熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

小田島雄志著「ぼくは人生の観客です」

2012年08月31日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   日経の「私の履歴書」と最近のエッセーや観劇記を纏めた本で、何時もながら、非常に易しくて分かり易い文章なので、楽しみながら、小田島雄志節を楽しめる本である。
   私の履歴書の連載は、昨年だったので、大体記憶にあるのだが、このような自伝は、やはり、一気に読んだ方が面白い。

   私は、シェイクスピアには興味があったので、これまで、結構、小田島先生の本は読んでいる。
   中でも、一番お世話になったのは、白水社から出ているUブックス・シェイクスピア全集だが、最初に読んだのは、ヘンリー四世で、イギリスに居た時に、このシリーズ本を読んで、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーやロイヤル・ナショナル・シアターに通って居たので、殆どの本を持っている筈である。
   事前に、公演予定などが分かるので、日本に帰る毎に、三省堂に行って買っていたのだが、それでは埒が明かないので、結局纏め買いしてロンドンに帰っていた。
   その後、蜷川シェイクスピアは、少しずつ、松岡 和子教授の新訳に変わって行ったが、併読しながらも、やはり、お世話になり続けたのは、小田島先生の本であった。
   日本では、シェイクスピア劇以外にも、劇場で、良く小田島先生の姿を見かけたことがあるのだが、とにかく、工夫を凝らして訳されていたダジャレが面白かった。

   50歳を目前にしてシェイクスピア劇全訳を果たし、それを追いかけるように出口典雄が主宰するシェイクスピア・シアターが全37編を上演した経緯などが、履歴書に書かれているが、最初は、ライフワークとして決めた全訳話を出版社に持ち込んだが、いずれも乗って来なかったという。
   「ハムレット」を観た劇作家・八木柊一郎の薦めによって、白水社が乗って、全訳話が進んだと言うことである。
   1970年代の話のようだが、その頃は、私は、アメリカ留学とブラジル駐在で外国にいたので、知らなかったのだが、出版が進んでいたので、知っていれば、もう少し早くシェイクスピアに興味を持っていたかも知れない。
   いずれにしろ、ロンドンで、シェイクスピア劇を楽しんでいた時には、小田島先生の全訳があったので、ずいぶん助かったと思っている。
   英語が多少理解できたとしても、シェイクスピア劇は古語であるし、それに、相当年期を積まないと、簡単に楽しみながら鑑賞できるなどと言った次元の話ではないのである。

   それに、私が、フィラデルフィアで勉強していた時に、一度だけ、大学内のアンネンバーグ劇場で、シェイクスピア劇を観た記憶があるのだが、あの時、多少でもシェイクスピアに興味があったら、学内どの課目の授業でも聴講自由であったので、シェイクスピア学の片鱗でも勉強できたのにと、残念に思っている。

   この小田島先生の履歴書で、一番興味深かったのは、プロポーズのところで、奥さんになった平林若子さんとの出会いとその経緯で、実にほのぼのと、そして、ほんわかとした滋味ある小田島先生の人間味が滲み出ていて面白い。
   ご家族のご紹介も、非常に身近で等身大、非常に家庭的な先生なのだろうと思う。

   この本の第三部は、劇場の観客としておもしろかった舞台だけとりあげ、劇評家の上からの目線ではなくミーハー的感覚で楽しんだことを証明するために、駄じゃれ落ちを付け加えたと言うことで、色々なジャンルの舞台の感想が記されていて興味深い。
   毎月30本以上を見て来たと仰るので、大変なものだが、歌舞伎は見ておられるようだが、私の鑑賞ジャンルの文楽、そして、能・狂言、落語などと言った分野は、あまり関心がないのであろうか。
   それに、シェイクスピアにしろ小説にしろ、戯曲や芝居などと同じテーマを題材にして創作されているオペラも、ある意味では、同じ舞台芸術だと思うので、もう少し小田島先生のオペラ観劇評を聞いてみたい気がしている。

   最近、私は、歌舞伎、文楽、能、狂言、落語、講談など、違った芸能ジャンルながら、同じテーマを扱いながら、その表現や芸術性のバリエーションが面白くて、その変奏と展開に関心を持って観ている。
   同じシェイクスピアでも、例えば、RSCの舞台とロイヤル・オペラのヴェルディを観れば、そのパーフォーマンスの違いで、新しいシェイクスピア像の発見があって、もっと興味深くなるのである。
   同じことは、映画やバレーやミュージカルや音楽や、あらゆる舞台やパーフォーマンス・アートについても言えるのかも知れないが、幅を広げれば、奥深さに欠け、また、その逆でもあり、やはり、難しいことなのかも知れないとも思ってはいる。

   
   小田島先生の本は、難しいことでも、高級なことでも、大変易しく分かり易く書かれており、エスプリとユーモアのセンスに満ちているので、どれも大変面白くて、色々と勉強させて貰っている。
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高倉健の映画「あなたへ」

2012年08月30日 | 映画
   先日、ひょんなことから深夜にTVを点けたら、ビートたけしが、高倉健を語っていて、久しぶりに高倉健主演の映画「あなたへ」が公開されることを知った。
    SMAPの香取慎吾(35)が司会を務める「Sma STATION!!」に、高倉健が15年ぶりに電撃出演し、生放送は人生初だということだったが、高倉の隠れた生の一面が見えて興味深かった。

   ところで、この映画は、富山刑務所の指導技官・倉島英二(高倉健)のもとに、ある日、亡き妻・洋子(田中裕子)が残した絵手紙が届き、その一通に、白い灯台を一羽のスズメが見上げる絵をバックにして「あなたへ 私の遺骨は故郷の海に撒いてください」と書かれている。
   もう一通は、平戸の郵便局への「局留め郵便」であり、期限は10日間なので、それまでに、洋子の故郷平戸へ向かわねばならない。
   堅物で通っていた倉島が、慰問に来て歌を披露していた洋子と結婚して、穏やかで幸せな結婚生活を送っていた筈なのに、何故、妻は自分の思いを直接伝えてくれなかったのか、自分は一体妻にとって何だったのか、その妻の真意を確かめたくて、苦しい思いを胸に秘めて、自家製のキャンピングカーに乗って、1200キロの道を、洋子の故郷平戸へ向かって旅立つ。

   スタッフたちが限りなき愛情を籠めて慈しみながら写し出した日本の風景が、実に美しくて印象的で、それに、道中で一期一会で遭遇する人々との数奇な出会いと運命の触れ合いが、胸を締め付けるほど強烈な感動を呼ぶ。
   旅路で出会った風景や人物とを錯綜させながら、洋子との生活と思い出をオーバーラップさせて追想するストーリー展開は、正に秀逸で、妻との幸せだった思い出を反芻しながら改めて妻の愛情の深さに感動し、生きることの幸せと悲しみを噛み締める倉島の心の軌跡は、凝縮した人生そのもの、そして、人間賛歌である。
 
   旅の冒頭部分には、二人の幸せそうな様子が描かれている。
   自分たちが制作した神輿が登場する新湊内川の祭りを見物していて、知らない内に、どこかぎこちない健さんのデジカメ写真に写しだされた自分を見て喜ぶ洋子の様子や、二人だけで氷見市島尾海岸の波打ち際を歩きながら漂流して来た大きな古木を持ち上げて愛でる洋子の姿を通してで、病床の洋子と対照的である。
   乗鞍スカイライン、飛騨高山、朝来の竹田城址、大阪の道頓堀、下関の火の山や唐戸、門司港レトロ地区、そして、終着地の平戸・薄香港と玄海の海。美しくて懐かしい日本の風景が展開されて行く。
   天空の城と呼ばれている兵庫県朝来市にある竹田城址で、田中裕子が「星めぐりの歌」を歌う野外コンサート・シーンは実に感動的で、その後、中国山脈の山並みをバックに真っ白な雲海に巨艦のように浮かび上がる城址が映し出されるのであるが、実に美しい。昔、ペルーで訪れたマチュピチュを思い出した。

   この口絵写真は、倉島が、平戸の街を歩いていて、ふと立ち止まった打ち捨てられた廃墟の様になった古い写真館のショーウインドーを眺めていて、色の褪せてしまった古い写真の中に、講堂の舞台に立って歌う女生徒の姿を見て、妻・洋子の原点とも言うべき故郷を感じて感動するシーンである。
   軽く、写真前のガラス戸を握りこぶしで叩いて挨拶し、その後、絵手紙に描かれていた真っ白な伊王島灯台を訪れて、真っ青な海に向かって、洋子の残した二通の絵手紙を空中に手放す。もう一通の絵手紙には、灯台を後にして飛び立つスズメの絵をバックに、さようならとだけ書かれていた。

   ところで、この映画で興味深いのは、非常に芸達者で素晴らしい演技を披露している脇役陣の活躍であるが、まず、地味だが、倉島の同僚塚本和夫夫妻を演じる長塚京三と原田美枝子の実に温かくて淡々とした優しさが印象的である。
   次に、旅の途中、飛騨高山の板蔵ドライブインで出会うビートたけし演じる杉野輝夫で、山頭火を論じて旅と放浪の違いを語るどこかインテリ風のキャラバン仲間なのだが、車上荒らしとして逮捕されて行く。旅と放浪の違いは、目的があるかないか、そして、帰るところがあるかないかだと語り、山頭火の文庫本を倉島に残すのだが、何時にもない非常にまじめな役づくりに終始していて、軟らかく語りながらほろりとさせる語り口が実に良い。

   もう一人の旅での出会いは、草剛のイカメシ弁当の実演販売人・田宮祐司で、車の故障を良いことにして、人の良い倉島に京都から大阪まで送らせたばかりではなく、チャッカリと、料理の手伝いまでさせるのだが、イカを洗って下ごしらえをする高倉健の姿が傑作である。
   憎めなくてついつい引っ張られて仕事に巻き込まれるのだが、更に一緒にと言われたのだが、妻の局留めの郵便受け取りの期限が明日なので、その晩はつきあうと、遅くまで居酒屋で、仕事を止めたいとは思うのだが、妻に男が出来てそれをはっきりさせるのが怖くて続けていると言う愚痴を聞く。

   それを聞いていた田宮の同僚の南原慎一(佐藤浩市)が、「そう言うものを、引き受ける気持ちがなければ、こんな暮らしは止めた方が良い」と決然と助言するのだが、この南原は、後で分かるのだが、暗い過去を背負って鬼籍に入った筈の隠れた人生を生きている。
   南原は、うたた寝していた倉島の部屋を訪ねて来て、薄香で、散骨のために船の手配に困ったら、この人を頼れば良いとメモを渡す。
   

   台風襲来の大嵐の日に、倉島は薄香の港について、船の手配を頼むが、どこからも断られる。
   夕食を食べるために立ち寄った食堂で、南原から教えられた名前を言ってメモを見せると、娘・濱崎奈緒子(綾瀬はるか)がおじいちゃんだと言う。母の濱崎多惠子(余貴美子)が、メモをじっと眺めている。
   嵐の去った翌日、前日断られた件の船頭・大浦吾郎(大滝秀治)に頼みに行くと、天気の良い日に引き受けてくれると言う。
   その夜、キャンピングカーの倉島に、夕食を運んできた多惠子が、娘と許嫁の大浦卓也(三浦貴大)の写った写真を持って現れて、海で遭難死した夫が見て喜ぶであろうから、妻の散骨と同時に海に投げて欲しいと頼み、海だけに打ち込んでおれば良かったのに夢を見て手を出した仕事で失敗して死んだと夫の話をする。


