アファメーションを教えました 【辰巳ジャンプ】

来週の東京都交流大会に向けて練習中の辰巳ジャンプですが、体力面の成長を感じながら指導をしています。

今年のチームは体が小さくて、他チームから6年生はいないと思われていたくらいでした。当然、体力面でのハンディを常に感じながら、これまでの大会を戦ってきました。それは例えると、幼稚園で4月生まれの子と3月生まれの子の間に大きな成長差があるのと似たような感じでしょうか。

ここへきて6年生の体力が伸び、サーブやスパイクの強さがこれまでとは違ってきました。来週の試合は期待して良いと思います。


その試合・・・東京都交流大会に向けて、メンタルトレーニングを30分しました。

「アファメーション」について教えたのです。
アファメーションとは自分自身を肯定することです。
ここで文章にするのが大変なので、詳細は子ども達にお聞き下さい。

なお、チームの大人向け講座をご希望であれば、練習ができない2週間に行います。お申し出下さいませ。

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未来へ/ kiroro

未来へ/ kiroro


2007年3月。
私は6年生を1年間担任し、卒業させた。
この子たちに卒業を祝う会で歌わせたのが『未来へ』であった。

春3月。
桜が咲き始めた卒業式。
この時の卒業式が私の前任校の総仕上げだった。
なぜなら、そこに参加した“4~6年生全員が私の直接の教え子”だったからだ。
6年生はその年の1年間、5年生と4年生は子ども達が3年生の時に担任した。
こんな巡り合わせは2度とないかもしれない。

その時の日記を公開する。

****************************

『卒業式の朝』

今、9時前。
子ども達がまだ登校してきていないので、6年担任は暇です。
なので暇つぶしに書いています。

やるべき仕事はぜ~~~~んぶテキパキと同僚のみなさんがやってくれるので、ウロウロしていてもしょうがなく、職員室でひとりなんか書いているかなってかんじ。

あ、そうだ、今日の学級通信をコピーしておきましょうか!


まずは、卒業式前に読む学級通信

『今日は世界一の卒業式にしよう!!!』

いよいよ卒業式を迎えました。
辰巳小で一番きびしい担任に受け持たれて、大変な1年間から解放されますね。

みなさんは、この1年間、「心」というものをどんどん大きくしてきました。
「心」・・・それは目には見えないものです。
しかし見ることができるものです。
どうやって見るのか?
それは、「心は心の目で見る」ことができるのです。

私に話しかけてくれる辰巳小の先生、主事さんはみんな、同じことを言ってくれます。
「今の6年生の姿を見ていると、本当に成長したなぁと思う。」
「すごく優しい気持ちが伝わってくる。」
「6年生はいつも目標に向かって前進してきた感じがする。」
「素晴らしい6年生に育ってくれた。」

君たちが、君たちの目から、声から、心から発する、何かが、
あらゆる人たちに、安心と信頼を与えてきたことは間違いない。

いよいよ卒業式である。

担任の私は期待している。願っている。
君達ならば、
「世界のあらゆる卒業式にも負けることのない、最高の卒業式を演じてくれることだろう。」と。

やろうじゃないか!
世界最高の卒業式だったと、私たちも、そして参加したすべての人たちも、口々に話さざるを得ないような卒業式を、やろうじゃないか!!!

全世界に情報を発信してきた私たちだ。
全世界が見守っていることを感じながら、やりとげようじゃないか!!!

*******************

そして、卒業式後に読む学級通信

『一隅を照らせ』

地球上の生物は、すべてがなんらかの役目を果たしていかないと調和が乱れ、滅んでしまう。自分だけが楽しければよいという、安直な時代はとっくに終っている。
みんなは将来。
「一隅を照らす」人になってほしい
一隅を照らすというのは、どんなところでもいいから、ひとつの場所(分野)に光を当てられるような働きをしていこうという志のことをいう。


男子へ・・・・・
男子は年齢があがるにつれて「実力が勝負」となる。
実力を持たない男子はみじめである。
いくら強がっても、実力が伴わない男子は悲しい運命をたどっている。
ではどうしたら実力が伴うのか?
それは我慢と努力である。
絶対に人のせいにはせずに、そしてあきらめずに、人のみていない時に、いかにして力をたくわえていくか。20才までにそれをやり切った人には、未来が洋々と開けるだろう。


