを書き込んだ。
   「恋重荷」については、これまでにも書いたので端折るが、このしがない菊作りの老庭師荘司が、瞬間垣間見た高貴な女御を愛してしまったのも「直覚の愛」、すなわち、一目惚れが、成せる業。
   突然、理屈抜きで起こる目くるめくような喜び、結果次第では、果てしなき闇に叩き込まれる懊悩、津波以上の衝撃であり、殆どコントロール不可能である。

   私は、直覚の愛、一目惚れを信じている。
   その人間の全人格の反映であろうから、理屈などはどうでもよく、好きだから好きなのである。
   勿論、人生は、初恋だけではないのだから、何度か、目くるめくような喜びを感じて、悪く行けば、奈落の底に突き落とされる思いをするのであろうが、それでも、一所懸命に生きてきた証であり、命の輝きである。
   何はともあれ、そんな思いを噛みしめながら、玄祥師の「恋重荷」を鑑賞させて貰った。

   人間国宝友枝昭世師の舞台は、仕舞は別として、これまでに、「羽衣」と「大江山」しか観る機会がないのだが、「羽衣」で感激したので、今回の「隅田川」を非常に楽しみにしていた。
   能「隅田川」は、2年前に、シテ/浅見 真州で、一回観たきりだが、歌舞伎で観た方が多い感じで、花道をとぼとぼ登場する班女の前の芝翫の姿を思い出す。
   この能が、オリジナルで、他の古典芸能で多くの隅田川物のバリエーションを生み出しているのだが、同じ狂女物でも、「三井寺」や「桜川」のように親子再会と言うハッピーエンドのストーリーではなくて、探し求めていたわが子が、既に亡くなっていたという実に悲しい物語で、子を思う母の気持ちが胸に迫って感動を呼ぶ。
   
   本曲では、囃子座前に、柳を付けた作り物が置かれており、梅若丸が埋葬されている塚を現していて、母の祈りが通じてか、子方の梅若丸(大島伊織)の亡霊がこの中から登場する。
   「わが子か」「母にてましますか」と再会を果たすのだが、手を取り交わそうとすればすれ違い、面影も幻も、見えつ隠れつするほどに、東雲の空が白むと、跡形もなく消えて、わが子と思ったのが浅茅が原の草茫々のただの塚・・・シオル梅若丸の母の姿が悲しい。

   この最後の子方を出すか出さないかで、世阿弥と原作者の元雅との間に論議があったようで、世阿弥は、舞台には出さずに、あたかもそれを見るような気持ちで演じた方が良かろうと言ったのに対して、元雅は、それでは出来ないと言ったと言う。
   その議論を踏まえて、作り物の中で子方の声のみを聴かせる演出、子方を全く用いず、「母にましますか」を地謡に歌わせる演出があると言う。
   私などは、元雅の演出の方が有難いし、詞章も分かりやすいので、友枝昭世師の梅若丸の母を、有難く鑑賞させて貰った。
   
   また、この能では、ワキの渡守が、大変活躍する曲であり、船中で、ワキツレ/旅商人:大日方寛 の依頼で、瀕死状態に衰弱した梅若丸が、人商人に見捨てられて埋葬される1年前の話を語る長いシーンは、ワキの聞かせどころでもあり、宝生閑の語りが感動的であった。
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ネットショッピングが益々便利に!

2015年05月28日 | 生活随想・趣味
   今日の日経朝刊トップが、「即日配送 ヤマトが提供」と言う記事で、更に、「中小ネット通販向け」「コンビニ受け取り可能」と言うサブタイトルで、ネット通販が、益々便利になると報じている。

   アマゾンでは、プライムに入会して、「当日お急ぎ便」で送って貰えば、間違いなしに、翌日には配達されてくる。
   尤もこれは、アマゾン直売などの場合だけで、アマゾンに出店している通販サイト分は、このサービスを利用できないのだが、それでも、一頃と比べれば、随分、発送が早くなって来ている。
   ところが、今回提供されるヤマトの新サービスによると、首都圏内などの配達は、即日届けることも可能だと言うのである。

   私のショッピングで、最近大きく変わったのは、こんなにネットショッピングが安い上に便利になってくると、これまで、頻繁に行っていたビッグカメラやヨドバシカメラや百貨店などに、殆ど行かなくなって、アマゾンなど、ネットショッピングで買い物を済ませることが多くなり、リアルショップで、買い物をすることが、極端に少なくなってしまったと言うことである。
   勿論、良く行く劇場などチケットの購入も、殆ど、ネット購入であるし、本も、最近では逆転して、7割方は、ネットで買っている。
   実店舗での買い物は、食品など家族と一緒の時は別だが、本当は体に合わせて買うべき衣料や靴なども、勢い、ネットで買うこともある。

   勿論、ビッグカメラで、ソニーのカメラを最安値で買ったこともあるのだが、とにかく、ネットと比べれば、必ずしもそれ程安くはないし、ヤマダ電機が苦境に立つのも当たり前で、飛ぶ鳥落とす勢いの量販店にも落日の蔭が挿しはじめており、所詮、リアルショップの悲しさで、ネットショッピングに、市場が、どんどん、蚕食されて行く筈である。
   とにかく、大体、欲しい商品などに知識があり分かっておれば、店に買いに行かなくても、ネット注文すれば、安い上に、もう、翌朝には手元に配送されてくるのであるから、これ程便利なことはない。

   それに、もし、その商品を確認したければ、実際に店舗に行って実物を見て、ネットより安ければ、あるいは、サービスなどメリットがあれば、そこで買い、そうでなければ、ネットショッピングすれば良い。
   実店舗は、ショールームとして活用してネットショッピングする人が多いのは、とにかく、安いからである。
   
   鎌倉は買い物には不便なところで、最低、大船か横浜に出なければ、思うように買い物が出来ないし、それに、鎌倉湘南価格と言うべきか、下らないものでも、結構高いので、遥かに安くて、自由に品物を選べるネットショッピングに越したことはないのである。
   ネットショッピングも、信用と言う問題が重要なので、当然、店を選ぶべきだが、私など、ブックレビューは、記事を削除されたりしたので、一切止めているが、アマゾンを使うことが多い。
   アマゾン直送の商品だと、アマゾンが一切責任を持ってくれるので、まず、安心だし、それに、ヤフーや楽天とは違って、自社で直接扱って販売する商品が膨大で、大概はここで買えるし、大体、送料無料で安い上に、それより安い出店が他にあれば、バカ正直に「別の出品者から、上記(アマゾン価格)よりも価格が低い商品が出品されています。」と教えてくれるのであり、概ね、これは価格コムの最安値に匹敵する。
   一度、ウォーキングシューズを買って大きさが合わなかったので、交換処理をしたのだが、全く問題なく、配送料など費用は先方持ちで、すぐに対応してくれたのである。

