そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

ノーベル平和受賞の日本被団協の田中熙巳代表委員の心打つ受賞演説

2024-12-11 | 

ノーベル平和賞受賞の、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)代表委員 田中熙巳さんの受賞演説が素晴らしい。以下は長くなりますが田中委員の全文です。 
 
国王ならびに王妃両陛下、皇太子・皇太子妃両殿下、ノルウェー・ノーベル委員会のみなさん、ご列席のみなさん、核兵器廃絶をめざしてたたかう世界の友人のみなさん、ただいま紹介いただきました日本被団協の代表委員の一人であります、田中熙巳でございます。本日は受賞者「日本被団協」を代表してごあいさつをする機会を頂きありがとうございます。

私たちは1956年8月に「原水爆被害者団体協議会」(日本被団協)を結成しました。生きながらえた原爆被害者は歴史上未曽有の非人道的な被害をふたたび繰り返すことのないようにと、二つの基本要求を掲げて運動を展開してまいりました。一つは、日本政府の「戦争の被害は国民が受忍しなければならない」との主張に抗い、原爆被害は戦争を開始し遂行した国によって償われなければならないという私たちの運動であります。二つは、核兵器は極めて非人道的な殺りく兵器であり人類とは共存させてはならない、すみやかに廃絶しなければならない、という運動であります。

この運動は「核のタブー」の形成に大きな役割を果たしたことは間違いないでしょう。しかし、今日、依然として12000発の核弾頭が地球上に存在し、4000発近くの核弾頭が即座に発射可能に配備がされているなかで、ウクライナ戦争における核超大国のロシアによる核の威嚇、また、パレスチナ自治区ガザ地区に対しイスラエルが執拗に攻撃を加える中で核兵器の使用を口にする閣僚が現れるなど、市民の犠牲に加えて「核のタブー」が壊されようとしていることに限りない悔しさと憤りを覚えます。
私は長崎原爆の被爆者の一人であります。13歳の時に爆心地から東に3キロ余り離れた自宅において被爆しました。1945年8月9日、爆撃機1機の爆音が突然聞こえるとまもなく、真っ白な光で体が包まれました。その光に驚愕し2階から階下にかけおりました。目と耳をふさいで伏せた直後に強烈な衝撃波が通り抜けて行きました。その後の記憶はなく、気がついた時には大きなガラス戸が私の体の上に覆いかぶさっていました。しかし、ガラスが一枚も割れていなかったのはこれは私の奇跡というほかありません。ほぼ無傷で助かりました。

長崎原爆の惨状をつぶさに見たのは3日後、爆心地帯に住んでいた二人の伯母の安否を尋ねるために訪れた時です。わたしと母は小高い山を迂回し、峠にたどり着き、眼下を見下ろして愕然としました。3キロ余り先の港まで、黒く焼き尽くされた廃墟が広がっていました。煉瓦造りの東洋一を誇った大きな教会・浦上天主堂は崩れ落ち、みるかげもありませんでした。麓に降りていく道筋の家はすべて焼け落ち、その周りに遺体が放置され、あるいは大けがや大やけどを負いながらなお生きている人々が、誰からの救援もなく放置されておりました。私はほとんど無感動となり、人間らしい心も閉ざし、ただひたすら目的地に向かうだけでありました。一人の伯母は爆心地から400mの自宅の焼け跡に大学生の孫とともに黒焦げの死体で転がっていました。もう一人の伯母の家は倒壊し、木材の山になっていました。祖父は全身大やけどで瀕死の状態でしゃがみこんでいました。伯母は大やけどを負い私たちの着く直前に亡くなっていて、私たちの手で野原で荼毘にふしました。ほとんど無傷だった伯父は救援を求めてその場を離れていましたが、救援先で倒れ、高熱で1週間ほどで苦しみ亡くなったそうです。

一発の原子爆弾は私の身内5人を無残な姿に変え一挙に命を奪いました。その時目にした人々の死にざまは、人間の死とはとても言えないありさまでした。誰からの手当ても受けることなく苦しんでいる人々が何十人何百人といました。たとえ戦争といえどもこんな殺し方、こんな傷つけ方をしてはいけないと、私はそのとき、強く感じたものであります。

長崎原爆は上空600メートルで爆発し、放出したエネルギーの50%は衝撃波として家屋を押しつぶし、35%は熱線として屋外の人々に大やけどを負わせ、倒壊した家屋のいたるところに火をつけました。多くの人が家屋に押しつぶされたまま焼き殺されました。残りの15%は中性子線やY線などの放射線として人体を貫き内部から破壊し、死に至らせ、また原爆症の原因を作りました。

その年の末まで広島、長崎の死亡者の数は、広島14万人前後、長崎7万人前後とされています。原爆を被爆しけがを負い、放射線に被ばくし生存していた人は40万人あまりといえます。

