校長室の窓 転載作業中

2019年4月1日(平成31年)に私は現任校の校長に昇任させていただきました。
1学期中は赴任した学校の課題や地域の状況を把握するために、あらゆる所に顔を出していきました。

2学期が始まった9月からが大変でした。

台風15号、19号と超大型な台風が連続して襲いかかり、19号の時には学区域を流れる多摩川があと少しで氾濫するまで水位が上がりました。この状況になると学校管理者の私は当然、学校に待機していました。この頃はまだ、自治体の水害対応策も、19号のような大災害につながるような状況に対応できる体制が取れていない状況で、勤務校は水害対策対応の避難所にはならなかったのです。そのため、私は勤務校に避難してきた方々に、「残念ですが、この学校は水害避難所には指定されていません。避難所は、〇〇小学校か、〇〇出張所になっていますので、そちらに行くようにお願いします。」とお断りの対応をするしかありませんでした。
自治体としてこの経験から学び、水害避難所が一気に拡大されました。勤務校も2階以上を水害避難所とすることに変更になりました。

年が変わり2月になると、あの新型コロナウイルス感染症との戦いが始まりました。このウイルスへの対応方法が未開発だったため、なんと3月から5月までの3か月間を、全国の学校すべて臨時休校するという、日本で初めての対応をすることになりました。

その後の様々な激変については、皆さんご承知の通りです。

思えば、校長として危機管理ばかりをやってきた6年間だったように思えます。

それでも教育の種はまき続けるのだという思いを込めて、自校サイト上に「校長室の窓~子どもの心の宝探し~」というページを作り、さらに新型コロナを含む新課題に挑戦しなくてはならない教員たちを守るためにも、自校サイト上からの情報発信を、私が徹底的に行うことで、ある程度、困難な時代をリードしてきたつもりです。

書き続けてきた「校長室の窓」の記事をアーカイブとして残すために、この冬休みに、このブログ内に必要そうな記事を転載する作業を始めました。2日間くらいで終わるかなと思っていましたが、自分で書いてきた記事の量は思ったより膨大で、転載作業は冬休みいっぱいかかりそうです。それでも「思想は逃がすな」という我が信念に従い、しっかり記録していくつもりです。(当ブログのカテゴリーの中に「校長室の窓」というコーナーを新設しました。)

こうした自己履歴こそ、日本の教育界が進めている「個別最適化学習」や「キャリア教育」の財産になるのです。個別最適化とは、他者と比較するのではなく、過去の自分を確認しながら、今の自分をより良く向上させることです。
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日本の公立学校教育に関する一提言

日本の公立学校教育の現状は、教員不足でかなり行きづまっています。その中でも、「臨時的任用教諭(産休代替教員)の不足」と「若手教員の離職」ということが、私の実感として二大問題と感じています。私はどちらの問題も、私が教員になった1987年当時から、将来はこうなるだろうと言い続けてきました。当たり前です。1987年から数年間、日本を代表する東京都の教員採用試験の合格者数は200~300名だったからです。東京都の小学校数は約1200校。教育の未来を考えるならば、少なくともその半分の600名は採用していかないと、この200名採用世代が幹部教員になる頃には、年間採用数を1000名前後にしなくてはならなくなり、結果、若い世代が急増する。若い世代は子育て世代にもなるため、産休代替教員が必要になるが、それをカバーする世代が200名しか採用されていないため、教職経験のある人材がいなくなる。つまり私のような一学生だった人間にも、2020年代のこの教員不足はいとも簡単に予想できていたわけです。
教員の採用は、その年の自治体の予算との関連が深いため、このような状況を生じるわけですが、「教育立国100年の見通し」を時の為政者が自覚していたならば、こうした事態を40年前に予想して、問題回避できていた、もっと強く政治界に働きかけていればよかったと私は後悔しています。

このような現状を解決するために、文部科学省は新たな検討をしているようです。

多様な専門性を有する質の高い教職員集団の形成を加速するための方策について
(令和6年12月25日 中央教育審議会 諮問) 【概要】


これを受けて私は、おそらく日本の教育関係者の中で、誰も提案していないと思われることを、ここに書き残しておこうと思います。

(1)新規採用教員を育成する期間を1か月間確保する
今の教員採用システムだと、新規採用教員は十分な研修も受けることなく、4月1日にいきなり学校現場に立たされ、小学校だと4月6日には「〇〇先生」としてプロ教師となる。しかし、そのほとんどは教育技術も社会的経験も不足している状況の中、ほぼ素人教員としてスタートしなくてはならない。学校現場の管理職や先輩教員としても不安だし、新規採用教員自身も右も左も分からない状況で、いきなり責任をもたされる不安がある。
その解決策として、

①2月中には採用通知を出し、3月中の1か月間を研修期間とすることで、4月のスタート時に教員としての自覚と実力を高め、不安感を軽減する。この1か月間の研修で不適切と判断される教員は不採用とすることも可とする。