   また、キヤノンやミズノなど、著名なメーカーには、メーカー直販店やネットショップがあり、多くの日本企業がネットショッピング・サイトを開設して、積極的にネット販売に注力している。
   大概は、何故か、高いのだが、コマメに情報を得てアクセスしていると、思いがけない買い物ができることがある。

   とにかく、クラウド、IoTの時代である。
   自分でデザインしたりイメージしたりした商品でさえも、ネットショッピングで買えると言う。
   賢くネットショッピングを利用して、政府や日銀のインフレターゲットの裏をかくのも、生きて行く知恵かも知れないと思っている。
   
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明治座:五月花形歌舞伎・・・「あんまと泥棒」「鯉つかみ」

2015年05月27日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   久しぶりの明治座だが、演目もそうだが、全体の雰囲気が、歌舞伎座とは大分違う。
   今回観たのは、夜の部である。
   プログラムは、「あんまと泥棒」と、通し狂言「鯉つかみ」

   まず、「あんまと泥棒」だが、
   村上元三作の人情噺と言うか、あんまで金貸しをして小金を貯めていると言う秀の市(中車)の貧乏家に、泥棒の権太楼(猿之助)が忍び込むのだが、目明きの権太楼が、秀の市に、金の在処を教えろと説得するも、その話術の冴えにはぐらかされ、翻弄されて、泥棒への転落話までさせられて、とうとう、居る筈もない死んだと言う女房の仏壇代にと金を残して退散する、と言う、
   したたかなあんまと気のいい泥棒という組み合わせがみどころの舞台だと言うことで、たった二人の登場人物の芝居なのだが、あり得ないようなバカバカしくも滑稽な会話が、猿之助と中車のキャラクターを存分に引き出していて、面白い。
   秀の市が、泥棒は命と引き換えにしても割のいい仕事なのかと問うて、殆ど稼ぎがないを知って、権太郎に、世渡り上手になれと説教するあたりは、正に、落語の世界であろうか。

   通し狂言「鯉つかみ」は、事前に筋書が頭に入っていなければ、奇想天外なストーリーが、ポンポン飛ぶので、話が分からなくなるのだが、分かっても分からなくても、
   愛之助の六役早替りと、宙乗り、本水での立廻り、泳ぎ六方などケレン味あふれるスペクタクル・シーンを楽しめば良いと言う芝居であろうか。
   主人公が水中で鯉の精と戦う鯉退治がメインのようだが、一昨年の明治座での上演分に、今回は俵藤太の大百足退治を導入して、通し狂言として上演したと言うことである。
   来月、大阪での公演では、愛之助が、12役を務めると言うのであるから、どうなっているのか、物語など二の次なのであろうかと思う。

   私自身は、シェイクスピア戯曲鑑賞から歌舞伎鑑賞に入ったので、どうしても、ストーリー展開のはっきりしない芝居は苦手で、もう、20年以上にもなるのに、いまだに、早変わりや宙乗り、舞台のどんでん返しなどの見せて魅せる舞台よりも、ケレン味のない芝居の方が性に合っているような気がして見ているのだが、
   終幕で、滋賀之助の愛之助が、大きな水槽の中で、鯉の精とくんずほぐれつ格闘しているのを、全身に水を浴びながら、喜んで見ている1階客席最前列のお客さんの右往左往を見ていると、やはり、愛之助ファンは、違うのであろう。
   どこかで、愛之助が、水槽でのこの鯉つかみは、大変疲れるのだと言っていたが、とにかく、最初から最後まで、いい男で通し続けて、八面六臂の大活躍であるから、愛之助も、大した役者である。

   それに、この「鯉つかみ」の監修が、片岡我當だと言うのが興味深い。
   秀太郎が、瀬津織姫として、壱太郎が、釣家息女小桜姫として登場して、愛之助に華を添えている。
   ホンワカとしたバカ殿信田清晴を演じた市川弘太郎が、良い味を出していて、愛之助に良く似た男に小桜姫を取られて腹が立つと、今度は倍返しだと言って客を喜ばせていた。
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わが庭:鎌倉に慣れて良く咲いてくれたバラ

2015年05月26日 | わが庭の歳時記
   鎌倉に来て、2年目の春であるが、今年、少しバラ苗を増やしたので、千葉に居た頃には、及ばないが、やっと、バラの花が、庭の主役らしくなってきた。

   イングリッシュローズでは、オレンジ系統のアブラハム・ダービーやレディ・オブ・シャーロトなどは早く咲き終わって、二番花の蕾を付け始めている。
   ところが、同じようなオレンジ系統のグレイスは、今、花盛りである。
   
   
   
   また、やや、紫かかった深紅のウィリアム・シェイクスピア2000やフォールスタフは、まだ、次から次へと咲き続けていていて、愉しませてくれている。
   
   
   
   素晴らしい大輪を付けて咲き切ったプリンセス・アレクサンドラ・オブ・ケントと次々と咲いて潔く散ったダーシー・バッセルは、少し休ませて、今夏は、大きな鉢に植え替えて、秋花を待とうと思っている。
   レッチフィールド・エンジェルは、やっと、一輪咲き始めたが、他の蕾は、まだ固い。
   

   やはり、深紅の大輪で、圧倒的であったのは、HTのベルサイユの薔薇であろうか、新苗を植えて3年目だが、かなり大株に育っていて、今春は、4輪花を咲かせた。
   株元近くから、元気なシュートが二本伸びている。
   早く切り花にして、木を温存して、秋に備えることにした。
   
   
   
   

   今回、良く咲いたのは、フロリバンダの中輪の房咲きのバラで、切り花にもして、かなり、長い間愉しませてくれたのは、あおい、ディズニーローズ、ハンス・ゲーネバイン、それに、レッド・レオナルド・ダ・ヴィンチであり、まだ、元気に咲いている。
   鉢花には、フロリバンダが、似つかわしい。
   
   
   
   
   

