熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

桂米團治著「子米朝」

2017年09月29日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   人間国宝桂米朝の長男桂米團治の半自伝的な本で、軽妙タッチの語り口が面白い。
   先日の国立能楽堂の上方落語会で、米朝一門グッズが販売されていて、この本を見つけて読んでみたのである。
   芸名の「小米朝」ではなく、自虐的にと言おうか、「子米朝」とタイトルづけているのが面白い。

   どうして落語家になったのか、そう聞かれる度毎に、答えに窮したと言う。
   しかし、高校生の時に、サッカーを続けながら、通訳に興味を持ったり、クラシックが好きだったので音楽関係の仕事をしてみたいと思ったり、油絵の先生から美術学校への進学を勧められたり、いろんなことに興味があり過ぎて、初めて自分の将来のことを現実に意識するようになっていた時に、母親が「三兄弟の中から、一人くらいチャーちゃん(米朝)の後を行くと、チャーちゃんは喜ぶよ」と言われて、いつしかその気にさせられて、「じゃあ僕は長男やし、落語家になるかな」と思うようになった。
   その甘い野望を胸に、米朝に、「僕、噺家になりたいんだけれど」とボソッと言ったら、「止めとけ」と一蹴された。
   「お前は噺家に向いてない。これからの時代はどうなるか分からへんので、とりあえず今は大学に行っとけ。尼崎なら、2~3千票くらい取ったら、市会議員になれるやろ。あとはやりたいことをやったらええ。」と言われたと言う。

   噺家への道を諦めて大学生活を楽しんでいた時に、兄弟子の米二に、噺家になるなら大学出てからでは遅いと背中を押され、ある日の「米朝一門」の飲み会で、枝雀が、「師匠、明君を噺家にしましょうな」。横から、ざこばが、「明君、やったらええ。やったらええ!」。
   明が、「はい・・・実は、前から噺家になりたいと思ってました。」
   
   噺家としての修業を始めるために大学を辞めようと思ったら、米朝が、「何も辞めることあらへんがな。出られるもんなら出といた方が、なんぞの役に立つときもあるやろ」と言ったので、大学生と噺家の二足の草鞋を履いて、噺家人生がスタートしたと言う。

   面白いのは、米團治襲名の経緯。
   最初は、ざこばから、「いつまでも小米朝ではあかんやろ。名前変えよ!」「米朝になれ!」と言われて、二人で米朝宅に行き、「師匠!小米朝を米朝にしようと思うんですけど」・・・勿論、OKなど取れるはずがなく、米朝の俳号「八十八」になれなれ、と、ざこばに勧められたが、昔からあった名前と違う、襲名とは言われへん、と小米朝。
   ざこばの顔も三度まで、という時に、事務所の今井社長が、「米團治はどうですねん」。翌日、ざこばが、「お前、米團治やったらかまへんか」。
   あれよあれよと思う間に、米朝とざこばと南光と事務所以外は、殆ど誰も知らない間に記者発表。

   先代の米團治の親族を追跡したが、連絡がつかず発表したら、幸いにも、先代の後妻の娘さんから手紙が届いて、福岡県春日市に挨拶に行けたと言う。
   それに、先代は、母校関学の落語会を開いており、その会を小米朝が、退学しなかったお陰で引き継ぎ部員確保などに奔走した。」と言う奇しき縁を語っている。

   私が興味を感じたのは、米朝の受け売りだと言うのだが、落語の歴史などの落語論や、上方落語と江戸落語の違いだとか、京都と大阪の違いだとかの落語文化論である。
   それに、これは、能狂言、歌舞伎文楽にも通じるのだが、ストーリーが総て旧暦で書かれており、季節感が殆ど1か月ずれていて、意味をなさないので、太陰太陽暦に変えよと言う、米團治の提案で、出来る出来ないはともかく、正論だと思っている。
   この旧暦放棄は、日本の古典芸能にとっては、大変なダメッジだったと思っている。

   米團治は、クラシックが好きだと言うことだが、この本では、モーツアルトのオペラを落語にコラボしたとか書いているが、どんな作品か、聴いてみたいと思っている。
   ザルツブルグでモーツアルト生家を見て、モーツアルトに傾倒したと言うのだが、あの町は、中世の佇まいが残るシックな街で、ゾッコン惚れるのも当然であろう。

   それは、ともかく、もう一度、米團治の落語を聴きたくて、新春銀座での独演会のチケットを、カンフェッティに予約を入れた。
   「天王寺参り」と「花筏」のようだが、楽しみにしている。
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新聞連載小説を読むと言うこと

2017年09月27日 | 生活随想・趣味
   私は、日経しか新聞を取っていないのだが、昔から、新聞を読むことには、あまり、熱心ではなかった。
   海外が長くて、新聞に接する機会が少なかったと言うことが、響いているのかも知れないと思っている。

   アメリカ留学の時には、興銀の派遣社員などは、銀行から日経をOCSで送られてきていたのだけれど、私は、スタンドで買うニューヨークタイムズで充分であった。
   その後、サンパウロでは、仕事にも響くので、OCS経由で新聞や週刊誌を購読しており、ヨーロッパに行ってからは、これに加えて、読売新聞など電子版印刷の新聞が発行されたので、個人的には、これを利用した。
   しかし、ロンドンでは、ファイナンシャルタイムズやザ・タイムス、インディペンデントなどにお世話になる方が多かったが、いずれにしろ、あまり、新聞には熱心ではなかった。

   エコノミスト誌などの週刊誌もそうだが、同じ時事なりカレントトピックについては、本を通じて、もう少し本格的な理解が大切だと思っていたので、本一辺倒であった。
   これは、今でも変わっていないのだが、最近では、インターネットを叩けば、多少制限があるとしても、大概のメディアにアクセスできるので、新聞と言う感覚は、殆どなくなったが、日経を離すのは、何となく拘りがあって、毎日、手にしている。
   夕刊など、毎夕方、孫息子を幼稚園に迎えに行っているので、その待ち時間に読むなど、重宝している。

   さて、そんな状態であり、小説を読むことも殆どないので、最終頁の新聞連載小説は、読んだことはなかった。
   読んだことはなかったと言えば、少しうそになるのは、渡辺淳一の「失楽園」を、暫く読んだことがある。

   ところが、昨年、日経連載の伊集院静の「琥珀の夢」を、殆ど、続けて読んだのである。
   「主人公はサントリー創業者の鳥井信治郎。たくましい商魂で「日本に洋酒文化を」との夢にまい進した信治郎と、志を受け継いだ末裔の姿を通じて、近代化以降の日本人の生き方を浮き彫りにします。」と言うことで、
   先に、朝ドラの「まっさん」を見て、鳥井信治郎の生きざまに興味を持ち、それに、松下幸之助の本は結構読んでおり、大阪の懐かしい頃のビジネス界を反芻できるのを楽しみに、読み続けたのである。
   終わりに近づくにつれて、サントリー礼賛論が鼻について面白くなくなってきたのだけれど、まずまず、楽しむことは出来た。
   その続きで、林真理子の「愉楽にて」も読み始めたのだが、冒頭から、金持ちの中年ドンファンの若い人妻との逢引き話で、落差が大き過ぎる。
    
   新聞連載小説と知らずに、単行本を買ったら、その小説は、後で多少手を加えた改訂版だと言うことだったことが、何度かある。
   毎日少しずつ読むよりは、この方が一気に楽しめてよいと思っているので、余程のことがない限り、新聞連載小説に興味を感じることはないだろうと思っている。

   この小説と同じような感覚は、日経の「私の履歴書」にも持っており、この方は、かなり読む方である。
   しかし、読むのと読まないのはハッキリと別れていて、芸術家や芸能人、学者と言った感じの異色な人のものは読むが、政財官界の人のものは、特別な場合は別として、まず、読まない。
   ある意味では、後付けの叙述が多くて、虚飾がある感じがして、面白くないのである。
   偏見だとは思うが、先に書いた鳥井信治郎の時代の経営者なら読みたいが、最近の人々については、本当に履歴書として書く価値があれば、日本のバブル崩壊後の失われた20年など、起こり得なかった筈だとと思っているのである。
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わが庭・・・酔芙蓉、キンモクセイ咲く

2017年09月26日 | わが庭の歳時記
   昨年秋に庭植えした酔芙蓉が、蕾が膨らんだと思ったら、花を開いた。
   一房だけだが、確かに、酔っ払いの花で、朝、真っ白な花だと思っていたら、昼過ぎには、ほんのりとピンクがかかりムードが出て、徐々にピンクが濃くなって行き、夕刻から翌日には、赤い花に変わって縮んで行く。
   華やかな花弁が美しいのだが、花の命は短くて、の典型的な花で、一日だけの花であり、潔ぎ良さが良い。
   
   
   
   

   もう一つ、初夏を告げる代表的な花は、沈丁花と並んで香りのよいキンモクセイである。
   ほんのりと甘い香りを漂わせて、少し冷気を帯びた秋の風を感じると、非常に気持ちが良い。
   このオレンジ色には、中学生の頃の甘酸っぱい思い出があるので、懐かしさを感じている。 
   
   
   

