熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

コンピュータウイルスにやられるの巻

2008年08月30日 | 生活随想・趣味
   10日ほど前、確か、件名CNN TOP10NEWSと言ったメールが入りだした。
   最初は、無視して削除していたが、CNNを開かなくても見られるのならと軽い気持でクリックした。
   すると、動画を見るためのアプリケーション・ソフトウエアをダウンロードせよとの指示が出たので、メディアプレイヤーか、リアルプレーヤーでも見られるのにおかしいとは思ったが、ダウンロードのボタンをクリックした。
   間髪を入れずに、ウイルスバスターの危険予告が現れたが、これまでも、問題になるほどのことはなかったので無視して、先に進んだ。
   どうなったか、パニック状態になってしまったので良く覚えていないが、パソコンが無茶苦茶に作動して使えなくなってしまった。

   まず、一番ハッキリしたのは、総てのプログラムのところに、新しいプログラムの追加が表示されたので、開けて見るとantivirXP08と言う見慣れないプログラムがあり、これだと思って、コントロールパネルを開いて、プログラムの追加と削除から削除しようと試みた。
   全面英語なので外国製のウイルスだろうと思ったが、削除deleteを押して、削除されたと言う表示が現れるが、何度試みても一向に消えない。
   
   コンピュータの画面を全部消して壁紙を表示したが、何時もの壁紙の画面が消えてしまって、ブルーの地の真ん中の長方形の枠組みに、WARNING!との鮮やかな表示に変わっていた。
   プロパティを開いて、スクリーンセーバーと壁紙を元に戻そうとしたが、画面と言う項目自体が消えてしまって操作出来なくなってしまっており、壁紙をハイジャックされてしまったのである。
   他にも、トラブルが起こっていた。
   インターネットの記事を印刷する為に、ファイルから、印刷プレビューを開いて印刷するのだが、何度クリックしても印刷出来ない。
   また、インターネットからニュースなどの動画を見るために開くと、映像は映るのだが音が全くしないのである。
   その後、普通のビジネスメールを返信しようとしたが駄目となり、トレンドマイクロの警告表示が現れた。懲りた直後なので、今度は「拒否」をクリックしたら、その後、アウトルック・エクスプレスの送受信総てが、作動不可能になってしまった。

   金曜日の夜で、プロバイダーやNECなどのサービスセンターが休んでいたので、翌日午後に、トレンドマイクロに電話を架けて、どうすれば良いか指示を仰いだ。
   このようなことは日常茶飯事のことなのであろうが、一応、このウイルスについては、偽セキュリティ・ソフトと認識して情報収集中のようであった。
   何日か、何回かにわたって、トレンド・マイクロの技術者からの電話の指示に従ってコンピュータを操作して修復しようと試みたが、
   メールの送受信は可能になり、プログラムの削除には成功したが、後は、解決の方法がなくなったので、パソコンの操作の問題だとして、NECにコンタクトしてくれと言うことになった。

   ところが、29日、何の気なしに、駄目を承知で壁紙を変えようとして、プロパティを開いたら、今まで消えていた「デスクトップ」と「スクリーンセイバー」の項目が蘇っていた。
   すぐに、写真アルバムの中から、鮮やかなフェジョアの花を選んで壁紙に変えた。

   入り込んでいたウイルスが削除されたのだと思って、ニューヨーク・タイムズの記事を開いて、印刷を試みたら成功した。
   丁度、アメリカの民主党大会の後だったので、オバマ上院議員の指名受諾演説のビデオが集録されていて、クリックすると、聞き慣れたオバマ節が聞えてきた。
   ニューヨーク・タイムズの場合には、動画スクリーンの右横に、transcriptの表示で、文字画面が現れてスピーチとともに文字が進行して非常に助かるのだが、嬉しくなって、42分の演説に聞き惚れてしまった。

   トレンドマイクロのウイルバスターが、ウイルスを撃退してくれたのであろうが、スクリーニングする毎に、大量のスパイウエアやトロイの木馬など、得体の知れないウイルスやスパイウエアの削除が表示されるので、その攻撃の凄さに驚かざるを得ない。
   日によっては、コンピュータが時々迷走したり異常な動きをするので、ウイルスの影響であろうが、このパソコンも、当時では最高級に近いものを選んだのだが、既に5年以上も使っているので、変え時かも知れないと思っている。

   どうにかパソコンを使える程度で会社を離れて、自分達で仕事をスタートしてからは、我流でパソコンを操作して来たのだが、問題が起こる毎に、色々な会社のプロに教えられながら随分勉強して多くを知ることになった。
   若い男女のエンジニアや技術者だと思うが、ITディバイド直前の私に、丁寧に、そして、非常に親切に手取り足取り教えてくれたのには、感謝の気持ちで一杯である。
   NTT,マイクロソフト、ぷらら、トレンドマイクロ、NEC,・・・サポートセンターに電話するのには、随分待たされるが、私には、格好のパソコン教室でもあった。

   文科系で技術に弱い私だが、もう、30年以上も前になるが、ウォートン・スクール時代に、授業でフォートランのプログラムを組んで大学のコンピュータセンターに通っていたこともあるので、満更縁のない話でもなかろうと言う思いが、背中を推していてくれたのかも知れないと思っている。
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榊原英資著「大転換 世界を読み解く」・・・例えば労働格差の問題

2008年08月29日 | 政治・経済・社会
   「大転換 パラダイムシフト」は、榊原英資教授の最新刊だが、書下ろしではなく、主に、藤原書店の総合文芸誌・季刊「環」に最近5年間に掲載された評論を纏めて集録された本なのだが、日頃の経済関係の書物よりも、間口が広くて、榊原文明論的な色彩が強い。
   タイムラグの所為で、多少、アップ・ツー・デイトでないところはあるが、国際金融から世界経済、アジアから日本をテーマに、丹念に資料を集めて、大上段に振りかぶって史観や文化・教育など文明論を展開していて面白い。
   考え方は、同じアメリカで教育を受けた市場原理主義に近い竹中平蔵教授とは違って、アメリカの民主党的なインテリ層に多いリベラル派に近く、
   それに、インドや中国への接触が強くなっていることもあってか、西の欧米から東の中印などアジアへの力のシフトを強調している。

   今、オバマ候補が独占資本や金持ち優遇のブッシュ経済政策が、アメリカの格差社会を極めて深刻な状態に追い込んだと糾弾しているが、榊原教授は、今回のグローバリゼーション下での貧困の増大と格差拡大は、かっての19世紀のそれとは大きく様相を異にしていて、成長よりも平等に軸足を置いた格差是正は官の仕事であることを強調している。
   アメリカでは、総世帯の上位5%が、全米の富の60%を支配していて、残りの95%は、「貧困層」か「おちこぼれ」だと言うことだが、ジニ係数が益々悪化して、この所得の不平等は、中国とほぼ同様で、ロシアより良いがインドより悪いと言う。
   オバマは、全労働者世帯の95%に減税を実施し、果敢な労働の海外流出防止措置をとるなどアメリカを支えている庶民の生活を守ると宣言した。

   ところで、経済成長が格差是正に効果があると言う見解だが、確かに、戦後の経済成長期以降、日本の急速な経済成長は、国民の経済水準を底上げして、一億総中流化などと言う現象を出現させた。経済活動そのもの、特に、労働が、国境で守られていたからである。
   しかし、時代はパラダイムシフトで様変わり。経済成長を加速すれば、格差問題が解消するとしていた小泉・安倍政権の市場原理主義的な発想に立った規制緩和(?)と公的セクターの民営化政策などは一向に役に立たなかった。
   最早、市場に任せるのではなく、政府が、格差解消の為に、積極的に修正、是正措置を取らなければ問題は解決しないと主張する。

   今日のグローバリゼーション下においては、世界全体がフラット化してしまっているので、自分の仕事がアウトソーシング、デジタル化コンピュータ化、オートメーション化されるような仕事をしているようなサラリーマンは無用となり、忽ち、同じ仕事をしている新興国ないし最貧国のワーカーに取って代わられてしまうか、賃金がその水準まで下落してしまうである。
   普通のサラリーマンでさえこの状態であるから、バブル崩壊後、職に就けなかった新卒者が、フリーターとして世に出て、十分な知識や技術を身に付けずに労働市場で働いている為に、非正規労働者であると言う以前に、グローバリゼーションの結果、要素価格平準化原理が働いて、最貧国の同じ程度の労働者と同程度の収入しか得られないので、ワーキング・プアーにならざるを得ないのである。   

   先進国アメリカにとっても、或いは、日本にとっても、アッパークラスはどんどん豊かになって行くが、益々貧しくなって行く取り残された底辺の労働者を支える為には、産業構造の高度化や、教育訓練によって労働者の質を向上させるなど、新興国と差別化して、その先、その上を行く産業ないし労働政策を打つ以外に道はない。
   極論すれば、バー・コードをなぞっているだけの店員やワーキン・プアー状態にあるフリーターに、知識と技術をつけて、中国人やインド人以上の能力を持った働き手にしない限り駄目だと言うことである。
   円周率πを、3.14ではなく3と教えたゆとり教育の犠牲による著しい教育の劣化と世界レベルからの目も当てられないような知的水準の低下が、更に難しさに拍車をかけている。
   最低賃金を上げればよいと言う短絡的な議論があるが、国際競争に勝てなくなるので、忽ち、機械に置き換えられて職から放逐されてしまう。

