熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

プラトン:ソクラテスの弁明ほか

2024年08月30日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   先に、パルテノンについて書いた。
   倉庫の奥から、「プラトン ソクラテスの弁明ほか」を引っ張り出して、久しぶりにページを繰った。学生時代に読んだ旧版ではなく新しい中公クラシックスなのだが、それでも20年前の本、しかし、田中美知太郎訳で懐かしい。
   この本を9年ほど前に読んで、レビューしたのだが、感慨は全く変わっていないので、借用する。高邁な哲学理論は、さておくとして、とにかく、優しい語り口が嬉しい。

   「ソクラテスの弁明」は、ソクラテスが裁判にかけられて死刑を宣告させた一連の裁判の模様をプラトンが弁明風に展開したもので ある。
    ソクラテスの告発者は、反対派のアニュトスが、危険人物としてソクラテスを排除しようとして若いメレトスなど3人を直接の訴人に立てたもので、
   ソクラテスの罪状は、「国家の認める神々を認めず、別の新しいダイモンを祭るなど、青年に対して、有害な影響を与えている」と言うものであった。
   ソクラテスは、デルポイに出かけて神託を受け、自分より知恵のあるものがいるかと尋ねたら、巫女は、より知恵のあるものは誰もいないと答えた。
   この神託の理解に苦しんだソクラテスは、各界の代表的な知者たちを調べて歩いた結果、
   彼らも自分も、善美にかかわる重要事について何も知っていない。しかし、彼らは「知らないのに知っている、知っていると思っている」のに対して、自分は「知らないから、そのとおりに、また、知らないと思っている」。このちょっとした違いで、自分の方がより知者だということらしい。(無知の知)神ならぬ人間の望み得る精一杯の知なのだ。と悟る。
   ソクラテスは、政界はじめ高名な人物を相手にして問答しながら仔細に観察して、多くの人に知恵のある人物だと思われており、自分自身もそうだと思い込んでいる人物が、実はそうではないと言うことを、はっきり分からせてやろうと行脚し続け、ソクラテスに傾倒した若者たちにも、そうするように勧めた。
   こうした厳しい対話や詮索の結果、やり玉に挙がってコテンパンに論破されて遣り込められた人物たちが、ソクラテスはけしからんと腹を立て、多くの者たちからも、嫉妬や憎しみを受けることになった。

   続いて、「クリトン」は、プラトンの友クリトンが、獄中のプラトンを訪ねて、必死になって脱獄を説得するのだが、ギリシャを愛するが故に悪法も法であり、それに従うのが正義だと突っぱねる感動的な対話を綴ったものである。 
   そして、さらに、「クリトン」で、
   ” 「大切にしなければならないのは、ただ生きるということではなくて、善く生きるということなのだ。」その「善く」というのは、「美しく」とか、「正しく」とかということと同じだ。”と言っており、アテナイ人に対する告発も容赦がない。
   ”世にもすぐれた人よ、君はアテナイ人であり、知と強さにおいて最も偉大な、最も名の聞こえた国の一員でありながら、金銭を出来るだけ多く得ようとか、評判や名誉のことばかりに汲々としていて、恥ずかしくないのか。知と真実のことには、そして魂を出来るだけすぐれたものにすることには無関心で、心を向けようとしないのか。”
   金と評判と名誉への志向と、知と真実と魂を優れたものとすることへの志向との、平明にまた力づよく語られたこの対比は、プラトン哲学の基底をなす明確な構図を形づくることになる。息のつづくかぎり哲学することを止めない。たとえ幾たび殺されようとも、決してこれ以外のことをすることはありえない。と、死刑判決を必然の成り行きとして見定めて、「死」でもって、彼が守り通した哲学を成就させたのである。  

   ソクラテスが毒盃を仰ぐ臨終での対話を綴った「パイドン」では、
   ”死に臨んで嘆き悲しむ人を君が見たら、それは、その人が知の求愛者(ピロソポス)ではなく、身体の求愛者(ピロソーマトス)だったことの十分な証拠ではないだろうか。そして、その同じ人は、金銭の求愛者でもあり、名誉の求愛者でもある。”
   自然万有を、「知の求愛者=善く生きる」の「精神」原理と、「身体の求愛者=ただ生きる」を導く「生き延び」原理によって、プラトン哲学における基本路線の構図の見取り図が完成するのだと言う。

   口絵写真は、私が、ニューヨークのメトロポリタン美術館で撮ったソクラテスが毒盃を仰ぐ寸前の絵の写真である。ソクラテスやプラトンの片鱗に触れて胸を熱くした青春時代を思い出しながら、長く佇んでいた。
   ところで、在学中に、まだ、田中美知太郎教授が、京大で教壇に立たれていたようだったのだが、文学部の教室に潜り込んで講義を聴かなかったのを残念に思っている。  
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わが憧れの聖地はパルテノン

2024年08月28日 | 海外生活と旅
   旺盛なインバウンドブームで、日本も今や観光立国、毎日のように、テレビでは、外国人観光客の動向が放映されている。

   鎌倉に住んでいるので、外国人観光ブームの凄まじさは身に染みて感じている。
   日本各地の観光地ではオーバーツーリズムが問題になっているが、その一つとして、「SLAM DUNK踏切」で有名とかで人気の高い江ノ電の鎌倉高校前駅近くでの中国人の混雑ぶりは常軌を逸している。何の変哲もない海岸沿いの踏切に過ぎないのだが、中国観光客にとっては豊かなナラティブに満ちた聖地であって、日本観光の必須の訪問地なのであろう。

   さて、誰もが、外国への観光については、人夫々、思い入れがあって、憧れの聖地へ向かうのであろう。
   私の夢は、ギリシャのアクロポリスの丘に立ってパルテノン神殿を仰ぎ見ることであった。
   意識し始めたのは、中学生時代で、ギリシャやローマの歴史や学問芸術に興味を持って勉強していた時であった。
   尤も、1960年代の頃のことだから、やっと戦後復興から立ち上がりつつあった貧しい日本であったので、夢の夢ではあった。

   しかし、案外早く、パルテノンを訪れることができた。
   記録がないのでやや不正確だが、多分1978年の春、ブラジル赴任時の一時帰国で、ヨーロッパ経由で東京へ向かう途中に立ち寄ったのである。
   パルテノンの素晴らしい遺産に真っ先に触れたのは、その前の1973年で、ルーブル美術館のフリーズ浮き彫りの一片であった。その美しさに感激して、イギリスに住んでいたので、大英博物館のエルギン・マーブル鑑賞には足しげく通った。フリーズの彫刻は海外に持ち出されたので、現地パルテノンには殆ど残ってはいない。
   その後、ヨーロッパ在住の時に家族との休暇旅行で一度、そして、アテネで開かれたWEFの会議に出席した時一度で、3度パルテノンを訪れたことになる。
   色々なところからパルテノンを観察して、沢山の写真も撮った。
   もう何十年も前になり、写真を探せないので、口絵写真はウィキペディアから借用した。
   対面の高みから撮ったパルテノンの写真のパネルを事務所にかけていた。
   ミケーネやデルフィにも足を伸ばしてギリシャの歴史に思いを馳せた。

   もう一つ見たかったのは、スーニオン岬に沈む夕日であった。
   アテネからタクシーを飛ばして向かったのだが、間一髪で陽は波間に隠れて空は赤く染まってしまっていたが、しばらく神殿の廃墟に佇んで涼風を楽しんでいた。運転手が、アテネを離れるときに、あれがソクラテスの独房だと教えてくれたのを何故か鮮明に覚えている。 

