毎年、晩秋に催される相曽賢一朗のヴァイオリン・リサイタルには、欠かさずに出かけている。
若い頃には、世界の偉大な演奏家が来日すると、オイストラッフやリヒテルをはじめ、必ずコンサートに出かけていたし、欧米が長かったので、クラシック音楽の名演奏やオペラ鑑賞には、ドップリと浸かった生活を送ってきたが、最近では、都響の定期やMETライブビューイング&+αくらいで、室内楽も、相曽賢一朗のリサイタルくらいになってしまった。
ウィーン・フィルやベルリン・フィルやコンセルトヘボーが揃って来日していたようだが、ヨーロッパで聴きこんできたので、まあ、良いかと言う心境である。
その分、能狂言、歌舞伎・文楽など日本の古典芸能の鑑賞が多くなっている。
相曽のデュオ・リサイタルで、パートナーのピアニストは、代わっているのだが、いずれにしろ、相曽賢一朗のリサイタルである。
今回の相曽賢一朗vn&佐藤彦大pデュオ・リサイタルのプログラムは、
●ベートーヴェン…ヴァイオリン・ソナタ第8番
●バルトーク…ルーマニア民俗舞曲
●ファリャ…アンダルシア幻想曲
●バルトーク…ヴァイオリン・ソナタ第2番
●ラヴェル…ツィガーヌ
相曽賢一朗が、ロンドンのロイヤル・アカデミー・オブ・ミュージックに入学が決まって、キューガーデンのわが家を訪れたのは、もう、殆ど30年前のことで、その後、欧米各地のみならず、世界中を駆け回っての音楽行脚であるから、随分、成熟した素晴らしいヴァイオリニストに成長して、感嘆冷めやらない。
相曽のリサイタルを聴いていていつも感じるのは、日本在住のクラシック音楽演奏家とは違った、欧米の空気や土の香りが濃厚に漂いながらも、実に美しいサウンドに、日本人としての、何とも言えない優しさ温かさを感じることである。
ヴァイオリン協奏曲は、楽譜を立てて演奏しているが、その他の民族色の濃厚な曲の時には、今回、アンコールで弾いたファリアなのかどうか分からなかったが、フラメンコ風の曲などもそうだが、相曽は、暗譜で、緩急自在に、朗々と奏でる。
相曽の身体に畳み込まれた土俗性さえ浮かび上がる。
フラメンコ一つにしても、バルセロナ、グラナダ、マドリード等々、ほんの僅かな距離の差においても、かなり違っており、それは、フランスのワインや、ドイツのビール、日本の地酒のように、ローカル色を濃厚に体現していて、その差が実に素晴らしいのだが、
相曽のサウンドには、その国その国のムードと国民気質さえ感じさせる豊かな感受性が迸り出ているように感じて聴いている。
一本筋金の通った豊かな日本気質に裏打ちされ、それに、ロンドンで、正統かつ本格的なクラシック音楽を収めた相曽だからこそ抽出できる隠し味だと思っている。
私には、音楽のことは良く分からないが、バルトークの故国ハンガリーには、何度か訪れており、プラハの美しさとともに、東欧のサウンドの違いは、ムードの差としても、何度か感じているし、スペインの粋なサウンドも、そうだが、相曽のヴァイオリンを聴いていると、何故か、無性に、ヨーロッパの風景が、懐かしく蘇ってくるのである。
ジプシーヴァイオリンのように、暗譜で、何の衒いも迷いもなく、美しいサウンドを奏で続けられるのは、30年近くも、ヴァイオリン一つで、アメリカとイギリスをベースにして、世界中の音楽を執拗に渉猟し続けてきた相曽の真骨頂であろう。
相曽がロンドンで勉強し始めて、暫くして、帰国したので、ロイヤル・アカデミーを首席で卒業したとか、その後のイギリスでの活躍は知らなかったが、1997年秋から毎年開催されている相曽のリサイタルには、ロンドンで相曽ファンになった面々と同窓会を兼ねて楽しみに出かけている。
ロンドンで、相曽をコンサートに誘ったのは、
ハンプトン・コート宮殿でのホセ・カレーラス・リサイタル、
ニューヨーク・フィルのコンサート、ブラームスの二重協奏曲が印象的
ロイヤル・オペラ:ベートーヴェンの「フィデリオ」
何故か、一度も音楽の話をしたことがないのだが、年輪を重ねた相曽の音楽行脚や、ヨーロッパなど旅の思い出を、ゆっくりと話す機会があればと思っている。
末筆になってしまったが、若き俊英のピアニスト佐藤彦大の素晴らしい演奏は特筆もの。
ファリャの「アンダルシア幻想曲」のサウンドの凄さ素晴らしさは、圧倒的で、ピアノが小さく見える程の熱演。
すたすたと登場したかと思うと、何の迷いもなく、ピアノを奏で始めたが、同じように座るなりピアノを叩いたたネルソン・フレアを思い出した。
兄貴をちらちら見上げながらの熱演、相曽と互角に対峙した素晴らしいデュオ・リサイタルであった。
