日本では、年末になるとコンサート・ホールで、ベートーヴェンの第九が演奏される。
昨日も、NHK交響楽団がアシュケナージ指揮の第九が、BSで放映された。
随分以前に、プロムの時のアルバート・ホールでアシュケナージが、ベルリンラジオ響を指揮した第九を思い出したが、あの時は、ロンドンで欧米の国際会議があって、メイジャー首相やパウエル長官等各国のトップが沢山来ていた。
ところで、この日本での第九ブームは、黒柳徹子さんの話によると、彼女の父上がN響の前身のコンマス時代に、音楽家の生活が苦しくて、年越しの餅を買う為に始めた演奏会が定着して広まったのだとか。
最近では、本場のドイツでも、何故か真似をして、年末に、第九が演奏されると聞く。
しかし、独墺では、大晦日に、シュトラウスの「こうもり」で笑い飛ばして新年を迎えるのが慣わし。
ウイーン国立歌劇場で一度だけ経験があるが、タキシードとイブニング・ドレスで正装した紳士淑女が集い集まり、中々の壮観。休憩の時に、華麗な劇場の中を、綺麗に着飾ったカップルが腕を組んで何故か一列に並んで歩いていたが、旅先である私とアメリカのビジネスマンだけ背広姿で、一寸違和感を感じながらシャンパンをすすりながら横目で見ていた。
私が始めて第九を聴いたのは、大阪万博で来日したヘルベルト・フォン・カラヤン指揮のベルリン・フィルハーモニーの演奏会である。
幸いにも大阪に居たので切符を取得できたのだが、感激的な経験であった。
別な日の演奏会で、カラヤンが第五番「運命」を指揮中に、激しいアクションで、指揮棒が折れて吹っ飛んでしまって、その後、バトンなしで華麗な指揮を始めた。
あの頃までは、カラヤンは指揮棒を持って、目を開いて指揮をしていたのである。
余談だが、まだまだ、あの頃は日本のオーケストラの水準は低くて、私は本物を聴きたくて外来オーケストラが来日すれば無理をして出かけて行った。
バーンスティン指揮のニューヨーク・フィル、ショルティ指揮のウイーン・フィル、アンセルメやミュンシュ、セルも聴きに行った。
ところで、第九の演奏時間であるが、シャルル・ミュンシュの59分から、朝比奈隆の82分まで長短まちまちだと聴いた事がある。
下手なオーケストラだと、長くなると、第一楽章と第二楽章が、煩わしくなる。
今回のレニングラード国立管だが、やはり、音楽の都と言ってもキーロフ・オペラやザンクトペテルブルグ・フィルと比べれば随分差があり、それなりの演奏であったが、第三楽章あたりから調子が出始めて、歓喜の歌に入ると素晴しく歌い始めた。
バスのアレクサンドル・マトヴァーエフの「オー・フロイデ・・・」の第一声から響き渡る朗朗たる歌声はやはりロシアの大地の声で、ソプラノのマリーナ・トレグボヴィッチ、アルトのナタリア・ビリュコーワ、テノールのドドミトリー・カルポフとも歌手陣は素晴しい声を聞かせてくれた。
初めてだったが、バックのTCF合唱団が、また、素晴しい歌声を披露してくれた。
指揮のアンドレイ・アニハーノフだが、エネルギッシュで体全体で音楽を表現しているような指揮ぶり、エグモント序曲と第九を無難にこなしていた。
好きだけで続けてきた私の音楽鑑賞遍歴も長くなったが、やはり、第九は何時聴いても素晴しい。
これだけでも、ベートーヴェンの人類への貢献ははかり知れないと思っているが、アムステルダム・コンセルトヘヴォーやフィラデルフィア管、ロンドン交響楽団等あっちこっちで聴いた第九が思い出として残っていて、その時々の自分をふっと思い出すよすがともなっている。
アバード指揮ベルリン・フィルの第九合唱交響曲のDVDを聴いて今年を締めくくろうと思っている。