   ソクラテスやプラトン、ギリシャ神話や悲劇や喜劇、建築や彫刻、色々なギリシャの学問や芸術が、私に学ぶ喜びを触発し続けてくれたような気がしている。
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やはり日本は自然災害の多い国

2024年08月27日 | 地球温暖化・環境問題
   大型台風10号が、九州に向かって接近している。
   南海トラフ地震の心配が少し遠のいたと思ったら、これからは、台風のシーズンで、毎年のように心配しなければならない。
   日本では、毎年、どこかで地震や台風などの被害を受けていて、自然災害から解放されるということは望み得ない。

   私は、もう大分前になるが、ほぼ14年間、海外生活を送っていたが、大きな自然災害に遭遇したという記憶はあまりない。
   最初のフィラデルフィアは、東海岸なので日本と気候が良く似ていて、寒かったという印象しかない。

   次のサンパウロは、公害は酷かったが、年中殆ど変化のない温暖な過ごしよい気候で、暑さ寒さには縁がなかった。毛穴が開いてしまったというか、寒暖の激しい日本に帰って、しばらく調整に苦しんだ。
   4年間いたが、一度だけ有り得ない地震が発生した。高層ビルが林立する大都会だが、夫婦げんかで投げ飛ばされた妻が壁を突き破って飛ばされたという嘘のような話があるくらい簡易な建物ばかりなので、大騒ぎとなったことがある。高速道路が崩落した。
   高速道路をリオデジャネイロに向かって走っていて、途中ゲリラ豪雨にあって、トレーラーに追突しそうになったのも嫌な思い出である。

   ヨーロッパには、アムステルダムとロンドンに都合8年住んでいた。一度だけ、大嵐galeに見舞われた。丁度この嵐の途中に、アムステルダムからロンドン経由で東京へ飛ぶ予定にしていたのだが、朝出発のKLM便が遅れてJAL便が出発済みで乗り継げず、後発のBA便で行った記憶がある。キューガーデンの100年以上の巨大な古木が何本も根元から根こそぎ倒壊していたから、ヨーロッパでは珍しいくらい強烈なgaleであったのであろう。
   ヨーロッパのばらの美しい夏は快適だが、日が短くて太陽のない毎日リア王の世界が続く冬季は陰鬱である。一度だけ、アムステルダムで氷点下20度を切って、水道管が破裂して、家中水浸しになって困ったことがある。
   普通の冬は、運河に氷が張ってスケート場になって庶民が愉しみ、オランダ全土完走大会で盛り上がる。車は青天井の駐車なので、毎朝、熱湯をかけても瞬時に凍てしまいキーを開けるのに苦労する。

   そのほか、海外を歩いていて、色々な自然災害に沿遇してはいるが、日本ほど、酷い国はないのではないかと思っている。


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マーケット市況動画を見はじめる

2024年08月25日 | 生活随想・趣味
   今月に入って、日経平均株価が大きく乱高下して、マーケットが異常に激動しており、前後に、僅かながら株を買ったので、株価動向が気になり始めた。
   さしあたって、情報を得るためには証券会社の解説を見るのが一番手っ取り早いと思って、野村の「マーケット解説動画|野村の投資情報」や大和証券、日興証券などの「市況動画」などを見始めたのである。
   以前にも見ていたのだが、結構面白いのは事実である。

   ところで、この株式市況やマーケット分析の世界は、私自身の学んだ経済学や経営学とは全く違っているので、照準を合わせるのに苦労している。
   大学で経済学を専攻し、大学院でMBAを取得し、今でも専門書を読み続けてブラッシュアップしているので、それほど専門知識は落ちたとは思ってはいないのだが、残念ながら、市況動画の説明や解説が分かったとしても、さて、株の売買に、どう対応すればよいのか殆ど自信がない。
   なまじっか、経済学や経営学の知識があればこそ、役立つどころか、判断を誤らせて、邪魔になることが多いような気がする。

   例えば、私は、経済成長と景気循環を主体に勉強してきたが、資本主義がどうだとか、スタグフレーションがどうだとか、もっとスケールの大きい、経済構造の本質を学んできたのだが、直近の政治や景気状況、為替や金利、インフレなどのマーケットに立つ波風が微妙に市況に影響して、株価などが乱高下する投資の世界とは違うのである。まして、チャート分析など、馴染みがない。
   経済学の景気循環と市況のアップダウンは違うし、経営学の経営戦略戦術が、そのまま企業の業績に直結するわけでもない。
   尤も、将来の経済状況を見極めて、企業を特定して、その企業の経営分析を行って、投資対象を選択すればよいのかもしれないが、そんな気持ちもない。

   ただし、景気循環は資本主義の本質でありアップダウンは必然であって、それでも、経済社会は、成長発展を続けて上昇している。
   株も同じで、会社がつぶれない限り、下がれば上がり、長期的には、上昇トレンドで推移するのは間違いない。

   新NISAだが、将来のある若い人には、長期・分散・積立の定石に従って、こつこつ、長期にわたって投資を続けて行けば、恰好の投資手段となるであろう。
   若い時に、自社株をドルコスト方式で投資して、自宅建設資金として重宝したことがある。適当な投信を選んで、少額でもよいから、毎月積み立てて長期に保有すれば、年金や個人型確定拠出年金(iDeCo)の援軍として役に立ち、潤沢な老後資金を得ることとなるので安心である。
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カマラ・ハリス:大統領候補指名受諾演説

2024年08月23日 | 政治・経済・社会
   シカゴで開かれている民主党大会の最終日の22日、大統領候補に指名されたカマラ・ハリス副大統領(59)が受諾演説を行った。黒人、アジア系として米国初の女性大統領を目指して、11月の大統領選で、共和党のドナルド・トランプ前大統領(78)と対決する。
   首席スピーチライターのアダム・フランケル氏の草稿に手を加えながら数週間かけて演説を練り上げてきたというのだが、さすがに検察官のキャリアーがものを言って弁舌さわやかで、感動的なスピーチであった。
   私は、NHKの放映を通じて、全公演を聴講して、解説も読んだ。
   参考にして、感想を述べたい。

   冒頭、母はインドからカリフォルニアへ渡ってきたと自分の生い立ちを語って、「さまざまな政治的な見解を持っている人がいることはわかっている。皆さんに知ってもらいたい。私はすべてのアメリカ国民のための大統領となることを約束する」と宣言した。
   そして「力強い中間層の存在がアメリカの成功に不可欠であることを私たちは知っている。そして、こうした中間層を築き上げることが大統領に就任した際の決定的な目標になる。 (A strong middle class has always been critical to America's success. And building that middle class will be a defining goal of my presidency .)中間層の家庭に生まれた私の思いだ」と述べて、アメリカ社会の根幹はミドルクラスの健全な存在であって、この繫栄あってこそアメリカ社会の活性化と未来があるとの持論を強調した。
   さらに「私は私たちの最も高い志で国民を束ねる大統領になる。人々を導き、耳を傾け、現実的で良識のある大統領になる。そして常にアメリカ国民のために戦う。それが裁判所からホワイトハウスまでの私のライフワークだ」と述べて、非常識極まりない対戦者を揶揄し、「政党や人種、性別などに関係なく、すべてのアメリカ人のために、懸命に働き夢を追い求めるアメリカ人のために、大統領候補への指名を受諾する」と述べ て、アメリカンドリームを匂わせた。