女子へ・・・・・
昨日、10年前の卒業生から連絡が入った。4年間付き合った彼氏と結婚したという。
私はすかさずこういうメッセージを贈った。
あなたは覚えていないかもしれないけど、私はあなたが6年生の時にこんな話をしました。
「女子は必ず幸せになってください。あなたたちの幸せが、幸せな子どもを育てます。幸せな子どもは周りの人たちを幸せにします。それが社会の幸せになります。」

今、同じことを言いたい。どうか幸せな人生を送ってください。自分だけでなく、周りの人たち全部を幸せにすることのできる人生を勝ち取ってください。

卒業、本当に、おめでとう。 そして、さようなら・・・・・

****************************

【 卒業式終了後の日記 】

終わりました。
やはり立派な卒業式になりました。

涙をこらえて、一生懸命声を出している姿を見て、
(あ~、この子達には厳しく指導しすぎたのかな・・・・・卒業式というこの時まで頑張りすぎているな。感情に負けてもいいんだけどな・・・・・)
と思わせるほど頑張っていました。

でも、ホッとひと安心。

卒業生も在校生も本当に立派で、間違いなく「世界一の卒業式」になった!!!

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第五福竜丸 秘蔵の歴史的講話 VOL.8 「3月1日の歌」

8、『3月1日の歌』

 お話のあと、三尾館長さんの展示館からの退職のお祝いに、花束を贈らせていただきました。そのお礼にということで館長さんは、見学者の前では初めて歌うという『3月1日の歌』を歌ってくださいました。


『3月1日の歌』

ぼくたちの仲間がひとり 灰をかぶって死んだ
ぼくたちの仲間がひとり 灰をかぶって死んだ
灰をかぶったその日   海の幸とったその日
3月1日

ぼくたちの仲間よみんな 団結し平和築こう
ぼくたちの仲間よみんな 団結し平和築こう
戦争のないその日    我らの幸とるその日
3月1日


 歌の意味をすべて理解できた子はいなかったようですが、歌の心を感じて、みんな館長さんの歌声に聞き入りました。

 長い間、静かに戦ってきた館長さんのもとへ訪問した最後の小学生が、第五福竜丸に最も近い江東区の子ども達であったことに、不思議な深い意味を感じられてなりません。きっと未来にわたって「第五福竜丸」のことを世界に伝えていけるのは、江東区の子ども達なのでしょう。また、そうであってほしいと願います。  (平成13年3月)

※この連載は以上で終了します。

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第五福竜丸 秘蔵の歴史的講話 VOL.7 「人類の未来を示している第五福竜丸」

7、人類の未来を示している第五福竜丸

 第五福竜丸は、放射能に汚染されて焼津の港へ帰ったあと、東京に移され、文部省が買い上げ、東京水産大学の練習船に改造されました。そして長い間、遠洋漁業に従事(じゅうじ)しようという学生さんの訓練に使われることになりました。
 10年ほど使ったあと、この船はもう練習船としても使えなくなってしまった。そういうことで江東区の夢の島、今みなさんが腰をおろしている所に、この船はつながれることになりました。ゴミの中に、この大きな船を捨ててしまうことになりました。

 しかし、この近くで働いているいろいろな人たち。木場のいかだを運んでいる人たち。職人さん。また石川島播磨という工場の人たち。みなさんの辰巳小学校や扇橋小学校、南砂西小学校の人たち、学校の先生たち。区役所で働いている人たち。江東区の多くの人たちが、なんとかこの船を保存したいということで、富岡八幡宮に行って募金をしたり、そんな活動を毎日毎日やりました。

 江東区の深川に住んでいた島田轍之助さんというおじいさんが、この船が水に沈みそうになっていると聞き、毎日毎日通って、水をかい出して、この船を守ってくれました。私もその活動に参加しました。何回も船に通って水をかい出しました。
 どうしてそんなことをしたのでしょう。

 この船は、名前も「はやぶさ丸」という名前に変えられていましたけれども、「第五福竜丸」であるということが、みんなの調べによって分かりました。この船は沈みそうになっていましたけれども、私たちに「何とかしてほしい、ぼくの声を聞いてもらいたい。」そういうふうに言っているように聞こえたからであります。

 たくさんの人々の努力によって、今から25年前(1975年)、この船は展示館におかれることになりました。この船の母港は、いわば東京都夢の島にあるわけです。そしてこの船は、原爆や水爆のない未来をかけて、世界の人々に「核兵器をなくそう」「核兵器を廃絶しよう 」「使わせてはいけない」と呼びかけています。

