熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

京都:能の旅~鞍馬山・僧正ガ谷

2016年04月30日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   鞍馬寺を訪れたのは、能「鞍馬天狗」の舞台となった僧正ガ谷に行ってみようと思ったのだが、もう一つは、京都の桜を見たいとも思って、唯一、遅咲きの桜が残っているだろうと期待しての旅でもあった。
   山門を潜った裏にある阿吽の狛虎の横に、奇麗に桜が咲いていて、幸先が良かった。
   
   
   

   鞍馬寺の桜は、雲珠桜というとかで、どの桜だろうと思ったら、鞍馬山に咲く桜の総称だと言う。
   今、本殿金堂前の広場には、濃いピンクの手毬のような豪華な房状の八重桜をはじめ、薄いピンクや微妙に色合いや佇まいの違った桜が満開で非常に美しい。
   もう、何週間も前に桜の季節が終わって、京都の名所も殆ど葉桜なのだが、この鞍馬山は、京都のやや北にあって標高も高いので、遅咲きの八重桜が最盛期なのであろう。
   グリーンがかった右近も奇麗に咲いていて、鞍馬の桜を見たくて来たので幸せであった。
   ここから、遠く、比叡山が遠望できる。
   
   
   
   
   
   
   
   

   さて、この寺には、義経の故地が随所にあって、中腹の金堂までには、牛若丸として7歳から10年間住んだと言うところに、義経公供養塔が立っているのだが、大半は、金堂から奥の院へ向けての急な山道の中にある。
   まず、「息つぎの水」。牛若丸が東光坊から奥の院へ兵法の修行に通う途中に、清水を汲んでのどの渇きを潤したと言う。
   次は、「背比べ石」で、牛若丸が奥州に下る時に名残を惜しんで背丈を比べたという平たい石板だが、1メートルもないので、真偽は怪しい。
   このすぐそばに、岩盤が固くて地下に根を張れない杉の根が浮き出た「木の根道」が、面白い造形を作っていて興味深い。牛若丸が兵法の稽古をしたと言うところだと言うことだが、確かに、ここで縦横無尽に飛び跳ねるのは大変であろうと思う。
   
   
   
   
   
   
   

   能「鞍馬天狗」は、次のようなストーリー。
   鞍馬山の東谷の僧が平家一門の稚児たちを連れて花見に行くのだが、花見の場へ見知らぬ山伏が現れて、興をそがれたので、一行は立ち去る。牛若丸が一人だけ居残り、山伏に言葉をかけて一緒に桜を眺め、山伏は桜の名所を案内し、自分は鞍馬山の大天狗であると明かして飛び去る。翌日、小天狗たちが出現して太刀の稽古をしている所へ牛若が現れる。大天狗が彦山、白峰、大山などの天狗を引き連れて現われ、威勢を示し、牛若に飛行自在の兵法を伝授し、縋りつく牛若を振り切って守護することを約束して消えて行く。

   今月5日に、国立能楽堂で、観世流の「鞍馬天狗」を鑑賞した。
   シテ/山伏・天狗は観世恭秀、子方/牛若丸は武田章志、ワキ/僧は工藤和哉

   この山伏は、僧正ガ谷に住む大天狗だと言うことなので、義経の兵法の修行も、この僧正ガ谷で行われたと言う設定であり、鞍馬山の花見と言うのも、先に触れた雲珠桜を愛でるイベントであったのであろう。
   この能では、山伏が牛若に恋心を抱く稚児愛が描かれていると言うことだが、それには、このような何となく雅と妖艶さがかった桜が似つかわしいような気がする。

   この僧正ガ谷には、伝教大師が刻んだと言う不動明王を安置した不動堂と義経を護法魔王尊の脇侍「遮那王尊」として祀った義経堂がある。
   見上げるような巨大な杉が聳え立つ鬱蒼とした森厳な気の満ちた、まさに、霊地に相応しい雰囲気が漂っていて、しばらく心地よい冷気に触れて憩っていた。
   
   
   
   

   この僧正ガ谷から、奥の院の魔王殿までは少し距離があって、そこからは、一挙に急な下り坂で、貴船に至る。
   この鞍馬寺へは、鞍馬駅側の山門から入る本来のルートと、この貴船の西門から入るルートがあるのだが、西門から奥の院までの500メートルの上り坂が急峻なので、鞍馬口からの入山の方が楽ではないかと思っている。
   しかし、鞍馬温泉で宿を取っているので、少し汗をかいてから楽しもうと思ってと、元気な昔のお嬢さんたちが、すれ違って登って行った。
   余談ながら、この鞍馬寺へ来る外人観光客は殆ど白人で、嵐山や京都市内で闊歩している中国人観光客は、全く見かけなかった。
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国立能楽堂・・・遅れて見所に入れず「翁」をモニターで

2016年04月29日 | 能・狂言

   国立能楽堂で、企画公演「寺社と能」として、薪猿楽を守り続けていた春日神社の「咒師走りの儀」で演じられる「翁」と、春日神社に関係のある狂言「末広がり」と能「春日龍神」が、上演された。
   夫々、大変な意欲作品で、上演時間も普段の公演より、1時間以上も超過する国立能楽堂主催では、珍しいプログラムであった。

   大変期待して出かけたのであるが、強風による運行トラブルで、東横線が異常に遅延したために、開演時刻に間に合わなかったので、「翁」の翁舞が終わるまで入場が許されず、初っ端から困ってしまった。
   能にあって能にあらずと言われている「翁」は、式能などで何度か鑑賞しているが、今回の「翁」は、春日神社の特別な演出で、「式三番」の原型とされる翁(白式尉)、三番三(黒式尉)に父を加えた「父尉延命冠者」の形式で演じられる金春流の特別公演だったのである。
   (翁・父尉/金春安明、翁/高橋忍、金春憲和、千歳・延命冠者/茂山茂、三番三/大蔵彌太郎など)
   その意味でも、非常に期待していたのだが、能楽堂に着いた時には、既に開演されていて、「翁」の公演としては、当然、見所への入場は禁止で、待合ロビーのモニターの前に導かれた。
   翁たちの「どうどうたらりたらりら」の祝歌から、千歳の舞、翁の荘重な「天地人の舞」など翁舞が終わって翁たちが退場して、三番三が登場する前まで、45分間肝心な部分をモニターでしか鑑賞できなかった。

   開演時間に間に合わずに、入場できずに困った経験は、海外では結構あって、最も残念であったのは、ニューヨークのメトロポリタン・オペラで、シュトラウスの「ばらの騎士」で、パバロッティのイタリア人歌手をミスった時で、これを聴きたくてMETへ行ったようなものだったので、暗い地下室の良く見えないモニター画面が恨めしかった。
   もっと厳しいのは、あのイタリアのベローナのアリーナ(ローマの野外劇場)で、トーランドットを観ていて、休憩時間後の開演に遅れて、ホセ・クーラの「寝てはならない」を聴き損ねかけたことである。この時は、平土間の自分の席には帰れずに、強引に交渉して最上階の観覧席から入ってどうにか聴けたのだが、あのモラル軽視で融通無碍のイタリアで、それも、壮大な野外劇場のことなので、世界には分からないことがあるのだと肝に銘じた苦い思い出である。
   ウィーン国立歌劇場で、虎の子の大晦日の「こうもり」のチケットを手に入れながら、これも遅れて、あの序曲を聴き損ねてしまった。

   さて、この国立能楽堂だが、私のように遅れた観客は、20人くらいいて、あの宮本亜門もいたから例外なく入場をシャットアウトしたのであろう。
   「翁」だけは、開演中は、見所への出入り禁止は、決まった規則であり、これには、全く異存はないのだが、問題なのは、モニターの劣悪な状態である。
   モニターは、50インチくらいであろうか、写っている画面は、2~30年前の地上放送のテレビ画面と全く同じで、はっきり見えないのみならず音声も極めて劣悪で、鑑賞に堪えないのである。
   それに、カメラが、正面右に寄り過ぎて定置固定されていたので、大切な舞台上の面掛けのシーンが、ワキ柱が邪魔して見えず、能楽堂の見識を疑わざるを得ない。
   さて、この程度の液晶テレビなら5万円もしないし、受像用のビデオカメラでも10万円も出せばまともな機器を買える筈で、その気になれば、10万円一寸の出費で、4Kとは言わない、家庭の地デジやBS放送のテレビ画面くらいのハイビジョン映像を映せるので、せめて、それくらいの思いやりとサービスは必要であろうと思う。
   
