「一日担任」をしてあげました

今日は教員の授業技術研修と、児童に学びの楽しさを与えるという二つの目的で、2年生の担任を一日務めました。
感想からいうと、これならいつでも担任をすることができるな、将来、退職した後も、なんなら産休代替の引手数多のエースとして名をとどろかすのも面白いかもなと思いました。

今日一日、自分の駆使した教育技術をふりかえってみます。

①デジタル教科書
②デジタル教科書漢字指導機能
③拡大投影機
④デジタル教科書書き込み機能
⑤ハンドサイン、キツネバージョン
⑥神様ご指名カード
⑦子供同士で支え合う組織作りテクニック(懲戒編、納得編)
⑧授業準備を習慣付ける指導テクニック
⑨時間を守るための目標作り技術
➉指導のねらいをもち、指導と評価を一体化させた声かけ
⑪指し棒使用による焦点化
⑫主語カード、述語カードによる遊びからの学び
⑬ワクワク探検走
⑮点呼タイムトライアルで達成感を感じさせる技術
⑯子供のけんかを短時間で解決する手法
⑰全員が知らぬ間にたくさん運動してしまう「てんか」
⑱デジタル九九フラッシュカード
⑲給食準備当番タイムトライアル
⑳給食を完食したくなるおかわり方法
㉑掃除時間を授業時間に変えてしまう方法
㉒リアル腹話術
㉓秋冬対比マインドマップ
㉔集中力のない子に授業参加させる懲戒方法
㉕リレー指名方法
㉖キツネダンス
㉗常に立ち位置を変える児童観察技術
㉘立ち位置変更による児童の発言技術育成方法

ざっとこんなかんじの技術を使っていたようです。1日をふりかえってみました。大人もふりかえりを記録することが、個別最適化の学び習慣になります。

フル担任をしたため、かなりエネルギーを使ったらしく、夕方に体がコカコーラを欲しました。最高に美味しく、しみわたるようにいただきました。

さらにごほうびとして、日本武道館のアンジュルムライブにかけつけました。最高のライブでした。気になっていたのが、となりに座った女性がアンジュルムライブ初心者らしく、ペンライトを持っていなくて、どんなふうに乗っていけば良いのか手探り状態だったことに気づいていたのですが、自分が2本のペンライトを使って盛り上がっていたので、1本貸してあげればよかったなと反省しています。残念ながら、その声かけの勇気は出ませんでした。
このようにして自分の行動を自己評価、自己称賛しているのが私です。こうすることによって、メタ認知による成長という、高レベルの領域に自分を高める方法を使って、物事を考えている偏屈な私です。
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【教務主任通信】 宮沢賢治「やまなし」研究 8

「あるのでもない、ないのでもない」

5月の場面で表現されている「泡」「影」「光の網」についての思想的意味についての考察です。

宮沢賢治が信仰していた「法華経」の思想が色濃く出てくるのがここからの解釈になります。

【光の網】
仏教では様々な事象には必ず「原因」「縁」「結果」があると考えます。これを現代風にいうと「因果律」となります。「やまなし」の中の光の網を解釈すると、その原因となるのが「日光の黄金」です。しかしそれだけでは光の網は生じません。「日光の黄金」という光が谷川の波がゆらめく水面(天井)という縁を通ることによって変化し、さらに「白い岩」という条件が加わって「ゆらゆらのびたり縮んだり」する結果、「光の網」が生じてきます。
これらすべてがそろわなければ、光の網はこの世に生じることもできず、認識もされません。こうしてひとつも欠けることなくつながっている状態を「因縁和合」といいます。

同じような意味のことを、教務主任通信33号「子どもは球体」で書きました。
子どもは悪でも善でもない、周りの縁(働きかけ)によってコロコロと転がり、悪の面が出ることもあるし、善の面が出ることもある。一人ひとりの子どもには原因となる性格や能力があるので、結果として表れる「態度」は一人ひとり違う。しかしこれらも切り離して現象が起こるのではなく、「因・縁・果」の3つがそろって初めて生じるものです。

『本覚讃釈』(源信著)の中にもこのような一節があります。
「そもそも木石の中に火の性を具すれども、縁に値わざれば現起せず」
 木や火打石には、火を発する「因」が具わっているが、なんらかの「縁」がなければ火がつくという「果」は生じません。


次にインドの龍樹(りゅうじゅ)という有名な仏教哲学者の考え方を知る必要があります。
一切の現象(森羅万象)には陰陽がある。光あるところには影がある。生まれる陰には死がある。何かが増える陰には何かが減っている。変化を感じることができるのは変化しない実態があるからである。森羅万象は必ず相互依存の関係性を保ちつつも、「変化しない」というものは何一つない。まさに「あるものでもない、ないものでもない」という関係性がある。
変化しないものはただひとつ、宇宙を動かしている根本の運動法則だけである。その法則のもとで、すべてのものは一瞬一瞬絶えず変化し続ける。この状態を「空」と名づけます。

このような「空」の感覚は、現象面を人間がどのように認識するかとは無関係のもので、言葉の世界を超えて「当然あるもの」として認知しなくてはならないものだと賢治は考えていたのです。

もしかしたら、「クラムボン」が笑ったり、死んだり、殺されたり、再び笑ったりと、あっちへこっちへゆらゆら揺れうごめく状態も、賢治が「空」の概念を盛り込んだのかもしれません。これは井上の勝手な解釈ですから、皆さんも好きなように解釈して良いのだと思います。



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授業は釣りと似ているという考え方

昨日、6年の先生に「やまなし」の授業について相談を受けました。その際に、偶然私の中から出てきたアイデアが、自分としても腑に落ちるものだったので、忘れないうちに書き残しておこうと思います。

