どうも不思議なことばかり起こる

NHKドラマ「坂の上の雲」


今、NHKでドラマ「坂の上の雲」が放送されています。

じつはこの夏休みの猛練習の陰で私は、故・司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」と「翔ぶが如く」を再読していました。
明治維新後の国を建設していく困難な過程と、その後の日本人が世界各国を相手に国家建設をするために、どのような人材育成をしていったのかを確認することが、小学生バレーボール3チーム目のチャレンジに挑んでいる私の指導に、プラスの影響があると感じたからです。

「坂の上の雲」の主人公は3人いて、俳句や短歌の中興の祖である正岡子規。日露戦争で日本を勝利に導いた兄弟、陸軍の秋山好古、海軍の秋山真之です。日清戦争(1894年 明治27年)、日露戦争(1904年 明治37年)という時代は、私が校長をさせていただいている矢口小学校としても無視できない時代なのです。なぜなら、1891年(明治24年)が矢口小学校の開校年となっているからです。

さらに「翔ぶが如く」の時代。西南戦争という国内戦争があった1877年(明治10年)の翌年、1878年(明治11年)が矢口小学校の前身である薫泉學校が創立されています。

学校創立の時代背景を確認することが、私の立場では必要なことと感じて、すき間の時間をぬって本を読んできました。
文庫本で「坂の上の雲」が8巻、「翔ぶが如く」が10巻ありますので、まだ読み終わっていませんが、私の中には確かに新しい気づきが生まれています。

私がこのような読書活動をしている過程で、HNKが「坂の上の雲」をドラマ放送すること(私は事前には知らなかった)が、どうも不思議なタイミングの一致を感じてなりません。いろいろなことが、ピタリピタリと当たっているように思えてきます。
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光一君の思い出

久保田早紀 ♪ 異邦人/19800228


この久保田早紀さんの「異邦人」が偶然、Youtubeで流れてきて思い出した。22歳で私が教員になって2年たったころだっただろうか。地元、東海道品川宿の商店街はずれにあった喫茶店に休みに行った時、小中学校時代の同級生に出くわした。彼は光一君という名前だった。小中学校時代から素行はけっして良いとはいえなかった彼は、20代のそのころ、ヤクザ的な立場で地元では幅をきかせていたようだ。先に喫茶店にいた私に気付いた彼は、気軽に話しかけてきた。彼は中学生時代に久保田早紀の大ファンだったのだ。
「いのビーじゃん、久しぶりだな。」(私は小中学校時代、あだなでいのビーと言われていた。)
いろいろと話している中で、私が教員になった話題になった。それを知った光一君は、懐かしそうにこう言った。
「おれ、学校時代には、給食が大好きだったんだよな。いのビー、先生になったんなら、一度でいいから給食を食べさせてくれないかな。」
私は、彼のそんな小さな望みを叶えてあげたいと思ったが、残念ながら若手一教員の立場ではどうにもできなかった。その残念な思いが今でも心に刻まれているのだ。今なら光一君の思いも叶えてあげられるのに。彼はどうしているのだろうか。ヤクザ的な立場になっても良き思い出として私に語ってくれる給食の存在。きっと60代近くになった今、もしも彼に会ったとしてもきっと、「食べさせてくれよ。」と頼まれるだろう。
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誰よりも仕事をできる自信があるのに給与は減るのか?

教育界での私の今の立場で60歳を超えると給与が30%減る。するととんでもないことがおこる。校長をするよりも、産休代替教員をした方が給与が上になるのだ。校長職は管理職手当が出るため、最終的にはかろうじて産休代替よりも手取りは多くなるが、それにしても職責の重さを考えたら、やっていられない気分ちなる。はっきり言って、担任をする自信はあるし、新時代の授業開拓をしていく意欲もあるので、給料の低い校長など、やっていられないとも思うことが毎日ある。


今の教員はブラック企業だと言われるが、それはどんな子供も、一気に成長させる指導能力・技術があれば負担はそれほどなく、限りなくホワイト企業だと言える。教育技術、事務技術という引き出しが数多くあるということは、それだけ自分の仕事を楽にする。

このような話を教育界で私がすると、同世代の教員たちからは、あなたは元気だねと必ず言われる。そう、元気だから土日もなくバレーボール指導をしているわけです。

教員としての仕事を加速化するために、速読技術も身につけました。熟読しなくても文章理解できる技術も身につけました。問題解決の手法も様々に身につけました。

これまで勤務してきた学校の保護者の方からは、「あなたは授業をしてなんぼの教員でしょう。授業をしない管理職をいつまでやっているの?」と言われます。私自身もそう思います。