   「今回の選挙は私たちの人生において最も重要であるだけでなく、私たちの国の歴史において最も重要なもののひとつだ。トランプ氏は不真面目な男だ。しかし、彼をホワイトハウスに戻すことの結果は極めて深刻だ。(Trump is "an unserious man" and his return to the White House would have "extremely serious" consequences.) 彼が大統領だった時の混乱や災難だけでなく、彼が前回の選挙で敗れたあとに起きたことの重大さを考えてほしい」と述べて、さらに、恐ろしいと指摘したのは、「大統領公務なら免責」とする最高裁の判断。免責特権が幅広く認められる恐れがあり、大統領の権限が法律で制約されなくなると、「自分ファースト」でモラルを欠き常軌を逸した傍若無人な独裁者が、大統領になればどうなるのか。

   ハリスは、ガザ・イスラエル問題について、イスラエル支持とガザでの平和停戦に言及しながら、「私たちは、世界の歴史上、最も偉大な民主主義の継承者だ。」として、「前向きと信念に導かれ、愛するこの国のために、そして育んできた理想のために戦う」と述べた。ハリスの命の叫びである。
   トランプはNATOから脱退すると脅迫したが、、ウクライナやNATOの同盟国を強く支持する」と述べ、国際協調を重視する姿勢を示した。トランプのように、「暴君や独裁者にすり寄ることはない」 としたのが興味深い。

   移民政策については、 国境管理「法案を復活」 させ、人工妊娠中絶については、「復活法案 誇り持って署名する」として、
   ハリス氏は「ともに戦おう。投票に行こう。これまでで最もすばらしい物語の次の偉大な章を記そう」と述べて演説を締めくくった。 
   
   さて、今度のテレビ討論会でのハリスの対決戦略は、「検察官対重罪犯」で十分だと思う。
  ハリスは、元検察官という自らのキャリアに言及して、「女性を虐待する略奪者、消費者からだまし取るペテン師、自分の利益のために規則を破る詐欺師、あらゆる種類の加害者と私は対決した。だからドナルド・トランプのようなタイプを知っている」と、大統領経験者として史上初めて重罪で有罪評決を受けたトランプと、犯罪者と対峙してきた元検事の姿を浮き彫りにした。
   トランプは、ハリスが追い詰めた重罪犯の資格は十分に持っており、その追求だけで勝負がつく。

   トランプは、ハリスをバカ呼ばわりしているが、箔付のために大学進学適性試験(SAT)を替え玉受験して入学してウォートンを出た学卒より、加州大ロースクールを出た法務博士のハリスの方が知的水準は遥かに上のはずで、その上に、法廷に立った百戦錬磨の敏腕検察官、
   口から出まかせ嘘八百で生き抜いてきたトランプがどう対峙するか。

   また、トランプは、ハリスは共産主義者だとか、ハリス政権になれば、アメリカ経済を崩壊させるとか、第3次世界大戦を引き起こすとか、根も葉もない暴言を口走っている。
   2016年の選挙でトランプが勝ったのは、エスタブリッシュメントを否定して、アメリカの東部から中西部に広がる製造業の集積地帯「ラストベルト(Rust Belt)」で、中間所得層からの転落を恐れる多くの白人労働者の怒りと不満を浮かび上がらせて集票に成功したからであった。しかし、このトランプ戦術は賞味期限切れで、産業構造も労働環境も大きく激変していて、
   今回の選挙は、中間層の取り込み以上に、女性票やマイノリティ票や若年層票がキャスティングボートを握っており、浮動票の帰趨が選挙の結果を制しよう。
   トランプ、そして、保守党の戦略戦術、ビジョンや政策は、既に既知で手垢にまみれている。たとえ、バイデン政権の遺産であっても、今回のハリス演説に徐々に斬新さを加えて独自色を出して、民主党本来の福祉国家政策などのリベラル政策をブラッシュアップすれば、ハリスの勝機は向上するはず。
   A new way forward を、どう叩き付けて、後ろ向きのトランプを粉砕するか、
   とにかく、9月10日のテレビ討論会を期待したい。
   
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ハリス:中産階級活性化の経済政策

2024年08月20日 | 政治・経済・社会
   CNNは、 ハリス米副大統領は16日、庶民重視の経済政策を公表し、1億人を超える中産階級や低所得層の米国人を対象とした新たな減税計画を提案した。と報じた。
   また、副大統領候補にミネソタ州のワルツ知事を選んだことについて「米国を結束させる指導者で、中流階級のための闘士」を探していたと説明した。
   私の注目したのは、「中産階級重視」の経済政策である。

   ハリスのこの中産階級活性化の経済政策の詳細が分からないので、詳論できないが、しかし、かってアメリカには、中産階級の繁栄が、アメリカ社会の黄金時代を現出した時代があったのである。
   経済分析の余裕がないので、わがブログの一部を引用すると、
   第二次世界大戦後30年に及ぶ高度経済成長期には、経済とは、将来への希望を生み出すものであり、きつい勤労は報われ、教育は上昇志向で、より多くのより良い仕事を生み出し、殆どの人々の生活水準が上がり続け、米国では、他には見られないような巨大な中間層が形成されて、米国経済の規模が倍増すると同時に、平均労働者の所得も倍増した。
   企業経営者たちも、自らの役割を、投資家、従業員、消費者、一般国民、夫々の要求をうまく均衡させることだと考えて、大企業は実質的には、企業の業績に利害をもつすべての人に所有されたステイクホールダー資本主義であった。
   アメリカにも、そのような民主主義と資本主義が息づいた素晴らしい時があったのである。 

     ライシュが、大繁栄時代として肯定しているこの第二次世界大戦後の四半世紀には、政府は、「経済の基本取引」を強化、すなわち、完全雇用を目指してケインズ政策を採用し、労働者の交渉力を強化し、社会保障を提供し、公共事業を拡大した。
   その結果、総所得のうち中間層の取り分が増える一方、高所得層への分配は減少したのだが、経済自体が順調に拡大したために、高所得者も含めてほぼ総ての国民が恩恵を受けた。
   個人消費がGDPの70%を占めるアメリカ経済では、ボリュームゾーンの中間層が健全であることが必須で、中間層が、生産に応じて適正な所得を取得して、生産した財やサービスを十分に購買可能な「経済の基本取引」が成立した経済社会であったが故に、生産と需要が均衡して繁栄したのである。

   これは、日本にも言えることで、団塊の世代などは経験していることだと思うのだが、戦後復興効果はあったものの、日本経済はどんどん高度成長を続けて年々所得が上がって生活が向上し、1億総中流家庭と言われる幸せな時期が続いて、Japan as No.1の高見まで上り詰めた。

    ところが、その後、歯車が逆転して、政府は富裕層優遇の経済政策を推進し、賃金の中央値の上昇が止まり、国民総収入のうち中間層に流れる割合は、減少し続けて、大部分のアメリカ人にとって、賃金の伸びが止まっていないかのように生活を続ける唯一の方法は、借金であり、中間層の消費者は、最後の手段として借金漬けとなった。 
    深刻な経済格差の拡大と資本主義の挫折、We are 99%、ウォール街を占拠せよの到来。

   ところで、今日、日経が、「米企業、「株主第一」の修正進まず 労働分配率が低下」と報じた。経営の非民主化、逆転現象である。
   米企業が掲げた「ステイクホールダー重視」経営から「株主第一主義の修正」が進んでいない。利益配分の株主偏重を改め、従業員や地域社会への還元を厚くすると大手企業が宣言してから5年がたったが、労働分配の比率は低下する一方、巨額を株主に投じている。経済格差への不満が社会の分断や不安定化につながる構図は強まっている。 というのである。
 