   やっと、咲き始めたのは、コルデス・ジュビリーとルージュ・ロワイヤル。
   まだ、今年は、当分、バラの花を楽しめそうだが、大分注意して世話をしたので、まずまずの出来だったと思っている。
   西日なので、あまり良くはないのだが、日当たりは良いので、晩秋に、イングリッシュローズで、伸びの良いのを選んで、つるバラ仕立てにして、何株かは、裏庭のフェンスに這わせようと思っている。
   
   
   
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トマト・プランター栽培記録2015(5)・・・マイクロトマト植え替え、中玉・ミニの二本仕立て

2015年05月25日 | トマト・プランター栽培記録2015
   マイクロトマトが、かなり、成長して来たので、9号鉢に植え替えて、三脚支柱を立てた。
   まだ、誘引する程の大きさでもないので、このまま、暫く様子を見て、3~4本しっかりした脇芽を残して固定しようと思っている。
   このマイクロトマトは、背丈はそれ程伸びないが、シュラブ状に、横に張り出すので、あまり、煩くしない方が良いのだが、鑑賞用にもなるので、それ程気にする必要もない。
   小さな花が一寸咲いていたが、すぐに、結実を始めている。
   木が大きく育つと、数珠のような房状に沢山の実がつく。

   さて、マイクロトマト1本あたりのコストだが、
      マイクロトマト苗   500円
      プラ鉢         216円
      三脚支柱       108円
        と言うことで、培養土、肥料等含めて、900円と言うところであろうか。
   
   
   

   さて、ティオ・クックも、随分成長してきた。
   ティオ・クックは、中玉の料理用トマトだが、ミニトマト並の花付きなので、負荷がかかると思うが、元気な苗木は、二本仕立てで育てることにした。
   第一花芽の下の脇芽を、副主幹にするのだが、やはり、負荷がかかるのであろう、本来なら、二つの葉芽ごとに、花芽がつく筈が、3~4葉芽の後に花芽が付き、副主幹の方の花芽も、かなり後で付く。
   既に、主主幹の第1花房は、結実し始めて、第4花房まで見えており、副主幹は、第2花房まで出て来ているので、ほぼ順調であろう。
   何故、二本仕立てにするのか、
   トマト栽培テキストの基本からは外れるけれど、
   それは、私が、トマトの支柱は、2.1メートルのを常用しており、それ以上高い支柱だと、手が届き難くて管理が難しいので、二本仕立てなら、2メートルくらいで摘心すれば良くなり助かるのである。
   主主幹は、第5花芽、副主幹は、第3花芽くらいで摘心できるので、管理は楽だし、一本仕立てよりは、二花芽くらい増やせることにもなり、成功すれば、一挙両得と言うことになる。
   今のところ、花芽の位置が少し上に上がった程度で、その上の花付きも順調で、花付きとか木の成長には全く異常がない。
   サントリーのミニトマトや、タキイの虹色ミニトマトも、第一花芽の下の脇芽が、しっかりして来たので、同じように、副主幹として育ててみようと思っている。
   
   
   
   
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新宿御苑・・・フランス庭園のバラ

2015年05月23日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   今、新宿御苑は、萌える新緑が美しいが、咲いている目ぼしい花は、フランス式整形庭園のバラだけ。
   訪問者も非常に少なく、静かなシーズンである。

   私は、何時ものように、この日も、国立能楽堂の企画公演の開演前の、閉園間際に出かけて行ったので、時間がなかったために、訪れたのは、久しぶりの大温室と、このバラ園だけである。

   温室に入ると、何時も思い出すのは通いなれたキューガーデンの温室だが、この方は、何棟もあって植栽されている植物は、世界中に派遣したプラントハンターに集められる限りの植物を集めさせてきたので、規模も違うし種類も豊富である。
   どちらかと言うと、キューガーデンの方は、ジャングルならジャングルそのまま、悪く言えば、整理整頓が行き届いていない感じなのだが、この新宿御苑の大温室は、植物にとっては良いのか悪いの分からないが、極めて綺麗な状態で、気持ちが良いのである。
   
   

   まず、目に入ったのは、パパイヤやバナナ、マンゴーと言った果物だが、最初、ブラジルに行った時に、木にぶら下がっているのを見て驚いたことがあるが、やはり、いつも、新鮮な驚きを感じる。
   
   
   

   私自身、博物学には殆ど知識がないので、珍しい植物や花木に接しても、刹那的な関心と興味だけで見ているようなもので、すぐに、忘れてしまう。
   それに、カメラを持っている時には、どうしても、色や形の美しいものや変わったモノに注意が行ってしまう。
   この日、興味を持ってメモしたのは、ピンクの房状な花メディラ・マグニフィカ、それに、色変わりの花が星のように鏤められているユーフォルビア・レウケファラ。
   それに、ダンダクと言うカンナの花の実が面白かった。
   他は、何となくシャッターを切ったと言うところであろうか。
   
   
   
   
   
   
   
   

   園内には、小さなプールがあって、スイレンが咲いていた。
   また、サボテン園もあって、キンシャチと言う大きなボール状のサボテンが面白かった。
   ミッキーマウスの木や食虫植物など、とにかく、小一時間で一回りすると、色々な変わった植物に会えて楽しめるのが良い。
   
   
   
   

   大温室を出て、広いオープンスペースの広がるイングリッシュ風景式庭園を抜けて、一番奥に、フランス庭園がある。
   両翼の綺麗なプラタナス並木に挟まれて、バラ園が広がっている。
   矩形のかなり広い二区画のバラ園の周りに、沢山のばらが植えられていて、壮観である。
   既に、咲き終えて剪定されている木もあるのだが、、殆ど咲き切ったと言う状態なので、今が、最盛期なのであろう。
   
   
   
   
   

   何となく、バラのネームプレートを見ていると、100年以上も前に作出されたバラなど結構古いバラが植えられているのに気付いた。
   ピンクの優雅なラフランスが、1867年に、リヨンの育種家ジャン=バティスト・ギヨ・フィスによって作出されたハイブリッド・ティーローズ第1号だと言うから、100年と言っても新しいのだが、最近のバラに関心のある私には、何となく、新鮮な驚きであった。
   今回、同じく気付いたのだが、パット・オースティンやシャリファ・アズマなどデビッド・オースティンのイングリッシュローズが、10種類ほど4株ずつ植えられていて、私には、何となく、友人に会ったような気がして嬉しくなった。
   
   
   
   
   
   
   

   バラ園の外れに、アジサイが一輪色づいていた。
   プラタナスの下で、小休止して千駄ヶ谷門に向かった。
   気が付かなかったのだが、この門から出て、ほんの5分で国立能楽堂に着くのである。
   
