地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

ハノイ懐旧鉄散歩 (13) 東方紅21改めD10H

2012-05-24 00:00:00 | ベトナムの鉄道


 様々な来歴を持つベトナムの機関車のうち、中国製ながらもある意味で最も「正統」な歴史的背景を持つのがこのD10H型。と申しますのもこの機関車、かつてフランスがインドシナ植民地の拠点であるハノイから中国雲南省の昆明まで建設したメーターゲージの「滇越鉄道」(滇は昆明郊外の湖の名前であり、転じて中国語で雲南省の略称)のうち、今日中国側が運営する昆河線の主力機として1970年代以降製造された液体式DL「東方紅21」そのものだからです(中国で計画経済時代に量産された液体式DLには、毛沢東を讃える革命歌の最も代表的な作品である「東方紅」の名が冠されています)。その後中国側の昆河線において、線形の悪さゆえに旅客・貨物需要が新たに建設された高速道路に移ったり、さらには洪水による路盤崩壊被害による長期運休などの不運が襲ったりで、ついに旅客列車のほとんどが廃止され(したがって、中国国鉄で現在運行中のメーターゲージ客車列車は昆明近郊の石嘴~昆明北~王家営のみ)、貨物列車も凋落をたどった結果、余剰となった東方紅21がごっそりと国境の橋を渡って今日に至っています。というわけで要するにこの罐は、同じ路線の中国側で不要になったのちベトナム側で第二の車生を送っているという次第。他にも、いつもお世話になっております斎藤幹雄様がRP誌で度々レポートされておられる通り、ビルマ(ミャンマー)に譲渡された分が日本中古DCを牽引しているということで、この東方紅21は大陸部東南アジアのメーターゲージでそれなりの存在感を持っているということが言えましょう。



 まぁ、SL世代の方々から見れば、東方紅21は昆河線で活躍していた日本9600改めKD55型SLを廃車に追いやった張本人であり、ベトナム移籍によって恐らくベトナム側でもSL(その一部は日本がベトナムを占領していた時期に投入されたC12など)が淘汰されていると思われますので、この罐を見ると恨み辛みが湧いてくるのかも知れません。しかし、1980年代に中国の鉄道事情を紹介する本(例えば中国鉄道出版社・美乃美編『中国鉄道の旅』や昭文社エアリアガイド『中国鉄道の旅』)で昆河線のマニアックな雰囲気を知った私にとっては、この東方紅21こそ「懐かしい罐」という印象だったりします(若造でスミマセン……^^;)。
 というわけで、この東方紅21改めD10H(何故か正面には、毛沢東書体による「東方紅」ロゴが撤去された代わりに、東方紅DongFangHong21を意味する「DFH21」というプレートが……)が、日中のザーラム界隈で見られる最も見事な長大緑皮編成であるハノイ~イェンバイ[安沛]間の普通列車を牽引している光景にもうメロメロ……(*^O^*)。先述の通り、既に中国側の昆河線では長距離列車がなくなり、昆明近郊の短距離運転用として僅かに残されている客車も緑皮ではなく藍皮塗装(白ベースに、窓周り濃いめの青+腰回りに赤い細帯)となっていますので、まさに昆河線の古き良き時代が今やベトナム側で再現されていることに不思議な感慨を覚えます。しかもこのイェンバイ行は、かつての滇越鉄道のベトナム側にあたるラオカイ線(ハノイ~イェンビエン[安園]~ラオカイ[老街])の区間運転列車ですので、舞台はまさにドンピシャ。そして、このイェンバイ鈍行(毎日1往復)及び、ハノイ界隈では早朝夜間しか見られないハノイ~ラオカイ鈍行(毎日2往復)はいずれも軟座車を連結していますので(編成中1両ある窓が大きい車両が軟座車)、実にいろいろな意味で撮影時の気合いが盛り上がる列車です☆ そして、機関助士が腕を伸ばしてタブレットを授受しようとするポーズもまた良い感じ……。
 こんな、罐も客車もオール緑皮で最高に計画経済チックな、そしてそれゆえに最高に前時代的な列車を、出来ればもっと撮りまくりたいものですが、本数がとにかく少ないのが残念無念……。撮影可能なのは毎日1往復なんて (-_-;)。


ハノイ懐旧鉄散歩 (12) モスラ罐D8E参上!