②4月1日に採用辞令を出すことが避けられないとすれば、学校の1学期スタートを5月1日または6月1日、さらには9月1日にする。新規作用教員は、この間、新規採用教員は教育委員会や学校現場の研修を十分に積み、指導力向上に努め、即戦力として通用するだけの資質能力を育む。5月1日スタートとする場合は、4月の1か月間を春季休業日として時間的余裕を生み出す。かわりに夏季休業日の42日間を削減し、2週間程度にすることで、授業時数を確保する。そのために全国の学校には国家予算で空調機を配置する。

一般企業では、そのくらいの新人研修はしているのではないでしょうか。

どこかの議員がこの記事をつかまえてくれると面白いのですが、その可能性は低いでしょうから、自分で立候補するしかない???(笑)
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中学校の部活動 地域連携・地域移行検討について

私は小学校校長の代表として、自治体の「中学校部活動地域連携・地域移行に関する協議会」に出席させたいただいています。今日も夜にその会合があり、矢口タートルズの練習の途中でぬけさせてもらって、会議に参加しました。(矢口タートルズの練習では、5,6年生の子供たちの技術の伸び方が驚くくらいに著しいことを確認しました。)

中学校部活動の課題は、乗り越えていかなくてはならないことが本当に多くて、ほぼオブザーバー的に参加している小学校校長会代表としては、無責任に発言できないなという感じがしています。

このような検討会が行われていることについては、地域の小学生スポーツ団体はあまり知らないことだと思いますので、話し合っているさわりだけ公開してみます。

そもそもこのような話題が生じている背景には、中学校「教員の働き方改革」があると私は思っています。自分の専門外の部活動の顧問をしなくてはならないことは、中学校の先生たちにとっては、かなりの負担感があることは、誰もが理解できることと思います。今日発表されたアンケートデータでは、80%の中学校教員が、部活動指導に強い負担感を感じていることが分かりました。

私のように、小学生バレーボールの指導をライフワークにしているような教員は、全教員の1%もいないのです。
ならば、中学の部活動も指導したい方々に任せ、専門的な指導体制を組むことができた方が、良いのかもしれません。

今年、様々な小学生チームの指導者の方々と話した話題(小学校校長という立場で質問されたこと)に、「中学校の部活動って無くなるの?」「小学生バレー卒業生の受け皿として、中学校クラブチームを作ってあげた方がいいの?」というものがありました。その答えとしては、「中学の部活動がなくなることは・・・ないでしょうね。」「クラブチームを作る力がある団体は、早めにそうして、全国大会出場を目指した方がよいでしょうね。」と回答するしかないかなと思います。

自治体教育委員会レベルでも、この課題に対しては、担当している職員の皆さんが、とてもたくさんの予算を勝ち取って、大きな成果をあげています。しかし、その大きな予算が持続可能なものなのかと考えると、それは難しいのではないだろうかと客観的には思います。

私の感覚としては、「栄枯盛衰」という言葉が浮かびました。
指導者にやる気のある部活動は存続し、指導者にやる気のない部は衰退する。それでよいのではないだろうかと思いました。
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小学校教育界あるある サンドイッチ

小学校教育には独特の言い回しがいくつもあります。たとえば、低学年の教室は、たいがい横二人が並んでいる縦列が4列あり、列ごとに「1号車」「2号車」「3号車」「4号車」と呼ばれます。
こんな感じ。
1号車 2号車 3号車 4号車
      
      
      
      

これが学級内に定着すると、「1号車の人、プリントを取りに来て」と担任が指示をすれば、1号車列の子供たちが一斉に動き出すということになります。これを高学年でやると、高学年の子たちはドン引きになります。ほぼ「大人感覚」の高学年ですから、「1号車」という電車ごっこなんて無意味になるのですね。私は教員生活の8割は高学年担任だったため、「何号車」という言い回しは1度も使ったことがありません。

そうそう、私のような高学年ばかり任される教員のことを、5,6年担任ばかりやっているという言い回しで、「ゴロゴロ(5656)」と言うこともあります。私自身は「自分は高学年専科です」と自称していました。これまた独特の言い回しです。


今、アンダー10チームの子供たちを鍛えるために、練習中に「サンドイッチ」という言い回しを使うことが多くあります。
この「サンドイッチ」という言葉は、教育界でかなり使われるため、高学年の子供たちにはピンとくるはずなのです。「サンドイッチ」とは両側からはさまれることの例えです。これを小学校の教員は、男女男女と並ばせるときによく使います。

