地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

ハノイ以北サウナ鉄 (2) 夜明けの貨物入換

2016-06-16 15:52:00 | ベトナムの鉄道


 満鉄客車を連結した一日一往復の行商列車に乗るにあたり、前回はハロン 下龍 からの上り列車に乗ったことから、今回はハノイ北郊のイェンビェン 安園 を早朝4時55分に発車する下り列車に乗ることにしました。とりわけ下り列車に乗れば、行商客の荷物を積み込むための長時間停車の回数が多く、積み込み風景を撮影出来るだけでなく、罐を先頭にした編成写真を撮影するチャンスも増えるということで……。
 ただ、とにかくイェンビェン駅は郊外にありますので、ハノイ中心街からタクシーを飛ばす場合、朝4時頃には出発する必要があります。とはいえ、大きなホテルであればさておき、旧市街の小さなホテルにおいて、そんな早朝にタクシーを呼んでくれるかどうか、些か疑問の余地がありますし、4時頃に流しのタクシーがつかまるかもナゾ (4時半~5時ならOKだと思いますが)。そこで、必ずこの列車に乗ろうと思ったときの最も確実な選択肢は、イェンビェン以北の沿線に宿泊することになります。イェンビェン駅周辺には、予約サイトで確保可能な宿屋はないようですので (中国の旅社レベルに相当するニャーギという安宿 (事実上ラブホを兼ねております) は探せばあるかも知れませんが)、今回はイェンビェンの次、トゥーソン 辞山 駅近くのホテルを海外ホテル予約サイトで予約し、宿から15分ほど歩いて無事4時45分頃に駅に到着しました。何と、駅にはまだ電気が灯っておらず、私が着いた3分後くらいに、駅員の尾根遺産がバイクに乗って現れました (笑)。



 列車の到着は5時7分ということで、待つことしばし。夏至直前とはいえ、5時前はまだ緯度・経度の関係で暗かったものの、5時を過ぎると無事どんどん明るくなり、高感度側に振って何とか30分の1、f5.6程度の露出を確保出来るようになりまして、入線する列車をズーム流しで撮ることに決しました。そして……3分遅れでヘッドライトの灯りが迫り、予想通りに (=南寧発ザーラム行き国際列車の交換待ち) 待避線に入って来たハロン行き列車は……ぬうぉぉぉ~何じゃこりゃ!長げぇぇぇ~! これでは貨車ばっかりで、客車はケツの方に小さく見えるだけではありませんか! (笑)。この混合列車は途中ケップで折り返しの罐付け替えのため、そしてマオケ 毛渓 で貨物扱いのため長時間停車をすることになっていますが、「マオケまでこんなに沢山貨車を連れて行くのか……。前回乗ったとき、マオケからイェンビェンまでこんなに連結したっけ?」と驚くばかりです (もっとも、真相は別。また改めて……^^;)。
 ともあれ、南寧からの列車と交換したあとはすぐに発車すると思いましたので、まずは満鉄客車の行商客車C51003 (一般客車B41001は連結されず……-_-; なお、この場合、C51003は代用の一般客車に指定され、行商荷物の持ち込みは禁止) に乗り込み、車内から中国国鉄25系客車の通過をお見送り~。出来れば通過シーンを撮りたかったのですが、国際列車はかなり飛ばすため、ズーム流ししても多分失敗するものと諦めました (苦笑)。
 ところが、国際列車がザーラムへと去っても、こちらは何時まで経っても発車しない……。「これはおかしい」と思い、再びデッキに立ってみると、何と目の前を本日の罐・D14E 2013がやはりザーラム側へと去って行くではありませんか! そしてその先には、ポツンと留め置かれた2両の有蓋車……。要するに、ザーラム行の通過を待って、D14Eが一旦編成を置き去りにして本線に出て、再び戻って駅舎側の側線に入り、トゥーソンから発送される貨車を出迎えていたのでした。これこそがまさに、古き良き混合列車シーンというものなのですな……(*^^*)。しかも、そんな入換を、東風11形に似せた優等っぽいマスクのD14Eがやっているというのですから痛快です♪
 もっとも、この入換の結果、トゥーソンでは5分停車のはずが、結局10数分停車となってしまったのでした。まぁ、定刻ならケップで30分停車ですので、それを削れば定時を回復出来るのでしょう……(実際そうなりました)。というわけで汽笛一声、ギシギシと凄まじい音を出して満鉄客車が転がり始め、壮絶な酷暑の超鈍行旅が始まったのでした……。

