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主に流行りのアメリカの音楽を歌う、ウエスタンカーニバルに、「ロカビリー三人男」の一人として歌手の平尾昌晃は登場した。そうした中、洋楽の影響を受けた音楽、「星は何でも知っている」がラジオから流れてきて、大きな衝撃を受けた。何しろ音楽が明るいのである。これまでの日本音楽と全く違う新鮮な驚きがあった。このヒットした曲を受けて、平尾は自ら作詞作曲した、「ミヨチャン」を発表した。その後平尾は歌手というよりも、作曲家としての才能を発揮していくようになる。
後に結核で長野で療養することになるが、自身の作った「おもいで」が札幌から火がついたが、布施明に歌わすことになり、平尾は事実上歌い手を引退する。その後は、五木ひろしや小柳ルミ子、それにアグネスチャンやアン・ルイスや梓みちよなどに曲を提供する。山口洋子とのゴールデンコンビは、多くのヒット曲を生んだ。
平尾昌晃の曲は、日本的な堅苦しさがなく、明るく開けた形に囚われないが、それでいて日本的な情緒を失わない曲が多い。日本に一つの時代、全く流れの異なる多くの楽曲を提供した、平尾昌晃氏の死を悼む。