チーム初の都外遠征試合

思えば遠くへ来たもんだ という歌は、子供たちは知らないでしょう。
動画をはりつけておきます。

海援隊 思えば遠くへ来たもんだ


たまには詩的に文章を書いてみましょうか。
まだ朝日の出ない午前6時30分。給食搬入門に集まった8人。これから遠く、茨城県への遠征へと旅立つ。
イノッチ車は、ダブルモニターのDVDプレーヤーで「ハイキュー」を見ながらゆっくり進む。
首都高戸越から新宿方面へ。そして東北道へ。走っていくうちに朝日がのぼる。W君が「先生、これから朝日がのぼりますか?」と質問する。その10分後、赤く染まり始める東の空。東北道へ進む荒川沿いの首都高に入ると、晴れた空の向こうに富士山が見えてくる。「富士山が見えるよ、きれいだね。」と3,4年生が語る。
東北道から圏央道に入る。左右共、広がる田園風景に、「田舎に来たね」「家があまりないね」と子供たちの声。
こうして車窓から、様々な景色を心に刻み、体育館に到着した。
と、行きはこのような雰囲気でした。

練習試合は9チーム集まり、1セットで総当たり。5勝6敗と可もなく不可もなくといった内容。それでも参加した8人全員が十分試合出場できたので、とてもよい経験を積めたのではないかと思います。普段練習することのできない、広い体育館になかなか慣れることができず、サーブは今一つ。もっとも良かったのはチームの自己紹介で、これは参加9チームの中で、飛びぬけて素晴らしかったです。

最大の課題は、元気がないことです。真面目すぎるのです。かつて私が教えていた辰巳ジャンプを知っている、今日の参加チームの監督さんからも、「辰巳の子たちは元気だったのにね」という言葉がありました。辰巳ジャンプの子供たちは、私が「そんなに声を出したら、のどがつぶれてしまうから、少し静かにバレーをしてもいいよ。」と言ったくらい元気だった。そして授業中も我先にと発言をするような子供たちだった。委員会やクラブ活動では委員長になり、学芸会では主役を自分のものにしていた。だから辰巳ジャンプの卒業生は、中学校のバレーボール部に行けば、必ずキャプテンになっていた。矢口の子の最も大きな課題がここにあります。内弁慶なのですね。これを打ち破るには、やはり学校から外に出していくしかない。広い世界を体験させるしかない。という意味では、今日がそのスタートになったとも言えるでしょう。

【個人成績はここには書かず、チーム新聞に書いて配ります】
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茨城遠征の記事は明日になります。

まだ自宅にも戻れていませんので、今日のふりかえり記事は明日になります。
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