今日、企業なり機関は、高度に専門化した社会に対応するために、組織が専門家たちの縦割りの「サイロ」になって、その結果、激しく激動する時代の変化に対応できなくなって、衰退したり窮地に陥る。
これを、テットは、「サイロ・エフェクト」と称して、なぜ、サイロが形成されるのか、このサイロをコントロールするすべはあるのかを、この本で論じている。
興味深いのは、ウォール街やシティで評価されるのは、MBAあるいは経済や金融、天体物理学など定量的科学の修士号や博士号であるのだが、自身はケンブリッジで文化人類学を学び、タジク人の結婚と風習を研究するなど、およそ、世界経済や銀行システムについて執筆するに相応しからぬバックグラウンドなので、経歴を知られないようにしていたが、金融や経済で重要なのは、数字だけではなく、文化も同じように重要で、サイロは文化的現象であるし、人類学者の視点が非常に役立ったと言っていることである。
いわば、リベラルアーツのバックグラウンドと言うべきであろうか。
イギリスにいた時に付き合った、シティは勿論経済界や政界などで活躍していたオックスブリッジ卒のエリートたちだが、哲学や歴史学や文学、時には神学といった実業とは関係のない専攻であって、更に専門の勉強をして専門分野に進んでいた人が結構多かったし、複数の分野を学んだり、文理両道のダブルメージャーの人もいるなど、幅広く勉強していた。
しかし、テッドが、文化人類学の専攻で、肩身が狭い思いで、経済記事を追っかけていたジャーナリストだったと言うのが、面白い。
さて、前置きが長くなったが、私の関心事は、一章を割いて論じているテットのソニーのサイロ論「ソニーのたこつぼ」である。
冒頭、テットは、1999年のラスベガスの見本市「コムデックス」で、出井伸之CEOが、鳴り物入りで登壇して、同じ機能の三つの互換性のない商品を発表したこと、それ自体が、ソニーがサイロに堕ち込んでいた典型的な現象だと紹介している。
「メモリースティック・ウォークマン」、ボールペンほどの大きさの「VAIOミュージック・クリップ」、「ネットワーク・ウォークマン」だが、数年もしないうちに、ソニーはデジタル音楽市場から完全にドロップアウトし、「アイポッド」の独走を許してしまった。
絞らずに選択肢の多い販売戦略は、機能しないことは、シーナ・アイエンガーが、「選択の科学」で、如実に物語っており、愚の骨頂と言うことであろう。
一世を風靡したソニー最大のイノベーションである「ウォークマン」が、」「アイポッド」に駆逐された経緯については、「アイポッド」を生み出す一切の技術ノウハウを保持していた筈のソニーが、なぜ、弱小新興のアップルに負けたのかは、多くの専門家が論じておりこのブログでも書いてきたが、テッドの説くような、サイロ化現象と言うよりも、ソニーは、大企業化してしまって、イノベーションを生み出す有効な組織体制、端的に言えば、異分野の傑出した人材を糾合して新機軸を構築する能力などを、完全に喪失してしまっていたのである。
アイポッド的な破壊的イノベーションを生み出し得なかったマネジメントの無能と言うべきか不在と言うべきか、既に、クリエイティブであった筈のソニーのイノベーションスピリットを蚕食し始めていたのである。
テットは、この記事は、同じ英国人であるストリンガーから得た情報を中心にして書いている感じだが、ソニーの組織を、サイロ化した元凶は、社外取締役をしていたネスレの組織に触発された出井だと言う。
大規模化と複雑化と言うソニーの抱える問題を解決する最適な方法は、会社を独立した専門家集団、あるいは、経営コンサルタントの用語を借りれば「サイロ」に分割することだと確信して、カンパニー制を敷き、夫々に経営トップを配置し、権限の委譲を行い事業責任を明確化した。
外部変化に迅速に対応できる組織の構築、改装の少ないシンプルな組織の構築、起業家精神の高揚による21世紀に向けたマネジメントを目指すと言うのであった。