生き残った被爆者たちは被爆後7年間、占領軍に沈黙を強いられました。さらに日本政府からも見放されました。被爆後の十年間、孤独と、病苦と生活苦、偏見と差別に耐え続けざるをえませんでした。

1954年3月1日のビキニ環礁でのアメリカの水爆実験によって、日本の漁船が「死の灰」を被ばく、大きな事件になりました。中でも第五福竜丸の乗組員23人が全員被ばくし、急性放射能症を発症し、捕獲したマグロはすべて投棄されることになりました。

この事件が契機となって、原水爆実験禁止、原水爆反対運動が日本に始まりました。世界でも始まりました。燎原の火のように日本中に広がったのです。3000万を超える署名が結実し、1955年8月「原水爆禁止世界大会」が広島で開かれ、翌年の1956年、第2回世界大会が長崎で開かれました。この運動に励まされて、大会に参加した原爆被害者によって1956年8月10日「日本原水爆被害者団体協議会」が結成されたのであります。結成宣言で「自らを救うとともに、私たちの体験を通して人類の危機を救おう」との決意を表明したのであります。「核兵器の廃絶と原爆被害に対する国の補償」を求めて運動に立ち上がったのであります。

運動の結果、1957年に「原子爆弾被爆者の医療に関する法律」が制定されます。しかし、その内容は、「被爆者健康手帳」を交付し、無料で健康診断を実施するという簡単なものでありました。

さらにもうひとつ、厚生大臣が原爆症と認定した疾病にかかった場合のみ、その医療費を支給するというものでありました。1968年になり、「原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律」というのを制定させました。これは、数種類の手当てを給付するということで経済的な援助を行いました。しかしそれは社会保障制度でありまして、国家補償はかたくなに拒まれたのであります。

1985年、日本被団協は「原爆被害者調査」を実施しました。この調査で、原爆被害はいのち、からだ、こころ、くらしにわたるすべての被害を加えるというものでありました。命を奪われ、身体にも心にも傷を負い、病気があることや偏見から働くこともままならない実態が明らかになりました。この調査結果は、原爆被害者の基本要求を強く裏付けるものとなりました。自分たちが体験した悲惨な苦しみを二度と、世界中の誰にも味わわせてはならないとの思いを強くいたしました。

1994年12月、この2つの法律を合体した「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」が制定されました。しかし、何十万人という死者に対する補償はまったくなく、日本政府は一貫して国家補償を拒み、放射線被害に限定した対策のみを今日まで続けております。もう一度繰り返します、原爆で亡くなった死者に対する償いは、日本政府はまったくしていないという事実をお知りいただきたいというふうに思います。

これらの法律は、長い間、国籍に関わらず海外在住の原爆被爆者に対し、適用されていませんでしたが、日本で被爆し、母国に帰った韓国の被爆者や、戦後アメリカ、ブラジル、メキシコ、カナダ、このほかに移住した多くの被爆者は、被爆者特有の病気を抱えながら原爆被害への無理解に苦しみ、それぞれの国で結成された原爆被害者の会と私たちは連帯し、ある時は共同し、裁判など活動を通して国に訴え、国内とほぼ同様の援護が行われるようになってまいりました。
私たちは、核兵器のすみやかな廃絶を求めて、自国政府や核兵器保有国ほか諸国に要請運動を強めてまいりました。1977年国連NGOの主催で「被爆の実相と被爆者の実情」に関する国際シンポジウムが日本で開催されました。原爆が人間に与える被害の実相を明らかにしました。このころ、ヨーロッパで核戦争の危機が高まり、各国で数十万人の大集会が開かれました。これら集会での証言に日本被団協に対する依頼が続いたのであります。

1978年と1982年にニューヨーク国連本部で開かれた国連軍縮特別総会には、日本被団協の代表がそれぞれ40人近く参加し、総会議場での演説のほか、証言活動を展開しました。核兵器不拡散条約の再検討会議とその準備委員会で、日本被団協代表は発言機会を確保し、あわせて再検討会議の期間中に、国連本部総会議場ロビーで原爆展を開き、大きな成果を上げました。2012年、NPT再検討会議準備委員会でノルウェー政府が「核兵器の人道的影響に関する会議」の開催を提案し、2013年から3回にわたる会議で原爆被害者の証言が重く受けとめられ「核兵器禁止条約」交渉会議に発展いたしました。