今後、どのように生きていくか。
いつのまにか、そういうことを考えなくてはいけない時期に入りました。
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この夏に虜になったドラマ「氷点」

「氷点」 第1回


1966年(昭和41年)にテレビドラマとなった、三浦綾子さん原作の「氷点」に、この夏は完全にはまっていました。
本も読みました。
このような現実は、身近には起きないと思いながらも、様々な葛藤場面に、共感なのか、反論なのか、自分でも分からないような感覚をもちながら、キリスト教的な人間の心の底にある「原罪」がもたらす苦しみと、それを乗り越えていくことの難しさを見つめる機会となりました。
この半年ほど、三浦綾子さんの著作を続けて読んでいます。ごく普通の生活を表現していく登場人物を表現していく中で、突如としてふりかかる自然災害や人的災害に、いっぺんに振り回される人の人生というものを考えさせられる作品が多いのです。

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子供時代の記憶は消えないのか? 「ピンク・レディー フリツケ完全マスター [2004] (ALL SHOW Ver.) (4K)」

ピンク・レディー フリツケ完全マスター [2004] (ALL SHOW Ver.) (4K)


もはや私の半世紀近く前になるできごとです。
今でも、この動画にある歌もダンスもすべて覚えています。自分で考えてもすごく恐ろしいことだと思います。
いまだに記憶が消えることがありません。おそらく一生消えないのでしょう。エピソード記憶とは、それほどの強さをもつのです。これを学習指導に用いれば、まちがいなく学習は強化されるのです。

さて・・・・
私が中学校1年生の移動教室。
キャンプファイヤーの各学級の出し物をするイベントがありました。
なぜかまったく覚えていませんが、私の学級は、私がたった一人で、この動画の中にある「ペッパー警備」を踊るということになったのです。おそらく小学校5年生頃から、なにかと目立ちたがっていた私だったため、みんなの前で、何かあればピンクレディーの踊りをしていたのでしょう。「井上にやらしちゃえ!」というクラスの盛り上がりに乗せられて、学年全員の前で「ペッパー警備」を踊ってしまいました。たった一人で。

悲劇はその後、続きました。

私は「み」がつく名前だったために、この日を機会に、他クラスの人たちから「ミーちゃん」というあだ名をつけられて、街の中でも遠くから「ミーちゃ~ん!踊ってぇ~!」と声をかけられる始末。(ふざけるなよ)と思いながらも、からかう同級生とけんかするまでの気力はなかったので、半年くらい我慢していました。これ、けっこうトラウマです。いじめられたとは思っていません。なぜなら自分でまいた種だからです。いろいろとからかわれて、逆に心が強くなったと思っています。
このように、自分一人だけ突出するという異様な経験をしたからでしょうか。その後の人生は今に至るまで、どうしたら他の人よりも抜け出るかと考えている自分がいます。卓球部では入部当時は最弱クラスでスタートしましたが、中1の終わりには区のベスト4に入りましたし、中3の時には学校の部活動でただ一人、都大会に出場できて、区のスポーツ優良生徒表彰を受けました。
勉強面でも同じで、優秀な同級生が次々に金〇先生というドラマの影響を受けて不良化して脱落していく中で、じわじわと校内順位を上げて、最終的には都立最高レベルの学校に進学できました。

そうして今は、なぜか学校の長です。
現時点で思うのは、突出しようと思っても、上には上が必ずいるということです。
どう考えても、この人たちは超えられないという方々がたくさんいます。
現役教員生活も残り年数を数える段階に入った私ですが、「超えられないのかな」と感じている方々を超えるために、残り年数後に勝負をかけることを考えてみようと思っています。
くわしくは数年後に公表しましょうか。
けっこう教育界を救う考えだとは思っています。内緒。
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熱中症はあとからくることもあるようだ

金曜日の鎌倉実地学習。炎天下で、鎌倉市内を自転車で4時間移動し続けた結果、腕に軽度火傷を負いました。その火傷の影響で夜には熱をもち、冷やしても冷やしてもなかなか治まらず、厳しい体調にて、土曜日の練習試合に行きました。腕の発熱をしていたため、土曜日はかなり朝早く、抗原検査をして陰性確認し、間違いなく火傷だなと確信して出発した次第です。

火傷で体調がおかしいのに、指導者魂は抑えを知らず、結局4時間の休みなき指導を続けていた自分がいました。帰宅後は氷嚢や氷枕で体を冷やしたことが功を奏し、日曜朝には体力回復しましたのでご安心ください。

