熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

サービス産業のIT化・自動化革命

2006年07月31日 | 経営・ビジネス
   いま、サービスの世界には革命が起きつつある。と言う書き出しで始まるJ.F.レイポートとB.J.ジャウォルスキー共著の「インターフェース革命 BEST FACE FORWARD」だが、サービス産業のフロントオフイスの急速な自動化について語っていて面白い。

   最近、可也の業務ががインターネットで処理できるようになって便利になったし、電話の自動応答によってダイヤルをプッシュしてサービスを受ける処理も結構増えた。
   便利とは言え腹が立つのは、家電メーカーなどのサービスセンターの電話で何回もプッシュしないと係に繋がらず繋がったら間違っていたり好い加減な返答をされる場合である。とにかく煩わしい。
   しかし、修理などの担当者に繋がるとこれは自動化機械化は出来ず、一人一人ヒューマンタッチで応答せねばならない。
   余談だが、観劇やコンサートのチケットは殆ど総てインターネットで購入しているが、都民劇場に入っているので、ここを通してたまにチケットを手配することがある。
   しかし、ここは総て電話予約だけで、むしろ時代に逆行していて不便なのだが、会員に年寄りが多くてITディバイドでパソコンを使えない為のようである。

   ところで、今日、楽天カードを解約しようと思って電話したら、最初から最後まで番号と♯をプッシュするだけで処理できてしまった。
   言い訳をしなくて良い分気楽だが、どうでも良いような扱いを受けたようで面白くないし味気なかった。
   ダイナース・カードを解約した時は、係の人が、「永くご愛用頂いておりますので3ヶ月以内に○万円分ご使用頂ければ、今年は年会費を無料に致しますので、ご継続願えませんでしょうか。」と言われたのだが、同じクレジットカードでも、格が違うとこれだけサービスと対応に差が出るのである。

   今日の市場では、競争が熾烈を極め、製品やサービスが瞬く間にコモディティ化してしまう。
   このような環境の中で、企業が揺るぎなき競争優位を築くためには、インターフェースの機能を高める以外にないと言うのが著者達の問題意識である。

   前世紀の始め頃、蒸気機関や電力等の実用化によって輸送、通信、生産分野の変化によって巨大企業と資本主義経営が台頭し、工業を主体とした産業社会に突入したが、同じ様な革命的な産業の変革が、今や、サービス産業に及んで来ていると言うのである。
   サービスは人間の労働によって支えられるものだから、いくら自動化が進んでも、製造分野のように生産性は伸びないと考えられていたが、今や様変わりでテクノロジーの進化を最も享受しているのはサービス産業かも知れない。
   依然としてヒューマンタッチで人間が顧客インタラクションしなければならない分野も多いが、サービス業の分野で機械が人間に代わって業務全体を担うケースが急速に増えてきていることも事実である。

   コモディティ化を避け、真の競争優位を維持し続けるためには、企業と顧客や市場との間に設けるインターフェイスを、出来るだけ顧客インタラクションの質を高めて効果的にし、インタラクションのコストを下げて効率化することが大切である。
   このインターフェイスと言う構築物を如何に有効に組み立てられるかが、生産性革命の真髄だと著者達は言う。
   ビジネスのフロントラインで対外関係を管理する時も、機械を中心に据えれば込み入った業務を速やかに実行出来る等フロントオフイスのIT化自動化は必須であり、潜在的な可能性を引き出すのは正にテクノロジーであり、ユビキタス化したネットワークやスマートデバイスの活用なのである。
   要するに、ICT革命は、サービス産業革命の引き金であり動力であると言うことを如実に物語っている。

   そして、もっと重要なことは、多くの企業が、競争優位を確立するために、サービスを活用し始めたと言うことである。
   経済状況が変わり、企業が顧客とのインタラクションやリレーションシップの質で競争するようになり、人間の技能と質の高いサービスで収益を上げる仕事に労働力を注ぎ込むようになった。
   サービス職に多くの従業員を投じることになれば、当然、ヒューマンタッチが求められない業務分野においては出来るだけIT化自動化機械化を進めて合理化
し、人材の余剰を排出する必要があり、益々テクノロジーを指向した機械化革命が進行することとなる。
      
      
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庭の花とジャガイモの花

2006年07月30日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   庭の片隅に、ジャガイモと思える花が咲いている。
   少し紫がかった白い五弁の花で、5本の黄色い大きなおしべが印象的である。
   トマトと同じ種類だから、接木をすれば、両方とも実や芋は小さくはなるけれども収穫できると言う。
   今咲いているこのジャガイモの花だが、植えた訳でもないので野生化したものかも知れないが、あのチチカカ湖のほとりアンデス山地が原産地である。
   過酷な自然の中でインディオ達が生活できたのもこのジャガイモの所為かもしれないが、彼の地では何種類もジャガイモがあるのだと聞いた。
   
   このジャガイモが、コロンブスのアメリカ発見の頃にヨーロッパに伝わって、ヨーロッパ人の飢えをしのいだ。
   アイルランドの人々の飢饉を救ったのもこのジャガイモだとイギリスで聞いたが、強くて凄い食用植物である。
   ドイツに行くと何故か料理にジャガイモが目立つような気がするが、今では、品種改良のお陰で素晴らしく美味しいジャガイモが食卓を豊かにしてくれている。

   今庭に咲いている花で、雑草は露草である。
   私は、この露草の澄んだ濃いブルーの独特な花の形とすぐに儚く萎んでゆく花の風情が好きで、多少は間引くが生えてくればそのままに放置して咲かせている。
   鉢植えのユリの花も咲いているが、オランダあたりで品種改良されて年々美しく豪華になって行くが、遺伝子組み換えが進んでゆくとどんな花がこの地上に現れて来るのか、心配でもあり期待もしている。

   今庭に咲いている花は、百日紅。
   ピンクの房状の複雑な花だが、正に夏に花で、この花が咲くと暑い夏のイメージが最高潮になる。
   それに、ぼってりとした厚手の花弁で、強い芳香を放つ八重クチナシが咲いている。風車の様に咲いていた一重クチナシは、もうとっくに花の時期が終わって、今では、がくが少しづつ膨らみ始めて実になる準備を始めている。

   ところで、目立たないが、万両や紫式部の花も咲き始めている。
   萩の花は、間引いてしまったので、残った根から伸び始めた木の花が咲くのは晩夏になるかも知れない。
   豪華な花も良いけれど、目立たないが清楚で静かに咲いている花もまた風情があって良い。
   春には咲き乱れていた花が消えて、夏には少し寂しくなるが、それだけに、いとおしい。

   垂れていた月下美人の蕾が上向いて来た。
   何日後かに咲く気配だが、今年初めての花である。
   忘れずに毎年咲いてくれるのだが、その度毎に、過ぎ去った日々のことどもを省みる。あまりかわり映えしていないのに、少し、寂しさを感じている今日この頃である。
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ソニーの戦略ミス(?)・・・大前研一

2006年07月29日 | 経営・ビジネス
   e-Japan2006の大前研一氏の講演の中で、ソニーの戦略の誤りについて触れた部分があるのでこれについて考えてみたい。
   ソニーは、クリステンセンの指摘するようなイノベーションを忘れたソニーではなく、破壊的イノベーションを行っているのだが、経営の戦略のなさと無能さ故にビジネスチャンスを失っていると言うことらしいのである。

