「負けないで」Music Video

応援!応援!
がんばれ!矢口タートルズ!

「負けないで」Music Video


billboard classics「ZARD 30th anniversary premium symphonic concert ~永遠~」ダイジェスト


ZARDの曲はすべて人生の応援歌です。
ちなみに2つ目の映像のライブには、私は参加していました。
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岡村孝子 夢をあきらめないで(映像 from LIVE2005)

岡村孝子 夢をあきらめないで(映像 from LIVE2005)


6年生にとっては、いよいよ3日後に、最後の都大会出場をかけた最終決戦を迎えます。
夏休みにあれだけ頑張ってきた力を、この日にすべて出し切ってほしいと心から思います。
その応援歌として浮かんだのは、おだやかな曲ですが、「夢をあきらめないで」です。
私自身、岡村さんが白血病の闘病生活に入った直前の2018年にコンサートに行って、映像のように観客に手を振ってエールを送ってくれる岡村孝子さんの姿を目に焼き付けています。
子供たちに私がしてあげられることはもうありません。全力を出せるように応援することだけです。
夢をあきらめないで、瞳を輝かせながら、思い切り試合をしてほしいと思います。

岡村孝子 「夢をあきらめないで」OFFICIAL MUSIC VIDEO
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今年もひなフェスへ

3月31日、今年もハロープロジェクト、幕張メッセのひなフェスのチケットが取れてしまった!
コロナが明けて、コロナ禍とは盛り上がりが変わったのに、私が行けば明らかに場違いなのに、チケットを取れてしまった

行くしかないね!
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よく行くライブ  薬師丸ひろ子 - セーラー服と機関銃 (Live)

薬師丸ひろ子 - セーラー服と機関銃 (Live)


薬師丸さんは私とまったく同じ世代。誕生日も2週間くらいしか違わない。しかも私たち世代が中学校の頃にあった、高校入試の第1学区が同じ。そして薬師丸さんは私の地元の八潮高校に通っていた。私は千代田区の九段高校という学校だったため、同じ学校にはならなかったが、運が良ければ同じ学校になったかもしれない。薬師丸さんの中学時代の同級生と高校で一緒だったり、八潮高校に行った中学の友達が薬師丸さんと一緒になったりして、とても身近に感じていた。

薬師丸さんが13歳で映画「野生の証明」でデビューして以来、45年以上もたったのですね。
13歳と言ったら、私は区の卓球大会中1の部でいきなり3位になって、小学生時代から卓球をしていた選手たちから「あれは誰だ?!」と波紋を投げていた頃だった。デビューと言っていいのかな(苦笑)

薬師丸さんのコンサートには、けっこう行っている。彼女の歌うすべての曲を知っているし、歌声を聞いていると中学高校時代のことを思い出して懐かしくなる。それにしても、もう還暦近いのに、その歌声は10代の頃と変わりないと言ってもよい。聞いていて本当に安心する歌声である。さすが合唱部出身だと思う。

さて、なぜこのようなことを記事にしたのかというと、「声」というものはとても大事だということを言いたかったからである。誰にも知られていないが、私自身も自分の声にこだわってトレーニングを積んできた。年齢が高くなっても、声の質が落ちないように精進してきた。毎週月曜日の全校朝会では、ボイスレコーダーで自分の語りを録音し、すぐにどんな声で話していたかを確認し、声質を維持できるように努力している。

仏教に「声、仏事をなす」という言葉がある。仏という存在は、説法をする内容よりも、声の質で人々を導くのだという説である。私の長い教員生活の本質がここにある。声質を保つために、19歳の頃から今までボイストレーニングを続けてきた。聞いていて心地よい声を出せるかどうかが私の勝負でもある。同じ内容の言葉を話しても、他の人よりも私の方が説得力があるという自信がある。

あるフランスのオペラ歌手が、80歳になっても、まるで30代のような声で歌える姿にふれたことがある。声は鍛えればいつまでも若さを保てるのだと思う。薬師丸ひろ子さんの声は今でも若い。それをお手本にして、私の声も、いつまでも若くありたいと強く願う。同級生だから。
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イノッチ車に録音した曲 中森明菜 ~TV特集選集~

