地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

相鉄12000系@相模大塚撮影会

2019-10-18 23:17:00 | 大手民鉄 (相鉄)


 明日 (19日) は、JRの川越車両センターまつりが開催され、JR乗り入れ営業運転開始をあと約40日後に控えた相鉄12000系が初めて参戦することになります。そこで、相鉄の電車が埼玉の空の下、埼京&りんかい&川越八高線ファミリーとともに集う慶事を是非見届けたいのはやまやまですが……私は仕事の都合 (※) で不参戦ですので、当日の会場が平穏無事に盛り上がることを都内から祈念することに致します (泣)。



 というわけで、去る14日の相模大塚撮影会にて7000系と並んで展示された12000系の画像を貼っておくことにします。
 個人的に12000系は、登場記念撮影会には参戦できず (確か出張か何か)、なかなかヒマがない中で何だかんだで営業運転中のシーンを撮ったことがなく、これまで何となくすれ違い気味の関係という感じでしたが、去る8月末にはE233系がついにかしわ台に来訪したのを激写した際に、12000系についてもモヤとの並びを激写し、そして今回ようやく初めて単独の編成写真を撮るに至りました。そんな初カットが「橙特急・相模大塚」及び「緑特急・新宿」であったのは、これはこれで濃いぃ話なのかも知れません。まぁ、今後はいくらでも乗る・撮る機会もあることでしょう。
 それにしてもYNBは本当に、周囲の車両やヒト・モノを反射しまくりですね……(汗)。PLフィルターを装着し、脇の7000系の反射を最小限にすることが出来ました。 

 (※……午後1時に必ずキレイなスーツ姿で怪社のイベント会場にいなければならない関係で、早朝から午前中にかけての大雨でスーツや黒革靴をズブ濡れにするわけには行かず、会場にはごく僅かな時間しか滞在することが出来ず……総合的に考えて止めておくことにしました。また来年以降も相鉄が参戦することを願いつつ……。)

さよなら、相鉄7000系!@相模大塚

2019-10-15 00:11:00 | 大手民鉄 (相鉄)