   今、本来チケット代わりに使われ始めたプリペイド型電子マネーのJR東日本のSuica(Super Urban Intelligent Card)が脚光を浴びて色々な分野に使われている。
   コンビニ、NTTドコモ、KDDI。ヤフーと提携して2007年にはネットショッピングにも使われ、横浜銀行と提携してキャッシュカードとしても使われる。

   このカードは、ソニーの「フェリカCプラス」の技術によって生まれたカードで、ソニーが「次のフォーマットとして皆様全員に提供するのはこれです」と言って汎用カードとして戦略を打っておれば、ネットワークとサイバー経済を揺るがす程の事業機会を得ていたのに、部品として捉えたばかりにタダのベンダーに成り下がってしまっていると言うのである。
   これと共通する高速道路の料金所に使われているETCであるが、無線で飛ばす以外はSuicaと全く同じで、携帯電話にこのETCカードの機能を繰り込めば、これを自動車のフロントに入れて走るだけでゲートも駐車場の料金も自動的に精算されるのみならず、情報を集積すれば道路の利用状況等大切な交通情報まで収集できて行政に活用さえ出来ると言うのである。
   ソニーの開発したEdyは、ユーロ、ドル、円を凌ぐ通貨とする為に編み出されたものなのだが、これも同じ様に、ANA等細々使われるだけ。
   とにかく、少しづつ活用範囲は広がっているが、膨大な卓越した機能を持ったカードシステムを生み出しながら、行き当たりばったりの便利機能を活用するだけで終わっているとするならば極めて惜しいことだが、それだけ,活用次第ではビジネスチャンスがあると言うことであろう。

   もう一つ、大前研一氏の指摘で面白いのは、光ネットワークのブロードバンド時代で、総て、オンデマンドでデータがキャッチできる現在、ブルーレイ対HD-DVDの戦いなどナンセンスで、ブルーレイを組み込んだソニーのPC-3など、発売と同時に孤児となると言うのである。
   ハイビジョンで見たいのは、「風と共に去りぬ」くらいで、24ギガバイトの大容量など必要なく、後は、ダウンロードではなくオンデマンドで十分だと言うのである。
   確かに、私の場合は、NHKやWOWWOWから映画やクラシック番組、文化教養番組等積極的に録画しているが、オンデマンドで何でも好きな時に観たり聴いたり出来るのなら録画などする必要がなく、助かる。
   しかし、そんなにすぐに便利になるようにも思えないので、やはり、ブルーレイやHD-DVDの帰趨が気になるのが正直なところである。

   大前研一氏の指摘は非常に重要で、ソニーは、コンシューマーエレクトロニクスを中心としたメーカーだが、生み出そうとする卓越した製品がどのような未来を志向すべきなのか。
   クリステンセンの言う持続的イノベーションを得意とするソニーのような技術水準の高い会社は、顧客の需要を遥かに飛び越えた高い品質の製品を生み出す高飛び傾向があるが、予想だにしない突拍子もない使い方をされる場合もあるので、その行く先を、そして、十分に、経済社会と科学技術の動向を見極めないと戦略を誤り経営資源の浪費となる。
    
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政府の「放送・通信改革」コテンパン・・・大前研一

2006年07月28日 | 政治・経済・社会
   26日からの「e-Japanサミット2006」の講演会で、26日は松田岩夫IT担当大臣が「IT新改革戦略の実現に向けて」について熱弁を振るい、昨日は松原聡東洋大教授が「放送・通信改革の行方」について意欲的に政府のIT戦略を語りかけたが、そのすぐ後で、返す刀でメッタギリ、大前研一が、デジタル・コンチネンタルの大きな波動の激動を全く知らない時代錯誤も甚だしいと激しく切って捨てた。

   その前の講演で、座長松原教授が、「通信・放送に関する在り方に関する懇談会」の最終報告書が竹中大臣等の大変な苦心によって、閣議の了承を得て骨太の方針に付け加えられたと得々と語った後だから、大前氏の話に場内は苦笑しきり。
   毒気を抜かれた聴衆は、水を打ったように静まりかえって聞き耳を立てる、終わったと思うと、次の講演があるのに多くの人は退去して会場を出てしまった。
   私も一緒に出て、ホールでの日立グループのuVALUEコンベンション2006の展示場に行ったので後は知らないが、とにかく、大前氏が、現実のITの世界を極めてビビッドに迫力満点に語っているのだから、真実が何処にあるのか明々白々である。

   今、人々は、iPodに目を奪われているが、パソコンでiTuneを開き、「ラジオ」をクリックすれば世界のラジオが全部無料で自由に聞け、エリクソンなど2万4千局ブックマークしており、更に「テレビ」の機能も加わったと言う。
   また、Tivoと言うハードディスクを買って契約すれば、どんなTVの番組もダウンロードできて、好きな時にタイムシフトして自由に楽しめる、その上、CMカットの機能まで付いている。
   全米4大TVもインターネット配信を開始し、CM入りだと無料だがCMなしだと1.99ドル、コマーシャルの扱いが大きく変ってきている。

   更に驚異的なのは、動画を共有・閲覧できるウエブサイトYou Tubeで、USENのGYAOはコマーシャルが五月蝿いが、これは、5分間無料でコマーシャルなしで、あらゆる動画を配信していて、一日に一億の閲覧があると言う。
   前日台湾で商工会議所会員限定で行った大前研一の講演「IT INNOVATION」が、翌日には、5分間刻みに分断されてYou Tubeで配信されてしまって、日本で10万円で配信しようと思っていたのがパーになってしまったと嘆いていた。
   アメリカは法の規制を受けないので、無修正の日本製ポルノが逆上陸配信されるのは時間の問題であるなど、日本語のソフトが増えればGYAOの存続自体が危ういと言うのである。

   台湾で李登輝氏が、アンテナを張ってNHKのBSTVを見ていて素晴らしいのでNHKに視聴料を払いたいと言ったら外国には放映していない建前なので払ってもらっては困ると言われたと言う挿話を交えて、
誰か、台湾でも何処でも良いが、一人だけ馬鹿がいて、この人間だけが支払いを済ませてYou Tubeに流して配信すれば、世界の有料放送は総て無料になると言うのである。
   NHKの財政困窮で課金制度が問題になっているが、こうなれば、どうして課金できるのか、将来、視聴料など取れるはずがなくなるのである。
   別な問題は、動画を配信する場合のCMカットにどう対応するのかで、CMガードとCMカットの鬩ぎ合い・イタチゴッコが見ものとなるのかも知れない。
   
   今や光ケーブルによるブロードバンド時代でキャパシティが異常に増大し、インターネットによる動画配信が無尽蔵に拡大する時代に入っているのに、日本政府は、アナログ放送が地上デジタルに変るだけだという認識と発想しかない。
   オンデマンドで、タイムシフト、ロケーションシフトで、好きな時に好きな所で見たい聞きたいと思う現代人が、誰が、TVの前に座ってテレビを見るのか、パソコンがあり携帯端末だあれば十分である。
   テレビ局の存在と放送システムの存続自体が怪しいのに、第2東京タワーの建設など愚の骨頂で、建設と同時に無用の長物・ピラミッドになることは火を見るより明らかだと言う。
   
