先輩獣医の奥さんが広島出身であった。三次という島根に近いところであったが、学徒動員で広島市郊外の、工場に駆り出されていた。当時は原爆の事をピカと言っていたが、ピカには会わなかったが、黒い雨にはあっている。
とても明るい母さんでしたが、50歳を過ぎたころ白血病を発病した。母さんの説明は良くは解らないけれど、かなり悪性だったということである。突如として、全身に粟粒のような丸い結節が全身の皮下に表れて、痛くて眠れない。それを聞いて、ピカのせいでないかと問うたところ、原爆症には認定されないといっておられた。母さんは北海道のへき地から東京の病院へ通う日々が続いた。
入退院を繰り返し母さんは70前に亡くなった。生前、母さんは「原爆症の認定を受けても病気がよくなるわけでもないし」と言っていたことが忘れられない。
日本が繰り返す薬害の原点がここにある。ABCC(原爆傷害調査委員会)は終戦直後は、7日で放射能はなくなるといっていた。そこでそれ以降広島に援助に来た人たちは、原爆症の対象から外していた。ABCCの主張には何の根拠もなかった。
薬害も同じである。この薬品は無害である、副作用もこうであるという、一旦公的機関、ある意味での権力が許可したものは、現場で起きていることに優先される。医薬品を例にするなら、開発者もしくは販売製造業者の利益を擁護する形となる。法律が擁護する、司法判断が被害者側に立つには時間がかかる。本ブログでの取り上げた5年前のサリドマイドの記事のアクセスが絶えない。
何度も何度も見てきた、被害者の苦悩が繰り返される。一昨日原爆投下から、75年経ってようやく黒い雨に打たれた人たちの、原爆症認定が行われた。もうどれだけの人が亡くなられたことであることか。世界中どこでもある事であるが、日本はこれが最も酷い形だ現れる。黒い雨はその象徴であるが、75年はあまりにも長すぎる。