 この第五福竜丸のできごとがあったとき、有名な宣言がひとつあったんです。それは「ラッセル=アインシュタイン宣言」というものです。哲学者・ラッセル、原子物理学者・アインシュタイン、日本の物理学者・湯川秀樹といった、ノーベル賞を受賞した科学者たちが署名しました。
『今、人類は、「ヒト」という自らの種族(しゅぞく)に終止符(しゅうしふ)を打たなければならないのか?
 それとも、原爆や水爆をなくし、戦争のない平和な未来を切り開いていくことができるのか?
 ふたつにひとつの時代に入ったのではないか。』
そういうことを呼びかけた宣言だったのです。

 この船は、そういう意味で、人類の未来を示している。そのことをみなさん、ぜひ考えていただきたい。そして、みなさんの「郷里の船」が世界に向かって、そのことを呼びかけている 。これをぜひ誇りに思っていただきたい。ぼくはそれだけをお願いしたい。 今日は、みなさんが来てくれてお話を聞いてくれたことを大変喜んでいます。

 どうもありがとうございました。

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第五福竜丸 秘蔵の歴史的講話 VOL.6 「沈めてよいか、第五福竜丸」

6、沈めてよいか、第五福竜丸

 ここに『沈めてよいか、第五福竜丸』という文章が書いてあります。これは朝日新聞の読者の投稿欄に載せられたものです。この投稿から、第五福竜丸を保存して平和のために役立てていこうという運動が活発になりました。


『沈めてよいか、第五福竜丸』  武藤 宏一

第五福竜丸。

それは私たち日本人にとって忘れることのできない船。
決して忘れてはいけないあかし。
知らない人には、心から告げよう。
忘れかけている人には、そっと思い起こさせよう。
今から14年前の3月1日。太平洋のビキニ環礁。
そこで何が起きたのかを。

そして沈痛(ちんつう)な気持ちで告げよう。
いま、このあかしがどこにあるかを。
東京湾にあるゴミ捨場。人呼んで「夢の島」に、このあかしはある。
それは白一色に塗(ぬ)りつぶされ、船名も変えられ、
廃船(はいせん)としての運命にたえている。
しかも、それは夢の島に隣接(りんせつ)した15号埋立地に
やがて沈められようとしている。
だれもがこのあかしを忘れかけている間に。

第五福竜丸。
もう一度、私たちはこの船の名を告げあおう。
そして忘れかけている私たちのあかしを取りもどそう。
原爆ドームを守った私たちの力でこの船を守ろう。
いま、すぐに私たちは語り合おう。
このあかしを保存する方法について。
平和を願う私たちの心を一つにするきっかけとして。
        (朝日新聞 1968年3月10日 「声」欄より)

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第五福竜丸 秘蔵の歴史的講話 VOL.5 「大気の流れにも乗って広がった死の灰」

5、大気の流れにも乗って広がった死の灰

 そして、もっと細かい粉は海に落ちることなく、空に広がっていきました。それは大気の流れに乗って、5月中旬くらいに日本の上空に達しはじめました。そしてそれは、雨が降った時に、その雨にまじって強い放射能の雨となって、日本全体に降ってきたのであります。

 京都地方に降った雨の中からは、毎分8万数千カウントの高い放射線が計測されたこともありました。マグロは100カウントの放射能が測定されたものは捨てたといいますから、どれだけ高い放射能の雨が降ったかということがわかると思います。お茶の葉っぱや水道水や井戸水からも放射線が出ました。野菜や牛乳からも放射能が検出されました。

 この事件があった時に、私は小学校の4年生でしたが、帽子をかぶった上にレインコートをすっぽりかぶって、カサもさして学校に行かなくてはならなかったことを覚えています。そうしないと、髪の毛がぬける病気にかかってしまうからです。
日本の上空に水爆のチリが達し、放射能の雨が降ってしまった。これがビキニ事件のもうひとつの被害であります。

 4000kmもはなれた所で行われた実験でしたが、その影響が日本国民全体の生活や命をおびやかすことになってしまったのです。広島の原爆とちがって、広島の原爆以上に、今度はそれがもし兵器として使われたら、落とされた所だけの被害では終らないんだということを示してくれたわけですね。

 放射能をふくんだチリ、それは「死の灰」と名づけられましたが、それがいたる所にまき散らかされるのではないかと、風に乗って地球全体にまき散らかされるのではないかという、地球上のすべての人類の生存がおびやかされることになるかもしれない。これが第五福竜丸事件の持つ重要な意味だったのです。