   
   
   
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イスラム国:世界遺産パルミラ風前のともしび

2015年05月22日 | 学問・文化・芸術
   パルミラは、1980年、ユネスコの世界遺産に登録されたシリアにある中東屈指の歴史的遺産で、ローマ様式の建造物が多数、非常に綺麗な形で残っており、ローマ式の円形劇場や、浴場、四面門など、膨大な文化遺産が残っている。
   このパルミラは、古代から、地中海沿岸のトルコ、シリアやフェニキアと、東のメソポタミアやペルシアを結ぶ交易路となっており、その後、ギリシャ、ローマからインド、中国に通じるシルクロードの要路として非常に重要な中継点であり、ローマの属州となるなどパルミラ王国を築き上げ隆盛を誇った。
   
   
   

   この口絵写真は、NHK BSニュースのフランス2の画像の借用だが、数日前から、イスラム国(ISIS)がパルミラに接近しつつあると言うニュースが気になっていたのだが、今朝のニュースでは、完全にパルミラを占拠して、パルミラ遺跡に近づきつつあり、この貴重な世界遺産が、破壊の危機に瀕していると言うのである。
   

   ISISは、イスラム経の偶像破壊を徹底させようとして、これまでに、モスルの博物館で、幾多の文化遺産を破壊し、イラクでは、アッシリアの貴重な古代遺跡であるニムルドやニネヴェ、ハトラ、コルサバード等々、シリアのマリなど、貴重な文化的歴史遺産を破壊し続けている。
   偶像破壊と言うよりも、異文化異文明を排除排斥と言うことであろう。
   フランス2は、ニムルドの爆破の模様や、モスル博物館の目も当てられないようなバンダリズムを放映している。(モスル分は、NYTより転写)
   タリバンが、バーミヤンの巨大大仏遺跡を破壊した時に、大きなショックを受けたが、今回のISISの破壊行為は、空前絶後の人類の遺産の破壊である。
   パルテノン神殿の破壊に匹敵すると言うのだが、あの神殿も、オスマン帝国によって火薬庫として使われていたので、ヴェネツィア共和国の攻撃によって爆発炎上し、神殿建築や彫刻などひどい損傷を受けたのだが、やはり、人間の愚挙である。
   
   

   シリア政府は、パルミラから、重要な何百と言う歴史的遺産や骨董物を持ち出したと言うが、現実にパルミラに残っている古代遺跡など、その現物そのものが重要なのである。
   NYTは、パルミラには、膨大な未発掘の遺産が残されていて、これまでと同様に、これらの膨大な文化遺産が、ISISの資金源になることを憂えている。
   パルミラ遺跡の平安を祈るのみだが、もし破壊されるようなことがあれば、人類は何をしていたのかと言うことになろう。

   思想による洗脳が如何に恐ろしいことかと言うことだが、これは、イスラムだけの問題ではなく、日本も明治期の近代化の途上で、廃仏毀釈で、多くの貴重な仏像など文化財を失い、終戦直後の荒廃時代には、今の国宝仏が寺院の庭に野ざらしであったし、ロシアも、共産革命で、多くの文化遺産を破壊して来ており、世界のどこの国も似たり寄ったりであった。
   このような現実を思えば、何時の時代でもどこの国でも、このようなバンダリズムが起こり得るのであって、人類が営々として築いてきた貴重な文化的歴史遺産を、一瞬のうちに葬り去って来たのである。
   悲しい人間の性かも知れない。

   私は、隣のトルコとサウジアラビアまでは、何度か行ったが、シリアには行ったことがないので、残念ながら、パルミラを知らない。
   NYTの記事の写真を借用して、パルミラに夢を馳せたい。
   
   
   
   
   
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H・キッシンジャー他「中国は21世紀の覇者となるか?」

2015年05月20日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   原著は、”Does the 21st Century Belong to China?: The Munk Debate on China ”
   21世紀は、中国のものか?と言うことであろうか、
   中国がアメリカに代わって世界一の覇権国になるのかどうかと言う最もポピュラーな話題を、トピックスにして、4年前にカナダで、非常に魅力的な「世界最高の4頭脳による大激論」がかわされて、その記録がこの本だが、非常に面白い。

   4人の内、イエスは、ニーアル・ファーガソン、デビッド・リー
       ノーは、ヘンリー・キッシンジャー、ファリード・ザカリア
   中国人学者リーについては、知らなかったが、他の3人については、このブログで、ブックレビューなどで書いていて、私自身注目している識者なので、興味深く読んだ。

   まず、冒頭に、イエスのファーガソンは、
   19世紀と20世紀は例外で、過去20世紀のうち18世紀間は、中国はかなりの差で世界でも最大の経済であったし、今日、人類人口の5分の1は中国人であり、5年後には、世界最大の経済大国になると言われている。
   中国は、技術革新や教育の点でも他国に追いつきつつある。
   特に、世界的金融危機以降、世界最大の経済刺激政策に取り組んで成功させて、安物輸出国から脱却して、自らが頼りになる世界の巨大市場になった。
   また、21世紀における中国の優位性は、西側の衰退にも原因がある。としている。
   ファーガソンの見解については、ザカイアも指摘しているのだが、私自身も、「劣化国家」を読んだ限りでもそう思うが、かなり、これまでとの見解に乖離があり、プロチャイナ意識が先行しているように感じている。

   リーの中国台頭論は、中国政府の見解だとすると、興味深い。
   3つのキーワード、エネルギー、リバイバル、インフルエンス、で語っている。
   まず、エネルギーだが、今日の中国の変化あるいは進歩のエネルギーは、170年前に西側との壮大な文明の衝突によって完敗を喫した面目失墜と屈辱が導火線となって、中国国民の、そして、中国社会に巨大な反応、あるいは、過剰反応を引き起こして今日を成した。
   更に、リバイバルの目的地は、1500年前の偉大な帝国唐の時代の復興である。
   インフルエンスは、アフリカのような貧しい未開発地域への希望、個人的な自由よりも社会的な安定・福祉・安寧に重点を置いた西側のとは違った内政モデル、唐時代のような偉大な文明を復興して平和と協調を求める国際関係。
   アヘン戦争を皮切りにして西側の列強によって国家を蹂躙された長い屈辱の歴史を晴らすべく、富国強大政策を推進して、大唐大帝国の栄光を再び! と言うことであろう。
   壮大な国家目標を掲げて中国人が立ち上がったのであるから、中国の台頭は当然だと言うことであろうが、これが、覇権目標でなくて、果たして何であろうか。