   この劣悪なモニターを観ながらも、一人の老年の男性客が、後の人が紙袋の音を出しただけで、そして、途中、前を通って席に着いた人に、厳しく怒っていた姿を見れば、客の中には、どんな思いでモニターにしがみ付いているのか、分かろうと言うものである。
   蛇足は避けるが、ハイビジョンとハイレゾが、当然の時代に、能狂言を楽しみたいと思ってやってくる、ある意味では、天然記念物(?)のように貴重な観客に、一寸、遅れて来たからと言って、ほんの2~30メートル離れたところで演じられている舞台を、2~30年前のテレビ画像のようなモニターを押し付けて観させると言うことが、適当なことなのかどうか。日本芸術文化振興会の見識以前の誠意と常識を疑われるのではないか言うことである。

   さて、この「翁」の舞台は、襲名なった大蔵彌太郎の三番三を観ただけなので、何とも言えないが、彌太郎は一世一代、大変な熱演であった。
   この日は、後の狂言「末広がり」も、そして、能のアイ狂言も、父の大蔵流宗家彌右衛門を中心に宗家一門が勤めて、素晴らしい舞台を見せていた。

   能「春日龍神」は、金剛流の「龍神揃」なので、後場には、大きな龍を頂いた白頭のシテ龍神(宇高通成)に、ツレ龍女2人(種田道一、廣田幸稔)、赤頭のツレ龍神6人(豊嶋晃嗣、宇高竜成、山田夏樹、惣明貞助、小野義朗、漆垣謙次)が加わって、舞台と橋掛かり一杯に華麗な舞を披露する素晴らしい舞台であった。
   高山寺のワキ明恵上人(殿田謙吉)が、釈迦への思慕の念深く、『大唐天竺里程記』をつくり、天竺へ渡って仏跡を巡礼しようとしたのを、春日明神の神託のために断念したと言う話を主題にした能である。
   この明恵上人の高山寺は、何度か訪れているのだが、鳥獣人物戯画で有名のみならず、縄床樹に端座する明恵上人を描いた紙本著色明恵上人像 「樹上座禅像」も、独特なデザインと絵なので、よく覚えている。
   栂ノ尾の高山寺へは、高尾の神護寺とともに、嵐山から北へ向かう街道沿いにあって、一寸、京都の奥座敷と言った風情で、四季を通じて美しかった。

   現状を示すため参考に、モニターの映像を、修正に修正を重ねた数ショットを掲載しておく。
   翁が3人登場する珍しい舞台である。
   
   
   
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京都一日旅・・・鞍馬街道の風景

2016年04月28日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   鞍馬は、鞍馬寺の門前町だが、京都北区の鞍馬口から通じている鞍馬街道に位置する重要な商業拠点の一つで、この鞍馬街道は、「鯖街道」と呼ばれた朽木街道に通じて、若狭の小浜や、丹後へと日本海とを結ぶ需要な物資輸送を担う古道であった。
  鞍馬と言えば、火祭りや天狗のイメージで、奥深い山里を想像するのだろうが、かっては、京の北の玄関口として商家が立ち並び、人と物資で賑わう町だったと言うことで、今でも、その雰囲気が残っている。

   叡電に乗り継げば、出町柳からほんの30分で鞍馬駅に着くのだが、鞍馬山が570メートルだと言うことで、比叡山を右に見て、かなり、京都の北側の奥山に登って行く感じである。
   駅を出て、左折れして鞍馬街道にでると、すぐ、坂の上の正面に、鞍馬寺の山門が見える。
   駅には、めぼしい店もなければコンビニもなく、これから山の中に入るのに、昼の用意を忘れたので、目の前の土産物店兼駄菓子屋で、饅頭や団子などをひと揃い買った。
   私は、鞍馬に来ると、すぐに、鞍馬寺には入らずに、門前を右にとって、鞍馬街道沿いに少し山の方に歩くことにしている。
   街道沿いに、商家など古い住宅が残っていて、しっとりとした懐かしい歴史の街並みが続いているので、散策が楽しいのである。
   
   
   

   もう何十年も前になるが、京都には、街並み保存の試みが古くからあって、この鞍馬にも、そう言う試みがあったのか、かなり、歴史的な景観が維持されていて、ひとつひとつ歩いたことがある。
   しかし、現在の京都の伝統的建造物群保存地区は、産寧坂、祇園新橋、嵯峨鳥居本、上賀茂、
   歴史的景観保全修景地区は、祇園町南 祇園縄手・新門前 上京小川
   と言うことになっていて、鞍馬は入っておらず、そのためかどうかは分からないが、学生の頃歩いた時のもっと古風な鞍馬の雰囲気は、大分変っていた。

   この街並みで、最も注目すべきは、宝暦10年(1760)に築造された町家の匠斎庵(旧瀧澤家住宅で国の重要文化財)で、何十年も前学生時代に観た時には、半ば廃屋のような佇まいであったのだが、今では、綺麗になっていて屋号は匠斎庵として湯豆腐料理をサーブしていると言う
   月曜日で休んでいて、中には入れなかったが、両脇に、立派な梲(うだつ)が上がっていて興味深い。
   右隣のくらま辻井も古い創業の炭問屋で、今は、京つくだ煮、木の芽煮の製造販売の店だと言うが、これも閉まっていた。
   いずれにしても、このあたりのほんの数丁の街道沿いだが、中々雰囲気があって、良い。
   
   
   
   
   
   

   街並みも、それなりに雰囲気があって良いのだが、路地に迷い込んだかたちで、と言っても、民家の裏に回るだけなのだが、小川の流れや、背後の山並みの新緑の美しさ、そのグラジュエーションの妙etc. 山懐に抱かれた山間の風景がたまらなく懐かしくて、しばらく小休止を楽しんでいた。
   この街道だが、たまに、バスや地元の車が通るくらいで、交通も少なくて、田舎の春を楽しめる。
   
   
   
   
   
   

   時間を取ってしまったが、これから、鞍馬寺に入って2キロ以上の険しい山道をアップダウンして、目的の義経と天狗との僧正ガ谷を訪れて貴船に抜け、そして、伊丹空港から羽田へ飛ばねばならない。
   
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国立文楽劇場・・・通し狂言「妹背山婦女庭訓」第二部

2016年04月27日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   「妹背山婦女庭訓」第二部は、
   鎌足(和生)の息子淡海(清十郎)が身分を隠して求女と称して三輪に住んでいて、隣の酒屋の娘お三輪(勘十郎)と相思相愛ながら、通ってくる入鹿(玉輝)の妹橘姫(勘彌)とも情を交わしており、この三角関係を舞踊化した華麗な「道行恋苧環」や、淡海を追って三笠山御殿にやって来たお三輪が散々虐めぬかれた末に入鹿を倒すために犠牲となる「金殿の段」が主体となる公演だが、三段目の「妹山背山の段」を第一部に振ったために、二段目の「鹿殺しの段」から始まる。

   平成6年5月に、今回のプログラムに、「井戸替の段」を加えた通し狂言が、東京の国立劇場で上演されたようだが、行った筈にも拘わらず、全く記憶が残っておらず、その後は、11年4月と22年4月にこの国立文楽劇場で、同じプログラムの通し狂言が上演されており、後の方から今回は、定高が文雀から和生に変わっているが、私は両方とも観ていない。
   その後は、山の段は1回だけで、殆ど道行と金殿主体の公演であったので、今回の通し狂言の鑑賞は初めての感じで非常に新鮮であり、それだけに、ストーリー性が気になる私には面白かった。

   さて、この浄瑠璃は、主役は入鹿であり、大詰めの金殿の段で、どのようにして、鎌足たちが、簒奪者の憎き入鹿を誅殺するかが明かされる。
   鱶七(実は藤原淡海の家来で金輪五郎・玉也)が、女官たちに散々虐めぬかれて虚仮にされて激情したお三輪を、刺し殺す時に、述懐するのである。
   年老いた蘇我蝦夷子には子供がなかったので、占い博士の進言を受けて、白い牝鹿の生血を母親に飲ませたところ、霊験新かによって男子・入鹿が生まれた。入鹿が悪の超人的な力を持っているのはそのためで、この入鹿の悪の力を打ち破るためには、爪黒の鹿の血汐と疑着の相のある女の生血を笛にかけて、その笛を吹くと、入鹿は正体を無くする。その虚をついて、鎌足が宝剣を奪い返して入鹿を討つのだと、鱶七は語り、瀕死の疑着の相あるお三輪を刺し殺し、その血を笛に注ぐ。   
   「天晴れ高家の北の方」と言われても、そこはおぼこい田舎娘で、「・・・とはいふものゝいま一度、どうぞお顔が拝みたい。」と、お三輪は、苧環を抱きしめながらこと切れる。
   前の段の猟師芝六(玉男)が、禁令を侵して射止めた爪黒の鹿の血汐とお三輪の生血が入鹿誅殺に役だったと言う説明だが、奇想天外な発想を、良く芝六とお三輪の話に作り上げたものだと、半二たちの創作意欲に感心している。