   もう一つ面白いのは、グーグルが、アメリカで「グーグル・チェックアウト」を立ち上げて、ネット・ショッピングを始めた。
   楽天の様にウエブに商店を出して取引するのではなくて、グーグルの検索で引き出した商品を、グーグルにクレジットカード番号を届けて会員登録しておけば、直接インターネットで購入できるサービスである。
   集金手数料は無料で、グーグルの検索サービスと直結であるから、商品の情報量は無尽蔵であり利便性とビジネスチャンスは無限に広がっていく。
   決済手数料は、一件当たり0.2ドルで、決済額の2%を払えばよく、「アドウズ」に入っておれば手数料の一部が減免される特典がある。
   日本上陸も近く、店舗を貸して手数料を取っている商売だけの楽天などヒトタマリモないと言う。

   これだけ、日進月歩で大きく変革するデジタル・コンチネント、正に先が見えない。
   竹中大臣の洞察力の無さを指摘する大前研一だが、どちらが正しいのか、或いは、両方間違っているのがデジタル・コンチネントの世界かも知れない。

   
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ヒロシマ2005・・・ニコン・土田ヒロミ写真展

2006年07月27日 | 展覧会・展示会
   今、銀座のニコンサロンで、ニッコールクラブ会長の土田ヒロミ写真展が開かれている。
   広島の被爆者の1976年と2005年の写真をモノクロで対比させて、その回りに2005年の60年目のヒロシマ記念日前後の式典にまつわるカラー写真をアレンジした中々見ごたえのある写真展である。
   被爆者の写真には、被爆当時の実情やその時の思い等が書かれていて、2005年の現在の写真には今の心境が添え書きされている。
   取材拒否で、風景や静物だけの写真にコメントだけ添えられているのもあり、亡くなっている人もいる。

   この口絵の写真の早志百合子さんは、被爆時小学3年生だったが、乳がんを患いながらも体操が生甲斐で今も元気で踊り続けていると言う。

   私は、マツダに勤めていたと言う国広敏幸さん(6歳の時路上で被爆)のコメントに、頷いた。
   「・・・それでも、戦争の苦労を愚痴を言っても始まりませんが、原爆を落としたアメリカより、戦争を止められなかった日本の軍隊の方が憎いです(談)。」
   
   天皇陛下が、A級戦犯が合祀されたので靖国に参拝していない。それが私の心だ。と仰ったのが分かったにもかかわらず、まだ、顔を引きつらせて、心の問題だと言って我を張る偉い(?)人がいる国にも、実に爽やかな心境の人がおられると思って読んでいた。
   私自身、正直なところ、あの時に生きていたら身を賭して戦争に反対出来た自信はないが、今なら、どんなことがあっても戦争反対を貫けると思っている。

   靖国問題は、はっきりしている。
   私は、いくら東京裁判が戦勝国の一方的な裁判であっても、あれだけの戦争を主導して、多くの同胞のみならず世界の人々を死に追いやり、人類に途轍もない苦難と歴史に汚点を残した当時の為政者に戦争責任がない筈がないと思っている。
   A級戦犯が総て悪いのかどうかは分からないが、人類の幸せと平和の為に罪を犯した人々を祭っている神社を参拝するすることが、平和を願い国政を預かる為政者のすべきことかどうか、そして心の問題かどうか。
   
   土田ヒロミの告発とも言うべきヒロシマの写真をじっと眺めながら、複雑な気持ちで梅雨の午後を過ごした。
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アジアNo.1の航空会社へ・・・ANA大橋洋治会長

2006年07月26日 | 経営・ビジネス
   東京国際フォーラムで日経主催・日立共催のe-Japan 2006で、全日空の大橋洋治会長が「アジアNo.1の航空会社を目指して」と言う演題で、1時間に亘って講演を行った。
   先に、日航が株主のみならず会社法まで無視して公募増資の暴挙に出た後なので、非常に新鮮な気持ちで大橋会長の講演を聞くことが出来た。
   
   2009年には、羽田の滑走路が増設され1.6倍に拡張されるのでこれを「航空ビッグバン」と捉えて、この年に「アジアでNo.1の航空会社」になるのだと中期経営計画をぶつ。
   クオリティで一番、価値創造で一番、顧客満足で一番を目指して、今は、シンガポール航空やキャセイ・パシフィック、タイ航空にさえ遅れをとっていて4~5番だが、これ等を追い抜いて一番になるのだと言うのである。
   私がアジア各地の国際事業で飛び回っていた時には、確かにこの3社は、サービスが良くて気持ちが良かったが、やはり、国際線20余年の歴史の浅い全日空には、キャッチアップが大変だったことに気付いた。

   大橋会長の話で印象的だったのは、全日空に衝撃を与えた外部要因として、
   2001年 9.11世界同時多発テロ、日航の合併
   2002年 SARS
   2003年 鳥インフルエンザ
   2004年 原油高騰
   を指摘して、特に、2001年の危機の時が一番深刻で、日航の合併で、羽田でのNo.1航空会社の地位を失うなど、全社大変な危機意識を感じて、必死になって対応したと言うことである。
   この時、合併して大きくなった日航と全日空の危機管理意識と経営改革の差が、その後の両社の明暗を分けたと言うことであろう。

   もう一つ印象的だったのは、スターアライアンスに加盟して世界の競合航空会社と協力する一方、先輩のルフトハンザやカナダ航空などから、協同しながら胸を借りて彼らの進んだ経営や運営方法を学んだと言うことである。
   ITの話で、彼らが既に活用していた最適機材配置のためのFAMや、最適な座席配置のためのPROS等積極的に導入した。
   国内航空業では、ダントツでもあくまで井の中の蛙で、国際事業は別物、日航から学ぶ訳にも行かず、全日空の国際ビジネスは2004年にやっと黒字になったが、長い間、よちよち歩きで手探りの経営を行っていたのであろうか。
 
   航空機は、747等の旧型は廃却したので、今後は、効率の極めて良い大型は777、中型は787、小型は737-300、等次世代機に入れ替えて機首を4機種程度に整理してコスト削減、経営の合理化を図るのだと言う。
   現在は、歴史を引き摺って国内旅客の比重が高いが、2015年に向けてトリプルセブン計画を推進して、国内旅客、国際旅客、航空貨物の夫々の売り上げを7000億円にして均衡の取れた2兆1000億円を売り上げる航空会社にする計画のようである。

   安全については、ステイション・コントロールとオペレイション・コントロールについて詳細に語っていたが、特に印象的だったのは、経営トップとのコミュニケーションで、毎日一回、社長とオペレーション・ディレクターと電話会議をして安全を確認し、毎週一回、社長・副社長とオペレーション代表の会合を持ってチェック確認・対策会議を持つなど万全を期していると言う。
   人生には、3つの坂がある、上り坂と下り坂、そして、マサカだと言う。
   大相撲は13勝2敗でも優勝するが、会社は、14勝1敗でも、最後の1敗で吹っ飛んでしまうことがある、安全とはそういうものだとも言う。
   それにしても、不良品を売ってまだ懲りない会社が跡を絶たないのはどう言う事であろうか。