2012-05-18 00:00:00 | ベトナムの鉄道


 ベトナムのDLは、最新鋭機D19ErやD20E (それぞれ中国南車・シーメンス製。ハノイ以南の統一鉄道に投入されているようで、ハノイ以北に注力した今回は撮っていません)を除けば、総じて実用一点張りなゴツいデザインである場合がほとんどです。しかし、中にはとんでもなく気合いが入って前衛的なつもりが中途半端な出で立ちとなってしまい、それゆえに大いにブッ飛びものであるというナゾな罐も存在します。それが……驚異のモスラ罐・D8E! (*^O^*) 
 この、一度見たら絶対に忘れないスゴいデザインの持ち主は、恐らくドイツのICEあたりのデザインを夢に見つつ、何とベトナム・ザーラム工場がゼロから製造したものということで、したがってベトナム唯一の現役国産DLとされています。車体のどこをどう見ても、とりわけ連結器カバーの周辺は既にベコベコ・ボロボロですが、これまた何と21世紀に入ってからの製造とか! 当初の構想としては、中間に同じ白地+朱色帯の最新鋭冷房客車を挟み、2台のD8Eでプッシュプル運転するはずだったそうですが、余り芳しい性能や成果を得られなかったためか、結局このDLは試作車2両しか製造されず、さらにうち1両が故障→放置の運命をたどって久しいため、現役車はこの1両のみ……。



 したがって、思わず「モスラ」と勝手に名付けてしまいたくなるユーモラスな風貌のこの罐は、実は何気に珍車の中の珍車でもあり、総延長2000km以上に及ぶベトナム国鉄の何処を走っているか全く見当もつかず、もし遭遇出来ればとてつもなくラッキーであるとしか言い様がありません。というわけで今回の訪問にあたっては、日本からハノイに到着したその日まで、まずこの超珍車怪物罐に当たることはないだろう……と、ほとんど期待していなかったのでした。
 しかーし!人間往々にして無欲であればあるほど、とてつもない大当たりに遭遇するものです♪ 到着翌日の午前中、とりあえずザーラム界隈にやって来る列車を片っ端から(と言っても回送を含めて30~40分に一回程度しか撮影出来ませんが……)撮影していたところ、中国との国境の街・ドンダン(同登)からやって来た急行列車「M4」の牽引機が何とモスラで登場!! v(^O^)v 
 停車駅が少ない急行といいながら、現実にはバスに客を取られてしまい、旅客用客車よりも行商用客車や荷物車代用貨車の比重の方が高いという、何ともうらぶれた雰囲気のデコボコ列車が、恐らく夢のPP特急列車用として製造されながらも既にボロボロになってしまったモスラ罐に牽引されているという光景は、見方によれば凋落の一途をたどるベトナム国鉄ハノイ以北の厳しい現状そのものであるのかも知れません。それでも趣味的に見ますと、これほど愉快痛快な列車はそうそうあるものではありません (^^;)。というわけで、私の滞在中この罐が連日ロンビエン~ドンダン間の「M3/M4」列車牽引運用に入っており、非常に狙いやすかったことについて、思わず天に感謝せずにはいられないのでした……(^_^)。果たして、今度訪れる機会があるとしたら、その時にはこの超レア珍罐は現役でいてくれるのでしょうか……。
 なおこの罐は、常にこの列車専属であるとは全く断言できませんので悪しからず。現在はイエンビエン機関区所属のようですので、ロンビエン橋~ザーラム界隈に来る他の列車を牽引する可能性はありそうですが、もし今後ハノイ以南の統一鉄道に転属すればロンビエン橋にはまず来ないものと思われますので、この記事の内容を鵜呑みにされないようお願い致します。そもそも故障してそれっきり離脱となるかも知れませんし……全ては運でしょうか (汗)。