   ところで、余談だが、この浄瑠璃で気になるのは登場人物の描き方である。
   まず、第一に分からないのは、淡海のキャラクターで、モデルは鎌足の次男不比等と言うことだが、「杉酒屋の段」では、通って来る橘姫とのことがお三輪にばれて言い逃れるも、道行では、完全に橘姫に靡き、橘姫の袖口に苧環の糸を結び付けて後を追いかけて金殿に行き橘姫と二世を契る。お三輪が断末魔で「賤の女が・・・しばしでも枕交わした身の果報」と言っているから実質夫婦でありながら、お三輪を踏みつけにしており、改新のための大義とは言え、淡海の不甲斐なさと不実が気になると、素直に、お三輪の悲劇をそれとして鑑賞できない。
   尤も、その前に、どこでどうして親しくなったのか、淡海と橘姫との馴れ初めが分からないのが気になるのだが、この浄瑠璃には、辻褄合わせが多くて、筋が唐突な部分が結構あって、そのつもり・・・で見ないと、通し狂言が生きてこないところがある。

   もう一つは、これも、第一部の山の段で主役であり、歌舞伎なら、幸四郎などの座頭役者が演じる大判事清澄が、息子の久我之助が本心を訝るほど何故入鹿に簡単に靡いて従うほど節操がないのか分かり難いし、定高や久我之助への対応も煮え切らなくて、改新のために鎌足側に貢献するでもない中途半端な人物として描かれていることである。
   芝六も、真意を示すためと、実子杉松を刺し殺すのも、やはり、意味不明であり、タイトルの「芝六忠義」と言うのは、爪黒の鹿を殺したくらいであろう。
   そう言う意味では、入鹿や久我之助の方が、すっきりと筋が通っている。

   お三輪あっての道行から金殿だと思うのだが、簑助と紋壽のお三輪が印象に残っている。
   今回は、簑助の後継者である勘十郎のお三輪であり、観客が、拍手で素晴らしい芸を賞賛していた。
   杉酒屋の段で、咲太夫が休演し、咲甫太夫が代演した。
   この頃になって、人形も素晴らしいが、太夫の語りと三味線の創り上げる何とも言えない浄瑠璃の素晴らしさが少し分かってきたような気がしている。

   一階の「資料展示室」で、常設展示「文楽入門」が実施されていて、結構興味深いのだが、今回の「妹背山婦女庭訓」関係の写真などもあって、参考になった。
   また、入り口を入った一階ロビー正面に、長谷川貞信筆の芝居絵が掛かっているのだが、登場する様々なキャラクターが上手く描かれていて、いつも、興味を持って眺めている。
  
   
   
   
   


   劇場ロビーには、大神神社から授与されたと言う杉玉がディスプレイされていた。
   また、売店で、杉酒屋の段記念の三輪の酒が売られていた。買って帰ってホテルで飲もうと思ったのだが、終演後売店が混んでいたので諦めて、コンビニの酒で代用した。
   
   

   三輪の大神神社のHPを開くと、苧環は、『古事記』の大物主大神と活玉依姫の恋物語で、毎夜姫のもとに通ってくる若者の衣の裾に糸巻きの麻糸を針に通して刺し、糸を辿ってゆくと三輪山にたどり着き、若者の正体が、大物主大神だであったと言う神話によると言う。
   また、「極楽を いづくのほどと 思ひしに 杉葉立てたる 又六が門」と言う一休宗純禅師の又六という酒屋で酩酊すればそこが極楽というユーモラスな歌がもとで、大神神社の大物主大神が酒造りの神であり、大神神社の神木である杉に霊威が宿ると信じられたため、酒屋の看板がわりとして杉葉を束ねて店先に吊るす風習が出来たと言う。
   とにかく、現代人の敵である花粉症の権化である杉が、酒の神とは、お釈迦さまでも分からないと言うことであろうか。

   他に撮った文楽劇場での写真は、次の通り。
   
   
   
   
   
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国立文楽劇場・・・通し狂言「妹背山婦女庭訓」第一部

2016年04月26日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   この浄瑠璃「妹背山婦女庭訓」は、、中大兄皇子(後の天智天皇)や中臣鎌足(後の藤原鎌足)らが蘇我入鹿を暗殺し滅ぼした大化の改新に題材をとったもので、いわば、入鹿が主役の物語である。
   近松半二たちの作による五段の浄瑠璃だが、今回の通し狂言では、冒頭の「大内の段」と最後の五段目の入鹿が討たれて帝が復位して、久我之助と雛鳥との供養が行われる「志賀都の段」が省略されているが、正味8時間に及ぶ非常に意欲的な舞台であった。

   歌舞伎や文楽で、見取り公演で、特に三段目の「妹山背山の段」や、四段目の「杉酒屋の段」から「金殿の段」くらいは、何度も見る機会があったので、お馴染みだが、このように通しで見ると、作品への思いが、一段と増して、浄瑠璃の良さ豊かさが分かって、非常に楽しめるのである。
   それに、この劇場の文楽の場合には、オペラ劇場と同じように、舞台正面上部に字幕が表示されるので、ストーリー展開が、微妙なところまで良く分かって、非常に良い。

   第一部は、大判事清澄と太宰の後室定高は領地争いで対立している不仲の間柄なのだが、その両家の清澄の子久我之助と定高の娘雛鳥が、春日大社の社殿で、一目惚れして恋に落ちる「小松原の段」から始まる。時代が変わっても、若い男女の愛は同じか、堂々と抱き合って唇を交わすと言うシーンまで披露する。しかし、これが悲劇の発端である。
   蘇我入鹿が、権力を誇って居丈高であった父の蝦夷子を失脚させて自殺に追い込み、大判事を案内役として帝位を奪うべく禁裏に乗り込む。
   逃げてきた天智帝の寵姫である鎌足の娘采女を久我之助が入水したと偽って匿い、猿沢の池で入鹿謀反を知った天智帝を、鎌足の子淡海が、落ち延びさせる。
   入鹿は、大判事清澄と太宰の後室定高を呼び出して、天智帝と后にと望む采女の行方を激しく詰問し、さもなければと、子息久我之助を家来に、雛鳥を入内に差し出すよう命ずる。

   その後が、2時間にも及ぶ「妹山背山の段」で、久我之助と雛鳥を死に追いやる悲劇が展開される。
   舞台は、中央に川が流れていて、上手が背山で大判事清澄の館(男の世界)で、下手は妹山太宰館(女の世界)であり、下手にも床が設けられて、両床に太夫と三味線が分かれて、それぞれが掛け合う華麗な競演が演じられて感動的である。歌舞伎では、更に、両花道が設けられて、大判事が背山側、定高が妹山側から登場する。
   定高は、入鹿への入内を拒否して久我之助の命を救うべく死を選んだ雛鳥の首を討ち、大判事清澄は、采女探索の手がかりを消すために自害する久我之助の切腹を許す。
   定高は、雛鳥の首を雛人形とともに川に流して、対岸の大判事が弓で引きよせて受け取って、瀕死の状態の久我之助の面前に置くと、久我之助は、雛鳥の首を抱きしめてこと切れる。
   滔々と流れる吉野川をはさんで向かい合う桜花が春爛漫と咲き誇る山を背にして繰り広げられる両家の悲劇。最後に、両家は和解するのだが、後の祭り。
   日本の「ロメオとジュリエット」バージョンだが、入鹿の横暴が招いた悲しくも儚いナイトメアである。

   明日香村飛鳥、飛鳥寺からすぐそばの畑の中に入鹿の五輪塔の首塚があり、私は、大和の中でも、この大らかで鄙びた飛鳥の里の雰囲気が好きで、学生時代に飛鳥によく行って、この飛鳥寺や石舞台や甘樫丘を訪れていたので、よく覚えている。
   飛鳥板蓋宮で中大兄皇子らに暗殺され、蘇我入鹿の首がここまで飛んできたので首を供養するための墓だと言うことだが、勝てば官軍負ければ賊軍で、入鹿が悪人であったかどうかは疑問で、歴史に葬られてしまっていると思っている。

