27日の国立能能楽堂の企画公演は、異流派共演の《特集・対決》
プログラムは、
狂言 惣八 (そうはち) 善竹十郎・山本東次郎(大蔵流)
能 正尊 (しょうぞん) 宝生和英・金剛龍謹
狂言「惣八」は、和泉流では、「宗八」、
有徳人(山本則俊)が僧侶と料理人を雇おうと高札を掲げると、出家した元料理人(山本東次郎)と料理人になった元僧侶(善竹十郎)が志願して、雇われる。有徳人は、僧侶に法華経を渡して読経を、料理人に俎板、包丁、真魚箸と魚を与えて、鯛の背切りと鯉の細作りを作るよう命じるのだが、俄か坊主であり、俄か料理人であるから、互いに不慣れでどうすれば良いのか分からない。四苦八苦しているうちに、二人の前職が分かり、相談の結果仕事を取り替えてやっているところへ、有徳人がやって来たので、慌てて席に戻り、僧侶は鯛を法華経に見立てて読経し、料理人は法華経を包丁で切り刻もうとするので、有徳人は、怒って二人を幕に追い込む。
殺生を禁じられている筈の僧侶が魚をさばき、料理人が殺生を諫める経を読むと言うあべこべ家業を揶揄するところが眼目なのかは分からないが、袈裟衣で襷掛けをして魚を裁き、職人姿で経を読むちぐはぐ振りも面白い。
器用に魚を裁く東次郎と狂言では何時もそうなのだが、いい加減な読経をする十郎の二人の真面目で可笑しみ溢れたシテの演技が楽しませてくれた。
能「正尊」は、頼朝から義経殺害の命を受けて、上洛した正尊が、義経や静に対峙して、弁慶などと戦って捕縛されると言う話で、特に、後場は、戦いと言うビジュアルな演出なので、初心者にも良く分かる能である。
それに、能では、子方が舞うことの多い義経を、成人のシテ方が舞うことで、今回は、子方が静を演じており、舞いを舞って、正尊を接待する。
興味深いのは、観世・宝生・喜多は、正尊をシテとして、弁慶をワキとしており、金春・金剛は、弁慶をシテ、正尊をツレとしているのだけれど、今回の舞台は、宝生・金剛・観世共演であるので、宝生流の宝生和英宗家の正尊がシテ、金剛流の金剛龍謹の弁慶がツレ、観世流の観世淳夫の義経がツレとなっているのだが、正尊・弁慶とも、シテの舞であり、ツレの義経も、子方(廣田明幸)ともども、最後まで重要な役回りを演じ続けており、楽しませてくれた。
義経や弁慶に密命を見破られている正尊が、自分の潔白を示そうと起請文を読むのだが、シテの弁慶が読むケースもあるようだが、今回は、正尊が読んだ。
さて、この能「正尊」は、「平家物語」巻第十二の五 土佐房被斬を殆ど踏襲している。
しかし、この能では、正尊方と義経方との戦いの後、正尊は捕縛されて橋掛かりを退場して行く形で終わっているのだが、平家物語では、勝目なしと悟った正尊は、こともあろうに、義経の故地鞍馬の奥へ退却して、僧正が谷に隠れていたのを、法師らが捕縛して、翌日義経に引き渡したと言う。
義経は、起請文を反故にした理由などを問い質したが、主君の命を重んじ自分の命を軽じる志は殊勝だ、望むなら命を助すけて鎌倉へ帰してやろうと言ったら、命は頼朝殿に差し出したので鎌倉へ戻れない、急いで首を刎ねてくれと言ったので、すぐ六条河原へ引きずり出して斬った 。と言う話になっている。
ところで、正尊が起請文を読む場面だが、何もないところにその場で書くのだから、弁慶の勧進帳と相通じる見せ場である。
岩波講座によると、この「読み物」は、漢文口調の文章を拍子に合わせるために複雑な拍子当たりが施されているもので、高度な技術が要求される習い事で、全体は強吟で、状を両手で捧げて荘重に読み始めて、徐々にテンポを進めて行き、最後に高々と頂いて力強く言い収めるのだと言う。
和英宗家の正尊だったから、素晴らしかったのであろうが、そのあたりの芸の深さには気づかずに、ぼーと観ていた感じで終わってしまい、惜しいことをしてしまったと思っている。
金剛龍謹の弁慶は、正に、骨太の剛直な弁慶で、あの凛々しい風貌に張りのあるパンチの利いた素晴らしい声音の魅力は格別で、凄い舞いを魅せて貰った。
後見の永謹宗家の存在感も流石。
義経の銕之丞師の子息淳夫の格調と、静御前の子方廣田明幸の初々しさ、
達者な立衆たちや、囃子方、地謡相まっての素晴らしい奏者たちのコラボレーションあっての舞台であったのであろう。
正尊は、これで、2度目だと思うが、平家物語は、半世紀前、学生時代からの愛読書で、故地を回り歩いたので、何時観ても、感動する。
今日は、平成最後の日。
天皇皇后両陛下の偉業に最大の感謝を捧げつつ!