   翌日、快晴の凪いだ美しい海に、吾郎と卓也の船に乗って玄海にでて、「久しぶりに、綺麗な海ば見た」と言う吾郎の言葉を聞いて、倉島は、慈しむようにしっかりと洋子の遺骨を握りしめて船端から海に散骨する。アブクとなって消えて行った人魚姫の様に、真っ白な美しい泡のように舞ながら、沈んで行く。

   「久しぶりに、綺麗な海ば見た」。老船頭の大滝秀治の自愛に満ちたつぶやきに、お礼を引っ込める倉島の高倉健の「妻の唯一の遺言でであった故郷の海に散骨して欲しい」と言う願いに応えてやれた万感の思いが、真っ青な海と恍惚とする二人の名優の姿に凝縮していて感動を呼ぶ。
   富山への帰途、倉島は、イカメシ弁当を売っている南原を呼んで、多惠子から海に投げてくれと頼まれた写真を渡す。
   現職の刑務所の指導技官である以上違法行為は見逃せないので、既に、覚悟をきめて、塚本総務部長から突き返されていた退職届を、平戸の郵便局から発送しており、「鳩になりました」と言って去って行く。

   私は、この映画を見ていて、正に、次元は違うかも知れないが、寅さんの映画を見ているような感動を覚えた。
   美しい映像をバックに、善意の人たちの織り成す温かくて切ない日本人の生活が脈打っていて、しみじみと生きる幸せを味わわせてくれる。
   そんな宝石のような思い出がぎっしりと詰まった私の故郷を丸ごと実感して、自分との幸せだった生活をもう一度心から噛み締めて欲しい、妻・洋子の請い願いに感動する倉島。
   
   日本の美しい風物や豊かな自然の織り成すふるさとには、限りなき思いと憧憬、そして、心のふるさとを髣髴とさせる魔法のような魅力があることを、長い間海外生活を経験してきた私には、痛い程良く分かるのである。

   倉島が、妻の思いが分からなくて苦しんだことを語ると、余貴美子の濱崎多惠子は、「夫婦やけんて、相手のことが、全部は分かりはしません」と応えるのだが、自分の不始末を清算するために保険金を残して消えて行った夫が生きていることを知った妻の万感の思いを籠めた心情の吐露であろう。
   この多惠子の助言で、救われたと、別れ際に南原にもらすのだが、やはり、人間は、人と人の触れ合いを通じて感動しながら生きているのである。

   慣れ親しんであれほど愛した妻洋子の故郷への初めての旅路で、今まで感じたことのないような人生の奥深さを感じて、妻の深い愛情を実感した倉島の心を、どこか恥ずかしそうな子供のように、稚拙ささえ感じされる不器用な演技で、語り抜いた高倉健は、正に、日本屈指の名優であろう。
   
   最後になったが、妻洋子を演じた田中裕子だが、昔から、生まれながらの天性の女優だと思って注目し続けて見ているので、   
   独房でスズメに餌付けする夫を亡くして、歌の慰問で通っていた刑務所で倉島に見初められて結婚し、倉島との薄日の様なつかの間の幸せを噛み締めなら病床に倒れた、どこか陰のある女性を演じて、正に、感動的な名演であった。
   今回は、どちらかと言えば、腫れぼったい目をして薄幸の主人公の様な謎のある女性像を演じていた感じだが、幸せそうな表情をすると実に初々しくて感動する程美しい。
   何度か、しっとりとした情緒のある歌う姿を披露していたが、中々感動的で、イギリスのシェイクスピア役者の様に、芝居も歌も水準をはるかに超えた舞台を見せる両刀使いであることを示している。

   高倉健が、崇拝して止まない降旗康男監督の素晴らしさは、言うまでもなかろう。
   
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堀坂浩太郎著「ブラジル 跳躍の軌跡」

2012年08月29日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   これは非常に時宜を得た、20年近く上智大学でブラジル学を教えていた堀坂先生のブラジルの発展の軌跡を解き明かした興味深い本である。
   新書と言えども、学者堀坂浩太郎の本であるから、緻密で細かいところまで手を抜かずに、委細もらさずと言った感じで書かれているので、決して面白い本ではないが、ブラジルの歴史や社会を概観するのには、恰好の入門書である。
   著者も前書きで記しているように、歴史的背景を踏まえつつ、・・・ブラジルの変化を、政治、経済、社会、対外関係の側面から・・・ブラジル跳躍の実相に迫りたいと言っているので、この面においては好著である。

   しかし、あくまで、政治経済社会・対外関係に終始しているために、ポルトガル・インディオ・黒人文化の入り混じった初期ブラジル文化やソーサなどの初期ポルトガル人為政者たちの築き上げたアミーゴの地縁血縁的な国家社会体制などの軌跡や、ブラジルを特徴づけている強烈なラテン気質の国民性やバックボーンとなっているブラジル独特の文化や思想など、今日のブラジルおよびブラジル人を語るための本質的な説明に踏み込んではいないので、例えば、何故、長い間、未来大国と言われながら眠り続けていたブラジルが、BRIC'sと言われた瞬間に動き出して台頭し始めたのか、と言った微妙なニュアンスなどは分かり難い。
   歴史を丁寧に分析し漏れなく詳細には説明されていて、正に、秀才の作文よろしくテキストとしては素晴らしいのだが、躍動するブラジルの歴史について、メリハリの利いた叙述ではないので、パンチ力にやや欠けるのが惜しいと思う。

   一例だが、他のラテンアメリカ同様に、経済的にもテイクオフできずに、政治社会情勢も不安定で、発展途上国状態を彷徨っていたブラジルが、経済大国としての始動を始めた切っ掛けは、須らく、カルドーゾ大統領が実施したレアルプランの成功によって、ハイパーインフレに苦しんできたブラジル経済を、インフレ経済社会から解放したことだと思っている。
   その後、変動相場制やインフレターゲッティング、プライマリーバランス堅持など政策よろしきを得たこともあるが、これによって、根本的にブラジルの経済社会構造を変革して活性化し、国際収支を好転させ債権国家として変身することとなった。
   前述したように、勿論、堀坂先生は、このことも含めて総て書いているのだが、あまり、良くブラジルのことが分かっていない読者には、もう少し、強弱、メリハリをつけて説明した方が良いと言うのが私の感想である。

   もう一つ、堀坂先生は、ブラジルには起業意欲の高い青年が多く、起業家精神、アントレプレナーシップに富んでいる点でもブラジルは注目される存在だと記しているが、
    これは、ブラジル人が、外来文化を、食人種のように飲み込んで、独特なブラジリアン・フレイバーで味付けをして典型的なブラジル文化を生み出す文化の食人習慣(cultural cannivalism)を持っているからで、ブラジルでは、人生そのものが、予想通りに上手く運ばなくて軌道を外れることが普通であるから、ブラジル人には、どんなことがあっても、敏捷に、創意工夫を凝らして、即興的に対応できる能力が要求されており、これが当たり前の処世術であるから、ことに及んでも、即座に創造性が発揮されて難局を乗り切ることができると言う国民性にある。

   人生は思い通りには行かないのだから、どんなことが起こっても、受けて立って上手く処する。他の国では、人生が破壊的で無秩序であっても、ブラジルでは、生産的に変え得ると言うことで、人生において、その場その場で臨機応変に適応できると言う特質から生まれる創造的な行動力は、特に音楽やダンスなど文化方面で如何なく発揮されており、また、サッカーにおける途轍もない名人芸を見れば良く分かる。
   「アスタ・マニアーナ till tommorow また、あしたやなあ」とか「マイゾ・メーノス more or less まあまあやなあ」と言った如何にもいい加減なブラジル人気質に、起き上がり小法師のような限りないエネルギーとバイタリティが内包されている(?)のである。
   このどんな難局に直面しても、人生前向きに受けて立って解決する、このイノベイティブな国民性こそ、起業家精神のドライバーなのである。

   さて、このブラジル人は、イノベイティブだと言う発想だが、これは、あのクリエイティブで素晴らしい芸術作品を生むイタリア人やフランス人やスペイン人にも共通するラテン民族特有の民族性であるが、新世界で、新しい困難に遭遇して更に磨きがかかった。このような生きた形でブラジルを理解するためには、いくら精緻であっても、教科書的なブラジル解説本では理解できない。
   昔、サンパウロ大学の斉藤広志教授には、素晴らしいブラジル論の本があったが、日本には、残念ながら、価値あるブラジル学の本は、非常に少ない。

   堀坂先生の参考文献には、一冊も上がっていないが、私は、米国の学者やジャーナリストのブラジル本や新聞雑誌からブラジル情報を得ているのだが、大学講義資料として、ニューヨーク・タイムズのラリー・ローターの「BRAZIL ON THE RISE」を底本にして、私のブラジル論を交えてこのブログに記事を書いた。
   素晴らしい本だと思うのだが、日本で翻訳本として出版される筈がないと思って書いたので、ご興味があれば、このブログの左欄のカテゴリーの項目の最後の「BRIC’sの大国:ブラジル」をクリックして頂ければ、James Dale Davidsonの「BRAZIL IS THE NEW AMERICA」の記事なども最近書き始めたので、同時にお読み頂ければ、また、違ったブラジル像が見えて来るのでないかと思っている。
   いずれにしろ、日本にとって、BRIC'sやネクスト11などの新興国の中では、ブラジルが、最も重要な国だと思っているのだが、あまりにも、日本人が、ブラジルを知らなさ過ぎるのを残念だと思っている。

   尚、堀坂先生が、日経のサンパウロ支局特派員の時に、何回か、サンパウロの勉強会でお会いして多少知っているので、懐かしく本を読ませて頂いた。

(追記)2011年5月7日 私のこのブログに、和田昌親編著「ブラジルの流儀」についてブックレビューを書いて掲載した。読んで頂ければ分かるが、内容に納得いかない点があったので、かなり辛口のレビューであったが、検索ページでも何時もトップに記載されていたのだが、不思議にも今は、グーなどの一部の検索ページに出て来ない。著者が日経の元常務だからなのか、フェアではないと思っている。
   堀坂先生も書いているが、後を絶たないのは、汚職と政治腐敗で、ルセフ政権下で、2012年2月までの13か月で9人の閣僚が更迭されると言う現実の何たるかを無視して、皮相的な綺麗ごとの「ブラジルの流儀」を報道しても、日伯の将来のためにはならないのではと思っている。ロンドン・エコノミスト誌のルセフ大統領の政界クリーン作戦の挿絵を借用させて頂く。
   「ブラジルの流儀」へのブックレビューをコピペにて再記する。

 
   和田昌親編著「ブラジルの流儀」2011年05月07日 | 書評(ブックレビュー)・読書

   

