夢枕獏の小説『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』をチェン・カイコー監督が映画化した幻想怪奇シーンに満ちたスペクタクル映画と言う感じであろうか。
私には、ストーリーそのものよりも、大唐時代の壮大な中国風景を見たと言う思いで、十分満足であった。
1979年、文革後、門戸を開いた北京に行き、天安門から故宮に入って、殆どひと気のない広大な宮殿内を一日中散策して、壮大な中国王朝の歴史の一角に浸って、感に堪えなかったので、一層、その思いが強い。
この夢枕獏の小説『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』(文庫本ながら、2000ページ以上のボリューム)は、二年前の歌舞伎座の四月大歌舞伎公演で、この小説を下敷きにした幸四郎(当時染五郎)の「幻想神空海」の舞台を観た後で、もう少し勉強したいと思って読んでいる。
まず、映画鑑賞記を書く前に、ハッキリしておかなければならないのは、この映画は、宗教家空海なり空海の真言密教とは、殆ど、何の関係もないと言う事、そして、夢枕獏の小説とは、換骨奪胎とは言わないまでも、かなり、大幅な脚色がなされており、この小説からスピリットを得た創作映画と言う感じとなっていることである。
殆ど忘れてしまっているので、2年前のブログ記事を引用しながら書くことになるのだが、
この小説は、空海(染谷将太)と橘逸勢が主人公だが、しかし、あの絶世の美女楊貴妃(チャン・ロンロン)を廻る物語で、幻術を使う異教の道士や呪師が暗躍して唐王朝を手玉に取ると言う幻想的な怪奇伝奇ロマン小説であり、沙門空海が、唐の国、玄宗皇帝(チャン・ルーイー)と楊貴妃が愛を育んだ華清宮で、鬼と宴す物語なのである。
まず、以下で原作をダイジェストするが、
小説で興味深いのは、楊貴妃は、玄宗皇帝に妻を殺された胡の道士黄鶴(リウ・ペイチー)が、妻に生き写しの楊玄琰の妻を幻術を使ってものにして通い詰めて孕ませ生ませた女児・楊玉環(楊貴妃)だと言う設定で、玄宗に娶わせるまでが面白いのだが、
安禄山との戦いで窮地に立った玄宗が、楊貴妃を馬嵬で殺害することになった時に、黄鶴は、尸解の法(尸解丹を飲ませて針を刺して人の生理を極端に遅く仮死状態にして後に再生させる方法)を使って、高力士に因果を含めて仮死させて楊貴妃を石棺に納める。
その後、その石棺をあけて楊貴妃を蘇らせたのだが、黄鶴の弟子の丹龍(オウ・ハオ)と白龍(リウ・ハオラン)が、楊貴妃を連れて出奔し、玄宗と黄鶴の前から姿を消す。
丹龍がどこかへ消えてしまい、白龍は、楊貴妃に恋い焦がれて女にしたものの、自分には靡かず丹龍の名前ばかりを口走るので恨み骨髄に徹して、黒猫の妖怪が引き起こす劉雲樵の家の怪異事件、徐文強の綿畑で俑の妖怪が暗躍する事件、長安の街路で順宗の死を予言する立札が立ち続ける事件等々不吉な事件を頻発させて、大唐国の皇帝を呪詛し滅ぼそうとすれば、必ずそれを察知して長安に舞い戻るであろうと考えて、ペルシャの邪教の呪師と化した白龍が、自分から逃げた相棒の丹龍を誘き寄せるために打った妖術であった。
最後に、尸解の法で長生きしてきた黄鶴が現れて白龍(実は楊貴妃の弟で実子)を殺し、娘を道具にし続けたその黄鶴も、正気に戻った楊貴妃にその刀で殺される。
楊貴妃も、自害しようとしたのだが、丹翁が思い止まらせて二人で仲良く消えて行く。
したがって、楊貴妃は死んでおらず、原作では、80歳を超え老いさらばえた楊貴妃を登場させて、華清宮で舞わせており、実年齢で空海と対面させている。
夢枕獏は、胡人をメインキャラクターに据えて、ゾロアスター教の闇を暗躍させて、インドで生まれた仏教から中国で成熟した密教の世界を描こうとしたのであろうか。
この映画では、楊貴妃は、玄宗と黄鶴に騙されて尸解の法で馬嵬で殺されて、丹龍と白龍が棺から運び出すが、父黄鶴から聞いて知っていた白龍から、楊貴妃の死の真実を聴かされ、ゾロアスター教の呪師となっていた丹龍が、怒って玄宗が可愛がり楊貴妃の見守りをしていた黒猫に乗り移って妖猫と化して、唐王朝を揺るがす壮絶な怪奇事件を引き起こして世間を騒がせる。
