地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

神奈中ブルドッグ・北海道から静岡へ!(中)

2013-06-29 00:00:00 | 頂き物画像


 道南バス某営業所で教習車として残る元神奈中エアロスターKと夢の競演!!



 私には未だ新型な神奈中スヌーピーバスも今や道南へ。東室蘭で夢の並び!



 長万部駅名物「かにめし」の総本山に「味」な親善訪問!



 抜けるような青空バックのド順光の中、道内の移送をほぼ終えて佇む「よ33」

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 川崎港に航送される「せ7」と永遠の別れとなった「よ33」は、登別温泉での一夜を経てさらに道内をドライブ、一路保存先となる道南某所を目指します。しかし、単なるドライブとはならないのは、さすが画像をご提供頂きましたブルドック移送チーム様のバス業界における御人脈の成せる技! 道南バスの中でも特に貴重な神奈中エアロスターKの最後の一台といわれる教習車や、ワンロマ車・スヌーピーバスの道南移籍車と夢の競演を果たしたとのこと。温泉の一夜ですっかり出来上がってしまわれたバスヲタご一行の眠気もシャキッと覚められたことでしょう!
 その後は室蘭本線に沿ってひた走り、「かにめし」販売元での昼食休憩などを経て、ついに函館に到着! 「よ33」にとっては、津軽海峡を越えて故郷へ帰りたしと思えど叶わず、やむなくここで引き返すということにはなりましたが、これはこれで「よ33」としても「走りきった」と思っていることでしょう。その後「よ33」は函館空港へブルドック移送チーム様以下ツアー参加者の皆様を送ったのち、さらにもう一走りして無事永住の地にたどりついたとのことです。


 夜になれば百万ドルの夜景が広がり観光客の眼福を悦ばす函館山の山頂も、このときばかりは神奈中ブルドッグの夢の晴れ舞台となっていたのでした……!!

神奈中ブルドッグ・北海道から静岡へ!(上)

2013-06-28 00:00:00 | 頂き物画像


 道北バス本社にて、旭川を行き交う現役車両陣と最後の別れ記念写真!



 「せ7」と「よ33」、給油をしつついざ苫小牧港へ!



 苫小牧港にて。ここで「せ7」は船に載せるため、「よ33」とは永遠の別れ!



 神奈中時代は異なる営業所なれど、旭川では良き同僚。互いに何を想う……。

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 去る今月上旬、かつて神奈中で活躍していたブルドッグこと三菱ふそうMP118の生き残りが、最後の活躍の場であった北海道から再び神奈中本社へと劇的な里帰り凱旋を果たした……という感動的な出来事をレポートさせて頂きましたが、このたび何と!このブルドッグの一大移送劇の企画立案から実施まで一貫して関与して来られた「ブルドック移送チーム」様から、道中の名シーンの数々を記録した画像をお送り頂き、拙ブログで広く紹介させて頂くことを以て一連の活動の締めとしたいという有り難いお言葉を頂きました!! m(_ _)m そこで、主なシーンごとに計3回の連載で、望郷と別離……という何やら人生にもよく似たブルドッグの大移送劇をアップすることにより、今後そう遠くない将来 (?) 展開されるであろう元神奈中ブルドッグの新たな晴れ舞台 (謎) を控えた前祝いとしたく存じます (^O^)。
 今回の移送劇は、まず旭川からスタート! 今回移送された貴重なブルドッグの生き残りは、神奈中から旭川電気軌道に譲渡されたのち、極寒の地の重要な足として長年活躍し、さらに引退後は地元の学校法人の自家用車となっていたために、とりわけ群を抜いた長寿を享受できたわけですが、その学校法人での役目も終わった……ということで、まずは学校法人を出発して近所の道北バス本社営業所へ! 2台のブルドッグが、抜けるような北の大地の青空の下、現役の元神奈中車両陣 (スヌーピーバスを含む) と最後の華麗なる並びを魅せているという……バスヲタのみならず鉄ヲタでも思わず垂涎の光景は、同時に「ブルドッグたちの今後にも大いなる幸あれ」というカムイ (神威) の祝福でもありましょう! 
 その後、2台のブルドッグ=「せ7」と「よ33」は、新緑がまぶしく萌える北の大地を続行運転でいざ苫小牧港へ! 雄大な風景の中を、最早前時代的なブルドッグが立て続けにやって来る光景は、単にすれ違うドライバーのみならず、草陰から見守るキタキツネをも大いに驚かせたことでしょう……(笑)。
 そして夕方、苫小牧市街の中心からはかなり離れた広漠たる勇払原野の片隅にある苫小牧港・勇払桟橋に到着! ここで、長年連れ添い、共に苫小牧まで走ってきたはずの「せ7」と「よ33」には永遠の別れが……! 「せ7」は既にご紹介した通り、川崎港まで輸送されたうえで神奈川県内を帰還大横断したわけですが、「よ33」は道南の別のところで保存されるため、最後の記念撮影となった由。ブルドック移送チーム様をはじめ、究極の大移送ツアーに参加されたバスヲタの皆様はここで全員「よ33」に集結したうえで登別温泉に向かい、長時間のドライブの疲れを湯でほぐし、無事初日を終えた喜びの美酒に浸られたとのことです……beer

