今から四半世紀前1996年12月17日夜、パーティー最中のペルーの日本大使館の壁を爆破して、14人のテロリストが侵入し約600人を人質とした。翌日女性と老人を解放した。ほぼ4か月(127日)後の4月22日に地下トンネル作戦の強行突入で、テロリスト14人は射殺された。72人の人質の1人と突入隊の2人が犠牲になった。
日本は平和解決を希望したが、刑務所内の仲間の解放と自分たちの海外逃亡国の保障要求をフジモリは時間を稼ぎながら拒否した。武力解決への時間稼ぎでもあった。先日NHKのアナザーストリーという番組で、四半世紀も過ぎたのだからもういいだろうと、様々な裏話などが話されていた。
その中で4か月間ともにテロリストと過ごした人質日本人の話が心に留まった。テロリスト14人のうち2名が女性で、中には先住民族の人が何人かいてアルバイトで応募に応じたとのことである。組織だっテロリストは僅か5名である。
その人質になった日本人が驚いたのは、応募したテロリストは日本食を大変喜んで食べたというのである。あるテロリストは、カップラーメンが美味しいといって、『、バックから爆弾を出して、カップラーメンを詰め込んだ』というのである。家族に食べさせたかったのであろうか、外には数千の軍隊がいるのにすんなりと帰宅することを考えていたのであろうか。家族思いの彼には、爆弾よりカップラーメンの方が価値があったのである。
そこには凶暴な反社会人、犯罪者の面影などはなく、単なる貧者の素顔、家族思いの一介の市井の人物の顔が垣間見えるに過ぎない。
テロリストは殺人鬼ではない。社会の矛盾が生んだ暗黒、はみだしである。為政者とテロリストは紙一重である。