   ブラジルが、BRIC’sのみならず、世界第8位の経済大国でありながら、日本では、ブラジルを正しく語っている書物が非常に少ない。
   この新書も、結構人気が高く、かなり読まれているようで、読み物としては非常に面白いし、著者が、ジャーナリストとして博学多識なので、ブラジルについての知識欲は、それなりに満足させてくれる。
   しかし、話題が、総花的かつ表面的であり、ブラジルについて、本当に基本的で重要な特質については殆ど無視して、正面切って論じていない嫌いがあり、特に、ブラジルとのビジネス上には、ブラジル・コストの存在等わずかな示唆しか示し得ていない。

   まず、ブラジルは、典型的なラテン民族の国家であって、アミーゴ社会が、政治経済社会の根幹をなしていると言う厳粛なる事実である。
   グローバル・ビジネスでの日本企業の多くの失敗は、悉く、このホスト国の現状と事実認識の欠如にあり、特に、日本社会と大きく違ったブラジルを理解するためには必須の知識である。
   この論点については、このブログで、ニューヨーク・タイムズの記者ラリー・ローターの近著「BRAZIL ON THE RIZE」をテキストに、ブラジル論を論じている(このブログの左欄の「カテゴリー」の「BRIC’sの大国:ブラジル」をクリックすれば参照可能)ので、その私の記述から引用して論を進める。概略次の通り。

   ”最も重要な論点の一つは、ブラジルが、アミーゴ社会であると言うことで、この特質を、同じ人種の坩堝であるアメリカ社会と対比させながら論じておきたい。
   アミーゴは、本来はスペイン語で「友達」の意味の男性形名詞(amigo)だが、
   これでは、分かりにくので、華僑やユダヤ社会などの仲間意識とその信頼結束関係に近い概念で、自分の親しい友人(AMIGO)との関係は、契約よりも優先すると言った人間関係で、もっと広範で深い意味合いの概念なのである。
   アメリカ社会は、全く背景の違った異民族異人種の集合体であるから、関係を処理するためには、法律や契約が総てで、主に裁判で決着を付けようとするのだが、同じ、人種の坩堝であるブラジル、と言うよりも、ラテン社会では、法律は朝令暮改であったり順守されないことが多く、契約も無視されたり軽視される傾向が強いので頼りにならず、ビジネスや紛争の処理などを上手く運ぶためには、相手とのアミーゴ関係が優先して決着を見るケースが多いと言うことである。
   極論すれば、アメリカでは、ビジネス上の取引は法律と契約書で処理するが、ラテンの世界では、契約など全くなしで成立することもあり、もし、約束を破れば、村八分となり、重要な財産であるアミーゴも信用の一切をも失うことになる。
   したがって、ブラジルでビジネスを行う場合、いくら素晴らしいバランスシートを示して日本で有名な大企業だと言っても駄目で、地道なアミーゴ関係の構築こそが王道なのだと言えば言い過ぎであろうか。
   経済社会を結ぶ掟が、法律・契約か、アミーゴ関係か、と言うことは重要な差で、日本の場合には、英米流に、法律・契約関係の比重が増してきてはいるが、紳士協定だとか、貴方と私の仲だからとか、アミーゴ関係的な面も残っていて、謂わば、レオポン社会だと言えよう。
   私の経験からは、現実は、大分変っているかも知れないが、ローターの本を読む限り、ブラジルのこのアミーゴ文化は、それ程変わっていないようである。”
   私自身、途中で何の前触れもなく税法など法律が変えられたり、ブラジル企業に契約違反や破棄されたことがあったが、出る所へ出て決着するなど不可能で、ブラジル社会が、必ずしも、我々が考えているような法治国家ではないことを十分に経験している。

   ブラジル人の遵法精神についても、ローター説を敷衍する。
   ”法令文書にどんなことが書かれていても、権力者やエリートにとっては、例外規定はいくらでも見だし得るし、法違反は見逃される。
   法の完全執行や励行は、権力や権威に挑戦する権力者の敵に対してのみ情け容赦なく適用される。
   それに、多くのブラジル人は、法律は、権力と威圧の手段であって、正義公正の手段ではないと考えている。
   したがって、法に従うのを避けようとしたり、出来るだけ逃げようとするのは、プライドの問題であり、義務だと言うことで、法が、自分たちの個人的な目的や利益に反する場合には、特にそうだと言うのである。
   大企業でも、法で決められている当然の義務である従業員のための社会保証や健康保険負担金を政府に支払わない会社がある。
   法は、行動を規制する規範ではなく、単なる理想と良き意思への表現であると言うのであるから、憲法に至っては、世界のどこにもないような、あらゆる国民の人権を保障するとする最も寛大で進歩的なものなのだが、貧しい人々や差別に苦しむ人々に福音となる筈の多くの人権擁護も、ただ単なる紙の上だけの記述だと言うのだから恐れ入る。
   法令義務であるにも拘わらず、これまでに、議会は、これらの憲法で保障されている権利を擁護するために予算措置を取ったことは一度もない。
   ブラジルでは、一般的な生活慣習と同様に、法の執行を宣言すると言うことは、実際に実行するのと同じであると言わんばかりで、誰もが、その約束が実行されないことを知っているので、真面目に受け取らないのである。
   平等を謳った超理想的な憲法があるにも拘わらず、最近まで、大卒が罪を犯しても、独房から解放されて快適な環境に置かれるとか、有名財界人のドラ息子が罪を犯しても罰されないと言ったことは日常茶飯事だと言う。”
   私は、ラテン国家であるフランスで、ラテン流ビジネスの一端に触れたことがあるが、「ブラジル流儀」は桁外れである。

   著者が冒頭で論じている「ジェイチーニョ(法や規制で禁じられていることでも、知恵を絞って(?)うまく処理する方法)」なども、正面衝突による摩擦を避けるブラジル流の問題解決法でも何でもなく、大半は、非効率極まりない役所仕事と役人の腐敗堕落を避けるために生まれた庶民の知恵の片鱗なのである。
   
   ブラジルの歴史や文化文明の推移を別な観点から見れば、著者の説明についてはいくらか異論があるが、一つだけ追加する。
   「なぜ人種差別がすくないのか」と言うことだが、むしろ逆で、厳しい人種差別が厳然と存在すると言う事実があるからこそ、一握りの白人エリートとファベーラに住む膨大な貧しい貧困層を形成する黒人(ムラト・ムラタ)との世界でも最悪だと言う異常な格差があるのであって、このことが現実を如実に物語っている。
   この本でも論じているが、群を抜いている治安の悪さは、ここに病根がある。

   余談だが、私にとってブラジルで印象的な言葉は、アミーゴ以外にもう二つ。... 「アテ アマニャ Ate amanhaまた明日」と言う国民気質。スペイン語だと、「アスタ・マニアーナ hasta ma·ñana (mä nyä′nä)」と言う言葉で、英語だとso long; (I'll) see you tomorrow: Actually, it means "until tomorrow". と言うことだが、いつまでも、また明日と言うことが多かったし、未来の大国と言われ続けて来た所以でもあろう。もう一つ、「マイゾメーノスMais ou menos 」 英語だと so so, more or less, somewhat, thereabout, so と言うことだが、如何にも、いい加減で無責任、大らかと言うか曖昧模糊としたブラジル人の笑顔が忘れられない。

   ここで、反論ついでに、ブラジルの暗部を展開してきたように見えるが、私自身は、偶々、現在の権威的な見解である英米流の価値観なり世界観から見ると、特に、米人ローター説に基づけば、このような展開になるのだが、長い人類の歴史から見れば、ラテン流のアミーゴ社会が間違っているとも、決して悪いとも思っていないし、歴史過程での文化文明の一局面だと思っている。そして、ブラジルは、BRIC”sの中でも日本で最も重要な国だと思っていることを付言して置きたい。
   大切なのは、正しいか正しくないかと言うことではなく、真実を正しい視線から正確に見ることで、これを誤ると、正しいブラジルとの付き合いは出来ないと言うことである。
   先日論じたテドローの真の現実を直視しない「否認」と同じ臍を噛むこととなる。


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三遊亭金馬・・・落語「唐茄子屋政談」

2012年08月26日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   国立演芸場の「国立名人会」に出かけた。満員御礼の盛況で、中々面白かった。
   トリが日本落語界最長老の一人三遊亭金馬の「唐茄子屋政談」で、放蕩三昧の若旦那の人情話で、しんみりと温かく心に沁みるいぶし銀のような語りの醍醐味を存分に味わわせて貰った。

   一龍齋貞鳳と江戸家猫八とで人気の高かった「お笑い三人組」の一人小金馬が、風雪に耐えて、一寸、昔の柳家金語楼ばりのいい顔になって堂々の押し出しで登場したのにはびっくりした。
   80も半ばになって元気に高座に出られるのも、運もあるのだと言って、今年二月に、道中行き倒れ寸前で、殆ど心肺停止状態で救急車で病院に運ばれたのが助かったと言う話を披露していた。
   心配で飛んできた奥さんが、血の気を失った顔の金馬の目が動いたので、医師に「生きています」と言ったら、医師が「ウッソー」と大きな声を出したと言って笑わせていた。
   

   さて、唐茄子だが、俗に言うかぼちゃで、関西では南京と言うので、上方では「南京屋政談」と言うようで、
   飲む打つ買うと言う「三遊亭」の語源とも言うべき道楽にうつつを抜かした若旦那が、勘当されても「お天道さまと米の飯はついて回る」とうそぶいて家を出たのだが、誰も相手にしてくれず、食にもこと欠き吾妻橋で身投げしようとした時に、叔父に助けられて説得され、心を入れ替えて、唐茄子屋をやると言う噺。
   慣れない唐茄子の行商に出るのだが、天秤棒が肩に食い込んで苦痛のあまり「人殺しィ!」と雷門あたりで荷を投げだしたら、通りかかった人が、可哀そうにと思って助けてくれ、皆の情けで唐茄子を買ってもらい、人情の温かさにほろりとする。
   二つだけ残った唐茄子を担い三ノ輪の裏長屋を通りかかると、ぼろをまとってはいるがどこか品のあるおかみさんに呼び止められて唐茄子を売る。弁当をつかうために白湯を貰って食べようとすると腹を空かせた子供が覗いていて、侍だった夫が留守で困窮を極めていると言う身の上話を聞き同情した若旦那は、子供に自身の弁当を食べさせ、さっき稼いだ唐茄子の売り上げを無理に受け取らせて、涙を流して喜ぶ母子を残して去る。
   帰って話をしても、まともに信じられない叔父は、若旦那を連れて確かめるために長屋に行ってみると、上を下への大騒ぎ。母子が、親切な人から恵んでもらったお金を大家に「店賃だと」言って取られたのを苦に心中を図ったというのを聞くが早いか、怒った若旦那は大家の家に乗り込んで大家を殴りとばすと、長屋の者も溜飲を下げて大喜び。幸い母子は助かったようで、裁きの末、大家はきついおとがめを受け、若旦那は奉行から賞金とお褒めを頂き、勘当が許される。