若い頃には、世界の偉大な演奏家が来日すると、オイストラッフやリヒテルをはじめ、必ずコンサートに出かけていたし、欧米が長かったので、クラシック音楽の名演奏やオペラ鑑賞には、ドップリと浸かった生活を送ってきたが、最近では、都響の定期やMETライブビューイング&+αくらいで、室内楽も、相曽賢一朗のリサイタルくらいになってしまった。
ウィーン・フィルやベルリン・フィルやコンセルトヘボーが揃って来日していたようだが、ヨーロッパで聴きこんできたので、まあ、良いかと言う心境である。
その分、能狂言、歌舞伎・文楽など日本の古典芸能の鑑賞が多くなっている。
相曽のデュオ・リサイタルで、パートナーのピアニストは、代わっているのだが、いずれにしろ、相曽賢一朗のリサイタルである。
今回の相曽賢一朗vn&佐藤彦大pデュオ・リサイタルのプログラムは、
●ベートーヴェン…ヴァイオリン・ソナタ第8番
●バルトーク…ルーマニア民俗舞曲
●ファリャ…アンダルシア幻想曲
●バルトーク…ヴァイオリン・ソナタ第2番
●ラヴェル…ツィガーヌ
相曽賢一朗が、ロンドンのロイヤル・アカデミー・オブ・ミュージックに入学が決まって、キューガーデンのわが家を訪れたのは、もう、殆ど30年前のことで、その後、欧米各地のみならず、世界中を駆け回っての音楽行脚であるから、随分、成熟した素晴らしいヴァイオリニストに成長して、感嘆冷めやらない。
相曽のリサイタルを聴いていていつも感じるのは、日本在住のクラシック音楽演奏家とは違った、欧米の空気や土の香りが濃厚に漂いながらも、実に美しいサウンドに、日本人としての、何とも言えない優しさ温かさを感じることである。
ヴァイオリン協奏曲は、楽譜を立てて演奏しているが、その他の民族色の濃厚な曲の時には、今回、アンコールで弾いたファリアなのかどうか分からなかったが、フラメンコ風の曲などもそうだが、相曽は、暗譜で、緩急自在に、朗々と奏でる。
相曽の身体に畳み込まれた土俗性さえ浮かび上がる。
フラメンコ一つにしても、バルセロナ、グラナダ、マドリード等々、ほんの僅かな距離の差においても、かなり違っており、それは、フランスのワインや、ドイツのビール、日本の地酒のように、ローカル色を濃厚に体現していて、その差が実に素晴らしいのだが、
相曽のサウンドには、その国その国のムードと国民気質さえ感じさせる豊かな感受性が迸り出ているように感じて聴いている。
一本筋金の通った豊かな日本気質に裏打ちされ、それに、ロンドンで、正統かつ本格的なクラシック音楽を収めた相曽だからこそ抽出できる隠し味だと思っている。
私には、音楽のことは良く分からないが、バルトークの故国ハンガリーには、何度か訪れており、プラハの美しさとともに、東欧のサウンドの違いは、ムードの差としても、何度か感じているし、スペインの粋なサウンドも、そうだが、相曽のヴァイオリンを聴いていると、何故か、無性に、ヨーロッパの風景が、懐かしく蘇ってくるのである。
ジプシーヴァイオリンのように、暗譜で、何の衒いも迷いもなく、美しいサウンドを奏で続けられるのは、30年近くも、ヴァイオリン一つで、アメリカとイギリスをベースにして、世界中の音楽を執拗に渉猟し続けてきた相曽の真骨頂であろう。
相曽がロンドンで勉強し始めて、暫くして、帰国したので、ロイヤル・アカデミーを首席で卒業したとか、その後のイギリスでの活躍は知らなかったが、1997年秋から毎年開催されている相曽のリサイタルには、ロンドンで相曽ファンになった面々と同窓会を兼ねて楽しみに出かけている。
ロンドンで、相曽をコンサートに誘ったのは、
ハンプトン・コート宮殿でのホセ・カレーラス・リサイタル、
ニューヨーク・フィルのコンサート、ブラームスの二重協奏曲が印象的
ロイヤル・オペラ:ベートーヴェンの「フィデリオ」
何故か、一度も音楽の話をしたことがないのだが、年輪を重ねた相曽の音楽行脚や、ヨーロッパなど旅の思い出を、ゆっくりと話す機会があればと思っている。
末筆になってしまったが、若き俊英のピアニスト佐藤彦大の素晴らしい演奏は特筆もの。
ファリャの「アンダルシア幻想曲」のサウンドの凄さ素晴らしさは、圧倒的で、ピアノが小さく見える程の熱演。
すたすたと登場したかと思うと、何の迷いもなく、ピアノを奏で始めたが、同じように座るなりピアノを叩いたたネルソン・フレアを思い出した。
兄貴をちらちら見上げながらの熱演、相曽と互角に対峙した素晴らしいデュオ・リサイタルであった。