男女男女男女男女男女男女
女男女男女男女男女男女男
男女男女男女男女男女男女

こんなふうに並ばせたいときですね。集合写真を撮るときとか、芸術鑑賞の際に座席に座らせるときに教員が使います。
この目的は、小学生段階では何かする際に、「男子がふざける」割合が高いため、男女交互に並ぶことで、余計なトラブルを避けようとする、安全保険的な教員の意識が働いています。このことを強く意識し、それってどうなのかと疑問を抱く「変な教員」「理屈っぽい教員」「反骨精神ばかりの教員」だった私は、決して「サンドイッチになりなさい」という指示はしませんでした。そのようなことをしなくても、普段から普通にしていられる子供たちのメンタルを育てていたからです。私が担任する子供たちは私の日頃からの指導をきちんと理解していたので、「この場面ではこういう行動をすればよい」といつも分かっていたから、別にサンドイッチという物理的な仕分をしなくてよかったということです。「すばやく自由に並んでね。」「あとはよろしく。」と言うだけでした。ですから、「サンドイッチ指導」を教員がした瞬間に、私の頭の中では、「もう一歩進んだ指導、先手を打つような指導を、日々していれば、今ここで余計なことを言わなくても済むのにな。」と思いが浮かぶわけです。しかし、それを言葉にしてしまったら、一生懸命指導している教員がかわいそうなので黙っています。

さて、アンダー10チームを育てるために、「サンドイッチになりなさい。」という私が使わなかった指示を、今あえてしています。レシーブ練習をする際に、オーバー10の子供たちの間に、入部したばかりのアンダー10の子供たちをサンドイッチにすることで、アンダー10の子供たちに「こういうふうに練習をするんだな」という理解を促しています。そしてオーバー10の子供たちにも、目の前にアンダー10の子がいることで、「お手本になろう」という意識と「アンダー10の子が上手になるためにはどうしたらよいだろう」という試行錯誤を促しています。子供たち全員にプラス効果があると確信したため、私の信条として使わずにきた「サンドイッチ」という言い回しを使いました。

指導者、教育者は、自分自身の固定概念にしばられることなく、目の前の子供たちがどうしたら成長できるのかを考えて、柔軟な発想をしていくこと。これが最高に面白いので、バレーボール指導者をやめられないのです。
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学校あるある「発掘しました平面平均台」

どの学校でもあり得る、学校の欠点あるあるです。
今日の練習前に、体育館倉庫を確認していて、「これはいったい何の箱なのだろう?」と気づいて開けてみると、中からすてきなサーブ練習器が出てきました。バレーボール用の練習器ではありません。硬化スポンジ製の平面平均台です。普通の平均台では危ない場合の安全性の高い平均台です。高さは地面から3cm位しかありません。表示を見てみると昭和60年購入で、ほとんど使われていません。お宝発見というわけで、さっそくサーブ練習に使いました。
この上で写真のようにサーブ練習すると、体のバランスが良くなりますし、きれいにミートしないとサーブが飛ばないため、フォーム矯正になるのです。10分間練習しただけでしたが、その効果は絶大でした。練習最後の紅白戦で、連続サーブポイントを取っていました。


ところで先週の土曜日は、朝風呂に入って上がろうとした瞬間に、腰に痛みが入りました。とても軽い程度のギックリ腰と自分でも分かったので、土曜日練習はおとなしくしていました。

今日は午前中にお茶の水の三楽病院という、東京都の教員をたくさん受け入れている病院に、定期検診に行って血液検査をし、栄養相談と主治医の診察を受けました。待ち時間が長いため、ゆっくり読書をしながら体を休ませた結果、腰の方は完調に戻りました。そこで今日の練習からは、徹底的に走るレシーブでボールを落とさないバレーボールを目指す練習の球出しをすることができました。
夜になっても腰の痛みはないので、たぶん大丈夫でしょう。
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前々任校の150周年の取組開始の会へ参加

私の前々任校は、文京区立明化小学校といいます。副校長として1校目の学校でした。
今日は、この学校の開校150周年へ向けてのスタートの「同窓会総会」と「歴代管理職・PTA役員の会」が開かれたので参加しました。

自分が勤務した学校は、どの学校にも愛校心があります。今日参加した明化小学校の会でも、地域の皆さんやPTAの皆さんとの懐かしい再開がありました。学校から出された資料には、校長から指導されたことを実現すべく、私自身が動いて生み出してきた学校の歴史がたくさん残っていました。

「明化」という校名は、「文明開化」という歴史上の事実から名付けられています。学校の敷地自体が江戸幕府・徳川家と関係があります。卒業生にも徳川家の方がいます。芝の増上寺の菅頭様も明化の卒業生です。本当は明化小学校ではなく「文明開化小学校」と言ってもいいのではないかと、私は思っている学校です。

この学校の大きな特色があります。

(1)あいさつの徹底
明化の子供たちは、100%全員が必ず立ち止まって、ていねいに挨拶します。そこまで徹底している要因は、歴代PTA会長がボランティアで朝7時30分から校門に立って、率先してあいさつをしているからです。ここまで努力するPTA会長は明化小学校しかいないのではないかと思います。

(2)学校教育目標の唱和
毎週の全校朝会で、6年生が前に立ってリードし、学校教育目標を全校児童が唱えます。
「明化の子供はやり通す。やり通す心と体。人のため進んで出せる心の力。気づき考え作り出す力。」
こうして学校教育目標を常に意識して生活しているために、明化の子供も大人も皆、この教育目標のような人格を育んでいくのです。
ここまで学校教育目標を徹底している学校はあまりないのです。
これだけ徹底して教育目標を浸透させているため、卒業生たちは模範的な行動をした時に、「当たり前です。私、明化ですから。」と自信をもって言えるのです。
こんな素晴らしい学校に勤務できたことを、私自身も誇りに思っています。
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「神様ご指名カード」でハラハラドキドキの授業

