熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

相曽賢一朗vn&佐藤彦大pデュオ・リサイタル

2019年11月30日 | クラシック音楽・オペラ
   毎年、晩秋に催される相曽賢一朗のヴァイオリン・リサイタルには、欠かさずに出かけている。
   若い頃には、世界の偉大な演奏家が来日すると、オイストラッフやリヒテルをはじめ、必ずコンサートに出かけていたし、欧米が長かったので、クラシック音楽の名演奏やオペラ鑑賞には、ドップリと浸かった生活を送ってきたが、最近では、都響の定期やMETライブビューイング&+αくらいで、室内楽も、相曽賢一朗のリサイタルくらいになってしまった。
   ウィーン・フィルやベルリン・フィルやコンセルトヘボーが揃って来日していたようだが、ヨーロッパで聴きこんできたので、まあ、良いかと言う心境である。
   その分、能狂言、歌舞伎・文楽など日本の古典芸能の鑑賞が多くなっている。

   相曽のデュオ・リサイタルで、パートナーのピアニストは、代わっているのだが、いずれにしろ、相曽賢一朗のリサイタルである。

   今回の相曽賢一朗vn&佐藤彦大pデュオ・リサイタルのプログラムは、
   ●ベートーヴェン…ヴァイオリン・ソナタ第8番
   ●バルトーク…ルーマニア民俗舞曲
   ●ファリャ…アンダルシア幻想曲
   ●バルトーク…ヴァイオリン・ソナタ第2番
   ●ラヴェル…ツィガーヌ

   相曽賢一朗が、ロンドンのロイヤル・アカデミー・オブ・ミュージックに入学が決まって、キューガーデンのわが家を訪れたのは、もう、殆ど30年前のことで、その後、欧米各地のみならず、世界中を駆け回っての音楽行脚であるから、随分、成熟した素晴らしいヴァイオリニストに成長して、感嘆冷めやらない。

   相曽のリサイタルを聴いていていつも感じるのは、日本在住のクラシック音楽演奏家とは違った、欧米の空気や土の香りが濃厚に漂いながらも、実に美しいサウンドに、日本人としての、何とも言えない優しさ温かさを感じることである。
   ヴァイオリン協奏曲は、楽譜を立てて演奏しているが、その他の民族色の濃厚な曲の時には、今回、アンコールで弾いたファリアなのかどうか分からなかったが、フラメンコ風の曲などもそうだが、相曽は、暗譜で、緩急自在に、朗々と奏でる。
   相曽の身体に畳み込まれた土俗性さえ浮かび上がる。
   フラメンコ一つにしても、バルセロナ、グラナダ、マドリード等々、ほんの僅かな距離の差においても、かなり違っており、それは、フランスのワインや、ドイツのビール、日本の地酒のように、ローカル色を濃厚に体現していて、その差が実に素晴らしいのだが、
   相曽のサウンドには、その国その国のムードと国民気質さえ感じさせる豊かな感受性が迸り出ているように感じて聴いている。
   一本筋金の通った豊かな日本気質に裏打ちされ、それに、ロンドンで、正統かつ本格的なクラシック音楽を収めた相曽だからこそ抽出できる隠し味だと思っている。

   私には、音楽のことは良く分からないが、バルトークの故国ハンガリーには、何度か訪れており、プラハの美しさとともに、東欧のサウンドの違いは、ムードの差としても、何度か感じているし、スペインの粋なサウンドも、そうだが、相曽のヴァイオリンを聴いていると、何故か、無性に、ヨーロッパの風景が、懐かしく蘇ってくるのである。
   ジプシーヴァイオリンのように、暗譜で、何の衒いも迷いもなく、美しいサウンドを奏で続けられるのは、30年近くも、ヴァイオリン一つで、アメリカとイギリスをベースにして、世界中の音楽を執拗に渉猟し続けてきた相曽の真骨頂であろう。

   相曽がロンドンで勉強し始めて、暫くして、帰国したので、ロイヤル・アカデミーを首席で卒業したとか、その後のイギリスでの活躍は知らなかったが、1997年秋から毎年開催されている相曽のリサイタルには、ロンドンで相曽ファンになった面々と同窓会を兼ねて楽しみに出かけている。

   ロンドンで、相曽をコンサートに誘ったのは、
   ハンプトン・コート宮殿でのホセ・カレーラス・リサイタル、
   ニューヨーク・フィルのコンサート、ブラームスの二重協奏曲が印象的
   ロイヤル・オペラ:ベートーヴェンの「フィデリオ」
   何故か、一度も音楽の話をしたことがないのだが、年輪を重ねた相曽の音楽行脚や、ヨーロッパなど旅の思い出を、ゆっくりと話す機会があればと思っている。

   末筆になってしまったが、若き俊英のピアニスト佐藤彦大の素晴らしい演奏は特筆もの。
   ファリャの「アンダルシア幻想曲」のサウンドの凄さ素晴らしさは、圧倒的で、ピアノが小さく見える程の熱演。
   すたすたと登場したかと思うと、何の迷いもなく、ピアノを奏で始めたが、同じように座るなりピアノを叩いたたネルソン・フレアを思い出した。
   兄貴をちらちら見上げながらの熱演、相曽と互角に対峙した素晴らしいデュオ・リサイタルであった。
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国立能楽堂・・・狂言「鐘の音」・能「橋弁慶」

2019年11月28日 | 能・狂言
   この日22日の国立能楽堂の公演は、
   令和元年度(第74回)文化庁芸術祭協賛 ◎演出の様々な形
   狂言 鐘の音  茂山 千三郎(大蔵流)
   能  橋弁慶 笛之巻  観世 喜正(観世流)
   来月も同じ演目で、他流派の違った演出を演じようとする「演出の様々な形」の公演。

   狂言「鐘の音」は、アド主に、千作がキャスティングされていたが、惜しくも逝去されたので、千五郎に代わった。
   息子の成人祝に、黄金の熨斗付けの太刀を作るために、鎌倉へ行って、金の値を聞いて来いと言われた太郎冠者が、鐘の音と勘違いして、鎌倉の名刹の鐘の音を聴いて帰ってきて、頓珍漢な報告を仕方話で演じると言う愉快な狂言。
   とにかく、太郎冠者の千三郎の芸が細かくて、実に上手い。
   鎌倉の鐘だが、この大蔵流では、五大堂、寿福寺、極楽寺、建長寺だが、和泉流では、寿福寺、円覚寺、極楽寺、建長寺。
   それに、この曲では、仲裁人が登場して、中に入るのが面白い。

   今回の能「橋弁慶」で、興味深かったのは、観世流にしかない小書き「笛の巻」と言う演出である。
   別な記事で引用させて頂いたので、再録するが、粟谷の会によると、
   ”通常の前場と様相がガラリと変わり、前シテが常磐御前、ワキが羽田秋長となり、ワキが牛若の千人斬りを常磐御前に伝えます。常磐御前は牛若を呼び、涙を流して悲しみ、弘法大師伝来の笛を渡して牛若を諭します。牛若は母の仰せに従い、明日にも寺へ登って学問に励むと約束して、今宵ばかりは名残の月を眺めて来ると出かけます。しかし実際には五条で月を見ると言いながらも、謡では「通る人をぞ待ちにける」と、最後の相手を待ち望んでもいる・・・”と言うことになって、
   このストーリー展開だと、通常の能の舞台に、すんなりと話が繋がるので、小書き「笛の巻」のかたちの方が、本曲の原型ではないかと言われている。
   また、「笛の巻」が、観世流のレパートリーに入ったのは明治期で、小書の扱いになったのは昭和で、それ以前は、「笛の巻」の形は、本曲とは別の作品と言う扱いであったと、「能を読む」では述べている。

