熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

都響C定期・・・インバル×都響の”スタンダード”

2019年03月31日 | クラシック音楽・オペラ
   今日の都響のC定期公演は、インバル×都響の”スタンダード”

   指揮/エリアフ・インバル ピアノ/サリーム・アシュカール
  ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第1番 ハ長調 op.15
   チャイコフスキー:交響曲第5番 ホ短調 op.64

   インバルは、都響に1991年に初登壇、特別客演指揮者(1995~2000年)、プリンシパル・コンダクター(2008~14年)を務め、2014年4月より都響桂冠指揮者という存在であるから、精神的にも両者一体という感じで、肝胆相照らす関係というか、コンサートホールでは、燃えに燃えるのであろうか。
   ベートーヴェンのピアノ協奏曲1番の演奏では、ピアニストのアシュカールの端正で折り目正しい演奏に呼応すべく、オーソドックスなサウンドに終始したが、チャイコフスキーの5番においては、自然を限りなく偉大だと賛美したロシア語のウミレニエの爆発、普遍性を内包した土俗性の強烈な発露というか、美しく感動的なメロディーから迸り出るダイナミックなエネルギーを感じて、感激して聴いていた。
   高峰秀子が、パリの真っ赤な夕日の思い出を書いていたが、私には、この交響曲を聴いていて、初めて見たザンクトペテルブルグの美しいネバ川の夕闇の風景を思い出していた。
   私は、不思議にも、能を観ていて、詞章を膨らませて想像やイマジネーションを活性化するのは苦手なのだが、クラシック音楽のコンサートでは、欧米の懐かしい風景や思い出が、どんどん出てきて、いくらでも、自分の世界に入って行けるのである

   フィナーレの壮大なドラマの咆哮ともいうべき高揚では、インバルは、背後のバーに、2度も手をついて体を支えて大きく片手を振り上げる激しい指揮で、最後に両手を振り下ろした時には、その途轍もない感動に感極まった表情でフリーズ。会心のチャイコフスキーを紡ぎ出した満足感を味わったのであろう。

   チャイコフスキーとしては、第6番の悲愴が有名だが、コンサートでは、案外、この5番を聞くことの方が多い。

   インバルは、ユダヤ人のようだが、時代が変わったのであろう。
   昔、フィラデルフィアに居た時に、アカデミー・オブ・ミュージックで、ムラビンスキー指揮のレニングラード・フィルの演奏会があったのだが、当時、ソ連が、ロシア系ユダヤ人の海外移住を認めなかったので、在住ユダヤ人が抗議を意図して、座席の一方、右だったか左だったか忘れたが、チケットを買い占めて、劇場の座席半分が空席のままの演奏会が開かれてびっくりしたことがあった。
   別に、ユダヤ人のインバルが、ロシア人のチャイコフスキーの演奏をしても不思議はないのだが、あのユダヤ人ハイティンクが、ロイヤル・オペラで、ワーグナーの楽劇の殆どを演奏したのを聴いて、ユダヤ人のワーグナー拒否が解禁されたのかと思って、気をもんだことがあったが、音楽には国境がなくなったと言うことであろうか。
   私は、ロシア人魂もロシア人気質も全く知らなくて、ただ、ロシアを1週間旅しただけなので、偉そうなことは言えないのだが、インバルのチャイコフスキーを聴いていて、多くの本や映画や資料の数々から作り上げた私のロシアのイメージが、一気に彷彿としたことは事実である。

   ピアノのサリーム・アシュカールのアンコールは、トロイメライ。
   
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わが庭・・・ハナカイドウ咲く、椿:バレンタインデー、ミリンダ、トムタム

2019年03月30日 | わが庭の歳時記
   ソメイヨシノと呼応するかのように、わが庭のハナカイドウが、華奢な淡いピンクの花を開き始めた。
   近所の庭に1本ずつ植えられたソメイヨシノが、街路に沿って小学校の塀越しに繋がって大通りまで桜並木が続いていて、華やかである。
   千葉の庭に、八重桜の普賢象を植えていたのだが、長い間留守をしてロンドンからの帰りを待ってくれていたかのように、奇麗に咲き乱れていて、翌年、枯れてしまった。
   その後、何となく桜を敬遠して、儚く逝ってしまった愛犬の死に接してから、桜を植えなくなり、犬も可哀そうな死に目に会いたくなくて飼わないことにしている。
   さて、鎌倉のハナカイドウと言えば、妙本寺の巨木は豪華であり、長谷寺の隣の光則寺、扇が谷の海蔵寺も見事で、ぼつぼつ、咲き乱れるシーズンである。
   
   
   

   昨秋、垣根の外、川沿いの斜面(地所内)に、源平桃も苗木を植えておいたら、まだ、小木なのに、びっしりと花を咲かせた。
   庭の照手紅は、ウントモスントモ言わず、枯れ木状態のまま、枯れたのであろう。
   サクランボも、暖地は、盛んに芽吹いているのに、自家受粉すると言うので植えたステラは、枯れ木状態のまま、心配してよく見たら、一つの蕾の先から、かすかに、緑の芽が出ているので、ほっとした。
   遅咲きであろう、枝垂れ菊桜も、まだ、休眠状態で芽は動いていない。
   
   

   椿も、入れ代わり立ち代わり、咲き続けている。
   まず、バレンタインデー、
   匂うように美しいピンクのミリンダ、
   まだ、咲き始めたところなので、宝珠咲き。
   
   
   
   

   一気に咲いたのが、マーガレット・デイビス、
   しかし、似ても似つかない花形。
   同時に、3本買って、庭植えしたのだが、それぞれ、個性があって、咲いた花が全く違っていた。
   枝を切っての挿し木なので、その枝によって、全く違った苗木となり、マーガレット・デイビスは、何度も交配し続けた雑種なので、その枝が、先祖返りなどであると、全く違った椿苗となる。
   これも、その種類であろうか。
   図鑑通りのマーガレット・デイビスの木は、今年蕾をつけなかった。
   
   
   

   面白いのは、咲き続いているトムタム。
   典型的な花は、整然とした奇麗な千重咲きなのだが、咲き始めだと、一寸雰囲気が違って面白い。
   
   
   
   
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国立能楽堂・・・寺社と能・清涼寺

2019年03月29日 | 能・狂言
   国立能楽堂が、企画公演として、
   ◎能を再発見する/寺社と能 清凉寺 を上演した。
   寺社と能は、前に、四天王寺が舞台となり、四天王寺の「天王寺舞楽」と能「弱法師」が、舞台にかかったのを思い出す。
   今回のプログラムは、
   嵯峨大念佛狂言(さがだいねんぶつきょうげん)
    釈迦如来(しゃかにょらい)  嵯峨大念佛狂言保存会   40分
   解説 ―「百万」の原形と現形  天野 文雄(京都造形芸術大学教授)
    観阿弥時代の能
     百万(ひゃくまん)  観世 喜正  70分

   狂言も能も、清凉寺に所縁のある曲だが、狂言の方は、何時もこの舞台で演じられている狂言とは、随分違うし、能「百万」の方も、観阿弥時代の能で、見慣れている世阿弥の「百万」とは、かなり、違っていて、非常に興味深い経験をした。

   嵯峨大念佛狂言の「釈迦如来」が、面白かった。
   まず、舞台の後方中央、すなわち、囃子座に、向かって右から、鉦と太鼓、笛、後見の3人が居を占めて、囃子の合図で、揚幕から、お釈迦様を両脇に抱えた坊主と住持が、登場するのだが、この狂言は、一切演者が喋らないので、囃子方が総ての進行を音で表現し、パントマイム形式の無言劇なので、すべて演者が手真似足真似で表現するために、アクションが、大仰で大げさとなるので、非常に滑稽味があって面白い。 