ヤンゴンのDCが長大だった頃 (斎藤様画像)

2013-06-21 00:00:00 | 頂き物画像


 08.1.15 トウチャウカリー駅にて。両端のと+現地軽量客車2両。



 09.7.13 ヤンゴン中央駅にて。出庫編成2本連結の堂々7連!!



 09.7.13 ヤンゴン中央駅にて。コンピュータ大学支線の三陸+軽量客車。



 09.7.13 ヤンゴン中央駅にて。キハ52先頭の強力 (これでも一応) 編成!

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 この3月に敢行したヤンゴン訪問の際に撮影した日本中古DCはせいぜい2両編成で、いささか拍子抜けしつつアップを続けていたところ、現代ミャンマー国鉄研究の第一人者でおられる、RP誌でおなじみ斎藤幹雄様から、こ~んな感じで超!垂涎モノな4連運行時代の画像をご提供頂きました! 以下、ご本人の解説です~。

 ヤンゴンの日本型DC最盛期は、JR東キハ52・58系20両が大挙して竣工した2008-2009年頃で、とにかくあとからあとから竣工していたのと、取扱いの簡便さが受けて、ヤンゴン運用において瞬く間に広がりました。支線区運用はもとより、一部の環状線運用まで賄っていたほどですが、これ以降地方への転属が相次ぎ、また保守用パーツの急速な払底で増備どころか通常の運用ですら保守できなくなり、凋落の一途をたどったことは周知のとおりです。
いずれも軍事政権下、撮影したもので、それぞれの解説です。

 【1枚目】前年9月に発生した「ヤンゴン騒乱」のとばっちりを受けて、この年だけはどうしても撮影許可が下りず、やむなく軍や警察官がいない郊外の駅(トウチャウカリー)で”無許可”で撮影したものです。のと車(NT100形)を両端に配し、中間に現地製客車を2両挟んだ当時の標準的な4連で輸送力列車に使われていました。

 【2枚目】大量の日本型DCを送り込み回送するため、運用編成を2本つなげた7連で、インセイン→ヤンゴンの朝間上り1本のみ設定されていました。手前より松浦+甘木+現地製客車+JR東+現地製客車+天竜浜名湖+のと、という卒倒しそうな編成です。

 【3枚目】コンピュータ大学支線用に同年竣工した三陸レトロ車で、当初は2529と2530、2531と2532の間に現地製客車を2両づつ挟み、4連で使われていました。エンジンは先頭車1両のみ点火で、これで後ろ3両を引っ張るのですから、エンジンがオーバーヒートするのは時間の問題だったかもしれません。

 【4枚目】JR東キハ52改め5011が現地製客車2両、それに天竜浜名湖車を挟んだ4連で、これもキハ52だけのエンジン稼働。但し3セクDCと違い、流石に2エンジンとあってグイグイ引っ張っていく感じでした。すでに天浜車はトレーラー扱いで、特にエンジン保守もしていないようでした。

 また、先日の記事についてもいろいろ御感想・御教示を頂きました!

 【イセ4 (RBE2524)について】これは貴重なカットですね。イセ4は2007年のMR導入後、それまでの自国製レールバスに代わってヤンゴンエリア所属車では唯一のVIP車(MR幹部の管内巡回用)扱いとして現在に至っているもので、富士重工製レールバスでは唯一、冷房も存置されたまま、車内も座席に白いカバーをかけ、車内というより応接室として徹底的に整備されています。
もちろん特別仕様車ですから定期運用はもたず、通常はインセイン車両基地内に留置されており、時折、基地内の入換やヤンゴン車両工場で整備された車両回送でヤンゴン-インセイン間を走行する程度。幹部巡回といってもそうそうあるわけでもなく、せいぜい月1-2回程度ですから、おっとっとさんが撮影したトウチャウカリー駅での撮影は極めて珍しいシーンといえましょう。おそらく、トウチャウカリーから先のティラワ支線(ティラワ港は同国最大の港湾施設がある)関連で、MR幹部を送り届けた帰路の回送か、松浦車とともに要検・全検直後に実施した試運転のどちらかでしょう。車内に人影がないことからも、まず間違いありません。(冷房付きのVIP車に一般旅客なんて乗せませんから)