   膝を悪くし釈台を置いての公演だが、噺が佳境に入ると、若者顔負けの迫力で、緩急自在で、ぐいぐい、観客を引き込んで行く。
   ウイキペディアによると、この噺は、上下に分かれていて、三ノ輪の長屋の話は端折られることが多いようだが、上だけだと、昔の遊郭の話や男女の色ごとの話などで枕を膨らませるのかも知れないが、やはり、下の方の話も味があって、ないと寂しい。
   金馬も、枕で、昔の遊郭の様子から、今のスポーツ新聞の「真面目な(?)人妻云々」の広告の話などエロ模様の変遷を語っていたのだが、私のこのブログでも、エログロ記事のトラックバック(必ず消している)が結構あるし、この私のgooのメール・アドレスでも、沢山のおかしな小文字アルファベットの女性名の意味深なメールが、(大半は、迷惑フォルダだが)、入って来ており、この世界は、世につれ人につれ変わっても、消えないモノのようである。

   この日、三遊亭小圓右が、「へっつい幽霊」を語った。先に、春風亭一之輔の真打興行で「竃幽霊」を聞いたのだが、同じ話でも、噺家によって、大分、内容もそうだが雰囲気が違うのが分かって興味深かった。
   桂文楽の「鰻の幇間」は、せこい幇間が、昼飯にありつこうと、どこかで見たような男を捕まえて褒め上げて首尾よく汚い鰻屋に連れて行ってもらうが、相手の方が一枚上手で、便所に行くと言って食い逃げされた上に、お土産を三人前も持って帰えられ、全部自腹を切らされて、おまけに、芸人自慢の下駄までもって行かれると言う実に冴えない話で、面白いが、どこか物悲しい。ところで、文楽のホームページを見ると、「趣味 食べ歩き でも、うなぎだけは食べません。 守り本尊の虚空蔵菩薩のお使い姫なので・・・」と言うところが面白い。

   他に、桂小南治の「いかけや」で、悪がきが集まって来て、口も十分に回らないのに、大の大人のいかけやを嬲り倒すと言う面白い話で、今も昔も、知恵のついた頭の良く回るガキには勝てないと言う噺。
   興味深かったのは、先に逝った立川談志の弟子である立川談笑の「金明竹」で、骨董屋のおじさんに世話になっている与太郎の間抜けな客との受け答えが面白いのだが、後半の何度も繰り返す客との受け答えが「古池や蛙飛び込む水の音」以外は全く分からない。
   与太郎や、そのおばさえ分からないのだから当然であろうが、本来は、上方言葉だが、談笑は、山形弁でやっているとかで分かる訳がなく、寿限無寿限無の話同様歯切れ良いリズム感が良いのだが、あまり分からないことを繰り返されるとイライラする。
   おちは、骨董を買ったのかで、買わず(蛙)。談志の語り口の片鱗があるのかどうかと思いながら聞いていた。

   この国立演芸場は、落語協会、落語芸術協会、立川流の三派に分かれている落語界が、仲良く集まって演じる唯一の寄席だと言うことで、勉強になると誰かが言っていたが、東西の交流は勿論のこと、分かれて独自色を出すのも良いが、異質な芸の遭遇、ぶつかり合いが触媒となって、新しい芸なり芸風を生むことにもなろう。
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わが庭の歳時記~残暑厳しくも秋の気配

2012年08月25日 | わが庭の歳時記
   私の庭でも、ツクツクホウシが鳴きはじめた。もう、秋の気配である。
   やっと、アサガオの緑のカーテンが立派に張り出して、花が咲き出したので、隙間から見える庭も何となく風情が出て来た。
   南西に面した日当たりの強いガラス戸の前に、プランター植えを置いたので、こんなに暑い日が続くと、日に二回水遣りをしないと枯れそうになってしまう。
   朝、アサガオの葉の間に、ややくすんだ白一色のアゲハチョウより少し大きな蝶が留まっていたのだが、カメラを構えるのが遅かったので、残念ながら、飛んで行ってしまった。
   庭木を這い上がって咲くアサガオも、大分、勢いがあるが、ブルーの西洋朝顔の方が、はるかに樹勢が強くて花も大ぶりである。

   楠を大きく剪定して切り込んだので、アブラゼミの訪れが少なくなったのだが、草叢から飛び出して来たり、アサガオやトマトの枝に止まって鳴いていたり、私の庭では、林間の蝉とは一寸違う感じである。
   関西にいた時には、少なくとも、アブラゼミの他に、ニイニイゼミやクマゼミ、ミンミンゼミくらいはいたと思うのだが、私の近所では、殆どアブラゼミ一色である。

   庭に出ると、やぶ蚊がすぐによって来て、手袋の上からも刺すので痒い。
   薬剤散布したいのだが、まだ、プランター植えのトマトが、庭に残っているので、やれない。
   トマトを収穫したり、水遣りなど庭仕事をする時には、長いワイシャツと長ズボン姿で、庭に出るのだが、やはり、猛暑には逆らえず、ぐしょぐしょになる。
   しかし、秋に綺麗な花を咲かせようと思えば、それ相応の手入れをしないと、植物たちも応えてくれない。

   夏草の激しくも生命力の強さにもびっくりするのだが、暑さに抗して、小動物たちが、必死になって生きているのが良く分かる。
   沖縄に巨大な台風が接近しつつあると、TVが報じているのだが、嵐の時には、小鳥や蝶や、これらの小動物が、どのようにして風雨や雨露を堪えしのぶのか、何時も、気にかかっている。
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ブルース・ピアスキー著「ワールドインク」

2012年08月24日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   先月、このブログで紹介したマイケル・ポーターの「共通価値の創造」論と良く似た社会対応を重視した経営論を、ブルース・ピアスキーが、この本「ワールドインク」で展開しており、非常に興味深い。
   元々、企業の環境問題への対応についてコンサルタントとしての専門家であるから、気候変動や天然資源・食料などの枯渇、貧困と格差の拡大、国際テロなどと言った増大する社会的な課題を解決すると言った視点からのアプローチで、
   企業の製品開発は、消費者の利便性だけではなく、世界をより幸福かつ健全にするためのものでなければならないと考えて、ワールドインクのあるべき姿を描き出そうとしている。

   世界の経済主体の上位100位の内、51組織が企業であり、多国籍企業上位6社の内、夫々の年間売上高よりも大きなGDPを上げている国は世界に21か国しかないとして、今や、地球規模で現在社会を動かしているのは巨大な多国籍企業であり、しかも、利益追求のみならず新たに社会対応の動きをしており、それらが醸成しつつある社会対応型資本主義こそ、これからの希望の根源になると説いている。

   これまでの企業は、技術品質と価格の面で競争力のある製品を作って販売しておれば良かったのだが、意識の高い社会に突入した今日では、この二つの要素、価格、技術的品質に加えて、社会対応(social response)を加えた三位一体の三種の神器を、企業戦略の核として掲げて企業の根幹を見直さない限り、経営上最大のリスクに直面する。
   消費者も企業の重役も、機関投資家も個人投資家も、環境保護論者も、エネルギーの専門家も、誰もが好むのは、価格と技術品質に優れているとともに、社会的なニーズに応えた「社会的ブランド」だと言うのである。

   ピアスキーの意識の中には、今や大勢として、個人が直接的・間接的に企業の株式を保有しており、その結果として、企業に対する個人の影響力がグローバルベースで拡大して生まれつつあるグローバル・エクイティ文化(global equitey culture)が、社会を動かす梃子として働くと言う思いがある。
   企業を、社会的な価値と消費者の幸福を創造しながら、持続可能なポジショニングと事業と投資家のための長期的な価値を築かせるドライバーとなり、社会対応型資本主義を推進すると言うのである。
 

   宇宙船地球号の限界に警告を発したローマクラブのレポート以降、石油のピークアウトや天然資源の枯渇、地球温暖化、公害の深刻化等々、われら人類が依って立つ地球環境そのもののサステイナビリティが問われるようになると、企業の経営戦略が、持続可能な成長を志向せざるを得なくなったと言うことでもある。
   著者は、この本で、その典型的な企業として、トヨタをあげて、ハイブリッド車プリウスについて語っているのだが、これこそ、正に、サステイナビリティと言う最も根本的な社会のニーズに挑戦し、同時に経済的利益をも追及した社会対応型製品の典型であると言うのである。
   また、ヒューレット・パッカードが、プラハラードのBOP最貧層をターゲットにした零細企業促進プログラム、デジタル・コミュニティ・センター、マイクロファイナンス、iコミュニティと言った意欲的なICTサポート・ビジネスを推進して、40億の最貧困層を市場経済に取り込もうとしている動きなども紹介している。
   テロ、石油や水をめぐる緊張関係、人口増加、気候変動、政治不安など、我々の暮らしが直面するであろう深刻な社会問題こそが触媒となって、グローバル・エクイティ文化をドライブして、価値ある優れた社会対応型資本主義を育んで行くと言うことである。

   ポーターの共通価値の創造論も、ピアスキーの社会対応型資本主義論も、共通して主張しているのは、これまで外部経済として排除されていたり、歓迎されざるコストとして忌避されて来た深刻な社会的ニーズに対して、、寄付や基金によるフィランソロフィー(社会貢献活動)や、CSR(企業の社会的責任)の追及によって解決を図ろうと言った消極的な対応の仕方ではなくて、積極的に、事業リソースなりターゲットとして企業経営に取り込んで、イノベーションを追及して事業化することによって、同時に、社会価値と経済価値を実現すべしと言うことである。
   ポーターが言っていたが、日本企業は、CSRレポート作成に一生懸命だが、そんな段階でうつつをぬかしているようではダメで、共通価値の創造を企業戦略として、如何に社会的ニーズを事業化しようとしているかに腐心すべきである言うことである。

   また、この本は、前述したように、国家よりも多国籍企業の方が経済的パワーが高いので、社会対応型資本主義の担い手は私企業であり、従の立場の政府とのコラボレーションを説いたり、
   また、投資事業にも携わった経験があるので、社会対応を重視した格付け会社の動向を紹介するなど、他にも面白いトピックスが並んでいて興味深いのだが、難点は、多少楽観的な帰来があることと叙述がくどすぎること。

   ところで、この本だが、アマゾンUSAでは非常に読者の評価が高いにも拘らず、2007年の出版ながら絶版のようで、1.6ドルからの古書で売られている。良書だと思うのだが、日本のアマゾンでも古書が1円で、いわば、二束三文である。
   私も、神保町の古書店の店頭で新古書を300円で買ったのだが、このような良い本が読者の目に届かず、宣伝だけ上手くて書店とつるんだような低俗な経営書がベストセラーだと言うは、どこかおかしいと思っている。

   この本の出版社である英治出版は、わが母校ウォートン・スクールの経営学書などの翻訳本を積極的に出版しているから言う訳ではないが、非常に質の高い専門書を出版し続けていて、私自身読む機会が多いのだが、大型書店などで、まともに、店頭の目立つところにディスプレィされていた例がない。
   大型書店などでは売れないので見向きもされず、落ちこぼれて古書店に回ってきた専門書を、神保町をかなり頻繁に回っているので、探し出すことが多いのだが、偶に、新聞や雑誌の書評欄に載らなければ、陽の目を見ずに消えて行く専門書が随分あるのではなかろうかと思うと、実に惜しい。
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私の感情的対韓論について