   ノーのザカリアは、経済的、政治的、地政学的理由で中国は覇権国にならないと言う。
   経済的には、不動産バブルが極に達しており、経済成長は非常に非効率であり、日本のように、成長率がダウンし、
   政治的には、危機的な政治体制であり、基本的な問題をなおざりにしてきたので、中産階級を生み出す転換期に、政治的経済的不安定が生まれる。
   地政学的には、真空地帯での台頭ではなく、多くの競争相手がいるので、中国の台頭は、既に騒動を引き起こしている。
   環境問題への非協調、尖閣や南沙問題など近隣諸国との軋轢など国際問題を引き起こしている中国を考えれば、覇権国中国と言う薔薇色の考えも、不意に色褪せると、ファーガソンに反論している。
   インド・オリジン意識が、垣間見えて興味深い。

   中国との国交を拓いたキッシンジャーの中国へのノー見解は面白い。
   討論でも、中国への懐疑論は展開しているのだが、明確な見解を示さず、21世紀は中国の世紀かとどうかと言うことではなく、我々西側が中国とうまく付き合っていけるかどうか、中国が我々とともに国際的な構造を作り上げて行くことが出来るかどうか、中国を21世紀のよりユニバーサルな概念につなぎとめられるかどうか、が問題なのだと言う。
   付録の対談で、いくら経済大国になっても一人当たり国民所得は低いし、高速鉄道システムがアメリカより良くても、国際的影響力には何の関係もない。米中どちらも覇権国などなれないし、それを目指せば紛争に繋がり国際システム全体が損なわれてしまう。ソフトパワー、大学など創造的可能性においてアメリカを凌駕できない。などと語っている。
   
   さて、その他の議論で、イノベーションやアフリカなどに対する議論なども面白いが、やはり、問題は、リー自身も認めているように民主化から程遠いメディア規制や思想統制や弾圧、経済格差の拡大などの政治経済社会不安の蔓延であり、キッシンジャーは、この10年間は、膨大な経済的変化、人々の移動、教育の普及などを伴いながら、中国は、政治制度を経済発展に適応させて行くという問題と格闘せざるを得ないであろうと述べている。

   これに関して興味深いのは、ファーガソンの「中国の覇権化を予想する」と言う見解である。
   国と言うものは、内政に苦しみ、民衆から突き上げられる課題を抱える時にこそ、より、積極的で攻撃的な外交政策をとるのは現在史の一つの教訓であり、まさに、このように政治的緊張のつのる時こそ、中国はより国家主義的で独断的になり、覇権化すると言うのである。
   これに同調して、ザカリアが、キッシンジャーの言う政治的変化の帰趨によっては、中国は、より国家主義的で独裁的、より尊大になるであろうと指摘している。

   ジョン・J・ミアシャイマーが、「大国政治の悲劇」で、”豊かになった中国は、「現状維持国」ではなく、地域覇権を狙う「侵略的な国」になる。”と断言している。
   大唐大帝国の再興が、果たして、人類にとって、吉と出るのか凶と出るのか、隣国日本としても、最大の関心事である。

   ところで、ザカリアが述べているのだが、アメリカの対中政策は、キッシンジャー以降、共和党も民主党も、全く変わっていない。
   中国を世界の一員に組み込み、知識、ノウハウ、技術、資本、そして制度的枠組みを身に付けさせ、それによって国際コミュニティの繁栄する一員であり続けさせる。と言う姿勢である。
   この米中政策の結果が、スティーブン・ローチが説くアメリカと中国のもたれ合いによる世界経済の蹉跌を引き起こしたと言うのであるから興味深い。
   
   本書の紹介だけで長くなってしまったが、私自身は、これまで、何度も、中国の将来については、中国の抱える深刻な政治経済社会問題が、どこかで破綻を招来し、一党独裁の政治体制が暗礁に乗り上げて、一本調子の成長が、どこかでダウンする可能性が高いのではないかと書いて来たので、キッシンジャーとザカリア側の見解である。
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美しさに魅せられてのガーデニング

2015年05月19日 | 生活随想・趣味
   もう、何十年も前のこと、偶々、一戸建て住宅に住み始めて、かなり、広い庭があったのだが、殺風景であったので、基本的な植栽は、東金の植木屋さんに頼んで整えて貰った。
   それからが、私の領分で、まず、真ん中の広い空間に、参考書を参考にして芝を張った。
   当時の庭の写真を見れば、まだ、随分土の空間があるのだが、この庭を手放す時点には、鬱蒼とした椿の庭になっていた。
   ロンドンから帰ってから、花木の栽培に力を入れ始めたのである。

   アムステルダムに移ってから、キューケンホフ公園など、咲き乱れるチューリップなどの草花で輝くオランダの春の美しさを満喫しつつも、まだ、それ程、花には興味が湧かなかった。
   当時は、大変な激務だったので、暇を見つけて、車を走らせえ、キューケンホフの周り一面に広がるリセのチューリップ畑に出かけて、リフレッシュしていた。
   360度周り全体が極彩色の空間で、目もくらむような壮観だが、涼風に吹かれて風景に溶け込む快感は、何ものにみ変えられない程、素晴らしい経験で、誰もいない私だけの世界であった。

   日本に居た友人が花が好きで、時々、オランダから、草花の球根を買って帰ったのだが、キューケンホフの話などをするうち、花の話が弾み、私自身、少しずつ、花木や草花に興味を持ち始めた。
   その頃はヨーロッパに居たので、各地を歩きながら、意識して、公園や植物園などに出かけたり、ヨーロッパの街並みや家々の門口や窓辺の花飾りなどを興味を持って観察するようになり、旅の写真に、花風景のスナップショットを撮るようになった。
   
   

   その後、ロンドンに移り、幸い、世界最高峰の植物園だと言われるキューガーデンに住むことになり、家が正門から数百メートルの位置にあったので、年間パスポートを買って、暇を見ては、カメラを持って出かけることにしていた。
   忙しかったので、思うようには通えなかったが、寸暇を惜しんでの、キューガーデンの散策は、私にとっては、最高の憩いと思索の時間であった。
   テームズ河畔など殆ど人の居ないような場所にも往年のキューガーデン・ファンが寄贈した椅子があって、静かな時間を過ごすことが出来た。
   しかし、行く度毎に、世界中からプラントハンターによって招来された花木や草花が、季節の移り変わりによって、少しずつ成長したり姿を変えて行くのを見て、新鮮な驚きを感じるのが楽しみであった。