   榊原教授は、差別化する為にも、猿まねのアメリカ化やデジタル化ではなく、日本古来の永い文化や伝統に培われて育まれて来たアナログな技術やサービスにこそ活路を見出すべきだと強調する。
   しかし、ハイセンスで、クリエイティビティの時代となった今日、高度で創造的で、差別化出来るような知識や技術を要求されるなどハードルが高くなり、労働環境は益々高度化して来ている。容易に解決策が出るような問題ではないのである。

   体力が落ちて疲弊している民間だけでは到底無理な仕事であり、国家の敢然たる長期戦略と行動が必須であろう。
   しかし、お粗末極まりない厚生労働省なり、榊原教授が廃止を唱えている文科省の担当だとするならば、どうすれば良いのであろうか。
   
   極論、暴論を覚悟で言わせて貰えば、仮に、天下り先の特殊法人なども含めて総ての公務員の仕事を、民間企業並みに、門戸をグローバル市場に開放して市場原理に曝すとすれば、相当部分は駆逐され、多くのワーキング・プアー公務員が排出されることは間違いない筈である。
   決死の覚悟でグローバル競争に鎬を削って戦っている輸出産業と比べて、まだまだ、日本の内需産業は、国際競争に曝されていない分、甘さが残っているが、これら総ての残滓が日本のグローバル競争力を削いでいると言わざるを得ない。
   ローマが永遠でなかったように、日本が、新しく蘇れなければ、下降の道を辿るだけであり、如何に大切な十字路に立っているかが良く分かる。

   私自身は、弱者に対する十分なセイフティネットを張ることを前提に、根本的な経済社会の構造改革を図って、イノベーション立国を志向した成長戦略を大胆に進める以外に日本の将来はないと思っている。
   政治も経済も、お粗末な迷走を続けている余裕などないのである。
   
   
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食料高騰下で逆を行く農業大国ブラジル、アルゼンチン・・・NYTimes

2008年08月28日 | 生活随想・趣味
   ニューヨーク・タイムズ電子版に、" As Food Prices Soar, Brazil and Argentina React in Opposite Ways "と言う興味深い記事が掲載されていた。
   ヘッドライトを灯したトラクターが夜間に刈り取りをしている写真(口絵)を載せての記事だが、国際的に穀物など食料価格が高騰し、世界中の農民達が、棚ボタとも言うべき異常なほど高い利益を享受しているが、これに対して、南米の農業大国ブラジルとアルゼンチンは、全く、それぞれ反対の方向で対処していると言うのである。

   ブラジル政府は、世界中の穀物価格の高騰の時期を期して、農家に、間接的補助金とも言うべき手段、すなわち、低金利で償還期間を延長するなど好条件で多額の融資を行い、農機等の購入を促進するなど、積極的に、農地の拡大と生産性のアップを図らせ、国内経済の向上を目論んでいる。

   一方、ライバルであるアルゼンチンは、農業の棚ボタ利益を、国内経済でシェアしようと考えている。
   農業関係者は、政府が、農業の利益を、他の経済部門への補助金として使っていると怒っている。
   世界中に吹き荒れているインフレを心配したアルゼンチン政府は、食料の国際価格の高騰に応じて、穀物や大豆の輸出関税率を上げて、農産物の輸出を抑制して、農民達に国内市場に産品を放出させて、国内価格を下げてインフレを抑えようとしているのである。
   アルゼンチンの最も重要な輸出品である大豆の輸出関税を50%に上げたので、農民達は怒って、ハイウエイでデモを行ったり激しく抵抗したので、長く厳しい論争の末35%に固定された。
   しかし、法律や規則など朝令暮改の国だから、農業関係者は信用しておらず、将来の見通しが立たないと嘆いている。
   食料価格の高騰は、農民にとっては、利益確保の為の千載一遇のチャンスであり、それを政府が押さえているのだから、農民の反発は強くて騒乱が跡を絶たず、もっと簡素で利益の確保できる輸出政策を実施すべく激しく、政府に、政策変更を迫っていると言う。

   ところで、ブラジルの場合だが、ライバルのアルゼンチンより多くの利点を備えている。
   現在開発中の農地が、隣国の2倍以上の1億7千3百エーカーもあり、トウモロコシと大豆に特化したアルゼンチンと比べて、世界的な牛肉、大豆、オレンジ、チキン、砂糖、コーヒーなどの輸出国であり農産物の幅も広い。
   ブラジル政府は、中国やインドなど新興国の台頭などによる世界的な食料需要の拡大を見越して、ブラジルの農産物供給力のアップが急務と考えており、当面の目的は、現在使用可能な農地を最大限に活用し、かつ、生産性を向上させて増産することしている。
   次には、農耕可能な2億2千万エーカーの未開の土地をもターゲットにしており、農民達に、好条件で融資を行い農機具など設備を充実させて生産力を向上させることが国是となっているのである。

   同じ南米の農業大国で、国際穀物価格の高騰で濡れ手に粟の両国ながら、国内経済が抱えている問題を如実に反映している訳だが、アルゼンチンの農民にしては、政府が競争相手のブラジルとは全く反対のことを強いて、自分達のビジネス・チャンスをぶち壊していると言う思いがあるから、憤懣やるかたない。
   しかし、私の僅かな経験でも、アルゼンチンのインフレは異常で、あまりのインフレの激しさに印刷が間に合わず、色が付いていない刷り残しのあるお札を手にして偽札と間違えたことがあるので、アルゼンチン人のインフレアレルギーの強さは良く分かる。
   この価格高騰の千載一遇のチャンスを逆手にとって、高騰利益はそれなりに確保して、世界的なインフレをシャットアウトしながら、国内経済を立て直すと言う戦略もそれ程悪い手ではないと思う。

   元々、アルゼンチンは豊かな国で、小麦が黄金色に輝く広大な農場が広がり、放牧した牛がほっておいてもいつの間にかどんどん増えて行く素晴らしいパンパスがあって、その生産余剰を輸出するだけで潤うと言われてきた。
   南米のパリと言われるブエノスアイレスなど、実にシックで、トスカニーニがデビューしたテアトロ・コロンでのオペラ鑑賞など堪らないくらい魅力的である。

   いずれにしろ、この記事でも指摘しているのだが、短期的には、夫々の国の対応に差が出て明暗を分けるかも知れないが、アルゼンチンの農業国としてのポテンシャルは非常に高く、今後更に増産に努め、世界的な農産物輸出国として活躍することは間違いないと思う。

   ところで、注目したいのは、ブラジル政府のグローバル経済の将来を見越した素晴らしい農業政策で、濡れ手に粟の利益を梃子に、更に、政府がドラスチックな農業融資を行って、ブラジル農業の機械化合理化を進めて、生産の拡大と生産性のアップを目論んでいることである。
   昔4年間サンパウロに居て、ラテン気質のブラジルを知っているので、今昔の感に堪えないが、このようにダイナミックで長期的なグローバル戦略を打てるように変身したブラジルに目を見張る思いである。
   このブログで、何度か、日本は、BRIC’sの中でも、ブラジルが最も日本にとっては有望で大切なパートナーである旨説いてきたが、間違いなさそうである。
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林真理子著「もっと塩を!」・・・ミシュランの魔力

2008年08月26日 | 生活随想・趣味
   もう30年以上の前の和歌山、恵まれた平穏な生活をしていた若い主婦美佐子が、グルメの夫良一に連れられて行った徳島の「いかり亭」のフランス料理に魅せられたのが発端で、自分達の経営するファミレスの指南を仰ぐために、東京の有名フランス料理のオーナー・シェフ大久保勝に手紙を書く。
   ひょんな拍子で、二人は相思相愛となり、美佐子は夫と二人の子供を捨てて東京に出るが、プレイボーイの大久保は、結婚する気はなく、美佐子は、フランスレストラン修業の途路、フランス帰りの天才シェフ安川直人に出会い結婚する。
   大久保の出資で、三浦半島の三崎に高級フレンチ・レストラン「シリウス」を開店、バブルと人気に煽られ大繁盛する。人気と料理の質の高さに目をつけた某百貨店が、倒産したパリの二つ星レストランを買い取るので二人に任すと申し出る。
   しかし、契約の不備とバブル崩壊で夢は頓挫するが、総て処分してパリに出てしまった二人は後には引けず、苦心惨憺してフレンチ・レストランを開店し、直人の素晴らしい料理と美佐子の客を魅了する天性の接客術にも恵まれて、艱難辛苦の末にミシュランの星を取る。
   ところが、夫の直人は愛人に子供を孕ませ美佐子に離婚を迫る。
   何十年も美佐子を苦しめ続けてきたガンが悪化して、朦朧状態となった美佐子は、いつか和歌山にフレンチ・レストランを作りたいとの夢を抱いて故郷に帰って亡くなる。

   林真理子の新刊「もっと塩を!」の本の帯に書かれた「和歌山から東京、三浦半島、そして・・・パリへ。妻として、母としての平穏な暮らしを捨て、目くるめくフランス料理の世界に身を投じ、全力で駆け抜けた苦難と冒険の日々。」に興味を感じて読んだのだが、久しぶりに、ミシュラン」に入れ込んでいたヨーロッパ時代を思い出した。
   この本は、著者の克明な取材によって得られた豊富な知識や情報を駆使した作品で、フレンチ・レストランの経営やシェフ、フランス料理などの内幕などが描かれていて面白いが、一人の大阪弁を喋るフレンチ・レストランのマダムの波乱の一代記と言った感じの小説で、面白かった。
   