   私の一番好きな雑草の一つであるツユクサが、庭のあっちこっちに咲いている。
   千葉からも持ってきたし、この庭にも植わっていたのだが、この花も、つゆの様に儚いのだが、独特な花の形と鮮やかなブルーが、魅力的なのである。
   茎を大きく伸ばして広がる雑草なので、どこにでも咲いている筈なのだが、結構繊細なのか、場所を選ぶようである。
   
   
   

   面白いのは、みずひき。
   これも、庭の片隅に、ひっそりと咲いている。
   柿の錦繡も、本格的に紅葉してきた。
   椿の荒獅子が、咲き続けている。
   
   
   


(追記)夕刻5時半の酔芙蓉は、次のように変化。
   十分に酔いが回って赤くなり、明日咲く白い蕾が、スタンドバイしている。
   
   
   
   
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日経・・・日本にも「夜遊び経済」必要

2017年09月25日 | 政治・経済・社会
   今日の日経の3面トップに、”訪日需要眠る 「夜遊び経済」”というタイトルの記事が掲載された。
   ミュージカルに、音楽ライブやダンス、欧米では、大人が深夜まで楽しめるクラブ文化が根付いていて、ナイトタイムエコノミー、すなわち、夜遊び経済が定着しているのだが、日本では、そのような環境が整っておらず、訪日外国人の要望もあり、年間4000億円と言う市場を生み出そうと言うのである。

   これについては、ブラジルを含めてだが、欧米、すなわち、西洋文明下で、14年間生活してきた自分自身の経験を踏まえた私論を展開して見たいと思う。
   尤も、個人的な経験なので、非常に偏った一面的な説であるかも知れないのを断わっておく。

   まず、ヨーロッパの場合には、長くて寒い陰鬱な冬季の夜長をどう過ごすか、そのあたりから、ナイトライフを楽しむ知恵や文化が生まれてきたような気がしている。
   もう、夕方3時近くになると、暗くなるので、その後寝るまで、どのような生活を送るかが、人生の質を形成する。
   ロンドンにいた時には、キューガーデン王立植物園の傍に住んでいたのだが、隣のアーキテクト夫妻は、パーティやレセプション、知人友人たちのプライベートディナーや茶話会に招いたり招かれたり、オペラやシェイクスピア等の観劇など、どこでどう過ごしていたのか、毎夜のように出かけていて、ナイトタイムを満喫していた。
   このケースなどは一例で、私の場合も、日本法人の代表であったので、パーティやレセプションや会食、それに、オペラ鑑賞などの社交で、夜に出かけることが結構大かった。

   この記事に関係のありそうな、私の経験した最も典型的なオペラ鑑賞について、ロンドンでは、どのような社交上のナイトライフがあったのか、これだけに絞って、書いてみたい。

   ロンドンの場合は、当然、コベントガーデンのロイヤル・オペラで、週一休みで、盛夏を除いて、一年中毎夜、バレエを含めて、公演が行われている。
   ワーグナーの楽劇など、長いオペラは別として、夜の7時から、殆ど、10時過ぎ、時には、深夜近くまで上演されている。
   社交の場合には、当然、ディナーの会食が入るので、時間的には、もっと長くなる。

   日本の様に、7時の開演前に会食を済ますことは少なく、その場合は、多少時間を見て、プレシアターメニューで済ますことがあるが、
   普通は、オペラハウスにかなり近いサボイ・ホテル(The Savoy(ザ サボイ))で、シアターメニューなり正式のディナーを選んで、会食を始めて、途中で時間を見て劇場に出かけて、終演後、ホテルに帰ってきて、続きの食事を楽しむと言うコースを取ることも珍しくなかった。

   今では、ロイヤルオペラハウスに接続して、広大なパブリックスペースとエンターテインメントスペースが増築されて、素晴らしいレストランやバーなど、至れり尽くせりのアミューズメント施設が整っており、どんなディナーでも楽しむことが出来る。
   しかし、その前は、小さなバーカウンター併設のレストランが、中二階の張り出しに一か所あっただけなので、予約など難しく、
   信じられないかも知れないが、一階のサークル状の狭い円形ロビー(廊下?)に、テーブルを並べて俄かレストランが設営されて、開演前と休憩時間の度毎に会食を続けるのである。
   普通でも狭いロビーなので、客をかき分けて、ウエイターが器用に会食者にサーブする様子は、さながら、サーカスである。
   勿論、衆人環視下での食事なので、気楽ではないが、招待してくれた英人ビジネスウーメンは、気にせず、会話と会食を楽しんでいたので、これが、文化であろうと、私も日本文化などを語りながら一時を過ごしたのだが、良い経験をしたと思っている。

   随分、オペラハウスの写真を撮ったが、ネガが倉庫で探せず、インターネットの写真を借用すると次の通り。左手の建物が増設建物。
   
   
      
   オペラが長引けば、いくら、ロンドンでも、高級レストランは、11時くらいで、オーブンの火を落とすので、正式なディナーは難しくなるのだが、10時くらいの終演なら、十分に楽しめるので、大体、こうして、深夜頃まで会食をしながら夜長を過ごすことが多かった。
   当時、ロンドン唯一のミシュランの三ツ星レストラン・ガブローシェに、遅れて行った時には、ホットのディナーは諦めざるを得なかったが、普通は、十分に楽しむことが出来た。

   家族や気の置けない日本人の方たちとの観劇の夕べでは、劇場近くに沢山あるレストランを選んで、プレシアターメニューで済ますことが多かった。

   ミュージカルやシェイクスピアの観劇の時も、殆ど同じような形式で済ませており、観劇や会食が終わった後は、大概は、劇場近くの駐車場に止めてあった自分の車を運転して、キューガーデンの自宅に帰った。
   大体、夜遅くなると、ロンドンでも交通が少なくなって、30分くらいで帰宅できたので、比較的楽であった。
   今は、東京での観劇の後は、急いで、メトロや東横線、JR、バスを乗り継いで鎌倉に帰っているのだが、終演が、10時近くになると、一寸苦痛になる。
   ディナーは、当然、劇場のレストランやプレシアターで、軽く済ませることが多くて、ロンドンにいた時の様に、会話と美食を楽しむと言う余裕などは、殆どない。

   話が横道にそれてしまったが、ここで強調しておきたいのは、ロンドンには、オペラ劇場のみならず、多くのミュージカル劇場やシェイクスピア劇場やコンサートホールがあり、カジノや歓楽ゾーン、パブやホテルや飲食街、等々、アミューズメント業界を育む巨大な裾野が広がっており、システムとして、「夜遊び経済」を醸成する土壌が息づいている。
   ロンドンのシティの金融センターと同じで、一朝一夕に構築するなど無理な話である。ということである。

   飲むと言う方には、興味がなかったので、ロンドンの歓楽街は殆ど知らないが、女王陛下が総裁のジェントルマンクラブ・ロイヤルオートモビルクラブのメンバーであったので、夜には、会食するなどよく訪れたが、イギリスでは、プレスティージアスなジェントルマンクラブでの社交は、英国紳士たちの誇りの様なものでもあって興味深い。
   
   さて、日本の場合にも、私がロンドンでしていたような観劇を楽しむ方法が、いくらでもあるのであろうが、若い頃はともかく、最近ではそんなことがなくなってしまって、一寸、寂しいが、歳の所為でもあろうか、短くて終わる簡便な観劇が多くなっており、終わったら電車で家に帰る、ということで、まずまず、満足している。

   ところで、日本の場合、日本の古典芸能である、歌舞伎や文楽、能・狂言、日本舞踊、落語・漫才などが、外国人をアトラクト出来るのかということだが、日本人自身が、それ程、興味を持って熱心に劇場に通って行くと言う傾向になく、集客に困っていると言う現状をどう考えるかということである。
   私自身、これらの古典芸能の鑑賞にかなりの年月を費やしてきたが、今でも、勉強で非常に難しい状態であるから、訪日外国人は、昔、私が、パリで、コメディーフランセーズを観て、全く分からなくて面白くも何ともなかったのと同じ気持ちを持つのではないかと思う。
   したがって、日本文化の粋であり日本の誇りである色々な芸術文化を組み込んで、「夜遊び経済」を立ち上げることは、非常に難しいことではないかと思っている。

   そうなれば、できるのは、ユニバーサル・アーツと言うか、汎用性の利く欧米文化主体のエンターテインメントをアレンジした国籍不明の「夜遊び経済」が生まれてくるような気がするのだが、どうであろうか。
   
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国立演芸場・・・上方落語会

2017年09月24日 | 落語・講談等演芸
   今日の国立演芸場は、「9月特別企画公演 上方落語会 ~桂米朝一門会~                    
   プログラムは、次の通り。                    
 落 語            桂 小鯛     時うどん
 落 語            桂 歌之助  佐々木裁き
 落 語            桂 米團治    親子茶屋    
  ―  仲入り  ―                     
 落 語            桂 吉弥      狐芝居  
 落 語    桂 南光   火炎太鼓

   やはり、私にとっては、上方落語の方が、元関西人である所為もあって、言葉から言っても親しみやすいし、期待して出かけた。
   先日、国立能楽堂で、南光を聞いたのだが、今回は、更に、米團治と吉弥が聞ける。
   これに、吉坊が加わっておれば、最高である。
   尤も、初めて聞くのだが、小鯛も歌之助のパンチの利いたパワーのある話術の冴えも素晴らしかった。
   小鯛は、大阪弁・上方バージョンの「時そば」で笑わせ、歌之助は、大岡裁きを思わせる佐々木政談で、こましゃくれた知恵者のガキの語り口が抜群。