2016年4月、日本被団協が提案し世界の原爆被害者が呼びかけた「核兵器の禁止・廃絶を求める国際署名」は大きく広がり、1370万を超える署名を国連に提出いたしました。その結果でもありますが、2017年7月7日に122か国の賛同をえて「核兵器禁止条約」が制定されたのであります。これは私たちにとって大変大きな喜びでありました。
さて、核兵器の保有と使用を前提とする核抑止論ではなく、核兵器は一発たりとも持ってはいけないというのが原爆被害者の心からの願いであります。想像してみてください。直ちに発射できる核弾頭が4000発もあるということを。広島や長崎で起こったことの数百倍、数千倍の被害が直ちに現出することがあるということ。みなさんがいつ被害者になってもおかしくない、あるいは、加害者になるかもしれない状況がございます。ですから、核兵器をなくしていくためにどうしたらいいか、世界中のみなさんで共に話し合い、求めていただきたいと思うのであります。

原爆被害者の現在の平均年齢は85歳。10年先には直接の被爆体験者としての証言ができるのは数人になるかもしれません。これからは、私たちがやってきた運動を、次の世代のみなさんが、工夫して築いていくことを期待しております。

一つ大きな参考になるものがあります。それは、日本被団協と密接に協力して被団協運動の記録や被爆者の証言、各地の被団協の活動記録などの保存に努めてきました、NPO法人の「ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会」の存在であります。この会は結成されてから15年近く、粘り強く活動を進めて、被爆者たちの草の根の運動、証言や各地の被爆者団体の運動の記録などをアーカイブスとして保存、管理してまいりました。これらを外に向かって活用する運動に大きく踏み出されることを期待いたします。私はこの会が行動を含んだ、実相の普及に全力を傾注する組織になってもらえるのではないかと期待しています。国内にとどまらず国際的な活動が大きく展開してくださることを強く願っています。

世界中のみなさん、「核兵器禁止条約」のさらなる普遍化と核兵器廃絶の国際条約の締結を目指し、核兵器の非人道性を感性で受け止めることのできるような原爆体験の証言の場を各国で開いてください。とりわけ、核兵器国とそれらの同盟国の市民の中にしっかりと核兵器は人類と共存できない、共存させてはならないという信念が根付くこと、自国の政府の核政策を変えさせる力になることを私たちは願っています。

人類が核兵器で自滅することのないように!!そして、核兵器も戦争もない世界の人間社会を求めて共に頑張りましょう!!ありがとうございました。
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被団協のノーベル平和賞受賞を総理になった石破茂はどう評価するか知りたいものである。

2024-10-12 | 
日本の原子力発電所は、プルサーマル計画(原子力燃料再利用計画)が破たんしたことで、計画は中止されなければならない。使用済み核燃料は再利用できるとした空論は破たんした。原発の吐き出す核のゴミを貯蔵する場所がなくなった。5兆円以上もつぎ込んだもんじゅにつぎ込んだ金はドブに流された。
ところが、日本は核を所有すべきとする、核保有論者にとって核のゴミは垂涎の的でもある。核弾頭を一つも持たない日本は、極めて危険なプルトニュウムを7トンも所有している。何時でも核兵器に転用できる物質である。
中国はこのことに触れ日本は核保有国と断じている。
日本はアメリカの核の傘にあり、核兵器拡散条約に批准しないと世界は信じている。しかしその片方で、核保有論者を半数以上抱える与党自民党は、使用済み核燃料プルトニュウムの存在を見ているのである。
その代表が石破茂である。半年あれば数発は作れると嘯いていた。
今回の日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協) のノーベル平和賞受賞を首相となった石破茂はどう評価するか知りたいものである。

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日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)被爆伝えて67年、ノーベル平和賞受賞!

2024-10-11 | 

ノルウェーのノーベル委員会は、2024年のノーベル平和賞を日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)に授与すると発表した。授賞理由については「核兵器が二度と使われてはならないと、証言をしてきた」とし、「『ヒバクシャ』として知られる広島、長崎の原爆被害生存者による草の根運動である日本被団協は、核兵器なき世界を実現するために尽力し、核兵器が二度と使われてはならないと、証言を通じて示してきた」とした。
日本被団協理事の箕牧智之長は記者会見し、2021年亡くなった坪井直前理事長らの名前を挙げ、「本当に嘘みたいだ、核兵器廃絶・恒久平和の実現を訴える大きな力になる」と喜んだ。
国内では各都道府県の組織で構成され、国外の会議に出席者を送るなどの活躍をしている。核兵器禁止条約の締結を世界各国に迫っている。CNN放送はこれまで草の根の活動をしていた団体の受賞を称賛している。2017年に受賞した核兵器廃絶キャンペーン(ICAN)手放しで歓迎している。
今年なんとしても広島と長崎の原爆投下の日の、平和祈念式典に出席したと出かけたが、その年にこんな大きな賞を被団協が受賞するとは驚きと喜びを実感している。
被団協の地道な活動と、国への核兵器禁止条約批准を広島市長、長崎市長などなどが強く訴えた。ところが、岸田文雄首相は両市の挨拶で、一言もこのことには触れなかった。昨年一昨年より大きく後退した挨拶であった。
日本政府は別の道から核兵器をなくし働きをすると、繰り返し発言しているが何もやっていない。
核兵器禁止条約批准国は70か国に及んでいる。世界唯一の被爆国日本は、核兵器の拡散に何の働きかけもしていない。被団協のノーベル平和賞受賞が何らかの作用を、この国に及ぼすことがあればと願うばかりである。現状を見ると望みは薄いが、自民党支持者でも核兵器廃絶を望んでいないとは思えないのであるが。
授賞式はノーベルの命日にあたる12月10日にオスロで開かれる。