   坊主と住持が、お釈迦様を安置して拝んでいると、母と娘がやって来て、お釈迦様を拝みたいと言う。
   話は極めて単純で、美人の母が拝むとお釈迦様は喜んで反応するが、おかめの娘が拝むと反対側を向いてしまう。方向転換させるために、もう一度母に来てもらって拝むと、お釈迦様は、母と肩を組んで行ってしまう。仕方なく、坊主がお釈迦様の代わりに立つと、娘がやって来て拝むと、坊主も娘と肩を組んで行ってしまう。残された住持が、お釈迦様の代わりに立つのだが、誰も拝みに来ないので、仕方なく帰ってしまう。そんな話だが、お釈迦様が信者の美醜に反応するとは思えないが、演者たちの繰り広げる滑稽なオーバーアクションが面白い。
   大念佛会で、演じられた狂言であるから、老若男女を喜ばせたのであろう。
   嵯峨大念佛狂言の曲は、能の曲名と同じ曲が多くて、内容はどう違うのか興味のあるところだが、「カタモン」と「ヤワラカモン」があって、この「釈迦如来」は、「ヤワラカモン」だと言うがさもありなん。

   パントマイムは、無言劇の典型だが、手話と同じように、バレエなども、約束事や型、手振り足振りというか、様式化されたアクションで表現するので、パフォーマンス・アーツの原型は、言葉のない無言のパフォーマンスであったような気がしている。
   能狂言の囃子と違うのは、一人の奏者が奏するドラのような鉦と太鼓が、小鼓、大鼓、太鼓の役割を果たしていることで、当然、地謡方は登場しない。
   詞章がない狂言とは、いわば、飛車角落としで将棋を指すようなものだが、どうしてどうして、素晴らしい舞台であった。

   能「百万」は、初歩の私でも、3回くらいは鑑賞している。
   今回の観阿弥時代の能「百万」を、復活に携わった天野文雄教授が、「百万」の原型と現型について語った。
   両者の主な改編は二つ。
   一つは、シテの百万が舞う曲舞「地獄の曲舞」を、別れた我が子との再会を清凉寺の本尊釈迦如来に祈念する内容の「舞グセ」に変えたこと、
   もう一つは、「嵯峨の大念佛の女物狂の物まね」と呼ばれていた当時には出ていたはずの車「癖舞車」を出さなくしたこと、
   従って、今回は、現行の「クセ」を、「地獄の曲舞」に変え、曲車出して、改編以前の形で上演された。
   「百万」が、女曲舞の名手という芸能者であって、その芸を狂いとして描いた物狂能であったのが、子を思う母親の心情(狂乱)を中心とした人情物的な物狂能になっていたと言うことである。

   なお、嵯峨清凉寺の大念佛は、融通念仏を広めた円覚上人の創始だと言われており、その円覚には幼い時に母と別れて、後に再会したと言う経緯があり、それが本曲の背景にあるのではないかと言われている。
   シテ/百万 観世善正、ワキ/福生茂十郎
   
   
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高峰 秀子著「わたしの渡世日記〈下〉 」

2019年03月27日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   下巻は、戦争終結時点より始まり、戦後の混乱状態の日本や、共産党主導の組合運動で、東宝が分裂して、新東宝になった経緯や、その頃の映画界の状況がビビッドに描かれていて、興味深い。
   当然、高峰秀子もデモや集会に参加したのである。
   当時の激しい労働争議の状況は、テレビや映画での映像しか知らないが、私が参加したデモは、安保反対で大荒れに荒れた学生運動で、京大は激しかったので、良く分からないままに、河原町に繰り出したのを覚えている。教授が、学生集会に登壇して、戦えと烈しくアジっていたし、時計台にチェ・ゲバラの垂れ幕が掲げられていたと言う何が何だか分からない異常な時代だったのである。

   上巻で、小学校さえ真面に出ていない高峰秀子が、どのようにして知性と教養を積み重ねて来たかについて書いたが、山本嘉次郎に感受性の重要さを教えられてから、必死で勉強したが、その自己流勉強法は、やはり、「耳学問」であったと言う。

   対談や座談会に努めて出席し、相手の言葉から一滴でも二滴でも栄養を吸収しようと言う魂胆だった。
   手当たり次第に、見る、聞く、読む、がむしゃらに、落ち葉をかき集める熊手のように、知識と名のつくものを、自分の手元に引き寄せた。
   「人気女優」の特権というか色々な有名人とも会う機会があるが、途方もなく立派な谷崎潤一郎と小津安二郎を知って、人間の可能性を見るような気がして、当然、心境の変化を来して、ガリ勉を始めた。という。
   各1章を割いて、キッチリ山の吉五郎の小津安二郎と鯛の目玉の谷崎潤一郎について、高峰秀子の両巨匠論を展開しているのだが、身近に呼吸を共にして接してきた人物評あるので、非常に興味深い。

   芸について、世阿弥の「風姿花伝」を引いたりして持論を語っているが、興味深いのは、「最も本当らしい嘘」を演じるのは、高峰秀子自身の「真実」の感情を表情に託して、小島やお玉、つまり、他人の人生を生きることだと言う。
   谷崎潤一郎の葬儀で、高峰秀子の泣き顔を見て、大学教授が、評論で、「斎場でも映画でも高峰秀子は同じ顔であり、演技をしていた」と書いたのを見て、カッとトサカにきて、「私の真実の顔は、演技でも真実でも一つしかなかった」と息巻いているのだが、けだし至言で、流石に、高峰秀子だと思った。
   もう一つ、人間になるには、俳優になるには、「ものの心」を「人間の心」を知る努力をすることで、「人間の痛さが分かる人間」になることで、「自分が本当に年老いた人になった思えば、演技も自然にそうなる」とも言っている。

   高峰秀子は、上巻で、子役だった昭和の初め、映画女優の殆どは、銀座や新宿あたりの喫茶店のウエイトレスか、チョコレート・ガールと呼ばれた製菓会社の広告用モデルから選ばれ、ただ「美人」でさえあればよかった、演技もヘチマもないし、勿論、学歴も必要ないし、「及川道子」と「岡田嘉子」くらいしか「才色兼備」は居なかったと言うから、酷い時代だったのであろう。
   高峰秀子の場合には、5歳から子役として映画入りしたのであるから、見習いというか、オン・ザ・ジョブトレイニングで、映画の撮影現場そのものが、映画教習所であり演劇学校であったと言うことであろうか。
   「栴檀は双葉より芳し」で、子役の時、台本1冊を丸暗記していて、花柳章太郎の「松風村雨」でプロンプター役を果たしたと言うのであるから、中村メイコばりの凄い子供役者だったのであり、あれほど多くの大作映画に出演して、殆どが主役だったと言うのだから、大女優にならない筈がないということであろう。
   欧米の舞台俳優や映画俳優、特に、シェイクスピア役者などでは、オックスブリッジやロイヤル・アカデミーなど高級教育機関で正規の芸術を学んで舞台に立っている人が結構いるのだが、チャップリンのケースもあり、
   いずれにしろ、日本の場合には、宝塚出身や歌手出身者など色々で、欧米とは違って、一寸、特殊なのかもしれないと思う。

   一つ興味深いと思ったのは、日本の政治家の映画への関心のなさについて、昭和33年に「日本映画見本市」でアメリカ旅行した時に、どこの会場でも、政治家や市長が姿を見せて、異口同音に、「映画は、政治家に取って、大切な勉強の資料で、良きにつけ悪しきにつけ、その時代を反映する鏡のようなものだ」と言っていたが、日本の政治家のセリフは、「私は映画に縁がない」だと述べていたことで、多少なりとも映画に関心をていたのは、宮澤喜一、大平正芳、佐藤栄作の3人だけだったと言うのが面白い。

   一緒に、多くの名作を残した木下恵介監督との出会いが、東宝の青柳某の不始末だったと言うのが何ともま抜けた話だが、一度は、出演を蹴っており、改めて誘いが来たのが、本邦第一作の総天然色映画「カルメン故郷に帰る」と言うことで、感度の鈍いカラー撮影が、如何に大変だったか克明に描かれていて興味深いが、「二十四の瞳」など、木下監督との映画つくりや交流描写が、当時の映画界を彷彿とさせて面白い。

