今世界中を吹き荒れている金融危機で、アメリカの投資銀行は実質的に消滅し、AIGやシティバンクなど名だたる金融機関が殆ど国有化の状態に陥るなど、金融機関を取り巻く環境は様変わりとなった。
こんな状況の時に、初期の銀行はどのような状態で産声を上げたのか、興味深い思いで、T・G・バックホルツの「伝説の経営者たち」の、バンク・オブ・アメリカ(BOA)の創立者アマデオ・ピーター・ジャンニーニ(通称AP)の項を読んだ。
19世紀から20世紀にかけての銀行業は、モルガンやロスチャイルドなど財閥系が主体で、金持ちだけを相手にし、預金など基本的に金庫に眠ったままのような閉鎖された状態であったが、A・Pは、小規模事業主や勤め人、更に主婦さえも信頼してカネを貸せる相手であることを理解して、銀行の窓口係の格子戸を取り払って貸し出しを行って、近代銀行業を生み出す端緒を開いた。
最初は、バンク・オブ・イタリアであったようだが、金持ち相手のモルガン方式ではなく、庶民にカネを貸すことを慈善ではなく立派なビジネスに仕立て上げ、銀行業の利益の仕組みと経済そのもを革命的に変えてしまった。
1世紀も前に、正に、ピープルズ・バンクを志向して、アメリカ経済を過去から解き放ったのである。
形を変えた形で、極貧層への銀行業で成功を収めて話題になっているグラミン銀行の先駆けとも言うべきビジネスモデルであるが、プラハラードが「ネクスト・マーケット」で説いている、50億人の貧困層を「顧客」に変えるボトム・オブ・ピラミッドの次世代ビジネス戦略へのパラダイム・シフトの発想でもある。
時代の潮流が大きく動き出す時には、人々は、その流れに沿って変革を志向するのは当然であるが、
少しづつ変わりつつある潮目を見極めて革新的なビジネス・モデルを生み出すことは非常に難しいのだが、ここにチャンスを見出したAPの発想は、やはり、ニューヨークではなく、辺境のサンフランシスコに居たからであろうか。
日本の多くのビジネスが、グローバリゼーションの潮流に乗れずに、ビハインドを託っているのは、良かれ悪しかれ豊かで最先端を行く恵まれた日本と言うマーケットにどっぷり埋没しているからであろうと思う。
APの興味深い発想は、「低い金利は、貧しい借り手を引き寄せ、高い信用リスクを呼び寄せる」と言う当時の銀行家の概念への挑戦で、誰でも、掘り出し物が好きであり、低い貸し出し金利を探す人は、知性と勤勉さを実証しており、より良い条件に反応するので「信用力」が高いと考えたのである。
「より安い金利を得るために戦う人こそ、我々がカネを貸したい人だ」と宣伝して、広告を打つのだから、モルガンと言えども、白日に晒された高金利を下げざるを得なかったのが面白い。
サンフランシスコ大地震の時、壊滅状態であった街の中を、暴徒を避ける為に、果物や野菜の箱を積み上げた荷車に、現金を隠して運び出し、翌日、波止場に二つの樽の上に厚板を渡してカウンターを作って青空銀行を立ち上げて、困っている人たちに少しづつ融資したと言うのだから、見上げたものである。
更に興味深いのは、何でも担保に出来ると考えたことで、住宅など格好の担保だと考えていた。
当時、銀行は本店だけだったのを、支店開設を試みたり、支店拡張のためには企業買収に主眼を置くなど、今では、極普通のビジネス手法をどんどん編み出して果敢に挑戦を試みたイノベーターとしての企業家精神には脱帽である。
APの真の天才は、アメリカの庶民の可能性を見出したことだとバックホルツは言っているが、引退するまで、この気持ちは変わらなかったと言う。
現在の銀行は、AP時代とは様変わりだが、モルガンなど当時のエスタブリッシュメントが落日で、バンク・オフ・アメリカなど新興群が健在なのが面白い。
この項での教訓は、発想の転換。押して駄目なら引いてみよ、である。
ブレーキは何の為にあるのか、と言うシュンペーターの問いかけに何人の中小企業の経営者が正しい答えを出せるかが問われている。