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70年前のビキニ環礁の核実験の被爆りょせんのを調査する高校生を支援する吉永小百合さん

2024-07-18 | 

本ブログで幾度にもわたり第五福竜丸の被ばく事故と、アメリカの隠ぺい工作を指摘してきたが、昨日クローズアップ現代でそれを取り上げてくれた。
高校生が被爆した漁船の調査をしていると知って、そのナレーションをしようと手を上げた吉永小百合さんの功績である。
1054年(昭和29年)3月1日に、ビキニ環礁でのアメリカによる水爆実験「キャッスル作戦」に巻き込まれたのは、述べ992隻もいたのである。
あからさまになった第五福竜丸だけが大きく取り上げられてきた。
2021年3月7日に広島長崎に次ぐ第三の被爆と言われた、マグロ漁船第五福竜丸の最後の被爆者、生き証人の大石又七さんが亡くなられた。この
第五福竜丸では、機関長の久保山愛吉さんが半年後に亡くなられている。広島長崎に続く第三の被爆者と言われていたが、その後第五福竜丸の漁船員は次々と被爆者の症状となり、最後に残っていた大石又七さんは幾度もがん手術をしたからだで、日本各地で講演していた。
冷戦構造の中で3度目の被爆を受けながらも、日本はアメリカの意向に沿う形で、この核実験被害を隠ぺい工作を行った。200万ドルの見舞金で、すべて終わりとしたのである。
報道は「原爆マグロ」を大々的に報道した、ガイガーカウンタのととともに廃棄する原爆アグロを、幼心に記憶している。そして、アメリカの200万ドルは口止め料で、他の船の被爆の事実も史直事実も多いな権力のもとで隠蔽された。
この事実を地元の高校セたちが、地元の歴史を調査する中でこの事実を知ったのである。2017年の開示請求で自分達も被爆しえたことを、幾度にもわたり癌を患った元漁船員が驚きを隠さない。
この事実をドキュメントにした高校生たちの活動を知る、ナレーションなど支援を吉永小百合さんが申し出たのである。吉永さんは、日本の中に残る「核に対する曖昧な姿勢」を指摘する。
国は被爆漁船員たちの、因果関係不明を理由に国は被害の実態を認めていない。20年以上経ち”除斥期間”を過ぎていて、請求権がないと国の立場である。除斥期間が過ぎたのは、国の責任であると元高校教諭は指摘する。
明らかにされた第五福竜丸も廃棄されていたのであるが、これも隠蔽工作の一つである。吉永さんは、「こうした事実を知ることの大切さ」も訴える。
下図は2012年民放で報道されたものであるが、アメリカ側の天候資料などによれば、この数倍のもしくはその何倍もの船など、が被爆していた可能性すらある。日本以外の漁船などについては、全く不明のままである。
今回高校生の調査は、日本に限った個人への被爆調査であった。

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映画「オッペンハイマー」がアメリカ国内の核兵器を見直すきっかけになればと思うが

2024-03-15 | 

映画「オッペンハイマー」が数多くのオスカーを受賞した。原爆開発の科学者で、ロスアラモス国立研究所の初代所長 ロバート・オッペンハイマーの映画化に、冷やかに見ていた。それは、「戦争を終わらせる手段として原発は有効だった。多くのアメリカ兵の命を救った」と発言していた、時のアメリカ大統領トルーマンの言葉があったからである。
世界初の原子爆弾を成功させた1945年7月26日は、連合軍が日本にポツダム宣言を突き付けた日である。トルーマンはスターリンに、ベルリン郊外ポツダムの会談場で、巨大爆弾を成功したと嬉々として耳打ちしている。上図は、原爆が持つ放射性物質の危険などの意識がなく、ビキニ環礁辺りでは平然と眺めていた時代のものである。
その後世界は東西冷戦構造の下、果てしない核開発の競争に突入する。
開発者のオッペンハイマーは、広島長崎の惨状に苦しんでいた。終戦直後トルーマンに謁見した時、「私の手は血で染められた」と述べ、オッペンハイマーは激怒された。
オッペンハイマーは悩み、ほどなく核開発から身を引いたが、科学者としての業績と、世界に広がる大量破壊兵器となった原爆の存在に苦しんだ。オッペンハイマーは、核兵器が戦争に用いられないように訴え続けていた。
クリストファー・ノーラン監督は、その辺りのオッペンハイマーを忠実に表現しているようである。実在の人物を通して、アメリカが戦果という賞賛や抑止力などという幻影から、核兵器の恐怖をアメリカが実感するきっかけになればと思うと述べている。
この映画は被爆者からも評価が高い。この映画を近いうちに見る機会があればと思っている。