ハノイ懐旧鉄散歩 (11) オーストラリアD5H

2012-05-12 00:00:00 | ベトナムの鉄道


 ベトナムの鉄道は、まさにベトナムの歴史がそうであるように、様々な国々の影響にもまれながら必死に、しかししなやかに今日まで生き延びて来ましたが、とくにソ連がつぶれてソ連のみに頼ることが出来なくなった1990年代以降は、頼れるものは何でも頼り、もらえるものは何でももらうという徹底した実用本位主義の世界となっているようです。そこで1990年代には、オーストラリアのクィーンズランド州営鉄道で用いられていた液体式DL計13両が遠路はるばる海を渡り、ベトナム国鉄D5Hと命名され今日に至っています。とはいえ、豪州時代の車番が前照灯の両脇に併記されたままですし、何と塗装も基本的に踏襲しまくり! たまたま塗装がダークグリーンとイエローを基調としており、社会主義的な雰囲気も感じられたからこそそうなっているのかも知れませんが (あくまで勝手な推測です)、だからといってクィーンズランド鉄道のロゴまで側面に御丁寧に再現する必要はないだろう……と (^^;)。正面の非常に目立つ位置に、クィーンズランド鉄道とベトナム国鉄のロゴが書かれ(ベトナム国鉄のそれは正式なものではなく、何やらJRのロゴに似ている……笑)、その下に握手イラストが描かれていることからして、無償譲渡か相当破格な条件での売却であったことが伺われます。



 しかし……そんなD5Hを眺めていて、日本人ヲタとしては少々歯がゆい思いもあります。と申しますのも、クィーンズランド州営鉄道は日本在来線と同じ1067mmで、しかもこのDLは液体式であり、ちょこっと台車をいじりさえすればベトナム国鉄の条件に合致するという点で日本のDLも同じ条件を満たしているからです。しかし……日本でかつてDLが大量に廃車されたのは、貨物・客車列車の劇的な削減が断行された1970年代末から1980年代にかけてのこと。当時は、ご用済みとなったヤードの片隅に、放置されて色褪せたDD13やDE10が大量に放置されて、やがて少しずつ解体されて行ったという悲しい光景が広がっていたものですが、この頃のベトナムはまだまだソ連にのみ依存し、米国に基地を提供している日本との関係は自ずと疎遠であったことから、DD13・DE10はベトナムの条件にドンピシャであるにもかかわらず、ほとんど海を渡ることはありませんでした。
 ごく僅かなベトナム譲渡の事例として、(財) 海外鉄道技術協力協会編『世界の鉄道』(ぎょうせい刊) によりますと、1970年代末に労働組合系の募金によりDD11がベトナムに送られています。しかしタマ数が極めて少なく、予備部品供給も不十分だったためか、あるいはベトナム自身がベトナム戦争後の疲弊から十分に立ち直っておらず整備が行き届かなかったためか、結局長続きせず……やがてザーラム工場の片隅に放置され朽ち果てて今日に至っているようです。
 今やベトナム国鉄は、主に中国南車から最新DLを買っているようですので、今後日本から中古DLがベトナムに渡ることは多分ないものと予想しています (-_-)。もっとも将来、京阪や東急が自ら手がける路線に中古車を持って来れば、日本の鉄道車両の存在感を示すことは出来る……という妄想はしなくもないのですが (笑)。
 それはさておき話題をD5Hに戻しますが、とりあえずベトナム各地に少数ずつ配置され、適度にパワーを要求される入換機として用いられているようで、私が見聞した範囲では、ザーラム~ロンビエン間の回送列車牽引のために大活躍しておりました(ロンビエン発着の列車は、ロンビエン駅が一本線の停留所であるために機回しできず、橋を渡った北側にあるザーラム駅を運行拠点とする必要あり)。というわけで、住宅街の中に豊かな緑が生い茂るザーラム界隈の風景に、D5Hの勇姿が見事にマッチしていたのが印象的ですね~。
 そして、オーストラリアには行ったことがない私にとって、この罐は記念すべき豪州製車両第一号 (笑→タイのオーストラリア中古客車はまだ見たことないです。タイは17年前に行ったきり ^^;)。こうして「へぇ~」と思うと、それまで無縁だった国への興味も何となく湧いて来るのが海外鉄の楽しみというものでしょうか。