   私が始めてミシュランの赤本を手にしたのは、1985年、ヨーロッパに赴任した年で、ヨーロッパ各地のホテルとレストランが非常にコンパクトに評価・紹介されていて、出張などの時に非常に重宝した。
   最初は、アムステルダムに居たので、ミシュランの星の付いたオランダのレストランを片っ端から回ったのだが、星2つが僅かで、殆ど星1つであったが、夫々、特色があって興味を引かれた。
   当時のミシュランの本がなくなってしまい、今手元にあるのは、1989年版EUROPEで、ヨーロッパの大都会とその近辺しか乗っていないので、詳細は忘れてしまったが、私が住んでいたアムステルフェーンには、古い風車をレストランにしたメロン・デ・ディカートと肉料理の美味いイル・ド・フランスと言う1つ星のレストランが2軒あって、家族と一緒によく出かけて行ったので、今でも鮮明に覚えている。

   アムステルダムには、当時、1つ星が3店あって、エクセルシオールと言うレストランはスプーン4つの高級で素晴らしいレストランであったが、クリストフなどスプーン1つの小さなレストランだったし、コンセルトヘヴォーに近かったので良く行ったトレッチャーなどスプーン2つの非常にシンプルなレストランで、夜など対岸に飾り窓の光が見えるようなところにあった。
   星の付いた素晴らしいレストランは、アムステルダムからはなれた運河べりや港や森の中など田舎にあることが多く、これは、この小説でも登場する三崎のレストランと同じ様に、フランスでも他の国でも、都会を遠く離れた田舎にミシュランの星付きレストランがあって、その素晴らしさにビックリすることがある。
   こんなレストランは、田舎家の旅籠を併設していることがあるので、夜は、料理とワインを存分に楽しんで、そこで静に過ごすのである。
   
   ロンドンには、当時、3つ星レストランは、ガブローシェ1店しかなかった。
   予約を取るのが大変で、最初は、最後の夜中の11時からの予約に潜り込んで出かけたが、その後、結構行く機会があり、ロイヤル・オペラが、早く跳ねると、サヴォイの代わりに、ここが格好のアフター・シアター・ダイニングになった。
   2つ星は、チェルシアのタンクレアとヴィクトリアのシンプル・ニコだが、ロンドンのレストランは、パリのように特別印象に残るような雰囲気のあるレストランと言う気はしなかった。

   パリは兼務地でもあり、接客が主だったが、ツール・ダルジャン、ルキャ・カルトン、タイユバンと言った3つ星にも何度か出かけたが、2つ星となると結構沢山あって、駐在の同僚に選定を頼んだのだが、ビックリするような素晴らしいレストランがあり、流石に、花のパリだと思った。
   マドリード、ブラッセル、それに、ドイツやイタリアなどの諸都市など、出張や旅行で、機会を見てはミシュランに予約を入れて出かけて行った。

   ところで、私自身は、美味しいものを頂くのは好きだが、料理に対する知識も不十分だし、特に深い関心がある訳ではないので、ガルソンの説明を聞いたり英語のメニューを見て我流で選んでオーダーを入れるので、何時も、後から、料理の名前は勿論、何を食べたのか良く思い出せないし、極端に言うと、同じものを次に注文さえ出来ないことが多かった。
   それでは、何故、ミシュランに行くのか。
   それは、美味しいものを食べたいと言う好奇心と、レストランの建物や内装やセッテイングなど総てが醸しだす雰囲気が好きで、食文化の豊かさ素晴らしさの頂点を感じられるような気がして、それを味わいたくて行っていたような気がする。

   もう1つの魅力は、無茶苦茶なワインを注文しない限り、いくら高級な3つ星レストランでも、2~3万円も出せば十分に楽しめると言うリーゾナブルさである。
   昔、赤坂の料亭などだと10万円近い請求書でビックリしたことがあったが、日本の高級料亭の値段は、法外とは言わないまでも、国際価格を無視した桁違いであったので、バブル崩壊で倒産する店も出たのも当然であった。
   
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日経IRフェア2008・・・幸田真音さんの投資ばなし

2008年08月24日 | 政治・経済・社会
   幸田真音さんの「経済小説に経済の今を読む」と言う演題の講演を聞こうと思って、ビッグサイトで開催されていた日経IRフェア2008に出かけて行った。
   株式投資・資産運用に役立つと言う名目のフェアで、上場している100社ほどの日本企業が広い会場にブースを持ってIRに努め、それに平行して、別な会場で、個別企業がIR説明会を開いたり、メイン会場で、著名な学者や有識者達が経済や投資に関する講演を行うと言った調子で、多くの投資家で賑わっていた。
   余談ながら、隣の会場で、「ハムフェア2008」を開いていて、大人も子供も大挙して会場に詰め掛けており、この方がはるかに盛況で、日本に、アマチュア無線の愛好家が、株式投資家より多いのかと思ってビックリした。

   幸田さんは、外為トレードで、買いを入れる時に、電話で「買った」と宣告するのに「Mine マイン」と言うので、これから作家名を取ったと言いながら、今日の経済状況などについて語り始めた。
   トレードで、何億何十億と言う大金を無造作に動かすのだが、リスクが高く、精神的に耐えられなくて消えて行ったトレーダーも多いと説明しながら、窮地に落ち込むと、「原点に戻れ Back to the Basic」と言う心構えが大切で、やはり、リスクを分散することが鉄則だと言って、投資のあるべき姿について語った。
   卵が割れて全損しない為に、複数のバスケットに卵を分けて入れることが大切だが、今日では、バスケットのみならず、置くテーブルも、分けなければならなくなったと言う。

   最初の小説で、出版社の校閲担当者から、「リスクを取る」と言う表現は間違いで、「リスクを冒す」と書くべきだと注意されたが、これは、リスクを日本語で危険と訳すからの誤解で、英語のリスクは、悪い意味ばかりではなく、前向きの意思も働いた危険要素と言った表現であると言いながら、投資に対するリスクの取り方について語った。
   リスクにも色々なリスクがあり、それも、ヒト様々で、自分自身が取れるリスクはどこまでなのか、最悪のシナリオを描いて検討した上で、投資を行うべきで、心地よいリスクを取ると言う姿勢が大切だと言うのである。

   面白いのは、日本に住むと言うリスク(?)について言及し、外貨での資産保有を語ったことで、この外貨への分散投資については、後の「ヴェリタス流 賢い投資術」で伊藤洋一氏も、円安になると外国にも行けなくなるので、20%くらいは外貨資産を保有すべきだと言っていた。
   幸田さんは、大切なこととして、基本的な金融の基礎知識は勉強して習得すべきで、そうしなければ、リスクの把握さえ出来ないと注意を喚起していた。

   伊藤氏は、世界経済の悪化によって、世界の株価が異常に下落しているが、大幅な新興国の株下落に比べて、日本の株価の下落が中程度に止まっているのは、日本の製造業の技術水準が卓越しているからで、将来的にも、日本の企業は捨てたものではないと言って、未来指向型の技術力を持った会社の将来展望などを語っていた。
   太陽電池など最先端を行っていたのに、10年足らずしか経験のないドイツ企業Qセルズにおい抜かれてしまったのも、政府の政策の差で、税制上のサポートが重要で適切な国家戦略が必要だと言う。

   セミナーでは、大和証券の「ここまでできる!ネットで投資」で、最近流行のFXについても話題にしていたが、外為の為替リスクについて、多少、為替差損に触れた程度で、やはり、売らんかなの明るい話が前面に出た説明に終始していた。
   幸田さんが、友人に説得されて仕方なく買った投資信託が、今7%損が出ていると言っていたが、先日、ボーグルの本の書評で触れたように、とにかく、株関連は、上がれば儲かり、下がれば損する単純な話で、プロを信頼して任せれば良いと言うものでもなく、投資者が賢くなければならないのである。

   尤も、経済と経営を専攻して多少勉強したと言う貴方が、何故、株で一銭も(?)儲けられないのですか、と家内に責められるのだが、勉強と株とはあまり関係ない、経済学者やプロの株屋でも、経済や株の予測が外れるのが常であると言って逃げている。
   昨年の初めには、世界同時好況だとグローバリゼーションの威力をぶっていた経済学者が、今では、世界同時不況の到来を声高に宣言し、スタグフレーションの脅威を語り始めている。

   一時、ニューエコノミーの到来で、不況など有り得ないとまで言われた時期があったが、結局経済は循環するものであり、一寸先は闇なのである。
   ビル・エモットのように日本経済が良い時に「日本は沈む」と言い、悪い時に「日はまたのぼる」と言えば間違いなしに当たるのであって、途中で無理に短期予測すれば、当たるも八卦当たらぬも八卦でなのである。
   伊藤洋一氏も言っていたが、ミスター円の榊原英資氏が、円は80円まで上がると言っていたが、円金利が上がらない限り当たるわけがなく、大体、証券会社のセミナーで役員などのブツ株価予測など当たった例がないのだが、一般投資家は熱心にメモをとっている。

   政府は「貯蓄から投資へ」と号令をかけているが、私の友人に、クレジット・カードなど信用出来ない、まして、ネットショッピングなど危険極まりない、総て、現金しか信用出来ないと言う御仁がいるのだが、日本人が、株式投資にのめりこむなど考えられそうにないと感じている。

(追記)何故か、ゼロ戦の口絵写真を使いたくなった。
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日本の金メダル:オリンピック・ソフトボール存続に可能性を?