   トップがしっかりしないと、航空会社の経営はダッチローリングしてしまう、名だたる航空会社が歴史から消えてしまう、それ程競争が激しく儲からない産業である。
   あのイノベーションの大家クリステンセンも、二級空港間を足がかりにして成功したサウスウエスト航空やローエンドの破壊のイノベーションの格安航空会社や地域航空会社、エアータクシーなどについては書いているが、全国規模の大航空会社が業績を上げて起死回生するためのイノベーションについては何も書いていない。
   今回は大橋会長の説明を無検証でそのまま記述するに止めたが、妙手などないのである。名実ともに日航を抜いた全日空だが、次にはどんな戦略を打つのか。
   私は、業務をIT技術を駆使して徹底的にインテリジェンス化、合理化する一方、JRなどの交通機関、旅行会社、サービス産業等異業種とのアライアンス,コラボレーションで大連合を組んで、観光・交通を中心とした文化産業として囲い込むことだと思っている。知的で質の高い豊かな生活とは何なのか、旅と文化を通じてヒューマン・タッチのサービスを発信出来る会社である。
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円の大家吉原良治展・・・東京国立近代美術館

2006年07月25日 | 展覧会・展示会
   誰にでも描けそうで彼にしか描けない円。
   そんな能書きに、口絵の赤い丸を描いた絵が、100年記念吉原良治展のチラシ。
   31日までなので、「関西前衛美術のパイオニアにして世界的グループ「具象美術教会」のリーダー、東京で初の大回顧展。のふれ込みにつられて、梅雨間の竹橋に行ってきた。

   独学で絵を描き始めたようだが、展示場の最初の絵は、魚を主体に花や果物や色々な静物を窓辺において描いたような静物画で、「魚の画家」と呼ばれたようである。
   その後、西宮の工場で働きながら絵を描いていたようであるが、浜辺の人や風景の絵、それに、漁師の衣服や道具、碇などをモチーフにして描いた絵が展開する。
   私が知っている何十年も前の西宮近辺の浜の絵だが、私の子供の頃には、まだ、あの辺りには広い砂浜が広がっていて、潮干狩りをしたり夏には泳いでいたので懐かしかった。

   その後、藤田嗣治に会って、「他人の真似をするな。自分の絵を描け。」と教示されて、オリジナリティの重要性に開眼して抽象画を描くようになったという。
   前述の浜辺の延長で、白日夢の様な幻想的な海辺の光景の連作で全5作が二科展に入選した。
   その後、前衛画家としての地位を確立して活躍するのだが、戦争の影響を受けて画質に変化を繰り返しながら戦後を迎えて前衛画家の道を歩む。
   とにかく、一寸暗いが印象派のような絵、ミロやピカソ、モンドリアンに似た絵、ブラウン基調の抽象的な絵、具象画、絵の具やプラスターを叩き付けた絵、とにかく一人の画家としては遍歴しすぎた絵が並ぶが、相当数の絵は「作品WORK」と言うタイトルで、最後に、色々な円の絵に収束する。

   私は、絵画は好きだし世界的な名画を求めて相当多くの欧米の美術館を行脚しているが、正直なところ、前衛や抽象やとにかく何を描いているのか分からないような現代絵画には馬が合わないし、何時までも好きになれない。
   鑑賞眼がないのだから仕方がないと諦めている。
   大作と言われるのか、畳半畳以上の大きな絵の大半は、何を描いたのか分からない「作品」で、左官屋が失敗したようなプラスター・ボードが架けられたような作品もある。
   吉原良治の絵で、気に入ったのは、唯一の絵本「スイゾクカン」の下絵の、幻想的で実に構図のしっかりした美しい絵5点であった。

   私は、何か分からない現代絵画を見ると、きまって裸の王様を思い出す。
   素晴らしいと言って分かったように感心して絵を鑑賞している人を見ると、裸の王様を思い出すのである。   

   一見、簡単に描けそうなシンプルな円。しかし、この一枚を仕上げるのに、彼は際限なく画面と格闘した。
   黒地に大きな円を描いた吉原良治の大作が、某大手建設会社の社長室に飾ってあった。
   この円の絵で一世を風靡した吉原良治のグタイピナコテカ運動も彼の急死によって消えてしまったと言う。

   この特別展を見た後、上階の常設展を楽しんで梅雨の道を神保町まで歩いて帰った。
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日米欧の独禁法比較・・・東大比較法政研

2006年07月24日 | 政治・経済・社会
   サントリーホール・小ホールで、東大ビジネス・ロー・比較法政研究センター主催のシンポジューム「日米欧における独禁法運用の共通化」が開かれた。
   日頃東大法学部に出かけて聴講しているビジネス・ロー・セミナーとは一寸違った、晴れやかな国際的な雰囲気の程度の高いシンポジュームで、全編英語で同時通訳付である。
   独禁法と言っても、実務上、談合等に関して必要な知識を仕入れた程度で、系統立てて勉強していないので、白石忠志東大教授の話はほぼ分かったが、欧米の専門的な分野になると、専門用語にも難があり、結局レシーバーをつけたままで聞いた。

   前半は、白石教授のスピーチに続いて、ヨーゼフ・アジジEC裁判所裁判官が、欧州コンペティション・ローについて、ダニエル・ルービンフェルドUCB教授が、独禁法におけるプライベート・エンフォースメントを日欧で強化すべきか、について語った。

   私に興味深かったのは、後半の、ジェラール・エルティーク・チューリッヒ大教授の「知財と競争法・欧米の比較」とジャック・ピュアール弁護士の「カルテルとM&Aにおける欧米競争監督機関の協力」であった。
   例えば、マイクロソフトについてアメリカでは上手く乗り越えられたがヨーロッパでは制裁を受けた話、GEのハネウエル買収について米国は認めたがEUは認めなかった話、オラクルとピープルズソフトの話とか、比較的良く知っている話について語られたので、法制度や考え方の違いが浮き彫りにされて面白かった。
   知財よりは、市場占拠率のほうが、EUでは問題だと言っていたのが興味深かった。

   競争と言うものに対する考え方が、やはり、欧米で違いがあり、イノベーションを削がない為には競争制限や規制をどう考えるのか、今回のテーマが共通化CONVERGENCEなのだが、文化、伝統、歴史、とにかくバックグラウンドが違うのであるから難しい。

   シンポジューム終了後、隣のANAホテルのトップ37階に場所を移してレセプションが開かれた。
   梅雨空で眺望が良くなかったが、六本木ヒルズ、防衛庁跡地の三井の六本木開発、氷川神社、赤坂の街とビル群が眼前に展開していて中々素晴らしかった。
   今回の聴講者は、大半大学関係者や弁護士、役人、会社関係の専門家、それに東大生といった感じで、こじんまりレセプションも、やはり、そんな感じで、私の話していた人も教授や弁護士、会社の社内弁護士と言った人たちであった。