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日本へのアメリカの核の傘は日本を引き留める虚構でしかない

2023-11-16 | 

2017年7月7日、国連は「核兵器の禁止に関する条約」を採択した。世界唯一の被爆国でありながら、反対・不参加を表明し退席した日本の席には、「wish you were here」と、主語がなく書かれた折り鶴が置かれていた。(下図)広島長崎の、ヒバキシャが主体になって進めた条約である。未だに日本はこの条約に批准していない。この条約は、『核兵器その他の核爆発装置を開発し,実験し,生産し,製造し,その他の方法によっ て取得し,占有し,又は貯蔵すること。』と規定している。 
日本はアメリカの「核の傘」の元にあるため、核保有国に寄り添っていれば、核攻撃など武力攻撃を受けることがないという、核抑止論によって日本は軍事力を持たなくて良い、したがって核兵器には反対できないという論理である。
被爆国日本にとって核兵器の存在は抑止以前の問題である。核兵器が使用されると圧倒的に非戦闘員を無差別に殺害する。建造物を破壊し生きながらえた被爆者の遺伝子にまで入り込む。核兵器の、この非人道性を認めない日本政府である。
日本に核の非人道性の容認を阻害させるほどの甘い汁が核の傘にあるに違いない。馬鹿々々しい話であるが、核の傘つまり抑止論は敵国も同様であり、両国は軍事力拡大競争の環に陥り抜け出せない。繰り返される戦禍の論理を抱えてて、愚かな戦争論理からいまだ抜け出ない為政者たちの言訳である。
例えば某国が日本を核攻撃したなら、アメリカは報復の核攻撃など日本のためにするわけがない。アメリカが攻撃されるからである。核の傘は幻影でしかない。

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サーロ節子さん、核問題に対する岸田総理の姿勢を「矛盾がおびただしい」と強く批判

2023-08-08 | 
広島平和記念式典で岸田文雄は、「唯一の戦争被爆国として『核兵器のない世界』の実現に向けて努力する」と述べてはいたが、核兵器禁止条約については昨年同様触れることはなかった。
式典に参加していた被爆者サーロー節子さんは記者会見し、「核兵器のない世界を自分のライフワークだとか言って、でも同盟国の核抑止はフルにサポートする。あまりにも矛盾がおびただしくて」と、強く批判した。
 会見に同席した、ノーベル平和賞受賞団体ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)の川崎哲国際運営委員は、日本政府に対し核兵器禁止条約への参加をより強く働きかけるために、被爆者や若者などによる新たなキャンペーンを展開する方針を明らかにた。
安倍晋三は核兵器禁止条約に批准しないが、核保有国と橋渡しをするとか言っていたが、現実には何もしていない。菅、岸田と全く核廃絶に向かっては何もしていない。
岸田文雄に至っては、軍事予算を倍にする法案だけ通して、これから国民から税金を巻き上げるか、福祉予算などを切り捨てるかすることになる。
軍事大国に日本を変貌させようとする岸田に、「核兵器のない世界」などと思ってもいないことを口にすることはあっても、取り組むわけがない。
核のない世界を実現するためには、核兵器は非人道的兵器で所有してはならないとする、核兵器禁止条約に批准する以外の正当な道はない。
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ウクライナが核放棄したのがロシアの侵略を許したという

2023-05-28 | 
ソビエト崩壊時ウクライナイには、ソ連の大量の核兵器が遺されていた。アメリカ、ロシアに次ぐ核保有国であった。
ウクライナは長い論議の末に、核の放棄、ロシアへの返還を決断した。冷戦を終えた米ソはあらゆる面で接近し、中距離核兵器全廃条約(INF)を結び、核兵器を削減へと向かっていた。
経済破たんのロシアは、プーチンがNATOの会議に出席し、G7(先進国首脳会議)をG8(主要国首脳会議)にしてもらい参加していた。
1994年のブタペスト覚書で、ウクライナ・ベラルーシ・カザフスタンが核不拡散条約に加盟することに伴い、アメリカ・イギリス・ロシア協定署名国3ヶ国の安全の安全保障をするというものであった。
NATOがソ連傘下のワルシャワ機構の3カ国を加入させ、ミサイル基地を建設させて、ロシアは危機感を抱かせプーチンは対立への道を選択した。
2019年に中距離核兵器全廃条約は、2019年にトランプが破棄しロシアが認める失効した。
ウクライナに対して、核を破棄していなければロシアの侵略はなかったと主張する人たちがいる。イギリスとアメリカが安全保障するはずであったが、ロシアは逆の道を選択した。国家間の信義は履行されない。NATOもロシアも。
ウクライナの理性は、核の放棄は正しかった、核を持っていればロシアの湯な野蛮な国家になっている。独裁者が支配し民主主義体制も維持できなかったろうと言う。
ウクライナが核放棄したのがロシアの侵略を許したとするのは、力の論理でしかないが、核兵器は軍拡競争をも凌駕する非人道的兵器である。
ロシアの核の威嚇を、多くのウクライナの人達は核があればなかったとは思っていない。ロシアの非人道的侵略こそが問題なのである。
何故なら核は人類への挑戦であるからである。
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核兵器禁止条約に批准することなく核廃絶を掲げたところで絵空事でしかな