   徹頭徹尾、弱肉強食の市場経済の魂が刷り込まれたアメリカの経済社会、
   成熟化して若いエネルギーを失ってしまって、もはや、後戻りが効かなくなってしまったアメリカ社会に、「中産階級再活性」の夢を実現できるのであろうか。
   ハリスの経済政策はアメリカ社会の起死回生には必須条件ではあるが、極めてハードルが高いと言わざるを得ない。
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映画「アンソニー・ホプキンスのリア王」

2024年08月18日 | 映画
  シェイクスピア最高の悲劇「リア王」の2018年版
  映画の舞台は、今日になっているのが面白い
  監督は、リチャード・エアー
  主要な役者は、シェイクスピア劇等の名優ぞろいの豪華版

アンソニー・ホプキンス 





リア王
エマ・トンプソンゴネリル
エミリー・ワトソンリーガン
フローレンス・ピューコーディリア
ジム・ブロードベントグロスター伯爵
ジム・カーターケント伯爵

   あまりにも有名な戯曲なので筋書きなど無用だが念のため、
   リア王は、退位を決意して、愛する3人の娘に領土を与えるのに際して自分への思いを確かめる。姉二人ゴネルリとリーガンは父への偽の愛と忠誠を誓うのだが、最愛のコーディアは実直に応えて期待を裏切るので腹を立てて領土分割を拒否して、無一文でフランス王に嫁さす。諫める忠臣ケント伯を追放する。分割後、熱いもてなしを期待していた姉達に屋敷を追放されたリアは、荒野で乞食同然の放浪生活。時を同じくして、リア王に仕えていたグロスター伯も自らの息子に裏切られる。王から浮浪者へと転落し、狂気と化したリア王は、変装して仕えるケントなどに助けられて 、リア王救助のために、ドーバーに上陸したフランス軍のコーディリアに助けられて、再会を果たす。しかし、フランス軍は敗れ、リアとコーディリアは捕虜となる。コーディリアは既に獄中で殺されており、助け出されたリアは、娘の遺体を引きずって現れ、悲しみに絶望して息を引き取る。 

   アンソニー・ホプキンスは、丁度同年代のリア王を地で行っている感じで、冒頭の絶対権力者の威厳を備えた頑固一徹な老翁の風格から素晴らしい芝居を展開する。
   舞台俳優として、シェイクスピア映画の作品としてのキャリアーはないようだが、舞台と違って映画は、微妙な映像の変化と音楽のコラボが劇的効果を増幅するのであろうか、生身の感動的なリア王であった。
   私など、シェイクスピア劇は舞台の方が多いので、想像力を旺盛に働かせて観ていることが多いので、映画の方が分かりやすいように思って観ていたが、シェイクスピア役者のエマ・トンプソンなど、ゾクゾクするほど魅力的であった。

   サブストーリーとして面白いのは、リアの重臣グロスターの愛人の子である次男エドマンドの暗躍で、 正妻の子である長男エドガーを陥れて父を欺いて、その領地を引き継ぐ。グロスター伯になったエドマンドが己の野心のためにゴネリルとリーガンに言い寄って口説き、二人とも エドマンドに好意を抱くようになり、姉妹はエドマンドを巡って恋のさや当て 。リーガンがゴネリルに毒を盛られて殺され、ゴネリルも短剣を胸に刺して自害する。
   エドマンドも、エドガーと決闘して負けて死ぬ。

   どれもこれも、この舞台の人々の生きざまは因果応報、
   シェイクスピアにこんな仏教の思想が流れていたのかどうか、

   さて、在英5年で、RSCのシェイクスピア劇鑑賞に通い詰めていたので、何回か「リア王」を聴いていると思うのだが、記録に残っているのは、30年ほど前のストラトフォード・アポン・エイボンでの大劇場の舞台。
   この映画の鑑賞記もこれに近いので、再録すると、
   
   帰国前でもあったので、貴重な機会だと思って、「リア王」を、二回続けて聴いた。(シェイクスピア戯曲は、観るではなく聴くという。)
   ヘンリー4世のファルスタッフを演じたロバート・ステファンスが、タイトルロールを演じていて、非常に人気が高かった。イギリス人が最も愛するシェイクスピアのキャラクターの一人である無頼漢のファルスタッフを演じて、全くと言っても過言でない程性格の違った悲惨な主人公「リア王」を、それも、間髪を入れずに演じるのであるから、その力量の凄さは分かるというもの。観客の先入観を取り除く必要もあったのであろう、残酷な運命を畳みかけるように切々と語り続ける芸の確かさは格別であった。
   気が触れた後半、正気と狂気の間を、まさに鬼気迫る迫力でリア王を蘇らせるステファンスの役者魂が凄い。第4幕第6場のドーヴァーに近い野原の場で、眼を抉られて追放されたグロスター伯爵に再会したときに、リア王がグロスターに語りかけるのを聞いた伯爵の息子エドガーが、「ああ、意味のあること、ないことが入り交じって。狂気の中にも理性がある。」と独白するシーンがある。狂気か正気か、そのはざまで、リア王が、「人間、生まれてくるときに泣くのはなあ、この阿呆どもの舞台に引き出されるのが悲しいからだ。」と、肺腑を抉るような真実を述べる。理性と真実と正気の入り交じった狂気の世界を彷徨うリア王を、魂が乗り移ったように演じるステファンス、悲しくも辛い感動的な舞台である。大詰めで、コーディーリアの死体をかき抱き、断腸の悲痛に絶叫するリア王が、真実の父親に戻って絶命する場面も、真迫の演技で涙を誘う。
   この「リア王」は、エイドリアン・ノーブルの演出による素晴らしい舞台であった。

   「リア王」は凄い戯曲だと思うが、領土分割に当たって、冒頭から、娘たちに誰が自分を最も愛しているかはっきりさせたいと野暮な質問をするバカ老王を登場させるという締まらない話、
   しかし、2時間を超えるこの戯曲の中には、素晴らしいシェイクスピア劇のエッセンスというか魂が込められていて感動する。

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名目GDP初めて600兆円超える

2024年08月15日 | 政治・経済・社会
   時事が電子版で、
   内閣府が15日発表した2024年4~6月期の名目GDP(国内総生産)速報値は、年換算で初めて600兆円を突破した。  500兆円を達成してから32年半ぶりに新たな大台に乗せた形だが、物価上昇による「水ぶくれ」の側面が強く、成長の実感は乏しい。と報じた。

   物価を反映した名目GDPは1.8%増え、年率換算した金額は607兆円となり、初めて600兆円を超えた。15年に安倍晋三政権が掲げた「名目GDP600兆円」の目標を9年越しに達成したことになる。
   岸田文雄首相は15日、記者団に見解を問われ、今年の春闘の高い賃上げ率などにも触れたうえで「賃上げと投資が牽引する成長型経済への移行を示す数字であると受けとめている」。名目GDPが1973年度に100兆円を超え、4〜5年ごとに100兆円刻みで増えてきたと指摘した。日本経済の低迷に触れ「92年度に500兆円を超えた後は足踏みが続き、32年かかって600兆円を超えた。こういう道のりをたどってきた」と意義を訴えた。と言う。
   ただし、実質GDPの実額は約559兆円で、前年同期の約563兆円を下回る。約608兆円となった名目GDPの伸びに実質成長は追い付いていない。のである。
  
   欧米に後れを取ってのキャッチアップ経済とも知らずに快進撃を続けていたつもりで、Japan as no1に酔いしれていた日本のバブル経済が一気に崩壊して奈落の底、  
   深刻なデフレ経済に陥って、成長から見放されて鳴かず飛ばずの失われた30年、
   やっと辿り着いた600兆円の頂上がインフレ含みの幻想、
   お釈迦様の掌の孫悟空の心境!