   それに、ガーデニング好きのイギリス人家族と知り合いになり、植物園に一緒に出掛けたり、私自身も、あっちこっちのイギリスの大庭園や公園を巡り歩いて、イギリスの自然風景の美しさに感動する機会が多くなった。
   その頃、撮った写真が随分あるのだが、引っ越し荷物に紛れて倉庫に眠っている。
   
   日本に帰ってからは、ガーデニングを楽しむと言うよりは、雑草や病虫害など庭の世話に追われると言った方が多いような生活が始まったが、やはり、庭に、どんどん、花木や草花が増えて行って、益々、鬱蒼とした庭との格闘が始まった。
   しかし、植えた花木が少しずつ成長して行き、蕾を付けてきれいな花を咲かせるのを見て、何とも言えない程感動することも多かったし、楽しみであった。
   そんな生活が、ずっと、続いていて、庭の花木や草花との幸せな対話の日々が続いている。
   今、わが庭では、バラの花が妍を競っているのだが、何故、これ程までに美しい生き物をお創りになったのか、創造主の技に感嘆しきりである。
   
   
   
   

   
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團菊祭五月大歌舞伎・・・「天一坊大岡政談」

2015年05月18日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   團十郎がいない團菊祭だが、やはり、格調の高い狂言が繰り広げられていて、世代替わりとは言え、海老蔵や菊之助、それに、松緑と言った上り調子の名優を軸として、座頭菊五郎を筆頭に、ベテランの重厚な演技のサポートが秀逸で、楽しい舞台を見せてくれる。
   この日、私が観劇したのは、台風模様の荒れ天気の中での昼の部であったが、歌舞伎座正面の幟や垂れ幕が引き上げられた裸の正面玄関も珍しかった。
   

   この昼の部の立役者は、「摂州合邦辻」の玉手御前と、「天一坊大岡政談」の天一坊を演じた菊之助であり、最近、夙に進境著しい菊之助の魅力満開の舞台であった。
   玉手御前などは、俊徳丸の梅枝と浅香姫の尾上右近と言う初々しさを漂わせる若い女形の嫋やかな対応に上手く合わせ、ベテランの合邦道心の歌六と母おとくの東蔵との修羅場を感動的に演じ切り、匂うような色香を漂わせながらの風格ある使命感の吐露など、綺麗だけではなく、物語を丁寧に紡ぎ出していて、流石であった。

   さて、「大岡政談」の方は、2001年に團菊祭で演じられていて、観たかどうか全く記憶はないのだが、この時は、天一坊を、菊五郎、海老蔵が演じている山内伊賀亮を仁左衛門、菊五郎が演じている大岡越前守を、團十郎が、務めていたようで、丁度、脂の乗り切った名優の舞台であったから、素晴らしかったのであろう。

   さて、天一坊だが、江戸時代中期、実際に実在した天一坊改行と言う山伏で、将軍・徳川吉宗の落胤だと称して、大名に取り立てられると言って多くの浪人を集めて台頭する。関東郡代では、将軍にも覚えがあると言う返答なので、すぐに捕縛出来ずに慎重に取り調べて、その結果、詐称が発覚して、勘定奉行稲生正武から死罪の判決申し渡しがあり、品川で獄門となった。と言うのである。
   詳細はともかく、その後、この事件は、後に「大岡政談」に取り入れられ、江戸時代末期に、講談師神田伯山が「大岡政談天一坊」として語って評判となって、脚色されてこの歌舞伎になったと言う。
   したがって、現実には、大岡越前守とは、何の関係もないのである。

   この歌舞伎を観ていて、何故か、イングリッド・バーグマンがロシアの大公女アナスタシアを演じた映画「追想」を思い出していた。
   ロシア革命によってロシア皇帝ニコラス2世一家が殺害されたが、ボーニン(ユル・ブリンナー)たち白系ロシア人たちが、ただ一人アナスタシアが生きていると言う噂を立てて、残された遺産を横取りしようと言う事件で、セーヌ河に身を投げようとしたアンナ・コレフ(イングリッド・バーグマン)を助けて教育してアナスタシアに仕立て、アナスタシアの祖母・大皇妃(ヘレン・ヘイズ)と対面させると言う、それに、皇子との恋あり、素晴らしい映画である。
   成りすましが、如何に難しいか、「マイフェア・レディ」のケースもあるのだから、上手く行けば、化け得るのである。

   この歌舞伎は、若かりし頃の吉宗の手がついて宿下がりした侍女が、吉宗の短刀とお墨付きを持ち帰っており、その証拠品を盗み出した天一坊が、ご落胤と称してのさばり始める。
   呼び出しを受けて、堂々と大岡越前の前に出てお裁きを受けるのだが、流石の越前も、伊賀亮の弁舌爽やかな抗弁をかわし切れず、更に、紛れもない証拠を見せられるであるから、論破できない。
   この奉行屋敷の場での菊五郎と海老蔵の「網代問答」は、 「伽羅先代萩」の「対決」の大岡越前は細川勝元、伊賀亮は仁木弾正を彷彿とさせて面白い。
   しかし、この歌舞伎では、この場は、善玉の越前が負けて、屈服する。
   従って、次の「大岡邸奥の間の場」では、天一坊の正体がつかめないので、窮地に立った越前は、妻小澤(時蔵)と嫡子忠右衛門(萬太郎)と切腹に臨むのである。

   ところで、短刀を握りしめて切腹寸前に、忠臣の池田大助(松緑)が、駆け込んできて、天一坊の正体を掴んだと決定的な情報を齎す。

   問題は、この時気になったのは、客席から、かなりの失笑に似た笑い声が起こったことである。
   この歌舞伎としては、本来なら、最も素晴らしい山場であり、拍手喝采が起こってしかるべき筈が、失笑である。
   あまりにも出来過ぎていると言うことであろうか、その直後、あっさりと切腹を取りやめて、間髪入れずに、隣室に入って豊川稲荷に3人そろって手を合わせるのも、何となく安直すぎるような気がする・・・

   あの「仮名手本忠臣蔵」の「判官切腹の段」で、切腹した瀕死の判官の前に、大星由良助が国許より駆けつける決定的なシーンの時には、観客はかたずを飲んで見守る。
   この落差の激しさは、何なのであろうか。
   狂言の質の差なのか、ストーリー展開なり演出の差なのか。