   この舞台では、前シテ常盤御前は、三の松近くに鎮座して牛若に対峙して、牛若への説教は、橋掛かりで演じられていた。
   五条の橋の上で、千人切りをしていたのは、弁慶だとか、牛若丸だとか言われているのだが、この舞台では、牛若丸が、常盤御前に説教されているのだから、人切りは、当然、牛若丸であろう。
   まして、切り納めだと言って、説教の後、五条へ行って弁慶と対決するのだから、鞍馬では勉強もせずに武術修行ばかりに明け暮れていたのであろう。

   私は、「笛の巻」の演出は初めて観たので、非常に興味深かった。
   「橋弁慶」の上演が比較的少ないのだが「笛の巻」の上演は、国立能楽堂では、2000年8月、2010年12月の2回なので、私が能楽堂へ通い始める以前のことであったのである。
   
   後シテ武蔵坊弁慶の観世喜正の格調高い舞いに、子方牛若丸の長女観世和歌の初々しく爽やかな舞の流れるような調和が、感動的であった。
   能の義経は、殆ど子方で登場するのだが、西国下向へ大物浦から船出した「船弁慶」などと違って、この「橋弁慶」は、少年期の牛若丸なので、子方にとっては、格好の舞台なのであろう。
   
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小一時間の鎌倉散歩

2019年11月27日 | 鎌倉・湘南日記
   久しぶりに、所用で、鎌倉市役所に出かけて、次の予約まで、空き時間が1時間半あったので、外に出た。
   近くのスターバックスで、時間つぶしをしようと思って道を渡ったら、「鎌倉あんぱん」の看板が目に入った。
   京都の学生時代には、ぜんざいを食べるために、あっちこっち行っていたので、甘いものは嫌いではない。
   スターバックスは、何時もの雰囲気なので、別に目新しくも何もないし、小一時間を過ごすので、丁度窓際にイートイン形式の椅子が見えたので、店の中に入った。
   鎌倉あんぱんを2個とホットコーヒーを注文して席に座った。
   このあんぱんは、普通の小豆のこし餡だけではなく、甘いミルククリームと二重層になっていて、微妙な甘さを醸し出していて美味しいし、その発想が面白い。
   
   このパン屋リトル・マーメイドは、前を、銭洗い弁天への観光客が通るのだが、この市役所通りは、鎌倉駅の東側や小町通りと比べて、格段に人通りが少ないので、どうも、地元の客で持っている感じである。
   日本の観光地が、中国人など外国人観光客の食べ歩きで随分荒れているようだが、鎌倉では、食べ歩き禁止条例があるのかないのか知らないが、その影響も考えられよう。
   こじんまりしたパン屋のイートインなので、少し小休止して、店を出た。
   
   
   

   小一時間残っているので、椿が咲いているだろうと思って、駅の向こうの大通りに出て、大巧寺に向かった。
   この大巧寺は、別名「おんめさま」とも呼ばれる安産祈願の寺で、私には、境内に色々と植えられている銘椿の花に感心があるのである。
   これまで、本堂正面には、長い間覆いをかけて修復工事が行われていたが、奇麗になっていた。
   
   

   さて、境内の椿だが、咲いていたのは、大神楽と花大臣。
   
   
   
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わが庭・・・曙椿咲き始める

2019年11月26日 | わが庭の歳時記
   ピンクの大輪椿の曙が咲き始めた。
   苗木を買って間もないので、まだ、1メートル弱の幼木だが、結構、蕾を付けており、色づき始めている。
   比較的成長の早い木で、千葉の庭では、3メートル近くの大株になって、華やかに咲き乱れていたので、もう一度、同じような空間を鎌倉の庭でも再現しようと思ったのである。
   この椿は、匂うように美しい大輪のピンクの花を咲かせるのだが、如何せん、花弁が非常に繊細で、何かの拍子に、すぐに傷がついて可哀そうな姿になるのが難である。
   切り花を活けようとすれば、木の奥の方の痛みのない花を選ぶことになる。
   幸い、一番花は、無傷で開花した。
   
   
   
   

   今、咲いているのは、タマグリッターズと荒獅子。
   タマグリッターズは、すぐ花弁が落ちるのだが、次から次に咲き続ける。
   荒獅子は、花の寿命が長くて、そのまま、留まってくれるのが良い。
   わが庭には、小菊くらいで、草花を植えていないので、冬の庭は寂しい。
   フルグラントピンクが、もうすぐに、咲きだしそうで、小さなありが頻繁に訪れている。
   
   
   
   
   
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国立劇場…11月歌舞伎「孤高勇士嬢景清― 日向嶋」

2019年11月25日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今月の国立劇場は、吉右衛門主演の通し狂言「孤高勇士嬢景清― 日向嶋」。
   9月の文楽「嬢景清八嶋日記」の、謂わば、歌舞伎バージョンである。
   通し狂言なので、文楽の「花菱屋の段」と「日向嶋の段」の前に、「鎌倉大倉御所の場」と「南都東大寺大仏供養の場」が加わって、景清と頼朝との絡みが良く分かる。

   国立劇場HPを借用すると、
   平家を滅亡させて権力を掌握した源氏の大将・頼朝は、平家によって焼き払われた奈良・東大寺の大仏殿を再興し、秩父庄司重忠ら家臣と共に落慶供養に臨む。そこへ、頼朝の命を狙う景清が斬り込むが、頼朝は、平家への忠誠を貫く景清を称え、自分に仕えるよう説得する。景清は、頼朝の仁心に感じつつも、源氏へ従うことを潔しとせず、二度と復讐をしない証に両目を刺し貫き、立ち去る。
   一方、幼少の時に景清と別れた娘の糸滝は、父が盲目となって零落し、日向国に暮らすと聞き、駿河国手越の宿の遊女屋・花菱屋に身を売った金を携えて、肝煎の左治太夫を伴い、 景清の許を訪ねる。景清は、頑なに頼朝への帰順を拒み続けていました。しかし、糸滝の献身的な愛情を知り、激しく苦悩するが、頼朝に帰順し、鎌倉へ向かう。

   感動的なシーンは、左治太夫が、景清に、官を取らせるために、糸滝が身を売って工面した金だと言うわけには行かないので、大百姓に嫁いで舅が提供した金だと言ったので、何故、百姓の嫁になった、食えなくなればなぜ死なぬ、武家の身分を全うしなかったことに激怒して、あざ丸の名剣を投げ与えて追い返すのだが、書置きで、糸滝が身を売ったことを知って、愕然自失、船を戻せと、半狂乱になって慟哭する命の叫び。
   分かれの悲痛に泣き崩れる糸滝を、邪険に追い帰した景清は、糸滝らの船が見えなくなると、船影を追って、今叱ったのは間違いであった、夫婦仲良く暮らせよと叫ぶ、ふつふつと目覚めた親心を思うと、その断腸の悲痛はいかばかりか、
   千両役者吉右衛門の頭を掻きむしって振り乱し、地団太を踏む慟哭の悲痛、先の人形浄瑠璃のどこか人間離れをした景清とは違った、人間国宝吉右衛門の生身の愁嘆場の凄さ烈しさは、想像を絶する迫力。

   この景清も、最後には、付きつ離れつ監視していた鎌倉からの目付の説得と糸滝の孝心とに心を打たれて、勧めに応じて、鎌倉への船に乗る。
   文楽では、控えめな船出であったが、この歌舞伎では、一気に舞台が変わって明るくなり、舞台中央に、豪華に飾った巨大な宝船のような船がスポットライトを浴びて、その舳先に、威儀を正した景清が鎮座し、右に糸滝に寄り添われて、目付や随身たちが居並ぶと言う華やかさ。
   平家女護島では、平家物語と同様に、俊寛は一人孤島に取り残されると言う悲劇に終わっているが、この日向嶋の景清は、ハッピーエンド。
   景清については、史実がはっきりとしていないので、どうでも良いのだろうが、やはり、剛直で、平家でも傑出した豪傑忠臣であった景清であったから、取ってつけたような、ハッピーエンドは、似つかわしくないと思う。
   まして、凱旋将軍のように豪華絢爛たるいでたちで、景清を荘厳するようなラストシーンは、私には、違和感以外の何物でもない。