プログラムは、
狂言 惣八 (そうはち) 善竹十郎・山本東次郎(大蔵流)
能 正尊 (しょうぞん) 宝生和英・金剛龍謹
狂言「惣八」は、和泉流では、「宗八」、
有徳人(山本則俊)が僧侶と料理人を雇おうと高札を掲げると、出家した元料理人(山本東次郎)と料理人になった元僧侶(善竹十郎)が志願して、雇われる。有徳人は、僧侶に法華経を渡して読経を、料理人に俎板、包丁、真魚箸と魚を与えて、鯛の背切りと鯉の細作りを作るよう命じるのだが、俄か坊主であり、俄か料理人であるから、互いに不慣れでどうすれば良いのか分からない。四苦八苦しているうちに、二人の前職が分かり、相談の結果仕事を取り替えてやっているところへ、有徳人がやって来たので、慌てて席に戻り、僧侶は鯛を法華経に見立てて読経し、料理人は法華経を包丁で切り刻もうとするので、有徳人は、怒って二人を幕に追い込む。
殺生を禁じられている筈の僧侶が魚をさばき、料理人が殺生を諫める経を読むと言うあべこべ家業を揶揄するところが眼目なのかは分からないが、袈裟衣で襷掛けをして魚を裁き、職人姿で経を読むちぐはぐ振りも面白い。
器用に魚を裁く東次郎と狂言では何時もそうなのだが、いい加減な読経をする十郎の二人の真面目で可笑しみ溢れたシテの演技が楽しませてくれた。
能「正尊」は、頼朝から義経殺害の命を受けて、上洛した正尊が、義経や静に対峙して、弁慶などと戦って捕縛されると言う話で、特に、後場は、戦いと言うビジュアルな演出なので、初心者にも良く分かる能である。
それに、能では、子方が舞うことの多い義経を、成人のシテ方が舞うことで、今回は、子方が静を演じており、舞いを舞って、正尊を接待する。
興味深いのは、観世・宝生・喜多は、正尊をシテとして、弁慶をワキとしており、金春・金剛は、弁慶をシテ、正尊をツレとしているのだけれど、今回の舞台は、宝生・金剛・観世共演であるので、宝生流の宝生和英宗家の正尊がシテ、金剛流の金剛龍謹の弁慶がツレ、観世流の観世淳夫の義経がツレとなっているのだが、正尊・弁慶とも、シテの舞であり、ツレの義経も、子方(廣田明幸)ともども、最後まで重要な役回りを演じ続けており、楽しませてくれた。
義経や弁慶に密命を見破られている正尊が、自分の潔白を示そうと起請文を読むのだが、シテの弁慶が読むケースもあるようだが、今回は、正尊が読んだ。
さて、この能「正尊」は、「平家物語」巻第十二の五 土佐房被斬を殆ど踏襲している。
しかし、この能では、正尊方と義経方との戦いの後、正尊は捕縛されて橋掛かりを退場して行く形で終わっているのだが、平家物語では、勝目なしと悟った正尊は、こともあろうに、義経の故地鞍馬の奥へ退却して、僧正が谷に隠れていたのを、法師らが捕縛して、翌日義経に引き渡したと言う。
義経は、起請文を反故にした理由などを問い質したが、主君の命を重んじ自分の命を軽じる志は殊勝だ、望むなら命を助すけて鎌倉へ帰してやろうと言ったら、命は頼朝殿に差し出したので鎌倉へ戻れない、急いで首を刎ねてくれと言ったので、すぐ六条河原へ引きずり出して斬った 。と言う話になっている。
ところで、正尊が起請文を読む場面だが、何もないところにその場で書くのだから、弁慶の勧進帳と相通じる見せ場である。
岩波講座によると、この「読み物」は、漢文口調の文章を拍子に合わせるために複雑な拍子当たりが施されているもので、高度な技術が要求される習い事で、全体は強吟で、状を両手で捧げて荘重に読み始めて、徐々にテンポを進めて行き、最後に高々と頂いて力強く言い収めるのだと言う。
和英宗家の正尊だったから、素晴らしかったのであろうが、そのあたりの芸の深さには気づかずに、ぼーと観ていた感じで終わってしまい、惜しいことをしてしまったと思っている。
金剛龍謹の弁慶は、正に、骨太の剛直な弁慶で、あの凛々しい風貌に張りのあるパンチの利いた素晴らしい声音の魅力は格別で、凄い舞いを魅せて貰った。
後見の永謹宗家の存在感も流石。
義経の銕之丞師の子息淳夫の格調と、静御前の子方廣田明幸の初々しさ、
達者な立衆たちや、囃子方、地謡相まっての素晴らしい奏者たちのコラボレーションあっての舞台であったのであろう。
正尊は、これで、2度目だと思うが、平家物語は、半世紀前、学生時代からの愛読書で、故地を回り歩いたので、何時観ても、感動する。
今日は、平成最後の日。
天皇皇后両陛下の偉業に最大の感謝を捧げつつ!