昨日の教育実践記録を読んでくださった方から、「神様ご指名カード」とはいったい何なのか知りたいというご要望をいただきました。ありがとうございます。説明いたします。

(1)写真のような手のひらサイズのカードを用意します。長く使う可能性が高いため、破損しないように板目紙で作ることをおすすめします。
(2)この写真には「2-2」とクラス名を書いていますが、神様の「G」とか「ゴッド」とか書いても楽しいです。
(3)裏面に子供たちの名前を1枚に1名ずつ書いておきます。
(4)授業中にこのカードをめくって、ランダムに指名をすることができます。「誰が指名されるかは神のみぞ知る」とか言って、めくってあげると子供たちはドキドキしながら、知らず知らず緊張感と集中力が高まります。
(5)この神様指名ばかりしていると授業にならないこともあるため、効果的に使える場面かどうか、教師の判断力が必要です。
(6)カードの大きさにばらつきが出ると、シャッフルしたときに、並び順がいつも同じとか、ある子ばかりが先に出るということが起こるため、裁断機を使って、ピタリ同じサイズのカードを作るとよいです。

昨日は、問題文を読んでもらうときや、誰でも答えられそうな発問をしたときに、神様カードを使い、1日かけて全員が発言できました。(つまりカードを使い切りました。)
このほか、子供同士のリレー指名をさせたり、挙手発言や意図的指名をしたりと、場合に応じて使い分けていった結果、子供たちの冗談じゃないくらいの数多い発言で進む授業を、一日中することができたというわけです。

実はこの教育技術も、20年くらい前に先輩教師から教えてもらったものです。
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コメント力の高さ・・・私、そういう子がお気に入りです

櫻井梨央 モーニング娘。’22加入 完全版【未公開シーン追加】


モーニング娘の新しいメンバーが1人だけ入りました。
ここにはり付けた動画の子です。
歌唱力は???
しかし、私が注目したのは、年齢からは想像できない、この子のコメント力の高さです。
動画を見てもらえる方は、この子がどう語るかを見てください。

かつて私は、教育関係者として、日本のバレーボール選手のコメント力をなんとかできないかと、バレーボール協会の役員の方から相談を受けたことがあります。その当時、プロ化したサッカー選手は、語る内容がへたではあるが、人々の心を打つような語りをしていました。ふりかえって、バレーボール選手はどうだったかというと、私が聞いていても、いったい何を言いたいのかと首をひねるコメント力でした。今は違いますね。全日本の選手たちは、サポーターを意識して、応援したくなるコメントを語ってくれます。

かねてより、私が運営してきた「誰もが応援したくなる」チーム、選手、というのは、応援団の心を良い意味で裏切り、そして喜ばせるくらいの、抜き出たコメント力を有した選手です。その意味で、アイドルではありますが、高校2年生にして、これだけのコメント力をもった子をスカウトできる組織に対してリスペクトします。

来たる11月、私はまたまた、この子が出演するコンサートに行くことが決まっています(笑)。
ちなみに動画に出てくるこのグループのリーダーは、私の前任校である東京都御三家・名門の小学校の卒業生でもあります。

このような人材育成というテーマは、私の教員人生のテーマでもあります。
この夏休み中、私はほぼ体育館の住民になり、子供たちにバレーボールを指導していましたが、そのかげで、校長室では将来、東京都の教員になりたいという大学生たちに、教員採用試験合格に向けての指導をしていました。私が指導をしますから、参加した人たちは当然、この動画のアイドルような表現力をもつことになります。

大事なことは何かというと、表現力よりも、その人の「思い」を強く固めることなのです。
アイドルになりたいならば、そこにはかなりの決意がいります。
同じように、一流の教育者になりたいならば、「自分と出会う子供たちを必ず幸福にしてみせる」という決意が必要です。
「思い」という言葉は、人の心を打つ言葉です。
私の指導はけっして甘くはないのですが、受けきった人たちはみんな、自分の人生を切り開いています。
その人の魂に「消えない思い」「熱き魂」を刻むこと。それが井上教育の真髄です。
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恐ろしきビールの影響

夏休みも残り1週間になりました。
バレーボールの練習も休みに入らせ、2学期のスタートにむけて、子供たちには準備をする余裕を与えました。
バレー部各家庭の保護者の皆様は、お子様が2学期の学習に向けて、順調にスタートを切れるようにご配慮くださいませ。

昨日、夏休み猛練習と命名した連続練習のしめくくりをしました。当然、私は無欠席で全日程の指導をし続けましたので、自分自身にご褒美を与えようと、「糖質制限」「血液改善」にチャレンジしていた象徴としてのビール制限を、8か月ぶりに破りました。500ml缶で2本だけです。ところがビールを飲み始めると、それだけに終わらず、いろいろなものを食べたくなるのですね。まさしく食前酒。「とりあえずビール」という合い言葉は、どうやら人類共通言語のようです。これによって、私の今朝の体調調査は、数か月ぶりの衝撃的な体調悪化となりました。