授業は、「この1時間の授業をどうしよう」と考えてしまうとうまくいかないものだと思います。「やまなし」を10時間で指導するなら、この10時間をどうさい配して、最終ゴールにたどり着くかという見通しをもっていないといけません。


この授業の流れを「釣り」に喩えてみました。

釣りの目標は「ねらった魚を釣り上げる」ということです。そのためにいろいろな仕掛けをします。どんな竿を使うのか、どんな糸や針を使うのか、エサは何がいいのか、場所はどこがいいのかなど、工夫に工夫を重ねて大物をねらいます。時には無駄になる「撒き餌」をする必要もあるでしょうし、獲物によっては大きな網や銛(もり)などが必要になるでしょう。
釣りをしている最中には、釣り糸周辺に眼を向けながら、じっと待っているわけですが、釣り人は動かないけれども、波や水の色、雰囲気などの集まってくる情報を敏感にキャッチしてねらい通りに釣り上げていきます。


授業もこれに似ています。

10時間の授業の間、最初の1時間目から大物をねらっていくのではなく、子どもたちに撒き餌をします。その撒き餌とは、「宮沢賢治って面白そうだな」「やまなしって不思議だな」「クラムボンって何だろう」「他の作品も読んでみようかな」という興味を湧きあがらせる撒き餌です。子どもたちを主教材文に食いつかせるための仕掛けを工夫するのです。

次に、毎回の授業で、最終目標のねらいに向かって、子どもたちを追い込んでいくのです。それも子どもたちが知らず知らずのうちに追い込まれている状況にすることが大事です。魚釣りも同じですね。魚が気づかないうちに岩場に追い込まれ、もう逃げられない状況の中にいることにも気づかない。そんな瞬間に「天井の光」の中から、最高においしそうな餌がゆらゆらと降りてくる。魚は喜んで食いつきます。


では、子どもの追い込み方はどのようにしたら良いのでしょうか?

担任という釣り師は、高性能の「言葉レーダー」を持っている必要があります。そのレーダーで何をキャッチするのかといいますと、子どもたちの「声」をつかまえ、拾い上げるのです。

授業の中では様々な声が発せられます。

「発言」「つぶやき」「質問」「話し合い」・・・この辺からは良い情報が発信されることが多いです。

「私語」「周りとのおしゃべり」「ひそひそ話」「勝手な発言」「笑い声」・・・こうした声は授業にマイナスな要素が多くなります。

そして、授業を最高レベルに引き上げてくれるのが子どもの「心の中のつぶやき」です。これを拾うのは最高難度の教師技術です。心の声は子どもたちの態度に顕れます。学んでいる「姿勢」に顕れますし、「目の輝き」にも顕れます。「心のつぶやき」を拾えるようになったら一人前の教師になったといって良いでしょう。

こうして授業を本時の成功に向かって突き進ませてくれる「声」を確実にキャッチし、じょうずに拾い上げ、クラス全体の財産として貯金していく。たくさんの貯金があると、そこに大きな利子がついてきます!そんなふうに膨らんだ貯金を山場の1時間で一気に使ってしまいましょう。

このようなイメージで授業をしていくことによって、場当たり的な指導から抜け出すことができるようになります。


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【教務主任通信】 宮沢賢治「やまなし」研究 7

クラムボンとは何か


はじめに、これまでの国語関係者が考えてきた様々な「クラムボン解釈」を列挙します。

①意味不明説 ②河ぐも説 ③アメンボ説 ④プランクトン説 ⑤川えび説
⑥Crab(蟹)からの造語説 ⑦水のあわ説 ⑧日光説 ⑨水の流れ説 ⑩魚説
⑪光の影説 ⑫谷川の神説 ⑬小さないのちの総称説 ⑭鎹(クランプ)説 等々

 子どもたちに「クラムボンとは何なのかを考えてみよう」という発問をしたら、それこそ際限なく意見が出されて、それだけで1時間の授業が終わってしまうことでしょう。実際に私も「クラムボンを考えさせる授業」をしたことがありますが、「宇宙人」とか「夢と現実がごちゃごちゃになっているんだ」という意見も出てきて収拾がつかなくなりました。

 クラムボンが何なのかを宮沢賢治は明らかにしていません。
学者の意見にはこのようなものがあります。
「これはカニ語なのであって、人間にとってクラムボンが何を指しているのか不明なのは当然。」
「カニとはひとつの生命体に過ぎず、クラムボンもまたひとつの生命体にすぎないので、それ以上クラムボンとは何かと問うことなど、何もないのである。」
「作者である賢治の感覚に寄り添い、次いで水中の蟹の感覚に寄り添い、クラムボンを感じ取ることによって、言葉で説明する以上のものを感覚で確かめていると言える。」
「カニ語だから人間には分からない。人間に決めつけられないように、わざとカニ語で書いている。だから、人間はそれぞれ自分で勝手にイメージしていいように作者はしている。」
「わからないままでいい。何かわからないけどおもしろい。おそらく賢治自身がクラムボンとは何のことだか読者が分かるとは絶対思っていなかった。しかしそのおもしろさは必ず伝わる自信があったのでしょう。」
「いずれにしても、かなり計算されてつくられ、そのことによって読者自らがイメージを広げることを可能にすることをねらって考えだされた表現である。」

こうした意見を受けて、西郷先生はこのように書いています。

クラムボンとは読者自らが「世界観の変革」を可能にすることをねらって考えだされた表現である。私は「わからないままの方がいい」とは思わない。また、「読者自らがイメージを広げる」だけでいいとも思わない。
明らかに「クラムボン」という造語には、わざわざこのような造語を用いた作者の明確な意図があるにちがいない。そのことをあきらかにするためには、まずは「光の網」とは何か、また、「月光の虹」「水の泡」「影」「夢」などのイメージとその意味は何か。そのことの解明からはじめなくてはならない。