   もう一つ、日向嶋で、大切にして、命日には合掌して菩提を弔っていた重盛の位牌を鎌倉への船旅で海中へ投じるシーン。
   頼朝に復讐しないと言う証に、両眼を刺し貫いた程信義に熱い景清であるから、当然、鎌倉への転身で、平家との絆を切る道具立てとしては、格好の小道具なのであろうが、景清なら、こんなことをやる筈がないと思うので、蛇足だと思って観ていた。

   さて、この舞台は、歌六や又五郎をはじめとした播磨屋の面々やその所縁の役者、東蔵や雀右衛門や錦之助などの吉右衛門一座でお馴染みの名優たちの出演で、実に充実した舞台で、国立劇場バージョンの秀山祭と言った位置づけであろうか。
   勿論、吉右衛門を観に行く芝居だが、とにかく、役者が揃っていて、非常に素晴らしい舞台であった。
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コンビニが本屋に、そして、無休の無人書店

2019年11月24日 | 経営・ビジネス
   日本人の読書離れが激しくて、リアル店舗の書店が、どんどん潰れている。
   今日、インターネットを叩いていたら、産経新聞の面白い書店関係の記事が、2件見つかった。

   まず、”コンビニが「読者」を呼び込む 書店が減少する中、読書ニーズを掘り起こせるか”
   出版不況やネット販売の台頭に伴い、本を実際に手に取って買える書店が減少する中、コンビニがお客と本を結びつける場として注目を集め始めている。限定本の発行、書棚の設置、書店との協業…。コンビニは新たな読書ニーズを掘り起こせるか。(加藤聖子)と言うのである。

   セブン-イレブンでは、10月にセブン&アイグループ限定で販売するオリジナル新書(セブン&アイ出版)を創刊した。
   ローソンでは、書籍専用の棚がある店を続々と増やしている。
   ファミリーマートでは、書店との一体型店舗を24時間営業で展開し、コンビニ部分と書店部分に仕切りはなく、イートインスペースなども備える。等々

   また、産経デジタルでは、”えっ、盗まれないの? 無人の古本屋は、なぜ営業を続けられるのか”
   三鷹駅から徒歩15分ほどのところにある、無人古本屋「BOOK ROAD」
   ちょっとユニークな古本屋で、商店街に面した店舗の広さは、たったの2坪。4つの棚が並んでいて、そこに500冊ほどの本が並んでいる。普通の書店にはスタッフがいて、レジが置いてある。しかし、この店には誰もいなくて、レジも置いていない。24時間営業で、扉にはカギもない。
   300円と500円のカプセルトイ本体が設置されていて、本の後ろに価格が記されているので、値段分のカプセルを購入すれば、会計は終わり。と言うわけである。
   質の悪い有象無象の来るところではなく、本を愛する上客だけが来る場所を選んだので、24時間開けっ放しでも、店に殆ど訪れなくても、盗難などなくて、黒字経営だと言うのである。
   神田神保町の古書店で、店頭のワゴンから、本を数冊抜いて、そのまま、通り過ぎた若者がいたが、こんな所で出店してはダメなのであろう。

   また、先日、”入場料を取る書店が大はやり“と言う記事も目に付いた。
   閉店した青山ブックセンターの跡地に「文喫」という新しい書店がオープンし、店の入口で1500円+消費税を払うと、バッジが渡され、入店できる。
   空間的にゆったりとした余裕があるカフェ、といった感じで、営業時間は朝9時から夜11時まで。本は読み放題。コーヒーは無料で、食事もでき、何時間でも滞在できる。
   店内には3万冊の蔵書がある。新刊だけではない。
   休日には10人以上が入店待ちという人気店で、多い日には200名ほどが来店。滞在時間は平均3~4時間。来店客の4割が書籍を購入し、これは通常店舗の4倍であり、さらに客単価は通常店舗の3倍である。入場料、飲食料、本の売り上げを全部合わせると、収支が取れているという。
   文喫は出版取次で最大手の日本出版販売(日販)のグループ会社が運営している。と言うから、文句なしの新しいビジネスモデルである。
   書店の価値の本質は、「それまで知らなかった知識との偶然の出合い」である。知らなかった知識との偶然の出合いは、過去の購買履歴を基にしたネット販売のリコメンド機能では決して得られない。だから、私たちは書店に行くと知的好奇心がくすぐられ、どこかワクワクする。そして、本に囲まれた環境に居心地のよさを感じ、長居したくなる。
入場料を取る書店・文喫が目指したことは、まさにリアル書店への原点回帰なのだ。
   と、この記事の作者永井 孝尚さんは、言う。

   閉店したジュンク堂新宿店の店長が、
   「リアル書店が果たさなければならない役割がある。『こんな本があります』という提案型の売り場作りや、実際に本を見て選んでもらえるのは、リアル書店だからこそです」と言う。
   また、北海道の某書店が、予算に見合った客の希望を見つくろって本を選んで、客に提供する手法で成功していると言う記事もあった。

   要するに、活字離れ本離れで、本の出版が半減して、リアル書店が、どんどん、市場から消えていく時世では、並みの書店経営をしていては生き残って行けないと言うことで、いかなる努力をしてでも、客に魅力のある書店空間を提供すべく知恵を絞らなければならないと言うことであろう。

   さて、私の感想だが、ニューヨーク紀行で書いたように、今世紀のはじめに、5番街のバーンズ&ノーブルには、スターバックスが併設されていて、店内に、読書空間もあり、結構、工夫がこらされていたが、これはこれとして、ボストンのバーンズ&ノーブルは、殆ど旧態依然で、魅力がなく、結局、アマゾンの追撃にあって惨憺たる経営状態になった。
   前述のリアル書店の新しいビジネスモデルも、斬新さが売り物で、当座は、人気が出ても、本質的に読書ファンへの魅力創出に寄与するとは思えないので、一過性に終わるような気がする。

   アメリカに居た時には、私は、ブッククラブに入っていて、毎月、新刊の推薦本から選ぶと同時に、膨大な本の品揃えの中から、本を選んで買っていたが、定価よりかなり安かった。
   それに、留学先のペンシルバニア大学には、立派なブックショップがあって、買ったのは専門書が多かったので、本の選定には、何の苦労もなかった。 
   それに、学生割引もあったし、アメリカでは、ベストセラーでも、新刊は割引価格だったので、助かった。
   アマゾンがなかった時代なので、リアル書店が総てであったが、古書店を訪れたのは、ロンドンに移ってからで、随分後のことである。

   これまでにも書いたが、書店が力を入れている推薦本や特設コーナーなど、全く信用していないし、権威が推薦する本であっても興味はないので、あくまで、我が道を行く自己流の読書行脚を続けており、ベストセラーにも興味はない。
   本当に本が好きなら、自分自身で本の中を、必死に泳がなければならないのだと思っている。
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吉田蓑助と山川静夫 花舞台へ帰ってきた。―脳卒中・闘病・リハビリ・復帰の記録

2019年11月22日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   吉田蓑助と山川静夫の、脳卒中・闘病・リハビリと言った予期せぬ人生の挫折を克服して、花舞台へ帰ってきた復帰の記録で、吉田蓑助と山川静夫 花舞台へ帰ってきた。―脳卒中・闘病・リハビリ・復帰の記録で、非常に興味深い。

