6月にこのブログで、シュレジンガーが、ブッシュを「予防戦争を外交に組み込んだ帝王的大統領」として非難していることについて書いたが、ブレジンスキーも同じことを、この「孤独な帝国アメリカ」で論じている。
シュレジンガーは、米国歴代大統領によって継承され冷戦で勝利を納めてきた戦略…多国籍機構を通して遂行された封じ込めと抑止政策の組み合わせ…多国間協調主義を、ブッシュは悉くブッシュドクトリンで放棄した。
戦争は最後の手段ではなく、大統領の選択によって、潜在的な敵が攻撃する前に、必要とあれば一方的に攻撃する、即ち、国民的な合意なしに、予防戦争によって平和を目指すと言うアメリカ外交の決定的政策転換をした帝王的大統領だと言っているのである。
ブレジンスキーの論趣は、
ブッシュが2002年6月1日ウエストポインットで行った「米国の自由と生命を守る為に必用なら先制攻撃をおこなう」と演説したが、敵を具体的に特定せず、標的を恣意的に選べる余地を最大限に残した。
テロを定義する基準を明確にせず、いかなる条件下で核拡散を悪と認めて予防的軍事行動が正当化されるのかも明らかにせず、要するに、アメリカは脅威について国際社会と定義を共有することなく、自分勝手に敵を認識して先制攻撃をする権利を我が物にしてしまったのである。
「相互的確証破壊」のドクトリンを「一方的確証破壊」に置き換えてしまったのである。
先制と予防の区別は極めて重要で、「先制」に見せかけた一方的な「予防」攻撃が蔓延する心配がある。
この国際協調を欠くアメリカの単独主義とドクトリンの方向転換は、結局アメリカに跳ね返ってきて、これまでの歴史的な米国の役割や政治的に覚醒した自由の灯台であった地位も認められなくなり、秩序と正義、安全保障と民主主義、国力と社会進歩に対するバランスの取れた配慮を欠いた国と看做され、権威を失墜することになる。
覇権を傘に着て、世界の共通価値観を無視して、自分勝手な論理で戦争を仕掛けて国際社会を牛耳る、そんなアメリカを誰も信用しなくなる、そして、反米感情の高まりがアメリカを孤立させ、益々国際的な対米テロを惹起して、世界を恐怖のドン底に落とし込む、と言うことであろうか。
米国と世界が直面する基本的な脅威は、益々暴力的になってきた政治的混乱であり、世界的な無政府状態を招きかねない現実世界である。
世界の紛争の根本にある原因を断ち切る為の粘り強い世界戦略のみが、危機を回避させてくれ、人類史上かってないほどの、世界の大同団結と協調が求められている時期はない。
アメリカガ平和を追求する為には、20世紀に全体主義を打ち負かした以上の世界的な規模での支持が必要である。
アメリカの平和は、国際協調と国際的な支持があってこそで、単独主義は極めて危険であり、まして、世界的な合意を得ることなく、自分勝手な予防を隠れ蓑にした先制攻撃などもってのほか、とシュレジンガーもブレジンスキーもアメリカ政治に警鐘を鳴らしている。
少しづつ、アメリカの良心と良識が動き始めて来た、そんな気がしている。
先のイラク戦争の時、フランスやドイツが、イラク攻撃に対して執拗にて反対して米国に抵抗した。
私は、先の2度の言語を絶する恐ろしい戦争を経験したヨーロッパ人の平和を希求する思いを痛いほど身に沁みた経験をしている。
ホンの数時間車で走っただけで、違った言葉を喋り、宗教や民族や全く違った背景を持つ人々がモザイクのように入り組んで生活しており、本来なら、独仏は勿論、ヨーロッパの統合などあり得ない筈であった。
しかし、このグローバリズムの世界で自由で平和に生きるためには、万難を排してでも、EUを創らざるを得なかったのである。
私は、EUの健全な発展が、覇権国家アメリカへのカウンターヴェイリング・パワーになることを願っている。