文芸研の教材研究とは、このように深い部分まで食い込んでいくものです。単純な解釈だけしていては教師としての本当の実力がつきませんから、研究授業のチャンスを生かして、深々と学んでみる方がお得です。


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【教務主任通信】 宮沢賢治「やまなし」研究 6

「8時間の授業で子どもたちの何を育てるか?」

今回は1度、文芸研の教材研究から離れてみます。

「やまなし」を扱う単元は「作品の世界を深く味わおう」というテーマのもとで進められます。主教材文が「やまなし」で、副教材文が賢治の生涯を書いた伝記「イーハトーブの夢」です。実は「イーハトーブの夢」だけでも5時間くらい授業時間を使って指導できる内容なのですが、なんと!この単元は2教材で8時間扱いです。6年の先生方!はたして授業できるのか???(苦笑)

ベテランのN先生からも相談されました。
「これを8時間で授業するのは難しい。総合的な学習に入れてもいいのだろうか?」
と。しかし残念ですが、今年から総合的な学習の時間数は年間70時間。6年生の場合、その内訳は、日光関連20時間、学芸会関連15時間、CPリテラシー5時間、卒業関連20時間、平和意見文4時間、租税教室2時間、福祉関連4時間とこれだけ終わりです。「やまなし」に関連させる時間はありません。どうしても総合で関連させたい場合は、学芸会や卒業関連の時数を減らす必要が出てきます。

読み込んで、子どもたちとたくさん討論をしていけば、何時間でも学習し続けられる教材である「やまなし」ですが、それをしたら、まるで底なし沼のように抜けられなくなるでしょう。そこで8時間で授業をしていく計画性が教師に問われてきます。

では、どう考えたらよいのでしょうか?

たった8時間で子どもたちの何を鍛えるのかをしっかり持っている必要があります。
以下に示すのは井上案です。授業は授業者のやりやすいように変えていくことが大事なので、この案に振り回されないように気をつけて下さい。



【1案】(鍛える力)ひとつの作品から多くの作品へと読み広げる能力をつける。

①「やまなし」を宮沢賢治作品への導入教材として使い、作品の不思議さを5時間で味わわせる。
②学習のスタートから、読書指導として「宮沢賢治作品を読み広げる」ことを指導し、授業での読解と同時進行で、宮沢賢治の他の作品も宿題で読ませる。
③2時間で「イーハトーブの夢」を授業する。賢治の生き方や考え方にふれ、賢治作品を読もうとする意欲につなげる。
④最後の1時間でグループごとのブックトークを行う。
⑤宿題で「宮沢賢治新聞」を書かせる。
この流れで学習すると、2月に行う「海の命」の学習につながります。



【第2案】(鍛える力)作品を深く味わう力

①「イーハトーブの夢」から2時間学習し、宮沢賢治の生き方や考え方を知る。「雨にも負けず」を暗唱することを宿題にする。
②「やまなし」を4時間学習する。
③「なぜやまなしを書いたのか」「クラムボンとは何なのか」など、子どもたちから出た学習課題について2時間かけて調べたり話し合ったりする。

早くも明日は指導案検討会
みなさんも、6年生のお二人に良いお知恵をプレゼントしてあげてくださいませ。


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【教務主任通信】 宮沢賢治「やまなし」研究 5

「水の底」の意味するもの

「底」という言葉はやまなしの中で7回(底光りを入れると8回)出てきます。これは賢治によって意図された「反復表現」です。賢治にとっての「底」とは「大気圏の底」を差しています。「春と修羅」という詩の中にこんな表現があります。

いかりのにがさまた青さ 四月の気層のひかりの底を
唾(つばき)し はぎしりゆききする おれは一人の修羅なのだ
雪はちぎれてそらをとぶ ああかがやきの四月の底を
はぎしり燃えてゆききする おれは一人の修羅なのだ
けらをまてぃおれを見るその農夫 ほんたうにおれが見えるのか
まばゆい気圏の海のそこに (かなしみは青々ふかく)
ZYPRESSEN しずかにゆすれ 島はまた青ぞらを截(き)る
(まことのことばはここになく 修羅のなみだはつちにふる)

気圏の底には修羅である自分がいる。修羅とは仏教に登場する阿修羅のことです。「怒りの生命状態」のことを阿修羅と表現します。大海の底にいて、闘争を好み、諸天善神と闘う悪神です。

地上の現実世界である「気圏の底」という舞台で「修羅」を演じているのが自分であるという比喩が「底」という言葉にこめられているようです。他の作品の中にも頻繁に「底」が使われており、すべて修羅のイメージを合わせて書かれています。

西郷先生の言葉を引用します。
「やまなし」の世界が「小さな谷川の底」として設定されていることは、たとえそこが「小さな」「天井」のある蟹の子供らの小さな生活圏であるとしても、同時にそこが修羅の世界であることを意味している。
 「やまなし」の「水の底」が修羅の世界であることは、クラムボンを魚が捕食し、その魚をかわせみが捕食するという、いわば食う食われる弱肉強食の文字通り殺生の修羅場であることからも察しられる。また、後述するが、蟹の子供らの泡くらべの姿にも修羅のイメージが重なります。


さらに「赤い目のかわせみ」が出てきますが、この「赤い目」も修羅の象徴として賢治は使っています。赤い目のさぎ(春と修羅)、赤眼のサソリ(シグナルとシグナレス)、赤く光るサソリの火、ふくろうの赤い眼(銀河鉄道の夜)、まっ赤な眼のくま(かしはばやしの夜)、赤い竜の眼(オツベルと象)、支那人のぐちゃぐちゃした赤い眼(山男の四月)と、すべて修羅イメージと重なるものとして表現されています。