それらの事件に、空海と白楽天(橘逸勢役をも継承:ホアン・シュアン)が巻き込まれて、面白い映画が展開される。ということで、楊貴妃を葬った唐王朝に対する恨みが引き起こした物語で、「美しき王妃の謎」と言うわけである。
しかし、故人を主人公の一角に据えて世界最大の国際都市大都長安を舞台に繰り広げられた夢枕獏の小説のスケールの大きさを、この映画も歌舞伎も、たったの2時間少々ではフォローできないのは当然であろう。
小説には、安倍仲麻呂(阿部寛)が、最後には関わっては来るのだが、この映画のように、楊貴妃を愛していたと言うのは、奇想天外な設定で興味深い。
側室の白玲(松坂慶子)が、死後破棄せよと言われていた記録を盗み読みしたら、愛されていたのは自分ではなかったと言うのが面白い。
とにかく、玉蓮や牡丹など胡人の妓生が艶めかしく蠢き激しく舞い踊る胡玉楼という遊郭まがいのナイトクラブのエキゾチックな雰囲気や、玄宗皇帝と楊貴妃が愛を育んだ華清宮での豪華絢爛たる素晴らしく壮大な大宴会のグランドショー、それに、豪壮な甍を連ねた巨大な大都長安のパノラマ風景や王朝イベント等々、正に現代絵巻で、魅せて見せるシーンの連続である。
もう一つ、興味深いと思ったのは、歌舞伎で松也が演じた橘逸勢に代わって、空海の相棒として詩人白楽天を準主役の狂言回しの役割で登場させて、「長恨歌」を、事実との対比で絡ませながら、フォローしていることで、その一方、詩仙李白を飲んだくれの詩人として端役で登場させているのも面白い。
それに、コミカルタッチの、お馴染みの安禄山(ワン・デイ)や、高力士(ティアン・ユー)のキャラクター描写が、非常に面白かった。
玄宗皇帝も、生身の人物と言った調子で描いており、習近平が中国の世界国家への再興を目指す大唐帝国を、カロカチュアに巻き込むチェン・カイコー監督の力量を感じて清々しい。
いずれにしろ、最も注目すべきは、歌舞伎ではほとんど不可能で、原作でもそれ程重要な役割を演じることのなかった黒猫を、ICT技術、CGを駆使して、妖怪猫に仕立てて、主人公まがいの大活躍をさせていることであろう。
凄い迫力であり、映画の魅力と可能性を最大限に謳歌していて面白い。
私には、ストーリーそのものよりも、大唐時代の壮大な中国風景を見たと言う思いで、十分満足であった。
1979年、文革後、門戸を開いた北京に行き、天安門から故宮に入って、殆どひと気のない広大な宮殿内を一日中散策して、壮大な中国王朝の歴史の一角に浸って、感に堪えなかったので、一層、その思いが強い。
この夢枕獏の小説『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』(文庫本ながら、2000ページ以上のボリューム)は、二年前の歌舞伎座の四月大歌舞伎公演で、この小説を下敷きにした幸四郎(当時染五郎)の「幻想神空海」の舞台を観た後で、もう少し勉強したいと思って読んでいる。
まず、映画鑑賞記を書く前に、ハッキリしておかなければならないのは、この映画は、宗教家空海なり空海の真言密教とは、殆ど、何の関係もないと言う事、そして、夢枕獏の小説とは、換骨奪胎とは言わないまでも、かなり、大幅な脚色がなされており、この小説からスピリットを得た創作映画と言う感じとなっていることである。
殆ど忘れてしまっているので、2年前のブログ記事を引用しながら書くことになるのだが、
この小説は、空海(染谷将太)と橘逸勢が主人公だが、しかし、あの絶世の美女楊貴妃(チャン・ロンロン)を廻る物語で、幻術を使う異教の道士や呪師が暗躍して唐王朝を手玉に取ると言う幻想的な怪奇伝奇ロマン小説であり、沙門空海が、唐の国、玄宗皇帝(チャン・ルーイー)と楊貴妃が愛を育んだ華清宮で、鬼と宴す物語なのである。
まず、以下で原作をダイジェストするが、
小説で興味深いのは、楊貴妃は、玄宗皇帝に妻を殺された胡の道士黄鶴(リウ・ペイチー)が、妻に生き写しの楊玄琰の妻を幻術を使ってものにして通い詰めて孕ませ生ませた女児・楊玉環(楊貴妃)だと言う設定で、玄宗に娶わせるまでが面白いのだが、