中森明菜 ~TV特集選集~


中森明菜ベストを車に録音しました。

遠征が多くなる予定なので、次は車内モニターを設置して、DVDを見られるようにする予定です。
今は出していませんが、車内カラオケマイクも持っています。
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2022年 いろいろなライブ参戦の雰囲気を

2022.05.20 恋文 [ May 20, 2022 ]

なんとこの会場に私いました(笑)

Juice=Juice CONCERT TOUR~terzo~FINAL稲葉愛香卒業スペシャル~

ここにも。しかもアリーナ席前から3番目。

限りあるMoment アンジュルム 21秋

これも参戦。130周年のまっさなかなのに、よく行くなと自分でも反省しながら。

"Chisato Moritaka [Kono-Machi] TOUR 2020- 22"

このツアーに関しては、館山、松戸、昭和女子大、羽田など、連続参戦中。次はどこに行くか?

《夜公演》コロッケコンサート2022(愛媛県県民文化会館) 2022年1月9日(日)

この動画は愛媛ですから行っていませんが、同じ内容で中野のライブに5月に行きました。
前から5番目の列で、生々しい座席。隣に座っていた年配の女性が、ずっと大爆笑していたため、いつも冷静な私もつられて楽しめました。
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新しい学校のリーダーズ LIVE 2020.6.21 無観客LIVE on Thumva

新しい学校のリーダーズ LIVE 2020.6.21 無観客LIVE on Thumva


このユニットのライブ、5月に行くことになりました。
チケット、取れてしまった。
会場で自分が浮くこと間違いなし。
それでも・・・行く!!!(楽しみ)
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中野サンプラザへ

冬休みを満喫しています。
今日は中野サンプラザへ行きました。
「Hello! Project Year-End Party 2021 〜 GOOD BYE & HELLO ! 〜アンジュルムプレミアム」に参加するためです。

コロナ禍の学校運営、この元気爆発ユニットに、何度も励まされてきました。
たとえば、この動画。

アンジュルム『限りあるMoment』(ANGERME [A Limited Moment])(Promotion Edit)


「何のため」という私自身が大事にしてきた教育キーワードを歌っています。

「何か誰かの役に立てるなら」・・・子供たちの役に立ちたい。
「命ごと輝いて」・・・教師の命が輝いていれば、子供も輝く。
「哀しみも乗り越えて」・・・つらいこともあるが、それも財産にして前進する教師は力強い。
「悔いだらけだとしても、前を向き鍛錬、誰かきっと君のことを気付くよ」・・・うまくいかなくても、前を向いて力をつければ、誰かが気付いてくれる。
「何のため生まれてきたか」・・・もちろん幸福を表現するためです。
「自分のために生きる、それで、誰かにも勇気、届けられるのなら死ぬ気で生きたい」・・・この言葉は究極。自分のために行動することが誰かのためになるのなら、死ぬ気で“生きる”人生。
「命ごと燃え盛れ」・・・命が燃え盛っている教師は、子供の心に火をつけるだろう。
「諦めず鍛錬、やり抜いたって言い切りたい、それだけ」・・・教師として、やり抜いたと言えるほど、何かに挑戦したい。
「仲間から受け継いで、精一杯つなぎたい」・・・伝統を掘り起こし、受け継ぎ、全力で次の人につなぐのが私の役目。

聴くたびに、「コロナなんかに負けないぞ」と気持ちを引き締めてきた一曲です。

今日のライブでは、新メンバーの発表もありました。
この新メンバーは驚くほどの即戦力。
これがHello! Projectの底力と思わせる「人材育成能力」なんだろうなと私には見えるのです。
誰かがいなくなっても、すぐに次の人材を生み出せる組織力を学校に応用できないかと、深夜に夢に見るほどの影響を受けています。
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つばきファクトリー『Just Try!』(Camellia Factory[Just Try!])(Promotion Edit)

つばきファクトリー『Just Try!』(Camellia Factory[Just Try!])(Promotion Edit)


合言葉「ジャストライ」のアイデアは、ここから取りました。
理由は、つんくさんの作詞作曲、世界に通用する楽曲を目指すという夢に賛同しているからです。
意味の深い歌詞はもちろんです。
とりあえずやってみよう。やってみて直せばいい。まあ、やってみようか。やらないよりはやってみるか。やってみなきゃはじまらない。ダメもとでもいいじゃん。今日ダメでも明日はOK。すこしだけでもやってみよう。ひとまずやってみよう。無理しなくてもいいから、やってみよう。
すべてこの楽曲からイメージして、目標設定しました。