サイロ故に暗礁に乗り上げた訳ではなかろうが、惨憺たる状態に陥り、アップルに負けたソニーは、青天の霹靂、どの「サイロ」にも属さないストリンガーをCEOに選んだ。
「ソニーには、サイロが多すぎる」と感じたストリンガーは、ルイス・ガースナーに教えを乞うて、IBMのサイロ破壊を手本にして、大々的な組織改革を実施した。
あの巨大なソニーが、たったの10年足らずの間に、分権化組織に移行し、また、その分権化組織を解体して、組織再編成を行うなどと言ったことは、正気の沙汰とは思えないし、正に、マネジメント不在を暴露したようなものだが、サイロ化現象は、マイクロソフトでも起こっていると言うことだし、何もソニーだけの問題ではなかろう。
マネジメント不在と言えば、東芝やシャープ、電通等々、考えられないようなことが起こっている。
ストリンガーは、『ソニーユナイテッド』を唱えていたが、出井の頃でさえ、ソニーの組織が、面従腹背で、CEOの意思が末端、特に、技術者専門集団には届かなかったと言うから、言葉の通じないストリンガーのCEO時代の上意下達などは、推して知るべしであろう。
ソニーのマネジメントやイノベーション、すなわち、歌を忘れたカナリアなどについては、多くの経営学者や専門家の論を紹介しながら、随分、このブログでも論じてきた。
既に、巨大化複雑化して、老成化して制度疲労してしまったソニーを、当時のアップルなどと比べて論じるのは、いわば、異次元の世界であろう。
私自身は、テットのサイロ論には、必ずしも賛成ではなく、既に、組織論から言っても、人知による末端へのコントロールが効かなくなってしまっている以上、全社から有能な異分野の人材を糾合して破壊的イノベーションを追求するなどと言うことは、夢の夢であるから、
むしろ、分割して、分社化するなど各組織の独立を図って、GEではないが、生き続けて行く能力のない組織は、どんどん切り離して、活力のある創造力豊かなユニットに、オリジナルのソニースピリットを涵養して、イノベイティブなプチ・ソニーを生み出して、それを糾合して活性化を図るべきであろうと思っている。
これを、テットは、「サイロ・エフェクト」と称して、なぜ、サイロが形成されるのか、このサイロをコントロールするすべはあるのかを、この本で論じている。
興味深いのは、ウォール街やシティで評価されるのは、MBAあるいは経済や金融、天体物理学など定量的科学の修士号や博士号であるのだが、自身はケンブリッジで文化人類学を学び、タジク人の結婚と風習を研究するなど、およそ、世界経済や銀行システムについて執筆するに相応しからぬバックグラウンドなので、経歴を知られないようにしていたが、金融や経済で重要なのは、数字だけではなく、文化も同じように重要で、サイロは文化的現象であるし、人類学者の視点が非常に役立ったと言っていることである。
いわば、リベラルアーツのバックグラウンドと言うべきであろうか。
イギリスにいた時に付き合った、シティは勿論経済界や政界などで活躍していたオックスブリッジ卒のエリートたちだが、哲学や歴史学や文学、時には神学といった実業とは関係のない専攻であって、更に専門の勉強をして専門分野に進んでいた人が結構多かったし、複数の分野を学んだり、文理両道のダブルメージャーの人もいるなど、幅広く勉強していた。
しかし、テッドが、文化人類学の専攻で、肩身が狭い思いで、経済記事を追っかけていたジャーナリストだったと言うのが、面白い。
さて、前置きが長くなったが、私の関心事は、一章を割いて論じているテットのソニーのサイロ論「ソニーのたこつぼ」である。
冒頭、テットは、1999年のラスベガスの見本市「コムデックス」で、出井伸之CEOが、鳴り物入りで登壇して、同じ機能の三つの互換性のない商品を発表したこと、それ自体が、ソニーがサイロに堕ち込んでいた典型的な現象だと紹介している。