   簑助は、65歳まで運動とは全く無縁であったのだが、リハビリを始めてから、毎日一日も欠かさず運動を続けている。
   リハビリのために入院した有馬温泉病院では、理学・作業・言語療法の三本立てで、一番辛かったのは、「言語訓練」で、失語障害は、話す機能だけではなく、読む、書く、聞く機能も落ちるので、文字を見るのさえ苦痛で、「ヨ・シ・ダ・ミ・ノ・ス・ケ」と言えた時には、思わず涙をこぼしたと言う。
   2003年、一番弟子簑太郎の勘十郎襲名披露の時に、「三代目・桐竹勘十郎をよろしくお願いいたします」とだけ、不自由な声で言ったのを聞いた時には、私自身も感激し、聴衆は拍手万来で応えたのを覚えている。
   毎日、マシンやダンベルを使っての筋トレとストレッチ、水中歩行などの3時間、それに、家の裏山を歩くこと2時間、その姿の写真が掲載されていて、病床で、勘十郎から渡され握りしめろとアドバイスされたソフトボールに、「足遣いからでもいいから、もう一度舞台に復帰したい」と言う一念で書いた、たどたどしい足と言う字の滲んだぼこぼこになったボールを今も大切に持っているようだが、このボールの写真が苦闘のすべてを物語っている。
   幸い、簑助復帰後、暫く、先代玉男が健在であったので、玉男・簑助黄金コンビの至芸を楽しむことが出来て幸せだと思った。
   玉男が逝った後、簑助が、仮名手本忠臣蔵の舞台で、大星由良助を遣った時には、大きな時代の流れを感じて、簑助健在の喜びを感じた。

   この本では、第2章の「リハビリ交信」で、二人の闘病時期の往復書簡が掲載されていて興味深い。

   私に興味深かったのは、第3章の「わが師わが友」。
   簑助は、文五郎に入門して部屋子として同居していたが、文楽の人形遣いには、主遣い、左遣い、足遣いと三人の分業で完結していて、独立した役柄の修行など成立せず、三人の「呼吸」が要求され、自分で沢山の経験を積むしか道がなく師匠は何も教えてくれない。
   ところが、師匠のおかみさんがやっていた「文の家」と言うお茶屋の二階に住んで居たので、頻繁に出入りする芸鼓たちの煙管に煙草の葉を詰める仕草など、女性たちの立ち居振る舞いが、その後の芸の手本になって大いに役に立ち、弟子たちに「芸は見て覚えろ」と口を酸っぱくして言っているのだと言う。

   「新口村」の舞台で、紋十郎の足遣いしていた自分が、忠兵衛を遣うことになって、紋十郎の梅川を、位負けして、しっかり抱き寄せられなくて、「抱くのや、抱かんか!」と怒鳴られたと言う話も、簑助でさえそうかと思わせて面白い。

   このパートで興味深いのは、文楽人形制作者の大江巳之助との交友録と、人形の首への思い入れとその秘密の開陳。
   それまで、天狗弁や天狗久の作った名作と言う首があるが、その首では、昭和、平成の文楽には合わず、文楽と言う伝統芸能は、時代の流れに沿って、観客と舞台の三業と共に流れていて、今の時代の観客や、太夫の声、人形遣いの演技には、大江巳之助の首しか合わないのだと言う。
   これは、世阿弥の頃の面もあると言う、歴史と伝統のある名作の古面を珍重する能狂言とは違った、文楽の古典芸の特質を語っているようで非常に興味深い。

   人形遣いは、自分の人形には熟知しているが、自分では遣っている人形の顔は見えない。自分の遣った人形の首を撮った写真を見て、演じていた以上に哀れさなどを表現していて、自分ながらビックリする。これは、大江巳之助の首のなせる業だと言う。

   平成9年に巳之助は逝った。
   「大江の前に大江なく、大江の後に大江なし」と結んでいる。

   簑助の話だけで、レビューが終わったしまったが、この本は、山川静夫が主体で構成したようで、山川静夫についても、勿論、非常に興味深い話が綴られている。
   観客の一人として、山川静夫と同じような視点で、見ているような気もしたので、簑助だけの印象記にとどめた。
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成城石井での解せない客サービス

2019年11月21日 | 経営・ビジネス
   日刊工業新聞のニュースイッチに、「スーパー苦戦の中、なぜ成城石井は業績を伸ばしているのか?」が掲載されていた。
   成功戦略や戦術について書かれていたが、それは、それとして、気になったのは記事の最後に、「いろいろな業態から出店要請が寄せられるが、「年間で出店できるのは13―15店程度。拙速に増やすつもりはない」と説明する。店を取り仕切る店長が、簡単には育成できないからだ。」と書いてあって、その「店を取り仕切る店長が、簡単には育成できないからだ。」と言う部分で、店長の問題である。

   昨年の年末になるから、1年ほど前の話になるが、小売店舗の店長とも思えないような客あしらいを受けたので、「店長が簡単に育成できない」と言う問題、勿論、この記事は、店舗を有効にマネッジできる有能な店長と言うことであろうが、極卑近な客あしらいに絞って、私自身の苦い経験を記してみたい。

   午後遅くだが、買い物をしても、何時もなら大丈夫だと時間を見計らって、店舗に入って商品を持ってレジに並んだ。
   次のバスに乗らないと、保育園の孫娘を時限内にピックアップできなくなるので、まず、「すみません、次のバスに乗りたいので、手早くレジをお願いします」といった。
   問題はここからで、男性店員はブスっとして、「いらっさいませ」どころか終始無言。
   出したクレジットカードを、長い間、微動だにせずに無言で眺め続けて、裏表確かめて、鬼の首でも取ったような顔をして(私には、そう見えた)、「カードにサインがないので、サインをしてください」。
   今まで、100回以上、毎週のように来店していて、サインなど確かめられたことなど、一度もないので、その旨を言って、急ぐんだから今日はいいだろうと言ったら、「規則ですから」と言って許さない。
   このルミネカードは、このショッピングビルの全店で使用されていて、どこの店でもカード上のサインなどチェックされたことは一度もなく、殆ど明細にサインさえ求めない、それに、私はクレジットカードを受けた時には必ずサインをしているので、位置を間違えて、カード上部の空白にサインをしていて、穴が開くほど凝視していたのであるから、それは、店員にも分かっていた筈なのである。
   仕方なく、差し出されたマジックペンでサインを始めたら、書き古しのペンで、穂先は完全に潰れていて、クレジットカードは、字など見えない程真っ黒で無残な状態になってしまった。
   とにかく、レジが終わって商品を渡してくれたので、ここで、無駄な時間をロスをしたので、バス停に急いだが、バスは出てしまっていた。
   勿論、この店員は、「有難うございました」と言う筈もなく、無言で嫌な奴をやり過ごしたと言う体で、明細も領収書さえも渡さなかった。
   次のバスに乗って保育園に駆け込んだが、案の定、2歳の孫娘は、保育園のロビーで、帰りそびれた保育士に抱かれで、べそをかいて泣いていた。

   この店は、夜11時まで開いていて、私自身治まらなかったので、10時ごろ、電話をしたら、男性店員が電話口に出たので、殆ど女性店員ばかりの店なので、本人だろうと思って話すと、やはり、本人で、何故、あんな嫌がらせをしたのかと聞いたら、ほぼ、事実だけを認めて名前を言ったので、電話を切った。

   翌朝、店長に実情を話そうと思って電話したら、お休みだと言う。

   次の日、偶々、東京に行く用事があったので、店に寄って、女性店員に、店長に会いたいと言って来意を告げた。
   しばらくしたら、本人が出てきた。店長だったのである。
   「何故、徹頭徹尾、嫌がらせをしたのだ。」と問い詰めたら、「すみません」の一言。
   「これまで、毎週一回としても、5年以上だから、200回はこの店に来ている勘定で、カードのサインなどチェックされたことは一度もない。」と言ったら、「教育が行き届きませんで」と、ピント外れの上司ずらをしたので、これでは、駄目だと思って、店を出た。

