【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

細川門下2人が対決 20年前と変わらぬ「鄙の論理」 野田・松野問答

2012年11月05日 09時45分39秒 | 第181臨時国会(2012年10~11月)友情解散


 「私は、かつて参議院議員として国政に参加しておりましたが、どんなに頑張っても容易に変わらない永田町の論理に辟易しました」「国が変わらないのなら、地方から変わってみせると決意し、故郷熊本の県知事になったのは昭和58年のことでした」。

 このセリフ、例えば、蓮舫さんや舛添要一さんらが都知事選(2012年12月16日投開票)の出馬会見で言いそうにも聞こえますが、書いてあるとおり、30年前の昭和58年1983年のバブル初期の話です。

 細川護煕さんの21年前に書いた初の著作、『鄙の論理』(ひなのろんり)の書き出しです。「鄙」とは、鄙びた(ひなびた)温泉宿のように「田舎(いなか)」という意味です。地方自治を語るときに時々混乱するのは、中央と地方といった場合には、地方交付税不交付団体の東京都庁も入るわけですが、この辺の混同も懸念したうえで、「いなか」というと角が立つので、「鄙の論理」としたのではないでしょうか。

 この本では、2期8年で熊本県知事を勇退して「地域コンサルタント的仕事をしてみたい以外は今後のことは白紙」とした細川さんは翌年春、文藝春秋で「自由社会連合」を発表。すぐさま「日本新党」に改名して、第16回参院選に比例代表単独(当時は拘束名簿式)で出馬。この選挙は東京サミットのさいちゅうに開かれたこともあり、宮澤自民党が勝利。平成において与党が参院選に勝ったわずか2回のうちの1回ですが、日本新党も細川さん、小池百合子さんら4人が当選し、ブームとなりました。

 第16回参院選と、翌年の「あの夏」第40回衆院選(宮澤嘘つき解散)で私たち改革派がよく聞いた街頭演説は「バス停を動かすにも国の認可がいる」。このエピソードの元ネタは、この「鄙の論理」のはじめにでてきます。

 この中で、細川さんは「熊本から飛行機で1時間30分、参勤交代ではないのですが知事というのはしょっちゅう東京へ行きます」「東京詣の最大の原因は、諸々の許認可の8割近くをいまだに中央が握っていて、バス停を10メートル移動させるのも、小さな公民館1つ立てるのも、中央政府のお墨付きをいただかなくてはならない仕組みになっているからです」としています。

 これは、私も大ファンだったNHK「クイズ面白ゼミナール」「歴史への招待」「NHK紅白歌合戦」でおなじみの鈴木健二アナウンサーが1988年にNHKを退職した後、細川知事が熊本県立劇場の館長に就任してもらったということで、このときは、大きな話題になりました。その鈴木館長が、「玄関の真正面にあるバス停が景観を損ねているので移動したい」と知事に求め、知事が「ただちに移動するように」と指示したところ、県庁内の担当者から「バス停というのは、バスの運行距離と密接な関係がありまして、バス停を動かすと運行距離が変わり運賃が変わる場合がありますので、運輸省の許可が必要なんです」と言われた。実際には10メートルの移動なら、運賃に影響がないので許可ではなく届け出で済んだそうです。この辺は当時の街頭演説で使った弁士の中にも多少の理解不足があったかもしれません。とはいえ、届け出制とはいえ、実際に動かせたのは半年後だったということで、当時の運輸省の怠慢ぶりには辟易とします。そして、この直後に局は違いますが、日本航空機墜落事故で航空・鉄道事故調査委員会(国土交通省運輸安全委員会に改称)がアメリカ・ボーイング社による圧力隔壁の修理記録を隠すという暴挙に出て、人命を犠牲にしたうえで日航を助け、その日航も倒産しました。多大な人命と国益の損失です。

 細川さんは朝日新聞記者を経て、経世会(自民党竹下派)から保守系無所属(自民党公認漏れ)で中選挙区熊本1区に出馬したものの惨敗。参院熊本選挙区で議席を得て、2期当選し、熊本県知事に転じて2期8年。そして、参院全国比例で当選し、小池百合子さんとともに、衆院に転じました。この衆院選の公募候補のうち、第1次公認が出た4人が野田佳彦さん、河村たかしさん、牧野聖修さん、石井紘基さん(故人)です。このとき、長年熊本1区で自民党衆院議員を務め、前回落選後に勇退した松野頼三さんの後援会から支援をうけて、細川さんは22万票という地滑り的圧勝し、第2党以降の連立ながら初当選と同時に細川内閣が発足します。そして、細川・羽田内閣総辞職、新進党結党を経て、政権構想会議議長として1998年4月、民主党結党を見届けて議員辞職。このときの小選挙区熊本1区補選が民主党初の国政選挙でしたが、後継指名を受けた民主党公認の松野頼久さんは、「やはり松野家と細川家に密約があったのか」「大政奉還ではないか」との批判を浴び、自民党前県議の新人候補に敗れました。しかし、第42回衆院選後は、小選挙区4連勝をしており、九州では数少ない民主党のテッパン選挙区となりましたが、このたび民主党を離党し、橋下徹・大阪市長が率いる「日本維新の会」の国会議員団代表に就任しました。