教科書P107で蟹の父親が「魚はこわい所へ行った」と言いますが、「こわい所」とは怒りに満ちた修羅の世界、または地獄を意味する言葉と考えられます。

このように、「やまなし」の「水の底」はまさに修羅の世界なのです。

賢治にとって最愛の妹・トシを亡くした直後に「やまなし」は書かれました。賢治の人生のどん底=地獄の中から「やまなし」は生まれてきたのです。ぜひ「永訣の朝」というトシの死を悲しんだ詩も読んでみて下さい。


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【教務主任通信】 宮沢賢治「やまなし」研究 4

最新版 西郷竹彦教科書指導ハンドブック 子どもの見方・考え方を育てる小学校高学年・国語の授業 (西郷竹彦教科書指導ハンドブック 最新版)
クリエーター情報なし
明治図書出版



『だれがどこから〈写した〉のか』


「小さな谷川の底を写した二枚の幻燈です。」という前書きではじまる「やまなし」の世界は、いったい誰がどこから〈写した〉のか? 最後に「私の幻燈はこれでおしまひであります」とあるので、誰がの答えは「私」になります。では、「私」とは誰なのでしょう?これを「話者」または「視点人物」といいます。
「やまなし」を読んでいく教師や児童は、この「話者」の目線を通して、やまなしの世界を「共体験」していくことになります。この「共体験」は外の目で見ていく「異化体験」と、内の目で見ていく「同化体験」がないまぜになった「複眼的」な体験であると西郷先生は言っています。つまり、読者である私たちは、「話者」に同化しながら、対象人物である「カニ」を異化して見ているという状況になります。その結果、「やまなし」の世界に取り込まれるようになり、物語と現実世界との境目があいまいな感覚にされてしまうのです。

話者である「視点人物」にもカニが言っている「クラムボン」をはじめとする会話の意味は分からない。分からなくなるように賢治が構成しているのです。だから読者である私たちにも正解など分からないのです。



次に、「どこから」写したのかという疑問を解説します。

上の方や横の方は、青くくらく鋼のやうに見えます。そのなめらかな天井を、つぶつぶ暗い泡が流れていきます。

この文から判断すれば、話者は水の底から見ていることが分かります。なので、この短い話の中に、「天井」という言葉が7回も出てきます。天井とは水面のことになります。カニの子どもらにとって、水の底から天井までの空間が我が家にも等しい日常的な生活圏となります。

やまなしの世界は、すべての表現が「水の底目線」で書かれています。
「のぼって行きました」「流れて行きます」「過ぎて行きました」「降って来ました」という表現です。
また、カニの子どもらが「クラムボンが殺された」と感じた後の文で、お魚が「戻って来ました」⇒「やって来ました」と違う動きの表現を使っていますが、これを「遠近法表現」といいます。そうすることによって、カニの子どもらが不気味に感じていることを心理描写しているわけです。



最後に、登場人物と読者の関係を説明します。

推理小説を読むとワクワク感がありますね。これは登場人物である探偵も犯人を知らない、読者も知らない、この関係が読者に興味関心をそそる仕組みとなっています。「やまなし」の登場人物である「カニ」も自分のいる状況が分からない、読者も分からないという中で、危機感や疑問を感じて行く、つまり、けっこう強引に同化させられるわけです。

こうして読み手は賢治によって、水の底へと誘(いざな)われていくのです。


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【教務主任通信】 宮沢賢治「やまなし」研究 3

「やまなし」の授業 (文芸研の授業―文芸教材編)
クリエーター情報なし
明治図書出版


『数々の謎をはらむ「やまなし」の世界』

「やまなし」が教科書に載って以来30数年間、いかに多くの教師が頭を悩ませてきたかということを西郷先生も書いています。謎が多すぎるからです。その謎に対する疑問を子どもたちも抱くため、多くの教師は適当にごまかして授業をすすめてきたとも言っています。

①クラムボンとは何なのか?

②賢治はなぜクラムボンとかイサドといった造語を用いたのか?

③クラムボンはいったん死ぬのに、なぜまたわらうのか?

④「やまなし」が出てくるのは最後の方だけなのに、なぜ「やまなし」という題名なのか?

⑤「二枚の青い幻燈です」というのに、作品はどう考えても映画のように変化している。

⑥「青い幻燈」という一色なのに、まことにカラフルで多様な色に満ちてあふれている矛盾。

⑦そもそもなぜ「青い」のか?

⑧「私の幻燈」とあるが、「私の」とは何を意味しているのか?

⑨なぜ「2枚」の幻燈なのか?なぜ五月と十二月を選んでいるのか?

⑩「光の網」のイメージがくり返し使われて強調されているのは何のためなのか?

⑪これだけ短い作品の中で、会話の比重が非常に大きい。また、会話で類比させているのは何のためなのか?そこに深い思想的な意味が隠されている。

⑫「小さな谷川の底」という表現、特に「底」という部分にも賢治の深い思いが込められている。

⑬なぜ蟹が視点人物なのか?

⑭「かわせみー魚ークラムボン」という殺し殺される関係が、蟹の兄弟の他愛もない泡くらべとどのようなかかわりがあるのか?