   高峰秀子の映画人生が、名声を博しながらも、実生活では如何に悲惨で大変であったかということは、この本で克明に描かれているのだが、しかし、映画女優として絶頂期にありながらも、パリに6か月、アメリカに1か月、特に確たる目的もなく、世間並みの生活をしたことがないので、普通の人間同士がどれほどの親切や愛情を持ってお互いに支えあって生きているかを自分の目で見、経験したかったために、「時間を稼ぎに」日本を脱出したと言う。
   仏文学者渡辺一夫教授の紹介で、元下宿先に滞在して、思いのままにぶらぶら過ごしていたようだが、パリの燃えるような夕焼けの空を、懐かしく楽しく思い浮かべることのできる自分を幸せだと思っている。と書いているから、貴重な経験であったのであろう。

   忘れられた筈だと思って帰ってきたら、「二十四の瞳」ほか、超多忙の日々、
   松山善三との結婚など、興味深い話が続くのだが、話の大半が、30年代初めころで終わっているのが、何となく寂しい気がしている。
   
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わが庭・・・椿:エレガンス・シャンパン、ジュリア・バー、王昭君咲く

2019年03月26日 | わが庭の歳時記
   桜の開花も相次いでおり、わが庭の椿も、殆どの椿の蕾が色づいてきて、次々と咲いている。
   エレガンス系椿の最後に、エレガンス・シャンパンが、やっと咲いて、3種のエレガンス系の椿の花がそろった。
   純白の唐子咲きの椿で、一寸、淡いクリーム色ががって、美しい。
   
   
   
   
   

   エレガンス・シュプリームも、エレガンス・スプレンダーも咲いていて、こちらの方は、色彩が派手である分目立つのだが、いずれにしろ、1960年代の作出であるから、もう、定着した洋椿である。
   安達瞳子さんの「椿しらべ」で、洋種椿として紹介されている椿9種のうちの2種であり、私が育てているのは、そのほかに、マーガレット・デイビスとダーロネガなのだが、これは、偶然である。
   
   
   
   
   千葉の庭から委嘱したジュリア・バーが咲き始めた。
   何故か、この椿は、葉の付き方が悪くて成長が遅く、やっと、鎌倉の庭に馴染んだ感じである。
   先に咲いたジュリア社のジュリア・フランスは、花もちが良くて、15センチ近くの大輪を、そのまま、奇麗な状態で維持し続けている。
   この花は、先日METライブビューイングで見た「椿姫」に使われていた白い椿とほとんど同じで、フランス人好みの椿なのであろう。
   
   
   
   
   

   王諸君は、今年1輪しか咲かなかった。
   この椿は、もう少し様子を見ようと鉢植えのままなのだが、昨年とは違った花姿なので、来年に期待しようと思う。
   同じような雰囲気で、もっと花弁が多くて、千重先のトムタムが、奇麗な形で咲きだした。
   
   
   

   一般より少し遅れて、モクレンが満開となり、雪柳が咲き始めた。
   雪柳は、小さな株の時は、ピンクであったが、何故か、大きくブッシュ状に育つと、白花になってしまった。
   
   
   
   
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NHK:ガテン系だけではないファッション衣料

2019年03月25日 | 経営・ビジネス
   今夜9時のNHKニュースで、安全・健康・快適職場を提案しますと言う建設現場などで働く人々の作業着などの専門メーカーのミドリ安全株式会社が、蓄積したノウハウを生かして、ゴルファー用に腰の故障を抑えるズボンを開発したと、ガテン系労働者用の衣料メーカーが、製品にファッション性を加味して、新しい事業展開を始めている。と放映していた。

   ミドリ安全は、安全靴・ヘルメット等安全衛生保護具・ユニフォーム・防災用品・医療機器・分煙システム等の豊富な品揃えで、安全・健康・快適職場を提案します。というキャッチフレーズで事業を行っているとかで、ほぼ、ガテン系用の製品メーカーである。
   建設作業員などが腰を痛めないように工夫して製造販売している製品作りのノウハウが、当然、腰を痛めることの多いゴルファーのサポート用品として、一寸格好良く、ファッション性を高めて粋なスラックスに仕立てれば、一石二鳥であろう。
   クライマーが、雪山にアタックする時に使う手袋は非常に高価だが、それよりも防水性と保水性が高くて安い建設現場用の手袋の方がはるかに良くて、皆使い始めたと言う。

   これなどは、何回も書いているクリステンセンのローエンドからの参入であるから、破壊的イノベーションというほど、大げさなものではないとしても、既存メーカーの持続的イノベーションを凌駕して、取って代わる製品要素は、十分に備えている。

   建設労働者用の作業着と言えば、何となく厳つくて見栄えが良くなくて野暮ったい感じを与えるが、しかし、考えてみれば、過酷で厳しい労働環境に適応すべく、様々な工夫がなされて作られており、そういった面では、十分に実用に耐える、時には、革新的な技術ノウハウが、取り入れられて、立派な製品が生み出されている筈であり、ほかの製品に活用されれば、大いに役立つはずである。
   しかし、その技術ノウハウなど、工夫の成果が、経営戦略を専業メーカーに限定している限り、外に出る可能性は低いのだが、今回は、需要の頭打ち回避の新規事業開発の一環としてなされたようで、スポーツ用品メーカー市場への参入と言うことになろう。

   今回の場合の市場展開のために最も重要なことは、ファッション性確保の戦略である。
   ユニクロやイケアが、有名デザイナーを起用して製品を作るなど、これまでの安くて簡便な製品イメージを、アップ高級化して、事業展開を図ったが、このような戦略も重要であろう。
   同じ写真、フィルムメーカーでも、コダックは消えてしまったが、富士フィルムは、培ってきた技術ノウハウを活用して、化粧品など新商品開発のイノベーターとして、脱皮したが、ガテン系メーカーの場合には、製品製造能力ノウハウは十分備えているのであるから、とにかく、格好よくスマートで粋な、既存競争会社の上を行く製品を生み出して、ブランドイメージを確立することである。

   余談だが、以前にも書いたが、私は、現役を引退してから、日常生活では、多少、形式ばったところへでも、格好のよいウオーキングシューズで通しており、ノーネクタイで行ける所へは、背広やジャケットを羽織っても、殆ど、その下は、シャツなどミズノの製品で通している。
   私は、スポーツはしないのだが、季節や気候の変化にあったインナーなどは、そのために開発されているミズノの製品が適していると思っているので、重宝しているのである。
   願わくは、スポーツ一辺倒ではなくて、もう少し、フォーマルな製品も作ってくれれば、有難いと思っている。
   何も、ミズノが、高級ファッションの製品を作って悪いわけがなく、スポーツ用品製造で培ったノウハウを、新規事業展開に活用すれば良いのであるのだが、まあ、大きなお世話であろう。

   しかし、小学校の制服が、イタリアの超ブランドを採用する時代、実質よりも感性を重視する時代に突入したのであるから、すべからく、デザインが総ての帰趨を征する、
   何事も、粋で格好良くスマートなのが良いのである。
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高峰 秀子著「わたしの渡世日記〈上〉 」

2019年03月24日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   署名入りの高峰秀子と松山善三の「旅は道づれ ツタンカーメン」を、古書店で求めて、パラパラ読んでいて、急に、高峰秀子の自叙伝とも言うべき「私の渡世日記」を読みたいと思った。
   この本の出版は、1976/2/26であるから、半世紀近く前の本であり、高峰秀子の映画の方も結構見たつもりだが、晩年の作品のようで、「二十四の瞳」「喜びも悲しみも幾歳月」「無法松の一生」「名もなく貧しく美しく」など、いくらか強烈な印象が残っていて、大女優の姿は脳裏に残っている。

   また、これまで、何冊か高峰秀子の著書を読んでおり、その文才と機知にとんだ筆さばきが気に入っていたので、人気を博した著書でもあるので、読み始めたのだが、非常に面白く、まず、上下二冊のうち、上を読み終わったところで、第一印象を書こうと思う。