   即刻、チケットは完売であったが、関西訛りの客が結構おられたので、石川啄木の”そを聞きに行く”と言う雰囲気もあったのであろうか。

   今回は、上方落語の特徴である見台と膝隠を置かない江戸スタイルの演出で、切れ長の目のぱっちりとした綺麗な人が出てきて、座布団を裏返し演目台返しをしていた。
   上方の場合は、話術一本で通す江戸落語と違って、講釈師スタイルで語ることが多く、鳴り物入りの演出もあるので、見台や膝隠があるのだが、なくても、米團治や吉弥は、座布団から飛び出さんばかりに膝を立てて、下手の御簾からの三味線などの小粋な音曲に合わせて、手拍子足拍子よろしく熱演していた。

   さて、米團治のまくらだが、いつもと同じで、
   歌舞伎や能なら、御曹司として一目置かれるのだが、落語の世界は全く違って悲劇の連続、人間国宝の米朝の息子と言うだけで、兄弟子たちは、やりたい放題。
   ざこばに、やったらええ、やってあかんかったらやめたらええ、人生はばくちだと背中を押されたのだが、いじめられっぱなし、あんまりいじめすぎたので、病気になっている。
   と言って笑わせていた。

   演台は、「親子茶屋」。
   お茶屋で遊んで船場に朝帰りのドラ息子の若旦那を、親旦那が呼び出して、一つだけ聞きたい、「芸者と親とどっちが大切だ」と聞いたら、若旦那は、当然、勘当されても面倒みると言った芸者だと答えたので、頭にきた親旦那は、宗右衛門町のなじみのお茶屋に行って宴会をして「狐釣り(主が顔に扇子をくくり付け、目隠しをして行う鬼ごっこ)」をして遊び始める。それを通りがかった若旦那が見て、「粋なもんやなあ。うちの親父に見習わせたい」と感心した若旦那は、お茶屋の女将に、半分費用を持つからあの座敷で一座をさせて欲しいと頼むと、ケチな親旦那は承諾したので、若旦那は子狐として登場する。目隠しを取って挨拶すると、びっくり仰天。親旦那は、「女遊びはともかく、博打はするなよ」。
   飲む、打つ、買う、のうち、飲むと買うは、同類であることがバレたので、面目が立たず、残った「打つ」をオチにしたと言うことであろう。

   人間国宝は、何してたんやろ、葬式の時に、米朝のこれ(小指)ですと言って二人も来よった、と語って笑わせていた。
   とにかく、御簾からの下座音楽に乗って、宗右衛門町の座敷に上がってからの親旦那や幇間や芸者や女将、そして、若旦那たちの踊りや芸を、バカボンも相当遊んだのであろう、実に臨場感溢れた年季の入った仕草で、舞台狭しと熱演する米團治の凄さは、格別である。
   時々、真面目な表情になって年かさの雰囲気を出すと、往年の米朝そっくりの表情となり、流石に、血の騒ぎか、米朝に似て来たような気がした。

   吉弥のまくらは、カレントトピックス。
   SMAPの香取慎吾の話ついでに、大河ドラマ「新選組!」の縁で、水掛不動のちかくへ、勘九郎と一緒に行ったとき、勘三郎が狭いすし屋に入っていて一生懸命にすし屋の主人と話しているのに、芸の話だろうと思ったので加わって話を聞きたかったのだが、勘九郎にどうせ何時終わるか分からないのでと言われて、お好み焼き屋へ行ってしまった痛恨の話。
   勘九郎の歌舞伎の「怪談乳房榎」を観に行ったのだが、16000円で高い。それに比べて、ここの・・・。
   中村屋! 待ってました! 澤瀉屋!と掛け声をかけたいのだが、タイミングが難しい。上手な人の後追いでやり始めたら、それに気を取られて歌舞伎が分からなくなった。
   などと語っていた。

   吉弥の演台は、「狐芝居」。
   侍のふん装で大阪へと戻る途中のひとりの役者。山の中に芝居小屋があって覗くと「忠臣蔵」四段目・判官切腹の場の最中だったが、よく見ると客席も舞台の役者もみな狐である。判官が切腹したのに、肝心なところで、由良之助役の狐が登場しないので、旅役者は我慢できず、由良之助になったつもりで舞台に飛び出して、一世一代の大芝居。感激に浸るも、狐でないことがバレてしまうのだが、実は、タヌキだったと言う話で、ラストは、叢に一人取り残されて、寂しくとぼとぼと去って行く。
   吉弥の得意ネタのようだが、私には牧歌的でしみじみとした感動的な落語で、楽しかった。
   上方落語では、歌舞伎を題材にした演目を聴くことが多いような気がするのだが、異芸能の交流と言うか、豊かな芸能を育む伝統があるように思えて、これも上方芸能の良さなのであろうと思った。

   トリの南光は、大阪ムード満開のおもろい高座。
   演台が、「火炎太鼓」で、
   コテンパンに尻に敷かれて女房をお嬢さんと呼ばないといけないような気の弱い冴えない婿養子の道具屋が、どこで仕入れて来たのか、埃まみれでどうしようもない太鼓を丁稚定吉に掃除させていたら、音が漏れ聞こえて、通りがかりの住友家の当主が気にいって興味を示し、屋敷に持ち込んだら、国宝級の火炎太鼓だと分かって、300両で買い取られて、夫婦円満になると言う話。

   当然、まくらは、女房のの悪口。
   結婚して38年になるが、日々、楽しかったことはない。女房は、元小学校の先生であったから、上からモノを言う。先日、帰ってきたら、トリの唐揚げだったので、一つ摘まもうとしたら、うざい、手を洗いなさいと命令されて、すごすご「はい」。わたしの金で買った唐揚げでっせ。
   女は、男と違って、いくらになっても歳をかくす。たった誕生日が1か月しか違わない、12月と1月なのに、女房は同級生だと言うと怒る。年初に、京橋から京阪に乗ったら、前の学生が、女房に席を譲ってくれたので、自分の方が若いとみられたと思って喜んだのもつかの間、丁度65歳になったばかりの南光は、「高齢者が座りなさい」と個人情報を暴露され指図された。譲られたのはお前や、座れ座らんで押し問答していると、学生は、「好きなようにしてください」。隣の学生も立って、「お二人でどうぞ」。
   「火炎太鼓」の女房は、夫を認めて円満解決したが、南光夫婦は、どうであろうか?

   とにかく、この調子であるから、話術の冴えは抜群で、笑いの連続。
   圓朝の様な、深刻で真面な話も偶には良いが、箸に棒にもかからない話も、面白くて健康に良さそうである。
   
   
   
   
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都響プロムナードコンサートNo374

2017年09月23日 | クラシック音楽・オペラ
   今日の都響のサントリーホールでのプロムナードコンサートは次の通り。

   出演者
   指揮/梅田俊明
   チェロ/ユリア・ハーゲン
   曲目
   ブラームス:ハイドンの主題による変奏曲 op.56a
   チャイコフスキー:ロココ風の主題による変奏曲 op.33
   エルガー:創作主題による変奏曲《エニグマ》 op.36
   「ソリスト・アンコール」バッハ:無伴奏チェロ組曲第3番よりジーグ

   ブラームスもチャイコフスキーも、欧米のコンサートでは、後半の重厚な交響曲と抱き合わせにプロぐラムされることが多いので、よく聞く機会があったのだが、イギリスに結構いながら、エルガーの「エニグマ」は、初めて聞いた。
   「エニグマ」は、30分強の短い変奏曲だが、フィナーレの第14変奏など、「威風堂々」の作曲者の面目躍如というところか、バックのオルガンも加わってフル・オーケストラが華麗なフル・サウンドで素晴らしい音楽を奏するのであるから、迫力満点、感動の極致である。
   しかし、「オルガンも入った編成はゴージャスに見えますが、オーケストラの楽器全てで演奏している場面は実はそれほど多くはありません。厳選された楽器の繊細な組み合わせがチャーミングに人物像を描きます。」と言っており、短くてコンパクトな変奏の移り変わりに、傑出したそれぞれのソロ楽器の演奏が素晴らしいサウンドを奏でていた。
   
   チェロのユリア・ハーゲンは、ハーゲン弦楽四重奏団のチェリスト・クレメンス・ハーゲンの娘であるから、資質音楽環境ともに恵まれており、ウィーンを皮切りに順調なキャリアーを重ねている。
   1995年生まれと言うから、匂うように若くてチャーミングなチェリストで、素晴らしいチャイコフスキーを聞かせてくれた。

   今日の梅田俊明指揮都響の演奏は、私には、オーソドックスと言うか、緩急自在、適度なメリハリを加えながら、癖のない正統派のタクト裁きで歌う雰囲気で、悠揚迫らぬ大らかなサウンドが心地よく、リラックスして楽しむことが出来たので、まさに、プロムナード・コンサートであった

