東京新聞杯予選・・・・・こんなに早いのは初めてだ

8月中に東京新聞杯予選が始まったのは初めてのことだ。例年なら9月中旬からスタートするが、今年は予選の最終日が10月5日。前倒しで予選を始めているが、運動会やら学校公開やら様々な行事が組まれていて、けっきょく8月から始めないと予選ができなくなった。しかし夏休み中にしっかり練習したので、早めに試合があることはありがたいことだったかもしれない。

まさに練習はウソをつかなかった。ほとんど練習を休まなかった子たちがしっかり点を取った。
それは辰巳ジャンプだけではなく、相手チームの選手たちにも言えた。「ああ8月中にしっかり成長してきたな」と見られる子が、うちのブロックをくぐり抜け、ねらい通りにサーブを打ち、ミスをしないためにかなり点を取られた。こちらのサーブと同じだけの割合でサービスエースを取られた。

それでもなんとか1位抜けできた。地力がついたと見るべきか。先週の遠征の成績から最終的に決めた新メンバーで、これから試合経験を積み上げていく。

14日がブロック1位決定戦。

21日が支部代表決定戦。

いつもだったら予選が始まる時期に支部代表が決まってしまう。本当に早い。



ところで今回の予選は来年の新チーム作りのスタートでもある。そのため、基本的に全員が試合に来るように保護者の皆様にお願いしてある。試合終了後に、来年のエースアタッカーにするつもりの5年生に感想を聞いた。すると目を輝かせて、
「6年生がかっこよかったです。私もあんなふうにスパイクが打てるようになりたい!」
と言うものだから、
「練習がんばれる?」
と投げかけると、即答で、
「はいっ!がんばります!」
と答えた。上級生の真剣勝負を見せる意味がここにある。来年のために、まずは9月の「きゃんでぃりーぐ」で活躍できるように練習してほしい。
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今年の夏休みのまとめは神奈川遠征

8月23日(土)は相模原、24日(日)は川崎と、今年の夏休みのしめくくりを神奈川県のチームにお世話になり、とても有意義な練習試合をすることができました。ご招待してくださったKAWASEMIさん、リトルエンジェルスさんに心より感謝申し上げます。

23日はKAWASEMIさんの招待試合で合計8セット。本気の試合をしばらくしていなかったので、ちぐはぐ感ばかりが出ていた1日でした。夏休み中に仕上げてきた5人アタッカーシステム、子どもたちが命名したアイデアによれば、6年生10人全員が力を発揮する「ファイブリット10」というフォーメーション。これがかみ合うことなく、残念な結果に終わりました。さらに悲しかったのが、行きも帰りも中央高速が大渋滞。行くだけでフラフラ。帰りも時間がかかりすぎて、なんとイノッチ車内で「アナと雪の女王」のDVDを見終わってしまいました。

24日、前日とはうって変わって、首都高速・東名高速ともにスイスイ走れました。それが良かったのかどうかは分かりませんが、リトルエンジェルスさんが主催してくださった練習試合の勝敗は別として、前日のドタバタ感が減りまして、内容はとても良くなりました。最後の最後、今年の神奈川県を代表するチームとの試合でそれが炸裂しました。中盤まで形勢不利だった試合の中で、全セット試合に出ていて見るからに疲れているなと思えたエースアタッカーをベンチにさげ、この夏の練習でグイグイ力を伸ばしてきたアタッカーを交代で入れたところ、レシーブはセッターにしっかり返すし、スパイクも次々決めて大逆転勝利。ベンチで見ている私も「これはすごいな!」と感心しました。試合後にベンチに下げたエースに「どうしてもう一度コートにもどしてほしいと言わなかったの?」と声をかけると、「私の代わりに入ったMちゃんが、どんどん点を取っていくので、この方が良いと思って出ませんでした。」と答えました。コートに入った選手によって、戦術が変わり、まったく別のチームに変身できる辰巳ジャンプ。まさに「ファイブリット10」なのかもしれません。

この「ファイブリット10」は、これから公式戦を通して精度を高め、もっともっと使えるようになると思います。8月21日の練習前ミーティングで、6年生の子どもたちに「ワールドグランプリで全日本がやっていることって、君たちと同じだよね。」と声かけすると、子どもたちはみんなうなづきました。


ところで、24日の練習試合の合間には、神奈川県の女性指導者の皆さんと、「女子会+私」で語り合う機会をいただきました。すごく魅力的な女性指導者の皆さんが神奈川県にもいらっしゃることを嬉しく感じました。ぜひまた交流会をもちたいものです。辰巳の子どもたちにも細やかな配慮をしていただき、心より感謝しています。


ひとつ、懸念事項が発生しております。
24日の早朝、猛暑対策のチームクーラーボックスに大量の保冷剤や氷、水分を準備している最中に、私の腰が(あれあれあれ?!)もしや軽いギックり腰か? 違和感を感じながら球出しをしていたため、最終2セットにどうも具合が良くない状態。いつもはコートサイドで立って、こうしろああしろとうるさく指導するのが私流ですが、ベンチに座らせてもらい、静かに指導。前日の渋滞運転の影響もあるか?