   ワインで程よく気分がのってから、岩波新書のベストセラー「会社法入門」の著者神田秀樹東大教授にお会いして色々話を伺った。
   日本の経営に問題あるのは、プロの経営者を育成する土壌がないからではないかと言ったら、日本の会社の経営は、みんなでやると言う伝統が強いから、と言われていた。
   しかし、今回の会社法で選択肢が増えたので、これからトップがどう対応するのか、それがこれからの問題だと言うことらしい。
   日航の取締役会及び株主総会軽視について話すと、横から弁護士先生が割り込み、日本の会社は結構こんなのが多いと相槌を打った。
   監査役、監査委員会、そのものが機能していない、なんでも権限が社長に集中していると付け加えた。
   神田先生は、勿論、答えられなかったが、日本の会社のトップに理工科系の人が多く、例えば、資金調達ならその道のプロに任すとかいうことになると言うことであったが、大筋同意と言うことであろう。
   先ほどの経営者の適格性とも絡むが、やはり、会社経営を分かったトップが少ないこと、それに、小林陽太郎氏が言っていたファイン・アーツに対する教養に欠ける等々、法律以前の問題があろう。
   弁護士先生は、企業トップの暴走チェックには、社員が立ち上がることが必要だと言っていたが、私は、神田先生など権威のある第一人者たちがオピニオンリーダーとして訴えることだと言った。
   コーポレート・ガバナンスについても、日本はまだまだと言うようであったが、理論と現実の乖離は大きそうである。
   
   
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地方財政の破綻・・・マネジメント指向の自治

2006年07月23日 | 政治・経済・社会
   今朝のTV8チャンネル「報道2001」で、自治体サバイバル時代について報道し、中田横浜市長たちが出演して討論していた。
   先に、滋賀県知事選挙で嘉田知事が誕生した時、地方政治のいったんについてコメントしたが、地方格差の拡大とともに地方財政の破綻が緊急の問題となっている。
   特に、夕張市の財政破綻が国民的な関心を集め、地方財政の悪化が目も当てられない状態になっていることが浮き彫りにされた。
   道州制を含めて官僚機構・組織をもっともっと切り詰めて簡素化するとともに、大幅な地方自治権限を与えて行政の自律化を促進するなど抜本的な対策を取る以外にないと思われるが、その為には、何人もの小泉級の宰相が必要となろう。

   地方自治には多くの問題があるが、最大のポイントは、殖産興業を旨として日本の近代化、西欧化を目指した明治時代にセットされ、戦後に多少アジャストされて発展してきた地方自治制度が、いまだに、豊かだが公害等深刻な社会問題を抱えた知識情報化産業社会に大きく舵を切った現在の世の中においても継承されており、完全に制度疲労してしまっていることである。
   中央政府が、地方交付税や補助金で地方財政をコントロールし、地方自治に多くの制限と規制を課しているのはその際たるものだが、正に、アルビン・トフラーが言う「非同時化効果」のマイナス局面であろう。

   今回強調したいのは、この問題ではなく、地方自治体も一種の経済活動を伴った重要な組織なので、マネジメント学を導入した経営手法を重視した経営を行うべきではないかと言うことである。
   ピーター・ドラッカーが、晩年、経営者のモラル低下や会社の暴走に失望して資本主義に見切りをつけて、ガールスカウトや教会など営利を目的とした会社ではないNPOや他の民間団体などに経営学を教えてその導入をボランティアとして働きかけていた。
   地方自治でも、東京都での貸借対照表の作成などマネジメント手法の導入が始まっており、横浜市など市のあらゆる媒体を活用して広告収入を稼ぐ営利活動を行っているなど会社と同じような動きが起こっているが、もっと本格的な「自治体経営学」の立ち上げが必要だと思うのである。

   今、コーポレート・ガバナンスが会社経営の重要な課題となっているが、ガバナンスは、本来、国家、政府、自治体等政治の主体が本家本元である筈である。
   営利に走りすぎて秩序を乱して道を外れる会社が多くなったので会社統治が問題になったのだが、中央政府のみならず、官僚機構が整備されていない地方ほど、逆にガバナンスが問われることになった。
   為政者は、謂わば、会社の役員と同じように有権者の委任を受けて職責を行っているのであるから、当然、説明責任と結果責任を果たさなければならない。

   ところで、夕張市の場合だが、炭鉱閉鎖等で財政が悪化した町を観光事業で再生しようとした、所謂、事業感覚が裏目に出たケースであるが、この営利事業感覚と公共目的の擦り合わせが非常に難しい。
   まして、中央からタダに近い金が入り収入の大半を税金で賄っている様な自治体で、経済および経営感覚希薄で事業を行ない、事業環境が大きくマイナス方向に振れれば当然の帰結である。

   イギリスの場合、ロンドンのシティは、シティ・コーポレーションが統治していて、事業を行って儲けている。
   詳細は分からないが、シティの相当地域の土地はコーポレーションの所有で賃貸料を取っており、私が在住していた頃は、道路上に張り出してビルの建築が認められて更に賃貸収入が増えたと聞いていた。
   英国の影響を受けたのか、シンガポール政府も、沿岸に大規模な埋め立て造成地を整備して住宅を建設して事業を行っていた。
   このように、自治体が自分たち自身で事業を行って自治体自身を維持してゆくシステムの場合は、それなりに、ガバナンスやマネジメントが整備されているが、日本の場合は、そうではなく、手かせ足かせが嵌められて、あくまで、公共目的を主体とした政治・行政組織であるので、このようには行かない。

   しかしながら、選挙で選ばれて委任を受けて自治体を運営する為政者は、国民から税金や手数料を徴収して自治体を統治している以上、収支を合わせて公共目的に沿った公正かつ効率的な運営を行うのは当然のことなので、経営感覚を持って組織を維持しマネジメントするのはこれまた当たり前である。
   その為には、NPOやNGOに関する経営学がかなり前から研究されているが、同じ様に「自治体経営学」が生まれて当然であり、行政体である地方自治体をマネジメントする経営理論が構築されれば、行政効率のみならず、経済社会全体の効率アップは計り知れないように思われる。
   ただし、重要な問題は、公と私、公共目的と営利目的、の峻別で、このバランスが欠けると大変なことになろう。
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ジェフリー・ムーア「持続するイノベーション経営」を語る

2006年07月22日 | イノベーションと経営
   「キャズム」で名を成し、最近「ライフサイクル・イノベーション」を著したイノベーション論の大家ジェフリー・ムーアが、SAPジャパンの「BUSINESS SYMPOSIUM '06」で、「競争優位性を導く~「コアとコンテキスト」で実現するプロセス・イノベーション」と言う演題で、1時間精力的に語り続けた。

   「ライフサイクル・イノベーション」は、副題のように、偉大な会社はその発展段階に応じて如何にイノベイトして行くかと言うテーマで、その会社の置かれた発展段階の位置に応じた適切なイノベーション手法は何なのかを克明に紹介することに主眼を置いている。
   しかし、今回の講演は、時間的な制約のためか、このムーアのイノベーション論のエキスと言うべき、その手法について論じるに留まった。

   クリステンセンが「イノベーションのジレンマ」で論じた革新的なリーダー企業の没落論の向こうを張って、革新的な企業が如何にイノベーションを持続し続けて成功を収めるか、コアとコンテキスト論を展開しながら説き起こすのである。
   ムーアのコアは、所謂、コア・コンピタンスのコアではなくて、他企業の追随を許さないような長期的差別化を生み出し、高価格設定や収益増大に結びつく製品や企業活動で、コンテキストは、企業の差別化に結びつかないその他の総ての企業活動を言う。