 さて、この日本新党衆院1期生の野田佳彦首相(民主党代表、当選5回)と、日本新党職員出身ながら初の民主党国政選挙公認候補でもあった松野頼久・日本維新の会国会議員団代表(当選4回)という細川門下2人による初めての「野田・松野問答」が2012年11月1日(木)の第181臨時国会の衆議院本会議代表質問でありました。

 松野さんは「我が国は今、明治維新、終戦につぐ時代の大きな転換点に立っています。(第45回衆院選で)国民が期待したのは140年にわたる中央集権や官僚主導政治を変えてほしいとの思いです。中央集権を前提とした自民党政権には統治機構を変える力はないので、政権担当能力には不安はあるが、民主党に1度やらせてみよう、との思いです」と分析しました。



 そして、日本維新の会(にっぽんいしんのかい)について、「代表の橋下徹が大阪府知事だったときに大阪府と大阪市の二重行政を断ち切るために、自ら市長選に出たのが立党の原点だ」と説明しました。これに関連して、報道によると、橋下大阪市長は、この質問演説の内容を事前にすりあわせていたとして、大阪市の声がダイレクトに国政に反映したのは画期的だ、松野議員は首相候補だ、という趣旨の発言をしたように報じられています。ということは、橋下市長は残り任期が3年間あるので、第46回衆院選には出馬しないということなのでしょうか。

 本会議場に戻って、松野さんは「日本は瀬戸際まで来ており、グレートリセットが必要だ」として、道州制を導入するように求めました。

 これに対する野田さんの答弁。「地方自治は受益と負担がイチバン見える基礎自治体が担うべきで、すなわち市町村に権限を集中すべきで、できない分を広域自治体が補う」との国のかたち、いわゆる補完性の原理を提示し、松野提案と一線を画しました。そのうえで、「基礎自治体が足りない分を道州制が担うことは将来的な検討課題だ」としました。



 これは総理が言うとおりで、道州制というのは、大阪府、大阪市にとって有利なシステムです。なぜなら、大阪府の負債残高は5兆円を超えており、大阪府の税収増や歳出減では絶対に解決できない危篤状態にあります。ですから、道州制ということで、その負債を薄めて、国からの財源(地方交付税交付金や税源移譲)に頼るしかない状況です。そのうえで、比較的文化的・経済的・人的な交流が太い近畿圏、具体的には、大阪、京都、兵庫、滋賀、奈良、和歌山を包括する格好で近畿州をつくる。そうすると、各5県のうち、損をする県はほとんどないことが可能になります。なお、たまに「関西」という言い方をする人がいますが、関西といった場合は、福岡県も関西になるので、近畿と呼ぶべきです。このような道州制が可能なのは、近畿、九州、中国・四国、北東北などに限られ、中部地方の、静岡県、岐阜県、長野県などでは不可能です。さらに、関東州となると、東京一極集中が進みながら、税財源は周辺に流れる格好になるので、これもできるわけがありません。そして、近畿州構想を経済界でもっとも推進してきたのは誰かというと、松下幸之助・パナソニック創業者です。すなわち松下政経塾の創設者でもあり、松下政経塾は長年道州制を主唱していましたが、野田総理にしろ、玄葉光一郎外相(元民主党分権調査会長)にしろ、基礎自治体強化の考え方です。現在の民主党マニフェストの地方分権に対する考え方はおもに玄葉さんがまとめたものという認識で良いと思います。

 野田さんは著書「民主の敵 政権交代に大義あり」の中で、「本来は衆議院が小選挙区制と導入したときに、地方分権をセットでやるべきでした。あのときセットで分権ができなかったために、せっかく小選挙区=二大政党政治=政権交代が可能な政治を目指しながら、地元の陳情などで忙殺される人がいまだに多いのです」としています。実際には、2000年に地方分権一括法が施行されたので、私と野田さんの認識は違います。私は2000年からここまで、地方分権が進んでいないのは、不況による自主財源難が最大の理由だと考えています。よく地方議員で自らの自治体での活動を卑下して、国会議員を目指す人がいます。しかし、横を見ることも大事です。例えば不交付団体の自治体では、単独事業、市単は充実しています。私は日産自動車系部品メーカーからの税収などで長年不交付団体である厚木市を月に1回程度でしたが、3年半取材し続けましたが、幾たびに右翼に街宣されていました。右翼としてもお金があるところに集まるのでしょう。職員は比較的のんびりしていて、非常勤(と思われる)市長室受付の20代前半の女性職員に「あれなんですか?」と聞くと、「右翼ですよ」とやさしく応答してもらいました。またハーモニカ産業が盛んだということで、「ハーモニカの街」を打ち出すことになった市長記者会見で、日本を代表するハーモニカ奏者が自ら演奏しながらPRして、後で名刺交換したら私の実家のすぐ近くで、平成不況の中、景気のよい街まで演奏しに来ているのだなと遠い故郷に想いを馳せました。市長は長嶋茂雄さんと同級生だそうでいつもその話をしていました。厚木市は、他自治体とは別の明るい世界でした。このように、国に恨みを持つ地方議員は、財政力指数の高い自治体を訪問してみると、実は違うところに問題があることに気付くでしょう。ただし、不交付団体はほとんどないのが現実です。鄙の論理は20年経っても残り続けています。