つんくさんの人材育成は、「地獄の16ビートレッスン」から始まります。
音楽は、リズムが大事、しかも16ビートを刻めるかどうかが大事。
それがワールドスタンダードだという信念を、プロパフォーマーを目指す10代の子供たちに伝えます。

私も似ている部分があります。
バレーボールをしたいなら、最低でもこれだけは身につけなければならないという基準があります。

勉強も学びたいなら、最低でもこれだけは身につけなければ始まらないという基準があります。

その思いを、この歌詞は表現しています。

私のバレーボールの教え子に、プロビーチバレーボーラーとなった子がいます。
日本ランキングに入っている子です。
その子がいた時の私のチームはあまり強くなく、小6当時165㎝あった、その子が一人で決めていくチームだったのですが、それだけに、地獄のスパイク練習とかしていましたね。
それが生きて、日本ランカーになっているとは思っていませんが、底力だけは育てたとは感じています。

ジャストライ。
ダメもとでもいいじゃん。

ついでに英語の学習方法をひとつ。
ハロープロジェクトの音楽動画は、すべてに英語の歌詞がつけられています。
こられの英語と、日本語の歌詞を、ノートに書いていくと、英語の力がものすごく高まります。
ためしにやってみるといいですよ。
この方法で、東京大学の入学試験を突破した女性もいるのです。
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『ZARD Forever Best ~25th Anniversary~』MEDLEY

『ZARD Forever Best ~25th Anniversary~』MEDLEY


実は辰巳ジャンプは解散の危機におちいったことがあります。そのピンチから立ち直れたきっかけが変なことですが、ZARD・坂井泉水さんが亡くなったことにあります。下記の記事は、これまでに何度もコピーしてくりかえし掲載してきた私の原点の思いです。今年はZARD25周年の記念年ですし、来年2017年も没後10周年記念になります。辰巳ジャンプは今年1年間でたっぷり力をたくわえて、2017年に再び最高の1年にする決意を固めています。


***** 2007年6月27日の日記より *****

「坂井泉水さんを偲ぶ会」に行ってきた。彼女とは同世代だ。

すごい参列者の数だった。

きっと自分など浮いてしまうだろうと思っていたが、同世代の人もたくさんいて、あらためて坂井泉水さんに励まされてきた人の多いことを実感した。

思い切って行って、本当に良かった。

1時間ほど並んだが、まったく苦にならなかった。

大画面で流れてくるコンサートの様子を見ながら、数々の思い出がこみあげ、涙が出そうになった。

「負けないで」「揺れる思い」…

全ての曲に思い出がある。


献花をした瞬間、もう坂井泉水はいないんだということが胸に迫り、思わず「ありがとう」の言葉が口から出た。

************************


実はこのころ、私は教員生活最大のピンチに至っていた。
それまで積み上げてきた数々の実績が、いとも簡単に崩れていくことを体験していた。
もしかしたら自分はもうダメなのではないかとも感じていた。
自分の命と同じだと思っている「辰巳ジャンプ」のチームも、解散寸前に追い込まれていた。

そんな時に、坂井泉水さんは、この世からいなくなってしまった。


音楽葬に集った4万人の方々が作り出す、何ともいえない温かな空気が青山斎場にはあった。
みんな泉水さんの創った曲に励まされて生きてきたんだと直感的に感じた。
だれもが「ありがとう、泉水さん。」という感謝の気持ちで参加していることを感じた。

そんなことを人に感じさせられる人生ってすごいじゃないかと思った。
人生は生死ではなくて、何をしてきたのかが大事なのだと実感した。

これが本物の教育なのだと感じた。

私はこの日を節目に、自分の教育実践を変えた。
誰かに評価されることを期待するのではなくて、坂井泉水さんのように自分が納得できる実践をしていこうと決めた。


2007年6月27日以来、すべてが変わった。

それまで恐れていたことも小さなことに感じられ、大きなことにチャレンジする力が甦った。
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ZARD ALBUM COLLECTION MEDOLEY