   びっくりするような巨大な乱高下に見舞われた日経平均株価だったが、捨てたものではなく、今日は半値戻し、
   さて、アメリカのインフレが2%台で下落傾向で推移して、今日の、小売業の先月売上高が1%上昇して期待以上であったという発表を好感したのであろうか、
   23時半現在、
   NYダウが、 ▲0.84% 40,343.79 +335.40
   シカゴの日経先物が、▲1.93% 37,435.00 日経比:+708
   明日16日の日経平均株価は、上昇する予感である。
 
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「ニューヨーク・タイムズ」が見た第二次世界大戦 天皇制維持

2024年08月14日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   積読の本を整理していて、”「ニューヨーク・タイムズ」が見た第二次世界大戦 上下”を見つけた。   
   興味深い記事の連続で、読めば面白いのであろうが、日本の終戦時の記事が書いてある最終章の2件だけ読んでみた。
   8月15日に近づくと、どうしても、日本の終戦のことが思い出される。まだ、5歳であったが、かすかに、戦争の記憶が残っている。

   読んだ記事は、
   「1945年8月15日 日本降伏、戦争は終わった! 天皇、連合軍の支配を受け入れる マッカーサーが総司令官に」
   「忠実で善良な国民に告げる 天皇の詔勅(玉音放送)」である。

   この天皇陛下の詔勅については、テレビのドキュメントや映画などでさわりだけは聞いてはいるのだが、恥ずかしい話、全文を読んだことがなかったので、あらためて読了し、時流に迎合することなく、日本の使命と歩むべき道を正しく国民に告げているので、感激さえ覚えた。

   ところで、ポッダム宣言を受諾して無条件降伏して、大過なく終戦処理を終えて復興し、今日の日本があるのは、当時の日本国民にとって最も重要であったのは国体の維持であろうと思う。
   詔勅の後半の冒頭に、
   「帝国の国体は守られ、私は常に国民とともにあり、忠実で善良な国民の真心に信を置いている。(朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ)」と述べられている。
   この「帝国の国体は守られ、」と宣告できたのには根拠があったのである。
   
   この国体の維持について、先の15日の記事に触れていて、
   8月11日に、連合国を代表してバーンズ国務長官の名で日本政府の申入れに回答した覚書に、ポッダム宣言が日本の天皇の「君主」としての「特権を否定する」ことがないという理解のもとで、8月10日に日本から送られてきた降伏の申し出への返答として明記されている。
   バーンズ長官が実際に書いた文言は、日本国民の自由意思で選択された場合には天皇制度を残すことができるかもしれないが、天皇は東京にいる連合国軍最高司令官の権威の下に置かれ、正式かつ公の行動は総司令官の責任の下でなされるという内容であった。という。

   しかし、バーンズの回答は、もう少し曖昧だったようである。
   歴史的追跡の余裕がないので、ウィキペディアのその部分を引用させてもらうと、
   この「バーンズ回答」は、「降伏の時より、天皇及び日本国政府の国家統治の権限は降伏条項の実施の為其の必要と認むる処置を執る連合軍最高司令官に従属(subject to)する」としながらも、「日本の政体は日本国民が自由に表明する意思のもとに決定される」というものであった。スティムソンによると、この回答の意図は、「天皇の権力は最高司令官に従属するものであると規定することによって、間接的に天皇の地位を認めたもの」であった。また、トルーマンは自身の日記に「彼らは天皇を守りたかった。我々は彼らに、彼を保持する方法を教えると伝えた。」と記している。

   結局、紆余曲折を経ながら、象徴天皇制として新憲法が制定されて今日に至っている。 
   立憲君主国イギリスとよく似た民主主義体制を取っているが、歴史的にも伝統を重んじる国であるためにも、安定した政体であろう。


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映画:「岸辺露伴 ルーヴルへ行く」

2024年08月12日 | 映画
   NHK BSで録画していた「岸辺露伴 ルーヴルへ行く」を見た。
   人気のあるアニメの作品とは知らず、ルーヴル美術館が舞台らしいと興味を感じて録画していたのである。
   案の定、現実と幻想、リアルとヴァーチャルの世界が錯綜した異次元の物語で、辻褄の合ったアナログ形式のストーリーでない作品には馴染みが薄い私にとっては、納得するのに時間がかかった。

   ウィキペディアを参考にして、私なりに理解した筋はこんなところであろうか。
   アニメ作家の露伴(高橋一生)は、美術オークションで、フランスの画家モリス・ルグランの黒い絵に興味を抱き、その絵を落札するが、その絵の裏にはフランス語でモリス・ルグランによる「これはルーヴルで見た黒。後悔」という言葉が書かれていた。 
    黒い絵と言えば、露伴は青年期に出会った祖母が運営する下宿に暮らしていた奈々瀬(木村文乃)を思い出した。露伴の描く漫画に興味を示した彼女をモデルとして漫画に描くが、その絵を見た奈々瀬は突然取り乱して漫画を切り裂き去ってゆく。彼女は、露伴に「この世で最も黒く、邪悪な絵」「最も黒い絵」がルーヴル美術館にあると示唆していた。露伴は、その絵を見るため同美術館へ取材に行く決意をする。
   ルーヴルを訪ねた露伴は、問題の絵である日本の画家・山村仁左右衛門(高橋一生)の作品が、Z-13倉庫にあることを突き止めて、東洋美術のキュレーター・辰巳隆之介(安藤政信)、消防士たちを伴う条件で絵の見学を許可される。そこで、ヨハネス・フェルメールの作とみられる絵画を発見する。辰巳はその絵を贋作と断言するが、真作であると見抜いた露伴は、辰巳らに抱いていた不信感とともに、青年期に祖母宅に絵を引き取りに来たフランス人男性の記憶を思い出し、彼や辰巳、消防士らが美術館の所蔵品をモリスが描いた贋作にすりかえる犯罪グループであると判断する。露伴は辰巳らと格闘する最中に、倉庫奥にある仁左右衛門の絵 の怨念が奇怪事件を起こして、関係者はすべて次々と幻覚を見て怯え、銃撃や火災などの怪異現象によって死亡してゆく。 彼らの見る幻覚と怪異がそれぞれの「後悔」や血縁者の罪に基づくものだったのである。   倉庫の火災でその絵も消失する。
   帰国した露伴は、 湖畔の奈々瀬と仁左右衛門夫妻の墓を見つけ出し、そこで奈々瀬の霊に会って、江戸時代に生きていた夫妻の悲劇を知る。
   仁左衛門は、愛妻の黒髪の美を再現する絵に執着していた。奈々瀬が神社の御神木から黒の樹液を発見し、理想の画材を得たと仁左右衛門は喜ぶ。神聖な木を傷つけたと告発され、捕縛されようとする夫をかばった奈々瀬は役人たちに打ち据えられて死亡し、逆上した彼が絶筆として、恨みを込めて描いた妻の肖像が呪われた黒い絵であった。絵の呪いを解くため、自分の子孫にあたる露伴を巻き込んでしまったと奈々瀬は詫びて微笑んで彼の前から消える。

   話としては面白いが、有り得ない奇想天外なストーリー展開で、岸部露伴シリーズを知っておれば、もっと楽しく見れたのであろう。
   私が興味を感じたのは、画家に巧妙に贋作を作成させて、フェルメールの絵のように、その贋作を真作とすり替えてルーブルの収蔵品として収めるという詐欺グループの存在である。そんなに簡単にできるとは思えないが、どこかの公立美術館の贋作事件を思えば、面白い発想である。
   あの「モナ・リザ」さえ、イタリア人に盗まれたことがあるのだから、何でもありであろう。