 みなさん、放射能は目でも見えませんし、耳でも聞こえませんし、口でも味わえませんし臭いもしません。この船にしみこんでしまっているわけです。放射能の持つ一番恐ろしい点を、みなさん方に感じ取っていただきたい。これが展示館で働く私たちがみなさんにうったえている大事な点なのであります。

 ここには「死の灰」も、小さなビンに入って展示してあります。これは今でも弱い放射能を出しています。この「死の灰」は、久保山愛吉さんらの命をうばいました。そして、その後退院した乗組員の身体も、ずっと傷め続けたことも忘れないで下さい。
 久保山さんが亡くなってから21年もたって、ひとりの乗組員がガンにかかって亡くなりました。今日までに久保山さんをはじめ11人の方が、この灰によって命をうばわれました。ひとりの方をのぞいて、みんな肝臓のガンによって亡くなりました。

 放射能の被害。これはゆっくりゆっくり身体をむしばんでいくんだということを、この「死の灰」が、いまだに放射能を出していることを想像して、感じ取ってください。

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第五福竜丸 秘蔵の歴史的講話 VOL.4 「原爆マグロの被害」

4、原爆マグロの被害

 東京の築地の大市場に運ばれたマグロは、あわてて放射能が測定され、全部捨ててしまわなくてはならなくなりました。
 このできごとの持つ非常に重要な意味を、みなさんぜひ考えてください。その一番大事な点、ビキニ事件と言われる被害の重要な点は、この第五福竜丸だけの被害で終ることのなかったという点にあります。

 当時の厚生省が調べて発表した数字だけで、この第五福竜丸という船以外、18もの港の検査で、856隻という信じがたいたくさんの船が、また、約500トンというマグロが調べられ、捨てなくてはならないという事件に発展したできごとでもありました。

 「原爆マグロ」「爆マグロ」といって、マグロが食べられなくなってしまいました。おすし屋さんなどは、どんどん倒産(とうさん)してしまうということも起こりました。マグロだけではありません。しだいにお魚を食べなくなってしまいました。魚市場は閉鎖(へいさ)され、お魚屋さんは開店休業に追い込まれました。当時、日本国民はお魚から貴重なタンパク質をとっていたわけですから、これは国民の生活、命をおびやかされたできごとでもありました。

 どうしてそういうことが起こってしまったのでしょうか? 想像していただきたいと思います。これは水爆実験によって海が汚染されてしまうということを引き起こしたからであります。

 ビキニ環礁(かんしょう)の3月1日の実験を皮切りに、この海域(かいいき)で合計6回の水爆実験が行われています。

 アメリカは第五福竜丸が日本にもどって、被害が明らかになるにしたがって、危険海域というものを少しずつ広げました。しかし、残念ながら、危険海域だけに放射能はとどまってくれなかったのです。
 ビキニ環礁の近くに大きな海の流れがあります。北赤道海流(きたせきどうかいりゅう)というものです。太平洋を渡って、和歌山県から銚子の方に流れていく黒潮の流れにつながっているのですが、その流れに放射能を帯びた海水が広がって、その流れのある海域全体を汚染(おせん)してしまうことになってしまったのです。放射能を帯びた粉は、海の流れに乗って広がっていったのです。

 ビキニ環礁(かんしょう)の近くに、ロンゲラップ環礁といったものがありますが、当然ながらその島の島民も、死の灰をあびて被爆(ひばく)し、今なおその後遺症(こういしょう)で苦しんでいるのです。


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第五福竜丸 秘蔵の歴史的講話 VOL.3 「世界で初めての水爆被害者・久保山愛吉さん」

3、世界で初めての水爆被害者 久保山愛吉さん

 船は一目散(いちもくさん)に静岡県の焼津という漁港を目指して、1週間かかったんですが、全速力で、みなさんが自転車をこぐくらいのスピードしか出ませんが、なんとかたどりつきました。

 病院へ行って、みんな死んでしまうかもしれないほど大変な状況の放射線障害(ほうしゃせんしょうがい)だということがわかりました。 今度はみんな、東京の病院へうつされました。治療に1年2ヶ月もかかりました。身体の中に入った放射能物質がゆっくりゆっくり身体の外に排出(はいしゅつ)されるのを待つ。あとは輸血(ゆけつ)といった手段で治療を行うしかなかったといわれています。