1日開けて、25日(月)も良くはならず、重いものは持てない状態。
もしも今晩で改善されなければ、明日は勤務校の近所にある鍼灸院に行き、日本で3台しかないとその鍼灸師さんがおっしゃる「レーザー治療器」のお世話になろうかなと思っています。この「レーザー治療器」はよく効きますよ!

ま、子どもたちの試合には影響はありませんね。
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全日本の戦術が「ハイブリッド6」ということならば、辰巳ジャンプは「○○○5」という戦術で戦う!

以下は、8月20日のロシア戦に勝った後の、全日本女子チームキャプテン木村選手のコメントのコピーです。

「序盤は相手のブロックにかかってしまい、攻撃が回らなかったが途中から石井(優希)が入り、修正してくれた。(再度コートに戻った)江畑(幸子)も打つコースを変え、うまく回りだした。世界一に挑戦する、ということでいろいろなポジションを全員がやらなければならない。コートにいる人たちだけではなく、チーム全員で目の前の試合に勝っていきたい。」

辰巳ジャンプが夏休みの間に取り組んできたことに似ている。
いろいろなポジションを全員ができるようになってきた。
どこからでも攻撃できるチームになってきた。
全日本が「ハイブリッド6」ならば、辰巳ジャンプも「○○○5」と戦術を名づけよう。指導者から指示されるのではなく、明日の練習で子どもたちが考えればよい。その方が子どもたちの心のより所になるだろう。


辰巳ジャンプに必要なのは、試合に出ようが出まいが「チームのために頑張る子」である。
木村キャプテンの言葉にあるように、「コートにいる人たちだけではなく、チーム全員で目の前の試合に勝っていきたい。」という心をもった子ばかりになることが理想だ。
自分のことは後回しにできる子が辰巳ジャンプの選手だ。
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練習を休まないこと = 辰巳ジャンプの選手・・・・・あたり前のことをあたり前にするのみ

辰巳ジャンプはチーム結成以来、夏休みの練習を重視し、秋以降の大会に成績を残してきた歴史があります。
最もすごかったのは、辰巳男子チームが存在した2005年であり、東京新聞杯都大会出場は逃したものの、夏以降の様々な地方大会で関東各県の全国大会出場チームを破り、卒業直前の春季大島大会では初優勝。大優勝旗を手にしました。


【2014年、今年の夏練習を休まなかった人数】
4人。頑張りました。
この姿こそ、辰巳ジャンプの選手です。

【2013年8月25日のブログ】
辰巳ジャンプの夏休みの強化練習に休むことなく参加した子に、毎年「皆勤賞」をあげています。今年はこの皆勤賞を受け取った子が9人もいます。すごいことだと感心しています。支えてくださったご家族の理解と協力にも感謝申し上げます。

【2012年】
記事にしなくても6年生全員、皆勤賞。

【2011年8月11日のブログ】
7月16日よりスタートした辰巳ジャンプの「夏休み強化月間」を今日の練習でしめくくりました。
約1か月間で合計23回の練習を行いました。しかもほとんどの練習日が、まるまる1日の練習でした。暑い体育館の中で汗びっしょりになって、同じ練習をくり返してきました。子どもたちは本当によく頑張りました。「バレーボールづけ」という言葉がぴったりくるほど練習しました。
なんといっても練習を休まないということが一番です。毎年、夏休み練習の出席数のトップ3に「監督賞」をプレゼントしていて、今年も同様に贈ることにしていました。ところがすごく嬉しい期待外れで、このトップ3の枠をはみ出して4人が全出席、2人が遅刻早退はあるものの全出席という出席率の高さ。とくにレギュラークラスがほとんど休んでいないという状況ですから、確実にチーム力を上げることができました。