こうした疑問点をあげた上で、西郷先生は次のように述べています。

すべての謎、問いは、すべてひとつにつながりあい、かかわってあるのだ。すべてのイメージとその意味がひとつの生命体における細胞のように、全一体となっているようなものである。私はそれを「形象の相関・全一性の原理」と呼んでいる。

「やまなし」は賢治の哲学・宗教・科学が、芸術(散文詩)としてひとつに結晶したものである。そこには賢治の世界観がある。それは仏教的世界観と現代の自然科学的世界観とがいみじくもひとつにとけあったものとしてある。



キーワードは「世界観」となります。

賢治の世界観を言葉で表現するには、「やまなし」のような分かりにくい表現方法を取るしかなかったのでしょう。その世界観を私流に解釈すると、「生死は別々のように見えるけれども、一体なものである。生があるから死があるのであり、死があるから生もある。」と賢治は表現したのだと思います。また、「主体(自分)と環境は分かれているように見えるけれども、本当は一体なものである。」と解釈すれば、谷川の底で表現される蟹の、ゆらゆらゆらぐ精神状態も、川底の環境に影響されているものだと考えられるかもしれません。
このように入り組んだパズルを解くような解釈が「やまなし」には必要となってきます。


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【教務主任通信】 宮沢賢治「やまなし」研究 2

宮沢賢治「二相ゆらぎ」の世界
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黎明書房




西郷竹彦先生の著作はかなり難しいので、読んでいるだけで時間が足りなくなる可能性があります。そこで私なりに解釈をして、要点をお伝えしていこうと思います。2009年に発刊された『やまなしの世界』という研究書は、おそらく西郷先生が人生をかけて研究してきた集大成と思われる一書です。


【目次より】
序 章 かずかずの謎をはらむ「やまなし」の世界
第1章 だれがどこから〈写した〉のか
第2章 〈水の底〉の意味するもの
第3章 〈クラムボン〉とは何か
第4章 あるのでもない、ないのでもない
第5章 仮に名づけたもの
第6章 ふたたび〈クラムボン〉とは何か
第7章 〈ゆらゆら〉ゆらぎの世界
第8章 〈光の網〉インドラの網
第9章 〈流れて行く〉もの
第10章 〈せはしくせはしく明滅〉する
第11章 〈かげとひかりのひとくさりづつ〉
第12章 〈二相系〉の比較と描写
第13章 燃えさかる煩悩の火
第14章 殺生の罪について
第15章 なぜ題名が「やまなし」か
第16章 ふたたび、殺生の罪について
第17章 〈二枚の青い幻燈です〉
第18章 〈私の幻燈はこれでおしまひであります〉
第19章 「やまなし」の世界
第20章 「やまなし」を授業する(教師の方々のために)
補 足 「やまなし」に現れた「二相ゆらぎ」の世界

これを見ただけで、いったいなんのこっちゃ?????と感じられることでしょう。まことに難しい解釈・要約作業になりますが、校内研究の一助となるように挑戦させて下さいませ。

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【教務主任通信】 宮沢賢治「やまなし」研究 1

10月下旬にある校内研究会で、6年生が宮沢賢治の「やまなし」を教材に授業します。ここに向けて、私としてはバックアップのために「教務主任通信」を毎日発行しています。そこに書いているのが「やまなし」の教材研究です。文芸研の西郷竹彦先生が書かれた本を私なりに要約したり、引用しているだけですが、それでも若手の先生には財産になると思いますので、あえて公開します。

増補 宮沢賢治「やまなし」の世界
クリエーター情報なし
黎明書房



☆研究の仕方あれこれ

10月の研究授業に向けて、6年生最大の難関ともいえる「やまなし」が教材ですから、早めにいろんな情報を流しておこうと思います。
教材研究をする際に大事にしたいことがいくつかあります。思いつく順に10ばかりあげておきます。

(1)作者の生き方を知ること
(2)時代背景を知ること
(3)その上で、作者の考え方を知ること
(4)教師は最低でも30回は教材文を読み込むこと。
(5)読むたびに何か一つでも発見ができるような「読みのフック」をかけること。
(6)その作品に関する先行研究を読むこと
(7)他の先生が書いた指導案に目を通すこと
(8)指導書の中にある研究コーナーに線を引きながら読むこと
(9)指導書の授業計画欄を鵜呑みにしないこと
(10)教材について二人以上で何度もフリートークをすること

このほか最近の数年間、私が研究授業をする際に挑戦したことは、作品の生まれた地元へ足を運ぶことでした。「やまなし」の時はイーハトーブ、つまり岩手県の花巻にある「宮沢賢治記念館」へ。「ごんぎつね」の時は愛知県半田市の「新美南吉記念館」へ。「平和の砦を築く」では「第五福竜丸展示館」へ参りました。
作者を育んだ土地の空気を感じることが、これほどまでに作品の本質に迫る力になるのかと驚いたものです。現地でなければ手に入らない貴重な資料もありましたし、作品の中に出てくる言葉が実感を伴って理解できました。それ以上に、作品に対する愛情が深まったことが研究の大きなエネルギーとなりました。



☆「やまなし」研究は西郷竹彦氏の著書から

「文芸教育研究協議会(文芸研)」という国語の研究団体があります。一読総合法で有名な「児童言語研究会(児言研)」と並んで、日本の国語教育を支えてきた団体です。(なんとK先生が文芸研で学んでいるそうです!みなさん、K先生にもいろいろ教えてもらってね!)
この文芸研の中心者が西郷竹彦先生(1920~現在)です。授業者として宮沢賢治作品を学ぶには、西郷先生の研究書を読むことが、おそらく最高レベルなのではないかと私は感じています。

文芸研の教育の目的は、
「自己、および自己をとりまく状況を、よりよい方向に変革しようとする主体を育てること」
としています。このような目的を持っている団体だからこそ、教材研究に妥協をしない実践を積み上げてきたのでしょう。文芸研の数々の研究書は、半端じゃない内容の深さがありますので、読んだだけで不思議と授業力は上がります。何故上がるのかは分かりませんが(笑…K先生に聞いて下さい。)


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FC東京バレーボール教室を体育の授業で開催しました

今日は私の勤務する学校の5年生が「FC東京バレーボール教室」を受けました。

FC東京というとサッカーのチームが有名ですが、実はバレーボールのチームもあるのです。しかもそのチームはVプレミアリーグという日本で最上位のリーグ戦で戦っているのです。