 第五福竜丸の被害(ひがい)というのは、広島や長崎の原子爆弾の被害(ひがい)とは少しちがいます。
 広島の原子爆弾は、高さ580m上空で爆発しました。爆発によって生じた火の玉は、広島の地面にはほとんどとどかなかったんですね。火球からくる爆風、熱線、衝撃波(しょうげきは)、そして放射線。この被害を広島の人々は受けたわけです。
 第五福竜丸の場合は、それが広島の1000倍もの水爆だったとはいえ、160kmもはなれた場所で、熱線とか爆風を浴びたわけでもなく、放射能だけの被害。死の灰による被害だけを受けたことになるわけです。

 東京の病院では、ある乗組員は白血球が500とか600まで減少しました。懸命な治療にもかかわらず、この船で無線長であった久保山愛吉さんは、わずか200日ちょっとで、世界初の「水爆の被害者」として亡くなってしまいました。


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第五福竜丸 秘蔵の歴史的講話 VOL.2 「水爆実験の白い灰」

2、水爆実験の白い灰

 実験は、白いサンゴ礁(しょう)の島で行われたのでありました。

 島の上に30mくらいの塔(とう)を建てました。その上に爆弾(ばくだん)を置いて点火したのでありました。 点火と同時に生じた大きな火の玉は、白いサンゴ礁(しょう)の上に直接ぶちあたって、白いサンゴ礁の島ひとつが蒸発(じょうはつ)してしまいました。島がなくなってしまったのです。
 
 信じられないほどの大量のサンゴ礁のかけらを、その火球に吸い込んで、上空にまきちらかすかっこうになりました。これは水爆の実験でした。

 水爆は、原子爆弾を引き金としているわけです。原爆に点火して、ものすごい高い温度、高い圧力、超高温、超高圧の中で、重水素の原子を融合(ゆうごう)させ、そこに生じるエネルギーを爆発させるのが水爆です。その冒頭(ぼうとう)の引き金として使われた原爆の核分裂(かくぶんれつ)によって生じた放射能が、大量にサンゴ礁のかけらに付着したことになります。それが風に乗って広がった。高さ3万メートル、直径も200kmを越えるような大きな原子雲となって、実験海域(じっけんかいいき)全体をおおうようになってしまったのです。

 第五福竜丸は、その中心から160kmも離れているところにいたことがわかっています。放射能を帯びた白い灰が第五福竜丸の乗組員の皮膚(ひふ)につき、肌(はだ)は大変強い火傷(やけど)をしたような状態になってしまったのです。

 それだけでなく、鼻からその白い粉をたくさん吸い込んでしまった。しだいにそのまわりの細胞(さいぼう)がおかされていく。白血球(はっけっきゅう)が異常(いじょう)をおこす。はじめは目がチカチカする。食欲もなくなる。疲れやすくなるという初期の症状でありましたが、しだいに強い吐き気、下痢(げり)、腹痛をともなうようになりました。 歯茎(はぐき)からは血がにじみ出てきて止まらなくなってしまいました。髪の毛は、次から次へとひとかたまりずつ抜け落ちていきました。

 全身が放射能に汚染(おせん)され、急性放射線障害(きゅうせいほうしゃのうしょうがい)にかかってしまっていたのでした。 みなさんは今、この船の下に腰をおろして話を聞いてくださっていますが、ぜひ、この船の中に、みなさん身体を置いたつもりになって、23人の乗組員になったつもりで、マグロをとっているときに、何か得体(えたい)の知れない火の玉や白い灰にまきこまれて、今言ったような症状になった時の乗組員やご家族の悲しみや苦しみとか痛みとかを想像してみてほしいと思います。


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第五福竜丸 秘蔵の歴史的講話 VOL.1 「西からあがった太陽」

これから掲載する資料は、東京都江東区夢の島にある「第五福竜丸展示館」で開館以来20年間にわたり館長を務められた三尾喬英先生のご退職直前に、私の教え子たちを前にして話して下さった講話をそのまま起こしたものです。

このお話は三尾先生の20年以上にわたる「第五福竜丸」「平和」に対しての深い思いが込められています。今、このブログ内にもご紹介させていただくことで、お一人でも福竜丸の史実を心に刻んでもらえるのではないかと思い、公表することにしました。

8回の連載になります。
教育にたずさわる方には必読の連載です。
どうぞお見逃しなくゆっくりじっくりお読み下さい。

***********************

1、西からあがった太陽

昭和29年、第五福竜丸でマグロをとっていて被害(ひがい)にあった漁師さんたちは、自分達がどういう被害(ひがい)にあったかを日記や手記(しゅき)で残しています。

 その漁のときは、マグロをとる「はえ縄(なわ)」というのを船のうしろの方に、2時間ぐらいかけて 、スーッと流し終わって、これから朝ごはんを食べようとしていました。マグロがかかるのを待つことにしたんです。まだ夜が明けていませんでしたが、とつぜん、空が、海が、パーッと赤く、黄色く輝いたように感じたんです。光がザーッと走った。それはしだいしだいに空全面をおおうようになってしまった。