ZARD ALBUM COLLECTION MEDOLEY


2曲目の「負けないで」を歌いながら今年は進んでいきたいです。
2007年、解散寸前の辰巳ジャンプ(=私)を救ってくれた、坂井泉水さんの楽曲の数々です。坂井さんは、この2007年5月27日に亡くなったのです。そのころの日記によれば、辰巳ジャンプは本当に危機的な状況だったことが分かります。よく今のチーム状況まで盛り返したと思います。ZARDのリズムに乗って、今年も私は前進します。

【その1ヶ月後、2007年6月27日の日記】

「坂井泉水さんを偲ぶ会」に行ってきた。彼女とは同世代だ。すごい参列者の数だった。きっと自分など浮いてしまうだろうと思っていたが、同世代の人もたくさんいて、あらためて坂井泉水さんに励まされてきた人の多いことを実感した。

思い切って行って、本当に良かった。1時間ほど並んだが、まったく苦にならなかった。大画面で流れてくるコンサートの様子を見ながら、数々の思い出がこみあげ、涙が出そうになった。

「負けないで」「揺れる思い」…
全ての曲に思い出がある。

献花をした瞬間、もう坂井泉水はいないんだということが胸に迫り、思わず「ありがとう」の言葉が口から出た。


【2007年9月15日の日記】
今日から東京新聞杯予選がスタートした。

部員が足りずに夏のサントリーカップを棄権した辰巳ジャンプ。実は体育館工事のために練習会場がない。そこで私の勤務校まで来て練習をしているのだが、その通うつらさに耐えられず、貴重な2年生が辞めた。

現時点でも部員が5人と足りない状況。そこで辞めてしまった2年生に「試合だけでいいから来てね」と説得して何とか6人そろう。そんな状態のチームが勝てるわけないのだが、今日1勝してしまったのだから、やってみなければ分からない。支部決勝大会に出場できる7チーム枠の7番目を争っている現状なので、ここは監督の采配で何とか勝たせてあげたい。

ところで今日の私はちょっと疲れ気味だったのかもしれない。

朝7時30分から日本テレビで放送された「坂井泉水」の特集を見て、涙が出そうになった。これで心が乱れたのかもしれない。なんと財布を忘れてしまった。 しかもそれに気がついたのが試合会場に入ってから。

次の失敗は、スポーツバッグの中に入れてあった水筒の口を閉め忘れ、スポーツドリンクが全部バッグの中にもれていた。こんな失敗は初めてだ。

少し休まなくてはならんぞと思い、帰宅途中で車を止めて、ZARDのベストアルバムを大音量で聴く。「負けないで」の曲に励まされる。辰巳ジャンプの練習前に、子ども達に必ず歌わせようと決める。


【2008年11月13日の日記】
8曲目の「マイフレンド」は辰巳ジャンプの子供たちにも覚えてほしい曲です。

「マイフレンド」

歌詞の一節一節がグイグイ心に響いてきます。

『あなたを想うだけで 心は強くなれる ずっと見つめてるから 走り続けて』
独りで走り続けているんじゃない、誰かに認められ見ていてくれる人がいるから走り続けることができるんだ。

『ひたむきだった遠い日の夢は 今でも眩しい』
そう、すごくひたむきに、純粋に進もうとしていた青春時代の夢を忘れていないから今でも力を伸ばせるんだね。

『どんなに不安がいっぱいでも 真っ直ぐ自分の道を信じて』
不安で不安で逃げ出したこともあったけど、自分の決めた道は外さずに進んできた。真っ直ぐじゃなかったけど、真っ直ぐに進もうとはしてきた。その道を進めば何かを帰られると信じて進んできた。

『飾らない素顔のあなたが好き 変わってしまうことが哀しい』
かっこつけなくてもいい。素直な気持ちを失わずに、いつまでも少年の心を持ち続けたい。

『この距離通り抜ける 風になりたい』
どんなに離れていたとしても、距離があったとしても、自分の思いを届けられる。風のように届けられる。地球の裏側にだって届けられる。

この曲「マイフレンド」は、井上の発想を促す時のテーマソングであり、テンションをあげるときの応援歌であり、常に成長をしていくためのエネルギーなのです。
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「ZARD ALBUM COLLECTION MEDOLEY」・・・・・私を支えてきたメロディ

ZARD ALBUM COLLECTION MEDOLEY


どんな時にも気持ちを上げていく「心のスイッチ」を持っているかどうかは大事だと思っています。
私のスイッチはZARDメロディというわけです。
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坂井泉水さんを偲ぶ会【2007年6月27日】