2008年08月23日 | 政治・経済・社会
   ニューヨーク・タイムズ電子版に、連続22戦勝ちっぱなしで、3つの金メダルを取得してきたアメリカ・ソフトボール・チームが、最後の最も大切な試合で日本・チームに負けて呆然自失、そんなアメリカ乙女の大写し写真が掲載され、" In Softball's Swan Song, an Upside to an Apset."とのタイトルの面白い記事が掲載されていた。

   国際ソフトボール協会のドン・ポーター会長には、米国チーム敗戦にも拘わらず別な思いがあったのである。
   是が非でも、2016年のオリンピックには、ソフトボールを復活させたいと言う熱い思いである。
   かねてから、ポーター会長は、オリンピックでのソフトボールの将来に取って最も良いことは、他の国のチームが、アメリカ・チームに勝利して、ソフトボールが、アメリカ一国のスポーツではないと言うことを示すことだと説いていたと言うのであるから、日本チームの金メダルは、正に、彼の思いを後押ししたのである。
   
   次のロンドン・オリンピックでは、ソフトボールの試合はないが、国際ソフトボール協会では、2009年10月に開かれるIOC総会で、2016年開催のオリンピックで、野球とこのソフトボールについてどうするのか検討されるので、大いに期待している。
   ポーター会長たちは、再び、ソフトボールが、大会種目に復帰することを願って熱心に活動しており、今回の試合にも、ジャック・ロゲIOC会長とサマランチ前会長を呼んで観戦までさせているので、今回の日本の勝利が、良い影響を与えない筈がないと考えている。
   更に、ポーター会長は、この週に、40人のIOC委員に会って根回しし、他の25人の委員が、この試合を観戦する為に球場へ足を運んだと言うのである。

   ポーター会長は、トーナメント試合が重要なので、今、一試合平均1時間49分掛かっているのをもう少し短くするとか、ルールを変更するとかして、ソフトボールを、聴衆やメディアやTV等総ての人々にとって、もっと魅力的で面白いものにしなければならないと考えている。
   それに、世界には、ソフトボールをやらないとか、やっていてもポピュラーではない国が多いので、ソフトボールの良さをIOC委員達に分ってもらうべくアピールしなければならないと考えている。

   ところで、ソフトボールが、日本の優勝で、アメリカ一人勝ちのゲームではないと言うことが理解されても、パリティ(Parity)の問題がある。
   ルールを良く知らないので辞書を引くと、
   「リーグ内の全チームは同一の競争クラスをなすとする原則」と書いてある。
   泣きながら語るアメリカ乙女たちの話では、オリンピックのソフトボールは、16チームが登場しても、アメリカがそれなりに戦えるのは4~5チームくらいで、パリティのレベルに達しているとは思えないと言うのである。
   これは、野球の場合にも同じことで、精々、実質的には4~5チームの戦いと言うことになるのだが、確かに、国際性と言う意味では、参加国が少なすぎるのが問題ではあろうが、極めて、重要なチーム・プレイでもあり、将来性と言う点からも十分に考慮されるべきであろうと思われる。

   2009年のIOC総会では、野球やソフトボールと一緒に、スカッシュ、空手、ゴルフ、ラクビー、ローラースポーツなども、大会種目に入れるかどうか検討されるようだが、スポーツも世につれ人につれ、どんどん変化して行くので、ギリシャが、益々遠くなって行くと言うことであろうか。

   ニューヨーク・タイムズの記事は、オリンピック最後のソフトボールでの白鳥の歌だが、アメリカ・チームにとっては悲しい結末かも知れないが、オリンピックのソフトボールの将来にとっては、再スタートとも言うべき、次の飛躍への兆しかも知れないと言うことであろうか。
   日本チームの優勝は、二重の意味で素晴らしい快挙だったのである。
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動き出した内部統制報告制度・・・八田進二教授

2008年08月22日 | 経営・ビジネス
   金融商品取引法下での内部統制報告制度が動き出して約半年経ったが、現実は、制度本来の精神とはかけ離れて、過剰装備に陥ったり画一的な対応に翻弄されて右往左往している企業が多く、誤解も甚だしいと、関係者の一人である八田進二教授が、同制度の適切な対応について語った。

   東京近辺では、金融庁が近い為か、本制度に対する関心も理解も進んでいるが、地方では殆ど理解している人が居らず、企業不祥事の大半が地方企業発なのは当然であろうが、
   それ以上にひどいのは、海外の日系企業で、サンフランシスコで講演を行ったが、聴衆の殆どは、一連の商法の改正さえ分っておらず、況や、内部統制制度おやであり、非常にお寒い限りである。
   本制度は、全社的な内部統制で、地方・海外含めて全グループ連結対応であるから、地方・海外の関連企業の対応で問題が起きそうで心配だと言う。

   また、アメリカで、SOX法による企業の負担が1000万円くらい掛かると想定して発進したのが実際には、5億円も掛かって問題となったが、日本では、日立など100億も掛けたと言っており、多くの日本企業は、内部統制制度の整備の為に、考えられないような出費をしており、代表訴訟を起こしたいくらいだとものたまう。

   金融庁は、あまりにも巷の迷走ぶりがひどいので、企業での円滑な適用の為の指針として、「内部統制報告書制度に関するQ&A」や「内部統制制度に関する11の誤解」などを公表した。
   この中で、経営者と言う言葉が300以上出てくるが、記録や文書化などと言う言葉が殆ど出てこないことからも分るように、内部統制制度は、あくまで経営者の経営そのものを問うているのであって、コンサルタントや会計事務所やIT企業に膨大な金を出してシステムや文書記録体制を完璧に整備することを求めているのではない。
   初年度で不備であれば、次年度で修正すれば良いのであって、とにかく、このQ&Aと11の誤解文書をじっくり読んで勉強して欲しいと力説する。

   八田教授は、日本企業の完璧主義について、サンプリングを例にあげ説明した。
   アメリカの狂牛病について欧米ではサンプリング検査が普通であるが、日本では全頭検査でないと満足しない。reasonable合理的と言う考え方が欠如しているのである。
   内部統制制度については、何が企業の経営について重要かを理解して、投資家に対して正しく正確な財務情報を提供する為に、健全な企業経営を行うことが主眼であって、reasonableな報告制度を整備すれば良いと言うのである。

   八田教授が、いくら正論をはいても、現在進行中の内部統制制度に対する日本企業の対応がおいそれと改まるとは思えない。
   典型的な例は、毎年、定時株主総会召集通知の添付書類の「監査報告書」で、特記事項等企業固有の記載事項がなければ、ハンで押したように、どこの企業の文章も同じである。
   日本監査役協会の雛形に準拠しているからだが、一字一句、てにをはに至るまで、協会にお伺いを立てて指導を仰いでいると言うのであるから何をか況やであるが、もし、少しでも違っておれば、すなわち、画一規格から離れると、日本の株主は黙っていないと言う天然記念物揃いだから致し方ないのである。

   今回の内部統制制度においては、八田教授は、会計監査法人のみならず、企業そのものの監査役ないし監査委員会の取締役と監査室等の企業の内部監査組織の3者が一体となって、企業の監視監督、監査に当たることが重要だと強調していたが、従前には、企業防衛の立場からは協力体制があったとしても、企業統治に主体が移り企業監視コントロールに振り子が大きく振れてしまった今日では、利害の差もありどうであろうか。
   アメリカの場合でも、実際には、強力な内部統制のための会計監査部門が存在するのだが、エンロンの場合のようにトップと会計監査企業が結託すれば、不祥事は避け得なかった。

   八田教授は、内部統制制度は、経営者マターであり、経営者自身が、全社的な立場から経営をコントロールすることが大切であり、経営者の管理能力と透明性の高い説明責任が求められていると言うのだが、集団的経営管理制度が常態で、経営事項も含めて実務面は総て下部の管理部門に丸投げされている状態では、実効は難しいであろう。
   出来るだけシステムを完璧にしておいて、不祥事が起これば、何時でも、システムの完璧さを証明してトップに責任が及ばないようにする、これが、今、日本企業で行われている微に入り細に入り完璧を期そうとする内部統制制度整備への企業の取り組みだと思われ、経営はそっちのけである。

   内部統制制度の拡充の為に、多くのセミナーや講座が開かれているが、対象は、関連部門の実務者か、精々部門のトップくらいで、経営者マターだと言いながら、政府も経済団体も、企業トップを集めて大々的にトップを教育訓練する試みを行った例がない。
   
   私自身は、日本の企業経営者は、会社の為にと言った理由の(尤も会社の為にはならないのだが)不祥事が大半で、アメリカ人のように自分の私腹を肥やす為に粉飾決算をやるような人が居るとは思えないが、
   問題があるとすれば、プロとして教育訓練を受けていない経営者が殆どで、謂わば、ライセンスなしに運転しているのだから、何億と言う無駄金を、IT企業や会計監査法人や弁護士事務所等に払うのなら、何百万円か出して、ハーバードなり、ウォートン・スクールなりに行って、経営学を勉強した方が効果的ではないかと思っている。
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アラン・B・クルーガー著「テロの経済学」・・・テロリストは貧しく教育なしはウソ

2008年08月21日 | 政治・経済・社会
   2005年7月ロンドン市内で勃発した地下鉄とバスでのテロの当日ヒースローに着いたり(本ブログの「欧州紀行」収載)、在英中にシティを恐怖に巻き込んだ過激なIRAテロを経験するなど、私自身、つぶさに直接テロの脅威を経験しているのだが、昨年の7月にも、イスラム系テロリストがガス・ボンベ車をグラスゴー空港に突っ込ませるなど、イギリスはテロの種が尽きないようである。
   ところが、昨年のテロの実行者8人の内、5人が医者で、1人がエンジニアだと言うし、ニューヨークのワールド・トレード・センターでの9.11事件を含めて、過激テロの首謀者や実行者の学歴水準は非常に高い。