2012年08月23日 | 生活随想・趣味
   竹島問題で、日韓関係が険悪化しているのだが、私自身は、小学校時代に、何人か、朝鮮人(勿論、南か北かも分からないし、そんな言葉を使ってはいけないと言うことも知らなかった)と呼ばれていた友達がいた程度で、殆ど、関わりがないので、対韓意識については、日本人としての標準的な感覚しかない。
   もう一つ思い出したのは、ウォートン・スクールに留学して居た時に、宿舎のフィラデルフィア・インターナショナル・ハウスで、韓国政府から派遣されていた中年の役人と親しくなって、色々と日韓関係や歴史などについて腹蔵なく語っていて、いつでもソウルに来れば歓迎すると旧知のような会話を交わしていたのだが、
   ある時、食堂で、ソウルから来た姪だと言って、綺麗な若い女性を紹介してくれたのだが、日本人と親しくしているということを知られて噂になると困るのか、一気に余所余所しくなって気まずくなり、私は席を立った思い出がある。
  
   やはり、日韓関係には、複雑な問題が横たわっているのだと言うことを始めて経験した思いだったが、その時、忘れていた「李承晩ライン」のことを思い出した。
   京大の学生の時に、田畑茂二郎教授の国際法の授業を受けていたのだが、期末試験の問題は、何時も「李承晩ラインは違法か?」と言うテーマで、確か、授業でも随分論じられていたと思うのだが、今では、全く記憶がなくなってしまっており、当時の教科書もなくしてしまっていて、教授の見解を知る由もないのだが、当時、日本の漁船が沢山拿捕されて問題になっていた。
   この李承晩ラインによる公海囲い込みが、所謂、韓国の竹島実効支配の発端だと思うのだが、当時、アメリカも、ラスク書簡で明確なようにこの暴挙に反論していたし、独立直後の日本とは言え、何故、日本政府が対抗して、韓国の支配体制を覆さなかったのか、鳩山内閣以降の自民党政権の竹島問題に対する軟弱な政策を疑問に思っている。

   外務省が、竹島の領有権に関する我が国の一貫した立場として、
1.竹島は、歴史的事実に照らしても、かつ国際法上も明らかに我が国固有の領土です。
2.韓国による竹島の占拠は、国際法上何ら根拠がないまま行われている不法占拠であり、韓国がこのような不法占拠に基づいて竹島に対して行ういかなる措置も法的な正当性を有するものではありません。
  と報じているが、私は、これが正しいと思っている。
   しかし、国際法上は兎も角も、やはり、国際政治においては、やはり、領土の実効支配が、最も有効であり、最も強力な切り札なのであって、いくら不法占拠と言ってみても、国土を取り戻すためには迫力に欠ける。

   今回の領土問題で、尖閣諸島問題が、海外のメディアで報道されて、オーストラリアABCとフランス2のテレビを見たが、日中両国間の武力衝突の可能性を示唆していた。
   典型的な領土紛争は、イギリスとアルゼンチンとの南極に近いフォークランド諸島問題だと思うが、在住英国人を守るためにアルゼンチンに支配された同島を奪還するために、サッチャーは、英国王位継承順位2位のウィリアム王子をも戦場に送り込んで、海軍兵力の3分の2を投入すると言う、正に、国運をかけて戦い抜いた。
   外交交渉で、或いは、国際法廷で、領土問題が解決すると言う甘い問題ならいざ知らず、領土問題の解決には、国民の血を流さなければ解決しないと言う悲しくも厳粛な事実に対する現状認識が必要なのである。
   尖閣諸島は、実質的に日本が実効支配しているので、アメリカは、日米安保条約で日本に間違いなく加担するであろうが、今のような中途半端で軟弱な対応では紛争は絶えないであろうから、もっと、しっかりとした形で、日本の国土として確固たる実効支配をしたほうがよいであろう。
   なりふり構わずあらゆる手段を使って覇権を握ろうと暗躍する国やならずもの国家に囲まれながら、この風雲急を告げて激動している世界において、名誉ある地位を占めたいと思うのなら、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意する」などと言った悠長なことを言っていてはダメなのである。
   平和外交結構、スマートパワー大いに結構。しかし、領土紛争の解決は、残念ながら、ハードパワーが優先すると言うことであろうか。

   一寸話が横道にそれてしまったが、私が疑問に思うのは、韓流ブームに対する日本人の対応である。
   最近、テレビのチャネルを移動させると、必ず、韓国人役者が登場する所謂韓流ドラマが放映されていて、酷い時には、二つも三つものチャネルが韓流であることがある。
   冬のソナタが発端だと思うのだが、NHKが韓国の王朝もの時代劇に力を入れ過ぎており、その反応かも知れないが、私は、少しだけ冬のソナタを見たけれど、全く、価値があるのかないのか以前の問題として、興味がないので、すぐにチャネルを切り替える。
   民放などで、韓国の若い役者たちが演じる軟弱なメロドラマ風の画面を見ると、拒絶反応を起こしてしまうのだが、何故、これ程、日本人が韓流に入れ込むのか、不思議に思っている。
   太平天国の日本人の能天気ぶりの極みだと言うのなら、まずまずとして、今回の竹島問題に対する日本人の対韓感情の悪化との関係がどうなっているのか、全く、関係がないのか、私には不思議なのである。
   今、WOWWOWで、黒澤明全作品を放映しているのだが、高度で質の高い映画が脇に追いやられて、最近は、如何にも軟弱などこかアイデンティティ不明の軽薄な娯楽に、電波ジャックされていると言えば言い過ぎであろうか。

   さて、日本の経済界にある一種の韓国脅威論だが、先日の講演で、寺島実郎は、世界的なネットワークの発展が世界経済を支配していて、韓国経済は、日本の技術を活用した日本経済ネットワークに組み込まれた一環に過ぎず、恐れるに足りないと論じていた。
   実際にも、韓国オリジナルの技術やノウハウは極めて乏しく、日本の技術を除外して、韓国のサプライチェーンは成り立たないし、自立さえ出来ない筈だし、これは、中国も同じであろう。
   以前にも紹介したが、ソニーやパナソニックが、サムソンに負けるのは、ただ単に人件費などコスト競争力だけだと言う説もあるようだが(吉川良三教授は否定)、快進撃を続けているのは、サムソンやLGなどの一部の突出した輸出産業だけなので、最近では、世界的な不況の波をもろにかぶって、韓国経済は大変な状態だと言う。
   いずれにしろ、日韓は、持ちつ持たれつで、歩んで行かなければならない関係であり、これを腐れ縁と言うかどうかは別として、とにかく、いがみ合うべきではないと言うのが私の気持ちである。
   
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深夜、言葉の全く通じない異国で放り出されたらどうするか

2012年08月21日 | 海外生活と旅
   グローバル時代だと言うけれど、兎角、コミュニケーションは難しい。
   私など、米国製MBAだから、英語は、多少人様よりはましだと思うのだが、ドイツ語は、大学の教養で習った第二外国語のドイツ語と、ブラジル在住時に少し習ったポルトガル語くらいで、これが総ての知識だから、グローバルコミュニケ―ション能力など、極めて限られている。
   しかし、これで、私自身は、外国人を相手にして欧米他で仕事をして来たし、1泊以上した外国は、40ヵ国を越しており、チャルーズ王子やダイアナ妃とも話をしたし、結構大変な人物を相手に丁々発止の戦いをして来た。
   やれば、この程度の語学力でも、やれないことはないと思うのだが、しかし、全く、言葉の通じないところに放り出されて、やれと言われれば、全く自信はない。

   これは、もう、20年以上も前の経験だが、ハンガリーのブダペストで、それも、午前一時と言う全くの深夜に、一度昼にしか行ったことのない森の中の住宅の前で放り出されたことがある。
   提携先のハンガリー人エンジニア・プロツナーの家で、しこたま飲んで、タクシーで送り届けられたのだが、どう考えても、自分の記憶していた家と違うような気がした。
   エンジンをふかして去ろうとするタクシーを追っかけて必死の思いで止めたのだが、全くハンガリー語しか分からない運転手にどう話せばよいのか、困ってしまった。

   その前に、事情を説明しないと分からないが、その時は、ベルリンの壁が崩壊した直後のブダペストで、外国人が留まれるまともなホテルは総て外資系であって、外貨を持たないハンガリー人は予約さえ出来なかったので、プロツナーは、東京からの上司夫妻と私のための宿舎として、バカンスに出た友人の住宅を借りてくれていたので、そこに帰ったつもりだったのである。
   昼に案内されて、スーツケースなどを置いただけで、良く見ていないし家そのものも覚えていない。
   まして、当然、夜は送って貰えるものだと思っているし、上司夫妻とも同道なので、その家の住所さえ聞いてもいないし、たとえ聞いていたとしても、人跡まばらで外灯さえない深夜のブダペストの森の中で、訪ねる相手もいないし、当然、留守だから、目的の家に人がいるわけがない。
   それに、運悪く、いい気分になった上司夫妻は、プロツナー宅で泊まることとなり、私一人で、タクシーで送られたのだが、まさか、プロツナーがタクシーの運転手に嘘を言っている筈がないと思ったのだが、草木も眠る丑三つ時に、思い当たりのない家の玄関にキーを差し込んで、ガチャガチャ開けるわけには行かない。

   どのように説明したのか、全く記憶がないのだが、あの手この手を使って、とにかく、もう一度、プロツナーの家に帰ってくれと説得(?)した。どうにか分かったのか引き返してくれたので、既に外灯を消して寝静まっていたプロツナーを叩き起こして、事情を言って、もう一度、正確に、運転手に指示するように頼んだ。
   同じ家に引き返したのかどうか全く記憶はないが、キーを差し入れたらドアーが開いたので、運転手に礼を言って、家の中に入った。

   ところが、不思議なことに、昼に入った時には、点けた筈のない電気が、リビングに点いていて明々としている。
   見るともなく見ると、ソファーの上で、見知らぬ男が寝ている。
   バカンスに出た家族が寝ている筈がないし、万一、寝るのなら寝室で寝ている筈だし、まして、私たち以外の人間を泊めるのなら、事前に言っている筈である。
   明らかに招かれざる客のこの寝ている男を起して、トラブルになっては拙いので、とにかく、一部屋おいた隣の寝室に入って、部屋のカギをかけて寝ることにした。
   ベルリンの壁崩壊直後の混乱状態のブダペストの、それも森の中の深夜の一軒家で、見知らぬ異人と一緒、と言う万事休す状態だが、どう足掻いても、ここで夜をあかす以外に他に選択肢がない。

   図太くも、昼の疲れが出て寝てしまったのであろう。
   朝早く、外から声がするので出てみると、プロツナーと上司が庭から覗き込んでいる。
   心配しての訪問だろうが、プロツナーに、おかしな男が寝ていたぞ、と言うとびっくりしていたが、リビングに行ったら、もう、その男はいなくなっていた。