2023-05-21 | 

広島でのG7開催の表の目的は、核の非人道性を核保有国も含めた、参加首脳が知ることによって明確な核廃絶への声明がだされることであった。
確かに若い首脳たちには、広島の原爆の惨状、非人道性がそれぞれのコメントをみげば、確かに伝わったかに思える。原爆への認識を幅広く世界に伝わるきっかけにはないであろうし、報道も底辺を広げてくれるであろう。
岸田文雄は平和記念公園で「核兵器のない世界」実現という理想をG7で共有したと語っている。
しかしながら、戦争の終結のためにウクライナの勝利をという内容である。中国は戦火の拡大につながらないようにとコメントを出している。30時間日本に滞在した、戦時下のゼレンスキーのコメントが痛々しい。ロシアの核の脅威は更に実感したのでないだろうか。
出されたコメントも、核廃絶をというより核不使用という内容で、核保有国は我々に使わせないようにしろともとれる。
核兵器禁止条約に批准せずに、核廃絶は絵空事に外なない。批准国92か国の中に、G7国は一国も名を連ねていない。大国の論理でしかない。
しかし、現実問題としてバイデンは広島平和公園に、核の鞄を忘れず持ってきている。(下図は岩国基地)
裏の目的は、岸田文雄が地元でのG7開催というパフォーマンスで、支持率回復を狙う腹づもりは姑息である。



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ロシアは占拠したヨーロッパ最大の原子力発電所を核兵器として活用する

2022-08-27 | 

国連本部で開かれていた核拡散防止条約(NPT)再検討会議は最終日の26日、核軍縮の道筋などを示す最終文書案への全会一致の合意に、ロシア一国が反対し、最終文書は採択されなかった。4週間の協議を棒に振った。
ロシアのウクライナ侵略で核使用の懸念が極度に高まる中、核軍縮の機運の後退とNTP体制の形骸化が懸念される。
ロシアはウクライナ南部の、サポリージャ原発を占拠している。原発を盾にウクライナが攻めることができないようにするためには、もってこいの核施設である。ロシアはウクライナが砲撃したとか、ウクライナはロシアが砲撃しているとか双方が言いたい放題である。
NPTはロシア軍の撤退を条件に、再検討委員会を行っていた。ロシア軍がまずは撤退することを会はほぼ決定したが、ロシアがこれを蹴飛ばした。
ロシアは核保有国であるが、実質的に核施設を武器として用いている。許されることではないが、そもそもロシアの駐留こそが問われるべきである。侵略者がウクライナが砲撃してきたなどと、たとえ事実であっても主張できる立場にはない。
ロシアは西側の基準にロシアは縛られないと、そもそも論議に及んでいる。核保有国としての我儘はが許されるのは、核を先制使用しないからほかの国は、保有するな開発するなというのである。
NPTの存在意義をもプーチンは、ウクライナ侵略によって破壊しているのである。
これでは核兵器禁止条約批准国家との分断ばかりではなく、核保有国間でも存在意義が失われることになる。最終案では「核の先制不使用」の文言すらも削除されたが、ロシアはそれすら受け入れなかった。NPTの5カ国の保有国が、自らを否定することになっていしまった。
会議の頭に出席した唯一の被爆国日本の岸田文雄首相は、橋渡しをするなどと言ってはいたが、存在意義を失った事になる。
また核兵器禁止条約の存在も織り込めて人かったので、批准国から不満の声が上がっている。これでは自民党政権が、橋渡しをするとか言って、核兵器禁止条約に批准しなった理由すら失せてしまったことになる。核兵器に対する理念を日本が放棄したことにもなる。
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核廃絶に向けて日本は何もしていない