   理論は極めて単純明快、コンテキストに費やされている経営資源を抜き出してコアに再配分すると言うことで、これは一回限りの対応策ではなくて、企業の持つ慣性力を活用して日々の業務の中に組み込むべきだと言うのである。
   こうする事によって、既存の経営資産の再構築と新しい資産への投資を並行的に行うことで、経営者はイノベーションの道を開くと同時に、必要な投資の為の経営資源も獲得出来ると考えている。

   今日の企業を取り巻く環境は、正に激烈なグローバル競争の時代で、科学技術の脅威的な進歩によって急速なコモディティ化が進行、適者生存の過酷な競争に晒されている。
   この熾烈な競争集団から抜け出して差別優位を確立しない限り生き残って行けないが、そのためには、他の追随を許さないようなイノベーションを追求して差別化し、競合集団から離脱を図らなければならない。
   その為には、ベクトルを合わせて経営資源を一点にフォーカスすること、すなわち、コンテキストから資源を抜き取りコアに集中する経営が必須だと言うのである。
   ムーアの経営学の根幹は、イノベーションによって差別化戦略を追求し続ける経営である。

   イノベーションの効果について、「差別化」が一番望ましいが、競合他社の優位性に追いつき自社の欠点を市場の標準に近づけて他社の差別的要素を無効にする「中立化」や、既存プロセスを再構築して価格競争力をつける「生産性向上」も必要だと説く。
   しかし、多くのイノベーションへの企業努力が、リスク回避の発想が強すぎて大胆な行動が取れなくて十分に差別化出来なかったり、成り行き任せの経営でベクトルが合わせられずに優先順位の調整が出来ずにイノベーションを革新的な方向に導けなくて失敗するケースが多い。

   後半、横軸にコアとコンテキスト、縦軸にミッション・クリティカルと非ミッション・クリティカルを据えて、マトリックス方式で、イノベーションの手法と発展段階について論じた。
   この表を使って、イノベーション・プロセスを持続するために、人材の再配置について、イノベーション・プロセスと逆回りの教育・訓練についても説明していた。

   いずれにしろ、ムーアの理論は、比較的革新的で面白いが、クリステンセンが論じたイノベーションのジレンマを解決するためには、どんな経営を行えば良いのか、実際にどのように適用すべきか、十分に答えを出しているようには思えない。
   クリステンセンも、「イノベーションの解」、「明日は誰のものかーイノベーションの最終解」で、理論展開しているが、最終解にはなっていない。
   私は、経営学者ではなく、何となく、トヨタとホンダが、イノベーションのジレンマを解いてくれるような気がしている。

   とにかく、ジェフリー・ムーアの鉄砲玉のような迫力のあるスピーチに触発されて聞き耳を立てていた。
   
   
   
   
   
   
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課題先進国日本・・・東京大学の挑戦

2006年07月21日 | 政治・経済・社会
   東大の安田講堂で、東大と日経共済で「課題先進国日本~課題解決のために今何をすべきか~」と言うシンポジュームが開かれ、東京大学の関連部門の教授達が問題提起とその取り組みについて熱っぽく講演を行った。
   小宮山宏東大総長の挨拶兼基調講演を皮切りに、7人の教授達が、安心・安全への社会技術、脱温暖化と都市、サスティナブル・ビルへの挑戦、学術知識の統合、超高齢化社会、感染症、地球持続戦略研究について、かなり高度な問題を丁寧に語っていた。

   現在、人類は地球環境問題など極めて深刻で危機的な課題に直面しているが、人類の生存、および、持続的発展のためには、これ等の問題を早急に解決しなければならない。
   特に、日本は、ヒートアイランド現象、エネルギー資源少、廃棄物増加、環境汚染、少子高齢化社会等々深刻な問題を抱えた「課題先進国」であり、先進国欧米にモデルはなく、日本自らが、課題に挑戦する気概を持って問題解決を模索することが必須である。
   小宮山総長のこのような問題意識に立って、知の集積である東大がどのように取り組んで行くのか、その試みの一端がこのシンポジュームでもある。

   小宮山総長は、セメント生産のエネルギー消費、自動車の燃料消費、火力発電所からの硫黄酸化物排出量の国際比較を行って、如何に、日本産業のエネルギー効率が卓越しているかを説明して、
   課題のある国が解をつくる
   日本は力も実績もある
   課題解決先進国となるべき
   アジアと世界の社会モデルになれる
と日本の使命を説き、
   本質を捉える知
   他者を感じる心
   先頭に立つ勇気
を持って果敢に未来へ挑戦しようと檄を飛ばした。

   最近、マークⅡからプリウスに車を変えたが、燃費が良くて4月にガソリンを入れたままで、その後一度もガソリンを入れていない、と語って笑わせていた。
   エネルギー効率の良いのは、日本人のモラルが高いからではなく、資源小国日本が必要に迫られた結果の経済原則からで、アメリカはエネルギーが安いので効率化が進んでいないのだと釘を刺すことを忘れなかった。

   先生方の講義は、それぞれに興味深かったが、「超高齢化社会におけるSuccessful Aging」を講演したジェロントロジー(老人学)寄付研究部門の秋山宏子教授が、あらゆる老人に関わった学問分野を総合した老人学について語っていたが、正に、今日は学際の時代で、最早一つの専門分野だけでは学問が成り立たなくなっていること感じた。
   このことは、他の先生も強調していた点で、最低限度文理の協力は必須であり、今回の様な21世紀の課題先進国日本の未来への挑戦には、多方面の学問分野の協力と総合なくしては、有効な解の解明など有り得ないと言う事であろう。 

   
   
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発掘された日本列島2006・・・お色気たっぷりの人物埴輪

2006年07月20日 | 展覧会・展示会
   久しぶりに、両国の江戸東京博物館に行って「発掘された日本列島2006展」を見てきた。
   日本全国で精力的に調査研究され最近発掘された埋蔵文化財を一堂に会して展示されていて、その豊かさと質の高さに感心しながら、梅雨の合間の文化的な余暇を楽しんだ。
   北海道から宮崎まで、旧石器時代から近世まで、多種多様な出土品が系統的に丁寧に展示されていて興味深い。
   今回の特集は、「遺跡でたどる国際交流」で、隣の中国や朝鮮、オホーツクのバイキングなどと関わりのあった遺物や出土品が展示されていて、そのエキゾチックな雰囲気と高度な文化に驚かされる。豊かな文化の交流が如何に日本の文化文明生活を豊かにしたか、今のアジア外交軽視の風潮が寂しい。

   私が一番興味を持ったのは、奈良県御所市の二光寺廃寺の「大型多尊塼仏」で、蓮華座上に結跏趺坐する如来を中心に、、左右に脇侍として観音・勢至菩薩がが立ち、頭上に天蓋、菩提樹、そして、飛天が空を舞っている焼結煉瓦盤レリーフの断片である。
   線描で描かれた白紙の上に配置されているのだが、実に美しい彫刻で、百済観音やアンコールワットの美神像に良く似た面長のエキゾチックな顔が大陸の影響を色濃く伝えている。