   いずれにしろ、これがインターナショナル・ビジネスなので、その後は、お互いに何もなかったかのように、それ以上、プロツナーとは何も話さなかったので、真相は藪の中である。
   ブダペストへは何回か来ていて、マネージャーとも馴染みだったので、その日から、米系のトップ・ホテルに移動した。
   ベルリンの壁の崩壊前後のハンガリーは、とにかく、混乱と激動に翻弄されていて、豪華絢爛たる議事堂内でネーメト首相に会ったかと思うと、うらぶれた廃墟のようなビルの片隅の執務室で大臣に会ったこともあり、とにかく、多くの苦難を生きて来た壁の向こうの世界は正に異次元の空間であった。
   しかし、20世紀の前半で成長の止まったような廃墟の様なブダペストではあったが、流石にハプスブルグの二重帝国の首都だけあって、破壊から免れたレストランの優雅さと洗練された美しさは正に特筆もので、時間の経つのが恐ろしいくらいに感動的であったのを覚えている。
   先のトラブルや、このような面白いと言うか、思いがけないような経験を、幾度となく繰り返しながら、少しずつ、ヨーロッパに馴染んで行ったような気がしている。

   たとえ言葉が分かっても、全く異質な文化と文明、そして、全く違った歴史などバックグラウンドを異にした人々といかにコミュニケートして理解し合えるのか、ICT革命で、情報や知識が爆発的に増えれば増えるほど、難しくなる。
   しかし、とにかく、言葉が通じなければ、話にも何も成らないことは事実で、グローバル時代に生きて行くためには、最低限度、それ相応の英語力くらいは、身に着けておかなければならないと言うことであろう。

   もう半世紀も前の話だが、英語が不自由な大阪の大会社の社長が(余談だが、同行者を連れて行く余裕など、当時の貧しい日本にはなかった)、ニューヨークで、オムレツを食べたくて、大阪弁でおむれつと言って注文したが、通じないので、椅子から立ち上がって、両手を横にしてバタバタはためかせて、お尻から卵をポトンと落とす仕草をして説明したと言う話を聞いたことがあるのだが、もう、そんな時代ではないと言うことである。コケコッコーと言ったのかどうかは聞いていないが、アメリカの雄鶏は、cock-a-doodle-dooと鳴くのなどは勿論知らなかったのであろうけれど、所変われば品変ると言う世界、とにかく、異国でまともに生きて行くと言うのも大変なのである。
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マイケル・スペンス著「マルチスピード化する世界の中で」

2012年08月19日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   情報の非対称性を伴った市場の分析でノーベル賞を受賞したマイケル・スペンスだが、世銀からの年次総会で、基調講演「発展途上国における成長」を頼まれたのを機会に、世銀や途上国のプロたちを糾合して「成長開発委員会」を立ち上げて、その成果に基づいて書き上げたのが、この本だと言う。
   先の世界的な金融危機後の世界経済の変質やアメリカ経済の現状分析など、マルチスピード化する今日の世界の展望は、非常に興味深くて刺激的だが、やはり、アメリカ人学者として、台頭著しい中国やインドなど新興国や発展途上国の発展についてどのように考えているのかが、私には興味があった。

   市場、サプライチェーン、取引システムなど世界経済における情報分野が専門なので、この本でも、その方面の分析にかなり力を入れているのだが、
   インターネット関連技術によって、長期的に最も影響を受けるのはどこかと言う議論で、時間と距離、両者に付随するコストの縮小、物理的距離の低下を考えれば、それは、国際市場やグローバルサプライチェーンであり、物理的な距離によって制約されて来た地域での情報やサービスへのアクセスであり、要するに、世界経済であり、とりわけ発展途上国であると言う指摘に共感を覚えた。

   したがって、現在の途上国の高成長を可能にしたのは、知識移転と、世界経済における財、サービス、資本の流れに対する障壁の削減であり、これ程急速に成長することが出来た要因は、知識ギャップが大きかったこと、そして、国境を越える知識移転が急速に進んだことであるとする見解が、非常に明快であり、
   要するに、BRIC'sなど新興国の急速な台頭は、ICT革命とグローバリゼーションの進展であるとする考え方を極めてシンプルに説いているのである。
   尤も、それだけでは、中印の経済成長は説明できないので、当然、その高度成長を実現させた政治経済社会や歴史などバックグラウンドを掘り下げながら話を進めているのだが、実際に多くの当事者たちと直に会って得た生の実地調査に基づいておりながら、その比較的楽観的な未来展望に、新鮮な驚きを感じている。

   中国の発展について、中国は、埋め込み型の知識の蓄積である無形資産を重視する、ハイペースで学習する社会であると言っており、知識ノウハウ・オリエンテッドな発展論を展開しているのが面白い。
   小平は、開発と成長における最も重要な課題は、民間部門や政府のあらゆるレベルにおける学習であることを認識していた。
   小平は、自分たちが市場経済を運営する方法を知らないこと、経験もアイデアもないことを良く分かっていたので、当時世銀の総裁であったロバート・マクナマラに、中国に来て、社会主義的市場経済への移行を支援してほしいと頼んだ。
   世銀とは一切関わり合いもなかったし、投融資を頼んだわけでもなく、中国に欠けているのはノウハウであることを直感的に理解していたので、頼んだのは知識だった。
   世銀の精鋭が中国側のパートナーと協力して、ジェイムス・トービンなどの世界中の学者や経験豊富な政策立案者を招聘し、市場経済が機能する仕組みやあるべき政策に関する講義を聞いて、市場経済に関する知識の輸入を促し始めた。と言うのである。
   大なり小なり同じことを、ソ連もやったが、結果が雲泥の差なのは、国民性の所為か、その後の為政者に問題があったのか、興味深いところである。

   知の勝利と言う点では、貧しくて膨大な後発部門を抱えておりながら、IT産業を主体にサービス部門が突出して発展を続けているインドの方が際立っている。
   ビジネス・プロセス、専門性の高い医療、TV向けフィルム編集、先進国教師向けの採点代行、口下手政治家のスピーチ代筆と多岐に亘ったアウトソーシングなどだが、これは、インド経済におけるコンピュータと情報技術の潜在性を見抜いたラジブ・ガンジーの指揮のもとで始まった早い時期からの高等教育への重点投資の結果だと、スペンスは言う。
   私は、その真因は、もっと前にあり、独立直後に、祖父のジャワハルラル・ネールが設立したIIT(インド工科大学)が、アメリカをはじめ、世界中に輩出した優秀なエンジニアやテクノクラート集団のなせる業だったと思っている。

   さて、中国経済につての著者の興味深い指摘が何点かあるのだが、
   その一つは、先の世界的金融危機後に、中国も、公共投資など景気刺激策や他の緊急対策を行ったが、これらは恒久的な解決策にはならず、今後について、中国が賞味期限の過ぎた古いやり方、すなわち、投資や労働集約型輸出に集中する過去30年の戦略や政策に回帰するのではないかと言うこと、と、
   短中期的な試練を前に、経済の強靭さに過剰な自信が芽生えていることへの強い懸念だと言う。
   
   また、スペンスは、国内の成長と開発、世界経済との関わりに対して、中国は相互に関連するいくらかのリバランスの課題に直面しているとして、次のような指摘をしている。
   ミクロ経済の大規模な再編に伴う「中所得の移行」、家計所得や消費水準の引き上げ、中産階級の迅速な拡大に向けたマクロ経済的変化、所得格差拡大への流れの阻止、投資に比べて極端に高い貯蓄の引き下げ、その結果としての経常黒字の削減、将来の成長に於けるエネルギー集約度・炭素集約度の抑制、

   もう一つ興味深い指摘は、中国の状況は特異だとした、規模と世界経済への影響力の着実な増大に伴う国際的責任の受け入れだが、世界経済全体にとっては巨大な経済だが、一人当たりGDPが過去に置かれた超大国と比べてはるかに低い発展途上国だと言う問題点である。
   本来なら貧しくて遅れた国内問題に集中することが許される段階だが、ただでさえ複雑な国内の成長・開発問題に加えて、国際的な影響力や責任を背負い込まざるを得なくなり、その結果、たよるべき知識や経験の蓄積も殆どない状態で、国内および国際的な政策の優先課題のバランスを取らなければならないと言うことである。
   
   その他にも、中国に対する国際的な敵意の増大などについても触れているのだが、尖閣列島や南沙諸島での領土問題への足掻きや、西域・チベットなどでの少数民族への人権蹂躙なども、このあたりから考えると参考になろう。
   さて、世界第二位の経済大国であった日本は、如何に、世界に冠たる大国として振る舞っていたのか、考えたのだが、どうも定かではないような気がする。
   
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わが庭の歳時記~アサガオ、ツユクサ

2012年08月18日 | わが庭の歳時記
   庭に直播きしたアサガオが、やっと、一斉に花をつけて咲き始めた。
   まだ、本格的ではないのだが、結構、時期としては遅い。
   無秩序に、芽が出れば、そのまま放置してあるので、あっちこっちに蔓を伸ばしており、この口絵写真は、匂い椿の港の曙の天辺に這い上がったアサガオである。
   庭木の根元から、どんどん這い上がっているので、これからは、庭木を、あっちこっちで、アサガオの赤い花がカバーするであろう。
   先の大地震で、根元が壊れた電気スタンドのステンドグラスのシェードの上にも、アサガオの蔓が伸びて、花を咲かせた。
   


   庭の雑草に混じって、どんどん伸びた華奢な枝の先にツユクサが、花を咲かせている。
   小さな花なので、目立たないのだが、鮮やかなコバルトブルーが美しい。
   最近では、ジャングルのように生茂ってしまった私の庭では、このツユクサも雑草なのだが、抜いても抜いても、あっちこっちで枝を伸ばして花をつける。
   私の好きな夏の草花なので、気を使って保存に心掛けているのだが、アサガオと同じで、朝のほんの短い時間だけ咲いて居て、すぐに萎んでしまうのが寂しい。
   
   

 
   私の鉢植えのバラだが、蕾を付ければ、適当にトリミングはするのだが、時折、花も咲かせている。
   ハイブリッド・ティの場合には、秋バラを優先するので、夏には絶対に花を咲かせないのだが、イングリッシュ・ローズやフレンチ・ローズの場合には、返り咲きや秋バラの花付きが悪い品種が多いので、花の少ない夏にも楽しもうと言うのが、私の考えで、バラには良くないであろうと思いながらやっている。
   フレンチ・ローズのロンマーネ・シャノンが、優雅な花を咲かせている
   イングリッシュ・ローズのウインチェスター・キャシードラルの花に、小さな蝶が留まった。
   良く見ると、恋が実ったのであろう、ドッキングしている。
   やはり、小さな昆虫であっても、この濡れ場を写真に撮るべきかどうか逡巡してしまったのだが、目出度いことだと思って、シャッターを切ったのが、この一枚である。
   
   
   


   暑くなると、小鳥の訪れが少なくなって、セミや蝶など昆虫が多くなる。
   アゲハチョウが、僅かな花を求めてやって来る。 
   雨に濡れたイングリッシュ・ローズの蕾に、アゲハチョウが長い間留まっていた。
   その横に、コガネムシも並んで留まっていたが、このコガネムシガ増えて来ると、熟したトマトを狙って大群が攻めてくるので、嫌な予感である。
   名前は知らないが、アブの親玉のような昆虫が、トンボを捕まえて、トマトの枯れ葉にぶら下った。
   昨年、カマキリがアブラゼミを捕まえたのを見たが、弱肉強食の昆虫の世界で、私の庭でも、エコシステムが働いていると言うことであろう。
   