「メモリースティック・ウォークマン」、ボールペンほどの大きさの「VAIOミュージック・クリップ」、「ネットワーク・ウォークマン」だが、数年もしないうちに、ソニーはデジタル音楽市場から完全にドロップアウトし、「アイポッド」の独走を許してしまった。
絞らずに選択肢の多い販売戦略は、機能しないことは、シーナ・アイエンガーが、「選択の科学」で、如実に物語っており、愚の骨頂と言うことであろう。
一世を風靡したソニー最大のイノベーションである「ウォークマン」が、」「アイポッド」に駆逐された経緯については、「アイポッド」を生み出す一切の技術ノウハウを保持していた筈のソニーが、なぜ、弱小新興のアップルに負けたのかは、多くの専門家が論じておりこのブログでも書いてきたが、テッドの説くような、サイロ化現象と言うよりも、ソニーは、大企業化してしまって、イノベーションを生み出す有効な組織体制、端的に言えば、異分野の傑出した人材を糾合して新機軸を構築する能力などを、完全に喪失してしまっていたのである。
アイポッド的な破壊的イノベーションを生み出し得なかったマネジメントの無能と言うべきか不在と言うべきか、既に、クリエイティブであった筈のソニーのイノベーションスピリットを蚕食し始めていたのである。
テットは、この記事は、同じ英国人であるストリンガーから得た情報を中心にして書いている感じだが、ソニーの組織を、サイロ化した元凶は、社外取締役をしていたネスレの組織に触発された出井だと言う。
大規模化と複雑化と言うソニーの抱える問題を解決する最適な方法は、会社を独立した専門家集団、あるいは、経営コンサルタントの用語を借りれば「サイロ」に分割することだと確信して、カンパニー制を敷き、夫々に経営トップを配置し、権限の委譲を行い事業責任を明確化した。
外部変化に迅速に対応できる組織の構築、改装の少ないシンプルな組織の構築、起業家精神の高揚による21世紀に向けたマネジメントを目指すと言うのであった。
サイロ故に暗礁に乗り上げた訳ではなかろうが、惨憺たる状態に陥り、アップルに負けたソニーは、青天の霹靂、どの「サイロ」にも属さないストリンガーをCEOに選んだ。
「ソニーには、サイロが多すぎる」と感じたストリンガーは、ルイス・ガースナーに教えを乞うて、IBMのサイロ破壊を手本にして、大々的な組織改革を実施した。
あの巨大なソニーが、たったの10年足らずの間に、分権化組織に移行し、また、その分権化組織を解体して、組織再編成を行うなどと言ったことは、正気の沙汰とは思えないし、正に、マネジメント不在を暴露したようなものだが、サイロ化現象は、マイクロソフトでも起こっていると言うことだし、何もソニーだけの問題ではなかろう。
マネジメント不在と言えば、東芝やシャープ、電通等々、考えられないようなことが起こっている。
ストリンガーは、『ソニーユナイテッド』を唱えていたが、出井の頃でさえ、ソニーの組織が、面従腹背で、CEOの意思が末端、特に、技術者専門集団には届かなかったと言うから、言葉の通じないストリンガーのCEO時代の上意下達などは、推して知るべしであろう。
ソニーのマネジメントやイノベーション、すなわち、歌を忘れたカナリアなどについては、多くの経営学者や専門家の論を紹介しながら、随分、このブログでも論じてきた。
既に、巨大化複雑化して、老成化して制度疲労してしまったソニーを、当時のアップルなどと比べて論じるのは、いわば、異次元の世界であろう。
私自身は、テットのサイロ論には、必ずしも賛成ではなく、既に、組織論から言っても、人知による末端へのコントロールが効かなくなってしまっている以上、全社から有能な異分野の人材を糾合して破壊的イノベーションを追求するなどと言うことは、夢の夢であるから、
むしろ、分割して、分社化するなど各組織の独立を図って、GEではないが、生き続けて行く能力のない組織は、どんどん切り離して、活力のある創造力豊かなユニットに、オリジナルのソニースピリットを涵養して、イノベイティブなプチ・ソニーを生み出して、それを糾合して活性化を図るべきであろうと思っている。