FC東京は地元・江東区のチームです。今回、バレーボール教室をしていただけたのも、地元に密着した普及活動をしていきたいというFC東京普及スタッフさんとの目的と、小学校高学年で必須指導事項となったバレーボールの楽しさを味わってほしいという学校側のねらいがマッチして実現したものです。


今回の教室のメニューは以下の通りです。

(1)コーディネーショントレーニングでウォーミングアップ
(2)サーブを相手コートに入れる練習
(3)アンダー・オーバーの基本
(4)スパイク練習
(5)ゲームで楽しむ


子どもたちは汗びっしょりになって活動していました。
全員初心者で、バレーボール経験がまったくない子が90%という集団でしたから、FC東京さんのご指導を真っすぐに受け止めて、楽しく練習できたようです。

放課後、担任から子どもたちの様子を聞いてみると、

「すごく楽しかったみたいです。○○さんなんかは、今日のバレーボールは最高に楽しかったと言っていました。私も見ていて、子どもたちが楽しんで運動しているのがよく分かりました。」

と答えてくれました。


バレーボールってプレーしてみるチャンスが少ないんですよね。やってみるとすごく面白いのですが、他のスポーツに比べて、きっかけが少ない。小学校の先生に認識してもらいたいので書いておきますが、5,6年生の体育でソフトバレーボールを行うことは必修ですから。ぜひ楽しくバレーボールをさせてあげて下さい。上手に指導をしていくと、バレーボール教材は学級経営の助けになるのです。

ソフトバレーボール (クラスみんなでボールゲーム)
苅宿 俊文
大日本図書


もっと活躍できる!小学生のためのバレーボールがうまくなる本 (まなぶっく)
クリエーター情報なし
メイツ出版


最新 ソフトバレー・ハンドブック
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マインドマップで作文すらすらワーク (ドラゼミ・ドラネットブックス)
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「ゆうだち」(光村国語1年)が3年生で実際に起こった!

光村の国語教科書の中にある教材「ゆうだち」はとても良い教材だと私は感じています。子どもたちの実生活の中で起こり得る内容だからです。

あらすじは、ウサギさんとタヌキさんがけんかをしてしまい、口もきけなくなってしまう。ある日、天気がどんどん悪くなり、暗い雲がたくさん出てくる。雨も降ってくる。今にも雷が鳴りそうな怖い雰囲気がある中で、ウサギさんは大きな木の下で雨宿りをしようとする。そこへけんかをしていたタヌキさんが、同じように雨宿りに来る。二人はプイッと横を向いてしまうのですが、雨もひどくなり、日の明かりもどんどん暗くなってきて不安な気持ちになっていく。雷がドド~ンと鳴った瞬間に二人は驚いて体を寄せ合う。その後、明るい太陽がカッと出てきた時には、自然に二人は仲直りをしていくという話です。

まったく同じような出来事が、3年生の教室で起こりました。

先週の金曜日、ちょうど帰りの時間帯に、強烈な雷雨が降りました。3年生のある女子が1階の下駄箱にいた時に、大きな雷が鳴ったため、怖くて泣いてしまったそうです。怖くて帰ることができなくなり、女子数人で3階の教室にいる担任のところに戻りました。教室には、クラスで一番わんぱくの男子が残っていました。泣きながら戻ってきた女子の泣いている理由を聞いて、そのわんぱくボーイはこう言ったそうです。
「雷が怖いんだったら、教室の真ん中にみんなで集まって固まれば怖くなくなるよ。みんなでそうしよう。」

まさに「ゆうだち」の場面を地で行くドラマだったのでしょう。感心した担任は、学級通信にこのエピソードを書いて、わんぱくボーイの行動を褒めていました。

このように、本当に身近に起こり得る文学作品が「ゆうだち」なのです。
ますます1年生の研究授業が楽しみになってきました。

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「スイミー」の授業へ助言した内容

7月13日(水)に行われた自校の校内研究会に私から助言したプリントの内容をそのままコピーして掲載します。


『思考法を鍛えることで発想を促す方法』

 今回の学習の中では、スイミーが考えた作戦をどれだけたくさん子どもたちが考え出すかに重点がありました。この場面で、子どもたちはスイミー自身になり切って、一生懸命考える。いろいろ考える。うんと考える。あきらめないで考える。こんなことはどうかな、あんなこともできるかなと考える。こうした「思考する児童の姿」があれば授業は成り立ちます。

 一つの答えではなく、思考を広げていくための訓練方法がありますので紹介します。


(1)水平思考(ラテラル・シンキング)

 ある問いに対して、いくつもの答えを考えていかなくてはならないクイズがあります。水平思考という思考方法を鍛えるためのクイズです。
『ウミガメのスープ』という本をぜひ読んでみてください。その本には例えば下記のようなクイズが載っています。

【問題】
ある男が、とある海の見えるレストランで「ウミガメのスープ」を注文しました。しかし、彼はその「ウミガメのスープ」を一口飲んだところで止め、シェフを呼びました。
「すみません。これは本当にウミガメのスープですか?」
「はい・・・ ウミガメのスープに間違いございません。」
 男は勘定を済ませ、帰宅した後、自殺をしました。何故でしょう?