2022-08-02 | 

NPT(核拡散防止条約)再検討会議が、7年ぶりにニューヨークで開幕された。通例では閣僚級の参加であるが岸田文雄総理は初めて日本の首相として生き込んだでかけ演説をおこなった。
「核兵器のない世界」Long Action Plane と名付けた、核兵器不使用の継続や、世界の若者を広島長崎に招くなど5本柱の行動計画を提唱した。自らを、「NPTの守護者」と呼んだのには驚かされた。
発効から52年を経たNPT体制は、核保有5カ国以外に核の諸州を広げないということであるが、それは取りもなおさずこの5カ国が理性的に判断し、人道的に振舞うことが前提になっている。ところがアメリカを上回ると思われる核保有国のロシアは、ウクライナに対して核の恫喝を行っている。ソ連時代大量の核を保有していたウクライナであるが、ソ連崩壊後は安全保障を条件に一基残らず引き上げている。ところがロシアは今年の二月に始めたウクライナ侵略で行き詰まると、プーチンは核の恫喝に打って出た。
一向に核の拡散が収まらないことにいら立った各国は、核兵器禁止条約を2017年に採択し昨年発効した。日本のヒバクシャが本条約の成立の多大に貢献している。
現在署名国が86、締約国が56カ国となっていて、ノールウェーとドイツがオブザーバー国になっている。
唯一の被爆国の日本は、安倍晋三は核保有国との橋渡しをするとして条約に批准していない。それではどんな橋渡しをしているかというと、何もやっていない。
核兵器禁止条約について、岸田総理は全く触れることもなかった。
条約成立に貢献したサ被爆者のサーロー節子さんは、岸田文雄首相が演説したことについては、「うれしく、誇らしく思う」と述べる一方、「核兵器禁止条約へは一言もなく失望した。意図的に無視された」と、述べている。
最も重要な核兵器を法的に禁止する条約に、広島出身の岸田総理何も語ることがなかったとは、この男は何しに国連まで行ったのだろう。
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プーチンには核兵器所有の誇りも理性もなくなった

2022-04-17 | 

核拡散防止条約(核兵器の不拡散に関する条約:Treaty on the Non-Proliferation of Nuclear Weapons:NPT)は、核軍縮を目的にアメリカ・中国・イギリス・フランス・ロシア(ソ連)の5か国以外の核兵器の保有を禁止する、大国の傲慢な条約である。 インド・イスラエル・パキスタン・南スーダンそれに脱退した北朝鮮以外のほとんどの国が批准している。 1970年3月に発効している。 
東西冷戦下にあって核兵器を5カ国で留めて拡散を止めようという、当時の国際状況下では一定の理解がなくもなかったし、核拡散の抑止にはなっていた。
 それらを世界各国が大国の脅威を冷戦の枠外で動きだすようになった。 それらを抑えることは、大国の驕りではあるが抑止に一定の成果があったとみなければならない。 
そこには核所有国の米露英仏中は、「俺たちは理性的で核使用の危険性を熟知している。 それを得体のしれない国に持たすわけにはいかない。 」 という自負心があったはずである。
 ところが今回の、ロシア・ウクライナ戦争でプーチンは、明らかにそれらの誇り、核所有国としての矜持を投げ捨てた。 核使用の恫喝をウクライナに、ひいては世界に示したといえる。 戦況がままならい苛立ちか、プーチンは核使用を口にした。 これでは核所有国の理性的判断能力をロシアが放棄したと言わざるを得ない。
核所有の経済的負担も大きく、世界の9割以上の核を有するアメリカとソ連が冷戦中に結んだ中距離核戦力(INF)全廃条約 を、トランプとプーチンで放棄した。 先人の知恵を踏みにじったのである。
これには核兵器禁止条約を世界に拡散し、核を所有することが国際法に抵触することを徹底するしかないのである。
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核保有国の身勝手な屁理屈、しかし黙したままの被爆国日本よりましか

2022-01-06 | 
核保有国5カ国が共同声明を出した。アメリカ、イギリス、フランス、中国、ロシアの核保有5か国である。
「核戦争に勝者はおらず、決して戦ってはならないことを確認する」と表明し、中国の馬朝旭外務次官は「5カ国の指導者が核兵器の問題について声明を発表するのは初めて」と意義を強調し、国連のグテーレス事務総長も、「私の長年にわたる対話と協力の要求に合致し、勇気づけられる」と歓迎する声明を出している。
声明で核兵器不拡散条約については、全く触れることがないのは、核を所有することも禁じていることへの反発であろう。核保有国は実験を間断なく続けていながら、核戦争に勝者がいないのなら直ちに中止するべきである。保有の意味すらない。
「核兵器は防衛が目的」とは戦争の正当化への布石である。20世紀に入って、自衛以外の戦争は起きていない。どんな小さな諍いや侵攻でも、必ず双方とも自衛を理由にする。相手が悪いのだと、向こうが先に発砲したとか、我々は自衛のための正義戦いと双方が主張する。
5か国の声明は、核兵器使用した時への言い逃れでしかない。
ところで唯一の被爆国日本が、核兵器不拡散条約に批准しない理由を、各補給国への働きかけをしその橋渡しをする、ためと理由を掲げる。それでは具多雨的に何をしたかというと、なーんにもやっていないのが現実である。
あなたは被爆国の総理でしょ!」と強く促されても、何も言えない安倍晋三であった。むしろ核保有国の方が積極的でもある。
金ばら撒くだけの無策な日本外交は、安倍晋三が築き上げた虚構でしか語れない。その典型が核兵器不拡散条約への対応である。
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第五福竜丸最後の生き残りの大石又七さんがなくなっていた