   チェロと言えば、映画「昼下がりの情事」で、熟年のドンファン・ゲーリー・クーパーを振り回した小娘オードリー・ヘプバーンを真っ先に思い出すのだが、私がコンサートで聴いた女流チェリストは、ジャクリーヌ・デュ・プレ、オーフラ・ハーノイくらいである。
   他に聴いた名チェリストは、ピエール・フルニエ、ヨーヨー・マ、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ、岩崎洸、堤剛。
   欧米に長くいたので、一番沢山聴いているのは、指揮も含めて、ロストロポーヴィチで、奥方の名ソプラノ・ガリーナ・ヴィシネフスカヤのリサイタルでの伴奏ピアノ演奏まで聴いている。
   ドイツの地方都市のホテルのフロントでも出くわしたことがあるし、ソプラノのミレルラ・フレーニとエールフランスで隣り合わせになったり、・・・世の中は狭いものである。
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ビル・エモット著”「西洋」の終わり 世界の繁栄を取り戻すために”(3)

2017年09月22日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   日本経済については、一家言あるビル・エモットの久しぶりの日本経済論、第7章 日本という謎 で論じていて興味深い。
   冒頭、この日出づる国で、いったい何度、復活の燭光がほの見えては消えたことだろう?・・・マンサー・オルソンは、利益団体の堅固に守りを固めた力がいかに国を硬化症に陥らせるかについて分析しているが、90年代の日本の期待外れの硬直はそれでみごとに説明がつく。と言っており、
   更に、現在の日本経済の基本的な問題は、需要の低迷、所得の低下、新たな富と給料の高い仕事を大量に生む可能性のある起業と企業投資の不足だとし、
   安倍首相のアベノミクスについても、三本の矢を放って、日本を再興すると約束したが、これまでのところ、再興計画は公式にも非公式にも実際には導入されておらず、期待を裏切っている。としながら、
   日本の謎の中核は、債務、人口動態、期待外れではなく、硬直化だ。と論じている。

   Japan as No.1に上り詰めた日本経済は、重要な局面で、色々な問題を内包しながらも、円安による輸出好調と、それに続く低金利の成長ブームの所為で、厳しい決断を先送りした。
   そのころまでに、莫大な財力と政治力を蓄えていた古い利益団体ー--大規模な経済連合の経団連、農協、銀行、日本医師会、電通等の強大な広告代理店、労働組合と連合、大手メディアグループ―――は、障壁が取り除かれて競争が激しくなることを望まなかったし、あらたな競争相手、起業家、発送などいらない、従来のもので完全に機能しているとして、変更改革を拒否して抵抗した。
   しかし、それが機能しなくなった。あっという間にバブルがはじけ、急成長が止まり、インフレがデフレに変わり、世界チャンピオンがよろめき、歴史を作っていた国が過去の遺物になった。と言うのである。

   銀行は、不良債権を開示せず、多くのゾンビ企業を見殺しにできず、債務者や官僚等すべての当事者が、痛みを伴う調整に取り組まずに、事態の好転を見越して様子見に終始し、企業の給料削減に伴うコスト収縮と需要減の影響は、政府の大規模な公共支出によって緩和されたが、日本経済は、鳴かず飛ばずの状況が続いた。
   日本は、停滞、保守主義、硬直化のケース・スタディになったが、これは、経済だけではなく、政治にも当てはまる。と言う。
   また、他の領域でも、硬直化と保守主義が見られるとして、エモットは、メディア保守主義についてまで言及している。

   日本では、旧来の企業を脅かす所為もあって、新世代の新しい企業がスタートアップから拡大するのを阻む要素が、あまりにも多くて、岩盤規制もあって、成長発展を阻害しているが、このままでは、日本は、万策尽きてしまう。
   利益団体に対処して、経済全体に及ぶ本当の規制緩和を行い、移民を自由化し、カルテル化している数多くの分野に全面的な競争を持ち込み、雇用契約を統一し、大幅な権利の平等など労働環境をよくするために労働法規を改正すること、等々、エモットは、日本経済の保守主義の打破と開放性の拡大を、提言している。
   先日、当時の英国を再興するためには、サッチャーのドラスチックな英国改造と市場主義原理優先の自由主義経済政策が必要であったのではないかと書いたが、このエモットが説く改革の一部と言うかはしりを小泉内閣が実施したが、殆ど成功していないし、格差拡大を引き起こしたと反発を受けている。
   日本では、非常に難しい改革で、かっての歴史の様に、本当の改革は、明治維新や終戦復興など、大異変が起こらなければ、実施実現できないような気がする。

   余談だが、私は、常々、日本の古くからの大企業の殆どが、最早成長に取り残されたレッドオーシャン市場に向けた財やサービスの製造販売に固守して、新市場の開発、ブルーオーシャン市場への挑戦を試みようとせず、旧態依然としたビジネスを継続して、汲々としているのを不思議に思っている。
   これも、エモットが言う柔軟性の欠如、すなわち、硬直性と保守主義が、企業の経営にも根強く巣くっていると言うことであろうか。
   尤も、特定の企業が果敢にイノベーション、新機軸に挑戦しようとしても、それを取り巻く経営環境が硬直していてガチガチの保守主義に凝り固まっておれば、一人必死に足掻いても、身動きが取れないと言うことであろう。

   一番手っ取り早い日本改革の道は、欧米同様に、政治ではないかと思っている。
   勿論、その原動力は国民の選択、選挙なのだが、その可能性を示唆してくれるのは、民主党政権の誕生や小池知事と小池新党の圧倒的勝利で、地滑り的とは言わなくても、予想を上回った大きな変化が起こり得るということを示している。
   国際環境が風雲急を告げていると言う現今だが、数年前までは、殆ど俎上にも乗らなかった憲法改正問題が、今回の選挙の最大の争点となるようであり、その可能性さえ現実味を帯びてきていると言うことを考えても、何が起こるか分からなくなってきている。
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ビル・エモット著”「西洋」の終わり 世界の繁栄を取り戻すために”(2)

2017年09月21日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   この本のタイトルは、「THE FATE OF THE WEST」で、邦訳の「西洋の終わり」ではなく、「西洋の運命」と言うことで、ニュアンスが大分違う。
   
   西洋と西洋を中傷する人間の目から見れば、西洋は、士気低下、退廃、萎縮、人口動態の難題、分断、崩壊、機能不全と言った状態であろうが、しかし、そうなるとは限らないし、現在の西洋の運命でもない。
   何故なら、西洋と言う理念は、世界一の成功を収めた政治のやり方で、今も強力で、貴重で、より高度になって復活することが出来るからだ。
   と言うのが、ビル・エモットの論旨で、最後に、その復活への処方箋を提示している。

   何が最善で最も持続する政治・社会モデルであるかをめぐる長い歴史と思想の戦いでは、リベラリズムと民主主義は終わったとするフランシス・フクヤマの説は、今のところ正しく、それに匹敵するものは、一つも登場していない。
   経済発展の広がりから生まれた好結果は、25年以上も続いており、豊かで平等になった世界は、複雑さを増したが、その代償は払うに値する。
   しかし、欧州や日本は、終戦後、すぐさま、帝国になる野望を捨てたのだが、過去10年間の際立った特徴である、西洋諸国の内なる弱さのために、前時代のように、アイデンティティ、ナショナリズム、力強いリーダーシップを売り込む勢力の勃興を許し、その手のトップダウンの決定は、自分たちのためだと称して、開かれた社会を閉ざそうとしている。と言うのである。

   したがって、この過去10年間を困難な歳月にした、西洋の内なる弱さ、
政策の失敗、民主主義の自縄自縛に対処できるかどうかが、西洋の復活を左右する。
   ドアーを開放し、障害を除き、エネルギーを新しい発想が解き放たれるようにし、社会の他の部分の犠牲の上に、特権を保持し悪用してきた集団から取り上げたマーガレット・サッチャーの様なリーダーシップが必要で、トランプのようなポピュリストは、単純明快な解決策を提示して、大衆の今日の支持を得るのに長けているが、そうではなく、明日と長期の支持を受けて成功して持続するためには、幅広い国民の支持基盤を築く必要がある。
   ロシアや中国を意図しているのであろうか、イデオロギーとは無縁な残忍な独裁制は完全に滅びず、1989年以前も現在も生きる続けて、自由な世界に取って厄介な問題を引き起こしている。と言う。

   サッチャーが、理想的なリーダーであったかはともかく、あの時代でのサッチャーの登場は、イギリスの政治経済社会の成功発展のためには、必須であり、極論すれば、資本主義経済にとっても、必然の道ではなかったかと思っている。
   その後、弱肉強食の市場原理主義が猛威を振るい、金融イノベーションにドライブされた資本主義の暴走が、深刻な世界経済不況を惹起し、同時に、経済格差の拡大などに依って、エモットの説くように西洋を深刻な状態に追い込んでいる。
   サッチャーやレーガンなどが主導したレーガノミクスが悪の元凶の様に糾弾されているが、あの時点では、疲弊していた西洋経済の活性化のためには、市場に競争原理を吹き込んだ自由市場経済政策とサプライサイド経済学が必要だったのである。