   この映画でもう一つ面白かったのは、モリスの作品の額縁の絵の裏に真作を埋め込んでおいて、オークションで安く落札して本物を手にする手法である。
   この映画の冒頭で、フランスの画家モリス・ルグランによる黒い絵を落札するが、競売相手だった男らに絵を強奪される。その時、このカラクリを知っていた犯人は額縁を開いて中身を見るが、本物の収蔵はなく、黒い顔料の塊だけで失望する。尤も、この映画の重要なテーマである、その絵の裏にはフランス語でモリス・ルグランによる「これはルーヴルで見た黒。後悔」という言葉が表れるという、粋な導入部ではある。 

   戦争で最大の戦利品は、絵画や高価な芸術美術品、
   ヒトラーとスターリンのその争奪戦は凄まじかった。

   さて、最近のルーヴルの状況だが、モナ・リザの展示は随分変わっていて今昔の感である。 
   最初に見たのは1973年だが、個室に簡単な額縁に収められていて、前に2メートル弱の綱が張られているだけであった。確かに、見る客も殆どいなくて寂しいくらいであった。
   
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夏休みは海外旅行の絶好のチャンス

2024年08月10日 | 海外生活と旅
   10日から休暇を取ると結構長い夏休みとなる。
   連日のようにテレビでは、帰省ラッシュや海外旅行など旅の話題で沸いている。
   もう、身体に負担がかかって、旅から縁遠くなってしまった私には、関係がない話なのだが、何となく、若かり頃の夏休み休暇を思い出してそわそわしてくるのが不思議である。

   旅に興味を持ち始めたのは、もう60年以上も前の学生時代で、当時は、学割の周遊券とユースホステルを併用して貧乏旅行ができたので、九州と北海道を周遊した。
   海外旅行は、1972年にアメリカに留学して東部の都市を回ったり、大学の団体が主催したフロリダ・メキシコ旅行に参加したのが最初であった。
   翌73年のクリスマス休暇に、フランス人留学生がPANAMの里帰り便をチャーターして空席を安く提供してくれたので、これに便乗してヨーロッパ旅行をした。ミシュランやアメリカの旅行ガイドブックやクックの時刻表などを参考にして旅程を決めただけで、ぶっつけ本番でパリから旅をスタートした。交通手段は、欧州全線有効なユーレイルパスとタクシーだけで、ホテルも駅に着いてから決めて、旅程はあって無きがごとしで、フランス、スイス、イタリア、オーストリアなど自由に動いて、2週間後にパリから帰った。フィラデルフィアの夜景を眼下にした時には、故郷を感じて懐かしさせ覚えた。
   クレジットカードがあったのかどうか記憶はないが、当時、夏のボーナスをはたけば、親子3人のこの旅行は賄えたのである。

   その後、しばらくして、ブラジルに赴任したり、長くヨーロッパに住んだりして、海外生活が長かったので、仕事上でも家族旅行でも、頻繁に旅に出た。
   海外に居れば、ほぼ、クリスマス休暇と夏季休暇は、全員が(特に、私の場合は代表者であったので)休暇を取って休まざるを得なかったので、必ず、事務所から離れて、海外旅行に出ることにしていた。
   日本人の同僚は、長い休暇に馴染まない人が多かったので、小休暇に切り替えて事務所に出ていたようであった。

   前述のヨーロッパ旅行に味をしめて、家族旅行などプライベートな旅は勿論、自身の出張や公的旅行も、殆ど全て自分で計画して手配して、エージェントにはチケットを頼むくらいであったが、この方が思い通りに対応できて便利であった。
   このブログでも、旅行記を掲載しているが、パック旅行に便乗したのは、最近になってからのロシアと中国の旅だけである。

   最後に、行きたいと思ったのは、フィラデルフィアへのセンチメンタルジャーニーで、この口絵写真の独立記念館と自由の鐘を仰ぎ見て、一番最初に見た異国の思い出を噛みしめながら、母校を訪れたいと思ったのである。ついでに、ニューヨークで、METでオペラやミュージアムでの美術行脚、このブログの「ニューヨーク紀行」を反芻したいと願っていたのだが、もう、アメリカを自由に歩ける体力の自信がない。

   次の写真は、イギリスのカンタベリーのある繁華街の夜景、
   旅の疲れを癒しながらギネスをあおいだ懐かしい憩いのひと時、
   傘寿を超えた老兵には、涙が零れるような旅の思い出が充満している。
   
   
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史上最大の日経平均株価の乱高下

2024年08月09日 | 
   5日に、日経平均株価が大暴落して、悪夢のブラックマンデーを再現したと思ったら、翌6日には、最大の上げ幅で株価が高騰して、乱高下の凄まじさを示した。
   その後、小幅で上下して、今日9日は、まだ、大暴落前の株価水準からは遥かに低いが、ほぼ、大荒れせずに小康状態で推移している。

   さて、先日来、色々な株価情報を読んでいて、何の記事であったのか忘れてしまったのだが、今回の巨大な乱高下については、特に異常ではなく、日経平均株価の長期上昇トレンドに沿った動きであると説いて、次の図表が示されていた。
   確かに図表を見ると、今回のブラックマンデーを超える大暴落も、このトレンドグラフの枠内に収まっているのである。
   大暴落直前の4万円越えの高値が突出し過ぎていたと言うことであろうか。
   

   このグラフから推測すれば、現在の35000円くらいから1~2年調整局面で推移して、徐々に値上がりして行き、長期トレンドに回帰して、上昇局面に向かうということになろうか。
   尤も、これは統計上のトレンドの推移である。今回の大暴落のようにアメリカ経済の減速懸念が引き金となったように、株価決定要因は、景気や企業の業績以外に、金利、外国為替、政治・政策、国際情勢、天候・災害、海外市場など、さまざまな要因が絡んで錯綜するので、予想外の紆余曲折はあろう。しかし、大局的かつ長期トレンドとしては、参考にはなろう。

   
   今回の株価大暴落前と後に、100万円弱、NISA成長投資枠で株を買ったが、9日終値で、すでに、10%以上の含み損となっている。
   また、大暴落前には、どうにかイーブンであったわがポートフォリオも、手仕舞いをミスって、金融株主体なので、一気に20%の評価損となってしまった。
    まだ、課税対象の特定口座の株もあるので、手仕舞いして新NISAに買い替えたいが、含み損で赤字であるから損切を決断するまでほっておく。旧NISAの売却タイミングも難しい。
   いつ回復するか分からないが、少し市況が好転するまで、様子見で、回復しなければ塩漬け。
   泡沫投資家でも、それなりに悩みがあるのである。

   朝の来ない夜はないので、必ず、いつかは、日経平均株価は上昇トレンドに乗るはず。長期を見据えて、気長に待つことである。
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PS:ジョセフ・ナイ「AI と国家安全保障 AI and National Security」

2024年08月08日 | 政治・経済・社会時事評論
   プロジェクト・シンジケートのジョセフ・ナイ名誉教授の「AI と国家安全保障 AI and National Security」

   テクノロジーは政策や外交よりも速く進むというのは自明の理であり、特に民間部門の激しい市場競争によって推進されている場合はなおさらである。しかし、今日の AI に関連する潜在的なセキュリティ リスクに対処するには、政策立案者がペースを上げる必要がある。というのである。
   