ハノイ以北サウナ鉄 (1) 総論・満鉄客車思慕

2016-06-14 15:35:00 | ベトナムの鉄道


 戦後は既に70年以上。それとともに、日本が見果てぬ幻想の王道楽土に築いた大満鉄を支えた人々も世を去られました。また当然のことながら、満鉄の車両もごく一部が中国で現存するのみとなり、1990年前後まで中国国鉄の各地で満鉄客車や勝利・解放型SLが見られたのも昔話となりました。今や、中国で日々稼働する満鉄車両といえば、撫順等のELや歪頭山の客車のみとなり (鉄法の客車は単なる動態保存)、戦争に勝とうが負けようが鉄道車両と人事には諸行無常という言葉が必ず当てはまるようです。
 だからこそ、何故か酷寒の曠野から遠く離れた暑熱のベトナムにて、車齢80年前後 (あるいはそれ以上?) になる満鉄客車が毎日運転されているという事実は、ますます驚嘆に値するように思われます。その実情につきましては、私も既に2012年の3月に目睹するを得まして、時空を越えた偶然の積み重なりが生みだした奇想天外な浪漫に満ちた光景にただただ圧倒されるばかりでしたが、その後さらに緑皮を脱してトリコロールカラーのベトナム国鉄新塗装 (かつてベトナムを支配した植民地宗主国おフランスの色とは……) に衣替えしたというから驚きです……。とはいえ、何時まで走るか全く分からず、今すぐ消えても全くおかしくありません (実際今回は、かつて中国からプレゼントされた8両のうち2両が、廃車前提の放置状態となっているのを目撃しました)。



 というわけで、鶴丸航空のたまったマイレージを使わなければ失効分が発生するというタイミングで、ちょうどハノイまで往復可能なマイルが貯まっていたのを奇貨として、金曜夕方出発、月曜朝帰国、鉄活動時間2日という、超とんぼ帰りベトナム訪問をして参りました。

 もっとも、今回は同時に、世紀の珍車・ソウルメトロ使用急行も楽しむ腹づもりだったのですが、僅か20数日前の5月21日に実施されたダイヤ改正にて、メーターゲージ列車のハイフォン・クアンチエウ・ラオカイ行き各一本と共に廃止となってしまい、僅か約1年の露と消えたのでした……(T_T)。まぁ、これほど高速バスが発達しつつあるベトナムにおいて、ハノイ市中心部まで乗り入れできない近郊急行列車なんて絶対に流行らないよな……と。登場当初は物珍しさから多少は客が入ったものの、頻発するバスとの競争にあっさりと破れ、次第にジリ貧になっていったものと想像しています。まぁこの列車につきましては、もとよりソウルメトロ愛が炸裂した『西船junctionどっと混む』様にてお楽しみ頂きましょう……(私は所詮ウリナラへの愛が全然足りないので、こういう運命になったものと割り切ることにしました ^_^;)。

 それはさておき、肝心の満鉄客車によるイエンビエン~ハロン行商列車は、これまで通り毎日運転されています。しかし今回は、唯一の普通座席車であるB41001が運用を外れており (検査と思われます)、全車両が行商客車+荷物車……。居住性に難があり、メッチャ混んでいて疲れました……。とりわけ、人間の生存には厳しいと思えるほどの激烈な暑さと湿気……(@o@;;)。息をするのも苦しいサウナ状態での鉄活動でしたので、暑さよりも寒さの方が良い私はもうヘロヘロ……過去最酷の鉄活動でした……。それでも何とか乗って撮りまくりましたので、その模様を備忘録的にアップして参ります。まずは、今回の2枚の画像から、まさに息が詰まりそうなほどの想像を絶する蒸し暑い空気感を感じ取って頂ければと存じます……。

 また今回は前回訪問時と同様、ザーラム駅を出入りする、ハノイ以北のメーターゲージ列車も撮影したのですが、ソウルメトロが見果てぬ儚い露と消えたのもさることながら (車両そのものはザーラム工場の建物内にあるものと思われます)、むしろ一層驚いて腰を抜かしたのは、

  全 旅 客 列 車、チ ェ コ 罐 D 1 2 E に 統 一!

ということです。ということは、モスラ罐も、ソ連から来た超ミニ罐も、東方紅21も、オーストラリア出身の入換罐も、はたまたハイフォン急行の常連牽引機でもあったドイモイ型D19Eも……すべて来ません!! ボロい車両や少数派は引退し、D19Eはこのたびのダイヤ改正で優遇された統一鉄道の牽引用として転出していったものと思われます。
 いやはや本当に、アジアでの鉄活動は全て一期一会、いつ何がどうなるか、全く予想がつかず、思いがけない形で変化を見届けることになります……。というわけで、いろいろな罐を見たいという方は、イェンビェンを発着する貨物列車 (但しいつ走るか不明) もしくはザップバット貨物駅以南の統一鉄道を狙うのが良いかと存じます……。

ベトナム国鉄ハノイ以北減便か……?

