事前発表では、さよならHMはこの場限り。PCで眺め返し惜別。
いずみ野線には思い入れが薄く、このHMは初撮影 (汗)。
最初のうちは引いて撮れました。まっさら特急相模大塚行き。
昼からは昔から見慣れた急行海老名行きとなりました。
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かねてから建設工事と準備作業が進められて来た相鉄・JR直通線の開業がいよいよ一ヶ月半後に迫り、12000系が都心部のみならず埼玉県内にも広く姿を現す光景が大きく注目されているところですが、そんな12000系が一気に6編成用意されて運用を開始した以上、風前の灯火となっていた7000系はついに引退の時を迎えざるを得ません。そこで、地元ファンを大切にして下さる相鉄のこと、必ず相模大塚での撮影会をやってくれるに違いないと思っていたところ、10月14日・鉄道の日を選んで7000・12000系を並べる撮影会を開催する旨が発表されましたので、他の予定は一切入れず、台風がこの日を避けるのを祈り続け、ついに巡って来た当日には朝8時に並んで勇躍参加して参りました。天気は生憎の涙雨となってしまいましたが、実際の車両の並べ方からして、むしろ晴れると何とも撮りづらいものがありましたので、多少全身とカメラを濡らしても何とか傘をささずに撮影を続行できる程度の降りで済んだのは、むしろ幸いだったのではないかと思います。
……そう、傘をさすことを強いられるほど降ったとしたら、本当に大変だったのです。これは一体何というヲタの殺到ぶり……。12時過ぎの幕回しの際にやたらと騒ぎまくった集団の存在からして、長年の相鉄沿線民や相鉄ヲタだけではなく、他のネタが無くなってしまったので最近はじめて相鉄7000系を追っかけたというJR系ネタ鉄も相当混ざっていたと思われます。
また、事前予告では「撮影会においてのみ掲示」と予告されていた引退記念HMを最初から掲げることをせず、時間限定でしか掲げなかったことは、横浜方の凄まじい混雑に輪をかけることにつながったのではないかとも思います。私などは、とにかく入場開始直後の短い時間のうちにHM装着姿を撮って、静かなうちに7000系に別れを告げてすぐに帰ろうと思っていたのですが、冷たい雨の中で会場内が凄まじい人出のカオスに変わって行くさまにじっと絶えながら、引退記念HMが掲げられるのを待つ辛さといったら……。まぁその代わり、HM無し姿といずみ野線40周年HM姿を撮影することは出来たのですが。
というわけで、何とも騒々しく、しかも激しい押しくら饅頭の中でのお別れとなってしまったのは遺憾でしたが、少なくとも私がいた場所の近くでは罵声大会が発生しなかったのは幸いでした。
12時半、一通り撮るものは撮ったと判断して横浜行きの電車に乗り、大和駅前でラーメンを食べてようやく一段落、そこで緊張感が途切れてどっと疲れが押し寄せたのですが、引き続き雨が降る中帰宅してPCを立ち上げ、取り込んだ画像をPC画面で眺め直すと、そこで初めて、長年乗り慣れたこのスタイルの相鉄電車 (2100系・5100系・7000系)が完全に消えてしまうという喪失感が胸の奥からこみ上げて来たのでした……。
沿線開発の急激な進行で、相鉄が車両新造を重ねていた昭和40年代、とにかく詰め込んで走ることが出来れば良いという割り切りのもと、思い切ってスパッと切妻にした4扉アルミ車が車体更新車2100・5100系として登場したものですが、そんな割り切ったデザインと、6000系で技術的に確立された直角カルダン駆動の下回りを組み合わせて誕生したのが7000系でした。途中、80年代半ばからは顔をリファインした新7000系の増備に移行し、さらに下回りもVVVFとなりましたが、基本的なコンセプトは昭和の末まで引き継がれ、全く異なるデザインの8000系が登場したときには平成の御代に変わっていました。したがって7000系は、名実ともに昭和の相鉄電車の決定版であったと言えます。
新7000系は、次に来ることが分かっている20000系の大量増備までもう少々走り続けますが、いずれにしても先は長くなく、7000系の後を追うことになるでしょう。そして少なくとも、スパッと切妻な前面を持つ車両は、モヤに改造されたごく一部を除いて消えるわけで、これで相鉄の高度成長時代は終わり、次の新7000系引退で相鉄の昭和も終わることになります。高校に通うにも、横浜に出るにも、様々な悲喜こもごもとともに7000系を利用してきた私としては、実にストレートな内容のさよならHMを装着したクハ7710の姿をPC画面でじっと眺めるにつけ、例えようもない寂しさを感じざるを得ないのでありました。
しかし、大きな故障も事故もなく、無事通勤輸送の使命を果たして消えて行くことは、一系列の電車全体にとってこの上もない名誉なことであり、7000系も「無事これ名馬」の仲間入りを果たしたことになります。44年間の活躍、本当にお疲れ様でした。さようなら!