 【ランローイン支線】次に平成筑豊車ですが、このランローイン支線運用もよくぞ捕えたと思います。同支線運用ですが、最近では平成筑豊か松浦車のどちらかで運用され、基本的に単行です。早朝4時台にインセインから出発し、ランローインで折り返してヤンゴンへ戻りますので、おっとっとさんがネピドー急行車内から見たのはこの上り始発かと思われます。ただ毎日運転ではないようで、PC列車の場合もあるうえ、沿線にミャンマー陸軍の軍施設がある関係からか、ミャンマー人のみ乗車できる支線(同国内に数ある外国人乗車拒否路線/いまはどうか分かりません)扱いで、軍事政権時代はランローイン行きというだけで、かなり手前のトウチャウカリー駅でさえ、撮影しようとすると周囲に私服の軍人のような目つきの鋭い複数の男によって周囲をそれとなく囲まれていたのを覚えています。それが今では許可証なしで駅撮影でも咎められないような事態に驚きを隠せません。むしろ、インドネシアの方が相対的に厳しくなっていますから。とにかくどちらも希少価値のあるカットかと思われます。

……ををを、何とも懇切なご解説どうもありがとうございました! m(_ _)m いずれにしましても現状は、編成こそ短くなってしまい青息吐息の運用が続くものの、撮影については夢のようにラクになっているということなのかも知れません。撮影が厳しかった時代の貴重なカットに想いを馳せつつ、またいずれヤンゴンで撮り鉄しまくる日を楽しみにしたいものです……(^^)。

ミャンマーのLRBE兄弟 (斎藤幹雄様ご撮影)

2013-04-09 00:00:00 | 頂き物画像


 先日アップしたミャンマーの怪物レールバスにつきまして、RP誌でおなじみミャンマー鉄道車両研究の第一人者にして、いつもお世話になっております斎藤幹雄様から、実に濃いぃ画像とともにご感想・詳細な解説を頂きました! そこで、メールの内容を一部編集して、読者の皆様のご参考に供したく存じます~!
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 さて、怪物レールバスのレポートは大変読み応えがありました。同形式はおっとっとさんが述べておられる通り、同国内の零細ローカル線向けに、それこそ町工場で作ったようなシリーズで、同じタイプは2両となく、国内に100両以上が配置されています。形式・LRBEの「L」とはLightの略で「軽量・レール・バス・エンジン」となります。同形式牽引列車は「カー・ヤター(CarYather)」と呼ばれ、ガイドの解説でも「直訳すると車列車」といっていました。床下のゴムタイヤ駆動とあわせて、まさに的を得た呼び方でしょうか。基本的に片運転台方式(単端式)で、構造が極めて簡易であるため、メンテナンスが簡便ですむ反面、事故や故障も多く、軍事政権時代は基本的に外国人乗車は禁止されており、確か2009年頃までは断られていたはずです。



 2009年の訪問時はガイドが交渉してくれましたが、やはり×で、その理由を聞くと、駅長曰く「カーヤターは事故が多い。乗客がミャンマー人だけなら全員死んでも軍や警察がもみ消せるが、外国人が怪我すると国際問題になってしまうから」と物騒なことを真面目顔で言われました。さすがは軍事政権だなぁ、と妙に納得したものです。
 2007年頃まではヤンゴンにも乗り入れる運用があり、インセイン駅では車両基地門前にある転車台をつかって方転していました。転車台は今でも残っていますがもう運用がないので荒廃しています。
 一昨年インセインで撮影したこの画像は、日本でいう重要部検査出場後の試運転のようで、撮影許可証を持ってはいましたが、許可が日本型車両だけ、と限定されていたこともあり、私服の軍人か警察官がこちらを睨んでいるのが分かります。このあと駅構内の警察官詰所からバラバラと警官が出てきて撮影中止となり、ガイドさんは怒られっぱなしでした。形式がない方が非運転台なのですが、何故か前照灯が付いていますな。
 なお、LRBEはやはり徐々に数を減らしているようで、現時点では日本型DCの不調のため置き換えが遅れていますが、今後民主化の進展で日本からもメンテナンスパーツが潤沢に補充されれば、あっという間にスクラップになってしまうのではないかと思われます。
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 う~む、今回頂いた画像の車両、運転台側はどこかで見覚えがあるな……と思ったら、そういえばジャカルタの都営6000系改造カッパ顔に似ていると思うのは私だけでしょうか? 東南アジアのセンスで、流線型的でカッコ良い車両を作ろうとすると、こんな雰囲気になりがちなのかも知れませんね (^^;)。後ろ側の一つ眼小僧顔に思わずブッと吹き出してしまいました……(汗)。しかし、こんな車両たちも、あくまでミャンマー経済が苦しかった時代の産物ということで、しかもそもそもミャンマー鉄道省側が外国人に撮られるのを嫌っていたことが斎藤様のお話からも伺えます……。つい先日までそんな時代が続いていたことを改めて生々しく知ると同時に、怒られながらも何とか残った記録の貴重さをも痛感します。そして今はまさに、(割と容易に?) 撮影が可能で、しかもこの手のLRBEが各地でそれなりに走っているという点で、実に貴重なタイミングなのかも知れません。というわけで、画像と回顧録をお送り頂いた斎藤様にはこの場ながら心よりお礼申し上げます~!!