2016-06-09 00:30:00 | ベトナムの鉄道


 ベトナム国鉄公式HPの時刻表を眺めていますと、去る5月21日以後、ハノイ以北の以下の列車につきまして、表示されなくなっています……。

 ◆5HD4→5BL1→5BL2→5HD3
 →ソウル (漢城→首爾w) メトロ使用のドンダン (同登) 線冷房急行
 ◆HP4→HP3
 →ハノイ午前10時台着、夕方5時前発のハイフォン (海防) 線急行
 ◆QT1→QT4 
 →日中タイグエン (太原) 省まで往復する鈍行



 その真相は……単にHP上で時刻を更新しそびれているのか、それとも利用率が悪いため運休になってしまったのか、あるいはもっと他の理由(例えばソウルメトロ急行の場合、1両しかない電源車が壊れた、という類い) なのか……?? とにかく衝撃を禁じ得ないまま、近々その真相をちょっくら見に行って参ります。ま、満鉄客車の現行トリコロール塗装を拝めれば、一応それで目的達成なのですが……。もっともこれとて、ハロン (下龍) 線の三線軌条化がかなり進み、とりわけハロン駅は見事な三線軌条・複数ホームの豪華な駅に変貌していることから、何時メーターゲージ用客車に置き換えられるとしてもおかしくなかったりします……。

 しっかしまぁこの結果、ドンダンに往復する列車はハノイ朝7時発の1往復のみとなり……凋落が激しいですな (-_-;)。モスラ罐D8Eが牽引する、午前中にドンダンからザーラム (嘉林) に着くこの列車も既になく……。もしソウルメトロ急行に乗れなければ、昼間のザーラム駅で撮り鉄しようにも、ヒマ過ぎて撮り鉄には不向き……。ハノイ旧市街でもブラブラしますかねぇ……?
 ※西船junctionどっと混む様の画像によりますと、2両あるモスラ罐のうち1両は正面窓を改造されています。まぁ、そもそも見かけによらず出力が非常に低く超少数派のこの罐が現存すること自体が奇跡なのでしょう。

満鉄瓦解約70年、現役客車に想いを馳せて

2016-04-07 08:00:00 | ベトナムの鉄道


 中国がいくら自国の鉄道のオリジナル性を騙ろうとも、在来線にせよ高速鉄道にせよ、本質的には大満鉄が築いた基礎の延長にあるものに過ぎないのですが、その満鉄が日本の敗戦によって瓦解してから約70年……。当時満鉄に勤務し、さらには戦後中国側によって帰国を阻まれ留用された (待遇こそ悪くなかったものの、強制的に鉄道運営ノウハウや技術を伝授させられたほか、さらには宝蘭線など1950年代当時極めて難度の高い路線の建設をさせられた) 人々も、最若年で既に約90歳の大台となってしまわれたため、事務所を構えた団体としての満鉄会の活動は終了し、その名はHPと個人ネットワークに残るのみとなったとか。こうして一つの時代が終わって行くのでしょうか。



 しかし、大満鉄の偉大さは、単にその後の日本・中国の鉄道に多大な影響を与えただけでなく、造った車両が余りにも堅牢で完成度の高いものであったことについても言えるでしょう。電気機関車は撫順など中国東北のいくつかの産業鉄道で未だ現役のようですし、客車もベトナムのハロン線で鈍足ながらも日々活躍しています (中国の場合、歪頭山も現役でしたっけ。鉄法には貸切用に整備された車両があるはず。北朝鮮でも満鉄・鮮鉄車両は事業用車などで現役とか……)。既に塗装は緑皮から、ベトナム国鉄新塗装のトリコロールカラー (奇しくも、植民地支配していたフランスの旗の色では?) に姿を変えていますが……。
 そこで、最近は他の国にうつつを抜かしていた私も、ここに来て俄然「またハロン線の満鉄客車に乗り、新塗装姿を撮りたい」と思うようになり、かつ途中までの同じ線路を元ソウルメトロのゲテモノ (笑) が走るようになったことから、これはついに再訪越のタイミングとなったな……と判断しました。というわけで、期限切れ目前分を含めて貯まった鶴丸航空マイレージを使って、ハノイに運賃無料 (^o^……但し油代と空港使用料は取られます) で往復することが決定! 少々先の話で、しかもベトナム滞在時間は約50時間というトホホなとんぼ返りですが、今からとても楽しみです☆ べらぼーに蒸し暑い雨期の訪問ですので、短期決戦くらいでちょうど良いのも確かですが……。