   ウィキペディアには、
   1975年(昭和50年)、『週刊朝日』誌上で『わたしの渡世日記』を連載。この本では関係者を実名で登場させ、国民的女優、かつ一人の女性としての半生を率直な態度で回想している。その内容に「本当に本人が書いているのか」という問い合わせが殺到したが、当時の週刊朝日の編集部では、「ゴーストライターを使っているなら、あんな個性的な文章にはなりません」と答えたという。

   私も何かの本で読んだが、大学教授か何かが、高峰秀子に、「自分で、文章を書いているのか」と聞いたと語っていたのだが、幼いころから、映画映画で、寸刻を刻んでわき目も振らずに働き続けてきて、小学校さえ真面に通えなかった高峰秀子が、このような教養豊かな文章を書けるはずがないと言う先入観なのであろう。
   この本でも、無学だと本人が自嘲気味に書いているのだが、30歳で松山善三と結婚した時に、二桁の掛け算もできなくて九九も満足に言えなかったので、掛け算や割り算を教えてもらい、漢和大辞典があることも知らず、神田へ行って「国語辞典」を買って辞書の引き方を教えてもらうなど、結婚と同時に、タダの家庭教師を獲得したわけだと言っているように、小学校もロクに行っていない情けない奴と、自分で自分をののしり同じ年頃の娘に嫉妬していたし、人一倍学校生活にあこがれ続けており、松竹から東宝への移籍の時に、文化学院に入学し、制服などのない学校だったので、本郷の「学習院制服専門店・宮内省御用達」の洋服店で、カシミアの布地でセーラー服を誂えて着て行き、私も女学生なのよとそう叫びたい思いを抑えるのがやっとで、おなかの底から、嬉しい笑いが沸き上がるのを抑えるのが精いっぱいだった。書いている。
   もっとも、この学校生活も、月に2~3日の当校では許されず短期間で退学となった。

   ウィキペディアには、シナリオ読みや読書による独学で熱心に教養を蓄え、また松山との結婚後は、自宅で松山のシナリオ執筆を口述筆記するなどの機会も得て、筆力を育てたと書いてあるが、この本では、母が世話をしていた早稲田の学生に風呂の帰り道に本屋に連れて行かれて初めて自分で本を買うことを知って、岩波文庫を片っ端から買って読んだと語っている。
   ところで、私自身は、高峰秀子は、独学独習で、凄い文才を築き上げたことは間違いない事実だと思っており、全く疑いはない。
   シェイクスピアを考えればわかるが、詳しくは分からないのだが、ストラトフォード・アポン・エイボンのグラマー・スクール、エドワード6世校に通ったと言われているが、どんな勉強をしたのか、そして、卒業したのかさえ分かっていないのだが、あれだけの凄い戯曲を、シェイクスピアが学校での教育だけで創作できるはずがないし、あの偉大な建築家の安藤忠雄が、世界中を駆け回って独学独習して最高峰の素晴らしい実績を上げている事実などを考えれば、正規の学問ではなく、一心不乱の人生を掛けた独学独習の威力が如何に素晴らしいかを証明している。
    それに、この本を通して見ても、高峰秀子が接している人々、その群像は、谷崎潤一郎、新村出、梅原龍三郎等々を筆頭にして、超一流の人々ばかりで、その桁外れの交友からえた直接間接の影響感化は勿論、耳学問を含めて、途轍もない価値を持っており、我々凡人の域をはるかに超えている。
   映画界では、子役の時から、最高峰の監督や映画俳優と仕事をし、エノケンや古川ロッパとも共演し、琴の演奏が必要だと言うと、宮城道雄に教えを請うなど、超一流との接触を通して、成長してきているのである。
   映画「馬」の撮影風景を克明に描いているが、山本嘉次郎の薫陶を受けて私淑し、忘れることのできない師であり、兄であり、遠くはなれた父のような人だったと言っており、このような、仕事を通じての切磋琢磨の威力も、高峰秀子の成長に大いに貢献したのであろうと思う。

   さらりと書いているが、私には、黒澤明との、線香花火のような本当の、しかし、儚い恋物語が、興味深かった。
   それに、この本は、戦争時代の描写も鮮やかで、おそらく、映画界を通しての昭和史としても貴重な本だと思っている。

   この上巻は、天皇陛下の玉音放送のあった終戦、高峰秀子21歳の時点で終わっている。
   北海道から転がり込んできた多くの親族の生活を一手に引き取って面倒を見なければならなかったので、金のために無我夢中で必死になって馬車馬のように働き続け、無学で身勝手な義母の厳しい監督下で、黒澤明との恋も叩き潰された悲惨な運命を駆け抜けてきたのだが、その後、どのように人生を歩んできたのか、このあたりになると、神武景気以降くらいから、私の生きた時代とも重なるので、楽しんで読めそうである。

   
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わが庭・・・椿:エレガンス・シュプリーム、鳳凰咲く

2019年03月23日 | わが庭の歳時記
   エレガンス・シュプリームが咲いた。
   この椿は、成長が遅くて、10年経っても1メートルくらいしか伸長しないと言う。
   わが庭の椿は、タキイから来た時には、20センチ弱の非常にか細い苗木であったが、2年ほど鉢植えで育てて、半坪庭に移植して3年、どうにか、70センチほどの成木になって、数輪ずつだが、毎年花を咲かせてくれる。
   
   
   
   
   

   エレガンス系は、唐子咲きの雰囲気だと思っているのだが、今咲いているこのエレガンス・スプレンダーは、獅子咲きに近い感じなので、いずれにしろ、雑種であったり、枝替わりを活用しているので、個体差があるのであろう。
   木が大きくなれば、同じ木にも、形や色の違った花が咲いたり、時期がずれると、相当違った花に変わることがる。
   木が大きくなれば、花も安定するのであろうが、びっくりするような花が現れると、新種となるのであろう。
   
   
   

   このタマグリッターズも、全く違った花形だが、いわば、悪く言えば、自然界の出来損ないと言うことであろうか。
   至宝の一輪も、何故か、芯が二つになって、歪な咲き方をしている。
   これらの出来損ないが、新種を生み出すと言うことであるから、面白いと思う。
   
   

   奇麗に咲く花もあれば、自然の造形は色々だが、絵に描いたような完璧は花は少ない。
   
   
   
   
   

   もう一つ咲き始めたのは、鳳凰。
   この花は、まだ、鉢植えだが、昨夏、水やりをミスって、殆ど枯れさせてしまった。
   椿は、水過多を嫌うのだが、水切れを起こすと、間違いなしに枯れてしまう。
   残念ながら、かなり大きく育っていた主木を伐り戻して、生きていた側枝だけ残して、生き返らせたのだが、その枝に数輪蕾をつけた。
   華やかな鳳凰が尾を引くような豪華な花を咲かせていたが、今回は、一寸貧弱である。
   
   
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国立能楽堂・・・3月特別公演 能・金春流「藍染川」ほか

2019年03月22日 | 能・狂言
   21日の国立能楽堂の特別公演は、
   能 知章 (ともあきら)  井上 裕久(観世流)
   狂言 しびり  茂山 千作(大蔵流)
   能 藍染川(あいそめがわ)  本田 光洋(金春流)飯冨 雅介