   ところで、今回の展示場には、会場の入り口に二組の彫刻が強調されて展示されている。
   一つは、ゲートの代わりをしている福岡県八女市の鶴見山古墳出土の武装した石人。
   もう一つは、宮崎県新富町の新田原古墳群からの人物埴輪などの一群の出土品の展示である。

   面白いのは、4体の埴輪で、2体は袈裟のような服を着た女性像、1体は襷を掛けた女性像、もう1体は男性像。
   その中でも、襷を掛けた女性人物埴輪は、右手で上着をめくっている面白い像で、説明書に「古墳の祭の一場面? 天の岩戸のアメノウズメを彷彿とさせる女性埴輪」と書かれていて、ご丁寧にも、横に「天の岩戸伝説とアメノウズメ」を説明したプレートが置かれている。

   アマテラス大神が、天の岩戸に隠れて高天原と地上世界が真っ暗になってしまったので、誘き出そうとして神々が岩戸の前でお祭をした。
   女神アメノウズメが踊り出し、興に乗って前をはだけて胸を丸出しにして、腰に纏った布をチラリチラリと捲くったので、神たちは喜んでやんやの喝采。
   気になったアマテラス大神は、扉を少し動かして隙間から身を乗り出したので、大力の神が引きずり出した、と言う大らかな、ギリシャ神話にも負けない愉快な日本の神々の話である。

   口絵写真では、正面からでは恐れ多いので、気を利かせて横から撮っているが、実に大らかであり、その右手横の台には、歌麿級の男根が展示されている。

   古代と言うか昔の大らかな日本人のセックス観についてだが、学生の頃良く訪れた飛鳥の飛鳥坐神社のことを思い出した。
   この神社の境内には、大きな石造りの男根がしめ縄をつけて地蔵さんの様に祭られているし、地面の踏み石に、女陰を模った石が埋め込まれている。
   気つかなかったが、神社にいた土地の古老がわざわざ連れて行って見せてくれ、そして、祭の時には、村の男達が男と女になって豊作を祈ってまぐわいの儀式をするのだと教えてくれた。
      
   話がそれてしまったが、この江戸東京博物館は、常設展示も結構面白くて広々としているので暇な午後を過ごすのに良い。
   都営地下鉄両国駅側の出入り口にある「東京モダン亭」と言う大正時代の雰囲気をあしらった食堂で、チキンカツを食べたが、やはり、大正のと言うか馴染み難い味であった。
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日本航空のダッチ・ローリング

2006年07月19日 | 経営・ビジネス
   7月1日のこのブログで、日本航空の公募増資が株主総会の2日後に発表されたことについて「何でもありの資本主義~日本航空の途轍もない暴挙(?)」を書いた。
   その後の展開も含めて再度コメントしたいと思う。

   先日は、日航が会社の最も重要な機関である株主総会と取締役会の機能を軽視して会社法の精神を骨抜きにしてしているとして、コーポレート・ガバナンスの面から問題提起し、更に、みずほ証券の利益相反取引の恐れについても触れた。

   日航は増資の公募価格を19日から21日のいずれかの日に決めるとしているが、本日の終値は220円で、株主総会頃と比較して100円近くも株価が下落している。前期の大幅赤字に加えて、旅客減に燃料高と言う経営環境の悪化で今期も業績回復の可能性が殆ど期待薄、市場が見切りをつけたと言うことであろう。
   いずれにしても、予定していた増資金額から大幅にダウンすることは筆致で、更に、業績最悪の時期に増資に踏み切った経営者の経営責任に追い討ちを掛ける事になろう。
   
   今回の増資を巡って、何故か、或いは、違法性の恐れを危惧したのか、国内募集分の13%を引き受ける予定であった日興シティグループ証券が離脱した。
   その結果であろうか、日航は、「海外の機関投資家の需要が高いため」と言って、7月末に予定している最大7億5000万株の公募増資で、国内募集分を当初予定の3億5000万株から2億9500万株に減らして、海外募集分を3億5000万株を4億500万株に増やし、増資発表後に国内外の募集比率を変更すると言う異例の措置を取った。
   もう一つ日航にとって悪い材料は、今回の公募増資によってCBの償還資金にめどが立っているにも拘らず、2011年2月償還の第3回普通社債の国債利回りに対するスプレッドが現在2.71%で、増資発表後2週間経っても0.04%と縮小幅が小幅で、一向に社債の評価が高まらないことである。
   同じ2011年10月償還の全日空の普通社債のスプレッドが0.5%で2%以上開いていて、経営格差の大きさは目を覆うばかりである。

   ところが、これに更に追い討ちをかける様に、18日定例記者会見で、日本証券業協会の安東俊夫会長が、日本航空の大型公募増資について、「株主などのステイクホールダーに対して、会社による増資に関する十分な説明がなされていないということに問題があるのではないか。」と名指しで個別会社の公募について苦言を呈した。
   特に、今回の大型増資を決めた日航の取締役会が定時株主総会の直後だったのを問題視して、「株主に説明する機会として本来(総会で)できたのに、その後という段取りは十分ではない。」とも語っている。
   これは、私が先日のブログで触れたコーポレート・ガバナンスの問題、すなわち、株主総会と取締役会のあり方に対する疑問の提起でもある。
   金融商品取引法、そして、会社法による日本版SOX法で、企業の内部統制の問題が、正に、カレントトピックスとなり、日本企業が振り回されて右往左往しているが、日本航空には会社としての統治能力があるのであろうか。

   更に、安東会長は、「今回のような事態に対して、引き受け証券会社のファイナンスの審査過程、事態に対する発行会社の見解の表明など、本来の増資の目的の実行の為に投資家に対して無用の混乱を生じさせない対応をして行く。今回の事象に対してどう対応すべきか引受審査作業部会の議題として取り上げて行く。」と語った。
   公募増資に関わった証券会社側にも重大な落ち度があったと言う認識であろう。

   今回発生した重大な問題は二つ、発行会社・日本航空の経営の問題と、引受証券会社のあり方の問題だが、この問題は極めて根の深い、そして、日本の会社の経営および証券市場の未熟さと言うか不完全さに根ざした深刻な問題でもある。

   日本航空は現在極めて重い十字架を背負っている。とにかく、経営の再建が第一で、健全な会社に一日も早く戻す以外に王道はない。
   経営本体がダッチローリングしているようでは、空の安全も覚束ない。

   経営の再建には、極めて質と付加価値の高い、かつ、安全なサービスの提供を社是としている会社である以上、ニッサンのようなコストカッター方式だけでは駄目で、限りなく豊かな発想と創造性の要求される革新的な経営が求められることになる。
   ガソリンの値上がりが鰻上りの昨今、ローエンドの国内運賃7700円で全日空と叩きあいをしているようでは、先が思いやられる。体力と経営能力に各段に差がついた全日空にとっては、今は正に日航叩きの千載一遇のチャンスで、知恵のない経営では日航には勝ち目がない。
   順風満帆の会社が一社としてない世界の航空業界が如何に難しい産業であるのか、アメリカの航空業界でも熾烈な戦いの中で、優勝劣敗、工夫に工夫を重ねてイノベーションを追求した会社が生き残っている。

(追記)公募価格は、1株211円に決定。
    目標額2000億円に対して1469億円、500億円の目減り。
    想定内かも知れないが、既存株主は治まらないであろう。
   

   

   

   
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日経健康セミナー・・・足は大丈夫ですか?