   勿論、私自身も、時間に余裕がないのに、成城石井によって買い物をして、出鼻で、無理を言って、店員の感情を害したと言う問題など、反省すべき問題は多々あると思っている。
   しかし、店の方針かどうかは知らないが、謝らないと言うことはともかくとして、客のクレイムに対して、真摯に対応さえ出来ないと言うのは、サービス業、接客業の小売店としては、どうかと思っている。
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METライブビューイング・・・「トーランドット」

2019年11月19日 | クラシック音楽・オペラ
   METライブビューイングの新シーズンが始まった。
   開幕は、フランコ・ゼフィレッリ演出の豪華絢爛たる舞台であるプッチーニの「トーランドット」であるから、いやがうえにも盛り上がる。

   指揮:ヤニック・ネゼ=セガン
   演出:フランコ・ゼフィレッリ
   出演:
   トーランドット:クリスティーン・ガーキー、
   カラフ:ユシフ・エイヴァゾフ、
   リユー:エレオノーラ・ブラット、
   ティムール:ジェイムズ・モリス

   トーランドットは、昨年、「ワルキューレ」で、ブリュンヒルデを歌って圧倒的な実力を示したパワフルな美声を誇るアメリカのドラマティック・ソプラノ・クリスティーン・ガーキー。
   今、輝いているアメリカ人のソプラノは、ルネ・フレミングだが、パンチの利いた凄い歌手は、レオンタイン・プライスにしろ、最近亡くなったジェイシー・ノーマンにしろ、黒人歌手だったが、デボラ・ボイトに次ぐスーパースタートして、大いに期待すべき歌手であろう。

   カラフは、あのアンナ・ネトレプコの夫君だと言う ユシフ・エイヴァゾフ、
   アゼルバイジャン出身で、ここまで上り詰めるのに20年かかったと言っていたが、気象学者であった父の跡を継いで本人も最初は気象学者になったが、学生フェスティバルで脚光を浴びて、バクー・ミュージック・アカデミーに進学して、すぐに、イタリアへ遊学して、フランコ・コレッリやジーナ・ディミトローバの教えを受けたと言うから、オペラ教育の本道を歩いてきたのである。
   イタリアで賞を得て、ラダメスなどキャリアを積むうちに、転機が来たのは、2010年、ボリショイ劇場に、トスカのカヴァラドッシに招待された時で、
   ネトレプコと共演したのは、2014年2月、ローマで、リカルド・ムーティ指揮のマノン・レスコーの時であり、そのすぐ後に、二人は結婚している。
   また、METへのデビューは、3年前で、この同じカラフで登場しており、評判は定着しているのである。
   この放映の日は、憧れのパバロッティの誕生日なので、彼に捧げるべく歌うと言っていたが、流石に、ネトレプコが認めた凄いテナーで、澄み切ったパワフルな甘いボイスが観客を魅了し、「寝てはならない Nessun dorma」で最高潮に達する。

   リューを歌ったイタリアのソプラノ:エレオノーラ・ブラットは、実に上手くて、清楚で美しい。
   1幕目の「お聞きください、王子様 Signore, ascolta!」、3幕目の自害直前に歌う「氷のような姫君も Tu che di gel sei cinta」のアリアの素晴らしさなどは、天国からの歌声のように美しく、涙が出るほど感動した。
   私は、オペラで、このリューとカルメンのミカエラが、最も好きな女性である。

   ティムールは、ジェイムズ・モリスは、METで40年も歌っていると言うが、このMETかコベントガーデンで、何度か聴いているので、懐かしい。
   ヴォータンで令名を馳せた名優だが、実に渋い味を出して好演。

   指揮のヤニック・ネゼ=セガンは、まだ、2回目だが、ジェイムズ・レヴァインを継いだと言うから、大変な逸材なのであろう。
   2年間通い詰めたフィラデルフィア管弦楽団と来日したのだが、残念ながら行けなかった。

   さて、留学の時か、出張の時か、何時だったか忘れたが、METで、フランコ・コッレリのカラフで、トーランドットを観た記憶がある。当然、舞台は、フランコ・ゼフィレッリの演出であった。
   最も印象深いトーランドットは、あのロメオとジュリエットの舞台であるベローナの巨大なローマ時代の野外劇場での壮大な舞台。記録をなくしたので、他のキャストは忘れてしまったが、カラフはホセ・クーラであった。
   いずれにしろ、最も沢山見ているのは、ロンドンのコベントガーデン:ロイヤル・オペラで、観劇の時に買ったプログラムを見ると、
   1987年5月に、エヴァ・マルトンのトーランドット、フランコ・ボニソリのカラフ、
   1990年9月に、ジーナ・ディミトローバのトーランドット、ウラジミール・ポポフのカラフ、
   1990年10月に、ガリーナ・サヴォーバのトーランドット、ニコラ・マルチヌッチのカラフ、  
   両方とも、指揮は、コリン・デービスであった。

   さて、幸い、私の手元には、2016年METライブビューイングの、キャストは違うのだが、同じフランコ・ゼフィレッリ演出のトーランドットの録画が残っている。
   明日、ゆっくりと観直そうと思っている。
   
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わが庭・・・椿・ピンク加茂本阿弥、荒獅子咲く

2019年11月18日 | わが庭の歳時記
   濃緑の艶々した葉に凛とした白一重の加茂本阿弥は、茶花として代表的な風格のある花だが、わが庭の加茂本阿弥は、枝替わりのピンク。
   単純な白花よりも、淡いピンクの美しさに魅かれて苗木を買って、千葉の庭から移植して、門扉横の副木として育ててきて、沢山の花を咲かせてくれるようになった。
   曙椿と同じように、豪華で華やかだが、花弁が繊細で弱いので、無傷の状態で開花するのは、非常に少ない。
   蕾がほころび始めると、雌蕊が先に顔を覗かせるのが、愛嬌があってよい。
   
   
   
   

   長く硬い蕾であった荒獅子が、やっと、花を開いた。
   獅子咲きの大輪椿で、バリエーションがあるようだが、わが椿は、紅荒獅子であろうか。
   
   
   
   

   もう一つ咲いているのが、寒椿。
   この椿は、山茶花との交雑種であるから、椿と言うよりも、山茶花だが、樹高が低く日陰にも強くて、庭木のアレンジに重宝する。
   私は、葉が一枚ずつ散る山茶花が、あまり好きではなく、山茶花を一本も植えたことはないのだが、この寒椿だけは、大切にしている。
   
   

   バラは、イングリッシュローズのモリニュー。
   
   
   
   
   今、咲き乱れているのは、タマグリッターズ。
   一時は、花が乱れたので、廃却を考えたことがあるのだが、今では、玄関わきの主木となって、楽しませてくれている。
   丁寧に育てるべきだと反省をしている。
   小輪椿のフルグラントピンクが、色づき始めた。
   
   

   紅葉だが、期待していた柿の錦繡など、先の台風で葉が全部落ちてしまい、モミジも無残な状態になっているので、今年のわが庭は、期待できそうにない。
   小さな木なので、ブルーベリーが、紅葉を見せてくれている。
   
   
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都響定期C・・・インバルのショスタコーヴィチ

2019年11月17日 | クラシック音楽・オペラ
   この日の都響C定期公演は、次の通り。 

   指揮/エリアフ・インバル
   ヴァイオリン/ヨゼフ・シュパチェク
   曲目
   ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン協奏曲第1番 イ短調 op.77
   ショスタコーヴィチ:交響曲第12番 ニ短調 op.112 《1917年》
   アンコール(ヴァイオリン)イザイ無伴奏ヴァイオリンソナタ 
       第2番より第2楽章 田舎の踊り