   特に、狂言「藍染川」は、国立能楽堂では初めて上演されると言う珍しい曲で、100分近くの大舞台で、楽しませて貰った。
 
   「藍染川」のストーリーは、次の通り。
   京に住む梅壺侍従という女(前シテ/本田光洋)が、宰府神主(ワキ/飯冨雅介)との間に生まれた子供梅千代(子方/中村帯雅)を連れて大宰府にやってくる。女が宿の男左近尉(ワキツレ/原大)に神主の家を訪ねると、自分はその家来だと言ったので、神主への手紙を託する。左近尉が、神主を訪ねると持仏堂で読経中だと言うので、その手紙を妻(茂山千五郎)に渡す。
   その手紙を読んだ妻は、怒り心頭に達して、自分で返事の偽手紙を書いて左近尉に渡して、宿から女を追い出せと命じる。
   神主の返事だと思った左近尉は、その手紙を女に渡し、喜んだ女はすぐに読んでみると、遭うことはできない、梅千代も子供だと思うな、すぐに都へ帰れと書いてあったので、落胆して嘆き悲しむ母を見て、梅千代は懸命に励ますが、女は死を決して、梅千代を、尼姿になるのでしばらく待てと言って待たせて、藍染川へ身を投げる。
   左近尉は、藍染川に投身した女が宿を追い出した女であったので、梅千代に告げると、梅千代も後を追おうとしたので、母の置手紙を見せて止める。
   そこへ、神主がやって来て、都からの女が子供を残して投身自殺したのを知り驚愕し、梅千代の持っていた手紙を見て、親子であることが分かって対面する。
   女を哀れんだ神主は、祝詞をあげて、女を生き返らせようとすると、天満天神(後シテ/本田光洋)が出現して、女を蘇生させたので、神主は、天神を称える祝詞を上げると、天神は消えて行く。

   女は、梅千代も大きくなったので、神主の跡継ぎを意図して、大宰府に赴いたのであろうが、すべからく、この能は、手紙がメイン・プレイヤー。
   最初の手紙は、神主の妻を怒らせて、親子の運命を暗転させ、次の手紙は、神主に、神主と梅千代の親子関係を証明させて、神主の祝詞で、母の命を蘇生させる。

   左近尉の機転の効かない不用意な対応で、京都での隠し妻が発覚して、子供まで連れて訪ねて来たのであるから、神主の妻が息巻くのは当然で、嫌がらせの偽手紙を書いて、神主の命令だと言って追い返すのもわかる。
   面白いのは、このような狂言回しのようなキャラクターは、いつも、狂言方の役割で、お豆腐狂言茂山家の当主千五郎が、わわしい女スタイルで登場し、パンチの利いた妻を演じて面白い。

   この能は、前シテと後シテが、異なり、前シテが入水して消えると、その遺骸は、小袖に置き換えられて、正先に広げられており、また、ラストシーンの母の再生も、地謡の表現で象徴される。
   後場で、小宮の作り物が出されて、その中から、威儀を正した後シテの天満天神が登場する。
   派手な舞はないが、風格のある神で、小天神の面のどこか愛嬌のある厳つい形相が如何にも優しい感じであり、流石に本田光洋師で、その折り目正しい優雅な舞が感動を呼ぶ。
   この舞台では、子方の中村帯雅君の健気で達者な芸が光っていて、ワキの飯冨雅介師の品のある神主が、中々様になっていて良かった。
   金春宗家ほかの地謡や囃子も素晴らしく、物語が比較的分かり易かったので、筋を追うのには苦労が少なかったが、いまだに、筋、筋と言って、筋に拘っている自分自身に、少し寂しい感じがしているのだが、大分、能が分かりかけてきているような気もしているので、まずまずであろう。
   
   能「知章」は、平家物語の巻九の「知章最期」からの脚色で、知盛と息子知章(シテ/井上裕久)の修羅能。
   狂言「しびり」は、主の堺への買い物命令を、太郎冠者が、しびれが切れて動けないと言って仮病を使う話。千五郎の父君千作の太郎冠者が派手な芸で笑わせる。
   能が2曲の舞台は少ないので、大分、上演時間が長かった。
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リー・ブランステッター:イノベーションを阻むもの

2019年03月20日 | イノベーションと経営
   日経の18日の「経済教室」で、リー・ブランステッター教授の、”イノベーションを阻むもの 戦後システムの名残一掃を”という記事が掲載された。
   日本の過去の輝かしい実績も現在の苦境も原因は一つ、日本企業の経営慣行と政府の政策が一体となりイノベーションを生み出すシステムを作り上げてきたが、これは、先進国の技術に追いつこうとする時期にはよかったが、画期的なイノベーションのゼロからの創出には適していなかった。というのである。

   最初に指摘するのは、画期的なイノベーションをグローバル市場に投入するのは、多くは新しく誕生したスタートアップ企業だとして、クリステンセンの「イノベーターのジレンマ」の推移を説いて、この新規参入成功企業の過激なイノベーションの展開する時期も永遠に続かず、イノベーションの焦点も、大胆なものから漸進的な改善へと移る。と説く。
   クリステンセンの創造的破壊のイノベーションも、ローエンドから参入した破壊的イノベーターが市場を席巻して、この成功企業も同じように、イノベーターのジレンマに陥って持続的イノベータ―となると想定していると思われるので、破壊的イノベーションと持続的イノベーションを繰り返しながら経済が発展して行くと考えてよかろう。

   ここで問題は、米国のようにイノベーションが活発な国では、ある産業が漸進的な変化の時期に移行すると、別の産業が急激な変化の時期に突入して、多数のスタートアップが市場に参入して、大胆な実験に果敢に取り組むパターンが次々に生み出されてくる。
   しかし、日本の場合には、大企業有利・終身雇用など、戦後システムの名残が邪魔して、このシステムの起動を妨げている。というのである。
   この破壊的イノベーション創出を誘発するためには、新規参入企業の革新的なアイデアの保護(強力な特許権)を保障し、実験継続に必要な多額の資金調達(ベンチャー・キャピタル)を容易にし、高度な専門知識を持つ科学者、技術者、管理職の既存企業からの採用を可能にするような制度や政策、特に、人材の流動性が、必須だと言うのだが、日本は、まだ、そのような環境下には程遠い。

   ブランステッターは、日本の戦後期のイノベーション創出システムから説き起こして、その継続が、いかに、日本経済の成長要因を阻害しているかを説いている。
   まず、終身雇用制度が、大企業の男性正社員に盤石の雇用安定性を保障してこれに安住させ、金融制度もVCには向かず、特許制度も範囲が狭いなど、日本のイノベーションには、既存の企業が有利になるバイアスがかかることになっていた。すなわち、イノベーターのジレンマで、持続的イノベーションしか追及できなくなる体質が出来上がってしまっていると言うことであろうか。
   それに、地位を確立した企業は、漸進的な進化に有利な経済条件下におかれていた。低い労働コストと安い円の恩恵を受けて、画期的なイノベーションを目指すよりも低いコストで早く効果が上がる製造業に集中することが理にかなっていた。
   既存製品を、技術深堀りの持続的イノベーションを追求して、価格と質の国際競争で打ち勝って世界市場を席巻したのを、日本経済の実力だと過信して浮かれてしまったが、世界の経済リーダーとして、破壊的イノベーションを追求できなかったので、新しく渦巻いたICT革命とグローバリゼーションの大潮流にキャッチアップできずに翻弄されて、後塵を拝する以外にどうしようもなかったと言うことであろうか。
   また、大学が学部生の教育が中心で、大学院教育や基礎研究に力を与えず、最先端の技術を新しい産業に生かすことに向いていなかった。ということも、悲しい事実で、
   互換性の利く働きバチのスペアパーツばかり育成して、肝心のイノベーターやリーダーを育成してこなかったと言うことであろう。

   日本の既存の大企業は、今や、イノベーションで上回る米企業と低コストで優位にあるアジアの企業との挟撃にあって苦境下にありながら、仮に日本でグーグルが生まれたとしても、衰退する既存企業にとって代わるのが非常に難しいことで、まして、米国では一流の優秀な学生が行きたい企業は60年代と様変わりなのに、日本では殆ど変わっていないことだと指摘している。
   この日本の学生が就職したい企業ランク一覧を観て愕然としたのは、既に、何回も潰れかかって窮地に立った既存企業など、レッドオーシャンの最たるゾンビ企業紛いの企業に人気が集中していたことで、これでは、日本の将来は非常に暗いと書いたことがある。
   海外留学生の激減と、同時に、勉強しなくなった学生の動向と、トインビーの挑戦と応戦スピリットを失いつつある子供たちの将来を思うと、
   欧米何者ぞと、欧米のトップ大学を目指して雄飛し、地球を駆け回って切った張ったと奮闘努力していた我々の血と汗と涙のグローバル競争時代が、無性に懐かしくなってくる。