   さて、橋本治は、この段を、「心理によって構成される武家の日常ドラマ」で、激しい盛り上がりはなく、最後は悲しみを含んだ詠嘆で終わる。と言っているのだが、どうしてどうして、素晴らしい太夫の浄瑠璃と三味線に乗って、冒頭は、川を挟んでの久我之助と雛鳥の恋心の交感、続いては、大判事と定高の両家の鞘当て、後半は、大判事と久我之助、定高と雛鳥の切なくも悲しい最後の葛藤と別れ、そして、「雛流し」と両家の和解、と、ストーリー展開は豊かで、運命に翻弄されながら踊る人形の姿が、胸に迫って離さない。
   簑助の雛鳥の健気さ愛しさ、和生の定高の情愛深く風格のある佇まい、玉男の大判事の人間そのものの大きさ豊かさ、そして、勘十郎の久我之助の誰よりもブレのない決然として運命に立ち向かう潔さ。
   素晴らしい三味線に乗って、夫々の役どころを、悲しさや苦しさを、時には肺腑を抉るような語り口で語り尽くす太夫の熱演は、特筆もので、浄瑠璃の醍醐味を味わわせてくれて、感動的であった。
   この舞台、
   背山は、大判事 千歳太夫、久我之助 文字久太夫、前 藤蔵、後 富助、
   妹山は、定高 呂勢太夫、雛鳥 咲甫大夫、前 清介、後 清治、琴 清公、
   人形は、雛鳥 簑助、久我之助 勘十郎、大判事 玉男、定高 和生
   と言う願ってもない最高峰の布陣であるから、正に、感動モノの大舞台である。
   
   
   
   
   
   

   この日、ロビーに、熊本大震災のための募金に、太夫をはじめ三業の技芸員の方々が、人形を遣いながら出ておられた。
   私も人並みに募金に加わって、写真を撮らせて頂いて良いかと伺ったら、一緒に写真を撮ろうと誘ってくださり、案内のお嬢さんにシャッターを切ってもらった。
   この写真の公開は控えて、ほかの写真を、掲載しておくと、
   
   
   
   
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文楽「妹背山婦女庭訓」から鞍馬山・貴船

2016年04月25日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   一泊二日で、春の関西旅に出た。
   これまでのように、大阪日本橋の国立文楽劇場に行って、通し狂言「妹背山婦女庭訓」を観るのが目的で、余った一日を京都で過ごすと言う計画であった。
   いつもは、2泊するのだが、今回は、早朝に鎌倉を出て、文楽劇場に直行して、一日劇場で第一部と第二部を観て、夜ホテルに入って、翌日、京都で過ごすことにした。

   8時半羽田発のJAL便で伊丹に飛び、なんばへの空港バスに乗って、なんばで下りて、千日前商店街と黒門市場を歩いて抜けると、11時開演に間に合う。
   これまでは、この朝の忙しい行程を避けて、一日前に出ていたのだが、一寸中途半端な時期なので、短縮したのである。

   先年、この国立文楽劇場に来て、通し狂言「仮名手本忠臣蔵」を観たのだが、文楽で、通し狂言が実施されることが比較的少なくて、今回、通し狂言で「妹背山婦女庭訓」を観られると言うのは、またとない機会なので、逃したくなかったので、大阪に行くことにした。
   やはり、この劇場は、文楽が生まれ育った故地での公演であり、非常に意欲的で、素晴らしい「妹背山婦女庭訓」であった。
   千穐楽であったこともあってか、ほぼ、満席で、通して本格的な浄瑠璃を鑑賞できると言うことは、鑑賞者にとって大変な喜びであった。
   人間国宝の重鎮が舞台から消え続けて寂しくなってきた文楽界ながら、後継者たちの熱情溢れる意欲的な、素晴らしい舞台を聴いて観ていると、全く、遜色なく、文楽の醍醐味に浸り続けて感激の極みであった。

   翌日、ホテルが京阪天満であったので、直接、出町柳まで直行して、叡電で、鞍馬まで行った。
   遅咲きの桜を観たくて、大原に行くか、鞍馬に行くか迷ったのだが、今回は、鞍馬に行って、先日国立能楽堂で鑑賞した能「鞍馬天狗」の舞台となった僧正ガ谷に行くことにした。
   5年前に、親友と鞍馬口から鞍馬寺の山門をくぐって、鞍馬山を縦走して貴船神社に出たのだが、この時は、大手術をした後の私と、大病をした後の親友との険しい山越えであったので大変だった。
   今回は、同じ山道を通り抜けたのだが、雨に合わなかったので、義経堂や僧正ガ谷でゆっくり時間を取って、貴船でも奥宮まで出かけることが出来た。
   糺の森の下鴨神社に行きたかったのだが、多し時間が足らなくて、大事を取って、四条京阪から阪急に乗って蛍が池に出て伊丹空港に向かった。

   ところで、鞍馬の桜だが、鞍馬寺金堂前に、八重桜や右近桜が奇麗に咲いていて、楽しむことが出来た。
   
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国立能楽堂・・・狂言の会:人間国宝揃い踏み

2016年04月23日 | 能・狂言
   22日、国立能楽堂で、非常に質の高い興味深い「狂言の会」が催されて、3人の人間国宝が、他家の若手狂言師を相手にして、意欲的な舞台を見せてくれた。

   ◎家・世代を越えて、と言うタイトルで、プログラムは、次の通りであった。
   狂言  二人大名(ふたりだいみょう)  野村 万作(和泉流) 
   狂言  鱸包丁(すずきぼうちょう)  山本 東次郎(大蔵流)
   狂言  武悪(ぶあく)  野村 萬(和泉流)

   二人大名は、
   二人連れで、都へ上がることになった大名が、同道の家人がいないので、通りすがりの男を捕まえて、太刀を持たせることにした。大名たちが男を 下人のように扱ったため、最初は調子を合せていた男も、次第に腹が立ってきて、渡された太刀を引き抜いて大名を脅す。男は、更に脅して、大名から脇差や素襖を取り上げたうえに、鶏の蹴合い、犬の噛みあい、更には起き上がり小法師の 真似までさせて溜飲を下げる。 男は、頃合を見計らって、太刀・着物を持って逃げたので、それを大名たちがあわてて追いかける。      
   そんな話である。

   尤も、ストーリーそのものも面白いのだが、男に取り上げられた太刀や脇差や着物を取り戻したくて、大名たちが、軽妙な小唄のリズムに合わせて、鶏や犬や起き上がり小法師の真似をして踊るところも見せ場と言う。
   極め付きは、起き上がり子法師が、「京に流行る起き上がり子法師、殿だに見ればツイ転ぶ」と、誰彼構わず客を取る下級遊女を揶揄したものだと言うから、いくら、当時の大名が、財地自営の土豪に毛の生えたようなものだとしても、そんな真似をさせて笑い飛ばす庶民のブラックユーモアの凄さには感じ入る。
   冒頭の大名の名乗りが、「隠れもない大名である」と言わしめており、芝居の上だけにしても、当時の世相が健全であったのかどうか、中世の日本は捨てたものでもなかったと言うことであろうか。
   野村万作の枯れた軽妙洒脱な味のある演技の男を相手に、大名を演じる三宅右矩・近成兄弟が懸命に応えて楽しい舞台を見せてくれた。

   
   鱸庖丁は、
   都の伯父(山本東次郎)に鯉を買ってくるように頼まれた甥(茂山良暢)が、買わずにやってきて、淀川の橋杭につないで置いたら川獺に食べられたので持ってこれなかったといいわけする。
   伯父は真実味のない甥の嘘を見抜き、同じような流れで甥をひっかけてやろうと考えて家の中へ招きいれ、甥に鱸の料理を供すると言って好みを聞くと、甥は打ち身が良いと言う。伯父は、「打ち身」の故事を語って聞かせた後、鱸料理、名酒、そしてお茶をたてる事まで口先だけで言い、このように持て成したいのだが、鯉を川獺が食べてしまったように鱸も放情が食べてしまったのでないという。それを聞いた甥は、自分の嘘がお見通しであることに気付き謝る。
  この最後の川獺に対するほうじょうだが、鱸を料理する包丁と放情をかけた話だと言うことで、この放情については、プログラムには、謀生、法定、北条と書き、いずれも、嘘の意味だと書いてある。
  岩波古典文学大系の狂言集では、未詳で、けむし ほうじょうむ みさご ははちょうと説明がしてあり、岩波講座の鑑賞案内には、法定(嘘)とあるのだが、嘘だと言うことにしても、辞書を見ても良く分からず、意味がとりにくい。
   いずれにしても、ないのだから、今の料理を食べたと思ってとっとと帰れと言う結末だが、この狂言も、話としては、メリハリの少ない単調な狂言でありながら、シテの伯父が、鯉をさばいて「打ち身」を作った平安時代の料理人・大夫忠政の故事を引いて、鱸の料理を仕方噺を交えて鮮やかに演じ切ると言う凄い芸を見せる。
   東次郎の古武士の風格と威厳を示した包丁の技の冴えが、舞台を圧倒する迫力で、笑い、諧謔、ウィット、風刺などとは一味も二味も違った狂言の格調を観た気がした。