   ところで、ブッシュ大統領やブレア元首相を筆頭に世界中の指導者や識者は、口々に、経済的貧困と教育の欠如がテロリストの発生と結びついていると説き、この考え方が常識かつ通説のようなになっているのだが、
   今や豊富な証拠や実証研究の結果、実際はその逆で、教育や貧困がテロリズムに与える効果は極めて間接的であり非常に弱く、その関連を支持するものは殆どないことが分っている。
   テロリストは、貧困層の出身ではなく、十分教育を受けた中産階級または高所得家庭の出身である傾向が見出されるとして、労働経済学や教育経済学を専門とする経済学者プリンストン大学のアラン・B・クルーガー教授が、政治学や心理学など学際的な研究を駆使してテロリズムを分析して、
   「テロの経済学 人はなぜテロリストになるのか What Makes a Terrorism  Economics and the Roots of Trrorism」を著した。

   クルーガー教授の研究による結論は、ほぼ、次のとおりである。
   政治的暴力やテロリズムに対する支持が、教育水準が高く世帯収入も高い人々の間で多くなっている。
   テロリストは、出身母体の人口全体に比べ、教育水準が高く富裕階層で、貧困家庭の出身である傾向はない。
   国際テロ活動では、市民的自由が抑圧され、かつ政治的権利もあまり与えられていない国の出身者である傾向が強い。
   テロリストは、全体主義体制で抑圧的な貧しい国を攻撃するよりも、市民的自由や政治的権利が多く与えられている富裕な国を攻撃する可能性が高い。
   距離が重要で、国際テロリストや外国人反乱者は近隣諸国出身者が多い。
   テロリストは、テロ活動に対する恐怖感を広げ、彼らの望む効果を得るためには、メディアを必要としている。
   しかし、ある国の一人当たり所得や非識字率は、その国出身者の国際テロリストの人数とは無関係である。
                      
   それでは、何故、貧困と不十分な教育がテロリズムを引き起こす原因だと指導者は唱え続けるのか。
   世界の多くの指導者達は、自分自身の利益を追求する為、あるいは彼らの国や組織に対する国際的援助を増加させるため、また不満や過激主義を引き起こす政策から注意を逸らす為に、貧困がテロを引き起こしていると言う単純すぎる理論を利用している、とクルーガー教授は指摘する。
   オサマ・ビン・ラディンなどの国際テロリズムの脅威を煽り立てて、極めて極端な恐怖政策対応を推進してきたのがブッシュ政権で、政府関係者は、国民のテロに対する恐怖感を利用し続けてきたと言うのである。

   アメリカ政府の重大な過ちは、9.11事件以降の政策上のミスで、政府は、財政責任を無視して、減税や歳出増加と言う形で財布の紐を緩めて野放図な財政政策をとり、財政赤字を急激に拡大して、テロ攻撃による直接的影響よりも大きな損害を経済に与え、また、大統領の権限を強化して、自分達の政策を追求する為に、この悲劇を利用したと糾弾している。
                 
   さて、日本での国際テロの可能性を考える場合に、クルーガー教授の指摘で参考になるのは、テロリストの故国との距離である。
   何故、距離がテロリズムに対して大きな障害になるのかについて、恐らく旅費や異文化に溶け込むことの困難さによって、テロリストは遠く離れた国で攻撃を行おうと言う意欲を失うのであろうと言っている。
   洞爺湖サミットの時に、心配されたテロが起こらなかったのは、現在活躍中のテロリスト集団を想定する場合には、この距離的な要因が幸いしたのかも知れない。
   尤も、今後、アジア人のテロリストが胎動し始めると、日本は、クルーガー論から言っても、格好のテロ・ターゲット国となることは必定で、日本人としては格段の注意が必要となる。

   クルーガー教授が、テロ行為は、路上犯罪と言うよりも投票行為の方に似ていると指摘しているのが面白い。
   投票に行くのは、貧しい人ではなく、高賃金の職に就きかつ良い教育を受けた人で、
   自分自身の意見をはっきり持っていてそれを発言したい、選挙結果に影響を及ぼしたいと思っており、時には、強固な政治的目的を持ち、かつ、十分確信を持って過激な幻想を実現する為に暴力的手段に訴えようと考える。
   また、彼等は、その目的達成の為なら自ら死んでも良いと考えるほどの理想を持っており、それに対して、深くかつ強烈な関心を持っており、
   こんな行動に出るのは、生きて行く為の目的さえ持てない程ひどく貧しい人達では絶対に有り得ない、と言うのである。
               
   余談だが、最近、私のパソコンが偽セキュリティ・ソフトにやられてダメッジを受けたのだが、今後は、フィールドのみならず、サイバー・テロなど、見えない世界でも、知識と技術の最先端を行く人間間のテロ戦争になってくるような気がしている。
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危機を乗り越える経営・・・吉野家H安部修仁社長

2008年08月20日 | 経営・ビジネス
   1980年に倒産している吉野家にとっては、2003年12月狂牛病による米国産牛肉の輸入禁止は、正に、生死を分けた天王山。
   牛丼単品で、800万人の顧客を相手に15%の営業利益を上げていた超優良企業にとって、米国産牛肉が手に入らないと言うことは、肝心のウリモノの牛丼の原材料の供給が完全にストップすることで、営業継続が可能なのかどうか死活問題である。
   全店の在庫とシッピング途中の牛肉をかき集めれば何時まで営業が出来るのか、応接室を緊急対策本部に切り替えて、常務役員が担当業務の問題点を洗い出し、休みなしの社風が幸いし、危機突破作戦に没頭したと言う。

   ここで、素人の私に興味深いのは、米国産の牛が駄目なら、オーストラリアでもアルゼンチンでも安い肉はどこにもあるのだから、それに切り替えれば良いじゃないかと思うのだが、吉野家は断じてアメリカ産の牛肉でないと駄目だと言うことである。
   アルゼンチンもブラジルもオーストラリアも、そのブレンドも、あらゆる肉を使って試みたが米国産牛肉100%の牛丼と比べれば、味が劣化して、吉野屋の完璧なレシペを満足出来なかったので、牛丼を休止して、そのかわり、代替品に切り替えて営業を続けることを決断したのである。

   吉野家の牛丼のこだわりとして、安部社長が説明したのが、この口絵写真だが、肉は、生産量の安定している米国産牛肉を原料から製品まで一元管理しており、牛肉のスライスは0.1ミリ単位でコントロールしている。
   たまねぎ一つにしても、糖度が違うと味のバランスが狂ってくるのでコメやたれなどを含めて細心の注意を払って調整すると言うことで、吉野家の究極のレシペを少しでも外れたり、従来のサービスをミスったりするとお客は満足しないのだと言う。
   
   たかが380円の牛丼だが、吉野家にとっては、正に磨きぬかれた究極の商品であって、これ以上でもこれ以下でも駄目で、吉野家がイメージした究極のレシペによる設計思想の体現であり、これを如何に無駄なく顧客まで運ぶか、吉野家は、サプライチェーンの構築に命をかけて来たと言えよう。
   安部社長の話を聞いていると、この牛丼は、東大藤本教授の言う自動車やTVなど工業製品と少しも変わらないものづくりの産物であることを実感する。

   ところで、非常に興味深いのは、2004年初からの牛丼抜きの代替メニューなのだが、
   まず、メニュー数確保と調理器具模索の為に、カレー丼、いくら鮭丼、焼鶏丼、マーボー丼、豚丼、角煮きのこ丼、
   続いて、客数確保メニューの模索と調理器具開発の為に、牛鉄鍋膳、チキン定食、ハンバーグ定食、鰻まぶし丼、ソースかつ丼、牛カレー丼、 
   加えて、メニューミックス確保と利益構造構築の為に、和風ハンバーグ丼、野菜たっぷり鶏竜田鍋、と、3ヶ月ごとにターゲットを決めて、定番食品の開発を模索したと言う。
   内部崩壊を回避し、生き抜くために、2万人の従業員に、吉野家の培ってきた技術とノウハウを信じて、積み上げた虎の子の300億円あるから何でもやれとハッパをかけて、失敗と朝令暮改は日常茶飯事、試行錯誤が始まった。
   「勝つまで戦え、勝つまでやる」と言う敢闘精神での突撃であるから負ける訳がない。
   しかし、よく考えてみると、代替メニューの内、現在でも残っているのは、豚丼だけで、如何に、吉野家の迷走振りが大変だったかと言うことが良く分かる。

   2006年9月18日の「牛丼復活祭」で、吉野家の店頭が熱烈なファンの歓声で沸きあがり、全従業員が感激一入であったと安部社長は述懐していたが、とどのつまりは、牛丼あっての吉野家なのである。

   興味深かったのは、吉野家のモットー(コア・エッセンス)は、「うまい、早い、安い」だが、時代の流れでお客の比重の置き方が違ってくると言う。
   チェーン化した時は、早い、うまい、安いだったが、
   80・90年代には、うまい、早い、安いとなり、
   200年代には、うまい、安い、早いで、安さが復活してきたと言うことだが、如何せん、食料価格の高騰で、新メニューと称して少し手を加えるだけで値段を上げるなど、吉野家も値上げを模索し始めている。