 赤く輝いたような情景(じょうけい)は、なかなか消えようとはしませんでした。びっくりして空を見上げた乗組員の目の前に、大きな火の玉が輝いているのが見えました。左舷後方(さげんこうほう)、水平線20度くらいの位置に、大きな火の玉が輝いているのを見たそうです。 どんな火の玉を見たのでしょうか?

 空は夕焼けのようになりました。この火の玉を見た乗組員は、「太陽が西からあがってしまった!」とぼう然と空を見あげておりました 。音はまったく聞こえませんでした。シーンとした中で、火の玉はしだいに赤くなり、紫色になって、しだいしだいに消えていったのです 。

 その後、3~5分後、海の底からおなかに突き上げるようなドドーンという音が聞こえたのです。海底火山が爆発したのか!それともこれはアメリカの原爆実験にぶつかってしまったのかもしれない!そう直感したと日記には書いてあります。大きな火の玉を見て、大きな音を聞いて、そう感じたと書いてあります。マグロはかかっていませんでしたけど、あわてて「はえ縄」を漁船に引き上げ始めました。

火の玉が消えたところからは、何か真っ黒で大きな雲が立ち上がるように見えました。それは、しだいしだいに広がって、第五福竜丸の上に おおいかぶさるように迫ってきたそうであります。そして、その雲から雨が降ってきました。しばらくすると雨にまじって、白い粉のようなものが降ってきました。マグロを引き上げ始めてから3時間くらいたったころです。

 そのころになると空も晴れてきて、雨もやみました。しかし今度は、白い灰のようなもの が、まるで雪が降ってきたように船の上に降りそそぎはじめました。甲板は真っ白になって 、足跡がうっすらとつくほどに降り積もったのです。
 この灰は、なんだかよく分からなかったけれど、非常にザラザラしていて、自分たちの髪 の毛、頭、おでこ、鼻の頭、ほほ、首の間、何だか痛いように付着(ふちゃく)しはじめた 。そのジャリジャリする粉を、かんだり、味わったりしてしまった乗組員もいたそうです。

 乗組員の体に、痛いように雪が降り積もるように付着(ふちゃく)したその白い灰は、サンゴ礁のかけらでした。しかしそれはただのサンゴ礁(しょう)のかけらではありませんでした。あとでわかったことですが、これは強く放射能(ほうしゃのう)をあびたチリでもありました。



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なぜ「ゆとり教育」はうまくいかなかったのか

【これは2008年6月13日の学級通信に書いた記事です】

今、ベストセラーとなりつつある本があります。
勝間和代さんの最新書です。

勝間和代のビジネス頭を創る7つのフレームワーク力 ビジネス思考法の基本と実践
勝間 和代
ディスカヴァー・トゥエンティワン

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 実はマインドマップが今のように注目されるようになったわけは、勝間和代さんがマインドマッパーとして活躍し、「年収10倍アップ」というキャッチフレーズをかかげた本や、女性が賢く生きるための本「インディで行こう!」などで一気に注目をあびるようになったことも理由の一つなのです。

「ビジネス脳を創る 7つのフレームワーク力」ビジネス思考法の基本と実践

 この本の中で、ゆとり教育について書かれている箇所があり、井上が思っていたことに近い考え方だと思いましたので抜粋します。

 勝間さんは、思考の段階(ステップ)として、教育学者のブルームの「思考の六段階」を実践的にまとめながら、
①事実認識(知識、理解)→②解釈(応用、分析)→③問題解決(統合、評価)
というステップを踏んでいくことが大事だということを前提にした上で、こう述べています。


『私がしつこく「教えて君」はいけないと言っているのは、「教えて君」をくりかえすと、つねに事実認識のレベルの情報しか頭に入らないし、自分で問題解決ができるようにならないからです。