   ナイ名誉教授の論旨を抄訳する。
   人間は道具を作る種であるが、作った道具を制御できるであろうか、と核兵器の制御から問題を提起して、
   現在、多くの科学者は人工知能 を同様に変革的なツールと見なしている。以前の汎用テクノロジーと同様に、AI には善にも悪にも大きな可能性がある。がん研究では、AI は数分間で、人間のチームが数か月かけて行うよりも多くの研究を整理して要約することができる。同様に、人間の研究者が解明するのに何年もかかるタンパク質の折り畳みのパターンを、AI は確実に予測することができる。
   しかし、AI は、害を及ぼそうとする不適合者、テロリスト、その他の悪意のある行為者にとって、コストと参入障壁を下げる。最近の RAND の調査が警告しているように、「天然痘に似た危険なウイルスを復活させる限界費用はわずか 10 万ドルだが、複雑なワクチンの開発には 10 億ドル以上かかる場合がある。」
   さらに、一部の専門家は、高度な AI が人間よりもはるかに賢くなり、人間が AI を制御するのではなく、AI が人間を制御するようになるのではないかと懸念している。このような超知能マシン (人工汎用知能と呼ばれる) の開発にかかる時間の見積もりは、数年から数十年までさまざまであるが、いずれにせよ、今日の狭義の AI によるリスクの増大は、すでにより大きな注意を必要としている。

   アスペン戦略グループ(元政府関係者、学者、実業家、ジャーナリストで構成)は、40年にわたり毎年夏に会合を開き、国家安全保障上の大きな問題に焦点を当ててきた。過去のセッションでは、核兵器、サイバー攻撃、中国の台頭などのテーマを取り上げてきており、今年は、AIが国家安全保障に与える影響に焦点を当て、メリットとリスクを検討した。
   メリットには、膨大な量の諜報データを整理する能力の向上、早期警戒システムの強化、複雑なロジスティクス システムの改善、サイバー セキュリティを向上させるためのコンピュータ コードの検査などがある。しかし、自律型兵器の進歩、プログラミング アルゴリズムの偶発的なエラー、サイバー セキュリティを弱める敵対的 AI など、大きなリスクもある。
   AI は軍拡競争を繰り広げているが、構造的な利点もいくつかある。AI の 3 つの主要なリソースは、モデルをトレーニングするためのデータ、アルゴリズムを開発する優秀なエンジニア、およびそれらを実行するコンピューティング パワーである。中国はデータへのアクセスに関して法律やプライバシーの制限がほとんどなく(ただし、一部のデータセットはイデオロギーによって制限されている)、優秀な若手エンジニアが豊富にいる。中国が米国に最も遅れをとっているのは、AIの計算能力を生み出す先進的なマイクロチップの分野である。
   米国の輸出規制により、中国はこれらの最先端のチップだけでなく、それらを製造する高価なオランダのリソグラフィー装置にもアクセスできない。アスペンの専門家の間では、中国は米国より1、2年遅れているという意見で一致しているが、状況は依然として不安定である。バイデン大統領と習近平主席は昨年秋に会談した際にAIに関する二国間協議を行うことで合意したが、アスペンではAI軍備管理の見通しについて楽観的な見方はほとんどなかった。
   自律型兵器は特に深刻な脅威となっている。国連での10年以上の外交を経ても、各国は自律型致死兵器の禁止に合意できていない。国際人道法では、軍隊は武装した戦闘員と民間人を区別して行動することが義務付けられており、国防総省は以前から、兵器を発射する前に人間が意思決定に参加することを義務付けてきた。しかし、飛来するミサイルを防御するといった状況では、人間が介入する時間はない。

   状況が重要なので、人間は(コード内で)兵器のできることとできないことを厳密に定義する必要がある。言い換えれば、人間は「ループ内」ではなく「ループ上」にいる必要がある。これは単なる推測の問題ではない。ウクライナ戦争では、ロシアがウクライナ軍の信号を妨害し、ウクライナ軍に、いつ発砲するかについての最終的な意思決定を自律的に行うようにデバイスをプログラムするよう強いている。
   AI の最も恐ろしい危険性の 1 つは、生物兵器やテロリズムへの応用である。1972 年に各国が生物兵器の禁止に同意したとき、自国側への「ブローバック」のリスクがあるため、そのようなデバイスは役に立たないというのが一般的な考えであった。しかし、合成生物学では、あるグループを破壊し、別のグループを破壊しない兵器を開発できる可能性がある。あるいは、実験室にアクセスできるテロリストは、1995年に日本でオウム真理教が行ったように、できるだけ多くの人を殺したいだけなのかもしれない。(彼らは伝染しないサリンを使ったが、現代の同等の組織はAIを使って伝染性ウイルスを開発する可能性がある。)
   核技術の場合、各国は1968年に核拡散防止条約に合意し、現在191か国が加盟している。国際原子力機関は、国内のエネルギー計画が平和目的のみに使用されていることを確認するため、定期的に検査を行っている。また、冷戦時代の激しい競争にもかかわらず、核技術の主要国は1978年に、最も機密性の高い施設と技術知識の輸出を控えることに合意した。このような前例は、AIにいくつかの道筋を示唆しているが、2つの技術には明らかな違いがある。

   以上の論点から、ナイ名誉教授は、次のように結論付けている。
   特に民間部門の激しい市場競争によって推進されている場合、技術は政策や外交よりも速く進むというのは自明の理である。今年のアスペン戦略グループの会議で大きな結論が一つあったとすれば、それは政府がスピードを上げる必要があるということである。
   科学テクノロジーの分野、特にAI分野においては、国家安全保障のみならず政治経済社会の秩序安寧の維持のためには、政府公共部門が、はるかに先を走って指針を示してコントロールしなければならないと言うことであろうか。
   このことは、社会が進歩発展すればするほど、人知を超えた領域に突入してコントロールが効かなくなり秩序を破壊するので、高度に知的武装した公権力による制御が必須だということでもあろうか。
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NHK BS:ウィーン国立歌劇場「トゥーランドット」

2024年08月05日 | クラシック音楽・オペラ
   昨年12月に上演されたウィーン国立歌劇場の歌劇「トゥーランドット」(プッチーニ) アスミク・グリゴリアン&ヨナス・カウフマン スター歌手の競演!を、NHK BSが7月に放映した。

   NHK解説の番組内容は、
   ウィーン国立歌劇場 歌劇「トゥーランドット」(プッチーニ) 当代きってのスター歌手がタイトル・デビュー。役になりきった圧巻の歌唱は必見! 出演:アスミク・グリゴリアン(トゥーランドット)、ヨナス・カウフマン(カラフ)、イェルク・シュナイダー(皇帝)、クリスティーナ・ムヒタリヤン(リュー)他 管弦楽:ウィーン国立歌劇場管弦楽団、指揮:マルコ・アルミリアート 演出:クラウス・グート

   プッチーニが、「トゥーランドット」を未完で世を去ったので、「リューの死以降」を補筆したのが、フランコ・アルファーノだが、初演を指揮したトスカニーニが大幅に削除を要求して、以降このカット版で上演されてきた。しかし、今回は、完全版の上演だという。

   それに、古代の中国ムードたっぷりのエキゾチックな従来のような舞台ではなく、今回は、
   ファシズムの影が差す、初演時のヨーロッパの連想から、演出家グートは、舞台から中国趣味を排除して、カフカとジャック・タチ「プレイタイム」をヒントにスタイリッシュな不条理空間を創造するという。
   衣装も、口絵写真のとおりで、合唱団はもちろん殆どの出演者は背広や洋服姿であり、セットもシンプルで、時空を超えた中性の演出。
   時代考証のしっかりした演出のオペラが好きだし、
   これまでの、中国趣味の「トゥーランドット」の舞台の印象が刷り込まれているので、華麗なプッチーニ節はそのままとしても、やや、戸惑いを感じた。

