そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

めっきり影をひそめたNHKの終戦番組が再放送ばかりで、哀れである

2021-08-12 | NHK

 毎年終戦記念日が近づくと、NHKは多くのドキュメンタリー番組を中心とする戦争と平和をテーマにした番組を組んでいた。いわゆる終戦番組であるがめっきり少なくなった。
それらは新たな発見や視点から、戦争を問い続ける姿勢を視聴者に発信してくれていた。NHKが権力から圧力を受ける中、多くの番組が政治的検閲を受ける中でも、こうしたドキュメンタリー番組は検討しているように見えた。特に戦争や憲法などに関するドキュメンタリー番組には、反戦平和の心意気が残されてはいた。
ところが、今年の終戦の夏は、それらしい番組がほとんど見えなくなってしまった。新型コロナの旋風とオリンピック開催の余波とみるには、余にも極端である。
この夏放送されているには、多くは昨年の再放送あるいはそれ以前のものである。再放送はあっても良いし、内容も悪くはない。しかし今年はあまりにも多すぎる。
来年は、オリンピックもなくコロナも下火になって、菅義偉も退陣し、自民党の下野してれば、心置きなく番組が作られるに違いない。
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NHKは地域による受信料格差を設けよ

2016-08-26 | NHK
家にテレビがなく、ワンセグ機能の携帯電話があれば、受信料契約をしなければならないという、NHKの主張が通らなかった。埼玉県のある市議さんが、家じゅうのテレビを亡くし、ワンセグ付きの携帯電話をもって、NHKを訴えたが、さいたま裁判所はこれを契約義務がないとの判断を示した。

つまりNHKはワンセグも料金を徴収するという魂胆である。裁判に負けたが、少なくとも彼らの主張はワンセグも金欲しいと言っている。ところが我々のような超僻地は、どんなに優秀なワンセグ機能のスマホを購入しても。見ることができない。受信できないのである。都会に出て時折見るテレビに驚かされる。
そればかりか、大雨が降ったり風が強ければ、BSは見ることができなくなる。今年などいくつも台風が来て、多分雨が多い方がよくないのであろうが、見ることができないことが多くなるのである。地上波も受信状況が悪化する。
BSを導入するにあたって、NHKは日本中、くまなく均等の良質画像を送れるとしていた。それは技術体に無理だったようであろうが、地上波になって私たちは見れないこともあるようになった。
それと、ラジオは室内では極めて受信状況が良くない。特に第二放送などは、語学勉強のために購入したラジオも全く使うことができない。車では聞けても自宅では聞くことができないのである。ラジルラジルも電波状況によって、途切れることも珍しくはない。良質の音が聞けるという触れ込みであるが、簡単に途切れて聞こえなくなるのである。都会に行って、FM放送が数局あるのに驚かされる。我々のところでは、NHK一局しか聞くことができない。これはNHKとは直接関係ないけれど、大いなる不満である。
NHKは地域による、受信料金を設けるべきである。それができなければ、全国どこででもワンセグが視聴できたり、BSが天候に左右されないようにし、ラジオがちゃんと聞けるようにするべきである。
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美空ひばりがが嫌いだった

2007-06-24 | NHK

中学生の頃、京都の東映撮影所に来るときにのための美空ひばりの住宅が、中学校のグランドの道を隔てたところにあった。「ひばりちゃんが帰って来た!」と、授業中でも走って見に行ったHibari04ものである。そのころにひばりは、20才前の一番生意気な時だったと、今では思う。

生徒たちがいくら騒いでも、ツンとしていて返事もしなければ、笑いもしなかった。特に女の子たちは、キャーキャー騒いだものであるが、彼女が反応した記憶がない。私たちはそんなひばりを見て「美空イバリ」だ、なんて言ったものである。大嫌いではなかったが、好きにはなれなかった。

ところが、ひばりが死んでからは時たま、彼女の歌を耳にするようになって、気がついたことがある。ほとんどの彼女の歌を、そらんじて歌えるのである。少なくとも、一番は大概は黙っていても歌えてしまう。しばし、この奇妙な現象に驚いたものである。

戦後の暗い時代の日本を、彼女の天才的な歌声が救ったのであろう。これこそ、真の意味での戦後レジュームである。少なくとも彼女の存在は、ある時代の象徴であったし、人々の中にしったりと根づいていた。

今日は美空ひばりの命日である。平成の始まった年に彼女は亡くなり、私の友人の奥さんがその60日後に死んだことと併せて、昭和の終わり平成の始まりから20年も経とうとしている。

時代は大きく変わったが、決して前進したとは思えない。それどころか、戦後レジュームをネタに更にその前の時代に憧れている、復古的国粋主義者の為政者がなにやら不穏なことを企んでいるように思えてならない。

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羅臼港

春誓い羅臼港