 【マンダレー近郊ヤトン駅のLRBE72】(今年1月)……ち、小っちゃ! (爆) ヒカリエ号はこの塗装をパクったのではないか?としか思えませんね~(笑)。ゴムタイヤが見当たらない……(汗



 【ヤトン工場内に放置されたDMU301】(今年1月)……ミャンマー国鉄は小型レールバスだけでなく、一般DCも国産による量産化を目指していたのではないか?ということを匂わせる一品。斎藤様は「大型一枚窓とこの塗装の組み合わせはなかなかおしゃれだ」とおっしゃっていますが、私も全く同感です。何と申しますか、思わずフリーランス模型を作りたくなってしまう存在感がある意欲作だと思います♪ あるいはひょっとすると、一枚窓やヘッドライトは日本の中古バスから拝借したものだったりして (^^;;)。しかし……結構新しそうに見えるこの車両ですが、台枠がグニャリ……(@o@)。ここらへんから、中型~大型動力車用の台枠を自国で安定的に生産する技術がイマイチであるが故に、日本の中古DCを喉から手が出るほど欲する……ということにつながっているのでしょうか?


南国で朽ちる東方紅21 (斎藤幹雄様ご撮影)

2013-02-22 00:00:00 | 頂き物画像


 ビルマ (ミャンマー) への撮り鉄&撮りバス遠征を控え、昨日発売されたRP誌に掲載された現地の国鉄型車両最新画像は結構衝撃的でドキドキワクワクするものがありますが、記事作成のご本人にして、いつもお世話になっております斎藤幹雄様から、誌面に載せきれない工場内画像を参考としてお送り頂きました~。私は工場訪問は全く計画していないのですが、熱帯の草木生い茂る工場の風景はなかなかそそられるものがありますし、恐らく日本国内ではほとんど注目が集まらなさそうな (ゆえに誌面にも載らない?) 中国罐の状況も、かつて中国で鉄活動したことがある者として興味津々ですので、ありがたく紹介させて頂くことにします~m(_ _)m



 暖色系の塗装がもっぱらのビルマ国鉄DL陣にあって、何故かダークグリーンを保っているこの罐 (DD.1100型?) は、ベトナム国鉄のD10H型と全く同じく、中国国鉄の例外的メーターゲージ昆河線 (かつてフランスが昆明~ハノイ~ハイフォン間に建設した鉄道のうち中国領の部分) で長らく使われて来た液体型DL・東方紅21の中古。ふと思いついて中国語版ウィキペディアを見てみたところ、老朽化やら昆河線の本数減少やら低出力やらで全100両超のうち大部分が廃車となったのち、ベトナムが2000年代半ばに30両を購入、そしてビルマには軍政と中国がまだまだ蜜月全盛だった2010年頃までに40両以上がプレゼントされたようです (ウィキペディアには35両贈与とありましたが、ビルマでは1140番台が走っているようですので、最終的に40両を超えたのでしょう)。
 しかし、所詮は老朽化した罐のプレゼントであるだけでなく、もともと中国でも扱いに手こずって余り量産されなかった液体式DLであるだけに、中国による贈与後の十分なサポートは恐らくロクになかったのでしょう。僅か4~5年で壊れた罐から順に部品取りとして提供され、工場の片隅に放置される運命に……。それもまた、パッと見の華々しい「援助・贈与」で偉大さを見せつけたい中国らしい一幕と言えるかも知れませんが、そういえば日本中古DCも同じように部品不足で放置される車両が続出しているのでしたっけ……(汗)。1枚目の画像のように、東方紅21型とキハ52が並んで放置されている状況こそ、中古車を使い潰し気味なビルマ国鉄の現状を示しているのかも知れません。個人的には、キハ52と東方紅21ともども、本来の活躍をしている光景を是非見てみたいものですが、果たしてその願望が吉と出るかどうか……既にビザは無事ゲットしましたので、いよいよ来月には明らかになることでしょう♪ 嗚呼楽しみ……♪