日曜日は、ぼろぼろに壊れていたスマホを買い換える手続きをしました。本当は最新鋭の折りたたみスマホにすることを決めていたのですが、店にはなかったため、ならばつなぎのスマホでよいだろうと、安物にグレードダウンさせました。それでも私の使用範囲にはあまり影響はなさそうなので、1年間もてばよいと思っています。

スマホもパソコンも機種変更すると、引っ越しと同じで、アプリの引き継ぎや新しい登録などが面倒ですね。この作業にしばらくかかりそうです。

バレーボールは、昨日の練習試合で課題が明らかになりました。レシーブ練習を増やして、簡単にボールを落とさないことを目標にします。しかし、この指導が最も体力を使うため、よりいっそうの自分自身の体力向上が必要です。
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久々に元気に1日勤務できました

7月25日(土)に重度のぎっくり腰になって以来、回復に力を注いできましたが、今日は2週間ぶりに1日勤務をすることができました。

4日前の月曜日にも1日勤務にチャレンジしましたが、午後に入ると腰の痛みが増して、学校にただいるだけで、何もできませんでした。職員から「つらそうですよ。」と言われるくらい。そんな状態なら勤務するよりも治療に時間を費やした方が良いだろうと、2日前の水曜日は午前のみの勤務にして午後は自宅療養しました。

昨日は午前中に病院の定期検査(この待ち時間が腰にはけっこうきつかった)を受け、その後、サイゼリアにランチで入って、隣の席に座ってきた女子高生たちの会話に聞き耳を立てる。(ああ~、こんな都心にいる女子高生も、けっこうお金に苦労しながら勉強しているんだなぁ。)と世の中把握。午後は辰巳ジャンプの練習。そして帰宅後に腰のケア。寝ているだけではダメなんです。変な寝返りをしてしまうと「ビリッ」と腰に電気ショックが走るもので。ですから、30分から1時間おきに起きて、ていねいな寝返りをしているのは今も変わらず。昔から「うさぎの睡眠」を自負していたので、こんな睡眠状態でも寝不足にならないのが助かります。

そして今日。
午前は東京大学のとても優秀な女子学生とミーティングをする約束をしていたので、すごく楽しみに勤務。予想通り、とても楽しい建設的なミーティングをすることができて、今後の学校経営に大いに力になってくれそうです。
午後も建築家の方々を接待する予定がありましたが、ぎっくり腰であまり動けないことをお伝えして職員室待機をさせてもらい、その間に3学期にする予定だった事務仕事を半分終わらせてしまう。この「先行的ノルマ攻略」をすると、非常に大きな達成感を得られます。「やった!終わっちゃったぜ!」という感じです。自分の脳が大きな達成感を味わうと、脳が勝手に「次はどんな奇跡を起こして気分良くなろうか」とセルフコントロールが働き出しますので、体調にも好影響を与えます。やりすぎると危ないですけれども、適度なプラス刺激は最高の脳活性方法だと私個人は感じています。

こうして今日は約2週間ぶりの1日勤務をすることができたわけです。この調子で日々体調回復を目指します。
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ぎっくり腰も爆笑のネタに(笑)

画像は辰巳ジャンプの子どもたちにプレゼントする予定のキャップデザインです。
暑い夏が続きますので、これをかぶって練習に勇んで参加してほしいと期待しています。

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今日は週明け月曜日。ぎっくり腰の治療のための先週1週間の有給休暇を経て、やっと出勤できるまでに回復しました。とはいえ完璧にはほど遠い状態で、腰を伸ばすことはできない中、とぼとぼと歩きながらの出勤・勤務となりました。学校という職場は本当に心温かく、皆さんから気遣いをいただきながら1日働きました。副校長がいないと学校って大変なんですよね。何しろ学校やPTA、そして地域の全ぼうを把握しているのは副校長という役職にある者なのです。この記事を読んだバレーボール関係者の方は、くれぐれも副校長を味方につける工夫をしてくださいね。