   私がイギリスへ出張を続けて、かつ、在住した時期は、1970年代末から1980年代全般と90年代の前半だが、最初の頃には、世界の金融センターのシティは、ロンドンの清掃員のストライキで、街路に灰燼が巻き上がり、ごみが散乱し、悲惨な状態で、イギリスは、深刻なイギリス病の最中にあった。
   ヒースロー空港では、必ず、スーツケースが壊されて盗難に合うし、ホテルでも、荷物がズタズタ。
   仕事を出来るだけ多くの人間が分け合えるために、レンガ工は、レンガを僅かに積んだだけで帰って行くので、毎日こんな状態が続いて、一寸した程度の塀の修理に1年以上掛かると言う体たらくで、全国各地で労働組合の横暴が目に余り、これが、揺り篭から墓場までのイギリスの福祉国家社会の現状かと思って、暗澹たる思いをした。

   これが、私自身の初めてのイギリスでの経験であるから、イギリス経済社会の旧弊と現状を、サッチャーが叩き潰さなければ、イギリスは潰れていたのである。
   サッチャーの治世時に、イギリスで、つぶさに、政治経済社会の動きを実感してきたので、よく分かるのだが、サッチャーが政権を握ると、無茶や無理もあったであろうが、労働組合や利権者たちとの戦いが始まって、一気に経済活動が活発化して、シティはビックバンに突入し、イギリス経済の黄金期を迎えた。グレイターロンドン、すなわち、言わば、東京都をぶっ潰して区だけにするなど、とにかく、「鉄の女」であって、これらの荒療治でイギリスは蘇った。
   ベルリンの壁崩壊前後の頃である。

   その少し前、アメリカでの私のウォートン・スクールでの2年間は、丁度、石油危機とニクソンのウォーターゲイト事件で、アメリカ政治も経済も混乱していて、その後、深刻なスタグフレーションに突入して、アメリカ経済は長引く苦しい不況に呻吟していた。レーガン時代に入って、サッチャーの政治経済に呼応して、弱肉強食の自由市場経済のレーガノミクスが実施された。
   今でこそ、批判されて、ケインズ経済や厚生経済が脚光を浴びているが、あの当時の自由市場優先の自由主義経済は、決して仇花ではなかったのである。

   期せずして、横道にそれてしまったが、エモットは、この本で、現在の西洋の現状や問題点を浮き彫りにするために、前段として、アメリカ、イギリス、欧州、日本、スウェーデンやスイスなどの政治経済を克明に分析しており、民主主義は勿論、高齢化社会やICT革命社会、中ロの危険など多岐にわたって論述している。
   最後に、如何にして、西洋の運命THE FATE OF THE WESTを再活性化して正常な軌道に戻すためにはどうするのかを、「開放性と平等」の原理を軸に、八原則を掲げて、その対策を提言している。
   底流には、トランプ現象やルペンの擡頭、BREXITと言った今日の新しい潮流が、西洋社会が、必死に守り抜いてきた西洋社会の真の価値、民主主義社会と市民社会の公序良俗に挑戦しつつあると言う危機意識が濃厚に漂っていて、その情熱に感激する。
   
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観世能楽堂・・・異流狂言「蝸牛」、五流合同能「土蜘蛛」 

2017年09月19日 | 能・狂言
   今日の観世能楽堂の舞台は、特別公演で、次の通りであった。

   国家指定芸能「能楽」特別鑑賞会 日本能楽会東京公演
   平成29年9月19日(火) 開演 午後2時
   舞囃子  高砂      粟谷能夫
   仕 舞  実盛 キリ   大坪喜美雄
   一調一声 玉蔓      浅見真州  鵜澤洋太郎
   仕 舞  船弁慶 キリ  観世銕之丞
   舞囃子  松風      櫻間金記
   狂 言  蝸牛      山本東次郎 野村万作 野村萬斎
   五流合同能 土蜘蛛    金春安明 金剛永謹 宝生和英 観世喜正 観世清和
 
   ”松濤の慣れ親しんだ地に別れを告げ、2017年4月に、東京・銀座6丁目に松濤の檜舞台を移築し、新しくも、歴史を踏まえた新能楽堂が誕生いたしました。”と言うことで、4月から開場記念公演が行われていたが、チケットの取得が難しかった。
   結局、幸いにも、この公演チケットを取得できたので、初めて、新能楽堂で鑑賞する機会を得た。
   座席数480席ということで、場所の制約もあってか、脇正面スペースが狭くて、そのためもあって、橋掛かりが、かなり短い。
   総て真新しくて美しいが、舞台の床板だけは、松濤からの移設であり、能楽師たちが心を込めて磨き上げて張り替えたもので歴史が刻まれていて貫禄が凄い。
   正面席が多くて、音響効果や照明など設備は素晴らしく、国立能楽堂よりは、楽しめそうである。 

   能の場合はよく分からないが、よく通ったアムステルダムのコンセルトヘボウや、これによく似たウィーン学友協会ホールが音響効果が最高だと言われており、長方形のこの観世能楽堂は、その意味でも理想的な劇場なのかもしれないと思った。
   この公演情報を得たのが随分遅くて、kanze.netを叩いた時には、S席1席しか残っておらず、それが脇正面最後列(それでも4列目)橋掛かりよりだったのだが、能「土蜘蛛」であったので、臨場感豊かで幸いしたのである。
   
   
   

   能「土蜘蛛」や歌舞伎「土蜘」などについて、これまで書いてきたのだが、ストーリーは概略次の通り。
   臥せっている源頼光のもとへ、召使いの胡蝶が、薬を携えて参上するも、頼光の病は益々重くなる模様。胡蝶は退出する。夜も更けた頃、頼光の病室に見知らぬ法師が現れて、病状はどうか、と尋ねるので、頼光が不審に思って、法師に名を聞くと、「わが背子が来べき宵なりささがにの」と『古今集』の歌を口ずさみながら近寄るので、見ると蜘蛛の化け物であった。瞬間、千筋の糸を繰り出し、頼光を絡め捕ろうとしたので、頼光は、枕元にあった源家相伝の名刀、膝丸を抜き払い、斬りつけたので、傷を負って法師はたちまち姿を消す。騒ぎを聞きつけた頼光の侍臣独武者が、駆けつけて来たので、頼光は事の次第を語り、名刀膝丸を「蜘蛛切」に改めると告げ、斬りつけたが殺せなかった蜘蛛の化け物を成敗するよう独武者に命じる。独武者と家来たちが、土蜘蛛の血をたどって、化け物の巣とおぼしき古塚に辿り着く。塚を突き崩すと、その中から土蜘蛛の精が現れて、千筋の糸を投げて独武者たちに戦いを挑むが、多勢に無勢、ついに土蜘蛛は退治される。

   特筆すべきは、今回の公演は、
   冒頭、野村四郎師が、「五流交響能楽」と呼ぶべきだと言っていたが、初の五流宗家が、同じ曲、能「土蜘蛛」を舞うと言う前代未聞の舞台で、考えられないような歴史的な能舞台となった。
   土蜘の精 金春安明、僧 金剛永謹、小蝶 宝生和英、従者 観世喜正、頼光 観世清和、それに、独武者 福王和幸、独武者の家人 大藏彌右衛門
   囃子は、トップ奏者の協演、地謡は、喜多流、
   凄い布陣で、東京オリンピック・パラリンピックを迎えて「日本能楽会」、新観世能楽堂開場記念の、意欲がよく分かる。

   野村四郎師の話では、申し合わせが凄かったと言うことだが、五流合同の「土蜘蛛」であったので、演出には、相当、これまでとは違ったシーンがあったのであろう。
   私が記憶しているのは、ラストシーンだが、
   土蜘蛛の精の銕之丞師が、最後には、作り物の塚に向かって仁王立ちになり、左右に、パッと勢いよく糸を投げつけたかと思うと、見所をバックにして壮絶な仏倒しで、背中から倒れて大の字で留める豪快さを見せたのだが、今回の金春安明宗家は、作り物の塚の右手に立って独武者たちを睥睨し、進み出て戦って糸を投げ、攻められて正中へ下がって正座して頭を下げて首を討たれると言う穏やかな最後であった。

   豪快に、頼光や独武者たちに向かって、僧や土蜘蛛の精が糸を投げつけるシーンは、迫力があって面白いのだが、これも、金剛流や金春流の演出で差があったのであろうが、私には、よく分からなかった。
   今回、特に、清和宗家の頼光と僧の永謹宗家との対決が、迫力があって、流れるように美しかったのが、印象的であった。
   僧の投げた糸の威力は圧倒的で、舞台一杯にすっぽり覆うほどだったが、すり足で橋掛かりに向かう僧と頼光と独武者の足に上手く絡まれて、引きずられて消えて行く。
   歌舞伎では、黒衣が出てきて、一斉に糸を絡め捕って舞台を綺麗にするのだが、能では、最後まで、糸はそのままで、敗れた蜘蛛の巣のように残っているのが面白い。
   

   狂言「蝸牛(カタツムリ)」は、
   山伏 山本東次郎、太郎冠者 野村万作、主 野村萬斎
   二人の人間国宝と、狂言界のトップスター萬斎の協演であるから、正に、極め付きの舞台である。
   この狂言は、大蔵流の東次郎と、和泉流の万作・萬斎との異流狂言で、この曲は、大蔵流では古い台本になかったと言うから、和泉流主体なのであろうか。
 