 野田さんは「民主の敵」の中で、松野さんについて書いています。「松野頼久衆院議員が取り上げたのは空港整備特別会計です」「この会計の中から松野議員は空港内の有料駐車場の運営に絞って質疑を行い、国土交通省所管の天下り財団が独占的かつ過分に利益を上げている実態を明らかにしました」と褒めています。

 空港整備特別会計、いわゆる空整特会(くうせいとっかい)は運輸省所管ですが、実際には大蔵省(財務省)がかなりコントロールしており、「打ち出の小槌」と呼ばれ、税収難の年には空整特会から突然、一般会計の歳入が出てくることがよくありました。そのため、この狭い日本列島に100以上の空港ができてしまいました。これからどうやって、整備・運営していくのでしょうか。運輸省が日本に残したツケは、多大です。民主党政権が泥をかぶって、消費税を増税しましたが、自民党政権によるツケは900兆円です。

 こちらをご覧ください。


[画像]第16回総選挙の各党ポスター(目で見る議会政治百年史から)。

 第16回総選挙のポスターですが、政権準備政党の民政党は政友会は「見栄を張って借金をして政府を運営しているが内面はこの通り」「民政党は政権を取れば整理緊縮財政をとりながら内面は堅実な政府をつくります」として政府に対するネガティブキャンペーンを張りながら、政権交代を訴えています。ときあたかも、日露戦争から20年。バブルがはじけながら不況ながらも大正デモクラシーという成熟した経済・社会を迎えていたことを感じさせます。一方、政府・政友会は「中央集権は不自由なもので、自立した行政が行えなくなります」「地方分権は丈夫なもので一人歩きで発展します。地方に財源を移譲すれば自律的な経済発展が可能です」と訴えています。すなわち、政府・政友会は、中央集権か地方分権かを訴えているだけで、政友会と民政党の対立軸の提示からは避けていることが見て取れます。

 このように、中央集権か地方分権かは、87年前の総選挙でも争点でした。なぜ、このようなことになるかというのは、政党や議会政治は、薩摩・長州による明治維新における負け組がつくったものであり、二大政党がともに中央集権ではなく地方分権論者であったことは当然です。そして、この選挙で友愛会の創設者である鈴木文治をはじめとする無産階級者が初めて議員となりましたが、太平洋戦争後に一気に勢力を伸ばして日本社会党をつくります。これに対する対抗手段として自民党が生まれ、中央集権による利益の分配の政治システムをこしらえ、現代にいたるわけです。そして、不況のために利益の分配が機能しなくなりつつあり、民主党政権となり、事業仕分けをしているわけです。

 1985年がプラザ合意、バブルの頂点でしたから、歴史観という意味では、1991年の細川護煕さんの鄙の論理、1992年の日本新党、1993年の細川内閣、1994年の新進党結党と極めて正しい歴史認識できたことが分かります。そして、1995年の阪神・淡路大震災で不幸中の幸いで、日本が明治維新前の幕藩体制に近い国のかたちに戻ることが可能でした。それを阻害したのは、一つは鄙に住む人がテレビジョンを見すぎていたということ。それとテレビジョンでニュースが放送されなくなる1997年12月28日というタイミングで小沢一郎氏が新進党を解党したことです。細川さんは密約があったのかもしれませんが、比例単独という手もあるのに、還暦を理由に自ら議員辞職してしまいました。細川さんもまた、小沢一郎氏の被害者の一人です。

 山口県(長州)出身の安倍晋三さんに地方分権ができるかと言えばできません。能力本意ではありません。長州出身者に地方分権は絶対にできません。安倍議員とかそういう問題ではありません。日本の歴史に叛くものです。今回橋下さんは今後も橋下市長が東京に連絡し、国会議員団がダイレクトに国会に意思を反映させるシステムをつくりました。インターネットの時代だから可能になったもので、日本の歴史上初めてでしょう。このシステムを活用することが地方分権につながります。それが鄙の論理からの再スタートの第一歩です。

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