   最後の「武悪」は、上演50分にも及ぶ大舞台で、名のりなしに揚幕から足早に登場するシテ/主の野村萬の怒気鋭く殺気だって緊張した表情の凄さは格別で、最後は、幽霊話となって、ほろりとさせる起承転結のはっきりしたメリハリの効いた狂言で、
   手前勝手な主の横暴、同僚を殺さなければならなくなった友の苦衷、宮仕えの苦しみ、愁嘆場での機知頓智、先祖への畏敬等々、話題豊富で、人間の弱さ悲しさを浮き彫りにしていて面白い。

   主が、雇人の武悪(野村又三郎)が勤めに出て来ないのに怒り狂って登場し、太郎冠者(井上松次郎)を呼び出して、武悪を討つことを命じる。武悪と幼馴染の太郎冠者は拒否するが、討たねば手打ちにすると迫られて、主人家伝来の刀をもって討ちに出る。
 武悪には尋常では勝てないので、太郎冠者は、川魚を主に献上させることにし、武悪がそれを捕っている所を後ろから斬り殺そうとする。武悪は最初怒るが、事情を聞いて止むを得ないと首を差し伸べるが、太郎冠者は武悪を斬れず、泣きながら、斬ったことにして見えぬ国へと逃がす。討った、最後は潔良かったと聞いた主は、太郎冠者を伴って、武悪追悼に東山に向かう。
 一方、武悪は、二度と参詣できないから、命拾いの感謝と最後のいとま乞いに清水寺参詣に来ており、そこで、主に、ばったりと出くわす。武悪を討っていないではないかと騒ぐ主に、太郎冠者は、「間違いなく討った」と説得して、武悪が隠れている処にこっそり行って、ここは鳥辺野であるから、幽霊のふりをして出て来い、と言い含める。
 武悪の幽霊が出たのだと聞いて急に怖じ気づいた主は、及び腰で帰路につくのだが、再び、目の前に武悪の「幽霊」が出てきたので、主は慄く。武悪が冥土話だと言って、大殿(主の父親)の話をすると、主は懐かしがって号泣し、主の太刀と扇を借り受けて来いと言うので、主は喜んで太刀・扇を渡すのだが、武悪が更に、冥土に主を連れてこいとも言われたと言うので、いやがって逃げる主人を追い込む。

   この武悪だが、「大蔵虎明本」では、主人に隠れて開墾を試み独立しようとしていたと言う賢しいアントレプルヌールだと言うことで、当時の価値観としては、誅伐当然なのだが、この主人は、瞬間湯沸かし器のように単純だが、しかし、ほろりと人情に篤い弱さと、優しさを併せ持った人間らしい人物で、一気に軟化して弱さに滲む普通の人間になっていく様子を、野村萬は、丁寧に演じていて面白い。
   武悪の又三郎の幽霊姿の妙、井上松次郎の真面目で誠実な太郎冠者の芸とが上手くマッチ呼応して、素晴らしい舞台を作り上げて感動的であった。

   この狂言の「武悪」は、以前に一度だけ、この国立能楽堂で、シテ/武悪は茂山千五郎、アド/主は山本東次郎、アド/太郎冠者は茂山七五三と言う望み得る最高の演者の舞台を観ている。
   和泉流では、主がシテで、大蔵流では、武悪がシテだと言うのが面白い。
   
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映画「グランドフィナーレ」

2016年04月21日 | 映画
   イタリアの奇才パオロ・ソレンティーノの傑作だと言う「グランドフィナーレ」を観た。

   世界的に著名な英国人音楽家フレッド(マイケル・ケイン)は、80になって、作曲も指揮も引退して、ハリウッドスターやセレブが宿泊するアルプスの高級ホテルで、親友で映画監督のミック(ハーヴェイ・カイテル)と、優雅なバカンスを送っている。現役にこだわり続けるミックは、若いスタッフたちと新作の構想に没頭中である。そこへ、英国女王から、フィリップ殿下の記念日に、フレッドに、自作の「シンプル・ソング」の演奏指揮をして欲しいと出演依頼が舞い込むが、なぜか頑なに断る。その理由を、娘のレナ(レイチェル・ワイズ)にも隠しているのだが、執拗に食い下がる女王の依頼人に、この曲は妻ナタリーのために作曲して彼女にしか歌わせないのだと告白する。

   この「シンプル・ソング」は、アメリカ人作曲家デヴィッド・ラングが作曲したオリジナルスコアでアカデミー賞にノミネートされた非常に美しい曲で、最後のオーケストラのシーンでは、フレッドがBBC交響楽団を指揮し、ソプラノ歌手のスミ・ジョーとバイオリニストのヴィクトリア・ムローヴァがソロを演じて、正に、感動的で、強烈な印象と余韻を残す。
   私は、ムローヴァとBBCは、コンサートで聴いているが、韓国の名ソプラノ・スミ・ジョーは、まだ、聴いていない。   

   フレッドは、ヴェネツィアのサン・ミケーレ島に埋葬されている親しかったストラビンスキー夫妻の墓を訪れて、その後、まだ、生きていた痴呆状態の妻ナタリーを病床に見舞い、そして、「グランドフィナーレ」であるロンドンでの御前コンサートに向かうのである。
   音楽一途に人生に入れ込んで、妻や娘の生活に一顧だにしなかったフレッドの悔恨の思いを、秘書であり娘である恋に破れて傷ついたレナとの愛憎綯交ぜの対話と交流で浮き彫りにしており、アカデミー賞俳優の二人は流石にうまく、しっとりとした情感を残して心地よい。

   もう一つ、この映画でサブテーマとして流れる映画監督ミックとの交友が興味深い。、50前のパオロ・ソレンティーノにしては、一寸異質な感じがするのだが、HPでは、次のように書かれている。
   ”物語の根底に流れるテーマとして、ソレンティーノは「自分にはあとどれだけの時間が残されているのかと考えた時、人は未来に何を望むのかということを描きたかった」と語る。「私たちは普段、歳を重ねた人たちが、それでもまだ将来に立ち向かおうとするなんて考えてもみない。だからこそ80歳を生きる人たちが、明日について期待することは何かということに非常に興味を引かれたんだ。」”
   フレッドの対向キャラクターとして、同年の親友ミックを登場させたのは、映画監督であるソレンティーノの思い入れであろうが、良いことしか話さないと言う二人の成熟した人生が滲み出た交流が味わい深い。
   やはり、80前であろうか、往年の名女優ジェーン・フォンダが、ブレンダ・モレル役で登場しており、ミックとの対話が面白い。
  
   この映画の大部分の舞台となったのは、アルプス山脈のふもとにあるホテルで、画像が詩情豊かで美しい。
   ソレンティーノがスパに拘ったと言うのだが、このホテルは、以前はサナトリウムを改築した古いホテルで、トーマス・マンが「魔の山」を書いた場所だとも言う。
   ヨーロッパのスパは、日本の温泉と言う雰囲気はなく、社交の場でもあり、健康や美容のため、あるいは、保養のための場であり、肉体美の若いセレブに交じって、これも豊かな老いたセレブであろう、老人たちが、団体でエクササイズしている光景が随所にあって面白い。
   ミック達の映画制作グループだけが動いている感じで、このアルプスのホテルで展開される人間模様は、全く、静止したような佇まいで、ソレンティーノの言う80歳の期待とは何なのか考えさせられる。

   物語としては、メリハリがなく面白さに欠けるのだが、美しい映像をバックに、何となくしっとりとした旅情に似た味わい深い余韻を残す、成熟した人生模様を語っていて興味深い映画であった。
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わが庭・・・シャクナゲ、菊枝垂桜、牡丹やっと咲く

2016年04月20日 | わが庭の歳時記
   わが庭は、千葉の時もそうだったが、この鎌倉の庭も、住宅街のはずれで緑地に近い所為か、ワンテンポ花咲が遅れている。
   道路に面した住宅の庭の紫蘭は、既に、咲き乱れているのだが、わが庭の紫蘭は、蕾が少し色づき始めた程度で、まだ、かたい。