   ストーリーは、
   出羽の羽黒山の山伏が、大和の葛城山で修行を終えての帰り道、竹やぶの中でひと寝入りしている。主の言いつけで、長寿の薬になるという蝸牛を探しにきた太郎冠者は、カタツムリを知らず、「竹薮には必ずいるものだ」、黒い頭をして腰に貝をつけ時には角を生やすと教えられただけだったので、黒い兜巾をいただいた山伏を見つけ、蝸牛かと聞くので、愚か者を嬲ってやろうと思った山伏は貝と角を見せたので、すっかりカタツムリだと信じて、連れ帰ろうとするが、山伏は、タダでは嫌だ囃子物で行こうと言う。太郎冠者が、「雨も風も吹かぬに、出ざかま打ち割ろう」と扇で左の掌を打って拍子を取りながら囃し、続いて、山伏が、「でんでんむししむし、でんでんむしむし」と囃しながら、舞台一杯に舞い続ける。そこに、帰りが遅い太郎冠者を心配してきた主が、太郎冠者を見つけて「あれは、カタツムリではなく、山伏で売僧だ!」と注意するのだが、太郎冠者が、聞かずに山伏につつかれて舞い続けるので、その調子につられて面白くなってきた主も、後について囃し舞い続ける。

   太郎冠者の実に他愛無い失敗談を、リズムに乗って愉快に囃しながら、名狂言師たちが、手足拍子を揃えて舞い続ける狂言に仕立てた実に楽しい舞台である。
   人間国宝の御両人は、80歳を超えているのだが、青壮年より、しなやかで若々しい芸に舌を巻く。萬斎の真剣そのものの演技が秀逸。

   冒頭、葛西聖司の司会で、野村四郎との対談「オリンピックに向けての能楽界」があって、文化芸術としての祭典でもある「文化オリンピアード」など、興味深い話が拝聴できた。
   その後の、舞囃子、仕舞、一調一声は、正に、能楽界を挙げたトップ奏者たちの舞台であった。
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国立能楽堂・・・能喜多流「小督」

2017年09月17日 | 能・狂言
   私は、大学時代に、平家物語を愛読して、百万遍の大学への通学の途次、好天に恵まれると、桂で電車を乗り換えて嵐山に向かって沈没して、嵯峨野を歩いていたので、この能「小督」の舞台は、よく知っている。
   祇王寺や滝口寺、竹林の美しい野宮、・・・勅撰和歌集の故地など、よく分からないなりに、とにかく、花鳥風月を愛でながら、歩いた。 
   時には、大覚寺から広沢池、仁和寺、竜安寺、金閣寺を抜けて、北野天満宮から、京都に出た。
   この温故知新行脚と言うか、歴史の跡を散策する楽しみを知ったことが、その後の、欧米歴史散歩に繋がったのであるから、幸せな人生であったと思っている。

   さて、このブログでも、能「小督」や京都:能の旅~小督:嵐山などで、この能について触れたことがあるが、やはり、私には、心して鑑賞している能であり、今回は、先日ブックレビューした粟谷明生師のシテ/仲国の舞台なので、非常に楽しみに観せて貰った。

   能「小督」は、次の通り。
   小督(ツレ/佐々木多門)は、高倉帝に深く寵愛されていたのだが、清盛の娘徳子が帝の中宮なので、密かに宮中を去り姿を隠した。高倉院は日夜嘆き苦しんでいたのだが、小督が嵯峨野にいると言う噂を聞いて、早速、臣下(ワキ/宝生欣哉)を、弾正大弼源仲国のもとへ遣わしてその探索を申し付ける。丁度八月十五夜で、小督はきっと琴を引くであろうと、一緒に管弦を奏した仲国なので、その音を便りに捜そうと言うと、院は喜んで寮の御馬を下付したので、仲国はそれに乗って嵯峨野へ急ぐ。
<中入>
仲国は名月の嵯峨野を馬を馳せて彷徨うが、片折戸をした家と言うだけの情報しかなく、捜しあぐねている。小督の家主の里の女(アイ/山本則孝)の願いで、小督が琴を奏し始める。仲国が、法輪寺のあたりで、かすかに琴の音が聞こえてきたので、耳をすますと「想夫恋」。その琴の音をたよりに、小督の隠れ家を尋ねあてるが、小督は戸を閉じて中へは入れない。侍女(ツレ/大島輝久)のとりなしで、小督に対面した仲国は、院の文を渡し返事を請う。小督は院の思召しに感極まって思いを述懐し、帰ろうとする仲国を引き留めて、なごりを惜しむ酒宴を催し、仲国は、月下に舞を舞い、小督に見送られて都に帰って行く。

   ところで、仲国が、微かに琴の音を聞いたのは、小督の隠れ家のある所から、大堰川の対岸の法輪寺。
   この法輪寺から対岸の小督の庵までは、かなりの距離はあるのだが、当時は、大堰川越しに見渡せて、殆ど人家などのない全くの田舎であり、風音や水音以外は聞こえない静寂そのものの世界であったであろうから、笛の名手仲国には、小督の爪弾きが聞こえたのであろう。
   しかし、「想夫恋」を聞き分けたのは、今の渡月橋を渡ったところにある「琴聴橋」。
   法輪寺の境内からの展望、渡月橋を渡る寸前、その「琴聴橋」を示すと次の通り。
   朱塗りの門の前の白い石の欄干が、橋の名残で、この琴聴橋から、ほんの100メートル川上に歩いて、右折れすると、目の前に、六角形の白い石囲いの小督塚があり、小督の隠れ家があったところと言う。
   
   
   
   

   「峰の嵐か松風か 尋ぬる人の琴の音か おぼつかなくはおもへども、駒をはやめて行程に、片折戸したる内に、・・・ 」
   平家物語のこの名調子に憧れて、嵐山や嵯峨野を歩き続けて来たようなもので、私自身は、あまり、小説は読まないが、「平家物語」や「源氏物語」を愛読しながら、その故地を訪ね歩いてきたのだが、
   これらをベースにした多くの能の名曲が存在していることを考えれば、如何にスケールの大きな文学作品であるかと言うことが、よく分かって、読むたびに感動している。

   シテ/源仲国を舞った粟谷明生師は、先にレビューした「能への思い」には、能「小督」に触れた個所はなかったが、直面での舞姿であったので、よりビビッドなストレートな舞台を鑑賞出来たので、本での叙述が蘇ってきて、よく分かって興味深かった。

    
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映画「ダンケルク」

2017年09月16日 | 映画
   第二次世界大戦のヨーロッパ戦線初戦の頃、ポーランド占領後破竹の勢いでフランスに攻め込んできたドイツ軍に、40万人の英仏兵士たちがベルギー国境に近いフランスのダンケルク港に追い詰められた。
   直近のカレーからイギリス対岸のドーバーまで34キロメートルの距離だが、波高く、風雲急を告げている。  
   この事態に危機感を抱いたイギリスのチャーチル首相は、ダンケルクに取り残された英国兵士3万5000人の救出命令を出すのだが、軍艦や軍船、ドーバー近隣の民間の漁船や遊覧船など可能な限りの船舶を総動員したダイナモ作戦が発動されて救出劇が展開されて35万人を救出する。
   凄い映画である

   救出にダンケルクにやってくる軍船に、長い隊列を組んだ兵士たちが、次々に乗船するのだが、敵機の爆撃によって、片っ端から襲撃を受け、運よく出帆しても敵機の奇襲で爆破されて、兵士たちは大海原に投げ出されて、必死に、生き抜こうと足掻く。
   ドイツ軍の猛攻にさらされる中、トミー(フィオン・ホワイトヘッド)ら若い兵士たちが、必死に生き延びようとする脱出劇を軸にして、民間船の船長ミスター・ドーソン(マーク・ライランス)が、船を徴用されて、兵士救出のために、息子らとダンケルクへ向かい、イギリス空軍パイロットのファリア(トム・ハーディ)が、ドイツ軍に制空権を殆ど握らている中を、名機スーパーマリン スピットファイア(Supermarine Spitfire)を必死に操縦して敵機を撃墜し、ダンケルクの波止場では、救出作戦を指揮するボルトン海軍中佐(ケネス・ブラナー)の雄姿を、
   3者の活動を並行描写しながら、陸海空それぞれ異なる時間軸の出来事を、一つの物語として紡ぎ出すスピーディで迫力満点の劇的な展開は爽快である。
   

   英国人としてのクリストファー・ノーラン監督であるから、英国人魂の燃えるような発露は、随所に描かれていて、船長ミスター・ドーソンのマーク・ライランス、イギリス空軍パイロットのファリアのトム・ハーディ、ボルトン海軍中佐のケネス・ブラナーの演技に、典型的に表現されている。
   ノーランは、「バットマン」の監督とかで、見るのは初めてだが、IMAXの素晴らしい映画の特質を最大限に発揮した所為もあろうが、とにかく、描写と劇的シーン展開の魅力迫力は圧倒的で、エグゼクティブ・シートでの鑑賞であったので、釘づけであった。

   私は、ケネス・ブラナーが好きで、30年くらいも前になるが、当時も、英国では最高峰のシェイクスピア役者であったのだが、ロンドンでのRSC公演のハムレットのタイトルロールを観て聴いて、いたく感激したのを思い出す。
   今回の映画でも、最高の感激シーンだが、英国のドーバーからの民間の救出作戦に応じた船舶がダンケルクに列をなして近づいてくるのを双眼鏡で見て、自分の指令が功を奏したのに感激して「故郷だ(home)」とつぶやく。
   そして、英国兵士をすべて送り出した後で、ウィナント陸軍大佐に乗船を促された時に、まだ、フランス人が残っている、と言って、波止場の突端で一人だけ残って僚友を見送る。
   いずれも、素晴らしく感動的なシーンで、成熟して益々貫禄と重厚さが増したブラナーの凄さを感じて嬉しかった。
   