   すべて、初めて聞く曲であった。
   もう半世紀以上になるが、私が学生の頃のクラシックコンサートでは、ショスタコーヴィチの曲がプログラムに載ることなど皆無に近く、ヨーロッパに居て聴いた前世紀の後半のヨーロッパの著名楽団のコンサートでも、殆ど記憶にない程だが、インバルの演奏で、熱狂する都響の観客を見ていると、まさに、今昔の感である。
   マーラーでは、ブルーノ・ワルターから、レナード・バーンスタインの系譜で、聴く機会が多かったが、昔は、ベートーヴェンやブラームスなど馴染みの曲でないと客を集められず、ブルックナーなどの長大な交響曲などは埒外であったし、ショスタコーヴィチなどは論外であった。
   曲そのものが変わったわけではなく、やはり、聴衆の嗜好が変わったと言うことであろうか。
   詳述は避けるが、クラシック音楽の曲目に対してもそうだが、指揮者や楽団、ソリストなどに対する感覚も、欧米と日本では、かなり違っているのを実感してきている。

   ヴァイオリン協奏曲第1番は、1948年に作曲されたのだが、共産党中央委員会による偏向的なジダーノフ批判が始まったので、発表されたのは、7年後で、スターリン死後、初演は1955年10月29日、エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー交響楽団で、ヴァイオリン独奏はダヴィッド・オイストラフだったと言う。
   ムラビンスキーは、フィラデルフィアで、レニングラードフィルの演奏を聴き、オイストラッフは、宝塚歌劇場でのコンサートなどを聴いているので、間接的ながら、私と同じ時代の曲なのである。
   特に異質感なく聴いていたが、交響曲のような雰囲気で、ソロヴァイオリンが、休むことなく殆ど演奏しているのが印象的であった。
   楽章の最後に置かれた長大なカデンツァが実に印象的で、高揚すると、ティンパニの一撃によって第4楽章「ブルレスク」(アレグロ・コン・ブリオ)へ流れこむ壮大な盛り上がりは強烈であった。民俗舞踏風のリズムが粗野なまでの生命力を発散させる、自由なロンド形式の終曲。と言うことだが、
   ヴァイオリンのヨゼフ・シュパチェクの素晴らしくエネルギッシュで流麗なボーイングが、観客を魅了する。
   チェコ・フィルのコンサート・マスターから転身したソロだと言うことだが、テクニックが凄いので、聴きごたえ十分である。
   アンコールも手抜きなし。

   交響曲第12番 ニ短調は、1917年のウラジーミル・レーニンによる十月革命(ロシア革命)を扱っている曲だと言う。
   当局の体制に迎合した作品と見做されたために作品の評価は低く、演奏会機会も少ないと言うのだが、私には、大仰過ぎて感興が乗らず、インバルがタクトを下ろして、舞台から消えた直後に席を立ったので、観衆の熱狂ぶりは分からない。

   芸術劇場を出ると、広場で、西池袋公園関連行事で、ブラスバンドが、「花が咲く」を演奏していた。
   その後、聖者の行進などジャズの演奏をしたので聴いていた。
   聖者の行進だと、何十年も前に、ニューオーリンズのプリザベーション・ホールでのスイート・エンマ楽団の演奏を思い出した。
   何故か、リクエストで、この聖者の行進だけは、料金を取って、それも、1ドルだった。
   誰もが聴きたかったのは、名にしおう老婦人エンマと数人の黒人楽師の奏でる聖者の行進だったのであろう。
   狭い小屋の土間に置かれた数列の床几にかけた観客の後ろにはたくさんの人、
   こんなにジャズが美しくて感動的であったのを感じたのははじめてであったので、バーンスティンが、入れ込んだも分かった気がした。
   
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国立演芸場・・・国立名人会:小三治の「粗忽長屋」

2019年11月16日 | 落語・講談等演芸
   私としては、久しぶりの国立名人会鑑賞である。
   トリが小三治であるから、チケット取得は至難の業。ネット販売開始後2~30秒間の勝負で得たチャンスであるから、貴重な機会なのである。
   当日のプログラムは、次の通り。
   

   前の小菊の粋曲に、久しぶりに新鮮な驚きを感じたと語って、
   「そそっかしい」とは、英語でどう言うか、フランス語なら、あるかもしれない。と語り始めた。
   本日のお題は、「粗忽長屋」なので、そそっかしい主人公が登場する。
   小三治師匠は、そそっかしいのには2種類あって、まめでそそっかしいのと、不精なそそっかしいとがあると言って、用件も何も聞かずに郵便局へ突っ走る者や、風呂へ行くのに手ぬぐいを頼むが頓珍漢な話などを語りながら、面白かったのは、
   兄弟子が、いつも怒られているので、起死回生、この時とばかりに、師匠に、「上着を取ってくれ」と言われたのを、何を勘違いしたのか、上着を「ウナギ」と間違えて、勇んで「鰻」を取ったと言う話。
   私など、こんな話が好きで、師匠も言っていたが、そそっかしいには、思いやりや何か含みがあって暖かいものが宿っている感じがするのだが、今のように、ギスギスした世の中より、遥かに幸せであただろうと思う。

   さて、「粗忽」だが、広辞苑によると、次の通り。
   ①あわただしいこと。あわただしく事を行うこと。毎月抄「―の事は必ず後難侍るべし」
   ②軽はずみなこと。そそう。軽率。浄瑠璃、国性爺合戦「鉄砲はなすな―すな」。「―をわびる」
   ③ぶしつけなこと。失礼。狂言、米市「ちかごろ―な申しごとながら」
   【粗忽者】そそっかしい人。
   【粗忽長屋】落語。浅草で行き倒れを見た八っつぁんが、それを同じ長屋の熊さんと思い込む。八っつぁんに連れられて死骸を引き取りに来た熊さんも、死体と自分の見分けがつかなくなるという話。と言う丁寧な説明もある。

   大辞林には、
   (1)軽はずみなこと。注意や思慮がゆきとどかないこと。また,そのさま。「―な人」
   (2)不注意なために起こったあやまち。そそう。
   【粗忽者】そそっかしい人。あわてもの。

   この「粗忽長屋」の八っつぁんも熊さんも、そそっかしいと言うよりも、「思慮がゆきとどかない」あほとちゃうかと言う人間離れした天然記念物のような人物で、奇想天外なstory展開を編み出した作者に脱帽である。
   とにかく、行き倒れを見た八っつぁんが、隣に住む熊さんに違いないと確信して、本人に見せて確認しようと長屋へ引き返して、お前は粗忽ものだから死んだことさえ分かっていないと、無理やり現場に連れてきて、やってきた熊五郎も困惑してしまって、仏を抱き上げて、「抱かれているのは確かに俺だが、抱いている俺は一体誰だろう?」

   そそっかしいを普通に英語で言うと、careless、thoughtless
   しかし、日本語とは、大分ニュアンスが違う。
   それに、そそっかしい人を辞書で引くと、scatterbrain
   馴染みのない単語なのだが、日本語の「そそっかしい」にしても、シチュエーションによって、色々なニュアンスや色合いがあるので、英語でも、一単語で表現できるはずもなかろう。
   まして、この落語「粗忽長屋」に登場する八っつぁんや熊さんのように、ネジが何本か飛んでしまってタガの外れた常識さえ持ち合わせていない人物の粗忽ぶりは、日本語でも、到底、説明は勿論、適切な表現など出来う筈がない。

   とにかく、八っつぁんの言うこと、考えていることは、それなりに理屈も筋も通っているので、これを、常識人の役人が受け答えして、また、同様にタガの外れた熊五郎を説得するあたりの、畳みかけるような語り口など絶妙で、このあたりの人間国宝の語り口、芸の冴えは流石で、理屈抜きで引き込まれて行く。