ハノイ懐旧鉄散歩 (10) ミニおろしゃ罐D4H

2012-05-03 00:00:00 | ベトナムの鉄道


 ベトナム訪問シリーズ、とりあえず標準軌路線に今なお生きる満鉄客車を訪ねるレポートにつきましては完結しましたので、今回からはメーターゲージ用のDL各種と、それらが牽引する列車の魅力(?)にスポットライトを当てて行きたく存じます。具体的には、ベトナムのDLは導入した順に形式名が付されているようですので、その順に従って紹介して参りますが、何せ情報が少ない世界ですので、基本的にはベトナム国鉄と関係が深いオーストラリア人が運営していると思われるサイト『Railways In Vietnam』における機関車紹介を参考にしていることを申し添え、当該サイトにはこの場ながら(そして日本語ながら ^^;)心より御礼申し上げます。
 というわけで一発目は、現役DL最古参と思われるD4H。Dはそのものズバリ、ディーゼルを意味し、HはHydrogen=液体式を意味しています(HではなくEであれば電気式)。随分と華奢で「かわいい」とすら思える車体に、どこかコメコン計画経済チックな雰囲気をプンプン漂わせているこのDL、たしかに出自はソ連のメーターゲージ森林鉄道用として1970年代から生産されているものとのことで、ベトナムにはまだまだソ越蜜月(ベトナム戦争から時間が経っていないため米国とはまだ疎遠。米中国交回復やポト派問題以来の中越大決裂のため、ベトナムはまさに「向ソ一辺倒」)・コメコン全盛(?)であった1980年代半ばに100数十両が入って来たようです。このため、ベトナム各地で入換機として多数健在のようで、ハノイ界隈でもダークグリーンに黄帯という如何にも「社会主義建設☆」と言わんばかりの出で立ちで動いています。



 そんなD4H、如何にも貨車や客車を2~3両牽けばヘタってしまいそうな風貌ですが、出自が森林鉄道用ということで意外とパワーもあるようで、私が今回主な撮影ターゲットとしたロンビエン(龍辺)橋以北のエリアにおいては、何と通常の定期旅客列車を牽引していました (汗)。その列車は、ハノイの北70数km・タイグエン(太原)省クアンチューと、ハノイ旧市街・ロンビエン(龍編)駅の間を結ぶ「QT91/92」列車。
 ハノイ~タイグエン間の路線は、基本的にタイグエンの製鉄所にからむ貨物輸送がメインのようで、旅客列車はこの「QT91/92」の一往復のみという、首都近郊の路線にあるまじき超過疎ぶりとなっていますが、実際の運行時刻も午前中にクアンチューからロンビエンに到着、一旦ロンビエンからザーラムに引き返して昼寝(及び検査車両の差し替え)、午後ザーラムからロンビエンに回送のうえロンビエンからクアンチューまで客扱いして終了……という、まさに悠長そのもの。ハノイからの日帰り往復は、列車のみを使うのであれば絶対に不可能というトホホぶりです(苦笑)。もし列車利用での日帰り往復を試みるのであれば、早朝ハノイからクアンチューにタクシーを飛ばすか、旅行会社に依頼して夕方クアンチュー駅にタクシーを待たせるしかないですが、私はまずやらない……ですね (^^;)。クアンチューの手前、タイグエンは省都&製鉄所の街で、多分宿もあると思われますので、SLが動いているといわれる製鉄所専用線と組み合わせるのも一興かも知れませんが、そもそも製鉄所専用線の撮影が可能なのかどうかも分かりませんので悪しからず (^^;)。ハノイ~タイグエン間のバスは、ザーラムBTからそれこそジャンジャン走っているはずですので、フツーの客はバスを使うということなのでしょう。
 では、何故これほどまでに使いづらい列車が毎日1往復運転されているのか……。個人的予想ですが、「時間が合い、急がず、お安く行きたい方はどうぞ」という以上に、この列車が行商列車としての性格を極めて強く帯びているからではないかと思われます。ロンビエン駅の北、ロンビエン橋の脇には青果や肉・魚を扱う青空生鮮市場があり(とくに肉を売っているあたりは衛生状態が極めて悪く、鳥インフルエンザの温床臭いですので、橋から見下ろす分には面白いですが直接行くのはオススメできません)、ロンビエン駅の南側も雑貨等を扱う古くからの市場町ですので、そんなロンビエン界隈と農村地帯を往復する行商人にとっては不可欠の列車なのでしょう。というわけで、傍目で見ていますと、超デコボコな客車6両のうち一般客用はせいぜい2両で、残りは全て行商用客車 (汗)。まぁ、こんな如何にも前時代的なデコボコ列車が首都の一端を走っているということ自体が、ベトナムの鉄道の奥深さでもあるのでしょう。