今からちょうど4年前。2007年6月27日。
ZARDのボーカルであった坂井泉水さんが亡くなられて1カ月たっていた。
東京の青山斎場には約4万人が結集し、空前のお葬式が行われた。

「坂井泉水を偲ぶ会」

この会に私も参列させていただいた。
なぜなら、坂井泉水さんの存在は、仕事は違えど私の教員生活の流れと完全に一致し、勝手ながら共に時代を築いてきたものだと感じていたからだった。

この日の私の日記には、こんなことが書いてある。


***** 2007年6月27日の日記より *****

「坂井泉水さんを偲ぶ会」に行ってきた。彼女とは同世代だ。

すごい参列者の数だった。

きっと自分など浮いてしまうだろうと思っていたが、同世代の人もたくさんいて、あらためて坂井泉水さんに励まされてきた人の多いことを実感した。

思い切って行って、本当に良かった。

1時間ほど並んだが、まったく苦にならなかった。

大画面で流れてくるコンサートの様子を見ながら、数々の思い出がこみあげ、涙が出そうになった。

「負けないで」「揺れる思い」…

全ての曲に思い出がある。


献花をした瞬間、もう坂井泉水はいないんだということが胸に迫り、思わず「ありがとう」の言葉が口から出た。

************************


実はこのころ、私は教員生活最大のピンチに至っていた。
それまで積み上げてきた数々の実績が、いとも簡単に崩れていくことを体験していた。
もしかしたら自分はもうダメなのではないかとも感じていた。
自分の命と同じだと思っている「辰巳ジャンプ」のチームも、解散寸前に追い込まれていた。

そんな時に、坂井泉水さんは、この世からいなくなってしまった。


音楽葬に集った4万人の方々が作り出す、何ともいえない温かな空気が青山斎場にはあった。
みんな泉水さんの創った曲に励まされて生きてきたんだと直感的に感じた。
だれもが「ありがとう、泉水さん。」という感謝の気持ちで参加していることを感じた。

そんなことを人に感じさせられる人生ってすごいじゃないかと思った。
人生は生死ではなくて、何をしてきたのかが大事なのだと実感した。

これが本物の教育なのだと感じた。


2007年6月27日以来、4年がたった。

私はこの日を節目に、自分の教育実践を変えた。
誰かに評価されることを期待するのではなくて、坂井泉水さんのように自分が納得できる実践をしていこうと決めた。


2007年6月27日以来、すべてが変わった。

それまで恐れていたことも小さなことに感じられ、大きなことにチャレンジする力が甦った。




実は今日、2011年6月27日。
注文していた「坂井泉水さん・ZARD追悼ライブ」を収録したDVDが私のところに届いた。
6月27日に届くという意味は何なんだろうと・・・・・・また深く考えてしまう。

人生は節目を刻んでいくことが大事だと多くの先輩から教えられてきたが、ピタリ6月27日に「坂井泉水さん」を振り返る映像が届くところが不思議でならない。


坂井泉水さんのライブを象徴する言葉がある。

「私は言葉を、詞を大切にしてきました。」

自分も言葉を人に伝える仕事をしている。そのひとつひとつをこれまで以上に大切にしていきたい。

教師という立場でも、小学生バレーボール指導者という立場でも、「言葉を大切にする」ことを意識していきたい。

それが坂井泉水さんを永遠たらしめることにつながると信じつつ。


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マインドマップで作文すらすらワーク (ドラゼミ・ドラネットブックス)
クリエーター情報なし
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「ZARD最終ライブ」に参加できた喜び

2007年5月27日、運命の日。

ZARDのボーカリストであった坂井泉水さんが、癌の治療中で入院していた慶応大学病院の非常階段から転落死をしたというニュースが流れた日。

現任校に異動したばかりの私は、衝撃のあまり目の前が真っ暗になりました。

なぜ????? どうして泉水さんがいなくなってしまうの?????