さあ、それでは日本はどうするのか、我々の課題である。
シュレジンガーは、米国歴代大統領によって継承され冷戦で勝利を納めてきた戦略…多国籍機構を通して遂行された封じ込めと抑止政策の組み合わせ…多国間協調主義を、ブッシュは悉くブッシュドクトリンで放棄した。
戦争は最後の手段ではなく、大統領の選択によって、潜在的な敵が攻撃する前に、必要とあれば一方的に攻撃する、即ち、国民的な合意なしに、予防戦争によって平和を目指すと言うアメリカ外交の決定的政策転換をした帝王的大統領だと言っているのである。
ブレジンスキーの論趣は、
ブッシュが2002年6月1日ウエストポインットで行った「米国の自由と生命を守る為に必用なら先制攻撃をおこなう」と演説したが、敵を具体的に特定せず、標的を恣意的に選べる余地を最大限に残した。
テロを定義する基準を明確にせず、いかなる条件下で核拡散を悪と認めて予防的軍事行動が正当化されるのかも明らかにせず、要するに、アメリカは脅威について国際社会と定義を共有することなく、自分勝手に敵を認識して先制攻撃をする権利を我が物にしてしまったのである。
「相互的確証破壊」のドクトリンを「一方的確証破壊」に置き換えてしまったのである。
先制と予防の区別は極めて重要で、「先制」に見せかけた一方的な「予防」攻撃が蔓延する心配がある。
この国際協調を欠くアメリカの単独主義とドクトリンの方向転換は、結局アメリカに跳ね返ってきて、これまでの歴史的な米国の役割や政治的に覚醒した自由の灯台であった地位も認められなくなり、秩序と正義、安全保障と民主主義、国力と社会進歩に対するバランスの取れた配慮を欠いた国と看做され、権威を失墜することになる。
覇権を傘に着て、世界の共通価値観を無視して、自分勝手な論理で戦争を仕掛けて国際社会を牛耳る、そんなアメリカを誰も信用しなくなる、そして、反米感情の高まりがアメリカを孤立させ、益々国際的な対米テロを惹起して、世界を恐怖のドン底に落とし込む、と言うことであろうか。
米国と世界が直面する基本的な脅威は、益々暴力的になってきた政治的混乱であり、世界的な無政府状態を招きかねない現実世界である。
世界の紛争の根本にある原因を断ち切る為の粘り強い世界戦略のみが、危機を回避させてくれ、人類史上かってないほどの、世界の大同団結と協調が求められている時期はない。
アメリカガ平和を追求する為には、20世紀に全体主義を打ち負かした以上の世界的な規模での支持が必要である。
アメリカの平和は、国際協調と国際的な支持があってこそで、単独主義は極めて危険であり、まして、世界的な合意を得ることなく、自分勝手な予防を隠れ蓑にした先制攻撃などもってのほか、とシュレジンガーもブレジンスキーもアメリカ政治に警鐘を鳴らしている。
少しづつ、アメリカの良心と良識が動き始めて来た、そんな気がしている。
先のイラク戦争の時、フランスやドイツが、イラク攻撃に対して執拗にて反対して米国に抵抗した。
私は、先の2度の言語を絶する恐ろしい戦争を経験したヨーロッパ人の平和を希求する思いを痛いほど身に沁みた経験をしている。
ホンの数時間車で走っただけで、違った言葉を喋り、宗教や民族や全く違った背景を持つ人々がモザイクのように入り組んで生活しており、本来なら、独仏は勿論、ヨーロッパの統合などあり得ない筈であった。
しかし、このグローバリズムの世界で自由で平和に生きるためには、万難を排してでも、EUを創らざるを得なかったのである。
私は、EUの健全な発展が、覇権国家アメリカへのカウンターヴェイリング・パワーになることを願っている。
さあ、それでは日本はどうするのか、我々の課題である。