   やっと、シャクナゲが奇麗に咲き結んで、庭が明るくなってきた。
   まだ、木が小さいので、花付きがそれ程でもなかったが、菊枝垂れ桜も、一輪花を開いた。
   
   

   牡丹は場所を取るので、3株しか移植できなかったが、そのうち、2株が、夫々、一挙に、1輪ずつ大きな花を開いて華やいでいる。
   地上部が枯れて、冬季は見えなくなり、春になると、黙々と芽吹いて大きくなって、牡丹に似た豪華な花を開くのが芍薬だが、草花や花木の間から、適当に伸びて咲くので、この方を重宝している。
   蕾が大きく膨らみ始めたので、月が替わると開花して、にぎやかになるであろう。
   
   

   やっと、咲きだした椿は、ブラックマジック。
   黒椿は、一番遅く咲く遅咲き椿なのだが、ナイトライダーも、まだ咲いている。
   昔、黒い花に興味を持って、黒いチューリップを植えていたのだが、椿も、以前に、幾種類か黒椿を集めて植えていた。
   紫系統の花を、交配を重ねて行って少しずつ黒い花にして行くようだが、私は、黒と言うよりも、濃い赤紫の微妙な色合いが好きで植えていたのである。
   
   
   
   
   シャガ、ミヤコワスレ、アジュガなど、それに、雑草の花なども、咲きだして、庭が賑やかになっている。
   丁度、気候的にも気持ちの良い季節なので、書斎での読書やパソコンとの対話に疲れると庭に出て、花木や草花のを眺めながら、コーヒーや紅茶でひと時を過ごす。
   今、花が消えた椿や梅などが、一気に、新芽を芽吹き始めて、ユリやバラ、芍薬、アジサイなど、咲くのを待ってスタンドバイしている花木は、花芽をどんどん、成長させていて、1日ごとに示す変化が凄くてびっくりする。

   生命の息吹に感動しつつも、熊本大分の人たちの苦境を思うと胸が痛む。
   
   
   
   
   
   
   
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鎌倉便り・・・フラワーセンター大船:牡丹が咲き始めた

2016年04月18日 | 鎌倉・湘南日記
   わが庭の牡丹は、一輪だけ豪華に咲いているのだが、フラワーセンターの牡丹園は、丁度、半分くらいの株が咲き始めて、華やかである。
   その前に、芍薬園に行ったのだが、台湾芍薬1本だけ、2~3輪咲いていたが、ほかの芍薬は蕾がかたかった。
   木の牡丹とは違って、芍薬は、牡丹の台木となるしっかりとした草花でありながら、牡丹が終わる頃に、華やかに咲き、豪華に咲くと添え木をしなければならないのだが、私は、この方が好きである。
   

   牡丹の鑑賞には、気が向くと、上野の東照宮や鎌倉の鶴岡八幡宮の牡丹園に行くのだが、関西にいた頃は、石光寺や長谷寺などに出かけて素晴らしい時を過ごしていた。
   オープンで大らかな雰囲気のなかで、豪快に咲く牡丹の風情が心地よかった。
   歌舞伎や文楽では、芝居の中や襖絵などで牡丹を見ることが多いのだが、能の舞台では、石橋で、舞台正面に一畳台と牡丹が据えられるのを記憶しているが、あまり、見る機会が少ないように思う。
   あの世との関わりが主体の夢幻能の所為であろうか。

   牡丹は、あまり、種類や名前に拘らないし、名前を覚えるのが煩わしいので、美しいなあ、奇麗だなあ、で見ていて、見る度ごとに印象が違っている。
   牡丹で面白いのは、花弁の美しさも鑑賞の目的だが、私は、真ん中の蕊の複雑な造形が好きで、特に、色合いの妙に、創造主の凄さを感じている。
   
   
   
   
   

   藤の花が、咲き始めた。
   まだ、ちらほら咲きなので、藤棚には、殆ど変化がないのだが、気の早い熊ん蜂が、花を渡り始めたので、もうすぐ、見頃になるであろう。
   ハナズオウは、鮮やかに咲き続けている。
   
   
   

   フラワーセンターの園内も、色々な花が咲いていて、非常に美しい。
   欧米で冬のバラである椿も、遅咲き種が、まだ咲いていて、バラの咲く前座として、輝いている。
   温室の中では、相変わらず、カラフルな花が咲いている。
   
   
   
   
   
   

   木陰の間を、忙しなく渡っているのは、メジロとシジュウカラであり、遠くで、鶯が囀り続けている。
   
   
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鎌倉便り・・・フラワーセンター大船:八重桜が美しい

2016年04月17日 | 鎌倉・湘南日記
   八重桜の咲く頃だと思って、フラワーセンター大船植物園に出かけた。
   やはり、綺麗に咲いていたが、桜庭園以外に、この植物園で、オープンに咲いている八重桜は、普賢象と関山と右近だけである。
   グリーンがかった白花の右近は、まだ、木が小さくて直立しているのだが、普賢象と関山は、かなり大きくて存在感十分である。
   右近、普賢象、関山は、次の通りの咲きっぷりである。
   
   
   
   
   
   

   梅庭園と通りを隔てて、並行して、桜庭園があり、色々な種類の桜が植えられているのだが、殆ど八重桜で、植物園であるから、一種類1~2本ずつ、色々違った種類の桜が植えられていて、非常に良い。
   東京は、豪快なソメイヨシノが多くて、悪く言えば、殆どソメイヨシノなので単調なのだが、京都の古社寺には、色々違った桜が植わっていて、夫々に情緒があって良いのと同じで、楽しめるのである。
   ソメイヨシノと違って、花付きがそれ程でもなく、蕾が残った木が多いので、華やかさに欠けるが、この頃の桜が一番美しいと思う。
   私の場合は、花は近づいて、花のカンバセ、一輪一輪鑑賞しようとするので、そのバランスが、面白いのである。
   
   

   緑の花弁の御衣黄などは、初めて見る花だが、面白い。
   記憶に間違いがなければ、次の順に、花を紹介したい。
   天の川、千里香、王昭君、楊貴妃、妹背、福禄寿、手弱女、白妙、大提灯、泰山府君、兼六園菊桜
   王昭君と楊貴妃は、中国の素晴らしい、しかし、悲劇の絶世の美女だが、肖った櫻花も、美しく、しばらく、佇んで想いを馳せていた。
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
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国立演芸場・・・中席:歌丸の「塩原太助一代記」

2016年04月15日 | 落語・講談等演芸
   熊本は大変だが、関東は、今日は、久しぶりに良い天気で、昼に、国立演芸場で、歌丸の「塩原太助」の「出世話」ほかの中席を楽しみ、その後、いつものように神保町に出て書店をはしごして、夕刻に、国立能楽堂に行って、観世清和の能「朝長」ほかを鑑賞した。
   千葉にいながら、震度6弱の激震を受けて、大型の食器棚や本棚が総崩れで、家の中が無茶苦茶になって長い間苦しんだ3・11を思い出しながら、熊本の人々の苦境を思い、鑑賞もそこそこであった。

   さて、今回の国立能楽堂の中席は、歌丸の「塩原太助一代記」なので、相変わらずの人気で、満員御礼であった。
   前回は、「青との別れ」までであったのだが、今回は、「出世噺」で、「道連れ小平」、「戸田の屋敷」、「山口屋ゆすり」 、「四つ目小町」などを一挙に纏めて、
   「本所に過ぎたるものが二つあり、津軽大名炭屋塩原」と囃され、津軽大名の十万石越中守さまと並び称せられるまでの大成功噺を語り切った。
   勿論、原作の圓朝噺は、何時間もかかる長丁場なので、50分の歌丸噺では、大ナタを振るっての省略があるのだが、流石に、歌丸で、流れるような名調子で、感動的な太助の出世噺を語った。

   歌丸が、語らなかったのは、例えば、
   愛馬青と別れて江戸に向かう途中、道連れ小平に出会い身ぐるみはがされて乞食同然の格好になって親元を訪ねるのだが、この小平との事件や、
   山口屋の荷主である下野の吉田八左衛門が急病で倒れたため、山口屋の掛金80両を、悴の八右衛門が代わりに取りに行くことになり、証拠となる手紙と脇差しを持って出立するのだが、この小平が、この証拠物件を奪って、先回りしてゆすり取ろうとするのを、太助が見破って阻止し、これに感じ入った八左衛門が、将来店を出す時には千両の荷を出してやると約束した噺、
   などかなりあるのだが、細かい込み入ったサブストーリーなどが縦横に絡まった圓朝の噺をそのまま語っても、聞く方は混乱するだけなので、これで十分である。
   余談ながら、歌舞伎バージョンでは、初演時に、五代目尾上菊五郎が多助(太助)と小平の二役を兼ねたと言うことで、この小平が、良い役どころのようであり、圓朝も、この菊五郎の舞台を観て助言を与えたと言うから面白い。