 この問題は出題者と解答者が必要です。解答者は出題者にいろいろな質問をしながら答えにたどり着こうとします。出題者は質問に対して「はい」「いいえ」「関係ありません」としか答えられないルールになっています。
 解答者は様々な状況を考えながら、思考の幅を広げて質問をしていきます。こうして、さも水平に広がっていくかのような数多くの答えを引き出していく力を伸ばすためのクイズです。

(答えを知りたい方は、私に質問をくり返して下さい。「はい」「いいえ」「関係ない」の言葉で対応させていただきます。)


 こんな問題を、ちょっとした時間(給食中、授業が少し早く終わった時など)に出してあげるだけで、子どもたちの発想力を自然に鍛えることができます。出題している教師も楽しめますので、ぜひ試してみて下さい。



(2)論理的思考(ロジカル・シンキング)

 水平思考とは違って、説明文でよく使われるものが論理的思考力です。この思考力を伸ばすためのキーワードは考えを「階層化」と「収束化」していくことです。
 「階層化」とは論を広げていくことを言います。実は今回の学習の中でも階層化で考えさせることもできるのです。こんな感じです。

「作戦」と言えば、例えば、「変身したり」「作ったり」「泳いだり」「かくれたり」「話したり」
「力を合わせたり」することが考えられます。
「変身」といえば、みんなで集まって「大きな魚」「怖い魚」「魚ではないもの」「海そう」「岩」「潜水艦」などに変身することが考えられます。
「大きな魚」は「サメ」とか「エイ」のようになればいいし、「怖い魚」なら「ウツボ」とか「アンコウ」もいいかもしれません。
また、「作ったり」することといえば、「基地」「バリア」「うすまき」などが作れるかもしれません。

このように階層化して論理的に考えるだけでも10以上の意見が出てくるわけです。

 「収束化」というのは「階層化」の逆をすることです。「つまり」とか「要するに」という言葉を使って、広げた発想を一つにまとめていきます。
「エビ」「タコ」「ウミカメ」「イソギンチャク」「クラゲ」に変身する作戦を考えました。つまり「魚ではない海にいるもの」になろうとしたのです。
という具合にまとめます。

 この「階層化」「収束化」の作業は大人の論理的思考力も大いに鍛えてくれますので、何かを考えようとした際にはパターンにはめて考えることが楽だと思います。
 

(3)フレームワークのすすめ

「水平思考」「論理思考」の他にも、様々な思考方法があります。こうして「思考の型」「思考の枠」にはめて考えていくことを「フレームワーク」といいます。フレームワークには「マトリックス」や「PDCAサイクル」「ロジックツリー」「SWOT分析」「マインドマップ」「マンダラート」「偏愛マップ」など、いくらでも存在しています。ケースバイケースで使えるようになると、思考力アップにつながります。


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在校生も卒業式の主役である!

卒業式のシーズンがやってきました。
何しろこの4年間で3回も卒業学年を担当し、過去には10回も卒業学年を受け持ってきた私です。卒業式には並々ならぬ思いがあります。

今年、久々に卒業学年担任ではない私は、6年生を送り出す側の在校生(4,5年生)を指導しています。

先日、第1回目の4,5年合同練習を行いました。

はじめに起立と着席が全員そろってできるまで、何度も何度もやり直しをさせるところから指導をスタートしました。実はこの指導は全日本バレーボール男子チームがどん底の状態から蘇ってきた最初の取り組みなのです。小さいことなのですが、たかが起立ひとつとっても、なかなかそろうことはないのです。100人いる子どものうち、少しでもそろわないと集団の空気に違和感が生まれます。この違和感が集団の意識を食いつぶしていくと私は感じています。アリの穴から堤防が崩れるという物語があるように、小さいことを見逃していって、良いものが生まれるとは思えません。

このような指導の次に、いつも必ず行うのは「卒業式の意義」を考える指導です。

今回は在校生指導ですから、5年生は5年生なりの、4年生は4年生なりの意義を見出さなくてはなりません。在校生はただ「卒業生をお祝いするため」だけに参加するのではない。卒業式はその場に居合わせた全員の、小学校生活すべての学習成果が発揮される場なのだと私は考えます。さらにその場に居合わせたすべての人にとって、新しいスタートを切る節目でもあるとも思います。節目を見事に飾ることこそ人生勝利の鉄則です。

こうした考え方を元にして指導したことは2点です。


(1)卒業式の意義【在校生編】

5年生「最高学年になるためのスタートの意義がある」

4年生「6年生になった年に迎える開校90周年の主人公としてのスタートの意義がある」

どちらもこれからの1年間、2年間の小学校生活で、素晴らしいまとめができるかどうかの第一歩を踏み出す卒業式なのだという意義を伝えました。今回の卒業式でつまづいていたら「最高の学年」になるまでにまだまだ時間がかかってしまいます。小学校最大のイベントである卒業式を通して、在校生も大きく成長してもらおうと思っています。


(2)自分にとっての卒業式の意義を考える

学年集団の意義としては私から分かりやすいスローガンである5年生の「最高学年になる」ということと、4年生の「開校90周年の主人公」というものを投げかけました。しかしそれだけでは不十分です。100人全員、一人ももれなく「卒業式の主体者」に育ってくれなくてはなりません。そこで宿題を出しました。

「自分なりに今回の卒業式の意義を考えて紙に書いて、金曜日までに担任の先生に提出すること。それは例えば、こんなことを書けるかもしれないね。」

◎在校生の姿で参加者を感動させる卒業式
◎最高学年になるということを練習を通して感じられるような卒業式
◎立派だったと言ってもらえるような卒業式
◎自分自身の1年間をしっかりまとめる卒業式
◎6年生に心から喜んでもらえる卒業式

どんなことに取り組む時も、まずはじめに必要なのは「意識革命」と「意味付け」です。
人間は「意味」が腑に落ちた時には全力を発揮できる生き物だと思います。逆に取り組んでいることの「意味」を知らされずに練習しているのは、あきらかに“やらせ”と言わざるをえないと感じています。

小中学生がよく言うマイナス言葉に「意味ないじゃん」というものがありますね。その通りなのです。意味がないことに取り組むことは人間には難しい。深い意味を感じ取った(腑に落ちた)瞬間に、次の行動への高いモチベーションが生まれるものです。