   安部社長は、経営方針の一貫として「客数主義」を標榜していると言っていたが、最盛期の1日80万人が、現在では60万人に減っているらしい。
   同時に語っていたのが「来客頻度主義」だが、吉野家の場合には、新規顧客が0.0%の単位のようで、新規開店以外には、殆ど期待できないので、リピーターの来客頻度をアップする方がはるかに効果的な販売戦略のように思われる。

   もう一つ示唆的だったのは、利益至上主義的な経営方針で、利益は、従業員などへの配分原資や将来的展開にも必須で、前進への糧として極めて大切だと、ピーター・ドラッカー流の将来コストだと認識した経営姿勢を語っていたことである。

   エンタープライズ・リスク・マネジメント2008の講演であったので、安部社長は、次のようなことから話し始めた。
   食の安全について、実質的な健康被害を扱うのではなく、大半は情緒的な風評を強調したメディアに捻じ曲げられて報道された社会現象で、これに過剰反応し、オーバーリアクションしたマネジメントが食品偽装を招くなど問題を起こしている。
   企業としては、軽々に頭を下げるのではなく毅然とした態度で本質論を説明することが大切で、謝るとしても、マスコミなどではなくお客さまに対して行うのである。

   広報室長が無理に格好付けて作ったパワーポイントなので、多少違っているが、私の言うことが真実だと言いながら、1時間にわたって興味深い吉野家の経営について語ったが、
   中小企業時代のマネジメント・チームがそのまま大企業に上り詰めてしまったので、新陳代謝の為に純粋持株会社に切り替えたのだとのコメントが、問題点を浮き彫りにしていて面白い。

(追記)本ブログ2007.7.27「究極のレシペ牛丼が消えた経営」にて、安部社長の別な講演をコメント。
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八月納涼大歌舞伎・・・野田版「愛陀姫」

2008年08月19日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   ヴェルディの歌劇「アイーダ」を野田秀樹が、エジプトとエチオピアを、美濃と尾張に置き換えて、歌舞伎版「愛陀姫」を作・演出して歌舞伎座の舞台で演じており、勘三郎達が暑気払いを意図してかドタバタを演じている。
   私は、野田版歌舞伎は始めてだが、今回の「愛陀姫」の舞台を見て、丁度、ダ・ヴィンチの「モナリザ」の顔に髭やメガネを書いたカリカチュアを思い出したので、正直な所、何故、野田版に勘三郎が入れ込むのか、分らなかった。
   
   歌舞伎座美人ホームページの制作発表記者懇談会で、勘三郎達が「シリアスなお芝居」だと評しているが、本来の「アイーダ」は確かにシリアスなオペラかも知れないが、この野田版は、最初から最後まで、徹頭徹尾、喜劇的な舞台展開で、福助が「台本はシリアスでジーンと来るんですが・・・」と言っているが、本当にそうなら、演出が悪いか、役者が下手なのである。
   正直な所、ヴァイオリンやトランペットが、琴など和楽器と唱和してアイーダのメロディなどが、要所要所で奏され、話の筋書きも殆ど原作オペラとそっくりなのだが、オペラ鑑賞が趣味のヴェルディ・ファンにとっては、違和感この上もなく、納涼と言う枕詞がなければ、看板役者が歌舞伎座で演じるべき芝居かどうか、異議なしとしない。

   尤も、これは主観の相違で、歌舞伎にしろシェイクスピア戯曲にしろ、盗み盗まれて、換骨奪胎は勿論、時には、奇想天外な芝居として蘇るなど変転を極めながら発展して来たのであり、
   とにかく、舞台も音楽も軽量級だが、小気味良いテンポで進行し、名うての歌舞伎役者達が趣向を凝らして真剣になってどたばたを演じている面白い芝居だから、楽しめばよいと言うことでもあろうか。
   アイーダなど知らなければ、御馴染みの斎藤道三と濃姫が登場する美濃物語別伝と思ってみれば、それなりに、面白く楽しめるのである。

   今回の舞台だけで判断は出来ないが、同じ外国オリジンの戯曲でも、蜷川幸雄が演出するシェイクスピアは、マクベスは、大きな仏壇を舞台にし、テンペストは、佐渡の能舞台を使い、真夏の夜の夢は、竜安寺の石庭を舞台に取り込むなど、日本的な趣向を凝らしながら実に重厚で素晴らしい舞台を展開しており、
   NINAGAWA十二夜は、正に、蜷川幸雄のグローバル版シェイクスピアの更なる展開と歌舞伎との融合の素晴らしさを証明したものであろう。
   野田版は、今様の解釈であり演出なのであろうが、その差は大きい。

   ところで、勘三郎から「西洋もので何かないか」と言われて、野田が、オペラのご都合主義が歌舞伎に通じるとか、国同士の争いを描いた「アイーダ」は歌舞伎に似ているとか、ナイル川と長良川が近くて捨てる手はないと思ったとか、オペラが分っているのかどうか、全く意味不明のことを言っている。
   それは、それとして、出演の歌舞伎役者が言っているように、野田は、ヴェルディのアイーダに想を得て感動的な悲劇を描いた「愛陀姫」の台本を書いたのであろうが、
   根本的な間違いは、古代エジプトにおける権威のある祭司長ラミフェスを、不埒なイカサマ祈祷師荏原(扇雀)と細毛(福助)に置き換えて、最初から最後まで出ずっぱりでハチャメチャな語り部の役割を与えて、舞台をかき回させているので、悲劇も、シリアスな(?)立派な台詞も総て吹っ飛んでしまって、駄洒落ばかりが耳に残るドタバタ喜劇となってしまって、
   愛陀姫・アイーダ(七之助)、木村駄目助左衛門・ラダメス(橋之助)、濃姫・アムネリス(勘三郎)の恋焦がれ焼け付くような愛の独白も恋の鞘当も、総て、空中分解して、白々しい台詞と場違いの真剣な役者の表情だけが空回りしているだけとなってしまったのである。

   確かに、あのシェイクスピアも、戯曲の本筋に、複数のサブ・ストーリーを平行しながら展開し、随所に喜劇的なパロディやアイロニー、笑いを挿入しているが、実に慎重に場を選んで設定してそれが息づいており舞台に厚みと広がりを生んでいる。
   野田は、芝居は面白くなければならないと言う思想のようだが、今回のように、駄洒落をふんだんに挿入したサービス過多で、見境もなく悲劇と喜劇を綯交ぜにして演じることが効果的かどうかは大いに疑問である。

   座長勘三郎を立てるため、本来主役のタイトルロール・アイーダを脇において、エジプトの王女アムネリス・濃姫を主役に持ってくるところとか、ラダメスに振られて、イカサマ祈祷師の宣託で、織田信長の妻になるとか、多少無理をした発想が面白いが、私としては、ヴェルディの「アイーダ」への思い入れが強すぎるのか、劇薬を飲まされたようで、消化できずに見終わったと言うのが正直な所である。
   しかし、チケットは早々から完売で、特に、今まで見なかったような綺麗な若い女性客が一杯で、やはり、野田人気は大したものである。
   自分勝手な辛口のコメントを書いてしまったが、これは、あくまで私の主観で、芝居も歌舞伎もどんどん新しく展開して行くので、何が正しいのか分らないし、これからトレンドを築いて行く野田戯曲の幕開けかも知れないし、
   歌舞伎役者を器用に躍らせて野田芝居を演じさせた野田秀樹の歌舞伎座ハイジャックかも知れないと思っている。
   とにかく、面白かったことだけは間違いない。
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デボラ・アンコナ他著「Xチーム」・・・イノベーションを生む分散型リーダーシップ

2008年08月18日 | イノベーションと経営
   企業を取り巻く経営環境は極めて厳しくなり、グローバリゼーションの浪に翻弄されて激変限りなく、企業の競争優位へのカギはイノベーション以外にはない。
   そんな問題意識から、イノベーションを生み出すための革新的な組織「Xチーム」の構築と新しい経営のあり方を説いたのが、MITのデボラ・アンコナ&ヘンリック・プレスマン著「Xチーム 分散型リーダーシップの実現 X-TEAWS」である。

   今や、企業は贅肉を取るどころか筋肉まで削ぎ落とし、経営資源は消耗し、利益は低下の一途を辿り、うかうかしていると存亡の危機に直面する。
   製品やサービスの質の改善は極に達し、最早、品質や価格だけでは競争優位を提供できず、効率性と規模の経済では勝てない時代に突入してしまった。
   全く競争者のいない新しい革新的なブルーオーシャン市場を開拓出来るイノベーションを生み出すことこそが成功への唯一の道程である、と言う認識が経営の根底にある。

   イノベーションを生み出すための特別組織Xチームを、企業内に独立して設立するのだが、その特色の一つは、外部志向性(externally oriented)にある。
   特に、地球温暖化、貧困、汚染、政治的不安定など困難な外部環境に対する革新的な解決策が企業にも求められるようになって来た今日、外部との積極的な対応が必須となってきている。
   また、イノベーションそのものが、多層化重層化、異分野との科学技術の総合化など複雑になり、単独企業独自では追求不可能となっており、インターネットの普及による「オープン・イノベーション」の拡大とも呼応して、組織内外との外部性の活用が最重要となった。