   ところで、この話はともかく、この歌舞伎は、非常に素晴らしい舞台で、菊五郎の越前は、文句なしの威厳と風格で圧倒的であり、菊之助の天一坊の芸達者ぶりは秀逸で、海老蔵の格好良さは言うまでもなく、魅せてくれた。
   どんどん、増幅して行く悪人たちの動向など、ストーリー展開も面白く、脇役陣も充実していて、面白い。
   
   
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わが庭:やっと、バラが咲きそろって来た

2015年05月17日 | わが庭の歳時記
   わが庭で最初に咲いたバラは、キャプリス・ド・メイアンだがまだ咲いていて、後から咲いたイングリッシュローズのアブラハム・ダービーとダーシー・バッセルは散り始めている。
   このバラはともに、花弁が一枚ずつひらひらと散るので、特に、アブラハム・ダービーなどは花弁数が多くて大きいので、花の下は、桜のように花弁で色付く。
   あおいは、びっしりと房咲きで咲き乱れているが、一輪でも風格があって良い。
   
   

   華やかに咲いているのは、サーモンピンクがかったアプリコットピンクのレディ オブ シャーロットで、すぐ散るのだが、優雅で美しい。
   
   
   
   イングリッシュローズで、咲き出したのは、深紅の花では、ウィリアム・シェイクスピア2000とフォールスタッフ。
   シェイクスピア趣味の私には、格好のバラなのだが、まだ、木がそれ程大きくなっていないので、花弁が120枚もあるかなり大きな花弁を、すっかり開き切らないうちに、雨にやられたりするのが気がかりである。
   フォールスタッフは、鮮やかなクリムゾン色から、シックなパープル色を帯びて行く。
   
   
   
   

   今度、新しく買ったイングリッシュローズのプリンセス・アレキサンドラ・オブ・ケントは、かなり大輪の濃いピンクの優雅な花で、咲き始めも満開も姿かたちが美しく、素晴らしい花である。
   12センチ以上の大輪で、咲き進むと、外側の花弁は後方に巻き上がって短い円筒状になる。
   
   
   
   

   レッドで綺麗に咲き始めたのはメイアンのレッド レオナルド ダ ヴィンチである。
   ピンクのレオナルド ダ ヴィンチの枝変わりでイングリッシュローズばりのロゼット咲きで、咲きはじめはそのように見えないが、陽に映えると美しい。
   
   

   ほんのりとしたピンクで匂うように美しい中輪のバラが、タンタウのハンス ゲーネバイン。
   数々の賞を取ったと言う新しいバラだが、今年買った6号鉢植えで、まだ、木が小さいので、よけいにそう思うのかも知れないが、本当に美しい。
   一目惚れしたマドンナと言う心境かも知れない。
   
   
   

   黄色いバラが、一輪だけ咲いた。
   京成バラ園芸の快挙である。
   白いバラのレッチフィールド エンジェルは、まだ、蕾が固いが、並べると映えるかもしれない。
   オレンジがかったディズニーローズも、開き始めた。
   
   

   まだ、ベルサイユの薔薇など、蕾の堅いバラも残っているのだが、わが庭のバラは、開花が大分遅いようである。
   
   
   
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鎌倉便り・・・江の島を歩く(2)

2015年05月16日 | 鎌倉・湘南日記
   江の島に綺麗な植物園があると聞いていたのだが、迂闊にも、あのような小山のような島に広い空間が取れるかどうか信じられなかったので、実際に、サムエル・コッキング苑に行って見て、一寸、驚いた。
   広くはないが、非常に手入れの行き届いた雰囲気の良い庭園なのである。
   
   

   英国の貿易商サムエル・コッキングが、明治初期に別荘を建築し、その時に造った大庭園が、この素晴らしい植物園だと言うのである。
   水道設備がなかったのでレンガ造りの大規模な温室設備を建設したとかで、苑内ににその遺構が残っていて公開していて、興味深い。
   
   
   

   初期に植えられた藤沢市の天延記念物であるシマナンヨウスギやクック島に自生すると言うクックアロアカリア(スギの種類であろう)の巨木が、異彩を放っていて素晴らしい。
   私はキューガーデンに住んでいたので、イギリス人のガーデニング好きに加えて、プラントハンター趣味と言うか博物学に対する思い入れが強いので、コッキングの庭園造形の意図も分かるような気がする。
   藤沢市が手を入れているので、どこまでが、コッキングのオリジナルか分からないが、かなり、特異な植物園である。
   
   
   
   
   

   バラ園は、カナダのウィンザー市よりのようであるが、苑内には、椿園があって、かなり多くの種類の椿が植えられていて、春には壮観であろうと思う。
   私は、椿が好きなので、来年から訪れるのが楽しみである。
   一輪だけ咲いていたのが、紀州司と言う椿であった。
   江の島の固有種の椿があると言うことだが、園内での自然交配によるものであろうと思う。
   フレンチラベンダーが花盛りで、蜂が飛び回っていた。
   
   
   
   
   

   もう一つ興味深いのは、ヤシの木が宿木になっていて、椿の木が生えていて花を咲かせていることである。
   大きな木は、藪椿が根基に絡みついていて一体となっているが、他の小さな木は途中で、幹が出ている。
   椿だけではなく、他の植物が生えている宿木が結構あって面白い。
   
   
   

    チグハグと言うか、藤沢市との友好都市昆明から寄贈された四阿(あずまや)や孔雀像があって、違和感を感じた。
    この植物園は、かなり高台で、江の島シーキャンドルと言う展望塔があるのだが、富士方面の遠望が良く利かなかったし、興味もなかったので、上らずに帰った。
   雰囲気のあるレストランやカフェ―もあって、数時間、喧噪を離れて憩うのに良いところかも知れないと思う。
   
   
   
   
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国立劇場五月文楽・・・二代目吉田玉男襲名披露公演「一谷嫩軍記」

2015年05月15日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   口上と襲名披露狂言「一谷嫩軍記」が上演される第一部の方は、全日満員御礼で、大変な熱気である。
   歌舞伎のように襲名する本人の挨拶なり口上がないのが、何となく寂しい感じだが、初代および二代目の玉男一門が、ずらりと列座した舞台は壮観である。

