日経の「私の履歴書」と最近のエッセーや観劇記を纏めた本で、何時もながら、非常に易しくて分かり易い文章なので、楽しみながら、小田島雄志節を楽しめる本である。
私の履歴書の連載は、昨年だったので、大体記憶にあるのだが、このような自伝は、やはり、一気に読んだ方が面白い。
私は、シェイクスピアには興味があったので、これまで、結構、小田島先生の本は読んでいる。
中でも、一番お世話になったのは、白水社から出ているUブックス・シェイクスピア全集だが、最初に読んだのは、ヘンリー四世で、イギリスに居た時に、このシリーズ本を読んで、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーやロイヤル・ナショナル・シアターに通って居たので、殆どの本を持っている筈である。
事前に、公演予定などが分かるので、日本に帰る毎に、三省堂に行って買っていたのだが、それでは埒が明かないので、結局纏め買いしてロンドンに帰っていた。
その後、蜷川シェイクスピアは、少しずつ、松岡 和子教授の新訳に変わって行ったが、併読しながらも、やはり、お世話になり続けたのは、小田島先生の本であった。
日本では、シェイクスピア劇以外にも、劇場で、良く小田島先生の姿を見かけたことがあるのだが、とにかく、工夫を凝らして訳されていたダジャレが面白かった。
50歳を目前にしてシェイクスピア劇全訳を果たし、それを追いかけるように出口典雄が主宰するシェイクスピア・シアターが全37編を上演した経緯などが、履歴書に書かれているが、最初は、ライフワークとして決めた全訳話を出版社に持ち込んだが、いずれも乗って来なかったという。
「ハムレット」を観た劇作家・八木柊一郎の薦めによって、白水社が乗って、全訳話が進んだと言うことである。
1970年代の話のようだが、その頃は、私は、アメリカ留学とブラジル駐在で外国にいたので、知らなかったのだが、出版が進んでいたので、知っていれば、もう少し早くシェイクスピアに興味を持っていたかも知れない。
いずれにしろ、ロンドンで、シェイクスピア劇を楽しんでいた時には、小田島先生の全訳があったので、ずいぶん助かったと思っている。
英語が多少理解できたとしても、シェイクスピア劇は古語であるし、それに、相当年期を積まないと、簡単に楽しみながら鑑賞できるなどと言った次元の話ではないのである。
それに、私が、フィラデルフィアで勉強していた時に、一度だけ、大学内のアンネンバーグ劇場で、シェイクスピア劇を観た記憶があるのだが、あの時、多少でもシェイクスピアに興味があったら、学内どの課目の授業でも聴講自由であったので、シェイクスピア学の片鱗でも勉強できたのにと、残念に思っている。
この小田島先生の履歴書で、一番興味深かったのは、プロポーズのところで、奥さんになった平林若子さんとの出会いとその経緯で、実にほのぼのと、そして、ほんわかとした滋味ある小田島先生の人間味が滲み出ていて面白い。
ご家族のご紹介も、非常に身近で等身大、非常に家庭的な先生なのだろうと思う。
この本の第三部は、劇場の観客としておもしろかった舞台だけとりあげ、劇評家の上からの目線ではなくミーハー的感覚で楽しんだことを証明するために、駄じゃれ落ちを付け加えたと言うことで、色々なジャンルの舞台の感想が記されていて興味深い。
毎月30本以上を見て来たと仰るので、大変なものだが、歌舞伎は見ておられるようだが、私の鑑賞ジャンルの文楽、そして、能・狂言、落語などと言った分野は、あまり関心がないのであろうか。
それに、シェイクスピアにしろ小説にしろ、戯曲や芝居などと同じテーマを題材にして創作されているオペラも、ある意味では、同じ舞台芸術だと思うので、もう少し小田島先生のオペラ観劇評を聞いてみたい気がしている。
最近、私は、歌舞伎、文楽、能、狂言、落語、講談など、違った芸能ジャンルながら、同じテーマを扱いながら、その表現や芸術性のバリエーションが面白くて、その変奏と展開に関心を持って観ている。
同じシェイクスピアでも、例えば、RSCの舞台とロイヤル・オペラのヴェルディを観れば、そのパーフォーマンスの違いで、新しいシェイクスピア像の発見があって、もっと興味深くなるのである。
同じことは、映画やバレーやミュージカルや音楽や、あらゆる舞台やパーフォーマンス・アートについても言えるのかも知れないが、幅を広げれば、奥深さに欠け、また、その逆でもあり、やはり、難しいことなのかも知れないとも思ってはいる。
小田島先生の本は、難しいことでも、高級なことでも、大変易しく分かり易く書かれており、エスプリとユーモアのセンスに満ちているので、どれも大変面白くて、色々と勉強させて貰っている。
