これまで原子力発電を安全であり、最近は温暖化問題の切り札だと言ってきた評論家たちは、作り上げた神話の虚構に気がついたなら、断罪するべきである。
原発は、ちょっと科学をかじった者なら、でなくとも高校の理科を十分理解する者なら、だれでもがその危険性に気がつくはずである。地震は天災であるが、原発事故は人災である。相当な安全対策 をやったところで、いったん起きると、どのようなことになるかは、今回の原発事故で十分わかったはずである。
弘兼憲歴史、吉村作治、幸田真音、生島ヒロシ、荻野アンナなど枚挙にいとまがない。
原発のためならいくらでも金を惜しまなかった、政府の意向に恭順だったマリオネットだった自らを認め、反省するべきである。
最近では、単に清潔で立派な建物だと、お笑いタレントが褒めちぎるコマーシャルが見られた。今からでも遅くはない。原子力行政に騙されていたと、反省すればいいのだ。
原発一家と呼ばれるグループがいる。政府、官僚、電力会社と政治家とそれをネタに生きている評論家である。
彼らは故高木仁三郎を封じ込めるためなら、何でもやった。あらゆるキャンペーンや脅しや、支持する団体や催し物には妨害を平気でやってきた。
平気で嘘はつくし、都合の悪い不利な資料は隠匿が原則である。
今回の、福島原発事故の東電の発表を見ているとそれがよくわかる。すぐに訂正するし、数値の変更を平気でやってしまう。
とにかくデーターは極力小さく発表し、安全性については可能な限り過小評価する。要求されない限り、データーは出さない。
これは、公共事業のためには何でもやる、開発局などと何ら変わるものではない。こうした背景を持つ、日本のデータが信用できない。
彼らに騙されたのであるろうが、尻馬に乗って原発を称賛した人物は今こそ反省し、愚かだった自らを断罪するべきである。
その一方で、我々は十分反対してきただろうかと言う問いは、受けなければならない。現在、福島原発は最悪のシナリオへ向けて歩んでいる。それは、周辺数十キロ撤退して無人になり、日本製品が売れなくなり誰も来なくなることである。