さあ、今年の卒業式はどんな空気感に包まれるのでしょうか?
楽しみです。


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「卒業式の意義」といった難しい内容も、マインドマップを使って考えれば楽に深く可視化できます。
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小山正見先生の「俳句教室」

12月21日(火)・22日(水)の2日間、江東区教育委員会学校支援課相談員の小山正見(おやままさみ)先生に来ていただき、中学年の俳句教室を行いました。小山先生は元・八名川小学校の校長先生で、校長時代には自ら俳句の授業を行い、「10分間俳句」という考え方を生み出しました。八名川小学校は江東区の森下にあり、この地には松尾芭蕉の業績を展示している「芭蕉記念館」や、「芭蕉稲荷神社」がある俳句の地元なのです。

こうした地元の財産を学校教育に活かすため、江東区教育委員会でも「俳句の地元・江東区」の特色ある教育としての取り組みを推奨しています。その先頭を切っていらっしゃるのが小山先生です。

小山先生と私のお付き合いは、私の前任校時代に小山先生といっしょに「日光移動教室実踏」を仕切ったことから始まりました。平成18年度、6年生の担任をしていた私は、区の移動教室実踏の「世話人」を仰せつかりました。そして全体の「責任者」として一緒に実踏したのが小山先生だったのです。

当時、私は「小学校ホームページの可能性」について、全力をあげて研究していました。時を同じくして、小山先生の八名川小は、ホームページの記者として「PTAボランティア」によるサイト更新に取り組んでいました。江東区内小学校で、ホームページを毎日更新していたのが、小山先生の八名川小学校と、私がサイト管理する辰巳小学校でした。つまりホームページ運営のライバル校だったわけです。私としては、同じ区内に、共に更新の努力をしている学校があるということが励みになって、平成18年度の「全日本小学校ホームページ大賞」の東京都NO1に選んでいただきました。

小山先生とは、こうした「学校広報」としてのホームページのあり方や効果について、行き帰りのバス内で熱く語り合ったことが
思い起こされます。それ以来、私のことを折にふれ気にかけていただき、ご支援下さいました。

小山先生はこの12月に「10分間俳句」という著書を出版されましたので、教育関係者はぜひ一冊手元に置いておくことをお薦めします。学校での指導について私が最も注目したのは、“簡単に指導でき、大きな成果が顕れる”という点です。俳句を作るという活動を通して、言葉に敏感な子どもを育てることができます。言葉に敏感な子どもには、豊かな心が育まれます。豊かな心を持った子どもたちが増えることで、学校はどんどん良くなります。学級経営にも学校経営にも役に立つ“簡単な取り組み”である「俳句指導」は、きっと江東区の大きな財産になるはずです。

どの子もできる10分間俳句
小山 正見
学事出版



さて、

今回の俳句教室は、各学級ごとに「句会」を行いました。

(1)事前準備
小山先生の授業を受けるにあたり、事前に児童全員が俳句を作っておき、その作品一覧を担任が作りました。
一覧にまとめた俳句には、児童の名前は書いていない状態です。だれがどの俳句を作ったのか、まったく分からない状況で授業が始まります。

(2)俳句の観賞・選句
「良いと思う俳句を5つ選びなさい。」という小山先生の指示に従って、子どもたちは一生懸命に俳句を選びました。
「後で良いと思う理由を聞くから、理由をメモしておきなさい。」という指示もあったため、いいかげんな気持ちでは選べません。みんな真剣に選んでいました。

(3)投票
良いと思う俳句に投票します。今回は一人が5票持っています。票が入らなかったという俳句はほとんどなく、人によって「俳句の良さ」の感じ方にちがいがあることを、ここで実感することができます。「ちがっていて良いのだ。」という感覚は学級経営には絶対に必要な要素なのです。この感覚が耕かされれば、教室内は、どんな子も皆「良さ」を持っている大切な存在なのだという空気になることでしょう。

(4)選んだ理由の交流
入った票の多かった俳句について、選んだ子どもたちの意見を聞きました。この時点では、誰の俳句なのかが分かっていませんので、自分の作品が選ばれて褒められている本人は、すごくドキドキしていたことでしょうね。

ちなみに4年生1,2組で選ばれた俳句は次の通りです。


大そうじ なつかしい物 見つけたよ

三毛猫が こたつの中で まるまった

スケートで すってんころりん しりもちだ

久しぶり 雪のけっしょう 手に落ちて

冬の夜 星がまたたき きれいだな

初日の出 とてもきれいな 雪降った


(5)先生による選句とその理由説明
投票数に関係なく、小山先生が選んだ俳句を紹介し、選句理由を説明してくださいました。

私の学級で小山先生が選んだ俳句は、「クリスマス サンタクロース くる予定」でした。選句理由は『意外性』ということでした。サンタクロースが来るかどうか分からない。もしかしたら来ないかもしれない。こなかったらどうしよう・・・そんなことを想像させてくれる俳句であった。このように「あたり前じゃないことを俳句にすること」が良いものになるということでした。一番意外なものに人は心を動かされる。意外なものに目を向けることで、自分の視野が広がる。そんなお話をうかがいました。



授業後、校長室で休憩をとっていらっしゃる小山先生の元にお邪魔し、今後の取り組みに向けてのご指導もいただきました。たくさんの質問もし、意見交換をさせていただきましたが、その中でも特に心に残ったことを書き残しておきます。

「俳句は作る人だけでなく、読む人がどう想像するかで良い俳句になる。観賞眼を育てることができる。これが最大の力となる。」

小山先生とじっくりお話しする時間がなかったのがとても残念でしたが、区の俳句指導をさらに活性化させていくために、私も全面的に協力をしていくことをお約束してお別れしました。じつは自校には私以上に俳句指導を専門に取り組んでいる教員がおりますので、間違いなく良い指導計画を作り上げることができると確信しています。


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