さて、転んでもただでは起きない私です。今日の職員との語らいの中でも、そのことを大いにアピールし、職員の皆さんを笑いのツボにはめてみました。
こんな感じでした。

職員A「副校長先生、やっと復活しましたね。」

私  「ご心配をかけました。ありがとうございました。」

職員A「全然動けなかったんでしょうね。」

私  「はい、土曜日にぎっくり腰をやって、水曜日までは歩けませんでした。」

職員A「それは大変でしたね。食事も難しかったでしょう。」

私  「動けないんでエネルギー消費しないから、2~3日はスポーツドリンクだけでも大丈夫。この際、一気に体重を落とそうと思っていましたよ。」

職員A「なるほど、少しやせましたよね。」

私  「身体を動かせないだけで、頭は鮮明、暇でしょうがないので、自己流の呼吸法をあみだしたんですよ。」

(職員室の皆さん爆笑、いろんな方が呼吸法について語りだす)

私  「美木良介のロングブレスダイエットがなぜダイエットにつながるのか、寝ながらいろいろ試して、そのしくみを理解しましたよ!」

職員A「えー!?それなら、私にも教えてくださいよ。」

私  「毎日20回続けられたら間違いなくダイエットできますよ。呼吸は吸うことよりも、吐くことを大切にすればいいんですよ。」

音楽教員「そうそう、その通りです。私も授業で子供たちにそう教えています。」

職員A「そうなんですか!じゃあ、やってみようかな。」

私  「ところがですね、10回くらいやると飽きてしまうんですよ。続けるのがなかなか大変です。」

(職員室内、爆笑)

こんな感じの職員室です。



次に、自宅に帰った後、腰の刺すような痛みはどうやらなくなってきたので、思い切ってマッサージチェアの背筋伸ばしモードでコリコリやってみました。効果とても大きい!やはり血行を良くするのは効果的な治療法のようですね。ちなみにマッサージチェアをした直後に血圧を測るとすごいですよ。いっきに血圧が下がっています。血液がさらさらと流れている証拠です。

加えて長めの半身浴で、どんどん良くなる手応え。きっと完治も間近でしょう。
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ぎっくり腰からの回復

先週土曜日に、人生初のぎっくり腰におそわれ、昨日の水曜日までは布団から起きることも苦痛でした。少しでも腰をひねると、針をさすような激痛が走り、寝返りをうつことも苦労していました。そのような状況ですから、夜寝ていても寝返りをうつために、30分から1時間に1度は起きて、手で腰を支えながら、時間をたっぷりかけて体勢を変えないとならない。うまくいけば痛くないのですが、ほんのわずかでも支えや身体の移動がズレると、電気ショックのように「ビリッ!!」と痛みが走る。緊張感たっぷりの5日間を体験できました。しかし、二度と経験したくないものです。

今日(木曜)の午後に入って、どんどん回復したので、このまま進もうと思い、血行を良くするために半身浴を何回かしてみまして、かなり効果があったようです。夕方には家の間近のコインパーキングにずっと停めてあった車を、ちょっと離れた自分の駐車場に移動させることもできました。コインパーキングに5日間も停めていたので駐車料金は・・・・・・。

完全回復まではもう少しかかりそうですが、どんどん良くなっているのが手に取るように分かるので、プラスに考えてブログ更新をしました。

今回の治療の中で、けっこう大事だなと感じたことがあります。それは「呼吸法」です。呼吸法というと「息を吸う」ことを考えがちですが、そうではないようです。呼吸法を世の中に紹介している多くの方が言っているように、どのように「息を吐く」かによって、身体機能が変わっていくなと感じました。ぎっくり腰の治療は、寝ているだけで何もできないので、暇つぶしに「呼吸法」を試していました。この試みの中で、ちょっと気づいたことがありますので、今後自分の身体を使って人体実験してみます。その効果があらわれたら、教育に応用してみようと思っています。

「転んでもたたでは起きない。何かをつかみ取りながら起き上がる。」ことを座右の銘にしています。
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「身毒丸」を鑑賞

まずは仕事記録から。

本日の自己目標「学習支援員がいなくなった1年生の給食補助をする」「先生方に喜ばれることをする」

【処理した仕事】
①職員朝会での提案3つ…「授業改善プランの案を提出してもらうこと」「東北支援の折り鶴について」「職員室内の動植物引きあげについて」
②教員の「年休時間集計エクセルファイル」の調整、これを紹介するための「教務主任通信第29号」を発行
③全学級の授業観察
④プール濾過機調整への助言
⑤学校司書と「キャリア教育」について相談
⑥職員室内環境整備
⑦1年生の給食準備補助
⑧江戸川区H小学校からの講師依頼対応
⑨出張「区情報教育専門委員会」出席

今日飛び込んだ大きな仕事は、江戸川区の小学校との交渉でした。6年生児童120人超を相手に2時間、授業をしてほしいというご依頼。授業をすること大好きな私は即座に対応。管理職の了解を得て、来週、講師として出向くことになりました。すごく楽しみです。思いっ切り「学ぶ楽しさ」を感じさせちゃいましょう!!!