なんとなんと、ビールを飲んだたった1日で、この夏休みに頑張ってきた平均1.5㎏マイナスの体重低下がくつがえされ、あっという間に1㎏の増加となりました。リバウンドしすぎもよいところで、笑うしかありませんでした。そして、二度とビールを飲むまいと心に決めた今日の朝の定期体重測定でした。

自虐的な話題を変えます。
写真は、私が学校内に作り上げた「ふれあいビオトープ」です。
長さ4m、奥行き1mあるエコスペースであります。
家庭にある水槽に当てはめて、4m×1mという巨大水槽だと思うと、アクアリストにとっては夢のような水陸同居のアクアテラリウムスペースとなります。
ほんの小さなこのビオトープで、私はメダカのブリーディング(繁殖)に取り組んでいます。
この広さと、天敵のいない生息環境は、メダカにとっては最高の繁殖環境となっています。
メダカたちは、今年も1000個を超える卵を産み、現状見た目で200匹以上のメダカが、通常よりも大きく成長してノビノビと泳いでいます。
昨年は、朝一番で卵を回収して、校長室前廊下で針子を育てていました。
今年はそれをせず、あえて自然環境に近いこのビオトープの中で卵を放置しました。その結果、昨年度以上に元気いっぱいの「矢口産メダカ」が急増しました。産卵シーズンを終えた今日時点でも、水面をよく見ると、生まれたばかりの稚魚が泳いでいましたので、「え~!いつまで子供を産み続けるのかな?」と、私は嬉しい悲鳴をあげています。

となりの大き目の池では、錦鯉、ヒレ長ごい、金魚などが、私に餌付けされていて、「パンパンパン」と手をたたくと、餌タイムだと感じ、近くに集合してくれます。このことを我が校の子供たちもよく知っていて、池に私が現れるとただちに、「お魚にエサをあげたいです。エサをくれますか。」と声をかけてきます。人なれしている魚たちなので、子供たちがちょっとずつエサをあげると、おいしそうに食べてくれます。それを見て、「ほら!私のあげたエサを食べてくれたよ!」と満足気な人間の子供たちの様子を見るだけで、このような楽しく魅力的な環境を作って良かったなと思うわけです。

このふれあいビオトープには、秋に向けて、シオカラトンボやイトトンボが飛んできました。陸地では、アリとダンゴムシがせっせと土壌改善してくれています。今私は、このビオトープの陸地に、ミミズを何匹か入れて、さらに土壌改善をしていくことを目標としています。また、多摩川のカニを採集してきて、住民の一部にしたいと思っています。

6月には、学校にいる大き目のヒキガエルをつかまえて、ビオトープに置いたのですが、残念ながらこの場所は嫌だったようで、2日目の朝にはいなくなっていました。
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ある意味、子供たちは、大人にとって「アイドル」と言ってもよい

私がHello Projectの人材育成がとても組織的に行われていることに気付いてから2年がたちます。きっかけは、コロナ禍が始まった2020年に、誰もが「配信」という方法に逃げる中で、真っ先にコンサートを開始したのがHello Projectであり、学芸会をしたいと計画していた私としては、どのように観客対応策を講じているのか勉強しようと思って、コンサートに初参加したことでした。
【2020年9月20日 会場:大田区蒲田アプリコでの自分の日記より】
地元のホールで開催することになったハロプロバラードコンサートに来ている。検温、消毒だけでなく、くつ裏のクリーニングまで行う入念さ。さすがハロプロといえるが、ここまでやるのは、世の中やはりどうかしている。会場も異様な静けさだ。


私が子供の頃は、「スター誕生」をはじめとするオーディション番組が盛んで、ここで合格するとすぐにプロデビューさせてしまう時代でした。しかし、つんくさんをプロデューサーとするこのチームは、そうではないことを20年以上してきました。指導陣を充実させて、「人をしっかり育てた上で、プロにする」ということを実践してきたと考えられます。このことは、小学生バレーボールチームを指導することを生き甲斐にしてきた私には、とても参考になる指導方法、組織づくりのお手本なのです。小学生バレーボールにはまってしまい、子供たちを応援することに抵抗を感じない大人にとって、小学生バレーボーラーは「アイドル」と同じなのです。バレーボールを始めたころには何もできないが、目標をもって一生懸命努力する子供たちの姿を応援し続けることで、大人自身の満足感は極めて大きくなっていきます。なんとしても成功者にしてあげたい。これが大人のファン心理です。