2006年07月18日 | 生活随想・趣味
   今日、三越劇場で、日経健康セミナー「あなたの足は大丈夫ですか?」が開講されたので、始めて出かけた。
   聴講者の大半は、老人で、それも65歳以上と思える所謂老人で、女性客の方が多い感じだった。
   私の場合は、野次馬で聴講生になったのだが、問題を抱えて来た人が多かったのか、熱心にメモを取っていた。

   基調講演は、東京医科大学の重松宏教授の「末梢の動脈疾患と静脈疾患について~閉塞性動脈硬化と下肢静脈瘤を中心にして~」であった。
   女性客が多かった所為か、静脈瘤の方の話が長かったが、後半のパネルディスカッションでも、仁科亜季子さんと吉本恵さんの出演なので、どうしても女性中心となるのだが、女性の20%が罹病者だと言うから悩んでおられる人も多いのであろう。
   しかし、救いは良性なので命に関わりがないと言うことである。

   ところが、問題は、男性に多いと言う閉塞性動脈硬化症(ASO)の方で、足の動脈硬化による血流障害が結構多くて、注意すべきは、足だけではなくて頭や心臓など他の部位にも問題があるケースが可也あると言う。
   「人は、動脈とともに老いる」と言うことらしいが、たかが足と言って軽視する訳には行かないと重松先生は仰る。

   治療法は、薬物療法、血管内治療、外科療法などのようだが、心筋梗塞や狭心症の場合と同じである。
   技術の進歩で、「細長い管を血管の中に入れ、管の先につけたバルーンを膨らませて血管の動脈硬化により狭くなった部分を広げ、金属製の網状のステントを入れて治療する」といとも簡単に仰るが、大変なことで、年は取りたくないと思う。

   糖尿病に注意すべきとのことだが、メタボリック・シンドロームなど、とにかく、医学知識の普及で心配ごとが多すぎる世の中、ケセラセラと行かなくなってきたのが、少し寂しい気がする。

   いずれにしろ、歩くことが良いらしい。
   スペインなどでは、夕方、何の目的もないのに、みんな散歩に出かける習慣がある。
   しかし、あのようなぶらぶら歩きは、精神衛生上はともかく、健康に取ってはそれ程プラスにならないらしい。
   最近、一寸凝った万歩計を買って持っているが、歩くことは健康に効果的だと言うが、それ程カロリーを消費せず、肥満防止に効果がないことを知って少しがっかりしている。
   とにかく、大切な健康だが、気にはなるがままならない。

   
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ベートーヴェンとともに逝った岩城宏之

2006年07月17日 | クラシック音楽・オペラ
   昨夜、NHKのBS2で、「生涯指揮者・岩城宏之~ベートーヴェンとともにゆかん」の再放送を見た。
   昨年末の東京芸術劇場での岩城宏之のベートーヴェン全交響曲演奏会の記録をバックにインターヴューを交えて紡がれた追悼番組であった。

   私は、2004年の大晦日の東京文化会館での演奏会、そして、今回の2005年大晦日の演奏会を両方とも聴いているので、非常に感慨深く見ていた。
   毎年、大晦日は家族と供にNHKの紅白歌合戦を見て除夜の鐘の音を聞いて新年を迎えていたのだが、この2年間は、新年は、コンサート会場で、ベートーヴェンを聞きながら迎えて、その後、成田山に向かう初詣客に混じって京成電車に乗って朝早く帰途についている。
   今年は、誰か後を継いでベートーヴェン全交響曲演奏会をしてくれるのであろうか。

   私の手元には、ベートーヴェン交響曲全集のCDはカラヤン指揮ベルリン・フィル、DVDはアバード指揮ベルリン・フィルがあるが、第9番等は色々の指揮者やオーケストラのものがあり、ベートーヴェンものは結構多い。
   記憶は定かではないが、実際のコンサートでは、最初はカラヤン指揮のベルリン・フィルで、運命、田園、合唱を聞いており、その後は色々なところで聴いているので、9曲総てを聴いているような気がする。
   やはり、第9番合唱の記憶が一番鮮明だが、定期公演に通っていたフィラデルフィア管弦楽団、アムステルダム・コンセルトヘヴォウ、そして、ロンドン交響楽団等印象深い思い出があっちこっちにある。
   しかし、今回の2度に亘る岩城宏之の全交響曲演奏会は格別で、あの感激は生涯忘れられないほど強烈な印象を残してくれている。
   最初から最後まで徹頭徹尾完成した交響曲をベートーヴェンは残したと岩城宏之は言うが、彼自身も、最初から最後まで、極めて質の高い素晴らしい全交響曲を一日にして完全演奏し終えた、その功績と貢献は偉大である。

   岩城宏之は、ベートーヴェンは、しっかりと交響曲を書いておりきっちり演奏しなければならないのでとんでもないほど疲れるので嫌いだと言っていたが、2004年の演奏会で第5番の指揮をしながら、同じテーマだけを何百回も繰り返しながら組み立てる作曲能力の極地とも言うべきその凄さに感激し、ベートーヴェンにのめり込んでしまったと言う。
   ベートーヴェンの全交響曲を連続演奏したお陰で、始めて音楽に目覚めたのだととも言っていた。
   1曲毎に過去を否定して新しい挑戦をして新しい試みを加え、偉大なシンフォニーを作曲し続けて打率10割を成し遂げたベートーヴェンだが、一番好きなのは作者が一番マトモニちゃんと書いた第8番だと言い、第9番の第4楽章は、くだらない劇で、俗物的に良く出来ているので最大のベストセラーになったのだと言っている。

   若い時には、激しいアクションで全身全霊で指揮棒を振っていたが、最近は、力を抜いて指揮するようになったので、全交響曲を振れたのだと言っていた。
   丁度、指揮者としてスタートした時には、カラヤンがNHK交響楽団に来ていたので薫陶を受けたのであろう、乗馬の例を引きながら、カラヤンにドライブとキャリーの違いについて教えられたことを語っていた。
   身体が不自由なので、歩き方も呼吸の仕方も総ての動作を計算ずくでやっているが、何も考えずにやっているのは指揮だけと言っていたが、キャリーの域に達していると言うことであろう。

   アクションを抑えた指揮だが、私が東京で聴いたスイス・ロマンドを振ったエルネスト・アンセルメは、指揮棒を小刻みに動かすだけで、手首さえ動かさなかったが、素晴らしく華麗で美しい音楽をオーケストラから引き出していた。
   しかし、ロンドンで聴いたレナード・バーンスティンやゲオルグ・ショルティなどは、最晩年まで、派手なアクションの指揮をしていたのを思い出す。

   ところで、岩城宏之の指揮は、NHK交響楽団の定期講演会などで何度か聴いているが、残念なのは、オーケストラ・アンサンブル金沢との演奏会を聞き逃したことである。
   
   明日、サントリーホールで、岩城宏之のおわかれの会が催される。
   14時から15時30分、残念ながら予定が入っていて行けない。
   心から、偉大な指揮者岩城宏之氏のご冥福をお祈り致したい。
   
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