   さて、この「トゥーランドット」は、ペルシャなどの「謎かけ姫物語」の一類型。
   先祖の姫が異国の男性に騙され、絶望のうちに死んだので、世の全ての男性に復讐を果たすために、絶世の美女トゥーランドット姫 は、言いよる王子たちに三つの謎を与えて解けなかったので総て斬首する残忍な話。ところが、一目ぼれしたチムールの 王子カラフが謎解きに成功して氷のように冷酷なトゥーランドットを陥落させる。勿論、カラフの愛をすぐに受け入れる姫ではなく、拒絶して逃げるので、カラフが自分の名前を言えば許すという。
   ここで、名前を探索するために布告を出す有名なアリア「「誰も寝てはならぬ」Nessun dorma 」の舞台。トゥーランドットは、唯一名前を告白できるチムールの娘リュー(カラフに密かに想いを寄せる召使)を痛めつけるが、自殺する。
   この舞台では、秘密を守り抜いて喜びさえ感じて死んでゆくリューに、何故それほどまでに強いのかと問い詰めて、「愛」だと応えられて、自殺にショックを受けて思いつめるトゥーランドットを描いていて印象的であった。
   終幕に、玉座の前に進み出た姫が、「彼の名は……『愛』です」と宣言する のだが、このオペラのメインテーマは、「愛」であり、氷の女トゥーランドット姫の謎解きの熾烈さ冷酷さと対比させたのである。
   トスカニーニが削除した部分がどこか良く分からなかったが、カラフに接吻されて一変したトゥーランドットが、最初会ったときからカラフに英雄の姿を感じて愛を覚えたと心情を吐露していたので、このあたりであろうか。

   オペラで、最も好きなキャラクターの一人がリューなのだが、このオペラでも、第1幕の、「「お聞き下さい、王子様」Signore, ascolta 」から、第3幕のトゥーランドットへ歌いかける「心に秘めた大きな愛です」Tanto amore, segretoと「氷のような姫君の心も」Tu che di gel sei cinta 等々、切々と歌い上げる美しい愛の賛歌ともいうべき素晴らしいアリアを歌って感動的であり、クリスティーナ・ムヒタリヤンはすごい歌手である。

   さて、次の写真は、主役のアスミク・グリゴリアン(トゥーランドット)とヨナス・カウフマン(カラフ)の二人。
   文句なしに、感動的な素晴らしい舞台を見せて魅せてくれた。コメントなどは蛇足なので止める。
   美しいプッチーニ節を連綿と情感豊かに歌わせるマルコ・アルミリアートの指揮の冴え。
   とにかく、久しぶりの「トゥーランドット」。感激頻りであった。
   


  

   さて、ビデオも含めて随分「トゥーランドット」の舞台を観ている印象だが、このブログの記録によると、ニューヨークのMETとロンドンのロイヤル・オペラで1回ずつ、それに、イタリア・ヴェローナのローマ時代の野外劇場で 鑑賞して、最も最近は、ウクライナ国立歌劇場の来日公演であるから、随分前の話である。

   やはり、一番印象的であったのは、ヴェローナのローマ時代の古代劇場の舞台で、記録を再録すると、
   ヴェローナ野外オペラは、世界屈指の夏のオペラフェスティバルなので、その壮大なスケールに圧倒されるのだが、兎に角、舞台そのものが巨大なアリーナの一角に設営され、横幅の長さは端から端まで大変なもので上は観覧席の最上階までを使っての公演であり、開演前に場外に置かれている舞台装置や道具を見ても巨大な高層ビルほどの大きさもあり度肝を抜かれる。
   トゥーランドット(アンドレア・グルバー)を載せて舞台を動くドラゴンの迫力も凄いが、広大な舞台を埋めつくす多くの兵士や群集の数など大変なもので、その群衆たちが舞台を縦横無尽に移動しながら合唱やバレエを演じるのであるから、そのスペクタクルは特筆に価する。
   片隅に設えられた舞台で、ホセ・クーラのカラフが「ネッスンドルマ 誰も寝もやらず」を歌い始めると巨大な場内も水を打ったように静かになる。
   このローマの野外アリーナは非常に音響効果が良いのである。
   グルバーのトゥーランドット、ホセ・クーラのカラフ、マヤ・ダシュクのリューの素晴らしさは言うまでもないが、イタリアのコーラスの途轍もないサウンドの凄さ、バレエの迫力、とにかく圧倒的なトゥーランドットの舞台であった。

   翌日観たのは、壮大なスペクタクル演出の「アイーダ」。
   「ロメオとジュリエット」の故郷、ヴェローナは素晴らしい古都である。
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パソコンがやっと元に戻った

2024年08月03日 | 
   6月から7月にかけて、パソコンが動かなくなって初期化したり、メールアドレスが乗っ取られて機能不全になるなど、パソコンで受難にあった。
   やっと、どうにか、元に戻って使えるようになった。   

   私は、4年前に新しいデスクトップに切り替えて、順調に使っていたが、6月に何らかの原因でパソコンが動かなくなり、富士通の指示でも修理できなかったので、仕方なく初期化した。
   上等なパソコンを買ったので、保証期間の5年くらいは大丈夫だろうと思って、大容量の外付けハードディスクを付けながら、十分にバックアップを取っていなかったので、多くのデータを失って苦労しており、いまだに、回復に四苦八苦している。

   もう一つ、被害を受けたのは、6月と7月の2回、PLALAのメールアドレスを盗まれて、20年近くも使っているメールの送受信などが滅茶滅茶になってしまったことである。
   巧妙に仕組まれたフィッシンングメールに引っかかったようで、PLALAが異常な負荷を察知してPWを急遽変更して防御したので大事に至らなかったのだが、何千通という受信拒否通知のメールが飛び込んできて頭が真っ白になった。
   さらに、それに加えて、6月に2件、7月に1件、わがPLALAアカウントに、得体のしれないオプションメールアドレスが作られていて、その最後の1件を、今日、PLALAの指導で削除し終えた。
   これで、PLALAメールアドレス盗難事件は、一応終わったのでほっとしている。

   去年、NHKを騙るフィッシング詐欺に引っかかって、すんでのところで気付いて大事に至らなかったのだが、
   PLALAの場合など、最初にログインした段階で、PLALAのHPに飛ぶので疑いもしなかったのだが、要は、PLALAから、そして、何処の機関からも、余ほどのことがない限り、個人宛にメールなど送信するはずがないということである。

   20年も同じMAを使っているので、わがMAは漏洩していて、毎日何十というアマゾンやヤマトなどの名前を騙った色々な発信元からフィッシングメールが飛び込んできて、受信拒否しても雲霞のように押し寄せてきて、削除の鼬ごっこである。
   いっその事、メールアドレスを変えようかと思ったが、各所への通知など老年には無理なので諦めている。

   とにかく、最近では、クレジット会社など重要な関係先メールは開けずに消去して、直接それぞれのHPを開いて、マイページから、情報を確認している。
   尤も、慣れた会社のHPなら問題ないが、googleやyahooで検索しても、当該会社の正しいHPに中々到達できずに大変な場合も多いので、一苦労ではある。巧妙な偽装工作には、なかなか、対処できないのである。

   空気や水のように、何の不自由もなく使えているうちは重宝して良いのだが、一度止まると四苦八苦するのが、パソコン。
   毒されているようにも思えるが、生活の一部である。


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