   
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第一回能楽祭~観世能楽堂

2012年08月17日 | 能・狂言
   松涛の閑静な住宅街にある観世能楽堂で、能楽協会主催の「第一回能楽祭」が開かれたので出かけた。
   能「善界」には、観世銕之丞副理事長がシテ/善界坊、福王茂十郎副会長がワキ/比叡山の僧正で登場し、狂言「清水」では、野村萬理事長がシテ/太郎冠者で出演するのをはじめ、他の演目も協会の理事が舞い謡うなど、能楽界の重鎮が演じる豪華な舞台なのだが、お盆休みの所為か、惜しくも空席が残っていた。

   能「善界」は、日本国の仏法を妨げようと渡来した大唐の天狗の首領善界坊が、愛宕山の太郎坊ツレ/観世善正を連れて比叡山を訪れて、高僧を魔道に引き入れようと決死の戦いを挑むのだが、僧正の祈祷によって、不動明王が眷属を従えて登場し、更に、仏法守護のために現れた神仏に敗れ去り、二度と来ないと、数珠を投げ捨ててて退散すると言う話である。

   前場は、善界坊と太郎坊の登場とその談合シーンが主体で、その後、アイ・比叡山飯室の能力/善竹十郎が、萩箒に善界坊調伏の勅命書を付けて登場し立シャベリでことの次第を語り、大嵐の来訪を告げる。
   後場は、後見が車の作り物を脇座に据えると、比叡山の僧正たちワキ・ワキツレが登場し、ワキが車の内に入り、勅を受けて禁中に向かう様を語り、稲光と雷が大地を鳴動させる。ワキが床几にかけ、ワキツレが着座すると、天狗姿の厳めしい後シテ/善界坊が、大きな羽団扇を手にして登場し、僧正たちを魔道に誘引しようと必死の戦いを挑むのだが、僧正たちの祈祷によって現れた不動明王や諸天善神の威力に負けて退散する。
   
   この後場は、一ノ松で名乗りを上げて、左袖を返して「いかに御坊」とワキを見込んで舞台に入り込んでからは、後シテの独壇場で、僧正を魔道に引き込もうと縦横無尽に立ち働き、それを遮ろうとして登場した不動明王や諸天との激しい戦いの様子を舞うのだが、ワキ・ワキツレは、時には数珠をすって調伏したりしても殆ど動きがないので、これら一切を、シテの謡と舞、そして、地謡のナレーションで表現するのだから、能の奥深さの凄さが分かろうと言うもの。
   シテの銕之丞師は、新著「能のちから」を読んでいたので、やはり、本人の舞台を間近に観ると感激であった。
   白頭の演出で、大ベシメの面であろうか、天狗の専売特許である鼻の長い面ではなく、厳つい面で、剥き出した白目の部分が金色に光り輝いているので、精悍で異様な面構えで、時には優雅に時に激しく舞い続ける姿は、どこか神憑り的である。
   しかし、パンフレットで、銕之丞氏は、この能は、メルヘン・ファンタジーですと語っているのだが、のこのこと日本までやって来て、戦いを挑む能天気な一寸頭の弱い天狗が主人公だからそうだと言うのかも知れないが、残念ながら、私には、メルヘンを感じる余裕はなかった。

   最近では、あらゆる音響や視覚芸術を駆使して説明過多とも言うべき舞台芸術が幅を利かせているのだが、能楽は、極めてシンプル。簡素、簡潔さ故に、観る側は、想像を逞しくして、一生懸命に想像力を働かせて、物語を膨らませて観ないと、少しも面白くないし分からないと言うことである。
   私のように、感受性に欠け、創造力の弱い能楽初歩の鑑賞者には、今回の舞台は、国立能楽堂の定期公演のように字幕がなくて説明文が簡素過ぎると、理解するのに四苦八苦であった。
   シテや地謡の謡の文句が良く聞き取れなかったと言うこともあるが、やはり、バレーと同じで、能には表現方法に約束事と言うか明確なパターンがあって、そのあたりの基礎知識がないと、早い話が、どこで、不動明王が出て来たのかさえも良く分からないと言うことになり、勉強の必要性を痛感した。
   ドナルド・キーン先生のような能楽の大家が居られるので、何の不思議もないのだが、国立能楽堂でもそうだが、何時も、結構、白人の観客が多いのには驚いている。

   さて、その前に演じられた狂言の「清水」だが、何時も感激するのだが、80半ばの野村萬師の力の籠った迫力のある全力投球の舞台には頭が下がる。
   この狂言は、野中の清水に、茶の湯の為の水汲みに生かされた太郎冠者が、行くのが嫌で、鬼が出たと言って嘘をついて逃れようとする話で、結局信じられない主人が、秘蔵の桶が惜しくて清水に出かけようとしたので、嘘がばれると大変なので、先回りして清水に行って鬼の面をつけて主人を脅す。先に帰った太郎冠者が、恐ろしい目にあったと帰って来た主人を出迎えるのだが、事情を話している途中で、主人が鬼が太郎冠者であったことを見抜き、もう一度清水に出かけて面を剥がして太郎冠者の化けの皮を剥ぐと言う話である。
   アドの主人・野村扇丞師を相手に、野村萬師が、愉快で楽しい至芸を披露している。

   本田光洋師の舞囃子「小督」や前田晴啓師の仕舞「花筐」は、さわりだけだが、面と衣装を着けない素の姿の能楽師が、恐らく舞台でも、あのような無表情の状態で舞っているのであろうと思って、興味深く見ていた。
   他には、森常好師の独吟「隅田川」、中村邦夫師と曽和正博師の一調「屋島」が演じられた。
   一寸違った感じの観世能楽堂の雰囲気を楽しんだお盆休みの午後であった。
   
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アイデアが番った時に繁栄や進歩が~マット・リドレー

2012年08月16日 | 生活随想・趣味
   マット・リドレーの「繁栄」のプロローグが、「When ideeas have sex」、訳本だと「アイデアが生殖するとき」なのだが、そこで、彼は、
   大きな脳と模倣と言語自体では、人類に繁栄や進歩は説明できない。人類のこの並外れた変化の能力を生んだのは、複数の脳の間で発生した集団的現象だと言っている。
   同じ大きさで手に馴染む太古のハンドアックスと今日のコンピュータのマウスと比較して、前者は一人の人間が作ったに過ぎないが、後者は何百、ことによると何百万の人間が関わった集団的知性の産物であり、ある時点で人類の知性が、他のどんな動物にも起きなかった形で集団的・累積的になり、これこそが、人類の繁栄と進歩の源泉だと言うのである。

   SEXすると言う言葉が適切かどうかは別にして、人類の歴史のある時点で、アイデアが出会って番い始めたことで、この生殖によって生物学的進化は累積的となり、異なる個体の遺伝子が引き合わされて、こうして、ある生き物の中で起きた突然変異が別の生き物の中で起きた突然変異と合流して進化した、これと同じである。
   進化は生殖抜きでも起こるが、その歩みははるかに遅くなる。
   人間の文化自体が、自己複製し、突然変異し、競争し、淘汰し、蓄積し始め、この累積によって文化が進化したのだが、その為には、アイデアが出会って番う必要があったのだと言うのである。

   この考え方は、トインビーが、「歴史の研究」で、文化文明は、辺境地帯から伝播して行ったと論じていたが、やはり、これも、異文化異文明の衝突によって生まれた一種の生殖現象であり、
   また、異文化と異文明が激しくぶつかり合って遭遇した文明の十字路フィレンツェで、F.ヨハンソンの説く「メディチ・インパクト」が、壮大な知の爆発を誘発して、ルネサンスを生んだことでも、この理論の正しさが例証されるであろう。
   
   ところで、私が、この章を読んでいて感じたのは、あの戦後の日本の急速な発展と経済成長は、正に、この集団的知性の融合の産物ではなかったかと言うことである。
   今、快進撃を続けている新興国の発展は、ICT革命のお蔭で、言うまでもなく、先進国の蓄積した知的ノウハウやテクノロジー、産物などを殆ど、タダ同然で吸収して、最短距離でキャッチアップ出来るためであるのだが、
   私は、日本の戦後復興は、もっとそれよりも重要な、日本がそれまでに積み上げてきた高度な日本文化なり進んだ文明的要素を持っていたので、それを西洋的な先進的要素を、対等に融合できたが故の成長発展ではなかったかと思うのである。
   生殖の場合もそうであろうが、両者の遺伝子が揃って高くなければ、良質な子孫が生まれないのと同様である。

   ところで、今の日本の停滞ぶりだが、そのひとつの原因は、日本社会そのものが、以前のように、精力的に外的要素、すなわち、異文化異文明、違ったアイデアや遺伝子を、受け入れなくなってしまったことにあるのではなかろうかと思っている。
   折角、世界に冠たる素晴らしい文化を持っているにも拘わらず、内向き志向がこれ以上進んで行き、益々、異文化異文明の遭遇を避け、知的なチャレンジ&レスポンス機会を削ぐような結果になると、純粋培養と言う言葉の響きは良いけれど、メディチ効果の発生や知の爆発なりが貧弱となって、価値の創造なりイノベーションが委縮して行く。
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映画:メリダとおそろしの森

2012年08月13日 | 映画
   久しぶりのピクサーの映画「メリダとおそろしの森」を、何時ものように孫のお伴をして見た。
   原題は、「BRAVE」。主人公である王女メリダが、魔女がかけた森の呪いを解くために勇敢に戦うと言う自由奔放で勇ましいお姫様の映画で、中世のスコットランドを舞台に展開されるCGとは思えない程鮮やかで素晴らしい映像と、家族の情愛に満ちたストーリーが感動を呼ぶ。
   シェイクスピアのマクベスとは、一味も二味も違ったスコットランドの牧歌的で大らかな古城風景が新鮮で清々しい。
   今も健在なジョン・ラセターが統括総指揮しているのだが、最後に、会社立ち上げ時期の社長であったスティーブ・ジョブズ追悼の添え書きがあって、ジョブズのイノベーターとしての別な一面を思い出させてくれていて、懐かしい。

   イギリスUKは、4か国からなっているが、このスコットランドは、今でも、独立を画策し続けているし、お札も独自のポンド札を発行しているし、一寸、イギリス南部のイングランドと違って、剛直で誇り高い地方と言う感じで、大地も、なだらかで緑したたる田園風景の美しいイングランドと違って、荒涼とした岩肌を見せた起伏の激しい土地もあり、この映画で雰囲気が良く現されていて興味深かった。
   私は、車で、東部のニューカッスルを経て国境(?)を越えてスコットランドに入り、エジンバラやネス湖畔などで一週間ほど過ごして、湖水地方に抜けた旅をしたことがあるのだが、友人のスコットランド人を見ていても、大分、イングランドと違った国であることを実感している。
   