 とはいえ、けっして知識のベースをおろそかにしてはいけません。
 たとえば、このモデルを見たときに、はたと気づいてほしいのは、「なぜゆとり教育はうまくいかなかったのか」ということです。
 最近、会計学の学会で大学の教授と話をしていて、次のようなエピソードを聞きました。
 2007年4月に入学した大学生は、ゆとり第一世代といわれ、ゆとり教育を小学校1年生からフルタイムで受けてきた世代といわれますが、会計学の授業のあとで、比例のやり方がわからないので教えてくれという学生で長蛇の列になったというのです。(ちなみに、これは早稲田大学の話です。)
 この教授はもうすぐ還暦で、何十年も会計学を教えてきたベテランなのですが、このようなことは初めてだったそうです。もちろん、会計学ではコストを配分し、期間損益を配分するのが基本ですから、比例がわからないと授業にならないのはいうまでもありません。

 そうなのです。この事例でわかるように、ゆとり教育の問題は、①の知識のレベルを十分にこなさないまま、②以上のレベルを生徒に求めてしまい、しかも全体の授業量を減らしたので、結果として、思考力がうまく育たなかったことにあるのです。』




 圧倒的な知識量が頭の中にあってこそ、個性的なアイデアが浮かんだり、自分がやるべきことをやり遂げていけるだけの能力開発ができるのです。

 2008年に入って、社会的には「知力ブーム」が巻き起こっています。いったん起こった波は、もとには戻ることがありません。新しい時代に入ってしまったと感じます。

 これからの時代。たとえ大人であっても、学ばない人は本当についていけなくなる。学んでいる人のスピード感が、これまでの時代とまったく違います。「加速している」としか言いようがありません。

 どうぞ賢い保護者の皆さまは、「自ら学ぶ姿」をこどもに見せながら、これからの子育てをしていかれることを強くお薦めします。

 「こどもに学ばせたければ、まず自分がその10倍学べ」ということですね!


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こどもを物で釣ってはいけません・・・・・その理由

【これは2008年6月6日(金)の学級通信に書いた記事です】

 運動会当日、ある学年のこどもと廊下で立ち話をしました。その子が言うには、
「短距離走で1位か2位だとお父さんにゲームを買ってもらえる。それ以下はダメだって言われたんだ。だから頑張らなくちゃ!!!」

 これは“物で釣られた”こどもの姿です。一番良くない子育て方法だと私は思いました。
 こういう接し方をすることでこどもはどう育つでしょうか?

 おそらく、こんな感じに価値観を形成していくことになるでしょう。
 『上位は良くて下位はダメだ』
 つまり自分の親から「お前は下位になったらダメな子だ」というレッテルを貼られることになります。その結果、自分の実力を下に見るようになり、自信を失い、冷めた考えをする子になることが容易に想像できます。

『どうせやっても勝てないから』『どうせできないから』という考えを持つように育ちます。これが走ることだけでなく、勉強や仕事でも習慣になるでしょう。

『どうせバカだから』
『めんどくさい』
『苦手だから』

 そんな言葉を口にしながら、最初からあきらめる子になる。皆さんの家庭では、まさかこうした会話が出ていないですよね。

  自分の実力は、けっこう自分には分からないもので、何に対しても全力投球できれば、いろんなことができるはずなのです。全力投球する経験もないのにあきらめているこどもの多いこと多いこと。

 物で釣られたこどもの多くは、難しい課題に対して物を買ってあげるという「外発的な動機付け」で動かされるので、大人が想像している以上に挫折感が大きいのです。

 順番も大事かもしれないけど、

「お父さんはおまえが120%の力を出しているかどうかを見たいよ。最後の最後まで全力疾走していたなと感じたら、お父さんが心を込めてプレゼントしてあげる。さて?何をプレゼントしようかな?お前の走る姿を見て感じたものをプレゼントしたいな。どんなプレゼントができるか楽しみだね(笑) なんだかワクワクしてきたなぁ!!!」

 こんなふうに言われたら、こどもでも大人でも絶対に嬉しいですよね。
 何しろ『親の心』をプレゼントされるのですから。

心に響いたプレゼントは一生忘れない。

物で釣ったプレゼントはすぐ忘れます。

こどもの力を引き出せる賢い親になりましょう。


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部員募集中です

ブログをご覧くださった皆様、現在、辰巳ジャンプバレーボールクラブは新入部員を募集しております。学校や住んでいる区は問いません。辰巳ジャンプVCが使わせていただいている江東区立辰巳小学校体育館まで通える子であれば誰でもOKです。