さてさて、最新の人材育成情報をアップしましょうか。
こちらの動画、コロナ禍最盛期の2年前のものです。観客もいない屋上でパフォーマンスしている4人は、この時点で3~4年の研修生時代等の下積み生活を送っています。多くの同期生がデビューしていく中で、この4人だけはデビューさせない。この動画の2020年も研修生の立場です。このまま4人でデビューさせてもおかしくないレベルだと思いますが、そうさせない。厳しい下積み生活を体験させていく。このメンバーを簡単には終わらせないという組織的な育成方針を感じます。子供たちのモチベーションを維持しながら、試練を与え、心を鍛え、意図的に子供たちを育てる。これは私のやり方ととても近い考え方です。

ハロプロ研修生ユニット TIF 2020 Day1 SKY STAGE

(この動画、私自身にしか分かりませんが、ちょこちょこ私の地元が映っている、フジテレビ近くの建物屋上での撮影です。背景の様子は、私の庭のような地域で、ほとんどあの建物は何かということが分かります。)

この4人が、さらに2年間の下積み生活を重ねた上で、たくさんの応援団を獲得し、新しく結成されたチームの核となり、やっとデビューします。それが次の動画です。4人の中で、ここにたどり着くのに、人によっては6~7年がかりです。よくモチベーションを保てたものです。普通ならあきらめるのではないでしょうか。きっと指導する方々は、そうならないように、繊細に対応してきたことと想像します。
OCHA NORMA - TIF 2022 SKY STAGE DAY 2

(こちらもお台場の景色が背景ですね。あそこだということが私には分かります。角度が違うため、私の住んでいる地域は映っていません。)

私、2010年頃から「だれもが応援したくなる子供たち」を指導テーマにしてきました。
これからも、身近な大人を魅了する子供たちを育てていきたいという気持ちは変わらないのではないかと思っています。
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「氷点」内藤洋子 卒業式のシーン 1966年

「氷点」内藤洋子 卒業式のシーン 1966年


1966年。昭和41年。戦後たった20年。
昭和30年代は日本教育界の新時代であり、様々な授業改革が進められていたという時代背景がある。
実は、この時代に開発された授業方法が今でも引き継がれ、しかも20代の若手教員ですら、ほおっておけば無意識のうちに、この時代の授業方法をしてしまうということを私は感じている。
しかし、この動画に出てくる中学3年生、陽子さんの卒業式答辞場面のスピーチは、このくらいのスピーチができる中学生が日本には普通にいたことを象徴しているように思う。
くだらない娯楽のなかった時代のドラマである。今の町会長さんや商店街長さんという世代の方々が、青春時代を過ごしていた時代のドラマである。このような答辞スピーチに現代の私たちも学ぶ点はたくさんあるはずである。

その後、たくさんの学校ドラマはあったが、そのたびに児童生徒のセリフは、人々の心を打ってきた。

さて、2022年の今、人々の心を打つ子供の言葉とは、どのような内容になるのでしょうか?
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[アイドル]『ようこそ新宿』フルバージョン ステージショー 古川琴音×山崎育三郎×愛希れいか×田村芽実 ほかメインキャスト総出演 | 特集ドラマ | NHK

[アイドル]『ようこそ新宿』フルバージョン ステージショー 古川琴音×山崎育三郎×愛希れいか×田村芽実 ほかメインキャスト総出演 | 特集ドラマ | NHK

※リンクをクリックすれば見ることができます。

[アイドル] 古川琴音×田村芽実×つばきファクトリー×BEYOOOOONDS×山崎育三郎『風車の歌』ステージショー | NHK

※リンクをクリックすれば見ることができます。

[歴史探偵] 中村メイコさんが語る「戦地慰問」の記憶 | NHK

※リンクをクリックすれば見ることができます。

この夏休み、NHKで太平洋戦争の知られざる民衆の歴史を表現した「アイドル」というドラマが放映された。
こと太平洋戦争当時というと、教育界では政治や軍部の考え方、軍事教育云々という話題が先行していき、私も同じように戦争の是非を問うような論調に終始していた。ところが庶民の感覚はどうだったのかという視点はあまり考えられない。このドラマは、そうした若い庶民の心を表現したものとして、とても興味深い内容であった。

時は1935年(昭和10年)から約10年間ちょっと。太平洋戦中戦後の新宿を舞台にしている。
さらには戦地に赴いた兵隊さんたちの思いも表現している。
主人公は「明日待子(あしたまつこ)」。未熟ではあるが、明日のスターを目指して努力し続ける存在として舞台に立つ。完成された存在ではなく、未完成でも必死に努力し、応援してくれる方々の心を打つ存在。「愛ドール=アイドル」・・・まるで今の状況と変わりないではないかと思わせる。どんな時代であっても、「応援したくなる存在」というものは、人の心を打つのだと感じる。私が小学生バレーボールのチーム作りで最も重視してきたのが、「誰もが応援したくなる子供たちを育てる」ということであった。その目標は十分に達成できていないが、これからもそのような子供を育てていきたいとは思っている。

学校経営も同じである。
誰もが応援したくなる学校にできれば、どんな時代であっても変わりなく、よい学校にしていくことができる。
反対に、どれだけよい教育をおこなっていても、心情的に応援したいとは思わない学校ならば、すたれていくことだろう。