2021-03-21 | 

1954年(昭和29年)3月1日に、ビキニ環礁でのアメリカによる水爆実験「キャッスル作戦」に巻き込まれて、マグロ漁船第五福竜丸が被爆した。3月1日は、”ビキニデー”として記憶されるが、20歳で被爆した最期の生き残りの大石又七さんが、今月7日に亡くなっていたことがわかった。忘れ去られようとするビキニデーの翌週であった。
アメリカの核実験は公表されることなかったので、日本の多くのマグロ漁船が被爆していたことがわかっている。アメリカの資料から500ミリシーベルト域で作業していたであろう日本の漁船は70隻に及ぶ。日本国内では、原爆マグロをガイガーカウンターで測定し廃棄するニュースが流れていた。
第五福竜丸では、機関長の久保山愛吉さんが半年後に亡くなられている。広島長崎に続く第三の被爆者と言われた。その後第五福竜丸の乗員は全員が、何らかのがんで亡くなられている。大石又七さんは十数回手術を受けながら生き残って語り部をされていた。上図みれば周辺の島々にも知らされることなく通常の生活をやっていて、多くの被爆者を出しているが、これもアメリカは認めていない。
当初アメリカは放射能は海水で無害になると主張していた。日本では民間の専門家たちが調査団を組み俊鶻丸に乗船し貴重な調査を行ていた。海洋汚染は歴然とあり、食物連鎖も確認されているあ。
第五福竜丸では積もる灰をあびている。第五福竜丸の乗船員にアメリカは200万ドルを支払って、これで終わりにした。その後の治療やがんの発生な廃棄されていたが、何より周辺の被ばく汚染の事実すべてを、この200万ドルでチャラにした。口止め料である。被爆したと思われる船の漁船員は圧倒的な比率で発がんし亡くなられている。現在でも被爆者たちは、日米間政治的な決着で、被爆を認めていない国への保障を求めている。下図は昨年のものである。
アメリカへの隷属はこの時受け取った200万ドルに始まる。この事実を覆い隠すために始まったのが、原子力の平和利用である。日本では正力松太郎と中曽根康弘がこれに乗って、日本の原子力発電への道が開かれた。アメリカの後押しである。
第五福竜丸の船体の放射能汚染は現れ再利用されていたが、東京の夢の島の隣の埋立地に打ち捨てられているのを再発見され、保存運動が起きて現在は、東京都立第五福竜丸展示館(夢の島公園)に永久展示されている。大石又七さんが亡くなられて、貴重な存在となった。

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いずれは最終処分場にしたい幌延、延長案を小出しにしてくる

2021-03-20 | 

北海道そうや地区にある、日本原子力開発機能・幌延深地層研究センターが高レベル放射性廃棄物(核のゴミ)の地層処分の研究施設を、現在よりも150メートル深く500メートルまで掘削する案を唐突に出してきた。昨年11月のことである。2020年当初の幌延町に同意を得て、研究機関を9年延長を決めたばかりであるが、この時には掘削の延長についての話は全くなかったのにである。
官僚の常とう手段である。不意打ちであるが、ちょろっと出して機を見てすぐ引っ込めるような姿勢で、いつか金を背景に、賛同する行政側の出てくるのを待つのである。上図は、幌延深地層研究センターのサイトのものである。350メートルまで書いてはいるが、その先に白い線で坑道がしっかりと描かれている。案そのものは当初からあったようである。
核のゴミなど、地震大国の日本の何処にも安全な処分場などあるわけでもない。幌延は1981年に町が原発誘致したことに始まる。その後廃棄物処理施設の要請と、それに伴う反対運動を懐柔しながら、研究センターとして命脈をつないでいる。幌延深地層センターはここまで掘削する間に幾度も断層にあって出水があったりもしている。
500メートルの掘削案が唐突に出されたのは、先ずは2028年度以降の再延長への布石である。そしてさらには、いずれは最終処分場にしたいのである。研究所としての施設は、最終処分場にはしないという前提での研究センターのはずである。フランスではちゃっかり最終処分場にしているが、外にどんな企みを持って、掘削をやり続けるのかあるのだ。
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羅臼港

春誓い羅臼港