   Youtubeを見ると、小さん、談志、小三治、と言った師弟の「粗忽長屋」が、見られる。
   同じストーリー展開だが、この録画では、小三治は、まくらが長すぎて、前段を端折って、行き倒れとの出会いから話をし始めて短縮して、10分くらいで終えていたが、今回の高座は、30分十分に語り切った。
   ところで、小さんと談志の録画を聴いていて、両師匠とも、独特なクセと言うか個性が滲み出ているのだが、私には、小三治師には、そのようなクセなりアクの強さなどは全くなくて、緩急自在の心地よいテンポで、ストレートと言うか正攻法の語り口で、非常に爽やかで楽しめるのである。

   今、日経の新聞小説が、伊集院静の「みちくさ先生」。
   主人公は、夏目漱石で、落語が好きで、子供の時から寄席に通い詰めていたと言う。
   私の場合には、クラシック音楽、オペラ、歌舞伎と文楽、能と狂言と行脚を続けて、そして、何十年も経って、やっと、落語や講談にたどり着いた。
   最近は、面白くなってきたので楽しみである。
   漫才は、上方漫才で、もう、半世紀以上前からだが、大阪へ行く機会が減って、吉本にも縁遠くなってしまった。
   今では、同じ行くなら、花月よりも、国立文楽劇場になってしまう。
   
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常用メガネを紛失すると大変

2019年11月14日 | 生活随想・趣味
   私は近眼なので、学生時代から眼鏡を掛け続けている。
   ところが、このメガネが、ある日、忽然と消えてしまった。

   私の場合、常用メガネと、パソコン用の中距離用メガネと、読書用の近距離用メガネの3本を使用している。
   以前に、遠近両用メガネを使っていたのだが、二兎を追おうもの一兎を得ずで、上手く行かなかったので止めて、3つを使い分けているのである。

   ところが、問題は、常用メガネで、所謂、遠くようなので、近くのものをを見る時には、用を足さない。
   私の場合には、裸眼でも、近距離は問題なく見えるので、近くを見たり字などを読む時には、眼鏡をはずす。
   無意識に、眼鏡を外して所かまわずに置いて、それに、裸眼であっても、それ程支障なく見えて、多少のことなら、眼鏡なしでも過ごせるので、次の動作に移って、ついそのままにして忘れてしまうことがある。
   従って、メガネを探すのに、右往左往するのは、日常茶飯事なのである。

   ところが、朝起きて、いつもの机の上を探しても、何処を探してもメガネは出てこない。
   大体、何時ものメガネを置きそうなところを探してもなく、何処に置いたのか、その記憶さえ全くない。
   何日か、探したが出てこず、外出などには、それ程不自由はなかったので、裸眼で過ごしていたが、見えると言っても、メガネをかけたようには見えず、特に、テレビなどを見ている時には、ハッキリとせず面白くない。
   前の古いメガネを使ってみたが、やはり、パッとしない。

   目がはっきりと見えないと言うことは、目だけではなく、極端に言えば、モノを考えたり頭の回転もボケてくると言うか、五感そのものの感覚も、視覚のようにボケてきて、何事もすっきりとせず、明確さに欠けてくる。
   人間、五感が満足に機能してこそ、一人前なのである。

   当然、行くべきとところはメガネ店。
   早い方が良い。

   何時ものメガネ店に行って、新調した。
   これまで、外国も含めて、随分、あっちこっちのメガネ店を行脚して、メガネを作ってきたが、最近では、いいか悪いか分からないが、便利な場所にあるメガネ量販店Zoffに行っている。
   店で、値段の高いフレームと、グレードアップしたレンズを選べば、まず、問題ないと思っている。
   何日か待って受け取り、かけて見たら、良く見えるし、気分は雲泥の差。

   しかし、今回は、年寄り臭くて敬遠していたが、メガネチェーンと言うか、ストラップと言うか、メガネの蔓に紐を掛けて、使わないときには、首からぶら下げることにした。
   外出の時には、読書用のメガネと入れ替えに利用するので、ケースを持って居れば必要ないので、家庭用の紐である。
   メガネを外すのは、外での作業の時や、風呂か就寝の時くらいなので、これは、決めたところに必ず置けばよいという習慣を付ければよい。
   しかし、いずれにしろ、不便のすべては、歳の所為。

   蛇足ながら、メガネ店で、解せないのは、レンズ込みでフレームの価格が設定されていることで、これまで、何度か、フレームが壊れて、同じ店で、フレームだけ変えてくれと言ったら、レンズ込みの全額を請求されて、フレームだけでは売ってくれなかった。
   レンズが只と言うわけではないので、これは、欲しくもない物を買わせる抱き込み販売であって、独占禁止法違反ではないかと思っているが、複数の量販店でもそうであったので、常態なのであろうと思う。
   NikonやHoyaは、どう思っているのであろうか。
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ベネチアで記録的な高潮、サンマルコ大聖堂も浸水被害

2019年11月13日 | 地球温暖化・環境問題
   AFPが、”水の都ベネチアで記録的な高潮、サンマルコ大聖堂も浸水被害 ”と報じている。
   イタリア・ベネチア(Venice)は12日夜、過去50年以上で最高水位の高潮に見舞われた。潮の監視センターによると、今回の「アクアアルタ(Acqua alta、イタリア語で高潮の意味)」の水位は最高で187センチに達し、記録がある1923年以降、1966年の194センチに次ぐものとなった。海抜が低い地域にあるサンマルコ広場(St Mark's Square)は特に影響が大きく、同広場にあるサンマルコ大聖堂(St Mark's Basilica)は入り口付近が水に漬かった。と言うのである。

   口絵写真は、AFPBB Newsからの借用だが、サンマルコ広場が水浸しになっており、朝日新聞の報道では、
   ”最も標高の低いところにあるサンマルコ寺院は、12日の高潮で深刻な被害を受けた。伊紙レプブリカ(電子版)によると、寺院入り口近くの柱廊では高さ70センチまで浸水し、大理石の柱や建物のれんがが被害を受けた。「1200年の歴史で6度目」という深刻な被害で、同寺院を担当する国の財物管理官は「水が引いた後も残る塩害が心配だ」と懸念する。”と報じている。
   AFP記事の写真を借用させてもらうと、高級ホテルも水浸しである。
   

   サンマルコ大聖堂のHPを見れば、
   On Wednesday November 13 2019 St. Mark’s Basilica and Bell Tower will open at 1:00 p.m. due the high tide.と書いてあるのだが、こんな時にもオープンしているのであろうか。

   船着き場の正面に、聖マルコと聖テオドーロの円柱が立っていて、その背後の広場を、ドカーレ宮殿を右に見て進むと、すぐ右手に壮大なサンマルコ大聖堂が立っていて、その前の広いサンマルコ広場まで、海岸縁から、僅かな距離しかなく、広場の高さは海抜2メートルもないくらいであるから、一寸した高潮でも、水浸しになる。
   ベニスの旧市街は、海水と淡水が混じる水深の浅い潟に木の杭を打ち込んでつくられた街であるから、地球温暖化の影響による海水面上昇による被害は致命的で、平均海面が2050年に最大約42センチ、2100年には最大約108センチ上昇すると想定されているとかだが、これに満潮時の上昇分が加わり、高潮などが起こると冠水は免れようがない。
   7世紀から地中海の文化文明の中心として燦然と輝いていたベニスが、今まで、その雄姿を維持しながら、その発展による地球温暖化によって、いつかは、アトランティスのように消えて行くかもしれないと思うと寂しい。

   尤も、政府も座視していたわけではなく、大洋につながる3つの水路の3ヶ所にフラップ式の可動型ゲートを設置し押し寄せる海水を止めようとする巨大な公共工事モーゼプロジェクトを推進している。
   しかし、2003年にスタートして8年間で完成する予定だったのが、そこは、イタリアで、汚職で首長が逮捕されるなど頓挫していて、いまだに、完成しておらず、完成しても、ベニス全土が冠水から免れる保証はないという。