目標をもって懸命に生きる人たちが報われる組織を作るために、私という存在がいることを自覚したい。
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小学校と高等学校の連携はあまりないことです

写真画像は、今日、東京都立六郷工科高等学校からいただいた子供たちの応援用の横断幕です。業者に注文するのではなく、このように地元の都立工科高校と協働して、「地元の子供のために」できることをする。この小学校と高等学校の連携は、これまでの教育界にはなかった、新しい可能性の扉を開いたと確信しています。この後、我が校は5年生が社会科見学の位置づけで、六郷工科高等学校の学校見学を行う予定です。私はこの見学については、キャリア教育としても大変重要な意味があると思っています。こうした教育マネジメントをすることは、世間的には行き詰った感のある教育界に、一石を投じていく意味合いがあると思っています。「目の前の壁は、避けるのではなく、破るためにある」・・・これが私自身の高校生時代からの信念です。

なぜ、六郷工科高等学校が我がチームの横断幕を作成してくださったかという理由を、小学校側の視点と工科高等学校からの視点で、細かく書き残しておきます。

【小学校の立場として】赤字が重要ポイント
☆自治体の教育研究推進校(教育界では、いわゆるパイロット校)として、「(仮)未来づくり科」という小学校の新教科創設をするための開発をしているため、自治体の特色である「ものづくり」を得意とする高等学校との連携は必須である。
☆新教科「(仮)未来づくり科」は自治体内にある諸団体との教育連携を強化するねらいがある。
☆研究推進校としては、多様な連携をできるだけたくさん開拓することを任されている。
☆小学校として、PTA親子バレーボール同好会という新しい活動形態を始め、その成果をもってPTA活動への新たな提案をしようと計画している。そのことについての大きなバックボーンとなる。
☆小学校と高等学校の連携という、今までになかった教育活動についてマネジメントすることは、日本全国の学校教育に新しい流れを生み出すことができる可能性がある。

【六郷工科高等学校の立場として】
※東京都教育委員会「Society5.0を支える工業高校の実現に向けた戦略プロジェクト Next Kogyo START Project」より抜粋
☆これからの時代の工科高校を発展させるために、 STEAMのAの範囲を芸術、文化のみならず、生活・経済・法律・政治・倫理等を含めた広い範囲で定義して推進すること、教科等横断的な視点から教育課程を編成し、地域や関係機関と連携・協働しつつ、生徒や地域の実態にあった探究学習を充実していくことなどが重要となっている。
☆ 新しい知識・技術が短期間で絶え間なく生み出されていくため、生徒が将来にわたり学び続けていくための礎を築く必要がある。生徒が好奇心をもって主体的に取り組むことや、“ものづくりの楽しさ”を実感しながら、「考える力」「学び続ける力」などのヒューマンスキル等を身に付けることが肝要である。
☆技術が高度化・多様化し、一人であらゆることに対処することが困難であるため、チームで協働して課題に向き合う姿勢が求められる。
地域に親しまれ、“遊びに行ける工業高校”になるよう、地域の人々が気軽にものづくりや学校等の相談ができるよう、「校門をくぐりにくい雰囲気」を払拭する。
☆工業高校の魅力を伝える動画や生徒が参加する取組などを小・中学校や企業などに幅広く発信する。
☆都立工科高校の目指す人材像「科学技術等が進化する中、ものづくりや技術の進歩を楽しむとともに、人のためになる創造的な活動で課題を解決しようとしたり、新しい価値を生み出そうとしたりする人材

つまり両校の関係は、「win-win」の関係になるのです。
非常に専門的な学習を行っている都立工科高校と小学校の連携は、小学生の学習へのモチベーションを高めることにもつながりますし、小学校段階で「工科高校で学べること」を知識として得ることは、子供の進路を考える上でも、大きな力となると思います。

六郷工科高等学校の生徒さんの学習場面を参観して、最も感じることは何か?
それは、生徒さんたちが「自分の学びたいことを楽しく学んでいる」という姿が見られることです。
そして、そのこと以上に感心したことは、「日本一あいさつができる高校生」がいる学校だということです。
なぜそうなるのでしょうか?
それは、高校在学時代に様々な企業様とふれあう機会がたくさんあり、各企業様の社長さんをはじめ、社会で活躍している方々が、あたりまえにあいさつしていることを目の当たりにできる学習環境にあるからです。
これからの「Society5.0時代」を生きていく進路として、ものづくりが好きな子供たちは、工科高校を選択するのも良い生きる道筋なのではないかと思います。
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仕事は忙しい人に頼むのが一番の法則