その1か月後、2007年6月27日、青山墓苑で行われた音楽葬にも参列させていただきました。
その当時の日記です。




『ZARD 坂井泉水さんの音楽葬』

行く前にちょっと迷ったが、後悔したくなかったので、「坂井泉水さんを偲ぶ会」に行ってきた。
彼女とは同世代だ。

すごい参列者の数だった。

きっと自分など浮いてしまうだろうと思っていたが、同世代の人もたくさんいて、あらためて坂井泉水さんに励まされてきた人の多いことを実感した。

思い切って行って、本当に良かった。

1時間ほど並んだが、まったく苦にならなかった。

大画面で流れてくるコンサートの様子を見ながら、数々の思い出がこみあげ、涙が出そうになった。


「負けないで」「揺れる思い」・・・・・全ての曲に思い出がある。

献花をした瞬間、もう坂井泉水はいないんだということが胸に迫り、思わず「ありがとう」の言葉が口から出た。





そして2011年5月27日。日本武道館でのZARDデビュー20周年記念ライブ。そして追悼ライブも今回が最後だという。

早々とチケット予約をしたので、席はアリーナ席の前から2列目という特等席に当たった。

舞台は写真のような見え方をする素晴らしい位置。こんなところに陣取ることができた喜び。


19時から始まったライブは21時45分までの2時間45分間、よどみなく流れる。

5人のゲストが思い出を語ってくれる。

一言一言を会場のみんなが共有する。

会場にいる出演者も観客もみんな、坂井泉水さんが考えに考えた詞によって人生を支えられたメンバーだった。





私の支えになっている詞をいくつか。

「負けないで もう少し 最後まで走り抜けて どんなに離れてても 心はそばにいるわ 追いかけて遥かな夢を」

「ひたむきだった 遠い日の夢は 今でも眩しい どんなに不安がいっぱいでも 真っすぐ自分の道を信じて」

「あの微笑みを忘れないで いつも輝いてたい 心の冬にさよならして 走り出そう 新しい明日へ」

「あなたを想うだけで 心は強くなれる ずっと見つめてるから 走り続けて」

「止まっていた時間が今動き出した」



何か壁にぶつかったたびに、この詞を謳いながら前進してきた。





最終ライブの最後、『負けないで』を全員で大合唱した後に、「君のことをずっとずっとずーっと想(おも)っているよ 泉水」という泉水さんの直筆がスクリーンに映された時、会場の空気は20年間、自分の人生を泉水さんに支えられてきた思いがフラッシュバックし、温かな、そして泉から溢れ出るような気持ちに包まれた。


ありがとう泉水さん。


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岡本真夜さんのクリスマスコンサート

25日の土曜日の夜。岡本真夜さんのクリスマスコンサートに参加しました。

場所が私の庭と勝手に認識している「天王洲銀河劇場」だったので、これは行くしかないとチケットを取ったわけです。

真夜さんは、MCでいろいろなことを語ってくれました。

デビュー15周年を目の前にした昨年、体調が崩れて、歌手としては致命的な聴覚と喉をやられてしまい、引退も考えたこと。そういえば、私が敬愛するZARDの坂井泉水さんの体調がすごく悪くなったのも15年過ぎてからだった。そういう節目なのでしょうか?

デビュー5年目の頃に、歌手をやめたいと思った時、病気で命を落とした親友が残した、真夜さんの取材記事を集めたスクラップノートを、その方の両親に見せてもらい勇気づけられ、「もう一度頑張ろう!」と復活できたこと。

今年の春に起こったS万博のテーマソング問題もについても、引退を考えている中で起こった出来事で、きっと天国から親友の方が「もっと頑張って!まだまだやれるから!」と励ましてくれている、そのために起こった問題だったんだと前向きにとらえたそうです。

赤裸々な話をご本人から聞けただけでも、行って良かったと思えるコンサートでした。


もちろん歌の方もとっても楽しかったですよ!


「TOMORROW」「そのままの君でいて」「Alone」など聴き慣れた曲ばかり。

面白かったのは、ご本人も「恥ずかしい」と言いながら、会場全員で踊りながら歌った「Help me」

パペポピ神様 助けて下さいな♪
最近 私 失敗ばかり♪
どうして こんなに 続くのだろう・・・♪

簡単なダンスで、会場全員がすぐに覚えてしまいました。


真夜さん自身、この日のコンサートですごく元気が出たみたいです。
関心のある方は、下記ブログをクリックしてご覧下さい。

岡本真夜オフィシャルブログ

この記事は、真夜さんから「ブログにコンサートの様子を書いて、宣伝して下さいね!」という言葉もありましたので、それにお応えして書いてみました。

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