 事前発表では、さよならHMはこの場限り。PCで眺め返し惜別。



 いずみ野線には思い入れが薄く、このHMは初撮影 (汗)。



 最初のうちは引いて撮れました。まっさら特急相模大塚行き。



 昼からは昔から見慣れた急行海老名行きとなりました。

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 かねてから建設工事と準備作業が進められて来た相鉄・JR直通線の開業がいよいよ一ヶ月半後に迫り、12000系が都心部のみならず埼玉県内にも広く姿を現す光景が大きく注目されているところですが、そんな12000系が一気に6編成用意されて運用を開始した以上、風前の灯火となっていた7000系はついに引退の時を迎えざるを得ません。そこで、地元ファンを大切にして下さる相鉄のこと、必ず相模大塚での撮影会をやってくれるに違いないと思っていたところ、10月14日・鉄道の日を選んで7000・12000系を並べる撮影会を開催する旨が発表されましたので、他の予定は一切入れず、台風がこの日を避けるのを祈り続け、ついに巡って来た当日には朝8時に並んで勇躍参加して参りました。天気は生憎の涙雨となってしまいましたが、実際の車両の並べ方からして、むしろ晴れると何とも撮りづらいものがありましたので、多少全身とカメラを濡らしても何とか傘をささずに撮影を続行できる程度の降りで済んだのは、むしろ幸いだったのではないかと思います。
 ……そう、傘をさすことを強いられるほど降ったとしたら、本当に大変だったのです。これは一体何というヲタの殺到ぶり……。12時過ぎの幕回しの際にやたらと騒ぎまくった集団の存在からして、長年の相鉄沿線民や相鉄ヲタだけではなく、他のネタが無くなってしまったので最近はじめて相鉄7000系を追っかけたというJR系ネタ鉄も相当混ざっていたと思われます。
 また、事前予告では「撮影会においてのみ掲示」と予告されていた引退記念HMを最初から掲げることをせず、時間限定でしか掲げなかったことは、横浜方の凄まじい混雑に輪をかけることにつながったのではないかとも思います。私などは、とにかく入場開始直後の短い時間のうちにHM装着姿を撮って、静かなうちに7000系に別れを告げてすぐに帰ろうと思っていたのですが、冷たい雨の中で会場内が凄まじい人出のカオスに変わって行くさまにじっと絶えながら、引退記念HMが掲げられるのを待つ辛さといったら……。まぁその代わり、HM無し姿といずみ野線40周年HM姿を撮影することは出来たのですが。
 というわけで、何とも騒々しく、しかも激しい押しくら饅頭の中でのお別れとなってしまったのは遺憾でしたが、少なくとも私がいた場所の近くでは罵声大会が発生しなかったのは幸いでした。
 12時半、一通り撮るものは撮ったと判断して横浜行きの電車に乗り、大和駅前でラーメンを食べてようやく一段落、そこで緊張感が途切れてどっと疲れが押し寄せたのですが、引き続き雨が降る中帰宅してPCを立ち上げ、取り込んだ画像をPC画面で眺め直すと、そこで初めて、長年乗り慣れたこのスタイルの相鉄電車 (2100系・5100系・7000系)が完全に消えてしまうという喪失感が胸の奥からこみ上げて来たのでした……。
 沿線開発の急激な進行で、相鉄が車両新造を重ねていた昭和40年代、とにかく詰め込んで走ることが出来れば良いという割り切りのもと、思い切ってスパッと切妻にした4扉アルミ車が車体更新車2100・5100系として登場したものですが、そんな割り切ったデザインと、6000系で技術的に確立された直角カルダン駆動の下回りを組み合わせて誕生したのが7000系でした。途中、80年代半ばからは顔をリファインした新7000系の増備に移行し、さらに下回りもVVVFとなりましたが、基本的なコンセプトは昭和の末まで引き継がれ、全く異なるデザインの8000系が登場したときには平成の御代に変わっていました。したがって7000系は、名実ともに昭和の相鉄電車の決定版であったと言えます。
 新7000系は、次に来ることが分かっている20000系の大量増備までもう少々走り続けますが、いずれにしても先は長くなく、7000系の後を追うことになるでしょう。そして少なくとも、スパッと切妻な前面を持つ車両は、モヤに改造されたごく一部を除いて消えるわけで、これで相鉄の高度成長時代は終わり、次の新7000系引退で相鉄の昭和も終わることになります。高校に通うにも、横浜に出るにも、様々な悲喜こもごもとともに7000系を利用してきた私としては、実にストレートな内容のさよならHMを装着したクハ7710の姿をPC画面でじっと眺めるにつけ、例えようもない寂しさを感じざるを得ないのでありました。
 しかし、大きな故障も事故もなく、無事通勤輸送の使命を果たして消えて行くことは、一系列の電車全体にとってこの上もない名誉なことであり、7000系も「無事これ名馬」の仲間入りを果たしたことになります。44年間の活躍、本当にお疲れ様でした。さようなら!

三島界隈の電車 (4) 駿豆線7502編成

2019-10-13 12:00:00 | 地方民鉄 (東海道)


 いずっぱこ駿豆線は基本的に、伊豆半島の付け根からど真ん中にかけて流れる狩野川の沿線路線という性格を持つものですが、その狩野川流域では台風19号の襲来で700〜800mmの雨が一気に降ったとは……。ようやく台風が過ぎ去り、昨日運休した各路線では線路設備の点検と安全確認を経てぼちぼち走り始めることでしょうが、何とか駿豆線の被害が最小限であることを祈らずにはいられません。現時点では、伊豆仁田と韮山の間が冠水で、三島~大場の折返運転だそうですが……。というわけで、1年半前にちょこっと三島を訪れたついでに撮影した、駿豆線を代表する豪華イケメン編成である7502編成の画像をアップしてみましょう。



 周知の通り7502編成は、何を血迷ったか、アニメとタイアップした痛電になってしまったわけですが、余計なものを一切貼らない紺色帯+ゴールド顔の何と美しく凜々しいことでしょうか! 結局静岡直通は叶わず、駿豆線内限定の一部指定席快速列車の試みも空しく終わって久しいですが、先頭車は私鉄版313系、中間車は私鉄版213系と言わんばかりのスタイルは、地方私鉄有数の堂々たる機能美を誇っていると言えましょう。
 そんな7000系、このたび痛電バージョンの鉄コレ化が発表されましたが、3000系ステンレス車の例から明らかなように、しばらく待っていると必ず痛電ではなく正統バージョンが発売されるはず。すると、登場時以来の青帯バージョンと、7502編成現行バージョンのどちらも必ずゲットせずにはいられませんが、それぞれ2編成購入することで夢のJR直通姿を夢想することも半ば内心で決定しております (笑)。

小田急1000形 (赤) @海老名検車区

2019-10-12 16:20:00 | 大手民鉄 (小田急)