   日本政府も、特許制度の強化や大学改革、VCシステムの導入等努力してきたが、一国のイノベーション創出システムに、既存の大企業が有利になるバイアスや漸進的進化を好むバイアスがいったん根付くと、根こそぎにすることは極めて難しく、システムを構成するすべての要因が共進化し、相互適応と相互強化を重ねてきたために、必要な変化にしぶとく抵抗している。
   システムが強固となった今日、終身雇用制度の名残を完全に排除しない限り、どんな手を打っても、頑強なイノベーション創出システムは改革できない。と結論付けている。

   結局、日本経済そのものが、イノベーターのジレンマ状態に陥ってしまっていると言うことで、創造的破壊を来すためには、戦後体制に雁字搦めに呪縛されている日本の政治経済社会システムを、ガラガラポン、リセットする以外にないと言うことであろうか。

   私自身は、ブランステッター教授の指摘には、殆ど異存はないが、根本的には、日本人のメンタリティとスピリットの問題が最も重要だと思っている。
   先に記したように、学生の就職人気企業が、大半、将来性を期待できないブルーオーシャンの既存大企業だと言うことは、学校も親族も、そして、社会全体も、そのような価値観で、子供を教育していると言うことを意味しており、「敵は幾万ありとても」というリスクを背負ってでも戦い抜くと言う、挑戦に応戦する敢闘精神を取り戻さなければ、イノベーション精神どころか、日本の将来さえ、非常に危ういと言うことである。
   明治維新で、そして、終戦復興で、燃えに燃えた日本人魂の再興を目指した政治経済社会システムの再構築が必要だと思うのだが、それなりに豊かに成って太平天国にドップリト浸かってしまうと、「アクセクすることもない、もう、これでいいか」と思って安住してしまっているということであろうか。

   とにかく、リー・ブランステッターに、ここまで言われたくないのだが、Japan as No.1で破竹の勢いで成長街道を驀進していたわが日本が、鳴かず飛ばず、イノベーションを忘れたカナリアに成り下がって、普通の国になってしまったことは事実で、頑張らなければ日本が廃ると思っている。
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わが庭・・・ハナニラ、スイセン、ツバキ etc.

2019年03月18日 | わが庭の歳時記
   暖かい日が続いていて、庭仕事も結構楽しくなる季節。
   木々が勢いよく芽吹き始め、しきりに、鶯の囀りを聞いていると、春の有難さを感じる。

   ハナニラが、ぽつりぽつり花を咲かせ始めた。
   もうすぐすれば、庭一面に白い花を絨毯のように咲かせて荘厳してくれる。
   わが庭のハナニラは、やや、青みがかっていて、一寸シックである。
   
   

   日本水仙が終わったと思ったら、別なスイセンが、咲き始めた。
   植えっぱなしなので、どこからどんなスイセンが顔を出すか分からないのだが、オランダに居た頃、道端や公園の芝生のあっちこちから、まず、最初にクロッカス、そして、スイセン、ポピーと、次から次へと花が咲き始めて風に靡くのを、懐かしく思い出した。
   
   
   

   花と言えば、オランダ。
   オランダの民家の庭には、花が咲き乱れているのだが、ガラス窓が大きくて開放的で、外に面して家具や花々を豪華に飾っているので、道行く人々を楽しませてくれた。
   私の居た頃には、カーテンなども殆どなくて、家の中が丸見えの家も少なくなかったのだが、その後治安が悪くなったので、大分変っているであろう。
   家族など、花が安かったので、存分に花を活けて楽しんでいたのだが、日本に帰るとそうはいかず、私が、庭づくりの花々で楽しんでいる。

   やはり、わが庭は、ツバキ。
   エレガンス・スプレンダーが、奇麗に咲き続けている。
   個体差があるのであろう、私が思っていた花のイメージとは、一寸違うのだが、品の良いピンクの匂うような美しさは格別である。
   兄弟のエレガンス・シュプリームとエレガンス・シャンパンは、まだ、蕾が固くスタンドバイ中である。
   
   
   

   ほかの椿は、玉之浦系統は、殆ど終わったが、曙、白羽衣、式部、それに、至宝 ほか、
   黒椿も蕾を開き始めた。
   
   
   
   
   
   
   
   

   イングリッシュローズのベンジャミン・ブリテンが1輪だけ早く咲いた。
   ドウダンツツジの一種であろうか、蝋のようなしっかりとした花弁が奇麗である。
   樒の花も地味だが面白い。
   
   
   
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日々之好日、晴耕雨読の日々

2019年03月16日 | 生活随想・趣味
   暇になれば、何でも出来る。自分で思い通りに1日が過ごせて、素晴らしい時間を楽しむことができる。と考えていた。
   しかし、実際には、自分自身で、思うように日々を過ごせるのだが、現実には、何をどう過ごしてきたのか、分らないうちに毎日が終わってしまっている感じで、特に充実感があるわけでもないのが残念ではある。

   結構、観劇やセミナーの聴講などで、東京へ出かけたり、鎌倉散策にも出かけるのだが、外出しないときには、朝夕、孫を幼稚園や保育園への送り迎えの日課があって、これで、2時間以上費やす。
   この4月から、保育園に行っていた孫娘が幼稚園に変わるので、もう3年間、アップダウンの激しい1キロの通学路を送り迎えすることになる。
   まあ、足腰が弱り始めている時期でもあるので、この日課は、幸いかも知れないとは思っている。

   それ以外の時間が自分の自由時間で、朝6時から夜中の12時までには、結構時間がある。
   日中は、やはり、晴耕雨読というか、庭に出てガーデニング、それに、読書や新聞雑誌、インターネット、テレビで、時間を過ごすことが多い。
   
   実際には、読書の時間よりも、このブログを書いたり、資料を探したり読んだり、パソコンに向かって、インターネットと戯れている時間の方が結構多いのにビックリしている。

   テレビにしても、ニュースが主体で、NHK BSの教養番組が多いのだが、録画をしていても、時間は短縮できないし、オペラや映画、それに、シリーズ物の講義やドキュメントなどを観ると時間がいくらあっても足りない。
   随分録画して、BDディスクに落としてはいるが、増えるばかりで見る機会が殆どない。
   読書もそうだが、テレビも、その一回限りの瞬間を大切にすべきで、その時期を逸してまうとダメで、後で読もうと思って積んだり、録画して後から観ようと思っても、まず、日の目を見ることは少ない。

   読書にしても、能・狂言やガーデニング、それに、経済学や経営学の勉強をしている時などでは、参考書や事典、関連書籍を参照したり飛ばし読みすることもあれば、専門書や学術書などになれば、じっくりとその本と対峙することになり、娯楽書や小説など肩の凝らないような本になれば、一気に通読すると言った調子で、読書のリズムが変わってくる。
   歳を取ると、真っ先に弱るのは、「はめあし:歯目足」というが、幸い、近眼の眼鏡を掛けてはいるが、目には不自由がなくて、何時間本に向かっていても、眠くはなっても、苦痛にはならない。
   昔取った杵柄というか、今でも、経済や経営の専門書を読んで楽しめるも、その所為もあると思っている。

   一寸残念なのは、千葉の家の書斎には、壁に書棚を並べて、かなりの本を、身近に一覧できたのだが、今の鎌倉の4畳半の和室の書斎には、十分に書棚がおけず、手元の書棚には精精300冊くらいで、少しは、押し入れに並べたり、床に何列も積んであっても、大半は、外の倉庫においてあって、非常に不便を感じていることである。
   尤も、昔と違って、かなりの資料や知識・情報は、本を引っ張り出さなくても、インターネットを叩けば出てくるので、助かっていることは事実であるが、懐かしい本や大切に愛しんできた本などが、探せないと寂しい。
   何千冊もあった本を、譲ったり処分したりして随分減ったが、それでも、倉庫には、まだまだ、沢山残っていて、それも、選別して残した本故に、思い入れもあって、大切なのである。