矢口タートルズは、今日も練習日でしたが、井上不在となりました。お隣の学校で特別な打ち合わせがあったからです。そのことは後で書きます。

今日は4年生の遠足。葛西臨海水族館に電車で行きました。結論から言うと、子供たちの行動はとてもお上品でした。朝の東京駅方面に乗るという、かなりのチャレンジ(間違いなくラッシュアワー)でしたが、ラッキーなことに蒲田駅発の始発電車に乗ることができたため、すでに乗っている小学生団体を避けて、大人の乗車客が他の車輌に乗ってくれたのです。
それでも教員から事前指導を受けたことを真面目に守り、人に迷惑をかけないように整然と行動できた4年生でした。
今回は、都内フリーパスという切符を使うという利点を生かして、葛西臨海公園のみではなく、帰りの東京駅でも下車することができ、レンガ造りの駅舎を正面からながめるという、社会科見学的な内容ももりこむことができました。遠足は、子供たちも担任たちも満足のいく行事となりました。解散式では雨が降ってきたこともあり、私からは「今日はみんな頑張りました。100点満点です!」と一言伝え、短い訓話を終えました。

帰校はちょうど午後3時。
私は副校長時代から、教員、職員が、私に即時的な判断を求めることが多いと心がけて、必ず居場所が分かるようにしてきました。
校長になってもそのことは変わりません。校長室の入り口には、私の毎日の予定をホワイトボードシートに書いて公表しています。今日も、帰校後1時間以内に出張してしまうことを知っている教員は、その1時間以内に決済を受けようと、次々に校長室に現れます。そのひとつひとつを決済し、お隣の学校に出向きました。

さて、お隣の学校では何をしていたかと言いますと、この学校では11月に「生活科・総合的な学習研究会 全国大会」を開催することになっているのです。私はお隣の学校の校長であり、さらに私の学校が、この学校が研究発表しようとしている「未来ものづくり科」について、同じように自治体の研究指定校になっているので、全面的に「生活科・総合的な学習研究会 全国大会」を支援することをお約束しているというわけです。11月全国大会に向けて、どのように運営していくか打ち合わせをしてきたのです。

校長の仕事というのは、自分の学校のお仕事は当然ながら、それだけではダメなのですね。他校への協力や自治体、東京都、日本国、さらには民間団体といった、教育関連のすべての組織を相手にしているといってよい状況です。

そこで19歳の私に戻ります。
この頃、私は社会で活躍する先輩に助言されたことがあります。
「仕事は忙しい人に頼むのが一番だというのが常識なんだよ。君は今、本当に忙しいだろうけど、みんなに信頼されているからこそ、何でも任されるんだよ。すべてのことを受け止めて、すべてやり遂げていけば、君は指導者として力をもつと思うよ。」
「その対応力の早さは指導者に向いている。きっと君は、自分の進む道で指導的立場になる。」
「大変だと思うけれど、与えられたこと全ての壁を破り、君の道を切り開きなさい。」
こんな若い時から、このようなことを意識化されたら、私のような変な人間になるということでしょうね。自分でも珍しい人間だと思っています。

私は忙しいからといって、仕事を後送りにはしません。頼まれた仕事は30分以内に返すという信念を続けています。それによって、副校長をしていた前任区では「東京都で一番仕事の早い副校長」と言われてきました。このことから今でも仕事を頼まれたら、「私、早いので。」というキーワードで、即時対応でお応えしています。

今では笑い話ですが、この仕事の早さによって、私の20代の頃には女性のファンクラブがありました。けっこう手作りのプレゼントをいただきましたねぇ(苦笑)
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運動会は素晴らしかった その後裏話

実は、NHKの「おはよう日本」から、取材依頼が来ていた運動会でした。しかし、教育委員会とも相談の結果、今回は取材を遠慮しました。理由は、働く保護者の皆様の休みである土曜日に、運動会を公開できないことにあります。私たちの学校は、コロナ禍であっても教育を優先し、子供たちにとって通常の紅白対抗運動会を続けてきました。このことは、NHKさんにとっては興味深い取組だったことでしょう。しかし、無観客開催という対応をすることで、生の子供の姿を見たいという保護者の願いを受け止めきれていない学校だと、誤解する方々もいるかもしれないという教育委員会の配慮に納得し、取材をお断りました。
NHKさま、すみませんでした。

日曜日の「おはよう日本」のニュースを見て、なるほど、他校に譲って良かったなと思いました。私たちの学校の取組は一般的ではない。個性豊かで、はみ出していく、「超子供優先」の新しい学校だからです。ニュースには向かない、進みすぎた学校です。

そして運動会は、最高潮の盛り上がりでした。
子供たちの熱中する姿を目の当たりにした我が教員たちは、終了後の反省会で、口々に、
「点数で競う、真剣な運動会をする子供たちの姿は、我々教員も、やって良かったと感じさせるものだった。子供たちの成長を実感した。」
と言っていました。

テレビ取材を断ったことは、私としては残念ではありました。なぜなら、うちの学校は新型コロナ感染症“対策”ではなく、感染症“教育”を行い、自己健康管理能力を高めようと言い続けてきたからです。このことを訴えたかったという思いがありました。
また、我が教員たちの、コロナなんかに負けず、子供を育てたいという情熱を訴えるチャンスだったかなとも思っています。

学校は対策の場ではない。
教育の場である。
今後も、どのような問題が起こっても、それを学習材料として、教育を行うこと。
この一点は、絶対に曲げません。
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