 なお、ソウルメトロ使用列車につきましては、いつもお世話になっております『西船junctionどっと混む』様で渾身のレポートがなされておりますが、冷房付きで速いことから結構人気があるようで、国有ベトナム鉄道(総公司塘鉄越南)の公式HPによりますと、ダイヤが変更になっています。しばらくハノイのザーラム (嘉林) と中越国境のドンダン (同登) の間を1日1往復するのみで、午前ザーラム発車→午後ドンダン着、翌朝ドンダン→ザーラム、というスケジュールだったのが、現在は以下の通り。昼間の区間運転が出来たのが嬉しい♪ しかしバクレーの「レー」の漢字表記が分からん……(バクは北)。

 ドンダン515~(5HD4)~ザーラム915
 ザーラム955~(5BL1)~バクレー1200
 バクレー1410~(5BL2)~ザーラム1622
 ザーラム1702~(5HD3)~ドンダン2056

ベトナム国鉄における緑皮時代の終焉

2014-09-07 00:00:00 | ベトナムの鉄道


 嗚呼満鉄緑皮! その定期運用は過去のものに (遼寧調兵山に動態保存車あり)。



 日本風スタイルのCNR客車を改造した行商客車も緑皮ではなくなり……。



 昆河線の余剰車をもらい受けた客車の緑皮塗装も今や貴重な記録。



 ベトナム・メーターゲージ版の計画経済的客車も塗装変更。

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 六四天安門事件が起こり、東欧社会主義圏が崩壊し……そんな衝撃の1989年夏~秋から早いもので四半世紀が過ぎました。さらにその後ソ連も崩壊し、中国やロシアは国家資本主義的発展に舵を切り、東欧→中欧やバルト三国は猛スピードでEUにすり寄り (それが地政学的理由によりうまく行かないのが今のウクライナ)……。それとともに、かつてのビードプレスだらけの計画経済的鉄道車両は、急減するか塗装変更するかで次第に影が薄くなって来ました。中国における緑皮客車の衰退は、そんな流れの象徴と言えましょう。そして、かつてはモスクワによってソ連の共和国並みにあしらわれていたモンゴルも、一応民主化して以来資源バブルで急速に経済成長し、そのあおりで緑皮客車がどんどん塗装変更されているとか (嗚呼モンゴル未訪問……)。20世紀も遠くなりにけりですな……。
 そんな中ベトナムは、日本との関係は極めて良好ではありますが、共産党の一党独裁が今でも続く国家のひとつではあり、しかも鉄道システムは仏印の置き土産をそのまま使い潰すだけのものであるという印象が強く、何と申しますか……鉄道という面において20世紀社会主義国家らしい雰囲気を最も濃厚に残していたように思います。もちろん、最大の幹線であるハノイ~ホーチミンシティ間の統一鉄道は、日本の円借款も入って軌道改良が進められ、客車もカラフルさの度合いを強めていたわけですが、個人的に2年半前に訪れたハノイ以北のエリアは、極悪な軌道状態や路線バス網に対して完全に降参しきったヤル気ゼロのダイヤ、そしてどの客車も緑!緑!緑!ということで、社会主義計画経済的でシュールな遺物を眺めただけで脳内が活性化する共産趣味者 (笑) にとって夢のような光景を呈していたものです。
 ところが……ベトナム共産党は汚職やら、中国との対立で思い切った対応に出ることができない (中越いずれも改革開放する共産党ということで、領土や歴史観で対立しながらも理論交流は続けており、裏では仲が良かった) やらで一般国民からの評判がよろしくなく、いっぽうで経済発展は続いていますので、ここに来てモロに共産党支配を思い出させる計画経済臭い雰囲気を消そうと考えたのでしょうか、最近一気に残存緑皮客車の塗装変更を進めてしまったようです……。大陸部アジア諸国を中心に、古き良き鉄道車両や鉄道遺産を訪ね歩いておられる『中華特急のスローライフ』様を拝見しておりますと、ハノイ駅が青白赤の新塗装客車で埋まり、2年半前は緑皮ミラクルワールドであったハノイ以北の列車も青白赤となっていることに衝撃……。というわけで、忽然と終わってしまったベトナムの緑皮客車時代を惜しむとともに、2年半前に訪れておいて良かった!!と痛感するものです。
 それにしても……青白赤塗装、かつての支配者フランスや、散々ベトナム戦争で介入しまくった米国の国旗を即座に連想させるのですが……そんなことはベトナム人にとってどうでも良いのか、はたまた和解と寛容の精神にとって代わられているのか。まぁもし仮に今ダナンあたりに米軍艦船が入港するとしても驚きませんからなー(実際にはもっと敏感なのかも知れませんが、あの海域情勢を思えば)。ここらへんはさすが、自前で仏米両国に対する独立を勝ち取ったベトナム人の自主の気概というものなのかも知れません。常に誰かを頼り、自分よりも下な存在を叩くことによってしか危うい自尊心を保つことが出来ない某ウ(中略)とは大違いです。あ、大幅に脱線してきましたのでこの辺でおしまい。