私の履歴書の連載は、昨年だったので、大体記憶にあるのだが、このような自伝は、やはり、一気に読んだ方が面白い。
私は、シェイクスピアには興味があったので、これまで、結構、小田島先生の本は読んでいる。
中でも、一番お世話になったのは、白水社から出ているUブックス・シェイクスピア全集だが、最初に読んだのは、ヘンリー四世で、イギリスに居た時に、このシリーズ本を読んで、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーやロイヤル・ナショナル・シアターに通って居たので、殆どの本を持っている筈である。
事前に、公演予定などが分かるので、日本に帰る毎に、三省堂に行って買っていたのだが、それでは埒が明かないので、結局纏め買いしてロンドンに帰っていた。
その後、蜷川シェイクスピアは、少しずつ、松岡 和子教授の新訳に変わって行ったが、併読しながらも、やはり、お世話になり続けたのは、小田島先生の本であった。
日本では、シェイクスピア劇以外にも、劇場で、良く小田島先生の姿を見かけたことがあるのだが、とにかく、工夫を凝らして訳されていたダジャレが面白かった。
50歳を目前にしてシェイクスピア劇全訳を果たし、それを追いかけるように出口典雄が主宰するシェイクスピア・シアターが全37編を上演した経緯などが、履歴書に書かれているが、最初は、ライフワークとして決めた全訳話を出版社に持ち込んだが、いずれも乗って来なかったという。
「ハムレット」を観た劇作家・八木柊一郎の薦めによって、白水社が乗って、全訳話が進んだと言うことである。
1970年代の話のようだが、その頃は、私は、アメリカ留学とブラジル駐在で外国にいたので、知らなかったのだが、出版が進んでいたので、知っていれば、もう少し早くシェイクスピアに興味を持っていたかも知れない。
いずれにしろ、ロンドンで、シェイクスピア劇を楽しんでいた時には、小田島先生の全訳があったので、ずいぶん助かったと思っている。
英語が多少理解できたとしても、シェイクスピア劇は古語であるし、それに、相当年期を積まないと、簡単に楽しみながら鑑賞できるなどと言った次元の話ではないのである。
それに、私が、フィラデルフィアで勉強していた時に、一度だけ、大学内のアンネンバーグ劇場で、シェイクスピア劇を観た記憶があるのだが、あの時、多少でもシェイクスピアに興味があったら、学内どの課目の授業でも聴講自由であったので、シェイクスピア学の片鱗でも勉強できたのにと、残念に思っている。
この小田島先生の履歴書で、一番興味深かったのは、プロポーズのところで、奥さんになった平林若子さんとの出会いとその経緯で、実にほのぼのと、そして、ほんわかとした滋味ある小田島先生の人間味が滲み出ていて面白い。
ご家族のご紹介も、非常に身近で等身大、非常に家庭的な先生なのだろうと思う。
この本の第三部は、劇場の観客としておもしろかった舞台だけとりあげ、劇評家の上からの目線ではなくミーハー的感覚で楽しんだことを証明するために、駄じゃれ落ちを付け加えたと言うことで、色々なジャンルの舞台の感想が記されていて興味深い。
毎月30本以上を見て来たと仰るので、大変なものだが、歌舞伎は見ておられるようだが、私の鑑賞ジャンルの文楽、そして、能・狂言、落語などと言った分野は、あまり関心がないのであろうか。
それに、シェイクスピアにしろ小説にしろ、戯曲や芝居などと同じテーマを題材にして創作されているオペラも、ある意味では、同じ舞台芸術だと思うので、もう少し小田島先生のオペラ観劇評を聞いてみたい気がしている。
最近、私は、歌舞伎、文楽、能、狂言、落語、講談など、違った芸能ジャンルながら、同じテーマを扱いながら、その表現や芸術性のバリエーションが面白くて、その変奏と展開に関心を持って観ている。
同じシェイクスピアでも、例えば、RSCの舞台とロイヤル・オペラのヴェルディを観れば、そのパーフォーマンスの違いで、新しいシェイクスピア像の発見があって、もっと興味深くなるのである。
同じことは、映画やバレーやミュージカルや音楽や、あらゆる舞台やパーフォーマンス・アートについても言えるのかも知れないが、幅を広げれば、奥深さに欠け、また、その逆でもあり、やはり、難しいことなのかも知れないとも思ってはいる。
小田島先生の本は、難しいことでも、高級なことでも、大変易しく分かり易く書かれており、エスプリとユーモアのセンスに満ちているので、どれも大変面白くて、色々と勉強させて貰っている。