【2010年9月5日のブログ】
この夏休み、昨年以上に辰巳ジャンプの練習に時間をかけました。私の休暇はほとんどバレーボールの練習に費やしました。理由はただひとつ、4年生のこの時期にどれだけ技術や体力を伸ばせるかで、2年後の6年生になった時のバレーボールレベルに影響があるからです。子どもたちは大きな夢を心に抱いています。私はここ数年間、子どもも大人も変わらず、接触する人すべてに「夢を持とう!」「高いゴールイメージを持とう!」と言い続けていますから、純粋に夢を見続けている辰巳ジャンプの子どもたちの力になる責任があると思っています。
暑かった夏休みの間に、休まずに練習してきた子たちは、見違えるような成長をしています。一人一人のことをくわしく書けば、いくらでも書けるのですが、それは秋の大会での活躍で見ていただくことにしましょう。

【2005年8月23日のブログ】
夏休みも終わりに近づき、7月から取り始めた練習の出欠席による頑張り賞「イノッチ賞(図書カード)」の対象者が5人にしぼられてきました。なんと今日まで欠席がない。全出席。この努力だけは文句のつけようがありません。よくこの無茶な夏季練習についてきました。


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真面目に練習参加し続けた子が当然、秋の試合に出る。このあたり前のことをあたり前にする。その結果は自然についてくるはずです。

他チームはどうしているのでしょう?
ほとんどの指導者は、私と同じように「練習に参加する子を試合に出す」ことをあたり前としているはずと認識していますが、どうなのでしょう?
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卒業生が日本一になりました!

今の辰巳ジャンプにとっては、子どもたちの目標のひとつであり、憧れの存在である大学生の先輩が、今年の大学選手権で日本一を勝ち取りました。

ビーチバレーボール・ジャパン・カレッジ2014大会結果

現在、日本女子ビーチバレーボールのランキングは38位。2020年の東京オリンピックまでに、このランキングを1位に上げて、夢のオリンピック出場を果たしてほしいと心から応援しています。


また、今日は2008年度チームの先輩2人が体育館近くを歩いている時に、「辰巳ジャンプが練習をしている!」と気づいて、体育館に足を運んでくれました。そして後輩たちのチームに入って、5セットも試合をしてくれました。嬉しいことです。この子たちは、部員がたった3人になってしまった時、「先生、私たちが部員を増やすから、辰巳ジャンプを続けてください。」と言ってくれた卒業生です。この子たちのおかげで、今の辰巳ジャンプがあります。そんな大切な卒業生が、本当はお台場に遊びに行こうとしていたのに、それを後に回して練習に偶然来てくれる。きっと深い意味があるんだろうと感じます。


夏休みの辰巳ジャンプの練習は、毎年合宿こそしませんが、私が休暇を取れる限り、「半合宿状態」という意味合いで時間をかけて練習します。今年も休まずに練習に来ている子は、今日までにかなり上達してきました。6年生がもっとも向上している面は「パワー」です。日に日に力強いバレーができるようになってきました。

明日、1日休みを取って、週末3日連続で、また「半合宿練習」をします。この1日休みの間に、私自身は職場へ行き、数倍速のスピードで仕事を進めています。まったく休まない夏休みも、体力的にけっこうきついことは事実ですが、真面目に練習参加してくる子どもたちの成長する姿があれば救われます。せめて少しでも楽しい思いをさせてあげたいなと思い、今日は「スイカ割り」のイベントも予定外で開いてみました。けっこう盛り上がりましたし、冷たくもない割ったスイカを「甘い!おいしい」平らげていく子どもたちの心根が嬉しくもありました。
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きゃんでぃリーグのページ作成

今年度、小学生バレーボール指導者有志で始めた「きゃんでぃりーぐ」のページを公開しました。

きゃんでぃりーぐ

ご覧ください。
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レギュラー基準

夏休みが始まる前に、子どもたちに伝えたことがあります。

「夏以降の試合のレギュラーは、6年生最後の大会ばかりになる。だから夏休みに努力した子が試合に出るのが当然だと思っている。練習を休まない子が出るべきだと思っている。これまでの辰巳ジャンプの先輩たちも、みんなそうしてきた。さて、みんなはどう思うか?」

この提案に対して、今年の辰巳ジャンプの子どもたちも同意しました。そして毎回の練習のスタートで、このことを確認しながら取り組んでいます。


6月末にも子どもたちに伝えたことがあります。

「秋に向けて、7月中は個人技術を上げるために、自分の課題に取り組んで、技術を上げる月にする。だから新しい技術とか、これまでの技術を向上させるのは7月中しかないと思ってほしい。7月中はできるだけ何も言わないようにする。自由にいろんなことをやりなさい。ただし8月はチームとしてまとめていく月にして、トップを走っているチームに追いつこうと思う。」