   嶋大夫など代表者の口上は、先月の大阪の舞台と殆ど同じで、くだけた口調の出てくる歌舞伎や落語などの襲名披露と比べて、非常にまじめと言うべきであろうか。

   さて、和生が、初代玉男は、非常に研究熱心で、色々工夫を重ねらてきており、今回上演の「一谷嫩軍記」の藤の局が、「熊谷やらぬ」のところを変えたと聞いていると語っていた。
   このところは、「人形有情」で、玉男が詳しく語っており、今回、二代目の舞台も、これを思い出しながら見せて貰った。
   それまでは、藤の局が、右手で刀を持ってトンと床に突いて立て、それを熊谷が、刀の鐺(鞘の尻部分)をつかんで、藤の局を取り押さえていたのだが、わざとらしいので、
   藤の局は、刀を左手で持って左腰に当てて進み出て、そこを、熊谷が局の足を払うと局は前のめりになり、左腰に当てていた鐺が上がるので、その鐺を熊谷が掴んで、局を取り押さえることにしたのだと言う。
   

   「曽根崎心中」「天満屋の段」で、忍んできた徳兵衛を、お初が裲襠の内に隠して店の中に入れて、縁の下に隠して、お初が独り言で徳兵衛に死ぬ覚悟を問う時に、お初の足を喉に当てて、死ぬ覚悟を示すシーンは、あの白い足が必須だが、二代目栄三は、(足は)ゼッタイ出せんと反対したのを、玉男が、足をつらずに足だけ着物の裾から出させた、と言うのは有名な話である。

   玉男は、弥陀六を良く遣っていたようだが、「播州一国・・・」で右手を出すのやが、左手から出したり、・・・毎日、弥陀六で遊んでるみたいや、と語っており、原則としてどの役も同じ使い方をしていたが、融通が利かない芸風ではなかった。
   簑助も、玉男の工夫について語っている。
   ”「曽根崎心中」で、最後にご一緒した時、楽日に、「天満屋の出のところはこないしようと思うんやけど」と、1000回以上された役でも常に考え、微調整をされ、より完成度をもとめられる姿には頭が下がりました。”

   さて、今回の「一谷嫩軍記」だが、先月に書いたので端折るが、
   ”「・・・十六年も一昔。夢であったなあ」と、ほろりとこぼす涙の露。”
   このシーンは、やはり、感動的である。
   僧衣に身を包んで熊谷が、すっくと正面に立って、右手に数珠を握りしめて、兜を前にして、やや、上手方向に顔を傾けて中空を仰ぎながらの述懐である。
   その後、兜を愛おしむように左手に持ち上げて目をやるのは、武士としての生涯への悔恨と名残りであろうか。
   その後、弥陀六が、「長居は無益」と立ち上がって、義経に向かって、この敦盛が残党を駆り集めて、恩を仇で返すようになれば、どうするのだと持ちかけると、「天運次第怨みを請けん」と応え、熊谷や弥陀六の反応も、夫々興味深い。

   ところで、史実においては、後白河法皇は、義経にとっては恩ある人物であるから、この物語のように、院の胤である敦盛の命を助けよと言う設定もあながちおかしくはないのだが、どんどん窮地に追い込まれて行き、最後に、実子小太郎を身替りにせざるを得なかった熊谷の立場に立てば、居た堪れないであろう。
   この舞台で、一番話したくない妻相模に真実を語らざるを得なくなり、まして、小太郎殺害の模様を敦盛の最後に擬して仕方話で語らなければならない苦衷、そして、義経の前で、忠義に準じたばかりに人生最悪の現実を、小太郎の首との対面でたたき付けられるこの修羅場、・・・玉男は、淡々と、熊谷を遣っているように見えるが、心の中では慟哭しているのであろう。
   悲壮な修羅場を通り抜けてきて、結局見たのが空しい自分の生きざま、・・・それが、十六年も一昔。夢であったなあ。と言う言葉に凝縮されている。

   玉男の熊谷、和生の相模、勘十郎の藤の局、玉也の弥陀六、玉輝の義経など、最高の布陣の人形遣い。
   それに増して舞台を盛り上げているのは、咲大夫と燕三、文字久大夫と清介の義太夫と三味線の名調子であり、その感動的な素晴らしさであろう。
   浄瑠璃の世界が、これ程までに豊かに物語を紡ぎ出すことが出来るのか、縦横無尽に人形を躍らせて創り出すパーフォーマンス・アーツの極致のような舞台に感服である。
   次の写真は、NHKで放映された映像のスナップを2ショット、国立劇場の幟。
   
   
   
   
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トマト・プランター栽培記録2015(4)・・・アイコ結実する

2015年05月14日 | トマト・プランター栽培記録2015
   アイコとイエローアイコの第一花房が、少しずつ結実し、大きいのは小豆大くらいまで成長してきた。
   主幹は、第4まで花房がつき、第2の副幹の方も、第2花房が現れて来ている。
   かなり、アイコの成長は早いので、もう少しすれば、2メートルくらいの支柱を立てて誘引しようと思っている。
   
   

   ティオクックは、中玉トマトなので、苗木の時とは様変わりで、かなり、枝葉がしっかりと成長して来て、やっと、一番花が開花し始めた。
   先に植えたこのティオクック苗とアイコ苗の根元に、化成肥料を施した。
   

   ところで、先日の台風擬きの大風で、何本かのトマト苗の主幹が、途中から折れてしまった。
   大玉トマトのこいあじや、ミニトマトのハニーイエローなど、かなり、大きくなっているので、そのまま残して栽培しようと思っているのだが、脇芽を殆ど落としてしまっているので、それが伸びるのを待つのに時間がかかりそうである。
   
   

   タキイから、虹色トマト苗 セット(5月前期)とマイクロトマト・おとぎのくに苗(5月前期)が届いたのでプランター植えした。
   虹色トマトは、トロカデロ、エトランゼ、イライザ、イエローピコ、プリュネル、小桃、ピグマリオンと言った7種類のミニトマトのセットで、一度植えたことがあり、出来は夫々ながら、形も色も違っていて面白いので、マイクロトマトとともに、孫向けに植えてみることにした。
   マイクロトマトは、小豆大の小さなトマトが、沢山出来るので、花代わりとして利用できるので、面白い。
   
   

   タキイに注文していた「ミニトマト・リモーネドルチェ」は、生産途中に生育不良となり、届けられなくなったと、届け時期になって、キャンセルしてきた。
   HPを見ると、「品切・完売致しました。」となっているのは、どう言うことか。
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