   私は、1973年正月に、初めて、あのキャサリン・ヘップバーン主演の映画「旅情」の冒頭とラストシーンの舞台になったサンタ・ルチーア駅についてヴァポレット(水上バス)に乗って運河を渡って、サンマルコ広場近くの船着き場について、仰ぎ見たのがドカーレ宮殿と、このサンマルコ大聖堂と鐘楼、
   ヨーローッパ歴史を勉強していたので、ベニスの栄光の輝きを想起して感激しきりであったが、その後、ヨーロッパに8年住んで居たので、何度かベニスを訪れていて、中世にタイムスリップしたような雰囲気の中で、文化文明の軌跡を追って歩くのが楽しみであった。

   さて、先にレビューしたヘンリー・ポラックが、「地球の「最期」を予測する」で、ベニスの洪水に触れている。
   運河は外界に繋がり、海は手袋のように市を囲んでいて、サンマルコ広場は、海からの強風、高潮、豪雨などによる洪水の影響を受けやすい。
   水面はIPCCの予測の上昇の範囲内だが、海面は徐々に上がっているので、3つの原因が同時に起こらなくても、更に頻繁に洪水に見舞われるようになる。と言う。

   問題の根本は、地球温暖化による海水面の上昇で、2つの原因があると言う。
   1つ目は、単純な物理学で、海水温度が上がると海水が膨張すること、2つ目は、大陸に何千年間もあった氷が溶けて海に戻ることで、地球温暖化を阻止する以外にない。と言うことである。
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ヘンリー・ポラック著「地球の「最期」を予測する―2030年・気候危機という名の科学的真実」その2

2019年11月11日 | 書評(ブックレビュー)・読書
    最近、地球温暖化について、少し、一般の関心が戻ってきた感じがするのだが、スーパー台風や大雨洪水、大地震など巨大な自然災害が勃発すると、地球環境の危機を意識するものの、直接日常生活に深刻な不安がないので、宇宙船地球号が悲鳴を上げているという実感なり意識が全くなく、悲しいかな、「茹でガエル」状態に甘んじている。
   ゴーストライターに書かせた自分の著書さえ真面に読んだ事もないし、本など殆ど読んだ事がないと言うトランプだから、当然、IPCCの報告書など読むはずがなく、初歩的な知識さえあるのかないのか、特々と、パリ協定破棄を宣言しており、それに、熱狂して拍手喝采する沢山のアメリカ国民を見ていると、 サミュエル・ハンチントンではないが、別な意味で、深刻な文明の衝突を感じざるを得ない。極論すれば、智と愚の衝突としか思えないのである。

   さて、地球温暖化について、原因は色々あるが、
   太陽の黒点が多い時には太陽が放つエネルギーが多く、少ない時にはエネルギーが少ない。地球に届く太陽の光の強さは、可視光線だけではなく波長の短い紫外線や長い赤外線も含め、今では人工衛星によって観測されているが、その数値は黒点の増減と一致している。黒点の減った20世紀後半には、太陽の放つ光の量が本当に減っていたので、地球の気温が下がる筈だったが、上がり続けたのである。
   1963年にインドネシアのアグン、1982年にメキシコのエルチチョン、1991年のフィリピンのピナツボと相次いで大噴火し、広くまき散らされた火山灰が地球の一部を遮った。自然現象だけが温暖化の要因なら、黒点が少なく弱くなった太陽の光が火山灰に遮られた20世紀後半の地球は、表面温度が下がっていた筈である。
   ところが、現実は逆で、20世紀半ば以降、温度は、華氏1度近く上がり続けている。今や自然の要因だけが地球の気候を支配しているのでない証拠で、人間の力が大きさを増し、自然のメカニズムに暗い影を落とし始めている。
   2014年の第5次IPCC報告では、“人間の影響が20世紀半ば以降に観測された温暖化の支配的な(dominant)要因で あった可能性が極めて高い(95%以上)” と述べている。

   さて、人類の自然の破壊も凄くて、
   中央アジアのアラル海は、北米の五大湖とアフリカのヴィクトリア湖に次ぐ世界第3位の広さの湖であったのが、湖に注ぐ2本の河を綿花畑の灌漑用に分水して、今や10分の1に縮小。
   アメリカ西部からメキシコに流れる大河コロラド川は、上流のアメリカが取水して、メキシコまで流れる水は僅かで、海に届く前に干上がってしまう。
   ガンジス川もナイル川でも状況はよく似たもので、河口付近の流れは極めて細い。
   川は、工場排水や生活用水に含まれる危険な化学物質や、農地から流失した化学肥料や農薬などを運び、海の生態系を壊して微生物以外の生命体が消えた千か所に近い「デッドゾーン」を、海洋に広げている。
   アメリカ人が1年間に汲み出す地下水は、コロラド川のおよそ15本だと言うが、再生不可能な地下水が枯渇するところも出たり、水位がどんどん下がっていて、お先真っ暗。
   

   また、地球の温暖化は、この水源である氷河を危険にさらしており、人類に壊滅的な打撃を与える。
   例えば、アジアの「世界の屋根」の氷塊、1万5000以上の氷河でおよそ3000立方マイルの淡水に相当し、この水とモンスーン降雨と雪解け水が、ブラマプト川、ガンジス川、インダス川に流れて、インド、パキスタン、バングラデシュを潤しているが、地球温暖化によって、過去20年間にヒマラヤの氷河が解け続けていて、20年か30年くらいで氷が殆ど底をついてしまい、大河が干上がってしまう。
   海水面の上昇で、多くの大都市や国を水没させる危険は言うまでもない。

   20世紀の石油、21世紀の「水」
   21世紀には、水こそ最重要な資源となり、水を巡る国際紛争が熾烈を極める。
   前述のコロラド川を巡るアメリカとメキシコは、何十年もの水争いが続いており、
   9か国がドナウ川を、6か国がザンベジ川を、4か国がヨルダン川を共有しており、水不足は、どの国にとっても死活問題で国際紛争が絶えず、
   トランプは、能天気だが、アメリカ国防総省は、国家安全保障に対する気候変動の影響に関する調査で、水不足は、国家間の関係を不安定にしかねない要因であると指摘し、「軍事的な対決は、イデオロギーや宗教、国家の威信を巡る争いよってよりも、エネルギーや食糧、水といった天然資源に対する切実な必要によって引き起こされるかも知れない。」と言っている。

   水だけの問題を考えても、地球の温暖化によって、例えば、バングラデシュの場合、先のヒマラヤ氷河の凍解で、水位の低いガンジス川の水資源が枯渇し、逆に海水面の上昇で低地帯は水没する心配が増大するであろうし、水質悪化による汚染や、サイクロンなど自然大災害の増大などの危険が考えられ、大変な不安がある。
   太平洋上の小国ツバルを考えても、島の殆どが海抜1メートルにも満たない状態であるから、海面が1メートル上昇すれば水没するのだが、今でも、潮は海岸線から内陸へ押し寄せるだけではなく、水中からサンゴと土壌を通って地上に水が染み出ていて、ぐしょぬれのスポンジの上で暮らしているようなものだという。

   我々日本人も、地球温暖化による「これまでに経験したことのない、100年に一度の」大自然災害の直撃に会って苦難を味わわされているのだが、このままでは、
   地球上の氷河がどんどん溶けて海水面が上昇して、東京や上海やニューヨークが水没するのは、時間の問題だという。
   国の借金の増大で、孫の世代に禍根を残すべきではないと騒いで入るが、それと同じように、よって立つ宇宙船地球号を無人衛星にしても良いのか、真剣に考えるべきであろうと思う。
コメント
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