ハノイ懐旧鉄散歩 (9) 満鉄客車の旅

2012-04-25 00:00:00 | ベトナムの鉄道


 先日ウロウロした大名古屋圏は、割と大きな駅の周辺でも目ぼしいメシ屋やコンビニが見当たらないことがあり、鉄活動中に空きっ腹を抱えることになりますが、バスに乗って郊外へ出るとあら不思議、ロードサイド型のメシ屋が大繁盛。そこで路線バスの車内から、しばしば現れるラーメン屋の看板を眺めて悔しさを感じていたところ「ベトコンラーメン……何それ?」。ベトコンといえば、世間一般的にはベトナム戦争時の南ベトナム解放民族戦線を指し、越南共産の意ですので、ラーメンに使うネーミングとは到底思えず、ベトベトスープのコンニャク入りラーメンのようなナゾな食い物が超地域限定で存在するのだろうかと思ったのですが (^^;)、ネットで検索したところ……何と!本当にベトコンの勇猛果敢な闘いぶりに感激して名付けたものとは……。
 というわけで、しばらく間が開いてしまったベトナム鉄の続き、いよいよ超期待の満鉄客車に乗車です! 客車は6両あり、満鉄客車が2両、そして素性が不明な中国客車が4両連結され、満鉄客車のうち窓間隔が広い1両(上の画像)は乗務員控室及び大荷物の客用であり、一般客は窓間隔が狭い2両目に乗車することになっています。満鉄客車にはもう1両、半室が簡素な食堂車に改造された1両があるとのことですが、残念ながらこの日は連結されておらず……。残り4両の行商客用客車は、1950年代以降製であればソ連技術を参考にしたリブ付き車体となると思われますので (CNR21・22系客車)、恐らく40年代までの作品と思われます。窓周りやオープンデッキ周りの構造は恐らくベトナムに来てからの改造によると思われ、詳細は一切不明ですが、もしこれらが当初満鉄・華北交通・華中鉄道で鋼体化改造されたものであれば、これも日本の息がかかったシロモノと言えましょう。日本の35系客車の窓割りと似ているあたり、個人的に非常に気になるところです。



 それはさておき、いよいよ一般客用客車の車内に入りますと……壁面はエメグリ色のペンキで塗りつぶされ、椅子もベトナム硬座車で一般的な木製椅子に交換されていますが、恐ろしく高い丸天井が印象的なインテリアは……まさに大満鉄そのもの! 嗚呼……北東アジアの曠野に生を享けて以来約70~80年になる車両に、今こうして南国の地で乗っているという巡り合わせの妙! たとえ傀儡国家のスローガンと言われようとも、王道楽土を夢見て日々驀進した客車が、21世紀においてもこうしてベトナムの片田舎で質朴に生きる人々を乗せ、稀にやって来る物好きな日本人をして遙かなる歴史の有為転変へと誘っているという……。
 しかし、ロマンに浸ることが出来るのはあくまで停車しているときのみ (滝汗)。いざ動き出してみますと、老朽化した車両と保守不十分な線路の組み合わせのため、せいぜい時速20~30km程度しか出ないにもかかわらず激しく振動し、とりわけベトナムで後付けされた鋼製の日除けや投石避けがバリバリと音を立て、客車らしいジョイント音を楽しむどころではありません。往路の列車で持ってきた商品をハロン駅のホームで売ったあとの行商人が金勘定をしながら大声でしゃべくっていますし……(苦笑)。
 そんな超ノロノロの田舎列車旅も、ハノイ~ドンダン線(中国に通ず)とのジャンクションであるケップ駅に到着して暗くなる頃から雰囲気が一変! 行商人も一般旅客もほとんど下車して一片の静寂となった客車内には暗い照明が灯り、とくにデッキには白熱灯……。漆黒の闇を行く客車には生暖かい夜風が吹き込み、満鉄客車の最後の通常営業運転列車として相応しい夜汽車の雰囲気に包まれます……。時折並行する国道を駆けるクルマに散々追い抜かれるごとに、激動の20世紀史の生き証人がこうして見捨てられたように走っていることの不可思議を感じるとともに、その壮絶な歴史が間もなく終わろうとしていることに(10年はもたないでしょう)万感の思いがこみ上げてくるのを感じました。
 かくして列車は20時55分、定刻よりも数分遅れて終点のイェンビエン(安園)駅に到着。僅か数人の客が下車しますと、客車内の照明は全て切られ、深緑色の編成は申し訳ばかりの照明に照らし出されるのみとなりました。その,疲れ果てながらも矜恃に満ちた車体を最後に眺めたのち、イェンビエン駅前でロンビエン行バスに乗り込んで怒濤の一日を終えたのでした。
 ※途中、ウォンビ駅の東でメーターゲージとの平面交差があり結構ビックリしますが、これは近くの炭鉱から火力発電所への運炭鉄道で、ググッてみたところ中国の電力関連企業が投資中。緑色の産業用DLがホキを牽引する画像が出て来ます。撮りたいかも……(笑)。