(追)写真は、無関係のNYPOのもの。
昨日も、NHK交響楽団がアシュケナージ指揮の第九が、BSで放映された。
随分以前に、プロムの時のアルバート・ホールでアシュケナージが、ベルリンラジオ響を指揮した第九を思い出したが、あの時は、ロンドンで欧米の国際会議があって、メイジャー首相やパウエル長官等各国のトップが沢山来ていた。
ところで、この日本での第九ブームは、黒柳徹子さんの話によると、彼女の父上がN響の前身のコンマス時代に、音楽家の生活が苦しくて、年越しの餅を買う為に始めた演奏会が定着して広まったのだとか。
最近では、本場のドイツでも、何故か真似をして、年末に、第九が演奏されると聞く。
しかし、独墺では、大晦日に、シュトラウスの「こうもり」で笑い飛ばして新年を迎えるのが慣わし。
ウイーン国立歌劇場で一度だけ経験があるが、タキシードとイブニング・ドレスで正装した紳士淑女が集い集まり、中々の壮観。休憩の時に、華麗な劇場の中を、綺麗に着飾ったカップルが腕を組んで何故か一列に並んで歩いていたが、旅先である私とアメリカのビジネスマンだけ背広姿で、一寸違和感を感じながらシャンパンをすすりながら横目で見ていた。
私が始めて第九を聴いたのは、大阪万博で来日したヘルベルト・フォン・カラヤン指揮のベルリン・フィルハーモニーの演奏会である。
幸いにも大阪に居たので切符を取得できたのだが、感激的な経験であった。
別な日の演奏会で、カラヤンが第五番「運命」を指揮中に、激しいアクションで、指揮棒が折れて吹っ飛んでしまって、その後、バトンなしで華麗な指揮を始めた。
あの頃までは、カラヤンは指揮棒を持って、目を開いて指揮をしていたのである。
余談だが、まだまだ、あの頃は日本のオーケストラの水準は低くて、私は本物を聴きたくて外来オーケストラが来日すれば無理をして出かけて行った。
バーンスティン指揮のニューヨーク・フィル、ショルティ指揮のウイーン・フィル、アンセルメやミュンシュ、セルも聴きに行った。
ところで、第九の演奏時間であるが、シャルル・ミュンシュの59分から、朝比奈隆の82分まで長短まちまちだと聴いた事がある。
下手なオーケストラだと、長くなると、第一楽章と第二楽章が、煩わしくなる。
今回のレニングラード国立管だが、やはり、音楽の都と言ってもキーロフ・オペラやザンクトペテルブルグ・フィルと比べれば随分差があり、それなりの演奏であったが、第三楽章あたりから調子が出始めて、歓喜の歌に入ると素晴しく歌い始めた。
バスのアレクサンドル・マトヴァーエフの「オー・フロイデ・・・」の第一声から響き渡る朗朗たる歌声はやはりロシアの大地の声で、ソプラノのマリーナ・トレグボヴィッチ、アルトのナタリア・ビリュコーワ、テノールのドドミトリー・カルポフとも歌手陣は素晴しい声を聞かせてくれた。
初めてだったが、バックのTCF合唱団が、また、素晴しい歌声を披露してくれた。
指揮のアンドレイ・アニハーノフだが、エネルギッシュで体全体で音楽を表現しているような指揮ぶり、エグモント序曲と第九を無難にこなしていた。
好きだけで続けてきた私の音楽鑑賞遍歴も長くなったが、やはり、第九は何時聴いても素晴しい。
これだけでも、ベートーヴェンの人類への貢献ははかり知れないと思っているが、アムステルダム・コンセルトヘヴォーやフィラデルフィア管、ロンドン交響楽団等あっちこっちで聴いた第九が思い出として残っていて、その時々の自分をふっと思い出すよすがともなっている。
アバード指揮ベルリン・フィルの第九合唱交響曲のDVDを聴いて今年を締めくくろうと思っている。
(追)写真は、無関係のNYPOのもの。