安禄山との戦いで窮地に立った玄宗が、楊貴妃を馬嵬で殺害することになった時に、黄鶴は、尸解の法(尸解丹を飲ませて針を刺して人の生理を極端に遅く仮死状態にして後に再生させる方法)を使って、高力士に因果を含めて仮死させて楊貴妃を石棺に納める。
その後、その石棺をあけて楊貴妃を蘇らせたのだが、黄鶴の弟子の丹龍(オウ・ハオ)と白龍(リウ・ハオラン)が、楊貴妃を連れて出奔し、玄宗と黄鶴の前から姿を消す。
丹龍がどこかへ消えてしまい、白龍は、楊貴妃に恋い焦がれて女にしたものの、自分には靡かず丹龍の名前ばかりを口走るので恨み骨髄に徹して、黒猫の妖怪が引き起こす劉雲樵の家の怪異事件、徐文強の綿畑で俑の妖怪が暗躍する事件、長安の街路で順宗の死を予言する立札が立ち続ける事件等々不吉な事件を頻発させて、大唐国の皇帝を呪詛し滅ぼそうとすれば、必ずそれを察知して長安に舞い戻るであろうと考えて、ペルシャの邪教の呪師と化した白龍が、自分から逃げた相棒の丹龍を誘き寄せるために打った妖術であった。
最後に、尸解の法で長生きしてきた黄鶴が現れて白龍(実は楊貴妃の弟で実子)を殺し、娘を道具にし続けたその黄鶴も、正気に戻った楊貴妃にその刀で殺される。
楊貴妃も、自害しようとしたのだが、丹翁が思い止まらせて二人で仲良く消えて行く。
したがって、楊貴妃は死んでおらず、原作では、80歳を超え老いさらばえた楊貴妃を登場させて、華清宮で舞わせており、実年齢で空海と対面させている。
夢枕獏は、胡人をメインキャラクターに据えて、ゾロアスター教の闇を暗躍させて、インドで生まれた仏教から中国で成熟した密教の世界を描こうとしたのであろうか。
この映画では、楊貴妃は、玄宗と黄鶴に騙されて尸解の法で馬嵬で殺されて、丹龍と白龍が棺から運び出すが、父黄鶴から聞いて知っていた白龍から、楊貴妃の死の真実を聴かされ、ゾロアスター教の呪師となっていた丹龍が、怒って玄宗が可愛がり楊貴妃の見守りをしていた黒猫に乗り移って妖猫と化して、唐王朝を揺るがす壮絶な怪奇事件を引き起こして世間を騒がせる。
それらの事件に、空海と白楽天(橘逸勢役をも継承:ホアン・シュアン)が巻き込まれて、面白い映画が展開される。ということで、楊貴妃を葬った唐王朝に対する恨みが引き起こした物語で、「美しき王妃の謎」と言うわけである。
しかし、故人を主人公の一角に据えて世界最大の国際都市大都長安を舞台に繰り広げられた夢枕獏の小説のスケールの大きさを、この映画も歌舞伎も、たったの2時間少々ではフォローできないのは当然であろう。
小説には、安倍仲麻呂(阿部寛)が、最後には関わっては来るのだが、この映画のように、楊貴妃を愛していたと言うのは、奇想天外な設定で興味深い。
側室の白玲(松坂慶子)が、死後破棄せよと言われていた記録を盗み読みしたら、愛されていたのは自分ではなかったと言うのが面白い。
とにかく、玉蓮や牡丹など胡人の妓生が艶めかしく蠢き激しく舞い踊る胡玉楼という遊郭まがいのナイトクラブのエキゾチックな雰囲気や、玄宗皇帝と楊貴妃が愛を育んだ華清宮での豪華絢爛たる素晴らしく壮大な大宴会のグランドショー、それに、豪壮な甍を連ねた巨大な大都長安のパノラマ風景や王朝イベント等々、正に現代絵巻で、魅せて見せるシーンの連続である。
もう一つ、興味深いと思ったのは、歌舞伎で松也が演じた橘逸勢に代わって、空海の相棒として詩人白楽天を準主役の狂言回しの役割で登場させて、「長恨歌」を、事実との対比で絡ませながら、フォローしていることで、その一方、詩仙李白を飲んだくれの詩人として端役で登場させているのも面白い。
それに、コミカルタッチの、お馴染みの安禄山(ワン・デイ)や、高力士(ティアン・ユー)のキャラクター描写が、非常に面白かった。
玄宗皇帝も、生身の人物と言った調子で描いており、習近平が中国の世界国家への再興を目指す大唐帝国を、カロカチュアに巻き込むチェン・カイコー監督の力量を感じて清々しい。
いずれにしろ、最も注目すべきは、歌舞伎ではほとんど不可能で、原作でもそれ程重要な役割を演じることのなかった黒猫を、ICT技術、CGを駆使して、妖怪猫に仕立てて、主人公まがいの大活躍をさせていることであろう。
凄い迫力であり、映画の魅力と可能性を最大限に謳歌していて面白い。