   私など、恋は苦しいものだと思っているので、ほんのりとした恋物語が好きであり、もう少し太助の嫁とり話をして欲しかったと思っている。
   本所相生町に店を出し、炭くずやたどんを工夫して、俵買いであった炭の量り売りを初めて繁盛し、身を粉にして働く多助の人柄に、四つ目の富商藤野屋杢左衛門とお花親子が惚れ込んで、多助のところへ嫁に行かせたく行きたくて、出入りの樽買いに仲に立ってもらった。多助がその話を聞いて、金持ちは嫌だと断ったので、樽買いの娘なら良いのかと聞き、何一つ持たずに来るなら良いと言ったので、樽買いの娘として、四つ目一の美女お花は、恋い焦がれた多助の嫁になったのである。

   この太助だが、20万両を投じて、実家を再興し、自分を殺害して家を乗っ取ろうとし、太助の嫁であった自分の娘を愛人の息子の嫁にしようとしたりして散々悪事を働いた継母おかめを引き取って、終生世話をしたと言うことである。
 
   この日、三遊亭遊雀、雷門助六、桂竹丸などが、落語を語ったが、いつもこの国立演芸場で語っている同じまくらやネタを鸚鵡返しで、それに、演題そのものも大したこともなかった。
   正に、上質高度な圓朝の存在を思えば、興ざめであったのは勿論、歌丸が知っているのか知らないのか、マンネリ以前のこんなことを続けていると、江戸落語の将来も危ういであろう。

   むしろ、コントの山口君と竹田君が秀逸で、田舎のさびれた旅館の客と番頭とのコミカルな対話が、地球温暖化、環境破壊をだしにして面白かった。
   旅館の質とサービスの悪さを、宇宙船地球号を守るための言い訳にすると言う奇想天外な話が、世相を反映したアイロニーで、これこそ、質の高いお笑いである。
   漫才のWモアモアも、とりとめもない話をしているのだが、ボケと突っ込みの対話が絶妙で、語り口が、ユニークで面白く、今回は、落語よりも、こちらの方が面白かった。
   桧山うめ吉の俗曲は、一幅の清涼剤で、何時も楽しんでおり、この日は、夜桜を、しっぽりと情緒豊かに踊った。

   とにかく、この国立演芸場の「上席」「中席」のシルバー料金が、1,300円なので、歌丸などスターが登場する時は必ず、そのほかは、時間が余って機会が出来ると出かけるのだが、結構、楽しませてくれるのである。
   暇な年配客が多いのだが、奇麗な和服姿の麗人も観客の中にいて、捨てたものでもないのである。
   



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フィリップ・コトラー著「資本主義に希望はある」(3)

2016年04月14日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   コトラーは、この本の第2章「拡大する所得格差」その他で、ピケティの「21世紀の資本」を皮切りにして、所得や資産格差拡大による経済格差の拡大が、現代資本主義の深刻な問題であると、真剣に受け止めて対応などを説いている。
   私の関心事は、この経済格差の拡大が、経済の成長や発展に、どのような影響を与えるのかと言うことで、いつも気になっていたのは、国民の消費性向がダウンするので、益々、マイナス要因として働き、経済成長と言わないまでも、経済回復の足を引っ張るのではないかと言うことであった。

   コトラーもこの点に触れているのだが、所得が低くなればなるほど、その収入を殆ど消費に回すので消費性向が100に近くなるのだが、逆に、富裕層は、その所得を、製品やサービスの消費ではなく、その殆どをウェルネスマネジメント、すなわち、プロによる資産管理を通した投資に振り向けており、全米の家計収入の22.3%は、消費経済に回っていないと言う。
   したがって、所得格差が拡大すればするほど、消費性向がダウンして行き、消費経済をシュリンクさせて行くので、経済成長があっても、その多くが有効需要の拡大に貢献しなくなって、経済の発展や回復を遅らせると言うことである。

   アベノミクスによるのかどうかは、ともかく、日本経済が、多少上向いたとしても、それに見合った賃金の上昇を伴っていないと言う現象もあるが、需要が拡大せずに、経済回復に結び付き難くなったその一部は、この所得格差、経済格差の拡大の結果でもあると言えないこともなかろう。
   アメリカでは、GDPの70%が、日本では、その55%が、家計消費支出の割合だと言われているのだが、このGDPの過半を占める消費支出の落ち込みが、需要を抑え込んで、経済成長の足を引っ張るのは当然であって、所得の平準化と貧困層への所得移転など、分配政策の改善が、必要だと言うことでもあろうか。

   ところで、興味深いのは、この現象の反映の結果でもあるのだが、コトラーは、社会経済学的見地からすれば、米国で日々実践されている資本主義は、資本蓄積でも蓄財型資本主義でもなく、まさに、借金型資本主義だと言う。
   あらゆる種類の家計の借金を合計すると、可処分所得より少なくとも25%多くて、この増大する借金によって支出された家計消費による需要増の結果、GDPの成長が可能であった、すなわち、アメリカ経済の成長が維持できたと言うのである。
   
   経済成長の要諦は、雇用と収入を生み出す能力にあった筈だが、実際には、米国の家計に借金をさせる能力にあったと言うことである。
   格差拡大によって、消費性向がダウンし続けているのであるから、この借金による消費増がなければ、米国経済が、雇用の拡大なしに成長でき、失業率が、約4.7%程度のままで推移し、最近のGDPの成長率が2.2%程度になることの説明がつかない。

   しかし、今や、米国人の25%は全く貯蓄がなく、半数以上は、ペイチェックをもらうと次のペイチェックまで食い繋ぐだけで貯蓄に回す余裕がない。月に150ドルを受け取る4600万人に達するフードスタンプ受給者が、米国人の6人に1人に達し、膨大な数のクレジットカードの使用者も20%から28%の高金利に苦しんでいる。ので、消費支出を増やすために更なる借金をする余裕は、もはや米国人には殆ど残されていないと言う。
   以前に、スティーブ・ローチの「アメリカと中国もたれ合う大国」のブックレビューで、米国国債を中国に依存した借金まみれの巨大債務国家アメリカの苦境を論じたことがあるが、国家も個人も借金によって生き続けているアメリカの資本主義の実像とは、一体何なのか、資本主義の危うさ脆弱さが見えてくる。
   
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四月大歌舞伎・・・「身替座禅」や「幻想神空海」など

2016年04月13日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今回も、昼の部から夜の部まで、一日、歌舞伎座で過ごした。
   観たいと思っていた仁左衛門の「身替座禅」のほかの演目は、「不知火検校」が一回くらいで、後は観たことがあるのかないのか記憶が定かではないし、夢枕莫の新歌舞伎「幻想神空海」は新しくて、とにかく、新鮮なので、飽きないであろうと思ったのである。

   今回の歌舞伎は、仁左衛門と幸四郎の大御大を中軸にして、ベテランの秀太郎や魁春や左團次や歌六や又五郎や彌十郎、それに、何といっても襲名披露を終えて輝いている雀右衛門に加えて、大車輪の活躍を演じて素晴らしい舞台を観せて魅せている染五郎や松也を中心として、歌昇や児太郎や米吉などの若手の斬新で実に瑞々しい演技が、特筆もので感動的であった。
   特に、目立ったのは、最後の「幻想神空海」の舞台で、最新の音響や照明などを駆使して、回り舞台をフル回転しての、非常に清新で斬新な現代感覚のテンポの速い、しかし、情感たっぷりの舞台展開で、染五郎や松也ののびのびとした自由奔放な演技を、重鎮歌六や又五郎が支えていて、楊貴妃を演じている雀右衛門が実に美しくて素晴らしい舞姿が、ファンタジックな雰囲気を醸し出していて、その異国情緒がたまらなく魅力的である。
   空海については、司馬遼太郎の「空海の風景」でしか殆ど知らないのだが、史実とは違った、正に、幻想の空海像が、異国文化に対する和の精神を垣間見せていて、面白いと思った。
   この「幻想神空海」については、稿を改めたい。