場所は東京メトロ有楽町線・辰巳駅徒歩0分ですので、通いやすいと思います。

募集しているのは、小学校1~5年生です。男子でも女子でも入部できます。

費用は会費を月に2000円ずついただいています。

【体験練習会の予定】
まずは体験入部をしてみませんか?
そのための体験練習会を開催します。

(開催日・時間)
11月29日(土)13~16時
11月30日(日)9~12時
12月7日(日)9~12時

(会場)
江東区立辰巳小学校 体育館

(持ち物)
運動できる服装、体育館ばきシューズ、タオル、水筒


心よりお待ちしています。よろしくお願いいたします。


※事前にご質問がある場合は、このブログのコメント欄にメールアドレスを入れた上で投稿してください。コメントは私が承認しないと公開されないシステムになっていますので、メールアドレスが流出することはありません。
こちらからお返事メールを出させていただきます。
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12年間の人生マインドマップ

こどもたちの12年間の人生をまとめていったマインドマップなので、個人情報満載のため鮮明な画像はお見せできないのが残念です。

勢揃いした人生マインドマップを貼りだしたものです。
いかがでしょうか。


今回、卒業文集を書くに当たって、単純に作文を書かせるのではなく、これまでの12年間を振り返ることで、自分自身を見つめさせていくように指導しました。自分の12年の人生を客観的に見ることによって「メタ認知」させようと思ったわけです。
このあたりの指導は、福島県の高校でマインドマップを使いながら「キャリア教育」の実践をされている「あらっち先生(教育フェローの同期)」に学ばせていただけたことがとても参考になりました。

この「人生マインドマップ」を描いた後に、「未来マインドマップ」も描いていきました。自分はこれまでこういう成長をしてきた、そして将来にこういう希望を持っている。それを実現するためにはこうしたらいいのではないかと思っている。
そんなところまで描かせることで、自分の進路=生き方を前向きに、ポジティブに、「前進!前進!」を合い言葉にしてくれたらいいなぁ。

それが「生きる力」になるんだろうなぁ!

そう思いながら指導したわけであります。


さて、この後の卒業文集テーマ。
ちょっと偏りが生まれてしまって、
「う~~~ん、良いのかなぁ・・・・」
と私自身の中に“プチ失敗感”が生まれました。

大半の子が「自分の将来像」を作文に書きたいと言い張るわけです。
しかもその内容は「チョ~具体的」です。

例えば、将来「ゲームクリエイター」になりたいというY君は、中学では英語を始めとする勉強をしっかりやった上で、C言語もマスターし、さらに絵の勉強もすることになる。
高校ではこうして、大学ではこうなって、Nという会社で実績を作り、起業するというような、まるでプロゴルファーの石川遼くんが小学校の時に書いた卒業作文みたいな内容の文章になっています。

Y君だけではありません。たくさんの子が具体的な将来計画を書いています。

私は卒業学年を指導するのが9回目ですけど、これほど偏ったテーマ性になってしまったのは初めてです。

まあ、いいだろう!
夢も希望もないなんて教師が口にしてしまうような時代なんだから、でっかい夢をガチッと持たせることが大事だろう!
この卒業文集が、この子たちを自動操縦してくれることだろう。

答えは10~30年後に分かります。(それが教師の仕事の成果です。)

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選手のスイッチを切り替える方法

12月の「東京都小学生バレーボール交流大会」の優勝を目標に練習に励んでいる辰巳ジャンプです。東京第3支部の代表として出場するからには、優勝すること以外に目標はありません。


大会での試合が5試合目スタートなので、午後になります。間が空きすぎて少し不利な条件。そこで子どもたちの頭の中のモードをすばやく試合モードに切り替える方法を試しています。

「練習の第一球目からノーミスでランニングパスを100回つなぐ」

実は低学年でもできる大した練習ではありませんが、経験の浅い子がレギュラーにいる今の辰巳ジャンプでは、これまでなかなかできなかった課題なのです。
この3連休中に取り組みましたが、かなり良い成果が上がりました。
子どもたちの自信につながっています。

「ノーミス」というキーワードに焦点化させて、雑念を払わせたつもりです。

なので、練習スタートの空気=精神状態が、これならば課題達成できるという空気になるまで練習をストップもさせました。


第一球目をノーミスで練習することで、集中力を一気に高める効果があります。
ミスをしないことで、練習のスタートから成功感や達成感が生まれます。
みんなの力を合わせて課題を達成することで一体感が生まれます。

この練習内容は試合に直接関係ないものですが、いきなり「試合モード」を作っていく、こどもたちのスイッチを試合に切り替えていくきっかけにはなると思って「ノーミス」を合い言葉に集中させました。

見ていた方は、練習の雰囲気が良かったことを感じたことでしょう。

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