   この「home!」と言うセリフだが、制止も聞かずに船倉にいた兵士が外が見たいと言って甲板に上ってきて、ドーバーの真っ白な断崖絶壁を見て、感極まって「home!」と叫ぶのだが、イギリス人にとっては、homeと言う言葉は、特別に重要な意味を持つ言葉なのであろう。
   このドーバーの崖っぷちの横穴に戦時中英軍の前線本部があって、その跡を見に行ったのだが、この崖っぷちシーンを見て、あの白い絶壁を思い出して、無性に懐かしくなってしまった。
      

   ノーラン作品常連だと言う胸のすくような敵機撃墜のトム・ハーディの雄姿、僚友が消えて行くも、燃料が尽きるまで、敵機を追い詰めて撃墜し、砂浜に不時着して燃え盛るラスト。
   「ブリッジ・オブ・スパイ」でアカデミー助演男優賞を受賞したマーク・ライランスの老船長として気骨のある偉丈夫、救った兵士にダメッジを与えられ強硬に拒否されるも、自分たちの世代が戦争に追い込んで若者を窮地に立たせていると言う自責の念を吐露して、敢然として、ダンケルクに舵を取り続ける。

   さて、ダンケルクは、私の世界史上の記憶はあいまいなのだが、どうしても、ノルマンディ上陸の戦場跡を観たくて、シェルブールからサンマロを経て、パリへ帰る途中に、海岸線に近い道路を走って、近寄ってみた。
   途中だったので、よく分からずに通過してしまったのだが、しかし、ワーテルローもそうだし、ゲティスバーグもそうだが、意識して古戦場を見て来たが、戦争と言うものは、悲しいものだと思う。
   モスクワを見てナポレオンが、ザンクトペテルブルグ(レニングラード)を見てヒトラーが、ここまで攻めて来たのかと思って戦慄を覚えたのも、記憶に新しい。

   今回、この映画を見ていて、如何に、ドイツの初期の電撃作戦が凄かったか、そして、フランスは、ナポレオンの国とは思えない程戦争には向かない弱い国だったか、ということが何となく分かった。
   それに、イギリスは、本当にドイツが破竹の勢いで進撃してきて、本土決戦になると考えていて、軍用機などを、そのために温存していたと言うことも。
   兵器が超近代化した今日と違って、あの当時は、制空権を抑えることが如何に重要だったか。
   しかし、このダンケルクは、戦争映画と言うのではなく、若者を主人公として、一生懸命に生き残ろう、生を全うしようと言う人間の命への希いを、鮮烈にアピールした映画であって、その意味では、暗さも抹香臭さも少なくて、非常に、説得力のある感動的な映画であったと思う。

(追記)掲載写真は、ウィキペディアと映画記事から借用。
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ユヴァル・ノア・ハラリ著「サピエンス全史」(5)神になったサピエンス?

2017年09月15日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   サピエンスの歴史来歴を克明に描写してきたハラリが、最終章で、人類の未来について、深刻な問題提起をした。
   7万年前、ホモ・サピエンスは、まだ、アフリカの片隅で生きて行くのに精一杯の、取るに足らない動物だった。ところが、その後の年月に、地球全体の主となり、生態系を脅かすに至った。今日、ホモ・サピエンスは、神になる寸前で、永遠の若さばかりか、創造と破壊の神聖な納涼区さえも手に入れかけている。
   これまで、波乱万丈ではあっても、ある意味では、どこか牧歌的な感じさえする実録としてのサピエンスの歴史を語り続けていたハラリが、一気に、新しいステージに躍り出た我々人類の行く末に、「私たちは何を望みたいのか?」を問いかけたのである。

   過去40億年近くにわたって、地球上の生物は一つ残らず、自然選択の影響下で進化してきたし、サピエンスは、どれだけ努力しても、生物学的に定められた限界を突破できないと言うのが暗黙の了解であった。
   しかし、21世紀の幕が開いた今、これは最早真実ではなくなった。
   ホモ・サピエンスは、自然選択の法則を打ち破り始めており、知的設計の法則をその後釜に据えようとしている。と言う。

   世界中の生物学者は、インテリジェント・デザイン運動との戦いを展開しており、知的設計は、次の三つ、生物工学、サイボーグ工学、非有機的生命工学、のどの形でも、自然選択に取って代わり得る。と言うのである。

   生物工学については、冒頭で、牛の軟骨細胞から作った「耳」を背中に生やしたマウスを紹介して、近年、細胞や核のレベルまで、生物の仕組みの理解が深まっており、性転換など、かっては想像も出来なかった可能性が開かれて、科学者が自然に取って代わって神の役割を強奪するのに、倫理、政治、」イデオロギー上の問題が多数発生している。
   ネアンデルタール人ゲノム計画が完了したので、復元したDNAを人間の卵子に移植してネアンデルタール人の子供を誕生させられるとか、神の製図版にまでさかのぼって、もっと、優れたサピエンスを設計すればよいとさえも、言われている。

   第二次認知革命を引き起こして、完全に新しい種類の意識を生み出して、サピエンスを全く違ったものに変容させることになるかも知れないのだが、倫理的な異議や政治的な異議で、人間についての研究が遅れている。
   しかし、科学的に次のステップに進むことは可能であり、人間の寿命を際限なく伸ばすとか、不治の病に打ち勝つとか、認知的な能力や情緒的な能力を向上させたりする可能性がかかっている場合には、あまり、長く妨げることはできないであろうが、健康な人の記憶力を劇的に高める余力まで伴うアルツハイマー病の治療法が開発された場合、健康人が超人的な記憶力を獲得するのを防ぐことが出来る執行機関など生み出せるのであろうか。

   更に、バイオニック生命体とのなれば、脳とコンピューターを直接結ぶ双方向のインターフェースを発明する試みが進行していると言うのだが、「インター・ブレイン・ネット」を生み出したら、どうなるのか。
   また、ヒューマン・ブレイン・プロジェクトでは、コンピューター内の電子回路に脳の神経ネットワークを模倣させることで、コンピューターの中に完全な人間の再現を目指していると言う。
   碁や将棋、チェスで、コンピューターがトッププロに勝つと言うのも、コンピューターが東大入試に受かりそうだと言うのも、私には脅威だが、サピエンスを越えたものが、この世に生まれ出るなど、絶対あってはならないと言う石頭状態なので、今のままで、この世からサラバしたいと思っている。

   いずれにしろ、ハラリの予言の如何に拘わらず、人類は、科学の力によって神の領域を犯すまでの力をつけて来たことは事実で、嫌でもオウでも、神となった、あるいは、リバイヤサンになった人類を、できる能力のある間に、コントロールし、ダイレクトしなけばならない。
   さあ、どうするか、AI,IOT,日進月歩に進化するコンピューターに雁字搦めに組み込まれたサピエンスの将来は?
   壮大な人類の歴史序説だと思って楽しみながら読んでいたハラリの本が、一気に豹変した感じで、驚きもあり感動さえしているのが不思議である。
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わが庭・・・彼岸花が咲いている

2017年09月14日 | わが庭の歳時記
   9月に入って、少し秋の気配がしてきた。
   関東は、秋が短くて、一気に冬になるような感じがして、ゆっくりと秋の気配を楽しみながら寒さを迎える京都や奈良の秋が、懐かしくなり始める頃でもある。
   尤も、湿度が高くて蒸し風呂の様に熱い大阪の夏を思えば、東京の夏の過ごし易さを勘定に入れれば、まあまあと言うところであろうか。

   わが庭にも、ヒガンバナが綺麗に咲いている。
   この花は、どんなに異常気象であっても、律儀に、秋分の日に咲く凄い花である。
   関西にいた頃には、ほとけさんの花と言うので、抹香臭い感じがして好きにはなれなかったが、この頃では、地面から一気に茎をのばして線香花火のような花を咲かせて、花が枯れてから葉が出て翌年の球根を育てると言う潔さが気に入って、季節の花として咲き始めると、本当の秋を感じている。
   
   
   

   秋の気配と言えば、柿。
   富有柿の実が、少し、色づき始めた感じである。
   今年は、少し、実成が良さそうなので、カラスにやられないように気を付けて、楽しもうと思っている。
   錦繡の柿の葉が何枚か、綺麗に秋色に変わり始めた。
   先に咲き始めた椿の荒獅子が、咲いている。
   千葉から持ってきた、椿ナイトライダーの鉢の根元に残っていた小苗のムラサキシキブが成長して、やっと、少しだが、実を着け始めた。
   
   
   
   

   今年植えたムクゲが、何輪か花をつけ始めた。
   下草には、ハナトラノオ、ツルボが、ひっそりと咲いている。
   ツルボは、ヒガンバナと同じ球根植物で、地面からすっくと茎をのばして、丁度、秋のムスカリと言った感じで花を咲かせる。
   
   
   
   
   