   さて、ガーデニングだが、今日は、虫食いなどで枯れた庭の花木を掘り起こして、鉢植えの椿を何本か移植した。
   庭の主木は、大半元のままだが、移転してきてから、随分、植え替えたり、苗木を植え続けてきたので、花木が豊かに成って、庭が、かなり、華やかになった。
   その所為もあってか、小鳥や蝶や昆虫の訪れが増えた感じで、鎌倉山の鶯も下りてきて、囀っていて、まさに、春たけなわである。
   写真歴が長いので、庭に出て、花を写すのも楽しみの一つである。
   私の場合には、マクロレンズを使ったり、望遠で接写したりして、花を大きく撮ることが多いのだが、益々、花の美しさとその神秘に感激して、二重にガーデニングを楽しんでいる計算である。
   それに、この口絵写真は、玄関わきの三角窓に、庭の花を無造作に生けたものだが、季節の花々を摘んで、部屋のインテリアとするのも、ガーデニングの楽しみの一つでもある。

   いずれにしろ、いろいろあって、何となく、1日が終わって行くのである。
   
   
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映画「女王陛下のお気に入り」

2019年03月15日 | 映画
   放映されてから大分経つのだが、アカデミー賞ノミネートの凄い作品で、オリビア・コールマンが女優主演賞を取ったと言うので、たまたま、一回だけ放映されていたので、映画館に出かけた。
   イギリスに長かったので、英国史にも興味もあった。

   映画は、次のようなストーリー、
   18世紀初頭、フランスと戦争下にあるイングランドが舞台。女王アンの幼なじみで、イングランド軍を率いるモールバラ公爵夫人レディ・サラは、病身で気まぐれな女王の側近として女王を傀儡化して絶大な権力を握っていた。そこへ、没落した貴族の娘でサラの従妹のアビゲイルが宮廷にやって来て、サラの働きかけで、アン女王の侍女として仕える。サラはアビゲイルを支配下に置くが、一方でアビゲイルは再び貴族の地位に返り咲く機会を狙っていて、アン女王に徹頭徹尾親切に仕えて、女王のお気に入りになる。サラが落馬して宮廷から離れている最中に、アビゲイルは、アン女王の肝いりで、アビゲイルを思っていた貴族のジョー・アルウィンと結婚して貴族の地位を得る。サラが怪我が癒えて宮廷に現れるが、もう、既に遅しで、アン女王の信任を得て権力を握ったアビゲイルに、追い払われ、結局アン女王から夫婦共々追放される。

   この映画は、英仏戦争をめぐって、戦争推進派のホイッグ党と、終結派のトーリー党の争い、戦費調達のための増税案の推進など、政治的駆け引きが繰り広げられるのだが、サラはホイッグ党支持で、アビゲイルは、国を動かす二人と最も近い位置にいるアビゲイルに目を付けたトーリー党のハーリー側についている。
   もちろん、この映画のタイトルは、”The Favourite"であるから、「お気に入り」
   アン女王と、サラとアビゲイルの対立抗争の物語であって、英国議会風景が出てくるが、政治はあくまで、刺身のつま、
   こんな程度で、イギリスの政治が動いていたとすると、今のBREXITをめぐる狂騒劇以上の不幸である。

   この映画のキャストは、次の通り。

監督:ヨルゴス・ランティモス
オリビア・コールマン:アン女王
エマ・ストーン:アビゲイル・ヒル
レイチェル・ワイズ:レディ・サラ(サラ・チャーチル)
ニコラス・ホルト:ロバート・ハーリー
ジョー・アルウィン:サミュエル・マシャム

   劇評を、そのまま、借用すると、
気まぐれで病弱、それでも頑固に国を守るアン女王を演じるのは、主演女優賞を受賞した名優オリヴィア・コールマン。
貴族への返り咲きを狙う侍女アビゲイルに、『ラ・ラ・ランド』のエマ・ストーン。従順で愛らしい侍女が野心に目覚めていく姿で新境地を開いた。
アン女王の幼馴染として女王の心と絶大な権力を掌握するレディ・サラを、オスカー女優のレイチェル・ワイズが演じた。

   この映画では、アビゲイルが、サラをアン女王の側近から追放したと言うことになっているのだが、実際には、サラは、夫の代弁者となり、ホイッグ党を支持して戦争の遂行を女王に説いていたのだが、次第に女王は和平推進派に傾き始めて、サラを疎むようになって、サラの従妹アビゲイルを重用しトーリー党に近付いていった。 と言うことのようであり、The Favourite争いの結果ではないと言うことである。
   1710年、アンはついにサラを宮廷から追放して、選挙の結果、和平推進派のトーリー党が政権を取って指導者ロバート・ハーレーが政権の頂点に立ち和平が成立したと言う。
   この映画で、アン女王は、17匹のウサギを飼っていたが、6回の死産、6回の流産を含め生涯に17回妊娠したが、一人の子も成人しなかったとかで、その追悼の思いであったのであろう。
   この映画は、モールバラ公の軍資金横領疑惑の問題なども含めて、かなり史実に忠実のようで、興味深い映画であった。
   
   The Favourite競争で興味深いのは、アン女王とサラ、そして、アビゲイルは、レズ関係にあること。
   従妹でありながら、権力者のサラが、侍女から成りあがったアビゲイルを徹頭徹尾苛め抜き、辛く当たるのだが、アビゲイルにとっては、いずれにしても、女王の寵愛を受けて権力を掌握して、生家復興するのが至上命令であって、あらゆる努力をして女王に取り入り、女王はアビゲイルが「口でしてくれた」ことを理由に、寝室付の女官に任命したので、サラがアビゲイル追放を進言しても時既に遅しであった。
   このサラとアビゲイルの間で女王の寵愛をめぐる激しい闘争の凄まじさは、この映画のメインテーマである。
   
   アビゲイルの冷たさを暗示させるのは、生家復興、貴族への回帰の切り札となった貴族のジョー・アルウィンと結婚だった筈なのだが、初夜の床で、ベッドの背もたれに体を預けて座っている、待ちきれないと言う夫に、背を向けて、手を伸ばして手淫でいかせる非情さ。
   先の劇評で、「貴族への返り咲きを狙う侍女アビゲイルに、『ラ・ラ・ランド』のエマ・ストーン。従順で愛らしい侍女が野心に目覚めていく姿で新境地を開いた。」と書いてあるのだが、録画した「ラ・ラ・ランド」を観ようと思う。

   アン女王のオリヴィア・コールマン
   録画で、アカデミー賞のスピーチを観たが、映画とは桁違いに若くて美人、
   45歳だと言うから、
   ウィキペディアよると、アン女王は、
   教養があまりなく、読書や芸術よりスポーツや乗馬を好んだ。・・・肥満体質(ブランデーの飲み過ぎが原因だったと伝えられている)で、どこへ行くにも輿に乗っていたが、晩年は全く歩くことができないほど肥満が進み、宮殿内を移動するにも車椅子を使っていた。崩御後の棺桶は正方形に近いものだったという。なので、イメージに近づこう努力したのであろう。

  レディ・サラを演じたレイチェル・ワイズの理知的でシャープな演技も秀逸。
  ケンブリッジ大学で英文学を学び、劇団「Talking Tongues」を結成して、エディンバラ・フェスティバルで公演し、ガーディアン賞を受賞したと言うから、大変な逸材でもあり、流石にイギリスの女優である。
  
  とにかく、興味深い映画であった。
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三月大歌舞伎・・・「盛綱陣屋」「弁天娘女男白波」

2019年03月14日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   大分、歌舞伎界も世代交代してきた感じで、「盛綱陣屋」は、まだ、ベテランの重鎮が中心となっているが、「弁天娘女男白波」の方は、一世代若返って面白くなってきた。

