菅義偉は昨日13日の金曜日、新型コロナウイルスの感染拡大を踏まえた政府対策の総括や評価を問われ、「自己評価することは僭越だと思う」と述べた。首相官邸で記者団に答えたのであるが、言葉に違和感を持った人は少なくはないだろう。
馬鹿を説得しも始まらないが、一人称が動詞の目的に自らを指すことはあるが、僭越はそうした動詞を修飾はしない。
「身分や権限を越えて差し出がましいことをする。」(大辞林)
「自分の身分・地位を越えて出過ぎたことをすること。そういう態度。」(広辞苑)
と、辞書は僭越を説明する。
謙遜の意味として菅義偉は使ったのであろうが、日本語として不適切な使用である。通常用いられるものではない。そもそも、僭越は文章の頭にすべき言葉で、「僭越ながらご挨拶を・・」などである。
その僭越とし評価しなかった対策であるが、未だに菅はワクチンのことしか頭にない。1日100万人接種も変異株の出現で、意味が半減している。ワクチン接種のドグマは対策を固定化させるだけである。
すでに一年半以上経過しているのである。専門病院の5や10は全国主要各地に建設できたはずである。安倍晋三が日本タイプを世界に発信する胸を張った対策の裏には、オリンピック開催を意識しPCR検査を抑え込んだ、非疫学的愚策がある。400億円をどぶに捨てたアベノマスクの金や時間をどう評価するのか。「僭越」の誤用の一言で済ませるわけもない。その中から新意味のある対策など出てくるわけがないからである。