   もう一つの重要な要件は、分散型リーダーシップの実現である。
   Xチームは、日常業務から引き離されたチームメンバーが、大きな視点から問題点を見つめ直す機会を与えられ、自分たちが生み出そうとしている変化の複雑さを十分に認識した上で、状況認識、関係構築、ビジョン策定、創意工夫をこなしながら、他組織とは違った分散型リーダーシップを発揮しながら組織を運営実践して行く。
   更に、この傾向は、トップマネジメント以外のリーダーシップの発揮を奨励し、組織階層の上下や壁を乗り越えたリーダーシップ活動を奨励することになり、P&GやBPなどでも、多くの革新的な企業活動とイノベーションを生む起爆剤となっている。

   アンコナ教授は、MITでのXチーム育成講座を企業毎にテイラーメイドで実施しているようだが、この本には、マイクロソフトやモトローラなど多くの企業のケースを引きながら、一般的なXチーム構築の為の極意が丁寧に詳述されている。
   プロジェクトチーム、アドホック組織など、これまでに、多くのプロジェクト志向型の組織論が展開されて来ているが、現在の経済社会環境をバックに見据えてイノベーションを生み出すために編み出された組織論は初めてであり、非常に革新的でもある。

   フリードマンの「フラット化する世界」やタプスコット他の「ウィキノミクス」などで展開されてきた新しい時代に向かっての、正に、外部世界との関係構築と取り込み、アクセスが如何に大切かと言うことを説きながら、柔構造の、一見、アミーバ的な組織とも言うべき分散型リーダーシップ論を展開しているあたりは、流石に実証を積み上げて構築されたアメリカの経営学である。

   日本のブラックボックス型イノベーションが、優れた戦略なのかどうか、このブログでも書いたことがあるが、
   あのIBMが、垂直統合で総て全社で一貫して製造販売していた故に、戦略の失敗で、マイクロソフトとインテルに出し抜かれ、生きる為に、ソフト化すると同時に、リナックスを取り込んでオープンソース経営に傾斜するなど、正に、激動の時代の巨人の経営転換の典型的な姿だが、このアンコナとプレスマンの「Xチーム」の効用は、内向き経営の強い日本の企業にとっての方が大きいような気がしている。
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ニューヨーク紀行・・・15 母校ウォートン・スクール散策

2008年08月17日 | ニューヨーク紀行
   1月29日、ニューヨーク最終日の前日、フィラデルフィアを訪れたが、アムトラック特急が1時間も遅れて着いたので、滞在時間はたった4時間しか取れず、フィラデルフィア美術館で懐かしい絵画などに再会し、その後、母校ペンシルベニア大学ウォートン・スクールの構内を散策するのがやっとであった。
   一昨年イギリスのビジネス・スクールを出て帰って来た次女にアメリカを見せておこうと思って一緒に来たので、二年ぶりだし、私がMBAを取った頃とも学校の雰囲気は、近代的な校舎が増えた程度で、昔と殆ど変わっていない。

   ペンシルベニア大学は、シティホールからも遠くない街の中にキャンパスが広がっているので、碁盤目模様の大通りが構内をつき切っており、校舎などは街の中に散在していて障壁など全くないオープンスペースである。
   大学の巨大なアメリカン・フットボール競技場や博物館、大学病院、劇場、図書館、無数の校舎、それに、大きな都市ホテルなど公共建物も含めて巨大な文教コンプレックスを形成している。
   しかし、結構緑があって、リスが走り回っていて、アメリカ映画に良く出てくる古い大学のキャンパスの雰囲気は随所にある。
   川嶋教授が我々より少し前に留学されていたので、紀子さまも、このキャンパスを走っておられたのかも知れない。

   この大学は大学院大学なので、今でも残っているこじんまりとした大学部のキャンパスの中に、1740年創立当時の建物が残っているのかも知れないが、1881年設立の最古のビジネス・スクールであるウォートン・スクールも、そんな古い面影などは残っていない。
   どちらかと言えば、半世紀以上も前に建設された、世界的なアーキテクトであったルイス・カーン教授の設計した校舎や研究所などのモダンな建物が、しっくりキャンパスに溶け込んでいて素晴らしい。

   ハリーポターに出てくる古風で重厚な感じの学校の雰囲気は、オックスフォード大学の中にはふんだんにあるが、アメリカには、ハーバードやプリンストンなども擬古的だが、やはり、1776年独立の国アメリカには、ヨーロッパの大学のような貫禄は見当たらない。
   世界で二番目に古い大学だと言われているスペインのサラマンカ大学は、コロンブスも訪れたと言うから、流石に古くて歴史を感じさせてくれる。
   私は、旅をすると、結構、あっちこっちの大学を訪れるのだが、知の歴史が凝縮されているようで興味深いのである。

   私たちが学んでいた頃は、ウォートン・スクールの建物は、ディートリッヒ・ホール(校舎をホールと言う)だけだったが、卒業した年に、近代的なバーンス・ホールが出来たが、実際には、図書館やコンピューターセンターなど、大学の共有施設を使うことが多かった。
   今回、教室に入って、久しぶりに、学生に混じって講義を聴いてみようと思ったのだが、試験シーズンだったのか休暇シーズンだったのか、構内には、殆ど誰も居ず、教室や研究室も締まっていた。
   しかし、建物の入口は開いていたので、守衛に卒業生だと言って中に入れて貰い、廊下や階段を昔の面影を探しながら歩いたり、ロビーのソファーに座って思い出を反芻していた。
   昔なら、開けっぴろげであった筈だが、今は、治安の問題からか、教室の中には入れなかったが、ハイテク化されているのであろうが、円形の椅子が取り巻く階段状の講義室は昔のままであった。
   
   ところで、フランクリンの創立なので、アイビー・リーグの中でも宗教色が全くないのがこの大学だが、しかし、小さな教会があって、何故か、エリザベート・シュワルツコップやブダペスト弦楽四重奏団などの演奏会を聴きに行った記憶がある。
   夏の夕方、キャンパスから出るバスに乗ってロビンフット・デルで開かれるフィラデルフィア管弦楽団の野外コンサートにも良く出かけた。
   嵐のような2年間だったような気がするが、思い出すと色々なことがあったようで、走馬灯のように頭を駆け巡る。

   校舎を出て、ブックストア(と言っても一寸した百貨店のワン・フロアーは十分にあるショッピングセンター)に立ち寄り、孫の土産にと思って、大学のロゴ入りの帽子やシャツなどを買った。
   フランクリンの銅像など懐かしいキャンパスのあっちこっちを散策して、構内のスターバックスで若い学生達に混じって小休止しただけで、時間がなくなり、ペン・ステーションへ、タクシーを走らせた。
   
   帰りのアムトラックは、遅れることなく、ニューヨークのペン・セントラル・ステーションに着いた。
   その足で、メトロポリタン歌劇場に向かった。
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海外生活での夏のバカンス

2008年08月16日 | 海外生活と旅
   日本で働いていると、夏の休暇は、お盆を挟んでの一週間くらいが関の山だが、海外生活、特に欧米で働いていると、2週間くらいの休暇は当たり前で、全体が休暇に入るので休まざるを得ず、家で時間を持て余すわけには行かないので、日本に帰るか海外旅行に出ることになる。
   帰国してからは、日本の休暇シーズンに合わせて雑踏の中を海外に出る気持などは全くなくなってしまったし、出るとしても他の季節に変えたり、短期間の国内旅行が精々の夏のバカンスになってしまった。
   しかし、それも、子供たちも大きくなり仕事からも一線を離れてしまうと億劫になってしまって、最近では、夏も冬も、民族大移動のシーズンは、TV画面で見るだけの世界になってしまった。

   世界の秘境や一寸変わった世界遺産などエキゾチックな世界旅を続けている友人もいるが、私は、どちらかと言えば、欧米の古都等の文化・歴史散策の方が好きで、機会を見て、まだ訪れていないロシアやポーランド、ルーマニアなど東のヨーロッパを歩いて見たいと思っている。
   文明の発祥地であるエジプトやメソポタミアにも興味があったが、中東は、サウジアラビアやバーレン、アブダビどまりで、在欧当時もそれ以降も、治安が悪くて機会を逃してしまった。
   学生時代に憧れていたのは、やはり、勉強もしていたのでシルクロード旅で、西端のイスタンブールとその近辺とその西側だけなので、一度、行ってみたいとは思っている。
   全く訪れたことがないのがアフリカだが、エジプトとモロッコ、ナイジェリアなど北アフリカの歴史遺産を訪ねてみたいと思っているが夢で終わろう。

   最初の海外であるアメリカでの留学時代は、夏は夏季コースも受講していたので、長期休暇は冬だけだったが、一年目は、友人とアメリカ横断旅行を、二年目には、家族が来ていたのでヨーロッパ旅行を敢行した。
   最初の家族旅行については、その後長い間海外生活をするなどとは夢にも思っていなかったので、貧しかったけれど、ヨーロッパ留学生の里帰りパンナム・チャーター便に便乗して、ユーレイルパスを買ってヨーロッパを鉄道移動すれば、どうにか、貯金とボーナスをはたけば行ける事が分ったので、最後のチャンスだと思って決行した。

   4歳の娘を連れての21日間(里帰り便なので期間が長く、30年以上前だから格安航空券など殆ど皆無)のヨーロッパ旅は、流石に長く、パリからスイスを経てイタリア、オーストリアと3人だけで回ったのだが、英語と多少のドイツ語で押し通したけれど、別に不自由は感じなかった。
   初めてのヨーロッパ旅は、カルチュア・ショックの連続であった。家族にとっては大変な経験であっただろうけれど、我々も若かったし、その後の長い海外生活の序曲としては成功だったのかも知れないと思っている。
   パリを発ち、フィラデルフィアの夜景を眼下に見た時に、故郷に帰りついたような安著感を覚えてほっとしたのを鮮明に覚えている。
   