   「盛綱陣屋」は、仁左衛門の佐々木盛綱、微妙の秀太郎、早瀬の孝太郎とも、重要な役どころは松嶋屋が抑えおり、それに、雀右衛門の篝火や左團次の和田兵衛秀盛などが加わった感じだが、興味深いのは、子役の活躍で、勘太郎の小四郎と寺嶋眞秀の小三郎が、栴檀は双葉より芳しで、達者な芸を見せてくれていることである。
   特に、小四郎は、子役の中でも傑出した大役でありながら、勘太郎の素晴らしい芝居は特筆もので、20年も早く逝った名優勘三郎が観れば随喜の涙を流したのではないかと思えるほどの出来である。
   10年以上も前に、吉右衛門が盛綱の舞台で、微妙の芝翫に当時の橋之助の三男宣生が小四郎を演じ、実際の祖父と孫との感動的な舞台や、歌舞伎座柿葺落公演での仁左衛門の盛綱での金太郎の小四郎の素晴らしい舞台、中村芝翫の襲名披露興行での尾上左近の小四郎の凄い好演等々、梨園の子孫の格好の舞台を観ていて、感心しきりでもあった。

   この「盛綱陣屋」は、大坂夏の陣を鎌倉時代の近江源氏に仕立てた歌舞伎で、佐々木盛綱が真田信幸、佐々木高綱が真田幸村で、盛綱の主君の北条時政が徳川家康、高綱側の源頼家は豊臣秀頼と言う設定であるから、ストーリー展開が分かり易く、面白い。
   兄弟分かれて、敵対する両方に味方しておれば、どちらかが生き延びて家の断絶は免れると言う戦国時代の知恵であろうか、敵味方でありながら、信幸・幸村兄弟の仲が良かったように、この歌舞伎で、弟高綱の名誉を思う盛綱の心情も良く分かる。
   ただ、高綱が、名将の誉れ高い幸村なら、いくら知将と雖も、非情にも、自分の子供を人質として犠牲にして見殺しにしたかどうかは疑問である。
   敵を欺くため、人質となっっていた弟高綱の子小四郎が、言い含められたとおりに、にせ首を父だといって切腹し、この健気な心に打たれた盛綱は、高綱の戦略を理解して、切腹覚悟で、首実検で主人時政を欺く証言をする。これが、この歌舞伎のメインテーマなのである。
  
   さて、この「盛綱陣屋」は、このブログでの記録は、2005年以降なので、歌舞伎座へ通い始めたのは、その10数年前からであるから、何回も見ているのであろうが、記憶にあるのだけでも、秀山祭での吉右衛門、歌舞伎座柿葺落公演での仁左衛門、芝翫の襲名披露興行での芝翫など、極め付きの名舞台で、仁左衛門の素晴らしい舞台は、これで2度目と言うことになる。
   柿葺落四月大歌舞伎の仁左衛門が盛綱を演じた時には、吉右衛門が和田兵衛秀盛で、篝火は時蔵、早瀬は芝雀(雀右衛門)、微妙は東蔵で、小四郎が金太郎(染五郎)であり、流石に記念すべき素晴らしい舞台であった。
   今回特に感じたのだが、見慣れている筈のこの舞台ながら、仁左衛門の盛綱は、実に端正で様式美の美しさのみならず、大きくうねるような感動を醸し出し、メリハリの利いた澱むことのない芝居展開が心地よく、更に新鮮な物語として蘇って来て、二重にも三重にも楽しませてくれたことである。
   
   Kabuki Webによると、近江源氏先陣館~盛綱陣屋は、
   戦場で心ならずも敵同士となった兄と弟。兄は弟を案じ、弟は子を犠牲にしてまでも再起を図り、母は兄弟の板ばさみに苦悶する。戦のために引き裂かれる家族の悲劇。
   盛綱は、弟高綱の名誉のために、母微妙に、人質の小四郎を切腹させてくれと頼み、止む無く承知して小四郎に迫る微妙だが、逃げ回る孫の小四郎に手を下せない肉親の苦悩を秀太郎は実に感動的に演じ、
   逃がすべく忍んで来た母篝火:雀右衛門尾の苦悩、兄嫁早瀬:孝太郎の思いやり、・・・とにかく、盛綱をはじめ、戦国故に、引き裂かれた肉親の忠君、義理人情の板挟みに泣く姿を描いて悲しくも心に染みる舞台を展開する。

   さて、「弁天娘女男白波」だが、面白かった。
   奇麗なお姫さま然として登場した弁天小僧菊之助が、強請りと男だと見破られて、もろ肌脱いで、「 知らざあ言って 聞かせやしょう 浜の真砂と五右衛門が 歌に残せし盗人の 種は尽きねぇ七里ヶ浜・・・」名調子で啖呵を切るこのシーン、
   菊五郎の専売特許のような舞台で、これが、決定版であろうが、一寸砕けた感じで、違った雰囲気の猿之助の弁天小僧も、楽しませてくれる。
   私など、女形の亀治郎から観ているので、花道から登場する乙女姿の方がシックリ行くのだが、一変して、べらんめえ口調と言うかパンチの利いた口調の男に早変わりすると、目も覚めるような鮮やかな啖呵、
   その後の居直った強請りと掛合いが面白い。

   これに、花を添えたのが幸四郎の南郷力丸、
   奇数日には、この幸四郎が弁天小僧を日替わりで演じているののだが、お嬢様を押し出して、浜松屋を強請ろうとする悪であるから、知能犯なのだが、脅しと惚けた雰囲気綯交ぜのキャラクターで、このあたりの軽い芝居も実に上手くて、猿之助との絶妙な共演が出色である。
   この舞台、重鎮白鷗が、日本駄右衛門で登場して舞台を締めているが、菊五郎の舞台のように、名優やベテランで固めた決定版とは違って、亀鶴や笑也が、白波五人男に加わるなど、新鮮な舞台で、楽しませてもらった。
   
   
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わが庭・・・一気に春、椿:卜半、那古井の春

2019年03月12日 | わが庭の歳時記
   急に、4月中旬の気候になって暖かくなった所為か、スタンドバイしていた花木が動き始めた。

   咲き始めた椿は、卜半、那古井の春、それに、至宝も、開花し始めた。
   卜半は、最も基本的な唐子咲きで、鮮やかな紅色の一重の真ん中に、花弁化した白い蕊の塊が鮮やかである。
   
   
   
   那古井の春は、肥後ツバキの「王冠」から、桃複輪に枝変って出来た品種だとか。
   「王冠」もそうだが、肥後椿は、花の時期は1~4月で、「一重平咲き梅芯」で、特に花芯(雄しべや雌しべ)特徴があり、雄渾華麗な花で、昔は、門外不出だったと言う。
   
   
   

   まだ、大きな鉢植えの状態だが、至宝が、沢山の蕾をつけていて、まず、最初の一輪が咲き始めた。
   この椿・至宝、タキイによると、
   今までにない特徴的な花色。桃赤~赤紫と色幅がある、千重咲き中輪花。花つきもよい、最高級品種。茶花や庭木として親しまれる日本の代表的花木。と言うことで、わが椿は、苗木で買って今年で3年目で70センチくらいに成長しており、花後に、庭に移植したいと思っている。
   完全に開花すると、奇麗な花形になるのだが、今年は、このような完全な花を何輪咲かせることができるか、楽しみにしている。
   

   ほかの椿は、式部が最盛期で、玉之浦系の洋椿も、白羽衣も、フルグラントピンクも、仙人卜半も咲き続けていて、わが庭は、華やかである。
   
   
   
   
   
   

   剪定して裸であったバラに新芽が出始め、五月以降に咲く牡丹や芍薬の芽が動き始め、アジサイも勢いよく芽吹き始めた。
   
   
   
   
   
   

   いま、ボケが咲いているのだが、その後、一番早く咲きそうな花木は、ハナカイドウ、
   下草は、クリスマスローズとスノードロップ。
   
   
   
   
   
   
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