半藤一利さんが亡くなられた。歴史を学ばなならないと何度もおっしゃっていた。安倍政権の始まりのころには、戦前の体制によく似てきたと何度もおっしゃっていた。
近代史、とりわけ昭和の歴史を平易な言葉で、詳細に解説して頂いた。とりわけ口語調で書かれた昭和の上下巻は、これまで蓄えてきた半藤氏の全てが、ゆったりと集約されている気がする。
東京空襲の体験者で、墨田川だったかに逃げ落ちて死を覚悟した時に、そっと手を出して救ってくれた人がいた。半藤さん10歳の時である。戦争体験が半藤さんの原点ともいえる。文藝春秋に就職後は編集者として、大宅壮一氏の名を借りて出版した、終戦当日を体験者から取材した「日本のいちばん長い日」はベストセラーになり、のちに映画化されている。半藤氏は昭和天皇は3度大きな決断をしているという。柳条構事件と2・26事件それと終戦である。終戦は、「聖断ー天皇と鈴木貫太郎」として小説にしていて、映画やテレビに幾度も映像化されている。史実を踏まえた半藤さんの文章は重いく説得力がある。天皇を美化することなく一介の人間として描いている。
昭和初期から終戦までの、軍の動きや政治の流れそれに民衆を鼓舞し、日本が戦争に突き進んだ裏表の歴史を半藤さんは具に教えてくれれた。その上で、「憲法九条を守るのではなく、育てなければならない」と述べて、晩年は護憲姿勢を強く示した。
半藤さんは、編集者として松本清張と司馬遼太郎に接したことは宝だと述べている。とりわけ司馬遼太郎氏が中座した、ノモンハン事件は司馬氏の遺した資料を基にして、「ノモンハンの夏」を著わしている。ノモンハンをしっかりと検証しなかった日本は、その後太平洋戦争へと突き進み、同じ愚を繰り返すことになる。ノモンハン事件は軍部や日本政府の恥部である。それまでほとんど触れられることがなかった事実、皇族の士官が現場の指揮官に自決を強制させて終わらせたことを告発している。敗北を指揮官は考えない、作戦が正しかったのに敗北したのは現場の指揮官の責任というのである。この図式はそっくり太平洋戦争へと引き継がれ、無数の軍人を散華や餓死によって死なせている。このロジックは、現在も永田町の無謬主義として怯むことなく残っている。
半藤さんの歴史観には、血の通った人間が主役である。例えそれが大量虐殺や、取り返しのつかない失敗をした軍人であっても、半藤さんは悪者に仕立てることはない。彼らから私たちは教訓を得よというようである。
奥さんが夏目漱石の孫で会ったことは偶然の出会であった。資料が身近にあったこともあり、漱石の関する書物も多い。半藤さんの漱石の著作は目を通していなに。
半藤さんは、「40年史観」を提唱していた。明治以降の日本は40年ごとに興廃を繰り返しているというのであるが、明治維新から40年後の日露戦争で軍事大国化し、その40年後の第二次世界大戦で大敗し、その40年後にはバブル期の経済的絶頂になっている。そしてその40年後は目前に迫っている。戦争の苦難を40年経てば体験世代が忘却するからである。没落する日本の始まりを半藤氏は途をかに垣間見てこの世を去られた。
半藤さんありがとう。心から冥福を祈りたい。