午後は教育委員会に出張でした。
電子黒板のリースが5年目を迎えて切り替えの時期に入ったので、区としてどんな電子黒板を入れたらいいのかを意見交換。専門委員全員で熱い討論をしました。話し合いは時間切れ。大事な内容なので、もう一度話し合って最善のものを作り出したいということになり、9月下旬に再度委員会を開くことに決定。

情報教育専門委員会が終わると同時にタクシーを飛ばして、辰巳ジャンプの練習に顔を出す。
夏休みの「監督賞」を対象の6人に贈呈し、全員のバレーボールノートにコメントを書き、練習内容の指示を当番キャプテンに出して、18時に体育館を出発。18時45分に、マイ劇場である天王洲銀河劇場に入りました。
辰巳ジャンプの子どもたちには申し訳ないけれども、今日は自分の演劇鑑賞デーだったのです。(練習ぬけてゴメンね)



今日、鑑賞したのは「身毒丸(しんとくまる)」です。今日が舞台初日です。
私が座ったのは舞台前の最前列でした。


身毒丸(しんとくまる)PV


舞台芸術のすごさを見せつけられました。
苦悩にあえぐ主人公・身毒丸と撫子(なでしこ)。
その地獄の苦しみを舞台の上で思い切り表現できている。「ああ、地獄というのはこんなところなのかなぁ・・・」と思わされる表現。さすが演出を担当しているのが蜷川幸雄さんだなと感心させられる内容でした。まずは演じている役者さんたちの個性が強く、人間離れした妖怪のような雰囲気を完璧に表現。さらに大道具であったり、効果音、舞台演出など、総合芸術として素晴らしい演出に脱帽しました。と同時に、見ている人たちをこんなに引き付ける舞台を自分も指導してみたいなとも思いました。

主演・身毒丸を演じたのが、ドラマ「GOLD」で弟役を演じた19歳の矢野聖人(やのまさと)さん。お相手をするのが撫子(なでしこ)役の大竹しのぶさん。お二人とも観客の心を打つ全力投球の演技をしてくれました。

最後の出演者挨拶では、矢野さんが涙を流していました。
この「身毒丸」は、これまでに武田真二さんや藤原竜也さんが演じて、海外にも大評価を得ているものだけに、矢野さんのプレッシャーは本当に大きかったことだろうと思います。達成感に包まれた矢野さんの涙だと感じました。

出演者挨拶は観客の拍手が止まなかったため、3回繰り返されましたが、銀河劇場の中はスタンディングオベーションとなりました。ということは、鑑賞者ほとんどの心に響いた演劇をしてくれたのだと思います。


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マインドマップで作文すらすらワーク (ドラゼミ・ドラネットブックス)
クリエーター情報なし
小学館
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『太陽に灼かれて』 観劇記録

私が勝手に“マイ劇場”に認定している「天王洲銀河劇場」で公演中の『太陽に灼かれて』を観てきました。
主演は成宮寛貴さん、鹿賀丈史さん、水野美紀さん。

鹿賀丈史さんは帝国劇場で公開された「レ・ミゼラブル」で、「ジャン・バルジャン」の役を演じている姿を観て以来、リスペクトしています。


『太陽に灼かれて』がどのような劇なのかは公式サイトがあるのでリンクします。

『太陽に灼かれて』公式サイト

スターリンが支配していたソ連の1930年代を時代背景にする演劇内容ですが、自分ではどうにもならない粛清の連鎖というものが、観ている私たちに息苦しく迫ってきました。

鹿賀丈史さん演じる「コトフ大佐」に語らせたセリフ、

「お前は何者なんだ? 俺たちはいったい何者なんだ?」

この一言が耳から離れません。
人間疎外、人間不信、恐怖。
価値観の混乱、独裁者の悪、止められない悪循環。

「我々には選択の自由が認められているのだ」と言いながら、個人の自由を生かすような選択をすると「ブルジョアは粛清する」と死への道が待っている。結局、選択の自由などまったくない社会に1930年代のソ連は陥っていた。そのことを通して、人間として安心して生きていける政治とはいったい何なのだろうと考えるきっかけになりました。

そして、「選ぶ権利があるのだ」と言いながら、体制側に都合の悪い選択をした場合に、その個人を徹底的に追い込んで死ぬまで許さないという狂気が人間にはあるのだということを認識しないといけない。