   その後、サンパウロ4年、ヨーロッパ8年の滞在であるから、夏冬合わせれば、相当頻繁に旅行をしたことになる。
   その間、こまめに写真を撮っていったので、膨大な量の写真だが、別に感謝はされていないが、娘達にとっては、良い記録になっただろうと思っている。
   サンパウロの時には、ブラジル国内やアルゼンチンなど近隣への旅だったが、この時も、休暇など日本への行き帰りにヨーロッパを旅していたので、私の家族旅行の大半は、ヨーロッパ域内で、行っていないのは、アイルランドとアイスランド、それに、ハンガリーとチェコを除いた東欧圏の国くらいである。

   飛行機でのアルプス越えなど実に素晴らしいし、バリエーションに富んだ美しい車窓を楽しむ列車の旅も素晴らしいが、私の場合には、全部、私自身が計画を立てて家族だけで自由気ままに楽しむ個人旅なので、自動車を使ってヨーロッパ中を走ることが多かったし、楽しい思い出も多い。
   オランダに住んでいた時は、大型のアウディ車で大陸内を走り、イギリス滞在時は、国内はベンツで走り、大陸への旅では、空港でレンタル・カーを借りて走った。
   レンタ・カーは、普通はベンツだったが、ラテン系のフランスで、ロワールから、サンマロ、シェルブール、モン・サン・ミシェル、ルーアン等を走った時には、流石に、大事を取って、ド・ゴール空港で、装甲車のようなボルボを借りた。
   私の運転が上手くないし、助手席の地図を読めないナビゲーターが喧しいので、車くらいは選ばざるを得ないのである。
   それに、イタリア、スペイン、ポルトガル、ギリシャと言ったラテンの国では、危ないので絶対に運転はしないと決めていた。
   ロンドンからの旅で、北欧など数カ国を周る旅には、当然、車よりは、飛行機と鉄道と船を乗りついてバリエーションを持たせた。
   
   久しぶりに海外の旅の思い出を書く気になったが、元々、このブログは、そのような私の旅人生を綴ろうと思って始めたのだから、ボケない内に、これから、少しづつ記憶を辿りながら、旅の思い出を綴ってみようかと思っている。
   (尤も、旅の苦労については、今なら軽く笑って済ませることが多いが、海外での仕事と生活は、いわば毎日、血の滲むような苦労と大変な試練の連続で、思い出すのさえ嫌なことも多く、平穏無事とは行かなかったことを付記せざるを得ない。)
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中国国内でのぎょうざ事件、内緒にするのが国際正義か

2008年08月15日 | 政治・経済・社会
   中国の天洋食品製の冷凍ギョウザにメタミドホスが混入されていたと言う事件で、中国国内でも事件が起きていたとの報告が7月7日サミット当日に中国からあったにも拘らず、一切緘口令を敷いて、関係官庁にも報告せず、最近になって報道した。
   あれだけ世間を騒がせ、こと人の人命に関わる重大事件であり、かつ、中国側から日本の陰謀だとさえ言われて紛糾した問題に対して、町村氏は、「内緒にしておいてくれと言われれば内緒にするでしょ」とこともなげに語っていたが、この福田内閣の体たらくも、ここに極まれりである。
   いかなる弁解も無用で、日本政府は、中国から報告を受けた時点で、公に報道すると明言し、即刻、通報された事実だけを報道すべきであった。

   現実にも、中国の公害の酷さは言語を絶しており、私自身、上海の空気汚染の凄まじさは経験済みだし、前にも書いたが、黄河などは殆ど死んでしまっていると言う状態である。
   中国全土にわたって産業のスプロール化を放任し、公害を垂れ流し、土壌を汚染して、国民に病苦の苦しみを与え続けている国であることを考えれば、そして、北京オリンピック開催時に、公害対策の為に北京の建設工事を止め交通規制をせざるを得ない国であることを考えれば、中国国民への警告の意味でも、当然の処置であった筈である。
   アメリカで問題になった中国製玩具の鉛中毒事件以来、世界中は中国製品の安全管理には疑問符をつけており、それに、何よりも、このような事件については、新事実が明らかになればその都度、即時広報するのがリスク管理の鉄則であり、中国を慮ったとする外交的な配慮など一切必要としない。

   今日のニューヨーク・タイムズ電子版に、”China loves Its Soccor. Its Team ? Dont't Ask."と言う記事が載っていて、冒頭、オリンピック・サッカーのベルギーとの対戦で、中国チームのタン・ワンサンが、捕球をミスったその腹いせに、相手チームのセバスチャン・ポコノーリの股座をしこたま蹴り上げて悶絶させたとか、中国チームのキャプテン・ゼン・ジーが相手選手に肘鉄を食らわせてレッド・カードを2枚も受けたと言うニュースから書き始めて、「サッカーを愛しているのか、それとも、中国チームなのか?」と問いかけている。
   それに、これに対する中国人ブロガーには、反省の片鱗さえないと言う。

   ブラジルに3対ゼロで負けた時には、治安警察が来るまで騒ぎを起こしていたようだし、ニューヨーク・タイムズ紙もアジア・カップ最終戦で3対1で負けたときの日本に対する酷さに言及しているが、the rule of lawが中国において確立しない限り、このフーリガンそこのけのサッカー・ファンの悪弊が改まらないと言われている。
   とにかく、国際的な法律、国際的なルールを尊重すると言うことは、グローバル・シチズンとしての当然の義務だが、孔子の国でありながら何故こんなに中国人が、モラル欠如の国民になってしまったのか。
   
   チベットや新疆ウイグル自治区等の少数民族弾圧や人権蹂躙、中国人民に対する賄賂攻勢などの役人の傍若無人振りなどは序の口で、中国の政治経済社会の暗部については、フランスのジャーナリスト・ティエリー・ウォルトンの「中国の仮面資本主義 党エリートに壟断される経済と社会」(日経BP社刊)に極めて詳しく書かれているが、中国国民が世界市民として正当に受け入れられるためには、根本的に、国家そのものが変わらない限り、中々難しいことであるような気がしている。
   
   また、話が横道にそれてしまったが、私が言いたかったことは、この中国が、経済力と軍事力を急速に拡大させて大国への道をひた走り、世界覇権国家への道を驀進している今日こそ、今回のギョウザ事件のように中国に調子を合わせて迎合しているようではダメで、日本が隣人として、正論を吐いて中国を諭さない限り、日中友好と言う理想の実現は図れないであろうし、中国のためにもならないと言うことである。
   
   北京オリンピックは、孔子の「朋遠方より来る、また、楽しからずや」で幕が切って落とされた筈だが、隣人の日本に対する極めて冷たい中国人の応援を見ているとつい悲しくなってきたので、少し、辛口の論調になってしまった。
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セミの羽化

2008年08月14日 | 生活随想・趣味
   孫にセミの羽化の様子を見せようと思って、夜9時過ぎに庭に出た。
   庭の地面に2センチくらいの穴があっちこっちにあり、草や木の小枝などに沢山セミの抜け殻があり、朝庭に出ると草叢から急に飛び立つので、前夜羽化したセミであろうが、毎年夏には、大変な数のセミが生まれる。
   最近は、夜に外で羽化の様子を見ることなど全くないので、庭の木の下や草叢に懐中電灯を当てて探していると、シランの葉にぶら下がっている羽化直後のアブラゼミを見つけた。

   私など、子供の頃には、宝塚の田舎に暮らしていたので、地面から幼虫が這い出してきて、地面を歩いて側の立ち木を登り始めて、途中で静止して羽化する様子をじっくり観察する機会があったのだが、今の子供はかわいそうで、母親に早く寝ろと催促されて追い立てられる。
   地面のセミの抜け穴から幼虫が這い出て羽化するまでのプロセスを説明するだけなのだが、孫は興味しんしんで聞いている。
   胴体部分が一部薄い褐色で羽の付け根などが少し青みがかっている以外は、全く、真っ白の美しい身体をしていて、日中見慣れている濃い茶褐色のアブラゼミとは雰囲気が大分違う。

   この羽化したセミだが、今年、木に卵を産み付けると、幼虫が来年の夏に木から下りて地面にもぐりこみ、5年くらい地中で生活して羽化するのだが、羽化後の命は2~3週間だと言うから、昆虫の場合には、幼虫の期間の方が長い。
   羽化して成虫になると、必死になって相手を探して交尾して子孫を残す、そんな努力に明け暮れる。
   楠木の幹に止まっているメスを目掛けて、オスどもが静かに近付いて行くのだが、逃げるメスもいて、昆虫にも相性と言うかヘロモンの働きで相手を選ぶのであろうか。
   動物の場合にも、良い子孫を残す為に、メスが遺伝子の選択に必死になると言うか、知人が、メスのシーズーに子供が欲しくてオスのシーズーを買って一緒に育てているのだが、メスがいっこうに受け入れなくて困っていると嘆いていた。
   上野動物園でも大変なようだが、オスとメスであれば良いと言うのではなく、ペアリングは大変だと聞く。

   私の庭には、アブラゼミが大半なのだが、先日、ミンミンゼミが鳴いていたし、今日は、ツクツクホウシが鳴いていた。
   関西でよく聞いていた大型で羽が透き通ったクマゼミの声は、まだ聞いたことがない。
   
   
   
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