   さて、この映画だが、
   乗馬と弓矢を得意とする自由気ままでお転婆の王女メリダは、王妃エレノアに、気品と優雅さを求められる窮屈すぎる毎日に飽き飽きしており、とうとう、伝統を重んじて、他の部族の王子との結婚を望む王妃と、自由に夫を選びたいメリダとの諍いが高じる。怒った王妃は、メリダの弓を燃やしてしまったので、メリダは、家族の描かれたタペストリーを二人の絵の間で切り落として、愛馬を駆って森を目指す。
   自由になりたい一心で、森の老婆を訪ねて、自分の運命を変える魔法を授けてくれと頼み、王妃の心を変えるためにと、老婆は、王妃に食べさせる魔法のタルトを渡す。
   ところが、タルトを食べた王妃エレノアは、最も恐れられていた熊に変えられてしまう。共存共栄していた人間と森の間には、人間は森の魔法を使ってはならないと言う掟があって、メリダが頼んだために、森との掟が破られて、森の呪いがかけられたのである。  
   メリダと熊になったエレノアは、呪いを解いて貰うべく森に老婆を訪ねるが、休暇で留守で、日の出までに、絆を修復しなければ、永遠に謎が解けないと言うメッセージを残している。
   メリダは、自分で餌を取れない母熊に必死になって生きる道を教え、母が熊に変えられてしまったことを知らずに殺そうと追っかけてくる父王や武人たちと戦い、森の魔法を使って国家を簒奪しようとした王子が変身させられた獰猛な熊モルデューが、襲い掛かってくるのを打ち殺そうと果敢に立ち向かう母を助けて倒す。
   静かになった森で、メリダは、切り裂いたタペストリーを縫い繕って、母熊にかけると、呪いが解けて熊は王妃エレノアに戻る。

   この映画は、王家の絆を修復するために、如何に苦難に立ち向かって戦うか、王女メリダの勇気が試される物語で、その中に人間のきずなの大切さと、森の掟をテーマにしながら、自然との調和、共存共栄のエコシステムの大切さを示唆しているのではないかと思って見ていた。
   スコットランドの森が、実に、幻想的に美しく描かれていて、道標を示す鬼火の動きや、森のことの中心が、ストーンヘンジのように円形に並べられた巨大な岩の列柱の場で展開されていて、太古のイギリスを思わせるのが面白い。

   スタッフは、スコットランドの森を再現するために現地調査をしたようで、苔の描写に最も神経を使ったと言うが、自然よりももっとビビッドで、シェイクスピアがアーデンの森で描こうとしていた世界のような気がしている。
   それに、びっくりするのは、カーリングしたメリダの豊かな髪が、本物の髪と寸分違わない程、揺れてなびき、鮮やかに呼吸していることで、CGがここまで来たのかと言う驚きを感じるとともに、
   メリダと王妃は勿論、国王、そして、集合する個性に富んだ3部族の人々の表情の豊かさや、タータンチェックをはじめ衣装の微妙な陰影の鮮やかさなど、感動する程、素晴らしい映像が魅了してくれる。
   スコットランド人たちの戦いの場など、多くの人物が入り乱れて争う群像のビビッドな動きもそうだが、黒光りして波打つ母熊の躍動する姿態なども含めて、映画芸術のイノベーションの新展開に感動する。

   ピクサーのこの映画は、トイ・ストーリーや、これまでの、どちらかと言うとモノが主役であった映画と違って、人間を主人公にし、それも、女の子を中心に描くと言う面白い展開で、エポックメイキングでもある。
   それに、今度、何となく感じたのは、この映画が、宮崎駿のじぶりの映画と相通じるところがあって、幻想的で空想に満ちた詩情の豊かさと、実に温かい人間賛歌が滲み出ていることである。
   
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トマト栽培日記2012~(13)高温で結実せず落花

2012年08月10日 | トマト・プランター栽培記録2012
   この口絵写真は、イエローアイコの上部の花房だが、沢山花が咲いたが、結実しても殆ど落果して、実付きが悪くなった。
   他の木も、大なり小なり同じ状態で、昨年と同様に、梅雨が明けて、連日猛暑になると、同じ栽培方法を続けていてもこうなってしまうので、ぼつぼつ、諦めざるを得ないと思っている。
   木も疲労が激しくて、大分枯葉も多くなってきて、可哀そうな状態になったものがあるのだが、これまで結実して大きくなった実は、どんどん色づいて、収穫期に入っている。
   先日、偶々、農家の主婦が来て、賞味願ったら、自分たちのトマトより美味しいと言っていたので、出来は、満更でもなさそうである。

   ところで、今のトマトの木の状態は、ホーム桃太郎、シンディスイートEX,アイコ、イエローアイコの順に、この写真のとおりであり、まずまずの状態である。
   
   
   
   


   ついでながら、トマトのプランターの脇にブルーベリーの木が2本植わっていて、沢山実をつけている。
   1本は枯れずに残ったわが庭の主のような木で、背丈は2メートル以上にもなって大きく枝を広げているので、結構、沢山の実をつけて、楽しませてくれている。
   先日も、ボール一杯に収穫したので、私の唯一出来るキングサーモンの料理を作って賞味した。
   平皿の上の生のサーモンに、ブルーベリー・ジャムをまぶして、その上からたっぷり赤ワインをかけて醤油で味付けして、そのまま数時間おいて、その後、フライパンでワインがソース状になるまで熱を加えるのである。
   今回は、ブルーベリー・ジャムの量を抑えて、収穫したブルーベリーをたっぷり加えてフライパンで熱したので、甘みがたっぷり染み込んで新鮮であった。
   勿論、赤ワインが美味しく頂けるので、憩いのひと時に良い。
   
   
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八月花形歌舞伎・・・桜姫東文章

2012年08月09日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   8月の歌舞伎は、これまで3部構成だったようだが、今年は、鶴屋南北の通し狂言が、二作で、昼の部の「桜姫東文章」を見た。
   南北の作品は、ストーリー性と言うよりは、奇想天外なテーマを更に捻って、時には、人間の悪をこれでもか、これでもかと炙り出して抉りだし、怪奇性や見せ場が多いのだが、見て楽しいと言う作品ではないので、私には、少し苦手ではある。
   江戸の人も、そうかどうかは知らないが、かなり、空席がある。

   この作品も、主人公の吉田家の息女桜姫(福助)だが、以前に屋敷に忍び込んで操を奪った墓掘りの釣鐘権助(海老蔵)にひょんなことで再会し、一気に、一夜の契りの思いに燃え上がって身を任せ、不義者として捉えられて東屋で暮すも、権助と再会して夫婦となり、夫に言われるままに喜んで女郎になって、「風鈴お姫」と呼ばれる売れっ子になると言う信じられないような話であるが、実際には、当時、お姫様が夜鷹に出ていたと言う実話があったと言うから、南北も、近松門左衛門同様に、事件記者よろしく芝居に取り込むべく脚色したのであろう。
   この桜姫は、余程、権助への思いが強烈だったのか、忘れられなくて、ちらっと見た権助の釣鐘の刺青を手に彫付けていたと言うのだから、燃えに燃えるのも、愛しい権助に言われれば、女郎奉公でも人殺しでも、いとも容易いことであったのであろうが、最後には、権助が、父と弟を殺して「都鳥の一巻」を奪った敵と知って、仇の血を引いた我が子をも一突きに刺し殺して、酒に酔わせて権助を殺して仇を討つ。
   ところが、大詰めは、浅草寺雷門前、三社祭でにぎわう中、父と梅若丸の仇を討ち都鳥の一巻を奪い返した桜姫と重臣たちが集まる大団円。
   赤姫の衣装を纏った福助桜姫が、艶やかな姿で登場し、ほんの少し前にあられもない姿で殺された筈の海老蔵が、威儀を正して正装の大友常陸之助頼国として颯爽と登場するのであるから、場内はかすかな失笑。

   ところが、これだけなら話は簡単だが、愛之助扮する高僧清玄が絡むから面白い。
   17年前に、修行僧清玄は、相思相愛の稚児白菊丸(福助)と心中をはかるが、自分だけ生き残ってしまい、この桜丸が、その時交わした香箱を握ったまま生まれた白菊丸の生まれ変わりだと言う設定で、逢う瀬に燃え上がった桜姫の胸に手を入れて権助が取り出して投げ捨てた清玄と書かれた香箱が証拠となって女犯の僧となってしまい、抗弁しなかったが故に追放されるのだが、桜丸に恋焦がれて病気になって寝込んでしまう。
   結局、邪魔になった清玄は、弟子僧・残月(市蔵)に殺されるのだが、四六時中、桜姫の前に亡霊として現れて女郎買客を怖がらせ、最後には、桜姫の前に現れて、手元の子が桜姫の子であり、自分と権助とは兄弟だと明かして消えるのだが、謂わば、狂言回しの役で、愛之助が、結構板についた演技を見せて楽しませてくれる。
   桜丸の福助が、異常なほど色気づいて、海老蔵の権助に入れあげれば入れあげるほど、憔悴しきって桜丸に恋心をつのらせる、元高僧の愛之助がバカに見えてくるのだが、桜丸のストレートな男への傾斜と清玄の魂の抜け殻となった邪恋の激しさが、強烈過ぎるのかも知れない。

   この他に、清玄の後釜を狙って、桜姫と権助の秘め事を告げ口し、同じくいけ好かない桜姫の女中長瀬(萬次郎)と愛人関係にある邪悪な僧・残月の市蔵や、桜姫に付きつ離れつ現れる吉田家の重臣粟津七郎の右近と葛飾のお十の笑也など、脇役陣も脇を固めて好演しているのだが、南北作としてはかなりシンプルだが、短い芝居で、色々な入り組んだ話をごちゃ混ぜに消化しようとしている感じがして一寸重い。
   いくらお姫様大事でも、お十が、幽霊騒ぎで遊郭を追われた桜姫の身替りになって、喜んで(?)権助に女郎屋へ叩き売られて、夫の粟津も何も言わないと言うのも解せないし、権助が妻を女郎屋に売って、その金で家を買って大家におさまって大きな顔をしているなどは、当時の観客はどんな思いで見ていたのか、江戸文化の片鱗が見え隠れしていて興味深い。
   しかし、これだけ、単純な話を入り組ませて因果応報的な日本人好みの話に纏め上げた南北の才覚には、恐れ入る。
   とにかく、重宝が見つかってお家再興と言う一点だけは、芽出度し芽出度しであるのだが、その他は、話のツマかスペアパーツのように、どんどん、人が死んで行き殆ど救いがないのには、一寸、息苦しさを感じている。
   ロンドンで、シェイクスピア鑑賞に明け暮れていた私には、近松門左衛門には楽しみを感じても、思想も哲学も、ストーリー性さえ殆どない南北のような幻想(?)の世界は、苦手である。

   以前には、桜姫を雀右衛門や玉三郎が演じて、他に、團十郎と仁左衛門が登場したと言うから、今回の福助、海老蔵と愛之助は、役者としての持ち味や役柄からしても、適役なのかも知れない。
   海老蔵のどこか崩れた生きの良いヤクザな権助や、愛之助の高僧然とした或いは精神の病んだ亡霊のような僧の成れの果ての清玄など、上手いと思ったし、福助の桜姫には、やはり、年長としての座頭的な風格があって、特に、姫言葉と女郎言葉がチャンポンとなった威勢の良い長台詞など、流石にベテランだと思って聞いていた。
   ただ、今回、結構露骨な濡れ場があるのだが、福助が、感極まった表情をすればする程、白けた感じになるのは、不思議なのだが、やはり、タダでさえストレート過ぎるのであるから、多少、淡泊に演じて流した方が良いのにと思っている。
   

   
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