こうしたことを、これまでの辰巳ジャンプの卒業生には、私から伝えなくても自分で自分の道を選んで練習参加していました。

「私は都大会に出て勝ちたいから、今年は親戚の家に遊びに行かないで練習する。」
「宿題も早く終わらせて、バレーの練習にかける。」
「親を説得して、練習には全部参加する。」

子どもたちの父親から私によく語りかけられた言葉は、
「これまでは自己主張をせずに、家族の予定に合わせていた我が子が、どうしてもバレーの練習に出たいから帰りたいと言うんです。家庭的には残念な気持ちはありましたが、我が子がそこまで思いをかけることができたことに嬉しくもなったんです。だから親戚に自慢をしながら帰ってきました。」



この夏、あることがきっかけになり、自分の夏休み中の「休み(夏季休暇5日、週休日の変更2日半)」はすべてチーム練習を入れました。勤務校が明治7年開校以来の140周年という節目を迎えているので、立場上、夏休みなどないとも言える状況です。ゆっくり自分のことをする時間は、先日練習を休ませていただいた、8月2日の「マインドマップ・アドバイザー資格取得講座」への参加くらいしかありません。(資格はしっかり取らせていただきました。ありがとうございました。)

こうした私の思いに応えようとする子はいるわけです。
この絆が辰巳ジャンプの求めてきたバレーボールです。

練習によく来てくれる2005年チーム(江東区年間完全制覇チーム)の先輩たちがよく言います。
「私たちの時には、夏休みなんかなかったですよね。先生の車に乗って、あっちこっちに出かけて試合をしていましたよね。それが当たり前です。練習を休むなんてあり得ないですよ。」


8月、今年も練習を休まない子たちの努力によって、チームは徐々にまとまってきました。努力は必ず報われなくてはなりません。
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チームの形

6月15日に一時公開し、直後に削除したブログ記事を再び公開する。



1999年4月、私が大田区立徳持小学校から江東区立辰巳小学校に赴任しました。当時、徳持JVCを指導していた私は、週に4日、午後4時になると辰巳から徳持に通い、バレーボールの指導をしていました。
1999年6月、徳持JVCは予選を勝ち抜き、都大会初出場を果たしました。

1999年7月、辰巳ジャンプは辰巳小学校の校長先生の許可を得て、週1回の課外活動としてスタートしました。当時部員数は最大43名を数え、にぎやかに活動していました。8月に行われた東京都ソフトバレーボール大会では、男女1チームずつが表彰状を得て、発足1ヶ月にして成果をあげたことに校長先生も大喜びでした。

2000年4月、正式に都小連にチーム登録。辰巳ジャンプVCとして公式戦にも出場し始めました。

2002年2月、都大会初出場。(主将:ユメカ)

2005年には男女チームで都大会出場。江東区大会男女で年間完全制覇。ここまでチームとして一気に登ってきた感じでした。

2007年、私が辰巳小学校から江東区立香取小学校に転勤。これに伴い、チーム停滞。一時期部員が3人になり、公式戦に出場できず。

2008年、辰巳ジャンプを再度立て直すことを決意。これによって部員が次々入部する流れができる。
      新入部員のほとんどが2年生中心。2012年に確実に都大会に出られるよう長期ビジョンを立てて指導をするようになる。
      土日中心の練習しかできないため、長期計画でチームを作ることを決める。

2012年、7年ぶりの都大会出場。江東区大会準優勝。支部大会4位。

2014年、都大会連続出場。江東区大会第3位。支部大会3位。


チームにはチームの形がある。
長い年月をかけて、ここまで作り上げてきた形がある。
この形を、今は崩していく気はない。
支流に流れていたチームの流れを、本流に戻す行動を本気で開始する。
まずは「朝練や夜練はしない」とこれまで決めていたことを、遠慮しないで復活する。
私が知らないうちに怪我人が出ることが続いているからである。
その報告すら監督にないチームは危険だからである。
よって、6月をもって水曜日の夜練習をやめる。
空いた時間は学校の勉強をしたり、自主練をしたり、体調を整えてほしい。


辰巳ジャンプは、あくまでも辰巳ジャンプなのである。
他の価値観や思わくが入った場合は、辰巳ジャンプに戻す必要が生まれる。
監督の知らないところでチームを動かすことなど言語道断である。
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