ブレーキは、止まるためにあると考えるだけでは、ビジネスは一歩たりと前進しない。
より早く走るためにこそ、ブレーキはあるのである。
こんな状況の時に、初期の銀行はどのような状態で産声を上げたのか、興味深い思いで、T・G・バックホルツの「伝説の経営者たち」の、バンク・オブ・アメリカ(BOA)の創立者アマデオ・ピーター・ジャンニーニ(通称AP)の項を読んだ。
19世紀から20世紀にかけての銀行業は、モルガンやロスチャイルドなど財閥系が主体で、金持ちだけを相手にし、預金など基本的に金庫に眠ったままのような閉鎖された状態であったが、A・Pは、小規模事業主や勤め人、更に主婦さえも信頼してカネを貸せる相手であることを理解して、銀行の窓口係の格子戸を取り払って貸し出しを行って、近代銀行業を生み出す端緒を開いた。
最初は、バンク・オブ・イタリアであったようだが、金持ち相手のモルガン方式ではなく、庶民にカネを貸すことを慈善ではなく立派なビジネスに仕立て上げ、銀行業の利益の仕組みと経済そのもを革命的に変えてしまった。
1世紀も前に、正に、ピープルズ・バンクを志向して、アメリカ経済を過去から解き放ったのである。
形を変えた形で、極貧層への銀行業で成功を収めて話題になっているグラミン銀行の先駆けとも言うべきビジネスモデルであるが、プラハラードが「ネクスト・マーケット」で説いている、50億人の貧困層を「顧客」に変えるボトム・オブ・ピラミッドの次世代ビジネス戦略へのパラダイム・シフトの発想でもある。
時代の潮流が大きく動き出す時には、人々は、その流れに沿って変革を志向するのは当然であるが、
少しづつ変わりつつある潮目を見極めて革新的なビジネス・モデルを生み出すことは非常に難しいのだが、ここにチャンスを見出したAPの発想は、やはり、ニューヨークではなく、辺境のサンフランシスコに居たからであろうか。
日本の多くのビジネスが、グローバリゼーションの潮流に乗れずに、ビハインドを託っているのは、良かれ悪しかれ豊かで最先端を行く恵まれた日本と言うマーケットにどっぷり埋没しているからであろうと思う。
APの興味深い発想は、「低い金利は、貧しい借り手を引き寄せ、高い信用リスクを呼び寄せる」と言う当時の銀行家の概念への挑戦で、誰でも、掘り出し物が好きであり、低い貸し出し金利を探す人は、知性と勤勉さを実証しており、より良い条件に反応するので「信用力」が高いと考えたのである。
「より安い金利を得るために戦う人こそ、我々がカネを貸したい人だ」と宣伝して、広告を打つのだから、モルガンと言えども、白日に晒された高金利を下げざるを得なかったのが面白い。
サンフランシスコ大地震の時、壊滅状態であった街の中を、暴徒を避ける為に、果物や野菜の箱を積み上げた荷車に、現金を隠して運び出し、翌日、波止場に二つの樽の上に厚板を渡してカウンターを作って青空銀行を立ち上げて、困っている人たちに少しづつ融資したと言うのだから、見上げたものである。
更に興味深いのは、何でも担保に出来ると考えたことで、住宅など格好の担保だと考えていた。
当時、銀行は本店だけだったのを、支店開設を試みたり、支店拡張のためには企業買収に主眼を置くなど、今では、極普通のビジネス手法をどんどん編み出して果敢に挑戦を試みたイノベーターとしての企業家精神には脱帽である。
APの真の天才は、アメリカの庶民の可能性を見出したことだとバックホルツは言っているが、引退するまで、この気持ちは変わらなかったと言う。
現在の銀行は、AP時代とは様変わりだが、モルガンなど当時のエスタブリッシュメントが落日で、バンク・オフ・アメリカなど新興群が健在なのが面白い。
この項での教訓は、発想の転換。押して駄目なら引いてみよ、である。
ブレーキは何の為にあるのか、と言うシュンペーターの問いかけに何人の中小企業の経営者が正しい答えを出せるかが問われている。
ブレーキは、止まるためにあると考えるだけでは、ビジネスは一歩たりと前進しない。
より早く走るためにこそ、ブレーキはあるのである。