   私は、特に秋の草花を意識して植えないので、一寸、わが庭は寂しいのだが、それでも、秋の気配が漂っていて、季節の変わり目を感じる今日この頃である。
   
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ビル・エモット著”「西洋」の終わり 世界の繁栄を取り戻すために”(1)

2017年09月12日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   久しぶりのビル・エモットの本で、特に、斬新な見解を示しているわけではないのだが、現在の世界情勢なり、政治経済の情勢を把握するためには、恰好の情報を提供してくれる。
 
   総合レビューする前に、一つ、エモットの論評で興味を感じたのは、第4章「アメリカを正道に戻す」で、市場集中と競争の鈍化には因果関係があるとして、ゲイリー・ハメルとミケレ・ザニーニのハーバードビジネスレビューHBRの記事を引いて、「官僚機構のような大組織で働く人々が、これまで以上に増えている。」と指摘していることである。
   すなわち、二人の数字では、管理職の増加の方が一般の増加よりもはるかに高く、知的労働のオートメーション化で、管理職の雇用が数百万人分失われると言う予想を覆している。と言うのである。
   これまで、私自身も、ICT革命によって、弁護士や会計士などの高度な知見を要するプロフェッショナルを筆頭として、管理職の業務の多くが、コンピューターやロボットに代替されて、高度な経営技術を必要とする管理職などが、淘汰空洞化されて減少すると考えていた。しかし、その科学技術や経営イノベーションの進展とは逆行する経営の官僚制度が、その傾向を破壊して、自己増殖して、利権を保持追求して、経済社会の発展を妨げようとしている。と言う指摘で驚いている。

   このHBRの記事は、2016年9月の「官僚主義はなくなるどころか、かつてなく強化されている」のようで、
   経営革新を研究・支援するゲイリー・ハメルとミケレ・ザニーニによれば、米国では「管理職の増加」に官僚主義の増大を見て取れるという。一貫して続くこの現象は、組織と経済にとって「ガン」である、と筆者らは警告している。と言うのである。

   更に、次のように指摘している。
   1988年、ピーター・ドラッカーはHBRへの論文「情報が組織を変える」の中で、「今後20年のうちに、一般的な組織では管理階層の数は半分に減り、マネジャーの数は3分の1に縮小するだろう」と予測したが、実際はそうならずに、従来のマネジメントに代わる数々の手段、たとえばギグエコノミー(単発、短期、自営型の仕事が生む経済圏)、シェアエコノミー、ホラクラシー、リーン等々への大きな注目をよそに、官僚主義は縮小どころか増大している。
    1983年から2014年の間に、米国の労働人口に占めるマネジャー、監督者、管理・間接業務者の数は90%増大した。一方、他の職種における雇用者数の伸びは40%未満であった。同様の傾向は他のOECD諸国でも見られ、英国では、マネジャーと監督者の割合は、2001年の12.9%から2015年には16%に増えている。

   管理階層の削減、本部スタッフの削減、面倒なプロセスの簡素化などの経営改革どころか、経営環境の激動による、グローバル化、デジタル化、社会的責任、ダイバーシティ、リスク緩和、持続可能性へのコンプライアンス要件等々を隠れ蓑にして、新たな経営幹部職(チーフオフィサー)が次々に生みだされて、最高アナリティクス責任者、最高コラボレーション責任者、最高顧客責任者、最高デジタル責任者、最高倫理責任者、最高学習責任者、最高サステナビリティ責任者…いまや、最高幸福責任者・・・その増殖は止まるところを知らず、それに付随する組織も拡大の一途を辿っている。

   エモットは、近年、数多くの産業が、吸収合併や買収で大きくなる一方の大企業に独占されて、アメリカ経済が、競争の勢いが弱まり、活動的でなくなりつつあるのを問題にしている。
   規模の拡大と集中化によって値上げが可能になり収益性が高まったとしても、大企業化による官僚機構の複雑化によって効率が大幅に悪化する。つまり、市場独占によって過大な利益を得ることが、非生産的な重荷を背負う切っ掛けになる。
   これが、管理職増殖を誘発しているのだろうが、 
   金融業界に、最も明白なこの証拠が観られるとして、金融監督機関の規制は手ぬるく、巨大企業が創出され、競争が消滅する間、議会や反トラスト機関が観て見ぬふりをしていたことが、こういう現象を齎したのだと、エモットは、この本で、徹頭徹尾、銀行、金融機関を悪の権化の様に糾弾している。

  エモットは、”ウォール街を占拠せよ(Occupy Wall Street)” ”We are the 99%.”運動を、現代社会の最大の病根への挑戦と捉えており、その仇花としてのBREXIT現象やトランプやル・ペンの擡頭を憂えており、警世の書であるのだが、まず、私には、現在の強権政治や孤立主義や資本主義の暴走が、ICT革命による経営の革新までをも、スキューさせようとしていることに、驚きを感じたので、取り上げることにした。
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ユヴァル・ノア・ハラリ著「サピエンス全史」(4)共産主義は宗教なのか

2017年09月11日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   「サピエンス全史」の下巻は、人類の統一の後半から、「科学革命」、そして、とうとう、神になった(?)サピエンスへの警鐘へと辿る後半で、極めて、身近な歴史なので興味深い。
   結論に行く前に、ハラリの宗教説について、面白いと思ったので、考えてみたい。  
   ハラリは、宗教的ではない東ヨーロッパ系のユダヤ人家庭で育ったと言うことだが、ユダヤ人としては、他宗に対して、非常に客観的と言うか一歩距離を置いて、宗教を語っており、偏見なく歴史を論じている感じを受けた。

   ソ連の共産主義も、ナチズムも、キリスト教などと、何ら変わらない宗教だったと意表を突くようなことを言う。

   イスラム教は、世界を支配している超人間的な秩序を、万能の創造主である神の命令とみなすのに対して、共産主義者は、神の存在を信じていなかったのだが、同じ宗教の仏教も、神々を軽視している。
   仏教徒と同様、共産主義者も、人間の行動を導くべきものとして、自然の普遍の法則と言う超人間的秩序を信じている。
   仏教徒は、その自然の法則が、釈迦によって発見されたと信じているのに対して、共産主義はその法則が、マルクスやエンゲルスやレーニンによって発見されたと信じている。
   共産主義にも、マルクスの「資本論」のような経典があり、革命記念日などの祝祭日があり、どの部隊にも従軍牧師がおり、共産主義にも、殉教者や聖戦、トロッキズムの様な異端説もある。
   ソ連の共産主義は、狂信的で宣教を行なう宗教だ。と言うのである。

   ハラリは、キリスト教やイスラム教やユダヤ教は、神あるいはそれ以外の超自然的存在に対する信仰に焦点を当てた宗教だが、仏教やジャイナ教や道教、ストア主義やキニク主義、エピクロス主義は、神への無関心を特徴とする全く新しい種類の宗教で、世界を支配している超人的秩序は神の意志や気まぐれではなく自然法則の産物であると区別している。
   信念を、神を中心とする宗教と、自然法則に基づくと言う神不在のイデオロギーに区分することが出来るが、そうすると、一貫性を保つためには、仏教や道教、ストア主義などいくつかの宗派は、宗教ではなくイデオロギーに「分類差ざるを得ない。と言うのである。

   その前に、ハラリは、
   近代には、自由主義や共産主義、資本主義、ナチズムと言った、自然法則の新宗教が多数台頭してきた。これらの主義は宗教と呼ばれることを好まず、自らをイデオロギーと称する。だが、これは言葉の綾に過ぎない。もし、宗教が、超人間的な秩序の信奉に基づく人間の規範や価値観の体系であるとすれば、ソ連の共産主義も、イスラム教と比べて、何ら遜色のない宗教だ。と言っている。
   ハラリは、交易と帝国と普遍的宗教のお陰で、すべての大陸の事実上すべてのサピエンスが、今日我々が暮らすグローバルな世界に到達したとして、その原動力であった宗教を論じているのだが、宗教とは、超人間的な秩序の信奉に基づく人間の規範や価値観の体系だと言う。

   そのような括り方をすれば、宗教とイデオロギーの境界が曖昧になるのみならず、我々が考えているキリスト教やイスラム教や仏教と言った高等宗教の意味合いが、一気に変わってきて混乱を来すのだが、この点は、私には埒外の議論なので、定義の差だと思っている。
   しかし、ハラリの問題意識は、宗教論議よりも、もっと本質的な問題、今日主流となっている自由主義の人間至上主義の信条と、生命科学の最新の成果との間に、巨大な溝が口を開けつつあり、無視し得なくなってしまったと言うことである。
   自由主義的な政治制度や司法制度は、誰もが不可分で変えることが出来ない神聖な内なる性質を持っているという信念に基づいており、その性質が世界に意味を与え、あらゆる倫理的権威や政治的権威の源泉になっていた、各個人の中に自由で永遠の魂が宿っていると言う伝統的なキリスト教の信念の生まれ変わり、過去200年間に、生命科学は、この信念を、徹底的に切り崩してしまった。と言うのである。

   生命科学と法科学や政治科学とを隔てる壁を、我々人類は、どれほど維持することが出来るのか、
   今や、科学を駆使して、神になりつつあるサピエンスの将来はどうなるのか、
   ハラリは、深刻な問題提起を、最終章で展開していて非常に興味深い。
   
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