私も人を教え導く職業についている以上、このような「組織悪」を使わないで指導していけるように努力しなくてはいけないと反省しました。




それにしましても、「天王洲銀河劇場」ではけっこう良い公演が行われています。
私、来月は大竹しのぶさん主演の「身毒丸」、9月には今田耕司さん主演の「NGワードライフ」を観に行きます。
つまり毎月、足を運んでいるということなのですね。



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親類の皆様方へ

このブログをご覧下さっている私の親類の皆様方、いつも励ましていただき本当にありがとうございます。

私は元気で働いております。

「光広はいつか倒れるんじゃないか?」と心配して下さっていることも承知しております。

私が倒れたら、ご迷惑をかける方々がたくさんいますし、まだまだやらなくてはならないことも山のようにありますので、私の使命が尽きない限り、大丈夫だと思っていて下さい。

体調が良くないと感じた時には、早めに帰宅し、休むようにもしています。


ただ、私のあこがれている歴史上の人物が、宮沢賢治や坂本龍馬、吉田松陰などなど、短命であることがマイナスポイントです(笑)


今のところ、マインドマップを身につけることで、それを活用し、自分が70歳になるまでの「夢」「ビジョン」「ミッション」を見出していますので、これを達成していく決意です。(この夢を公開すると気が狂ったと思われかねないので、教え子たちにちょっとだけ話したくらいで、非公開にしています。)



そんなことで、今後も私の書く記事に目を通していただければ幸いです。

本当にありがとうございます。
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伊藤左千夫の墓

勤務校の学区域に「伊藤左千夫」さんのお墓があるとは知りませんでした。
場所は3丁目の「普門院」さんです。

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伊藤左千夫さんの書かれた「野菊の墓」は、私が高校生の時に読み、美しい川の風景や悲しい時代拝見を脳裏に思い浮かべながら、マサオさんとタミさんのプラトニックラブに自分自身を重ね合わせて涙した記憶が強く残っています。

「マサオさんはリンドウのような人だわ。」
「タミさんは野菊ののうな人だ。」

この投げかけ合いは、少年・井上の心をグラグラ揺さぶりました。

自分にとって、タミさんは○○さんだ。
○○さんはブリっ子で、まるでタンポポのような人だ。
では自分は何のような人なんだろう?

17歳の少年は、伊藤左千夫の世界に酔っていたのです。


さらにこのような気持ちに拍車をかけたのが、松田聖子さんが主演した、映画「野菊の墓」でした。

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私は松田聖子さんが大好きだったんですよね。
この映画、今思い返せば、かなり素人演技なわけなのですけれども、当時の私には大ヒット作品だったのです。

高校生の私は、かなり変な人間だったかもしれません。(今も同じか・・・笑)

真田広之さんにあこがれて、高校の近くにあった皇居の石垣をかけのぼるトレーニングをやっていましたし、予備校生でもないのに、○大予備校や○数学館の授業にもぐりこんで勉強をしていたり。

部活でやっていた卓球でも、夜にあちらこちらの体育館に一人出向いて、見ず知らずの人たちに「試合をしてください!」と道場破りのようなことをしていました。その中には東京都の大学の強豪校選手もいたりしたので、無名校にいた私でしたが何となく名を知られていたわけです。

本当に楽しかったなぁ、高校時代。

伊藤左千夫さんのお墓から、思わぬ方に話題が飛んでしまいました。
お恥ずかしい限りです。
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レッドビーシュリンプ

12月2日に行った6年生国語「やまなし」の研究授業に向けて、川底の雰囲気を感じるために教室に置いたアクアリウム。これが呼び水になって、過去にハマっていた趣味である「レイアウト水槽」がフラッシュバックしてしまいました。

「研究授業で頑張った自分へのご褒美だ!」
と購入した、ちょっとステキな水槽台と60㎝水槽の中で、私の心を奪った生き物がいます。
「レッドビーシュリンプ」(写真)です。

体長2㎝ほどの小さな生命ですが、その愛らしさに癒されています。

繁殖までしてくれると楽しいのですが、そうなったら私、水槽から離れられず、何もできなくなるかもしれません(笑)
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品川ecute

地元なのに知らなかった!

品川駅の中にある「ecute」がスイーツの宝庫だったなんて!

ずっと通勤や電車移動にはモノレールやりんかい線を使っていたので、品川駅と疎遠になっていた。

「エキナカ」はよく通っていたが、「ecute」に気づかなかった。


美味しそうなスイーツの数々にニコニコご機嫌な井上でした。
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