   さて、「身替御前」だが、これまで、歌舞伎では、吉田某(山蔭右京)と奥方が、夫々、菊五郎と吉右衛門、菊五郎と仁左衛門、團十郎と左團次、仁左衛門と段四郎と言った名優の素晴らしい舞台を観ており、仁左衛門の「身替御前」は、二回目で、更に、厳つい奥方の仁左衛門も観ているので、今回は、フルに楽しませてもらった。
   大概、右京の身替りになって衾を被って奥方にとっちめられる太郎冠者を演じるのは、又五郎で、これに関しては余人をもって代えがたいのであろう。
   仁左衛門の右京は、「廓文章・吉田屋」の伊左衛門に相通じる、やや、優男風の軟弱な優しくて気の弱い色男の殿様で、迸り出るような花子への思いとどうにも奥方には歯が立たない恐妻家の雰囲気を上手く出していて秀逸であった。
   左團次の奥方が、また、実にうまい。
   多少、不謹慎な表現かも知れないが、夫婦の関係は関係として重要な絆ではあろうが、夫であろうと妻であろうと、長い人生において、他の異性に思いを寄せるであろう可能性は十分にあり得ることであって、笑ってしんみりとするのが、この歌舞伎で、いつ見ても面白い。
   狂言の「花子(はなご)」が、この歌舞伎のオリジナルで、野村萬の吉田某、山本東次郎の奥方で、一度だけ観たのだが、この方は、やはり、能狂言の象徴的な舞台であって、十分な鑑賞が難しいので、もう一度観たいと思っている。

   「杉坂墓所・毛谷村」は、
   戦国時代の武将であり、加藤清正の家臣であった剣豪貴田孫兵衛の若かりし頃、毛谷村に住んでいた六助として、女の仇討ちの助太刀したという物語が脚色されて、これが、人形浄瑠璃『彦山権現誓助剣』として上演されて、歌舞伎化されたものだと言う。
   長州藩の武芸師範をしていた吉岡一味斎に教えを受けて毛谷村で隠棲している六助(仁左衛門)の許へ、許嫁の一味斎の娘お園(孝太郎)が現れて、敵と間違えて切り込むのだが、許嫁と分かり、六助も、自分が助けた悪人の京極内匠(微塵弾正・歌六)が、お園の父の敵だと知って、怒り心頭に達して仇討を誓うと言う話である。
   男勝りの虚無僧姿で現れたお園が、六助が許嫁だと分かると、急に女らしくしとやかになって甲斐甲斐しく変わっていく様子が、中々面白く、孝太郎が実にうまくて、実父の仁左衛門との真面目かつコミカルタッチの舞台が楽しませてくれる。
   その前にニヤケタ右京を演じた仁左衛門が、血相を変えて憤怒の形相に変わる六助への変わり身の妙が、面白い。
   前に小松成美の「仁左衛門恋し」では、一度の舞台では、一役だけを演じることにしていると言っていた筈だが、宗旨替えをしたのであろうか。

   宇野信夫が、先代の勘三郎に書いたと言う「不知火検校」は、幸四郎の極悪人の世界で、インテリやくざ風の検校を上手く演じていて面白い。
   私には、どうしても勝新太郎の「座頭市」のイメージが強烈なのだが、幸四郎も、舞台で、ちょこっと、杖を刀に代えて勝新のフリを演じて、観客を喜ばせていた。
   この舞台では、騙されて零落する奥方浪江の魁春と不倫妻を演じる湯島おはんの孝太郎が、中々の素晴らしい芸を見せ、ニヒルな手下の生首の次郎(手引きの幸吉)の染五郎や鳥羽屋丹治の彌十郎や弟玉太郎の松也が、惡の華を添えて良い味を出している。

   一番最初の演目「操り三番叟」も、染五郎と松也の舞台だが、今回の四月大歌舞伎は、この二人の活躍が光っていた。
   
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フィリップ・コトラー著「資本主義に希望はある」(2)

2016年04月12日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   このコトラーの資本主義論で、非常に興味深いのは、マーケティング学の権威、言うなれば、経営学の大家が、経営学的な視点に軸足を半分置いて、経済学を論じていると言う点で、非常にユニークであり、示唆に富んでいて含蓄深いことである。
   成長発展と利益追求だけではなく、持続可能な社会的正義の実現と価値創造を目指した新しい経営的な価値観を加味しながら、資本主義の問題点を摘出して、如何に、人類にとって価値ある幸せな経済社会を築き上げるかを論じている点なども、その表れであろう。

   議論が後先するのだが、まず、面白いと思ったのは、この本の最終章「モノだけではなく幸福も生み出そう」で、「物質主義ではない幸福を」と言う項で、生涯続く充足感を与えてくれる生き方として、次の三つを挙げていることである。
   1.芸術や文化、または宗教と深く関わる生き方
   2.他人を助け、世界を改善する生き方
   3.欲求と所有物を少なめに抑え、簡素に生きると決めた生き方

   クリステンセンの「イノベーション・オブ・ライフ」のように、偉大な経営学者が、人生について思いを述べると言うことは、ケインズなどもそうで、結構、あるのだが、非常に興味深く、経済学や経営学の大家の人生訓には、味があって良い。

   コトラーの生き方のうち、2は、まだ、私には距離があるのだが、1と3については、かなり、身近に感じている。
   3のシンプル・ライフについては、親友が、膨大な書物や資料などを整理して、先祖代々の旧家も処分して、マンションに移り住んで穏やかな生活を送り始めたし、また、至って元気でありながら、介護付き老人ホームに居を移した友もいて、終の棲家についても、考えなければならないのかなあと思い始めている。
   しかし、今日も、千葉からの帰りに、神保町に立ち寄って、また、2冊本を買って帰ってきて、置き場のなくなった書斎の片隅に、また、積み上げているのであるから、シンプル・ライフには入れそうもなさそうである。
   その本が、
   経営学者のヘンリー・ミンツバーグの「私たちはどこまで資本主義にしたがうのか」 と、
   アルフォンソ・シニョリーニ著「マリア・カラス―あまりにも誇り高く、あまりにも傷つきやすく―」であるから、少しも、変っていないのである。

   簡素な生き方の提唱者は、消費を減らし、高度消費競争から脱落するよう勧める。と言っており、そこは、欲しくないものまで手練手管を駆使して買わせようとする過剰消費の資本主義へとドライブしたマーケティングの大家であるから、”無駄もなければ不足もない”式の哲学の実践を紹介しているのが、興味深い。
   後述するが、コトラーは、その前の章で、「マーケティングの功と罰」「さらなる経済成長は必要なのか」を論じており、シンプル・ライフの勧めは、持続可能な宇宙船地球号の存続のためにも、必須の条件でもあると言うことである。

   ここで、F・アーンスト・シューマッハーの「スモール イズ ビューティフル」を紹介しているのだが、大学時代に、経済成長論を勉強していたので、その成長には問題が山積していると言う認識のローマクラブの「成長の限界」などとともに、感激しながら読んだ貴重な本であり、懐かしく思い出した。
   たったの半世紀弱の間に、開発成長万々歳であった地球が、一気に、ドライブエンジンであった資本主義にブレーキをかけなければ持続可能ではなくなってしまったと言うこの人類の悲劇に、どのように対処するのか、我々のシンプル・ライフへの誘いがカギを握っていると思うと、非常に、興味深い。

   さて、1の「芸術と文化、または宗教と深く関わる」と言う点だが、宗教については、機会を見て書きたいと思っている。
   コトラーは、
   芸術を生み出さないが、それを楽しみに支援したいと考える人、・・・そうした存在がなければ、創造性あふれる人たちが栄えることはできない。パトロンや買い手がいなければ、芸術家は芸の追及に人生を捧げるための財政的裏付けが得られない。芸術の愛好家は、その作り手と同じだけ重要なのだ。芸術の作り手を支援する意思や手段を持つ人が少ない社会では、文化が衰退して行く。と言っている。
   私は、単なるチケットを買って劇場に通っている1愛好家に過ぎないが、多少なりとも、芸術や文化のために貢献していると思って良いのかも知れない。
   大阪フェスティバルホールで、来日したバイロイト・フェスティバルのワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」を観て、ピエール・ブーレーズの指揮とニルソンやヴィントガッセンやホッターの凄い歌唱に圧倒されてから既に半世紀、欧米のあっちこっちを回りながらオペラやクラシック音楽を楽しんできたし、歌舞伎や文楽に親しみながら、今では、能楽堂にも通い続けている。
   芸術や文化の鑑賞には、それ相応の努力と年季が必要であり、私自身、いまだに、良く分からないのだが、好きだから鑑賞を続けている。
   私にとっては、大変な楽しみであり、人生の一部でもある。

   コトラー先生に認知されたようなものであるから、人生間違っていなかったと言うことであろうか。
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