 狩野川台風に匹敵するという台風19号は、伊豆〜南アルプスといった静岡の山、そして箱根から北の関東と甲信を分ける山々に凄まじい記録的豪雨をもたらしているところですが、NHKの箱根湯本駅前からの生中継で映し出された早川の荒れ狂い方に唖然としたと思ったら特別警報が発令され、何と相模川の城山ダム(津久井湖)が午後5時から緊急放流に入るとは……。ダム決壊による大惨事を防ぐため、ついに降った分をそのまま流さなければならない段階に入ったということですが、今後もしばらく雨が弱まる気配がない以上、下流の相模川は相当とんでもないことになる可能性があります。



 そこで真っ先に脳裏をよぎったのは、古くは一面の低湿地の田んぼだった海老名・ニセ厚木にそれぞれ留置された小田急と相鉄の電車は大丈夫なのかということ。例えば、鬼怒川の決潰を前にして、常総線のディーゼルカーが水海道車両基地から悉く高台の本線上に避難したように、今頃大急ぎで車両を出庫・移動させていれば良いですが……。
 というわけで、海老名の公開時に撮影した、箱根登山用の赤い1000形の画像のうち、未レタッチ画像 (たくさんある ^^;) を引っ張り出してみました。
 今の鉄道は線路にしても踏切にしても様々な装置や回路がセットされている中、線路冠水というだけでも復旧まで相当の時間がかかるものですが、車両の冠水による輸送力不足は何としてでも避けて欲しいものです。車両の大規模冠水といえば、王寺や久里浜が非常に有名ですが、海老名がそんな忌まわしい故事の一つに加わらないことを祈るばかりです。そもそも、ここまで激しく降らなければ良いのですが……。

【13日10時追記】箱根登山は路盤大崩壊で長期運休確定。嗚呼……。

祝!西武秩父線まもなく開業半世紀

2019-10-10 10:24:00 | 都市民鉄 (首都圏)


 奥武蔵の深い谷と峰を貫いて秩父谷に至る西武秩父線が、来たる14日・鉄道の日に開業50周年を迎えます。恐らく一般ピープルの皆様は、西武秩父線の起点が吾野であることなど夢にも思わず、飯能で池袋線と西武秩父線に分かれるものだと信じ切っていることでしょうが、西武は敢えて「吾野が起点です!」などと野暮な宣伝を繰り返すことはせず、レッドアローやLa Viewを前面に押し出して、「池袋や所沢からこれに乗れば秩父に行ける」事実を淡々と示しているのは大人の対応と言えましょう (笑)。
 なお、西武秩父線の開通により、それまで首都圏と秩父を結ぶメインルートであった東武東上線または高崎線と秩父鉄道を乗り継ぐルートは没落を始め、東武東上線からの「みつみね」「ながとろ」、そして高崎線からの115系臨電はいつしか消えてしまいましたので、秩父鉄道としては相当割を食らったはずですが、今や和解して (?) 西武からの直通列車や企画切符を受け入れて久しいのは周知の通りです。思えば半世紀、いろいろ変わるものです。



 そんな西武秩父線を長年最も支えてきたのは何か。一見すると初代と現在のレッドアローに注目が集まるのかも知れませんが、否、何と言っても、山岳路線に対応するために開発された101系の下回りと言えましょう。特急車は現在のNRAに至るまで、そして一般車は新101系や4000系に至るまで、例外なくこれに依拠して走っているわけで、半世紀にわたって一つの技術が一つの路線の根幹をなしてきたことは特筆するべきでしょう。
 しかし今や、新101系は基本的に平地をのんびりと走るのみで、NRAも数を減らしつつあります。というわけで、101系の技術が余りにも偉大であることを痛感しながら、その重厚な走り心地に酔うのであれば、今や4000系がベストであると言えましょう。しかも、当面は置き換えの予定が発表されておらず、西武としては急速に廃車となるNRAから部品を拝借しつつ、今後もしばらく鈍足な普通列車で4000系を走らせれば良いと考えているのかも知れません。
 これから秋の行楽シーズンで、日中の4000系使用列車はかなり混み合うこともしばしばでしょうが、早朝と午後6時以降はどんなシーズンでも必ず空いているという印象があります(芝桜が咲く季節の土日であっても、大方の観光客は夕方4・5時台の列車で帰ってしまい、午後6時過ぎの飯能行きに乗ったらメッチャ空いていて感激したことあり)。昭和なスタイルのボックスシートを確実に楽しめる列車も随分と減った中、飯能と西武秩父を結ぶ小一時間は、確実に小さな旅心を満たしてくれるはずです。
 (2枚目の画像は、先日ハイキングのついでに東吾野駅で撮影したものでスミマセン。……とはいえ、池袋線末端時代からのホーム上屋は、ローカルムードあふれる感じがして良い感じ♪)